MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


00/01/31
吉村達也「怪文書殺人事件」(ケイブンシャノベルス'99)

元警視庁捜査一課烏丸ひろみシリーズの書き下ろし。最近新シリーズが開始された氷室想介も登場。吉村作品のワールドミックスが展開。

警視庁捜査一課を退職、心の傷を癒している烏丸ひろみ。彼女の元に一通の怪文書が送られて来た。半紙に墨痕鮮やかに書かれたそれの内容は、彼女の死を予言するもの。……この脅迫状を書いたのは、曽我拓二、園美のという中年夫婦のどちらか。極端な女癖の悪さから会社を辞めざるを得なくなり、松山で一旗揚げるも出張中に痴漢の現行犯を烏丸ひろみに発見され、再び追われるように東京に逃げてきた曽我拓二。その妻で、内心に怒りをため込むヒステリックな体質の園美。彼らは華やかに暮らしていた松山時代の生活を壊したのは、烏丸ひろみである、と逆恨みを彼女に向けていた。そんなことはつゆ知らないひろみは、サイコセラピスト氷室想介の元に手紙を持ち込み、差出人の分析を開始した。そんな折り、多摩川から意外な人物が他殺死体となって発見された。曽我夫婦の仲人をした岡田という老人。彼は虐げられる園美に対し、一方的に愛を告白していた。

初期吉村ミステリとサイコサスペンスの融合、か。
近作では珍しく、特定の地域事情に頼らずに書かれた作品。旅情がない分、ミステリ構造と人間描写に力を入れざるを得なくなっている。物語自体がシンプルに(珍しく厚みが押さえられたノベルスだ)仕上げたことと相まって、説得性と論理の飛躍が魅力であった初期吉村作品の原点に近づいていると思える部分もあり、(あくまで近作の中では)比較的好感の持てる一冊になった。冒頭で「この事件の犯人は曽我拓二、曽我園美のどちらかである」と読者に対して言い切ってしまう辺り、何とも挑発的ではないか。
その試みと裏腹に、物語そのものはサイコサスペンスの様相を漂わせる。犯人役の二人の自己中心的二重人格的小心的存在。怒りを怪文書の形で発散するクセを持つ妙な夫婦。彼らに狙われる烏丸ひろみ……というのが基本線。「骨貝」など小道具にはちょっと蛇足としか思えないところもあるが、総体として執拗くねちっこく描かれている「怪文書体質」という二重人格に近い男女の姿によって、きっちり引き締めてある。自己正当化の理論など相変わらず聞いていて「身近にこんな奴がいたらやだな」と思わされる怖さをも感じた。

とはいうものの、吉村ファン以外の方が絶対に押さえなければならない本だとは申しません。新シリーズ『魔界百物語』に手を着けようとする方は、その序奏曲となるエピソードもあるので、手にとってみては。


00/01/30
有馬頼義「四万人の目撃者」(中公文庫'74)

'58年に『週刊読売』に連載され、翌年日本探偵作家クラブ賞を受賞した作品。有馬氏はその五年前、既に直木賞を受賞しており、本書は必ずしも推理小説として書かれていない、とも。

プロ野球ペナントレース終盤戦、三つ巴の優勝争いを繰り広げる球団の一つ、セネタースの四番打者、新海が長打を放って疾走、三塁までも駆け抜けたところでいきなり昏倒した。控え室に担ぎ込まれた新海は既に絶命しており、心臓麻痺と診断された。野球好きの東京地検検事、高山はその事件を新聞で知り僅かな疑念を覚えたことから、遺体を司法解剖するよう遺族を説得する。新海の妹は、新海の後釜を狙っていた四番打者候補と交際しており、新海自身は銀座で喫茶店のオーナーもやっていた。解剖の結果、新海は特殊な薬物を摂取した結果、筋肉が急激に収縮させられた結果死に至ったことが判明。高山をはじめとする捜査陣は、背景、毒物摂取方法など調査を開始するものの、皆目分からない。

冒頭、野球ミステリと思わせつつ、変転し様々に姿を変えていく事件の構図
社会派と旧来の探偵小説の過渡期の作品と考えると何となく辻褄が合うように思える。物語のスタイルは、超絶能力を誇る名探偵が登場せず、地味な検事が着々と不審点、疑問点を潰しながら地味に捜査を進行させる地味な社会派に近いもの。ところが一方、単なる急死と思われた事故の背景に特殊な薬物トリックが存在し、また証拠不十分の連続拳銃射殺事件と、容疑者の間に何の関連性も見出せない、変形ミッシングリンクの手法が使用されている辺り、旧来の探偵小説的雰囲気も僅かながらに残されている。
著者自身は「野球小説」のつもりで書いた、というらしいのだが、少なくとも通常のスポーツとして野球を捉えた小説ではない。背景となるのはシーズンの終了から、次のシーズンにかけてのストーブリーグ、つまりシーズンオフからキャンプにかけての選手達の水面下での戦い。野球ファンにとっては今も昔もお馴染みの光景で(時代が多少古く、システムが異なっていても)非常に分かり易いのだが、国民総野球ファンという時代が過去のものとなり、趣味の多様化している現在では、この点で逆に違和感を覚える読者もいるかもしれない。
但し、全体を流れる情感、無常観はやはり文学者、見事。ミステリの形でなくとも人間再生のドラマとしての見応えもある。

双葉文庫の推理小説作家協会賞受賞作全集に収録されており、そちらで現在でも入手が可能。ただ基本的に推理小説畑ではない人の作品だけに、今となって押さえる必要があるのかどうかは、決めにくい。


00/01/29
宮部みゆき「幻色江戸ごよみ」(新潮文庫'98)

'94年に新人物往来社より刊行された作品の文庫化。『本所深川ふしぎ草紙』『かまいたち』に続く宮部さんの三冊目にあたる時代小説作品集。

伊丹屋の小火の火元は神棚の注連縄。その縄には何者かの髪の毛が編み込まれていた『鬼子母火』
倹約令で貧乏暮らしを余儀なくする、病身の妻を抱えた飾り職人。彼に久々に大仕事が『紅の玉』
古道具屋に行灯を求めに来た客に、商品の奇妙な来歴を話聞かせる旦那『春夏秋燈』
大女で醜女のお信の元に「器量を見初めた」と美青年の紙問屋の若旦那から縁談が『器量のぞみ』
飲み屋の下働き五郎兵衛は買った夜着から出るという女の幽霊の話を嬉々として語る『庄助の夜着』
子供のない大工夫婦が拾った子供。親を捜すも該当人物は既に焼死している『まひごのしるべ』
火消しになりたかった文次は臆病故に道を断念、飯屋で働き始めた『だるま猫』
娘が古着屋で買い込んできた着物を母親が勝手に処分。彼女は幼少の体験を娘に語る『小袖の手』
十一の捨松は奉公辛さに飛び出し実家に戻るが連れ戻される。彼はその夜、大旦那に呼び出される『首吊り御本尊』
十一月にだけ小さな盗みを働く泥棒と、彼を捕まえようとする岡っ引き。果たして彼は何故、どうして『神無月』
看板屋の小さな冗談から、存在しない隠し子が現れる。彼女は囲われ者だった『侘助の花』
井筒屋という強欲な金貸しに奉公する娘。彼女は実は彼らに恨みを含んでいた『紙吹雪』以上、季節に因んだ十二編。

市井の人々の最も劇的な一瞬を切り取り怪異と絡めた独自の宮部時代小説
時代小説における宮部みゆきの凄さと、一般ミステリにおける宮部みゆきの凄さが凝縮された短編集。ミステリをはじめ様々なジャンルの小説を描かせたら、その巧みさは現代トップクラスにあることは十二分に承知。その上でこの作品は時代小説としてのテクニックが縦横無尽に込められている。「評判の不細工娘が美青年に惚れられる」という意外性。「人生の挫折を使用人に聞かせる」叙情性。「暗い中、飲み屋と岡っ引きが語り合う」と推理の楽しさ(厭わしさか?)。それぞれに人情、愛情と共に一抹の悪意のスパイスが降りかかり、見事なまでの完成度を感じさせられるのだ。
そして宮部さんが描くのを得意とする「怪異」そして、どこにでもいる「市井の人々」。怪異はたまにしかおきないので怪異なのだが、市井の人々はどこでも平凡に暮らしている。そんな彼らが怪異と巡り会うことで、彼らの人生はその一点に凝縮される。まるで宮部さんに描かれるのを待ち望んでいたかのように。彼らはきっと読まれたがっているに違いない。上質の怪談を味わいながら、上質の時代小説を愉しむ。これも一つのジャンルミックスなのか。

もちろん風物詩だとか、江戸ならではの人情とか、そういった点にも不満はない。しかしそれだけなら、別に宮部さんが書かなくとも、書ける作家はいくらでもいるだろう。怪異と時代のミクスチュア。少なくとも一度は宮部時代短編集は手にとって頂きたい。


00/01/28
恩田 陸「象と耳鳴り」(祥伝社'99)

'95年より'99年の間に祥伝社『小説non』誌を中心に掲載された作品を集めたミステリの短編集。『魔術師』は書き下ろし。

判事を引退して悠々自適の生活を楽しむ関根多佳雄。大のミステリファンの彼が巡り会う奇妙な事件の数々。
美術館で天目茶碗を見物した関根は亡くなった友人のことをふと思い出した『曜変天目の夜』
渋谷の人混みの中で男がどさり、と倒れた。全身大怪我の彼はどこから現れたのか『新・D坂の殺人事件』
住宅地の「人喰い給水塔」に連れて来られた関根は、それに纏わる奇妙な事件の話を聞く『給水塔』
その老彼女は象を見ると耳鳴りがするという。幼くして渡英、象が関係する殺人事件を目撃したから?『象と耳鳴り』
息子と伊東の知り合いの別荘に向かう関根は「海にいるのは人魚じゃない」という子供の言葉に想像力を凝らす『海にゐるのは人魚ではない』
入院中の関根は同僚の判事の元に届けられる死刑囚からの手紙とその事件から、彼の犯行動機を想像する『ニューメキシコの月』
「銀行強盗が埋めた金をお寺の銀杏の根もとに隠した」関根はこの話を誰から聞いたのか『誰かに聞いた話』
関根の従姉妹の女性が闘病の末に亡くなった。彼女の元住居と薔薇園を再訪した関根は過去の出来事を回想『廃園』
列車の事故で待ちぼうけの関根と息子。検事の息子はこの待合室の、ある秘密を感じ取った『待合室の冒険』
関根の息子と弁護士の娘。彼らの従兄弟から見せられた何者かの部屋。誰の部屋かを推理するゲームに熱中『机上の論理』
地方で新米新聞記者をする女性からの手紙が関根に届く。彼は手紙から只ならぬ雰囲気を感じ取る『往復書簡』
判事を引退して農業を営む友人宅を訪れた関根。その新興都市に纏わる都市伝説を知った彼は大胆な推論を『魔術師』以上、十二編。

無から有を組み立てるのは豊かな想像力を持つ人間の特権なのか
「都市伝説」を恩田さんは好んでモチーフとして取り上げる。そして、もう一つ「人の噂」と。両者に共通するのは、伝聞に基づく故の輪郭の曖昧さ。責任を伴わない無責任さ、更にこれらと同時に発生する奇妙なエンターテインメント性。……「伝言ゲーム」に代表される、聞いた言葉を順次他人に伝える遊び。ほんの短時間保持する記憶でさえ、その曖昧さが如実に顕れ、どんなに正確を期しても当初の形は関係者の意図がなくとも徐々に歪んでいく……。更にこれが「人の噂」なら尚更。どこかで誰かが興味本位の脚色をしたところで、伝聞は修飾された形そのままに再び伝わっていく。
本作では、この「伝聞によって伝えられた謎」を入手したデータと合わせ推理していく物語が中心。「伝聞」にて伝えられる「謎」は、即ち不特定多数が興味対象にした、ということでその分「謎」そのものの魅力がそれなりに高いレベルであるのが嬉しい。主人公らによる謎解き。時にそれは犯人たる人物を捉えることもあるし、解釈だけに終わることもある。そうであっても推理小説としての満足度は高い。高度な論理性が(多少の強引さがあっても)きちんと裏打ちされているから、だろう。そしてまた仮にその答えが正解であろうと無かろうと、読者にとっては問題ではない、ということ。魅力的な謎とその謎に相対する一解釈。それ以上のものを望む必要など、そもそも無いのだ。
また、 書簡形式、伝聞形式、写真からの推理などなどバリエーション豊かなワンパターンが十二分に楽しめる作り、ミステリマニアを主人公に配したこだわり、などなどファンタジー出身の恩田さんのミステリへの限りない可能性を感じさせる作品集。

恩田陸最初の短編集にして、安楽椅子探偵ものの99年の収穫。柔らかな語り口。独特の毒とユーモア。読みやすく、しかも深い。


00/01/27
都筑道夫「都筑道夫のミステリイ指南」(講談社文庫'90)

第一級のエンタテインメント作家である都筑道夫氏による小説指南本。'82年に講談社より『都筑道夫の小説指南』として刊行された作品の文庫化。文庫版あとがきが加わる分、ほんの少しお得。

まずは「1 エンタテインメント小説」。都筑氏が考えるエンタテインメント小説とは一体何か?というところを明確にする。そして「2 怪奇小説を読む」。都筑氏の怪奇小説短編(しかも同じコンセプトの作品のバリエーションを三つ)読ませ、その意図するところを汲み取らせる。続いて「3 怪奇小説を書く」。アマチュアの作品を都筑氏が添削、言葉の使い方、物語の構成方法について限られた例の中ながら、詳しく説明。「4 パロディ推理小説ができるまで」。一転して、推理、しかもパロディものの作り方を最初の段階から説明。モデルは『捕物帳もどき』の中の一編。場面の作り方、伏線の付け方まで実践的データに溢れる。そして「5 SFとファンタジィ」にて締める。しかし、ここではSFの作り方よりも都筑氏がSFを作りながら感じた疑問点が示される。最後は「6 作家への条件」。実際に文章を作るにあたっての実践的な難しさ、練習方法が述べられ、作者自身も含めて不断の訓練が必要、ということで締め括られる。

執筆の裏側を覗くことで、より読書を楽しもう
作家を続けていくこと(注:作家を職業として継続すること)には特殊な才能と特殊な技能、そして特殊とも言える根性と忍耐力、そして特殊な欲求が必要なんだと私は思っている。なので「小説の書き方」を読むだけで作家になれるほど世の中は甘くない。仮に「小説の書き方」を読んで作家になった人が僅かな確率で存在するのだとしても、彼らには元々その特殊な能力が備わっていたからに他ならないに違いない。
本書は題名通り、一応「指南」本という形式を取っており、作家志望者に都筑氏の小説技巧を伝授するという内容である。しかしエンタテインメントの本質であるアイデア作りやストーリー作りについては、全くと言っていいほど都筑氏は語らない。(当たり前か)都筑氏が指南しているのは、アイデアの後工程、実際にそれを文章にし、いかに効果的に読者に提供するか、ということ。それは都筑氏の創作過程をなぞることと重なるので、私は単純に「都筑道夫の創作の裏側」というスタンスで読み通した。
時代小説、伝奇小説、SF、怪奇小説、ショートショート、そして勿論ミステリと都筑氏の作品分野はエンタテインメント小説は多岐に渡る。どのジャンルの作品を取っても一流、そして独特の都筑節を味わえる、この魅力の秘密を垣間見た気がする

絶版ですが比較的近年に出版された割りにあまり古書店で見ないのは私だけ? 都筑道夫ファンでなくとも「エンタテインメント小説」の裏側を覗く意味で楽しめると思います。


00/01/26
我孫子武丸「屍鑞の街」(双葉社'99)

腐食の街』に続く、近未来サスペンスシリーズの第二弾。『小説推理』誌に'98年に連載されていた作品の単行本化。

前回の事件にて猟奇殺人事件犯人、菅野礼也、通称『ドク』とブレイン・スパという機械により精神が融合させられてしまった警視庁勤務の溝口。彼の意識の中に『ドク』は潜み、隙を狙っては溝口の体を支配しようとする。その機械を開発者で前回の事件の黒幕、赤坂が憤慨する関係者を嘲笑うかのように釈放された。現行の法律では彼を裁くことが出来ないという。暫くして溝口と、彼と共に暮らす少年シンバは街のチンピラに唐突に襲われる。彼らに賞金が掛けられている、というチンピラを逆に撃退した溝口は、ネット上の仮想都市”ピット”内に自らのキャラクタがコピーされており、その”ピット”内部の彼らに莫大な賞金が掛けられていることを知る。”ピット”内のキャラクタを殺しても勿論、本物の溝口やシンバを殺した者には、その十倍が支払われる。恐らくは赤坂の仕業だということは分かるものの、またしても大量のチンピラに急襲、罠にかけられ、視力を奪われた溝口はシンバや同僚と共に、まずは逃げ出す。ところが逃げ込もうとした警察署まで既に先回りした暴徒に占拠されており、彼らは窮地に立つ。

男同士の奇妙で微妙な心の交流と、現実と地続きの未来の超迫力
ネットワーカーとしても知られる我孫子氏が描く、現実と地続きな近未来像。このシリーズの最大の見どころ、かつ魅力はハードよりソフトをより重視して構築された異世界。そしてその異世界の中で緩やかながら確実に、堕落している人間。SFに詳しくないので何とも比較出来ないのが残念なのだが、物語を厚くし、そして世界を固めているのはこの二点がしっかりしているから、だと思う。移動、通信など機械のみを進歩させたSF世界で感じる嘘臭さは、この世界にはない。ネットワークが進化することで人は何を望むか。ビデオの発達がアダルトビデオの発売と無縁でなかったように、音楽とプライバシーの両立をウォークマンが実現したように、技術の進歩は快楽への欲求と密着に関係している。そう、この近未来は極端にならない程度に「快楽」に向かって進んだ姿。
本書の物語の軸は、無器用で真っ直ぐな生き方をする古い世代の警官、溝口と天才的格闘能力を持つ元男娼の美少年、シンバとの親子でも恋人でもなく惹かれ合う微妙な心の関係。彼らそのものの社会的存在は「この世界」独自のものながら、心の動きに関しては十二分なシンパシーを覚えられる。これに第三者(敵)との戦いを絡めて、魅力的な「この世界」に放り込むことで超一流のSFエンターテインメントハードボイルドアクションサスペンスに物語は昇華する。躍動感、スピード感にも注目したい。

前作は双葉文庫にて刊行されているが、この文庫そのものを置いている書店が少ないのがネック。一応独立した作品ながら、順番を踏まえた方がより楽しめる。我孫子氏の「裏」の傑作シリーズ作品に育っていくことだろう。(御本人に伺ったところまだ継続される予定だそうです)


00/01/25
津原泰水(監修)「十二宮12幻想」(エニックス'00)

十二宮それぞれ生まれの十二人の作家による十二の幻想小説。心理占星術研究家で翻訳家の鏡リュウジ氏による十二宮の分析が、各短編の前に収録されている。カバーと各宮の扉イラストはフレデリック・ボワレ氏。

小中千昭  白羊宮・『共有される女王』 インターネットビジネスの女性役員はいつも誰かに見られている。
図子慧   金牛宮・『アリアドネ』 婚約している彼と旅行に出掛けたわたしは旅先で鍾乳洞へ入る。
飯野文彦  双子宮・『さみだれ』 嫌な友人関係の中で巧く自分自身を保つことに精一杯のわたし。
早見裕司  巨蟹宮・『月の娘』 私が男性に惹かれる時小指に赤い糸が必ず見えそれが千切れるとき……。
高瀬美恵  獅子宮・『ネメアの猫』 貧乏な恋人からルビーの指輪を貰った私は両眼の赤い子猫を拾った。
津原泰水  処女宮・『玄い森の底から』 犯され殺される女性の意識が描き出す過去未来混じり合う世界。
我孫子武丸 天秤宮・『ビデオレター』 一週間前に死んだ彼氏から届いたビデオレターに映っていたのは。
島村洋子  天蠍宮・『スコーピオン』 女性作家は作家志望の素人の代作ビジネスを持ち掛けられ……。
森奈津子  人馬宮・『美しい獲物』 新しく知り合った男には恋人がいて、私には同性の彼女がいた。
加門七海  磨羯宮・『二十九日のアパート』 年末が誕生日の私の前に部屋で事故死したという幽霊が。
飯田雪子  宝瓶宮・『あたしのお部屋にいらっしゃい』 誕生日に別れた彼と逢う約束をしていたあたし。
太田忠司  双魚宮・『万華』 芸術家一族に生まれた華子は才能コンプレックスに悩んでいた……。

この世に生まれた全ての人は、星の運命に必ず導かれていく……
通読すると「つるっ」と読み通すことも出来そうな印象。しかし実は細かいところにまで凄く凝った作りが光る。鏡リュウジ氏の各星座へのコメントのみならず、イラスト活字カバー構成余白のちょっとした遊びに至るまで実は配慮の固まり。「星座」という主題を与えられているとはいえ、執筆するのはフィールドも異なり、独特の個性を持つ作家達。バラバラになりそうな方向性を、きっちりベクトルを揃えて作品群を優しくスポンジで包みこんで読者に差し出す。そして中にはたっぷりの餡と蜜とクリームと、毒
主人公は作家の投影なのか。それとも作家が主人公に操られるのか。星座という確固としたそして脆弱な背景(バックグラウンド)を抱えた登場人物は、自らの欲望や運命、本能に従って必死で作品内での生を全うしている。なのに彼らは徐々に他人を、そして自分自身を「行き着くべきところ」に導いていく。そう「導き」が本書のテーマの一つ。死の世界、自分だけの世界、愛する者の世界。他との関係を取り込むか、排除するか。関係性が日常から離れる所、幻想が生まれ物語が紡がれる。アプローチは違えど、星座の持ち味は違えど、もちろん作者も違うし作風も方法も違うけれど、きっちりと彼(もしくは彼女)は異世界への扉を開き、読者をもその高みへ誘う。その高みが果たして、読者にとり快楽なのか苦痛なのかは、読んでみなければ分からない。
一編選ぶとするならば。 知り合いとか自分が乙女座だとか贔屓目だとか抜きにしても、監修者津原泰水自らが描く『玄い森の底から』が私のツボ。意図的にそして計算して壊された独白調の文体、思いつきそうで普通は気付かない鬼畜的状況設定。その状況下に追い込まれた女の、燃え上がる妄念執念怨念が行き着く果て。作品から人ならぬモノが立ち上がってくるような錯覚さえ感じさせられる怖さ。今まで私が読んだ津原短編の中でも最高の傑作。断言してしまおう。一月のこの段階でホラー短編の今年のベスト級に当たった。

色んな粒が揃っており、どんなタイプが気に入るかは恐らく読者次第。自分の星座の作品にもっとも惹かれるものなのかどうかは分からないながら、幻想小説アンソロジーとして高いレベルの出来。作家も揃い、お買い得です。


00/01/24
新保博久「推理百貨店 別館」(冬樹社'89)

名前の通り『推理百貨店 本館』が存在するが、未入手なので。ミステリ評論家で研究家の新保氏が'88年までにミステリ専門誌や一般雑誌、同人誌などに掲載したミステリ関係原稿を収録したコラム集。

 「ギャラリー」穂積和夫氏が「グリーン家」「黒死館」といったミステリに登場する著名な屋敷をカラー絵で再現。 「ハウジングセンター」ギャラリーと同時に進行していたと思われるミステリに登場する建築物と実作品に関する種々の考察。 「カルチャーセンター」ミステリと俳句、映画、翻訳など種々の雑学コラム。 「トラベルサービス」トラベルミステリなどに代表される土地風物とミステリとの関わりを横断的に論ずる。山の手線ミステリ紀行など。 「占いコーナー」ミステリ関係者で占いを行う人物の紹介など。 「ゲームショップ」古典ミステリによく登場するカードゲーム、コントラクトブリッジの紹介と考察。 「閉店の辞」あとがき。
巻末に「インフォメーション」としてミステリのテーマ別一覧と、本書及び「本館」に登場する著者、作品名の索引が付いている。

お遊びがいっぱいのミステリ雑学本
現在も様々な方が様々な形式で、ミステリに関するまとめ本を製作、出版されている。その執筆者により、色々な考察や切り口があって、少なくとも私はどれも愉しんでいる。ただ本の性格上、ある程度以上のミステリファンでないと、理解出来ない話が多いのは致し方ないところか。
そして新保さんの場合、その切り口が何とも興味深い。冒頭の「ミステリの建物」の解体は近年の山口雅也さんの作品にもあるテーマだが、カラーで冒頭に持ってこられた挿し絵がキレイで、逆にイマジネーションを掻き立てられる。ただ、考察しやすい建物を先に持ってきたのではなく、先に建物(作品)を選んでから、それに関する文献を探している分、文章や考察は多少窮屈かも。
逆に自由度が高いために面白かったのは「カルチャーセンター」「トラベルサービス」の両コーナー。「俳句」からミステリにアプローチした評論は初めて読んだし、翻訳についてもその過程を自らが示すことを実行、難しさと面白さを両面からアプローチしているなど読み応えがあり。成る程、海外ユーモアミステリを訳すのがこれほど難しいとは。また、ミステリを(トラベルに限らず)舞台となった土地土地を一覧に示していくコラムは実はしばしば見かけるものの、新保さんのセレクトが微妙に渋くて面白い。読了済みの作品には思いを馳せ、未読の作品には期待を募らす作り。「インフォメーション」も、すぐには使わないまでも、後々(少なくとも私には)役に立ちそう。

絶版でしょうし、それ程見かける本でもありません。でも私のような好事家には堪らなく面白い本です。「本館」を探すことが、取り敢えずの課題。


00/01/23
森 博嗣「月は幽咽のデバイス」(講談社ノベルス'00)

保呂草潤平、瀬在丸紅子他大勢が登場する森氏の新シリーズの第三作目。書き下ろし。

建設会社社長の篠崎宏邦。彼の住む大規模且つ豪壮な木造建築は付近の住民から薔薇屋敷などと呼ばれており、時々狼の遠吠えらしき声が聞こえるなど色々と噂にのぼる建物。美術商の森川美紗は、宏邦から呼び出され、保呂草潤平を助手として連れ、その屋敷を訪れる。そこで彼女らは瀬在丸紅子と出会う。篠崎家の一人娘、莉英は紅子と幼友達だったのだ。美紗、潤平は屋敷でその晩開催されるパーティに誘われ出席することに。篠崎家ゆかりの人物が十名ほど訪れたその宴席がたけなわの頃、長時間姿の見えなかった女性がオーディオルームにて血塗れの死体で発見される。死体は引きずり廻したような跡があったにも関わらず、部屋は完全な密室だった。またその床の一部がびしょびしょに濡れていた。

森ミステリィでしか許されないミステリを、森ミステリィがしっかり実現
断言することは憚られるのだけれど、考察するに森ミステリィは二種類の読み方があるように思う。一つは普通のミステリファンのように「謎」を解体する快感を味わう推理小説として。そしてもう一つは、固定化した登場人物たちに萌えて彼らの行動をひたすら愉しむキャラ萌え小説として。 ――もちろんどちらも読者であり、本を購入して読んでいる以上、絶対に上下はない。ただ物語全体としての長さがどうしてもレギュラー登場人物同士のやり取りに多くが費やされ、キャラ萌え以外の読者にとって、物語本体の印象が薄くなってしまうのはいかんともし難いところ。
ミステリとして、謎の提出はやはり優れている。密室殺人にプラスαが加わり、動機の必然性など中盤で不鮮明だった部分にしろ、最終的には全てに納得が行く構成。この大仕掛けそのものは、好悪が分かれるかもしれないけれども。感じられる多少の不自然さを、しばしば森作品に登場する「大金持ち」というキーワードにて納得させてしまうあたり、思わず「やっぱり森ミステリィだ」と感じてしまった。逆に言えば、本作のトリックや仕掛け、舞台を普通のミステリ作家が使用することは、かなり躊躇があるだろう、ということ。発生する事件を全て包含して作品世界を成立させるのに、どうしても必要な設定を不自然さなく物語に繰り入れられる―――それが今までシリーズとして、レギュラー登場人物だけでなく、事件が発生しておかしくない世界(常識外れの人々、大金持ち……)をも既に森氏が創造している、ということなのだ。同じ密室を扱うにも、そんじょそこらで発生し得ない状況を贅沢にかつ自然に使う。これが森ミステリィの一つの特徴として挙げられるのではないだろうか。

本作スタートで読んでもミステリとして不都合なことは全くない……が、しかし、やはり特異な登場人物に依存する話作りをされている部分もあるので、シリーズ最初から読まれた方が全体理解をしやすいでしょう。


00/01/22
歌野晶午「放浪探偵と七つの殺人」(講談社ノベルス'99)

雑誌『小説現代増刊メフィスト』に'94年より'99年までに掲載された六つの短編に、立風書房『ミステリーの愉しみ5 奇想の復活』に採用されていた一編を付け加えた作品集。全て信濃譲二が探偵役を務める。また「問題編」「解決編」と分かれており、「解決編」は袋とじという凝り方。

正月休みをアパートで一人過ごした学生が、別室に住む同郷の男を弾みで殺してしまう。隠蔽を図るが『ドア→←ドア』
高校生の時、飲酒の為に入り込んだ廃病院。ぼくはその時幽霊を見た。宴席での話から、そこへ探検に出ることに『幽霊病棟』
近所で出されたゴミを全て家の中に取り込、む奇癖を持つ女性。その女性がゴミの中で殺されていた『烏勧請』
学生の独身寮の一室から絞殺死体が。出入りしにくいその寮内、容疑者にはそれぞれアリバイがあるように思えるが『有罪としての不在』
インチキ商会の女社長宅にピザの宅配に訪れた配達員は、室内に血塗れの男女が倒れているのを見る『水難の夜』
墓地の中で上半身を半ば埋められた姿で発見された女性死体。しかしその死体は、死亡時刻の数時間後に道路を疾走するのを目撃されていた『W=mgh』
熊本県を中心とする新興宗教。そのシンボルは神々の顔を彫り込んだコーラ瓶状の巨大な塔。儀式の際は誰も上り下りすることが不可能なその塔の上で人が踊っているという『阿闍利天空死譚』、以上七篇。

「新本格」の行き着くところに届いた総決算的短編集
冒頭に提出される奇妙な謎。いくつかのもっともらしい仮定はいろいろな理由から否定され、手掛かりは全て本文に書いてあり、名探偵がその驚くべき真相について看破する。本書は元々全て普通の短編だったものを、終章だけを巻末にまとめ袋とじにされた装幀。読者に推理を要求するパズラーとしての意図がもちろんだけれど、これを「フェアに書いていること」への作者のアピールと取るのは、穿ちすぎの考えか。
物語は確かにフェアであるし、舞台バリエーションも豊富。特にそれぞれの「事態」の奇妙さについては文句の付け所はなく、素晴らしい。解決における論理の飛躍も見事で短編集として佳作が揃っている点は否定しない。それでも何かが少し足りないように思えたのは、全てがあまりにも「新本格」であることから来ている。奇妙な謎−なにがしかのトリック−あっと驚く解決。作品としてこの流れを創作するのが実に難しいことも分かるし、充分にそれだけでもミステリとしてのエンターテインメント性を満たしている。その流れにおいて、収録されている諸短編はある意味到達点に来ている、と思う。しかし私にはこの流れそのもの、つまり「新本格」が「枠」となって歌野氏を填め込んでしまっているようにも感じる。本書のレベルの短編を歌野氏は書き続ける力量は充分にあるだろう。しかし、ある意味での最高到達点に達している収録作品を越えて行くためには、何らかの「新本格からの逸脱」が必要ではないだろうか。『正月十一日、鏡殺し』では見事に奇妙な味わいの短編を著していた歌野氏が、逆に原点に立ち返ったとも言えるのだが……。少なくとも私は、再び逸脱して新しい世界を創って欲しいように思う。

歌野氏も既に十年選手。なのに短編集はまだ本書を含んで二冊、というのは多少不思議な気もする。色々書きましたが作品レベルの高さは保証出来ますので正統派パズラー、新本格ファンにはお勧めです。


00/01/21
篠田節子「愛逢い月」(集英社文庫'97)

直木賞作家、篠田節子さんの幻想と怪奇を主題とした短編集。タイトルは「めであいづき」と読む。

関係に疲れ始めた不倫旅行で訪れた観光寺。彼女はそこの廃屋じみた部屋の襖絵に妙に惹かれた『秋草』
脳腫瘍で間もなく命が終わる主婦は過去の燃えるような不倫の時代に意識が舞い戻る『38階の黄泉の国』
元モデルの女性が執筆した本はある編集者の助力が大きかった。彼は病身の妻を世話するため仕事を辞めてしまう『コンセプション』
冒険カメラマンが水中撮影中、鱶に襲われ重体に。気付くと彼は今までないがしろにしてきた妻と二人きり『柔らかい手』
公団住宅に暮らす一人暮らしの三十前の女性。そのベランダに大量の鳩がやって来て好き放題をしていく『ピジョン・ブラッド』
高校時代から憧れ続け、妻の座を射止めた女性と司法浪人を続けるうちに料理に目覚めてしまい『内助』以上、六編。

錯覚じみたオトナの愛の風景。すれ違う時に生じる幻想に光を当てて
ジャンルミックスの大家、篠田節子さん。彼女らしいビジョンと「幻想」と「恋愛」の混じり合った不思議な作品集。題名などで見る限りちょっと「恋愛」に関する比重が重いか、と思わせつつも篠田さんは素直じゃない。描き出されているのは、男と女の愛が終わったり、壊れたり、すれ違ったりする時に生じる隙間から覗かされる何とも切なく苦しい光景。
「惚れてしまえば、あばたもエクボ」という慣用句、これを逆さにすれば「醒めてしまえば、あばたはアバタ」。例えば一般の恋愛小説であるなら、惚れたことによって生じる幻想を高らかに歌い上げれば良い。ところが本書では、後の句(でっちあげ)の結果、つまり恋愛が醒めたことによって、男女双方に訪れる冷たい現実と醜く露わにされ、崩壊した幻想が描かれる。いや「醒めたことによって見る逆幻想」と言うのか。
そして登場する女性はもちろん、男性に対しても人間観察巧者らしい鋭い眼が光る。中年に差し掛かって人生を冷静に見つめられる年齢になった彼らのオトナの心情。恐怖を味わうにしろ、幻滅を感じるにしろ、この巧さは一体何なのだろう……。

「篠田さんらしさ」が目一杯感じさせられる短編集。それ程厚みもないので軽い気持ちで読める上、幻想小説的にも、恋愛小説的にも良い雰囲気に浸ることが出来そう。男女問わず、オトナ向け、ですが。