MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)−  


00/02/20
栗本 薫「ぼくらの気持」(講談社文庫'82)

江戸川乱歩賞受賞書き下ろし長編推理第一作として'79年に発表された作品で『ぼくらの時代』に続く『ぼくら』三部作の二作目。

前回の事件から二年。バンド「ポーの一族」は解散、「三位一体」の結束を誇っていたメンバーもヤスは少女マンガ雑誌のサラリーマン編集者に、信は留年を繰り返しながら音楽を続け、僕こと栗本薫はミステリ作家志望のライターへとそれぞれ立場を変えていた。一年ほど音信不通だったヤスから飲みに誘われるも、サラリーマン的な愚痴を繰り返す彼に変化を感じ、信と薫の二人は戸惑う。痛飲した翌朝、人気少女漫画家、花咲麻紀宅を訪れていたヤスから、二人に緊急の呼び出しがかかる。彼らの前には花咲の撲殺死体が横たわっていた。しかも凶器はヤスのベースと思われ、更に握り締められた手の中にはヤスの社章があった。気まぐれできつい性格の花咲はヤスを気に入っていたが、ヤス自身は彼女のアシスタントの千鶴と交際しており、ヤスには動機もあった。「このままでは自分が犯人にされてしまう」と動転していたヤスをなだめた彼らは、アシスタントの千鶴の協力の元、死体からヤスの痕跡を隠滅して、その場を去ろうとするが、出たところを別のアシスタントと鉢合わせしてしまう。

前作より一転、緊張感漂うサスペンス風味の青春推理
「殺人事件の犯人に仕立て上げられそうになった友人」を救うため、残る二人が奔走する物語。信、薫が必死で陥れられたヤスの痕跡を消し、アリバイを偽造する。つまりこの段階で彼らは三人とも正当な捜査を行おうとする警察を欺いたことになり、犯人はもちろん警察とも敵対、「反体制」サイドに与してしまう。更に折角かばったヤスが一方的に姿を消してしまい、ずるずると彼らは窮地に填り込んでいく。いつ警察が気付くか、という緊張感。警察に気付かれた後、逃亡しながら真犯人を捜し求める緊張感。ラスト近く犯人に追われ、追う展開となる緊張感。とにかく物語を支配しているのは緊張の連続なのだ。そんな中、時折挿入される友情への疑念と確認の過程が、「いかにも」ながら青春である。
ミステリ的には、本書内で触れられている通り「Why Done It?」の一種。確かに中盤で犯人の想像はついてしまい、謎らしい謎は「Why」だけになる。ただ、この「何故?」は謎解きとしての面白さとしては、正直あまり実感出来ない。犯人の不合理な行動を不合理と割り切るのは、作者には簡単だが、読者にとっては不親切な印象が拭えない。ただ、本作は、サスペンスを楽しむ時に味わう独特の緊張感を楽しみながら読んで、論理的な謎解きに立ち向かわなければ、一個の小説として楽しめるはず。
本作の背景を彩るのは、栗本さんの趣味が色濃く反映された世界。少女マンガ、コミケ&同人誌(当時はコミケット)、ロックミュージック、同性愛など、当時としてはかなり特殊なジャンル。現在ではある程度日本固有の若者文化として市民権を得ているとはいえ、まだ特殊な娯楽としての認知もされてもいない時代。そんな価値観に正面から正々堂々、これらをぶつけた先見性(冒険心?)は栗本薫の凄さであり、またこのことがカルト的な人気に一役買っていると思われる。なにせ、二十年以上も前のことだ。

「単なる学生」からそれぞれの、そして独特の道へと主人公らが動き出したことによって、強く感じられた時代性は少し喪われてしまったかもしれない。それでもやっぱり三作目まで読んでみよう、という気分にさせられるのは、等身大の若者の純粋な気持ちに心を動かされるからか。


00/02/19
戸板康二「黒い鳥」(集英社文庫'82)

戸板康二の「雅楽もの以外」収録の短編集。'60年から'63年にかけて発表され既に単行本に収録されたことのある作品が集められている。母体は'63年に文藝春秋新社より出版された『いえの藝』か。

リサイタルで観客の女性が毒殺された。視力が自慢の歌手はその女性に毒を渡した男の特徴が見えていた『歌手の視力』
老人ホームから縁もゆかりもない金持ち宅に引き取られた老女は、不思議な厚遇を受けた。その理由とは『隣りの老女』
劇場の老人が新年会の席上、毒殺された。父親に似ていた彼に好意を持っていた女中がその謎を推理『隠し包丁』
裕福な劇作家の伯父に遺産継承を頼みに来た甥は、伯父を転ばせ首を絞めてしまう。偶然アリバイが出来るも九官鳥は見ていた『黒い鳥』
葬式の名人ということで嘱託勤務する老人が自宅で毒死。彼に親しみを感じていた女性が人間関係から推理を巡らす『いえの芸』
何事も兄貴分に負けていると思いこんでいる男が、宝石泥棒仕事で鼻をあかそうと先にアパートに忍び込むが『鼻の差』
喧嘩した相手が死んでしまった労組の役員は、何者かが彼の無罪立証を邪魔立てしているように感じる『善意の第三者』
仲の悪い二人のヒロインのW主役で始まった劇。突然の主役交代があった日、一人の放送ライターが毒殺された『マチネーの時間』以上八編。

文章は硬くとも、心の綾がその奥に見えるのが戸板ミステリの魅力
元々、戸板氏の文章は硬質である。本作収録作品では、ぎこちなさと時代性がそれに加わり文章の読みにくさ故に引っかかるところが散見された。解説の中島河太郎氏は氏が「乗りに乗っていた」時期の作品、と解釈をされてはいるが、本当にそうなのかは、多少疑問を感じる。また本作では殺人など、生々しいテーマの作品が多いせいせいか、戸板氏の作品から滲み出る不思議な優しさが、単純には見えにくい。ただ、その優しさは「見えにくい」だけ。実際にはきちんとくみ取んで読めば「心に残る作品」が揃う。そしてそれが、戸板作品の良さ。
探偵役はまず、ミステリとしての「謎」を解く。そして、更にその背後にある「人の心」まで解いてしまう。 それは動機など単純なものでなく、言わば、登場人物の心の綾のような存在。例えば親子の愛情、隠された心情、そういった事件そのものが成立するに至った心の動きまでを、読者の前に引っ張りだした時、それは「心に残る作品」となる。戸板作品で得られる最大の感興もそこ、つまり事件の裏側にある人々の心情にある、と断言してしまいたい。
後に「日常系ミステリの元祖」とまで呼ばれた氏だが、本書を通読するに冒頭述べたように、具体的な刑事事件ものが目立つ。毒殺が多いのが特徴なのは、やはり暴力的なシーンに抵抗があるからだろうか。(毒殺が暴力的ではないとは言わないが)ノン・シリーズ短編集だけにそれぞれ、探偵役は異なるし、また探偵役そのものが登場しない作品もあるが、狙いが共通しているところは面白い。

入手し易いとは言い難いが、全く見つからない本でもなく、かと言って必死で探すほどでも(戸板作品集なら必死で探すべき本は他にある)ない。私の判断では、戸板の良さが分かる人には分かる作品集、というレベルのように思う。


00/02/18
小池真理子「恋」(ハヤカワ文庫JA'99)

小池さんが第一一四回の直木賞を受賞した記念すべき作品。「ハヤカワミステリワールド」の一冊として'95年に上梓された単行本の文庫化。

1972年の冬。当時女子大生だった矢野布美子は連合赤軍の浅間山荘事件が進行しているすぐ近くの軽井沢の別荘で、電器店員を猟銃で射殺、更に別荘の持ち主、大学助教授の片瀬信太郎に重傷を負わせたことを警察に自首した。彼女は裁判で十四年の懲役刑となり、模範囚として出所後、カレー屋の店員としてひっそりと働いていた。事件から二十数年後、ノンフィクションライターの鳥飼は事件に興味を持ち、彼女との接触を図ろうとするが様々な壁に立ちはだかられる。ところが布美子は病魔に襲われ入院、余命を悟った彼女は鳥飼に事件の全貌をようやく少しずつ語り始めた。学園闘争に倦み、片瀬助教授夫妻の元に翻訳の下訳のアルバイトに通ってい始めた彼女が経験した様々な出来事。それは奔放な夫婦生活を送っていた片瀬家との奇妙な交わりであった。

オトナが回想することで厚みを増す、耽美的で刹那的な青春幻想
一応、一人の女性が射殺事件を起こすまでの展開を綴った犯罪小説の体裁。「なぜ彼女は一見無関係に思われる電器店店員を射殺したのか」「片瀬夫妻の奔放な性生活の理由は何か」を始め、いくつかの謎もあり、当然ミステリとして読むことも出来る。それでも、全体を通して読んで私は青春幻想をモチーフとした一種のファンタジーのような印象を強く受けた。
奇妙な夫婦関係の魅力的な二人と知り合うことで彼らに惹かれていく主人公。学園闘争の時代、同棲していた男と別離した時、そもそも価値観のはっきりしない女子大生、という時期。そのくたびれた感性に飛び込む「お金持ちなのに嫌みがない」「人間的魅力に溢れている」「独特の男女関係観を持つ」「知的で優雅な生活」……今まで彼女が暮らした、がさつで荒んでひたすらに生活感漂う、現実的な世界とは全く異なる基準の中で生きる夫婦。彼らの魅力の虜となる主人公は、彼らが織りなす「異世界」へ憧れ、そして「異世界」に取り込まれていく。結果、彼女が体験するのは、彼女にとっての「日常」という現実から遊離したファンタジーの世界。居心地が良く、楽しく、自分自身の人生のランクが上がったかのような錯覚。自分自身は何も持たないことを忘れ去り、若さゆえに手に入ると誰もが(そう、誰もが)一時夢想するシンデレラ・ストーリー。この遊離感覚。ファンタジーの持つそれとよく似ている。
本作が物語としての緊張感を増すのは、一旦積み上げたその幸福な世界をぶち壊してしまう部分。しかし、これこそがまた、青春が必ずぶつかる現実でもある。その結果、憑かれたように突っ走っていく主人公。小池さんが本書の世界をじっくりと育てたのは、この「若さに取りついた憑物」をも巨大化させるため。そしてこの憑物はある青春の一時期、誰もが身体の中に宿している。

さすが直木賞受賞作といった迫力は充分に感じられる。「小説」としての完成度の高さは素晴らしく、リーダビリティも高い。ミステリとしての評価はとにかく、自分の青かった頃が思い出され、じんわりと心に残る小説である。


00/02/17
幾瀬勝彬「遠い殺意」(春陽文庫'77)

'70年『ベネトナーシュの矢』にて第十六回江戸川乱歩賞最終候補(この作品は後に『死を呼ぶクイズ』として同文庫より日本初の文庫書き下ろしとして発表)になった筆者の第三長編。氏にはノンフィクションの戦記作品もあるらしい。

西北大学の心理学の教授、光本は教え子の外村笙子の婚約者、川北克己より自殺した父親の死因を一緒に調べて欲しいという依頼を受けていた。父親、川北弥吉は当時ノイローゼ。戦時ラバウルに駐屯しており、その時代と関係有るらしい意味不明の言葉が自殺の鍵と思われた。ところが、克己は父親の戦友を訪ね歩いていた最中に消息を絶つ。光本は協力者である新聞記者の保川から、川本が当日訪ねるはずだった男が、故意に轢き逃げされ死亡していることを聞かされる。その男、高間は事切れる前に「ヌーメア通信隊」という、こちらも謎の言葉を残していたという。また保川は、彼らが戦地から引き上げてくる復員船から、一人の男が消えた、という情報をも光本に知らせる。果たして川本弥吉の身には何が起きたのか。そして川本克己の運命は?

戦争の内側に居た人しか絶対に書けないミステリ形式のドキュメンタリー
少なくとも本格ミステリではないし、一般的なミステリという範疇からもかなり逸脱した作りの作品。それでいて「面白いかどうか」という質問がされたなら、私は「結構面白い」と答える。
謎のとっかかりは(失礼な表現ながら)バカミスとも思えるスタートの切り方である。ノイローゼで自殺した父親の残した三つの言葉「(歓喜の叫び)ウワーッ!畑に命が豊作だッ!」「(悲痛な声で)空きカンの山だ。豚とカニ!」「(恐怖に満ちて)満員電車!人が人を殺す!!」これらの謎を関係者が真剣に解き明かそうとすることから始まる。いかにも春陽B級ミステリ的展開、言葉のアホらしさに含み笑いを浮かべてしまう。なのに物語が進むにつれ、徐々に口元は引き締めざるを得なくなる。
これら言葉が暗示するものは、戦時中、真っ先に連合軍の徹底反撃に曝され、玉砕も出来ずに孤立したラバウルの悲惨な状況。その真意が浮かび上がるにつれ、当時の深刻さが浮き出され、こちらも居住まいを正さざるを得なくなる。本物の持つ迫力が気づくと物語を支配しているから。謎と論理という意味での評価は正直難しいが、戦争告発の意味合いで興味深い作品だと言える。

どうも本作は「これが幾瀬だ!」と決定し得る作品ではないようである。それにしても幾瀬初対面でこの作品を読むことが出来たのは幸運であったように思った。ミステリ的感興はないものの、戦争をテーマにした読み物としての手応えは十二分。


00/02/16
鮎川哲也(編)「本格推理マガジン 硝子の家」(光文社文庫'97)

光文社文庫より発行されている「本格推理」シリーズの特別編として編集された”文庫の雑誌”。収録作品の発表年が古いにも関わらず'98年度の本格ミステリベスト10で堂堂の7位を獲得した。

第一部として旧『宝石』などに掲載され、現在に至るまで単行本未収録の「幻の名作」三編を収録、第二部は付録。
長編)島久平『硝子の家』私立探偵の伝法の前に現れた若者は「叔父を殺す」と宣言。その完全犯罪の商人として硝子会社の社長である叔父が住む「硝子の家」に同行するよう強く求める。果たして伝法の訪れた翌朝、僅かな隙に社長は密室の中で殺されてしまう。犯人は分かるが証拠がない、と言う伝法だったが第二、第三の殺人も発生する。
(中編)山沢晴雄『離れた家』金融業者の唯一の遺産相続人が疑われる。一方、車で十五分以上離れた二軒の家の間で、一軒で人間が消失し、別の家でその人間が現れる、というマジックが行われていた。ところが登場した女性が殺されていたため、話は混迷。最初の事件とどう繋がるのか?
(短編)天城一『鬼面の犯罪』芸術家と結婚した会社社長は、自らの家格を重んじ不気味な鬼面を重宝していた。その主人が殺され、それを目撃した妻は「鬼が殺した」と捜査陣に執拗に主張する。
第二部として『ヴァン・ダイン探偵小説作法二十則』『ノックス探偵小説十戒』『山前譲必読本格推理三十編』が収録されている。

ただひたすら純粋に、埋もれていた幻の傑作を楽しむべし
「明日の作家をめざす人には、まさにバイブルとなる一冊」と編集部が冒頭述べている。が、しかし。本書を読むことで得られるものは「昨日の作家をめざす人」に有用なものかもしれないが、今後の新しい創作を試みるためのヒントとするにはちょっと方向性が異なる気がする。本格の基礎という意味では多少は役に立つのかもしれないが。その代わり、収録された三つの作品のレベルが非常に高い。こちらを純粋に楽しみたい方が手に取るべき本という印象を受けた。
『硝子の家』。冒頭から登場する探偵と奇妙な建物、そして密室殺人に最後の絵解き。動物園など、読者を煙に巻くような寄り道がまた楽しく、探偵小説の王道が楽しめる作品。 一方『離れた家』では、論理でガチガチに構築された不可能犯罪トリック(種はあっさりばらされる)の更に上に、超論理で構築された家が建っている。加筆集成された上でまだ、文章がその論理性のゆえか固く、読み物としてより論理パズルとしての快感が強い。『鬼面の犯罪』は天城氏の解題とは異なるが、短編の中を横溢する妖しい雰囲気に私は強く惹かれた。
第二部は何故、今更掲載されるのか、意義が不明。そのまま現代の本格ミステリに当てはめるのは不可能だろうし、最低限それぞれに対する現代流の新解釈が必要ではなかったか。また、山前氏の必読リスト30冊。セレクトは面白いがマニアに薦めるにしろ、趣味が入りすぎでは?

「この本は読むのが義務だ!」と、ある方に指示されていた、私の数ある課題本の一つ。なるほど、三人の作者によるスピリットの溢れ出すような傑作揃いでありました。


00/02/15
近藤史恵「演じられた白い夜」(実業之日本社'98)

近藤史恵さんのノンシリーズの長編。一見真っ白いカバーなのだがよく見ると透かしのように入っている雪の結晶の模様がお洒落。

劇団ガソリンボーイズの主宰者、神内匠は「配役によって見破られることのない本格ミステリ劇」を作るため、様々な他分野から俳優・女優をスカウト。人里離れた冬のロッジにて劇の練習を開始する。神内の妻である麻子は、舞台監督の水上の車でそのロッジに入り、出演者と対面する。芝居は初めてという音楽家、舞踊出身の女性、テレビや映画の女優、広告関係のモデル、女ばかりの劇団の主宰者など、個性が強く競争心の強い彼ら。翌日より開始した練習では、一日毎にその日練習する一部分のみの台本が渡され、先の見えない登場人物の気持ちに成りきることを出演者に要求された。もちろん結末は神内しか知らない。劇名は「マウス」。インターネットオフ会で孤島に遊びに来た男女が、外界との連絡手段を失うなか、殺人事件が発生するというもの。劇中で一人の女性が殺された翌朝、その役の女優が雪の降る庭で首を吊って死んでいた。

真っ白い雪の中に広がるモノトーンの事件、モノトーンの感情
一歩間違うと古臭いゴシック本格になりかねない「雪の山荘」もの。もちろん、「外界と隔絶された場所で発生する連続殺人」は処女作『凍える島』に続く普遍的テーマで、本格ミステリで最も困難でかつ魅力的なテーマではある。
しかしこの作品から受ける印象からは「挑戦」といった気負いは感じられない。寧ろ、説明の必要の少ない定型的な舞台を使用することで登場する人物たちの一瞬を浮かび上がらせようとしているかのようでもある。ミステリとしては作品内現実の事件と、劇で扱われる事件の二本立て。一種の見立て殺人と思わせておいて、二つの事件の真相は上手く雪の中に埋めてある。その内容に似合わず、余計な装飾、過剰なエピソードを廃しシンプルに徹した文体。ミステリとしては素っ気ないくらいだ。ただ失礼な物言いながら、この作品で近藤さんが描きたかったのは、やはり謎の真相を暴く時の驚愕よりも、人と接していながらも孤独に苦しむ登場人物達の姿ではなかったか、と思える。
周知のことだが「女性」を描かせると、近藤さんは抜群に巧い。どこにでもいる普通の女の子が、誰もがどこか隠し持っているエキセントリックな感情(人よりわずかに強い嫉妬心であったり、虚栄心であったり、自制が外れやすかったり……)これを紙の上にさらりと引き出してしまう。一見、極端にも感じさせられる性格付けが、実は作中人物に限りないリアルさを付加するための大きな武器となっている。更にそのリアルは「さらり」と流され、不思議な透明感さえも漂わせている。怒りや妬みや愛情という色つきの感情、近藤作品内ではこれに起伏があっても揺れが無く、色がない。本作では特に背景となる雪の山荘と彼女たちが相まることで、その白さ――純白でもないけれど、色もない――が強調されている

ミステリ部分にも手抜きはなく、短めの作品の中に沢山登場する人物たちも整理されている。そして本作でもまた近藤さんは、特殊で普遍的な「愛のかたち」を唄い上げている。決して続編はないだろうが、心に残る作品である。


00/02/14
笹沢左保「求婚の密室」(光文社文庫'84)

元はカッパノベルスより'78年に刊行された作品。笹沢氏は、デビュー直後独自の新本格系(現在呼称されているものとは別)作品を中心に執筆していたが中期より「木枯らし紋次郎」をはじめとする時代小説や一般小説に軸足を移していた。そんな中、久々に本格ミステリに戻り、氏が初めて挑戦した「密室もの」が本書にあたる。

子連れのルポ・ライター、天知昌二郎は女優の西城富士子に、父親の主催するパーティに是非出席して欲しい、と依頼される。天知は彼女の大学教授の父親が女子大生に暴行を働いたという噂が立った際にその火消しで裏から手を回した関係より快諾する。富士子は親の反対を貫いて女優になった経緯があり、その際の条件が、親の決めた相手と結婚すること、であった。その富士子の婚約者二名がパーティに出席、彼女は結婚相手を決めなければならないのだが、彼女は天知に想いを寄せていた。軽井沢で行われたパーティには西城家の親族、婚約者二名の他、招かれていたのは暴行事件に関連して訴えを起こした側や、教授を弾劾した側の人間ばかり。その陣容には天知も訝しさを覚える。最初の晩が終わり、翌朝になって西城教授夫妻が離れの地下室で服毒死体となって発見される。床に残された「WS」の文字、そしてコンクリートと鉄の扉に閉ざされた完全なる密室。果たして真相は?

2時間ドラマ的枠組みの中に聳える本格密室
物語の外枠、筋書きそのものは男女関係、利害関係入り乱れた人間関係の中にに咲く悲劇的なロマンス、と言い切れる。テレビの二時間ドラマで語られるような分かり易い登場人物(権力志向の大学教授、不倫に溺れる主婦)分かり易い事件(暴行スキャンダル、遺産争い)、分かり易い舞台設定(軽井沢の別荘)。これらの点、社会派と言うほどのことはなく、逆に想像力の枯渇?に正直失笑を禁じ得ないレベル。
そのため、安易とも思える舞台の上に完全とそびえ立つ「密室」という存在が大きくクローズアップされる。内側から完全に南京錠で施錠された地下室。扉の鍵は地下の排水溝。手の届かない高さにある天窓。そして中で毒を飲んで死んでいた夫婦。この密室の創作方法、断言出来るのか分からないが独創的であることは確かで、その真相が明かされた時の衝撃はなかなかのもの。犯人がその犯罪を犯すに至った心理的プロセスも、実は「2時間ドラマ」的内容の中にきっちりと伏線で張り込まれており、巧さを感じる。そう、小説的に他の部分を密室が完全に圧倒している作品なのだ。登場人物などは読んで暫くすると忘れてしまうかもしれない。しかしこの密室トリックそのものはちょっと忘れられないのではないだろうか。

この作品の密室トリック、これがミステリの祖と呼ばれる作品と何か通じるものを感じるのは、感傷が過ぎるだろうか。いずれにせよ「密室」の存在の大きさゆえに後世に伝えられる作品となっているように感じた。


00/02/13
高原弘吉「未完試合」(春陽文庫'79)

謎宮会周辺者局地的ブーム「高原弘吉」&ワタシ的ブーム「野球ミステリ」の両方のテーマを備えた作品。高原氏に関してはよく分かりません。

プロ野球チーム、フェニックスのスカウト、宮永はバレーボール出身の全く無名の男、梅村に限りない投手としての才能を見出した。梅村は裏金で彼を縛り、わざと地方の西稜大学の野球部へ入れた。ところが限りない才能の片鱗を見せ始めた梅村に他球団が目を付けはじめた事を知り、宮永は執拗く梅村と接触する。一月ほどして、九州の地方新聞の記者が福岡市の公園内で死体となって発見される。死体の側にはカメラがあり、旅行記のような内容のフィルムが入っていて、その最終撮影場所は鹿児島であった。県警の神谷警部補はこの事件を再構成するため、被害者の足取りを追う。死んでいた荒木は、近々大金が入る、と豪語しており、どうやらそれはプロ野球絡みのことらしかったのだが、関係者は全くそのことを認めようとしなかった。

ちょっと何だかな、のアリバイ崩しもの
題名には「サスペンデッド・ゲーム」、と副題が付けられているつまり中断して日付を改めて行われるゲームのこと。プロ野球の正式用語が使用されていることだし、これは野球ミステリに違いない、と読み始めた。ところが。冒頭は案に違わず野球的展開。超A級の実力を持ちながら、全く無名の選手をスカウトしようと画策する男の話から。野球っぽい。彼に対しどんな計画がどんな駆け引きが成されるのか?
……と期待して読み進んだところが、発生した一つの殺人事件を皮切りに事件はどんどん彼から彼の周囲の人間達、更にどんどん無関係なところへと離れていってしまうのだ。この事件も福岡市内の公園で一月前に扼殺されたらしい死体を巡るもの。一ヶ月前の関係者のアリバイを巡って刑事が靴を磨り減らして調査する部分が多数を占める地味なミステリへと変貌を遂げる。次々と登場する魅力のない脇役。今ひとつ特徴のない探偵役。この捜査過程が退屈。中心になるのは写真を使ったアリバイトリックなのだが、事件に対して犯人がアリバイトリックを仕掛ける行動そのものが「?」なだけに、どうしても没入することが出来なかった。構成と背景を見直し、個性的な登場人物を増やせば、まだ読める作品になっていたのであろうが、仮にそうであっても余りにも必然性を無視した内容には不足感の方が大きいに違いない。特に舞台とトリックの関連性が全く見あたらないのが致命的である。

高原弘吉という昭和のマイナー作家の初体験としては誠に残念ながら、特筆するほどの感興を得ることが出来なかった。まだいくつか積ん読で抱えているので、高原弘吉という作家の自分的な判断は、それらを読み終えてから、ということにしたい。


00/02/12
日影丈吉「ふらんす料理への招待」(徳間文庫'85)

徳間文庫にてこの時期再収録されている日影作品のうち残り全てが推理長編でありながら、一冊だけ異彩を放つ料理エッセイ集。'71年に発行された『フランス料理の秘密』文化出版局と、'76年『ふらんす味遍歴』ロングセラーズを編集して作られたという。

フランス料理の概説を語る「フランス料理とは」、西洋野菜の来歴とその種々の食べ方について語る「玉ねぎのミイラ」、牛や豚の肉の話とステーキについて「ヒレ肉の発見」魚料理「人食い魚の生贄」米をはじめ穀物関係について「炒飯の好きな英雄」、料理人の心意気など雑学「チーフさんのハラキリ」、料理での作法について語る「レストラン通い虎の巻」、意外と知られていない食器など「サービス革命」、郷土料理に関する「かたつむりのお化け」、以下ショートエッセイ「フランスの魚料理」「野鳥の季節」「世界の鯉料理」「日本人の舌は繊細か?」「カレー漫考」「ワインのことなど」、あとがき代わり「料理随筆由来記」以上より構成される。

ああ、美味しいビーフステーキが食べてぇぇぇ!
この本、表紙を取っ払って中身が女性週刊誌か何かに入っていたら、絶対に日影丈吉著だとは分かるまい。いやいや、単行本で著者が隠されているだけでも分かるまい。それくらい……料理のこだわり&料理に纏わる雑学、蘊蓄が込められた完全なるエッセイ本、なのだ。もちろん、日影氏が作家になる前に、料理の勉強をしていたとか、料理に関する著作が数冊あると知っていたとしても、実際に読んでみると驚かされるくらいに、日影色が出ていない。
でも、それがまたミステリに毒された頭に新鮮なのか、それとも日影丈吉が巧いのか。妙に頭の中にぐいぐい食い込んでくる。料理について語っていたかと思えば、中世の歴史に話が飛んだりと脱線も多く、効果を計算した文章で知られる日影氏が本当につらつらと思うがままに筆を走らせたのでは、と感じる。但し、本書自体のエッセイとしての評価は、私自身この分野に非常に疎いので保留にしておきたい。さすがにこなれた文章だとは思うけれども。
更に執筆された年代が年代である。元本となった作品は二十年以上も前に出版されたもの。この間に「フランス料理」という言葉に対する日本人独特の「気構え」みたいなものは薄れて来てはいるものの、それでも年輩者中心にまだどこか「信仰」に近いものを持っておられる方は存在するはず。その構えた部分を少しでも解きほぐそうと試みる、日影氏の口調が何とも日本人として嬉しい。

……ということで、日影丈吉のミステリとは何の関連もありません。 従いましてミステリ愛好家は別に読む必要は全くないのでは、と思いますし、私の知る範囲での日影作品との関連性も薄いように思います。好事家向け、でしょう。


00/02/11
北森 鴻「花の下にて春死なむ」(講談社'98)

元々表題作は単発作品として第49回の推理作家協会賞短編部門の候補作品であったのが、単行本にまとめられ第52回の同賞を見事に受賞することとなった。『創元推理』などに発表された作品に書き下ろしを加えた連作短編集。

東京は世田谷区、三軒茶屋にある隠れ家的ビアバー、香菜里家。人当たりのいいその店のマスター、工藤が常連客と共に、持ち掛けられたちょっとした事件や謎に推理をしていく物語。
孤独死した俳人の日記を元に、彼が隠していた故郷の謎に迫る女ライター七緒『花の下にて春死なむ』
駅の本リサイクルコーナーの時代小説に挟まれていたモノクロの家族写真『家族写真』
いつの間にか全てが剥がれてしまったカメラマンの個展の宣伝ポスター『終の棲み家』
三軒茶屋周辺の子供だけに蔓延する赤い手をした殺人者の都市伝説『殺人者の赤い手』
回転寿司屋で三日続けて鮪だけを七枚、八枚、七枚と食べる男の真意は『七皿は多すぎる』
七緒が書いた俳人の記事を見て連絡してきた鎌倉の男。俳人は鎌倉で何をしていたのか『魚の交わり』

感動の上に論理を被せて感動で包み論理でデコレート。”マスターのおすすめ料理”
北森氏の料理好きは一部では有名。本書に登場するビアバーで供される「おつまみ」のなんと美味そうなこと。 既存の食べ物に工夫や取り合わせという一手間を加えることで、何とも魅力的な料理が出来上がる。活字だけでそう思わされる、巧さ。そして同じ料理人が手がける、この「作品集」もまた何とも魅力的な料理となって読者の前に差し出される。
客の持ち寄る謎。何故彼は素性を隠していたのか。本の間に大量に挟まれた写真は何か。最初の味がある。これに客自身の解決、工藤による示唆、いずれにしろその謎に込められてた人の想いが露わにされる瞬間。まずは料理人の狙った次の味が出る。そして作品によっては、その想いの裏にある別の解釈も示唆される。これが、絶妙の隠し味。この隠し味の存在で単なる連作短編は芸術的ミステリ作品と昇華していく。
自由律の俳句を散りばめ、風情と老人の孤独、女性の不思議な愛情を絡めた表題作は確かに見事。しかし、私にとり、この作品集の中で最も印象に残りかつ完璧だと思われたのは、書き下ろしにあたる『終の棲み家』である。自らを賭け多摩川の写真を撮ろうとウォッチングしていたプロカメラマンが、ふとしたことから出会った「自由生活者」夫婦。彼らは河川際に小屋を建て不法に生活をしていた。なかなか心を開かない彼らの写真を撮り続け、カメラマンは賞を取り個展を開くがその宣伝ポスターが一枚残らず剥ぎ取られてしまう……この事件に隠された心情、そして香りで締め括るラスト。心通じ合うとは、このような事を言うのか。最後の一行で涙を浮かべてしまった自分を決して恥ずかしいとは思わない。

協会賞受賞は伊達ではない。感動を求めるミステリ読みと論理の快感を求めるミステリ読みの二つのニーズが不思議なくらいマッチした短編集。誰が読んでも「気に入った」と言ってもらえる気がします。藤田新策さんの表紙にも味わいありGOOD。