MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)− 


00/05/10
霧舎 巧「ドッペルゲンガー宮」(講談社ノベルス'99)

「ドッペルゲンガー宮《あかずの扉》研究会 流氷館へ」が正式な題名。第十二回のメフィスト賞受賞作。良くも悪くも作品は島田荘司推薦。

北澤大学に入学した二本松翔は推理小説研究会に入会すべく顧問の先生を捜すうち、ひょんなことから《あかずの扉》研究会に入会する。霊感少女や錠前破りが揃った妙なサークルだったが、翔は彼らに惹かれていく。入会した翌日、彼らは女子校の教諭から調査の依頼を受ける。一年前から彼の教え子が自宅に閉じこもっているという。千葉にある流氷館と呼ばれる建物が、彼女、氷室涼香の実家。単なる登校拒否かと思いきや、彼に「たすけて」と書かれたメッセージと共に、館で開催されるという「推理パーティ」の招待状も同時に教師の元に届いており、彼女を捜し出したいという。とりあえずメンバーの一人、自称「名探偵」鳴海雄一郎を教師と同行させ、研究会の面々は翌日出向くことにする。ところが翌日、流氷館に訪れたメンバーの前には空っぽの屋敷と死体が残されているばかり。

これぞ「新本格から生まれた新本格!」その良いところも悪いところも
「これぞ新本格のフェロモンとスピリットを感じた」と編集部が絶賛したという。確かに「自分が読みたいものを書いた」という意気や良し。そして何を求めていたか、というのも良く分かる。私自身、新本格には大きな恩がある。
それらしい古風な道具立て。ミステリに奉仕するために設定された非現実的な舞台。ミステリ成立の為に施される大トリック。駒のように動かされる登場人物。様々にちりばめられた謎を論理で解決していく超人的な名探偵。
これはこれでいいと思うのだ。「新本格」という枠内でくくられることでしか表現出来ないミステリ世界を体現しているのだから。呼称の登場以来十数年培われてきた「新本格」が指向してきたエッセンスの集約。もちろん「新本格」への拒否反応を持つ人には全く受け容れられないだろうが、万人受けを狙う意図は微塵も感じられない。「新本格」を愛する(そして愛した)読者へのプレゼント。

しかし、いかんせん「ミステリ」としても「小説」としても未熟な部分がやたら目に付く。トリックとして「これはおかしいのでは?」と思ったところを書き出したところ、余りにも沢山あって愕然。特に館。説明される構造では矛盾がある。また致命的なのは肝心な部分で筆を端折り、不要な部分で饒舌なこと。会話だとか心理に重きを置きすぎ、読者のイメージを喚起させるための状況描写が不親切。例えば第一章、《あかずの扉》研究会の部室?がどのような場所なのか、彼らは何をしていたのかが分からない。トリックの多面的な検討と小説としての完成度が上がれば大化けする可能性は秘めていると思うのだが。

「推理小説」としてどうか?と問われれば、現段階「下手」な部類にあることは否定出来ない。とりあえずは「新本格」好きの人にお勧めする。それ以外の方は化けて評判が立った後で読めば良いように思う。


00/05/09
鮎川哲也「死者を笞打て」(角川文庫'75)

現在のところ鮎川氏は二十二の長編を発表しているが、丁度その真ん中十一番目にあたる作品。長編で鬼貫・星影の登場しない作品は本作と『翳ある墓標』の二作のみ。

推理小説作家、鮎川哲也は『月刊推理』誌の編集者より埋め草の原稿を頼まれ、過去に執筆した作品の朧気な記憶を元に『死者を笞打て』という作品を発表した。ところが過激な評論家多田は、この作品が戦後に発表されたカストリ雑誌『ゼロ』に発表された石本峯子の短編の盗作だ、と酷評する。事実、これらの小説は修辞が異なる程度でそっくりであり、鮎川は盗作者、という噂が文壇に一気に広がった。身の潔白を証明するには、石本峯子を探しだし、彼女こそが鮎川の昔の作品を盗作した張本人であることを明らかにする他はない。鮎川と担当編集者の大久保は、元『ゼロ』誌で編集をしていた茂森という男を見つけだし、石本を担当していた編集者、望月の名前を聞き出すも、調査がそこから難航。ようやく見つけだした望月は一週間ほど前に不審な死に方をしていたという。

主人公は「鮎川哲也」、昭和三十年代の文壇を偲ぶ
本作、乱暴に断言させてもらうとミステリ的な部分はどうでもよろしい。(いやまぁ、それなりにどんでん返しがあるにはあるのだけれど)本書の最大の「売り」は、推理小説文壇の作家・評論家が仮名実名取り混ぜて登場、『ダ・ヴィンチ』のない当時の読者には伺い知れなかった作家たちの裏の顔を次々と暴いていく部分にある。竹本健治の『ウロボロス』シリーズと同じ趣向といった方が今や通じやすいだろうか。
本書が発表されたのが'65年(昭和40年)。執筆されたのはこの前年、'64年の旧『宝石』誌の連載。少なくとも、三十年代に既にデビューされている方々、ということだ。 さて謎解きだ

 (これは誰でしょう?ヒントは本書の中に)
鮎川哲也(作家)多田慎吾(評論家)石本峯子(作家)朽木靖子(作家)難波きみ子(作家)須磨久平(作家)金沢文一郎(作家)紀野舌太郎(作家)淵屋隆夫(作家)真垣辰彦(作家)三善徹(作家)沈舜水(作家)浅野洋(作家)多岐恭(作家)戸川正子(作家)大虻春彦(作家)新庄文子(作家)三木悦子(作家)星野真一(作家)鱶沢鮫平(評論家)宗像欣也(評論家)吉原牛太郎(評論家)山中馬之助(評論家)麦村正太(作家)万田権治(評論家)渡海英祐(作家)古池謙吉(作家)水原金造(評論家)飛島高(作家)右左田謙(作家)久野啓二(作家)叶一郎(作家)酒沢左保(作家)高林泰邦(作家)幾島治郎(作家)河内典生(作家)赤城一(作家)山之沢晴雄(作家)東西登(作家)

……あなたは何人分かりますか?(モデルのない人が混じっているかもしれません)

角川文庫版も良いですが、現在だと講談社文庫版(現役?)の方が出版が近年の分、入手しやすいはず。さて、皆さんも上記のクイズを解こう!下のグループで誰か分かる方、教えて下さい!


00/05/08
高田崇史「QED 六歌仙の暗号」(講談社ノベルス'99)

前作『QED 百人一首の呪』にてメフィスト賞受賞にてデビューした高田氏の二作目。前作に引き続いて探偵役は薬屋、桑原崇、ワトソン役に棚旗奈々。

明邦大学の男子学生、斎藤健昇は卒論テーマの資料集めの為、京都七福神巡りをしている最中、事故で命を落とした。その翌年、同じく明邦大学の「布袋」と綽名される七福神巡りを趣味とする佐木教授が、謎の薬物の実験中に密室の中で意識不明の重体になり「きのどくに……」とメッセージを残して死亡する。更に佐木の助手、星田も佐木の残したノートを調べている最中、自室で何者かに背中を刺されて死亡した。怯えた関係者は、七福神に関する論文一切を禁止したが、斎藤の妹、貴子は兄の研究を引き継ぐべく「七福神」をテーマに論文を書くことを決意、先輩である棚旗を通じて、桑原祟の話を聞かせてもらいたい、と持ち掛ける。別件もあり、彼らは揃って京都へと向かう。

日本人の盲点「七福神の謎」一気に歴史の謎に引きずり込まれる
本作の読みどころ。これはもう「七福神の謎」に尽きる。宝船に乗った七人の神様の由来とは?日本人が誰でも知っている七人ながら「なぜ七人なのか」「なぜ彼らなのか」という疑問を非常に分かり易く、そして魅力的に取り上げている。「六歌仙の暗号」の部分も有機的に繋がっており、この部分で一気に読ませる。そして評価されるべきは、最終的にこの「七福神の謎」−「六歌仙の暗号」が、物語を覆う動機に(多少強引であるにしろ)繋がっていく点だろう。歴史の謎を解くミステリは現実に発生する事件と絡むと多少融合に無理が出る場合が多いが、本作の場合、意表を突いた形でこれらの同一性が感じられた。これらの謎解きを机の上でなく、京都の実際七福神ゆかりの寺社を廻りながら行う点、旅情も掻き立ててくれる。
ただ気になる点もあった。二つの殺人事件を巡るミステリ的なトリック。これは他の作家の作品で使われたトリックの焼き直しという指摘以前に、実は(以下ネタバレ反転)「特殊な病気でした」という私としてはあまり評価したくない方法を使用している点。そして前作でも同じように病気を核にしたトリックを使っていた点、作者の懐の底が覗けてしまうようで多少気になる。

展開されている歴史に関する自説がどこまでオリジナルなのか、これは不明。しかし少なくともこれだけ分かり易く興味深く紐解ける以上、オリジナリティ云々はもはや無意味。歴史的な事実に新たなる光を当てて別の世界を創り出す業、今後も磨いていってもらいたいもの。(逆にこの芸のネタが尽きたら、と考えると……)


00/05/07
若竹七海「八月の降霊会」(角川書店'98)

'98年、角川書店より出版された書き下ろしの単行本。(書き下ろし新本格ミステリーの叢書とは別の模様)

実業家の水屋征児は「降霊会」を行うために普段使用していない富士山麓の別荘に様々な人々を招いた。歴史文学を専門にする風変わりな女流作家とその秘書。霊媒を生業としていた経験を持つ女性とその娘。怪しげな降霊術を実際に執り行う詐欺の前科を持つ夫妻。有名百貨店の社長。一癖も二癖もある彼らに加え、執事として、有名ホテルをリストラされた男を据え、誘拐事件を起こして自殺した父親を持つ女性をメイドとして呼び寄せてある。また水屋の甥っ子二人も別荘に押し掛けて来ていた。作家の秘書、渡辺司は何らかの意図を持って、旧知の彼らが呼び寄せられたのだと推察する。その司も、館の入り口に掛けてある肖像画になぜか見覚えが。全員が顔を揃えての晩餐、そして実際に降霊会が開始され、霊媒の女性は彼らの秘密の過去を語り始めた……。

若竹七海の「毒」の効いたファンタジーホラーミステリー
「壊し」の美学が物語を覆っている。「登場人物」を創り上げては壊すこと、「設定」を創り上げては壊すこと、そしてもちろん「物語」を創り上げては壊すこと。こうして創っては壊しすることで『八月の降霊会』という作品は、ミステリでもあり、ホラーでもあり、ファンタジーでもあり、サイコサスペンスでもあり、SFでもあり……と、様々な角度から捉えることの出来る物語となっている。
様々な過去を抱えた人物が一同に集結、怪しげな降霊会を行った上で、次々と事件が発生、人物の過去が徐々に明らかにされ……というのは、館もの(に限らず)ミステリの定番の設定。発生する殺人には明らかに伏線があり、館ものらしいトリックも弄されている。更に若竹作品らしい「毒」を持った登場人物が跳梁し、彼らの偏執的な態度からサイコサスペンス的な恐怖感が味わえる。一方では作家の手記からは現実にはあり得ない形での「生まれ変わり」の概念が提示され、急に物語はファンタジー的な様相(しかしダークな)をも帯びる。情報が出揃ったところで、はじまる謎解きはミステリのものだが、同時進行するカタルシスは紛れもなくホラーのテイスト。ミステリでの「理」が提示されつつ否定され、壊されていくところから、物語の味わいが分化と衝突を繰り返し、全体の混迷感が増大される。
若竹七海の「毒」は従来作品でもかなり強烈であり、本作でも更に強調されている。「毒」たる悪意の回収が物語内部で図られてはいるものの、それが「救い」でなく「解放」であるがため、舞台の別荘には悪意が結局沈殿して行くだけ、ということになってしまっているようだ。その沈殿した悪意が負のカタルシスへの伏線となっているので、これは仕方ないのだが。

なんとも不思議な余韻を残す作品。私の場合、樹海を裾野に持つ妖しい富士山の姿が瞼に浮かんで仕方がなかった。ミステリともホラーともつかない妙な読後感。若竹七海の「混沌」を味わいたい方に。爽快さは求めてはダメです。


00/05/06
都筑道夫「あやかし砂絵 なめくじ長屋捕物さわぎ」(角川文庫'82)

お馴染み都筑道夫の人気シリーズ「なめくじ長屋捕物さわぎ」のシリーズ四作目の作品集。都筑氏が作った名探偵は数いるが、現在でも書き継がれているこのシリーズの作品数が最も多い。

和菓子屋の二号が心中に見せかけられ殺された。女性が握っていた張形の意味するものは『張形心中』
街娼である夜鷹を次々と絞殺される事件。彼女らは首を絞められ額に傷を負わされていた『夜鷹ころし』
商家のおかみさんが霊験ある滝で行方知れずに。彼女は浴衣一枚の姿、しかも動機もない『不動の滝』
強請屋のごろつきが首を切断されて殺される。しかも下手人は手間のかかる胴体を運んだ『首提灯』
見事な虎の絵の側で絵師が食い殺されたように死んでいた。しかも同じ例が二ヶ所で発生『人食い屏風』
船で常磐津の師匠と懇ろになった若旦那が気を失っている隙に彼女が血に染まって死んだ『寝小便小町』
悪戯で投げ込まれる美女の秘密を綴った落とし文。その作者と思しき男が刺され殺された『あぶな絵もどき』以上の七編、いや七席か。

謎とノリのバランスが取れたセンセー以下の大活躍
砂絵かきのセンセーを筆頭とするなめくじ長屋の面々、更に岡っ引きの下駄常など、メンバーが完全に固定化され、それぞれの持つ特徴も活かされた話作りとなっている第四巻。それぞれの物語で提示される「謎」のインパクトは当初に比べては多少落ちてもそれなりを維持、そして最終的に論理的な解決を示す、という姿勢に全く揺るぎは見られない。この筋書きに江戸の風景、風物詩、そして市井の人々の人情が絡んで出来上がる物語は、本格ミステリであると同時に「粋」の物語でもある。
本格ミステリとして評価される「なめくじ長屋捕物さわぎ」だが、これをファンタジーとして読み解くことも出来るように思えてくる。世の中の最下層に暮らしながら、その生活を最大限に楽しむ長屋の面々。現代では到底暮らして行けないような生業で、なんとか生を立てられる時代。興味のある事件だけに首を突っ込み、非合法な手段であっても最終的に自らの利益(金銭的と同時に精神的に)のために謎を解いていくセンセー。我々の世界では実現できない生活様式に目的行動。現代人が現代人の規範に縛られている中、読者は彼らの奔放な生き方に対し仄かな憧れを覚えるはず。大人が魅力に満ちていると感じる世界を都筑道夫の創る「江戸」という独特の舞台が表現している。この世界観、ファンタジーに通じはしないか。

現在は光文社文庫版での入手が可能。ディック・フランシスの競馬シリーズで以前に陥った罠だが、シリーズを途中まで読んでいるうちに作品集のどれを読んでどれを読んでいないか分からなくなるところ、このシリーズにも。いずれ全作読みますが。(そうすれば最新作だけを読めばいいわけだ)


00/05/05
横溝正史「山名耕作の不思議な生活」(角川文庫'77)

恐るべき四月馬鹿』として刊行された単行本が二分割され文庫化されたうちの一冊。横溝正史の初期長編のうち、昭和期に執筆された作品がまとめられている。

新聞記者の収入がありながら吝嗇な生活を営む山名耕作の夢とは『山名耕作の不思議な生活』
長編小説を執筆したのは鈴木の筈なのに、河越という筆名の男が現れて『鈴木と河越の話』
妙な形のネクタイ富籤。当たれば大金と美女からの接吻が貰える『ネクタイ綺譚』
高飛車な嫁と大人しい夫。二人は心の底を語るのに互い宛の手紙を交換する『夫婦書簡文』
ある活動写真を見てから急に夫の態度が急変。後妻は困惑する『あ・てる・てえる・ふいるむ』
ホテルに宿泊した謎の中国人は贅沢三昧をした挙げ句に行方をくらましてしまった『角男』
若い頃、回転木馬で知り合った友人が立てた伊豆のホテルの秘密『川越雄作の不思議な旅館』
その婦人は夫がいつの間にか、その双生児の弟と入れ替わったものと確信する『双生児』
下宿屋に住みだした若夫婦。旅の香具師の男は外出がちで徐々に性格が変わっていく『片腕』
変装して街に繰り出す趣味を持つ男が旧知と思われる男の女装に惹かれて『ある女装冒険者の話』
ふと偽名で歯医者にかかった男を探す新聞広告に、男は想像を働かせる『秋の挿話』
恵まれない境遇で犯罪者となった男を救う社会運動で彼の婦人と名乗る二人の女性『二人の未亡人』
美貌と魅力を誇る婦人に見込まれた男性が他の女性と恋に。彼女と病院に出掛けた彼『カリオストロ夫人』
未亡人を巡る決闘に生き残った男が後から知ったその夫人が隠す秘密とは『丹夫人の化粧台』以上十四編。

横溝正史の描くところの「奇妙な味わい」作品集
戦前に発表された探偵小説と呼ばれる小説群――ひとくくりに呼ばれてしまうものの、この分野は後にジャンルとして分化する以前の様々なエンタテインメント小説が包含されている。本格推理小説も空想科学小説も怪奇小説もサスペンスも全て。このうち、理で割り切れない読後感を持つ小説群を乱歩は「奇妙な味わい」の小説と名付けた。
横溝正史がそれを意識したのかしていないのか、本書収録作のほとんどは、その「奇妙な味わい」に分類されそうな主題を持っている。大がかりな犯罪があるでもなく、化け物による恐怖があるでもない。取り上げられるのは日常に感じるふとした違和感を追求して行った結果、味わう不思議な感触。 ちょっとした空想癖、浪費癖、放浪癖など社会常識からほんの少し外れた人々が味わうちょっと奇妙な経験。これを「読ませる」物語として正史が上手く仕上げている感。ある時は一人称を使い、ある時は「その人物」を眺める別人物の視点で描き、また完全な三人称を用いてみたり、違和感を物語に仕上げるテクニックに正史は既に精通している。そして全編に流れる都会的なスマートさ。恐らく従来の娯楽小説に無かった要素を、積極的に泥臭い探偵小説ジャンルに持ち込んだ正史の斬新さが光る。
個別には奇妙な二重生活者を描いた『片腕』と、告白体と三人称を効果的に用いた『双生児』、活動写真を使ったラストが鮮烈な『あ・てる・てえる・ふいるむ』あたりが印象に残った。

角川文庫でも横溝正史は未だに新装されラインナップに加えられているが「金田一耕助事件ファイル」の副題に見られるように、本作品集が復刻されることは考えにくい。若かりし頃の横溝正史の作品を知るのに好適なだけに、何らかの形で復活して欲しい一冊だ。


00/05/04
飛鳥 高「青いリボンの誘惑」(新芸術社'90)

版元の新芸術社は、後の出版芸術社。日本推理作家協会賞を『細い赤い糸』で受賞している飛鳥氏であるが、受賞作を除くとほとんどの作品を現在は読むことが出来ない。ちなみに本作は書き下ろしで出版された久々の新作。

職業を転々としている若者、三谷裕は不仲だった父親、健三から呼び出される。健三は重い病気にかかり入院中。彼は裕に、以前化学工場を建設するために働いていた加荘市に行き、事故や病気で亡くなった当時の仕事仲間の家族に会ってきて欲しい、と頼む。看護婦から父親が「青いリボン」とうわごとを言うと聞き、不思議に思う裕だったが、快く引き受けて加荘市に赴く。一方その頃、加荘市では殺人事件が発生していた。自殺した生徒の四十九日に出席した山口という女教師が、その帰り道に人気のない河原で何者かに撲殺されたのだ。彼女の家に出入りしていた阿東一也という若者が捜査線に浮かぶが、彼は姿をくらましており行方は分からない。加荘市に到着した裕はアポイントを取り、何も知らずに阿東家を訪れる。工場建設の後、病気で亡くなった一人というのが、この家の主人だったのだ。一也は家を出たまま帰っていなかったが、未亡人の美津子と娘の節子が彼を出迎える。

端正なミステリの裏側に流れる物悲しい叙情性
「整然としている」という印象を受けた。片田舎で発生する殺人事件。父親からの依頼でその周囲を調べ廻る主人公。人の動き、手掛かりの読者への提示等々が、決められた設計図通りに動かされている感。現在の事件、過去の事件、共々断片的に光景が浮かぶものの、なかなか手に届かないもどかしさ。最終的にそれらが結合されるまで、読者は全貌を捉えることが出来ない。
そう読まされているからこそ、最終的に浮かび上がってくる人間関係の中の大いなる哀しみが際立っている。本書を読み解くキーワードは「人間の多面性」。ある人間が過去にとった行為。これをどの立場の人間がどのように解釈するか。同じ人間が同じように行動したとしても、それは観察者によって受ける印象が異なってくる、ということ。体裁は整ったミステリであるのに、そこから滲み出てくる情念がやたらに重い。過去に引き起こされた事件が、現在まで綿々と繋がり次の事件に絡んでいる。登場人物が気付かないことも、神の視点から読む読者にはずしりと響く。
一つ、苦言を呈するとすると私の読解力の問題もあるのかもしれないながら、登場人物の名前と関係が頭に入りにくい部分があった。翻訳物によくある登場人物一覧があると嬉しかったな、などとも。

重苦しい雰囲気の中で、主人公とヒロインとのほんのりとした恋物語が一服の清涼剤として効いている。それでも基本的に人間心理の不可解さが原因となる悲劇が物語の中心である。重いテーマを考えると、飛鳥高を既に知る人が手に取るべき本だろう。(GAKUさんと交換で入手しました。謝)


00/05/03
式 貴士「鉄輪の舞」(出版芸術社ふしぎ文学館'93)

スーパーSFとも言われたカルト的SF作家、式貴士の現在唯一入手可能の本。未刊行の短編四編を含む短編集。

殺人鬼に下された死刑を越える恐ろしい刑罰とは『カンタン刑』
愛した宇宙人女性は子供を身籠るとSEXを拒絶『涸いた子宮』
珍峰大三によるチンポづくしの奇妙な物語『チンポロジー』
首吊りと猫鍋と三味線の雑学一人語り『首吊り三味線』
海にまつわるセンチメンタルホラー三編『海の墓』
少年の美しさを彫刻家は木に刻み込む『マイ・アドニス』
糞を自由自在にコントロールする一族の辿る数奇な運命『スカトロ・エレジー』
幼い頃から犬に対して恐怖心を持つ男の数奇な運命『犬が嗤う』
蝶を愛する男が取材に来た女性に惹かれて結ばれた時『肉の蝶』
死体から警察へTEL。雪の中の死体からは本人の足跡が伸びていた『面影抄』
子供のない男が不倫相手とに出来た子供を育ててもらううちに『夢の子供』
宇宙パイロットが帰還。流星の衝突で婚約者は瀕死だった『緑の星のアダムとイブ』
クリスマス・イヴのほんの僅かな時間だけ飾窓に現れる少女に彼は恋する『飾窓の少女』
小指に障害を持った女性にプロポーズした彼の真意は一体『小指』
お互いの気が合いすぎる余りに会話さえなくなった夫婦の行き着いた先『鉄輪の舞』以上の十五編。

式貴士、蘭光生、小早川博、式貴士、間羊太郎、式貴士……
式貴士の全て、というよりも「式貴士」を含む全ての名義で描かれる作品エッセンスが込められた作品集。ある意味、式氏が'91年に亡くなった後、初めて編まれた作品集が本作だけであることを考えれば、この方針は有り難い。(亡くなる前後は、ポルノ作家蘭光生としての作品がほとんどだった)
式貴士と言えば、破天荒なアイデアと深く広い蘊蓄、エロもグロもものともしない制限のない描写、そしてその底部に密やかに流れるセンチメンタリズム。他に類を見ない、SFを越えたSFを書く作家「スーパーSF作家」である。この作品集からはそのスーパーぶりはもちろん、それ以上のパワーが溢れている。
本名、清水聡。この才人はいくつもの筆名で様々なジャンルにその足跡を残している。雑学、ミステリ、ポルノ。これらの才能全てが込められたSF作品から漲るエネルギーは、普通のSF作家の書くSFを超越した別のSF世界を創り出している。エロはあくまでエロティック、グロはあくまでグロテスク。雑学は蘊蓄の域を越え、学術的高尚さを醸し出している。個別の作品を取ればそのエッセンスを物語の内容によって様々に調合されているのだが、本書をトータルで捉えた場合、それら全ての特徴が最大に味わえるよう工夫された編集となっている点、気に入った。
もっとSFを書いて欲しかった。もっと凄い世界を味わいたかった。夭折の惜しまれる天才作家である。

名作『窓鴉』が収録されていないのは残念ですが、売っている今のうちに是非とも購入しておきたい作品集。既に式作品を集めている人も、本作の未刊行作品四作、いい感じのセンチメンタリズムに満ちた佳作です。買いましょう。


00/05/02
佐々木丸美「罪灯」(講談社'83)

「つみともしび」と読む。佐々木丸美の未文庫化ハードカバーの一冊。本書そのものは『崖の館』をはじめとする俗に「館シリーズ」と呼ばれる一群の番外編の位置づけ。

十七歳の女の子、春都(はるこ)、夏都(なつこ)、秋都(あきこ)、冬都(ふゆこ)。名前に共通点はあるが、彼らは血縁関係もない、単なる仲良し四人組。彼女らがそれぞれ出会う生死にまつわる事件と、事件を通じて出会う魅力的な男性に影響を受け、成長していく物語。
お姫様として君臨していた同級生がスケート中に氷下に落ち死亡。事故は冬都の一言が引き金だった『危険区域』
母子が川で流され溺れかかっている。春都は目撃しながらも過去の経験から見て見ぬ振りをして立ち去った『顔』
自分の陰口を言う友人宅が花火で失火。その原因の花火が事故で飛び込んだものと夏都は知りながら口をつぐむ『魔火』
自分を小馬鹿にした老婦人に外国人宗教家の通訳を頼まれ、意図的に拡大表現を加えたばかりに秋都は『通訳』以上、四編の連作中編集。

プロバビリティの犯罪。その裏側に潜む「良心の罪」に切り込む
谷崎潤一郎『途上』、江戸川乱歩『赤い部屋』など探偵小説の昔から完全犯罪を目論むものが、最もその犯罪を隠蔽するのに相応しいと考える犯罪方式。俗にプロパビリティの犯罪と呼ばれるのがそれ。踏切の途上で呼び止める、自ら手本を示しつつ危険な場所へ誘導する……等々、一歩間違えば生命の危険を伴うところに被害者を巧妙に追い込む。後で追及されたとしても、事件は予期できなかったと言い抜けられる。冬都、秋都はこの犯罪の甘美な魅力にとらわれ、そして苦しむ。
春都、夏都の場合は、助ける見込みがありながら、事件の真実を知りながら緘黙することによる罪。こちらも他人を陥れる意味でのプロパビリティの犯罪の変形、そして苦しむのは彼女らの心。
本書の素晴らしさは、この激しい苦しみを優しく包み込んで、青春と成長の恋物語に昇華させている点に尽きる。これが「佐々木丸美」の描く世界。誰しもが陥る一瞬の「魔が差した瞬間」。これを恋い焦がれる男性に告発されることを恐れ、悩む彼女たち。しかし彼らは社会的な単純な正義でなく、彼女らの為に、この魔に囚われた心を解放する。良心の犯した罪を裁くのは理屈ではなく、また自らの良心。 恋と罪に絡めた味付けが絶妙加減が本当に上手い。

某オークションで高値取引されているのは有名。「世界が繋がっている」「女心をくすぐる」等々の理由は様々ありそうですが、本作を読むと「ミステリとしても評価出来る」という一点を是非とも加えたくなります。


00/05/01
竹本健治「クー」(講談社ノベルス'87)

竹本健治の代表的SFシリーズはパーミリオンのネコ、それ以前に二作のSF作品がある。一作は『腐食の惑星』(現在は『腐食』として角川ホラー文庫所収)、そしてもう一作が本作である。近くハルキ文庫で復刊される予定で、更に未刊行分の続編も予定があるらしい。

発達の頂点を迎えた結果、逆に退化しつつある文明。自然サイクルの破壊により、天災の規模は眼に見えて大きくなり、人々は都市の内部でひっそりと暮らしている未来の地球。十五の時から七年もの間、サイオニクス・トレーニング・スクール(私設戦闘訓練所)暮らしを父親から強要されていたクー。彼女は父親の死により私設を出て、スクール時代からの恋人、リークと共に演劇の仕事に就いていた。ある日、彼女が自宅に戻ると部屋の中が滅茶苦茶に荒らされている。金目のものは手を付けておらず、データ類が失われていることから、学者であった彼女の父親の研究内容が目当てだと、捜査を担当する警察の刑事、ラウから告げられ、クーは動揺する。彼女はアングラ系の店の集まるディスコで、ビルという優男と知り合い、彼に身を任せる。しかし、彼は”麻薬”と綽名される程の官能のテクニシャンであった。

竹本SFとして設定は標準的、物語と展開は異端
主人公の「クー」という女性。当初の設定だけならば「ネコ」と相通ずる無敵のパワフルギャル(失礼)かと感じられた。戦闘を専門に七年間仕込まれ、身体に恵まれ、かつ魅力的な美しさを持つ女性。竹本SFの他の作品同様、この女性が華々しく活躍するアクションSFかな、と思わされたのだが、それは大きく裏切られる。
彼女は、序盤から何者かに追われる身。その行く先々で彼女は自らが女性であることで心の隙間を埋めようとしてしまう。ハッキリ言えば、やたら陵辱される。アクションとそちらのシーンが交互に行われ、それでいながら彼女自身はそこに心の安定を見出す。そして自己嫌悪。更に再び追われて戦いに……自らに課せられた運命に抗えない彼女の姿が読んでいてめちゃくちゃ痛い。彼女自身の謎、というのはミステリマニアでなくとも種明かしを待たなないで見えてしまうだろう。派手なアクションと併せてミステリー的興趣を必ず楽しませてくれる、他の竹本SFと物語の構造が根本的に異なっているように強く感じた。
竹本氏には「ミステリを捨てよう」と藻掻いていた試行錯誤の時期があるという。そして本書の執筆時期はそれと重なる。そういう意味では、官能とSFの融合を試みたテスト的作品なのかも、という気がしないでもない。

エンタテインメント小説としての娯楽性が今ひとつ低く、ラストも幻想的かつ悲劇的な暗示。ファンの方でもハルキ文庫を待ってから読むのが良いかも。但しノベルス版には末武康光のイラストがあるので付加価値あり。