MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)− 


00/07/10
檜山良昭「スターリン暗殺計画」(双葉文庫'96)

日本推理作家協会賞受賞作全集の38。第32回('79)の長編賞を天藤真『大誘拐』と分け合った作品。受賞の前年に徳間書店より刊行された本書は実に檜山氏のデビュー作品で故開高健氏が絶賛したという。現在、氏は戦記シュミレーションや時代小説など幅広い分野で活躍中。

1938年(昭和13年)、一人の大物ソ連軍人が満州国境を越境、亡命を求めてきた。彼の名はリシュコフ。内務人民委員部極東地区長官である。時にソ連ではスターリンによる事実上の恐怖政治が布かれており、リシュコフもモスクワに召還されかかり命の危機を感じたことと、スターリンによる統治が祖国の人民のためにならないことを憂いたのが原因だった。彼は尋問のため陸軍省に移送され、極東地域における様々な貴重な情報を日本にもたらす。彼と同時にモスクワを脱出、亡命する予定だった彼の妻子は逃亡に失敗、リシュコフはスターリンに対する憎悪をさらに深めた。しばらくの日本滞在の後、彼はいったん満州に戻り、他数人のロシア人と日本人と共に偽名の旅券で欧州へと出発した。「熊工作」と呼ばれる極秘の計画が日本で進められていたのだ。

推理小説の新しい形と評価するか、それとも?
ちょうど、本書が出版された頃、フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』が話題を呼んでいたという。ジャーナリストが緻密な背景取材の元、政治情勢や軍事情勢まで絡めて描いたポリティカル・フィクションともハイテク軍事スリラーとも呼ばれた分野だ。本書の原点となる発想はかなりそれに近い。
「日本人が発案したスターリン暗殺計画」。この途轍もなく、そして現在は闇に葬られている計画について、資料、インタビュー、対談、回想等々を駆使してフィクションとノンフィクションとの狭間の作品を狙っている。この計画に好奇心を燃やした著者が、嫌がる関係者を引っ張り出し、資料の山を漁り、海外から珍書を取り寄せまとめられた物語。意図と狙いは分かる。そして生々しい。
本作が成功しているのかどうか。この判断は非常に難しい。資料を羅列することで「過去」が切り取られて並べられている。作者は間にコメントを挟み、資料の順番のみをコントロールしている。ここに限りない「リアル」を感じる。一方で、統一されていない資料は、読む側にある種の鬱陶しさ、面倒くささを強いる部分も確実に存在する。同様に資料を並べた形で表現したミステリは他にも存在するが、それは作者がフィクションをよりリアルに見せるための一つの手段。本作とは違う。エンターテインメントの前提である読みやすさへの配慮は果たして必要なかったか。せめて冒頭、メインとなる事件そのものへの強い吸引力が欲しかったように思う。

個人的には「これがこのような本だと知っている人」が読むべき、というのが大前提。普通のフィクションのミステリを期待する人にはちょっと重すぎるかと。デビュー作品即協会賞、という快挙を含め考えると、よほど当時の時流にはマッチしていたものなのだろう。


00/07/09
多岐川恭「落ちる」(徳間文庫'85)

元本は河出書房新報社より'58年に刊行されている。元は別名義で応募した旧「宝石」の懸賞小説の短編デビューだが、'58年『濡れた心』で第4回の江戸川乱歩賞を受賞が多岐川名義でのデビュー。翌年、早くも本作品集が第40回直木賞の座を見事に射止めた。

何事にも執着のなかった男が神経衰弱にかかり、妻や医師に対して疑いを持ち始める『落ちる』
同棲夫婦の変わった性格を持つ夫。向かいに住む女子大生は彼の妻が殺されているのを発見『猫』
海沿いのホテルで初老の男が拳銃で額を撃ち抜かれ死亡。ところが犯人が見あたらない『ヒーローの死』
中年の冴えない行員が銀行に宿直した晩、強盗がやって来た。しかしその強盗の正体は『ある脅迫』
小心な元役人が収賄の発覚をおそれ、当時を知る二号を殺害。一ヶ月後に現場に戻った男は『笑う男』
甥夫婦に遺産を狙われ偽装殺害のために家に閉じ込められた老人。助けの望みは外の悪ガキ『私は死んでいる』
新婚の女性が無理心中を夫に迫られ命辛々逃げ出した……ように見えたが彼女には秘密が『かわいい女』以上七編。

犯罪は不幸である。被害を受けた者も、そして罪を犯す者も。
バラエティに富んでいる。それぞれで扱われているのは「犯罪」であるのだが、殺人あり強盗あり監禁あり未遂あり心中ありとまずこの段階で様々な種類の「罪」が描かれる。そしてまた、それぞれにその「罪」の背景が存在し、その「罪」を通して「人間心理の不可解さ」が描かれている。特に犯罪者の持つ昏い心理の深淵が「ふっ」と物語で覗かされる時、どこかに同様の心理が読者にも隠れていることを知らされるようでどきりとする。多岐川氏はその深淵部分を物語の反転に使用しており、それが「読みはじめ」と「読み終わり」の落差の大きさという形であらわれている。
例えば表題作『落ちる』。神経衰弱で自己破壊傾向のある主人公が献身的な妻と誠実な医師を疑う。妻と久々の外出に出た主人公はその最中にも、疑いと信用との狭間で揺れる。その心理の綾は、読者にとって実に意外な形で提示され、「あっ」と思った時には物語は閉じられている。短編でしか出来ないことさらりとやってのけている感。『ヒーローの死』の死体の老人の生き様、『笑う男』の小心な犯人等々、人物、事件の背景をさらりと、そして深く書かれている作品が多く、その分、心の深淵が深くなっているように思えた。
さらっと読もうと思えばそれでも読めるし、深読みすればその深読みに内容がきちんと耐えうる、深みをしみじみと感じさせてくれる作品集。『落ちる』は収録一短編の題名ながら、本作品集全体から受ける印象も「落ちる」だったりする。不思議。

日下三蔵さんによれば、本書も近々とある文庫で復刊される(かもしれない)ようです。今や他の分野での活躍が多くなった多岐川氏の記念碑的作品として、これからも読み継がれるべき作品でしょう。


00/07/08
黒川博行「切断」(新潮文庫'94)

サントリーミステリー大賞で二度の佳作の後、『キャッツアイころがった』で'86年第4回の同賞の大賞を受賞した黒川氏。本書は'89年に新潮社より出版された作品。

大阪ミナミの病院でバッタ屋の社長が惨殺された。被害者は耳を切り取られ、代わりに別の男の指が耳の穴に差し込まれていた。指は服役したことのある男のもので、死後に切断されたものという。続いてディスカウントショップのオーナーが愛人宅からの帰りに車の中で絞殺された。今度は彼の舌が切り取られ、口の中には前の被害者の耳が残されていた。彼らは皆、大阪の暴力団との繋がりのある裏世界に生きる男たち。警察は通常の捜査と共に、この事件の動機は怨恨とみて関係者の背景を調査。最初の事件の被害者と思われる沢木の足取りを追ったところ、彼の妹が最近行方が分からなくなっていることを突き止めた。その間も「彼」は着々と次の犯行の準備を進めていた。

大阪の裏社会を舞台にぶつかりあう欲望と憎悪。それでいて不思議な爽やかさも
裏社会の物語というのは、どうも男心をくすぐっていけない。私のような平々凡々なサラリーマン生活の対極に位置する「荒れた」世界。暴力と金と欲望の順位が高く、互いに裏切りを繰り返し、利得を勘定し、日々人を脅し、人に怯えながら生きていく。
その世界を舞台に、本作のベースにハリウッド映画のスーパーアクションヒーローものの骨格が見え隠れする。テーマは「復讐」。執念深い一人の男が、巨大な敵と対決する。アイデアと体力と精神力のゲリラ戦法。まともに太刀打ち出来ない以上、不意打ちで倒す。卑怯な手も使う。それでも「復讐」の完遂に向けて一歩一歩進んでいく主人公の姿は、なぜか不思議な爽やかさを感じさせる。
同時に複数の謎を二重螺旋のように絡め、ミステリとしても充分読書に耐えうるようになっているのも本書の魅力。男は死んだはず。復讐を行っているのは誰なのか。事件の裏側に何があったのか。少しずつ薄皮を剥ぐように見えてくる。この見せ方に作者のセンスがある。謎の猟奇連続殺人の理由、これがぴたりと着地を見せるところには思わず感嘆した。

多少残酷な描写もあり、細かい内容を取り上げれば万人にお勧め出来ないかもしれない。ただ、それだけの理由でこのサプライズを看過するのももったいないかも。文庫化するにあたって単行本のラストが多少変更されているそうで、単行本しか読まれていない方はこちらも押さえるべきでしょう。


00/07/07
阿刀田高「ナポレオン狂」(講談社文庫'82)

短編集として第81回直木賞を受賞し、第32回の推理作家協会賞短編賞受賞の「来訪者」を含む作品。「北村薫が選ぶ百冊」にも選ばれるなど名実とも評価は高い。

ナポレオンに関するもの全てを欲するマニアとある男が出会った時『ナポレオン狂』
出産した病院で雑役婦だった女性が家に度々訪ねてくるがその目的は『来訪者』
父親は死ぬ間際、ある日付に帝国ホテルである人物と会うよう告げた『サン・ジェルマン伯爵考』
貧しい一家の娘が職場で恋人の為に使い込み。穴を埋めるべく父親は誘拐を『恋は思案の外』
申し分ない妻に対するほんの少しの違和感。男は仕事を休んで彼女を監視『裏側』
むち打ちで入院中の男の愛車ビートルが口を利き、白タクで日銭を稼ぐという『甲虫の遁走曲』
いんぐらんどとすこっとらんどのえらいひとたちがあなのなかにぼーるをいれる『ゴルフ事始め』
結婚することを決めた男性宅に別の知らない女がやって来て身を任せてくる『捩れた夜』
喫茶店で透明な熱帯魚に興味を惹かれたところ、前に女性が座って『透明魚』
家庭や会社に嫌気がさした男は郊外へ行く電車に乗り知らない土地へと向かう『蒼空』
ちょっとずれた嫁さんは歯の強い子は頭が良いのだ、と主張した『白い歯』
趣味や仕事をきちんと片づけることが生き甲斐の女性が、急に妻子有る男性との恋に落ちた『狂暴なライオン』
自殺を考えた人間の元に訪れるという縄。それは自殺の理由が無くなるまで人につきまとう『縄―編集者への手紙―』以上十三編。

追い詰められた人間たちの正常と紙一重の狂気
普通の表現を借りるなら「狂気と紙一重」となるのだろうが、本作の作品群はそれぞれ、紙一重で日常から狂気のサイドに踏み込んでしまっている。日常生活における毒。ブラックなユーモア。奇妙な味わい。きっと既に誰かが例えているのだろうけれど、R・ダールの作品群となんとなく重なった。作者が作品の後ろから読者を眺めてにやにやと笑っていそうなところまで。さすがは『ブラックジョーク大全』の著者である。
それほど厚みのない一冊の本の中に十三編が入るという通り、一編一編は普通の短編の半分くらいの長さでしかない。それでいて、一編から受ける印象は他の作家の通常の短編と変わらない。これは「文章のプロ」らしく、シンプルかつ濃厚な文章を氏が心がけていることの反映だろう。ミステリプロパーの作家でないに関わらず、そしてミステリ短編の手法とショートショートの手法をミックスさせたような構成による味わいは、読者の「ダークサイド」をこれまた刺激する。どちらかというと「謎」というより「オチ」という結末で終わっているのが、なんとも心理の奥底を刺激してくれる。 ミステリ作品集とは言えないかもしれないが、ミステリ読みの心をくすぐる作品集。

阿刀田氏に限らず、基本的にミステリ作家として認知されていない、他ジャンルの作家でもミステリファンが楽しめる作品を著している場合は数多くある。本作はそういった中でも代表クラスに挙げらても良い名作品集と言える。


00/07/06
都筑道夫「誘拐作戦」(中公文庫'76)

'62年に講談社、'67年に桃源社より刊行された都筑道夫の第四長編の文庫版。デビュー作が『やぶにらみの時計』(二人称)、第二長編が『猫の舌に釘を打て』(作品内作品)第三長編『三重露出』(翻訳作品と訳者のストーリー交互)、と叙述にこだわってきた氏が本作で手がけたのは……。

登場人物のうちの二人の執筆に関しては素人の男たちが、自ら手がけたある事件について、章ごとに交互に描くという形式。
誰もいない深夜の高速道路を盗難車で走っていたろくでなし四人組が、一人の女性が道路に倒れているのを発見する。どうやら女は虫の息。対向車線からやって来た一人の男。悪徳外科医の彼は四人組の一人と知り合いで、更に倒れている女は妙子という知り合いだという。女を連れ帰る途中、彼女は妙子に似ているだけで実は金融会社社長の娘だということが判明、彼らは彼女を誘拐したことにし、父親の社長から金を引き出そうと画策する。翌日、外科医は残りのメンバーに、彼女にそっくりな最初に間違えたという知り合いの女性、妙子を四人組に紹介する。彼女は既に金融会社社長宅に娘を装って帰宅、指紋を残すなど周到な準備をした上で再び戻って来たのだという。

ピカレスク・ロマンとテキストの罠、そして展開の妙。まさに「作戦」
都筑道夫の文章は、クセが、ある。……というように他の作家に比べて読点「、」が少し多いのだ。最初の数頁は気になるかもしれないが、読んでいるうちにこれが逆に独特のテンポに繋がって、長編が一気に読めてしまうのがまず魅力。
物語そのもの。誘拐を実行する側と、捜査する側の両側面から描きながら、その肝要の部分は読者には明かさない。時にユーモラス、時に残酷。先の読めない展開は、エンターテインメントの最大の魅力。
そのトリッキーな部分。「これは当事者によって交互に書かれた」というテキストの仕掛けは最初に明かされる。このこと自体で罠が仕掛けてあるわけではないが、読み終わって「くすっ」と笑えるオチも用意されており、執筆者同士の掛け合いそのものも楽しい。これもまた魅力。
そして、上記の魅力に埋め込まれる形で様々な箇所に張られた伏線が最後に明かされる、この快感。誘拐という犯罪の更に下に隠された関係者の思惑、読者への裏切り。今まで見えていた光景が、いくつかの種明かしの後で、鮮やかに反転する。この快感こそミステリ最大の魅力。

都筑道夫が今まで積み重ねてきた創作は、圧倒的に短編が多いが、初期に執筆された一連のノンシリーズ長編は時代を超越したアイデアとセンス、そして古びない蘊蓄に満ちている。誰が読んでも損のない絶対保証エンターテインメントだけに、埋もれさせてしまうのは文化的損失だと思う。


00/07/05
愛川 晶「化身 アヴァターラ」(幻冬舎文庫'99)

第五回鮎川哲也賞受賞作品。オリジナルは勿論、'94年に東京創元社より刊行されているが、幻冬舎が引き取っての文庫化となった。文庫版の解説は西澤保彦。

女子大一年の人見操。彼女は生まれる前に姉を、中学の時に母を、そして最近父親を亡くした天涯孤独の身。所属している大学のアウトドア同好会の合宿から戻ってきた操は、ポストに差出人不明の手紙が入っていることに気付く。中身は建物の入り口付近を撮影した写真と、インドのものと思われる絵。操は絵を見た瞬間に恐怖に襲われ失神するが、たまたま一緒に帰って来ていた友人の秋子に介抱される。写真と絵が再び送られてきたことを受け、建物入り口に変わった高山植物があることに気付いた秋子は、大学の風変わりな先輩「シェフ」こと坂崎に場所の特定が出来ないか相談する。坂崎に助けられ、一歩一歩目的に近づく操だったが、同時にそれは自分自身の出生について探ることを意味していた。

「自分探し」を現実的側面から取り上げ謎に仕立てた意欲作
「自分探し」――例えば、記憶を失った人間が自分が誰なのかを探し求めるのが王道。バリエーションには自分の出生の秘密を探るもの、隠された過去の出来事を探るもの、忘れてしまった幼い頃を探るもの等々、ミステリの中でも比較的良く取り上げられる種類の謎と言える。そして、大抵のこのような筋書きの作品では「その秘密を知っていそうな人を捜して証言を聞く」という行動が強いられ、ミステリとしてはどうしても、サスペンスやハードボイルド系統の作品となってしまうことが多くなる。本作での「自分探し」は、この点をひねってある。証言者は幾人かいるものの、最も重要な手掛かりを主人公に与えてくれるのが「戸籍」なのだ。
他にも白昼の密室からの園児誘拐などの不可能犯罪、読者に与える錯覚など工夫も凝らしてあるが、普通に生きる日本人が誰もが持つ「戸籍制度」の盲点を作品内に効果的に取り入れ、分かりそうで分からない伏線を作っているのが上手い。その結果として「自分探し」でありながら安楽椅子探偵(に近い存在)を登場させることが出来ている。つまり一本の謎に対して二通りの解釈をする人物を配して本格推理の形態に持ち込んでいるわけだ。
全体を彩る暖かさも確かに良いし、真相が解明されるにつれ反転していく世界も良い。ただ、デビュー作品故か、キャラクタ造形に硬さが残っており、どうしても物語全体よりもトリックと構造部分に目が行く部分があった。あとインド系の蘊蓄は余計だったかも。

歴代の鮎川賞受賞作品の中で読まずに苦手にしていた……というのも、副題の「アヴァターラ」という言葉になんとも、重苦しい響きがあったから。近作には興味ある作品もあったのに、やはりデビュー作である受賞作の本作を読まないと手を出しにくかった。これで読める。……でも他の作品も何となく愛川作品の題名って重たい……。


00/07/04
笹沢佐保「招かれざる客」(光文社文庫'99)

オリジナルは『招かざる客』という題で第5回江戸川乱歩賞に応募された作品。最終候補に残ったものの新章文子さんに敗れ、次点となったが'60年(昭和35年)講談社より刊行された。(氏はそれ以前に短編では旧『宝石』誌の懸賞小説で入選した実績がある)

東京大手町にある中央官庁、商産省。御用組合だった組合が、省の土地売却疑惑により団結した。ところが組合役員による蜂起計画が事前に人事に漏れ、関係者処分となった。組合のスパイとなって情報を流した鶴飼は白眼視され行方を眩ましていたが、商産省ビルの非常階段で何者かに頭を殴られて死体となっていたのが発見された。一方。鶴飼に唆されスパイの一端を担った組合書記の細川マミ子。彼女は父の親友だった雑誌編集長宅に身を寄せていた。ところが鶴飼が殺害されたほんの数日後、その編集長宅でマミ子と同室で暮らしていた女性が殺される。手口は同様で、彼女がマミ子の寝間着を着けていたことから、身代わり殺人の疑いが持たれ、組合幹部の亀田という男が重要参考人として警察に呼び出される。亀田は取調べの最中に、交通事故にて死亡。事件は終結したかに見えた。

シンプルに不可能犯罪の「打破」に力点を置いた本格推理
三面記事や関係者の供述で事件の多面的な構成を狙った前半部。警察としてまとまった見解に対し異議を唱える刑事が、病欠中に一人真相に邁進する後半部。物語は完全に二部に分かれている。「小説」として本作を見た場合は、確かに前半と後半の文章的なバランスが悪く、乱歩賞を受賞出来なかった点も残念ながら頷ける。しかしこのバランスの悪さが、本作を「本格推理小説」と見た場合に、非常に優れた構成となって甦ってくる。もし、投じられた賞が乱歩賞(しか当時はないけど)でなく、鮎川賞(当時はないけれど)であったら、本作が受賞作(新章文子『危険な関係』)を上回ったであろうことは想像に難くない。強い本格スピリットが感じられるから。
前置きが長くなった。被疑者死亡の連続殺人事件。刑事が真犯人と目する対象には二重三重のアリバイがあり、動機がなく、身体的に殺害が無理で……といくつもの壁が立ちはだかる。もちろん、その壁は少しずつうち崩されてしまうのだけれど、壁が高いだけに「打破」され、崩れる時の快感もまたひとしお。また、前半部だけで全ての資料が……とまではいかなくともヒントはきちんと供出されている。これらを元に天才的頭脳ではなく、「発想の転換」「視点の転換」によって手掛かりを見つけていく刑事も何とも魅力的だ。
女性の描き方にちょっと「?」な部分を感じたが、これは医学の常識が時代によって変化していることによる問題だろう。

現在、四百近い著作を持つ笹沢氏。この作品は氏の長編第一作目にあたる上、笹沢氏の本格推理の中でも一、二を争う傑作という話であった。長らく入手困難だったものを最近になって復刻した光文社文庫の英断に拍手。


00/07/03
北森 鴻「メイン・ディッシュ」(集英社'99)

『小説すばる』誌に'96年から'98年にかけて掲載されてきた作品にプロローグとエピローグを書き下ろし、単行本化したもの。連作短編集。「バッド テイスト トレイン」は第51回推理作家協会賞短編部門の候補作品。

女優、紅林ユリエ(通称ねこさん)と、ミステリマニアの脚本家、小杉隆一の作った劇団『紅神楽』は小杉脚本の推理劇を中心に確固たる地位を築いていた。ユリエは、ある雪の日にたまたま出会った、三津池修(通称ミケさん)と同棲中で、彼にはプロ顔負けの料理の才能があった。そしてもう一つ推理の才能も。ただ、全く彼は自分の過去について語らなかった。
オープニング『アペリティフ』
脚本に詰まった小杉を迎えてみけさんがパーティ。料理のレシピからアイデアが『ストレンジ テイスト』
病気で余命を宣告された男が、学生時代の友人の罪を仲間に告発したつもりが『アリバイ レシピ』
ねこさんのマンション前の路上で高校生が死亡。続発するひったくり事件と関係が『キッチン マジック』
旅の最中、駅弁について話しかけてきた男。他の乗客の持つ弁当にも推理を働かせる『バッド テイスト トレイン』
「紅神楽」を気に入った金持ちが、自分一人のための公演を信州に来て開いてくれと『マイ オールド ビターズ』
雑誌のエッセイの為にミケさんから習った炒飯を披露するユリエ。担当編集者に届いた謎の手紙『バレンタイン チャーハン』
昔、ライバル劇団で発生した脚本家の自殺事件。ミケさんはその事件を梅酒に託していた『ボトル ”ダミー”』
なぜミケさんは姿を消したのか。過去を知るねこさんの昔の同棲相手が語った過去の事件『サプライジング エッグ』
エンディング『メイン ディッシュ』以上十編(実質八編)。

お腹の隙間は刺激されるが、知的興味の空隙は満たされる……
俗に言う「本格ミステリ」の括りだけで本作を評価すると「小味な作品が並んだ」ということになってしまうかもしれない。「日常の謎」と「犯罪事件の謎」のちょうど中間地点。詰まったシナリオのアイデア提供から、自殺や失踪の真相まで「謎」レベルに限定がなく様々な「謎」が作品集に同居する。驚天動地の大トリックや、心温まるほのぼの解決といった極端に振れず、視点の違いによって隠れている真相を、角度をずらすことによってさらりと読者に見せる。現代的な切れ味が作品の良い隠し味。ただ、短編のいくつかは連作短編として全体を眺めた時にちょっと浮き上がっている感もある。当初の構想から、多少変化を余儀なくされた跡なのだろうか。その代わり、書き足されたエピローグとエンディングが物語全体を暖かく包んでいる。
そしてまた、北森ミステリは登場人物が魅力なのだが、本作もまたその例に漏れない。控えめでいて、それでいて人の心を和ませるミケさん。ガッツがあって大らかでと思いきや、人一倍の思いやりを持つねこさん。おっちょこちょいで自己中心的だけど、実は責任感の強い頑張り屋の小杉。その他、脇役も地味ながら良い味を持っている。謎という素材をキャラクタで上手に調理して、合わせて一本(五つ星?)、というミステリ集

仮にこの世に「美味そう度」という目盛りがあるなら『花の下にて春死なむ』の方が自分的には上。でも本作は家庭で作る料理という制約が逆に親近感を醸していて決して負けてないぞ。お腹空いたよミケさん、何か作ってよ。ああ、何を書いているんだ、オレは。


00/07/02
水上 勉「修験峡殺人事件」(角川文庫'85)

初出の時期は調べられませんでした。元々の題名は『黒壁』で、文庫化にあたり大幅に改稿、改題された作品。ちなみにこの角川文庫版の解説は沼正三。

近畿地方公益事業部。通産省の出先機関であるこの役所は開発事業の監査をその任務としていた。土木課に勤務する甲斐は熊野川に注ぐ奈良県南部の川、十津川のダムの発電所建設を担当していた。豪放磊落な上司、出水課長と共に監査に出向こうとする甲斐だったが、出水は二日先に出て別の発電所を見てから現地に向かうという。ところが現地に課長は現れなかった。戸惑った甲斐は同僚と相談、警察に捜索を依頼したところ勝浦で女連れで出水課長らしき人物が目撃されていたという。更に、女と出水は宿屋を変えるなど不審な行動を取っていた。そして出水は熊野川の流域で撲殺死体となって発見された。

美しい自然の描写、歪んだ社会の告発、地道で丹念な捜査風景。社会派推理の王道なれど……
作者自身のあとがきによると、電源開発によって喪われる自然と荒廃する人心を描きたかった、とのこと。試みは理解出来る。主張もある。ところがこれが「推理小説」の形を取った時に、成功しているか、というと疑問符が残る。
序盤で土木課課長が殺害される。全く動機や理由の分からない殺人に対し、捜査陣は丹念で地道な捜査で少しずつ、問題のありそうな関係者の名前を浮かび上がらせて行く。熊野や新宮、勝浦といった紀伊半島の情景、それはそれでその雄大さ、幽玄、荘厳な風景には旅情を誘うものがある。関係者の人間関係が一気に明かされ、開発そのものの利権や荒んだ地元民の感情が噴出する後半部からは、濃い告発がうかがえる……、つまり「社会派推理小説」必須とさせられている要素は全て備わっている……。あくまで要素としては。
ただ、いかんせん「告発」と「物語」がバラバラになっている点が小説として致命的。前半から中盤にかけてに「開発の利権争い」「地元民の荒んだ感情」などに繋がる伏線が全くといっていいほど存在していない。従って何ら「作者の言いたいこと」が浮かび上がらない前半は、ひたすら警察の地道な(言ってしまえば退屈な)捜査を追うしかない。これに反して後半に明かされる真相では、人間関係や裏にあった感情のもつれ、愛憎など、事件の真相が書かれているものの、「そんなん全然伏線なかったやん」というレベルで説明されている。後付けの動機の中では、いくら社会告発を声高に叫んでいても、伏線無しには遺産争いと同程度にしか説得力を感じ得なかった。

水上勉作品で「殺人事件」も題名にくっついている。これは「社会派推理小説」に違いない!ということで手に取った。が、残念ながらあまり小説として感心できなかった。ただ、本作は社会派的題材が問題、というより推理小説としての見せ方テクニックの巧拙が原因。(同一テーマを松本清張が書いていたら……)


00/07/01
角田喜久雄「霧に棲む鬼」(春陽文庫'76)

春陽文庫にて角田喜久雄作品は(たぶん)六冊刊行されている。『笛吹けば人は死ぬ』『高木家の惨劇』『虹男』『奇蹟のボレロ』『黄昏の悪魔』そして本作。

結婚を決意していた男、平川に手ひどく振られたことで、桂木美沙子は自ら死を選ぶことを決意していた。酒を飲み、睡眠薬を飲めば済む、といったその晩、突如何者かに追われている男が彼女の部屋に押し入って来た。レインコートを着て、ボストンバッグを抱えた男はそのまま彼女の布団に入り込んで拳銃を突きつけ、追っ手をやり過ごす。その男はボストンバッグを彼女に預け、睡眠薬を持って翌朝、立ち去る。その後、彼女は彼の追っ手からバッグの追及を受けるが何とかやり過ごし、受け渡し場所の喫茶店に向かう。そこでそのカバンは平川が奪われたものと知るが、男は約束の時間の延期を電話で申し入れてきた。直後、その平川に出くわした彼女は執拗く付きまとわれるが、その窮地を救ったのは、追っ手の男達だった。

角田喜久雄の通俗サスペンス
逃げるのにわざわざオープンスペースに走らず、どん詰まりのアパートに飛び込んでくる謎の男、町田。手酷く美沙子を振ったにも関わらず、手のひらを返したように旦那気取りの平川。皆に要注意人物と目される超女たらし、だけど年輩の松下、ホテル経営のヤクザ木俣、女性二人に御執心の見るからに怪しい謎の老人野溝……と、序盤から謎の人物オンパレード。主人公、美沙子はその全員から追い回されるのだから、これはサスペンスの展開になる。複数人数でのキャッチボールのように、謎の男たちに監禁されたり脱出したり軟禁されたりと美沙子は忙しい。そして彼ら同士でも、互いに籠絡しあったり、裏切ったりといかにも「裏社会」らしい展開もそれに加わる。
しかし……そのサスペンスがどうにも行き当たりばったりに過ぎるように思った。それはそれで味があるという読み方もありだとは思うし、彼らは一体何者なのか?という謎はそれなりに工夫してある。深いところの物語構図はきちんと計算されているとも思う。しかし。盗まれた鞄の中身にしろ、彼らの正体や関係にしろ、物語の進め方にしろ、サプライズよりもえらく極端な御都合主義が眼についてしまってまさに「何でもあり」状態に陥ってしまっている印象が強かった。それにしても自殺するところを偶然に救われた女性に、ぼかしてあるとはいえ、このラストの仕打ちはないんじゃないんでしょうか……。

春陽文庫に収録されているせいか、角田喜久雄の長編の中でもそこそこ入手し易い(といっても苦労しますが)作品です。その割りに探偵小説的妙味が少なく後味の悪い単なるサスペンスであるあたり、何となく勿体ない……。