「effects1-2月情報号」より抜粋
ガル・エンタープライズ
予告編制作を主たる業務とする映像制作会社があることを御存知だろうか。
ガル・エンタープライズはワーナーやUIPなどの洋画大作から、邦画やスタジオジブリのアニメまで幅広く手がける業界の雄である。
伝統的なフィルム編集室はもちろん、最新のデジタル環境を整えた編集室を複数有し、設備面でも最大手の誇りを見せる。
洋画大作の予告編づくりとはいかなるものなのだろうか。
予告編の生まれる場所
数多くの映画配給会社がひしめく銀座界隈。その東のはずれに位置するガル・エンタープライズは、ワーナー、UIP、ブエナビスタなどの
洋画大作系はもとより、邦画やアニメなども手がける、予告編業界最大手の制作会社だ。76年に設立され、社員数は現在15名。
8人のディレクターが活躍している。
CMなども業務に含まれているが、予告編は月産10本以上、仕掛品(制作中のモノ)も含めればつねに50本あまりを抱える。
取締役制作部長の板垣恵一氏は「E.T.」(82)、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(85)など数々の話題作の予告編を制作してきた大ベテラン。しかしながら、雪駄ばきのラフなスタイルに親しみやすい語り口。教え上手なところは元塾講師という異色の経歴を聞けば納得がいく。
生徒たちと一緒に見に行った角川映画「野性の証明」(78)がこの世界に入るきっかけだったという。
案内してくれた社内には、Media100を導入した編集室が3つ、ほかにMacintoshによるタイトルワークのスペースや、アナログのフィルム編集室も備えている。
「フィルムのことを何も知らないで入ってくる若い人も増えてます。ただ、予告編には一種のキレが必要なので、デジタルとは相性がいいんですよ」
映画本編同様、予告編の現場も着実にデジタル化が進行している。
洋画予告編特有の難しさ
「予告編は小説でいえばショートショートみたいなもの。昔は助監督の登竜門だったんですよ。監督に必要な構成力を鍛えるのにちょうどいいと言われていたんです」
ディレクターのひとり、小江英幸氏は18歳で映画の本編制作にかかわるようになり、石井總亙監督の「爆烈都市 Burst City」(82)で録音助手を務めた。この作品の予告編を制作したのが、ガルだった。予告編に興味をもった小江氏はその後、東宝の関連会社を経てガルに入社。
現在はおもに洋画の予告編を担当している。
「洋画のオリジナル予告編は3分間ありますが、日本では90秒がスタンダードです。
そこで縮める作業を行うわけですが、できたものを本国に送って、アプルーブ(許可)をもらわなければならない。これにいちばん苦労します。
たとえば、スピルバーグなんかはとても厳しくて、ほとんどダメだと言われてしまう。“つなぎが悪い”って言うんですよ。
何度もやりとりを重ねて、やっとOKをもらうんです。カットひとつ抜くにしても、逐一理由をつけてやる必要があるし、役者に関してもこのカットは使用不可だとか、さまざまな規制があります」
さらに、日本と本国とではその映画の宣伝方針が異なる場合もある。
「『ターザン』(ブエナビスタ配給:公開中)の例で言うと、日本では人間中心でいこうということで、動物キャラクターのシーンを抜いたんです。それを本国に送ったら、『どうして動物を使わないんだ』とわざわざ元通りに直されてしまったんです」
このように制約の多い洋画の予告編制作だが、それでも作業に要する労力は邦画の比ではないという。
「邦画の予告編は、本編から絵を抜き出すところから始めます。そっちの方が、はるかにたいへんですよ」
目下、小江氏が手がけているのはUIPが来年夏に公開を予定している「ミッション:インポッシブル2(M:I-2)」。
大ヒットした前作同様、主演はトム・クルーズ、監督には今回ジョン・ウーを迎えている。
「(オリジナル予告編は)とにかくカッコいいんですよ。本編の映像にいろいろと手を加えているんですが、使われている技術自体は特に目新しいものではないんです。それよりもつなぎがすごい。編集のテンポが全然違うんですよ。元の絵からして違うと言ってしまえばそれまでなんですが、やはりセンスの差でしょうね。あんなふうにつくれたらとは思うけど、何か越えられない壁があります」
予告編制作者には、宣伝方針を理解し、複雑な認可経路を切り抜ける交渉能力や忍耐力、そして何よりも編集のセンスが要求されるようだ。
佐藤敦紀/音楽からの発想
荻窪のデジタルエンジン研究所を訪れたのは今年1月末のことだった。「ガメラ3」('99)で空中戦のパートを担当した、
CGディレクターの佐藤敦紀氏を取材するためである。ひと通り質問が終わったのち、何気なくこれまでの経歴について尋ねてみた。
「イマジカの特撮部にいて、予告編ディレクターをしていたんですよ」。“予告編ディレクター”という職業の存在を知った最初の瞬間である。
それが本特集の発端となった。かねてから予告編にミュージック・クリップとの類似性を感じていた筆者は、思い切ってそれをぶつけてみた。
すると、意外にも肯定的な答えが返ってきた。しかも、かつてはクラシックピアノを学んでいた人だというのだから、追求せずにはいられない。
もはや次の冬が巡ってきた11月、今度は場所を世田谷区のモーターライズに移し(多彩な顔をもつ人なのだ)、
音楽の使い方や宣伝としての予告編について語ってもらった。音楽が決まると編集が決まる
確かにMTVに近いところがあるんですよ。そもそも、映像メディアって絵と音楽が一体となったものでしょう。
映像と音楽のノリというか、映像と音楽を立体的に絡ませることが大切だからね。
立体的って意味がわかりづらいかもしれないけど、要は「どれだけ絵と音楽が噛み合うか」ということ。
予告編をつくるときは、まず音楽の配分を設計することから始めるんです。
音楽が決まると編集が決まるから。「ゴジラ2000ーミレニアムー(東宝配給:公開中)の予告編を例にとると、
まず前半と後半とに大きく分かれるね。前半ではドラマ的な場面をつないでいって状況を理解させ、観客を引き込んだところで、
後半は派手なアクションシーンをふんだんに見せてやる。
音楽もこれに合わせて切り替わる。大枠が決まったら、さらに細かくフレーズを切り分けていく。
つまり、最初に音楽のレールを引いちゃうんですよ。目次をつくっていく感覚だね。
あとは、各パートの時間内に入るだけの要素を詰め込んでいくわけです。
ジグソーパズルを組み立てるようなものかもしれない。
当然、音楽の切り方には自分自身のリズムが反映されるし、どの場面を使うかにも趣味が出ます。
自分が見ておもしろそうでないとダメ
理想的な予告なんてないですよ。作品ごとにやり方は千差万別だから。
今、「シックス・センス」('99)がヒットしてるけど、あれは宣伝控えめだったよね。予告編も雰囲気を伝えるだけで、あまり中身を見せなかった。じゃあ、何でもなるべく見せないようにするのがいいかというと、一方で「スター・ウォーズ|エピソード1」
('99)のように、宣伝を大量投下して成功している作品もある。
今の観客は賢くなっているから、内容を吟味しないと映画館に来てくれない。そのためには露出量を増やす必要があるんですよ。
他の商品と違って、映画は見てみないとわからないものだから。
「マトリックス」('99)の予告編が、見どころを出しすぎだなんて一部で言われたけど、果たしてあの特撮シーンを見せずに興収50億(12月1日現在で75億)を達成できたかってことだよね。結局はバランスなんだけど。
予告編には広告としての側面も当然あるわけだから、「映画が好き」だけじゃダメなんです。売るための戦略を考える必要がある。
なまじ作品に惚れ込んじゃうと周りが見えなくなるから、かえってあまり好きじゃない作品の方がうまくいく場合もある。
自分が見ておもしろそうに見えなきゃダメ。もちろん、世間で何がおもしろがられるかを知る必要もあるけど、
まず自分がおもしろいと思えることです。本編と全然違う作品に見える予告編もよくあるけど、
それは「どれだけ観客の興奮度数を引っ張るか」を計算した結果であって、けっして「どれだけ騙すか」ではないんですよ。
デジタルの普及で、フィルムではできなかったこともいろいろやっているし、そういう面からもCMやミュージック・クリップなどと混在しつつあるのが、今の予告編の状況です。もっとも、それは映像文化の流行りすたりみたいなことでもあるんだけどね。
佐藤敦紀(さとう・あつき)1961年生まれ。静岡県出身。放送局、ビデオ制作会社を経てイマジカ特撮部で予告編と出合う。93年独立。平成「ガメラ」シリーズをはじめ、特撮・アニメ界で縦横に活躍するCGディレクターでもある。ビッグ・エックスというオフィスをもつが、予告編制作者としては、師匠にあたる相澤雅人氏の“仕事主義”に所属。目下、来夏公開予定のSF映画「ジュブナイル」(東宝配給)の特報を製作中。
松田朋子/予告編とCM──似て非なるもの
予告編は映画を宣伝するためにつくられる、一種の広告である。となれば、同じ映像による広告表現――CMとも基本的には同じはずだ。
だが、ふだんわれわれはこのふたつをかなり異なるものとしてとらえていないだろうか。
映画館でも予告編の前にCMを流すことがあるが、明らかに何かが違う。予告編とCM、この似て非なるふたつの世界を行き来するクリエイターなら、
その違いを解き明かしてくれるのではないか。そんな期待を抱いて、CM業界から予告編の世界に飛び込んだフリー演出家、松田朋子さんを訪ねてみた。
フィルムに人の存在を残すという奇蹟
CMと予告編でいちばん大きく違うのは、予告編には撮影がないってことですね(笑)。予告編は編集なので。
でも、本当はこのふたつを分けたくないんです。どちらにしても、やりたいことはひとつ。「いかに“人”を魅力的に伝えられるか」です。
だから、名刺の肩書もFilm Directorで統一しています。フィルムに人が写っている、ということにとても魅力を感じるんですよ。
その人がそこに確かに存在しているということをフィルムに残す。それは、とても奇蹟的なことだと思うんです。
しかもビデオと違って、フィルムは1コマ、1コマ手にとってみることができる。その人が背負っている時間や、撮影者のその人への愛情といったものまでもが、そこに詰め込まれていることを、実際に手の中で感じられるんです。
もともと、外からの刺激のない環境で育って、自閉的というか、あまり自分を外に伝える必要を感じない方だったんです。
それが、いつしか人に興味をもちはじめ、CMに入ってからますますその人が存在するということの奇蹟を感じるようになりました。
その気持ちを作品づくりに生かせたら幸福です。
CMであれ、予告編であれ、「何かを届けたい」という気持ちは同じです。映画それ自体も、そういうものであってほしいですしね。
予告編は宣伝対象と宣伝媒体が同じ
ただ、CMというのは基本的に商品、モノが中心にあります。その機能や、それを使うことによるメリットといったものを、
目でわからせ、音声で伝えて、論理的に理解させなければならない。そこに、さらに“感じる”ことを何かプラスしていくんです。
その商品をもつことによるステイタスやおしゃれ感などを加えるわけです。
宣伝すべき商品がお酒などの嗜好品や、形のないサービスである場合は、特に工夫が必要です。
その部分で“人”のドラマに近いものを感じさせられたらと思うんです。
予告編の宣伝対象は映画ですから、ある程度の内容、荒筋を伝える必要があります。
CMでは“商品の周りにいる人”を描くしかないんですが、予告編のいいところはストレートに人を描けることです。
そこに映っている人のどこを拾うかに、作家性が現れてきます。圧倒的な見せ方、感情を思い切りかき立てるようなつくり方をする人もいますが、私はもうちょっと地味です。
まず“人”をとらえて、何かを伝えようとする方なので、どうしてもアート系の作品をやることが多くなります。
はじめてつくったときに、すでに人から「単館系ですね」って言われたくらい(笑)。
アシスタントのころ、3人で同じ作品について好きなようにつくってみたんです。すると、全員まったく違うものをつくってきたんですね。
そのときわかったんです。これだけ個性の違いがあるなら、自分だけの価値を見つけていいんだって。
作品のどこを拾ってつなぐかは、雑誌の映画紹介の記事を参考にすることもあります。おもしろくなかった映画でも、記事を読んで違う着眼点に気づくと、アイデアがわいてくるんです。だれかの脳みその一角を借りるようなものですね。
最初にCMと予告編を分けたくないって言いましたけど、そうは言ってもCMの世界にいる人たちと、予告編の人たちとではどこか住む世界が違うんです。予告編の演出は職人的だと思うし、CMの演出は大工の頭領みたいな役回り。自然とその素質のある人が受け入れられている気がします。
でも、それ以前にもっと根本的なところで何かが違っている。それはたぶん「映画との距離」。
予告編の場合、宣伝すべき対象と宣伝する媒体が同じなんです。映画は商品であると同時に芸術であり娯楽でもある。懐の深いものです。
予告編の人は、そんな映画の世界の住人でありたいと思っているんじゃないですか。CMの人はもう少し違うところに立っている気がします。
これって実は一番のポイントかもしれません。自分も映画が大好きだから、今は調子よく予告編の人になって発言しちゃってます(笑)。
松田朋子(まつだ・ともこ)宮城県出身。テレコム・ジャパンからキャリアをスタート。クロスメディア・ジャパン出向後、いったん故郷仙台に戻り、新潟に本拠を置く電波倶楽部の仙台支社で主に地方CMの制作に従事。同社東京支社に転属となり、再度上京。96年に独立し、baca
the bacca(旧池ノ辺事務所)で助手をつとめながら予告編制作を学ぶ。予告編デビューは「真夏の夜のジャズ」(97/リバイバル)。市川凖監督のファンで「たどんとちくわ」(98)の予告編も手がけた。
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