嵯峨釈迦堂(清涼寺)
嵐山、嵯峨野一帯は、古代朝鮮の新羅からの渡来人の秦人(秦氏)が、その土木技術によって田地を開拓し荘園とした処。その秦氏の一族で、東大寺の僧であった「然(ちょうねん)が、中国(宋)に渡り、インドの王が釈迦を思慕して造った像の写しの栴壇(せんだん)の釈迦如来像(国宝)を、987年持ち帰る。弟子の盛算が、嵯峨天皇の皇子左大臣源融(光源氏のモデル)の山荘跡とする棲霞(せいか)寺の釈迦堂に安置し、五臺山清涼寺と号した。現在の本堂は、元禄年間、綱吉、慶昌院が発願し、当地を本貫とする住友家が寄進したもの。隠元筆の額が掲げられている。
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