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アステカカレンダーとは?
図解アステカカレンダー
・中央部
・内周部
・外周部
FELIZ作品
アステカカレンダー1
アステカカレンダー2
アステカカレンダー3
関連人形たち
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アステカカレンダーとは?
アステカカレンダーとは、アステカ時代には暦として使われていたと思われる一枚岩の遺物「太陽の石」の事。直径3,57m重さ24,5tという巨大なもので、現在はメキシコシティの人類学博物館の中央のスペースに展示され、見る者を圧倒している。
この素晴らしきアステカの芸術品は、1479年13の葦の月、当時のアステカ帝国6代皇帝アシャヤカトルによって建立された。その後、1521年にスペイン人の手によりアステカ帝国は滅ばされ、多くの神殿同様にこの太陽の石も、打ち捨てられたまま長き年月を土中にて過ごす。
時は経ち、1790年。メキシコシティの中央広場を工事していた際、偶然にもアステカカレンダーは発見され掘り出される。しかし、当時は「何やらすんごいのが出て来たのはいいけど、で、これは何なの?食えんの?」といった感じにその価値が認識されず、近くにあったカテドラルに立て掛けられたまま放置。貴重な遺物もなんのそのといったまま更に時は経過。
そして1885年、メキシコは諸外国からの独立を果たしていたが、長きにわたる占領下によりすっかり下っ端癖が根付いてしまった国民達は混乱の中にいた。時の大統領ポルフィリオ・ディアスは、古くはアステカの時代から存在する独自のアイデンティティを国民に喚起させ国をまとめようと決意。その一環として、それまで放置されたままであったメキシコ各地の遺跡・遺物保護を行い、自国の文化を再認識させることにチカラを入れた。こうして約100年のあまり放置されていた太陽の石も、メキシコ人類学博物館に輸送され保護される事となったのである。
スペイン人征服者の手により地に墜ちたアステカのシンボルも、400年近くの時が経ち、やっと安住の時が訪れたのであった。
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