耳塚(鼻塚)
中国、明国を「征伐」する事を目的に豊臣秀吉が起こした大陸侵攻の戦争、いわゆる慶長の役の時、削いで集めた朝鮮人の鼻を1597(慶長2)年9月、「刀狩り」にちなむ秀吉建立の方広寺境内に供養・埋葬した塚。           江戸時代には慶長の役の惨状は歌舞伎の脚本に描かれ、上演されたが・・・・・。 大正 2年、上方歌舞伎の中村鴈治郎、片岡仁左エ門一門と、上方浄瑠璃の竹本越路太夫一門らの供養塔が立てられる。 また、朝鮮通信使の紀行文にもたびたび登場し、通信使の参拝をめぐって紛議を生じたこともある。
  激戦地の韓国の慶尚南道のサチョン市にも、最近「耳塚」が建碑された。国立晋州博物館には、日本の「耳塚」
の写真をパネル展示している。