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■名前について
 人が名前を付ける際、そこには何らかの規則性が生じています。俗に「名は体を表す」と言いますが、名前を付ける事、与える事というのはとても重要な事で、古今東西を問わず、まして儒教思想の色濃い三国時代においては我々が思う以上に名前によって束縛されることがあったと思われます。
 例えば、現代の私たちでも名付ける親は名付けられる子に託す思いを名前に込める傾向があります。最近では平仮名名等も多いと聞きますが、全てを表意文字である漢字によって名付ける中国においては「名前」が持つ意味は私たちが思う以上に深刻です。三国志世界を漂流していると名前に関する記述が時折顔を覗かせ私たちを困惑させます。私たちには馴染みの無い文化ですから分からなくて当然ですが、そういうものかと流さずその底辺に横たわる文化や伝統を知った上で読んでみると、今までの三国志世界に広がりが生まれるでしょう。
 では、いくつかの名前を思い出しながらゆっくり見ていきましょうか。

 通常、人物の名前は「姓(セイ)」「名(ナ)」「字(アザナ)」の三部構成になっています。例えば「曹操」の場合、「曹」が姓、「操」が名、「孟徳」が字に該当します。

・姓は家名・族名を表します。日本でいうところの苗字に相当します。
・名は本名と言っておきますが、日本の名前には該当しません。死後は「諱(イミナ)」になります。
・字は本名の代わりの名前です。名と深い関わりがあります。

 まず「姓」ですが中国では同姓は同族もしくは縁戚という考え方があります。先祖は同じかもしれないということから考えれば当たり前の気もしますが、苗字が同じというだけで親戚だという考え方はなかなか分かりませんね。ただ断っておきますと、この場合の親戚という概念も現在日本で言われるお年玉をくれる程度の親戚というあるかないかの浅い関係ではなく、場合によっては艱難辛苦を共にする位の間柄です。このあたりの事は劉備を思い起こせば分かりやすいと思います。
 そして中国では「家」または「氏族」をとても大事にしています。その現れが「夫婦別姓」「同姓不婚」の慣習で、日本では馴染みのない事ですが、中国四千年の定理として知っておく必要があります。結婚しても男女の姓は変わりませんし、同姓は結婚出来ません。日本と違って古くから女性といえども「家」を負って結婚し、また同姓同族の意識がとても強いのです。史書に「呉夫人」や「甘皇后」等と表記されていますし、三国志演義で趙雲が桂陽の趙範に嫂を嫁にもらってくれと言われて怒ったのは当然なのです。
 次に「名」ですが、名とはその人自身を表すもの=本名という定義が正しいようです。「陰明師」という映画をご覧になった方はご存知かと思いますが、古来より名前とは事物を識別する為のものであると同時に実体そのものであり、この世の存在認識であり、また実体を縛り付けるものとも考えられて来ました。これを「(日本では)言霊信仰」といいます。言葉にすることで現世に影響を与え具現化させるという考え方で、日本では現在に至るまで人の心理に根強く残っています。例えば結婚式でのスピーチや受験生に忌み言葉を言わないのは縁起が悪いだけでなく人の心理に作用して、言葉にすることで実現するかもしれないことを避けているのです。言葉にはそういう強い力があるのです。つまり、人を名で呼ぶということはある意味呪っていると同意義なのですから、名で呼び合うことはありませんし、書かれることもありません。もし名で呼ばれることがあるとすれば、それは支配者(管理者)が被支配者(被管理者)を指して呼ぶ場合か、死を覚悟して罵る場合でしょう。恐らく支配者が被支配者を名で呼ぶのは被支配者を縛り付けているということなのでしょう。とにかく、生前に名で呼ぶことはと〜っても失礼なこと、というか斬り付けられても文句は言えないのです。但し死後は「諱」として呼ばれます。例えば正史では孫権はただ「権」と記されています。
 最後に「字」ですが、通常はこの字で呼ばれます。が、それも若い頃や親しい間柄でしか用いられません。例えば曹操の場合、若い頃に夏侯惇や袁紹などが「孟徳」と呼ぶのは良いとして郭嘉が「孟徳」と呼ぶことはありません。失礼です。馬超が劉備を「玄徳」と呼んでいたので関羽が馬超を殺そうとしたという話がありますが、これも本当ならかなり傲慢無礼な話で関羽の怒りも当然です。

 さて、字と名が深い関係があると書きましたが、そこには一定の関係が存在するようです。例えば曹操の場合、荀子の勧学篇に「生くるも是に由り、死するも是に由る。夫是を之れ徳操と謂う」とあります。この徳操を名と字に分け、字の方は長男を意味する孟を付けて孟徳とした(「三国志きらめく群像」より)と言われています。通常、このように原典があったり、同じ意味を持たせて意味を強めたりするなどの法則が存在し、名と字に文字面以上の深い意味を与えていると考えられています。ですがこの字と名の関係法則はなかなか難しいようです。
 ちなみに先程長男を意味する「孟」と言いましたが、これを「排行」と言って、伯(もしくは孟)・仲・叔・季を指します。伯(または孟)が長子。仲が次男。叔が三男。季が四男あるいは末弟を意味します。また伯と孟の違いですが「嫡長は伯と称し、庶長は孟と称す」(「白虎通義」より)とある通り、嫡出(正妻の子)と庶出(妾の子)を区別しています。
 実際に名や字はいつ与えられるのかですが、諸説あって、字は一般には元服したときに付けられ(「正史1巻」注釈より)ますが、一説によれば、「子供が生まれてから90日(約3ヶ月)経つと家廟に出向いて子供の誕生を祖先の霊に報告し、名と字(幼名の場合もある)を付ける儀式を行い、これによって子供は晴れて家族の一員としてみなされた」(「読み忘れ三国志」荒俣宏著より)ともいいます。  ここでまた「幼名」という言葉が出てきましたが、幼時に呼ばれる名前で曹操の場合は「阿瞞」。「阿」は「〜ちゃん」の意味ですから相当狡賢かったのでしょうね(笑) しかし、同じ幼名でも中世日本の例えば「吉法師」や「梵天丸」とはやや性格を異にしているようです。
 いずれにしても名付けるタイミングは不確定な要素と言えます。
 あと、まれに字がない人物などがいますが、これも実際に庶民には字がなかったのか、字を明記されなかっただけなのかは不明です。

 では実際に人を呼ぶときどうしていたのでしょうか。
 幼少の頃は幼名。青少年時は字。その後は姓と字(例えば曹孟徳)。役職が付けば役職(例えば豫州牧の劉備を劉豫州)。役職がなければただの劉さん(小劉とか劉老など。もしくは琢県の劉さんとか)。封爵を賜れば爵位で(例えば曹操の場合は魏公もしくは単に公)。王位を得れば王号で(例えば魏王もしくは王)。死後に「諡」を与えられれば諡号(シゴウ)で呼ばれます(例えば曹操の場合、実際には皇帝になっていませんが死後に諡号を追贈されて武帝とされたので武皇帝)。廟(死後に祭祀する為に建てられる社のことで祖廟とか宗廟と呼ばれる)を建てられれば廟号で呼ばれることもあります(曹操の場合は太祖)。この辺は日本の場合、菅原道真が北野天満宮に祭られて「天神さん」になったのに近いかもしれません。ちなみに曹操の場合、諡号の武帝は他の時代にも武帝はたくさんいますので後世では朝名をつけて「魏武帝」とも呼ばれます。
 諡号は世界的にみてもとても特徴的な制度です。なにしろ皇帝や高官の死後にその事績を評価し命名するというもので、つまり皇帝の事績を臣下が評価するということも当然ながら含まれているのです。秦の始皇帝はこれを臣下が絶対君主である皇帝を評価審判するとは言語道断として廃止し一世皇帝(始皇帝)、二世皇帝と呼ばせたといいます。秦の後を受けた漢が復活させ、諡号制度は清朝まで続きました。
 では諡号をどのようにして決めたのか。正史「鐘ヨウ伝」に次のような記述があります。
 鐘ヨウの死後おくりなを与える時、「所管の役人はおくりなを審議したが、鐘ヨウは昔、廷尉だったとき、裁判を処理して、明確な判断を示し、民に怨みを抱く者がなかった点、于定国、張釈之の漢における地位に相当する」と具申しましたが、詔勅によって「行為を審議しておくりなを賜るときには、当然まずそれに依拠し、かねて廷尉于、張の徳を述べるべき」とされ、命令書によって成侯とおくりなされたと記されています。所管の役所で審議した結果を皇帝に上申し裁可を受けて決定されたようです。

 あと呼び方についての補足ですが、たまに漫画や小説などで「姓+名+字」(例えば曹操の場合は曹操孟徳)という呼び方を使っているのを見かけることがあるかもしれませんが、これはまず基本的にありえませんのでご注意下さい。また、これを今の日本の「フルネーム」というニュアンスで呼ばないようにお願いしたいと思います。

 とはいえ、時代を前後すれば上述してきたような呼び方が決して慣例であったわけではなく、時代とともに呼び名に関する慣習は変化してきたことがわかっています。このあたりの詳しいお話は後でサイト様をご紹介しようと思います。


 さて、他にも名前については様々な制約が存在します。
 例えば忌諱。皇帝の名を避けて名を改めることがあります。それは皇帝の生前死後に関わらず行われます。歴史書に記載される際は後世の人が記すわけですが、過去の人物の名前を変名して記載したりしている例があるようです。また逆に皇帝が即位するにあたって、あまりにもよく使われるような名である場合、社会の混乱を避けるために名を改めたりする場合もあります。皇帝になるべくしてなる場合は初めから気をつければいいのですが、まれに遠縁から皇帝を選出したりする場合はこういう事態も発生します。忌諱するために漢字を作ったりもしますので、この徹底ぶりは頭が下がります。
 他に、例えば姓名を変えたというエピソードが三国志ではしばしば見られます。
 要因は色々ありますが、まず事件を起こして変名する場合があります。関羽は劉備と出会ったときには長生という字を雲長と改めていましたし、徐庶も元の名を福と言いました。いずれも何らかの事件を起こす等して身を隠す為に変名し、そのまま史書に遺されているわけですが、元の名がバレているということはおしゃべりにも他人に名前を変えたことを教えたのでしょうね。逆に、変えたんだけど誰にも言わなかった為に名前を変えたことがバレてない人もあるいはいるかもしれませんね。
 諸葛亮で有名な諸葛氏が、元は葛氏であったことはよく知られています。先祖が琅邪郡諸県から陽都県に移った時、おそらく同姓の葛氏がいたのでしょう、まぎらわしいので諸県から来た葛氏として「諸葛」氏を名乗るようになったと言われています。


 このように、名前ひとつをとって見てみてもいろんなことが内在しているのです。
 人を呼ぶときどう呼ぶか。それは両者の関係を如実に表しています。特にタテマエを重視する傾向の強い中国にあっては名前をどう扱うかということはとても大事なことなのです。

■名前に関連した解説サイト様紹介■
涼西戦記 >text>字から見る人間関係
枕流亭 >枕流亭コラム>中国の歴史人物の呼び名について
逸聞三國志 >三国志的話題>三国秘話>名前について

■諡号に関連した解説サイト様紹介■
諡号辞典 >諡号について




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