MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)− 


00/05/20
津原泰水(監修)「血の12幻想」(エニックス'00)

津原氏監修の豪華メンバーによるオリジナルアンソロジー、『十二宮12幻想』『エロティシズム12幻想』に続く三部作の完結版。予定より一月遅れで刊行となった。

菊池秀行 『早船の死』甲子園を目指した投手が手首を切って自殺。親友の捕手とその彼女が陥る疑心暗鬼系の恐怖。
小林泰三 『タルトはいかが?』同棲中の涼子の作ってくれるお菓子は本当に美味しい。スイートな恋人達の精神崩壊系の恐怖。
柴田よしき『夕焼け小焼け』非合法カジノのディーラーと水商売の女。流れ二人は東京へ。故郷と思しき夕焼けはいずこメランコリー系の哀しさ寂しさ。
田中啓文 『血の汗流せ』高校球児、星吸魔は実力はピカ一ながら血の汗が出る体質が災い。偶然握んだチャンスに彼は。熱血駄洒落系の笑い。
竹河聖  『死の恋』妹のように親しんでいた女の子の姉と結婚することになった男。妹が死んでも彼女が忘れられないゴシック吸血鬼系の恐怖。
鳴原あきら『お母さん』私の母親はプライバシーについての考え方がちょっと人とずれがある。家庭内での微妙な違和感系の恐怖。
倉阪鬼一郎『爪』その男は宴を行う為の儀式を繰り返す。惨劇の発生した家を懐かしく探り廻り、後に駅前の喫茶店へ。沈鬱な倉阪ホラー系の恐怖。
田中哲弥 『遠き鼻血の果て』男が気付くと風呂場で鼻血に固められて身動きが出来なくなっていた。更に鼻血は流れ続ける。鼻血冗談系の笑い。
山村正夫 『吸血蝙蝠』久々に会った旧友は痩せ細っていた。彼はマンションの一室で干からびた死体となって発見される。正統派都会吸血鬼系の恐怖。
作者不詳/北原尚彦訳『凶刃』十九世紀の英国を恐怖のどん底に陥れた切り裂きジャック。次々と娼婦が斬り殺される事件。西洋史”IF”系の恐怖
恩田陸  『茶色の小壜』これといって特徴のない同僚が元看護学生だったことを知り、彼女への興味を感じるOL。好奇心は猫を殺す系の恐怖。
津原泰水 『ちまみれ家族』平和で明るく楽しい一家。家族全員激しく流血しながらも明るく楽しい毎日。スプラッタサザエさん系の笑い。
以上の十二編。

真っ赤な鮮血だけが血ではない……五感で味わう血の饗宴
「血の12幻想」。このアンソロジーに対して題名から先入観があった。「吸血鬼」と「スプラッタ」。物語の主となるのはこの2テーマではないか、と。ある意味ではそれも当たりなのだが、それ以上の裏切りと驚きが私を待っていた。
 「血」をモチーフにこれだけバリエーションのある小説が存在し得るのか。
恐怖小説に限らず、全ての小説で重要で普遍的な小道具として登場する「血」。人間誰もが持つこの液体にこんなに様々な顔があったのか、ということ。
血で連想する色は、身体から流れ出る瞬間の鮮やかな鮮紅色。しかし空気と触れた瞬間に徐々に黒ずみはじめ、茶褐色となる。またさらさらな液体状であった血は、粘り気を持ち、最後にはごわごわに固まる。血は塩味と鉄の味がする。独特の匂いがある。心臓の圧力で身体の中ではどくどくと脈打ち、吹き出る血潮は音を立てる。熱が加われば変化する。液体である以上、タオルで拭き取れるし、量さえ集まれば洗面器にだって風呂桶にだって野球場にだって貯められる。様々な容姿を持つ「血」という存在をどのアプローチから捉えるか。作家は料理人さながらに「血」を材料にして自分の得意な料理を創り上げる。
その作品という名の料理それぞれが並んだ様は、コースというより居酒屋メニュー。料理人の差異によって種々雑多の取り上げられ方がある。ある料理は皿からあふれんばかりの「血」を、またある料理ではほんの隠し味のために「血」を。逆に言えば、誰にでも好みの作品が用意されているということでもある。
当然、見た目だけでなく味も様々。メインとなるのは「恐怖」だが、全てがそうではないのがまた作品集の特徴か。二人の田中氏の作品では過激で過剰な「血」を用意することで笑いを(式貴士の短編「血の海」を思い出した)、柴田よしきさんの作品では女性の人生を「血」というよりも「朱」のイメージで語って寂しさを醸し出している。
 気軽に入れる居酒屋ながら、朝まで粘りたくなる。そんなアンソロジー。

「美本」を入手するのに妙に時間がかかってしまいました。メンバーも豪華、定価もリーズナブルと話題性の高い本だというのに大書店でもあまり見掛けませんでした。頑張れエニックス!(の営業のひと)


00/05/19
新章文子「女の顔」(講談社文庫'84)

危険な関係』にて第五回の江戸川乱歩賞を受賞した新章さんが、'72年(昭和37年)に文藝春秋社より刊行した書き下ろした作品。なぜこのタイミングで文庫化されていたのかは不明。

自らの美貌にこそ自信はあれど演技や仕事など「女優」として要求されることがからっきし駄目な薔子。病院経営をしている盲目の母、兼子と血の繋がらない姉、葉子と暮らしていた彼女は、新進映画監督のと婚約、彼の撮影する映画に出演するが、やはりいつまで経っても仕事は上達しない。映画の撮影前、二ヶ月の休暇を京都の旧知の宿屋で取っていた薔子は、医学生の努と知り合う。逞しい身体と整った顔立ち、という小谷が持たないものを持つ徹に薔子は好感を持ち、ついには身体を許す。旅程を終え、東京に帰る日、徹はプロポーズをしてくるが彼女はこれは一時の浮気だと拒絶、彼女は自分が未だに女優という職に未練があったことを改めて知る。東京に戻った薔子は、庭で石の下敷きとなり母が亡くなったことを知らされる。呆然とする薔子だったが、これは事故でなく殺人ではなかったかと疑い始める。

冷徹なリアリズムに裏打ちされた人間模様の不可解さ
ミステリというよりもサスペンス的な展開。殺人事件そのものよりも、殺人事件を通じて戸惑い揺れる人間模様を描いている感。 不審な事故死も中盤で答えがあっさりと明らかになるし、主人公が狙った陰謀も、分かり易い形で読者に伝わる。ラストでサプライズはあるものの、展開の中で培われた人物像からの意外性なので、本質的にミステリではない。
どうも新章さんは「人間」に興味があったのではないか。氏の描く登場人物は、皆、性情の多面性を持っている。人間誰しもそういう点がある通り、ある場面ではやけに純情な気分になり、場面が変わると急に功利性が高くなったりする。ある部分では熟考を元に行動しながら、急に衝動的な行動をとる。一般的な小説では「おっちょこちょい」「冷血漢」といった属性は、一旦固定されれば大抵はその登場人物の特徴として物語を通して動かない場合が多いのだが、本書の登場人物は皆、場面場面でその時の情動に合わせた行動を取る。
この手法が、彼らをより人間的な存在にしているのは確かなのだが、読んでいて何とも座りが悪い。物語を語る視点が、ころころ入れ替わることも関係ありそうなのだけれど、読めども読めども先が見えないのだ。当然、感情移入もしにくく、物語に入り込むのに苦労した。
確かに「人間」臭い。しかしエンターテインメント小説としては辛い、というのが正直なところ。

現在のカバーに変わってからの講談社文庫作品ではあるが、現在は絶版。比較的入手し易い『危険な関係』と作風は同じ。そちらが気に入った、という方が探すべき作品かと。


00/05/18
海野十三「赤外線男」(春陽文庫探偵CLUB'96)

”日本SFの父”とも言われる海野十三。元々春陽堂の作品集の再刊メインの本シリーズ、この作品集は'33年(昭和8年)に同題で刊行されたもの。'27年より'33年までに『新青年』をはじめとする諸雑誌に発表された作品をまとめている。

日本を代表するような優秀な科学者が立て続けに謎の奇病で一時的に意識を喪う。帆村荘六もの『盗まれた脳髄』
カフェのネオンが一瞬消える度に、同じ場所に包丁の刺さった死体が出現する『電気看板の神経』
顔の右半分に黒子のある人間は幸運を持つという。そんな彼女と結婚した男は『幸運の黒子』
誰もいない工場で毎夜鉄骨がきしむという。作業員たちがその正体を確かめようとするが『夜泣き鉄骨』
三角形という形状に対して恐怖心を抱かせようとする実験。まずは蝦蟇口、次は三角定規『三角形の恐怖』
「私は本当に私なのか」発作的に他人に尋ねて廻る男に帆村荘六は事件の匂いを嗅ぎ付ける『西湖の屍人』
「赤外線でしか見えない赤外線男」発明家深川博士の発表は世間を動転に陥れる。帆村荘六もの『赤外線男』以上七編。

科学風味の、でもしっかりと探偵小説
確かに「SFの父」ではあるけれど、海野はやっぱり「探偵小説家」としての顔をしっかりと魅せてくれている。確かに戦前は空想科学小説も怪奇小説もエンターテインメント全般が探偵小説と呼ばれており、海野十三という作家は、その関係でSF作家でありながら探偵小説作家として包含されているように思われている。ところが本書を読んで改めて感じたのは、当時の海野作品がしっかりと「探偵小説」として機能していること。確かにその背景やトリックに「科学」の薫りが馥郁としている点は否定しないが、基本的に物語に奇妙な謎があり、犯人がいて、それを探偵役が解いていくという「探偵小説」の基本構造をしっかりと保持しているのだ。
作品別ではアンソロジー収録頻度も最も多いであろう『赤外線男』、やはりこの作品は着想・トリック・アイデア共々やはり非凡な完成度を誇っている。一歩間違えるとトンデモに行きそうな際で、見事に着地させている構成には素直に拍手したい。他では通俗冒険的興趣が満載された『盗まれた脳髄』、心理サスペンスとも言えそうな『三角形の恐怖』など印象に残る。それにしても(喜国さんがちらっと仰ってますが)海野十三って「題名の付け方」がめちゃくちゃ上手いと思いませんか?
戦前に「ボラギノール」というクスリは既に発売されていたのか……。妙な知識がまた一つ。

この春陽文庫探偵CLUBも、だんだんと新刊書店で見掛けなくなって来ました。春陽堂のことですし、恐らく重版はされないことでしょう。ゾッキでもなんでもそろそろ興味のある作家だけでも押さえておかれたほうが無難かもしれません。


00/05/17
牧野 修「屍の王」(ぶんか社'98)

参入したかと思いきや、撤退も早かったぶんか社の叢書、HORROR WAVEに連なる一冊。同シリーズは高野美恵、森奈津子といったYA系の作家が大人向けのホラー小説を出版し話題を呼んでいただけに残念。

  家族三人の生活に満足していた売れっ子エッセイスト良輔。買い物に連れていった愛娘が、目を離した隙に迷子となり、猟奇殺人鬼の犠牲者となって変わり果てた姿で発見される。良輔は自らを責め、夫婦は離婚、仕事を辞め、自宅を妻に譲り渡してボロアパートに一人暮らす。自らを貶めるため、最低の仕事と風俗ライターで糊口を凌ぐ彼の前に、恩のある編集者、泉が現れる。精神的にぼろぼろになっている良輔は、既に昔のようにエッセイを書けなくなっていることに気付かされ、泉の求めに従い小説を書き始める。題名は「屍の王」。興に乗り一気に執筆を続ける良輔。見直しの為にプリントアウトした用紙を束ねて捨てたところ「屍の王」の内容を誉める謎の人物からの電話がかかってきた。時を同じくして良輔や泉の回りでは奇妙な出来事が続発し始める。

骨太な「ホラー」をコアに、細やかに煌めく小さな「ホラー」をまぶした
内容については漠然としか明らかにされない『屍の王』という作品を巡る物語。作中作テキストをホラーの小道具として使う場合(小説内)現実と虚構の区別が曖昧になるという効果がある。しかし、本書でのテキストの使い方には工夫がある。本書、つまり読者が手に取っているこの作品そのものが『屍の王』なのだ。このテキスト成立に至る過程が本書の大きな流れとなる。その周辺で発生する様々な恐怖、これらが煌めきとなり、筋書きとなる大きな流れの照明となり、物語の厚みを増している。この「煌めきの積み重ね」こそが後の牧野ホラー作品群にも通じる大きな特徴。
細かい点で気付いたのだが、人間の、特に死体描写のグロさは溜息もの。吹き出たり、腐ったり。決して美化せず、「死の醜さ」をこれでもか、と積み上げることによって強烈な世界を描き出す。当然、そこから逃れたいという欲望が生じるが、それがまた作者が読者に投げている強烈な罠となっている。
物語のテンポは緩急取り混ぜてあるし、脇役の個性、そして悲惨な死に様にも目が離せない。舞台装置によって設えられた牧野的な世界にどっぷりと浸れる怪作だろう。下敷きにされている「神話」は有名ながら、もちろん本作はそれを越えるステージを目指している。

本書は、サイバーパンク『MOUSE』などで大きく期待されていた牧野氏が満を持して執筆した本格ホラーの第一作目になる。この後の牧野氏のこの分野での活躍は周知の通り。その意味では記念碑と言える作品……であるのに、既に入手し辛いのは何故?


00/05/16
鯨 統一郎「邪馬台国はどこですか?」(創元推理文庫'98)

第三回創元推理短編賞最終選考に残った表題作に書き下ろし五編を加えて書き下ろしにて出版された作品。当時、多方面で話題になり、このミス'99でもベスト10入りした鯨氏のデビュー作。

小さなバーに最近来るようになった三人の常連客。日本古代史を専門とする三谷教授、その弟子でアルコールが入るとおかしくなる助手の静香、そして歴史に強い謎のライター、宮田六郎。宮田が常識外れの仮説を口にし、教授と静香が反論、しかし宮田の説得力のある語り口に……
『悟りを開いたのはいつですか?』ブッダは実は悟りを開いてはいなかった!
『邪馬台国はどこですか?』邪馬台国は実は○○県にあった!
『聖徳太子はだれですか?』聖徳太子は実は○○○○だった!
『謀反の動機はなんですか?』織田信長の本能寺の変は実は○○だった!
『維新が起きたのはなぜですか?』明治維新は実は○○○が仕組んだ出来事だった!
『奇跡はどのようになされたのですか?』イエス・キリストは実は死んでいなかった!
以上、「5W1H」の六編。

歴史に潜む不確定性をさりげなくエンタメに高める怪作
「歴史マニアが歴史を勝手に創り出す」森雅裕氏が何かの作品で新撰組の研究に関してこのようなニュアンスのことを述べていた。つまりは「自称歴史家が作成した根拠の薄い説」を後世の自称歴史家がそれが「正史」であるかのように使用し、彼らによって歴史の事実がどんどん変遷していくことを皮肉っているのだ。まぁ歴史研究というものを本気で進めるには使用する資料の信用性をどう考えるかが重要なのはもちろんのことなのだが。元々歴史は後世には不確定の存在。記録の隙間に想像力を働かせる余地を見つけるのは、逆に後世の我々の特権かもしれない。
本作は変形的な安楽椅子探偵もの。といっても読者は登場人物と共に探偵役を努めるのではなく、あくまで「観客」としての参加しか許されない。何しろ、世間的に当たり前と思われている「歴史の常識」をばったばったとひっくり返して行くのだ。先に結論ありきなのである。その検証部分が本作の「芸」であり「見せ場」にあたり、読者は共にその検証に付き合うわけだ。その導き出された結論を信じ込むのも良し、喝采するのも良し、眉に唾を付けるのも良し。いずれにせよ作者の豊かな空想力と、登場人物の軽妙な会話を楽しむ作品。読了後、これらの仮説をどう思うか、ということも読者次第、読者任せ。歴史ミステリとはそういうもの。
ただ、それなりの説得力が各説にあるため、常識的な知識を持っていればいるほど楽しめる作品

意外(といったら失礼か)既に発売二年で版を十刷以上重ねている本作。「邪馬台国」にミステリファン以外の人間が惹かれるのかもしれないながら、実は隠れたロングセラーかも。


00/05/15
土屋隆夫「異説・軽井沢心中」(角川文庫'78)

'58年(昭和33年)に『天狗の面』でデビュー、'63年に『影の告発』で日本推理作家協会賞を受賞した土屋氏が精力的に活動していた'68年から'74年頃に執筆された短編九編を集めた作品集。

女子中学生殺人事件の容疑者が取調べ中に窓から飛び降り死亡、取り調べの警官も後を追う『淫らな証人』
試験管ベイビーの第一人者の医者。遺恨ある男が子供が欲しいと訪れた際に黒い欲望が『黒い虹』
週刊誌の浮気体験記事は自分の妻に違いない、と編集部に怒鳴り込んできた男とその妻『午前十時の女』
ライバル市会議員同士が地方で入院する大物議員の見舞いに。彼らは女遊びをしようと宿屋へ『媚薬の旅』
敷地内の借家に住む強欲婆さんが自殺……に見せかけた狂言。妻は徐々に婆に殺意を抱き始める『しつこい自殺者』
男が自宅に帰ると妻が首吊り自殺していた。預かっていた彼女の遺書は風に乗り川に落ちたと牛乳屋は言う『風にヒラヒラ物語』
愛人がヤクザ者の妻と知った男が彼女に殺意を。自分そっくりの従兄弟を利用した犯罪計画は『Xの被害者』
有島武郎と美人編集者の愛人、秋子。彼らの有名な心中には実は隠された裏の物語があった!『異説・軽井沢心中』
家で殺してしまったと容疑者が主張する妻の死体は全く違った場所から発見される『気まぐれな死体』以上九編。

濃厚なエロティックシーンにはワケがある。
土屋隆夫の描く男女のベッドシーンはねっとりとしている。 描写が特別えげつないということもないし、シチュエーションに異常性があるわけでもない。強いて特徴を上げれば男女とも性欲が激しい(好き者が多い)ことくらい。それでいてこの絡み付いてくるような匂いを発する男と女の絡みは一体……。
で、考えた。本格指向の強い土屋氏がこれだけ濃厚なベッドシーンを描く理由
もちろん、性的な興奮を求める読者をつなぎ止めるためではない。必然性のない絡みは一つもないので、二時間ドラマの入浴シーンのような読者サービスではない。長編でもこのようなシーンはあるが、それほど目立たない。短編での色事シーンが顕著なように感じられる。……等々つなぎ合わせると、土屋短編における動機の必然性に思い至った。それが夫婦であっても、不倫の男女であっても、ベッドシーンが出てくる短編では、その男女関係のもつれが陰に日向に強烈な犯罪動機として機能している。短編である以上紙幅の制限があり、その中で犯罪が発生し解決される(またはオチがつく)。この時、不自然にならないよう犯罪の背景を設定するにはどうしたら良いか。土屋氏なりの一つの解として犯罪の必然性を男女関係、それも殺意を内に秘めるような激しいものに求めていたとしたらどうだろう。物語に使用するトリックは自分自身で実際に試してみる、という現実感を大切にする土屋氏。一般的な推理小説に見られるような出世競争、遺産争い、殺人淫楽症などの動機よりも、信州で教職をとっていた作家にとっては、男女の感情のもつれにその現実感を強く見出していたのだと考えると、すっきりする。つまり犯罪の引き金となる動機をより現実的にするために、より激しい男女の情動を描く必要があったのだ。男と女の本音が欺瞞が目論みが「ハダカ」にされるベッドシーン。描写は迫真であるものほど土屋氏の狙い通りなのかもしれない。
土屋隆夫短編をかなり読んだが、全体的に男性の持つ性欲はどの作品を見ていても、似ている印象がある。これが若かりし頃の土屋氏の姿だとしたら……絶倫。(これは冗談です。もちろん)

ベッドシーンにターゲットを絞った文章になってしまったが、本書も皮肉な結末あり、心理的トリックあり、アリバイトリックありと本格推理指向がもちろん勝っている。本書は絶版ですが市川尚吾さんに譲って頂きました。謝。


00/05/14
谷崎潤一郎「刺青・秘密」(新潮文庫'69)

弊サイトの掲示板にて、喜国雅彦、葉山響、やよい、石井春生、川口且真、浅井秀明、松本真人、千街晶之、nauboo(敬称・リンク略)……ミステリ好きの錚々たる面々が口々に「最高!」と仰る谷崎潤一郎。言わずと知れた明治〜大正期に耽美派として知られる大作家。私自身は縁無く読む機会が今に至るまでなかったのだが、さて。

本書は氏の処女作品を含む、初期短編集。

自分の欲する美を体現できる相手を待ち望み、遂に手に入れた刺青師は……『刺青』
金持ちの姉弟宅に遊びに行った少年はサディスティックな遊びに目覚め……『少年』
人に笑われることに快感を覚える男が本職の幇間となり遊女に惚れると……『幇間』
摩滅した感覚を新しい刺激で取り戻そうとする男。女装の快感に目覚め……『秘密』
無気力無力の大学生は自分自身に嫌気を持ちながら生活を変えられない……『異端者の悲しみ』
幼い頃より仏寺で隔離され育った二人の稚児が女人の煩悩に目覚めた時……『二人の稚児』
山の中の真っ暗な夜道を、母の姿を求めてあてど無くひたすら歩く少年……『母を恋うる記』以上七篇。

「感情」と「本能」の狭間に、人は自覚し得ない情動を持っている
谷崎を短編七つで論ずるなど烏沽がましいにも程があるのだが、本書一冊を通じて感じたことを正直に述べたい。
確かに文章は「典雅」という形容詞が相応しい。喩えや形容が絶妙、流れるようなリズム、瞼に浮かぶ不可知の光景。使用される言葉そのものは古いものの、八十年近く前に執筆されたとは到底思えない読みやすさ。完璧とも思える文章を用いて語られる情景は、見知らぬ世界さえ瞼に浮かばせる力を持っている。
しかし物語が強く訴えてくるのは「人間の表面的な感情」と「人間の根元的な本能」との間にある「人間が自分ではどうしようも出来ないところに抱え込んだ欲望」である。「怒り」「喜び」といった感情と「食欲」「性欲」といった本能との中間、人間が皆持っているものの、表層には現れず、下手をすると自覚もされない情動。一人一人が持った宿命的欲求。それは『刺青』や『少年』『幇間』では主人公が感じるマゾヒスティックな倒錯的快感として描かれ、『異端者…』ではもって生まれた怠惰な性根として描かれ、『二人の稚児』では、女性に対する本能的な畏怖となり、『母を…』ではマザーコンプレックスとして現れている。皆が等しくその情動を持っているわけではない。しかし誰もが少なくとも何かは他人とは違った情動を抱え込んでいる。自覚することが幸せなのか、自覚しないことが幸せなのか。かなり当時センセーショナルだったことは想像に難くない。
『秘密』など乱歩や正史の作品といわれても納得出来るかもしれない。普通の刺激に飽き足らなくなった男が求める新しい刺激。変装は探偵小説の普遍テーマでもあるし、谷崎が語る淫靡な欲求と探偵小説との繋がりも無視できなさそうだ。

初版こそ昭和44年ながら本書で五十七刷、作品によっては百刷を越えている谷崎、本書は現役本です。代表作は今後も余程のことがない限り絶版とは無縁。「文学」として確立された作品の強みか。時折り難解単語も使用されますが「注解」付き。但し文章のリズムを味わうのには邪魔なので通読後に参照するのが良さそう。


00/05/13
司 凍季「屍蝶の沼」(カッパノベルス'98)

司凍季(つかさ・とき)さんの十冊目の書き下ろし長編。「著者の言葉」によれば、社会派推理本格を目指したというが、本の謳い文句は「長編ホラー・ミステリー」になっている……。

中国地方の小さな山あいの町の近く。山奥の貯水池から全身が黒く焼け爛れた上で水に投げ込まれ、更に動物に食い荒らされた無惨な女性死体が発見された。彼女は全裸にされた上、真っ赤なレインコートを羽織っており、左手の薬指が切断されていた。程なく彼女はこの町唯一の医者で、有力者である原嶋の娘、梨花だということが判明する。中学生の彼女は数日家に帰らず捜索願いが出されていたのだ。彼女の担任教諭の米沢は下駄箱に入れられていた「犯人はお前だ」という手紙に逆上、生徒の一人を殴り倒して、こちらも警察沙汰に。この都市でミニコミ誌を製作している菜月は、この事件の記事を書く新スタッフに昔、恋愛関係にあったフリーライターの高野を編集長に推薦する。丁度仕事にあぶれていた高野は早速事件の取材を開始する。

……社会派とも本格ともつかず、強いて言うならトンデモかも……
あまり派手な活躍はないものの司さんは島田荘司の推挽でデビューしたれっきとした新本格ミステリ作家である。彼女の初期作品は強引ながら大胆で大がかりなトリックなど、初期島田作品に通じる力強さに溢れていた。ここに来て「社会派」を標榜するあたり、口には出さないながら島田氏の近作でも見られる傾向、果たしてどう処理してくるのか。
意味深な子供の投書文でのプロローグ。黒い肌をし包帯を巻いた奇妙な人々が次々と沼へ飛び込む……。冒頭の謎。島田新本格のお約束。現実に無惨な姿を晒す死体。切り取られた薬指。果たして猟奇的な犯罪に意味はあるのか? 意味深に張られる多数の伏線、過去へと繋がる町の歴史等々、サスペンス味も絡んで物語の中盤までのスピード感と、謎の配置に関するセンスはなかなか読ませる。
ところが、だ。本格推理としても、社会派推理としても解決・結末がぐらぐらなのだ。これは勿体ない。本格推理の側面からすると、犯人の取った異様な行動への説明の乏しさがツライ。読者へのわざわざ事件を複雑化させるためだけに取られた行動の数々。意外性の為に作られた犯人。別にこんなことしなくてもいいのに、という思いが物語の読後感を白けさせる。そして、社会派推理の側面は更にツライ。前半のイジメの描写はまだいいものの、事件の背景に架空の現実に付合しない事件をでっちあげられても何を糾弾したいのかがさっぱり分からない。こんなの事件発生以前に何とかしてないとおかしいよ。

「著者のことば」や「煽り文句」なしに本文だけを読めば一種のサスペンスとしては充分評価出来るのに、下手に本格とか社会派とか書いてあるがために「おいおい」な印象しか残らなかった。 ごめんなさい。ちょいと残念です。


00/05/12
泡坂妻夫「恋路吟行」(集英社文庫'97)

元は'93年に刊行された同題の短編集。『小説すばる』『週刊小説』をはじめとする雑誌掲載の短編で「男女の恋愛や絆」といった主題の作品が十編収録されている。

その手品師の得意技は手を触れずに黒板に字を浮き上がらせること『黒の通信』
仮面を付けたトランプ勝負、男は自分の妻を賭け金代わりに差し出す『仮面の恋』
フランス駐在の帰り三人家族は曰くありげなカップルと行動を共にする『怪しい乗客簿』
義理の姉に惚れた弟は彼女を食事に誘い出す。彼女が交通事故で瀕死に『火遊び』
俳句旅行で妻に疑惑を持つ男は別の女性に声を掛けるが妻が途中から同行『恋路吟行』
酔って帰った男は妻が浮気をしていたのではという疑惑を足跡から発見する『藤棚』
取り壊しの決まった旅館の女将と中学生との心暖かな交流を描く『勿忘草』
時代物。安政の大地震の際に前世からの縁、と男に誘拐されかける『るいの恋人』
田舎を嫌っていた夫が美術館で一枚の絵を見てから様子がおかしくなる『雪帽子』
疎開中に母親から引き離され新しい母親と出会った子供は成長して『子持菱』以上十編。

ほんのりと情愛、ほんのりとミステリ。
今まで読んできた泡坂短編集の中ではミステリ寄りでも恋愛小説寄りでもない中道的な作品が多く収録されている。その分一作一作のインパクトは正直薄まっている。というか、そもそもインパクトよりも「見せ方」で読ませる短編か。大人の恋愛だとか、親子の情感だとか、夫婦の絆だとか、人間が人生を送るにあたって大切なものが主題。そんな中にキラリと、しんみりと「泡坂氏らしさ」が感じ取れる。乱れた足跡というヒントから解決への道筋が光る『藤棚』。職人気質・親子の情愛・心理的錯誤の三位一体『子持菱』。手品を効果的に用いつつ幻想味を交えた『黒の通信』と『仮面の恋』。ミステリ的に弱くとも、人間心理の綾を見事に描いた『勿忘草』、『雪帽子』などなど。一つの作品に「泡坂氏らしさの全て」は入りきっていないものの、作品それぞれに「その一端」が必ず垣間見える。その結果、トータルの作品集としてやっぱり「泡坂氏らしさ」の主張があるのだ。

『亜愛一郎』のシリーズのように驚天動地の大トリックはない。そもそも泡坂氏は、トリック重視の作品だけでなく男女の恋愛や親子の情愛等々、色々な傾向の作品を著している。そんな氏が、ふっと力を抜いたような作品が揃った。 ちょっと感じが違うなと思わせていても、やっぱり泡坂妻夫なのである。


00/05/11
篠田節子「ハルモニア」(マガジンハウス'98)

『女たちのジハード』で直木賞を受賞した篠田さんの受賞後第一作。書き下ろし単行本。

精神障害者の社会復帰施設「泉の里」で臨時の指導員となっている東野。彼はプロのチェリストで音楽療法の補助を行っていた。彼は臨床心理士の深谷という女性が「あなたの手で、天才を育ててみない」と声を掛けられていた。後天的な脳の障害により、音感が異常に優れている女性、浅羽由季の個人指導がその依頼の内容。なし崩しに引き受け、チェロの演奏を教え始めた東野だったが、コミュニケーション能力が完全に欠落した由季の扱いに四苦八苦する。しかし確かに彼女は音楽に対する人間離れした鋭敏な才能を持っており、東野は徐々に彼女に対する興味を増していく。

単純なストーリーから繰り広げられる大きな情動
敢えて割り切った言い方をすれば、ストーリーは単純である。一人の男性と特殊な能力を持った女性との心の(そして愛情の)交流。最初から最後までこれで一貫している。途中、サスペンス的な誘拐エピソードなども差し挟まれるものの、これは十分条件であって必要条件ではない。
互いに惹かれている男と女がいたとする。彼らは自分の持つものを相手に与え、自分の持たないものを相手に求める。もの、と便宜的に書いているが、これは考え方だったり、経済的なものだったり、精神的な支えだったりと様々だろう。本書における男女の場合、女が持つのは「鋭敏な音感とセンス」持っていないのは「コミュニケーション能力」、男が持つのは「理解と導き」持っていないのは「夢」、あたりで説明出来そうだ。男女の持つ「もの」持たない「もの」の軸足を、世間一般の恋愛とずらしてやることにより、物語は想像できないような方向に膨らんでいく
確かに取り上げられているのは特殊な病気ではある。そこからくる暗さは拭いきれない。さらに通常的な意味でのコミュニケーションが取れない男女の間にいかなる恋愛が成立するのか。男が一方的に入れ込んでいるように見える姿もまた痛い。篠田さんは、その暗さ、痛さまでも逆手に取り、男と女の姿を印象深く浮かび上がらせている。上手い。

本書は当然ミステリではなく、ほんの少しSFとファンタジー的な香りの漂う純文学。愛と、愛を越えたものに翻弄される男女の姿。哀しく美しい恋物語。じっくりと取り組みたい。