MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE 国産ミステリ・レビュー
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。
−著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
−著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引−

12/03/13小路幸也「Coffee blues(コーヒーブルース)」(実業之日本社'12)
月刊『ジェイ・ノベル』二〇一〇年二月号〜二〇一一年六月号にかけて掲載された長編作品。
元々は広告代理店に勤めながら、同僚で交際していた女性をある事件で喪ったことがきっかけで職を辞した弓島大(ダイ)。今は「弓島珈琲店」という喫茶店を、元女子プロレスラーという丹下さんという女性に手伝ってもらいながら経営している。その事件の時の担当だった三栖刑事は現在は喫茶店の常連、さらに建物の空いた部屋に格安で住んで貰うことになった。ダイは手先が器用で古道具を直したり、客人や遊びに来る小学生のちょっとした依頼を聞き届けている。そのダイのもとを訪れた小学校二年生・芳野みいなは、自分の姉が家に帰ってこないので探して欲しいという。姉は帰ってこないのに、両親は普通にしているのだという。彼女の訴えにダイだけではなく、丹下さんや常連たちを巻き込んで調査を開始するとどうも、工場を経営しているその家、おかしくないようでいてどことなくおかしい。一方、元上司からの噂を通じ、かつての恋人を失った事件のきっかけとなった男・橋爪が刑期を終えて出所しているという情報が入ってきた。しかも、彼女の父親でダイの元上司でもある吉村は、橋爪を殺害したいという。
全編にわたって存在する「悪意」と「毒っぽさ」が、優しくも厳しい不思議な緊張感を醸し出す
掲載雑誌や主人公の名前から、『モーニング Mourning』の続編、というか前日譚? 扱いとなる作品であること間違いない。ただ、読んでいてもそちらへの接続が気になるような内容ではなく、むしろ独立した作品として普通に読んで十二分に面白い。
この厚みの作品にしては、登場人物が多い。ダイが喫茶店をやっているという設定から、従業員の丹下さん、喫茶店の常連の刑事さん、遊びにくる高校生の純也、香世や小学生たち、町内会の顔役、協力してくれる同級生。こういった下町っぽい、『東亰バンドワゴン』を彷彿とするような人間関係が縦横に、そして温かく繋がっているところが前提としての特徴だろう。舞台が都会であれ地方都市であれ田舎であれ、小路作品における気さくな人間関係は、それ単独でも読む価値がある。というかほっこりする。
そういった人たちが、子どもからの訴えを真剣に聞いて「芳野家で進行している何か」について、出来る限りで前向きに捜査を続ける物語。そして、ダイの元恋人の命が喪われる事件に関係した男が出所したことから、元恋人の父親でダイの元上司がその男を真剣に殺そうとするというのが、サブストーリーとして存在する。もちろん上司が芳野家と縁があるなど、設定的な補正(?)もあって物語は最終的に一個所に収斂してゆく。
解決に至る過程で、暴力こそ無いものの、ダイの店に心当たりのない麻薬が仕込まれたうえで密告があって警察が駆けつけるなど、かなりひどい、そして誰からかのものか判らない悪意が物語内部を跋扈している。 多少の悪意があるのは、どんな物語でもそうだが、本書の場合、最後の最後に至るまでその黒幕は判らないし、その悪意も落ち着いてくれない。(最後はさすがにアレだが) 善意の人間が多い小路作品において、最後まで徹底しての「悪意」が描かれていること自体少し珍しく、そして本書においてはそれが物語の緊張感を保つのに非情に良い働きをしている。
最後の突入場面などもきっちりクライマックスであるし、最後に落ち着く人間関係については、多少の緊張感は残るものの、いつもの小路幸也節で温かいものに落ち着いていく。あえて悪意の源を読者にはっきり見せないところが物語としての成功理由の一つだったかも。小路作品をある程度読んでいる人ならば間違いなく楽しめる安心のクオリティ。この喫茶店を舞台にして、バンドワゴンともまた違うシリーズにも出来そうだと正直考えてしまった。(実際あるといいよなあ……)。
12/03/12大倉崇裕「凍雨」(徳間書店'12)
『問題小説』2010年7月号〜2011年11月号に隔月連載された作品に『読楽』2012年1月号掲載分が初出の長編作品。近年の大倉氏の作品のなかでも多くを占めてきた「山岳もの」に連なる一冊。ノンシリーズ。
十月末、閉山式も済んで山小屋も閉鎖されたあと嶺雲岳。福島県北部にある登山家に愛されたこの山を十二年ぶりに訪れた深江信二郎。タクシーで登山口に向かった深江は、三人のガイドと共に山に登ろうとしている母子を目にする。その二人が、今は亡き深江の親友・植村の妻・真弓とその娘・佳子だった。一旦は引き返した深江だったが、山道にて一台の不審な男たちが乗ったワンボックスカーとすれ違った。いきなり彼らから背後を撃たれ、運転手が負傷、車は崖下に転落してしまう。瀕死の運転手を背負ってなんとか脱出した深江。更にその男たちを追ってか中国人とタイ人の集団が車二台に分乗して山へと急いでいた。母子の身を案じた深江は、逃げ出すことをせずその争いに身を投じてゆく……。
チートな主人公によるサバイバル。ドラマよりも戦いそのものが主眼の山岳ハードボイルド
どちらかというと、人間関係からしっかり書き込むことの多い大倉作品には珍しく、序盤から物語展開が突っ走っている作品だ。突っ走っているがゆえに、序盤から中盤にかけては、主人公やその背景についていろいろ読者として疑問が浮かぶものの、そういったところを高速度で飛ばしていって、中盤以降に回答が貰えるというような構成になっている。
まず、序盤の「不思議」。追悼登山をしている親子がいるだけのシーズンオフの山に集まる男達。こいつらいったいそもそも何者? 本格的に武装しているけれど敵はいないよ? 追いかけてくる外国人たち。一気に山は賑やかになる。のだが。丸腰で引き返してきたような主人公がいきなり、武装した男たちを相手に大立ち回り。 普通逃げるところで立ち向かい、仲間でもない人間を救い出し、武器もないのに勝ってしまう。
そこからは山岳サバイバル、ないしは兵士同士の山岳戦。 多少かわったものが武器にされたりする部分もあるものの、基本は殺人術のぶつかり合いだ。狂気や勢いだけの殺人者は脱落し、最後は訓練された男たちのぶつかり合いとなってゆく。ここに至るまでの展開が早く、深江や植村の事情といったところは後から追いついてくる。
深江がなぜこれほどに強いのか、なぜ男たちはこんな何もない山の中に武器をもって入りこんできたのか、なぜ真弓たちは人質として生かされていたのか、そういった疑問点には全て回答がつく。明かされてみればなるほど、確かにそれぞれが繋がっている。
次から次へと戦いが続き、深江も休み休みながらもタフな戦いを繰り広げてゆく。決して超人ではない描写なのだが実質超人か。テンポというよりも、首根っこをつかまれて引きずられて読むような感覚だった。
作中にちょっと矛盾点があるようなので、一応反転。
一連の事件が起きている季節外れの十月末が、深江の親友だった植村の命日。一方、植村が子供を救ったが命を失った運命の六年前「大雨が続いた。あの夏の日がやってきた。」という記述がある。そもそもはシーズンオフなのになんで遭難するような山に子どもが登っていたのか、という素朴な疑問からですが。(ここまで)。
物足りないことはないのだけれど、殺戮とサバイバル・ゲーム戦を山中で行う「ため」の設定となってしまっているように感じられた。ただもちろん、中盤以降はその人工性をすっ飛ばすくらいに緊迫したサスペンス&サバイバル小説となってはいる。で、一定の現実っぽさが担保されているとはいえ、大倉氏のシリアス系統の作品のなかではやはり異色作という印象が強い。山でなくても成り立つ作品でもあるし。
12/03/11福澤徹三「シャッター通りの死にぞこない」(双葉社'12)
『小説推理』'11年4月号から'11年12月号にかけて連載された同名作品に加筆修正して単行本化された長編作品。
勤務していた闇金から三千万円もの金を強奪し逃走をする男・影山清(仮名)、三十二歳。追っ手の手から逃れるには華やかな夜の街よりも、中途半端な田舎の方が良いだろうという判断から、たどり着いたのが東京から電車で二時間、シャッター通りとなっている子鹿商店街。つぶれた映画館、老人が店番をしているう「宮下時計店」店番すらいない「薄井寝具店」、聞いたこともないコンビニ「ハルマート」、向かい合いで店主同士がいがみ合うラーメン屋「満州」に焼き肉屋「ソウル」。スナック風の店構え「レストラン喫茶 ニューかさご」にはフィリピーナのマリアに美人だけど男のサンディがいた。となり町のショッピングセンターに客を取られたとかでバンビロードどころかゾンビロードとしかいえない程に商店街は寂れきっている。影山名義で作った偽りの身分がたまたまイベント会社社長ということもあり、後輩の専門学校生の頼みと、出戻りの美人・舞衣を口説くため口からの出任せを乱発、この冴えない町の町おこしを手伝いはじめる。しかし頼りの三千万円は影山が酔っ払って意識を喪っているあいだに消失、影山自身が身動きが取れなくなってしまう。そうこうしているうちにイベント開催の日付が迫ってきて……。
アウトロー小説ならではの普通の笑いと、笑えない笑いと。
「3ページに1回は腹筋が痛くなるハイテンションコメディ!」ということで、福澤徹三氏が本格的に抱腹絶倒のユーモア小説、ギャグ小説を狙って発表した作品ということになっている。まあ、狙いとしては理解できる……のだけれど。特に前半部はダークの度合いが強い展開のインパクトが強すぎて、多少のギャグでは笑うに笑えない気持ちで読み進めざるを得なかった。アルコール中毒で死亡して生命保険で借金を補填するとか、実際にあろうがなかろうが、笑える気分にはなれません。そういった地獄から現金持ち逃げして逃げ出してきた男が、多少旅先でどんな目にあおうと、なかなか気分として切り替えられない。そこらへんの匙加減が判らないまま、読まざるを得ないので、(つまりは、福澤氏の他のアウトロー小説であれば、主人公には速効で追っ手がかかって海に沈められるのが当然くらいなのに)、多少子鹿商店街の人の良い人びと相手にホラを吹こうが何しようが、虚しく見えてしまった訳です。
本書がギャグ小説として息を吹き返すのは、主人公が舎弟として潜り込もうとする、アッパーおやじ・アサカツが後半に登場してから。このおっさんの傍若無人っぷり、更にはアイデアマンぶりは、素直に笑える。 前半で我慢せざるを得なかった分も含め、この無茶っぷりはより突き抜けてみえるのだ。実際、追っ手がかからない訳はないながら、アサカツの存在でどれだけ小説として助けられているか。
寂れた商店街の街興しが基本軸。商店街の個性的な面々と、本来は主人公の影山が化学反応を起こすべきところが、単なるルーズでしかないところも、ギャグの薄さに繋がっているかも。現状をごまかしごまかしする主人公が多少ひどい目にあっても、笑うところじゃない。繰り返しになるがアサカツが強烈な個性を発揮しだしてからこそが、本書の「ギャグエンターテインメント」としての正式な段階になるかと思う。
小生の記憶がベースで恐縮だが、福澤徹三氏の一連のアウトロー小説に「外れ」はほとんどない。アウトロー小説をベースとしているとはいえ、作品としての狙っているところは異なるのでまあいいのだが。正直なところ抱腹絶倒というには、それでもまだなおお行儀が良すぎる印象。この路線は他にも書ける作家がいるので、福澤氏が無理にこちら方向に作品の幅を拡げる必要は、個人的にはないように思った。
12/03/10愛川 晶「ヘルたん」(中央公論新社'12)
書き下ろしにて刊行された愛川晶氏のノンシリーズ連作短編集。『パルティアン・ショット』『ミラー・ツイン』『シュガー・スポット』の三話にモノローグが挟まるという構成。
元いじめられっ子で専門学校中退、二十歳過ぎたのに極端な童顔、未だ童貞の神原淳(ぼく)。福島県内に実家があったが、父親の会社が倒産、悪い筋からの借金もあったようで両親は一本の電話を掛けてきたきり、金策のために関西方面に行ったきり行方不明。超遠縁の田代という親戚宅に預けられたがいられなくなり、紹介状を持って「法律関係の仕事」を引退して悠々自適、浅草の成瀬秀二郎という老人宅を訪れる。何とか離れに住まわせて貰うことに成功、そこで成瀬宅をヘルパーとして訪れていた高校の先輩(元不良娘)・中本葉月と再会する。実は、成瀬は未だ深い洞察力を持つ元探偵、さらに葉月先輩の助けもあって、ぼくはヘルパーの見習いとして、そして探偵の助手として、少しずつ第一歩を踏み出すことになった。
軽めの題名・表紙から想像つかない、真面目で重たい正統派介護小説にしてミステリ。
ここのところは「神田紅梅亭寄席物帳」での活躍が目立っていた愛川氏によるひさびさのノンシリーズミステリ作品。四六判のソフトカバーの単行本での刊行とはいえ、ラノベ系と見まがう系統のイラスト表紙に加え、予備知識無しでも想像のつく「ヘルパーたんてい」を略して四文字とした「ヘルたん」なる題名。さすがに主人公は十代ではないものの、地方から上京して困っているところに旧知の(元ヤンだけど)美女先輩が救世主のごときかたちで登場する──といった、一種安易ともいえる出だしに至るまで、基本的に「ラノベ風」に見える、作品である。 ただ、これは作者か版元か、どちらの戦略なのかは不明ながら、本質的に本書における意義を認めていないようであまり気分の良いものではない。
参考文献をみれば明らかだが、ヘルパー及び介護という部分に真っ正面から切り込むエンターテインメントである。探偵小説を優先して「名ばかり」でヘルパーという仕事を描いていない。語弊を恐れずいうならば、切実なエピソードから訴えてくる「介護という仕事」という描写は、ミステリという核を抜きに、それだけでも一読の価値がある。引きこもりから仕事を得て生き生きとしてゆく若者の成長譚である一方で、人生の円熟期を迎え、自らの行く末を見据えた先輩方の、生き方記録でもあるのだ。
登場人物を紹介してゆき、続いてはその人間関係が膨らみ、いくつかの不自然な行動をさりげなく中盤までに説明しておきながら、最終的には紛う事なきミステリという展開へと進んでゆく。このあたりは強く本格ミステリ作家としての個性を持つ愛川氏らしいといえばらしい。ただ、終盤の展開と真相はどちらかというとダウナー系。介護ともあまり縁の少ない理由で結末は単純ハッピーではない。少なくとも、主人公が介護を学びながら、ヘルパー同僚の美人先輩ときゃっきゃうふふしながら謎解きをする──といった話ではない。元名探偵の成瀬が日常の謎を鋭く解き、神原淳は物語における正解を見つけ出そうとする。介護という切実でもある社会派テーマに目を取られていると、足下をすくわれることだけは間違いない。
読み終わって改めて物語内容以上に印象に残るのはやっぱり冒頭で述べた表紙及び題名と、かっちりとした内容との大きなギャップなのだ。そこまで若者向けにアピールする必要があるというのは、本書特有の話なのか、それともジャンルとしての衰退期がそうさせているのか。どこか不安で、そしてどこか哀しい気持ちになってしまう。本筋が正統派だけに、余計に。
12/03/09田中芳樹「髑髏城の花嫁」(東京創元社'11)
某社より刊行されていた青少年向けヴィクトリア朝怪奇冒険譚である『月蝕島の魔物』は、某社の不義理の結果、東京創元社がシリーズごと引き取ることとなった。本書は大手貸本屋社員のニーダムと、その姪・メープルら、主人公たちを同じくするその続刊、書き下ろし。
ニーダムはクリミア戦争に従軍し厳しい戦場で過ごし何とか生き残り、パリで講和が成立した時にはスクタリの野戦病院にいた。とはいえ兵士たちは交通事情から簡単に帰国出来ず、そのまま現地に留まっていた。その病院を指揮していたナイチンゲールと上官のヒューム中佐の命によりエドモンド・ニーダムは戦友のマイケル・ラッドと共に、瀕死の状態にみえるクレアモントという少尉をダニューヴ河(ドナウ河)の河口にある城に送り届けるというものだった。クレアモントは母方がワラキアの貴族でその城は髑髏城と呼ばれている。成功すれば除隊証明書がもらえるとあって、二人は命令を引き受け、現地の案内人の手伝いを借り、大ナマズを撃退、何とか命じられていた刻限に城に到着した。現地には一族の者だという美女・ドラグリラ・ヴォルンスングルが二人を歓待、二人は現地を出て、ラッドはフランスで、ニーダムは姪のメープルが待つイギリスへと帰国した。一八五七年大手貸本屋であり、ニーダムとメープルの勤務先であるミューザー良書倶楽部は、第九代フェアファクス伯爵ライオネル・クレアモント閣下から大いなる贔屓を受けることになる──。
歴史・風俗とも緻密な設計図に沿って描かれる英国中世ファンタジー
前作の『月蝕島の魔物』でより顕著だったが、本作でも中世の英国を舞台にするにあたって、現代に伝記レベルで名前が残る有名人物をストーリーの流れに普通に織り込んでいる。ナイチンゲールもそうだし、ディケンズやアンデルセンなど当時の文豪たちが、ニーダムの職業である貸本屋との絡みで出てくるところが面白い。それらの人物が名前を持つだけでなく、例えば威圧感を持つだとか、口がよく回るだとか、恐らく実際にそういった伝聞があるのであろう性格付けまでがされている。こういった背景に対するこだわりが生み出す緻密さは全編に及んでおり、歴史的事件や当時の地理や市民風俗や感情といったところについても、二重三重で検証された設定が使用されているであろうことが窺える。
ただ、その一方、本作の物語自体はどこか一直線。クリミア戦争当時に主人公・ニーダムとその友人ラッドが関わった謎めいた人物が、伯爵となって英国再デビュー、しかし高飛車なうえにどこか様子がおかしい、実は──、というもの。この──に相当する部分が、伝奇小説としていささか意外性の少ないパターンが使用されており、伏線も多いため、その点で全体の盛り上がりに欠けるように感じられた。
とはいってもストーリー自体には起伏はあるし、個々のパートにおける周辺状況、例えば終盤における戦闘が喜劇っぽくアレンジされていてドタバタ劇風であったり、邸宅内部でニーダムとラッド、メープルとヘンリエッタらが、こちらも喜劇めいた口論(漫才?)を繰り広げていたりと、周辺部を膨らませることには成功している。あと髑髏城に存在する化物たちが二つの族であるといったところも、意外性と共に周到だと感じさせられた。
こういった欧州中世を物語舞台に選ぶ日本人作家も複数存在するが、ジュヴナイルのためにこれだけ丁寧な考証を行って作品を作り上げる作家は現代はそう居ないはず。おかげで少年少女向けを意識した読みやすい文体でありながら、物語全体に気品というか品格というか、数段レベルの高い意識のようなものが感じられる。 名作と呼ばれる作品が必ず持つ物語のオーラのようなものといおうか(余計に判りにくいけど)。
こういった作品に巡り会える読者は本当に幸福である。一冊書き上げるのに作者の負担が大きいことは理解するが、是非こういった良質の作品はずっと続いて欲しいと切に願う。
12/03/08逢空万太「這いよれ! ニャル子さん5」(GA文庫'10)
アニメも絶賛放映中『這いよれ! ニャル子さん』、♪うー! にゃー! が頭にこびりついて離れない、五冊目。
どれだけいるんだよ八坂家の外国人留学生、ということで、真尋を(一般的な男の子同士の友情以上に)慕うハスター君、転校生八坂ハスターとして普通に八坂家仲間入り。真尋の母親・頼子さんが帰宅して、居間ソファがニャル子、居間床がクー子に占拠されている関係上、場所が無くて真尋の部屋で寝たハス太、真尋を起こしにきたニャル子の嫉妬を全身に浴びるイベントからスタート。考えた末に、真尋は邪神たちに居間を居住空間にすることを禁じ、自分たちの能力で個人空間を準備するよう要請、ニャル子らは宇宙通販業者・ヤマンソ・ドットコムに何やらを注文することとなった。さて朝ご飯、そしてゲームをしながらだらだらとした登校場面。学校に行くまでに50ページを費やして、なんじゃこのぐだぐだっぷりと思うと、ノータイムで放課後に切り替わる。一体何が起きたのか判らないと思うが、俺にも良く判らない。放課後、腹が減ったと大合唱する邪神三人とペット一匹に押し切られ、帰り道のたこ焼き屋台に寄ることになったご一行。その屋台を切り盛りしていたのは、日本人とは思えないメリハリのある顔に緑髪、二十台中盤から後半を思わせる大人びた雰囲気に知的なメガネといえば、あの人、ルーヒー・ジストーン。前作で思いっきり敵対していた彼女であったが、株式会社クトゥルーのゲームハード部門撤退の結果、ルルイエランド内での異動先が何かと気に入らず、結局辞表を提出してしまったのだという。帰宅した真尋は、ある(アホらしい)理由からニャル子らと共に遙か四百光年離れたセラエノ図書館へと向かうことになる。
ぐだぐだした展開に既視感あるストーリー。だが、駄目な子ほど愛おしいもの。
いや、別に『這いニャル』が駄目だといっているわけではないのですが。言っているのと同じか。ごめんなさい。 でも、ノリだけで展開してゆく日常部分、口笛と口先で誤魔化して以前の設定をリセット、前触れ無しに発生するイベント、なんか既視感のある敵方宇宙人たちの行動動機などなど、強引なうえに新鮮味に欠ける展開になりつつある。
──でも、面白いのだ。いいのだ。
「私なんて今度出る新型iaiaPhone、通称イアフォンを予約済みなんですからね」
「母さんはね、ムスコニウムがないと生きて行けないけど、ダンナ酸も摂取しないと本調子になれないのよぅ……」
「英語でいうと迷走マインド」「何で迷走だけ日本語のままなんだよ」
「……少年、わたしの空腹は最初からクライマックス」
「三つ目のキーワード――年齢」がばっ!
「明日の元気を前借り!」
「……だいたい、どんな原理さ、テレポーターって」「仕組みは、謎です」「は?」「謎です」
「……少年、アトランチスとコンボイと村雨城には謎が付き物」「ここのどこにその三つの要素があるんだよ」
日常→非日常→戦い→日常→以上。 そのヴァリエーションが今回は辺境のセラエノ図書館。この図書館のイメージなんかは結構月並みではあるのだけれども個人的には好印象。さすが宇宙の叡智が集約される場所だけある。辺境だけど。ちなみにこのセラエノ図書館でハスターが「検索」をしている姿、どこか仮面ライダーW(ダブル)のフィリップが脳内インターネット検索をしている場面とイメージと重なった。後半部にもWを意識した描写はあるし、セラエノ図書館とニャル子たちとの連想の結束点はこのあたりかな。
また、意外と多いなあと思ったのが歌詞ネタ。そのまま書くといろいろとジャスラック的にややこしいのでアレンジして元ネタは想起できるようにしつつ会話文に溶け込ませている。アニソンはあまり詳しくないのだけれど、平成仮面ライダーOPの歌詞であるとかユーミンだとか、(たぶん)マクロスネタだとか。他、刊行レーベル関係なくラノベネタも結構ある。いいのかGA文庫。邪神同士だからか『邪神大沼』ネタが結構あったようにみえた。
なお今回の敵はツァール星人とロイガー星人、以前の巻でニャル子の作る怪しげな食べ物の具材になっていた星の双子の住人(星が違うのに双子)たち。図書館で襲われ、更に地球に出現。但しミャンマー、だけどアラオザル。なんと今回、真尋たちと接触したツァールとロイガーの祖父たちが、かつて地球に訪れた際にダーレスやスコラーと接触して生まれた短編が『潜伏するもの』なんだそうだ。ああ、ためになるなあ。そもそもこのシリーズ内では、ラブクラフトやダーレスも過去に地球を訪れた宇宙人たちと接触したおかげでクトゥルー神話が生まれたってことになっているし。それじゃあ仕方ない。しかも星の戦士がアラオザルを破壊した理由も生々しい、つーか脱税って何だよ。アラオザル。ザルが猿。ま、仕方ない。竜巻に巻かれるハス太の変身シーンはあれか、威吹鬼かな。
だんだん、感想らしい感想が書けなくなってきた。ノリであるとか構成であるとか、新キャラクタとの訳判らないやりとりなどは相変わらず楽しいのだけれど、本シリーズの根源的部分を形成する筈のニャル子と真尋とのやり取りが、バリエーションはあるもののワンパターンの繰り返しが多少くどく感じられてきたかも。(ニャル子求愛・真尋拒絶with暴力or暴言のパターン。真尋の暴力がかなり過激なのが個人的に苦手)まだ続きも読みます。
12/03/07海堂 尊「モルフェウスの領域」(角川書店'10)
桜宮シリーズに属する一冊で『野生時代』2009年1月号から不定期掲載で2010年11月号にかけて発表された作品を単行本化したもの。多少SFめいた設定が取り入れられてはいるものの、主人公や周辺人物から判断するに『医学のたまご』の前日譚的要素を感じた。ま、田口公平とか思い切り出てるんですが。
桜宮市にある「未来医学探求センター」に薄給アルバイトで勤務する日比野涼子は、東城大学の資料整理とともに世界初のコールドスリープ被験者として「凍眠」についている佐々木アツシの生命維持装置の管理を仕事としている。睡眠学習装置と装置チェックを行いながら、日々を過ごす彼女は外交官だった父親に連れられ、世界各国の領事館で生活するうちに、各国語をマスター、更にアフリカ某国に滞在中に医務官から医学の基礎もたたき込まれていた。アツシは「凍眠」開始時は九歳。レティノ・ブラストーマという目の病気により片方の目を喪っており、続いて反対の目にも転移、全盲の危険があるため、五年間の冒険に踏み切ったのだ。この背景には技術進歩に加え、ゲーム理論の世界的権威・曾根崎伸一郎教授が提唱した「凍眠八則」をもとにした「人体特殊凍眠法」が制定されていた。しかしこの法律は官僚の諸事情により闇に葬られかけている。アツシの目覚めの時期が近づいてきたため、涼子のもとに、設備業者の西野という人物が送り込まれてくる。涼子も一目置く優秀さと躁的な軽薄さを兼ね備えた西野、実は、装置自体を設計した人物でもあった。涼子は目覚めた後のアツシの立場について深く憂慮、曾根崎教授に対して一通のメールを送付した。また一方で、東城大学医学部附属病院長の高階に対し今後のアツシのサポートについても要請、田口公平、如月翔子、佐藤伸一といった面々が目覚めた後のアツシのケアに回ることになった。しかし残念なことに「凍眠」の期間中にアツシの両親は離婚、二人とも親権を放棄していた……。
一方で作品に確立するテーマ性、そしてもう一方では懐かしい彼らに会える喜びと。
コールドスリープ、つまり人間の冬眠(作中では凍眠)がひとつメインテーマとして描かれる。医療方面に詳しい作者のことでもあり、現代の最先端からすれば全くの絵空事でもないのだろうが、こちらの感覚としてはやはりSF。とはいっても感覚的には納得しやすい技術であり、アツシと涼子の関係性(凍眠者とそのケアをする者の特別な感情、特殊なかたちではあるものの「愛」と呼んでも差し支えないのではないだろうか)についても同様に理解できるものがある。
その骨組みがまずあって、この革新的技術、そして特にアツシ自身を護る者と、己れの無謬神話と主に組織防衛のためにその仕組みを否定する官僚たちとの戦いが、その外枠に存在する。主に涼子が周到に準備する前半部、アツシの境遇を巡って翔子らが活躍する後半部、そしてクライマックス。この外枠と骨組みの隙間には、東城大学医学部関係者をはじめとした心ある面々によるドラマがある。 この隙間部分(といってしまうと語弊もあるが)において活躍する人物に、これまで一連の桜宮サーガに登場してきた重要人物が効果的に配置されていて「あ、懐かしい」とか「あれ、こんなところにあの人が」というような一種のファンサービスにもなっている。田口や翔子など、読んですぐ判る他でメインを張ったような登場人物以外も、例えば佐々木アツシにせよ、日比野涼子にせよ、ちょい役や思わせぶりな役として他の作品にも登場していたようだ。(涼子については後で調べて初めて判りました。でも伏線含め、確かに繋がってます)。念のためいうと、単なる「顔出し」だけではなく、ちゃんとそれぞれが役割やら追憶などでサーガ上の意味合いがある点も強調しておきたい。
先端医療の世界、特に一連の桜宮サーガにて取り上げられるテーマは重く、ひとことで何が正義とか簡単に決められない状況を描き出す。日本全国、財政的に無尽蔵にお金がある訳では無い。医は仁術という言葉だけでは現代ではやって行けないのが実像だ。そういう意味では、さまざまな医療の実像を広く知らしめることができる、その意味でもこのシリーズの意味合いは大きいように思う。
12/03/06畠中 恵「やなりいなり」(新潮社'11)
デビュー作品『しゃばけ』から続く若だんなシリーズ、ビジュアルストーリーブックを除いた正編としてはちょうど十冊目となる作品集。『小説新潮』誌二〇一一年二月号から六月号のあいだに連載された作品をそれぞれ順に単行本化したもの。
若だんなの住む長崎屋のある通町界隈では、急に恋の病が大流行していた。さらになぜか若だんなの天敵の疫病神や病の神様も町に集まっている。町の境界を護る橋姫が恋をした結果、通町にさまざまな神様が集積するかたちになってしまって……。 『こいしくて』
若だんなのもとにいきなり現れた幽霊。護符を貼ると実体化するのだが、自分自身が誰なのか判っていない。しゃべり方から噺家ではないかと若だんなは推理し、聞き込みを開始する。 『やなりいなり』
若だんなの父親の籐兵衛が連絡も寄越さずもう三日も家に戻って来ない。芸者絡みの争いだ、追いはぎだと妖怪たちは勝手な推理を繰り広げるが、その真相は……。 『からかみなり』
若だんなの住む離れに雲が丸まったと思しき奇妙な玉が降ってきた。若だんなが拾うが鳴家がよってたかるうちにひとりでに玉は飛び出し、屋敷を出てしまう。鳴家が追うが、今度は空から「百魅」なる妖怪が現れる。 『長崎屋のたまご』
体調が良いので親友の栄吉が働く安野屋を自ら訪れる若だんな。大量の菓子を買い込む浜村屋の新六、その友人の五一の喧嘩を見かけ気に掛ける。五一は許嫁だった新六の妹を振って一人房州に旅してしまったうえ、一旦江戸に戻ってまたすぐに出るのだという。それを新六から責められていたのだ。 『あましょう』 以上五編。
世界観が完全に確立、物語自体の起伏は実に穏やかに緩やかに。
もとよりそれほどタフな物語ではないし、特に本作収録の五作品ではこれまで前巻で積み重ねられてきた人間関係について、変化が一切ない。 元より虚弱体質の若だんなは冒険できる身体でなく、恋愛らしい恋愛もなく、縁談も見合いもない(というテーマの回はあるが)。これで周辺の人間関係にまつわる話がなければ、物語は当然のこととして穏やかなな内容に終始する。
シリーズが長く続き、物語の終着点が見えないタイプの作品であるため、シリーズを続けること自体が目的化しているかのようなイメージも受けた。ちょっとした奇妙な現象が起きて、その現象に絡んで新しい妖怪が江戸の町に現れて。実はこういうことでした、と。それはそれで良いのだけれど、巨視的にはパターンが同じになってしまう点でいささか退屈な印象もある。
収録作のなかでは『あましょう』の一人勝ち。若だんなが目にした、どうやら親友同士の喧嘩模様。その原因は、そして彼らの行く末は。持参金とお嫁さん、断られた縁談と、さまざまなピースがばらまかれていて、ある程度は読者も組み上げられるのだけれど、最後のピースが実に哀しく、そして印象に残る。 他の作品でもこういったアイデアを取り上げられないことはないと思うのだが、この真相は「しゃばけ」シリーズのなかですんなりと許容されるタイプであるところも好印象に繋がっている。
ただ、やはり短編五作で短編集一冊としている(通常なら七作)関係もあり、パターンが似ていることもあって盛り上がりには少々欠けるところは否めない。他の作品集と比較して抜けて凄いということもなく、シリーズを追っているファン向けの作品集であるという印象。
12/03/05馳 星周「暗闇で踊れ」(双葉社'11)
『小説推理』に二〇一〇年一月号から二〇一一年五月号にかけて連載されていた長編を単行本化した作品。
警視庁捜査三課の神崎巡査部長は、大学中退でノンキャリアの刑事で出世や正義にあまり興味が無く、署内でも”氷のザキ”との異名を取る人物。しかし、家庭を顧みなかった結果、妻と子供は別の男性と別居を開始、離婚を迫られる状態にあった。警察に、松濤に住む富豪老人の所有する美術品が一時に大量に市場に出回っていると情報が入る。井上の庶子だと自称する榊田恵・学の姉弟が、売却に噛んでいるようで、神崎は後輩の水沢と共に井上宅に乗り込むが、老人は二人のことを信用しきっており、事件性を確認することはできなかった。三十前後の女盛りで抜群のスタイルと美貌を持つ榊田恵は、神崎に連絡を取り、弟のことで相談したいという。警戒しながらも二人で会う神崎は結局、弟・学を尾行するが彼は彼で十歳ほど年上の人妻と濃厚な交際をしていることが判った。ストーカーらしき人物がいるという恵の助けに応え、松濤の屋敷を訪れた神崎は、遂に恵と関係を持ってしまう。そこから激しく愛し合っていると神崎は思っていたが、ある時、恵と連絡が取れなくなる。ほどなく井上が死んだこと、美術品一切合切が売り飛ばされていたこと、学もまたいなくなっていることに加え、神崎自身も身に覚えのないクレジットカードを作られ、二千万円近い借金を負わされていたのだ。天性の詐欺師である姉弟と、その二人に執着する刑事の行き着く先は……。
かつての馳作品の持つ破滅的狂気が静かに燻るように。絶望っぷりがじわりと浸みる
前半部は馳星周氏特有の、多少荒れた雰囲気こそあるものの、美術品詐欺・結婚詐欺といった、あくまで詐欺が中心で物語が展開している。その詐欺すれすれの行為で寸止めしている犯罪者VS尻尾をつかみたい警察というような図式が最初段階では提示されている。あからさまに怪しい姉弟。超絶な美女と、整った顔つきの美少年(といっても二十歳だが)、彼らがモテない人間の心の襞にするすると触手を伸ばしてゆく。騙されたという自覚もなく、対象者は心をつかまれ金品が掠め盗られてゆく。詐欺の手口も鮮やかである一方、瞞す側の心理描写が巧い。むしろ瞞す側に感情移入してしまうよう、作者は巧みに読者を誘導する。 こういうとこ、うまいなあ、ここで一旦、物語が突き放されたような展開に移る。刑事の側が恥ずかしいほどの詐欺にあい、ぼろぼろになる展開。面白いのはここで刑事が相手を憎みきれず、むしろ執着を増加させるところ。それだけ相性のいい女だったということなんだろうが。
そしてこの後半ですよ後半。
もとから修羅の世界、地獄のような境遇にあった姉弟と、その地獄に飛び込もうとする男。彼ら三人が織りなす同床異夢っぷりがたまらない。 どう転んでも破滅という美しさ。それぞれがそれぞれの立場から愛し合いながら異なる狂気を孕むこの展開、息をするのも忘れるほど。 どちらに転んでも破滅、時間がかかるかかからないか。それでいて三行先がどう展開するか全く読めない程の緊張感とスリルがある。
初期のひたすらに爆発するかのような馳作品から一段ステージが上がって、物語としてかっちりとした構造を持ちながら、その構造から溢れてくるような情念の描写がたまりません。
特に、終盤の「姉」の様子は修羅が如き。自らの秘密、そして──。
近年の馳星周氏の作品を全て追えている訳ではないのだが、ここのところは前半から中盤にかけて、深謀遠慮もあって押さえに押さえていた何かが終盤に爆発して「ジェノサイド(虐殺)」になってしまうケースが多かったような印象がある。(間違っているかもしれなが)。本作も、過去でも人は殺されているし、後半でも人は殺されるが、物語をキレイにするための片付けといった印象はなく、あくまで登場人物を精神的に追い込んでゆくための手段として表現されている。むしろ、三人が三人とも善後策を考えているはずなのに、互いに互いを傷つけ合ってゆく不器用な展開に痛烈な哀しさすら覚えてしまう。
前半部はむしろ美術品・結婚など詐欺師のやり口・手口がかなり具体的に描かれており、変な意味で参考になる。いずれにせよ、読みどころは最終章近辺、刑事の絶望、姉弟のあまりに悲惨な生い立ちの暴露、そして最終的な彼らの決意の非情っぷり。このあたりの切れ味が素晴らしい。インパクトの大きい作品でした。