MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)− 


00/03/20
近藤史恵「カナリヤは眠れない」(祥伝社文庫ノン・ポシェット'99)

近藤史恵さんの第七長編にあたる文庫書き下ろし作品。最近のミステリ作家での文庫書き下ろしという形態は珍しいかも。(印税的に不利なことが主因?)

OL時代、ふとしたことからカード地獄に陥ってしまった墨田茜は、両親に泣きついて精算、更生して現在は実業家の元に嫁いでいる。そんな彼女は、優しすぎる旦那への不安感や、義母から受けるストレスにより再び買い物地獄へ落ち込みかけていた。一方、大阪の泡沫出版社で情報雑誌を編集する小松崎は、ひょんなことから美人姉妹が受付をする整骨医を訪れる。合田というその整骨医は、思いの他に若く、ぶっきらぼうな物言いながら腕は確かであり、治療をしながら患者の抱えている問題をぴたりと言い当てることが出来た。小松崎は取材で若い女性の買い物依存症について記事にするよう求められていたが、名案が浮かばないため同期入社の女の子に、合田整骨医の紹介と交換条件にて、危ない顧客を紹介してもらえる店を教えてもらうことにした。

軽くすっきり爽やかに。「心」が整体されるミステリ
「○○依存症」「○○障害」――といった「社会問題から生じる現代人が抱える病巣を鮮やかに描いた傑作ミステリ!」と書いてしまえば、一言なのだけれど、その解釈はあくまで表層だけのもの。だって誰だって衝動買いくらいはするでしょ。毎日パチンコに行く人もいるでしょ。毎晩寝る前に一杯やらないと気の済まない人もいるでしょ。煙草止められない人も、珈琲中毒の人も、古本を一週間買わないと身体の不調を訴える人も(笑)。でも、そんな人でも世間的に何ら問題なく普通に暮らしている。それは遙かな昔から、現在、そして未来も変わらない。本作の登場人物らも本質的にはそんな我々と全く変わらない、たまたま(そう、たまたま)、自らの身体や精神に悪影響を及ぼすほどにそれらが過ぎてしまっただけ。ほんの少し先を歩いていたとしても、事実上は彼らは我々と等身大なのだ。
つまり本書が切り取っているのは「現代」というよりも「人間そのもの」。ちょっと極端な彼らの織りなすシチュエーションコメディ。軽快なノリはまさに「現代」的で明るい人工の光に煌々と照らされながら、その心の底に潜むちょっとした不安、嫉妬、劣等感を描き出す手腕は悪魔的に上手い。彼ら彼女らがその不安と向き合い、対決し、訣別して成長していく……その姿の中に、うまーく軽めのミステリ(裏の悪意は凄まじいけど)が込められ、きちんと有機的に繋がっている。ミステリ的には事件の構図はとにかく、その謎解き部分がちょっと唐突で急いでいる感じがしないでもない。でも、それはそれでシチュエーションコメディの一環と考えれば、また楽しい。
なんといっても、別に無理にミステリ的な引きがなくとも、充分に人物だけで読ませる力が近藤さんにはあって、それがまた近藤作品最大の武器でもある。一度惹かれたら、ファンは離れないでしょう。うん。

スッキリと短くまとめられた長編で、テンポ、文章ともに二重丸。いろいろと曰くありげな脇役陣の充実が楽しく、シリーズが続いたら購入し続けてしまいそうな好作品。楽しく明るくミステリを楽しみたい方向け。


00/03/19
木々高太郎「網膜脈視症」(春陽文庫探偵CLUB'97)

元本は春陽堂より'36年(昭和11年)に刊行された同題の作品集。「網膜脈視症」は木々氏のデビュー作品にあたり、『新青年』誌上に'34年に発表された。他に収録されている作品もその翌年にかけて発表されたもので、氏の初期作品を味わうのに相応しいラインナップ。

父親につきまとう少年患者の持つ特異な神経質さから、その家族の中の問題を解き明かす大心地先生『網膜脈視症』
夜寝る前に時計を止めたり、扉を半開きにしたりと奇妙な儀式をこなさないと眠れない女性の深層心理から謎解きをする大心地先生『就眠儀式』
宝石商が殺され金庫から宝石が奪われた。犯人と思しき男が佯狂であることを大心地先生は見抜くのだが『妄想の原理』
若い女性が殺される事件の捜査中にまた別の女性の死体が発見された。更にその横では男性が首を吊って死んでいた『ねむり妻』
戯曲形式。人妻との不倫を楽しむ文学士は神経衰弱。彼は人妻の薦めにより、医者に見て貰うことになる『胆嚢(改訂)』以上の五編に氏自身のあとがきまで併録されている。

人間の心と精神の有りようを逆さに辿る探偵小説
木々作品を手に取るのは実は初めてなのだが、誤解を恐れず印象を述べて行きたい。
木々が「探偵小説の定型の中でも芸術として認められ得る作品が必ず出る」という持論をもって甲賀三郎と行った探偵小説芸術論争は有名。だが、本書に収録されているのは初期短編であることもあり、どちらかというとオーソドックスな探偵小説のような印象を受ける。ただ、そのオーソドックスさも後年の我々から見るから、という意味であり、戦前の当時ならば、かなり実験性が高かったのではないか、と推察する。特に重要な関係者の特殊な精神構造に着目し、心理学的帰納法を用いて事件を論理的に後ろからほぐしていく方法。これは斬新とまでは行かないまでも、正確な(当時の)知識にて裏打ちされた論理性は評価出来るものだったのでは思う。もちろん犯人の犯罪時の心理を分析して……という作品はいくつもあっただろうが、病んだ心の論理というところに着眼したところが木々の新しさではないか。狂人には狂人の論理がある……山口雅也氏のキッド・ピストルズシリーズの祖、というのは言い過ぎだろうが。(「心」の問題なので「証拠がない」「恣意的に過ぎる」と言われればそれまでかもしれない)
不可能犯罪というより、解くのが不可能と思われる犯罪を解き明かしていく快感がこの作品集にはあった。

この春陽文庫探偵CLUBもまだ大書店には置いてあるようですが、いつ廃絶されるか分かりません。やっぱりマイナー文庫は売ってるうちに揃えておけ、ということでしょう。


00/03/18
山田正紀「三人の『馬』」(祥伝社ノン・ポシェット'86)

本書は同社のノン・ノベルにて'82年に『虚栄の都市』という題名で刊行された作品を改題したもの。文庫の表紙には「長編ポリティカルフィクション小説 三人の『馬』 ―東京が戦慄した悪夢の48時間―」と書かれている。副題が長すぎる上、内容と100%合致していない点, 問題有り。

完全武装した国籍、出自不明の戦闘員が数名、深夜の東京に上陸。闇夜に乗じて彼らは破壊活動を開始、三星重工の本社ビルを地下から爆破する。続いて中央区の変電所を爆破、街を停電に追い込んだ。米国の要人を狙った過激派の犯行と警察は考えるが、ただ一人、切れ者キャリアの警備一課長、鳥居は冷静な判断を上層部に要求する。一方同時期、自衛隊の通信部隊は「戦闘を開始する」という謎のメッセージを受信。闇に紛れて活動する彼らを捕捉するのは困難で、警察は威信を賭けて事態に臨むが、その包囲網を易々とくぐり抜け、彼らは破壊活動をエスカレートさせる。侵入者が「外国人」であれば自衛隊は出動する可能性があり、自らの存在を公にアピールする機会となることから、その事態を防ぎたい警察と自衛隊とも対立を深めて行く。必死の鳥居を嘲笑うかのように事件は続発、遂に中央区は警察により完全封鎖されるのだが……

シュワルツネッガーが三人居れば、日本は大危機??
「長編PF小説」という耳慣れない言葉。読み通すことで初めてこの意味を知ることが出来た。東京に謎の都市ゲリラが侵入、警察が全力で彼らを叩き潰そうと頑張る――この展開、設定だけを見れば、ハリウッドなら完全に「ゲリラ対警察」の戦いのシーンを重視したアクション映画に仕上げてくるところ。
しかし本作での山田氏の狙いは、アクションやサスペンスの充実よりも政治の駆け引きに重きを置いているようなのだ。果たして謎の都市ゲリラによって、急襲された時に東京が都市としていかに脆いか。そう、物理的な部分については(現実味さえ無視すれば)いくらでも方法はある。実際にあったいくつかの現実の事件は、事実、東京を震撼させてさえいる。本書の都市ゲリラもそういった意味では、震源地としての機能を果たしている。
山田氏の描く東京は、物理攻撃に弱いのではない。その攻撃に対する反撃が出来ない故に弱いのだ。理由はいくつもの複合要因。潜在的に抱えている政治の弱さ。パニックに陥る人間の弱さ。現実より保身を重んずる指導者の弱さ。つまり共同体としての弱さが東京の持つ弱点として浮き彫りにされていく。想定出来ないほどの大事件が発生した際の行政の対応のお粗末さを想起するに「こんなことは有り得ない」と言い切れないところに怖さ、そして後味の悪さを感じる。この姿こそ原題の「虚栄の都市」そのものではないか。

なぜ改題したのかは理由があるようなのだが、書かれていない。戦争シュミレーションにノリとしては近いものの、「東京」という都市を意図的に方向性を持って壊すことで、単なる戦争アクション小説以上の深い感慨を持つことの出来る作品となっている。


00/03/17
江戸川乱歩「大暗室」(創元推理文庫'96)

'36年(昭和11年)より'38年(昭和13年)の間、講談社の『キング』に連載された作品。乱歩自身の覚えはめでたくなかった模様だが、代表的な明智もの以外の通俗長編の一つ。

ボートで漂流中の男が三人。一人は冒険を生き甲斐とする富豪、有明男爵。その忠実なる従僕、久留須左門。そしてもう一人は、有明男爵と恋人を争い敗れたまま親友を騙って彼と交際している大曾根五郎。病気の有明は希望を喪い、大曾根に妻の京子と自分の財産を託す遺言を見せる。ところが陸地が見えた瞬間、大曾根は久留須をピストルで撃ち、有明男爵を射殺し、自分は悠然と京子の前に現れて彼女をものにし、莫大な財産を引き継ぐ。数年後、有明と京子との子供である友之介を池に投げ入れ殺そうとしたところを、生き残っていた久留須に目撃され、大曾根は自らの息子を連れ、久留須と京子を屋敷に閉じ込め、火を放って逃げ去ってしまう。
二重数年後、逞しい青年に育った有明の息子と大曾根の息子は、飛行機操縦の腕比べにおいて運命的な出会いを果たすものの、正義と悪魔の不倶戴天の仇敵同士として、互いが宿命のライバルとなり、対決を繰り返す。

変装、二役、誘拐、パノラマ。乱歩独特の小道具がぎっしり詰まったエンタメ王道巨編
明智小五郎の名前は登場すれども、物語は「正義」と「悪」の対決が主眼。運命の変転など序章はいろいろながら、プロローグの後、主人公が固まってからの根本的な対決の構図は他の通俗長編と同じ。自分自身が理想とする桃源郷を作らんと夢見る大悪人。対するは、剛胆さと機転とで悪人の企みを阻止せんと奮闘する正義の味方。圧倒的な能力と財力とでその志半ばまでを成し遂げて、桃源郷に遊ぶ悪人を、正義が最後の最後に倒してしまうまでの物語。
パターン。 その誹りもあろう。だけれども乱歩の場合は他の作家が追随し得ない「道具」をこれでもか、と大量に準備しているところが根本的に異なる。自作の使い回しでも他の作品からの翻案であろうとこれだけてんこ盛りにされれば、どこに不満が出ようか。読んでいる間、ずっと楽しいのだ、不思議なことに。オトナ向けなのに根本にジュヴナイル的なサービス精神がしっかりと存在し、横溢するその遊びの精神を読者も感じ取ることが出来るから、だろう。

それにしても、乱歩通俗長編に登場する「超絶極悪非道」な悪人たちって、不思議と微笑ましいところを感じませんか?「うーむ、よくもやったな、今に見ていろ」的な捨て台詞とか。でもいいんです。乱歩だから。

乱歩の通俗長編は順番に読み進めて行きましょう。当時の人がなぜ熱狂したのか。やはり熱狂するだけの理由はあります。だって、娯楽の多い我々が今読んでいても展開にどきどきさせられるんですから。


00/03/16
小泉喜美子「男は夢の中で死ね」(光文社文庫'85)

新評社『コメディアン』から四作と、'78年から'83年にかけて雑誌等に発表された作品が組み合わされた文庫オリジナルの短編集。解説(解小説)を書くのはデビュー前、ミステリ評論家としての山口雅也氏。

売れない俳優のマネージャーから独立、ライターとして生活する彼女の元に今更やって来た男は殺人の容疑があり『男は夢の中で死ね』
仕事熱心な刑事は妻から「娘が一晩帰らない」との電話を一喝、女子大生絞殺事件現場に出掛けて行く『早くお帰り』
体育館でぼんやりと時を過ごす元プロ野球選手の男に話しかけてきた男はダービージョッキーだったという『陽光の下のスポーツ』
少年は憧れの冒険作家の出席するパーティに出るため、張り切って背伸びし、会場に出掛けた『パーティは誰でも行く』
ある目的のために、深夜の工場で自分の身体を自ら傷つける若者たちが迎えた皮肉な運命『勇者のみ』
対立組織の長が死亡したことでその街に棚ぼたで君臨するヤクザの大物が、酒場で働く一人の若い女性に目を付けた『情婦』
売れないコメディアン。彼らの出番は近付くが相棒は来ない。焦燥する彼に、ぎりぎりの時間に相棒が病院から電話をかけてくる『コメディアン』
肩を壊して妻も子供もそしてプロ野球選手という職業さえも危うくなった男が偶然公園で彼女らと再会しそうになる『本塁好返球』
離婚した彼女が、若い男と結婚するためにまとまったお金が欲しいという。快諾して封印した仕事に手を出した『ザ・ラスト・ビジネス』 一人生徒が校則違反のバイク事故のかどで退学に。彼は芸能界デビュー、人気を博し学園祭の出演のため高校に帰ってきた『ヒーロー』以上八編。

小泉喜美子の短編小説群はなにゆえに「都会的」だと言われるのか?
確定している一般論として、また小泉喜美子が自身のエッセイで再三繰り返しているように「小泉喜美子の短編小説は都会的である」という解釈は定説となっている。この点、全く否定できない。確かに小説から受ける印象は都会のそれである。田舎臭さ、泥臭さといった形容詞の似合わず、洒落た雰囲気が漂うものが圧倒的に多い。
「都会的」とは何か。考えてみればこれほど漠然としたイメージを持つ言葉もない。
例えば華やかさ。繁華街のネオン。美しいドレスを纏った女性。オフィス街を闊歩するエリート。逆にその闇の深さ。夜更けのバーカウンター。何事にも無関心な人々。電柱の陰に立つ街娼。都会の喚起するキーワードを羅列してみたが、これらは小泉作品の十分条件ではあるけれども、必要条件とは言い難い。それに執筆年代は今より十年以上、二十年近く過去。だのに今読んでも「都会的雰囲気」を強く感じる。これは都会の表現を風俗に依存していないことの証明だろう。つまり描かれる人間たちにその秘密があるということだ。
……ということで改めて小泉作品を考えてみると、多く取り上げられる主題に一つ思い至る。それは「捨てるということ」。都会の人間が田舎の人間よりもスマートに見える理由の一つに、大量消費社会を背景にした「捨てる」行為をいとも簡単に行うことがある。別に所有物に限らない。恋人でもプライドでも健康でも親でも愛でも、そして夢でも。この後の未練のあるなしはとにかく、何かを捨てる行為を中心に編まれる物語が目立つ。潔さ、諦め、罪悪感、優しさ等々「捨てる」ことには様々な感情が付きまとうし、現状維持することに比べてパワーが必要。つまり「捨てる」行為は人々の意志の強さの裏返しでもある。人生を前向きに進もうとする彼らのしたたかさ、意志の強さは、時代に関わらず都会人が知らず獲得している姿勢を現す。この部分に常に焦点を当てているからこそ小泉作品から時代を超えた都会性が感じられるのではないだろうか。

ミステリと呼べないような都会小説・人生小説を多く含む。それでも独特の謎めいた雰囲気があり、全てに深い味わいがある。現在、全ての短編集が絶版であり、強く復刊を望みたい作家の一人。長編での大きなサプライズも当然素晴らしいながら、短編一つ一つから立ち上る人生の苦みもとても良い。


00/03/15
牧野 修「リアルヘヴンへようこそ」(廣済堂文庫'99)

『異形コレクション』の別版として「異形招待席」というシリーズ名でホラー界の名手のために同社より文庫書き下ろし長編が刊行されている。本作は倉阪鬼一郎『死の影』に続く、第二弾にあたる。

山に取り囲まれた土地に造成された恵比寿台ニュータウン。街を外界と結ぶのはロープウェイと一本の道路のみ。その閉じられた街に転校してきた少年、都築舜は父親と二人暮らしで、学校ではいじめられっ子だったが「浮浪通信」というゲテモノ系ホームページを主宰しており、その街に住み着いている浮浪者、カラさんと仲良くしていた。彼の父親は酒類問屋の営業を職にする不器用なサラリーマン。彼はその仕事のストレスを心の中で憎む相手を殺戮することで一時だけ癒していた。自らの赤ん坊を死なせたというトラウマを持つ看護婦。子育てと寝たきりの父親の世話でノイローゼになりかかっている主婦。警察官ながら被害者が浮浪者ということで事件をゆがめてしまう男達。その街に住む人間の一部は「えぬ」によって着実に歪みはじめていた。

派手さとえげつなさを併せ持つ異様な世界。様々な恐怖の展覧会
電波系ホラーというのか。例えば「サイコ・サスペンス」というホラーに近接するジャンルにおいては、何らかの原因において精神の歪んだ者が登場し、物語における恐怖への案内人となる。サスペンスはその案内人を外面から描写、その活動を描くことから創られることが多いように感じる。
本作を案内するのもある意味壊れた男である。サイコが入っている。その闇の心の構造にメスを入れ切り刻むものがこの世のものではないが故に、本作は本格的なホラーテイストが満ちた味わいとなっている。牧野ホラーの厭なところ(もちろん誉め言葉)は、この案内人の精神構造が表出させてしまう点にある。最初はネガティブながらもきちんと社会生活を行っている人間。それが元々その素養があったにしろ徐々に心が蝕まれ、狂気の世界に堕ちていく精神的変容を読者の前に曝け出してしまう。この過程がいわゆる電波系、つまり脳味噌の中に否応なく忍び込んで影響を与える何か。この電波系人間の論理を描くのが牧野氏は抜群に上手い。人間にとって厭なこと。厭なので無意識下に押し込んで厭と感じることさえ忘れているものを、徹底的にあぶり出し、その逃避を狂気に持っていく。狂気が狂気を呼び、閉ざされた街におけるその夜は、阿鼻叫喚の地獄絵図となる。それでも、主人公格の少年と何故かその闇と戦うことを運命づけられた浮浪者たちが、迫り来る闇の者共と戦う様は、きっつい描写ながらも、妙な爽快感さえをも感じてしまう。
多少勿体ないと思われるのは、様々な要素を取り込み過ぎたが為に、既存の有名ホラー作品と被るネタがちらほらと見え隠れする部分。多数の人を恐がらせようと試みる心意気は素晴らしいのだが、私程度の、マニアとは言えないクラスの人間に「ああ、これはアレだな」と思わせてしまうのはいかにも残念。恐らくはオリジナルである浮浪者のディティールが精緻あるゆえに尚更。

とはいえ、多視点を効果的に取り入れて独特の舞台装置を上手く機能させているあたりは、物語巧者の称号は伊達ではない。汚いもの臭いもの醜いものに対して感じる嫌悪感を上手く利用する作家だけに、ホラー読み以外にはリアルさ故にお勧めはしないが、一読の価値は確実にある。


00/03/14
仁木悦子「夏の終わる日」(角川文庫'83)

角川文庫の短編集のうち、シリーズ探偵の一人である「三影潤」ものを集めたもの。各編の初出等は残念ながら不明。

海での休暇を愉しむ三影の立ち寄ったホテルで女性が墜死。それを見て倒れた女性を介抱した三影は、東京で再びその女性が車に轢かれかけるのを救う『色彩の夏』
子連れで探偵事務所に現れた男性は出ていった女房を探して欲しいと言うが料金を見て諦めた。三影はその男性が気になり、自宅を訪れるたところ殺された彼を発見する『どこかの一隅で』
スキーに出掛ける三影を引き留める電話。見合いをさせようと息子に連絡したところ、行方が分からないので捜して欲しいという母親の依頼だった『白い時間』
娘が誘拐されかけたのを抵抗した父親が犯人を崖から突き落として殺してしまった。その相談はなぜか探偵事務所に持ち込まれた『しめっぽい季節』
浮気調査の依頼人の夫人から呼び出された三影は、殺された旦那の死体とご対面。彼女はどうして良いか分からず三影を呼んだのだ『夏の終わる日』以上、五編。

本格よりも軽ハードボイルド寄りの三影潤作品集
本書で扱われる五つの事件、全てが殺人事件である。もちろん日本の私立探偵は「殺人事件」に関する捜査は受け付けることはない以上、殺人を前提とした依頼も有り得ない。それでも三影が探偵という職業に就いていること以上に「常に」殺人事件に関わってしまう。つまり(少なくとも本作品集に関しては)、三影潤という男は「巻き込まれ型」なのである。訪問した家に死体、電話で聞いた場所に死体、いいから来いと呼ばれて行ってみたらやっぱり死体。その上、つい死体廻りでうろうろと調べ物など始めてしまうものだから、容疑者にも仕立てられる。 そうなってしまうと結局「三影が真犯人を捕らえるか」「警察が三影を捕らえるか」の競争、という図式。もちろんサスペンスの常道とも言える展開であり、読者もその緊張感の中に引きずられる。次々に明かされていく人間関係の秘密による驚き、時間との戦いに向けたラスト―――これはハードボイルド小説の魅力とちょうど重なる。そしてそのタッチが重々しくなく、軽め。これが仁木さんによるハードボイルドの特徴だろう。
よく考えれば不自然な「巻き込まれ」に五作も立て続けに読むとさすがに「?」も漂うものの、それぞれの事件の図式が異なっているので飽きることもない。

三影潤ファンにとってはコストパフォーマンスの良い作品集。仁木さんの作風の一つにこのような系譜があることは理解しているが、これはまた仁木さんのごく一面でしかない。本格ミステリを望んでいる人にはちょっと物足りないかも。


00/03/13
日影丈吉「孤独の罠」(講談社文庫'77)

'63年に講談社より出版された単行本の遅れた文庫化作品。

東京に住む会社員の仰木。彼の妻は渋川にある実家に出産で戻り、芳夫を産むが、産褥熱にて死亡する。そしてその芳夫も肺炎で死んだ、と知らせを受け彼は妻の実家を訪れる。どう振る舞えば良いか戸惑う仰木に対しても、いかにも土俗的で牧歌的な彼ら。しかも彼らは芳夫の死を真剣に悼んでいた。芳夫を火葬にしたところ、棺を覗いた斎場の係員が「この骨は二人分ある」と仰木に告げる。どこで乳児の遺体が紛れ込んだのか。警察が介入するも事態は不明のまま、時が経つ。続いて仰木の母親も病気で亡くなり、仰木には肉親と言えるのは妹の叶絵だけになるが、渋川で就職した彼女は、仰木に対して頑なな態度をとり続ける。その叶絵の様子を見てくれるよう仰木は亡妻の親戚にあたる古間の嫁、朱野に託す。仰木は朱野に対し、仄かな恋愛感情を持っていた。そんな彼女と仰木が会っていた時分、朱野の夫が青酸カリにて中毒死してしまう。

純文学小説に巧みに埋め込まれた推理小説
日影丈吉の長編には『真っ赤な小犬』のようなユーモラスな味わいを持つ作品がある反面、『内部の真実』のようなミステリと人間ドラマを並行して描く重厚な作品がある。その重厚系に属する作品になるか。
題名通り、序盤より主人公は広い意味での愛情を注げる対象を喪って、孤独になっていく。出産で妻を喪い、病気で子供を喪い、続いて母親をも喪う。唯一の肉親の妹は、愛情を注ごうとする主人公の意を無視するかのように、彼の思うところとは反対方向の人生を進み出す。端から見ると、社交性もそこそこあり、それほどに孤独を苦にするようには見えない主人公。しかしながら「素直な愛情表現」を行う対象を奪われ、そしてそれ以前に無器用にしか愛情を表現することが出来ない、旧弊に囚われた男。唯一の対象、妹は彼の手から逃げてしまい、彼は想いを寄せる相手へでさえも煮え切らない態度しか取ることが出来ない。淡淡と語られる火葬された二人の赤子の死体、毒殺される妻の従兄弟の郵便局長などミステリ的要素を持つ事件が発生するのだが、それらもこの物語においては主人公の孤独のなかに埋没していく。
葛藤。煩悶。憂鬱。これらに近いネガティブな感情を、自覚せず、それも常に感じている主人公の姿には「鬱陶しさ」を感じる。この「鬱陶しさ」は、読者それぞれが自らも抱えていることを否応なしに自覚させられることから来る。「良かれと思って」相手に対することが、実は「自分にとって良かれ」であったり「世間体のために良かれ」であったりする事実。それに気付かない主人公を通して読者が気付かされる辛さ。指摘・修正してくれる人が誰もいない孤独故に陥る罠。それが本書の主題のように感じられた。

ミステリ部分のみを取り出しても、論理的な筋道は通っておりそれはそれで確かに頷けるものはある。しかし、それに付随する文学的な人間考察を避けてはこの小説を語ることは出来ない。じっくり読みたい人向けでしょう。


00/03/12
米田淳一「リサイクルビン」(講談社ノベルス'00)

SF作品『プリンセス・プラスティック』講談社ノベルスにてデビューした米田さんの二作目。MYSCONの正式スタッフでもある、米田さん御自身のサイトはこちら

警視庁の警部補、大倉瑚珠は憧れていた捜査一課勤務の辞令を持ち、東池袋署から勇躍、桜田門にやって来た。ところが張り切る彼女が配属されたのは、最近新設された特殊班捜査五係、係長の鈴谷一人が待つ小さな部署。そこは通称「リサイクルビン」と呼ばれており、よその係が投げ出してしまった事件や、迷宮入りしてした事件を専門で扱っていた。とはいえ、大量の書類仕事の連続の上、アニメや熱帯魚などエキセントリックな趣味を持つ鈴谷と二人きりで仕事をする毎日。そんな折り、鈴谷が一つの事件の証拠ビデオを取り上げ、現場に行ってみようと促す。サラ金の無人契約室。監視カメラの映像は若い女性と後から入ってきたスーツを着た男性の姿を捉える。ところが淡い光とともに彼らは忽然と姿を消してしまうのだ。同様の事件が既に四件、都内で発生していることから、勢い捜査に臨んだ瑚珠であったが、彼女は警察組織の「壁」に前をふさがれてしまう。

何重ものステージを巧みに使った複層装甲エンターテインメント
大森望さんが狂乱西葛西日記内にて「説明不可能」と述べられていた。確かに通常のジャンル小説からは逸脱したエンターテインメント小説という印象だ。
物語の入り口は警察を舞台に複数の刑事が活躍するミステリのように受け取れる。「密室での消失」等々、特徴ある登場人物たちが対面するいくつもの奇妙な不可能犯罪。そしてその事件に対し、常道通りの捜査風景が描かれていく。不可思議な事象も折り合いを現実的につけてしまわねばならない警察のジレンマ。主人公らは、組織と組織の壁に阻まれて嫌な思いをしたり、特殊な人脈を使って乗り越えたりと、まぁここまでは警察ミステリとしか感じられない。
ここから、多分に物語はメタ化を開始、その勢いは最後まで止まらない。この二重、三重に張り巡らされた様々な複層論理による、メタ化こそが本作品の特徴と言えそう。
最初は「不可能的密室消失」。この事件を捜査するうちに発生する、例えば厳重な警戒体制の下で運営されるJRのダイヤへのハッカーの侵入。即ち、電脳世界の天才による事件。当初の「密室消失」にしてもコンピューターの天才なら不可能ではない、という気分にさせられるし、その解釈によって物語が回りかけたところ、拘置所での人間消失と繋がる。コンピューターレベルで解決出来ない事件により、物語は更に上のレベルの解釈を必要とする。そこで一旦落ち着くように見える世界を、次なる事件が揺るがして……。更に高次のレベルでないと事情や事件が解釈され得なくなるにつれ、物語の語られるステージは上へ上へと進出し、気付くと読者は米田淳一ワールド(飛行機・鉄道・武器、美少女……etc)の全てを引っ張り回されている。物語は、「その中」でしか決着がつけられない。これが狙いか。

本書は出版される前から断片的に構想の一部を伺ったりしていたのだが、なるほど最終的にこうなったのか、という感慨が強い。かっちりしたミステリを求める人には勧めにくいが、SFもミステリも両方ともを愛する方に向いているように思う。


00/03/11
高原弘吉「秘密の背景」(春陽文庫'80)

高原氏の春陽文庫五冊目にあたる作品。原題は『吠えろ!裏街の牙』というらしい。元の題名の方が春陽っぽいセンスに合致しているので、そちらの方が良かったのではないでしょうか?

大団地を外側から何気なしを装って全戸を撮影する男『情事の代償』
毎日トルコ風呂に通うエリート商社マン『ある商社マンの秘密』
いかさま賭博『おたふくの辰』一度の過ちで認知を迫られる社長『知らぬが仏』
不倫主婦が受ける無言電話の主は殺人を目撃されたと思い込んだ男『恐怖の電話ベル』
身体を壊した依頼人の替わりに買春。相手は十六歳の女子高生『肉体の代償』
秘密厳守の秘密クラブで売春しているのは歌手デビューを控えたタレントの卵『秘密クラブを追え』
望遠鏡のピーピング少年はハダカの美女の胸に矢が突き刺さるのを目撃する『冷凍美女』
停電直後に飛び込んできたポルノ女優。彼女は撮影会最中にピストルで狙われた『狙われた乳房』
事故を起こしたと自首した男はその時間隣の部屋でSEXしていたはずなのに『身代わりの背景』
会社を長期で休みながら毎日背広を着て出勤する課長の持つ秘密とは『実験課長の秘密』
自動車教習所を根城に交際した女性に対して恐喝を働く男に制裁を『女体仕掛人』
実力がありながら、ライバルジムの陰謀でまともに試合をさせて貰えないボクサー『消えた挑戦者』

ミステリorハードボイルド……どっちつかず小説
評価が難しい。『狙撃者のメロディー』を読む前だったならばこのチープさ加減を絶賛したかもしれない。南条鉄也に比べると、数十段はインパクトの落ちる私立探偵、星野史郎。決して正義の味方でもないし、かといって極悪探偵でもない。依頼を受けて調査をし、美女をくどくでなく、超危険な目に遭わず、地道な調査とほんのちょっとしたアイデアとで、一応真相に辿り着く。決して毎回狙ってはいなくとも、きちんと余録があるときはそれをちゃっかり持っていく。身の程をわきまえた小さな存在。(南条鉄也と『狙撃者のメロディー』については後日)
探偵ものとして読むには、呈示される謎と真相のギャップが余りにも小さすぎるし(もちろん、それなりの工夫はあるのでゼロではない)、アクション小説として読むには、派手な見せ場が全くの不足(もちろん、全くアクションがないわけではない)。強いて言うなら、こじんまりとまとめられたハードボイルド、といった趣向。『冷凍美女』だけは乱歩の『押し絵と旅する男』のオマージュとしてそれなりに楽しめるものの、作中で「江戸川乱歩の「押し絵と旅する」と、題名を間違えているのは頂けない。爽快感を得られる作品も『消えた挑戦者』『女体仕掛人』くらいで、その理由が「展開がお約束」だから。どこかこう、何に寄りかかって物語を楽しめば良いのか、自分自身のスタンスが定まらないままに十三編を読み切ってしまったという印象なのだ。もしかすると、何にも考えずにひたすら展開を追うのが正しい読み方なのかもしれない。

正直に申し上げて、ミステリとしては超小粒レベルの作品ばかり。これらの設定を活かすには、はち切れるか、工夫を凝らすかして欲しかった。平凡過ぎるストーリーに感激もせず、驚きもせず。本書を読むくらいなら『狙撃者のメロディー』を探求する時間に充てて下さい。