MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)− 


00/04/10
森下雨村「青斑猫」(春陽文庫探偵CLUB'95)

戦前に探偵小説作家を多数輩出した『新青年』の初代編集長。乱歩を見出した人物として知られるが、他にも様々な作家を見出した名伯楽。『新青年』の出版元、博文館を辞めた後は自ら創作も行った。本作は、報知新聞に'32年(昭和7年)に連載された作品。

内海耕太郎という青年は、怪しげな弁護士の呼び出しを受けた。ある人物が彼のことを探しているというのだ。彼はその人物の指示により、赤坂のホテルに住まうよう要請され、「叔父」と名乗る人物から週に百円の送金を受け取ることになった。訝しみながらも従う耕太郎は、ある日「叔父」より、指定の服装でホテル前の車に乗り昭和ホテルに向かえ、という指示を受ける。車には婦人が一人眠りこけていたが、道中彼は彼女が胸を刺されて殺されていることを知り、車から飛び出して逃げ出す。刺された女性は、人気劇団の女優だった。捜査に当たった黒沢刑事は、尊敬する清水検事宅に相談に向かうが、清水の息子、譲治の様子がどうやらおかしい。

読者は活劇映画の観客席に座らされる
乱歩とも正史とも似ているけれど、ちょっと違う。甲賀に多少雰囲気が近い……かな。一作だけで判断するのは危険なことを承知の上で、雰囲気を伝えようとするとこう。
中心に据えてあるのは、円タクの内部での美女殺人事件。入れ替わりを演じた同乗者二人ともが犯人でないことを読者は知っているが、作中の当人たちと警察はそのことを知らない。そして殺人者そのものが誰なのか、は読者にも分からない。最初の同乗者、譲治と、後からの同乗者、耕太郎の二人の逃避行が中心となって物語が展開するため、いわゆる探偵小説でも「本格」に類する作品ではない。その場その場の展開を楽しみ、はらはらどきどきと結末を待つスリラーに近い作風。場面の切り替えが多く、多数の人物の視点で物語が語られる。カットバックの多い映画を見せられているかのような臨場感が最大の売りだろう。
最終的な謎、殺人者は果たして誰なのか、という問題は事件そのものへの取り組みよりも、ストーリーの流れとして浮かび上がって来る。
当時の小説全般に言えることなのだが、新聞連載という制約上、本来想定している読者以外に対してもサービスをせねばならず、場面場面のテンションを常に高く維持してある。結果的に、そのこととスリラー風の作風とは密接に関係しているように思われる。当時の探偵小説では短編(専門の雑誌発表)に優れた本格が多いように思われる点、この辺りも無関係では無かろう。

戦前の探偵小説の題名は、話の筋にぎりぎりまで関係ない題名を付けるのが流行だったのだろうか。題名の「青班猫」なんて言葉、ホントの終盤の終盤まで出てこなかった……。大下宇陀児の『金色藻』も確かそうだったし。 ちなみに現在入手可能の森下の小説は本書だけです。探偵小説の記念碑


00/04/09
新章文子「危険な関係」(講談社文庫'78)

第五回(昭和34年)の江戸川乱歩賞受賞作品。この時に他に争った作品に笹沢佐保の『招かれざる客』がある。

「若者」を中心に元々あまり関連の無かった様々な登場人物が、複雑な血縁、複雑な境遇、複雑な思惑を元に段々と絡み合いながら、一つの事件に収斂していく物語。
京都で一旗揚げようと、電器屋からバーテンへと転職する打算的な青年、倉田勇吉。年下の勇吉に惚れ冷たくされながらも彼を追って京都に来る出戻りの水商売女、志津子。血の繋がらない父から殺されかけ、逆に巨額の遺産相続人に指名される放蕩息子、高行。高行の血の繋がらない妹で、現代的な気質を持ちながら、遺産の件で立腹しているめぐみ。男よりも常に仕事という信念を持ち、亡父の怨念に囚われ、高行に自殺を唆すバーの女主人、緋絽子。めぐみに底知れない好意を持ちながら、運転手という地位に甘んじる孤高の男、下路。最初は互いの接点を持たない彼らが、人間関係を深めるにつれ発生する一つの事件。

徹底的な人間描写を核とした、緊張感漂う異色プロットミステリ
「肉付けが上手い」――本作品をミステリ、そして乱歩賞作品たらしめているのは、この肉の部分であろう。確かに並行して描かれる全く独立した人物たちが、徐々に関わりを持ち始め、最終的に皆が皆、知り合いになって様々な感情を抱かせていく方法は、それなりに面白い。しかし、斬新とまで言い切れない。また、本書内部の唯一の事件、自殺を演出した人物が殺された――についても、不可能犯罪ではなく、容疑者が多すぎて絞りきれないもの。こちらもシンプルに過ぎる。
それでいて、本書がミステリとしての魅力を発揮している最大の理由は、ひとえに登場人物一人一人が纏う衣の厚み、ここにある。 一人一人の生い立ち、考え方、もろもろの感情。これらを赤裸々に描くことで、フィクションだからこその「一本筋の通った人間像」が現れる。例えば打算の人物、倉田。若いながら、その場その場の打算を的確に計算しつつ、自らの最適行動を選択する。その恵まれた容姿と相まって、普通なら嫌みな人間として描かれるところ、誤算や計算違いをさせ、その臭みをうまく消して妙なリアルさを加えている。他の登場人物にしてもそう。その人間像を描くことが目的でなく、更に踏み込み、その人間像をミステリの手駒として使っている点に、作者の上手さがある。
果たして、全員に動機があり、全員が可能性がある犯罪を犯すのに、最も適したのは誰なのか。「人間の心が最大のミステリー」などと笑止なことを言うつもりはない。しかし、フィクションで丁寧に創り上げられた人間像を利用すれば、立派に論理のパズルが成り立つことを本書は証明していると言えよう。

現在は講談社文庫から刊行中の乱歩賞全集(正式名称不明)にて読むことが出来ます。多岐川恭を読んでいないので完璧な意見ではないですが、この当時の乱歩賞はプロットで読ませる本格系統作品(しかも海外ミステリの影響が伺われる)が強かったのかも。


00/04/08
山之口洋「オルガニスト」(新潮社'98)

第十回日本ファンタジーノベル大賞受賞作品。

ごく近未来のドイツ。バイオリニストのテオドール・ヴェルナー(テオ)は、ピアニストの妻、マリーアと暮らしている。九年前、彼らが音楽学生の頃、テオはオルガニストのヨーゼフと寮で同室だった。ヨーゼフは世界的なオルガニストの権威、盲目のラインベルガー教授に認められる程の天才的な才能を持っていた。エキセントリックなヨーゼフは友人が少なく、テオとマリーア三人でよく過ごしていた。そんなある日、テオとヨーゼフはアウトバーンで交通事故を引き起こしてしまう。テオこそ助かったものの、ヨーゼフは半身麻痺という最悪の結果に。気丈にもリハビリを続けていたヨーゼフは、ある日突然、病院から失踪、行方を絶ってしまっていた。現在のテオの元に南米の教会に天才的オルガニストが現れた、と雑誌記者からの報が入る。録音された演奏を聴いた時、テオは直感的にヨーゼフの再来ではないか、と感じ、事故以来絶交状態であったラインベルガー教授と連絡を取り合う。

この揺るぎない結末こそがファンタジーの証
帯にうたわれているように「バロック音楽ミステリー」として読む方もおられるかと思う。確かに途中までの展開からは某ミステリ賞系の作品に多く見られる「情報提供型ミステリ」との類似点が見られる。一般に知られないパイプオルガンの知識、修道院での演奏に絡む雑学、バッハに関する蘊蓄等々に、過去に犯した事故が絡む辺り、一種典型的とも取れる展開。しかし、本作は相当に受賞のハードルの高いことで知られる「日本ファンタジーノベル大賞」受賞作。いかな世界が創造されているか。のっけからファンタジーとして向き合いたい。
本作の主題はあくまで音楽である。音楽の申し子であるヨーゼフと、その域に達することの出来ないテオ。同じ世界に暮らしながら別のレベルの思考を行う人間を並行して描写することで、物語の立体感が際立っている。テオの生きる常識的な人間世界に対し、ひたすら音楽を追求し更なる高次の世界を追求していくヨーゼフ。同一世界に暮らしながら、別々の次元に進む彼らが離れれば離れるほど、彼らの想いに胸を打たれ、言葉として使われていない「友情」というものが強く全面に押し出されてくる。
その一方、紆余曲折の末、不本意な形ながら最終的な決断と行動を起こすヨーゼフ。彼の持つ純粋さを純粋なままに描ききる為には、ファンタジーという形式を必然的に選ばざるを得ない。そしてその結果得られる物語の余韻はあくまで深い。多様な価値観を持ち、そしてそれを認め合うことの出来る人間への賛歌。そして、真実を追求する人間への世俗的な価値観を超えた幸せの贈り物。何よりもヨーゼフが幸せなのは、その幸せを理解してくれる友人がいること、だろう。

自慢じゃないが、私は音楽に詳しくない。楽器を習ったこともないし、バンド経験もない。それでも音楽に全てを捧げるヨーゼフには、強く惹かれる。人間の一途さと、友情の素晴らしさ。大人のための真摯なおとぎ話。


00/04/07
横溝正史「恐ろしき四月馬鹿」(角川文庫'73)

『八つ墓村』をはじめとする金田一ものの映画化長編で有名な横溝正史も、実は『新青年』にてデビューしたばりばりの探偵小説作家。金田一が登場する以前、戦前にも多数の作品を発表している。本書は、その大正時代に発表された短編作品を集成した作品集。

学生寮で殺人現場が発見されたが、犯人と目される学生は完全黙秘『恐るべき四月馬鹿』
部屋に侵入して来たスパイは目的とは別の書物を持って逃走した『深紅の秘密』
被害者以外の血が海のように撒き散らされている中、男は胸を刺されて絶命『画室の犯罪』
孤立した三軒家の井戸に落ちて男が死んだ。しかし疑問点が『丘の三軒家』
友人が連れてきてくれた酒場に旧知の女性。友人が彼女と仲良くなり面白くない『キャン・シャック酒場』
対人恐怖症の醜い男が、着ぐるみの人形に入って世間を眺める『広告人形』
振り子時計を使ったアリバイ工作をした男が唯一犯したミスとは『裏切る時計』
人の良い男が駅に知り合いの女性を迎えに行き、大阪を案内したところ『災難』
散歩に出掛けた男が託された一冊の本。それは呪われた一族の記録だった『赤屋敷の記録』
郵便屋は若い女性に届く葉書にある楽譜の暗号文を解き明かし……『悲しき郵便屋』
友人は、店の飾り窓にある人形が自分の新しい恋人だと言い出した『飾り窓の中の恋人』
ビルで発生した殺人事件の容疑者はエレベーター係。飲み屋で男は疑問を呈する『犯罪を猟る男』
金持ちで吝嗇な親の残した隠し財産を必死に探し出そうとする仲の悪い夫婦『執念』
同棲中の二組の男女がやり取りする悪戯と、その残酷な結末『断髪流行』以上の十四編。

何か懐かしい、短編探偵小説の黎明期作品群
もしかしたら、二十年近く前、横溝ブームの折りに読んでいたのかな……。  どうだったか、そのこと自体は忘却の彼方であるのだけれど、この十四編から漂う香りは、何か「探偵小説の懐かしさ」を感じさせる。
しかし、その懐かしさは「驚き」という点では、逆にマイナス効果をもたらす。現代の、すれたミステリ読みの眼を通してしまうと、それぞれの作品のコアとなっているトリックは解明を待たずとも容易に想像が付く。(プロットにサプライズを持ってきている作品はその限りではない。もちろん)そのトリックが物理的要因に頼るものは尚、悪く言えば陳腐ですらある。当時ではオリジナリティがあったであろう手法や手口も、変形され、あるいはそのまま、後続の作家が繰り返し使っているものだから。一時期「もう新しいトリックはあり得ない」と断言された時代があったことを思い浮かべてしまう。
しかし、本作の価値はトリックのみにあるのではない。後の横溝作品に繋がる手法、エッセンス、雰囲気、その他モロモロが凝縮されてこれらの短編に詰まっているから。血縁にまつわる因縁。極度にグロテスクに彩られる死体。主人公の味わう奇妙な体験。長編にて壮大な交響曲を織りなす細やかなフレーズが、過去の作品である本書の随所に既に現れている。
そして、もう一つ気付いたこと。本作品集の背景として重要な役割を担っているのは、大正期の都市風景。そしてその中心となるのは横溝が当時暮らしていた「神戸」。本書の各作品から点描画のように現れる「神戸」の姿。それぞれの短編小説が一群となることで、当時の都市小説としても読める、というのは神戸に思い入れる個人的感傷に過ぎるか。

元々出版された同題の単行本を角川文庫収録に際して二分割したという。もう一冊が昭和期の短編を集めた『山名耕作の不思議な生活』。これら二冊、角川横溝では見つかりにくいレベルは中の上くらい。見掛けたら買っておきましょう。


00/04/06
島田一男「古墳殺人事件」(徳間文庫'90)

『鉄道公安官』シリーズをはじめ、多数の著作を持つ島田(一)氏。この長編は'57年に和同出版社より刊行され、一旦春陽で文庫化されたものを光文社が再刊したもの。既に現役本ではないかも。この筆者の作品、私は本作が初読。

検事の原の部屋に親友で、少年新聞の編集長をしている津田が時間を潰しに来た。二人の元に、彼らの高校時代の同級生で、考古学者の曾根が死んだ、との報が入る。曾根は、女性助手に津田宛の遺書を託していたが、その内容はエジプトに伝わる詩を模した謎に満ちた内容であった。捜査には、彼らの後輩の千葉警部が加わり、現場となった古墳に赴く。多摩古墳群の調査に就いていた曾根は、その9号古墳の盗掘用の入り口付近で、骨で作られたという斧にて頭をかち割られていた。敷地の持ち主である酒匂家は曾根にとっても遠縁の親戚にあたるものの、曾根は冷遇されていたらしい。更に、酒匂家の面々は、船キチガイながら両脚のない主人をはじめ、奇矯な人々ばかりであった。

蘊蓄だらけの中盤を越えて見つかる物理トリックと動機に深い感銘
骨を利用した考古学的凶器。エジプト詩を模した遺書。船の形をした謎の屋敷。更に、博覧強記(本人はそうは主張しないが)津田というエキセントリックな登場人物が加わることで、前半から中盤にかけては、会話文で蘊蓄中心、興味のない者にとっては些か退屈な展開が続く。衒学を用いて、容疑者を誘導尋問に引っかけて行く津田の姿には少し『黒死館殺人事件』の探偵、法水麟太郎が重なる。この辺りの展開は、読者により好悪が分かれるところだろう。
ただ、その効果的な尋問と豊富な知識に基づく考察によって、嘘吐きばかりの関係者が正直な証言者へと変換され、不気味な意味不明のオブジェクトは、事件を証言する証拠の品へと変わる。本作が評価されるのは、その「変換後」の手掛かりによって推理される犯罪と動機が印象的なことに尽きる。そもそも「謎」とも思えない点を探偵が突いて「謎」を自ら創り上げてしまう点は『黒死館』とも共通するのだけれど、徹底的に異なるのは、その結果が無理のない普通の論理に落ち着くこと。通常の人間の知り得ない考古学的知識をベースとする推論、これは(一般読者には、その論理が見えないこともあって)あたかも「無」から証拠を生み出してしまうような眩暈感が伴う。しかし最終的に現実の事件として着地させる為の必要不可欠の作業であるのだ。そして、その着地先で組み立てられる論理の心地よさ。中途の居心地悪さ(が仮に感じられたとしても)を我慢して読み通す価値のある結末。

島田一男に関しては、いずれ謎宮会にてやよいさん入魂の作品リストが発表されるはず(ですよね)今後は大量にある島田作品の羅針盤となることでしょう。痩せても枯れても旧『宝石』デビューの探偵小説作家、通俗という言葉に埋もれさせてはなりません。


00/04/05
天沢退二郎「光車よ、まわれ!」(筑摩書房'73)

「ちくま少年文学館」の一冊として刊行された「少年少女向けファンタジー」(のはず)。ちくま文庫にて文庫化もされているとのこと。私は初読だが、子供の頃に読まれた方も多いようだ。

ある雨の日。流山寺小学校に通う川岡一郎は授業中、うしろのドアから入ってきた真っ黒のばけもののような大男に驚く。一瞬の後に彼らはクラスメイトの宮本たちの姿になり、他の生徒は誰もそのことに気付いていない。ただ、秀才づらした学級委員の吉川は、一郎のことを刺すような目つきで睨んでいた。怖くなった一郎は、放課後逃げるように帰るが、足下の水たまりに何か黒い別の世界の生き物のような存在があることに気付く。捕まりそうになりながら必死に逃げる一郎は、今度は吉川に出会い詰問される。吉川を振り切った一郎だったが、更に宮本たちにも見つかり、絶体絶命のピンチに。そんな彼を救ったのはクラスメイトの戸ノ本竜子だった。彼女に連れられ逃げ込んだ閉鎖された工場には、既に数名のクラスメイトがいた。知られていないことながら、街では水に関する不思議な事件が続発しており、その犯人は《水の悪魔》と呼ばれているという。彼らとたたかう為には、三つの《光車》というものを探し出さないといけない、という。

子供向けファンタジーでありながら、その内実は異世界ホラー。心惹かれる冒険譚でもある。
もしかすると、ホラーというのはジュヴナイルとの相性が良いのかもしれない……と、読了後つらつらと考えた。本書では水たまりの向こう側にある別世界、そしてそこに住むバケモノが、主人公の子供達の敵として登場する。ジュヴナイルであるが故、物語一つ一つの場面展開が早く、また、その描写も平易かつ簡潔。子供にも分かるよう、一般的な言葉で描写されることにより、オトナの想像力をいたく刺激する。限定されない、いくらでも膨らむイメージが、不安感をも併せて掻き立てていく。「水位二センチの水たまりで溺死する子供」「蛇のように蠢く水」「外界を全く反射させない水たまり」。一つ一つの語彙を難しくしなくとも、きっちりと心に訴えかけてくる。もう一つ、親しくしていた人々、親、兄弟、先生、友人……らが、実はバケモノの仲間であったら、という原始的な恐怖もそれに加わる。
その一方で、主人公の子供たちの行動力からは、別の意味の訴えを感じる。冒険、好奇心、単純な正義心。彼らを動かす情動、これもまた分かりやすく、共感しやすいが故に、どっぷりと彼らに感情を持って行かれる。そう、冒険小説で感じられるわくわくするような気分。それがある。
この不安感とわくわく感の絶妙な融合。そして更に加わる《光車》や、水の一族、緑の制服たちの謎。解かれるもの、解かれないもの、幻想的なもの、不自然なもの。要素は様々ながら、物語の謎を解きたい、この世界の秘密を知りたいという衝動が大きいゆえに、ホラー的要素を持つにも関わらず誰にとっても読み通せる作品となっている。

ファンタジーの読書経験が浅いので、あっさりと傑作とか決めつけられないのだが、怪作であることは少なくとも確かではないだろうか。単純に読んでも面白い物語。古書価がかなり付くので、図書館で検索するのが早道のように思う。


00/04/04
角田喜久雄「妖棋伝」(角川文庫'73)

探偵小説にてデビューした角田喜久雄の実質上の伝奇長編第一作。『日の出』という雑誌に'35年(昭和10年)より翌年にかけて連載されたもの。月形竜之介主演で日活で映画化もされた。氏にはこの後、探偵小説を遙かに越える量の伝奇時代小説を執筆、こちらの分野の方が一般的知名度は高いかもしれない。

八代将軍、吉宗公の時代。上州出身の青年浪人、武尊守人(ほたかもりんど)が深夜、駒形を家路についていたところ、傷付いた一人の男と出会う。彼は「やまびこ……」と言い残し絶命、一枚の将棋の駒を残す。拾い上げた彼の前に、江戸を騒がす大犯罪者、縄いたちが立ちはだかる。守人は、縄をもって刀以上に戦う流縄術を会得していたが、縄いたちも同様の技を使うという。二人戦うが決着は付かず、別の追っ手に見つかり、二人して逃げ出すことになる。逃走中傷付いた彼は、与力、赤地源太郎に救われる。赤地は、その将棋の駒には因縁がある、と守人に告げる。赤地宅からの帰り、守人は鉄砲による狙撃を受け、否応なく、関白秀次の因縁のある将棋の駒の争奪戦に巻き込まれていくこととなる。

ツボを押さえた活劇に乱歩的興趣を織り込んだエンターテインメント
春陽文庫版の角田喜久雄の探偵小説は、探偵CLUBなど一部を除いて絶版になっている。ところが。もう一方の時代伝奇小説に関しては、版を変え、カバーを変え生き残っており、未だに(運が良ければ)新刊書店でも入手出来る。捕物帖や、歴史ものといった小説は、元から古い時代を(当たり前だ)扱っているだけに、十年や二十年経過しても、なかなか古びないことの証左であると言えまいか。
そして本書。基本的には「謎の宝物を巡って争う四つの勢力の騙し合い&戦い」をメインに据え、守人を巡るラブロマンスが絡められた、単純な筋書きの時代活劇エンターテインメント。四つの勢力にそれぞれ工夫が凝らされ、知恵と知恵とががっぷり組み、将棋の駒を巡って騙し合いを行う様は、クライムノベルさながらの面白さも。このノリの良さ。一瞬の停滞もなく、走り続ける物語。角田氏にこれほど舞台回しの演出才能があったのか、ということに驚かされる。
そして嬉しかったのは、終盤に明かされる、あるどんでん返し。これには乱歩の大衆向け作品でみられるような驚きに近い。更に実はきちんと伏線も張られていたことに気付いて二重の驚きになるあたり、角田らしさを垣間見る。

探偵小説を意識せずとも、探偵小説的な趣向を織り込んでしまう角田喜久雄のサービス精神に感謝。とはいえ、やっぱりミステリの延長というより、大衆娯楽文学として、一般的な読者に読まれるべき作品でありそうな気も。読みやすさ、展開のスピードは折り紙付きです。


00/04/03
内藤 陳・山口雅也(監修)「SWINGIN' DICK」(CBSソニー'85)

CBSソニーより同年に発売された『HARD BOILED』という題名のレコード(CDではない)に付属していた、かってない形のレコード解説書。米国のペーパーバックを模した装幀、紙質の128ページ。このブックレットのみの市販はされていない。

内藤陳による冒頭の言葉。例のごとく野球のベンチ入り選手に見立てたハードボイルド作家セレクトが楽しめる『聞かずに死ねるか!』、ハードボイルド作家の作品の一シーンを物語仕立てで紐解き、レコードにセレクトされた作品がどのような箇所で使われたかをさりげなく説明している解説部分が、山口雅也氏自ら執筆の『スインギン ディック』、その他、ロバート・B・パーカーへのインタビュー、落合信彦VS島地勝彦らによる対談(ちょっと内容的には浮いているというか、求めるものが違う気もする)、ピート・ハミルによる短編小説『ミスター・ファッツに捧げるブルース』、山咲千里、北方謙三、大沢在昌、矢作俊彦、小鷹信光らによるショートエッセイなどなど。とにかく「ハードボイルド」「ジャズ」にこだわりのある内容、更に装幀や構成に至るまで、徹底的にパルプマガジン風の編集となっている。

これぞ、ハードボイルドとジャズとの蜜月
本書というか、このレコードそのものがミステリを主題としたジャズの編集盤であったという背景が頭の中にあるにしろ、文学と音楽という二つの大きなジャンルの中における「ハードボイルド」「ジャズ」の相性が、抜群にマッチするという点、素直に頷ける。本書によると、どちらもアメリカという文化の中で育まれたという共通項がある、という。別にハードボイルドの主人公がJポップを口ずさんでいようと、ジャズの似合うチャンバラ時代小説があっても良いし、そもそも音楽と文学を無理矢理共通項で括ること自体、無理があるような気もする。が、しかし。それでもハードボイルドとジャズの持つどことなく退廃的な都会の雰囲気というのは共通項として括られる点は否定できない。
個人的には「酒場」という共通項を感じるのだけれど、これもまぁ一面的に過ぎないであろう。そう、ケツの青い坊やが、無意識のうちに憧れを感じる対象として、どことなく女性を酔わせるものとして、どんな人生にも光が当たる瞬間があるものとして。言葉にすると薄っぺらいながら、根本的な精神が同じなのだ。1920年代に創られた文学と音楽の形式が、今なお大人の娯楽としてこだわりのある人々の中に息づいている。本書の出版された十五年前もそう、そして今もそう。日本の固有文化からは決して生まれ得なかったその魅力は、これから先も永遠に受け継がれ、時代時代の人々を魅了して行くことだろう。その事を読む人全てに予感させしめる、軽薄で深いブックレットである。

山口氏が自ら執筆している『スインギン ディック』のパートについては氏のエッセイ三部作のラスト『ミステリーDISCを聴こう』にて読むことが出来ます。また本書、よしだまさしさんより譲って頂きまして(大感謝)、森英俊さんにお嫁入りしました。私は目にすることが出来ただけでも良し。


00/04/02
二階堂黎人「諏訪湖マジック」(徳間ノベルス'99)

『軽井沢マジック』『奇跡島の不思議』『名探偵水乃紗杜瑠の大冒険』(後にサトルと改題)に続く、水乃サトルシリーズの四作目で、トラベルシリーズは『軽井沢…』に続く二作目にあたる作品。

JR大宮駅近くの陸橋から死体が投げ込まれ、通行中の普通電車に跳ね飛ばされた。浮浪者の服装を着せられていたと思しき男の身元は不明。状況から自殺でなく他殺と断定した埼玉県警の要請により、警視庁より馬田警部補らが現場に向かうが、県警の担当課長と対立してしまう。一方、日本アンタレス旅行会社に勤務する名物課長補佐、水野サトル。彼は同僚の美並由加里と共に、パックツアーの企画のため諏訪に出張する。同社の諏訪支店では以前に東京に勤務していた安場今日子が彼らを出迎えるのだが、彼女は警察に知り合いのいるサトルに相談したいことがあるという。

トラベルミステリに見せつつ、中身は本格を強く意識したアリバイトリック
諏訪近辺を舞台に、武田信玄の墓を探す美形で大ボケの主人公、水乃サトルと、ヒロインの世話焼きしかり娘、美並由加里。土地土地の名物に舌鼓を打ち、名所旧跡を貪欲に回り、由加里はサトルに片思い。設定だけ並べてしまうと、まるで旅情ミステリ、トラベルミステリのそれだ。確かに表層での軽薄さ、挿入される蘊蓄等々、一種類型的な事件関係者と表面上は「いかにも」の体裁が取られている。本人も「トラベルミステリ」という言葉を使用しており、その形式が意識されたものであることも、間違いはない。展開を追えば一渡りは楽しむことの出来る作品かと感じるし。
その一方で、作者の本格への強いこだわりが無視できない程に溢れている。事件の核として使用されるのは、鉄壁のアリバイミステリ。挿入される二枚の時刻表。これまたトラベルミステリの王道じゃないか……と思わせながら、このような道具を使用して見事な本格作品を執筆した作家を同時に思い出す。「鉄壁のアリバイをもった犯人の僅かなミスを発見、事件を解明する」……この種のミステリで最も有名な日本の探偵、そう、それは鬼貫警部であり、そしてその執筆者こそ鮎川哲也氏。二階堂氏が鮎川氏を敬慕していることは有名だし(氏自身『鮎川哲也読本』の編集に携わっており、また蘭子シリーズにも再三作品が登場する)、アリバイトリックを仕掛けるにあたって、鮎川氏の作品群を想起したことは間違いないだろう。 そして敢えてアリバイトリックを中心トリックに据えたということは、二階堂氏にとり、本作は一種の「鮎川哲也への挑戦」、だったのではなかろうか。もちろん、二氏の作品から受ける味わいは全く異なっているのだけれど。

個人的には中央線を利用する身、本作のメイントリックは序盤で見えてしまった為、逆に最後まで解明されないのが不思議で多少もどかしかった。ただ、この点はきちんと「何故それが分からなかったか」について説明されているので、良しと出来る。いずれにせよ、読む人のレベルにより幾通りもの楽しみ方があるのでは、と思われる。


00/04/01
久生十蘭「肌色の月」(中公文庫'75)

十蘭の遺作長編『肌色の月』に、生前の十蘭が最も愛した作品『予言』『母子像』(ヘラルド・トリビューン紙世界短編小説コンクールの大賞受賞作品)の短編二つ、更に妻、幸子さんによる晩年の十蘭の闘病を描いた「あとがき」が加えられた作品集。

女優の宇野久美子は自らの一族が皆、癌で死亡することから自分もその病気でいずれ命を喪うもの、と考えていた。ある日、やはり癌で死んだ父親同様の黄疸が自分にも現れてきたことを、空に浮かぶ月が肌色に見えることから知る。彼女は自分で自分を殺す計画を立て、実家の和歌山に帰ると周囲を欺きながら、身を投げた者が浮かび上がることのないという川奈近辺の、ある湖へと向かう。『肌色の月』
大学生と根拠のない噂を立てられ人妻が自殺した。実際に何もなかったことを知る周囲は、男を結婚させ船旅に送りだそうとするが、外地より戻った夫は「お前は妻を殺して死ぬ」と予言する。『予言』
米軍の厚木キャンプ内でたき火を起こそうとしていた少年が補導された。彼はサイパンで生まれ育ち、玉砕間近な頃に母親に殺されかけたという過去を持っていた『母子像』
『肌色の月』執筆中に闘病生活に入りながら、死ぬぎりぎりまで執筆と家族や周囲に気配りを忘れなかった十蘭の生身の姿が浮き上がる『あとがき』

乾いた文体から目の前に浮かび上がる色彩感覚。早逝が悼まれる天才作家
『肌色の月』を執筆している最中に、久生十蘭は食道癌にてその五十五歳の生涯を終えた。不意に訪れた死であり、本作を久生が自らの集大成と見なしていたはずはない。そういう状態でありながら、作品を評するなら、円熟というより新しい事に常にチャレンジしようとしている意気込みの強さが特徴である、と感じた。強いミステリ指向を内包、自殺しようとしている主人公が、いつの間にやら見に覚えのない殺人犯にされてしまい、周囲の状況も全てがそちらに向いている……という、変形不可能犯罪もの。連城三紀彦の作品を想起させられる(順序は逆だが)。しかし、それでいてこの作品にはさり気なく、そして鮮やかな色彩が溢れている。わざと乾いた、そして情感を押さえて枯れた雰囲気を創っている会話文のところと裏腹に、地の文章での描写にて、すぅぅっと鮮やかな色が浮かび上がる様には、頁を捲る手を思わず止めてしまう。
そして本書最大のポイントは『あとがき』であろう。夫人の愛、文学への、生への情熱、人間の優しさ。そういったことが一体となったこの「作品」には、フィクションとはまた異なる強い物語性がある。陳腐な表現ながら、涙なしにはこの「作品」を読めない。
『予言』『母子像』共に言わずと知れた名作。これに付け加える必要はあるまい。何も不足はなく、何も過分もない。見事な短編達である。

表題作、及び短編は久生の全集にも収録されていますが、一つの短編小説とも言える夫人の『あとがき』がポイントです。本書はMYSCONオークションで戸田さんが出品したものを競り落としたもの。読めて良かったです。私の十蘭観に、また一つ新しいページが加わりました。