MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)− 


00/03/10
戸川昌子「蜃気楼の帯」(講談社文庫'80)

'67年に読売新聞社より書き下ろし・新本格推理小説全集の一冊として刊行された作品。(もちろん「新本格」の意味は現在と異なる)

フリーのアナウンサー、藤野絵里子は米国のAD放送より依頼され、黒人VIPへのインタビューのためにアフリカに向かっていた。同じ飛行機には米国の大学に所属する日本人の人類学教授、古瀬谷も搭乗している。彼はゴリラの研究のフィールドワークをするためのコンゴへの旅程の最中。彼らが降り立ったアフリカの某国の大使館員として八田一郎が駐在していた。独身の彼はスチュワーデスを恋人に気ままな生活を送っていたが、習慣の海水浴の最中、潜水艦とヘリコプターのランデヴーを目撃、直後にビニール袋に包まれた箱が漂っているのを発見する。その箱からはゴリラの右の掌が。その日、クーデターが発生、安全確保のため絵里子の元を訪れた八田は彼女と一夜を共にする。目的地に向かうため、再開された空港に赴いた絵里子は見知らぬ黒人男性から箱を押しつけられる。その中にはゴリラの左の掌が。ゴリラが不思議な縁となって、三人の運命は静かに回り始める。

エキゾチックなアフリカを舞台に美しく繰り広げられる陰謀の世界
戸川昌子の小説には「色」がある、と言い、私の目からウロコを落としたのは葉山さん@謎宮会。もちろん、そのような視点で捉えれば、本書にもいくつもの「色」が印象的に使用されている。しかし私は、本書に関してはそれだけでは表現しきれない程の、深い世界が味わえるように思えた。例えばねっとりと絡みつくような熱帯の暑さ。外国人の脇を通り過ぎる時に一瞬だけ仄かに立ち上る香水の薫り。クーデターを起こす兵士が醸し出す異常なまでの緊張感。人間の持つ多様な感覚を様々な形で物語中に取り入れ、彩りを感じる視覚のみならず、他の感覚器官や第六感まで全てを投入し、色の褪せた数十年前の天然色映画が持つような雰囲気――胡散臭さと言ってもいいかもしれない――を造り上げているように感じられるのだ。
アフリカのVIPの異常な状況下での失踪を巡るミステリ部分も確かに独創的で面白い。しかし本書は題名の通りに蜃気楼の立ち上る世界の中で、価値観の変動を余儀なくされる男女の姿に重点が置かれているような気がしてならない。広義のスパイ(謀略)小説という見方も確かにあろうが、趣向を凝らし、描写に凝った舞台の中で繰り広げられる「物語そのもの」に深い味わいを感じる小説だ。

現在、本作は入手がそれなりに困難なはずですが、版も重ねられており、郊外型古書店を回ればいつか巡り会うことの出来る作品かと。戸川昌子の作風の変化の端境期に産み落とされた傑作。


00/03/09
宮部みゆき「本所深川ふしぎ草紙」(新潮文庫'91)

元本は'91年に新人物往来者より刊行された宮部みゆきの三冊目の時代小説短編集。本書にて吉川英治新人文学賞を受賞している。

両国橋の北にある掘留に生える芦の葉はどういうわけか、片側にしかつかない『片葉の芦』
夜道を独り歩きしていると、つかず離れず、提灯が浮くようにして後を尾いてくる『送り提灯』
本所の錦糸橋付近で釣り人が聞く「置いてけ」の声。家に帰って魚籠を見ると空っぽに『置いてけ堀』
松浦豊後守の上屋敷にある椎の木は、秋の落葉の頃になっても一枚も葉を落とさない『落葉なしの椎』
夜中にどこからともなく聞こえるお囃子、しかし朝になるとどこにもそんな家はない『馬鹿囃子』
天井を破って「洗え」の声と共に現れる大きな足。丁寧に洗えば福が来る『足洗い屋敷』
ある蕎麦屋の行灯の灯がいつも同じように燃えていて消えたところを見た者がいない『消えずの行灯』
以上は本書のモチーフである「本所七不思議」

時代作品で宮部さんが描くのは「人情」だけでは割り切れない「様々な感情」
上方、あえて粗筋でなく「七不思議」の内容を記してみた。それぞれかなりハードな怪異現象からちょっと奇妙な自然の悪戯?まで同じ「不思議」でありながらレベルとしては色々あるように受け取れる。本書はこれら「本所七不思議」を絡めて作られた物語である。
仮に、別の作家がこの「七不思議」をテーマに短編集を作ったら、ほとんどの作家が怪異をベースに「怪談」にしてしまうだろう。人によっては、その怪異に解釈を加えて捕物帳風のミステリにしてしまうかもしれない。そのテーマを使いながら、宮部さんは全く異なるアプローチで「七不思議」を料理する。ジャンルミックスに近い形で人情譚を主に、ミステリや怪談の部分を大胆に従にして印象的な「物語」にしてしまう。そしてその江戸を舞台にした人情小話も、決して感動を安売りするものではない。悪人も偽善者も元悪人も根っからの善人も登場、主人公に様々な形で関わっていく。その結果。物語の始まりと終わりで必ず、主人公の成長が見られる。様々な感情と向き合うこと。ぶつかること。負の感情を持つ人間が正の感情に転ずる瞬間。中途半端でなく、徹底的なカタルシス(良くも悪くも)を物語中に埋め込むことに成功している。

宮部みゆきの最もポピュラーな時代小説集。賞を取ったのは宮部さんの才能だが、作品内の主人公達それぞれの成長に感動する日本人ならではの「感情」が、この小説世界をしっかりと下から支えている。ロングセラーになることが約束されている小説だろう。


00/03/08
二階堂黎人「名探偵の肖像」(講談社ノベルス'99)

海外の古典海外探偵小説にこだわりを見せる二階堂氏自ら手がけた、パスティシュを中心とした作品集。またJDカーに関する芦辺拓氏との対談、及びカー長編の全作品レビューが収録されている。

アルセーヌ・ルパンものパスティシュ。修道院に盗みに入り忽然と消えたルパン。後に彼はガニマール警部にその一部始終をの告白する『ルパンの慈善』
鮎川哲也、鬼貫警部ものパスティシュ。現代に甦った鬼貫、丹那が容疑者が使うデジカメを使ったアリバイトリックに挑む『風邪の証言』
SF。西暦2140年、一年に一日だけ冷凍睡眠装置から甦らせられる男は、性欲を解消すべく女性を呼びつけた『ネクロポリスの男』
古本ジョーク小説。古今東西あらゆる種類のミステリの本を読ませる「読書ラン」では「読むリエ」が本を薦めてくれる『素人カースケの世紀の対決』
カーのH・Mものパスティシュ。赤死荘で事件が起きると聞き、張り込んだマスターズは館で謎の殺人と死体の消失を目にする『赤死荘の殺人』
「対談 地上最大のカー問答 芦辺拓 x 二階堂黎人」
「随筆 ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」以上により構成される。

作者にとって本気の遊びだからこそ、読者にも楽しい
二階堂氏が自らの古典探偵小説への偏愛、そしてマニアぶりを完全に全開にし、各作品それぞれ楽しみながら執筆したことが本書の端端から窺える。ルパン、鬼貫、カーの三人の探偵を主人公としたパスティシュ。恐らく訳文の雰囲気(訳者のクセ?)までも写し取ろうとしている努力。探偵それぞれの持つ特徴に相応しく、かつ新しく作り出される事件。脇役や舞台に鏤められた作者の他作品も含むキーワード。これらを詰め込めるだけ詰め込んで、かつ熱心なファンも、初めて読んだ人も楽しめるように書かれた作品。つまり非常に凝った内容、ということ。自分の趣味が仕事の延長になる。これほど有意義で楽しいことはあるまい。いくら凝っても凝りすぎることのない世界。
当然、目標となるレベルは自ずと高くなり、少なくとも洋物に弱い私レベルの読者には、本作が本人の短編集に収録されていても、全く違和感を覚えることはなかっただろう。(鬼貫なら分かるけれど)
同じことが「対談」「随筆」にも言える。二階堂氏にしろ、芦辺氏にしろ、自ら愛する作品を語ることが「非常に楽しい」という雰囲気が伝わってくる。対談と随筆からは、カーに関しては歴史的に(特に日本で)不幸な歴史を持った人なのだ、ということを改めて認識。多少一方的な印象もあるのでこの論全体については、本当の「カーキチ」と呼ばれる人々の意見も生で聞いてみたい。
『素人カースケ……』は古書を中心とした楽屋落ちに評論家批判がミクスチュアされたユーモアタッチの作品。これは登場する人物のことを知っていたりするので、再読ながら爆笑。個人的にはこの作品がツボなのだが、古書に興味のない普通の読書家にとっては逆に全く受け付けられない両刃の剣かも。

まず、ジョン・ディクスン・カーのファンの方にとっては、絶賛するにしろ意見を言うにしろ、絶対に手に取るべき本。それ以外の方でも「カーってどんな作家なんだろう」と少しでも感じておられる人にとっては絶好のガイドになる。残りのパスティシュも楽しく、お得かと思います。


00/03/07
都筑道夫「闇を食う男」(天山文庫'88)

'85年にJOY NOVELSにて刊行された作品を文庫化したもの。シリーズ作品だが現在のところ本書一冊のみである。

500人を殺すまで死ねないという呪縛 ロスへの旅行中に謎の男に襲われ、正当防衛で相手を倒した普通の会社員「おれ」。相手の男は死ぬ間際にこう呟く「お前が五百人目だったのか」「やっと楽になれる、ありがとう」……彼が受けていたのは南米の邪神の呪い、人を五百人殺し続ける宿命……そのことを突き止めてくれた友人、浅野を、おれは早速自らの手に掛けた。その業を負ってからおれは金を受け取って、頼まれた相手を殺す「殺し屋」として生きている。引き受けた仕事は困難であっても報酬次第で必ず果たす。その評判に惹かれ、次々と依頼者がやって来ては奇妙な殺しを要求して行く。
序章『邪神の使者』、『赤い霊柩車』、『日曜の道化師』、『目撃者あり』、『出血大サービス』、『大雨注意報』、『にせ警官』、『壜づめの悪魔』以上の八編で描かれる、エロティカルバイオレンスの数々。

凄まじい迄の「業」、そして「おれ」は悪魔のヒーロー
主人公「おれ」の設定が物語の全て、と言ってしまって良い。と、いうのも「おれ」は五百人殺すまで死ねないので、牙を剥いた相手に向かっても痛められこそすれ、殺されることはない。警察に捕まると、拘置されている間は人が殺せず厄介ではあるけれど、決して絞首刑になることはない。彼が死ぬのは五百人殺した時。標的になる人物以外でもチャンスを見つけて殺してしまえば、それは「おれ」自身にとっての幸福に繋がる……。
暴力とエロティシズムに彩られてはいるけれども、この物語は本質的に「ヒーローもの」。もちろん逆説的に、ではあるが。どんな強そうな相手にも怯まず立ち向かい、どんな卑怯な罠をも乗り越え、どんなに痛めつけられても最後には勝利を収める。もちろん、悪逆非道な行いを生業とし、正義はおろか、義理や人情の感情も薄いとあっては、主人公は決して感情移入したくなるキャラクタではない。しかし紛れもなく、ウルトラマンや必殺シリーズといったくくりでは語り尽くせない、悪魔のためのヒーロー。 なかなかこのような冒険的な主人公を備えた小説にはお目にかかれまい。
残念なのは物語が途中から平板になること。本作品集では最終話らしい最終話で幕を閉じていないため、「おれ」が果たしてどうなるのか、という最も興味の湧く事柄について答えが与えられていない。いくつかの真相の想像が出来るようにしたのか、というとそうでもないようだし。また第二話から最終話まで「おれ」の性格は基本的に変わらない。どうせなら、徐々に「悪魔」と化していく様を徹底的に描いた連作短編集として味わいたかった気もする。

都筑道夫の文庫の中では近作にも関わらず、出版社のせいか比較的入手の困難な本。とはいえ、ここまで追う必要がある方は、都筑ホラーのファンなど、ごく限られているのではないだろうか。


00/03/06
井上雅彦(編)「異形コレクション5 水妖」(廣済堂文庫'98)

文庫書き下ろしの人気シリーズの五冊目。「水」や「水にまつわる怪物」を主題に二十三人の作家と三人の漫画家・イラストレーターが描き出す歪んだ世界。編集テーマにより「水が山河を削り、地下を流れ、大会に辿り着くように」並べられているという。

とはいえ、この人数の作品が並べられると一作一作から受ける感興はまた異なり、時に水の中で息苦しくなるように、時に水際で侵食の恐怖に怯えるように、時にコップ一杯の水から受ける狂気に驚くように、それぞれに別の持ち味がある。故に全作品に一口ながらコメントを付けたい。

朝松健『水虎論』 室町時代後半の荒んだ雰囲気と時代性が白黒の劇画の如くリアルに目の前に浮かぶ。
村田基『貯水槽』 貯水槽の中にいる子供を調教する男の歓喜と恐怖の渾然一体が読者を襲う。
加門七海『すみだ川』 甘美な夕暮れの河畔に訪れる斑模様の恐怖。望郷と郷愁と恐怖の三位一体。
田中文雄『水中のモーツァルト』 水中で曲を奏でる子供ピアニストという発想が高い幻想性を保持。
岡本賢一『濁流』 半ばトンデモ系のSF設定が狂気と混沌への見事な序曲となり破滅へと導く。
安土萌『水底』 (それ)の存在と子供の持つ無邪気さ故の狂気が一体となり現実を侵食する。
中原涼『乾き』 罪を犯した男の無限地獄が徐々に深みに入り込み狂気の淵へ落とされる怖さ。
草上仁『川惚れの湯』 何か分からないものに自分の領域が侵食され、狂気的に孤独な戦いを強いられる女性。
松尾未来『金魚姫』 フォークロアを現実化することで恐怖と共に切実で哀しい愛が込められた逸品。
早見裕司『月の庭』 子供世界をそれと知らさず支配する者。神の視点で見ることで得られる妖しい世界。
村山潤一『FAERIE TALES』 水の中に居る「者共」をイラストと文章で綴った不思議な味わいの作品。
山田正紀『溺れた金魚』 溺れるという行為の齎す窒息しそうな恐怖と呻きを「陸上」にて再現する。
皆川博子『断章』 最初から最後まで幻想の中にいる女性によるあくまで硬く美しい一人語り。
菅浩江『蟷螂の月』 カマキリと月という鮮やかな光景と女性との幻想的かつ崇高で繊細な狂気。
ヒロモト森一『Mess』 暴力とグロが一体となった「美しさ」さえ感じさせる人魚と人間の物語。
篠田真由美『還ってくる――』 イタリアの小島の美しい風物詩。日本人の理解を超える美しさが齎す恐怖。
南條竹測『魚石譚』 石の中に封じ込められた魚を巡る中国古典風味わいの深い幻想光景。
江坂遊『留奈』 怖い場所で怖い人間が怖いものと対峙し怖い事態に陥って怖い展開が予想される怖い小説。
奥田哲也『ウォーター・ミュージック』 自信を喪ったアーチストの唯一の希望が衝撃と共に喪われた時。
森真沙子『水の牢獄』 海で死んだ若い頃の恋人を偲ぶ女性が体験する切なく怖いラブストーリー。
井上雅彦『ほえる鮫』 水族館。この言葉の持つ意味を突き詰めて行くとこのようなことになるのか。
竹河聖『海の鳴る宿』 海辺の民宿で主人公が体験する山荘奇譚。忍び寄る「気配」による恐怖の妙。
倉阪鬼一郎『水妖記』 押し寄せる水の怪異と俳句とのハイブリッド。徐々に変質する精神が読者にも侵入。
菊池秀行『水の記憶』 短編ながらスケールの大きい主題、対比すべきは夢野久作か。
ヴィヴィアン佐藤『Zodiac and Water Snake』、各扉のイラストレーションは空山基。

同じ主題を描いても、作家のイマジネーションによりこれだけの幅が
題名が示すとおり、本作品集のテーマは「水妖」、つまり水と関連する妖しの者共である。人類は海からやって来た、と陳腐なことを言うつもりはないし、人間である限り水の恩恵を常に被らないことには生活が成り立たない、などというのも自明のこと。ごく身近に妖しい者が潜む、という魅力的な主題を各作家が様々な視点から捉え、様々な世界を創り上げている
それが逆にコンセプトという形で本書を語ることが出来ない、というウィークポイントとも言える。個々の作品は本当に面白い。特に倉阪鬼一郎『水妖記』の俳句形式によるイマジネーションの膨らみ、村田基『貯水槽』の嗜虐趣味の極みをメタを使って強烈に落とすところ、竹河聖『海の鳴る宿』、松尾未来『金魚姫』に見られる定型やお約束の世界から新しい恐怖を産み出すテクニックとか。篠田真由美や南條竹則の創る世界は、この作家にしか書けない、という煌めきが宿っている。しかしまた、ここまで書いて思う。これだけの世界が一冊にまとまっている、ということの凄さ。読み終わってトクをした気分にこそなれども、損をしたとは絶対に思わない。

人によって読書のテイストは異なる。もちろんホラーの世界においても。そんな中、これだけの作品数をまとめることで、必ずどれかが「各人のツボ」に入れる確率を飛躍的に上げた狙いは成功だろう。ホラーサイドの方は、シリーズの中から必ず一冊は読むこと。


00/03/05
草野唯雄「鳴き竜殺人事件」(角川文庫'82)

'61年に旧「宝石」誌に『報酬は一割』でデビュー。その後'68年まで雌伏していた草野氏は'69年以降に矢継ぎ早に作品を発表しはじめる。そんな'72年に『鳴き竜事件』として発表されたのが本作。

東照宮の薬師堂にあった歴史的遺産。「鳴き竜」と呼ばれたそれは、鏡天井に描かれた狩野安信の竜の絵の下で柏手を打つと、これに応じて天井からブルブルとあたかも竜が鳴くかのような奇音が発するもの。この重要文化財が不幸にして失火にて焼失、歴史的な価値を鑑み、S大学の森教授、水野教授を中心に再建計画が練られていた……。だが、計画が進行しはじめた頃、水野教授の元を訪れていた一人の女子大生が多摩川の河原で暴行された死体となって発見される事件が発生。生きた彼女と最後に会った水野教授のアリバイは成立、彼は彼女が以前痴漢に襲われ掛けたのを救ったことがあり、それが同じS大学の工学部助手の米満という男ではないか、と警察に進言する。警察でその話を聞いた黒木という警部は退職を控えており、彼女の首を締めていた縄の結び方が特殊だったことから、二十七年前に満州の戦場で起きた殺人事件を回顧する。

戦場の犯罪、象牙の塔の犯罪。過去と現在が巧妙に織りなす本格推理の妙
多少、物語の運びに強引なところがあるように思えた。一見事件と無関係の大学教授が進んで探偵役を引き受けたり、現実の暴行殺人を紐の結び方一つで二十七年前の事件と結びつけて考える男がいたり、暗躍する秘密組織より命令を受けたような男たちがたびたび登場したり。皆が薦める割りに陳腐な推理小説だな……などと不遜な感想をほぼ終盤まで抱きながら読んだ。
……が、これは単なる私の不明であることが最後まで読み通して分かった。多少強引な書き方をしないと成立しない「騙し」を主眼としたれっきとした本格推理小説であるが故のことだったのだ。物語の主役は連続殺人事件を追う素人探偵と、殺された妹の敵を討とうと張り切るこれまた素人の女探偵。獅子奮迅の活躍をし、ある人物を追い詰め、反撃される彼らの姿は強烈なサスペンス性を主体に描かれている。その部分だけ読むと多少冗長な感じさえある普通のサスペンスを主体としたミステリー(音引き)。それが作者の「騙し」のテクニックにより、本格推理へと変質してしまうアクロバットは、見事の一言に尽きるのではないか。アクロバットのきっかけはごくごく最初の部分に仕掛けられていたこと、そして題名さえその意味をきちんと持つこと……などなど読了後にそのテクニックに気付く仕掛け。
読んでいる最中に全く読者に気付かせず、読み終わってから前の方の頁を捲らす。これぞ作者の思うツボ。これが草野唯雄のミステリか! まだ最初の一冊を手に取ったばかりの私だが、このテクニックを素直に賞賛したくなる。この手そのものは前例も多い方法だと思うが、処理の仕方が非常に上手い。

他にも草野には代表作クラスの作品がたくさんあるという。また押さえたくなる作家を一人増やしてしまった。ちょっと時代は感じられるが、本格推理にはそのような背景を吟味する必要などない。作者がどのようなテクニックを使っているのか。それは手にとって確かめて頂く以外にないでしょう。


00/03/04
式 貴士「なんでもあり」(CBSソニー出版'82)

式貴士氏の文庫化されていない三冊の短編集のうちの一冊で、「奇想エロ」系の作品が集中的に収録されている。皆さん御存知の通り、私は本書をYahooオークションにて入手しました(^^)。カバーデザインがキレイですが、カバーの下の装幀が笑えます。

子供たちから赤いカメを救った男はカメと結婚して一心同体になってしまい、思い付く全ての超能力を手に入れる『なんでもあり』
気付いた時、自分の肉棒はゴムホースのように伸び天井を突き抜け上階に住むホステスの股間を狙っていた『壁抜けコップ』
頂点に達する時に思い描いた場所どこにでも数秒間のテレポートが出来ると気付いた二人は調子に乗って『翔んだカップル』
自分の望んだ男性の精子を距離を超えて自分の体内にテレポートさせることの出来る女性『夢精子』
顧客の夢の中で現実そのもののリアルなセックスを提供するビジネスは今日も大繁盛『夢で逢いましょう』
演劇部に入った新入部員女性と親しくなった男性は一人一人と姿を消していった。そして僕も『名器』
性交相手の女性が望んだままの姿に自分自身を変化させることの出来る男『変身綺談』
女子大生がアルバイトでストリッパーをしているうちに観客の視線に目茶苦茶に感じやすい身体に変化していく『視線』
自分自身の男性器を自由にテレポートさせることが出来るようになった男性は片っ端から女性を『秘航物体X』
他人と間違えられることの多い特殊体質の男は調子に乗ってガールハントに精を出す『マスター・キー』
愛の極限にある新婚夫妻は初夜の合体時に本当に溶け合って、両性具有の一つの身体になってしまう『ザ・カントマン』

まさに「なんでもあり」!しかしこれも式貴士文学の一つの真骨頂!
貴方が男性なら、血気盛んな十代の頃、妄想に耽った記憶がおありではなかろうか。ハッキリ言ってしまえばエッチな妄想、と言い切ってしまっていい。「自分に超能力があれば、あんなことこんなこと出来るのに」「究極の惚れ薬が出来たら……」「魔法のランプが三つの願いを叶えてくれるとしたら……」「うはははは」それが性的な事柄に結びついてしまう時期、というのが必ずあったはず。(ここで強調しておく)
年を取って様々な経験を積むうちにそれらは他愛のない妄想として忘れ去ってしまうもの、だと思うのだが、私の知る限り、この一種幼児性さえ残るこれら他愛のない「性的妄想」を色んな形で保持し続け、年を取ってから実際に物語世界に再現してしまった作家が三人日本にいた、と思う。(それ以上は思いつかないのか知らないだけかもしれないが)それは、江戸川乱歩、山田風太郎、そしてこの式貴士、である。
 前置きが長くなった。本書に収録されている各短編、まさに「健全な青少年の不健全な妄想」がベースになったような作品なのである。他の作品集でも多少はその発想の作品はあった。しかし、本書では全編「他愛ないエッチな空想の現実化」のオンパレード。ここまで開き直られてエロ作品ばかり収録されていると、愉快を越えて、爽快でさえある。その理由は、私が男性だから?なのかどうかは自分自身では判断出来ない。でも一編一編から立ち上る稚気に似た奔放な発想。そして実際にそれを実現させてしまう世界を作ってしまう手腕。その結果、発生するブラックありユーモアありの出来事、結果。いずれにせよ、思わず口元に笑みを浮かべてしまう。(しかも、その具体的描写はポルノ作家、蘭光生!) もしかすると現在生成中とも言われるジャンル、「新官能」は、式貴士から既にスタートしているのではないだろうか。

入手するのに苦労はしましたが、その甲斐のある内容でした。ここまで徹底した「エッチ」な物語の数々。まさに表題通りの「なんでもあり」の世界。式貴士しか作り得ない世界にどっぷり浸れる作品集です。ファン及びマニア向け、ではありますが。


00/03/03
山田風太郎「忍法笑い陰陽師」(角川文庫'78)

忍法帖では珍しく、しっかりと連作短編集の体裁を取った作品。『笑い陰陽師』と「忍法」の抜けた題名で刊行され、角川文庫版よりこの題名になった。元は'67年に『別冊小説宝石』誌に分載された作品で題名の付け方も単行本化の際に変更されている。

天下太平の江戸の世の中。甲賀出身の忍者、果心堂は伊賀出身のくノ一の妻と共に大道占い師で生計を立てている。そんな一風変わった夫婦易者の元を訪れる人々はやはり一風変わった悩みを抱えていた。
絶世の美女を賭けた真剣勝負に望む大男。その勝敗を占って欲しいという彼に対し、果心堂は男根にて占って進ぜようと宣う『忍法棒占い』
剣豪大名と名高い男を巡って三人の男女が立て続けに果心堂を訪れる。その大名の性欲を向上させることが焦点となるらしい『忍法玉占い』
剣豪大名の弟で更なる暴れん坊が大名を継いだ。激しい性欲で兄の妾を虜にしていったがある日ぱったり勃たなくなった『忍法花占い』
貧乏大名、秩父守の家臣が家来が男の中の男であることを調べるのに果心堂の忍法で月々に彼らがイタした回数を調べたいと申し出る『忍法紅占い』
調子に乗った秩父守は今度は男性の鼻、女性の口と自身のモノとの相関関係を調べるよう家来に申し渡す『忍法墨占い』以上、五編。

明るく楽しくエロティック。男と女の忍法帖
本作に対し風太郎自身が最大の評価「A」を付けている、というのは有名な話。確かに、これまでの忍法帖との毛色がいささか異なり、連作短編集である、ということ以外、内容そのものが異彩を放っている。
とにかく全編、ノリが明るいのだ。 と、いうのも悲哀とか孤独とか宿命とか忍者が常に纏っており、忍法帖にて必ず触れられ、その感慨に大きな意味合いを持っていた「暗さ」が取っ払われ、ひたすら男と女の性的な事柄にのみ焦点を絞っている……からだと思う。そして男の男自身の悩み、女の女自身の悩みなどと言うのは、本人が真面目であればあるほど、他人から見ると滑稽でしかない。更に輪を掛けて能天気、かつ無責任に(本人達には大まじめに)果心堂が彼らに接する。このギャップ。また、男性諸氏の持つコンプレックスや悩みの数々を、旦那が甲賀の秘術を持って解決、忍法で自然をゆがめたその結果はどこかに無理が残って新たなトラブルが発生する。それを伊賀忍法を使って処理するのは占い師の女房方――といった連環(パターンとも言うか)が物語全体の調和に大きな役割を果たしており、まとまりが良いという印象を強く受ける。
さらに、本筋とは全く別に、本文の中に鏤められたギャグ?の数々。発言だけ急に現代風になったり、作者がいろいろと口を出したり、地の文で歴史や政治を目一杯に皮肉ってみたり、と脱線箇所が多数にわたっていて、思わず吹き出してしまう部分も多数あった。
色んな読み方が出来るものの、最終的には、やっぱり物語の芯を男女関係の悲喜劇に徹底的に置いているところが本書の最大の魅力か。

連作短編集ではあるが、長編扱いして構わないだろう。「これぞ忍法帖の軸!」と断言出来る作品ではないながら、探偵小説の荊木歓喜もののようなそこはかなユーモアが漂う佳作。比較的入手しやすい作品でもあり、いくつか忍法帖を読まれた方の緊張感の解放に最適の作品。


00/03/02
松尾由美「ピピネラ」(講談社'96)

第17回ハヤカワSFコンテスト出身の作家、松尾由美。作品数は限られているものの、『バルーン・タウンの殺人』などSF的設定の中にミステリーを加味した独特の作風にファンは多い。

二十九才の子供の居ない主婦、山脇加奈子は一年半前から奇妙な出来事が身体に起きていた。外出から家に帰った時、身長がみるみる縮んで1m程度に変化してしまうのだ。基本的には家の中で発生するこの現象は外に出ようと玄関で靴を履いた瞬間に元に戻るので良いものの、外出時にも時々その現象は前触れなく発生している。そんなある日、彼女の夫で雑誌編集者の志津夫が突然失踪してしまった。全く心当たりがなく戸惑う加奈子。夫の同僚が渡してくれた夫の服から東北地方の地名と時刻、そして謎の言葉「ピピネラ」と書かれたメモを見つける。どうやらこれは列車の目的地と発車時刻を記した予定表だと気付いた彼女は、偶然再開した友人、千紗と共に夫の足跡を追う旅に出る。

夫を、自分自身を追い求める東北旅行ファンタジー
奇妙な体質を背負った妻が、夫が失踪することで、彼のことを分かっているようで分かっていなかったという事実を知る。そして夫のことをもっと知ろうと旅を開始するうちに、自分自身とも向き合うことになっていく……。
どうやら夫が求めていたらしい芸術家夫婦の作品を、夫の足跡と共に追う彼女。都会から田舎へと旅程が進むにつれ、追い求めるもの「ピピネラ」の存在を中心に主人公たちの経験は徐々に現実を遊離していく。反面、彼女らが自分自身が都会で行っていた結婚生活について徐々に客観視出来るようになってくるなど、内面的には現実を把握していく。この対比によって、自分の求めていたもの、夫の求めていたもの、それぞれの根元的な欲望とはいったい何なのか、という真実に近づいて行く……。
大切なのは、どんな条件の下にあっても自分自身と向き合うこと。生活していく上で常に人間は欲望を持つ。その欲望を意識の奥底にしまい込まず、きちんと対面し、自分自身の行動を決めること。一気に語られても説得性の薄い、だけど事実でもあるこれらの生き方が、現実から離れた旅行という物語形式によって徐々に見えてくる。 実際の人間には「ピピネラ」はない。どうやって自らの欲望ときちんと向かい合うか、それは現代人一人一人が内面に抱える問題である。
ただ、そういう作品の狙いは分かるものの、構成手法として成功しているかどうか、という点には少し不満もある。私としては、やはり裏の主人公たる失踪した夫のエピソードを回想でもっと厚めに挿入する、具体的な結婚後のエピソードを丁寧に綴るなど、彼女らの今までの現実をしつこいくらいにきちんと基礎に立てた方が、ラストでの説得力が上がったように思うのだが。

松尾由美さんが今まで強調してきた「男と女の違い」という主題は少し脇に回り、「結婚」という生活様式の変化によって引き起こされる人間の内面変化に対する主張がじんわりとしんみりと感じられる作品。読者が未婚か既婚か、既婚でも現在の生活に満足か、不満かで評価ががらりと変わるのでは、と感じられた。


00/03/01
井上夢人「オルファクトグラム」(毎日新聞社'00)

MYSCONのゲストとして登場される井上夢人さんの一年以上振りの新作。『サンデー毎日』誌上に昨年連載されたいたものの単行本化。

大学を中退しバンドをしながら一人暮らしをする片桐稔(ミノル)。バンドで自主制作したCDを結婚している姉の所に届けようとした彼は、姉が全裸で何者かに縛られているのを目撃、頭を強打され意識を失う。脳に傷を負いながら一ヶ月後に奇跡的に意識を取り戻したミノルは、姉が殺されたことにショックを受けつつも、自分の身体に変化が起きていることに気付く。「臭い」が色とりどりの模様となり視覚と二重写しとなって認識されるのだ。丁度、七歳の時に死に別れた一卵性双生児の弟が「風がきれいだね」と言っていたのと同じ症状。徐々に獲得したこの「臭いを見る」能力を使いこなせるようになったミノルは、バンドメンバーで恋人のマミ、友人のホーシューと退院前後に行方不明になったメンバー、ミッキーの行方を探そうとするが、失敗ってしまう。しかし手応えを掴んだミノルは、自分の能力で姉を殺した犯人を捕まえられないか考え始める。

ファンタジックな井上ワールドのスーパーエンターテインメント
これほど、色々な捉え方の出来るであろうエンターテインメント小説は、なかなかお目にかかれまい。今までも井上氏はホラー寄り、ミステリ寄りのきらいはあれど、基本的にジャンルの峻別を拒絶する、強いて言うなら「エンターテインメント」としか分類出来ない小説を生み出して来た。ジャンルミックスというよりも、混沌という言葉が似合う。そして本作も「読者によって受け取り方の変わるエンターテインメントの極」を具現した小説となった。
定評のある井上さんの文章のテンポの良さ、語り口の上手さ。そのリズムと共に「嗅覚を視覚で感知する」主人公の世界が、緻密に科学的に空想豊かに描かれる。この描写部分を手抜きや省略抜きに徹底的に説明した上でディティールを創りあげ、主人公世界と読者とを一気に(先に)同化させてしまう構成の妙。物語の裏の本線である事件は、実はかなりショッキングな形で既に幕を上げているし、サイコキラーの犯人視点での描写も挟み込まれている。ミステリとしての伏線は既にこの段階で根を下ろしているのだが、読者は葉っぱを見るのに夢中になってその根を感じる余裕はない。嗅覚による現実の破壊、そして新しい世界への誘い。気付くと読者は井上ファンタジーの内側を歩いている。
そのファンタジーの中で徐々に物語は進展している。ミノルと恋人マミのやり取りには青春小説的な感興を感じさせ、ミノルが実験施設に赴くことでSF的設定の背景強化をさりげなく行ってしまう。あれもこれもと欲張ったプロットが入り込みながら、全てはきちんと一つの大きな流れがストーリーの起伏を呼び、終盤の犯人とミノルとの緊迫感溢れるサスペンスフルな対決まで一気。新しい生命という象徴を加え、登場人物は物語を終えて二回りは大きく成長している。

等身大の登場人物が、現実世界を行動しているに関わらず、『オルファクトグラム』世界はやっぱりファンタジー。剣も魔法もいらない。妖怪も魔物も必要ない。徹底的なディティールとしっかり地に足のついた主人公。これらが井上さんの手に掛かると最高級のファンタジーと生まれ変わった。決して薄くない分量の小説として大切なことがぎっしり詰まっている。宮部みゆきさんがやりかけていたことを井上夢人さんが、かるーーく飛び越して行った感。