MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)− 


00/06/20
山田風太郎「魔群の通過 −天狗党叙事詩−」(角川文庫'81)

'76年より翌年にかけて『カッパまがじん』という雑誌に連載されていた作品。角川文庫の他に文春文庫でも刊行され、現在は廣済堂文庫版にて入手が可能。(廣済堂の風太郎はどこへ?)

明治維新前、幕末に水戸藩で起きた尊皇派と佐幕派との間で繰り広げられた内戦は、様々な利害関係者が入り乱れ、本当に一国を二分する血で血を洗う戦いとなった。六万の佐幕派と相対する、天狗党と呼ばれる三千の尊皇派は戦いの末、元々乗り気でなかった松平大炊頭が投降、千の兵力を喪い退却を余儀なくされる。帰る当てがなく意気阻喪する彼らを元気づけたのは、上洛して徳川慶喜公に相見えるという新たな目的であった。超過激派の同志の計略で佐幕派の重鎮の妾と娘を人質に取った彼らは、一旦北に逃れた後、京に向かい苦難の道程を開始する。地元の軍、追っ手の軍、土着民たち全てが彼らに敵対、そして道無き道や今や冬を迎えるという気候までが彼らの敵となって立ち塞がった。

全編一人語りが抜群の効果。維新の裏側に埋もれる破滅の悲哀
本書は忍法帖でも推理小説でもなく、風太郎が独自の視点で歴史を再構成した時代小説。
その主題として本作に取り上げられているのは、明治維新前の激動の江戸時代末期に、悲壮な上京を実行すべく武装した千人余りの集団「天狗党」の行軍顛末である。浅学にしてこの動乱について私はほとんど予備知識無しに本書に臨んだにも関わらず、的確かつツボを捉えた風太郎の綴る物語から、歴史の狭間で藻掻く彼らの叫びが届いた。「周囲全てが敵」状況下、自然や民衆をも敵に回し、僅かな望みに縋って行軍を続ける集団。
歴史的事実を曲げるわけにいかない。しかし、物語として読ませる内容とせざるを得ない。こういった制約事項の中で、風太郎が選んだ方法は「動乱の生き残りが三十年後に当時を振り返る」という一人語り。恐らく講談に通ずるであろうこの方法論に加え、当時十五才だったという話し手の設定が冴えまくっている。時間経過に沿った物語で、作者自身の体験だけに臨場感に富んでいるのがまず良く、更に三十年後に振り返って話しを進めているため事実関係が整理されている点が良い。歴史的評価が定まった後なので、読者(本書の中では聴衆)にとっても分かりやすいことこの上ない。結果的に歴史に埋もれた悲劇を掘り起こすことに大成功している。

刊行が繰り返されるところをみると、一般的には時代小説として捉えられているのであろうか。今となっては知られざる悲劇であるとはいえ、動乱における色々な日本人の縮図が込められている佳作。


00/06/19
鮎川哲也「透明な同伴者」(集英社文庫'88)

当時、文庫未発表だったの短編六編を収録した作品集。それぞれ'70年より'76年に『小説推理』誌他に発表されたもの。

女性推理小説家が結婚するのに邪魔な年下のツバメに殺意を。自殺にみせかけた殺人『透明な同伴者』
株屋の周吉は美人妻の浮気を知り、相手と妻に殺意を。アリバイ工作を仕掛けた殺人『写楽が見ていた』
女性作家からレズ関係を強要される編集者が殺意を。現場不在証明を作ろうと別送に『笑う鴉』
手術ミスの失敗から看護婦に強請られる医者が殺意を。写真と死体の首とを利用したアリバイ『首』
振って湧いた縁談にカメラマンは半同棲中のモデルに殺意を。ペットとの心中にみせかける『パットはシャム猫の名』
過去の過ちから中年女性に関係を強要されたエリートサラリーマンは殺意を。無関係の交通事故の犯人としてアリバイ確保『あて逃げ』以上六編

鮎川倒叙推理作品の様々なかたち、そして…
……本書の最大の特徴(売り物)は、語弊を怖れずに挙げるとするなら巻末、山前譲氏による解説であろう。鮎川倒叙短編をデータで分析しているのだ。鮎川短編は、本書刊行当時183編、うち倒叙作品は58、32%に上るのだが、特に'76年(昭和41年)より、'85年(昭和50年)に書かれた作品82編に限れば、実に56%の46編が倒叙作品であった。更に倒叙推理作品の事件発生の動機を原因ごとに分類したり、倒叙の内部で狙われたのがどのような趣向なのか分析したりと精緻を極めており、鮎川氏の短編執筆傾向、当時の推理小説の在り方などが類推出来て非常に興味深い。
そして解説中、倒叙の発覚方法を分析されている点を読み、これまで集英社文庫の鮎川倒叙作品を読んできて漠然と抱いていた印象が形になった。倒叙とは犯罪者が完全犯罪の計画を練り上げ、実行に移したものの、何らかの瑕疵によって破綻する経過が描かれる推理小説である。その「瑕疵」が何であるか、が推理小説としてのポイントになるわけだが、58作のうち31作品が「手掛かりとなるものは示されているが、それだけでは推理に不十分なもの」「犯人もしくは読者には予測できない偶然によるもの」に分類されている。そう本格の鬼、鮎川哲也の短編でありながら読者の論理だけでは解決出来ない作品が意外に多い、のだ。全てにフェアを求めるのは酷かもしれない。しかし正直に言えば「ある偶然によって失敗した」という結末に対しては「ふーん」としか感想が持てなかった部分があり、それが消極的に肯定された感。ここは寛大に「鮎川先生もアイデアが枯渇して苦しんでいたのだな」といたわるべきなのかもしれない。

集英社文庫の鮎川短編集では『葬送行進曲』と並んでなかなか入手しづらいところ。とはいえ、鮎川短編を全て押さえたい、という方以外は無理をしなくても良いように思います。


00/06/18
陳 舜臣「北京悠々館」(講談社文庫'76)

'61年の乱歩賞作家の陳氏が『玉嶺よ、ふたたび』『孔雀の道』の二作により推理作家協会賞を受賞したのが'70年。その余勢を駆って翌'71年に乱歩賞作家書き下ろしシリーズとして完成、講談社より刊行されたのが本書。その文庫化。

日露の関係が風雲急を告げる明治36年。義和団事件を口実に満州を占領、撤兵どころか現地の支配を目論むロシアに対し、これを脅威と受け止める日本は丁丁発止の駆け引きを開始した。ただ舞台となる清国の態度が大きな鍵を握る。緊迫した国際情勢を背景に書画商を営む青年、土井策太郎に白羽の矢が立てられ、北京において諜報活動の一端を担わされる。土井と旧知の拓本家、文保泰は清国の政界との太いパイプを持つのだ。彼に再び接近する土井。文は「悠々館」と呼ばれる重厚な造りの作業場を持っており、そこの密室性を利用して様々な政治工作をも行っていた。そしてその「悠々館」での賄賂の受け渡しの直後、密室で文は殺され、大金が行方不明となる事件が発生する。

歴史の裏側に本格ミステリを融合させる試み……
結論的に言ってしまえば、陳舜臣にしか絶対に書き得ない世界だと思う。
日露戦争前という歴史的に微妙な時期の中国を舞台に、政略渦巻く中国社会を、現地の歴史的風俗的な情景共々に描く。まず、この状況を書きうる「日本人」はちょっと思い付かない(そりゃ陳さんは厳密には日本人じゃないかもしれませんが)。更に、当時の人々が、持っていたであろう様々な気っ風・気質・考え方を物語の中の登場人物それぞれに特徴付ける。これがまた綺麗に嵌っている。当時の大陸の人々がごく自然に登場しているし、対比で登場する日本人がまた性格の違いが出ていて面白い。
そして、彼らの間に発生する不可能的興趣にも満ちた殺人事件。石造りの完全な密室で、他に誰一人いない中、毒を塗った刃物で背中を刺されて死亡していた被害者。この事件そのものだけでも確かに興味を引くのに、動乱の時代を背景とした時代がまたダイナミックに動き、登場人物それぞれが躍動する様は、謀略スリラーの様相。そちらからの興味も充分。
最終的な謎解きは、もしかすると現在のミステリファンには受け容れがたいかもしれない。しかし、登場人物や舞台がそのまま伏線になっているあたりの周到さには気付きたいところ。また、実は二重に仕掛けられた事件の構造が心理的などんでん返しになっており、意外性はそちらでも楽しめる。

講談社文庫の後に、徳間文庫、集英社文庫でも刊行された模様(現在も入手可能かは不明)。現在の陳舜臣という「歴史作家」のイメージと作品イメージが近い。それでいて本格をきっちり指向したトリックにも驚ける。傑作とまでは行かないまでも、印象に残る作品かと思う。


00/06/17
牧野 修「スイート・リトル・ベイビー」(角川ホラー文庫'99)

第六回日本ホラー小説大賞長編賞佳作作品で、牧野氏の数ある受賞歴の中の一作。'99年に『KADOKAWAミステリ』誌のプレ創刊2号に掲載、そのまま文庫化した作品。

児童相談所にて児童虐待電話相談のボランティアを務める保健婦、丸山秋生。彼女は完璧な母親を演じようとするあまりに自らの子供を殺しかけ、保健婦のおかげで踏みとどまった過去があった。彼女の元に以前、彼女に個人的に相談を持ち掛けていた女性、斉藤則子から電話がある。夫の様子がおかしいという。則子がなけなしの貯金をはたいて興信所に夫を調べさせたところ、彼はアパートを借り大量の食物をそこに持ち込んでいるという。但し女の形跡はない。秋生は別の依頼で、虐待を受けていた五歳の女の子を裁判所の命令の元、両親から連れ去る仕事を、知り合いの弁護士、金城から請け合う。こうして自分の過去に深い傷を持つ秋生は、奇妙でかつ悲劇的な事件に巻き込まれていくのだった。

数あるエピソードとキレのある文章、アイデア百出の牧野ホラー
児童虐待に対処する保健婦、という女性を中心に持ってきた段階で牧野氏の勝ちだったのかもしれない。とにかくエピソードの豊富さは群を抜いている。社会問題である児童虐待を中心に、常識で理解出来る範囲の「奇妙な人」「奇妙な行動」を描写していたかと思うといつの間にやらそれは常識から外れ、恐怖を催す「奇妙な人」「奇妙な行動」へと変化している。そのバランスが絶妙。それと気付かせないままに読者の足許をずぶずぶと沈めて牧野ワールドに持ち込む手腕、いかんなく発揮されていると言えよう。次から次へとアイデアが浮かんできて仕方がない、という印象を受けた。

さて。私には珍しく、あえてちょっと厳しい指摘をしてみる。
別にフェミニストを気取るつもりも、林真理子を支持するつもりもないが、角ホラでの佳作については致し方ないものと思った。一つは完成度。文章や人物、描写には文句の付けようはないものの、牧野さんならば、もう少しリーダビリティを配慮したプロットに出来るはず。主人公と関わりのある関係者とエピソードが多すぎ、詰め込みすぎて整理しきれていない印象を受けた。何よりもこのことで牧野氏の持ち味である「スピード感」を完全に殺してしまっているのは痛い。もう一つは問題となったレイプシーン、不快を覚えるばかりで恐怖に繋がらない。方法論として不快を次々と打ち出すことによって恐怖を生み出す、ということは理解出来るのだが、本作の当該部分に関してはいくら残酷に書こうと、矢継ぎ早に打ち出してこようと、不快な感情は不快のまま。一般的な恐怖に転化出来る方法で良かったのではないか。

いずれにせよ、一連の牧野ホラーで見られる「ツボ」は押さえられており、大胆な想像力から生み出されたsupernaturalな存在から受ける底知れない恐怖を創り上げるセンスはやっぱり非凡です。


00/06/16
水上 勉「飢餓海峡」(新潮文庫'69)

掲示板から「社会派推理」に関心が出たので清張に続く社会派の大物、水上氏の作品を手にとってみた。本書は'62年に『週刊朝日』に連載され、翌年に朝日新聞社より刊行された作品。

1947年の九月。台風の最中、函館を出向した青函連絡船層雲丸は横転、沈没し大惨事となった。死者532名を数えるこの事故で、船客名簿と照らし合わせてもどうやら死者が二名多いのだ。函館警察署捜査一課の弓坂警部補は、その事実に引っかかりながらも、引き取り手のない二人を無縁仏に埋める。一方、層雲丸事故と同日、函館から120qほど離れた岩幌という町では、質屋の一家から出火、折からの台風で燃え広がり、街の三分の二が消失するというこちらも大惨事が発生していた。検証でその質屋の四人のうち三人までが火事の前に惨殺されていたことが判明、その少し前に網走刑務所を出所した二名を含む三人の男が捜査線上に浮かんだ。弓坂は執念深く彼らの足取りを追う。

社会派が求める徹底したリアリズムが推理小説以外の部分をも引き立てる
松本清張と並び賞される社会派の巨頭、水上勉。
この作品には、大きな流れが三つある。「最初の事件の発生とその追及」「一人の関係女性の生き様」「新たな事件とその追及、そして終焉」。これら三つの一つ一つが別個の長編であるかのようなドラマを孕む。とにかく登場する土地土地、事件に関係する人物、地道な事件捜査、全てが克明なのだ。戦後すぐの混乱した時代から始まった物語が完結するまでに、ほぼ十年の年月を必要とする広大な設定。それでいて決して退屈させない展開。そして、主だった関係者全てが何らかの業を背負い、生き続ける姿が訴えるのは、やはり社会に対する様々な告発。戦後すぐの刑務所問題。貧しさ故に身体を売って生きなければならない女性の問題。次男・三男が冷遇される貧村の問題……等々、告発される事柄は一つに止まらない。とはいえ、全てに共通して問題意識は、題名にある飢餓であり、貧しさに通じている
そして、読了して心に残るのは社会の問題ばかりではない。と、言うよりも描かれている人物一人一人の生き様、心情の方に深く心を奪われる。戦争という災厄により、ある意味日本国民に平等に与えられた「貧困」。ここをスタートとして、彼らがどのように考え、どのように生きたのか。物語の終盤に全てが明らかにされた時に、何が正しく、何が間違っていたのか、深く考えさせられる。
確かに名作。しかし時代が移るにつれ「飢餓」「貧困」というキーワードは完全に昔話になってしまった。かくいう私自身も、想像は出来ても本当の「飢餓」など実感はしたことがない。「社会派推理」は時代の変遷と共に消え去るのか、それとも一つの時代の証人として残されるのか。「社会派推理」の素材そのものについても考えさせられる作品かと思う。

私は古書で、かつ古い版で読みましたので一冊ですが、現在は上下巻に分かれています。水上勉の代表作として評価も高いので、今後も推理小説の枠でなく「水上勉の作品」という形で読み継がれていくのではないでしょうか。


00/06/15
高田崇史「QED ベイカー街の問題」(講談社ノベルス'00)

第九回メフィスト賞の受賞作家、高田氏の「祟シリーズ」三作目。氏のプロフィールは最低限しか明かされていないが、明治薬科大学卒という点からすると、現役の薬剤師さんではなかろうか。(安易な類推)

薬局勤務の棚旗奈々は、偶然に出会った大学時代の先輩、緑川友紀子より、桑原崇共々「ベイカー・ストリート・スモーカーズ」というシャーロキアンの集うパーティに出席しないか、と誘われる。ほとんどシャーロック・ホームズについて知らなかった奈々だが「以前からホームズの『最後の事件』に疑問を持っている」という桑原から強引に約束を取り付け、付け焼き刃で何とか勉強しての出席となった。凝りに凝った店内で催される個性の強いシャーロキアン達の会話に戸惑う奈々、ようやく桑原が現れる頃にはパーティ最後の余興タイム。メンバー演じる『まだらの紐』のラストシーン、途中で出演者の様子がおかしくなる。死体役を演ずる筈だった坂巻が控え室で腹を切り裂かれた死体となって発見されたのだ。死体の手にダイイングメッセージ、過去に自殺したメンバー。『最後の事件』にまつわる謎は、事件とどう関わるのか?

シャーロック・ホームズを読んでどきどきしたことのある、全ての方へ
世にはシャーロキアンという方々が存在する。ホームズの物語を様々な角度から徹底的に研究し、フィクション世界を徹底的に遊ぶ人達。本書はそんな彼らのこだわりが分かりやすく楽しく紹介されている。物語の各所に散らばるホームズの蘊蓄、これが楽しい。全てを読んでいるはずなのに、読む角度を変えると色々な見方があるものだ、とひたすら感心。ホームズに興味がない人にとっては煩わしいだけかもしれないが、ミステリ好きの少年少女が一度は読んだことのある作品だけに、嫌味が感じられない。物語中、幾つもホームズにまつわる様々な疑問が提起されるが、やはり見どころは桑原の提示する「ホームズはなぜ「最後の事件」以降、性格が変わってしまったか」についての解釈だろう。個人的には本筋よりもこちらの謎に完全に魅了された。
物語の進展の関係上、当然殺人事件が絡む。この不可能犯罪や猟奇的雰囲気の設定は高く買えるし、ヒントや謎にしっかりとシャーロック・ホームズが関係しており面白い。ただ、事件の真相が例のごとく私のあまり好まない「本人がよく覚えていないうちに犯罪を犯しました、実は薬物中毒だったから。つまり薬物・病気系」なので、その点だけは引っかかる。特に二件目の『踊る人形』を絡めて、ホームズ蘊蓄と綺麗に繋がる殺人の扱いなど、センス的には優れている。だから……私は氏の描く正攻法のミステリが見てみたい。

シャーロキアンを主題にした必然性から、ホームズ作品の内容が横断的にネタバレされてます。未だ読み残しを持っておられる方は、先にホームズを全部読んでから。後は、夢中になってホームズ世界の素晴らしさに浸った経験を持つ、精神的に大人の方であれば、少なくともホームズの謎の部分はきっとわくわくしながら読めることでしょう。ホームズは延原訳がいいなぁ、個人的には。


00/06/14
日影丈吉「地獄時計」(徳間書店'87)

日影丈吉最後の長編は幻影城廃刊後に原稿が出てきて……という『夕潮』が有名だが、本書はその一つ前の長編となる。書き下ろし出版された自伝的な意味合いの濃い長編。

子供の頃から仕立屋の父親に連れられ、麻布の天主公教会に通っていた私はそこでジャンと呼ばれる整った顔立ちの日本人少年を知る。当時、滑り台の鉄棒に首を挟まれて男の子が事故死する事件が発生。私は、死んだ男の子が教会に通っていた金髪の少女と仲が良かったことから、同じく思慕を寄せていたジャンのことを無意識に疑う。成長した私がフランス留学から日本に戻って来たところ、ジャンは下働きとして教会で働いていた。私は教会に通う子爵の娘の正宗杏奈という女性の美しさに心惹かれる。ところが私が偶然に彼女宅を訪れたところ、杏奈の婚約者が頭を割られ死んでおり、彼女はその傍らで鉈を持って立ちつくしている場面に遭遇する。続いて板橋の神父が変死する事件が発生するに及び、私は再びジャンを疑う。

宗教、そして人間への果てしなく深い洞察と懐疑から産まれたミステリ
フランスミステリの翻訳、エキゾチックで独特の雰囲気漂うミステリ、軽妙な「食」に関するエッセイ。日影丈吉もまた、多様な才能を読者に余すところなく提供した作家の一人である。そんな日影氏の自伝……とまでは、行かないものもの、恐らく氏の心の中に刻まれている心象風景が、本書の中には点描となって浮かび上がっているものと拝察する。昭和初期。日本にいる外国人牧師たち。上流階級と下層階級が混じり合う教会という異界。もしかすると登場する美しい少女たちもまた、日影氏の心の中に刻み込まれていた想い出なのかもしれない……。
……といったノスタルジックな描写を背景に持ちながら、展開される物語そのものではシビアかつ、シリアスな事件が扱われている。主人公の少年−青年の持つ、一人の人物に対する懐疑――が物語の主軸を務める。憧れの女性の婚約者の変死。訪ねたことのある牧師の変死。そして過去に体験した滑り台での少年の変死――これらが、一人の男のために引き起こされたのではないか、という猜疑。そして、彼のキリスト教という信仰故に悩み、自分自身の矮小さに悩む。事件を解明しようと仮説を立て、誰かに疑いをかける度に陥る自らへの嫌悪。発生する事件一つ一つのトリックでの意外性はあまり大きくはない。しかしそこから激烈なラストへと持ち込まれた時、実は物語で語られていた全てが非常に巨きな錯覚トリックに利用されていたことを知らされるのだ。巨匠ならではの大技が炸裂した作品。

近年かなり入手困難な状況(私も見つけるのに苦労しました)が続いていたが、文庫で出版の気運があるとのこと。確かに埋もれさせておくには勿体ない作品だと思います。後味があまりよろしくないのがちと残念ですが。


00/06/13
松村喜雄「江戸川乱歩殺人原稿」(青樹社BIG BOOKS'90)

松村喜雄。『怪盗対名探偵』という評論で第39回推理作家協会賞を受賞、フランス文学に精通、その翻訳もこなし、そして本書の通りミステリの創作もこなすという三足の草鞋を履いた人物にして、江戸川乱歩の実の甥っ子というサラブレッド。

江戸川乱歩の書いた未発表原稿『弟子』という作品が、推理作家安田信次郎から、国会議員の谷村萬右衛門の元に送られて来た。戦前の一時。まだ少年だった彼らと他二人、秋山と鈴木を加えた四人の仲間は、生き馬の目を抜くと言われる兜町の中、文学を愛好していた。彼らは大胆にも江戸川乱歩の門を叩き、親交を得ることに成功する。しかし五十年前、彼らの前に現れた一人の少女が死亡する事件があった。自殺と処理されたその事件の犯人は実は四人の中にいる……『弟子』はその犯罪を告発する文書に成りうるもの。次期総理大臣を狙う谷村は、安田からの挑戦状と受け取り、その原稿に目を通し始めた……。

目的と手段と中身がバラバラ。乱歩の名が泣く……。
作者自身のあとがきがある。それが無ければ、普通のB級サスペンスとして読めたのに。
江戸川乱歩の署名付き未発表作がある。その作中作が無ければ、普通のB級ミステリとして読めたのに。

物語の筋書きとしてはそれ程悪くないと思う。五十年前の犯罪を元に書かれた物語の存在で、権威の失墜に怯える権力者。しかも、登場する少年四人がそれぞれ誰なのか、という物語の謎を解かないことには真犯人は分からず、更に、被害者女性、石田ヒカリを名乗る謎の人物も暗躍する。絶交状態の四人も消息も少しずつ明らかになるが、今度は彼らが一人一人と何者かに殺されて行く……。サスペンスストーリーとしては(彼らの行動動機がそれぞれ理に適わずめちゃめちゃなことを差し引けば)、2時間ドラマ程度には出来るだろうし、まぁB級サスペンスとして水準レベル。……だが、しかし。
……まず、鼻につくのは作中作の余りの拙さ。いやしくも大乱歩である。いくら偽作家の作品という真相とはいえ、せめて乱歩を真似たという努力を形跡くらい感じさせて欲しかった。文体・文章・物語のどこにも乱歩がいない。内容も破綻している。残念ながら私の今まで読んできた乱歩のパスティーシュの方がよっぽど、乱歩への愛が満ちていた。
……そして「あとがき」である。悪気は全くなく天然。だからこそ始末が悪い。「トリックは意識しない意識として使用するのが適切」「乱歩のイメージに虚像があるのでそれを正す」……言っていることと提示された実作がかけ離れているのが、何とも痛い。ブールジェの『弟子』という作品を下敷きにした、というが、その意図は物語の不自然さの中に完全に埋もれてしまっているし、氏が感じている乱歩のイメージ、というのもさっぱり見えなかった。これを「それなりの成果を書いたつもりである」と差し出されても、読者としては「困惑しました」としか答えようがない。

「珍しい」なんて日記に書いてしまいました。が、御安心下さい。捜して読むレベルの本ではありませんでした。大層な口上で乱歩の名を振り回せば振り回すほど、哀しいかなレベルの乖離がますます目立ってしまうという、ちょっと悲惨な後味。


00/06/12
紀田順一郎「鹿の幻影」(創元推理文庫'94)

書誌学の大家である紀田氏が著したミステリ作品の一つ。'89年に<鮎川哲也と十三の謎>の一冊として刊行された作品が文庫化されたもの。

趣味が高じて古書店を開いた男が音頭をとる、神保町に巣くう専門分野を持つ書痴仲間の集まり「黎明の会」。水道橋で一次会の後、ホームグラウンドの神保町に流れてきて大騒ぎをする。ところがその翌朝、神保町に住む一人の古書店主の老人が死体となって発見された。老人は自らのコレクションルームで息絶えており、頭を部屋にあった巨大な魚の置物で殴られていた。また老人は灯火の元で本を読む姿を「黎明の会」に所属する高津らに目撃されていたが、警察は容疑者もまた「黎明の会」のメンバーにいると考えていた。

まったくもって書痴、処置無し。
つくづく「書痴」という人種は特殊だなぁ、と思う。(分かるだけに) 『古本屋探偵の事件簿』(同じく創元推理文庫)ほどではないものの、本書に登場する人物の「書」に賭ける意気込みはやはり世間的な常軌を逸している。(分かるけれど) 人生の全ての金と時間と興味を古書に託し、「読む」という本来の行為を忘れ「蒐集」に血道を上げるマニアたち。(分かるけれど、自分はそこまではなりたくない)登場人物紹介を良く見れば、タイプによって「愛書家」「収書家」「収集家」と微妙な区別が。(私は愛書家たりたい)そんな彼らと、彼らの街、神保町で発生する事件。この雰囲気を楽しむのが正道か。
ミステリ的にも不可能犯罪を取り上げており、正道を行っている。ただ、伏線をフェアに張りすぎていることと、段階を踏んだ捜査が丁寧に描かれているせいで、比較的犯人の目星は付けやすい。とはいえ、伏線全てを読みとるのはやはり難しく、謎解きの段になって自らの盲点にも同時に気付かされたりときちんとカタルシスも得られる。動機の段になって急激に生々しい話になってしまうのは御愛嬌。

それでもやっぱり、古本マニアと神保町という街を楽しむ作品という評価は変わらない。紀田順一郎作品に出てくる登場人物は、アナタ(の未来)です。自戒自戒。


00/06/11
山口雅也「続・垂里冴子のお見合いと推理」(講談社'00)

垂里冴子のお見合いと推理』の続編で垂里一家が活躍するシリーズ作品。「小説すばる」誌(これは集英社なのに)に'98年から'00年にかけ掲載された作品四編による単行本化。前作は集英社から出版されているが装幀が同系列というのは嬉しい。

京一が受験に失敗。姉弟で傷心の温泉旅行に出掛けた彼らだが、実は宿泊先旅館の息子と冴子は見合いの約束があった『湯煙のごとき事件』
続いてのお見合いはエステティックサロンの研究所に勤務する男。ナオミを目指す空美は冴子の名をかたって店に入り浸る『薫は香をを以て』
「受験七福人」と名乗る愉快犯が七福神の像を盗み出す事件が発生。想いを寄せる真紀に冷たくされている京一の周りで類似事件が発生『動く七福神』
デートに出掛ける時にヒールを折った空美が駆け込んだ靴屋では一家が修羅場を演じていた。その冴えない弟が冴子の見合い相手『靴男と象の靴』以上四編。

日常の謎とパターンミステリの面白さを合わせた安心快感ミステリ
登場人物紹介に何となく重きが置かれていた感もある前作品集に比べると、登場人物がかっちり固まってきたせいか、一種のホームドラマ的な暖かさ……「サザエさん」的と言ってもいいかもしれない……に満ちている。「お見合い」−「事件発生」−「お見合い失敗」という物語の縛り(良い意味での「パターン」とも言う)があり、それをベースに純粋パズラーが次から次へと繰り出される。アイデア・ひねり・トリック等、シリーズが進むに連れ衰えていくことのおおいパターンミステリにおいて、まだ二作目とはいえ、衰えどころかそれを活かした面白さの方が強く感じられるあたり、山口さんの力量は感服もの。冴子が年齢を重ねるにつれ、見合いの相手も段々と、強力・個性的な持ち主に変化していくところも面白い。お見合いの構造上「贅沢は言っていられない」という度合いが高まるのはある意味必然ではあるのだが。
冴子という人物の魅力は通読していれば当然読者には伝わるし、彼女には幸せな結婚を是非ともして欲しい、と読みつつ応援しているのだが、お見合いに失敗してくれないとこのシリーズが終了してしまうという強烈なジレンマも。一体私はどうしたらいいのだろう?(まぁ、いずれにせよ黙って読むしかないんだが)

集英社から講談社に移った舞台裏もちょっと気になるところですけれど、まぁ我々は作品が読めればそれで良いのです。どうやら映像化も確定している模様。映像の影響を受けちゃう前にテキストを読んでおきましょう。