「ライ麦畑でつかまえて」

主人公の少年が16歳のときに高校を退学になった直後の日々を描いたもの。
少年は教師をはじめとしてインチキなやつらと遭遇するのだが、
こうした人物に向けられる、風刺が利いた彼のことばの数々は
10代の若者が誰しも味わう疎外感の本質をしっかりと捉えている。
1951年出版 J.D.サリンジャー著 (以上Amazonレビューより抜粋)

そして、10代どころか40代わたしの疎外感も捉えてくれている。



引用は野崎孝の翻訳。
4月には村上春樹による新訳も出るので「翻訳比べ」も随時加えていきたい。


hot shot guy イカシたやつ  そんなやつおらんやろ〜

主人公ホールデンが高校をやめる日のことから物語は始まります。やめていくペンシー高校が雑誌に出している広告について彼はこのように言っています。
「イカした子がさ、馬に乗って生涯を跳び越えてる写真なんか出しちゃってさ。まるでペンシーじゃしょっちゅうポロかなんかやってるみたいな感じなんだな。馬なんて、僕は、いっぺんも見たことなんかなかったよ、学校の界隈のどこを捜したって。」
そりゃあそういうもんです、ホールデンくん。広告はおおげさに理想の姿を描いてその役目を果たすんだから。テレビのコマーシャルフィルムでもつっこみたくなるもの、あります。ハウスメーカーのCFでは新しい家で3世代がきれいな格好してニコニコして仲良くしてる、塾や教材のCFでは子どもが素直に机に向かって一生懸命勉強している、薬のCFでは風邪を引いた母を子どもがやさしく気遣ってる・・・・などなど。まぁ、世の中広いからそんな人もいるでしょう。でもうちでは古い家に化粧もせずゴロゴロしている主婦がいる、夫婦の会話はない、子どもは勉強嫌い、母が風邪を引いてもだれも心配しない・・・などなど広告で見せられる理想の姿とは程遠い光景ばかり。
それでああいうの見ると大木こだまのギャグをうなるのでした。
そんなやつおらんやろ〜って。
このあとホールデンは「創立以来、頭脳明晰にして優秀な青年を養成してきた」という学校の宣伝コピーにも文句をつけている。この学校には優秀なやつなんていない、いたとしても二人くらい、その二人だってこの学校に「養成」されたのでなく初めから優秀だったのだと。痛快!


Life is a game 負けが込んでくるといやになることも。

勉強しなかったために退学になるホールデンが先生に言われることば。
「人生は誰もがルールに従ってやらなければいけない競技だ」
これに対して彼はこう思います。
「もしも優秀な奴らが揃ってる側についているんなら、人生は競技で結構だろうよ。ーー(略)−−ところが優秀な奴なんか一人もいない相手方についてたらどうなるんだ。そのときは、人生、なにが競技だい?とんでもない。競技でなんかあるもんか。」
わたしも優秀な奴がいない側で苦戦してるクチなのでまったく同感。でも40数年生きてきてやっぱゲームやなって思うことはある。あのボードゲームね。
子どもの青いピン2つ立てて保険かけたり、ローン組んだり、後戻りしたり、1回休みになったりしながらくるくる回ってゴールまでたどり着く。形勢が悪くても一抜けはできない、スネて帰ることもできないゲームだ。


grand people  りっぱな方たち

先生に退学の挨拶に行ったとき、先生がホールデンの両親について言ったことば。
「りっぱな方たちじゃないか」
大人の社会の規範に照らして、「知性的、人品卑しからぬ、ちゃんとした、まともな」という意味で言っているのだろう。が、当然、ホールデンはここにもひっかかる。大人はまずそういう外見で人を判断するということが耐えられないのだろう。Grand「りっぱ」ということばに彼はこう反応する。
「りっぱ」か!これこそ僕のきらいな言葉なんだ。インチキだよ。聞くたんびにヘドが出そうになる。
たしかに見た目は大事です。見た目が悪いよりいい方がいいに決まってる。でも見た目を重んじすぎる人をわたしもたくさん見てきた。そしてそのたびに「なんじゃ、あいつ」って思ってた。ホールデンもそういう人を容赦なく切っている。校長先生は生徒の親たちに愛想よく挨拶してまわるが生徒の母がデブだったりいなかくさかったりすると、また父がやぼな服装をしていると作り笑いをして長く話をせずにすっと切り上げるというのだ。その校長のことを
「僕がヘソの緒を切ってからお目にかかった最大のインチキ野郎」だって。ここまで言ったら気持ちいいでしょう。


a secret slob ひとめにつかないけどだらしない

slobは「だらしない人」の意味。寮で同室のストラドレーターはハンサムでおしゃれ。で、一見したところではだらしないとは思えないが、彼の使う「髭剃りの剃刀」は錆びていて石鹸の泡だとか毛だとかがいっぱいくっついている。ホールデンはそれを見逃さず、彼のことをsecret slobだと言う。ホールデンに言わせると「一生の半分くらいは鏡の前で過ごす」ほど身なりには気を配るのに剃刀はぐちゃぐちゃ。そのギャップがおもしろい。わたしの身近にはこれと逆の人がいる。身なりにはかまわないがsecretな部分ではきちっとしてる。同居人のわたしは雑なので家の中のあちこちでよくこの人のお叱りを受けるのだが。両方は無理としてどっちかっていうと身なりに重点を置いて見えないところも適度にきちんとしてるのが理想的かな。
母がこんなことを言っていた。「もし自分が突然死んだとき他人が持ち物を整理してくれることになる、そのとき家の中が多少散らかっていてもここんとこ何日か忙しかったのだろうという見方をしてもらえるかもしれない、でも押入れの中の季節のものを見ればほんとうにその人がだらしないかどうかが知れる、だから季節のものをしまうときはきちんとしておくのだ、次にこれを出すのは自分ではないかもしれないということも考えて。」その教えを受けてわたしは扇風機も磨きまくってきちんと梱包して収納している・・・わけないやん!


you're dying to do them a favor 
死ぬほど頼まれたがってる

今回も高校の寮で同室のストラドレーターの話。
自分のことを
「西半球第一の美男子」だと思っているストラドレーターはいっつも人にものを頼みやがる・・・とホールデンは怒っている。
その理由についての分析がおもしろい。ホールデンによると美男子とか自分を優秀な人間と思ってる奴は
「自分が自分に惚れているもんだから、相手も自分に惚れているものと思ってさ、死ぬほど(ものを)頼まれたがってると思い込んでやがるんだ。」だって。
わたしは今までそういう不心得な美男子、美人に会ったことはないし、もちろん自分自身も自分に惚れこんだ経験などないので具体的に「そうそう!」って同感するわけではない、が、わかる気はする。人より優れていることをあまり強く意識しすぎるとそういう勘違いをしてしまうのだろうか。たしかに人と人の力関係に美男子、優秀は大きな要素だろう。
わたしだって美しく生まれて「頼んでやるからありがたく引き受けろよ」的な勘違いもちょっとはしてみたかったわ。でも実際、ぐずぐずしてぼんやりしてけっこう周囲の世話になってるから頼んでいるのと結果的にはいっしょか。美しさで周囲を楽しませることができない分、よけいタチ悪いって?ほっといてくれ。


a royal pain 素直に認めましょう

前回の続き。で、ストラドレーターはホールデンに自分の宿題の作文を代わりに書いてくれと頼んだ。
なんと、あくびしながら頼んだらしい。そして、作文が得意なホールデンに書いてもらったことがバレると困るので、うまく書き過ぎないようにしてくれと注文をつけるのだが、そのときに
「つまり、コンマだとかなんとかをさ、適切なとこへ打たないでくれよ」と言う。
これは失礼な話だ。まるでホールデンはコンマを正しい場所に打てるから作文がうまい、自分が作文が下手なのはコンマのせいだけだとでも言っているようである。ホールデンもこれを
「しんから腹の立つこと」a royal painと思っている。
こういうのって男の人でたまにいる。これで思い出したのはうちの者が大根のみそ汁を作ってくれたときのこと。それを食べた息子が「大根、ちょっと固いな」と感想を言えば、「大根はこれくらいの歯ごたえがあるのがいいんや」と同意しない。すかさず息子に「いっつもそうや。ぜったいに失敗を認めへんな。」とやり返されていた。ちょっと話は違うけど。


ピックアップ英語
royalとはロイヤルホテルなどの「ロイヤル」、painは「うんざりするもの」っていうことでロイヤル級にむかつくってことだろう。とびきりよいものに対して使う形容詞がすごく不愉快なものにくっついているのは、攻撃力がアップするようでおもしろい。日本語でもこういうの、あるかもなぁ。


laugh like hyenas ハイエナみたいに笑う

わたしは自分では笑いの沸点は高い方だと思うのでホールデンにこう言われることはないだろう。高いか低いかではなくどこが笑いのツボになるかという問題かもしれないが。
ホールデンは友だちと映画を見に行くのだが、その友だちについてこう言っている。
「二人ともおかしくもなんともないところでハイエナみたいに笑うんだな、あいつらと並んで映画を見ても楽しめないんだ」
「ハイエナみたいに」とはうまいこと言うなぁと感心。まったく同感だ。
人が笑っているのが気に入らないなんて、わたしも性格が悪いんだろうかとも思う。映画館でこのハイエナが隣だったりするとそれが耳障りで映画そのものが楽しめないこともある。
「笑っていいとも」の客なんてほんとうにハイエナみたい。まぁ、ああいうのはライブだから、その場の空気やナマのタモリを見ている興奮も手伝うんだろう、テレビで見ている分にはおもしろくもないことがあそこへ行けば笑えるのかもしれない。スタジオ撮りのトーク番組でフロア−にいる男性スタッフが大声で笑っているのはどうか、あれもハイエナ。ガツガツし過ぎ。それからアメリカのホームドラマに入る笑い声、あれに至ってはハイエナさえも食いつかないようなところで爆笑している。「笑い屋」がやってるにしてももうちょっとその入れどころを考えて欲しいものだ。


they all wanted to go to the movies 
映画に行きたいという気持ちを丸出しにしてた


学校を去ってからニューヨークをうろうろしているときのこと。ブロードウェイで映画館の前に並んで待つ人たちを見てホールデンはまた憂鬱になる。
「・・・しかし、一番いけないのは、みんなが映画を見に行きたいと言う気持ちを丸出しにしてたことさ。見るに堪えなかったね、僕は。他にすることがないから映画を見に行くというんなら僕にだってわかるよ。しかし、積極的に映画を見たいと思ったり、早く映画館へ行こうとして足まで急ぎ足になるなんてことになると、僕はすごく憂鬱になっちまうんだ。ことに、何百万っていう人たちが、一ブロック全体にもわたる長い長い列をつくって、ものすごい忍耐力を発揮しながら、座席のあくのを待ったりなんかしているのを見ると、もうだめだね。」
日本でもこのごろみんなずいぶん並ぶことに慣れてきたようだ。テーマパークでもレストランでも。わたしもその昔は恥ずかしかった。特に「食べるために並ぶ」というのが。学食で焼きそばの列に並んでいるのを「憧れの君」に見られたりするのなんてすごくイヤだった。それこそ、食べたいのが丸出しみたいで。
今でも並んで待つのはイヤだけど恥ずかしいという気持ちはなくなった。これを読んで久しぶりに今よりも潔癖で自意識過剰だった若い頃を思い出した。今の若い人は行列も楽しんでいるように見える。映画館の列を見てホールデンが憂鬱になるっていうのもきっとピンと来ないだろうな。

ピックアップ英語
ここの英文はwantedが斜体文字になっている。英語では強調したいところを斜体にするが日本語ではこれがない、字体を変えたり太字にするなんていうことは小説なんかではあまり見られない。
村上春樹が「海辺のカフカ」のファンとの交流サイトで日本語でも小説の中でそういうのができたらいいと思った、と書いていた。そんなことされたら気が散りそう。
ここではホールデンの言いたいことを汲み取って斜体字のwantedを「〜したい気持ちを丸出しにしてた」と訳しているのはうまいものだと感心。春樹さんはどう訳すか楽しみ。


mean bastards at heart  映画を見て泣く

ホールデンの隣で映画を見ていた女の人は映画の間じゅう、泣き通しだった。
そんなに泣くのはその人がやさしい心の持ち主だからと思うかもしれないがそれは違う、なぜかというとその人は連れてきた小さい子供が退屈していてもトイレに行きたいと言ってもじっと坐って行儀よくしてろって言うばかりだからだそうだ。ホールデンは言う、
「あれでやさしい心の持ち主なら、狼だって優しい心の持ち主だね。映画のインチキな話なんか見て目を泣きはらすような人は、十中八九、心の中は意地悪な連中なもんさ。」
やさしい心の持ち主なら、まず隣にいる自分の子どもをかまってやるのがほんとうだろうということだ。
昔、上岡龍太郎もこれと同じことをよく言ってた。「映画やドラマを見て泣く奴に限って近くで困ってる人がいても知らんふりをする」って。映画でも本でも感情移入できて涙を流せる、やさしい気持ちになれるというのは快いものだ。でもそれがそのまま日常で100%持続できるかといえばそうではない。日常は映画と違って終わりがないんだから、そしていろんなことが自分に直接ふりかかってくるんだから。許して、ホールデン。


 Mothers are all slightly insane 
 
母親はみんなちょっと狂ってる

寮を出て家へもどるまでの列車の中でたまたまクラスメートの母に会って話をしたホールデン。このクラスメートは学校の寮でシャワーの後、濡れたタオルでバシバシッと人のお尻を叩いていくような奴。
ホールデンに言わせると
「最大の下司野郎」the biggest bastard。なのに、この母親は息子のことを「人とうまくやっていけない敏感な子」だと心配している。「あんなやつのどこが敏感や!」ホールデンが関西人ならそう言っただろう。が、アメリカ人なので上のタイトルのように言っている。
この母親が美しく感じが良かったのでホールデンはうそをついて彼女の息子のことをほめちぎる。息子をほめられた母親の表情を見ながら彼は、
「誰の母親でもおんなじだけど母親ってものは、自分の息子がどんなに優秀であるかということこそ聞きたいものなんだよ。」と思う。
なかなかの人間観察だ。男の子というのはいつまでも幼く、母は息子を自分の手の内に置いて、離し難いものとして扱ってしまいがちで、そこに加えて異性としての理想のようなものも求めてしまう。人から見たらおかしいような、この母親の心配や、ほめられて喜んでいる顔は、そういう母親の性(さが)をよく表している。わたしも自分を「息子の母」として客観視したときにそういう面を持ち合わせているのを自覚することがある。「ほめられて喜ぶ」ことはめったにないのでさておき、insaneと言われようとも「心配」はつきないのだ。


 If you do something too good, you start showing off
うまくなり過ぎるとこれ見よがしになる

ピアノのうまい演奏を聞いても、演劇でうまい俳優を見ても、ホールデンはその中にある「インチキ」を見逃さない。歌でもなんでも、うまくなると、技巧に走り、「うまさ」に酔って、それを認められることに快感を覚えてしまうようになり、いやらしくなってしまう、ということをこんなふうに言っている。(人気ピアニストのステージを見て)
「高音を弾くときに、自慢たらしく漣(さざなみ)みたいな馬鹿な音を入れたり、その他にも聞いてていらいらして来るような曲芸めいた弾き方をいろいろやってみせるんだ。でも、弾き終わったときの聴衆のさわぎは聞かせたかったよ。君ならきっとへどを吐いたろう。まるで気違いなんだ。映画を見ながらおかしくもなんともないとこでハイエナみたいに笑う低能がいるけど、あれと、全く同じだったね。神に誓って言うけど、かりに僕がピアノ弾きか俳優かなんかであったとして、あんな間抜けどもからすばらしいなんて思われるんだったら、むしろいやでたまんないだろうと思うね。拍手されるのだっていやだろうよ。拍手ってものはいつだって、的外れなものに送られるんだ。僕がピアノ弾きなら、いっそ押入れの中で弾くな。」
押入れの中で誰にも聞かせずに弾くってか?おもしろいこと言う子。
表現したいという本来の自然な気持ちよりも、認められることが目的となってしまっている「表現者」とそれを有難がっている「受け手」の聴衆。彼に言わせれば、ステージも客席もどちらもインチキというわけだ。
話はいきなり上方芸能になるが、あの宮川左近ショーの暁照夫が三味線の超絶技巧ソロみたいなのをやった後に言うギャグ、「なんで、わたしこんなにうまいんやろ」はこのインチキを自ら暴露したおもしろさだと思う。


I don't understand boring guys
退屈な男ってものが僕にはよくわかってない

ホテルのロビーでデート相手を待っている女の子がたくさんいる。それはホールデンにとっていい眺めであるが、同時にいつものようにまた気が重くなる。この女の子たちも学校を出たらたいてい退屈な男たちと結婚するんだろうと思うと気が重くなるそうだ。彼の言う退屈な男とは、「おれの車は1ガロンで何マイル走れるなんていうことばかししゃべってる男とか、ゴルフや、ときにはピンポンなんてくだらない競技でも、負けるとすごく気を悪くして子供みたいになっちまう男。あるいはあきれるほど意地の悪い男や本など絶対に読まない男。」
でも、、つまらないヤツに見えてもひとつすばらしいところがあったりするから、わからないもんだと彼は思う。
そのことを彼は自分の経験から学んでいる。2つめに退学になった高校の寮で同室だった子が、
「退屈なことにかけては最高の一人」だったのに口笛だけは誰にも負けないくらいうまかった。「こいつの口笛が聞いたこともないほどすばらしくうまかったからこそ、気がどうにかなりそうなくらい退屈な男だったのに、まるまる2ヶ月ばかしも同じ部屋で暮らせたんだからな。」だって。で、「すばらしい女の子が退屈な男と結婚するのを見ても、あんまりかわいそうがることはないのかもしれない」と思う。
「口笛」だけがとりえで、なんとかやっていけるというのはピンと来ない.。でも退屈な男に見えても実は「いいところ」があって、それが他人から見たらつまらないことでも自分にとって価値があればそれで十分、認めてあげられるっていうことはあるかもしれない。車のことばっかり言ってても子どもっぽい性格でも多少意地悪でも本を読んでなくても、自分には全然ないようなすばらしい(と思える)才能がある男って、魅力的だろうと想像する。そんな人にはあまり遭遇したことがないので「想像する」の域を出ないけど。


I can even get to hate somebody,just looking at them,
if they have cheap suitcases with them.
安物のスーツケースを持っている人を見るのがイヤ、
その人自身まで嫌いになってしまう

スーツケースが安物だとその人までいやになる・・・街頭で募金活動をしている修道女たちにとても好感を持ちながらも彼女たちの安っぽいスーツケースを見て落ち込んでしまうホールデン。お笑いコンビ"いつもここから”の「悲しいときーっ」っていうオムニバス(?)ネタの中で「彼女の持ってる財布がボロボロだったときーっ」っていうのがあった。気に入った人のスーツケースやサイフが、パリッとしていてほしいというの、わかる気がします。あと、靴とかも。でもここで彼が言いたかったのはそんなことではない。このことに関してホールデンは以前、寮で同室だった子が安物のスーツケースを持っていて自分が上等のを持っていたのでずいぶんやりにくかったというエピソードを語っている。自分も気を遣い、相手も引け目を感じたり、ホールデンの上等の方を自分のだとみんなに思わせようと置き場所を変えたりなどなどのことがあったらしい。「どっちのスーツケースがよかろうと、相手がいいヤツならそんなこと気にする必要はないと思うだろうが実際はそうじゃない」と言っている。「持ち物」で劣等感を持ってしまうこと、その劣等感を見てしまうこと、「持ち物」でいいカッコをしようと思うこと・・・これらは純真無垢な子ども時代にはないことであり、この世に16年生きてきてイヤでも経験し、身につけててきたことだ。この子はそこから目をそむけたいんだろう。でもそれはできないし、純真無垢には2度ともどれない。そう思うとこのスーツケースのくだりは哀しい。


How would you know you weren't being a phony?
自分がインチキでないとどうしてわかる?

学校を出てニューヨークの街をうろついた後、こっそり家に帰ったホールデンはお気に入りの妹フィービーと話をする。いっつも世間に対して憂鬱になっている兄に、妹は「好きなもの、なりたいものはないのか」と問う。そして、父のように弁護士になるのははどうかと問われてこう言う。
「始終、無実の人の命を救ったり、そんなことをしてるんなら、弁護士でもかまわないよ。ところが弁護士になるとそういうことはやらないんだな。何をやるかというと、、お金をもうけたり、ゴルフをしたり、ブリッジをやったり、車を買ったり、マティーニを飲んだり、えらそうなふうをしたり、そんなことをするだけなんだ。かりに人の命を救ったりなんかすることを実際にやったとしてもだ、それが果たして、人の命を本当に救いたくてやったのか、それとも、本当の望みはすばらしい弁護士になることであって、裁判が終わったときに、法廷でみんなから背中をたたかれたり、おめでとうを言われたり、新聞記者やみんなからさ、いやらしい映画にあるだろう、あれが本当は望みだったのか、それがわからないからなあ。自分がインチキでないとどうしてわかる?そこが困るんだけどおそらくわからないぜ。」
一生の仕事が純粋に、「主義や理想のためだけのもの」で通せたら、それは、ホールデンが言う「インチキでない」ということになるのだろう。主義や理想のために始めたことでも、そこに、人に認められること、地位やお金が得られていい暮らしができること、といった‘ごほうび’がついてくる限り、それがうれしくないわけはない。いくらインチキでも、成し遂げたことがすばらしければそれはそれで大きな価値がある、そんな人はインチキでもいいと思う。まったくインチキでなく一生を過ごすなんて不可能に近いのでは?問題は、大したことも成し遂げていなくて、自分の中のインチキにも気づいてないヤツがいること。

ピックアップ英語
phonyはこの小説に何度も出てくる語。辞書の訳は「にせもの、いかさま師」。
ここでは新訳でも「インチキ人間」と訳されている。
カタカナで書かれている、その見た感じも、発音を聞いた感じも、ホールデンの反抗する気持ちをよく表せていると思う。