MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)− 


00/07/31
愛川 晶「黄昏の獲物 トワイライト・ゲーム」(カッパノベルス'96)

化身』にて第五回鮎川哲也賞を受賞した愛川氏の第三長編。愛川氏のシリーズ探偵を務める女子大生剣士(剣道ね、もちろん)栗村夏樹は本書にて初登場。ちなみに本ノベルス版の裏表紙の賛辞は鮎川哲也氏。

看護婦長をしている陽気な母親と二人暮らしの栗村夏樹は女子大生。長身でボーイッシュ、そして剣道三段の腕前を持ち、近くの警察署へと練習に通っていた。そんな彼女の剣道仲間で捜査一係に勤める牧田刑事より学校に呼び出しの電話が入る。彼女が幼い頃から姉のように親しんできた近所に住む桂木亜沙美が誘拐されたというのだ。FAXで送られてきた身代金は一億円。彼女の父親は経済界の危ない橋をわたりつつ会社の社長として君臨している人物で、彼を恨む人物は数知れずいるという。その晩は現金の用意は出来たものの、犯人の連絡はなく、周辺の捜査も同じく空振りに終わった。翌日、秩父のとある駐車場で、女性のものと見られる焼死体が発見された。薬品によって焼かれたその死体は完全に炭化、身元を確認出来るのは残された「歯」だけだった。

「本格」なのに「通俗」っぽく見えてしまう不思議
本書、発表当時、全く評価されなかったわけでもないだろうが、あまり話題に上った記憶がない。鮎川哲也賞作家のノベルス第一弾であることを考えれば、本格ファンはそれなりに手に取っているはずなのだが。
作品の展開や骨組みはなかなか渋くて良い。女子大生誘拐事件を中心にインターローグを効果的に利用、大小取り合わせて様々なトリックを中に持ち込んでいる。要求を出さない誘拐犯人の謎、プロットの謎、物理的な謎、現場不在証明の謎、犯人の意図の謎……等々、長編一作に持ち込む量を考えれば、サービス過剰気味でさえある。それらの真相も強弱はあるものの、理詰めで納得出来るレベル。
それだけトリックを凝らしているにも関わらず、読了後の印象がどうも「本格」のそれでなく「通俗」に近いものがあった。 ストーリーテリングが上手い(上手すぎる)のも一つの要因だろうが、物語の中の「見せ場」だとか「登場人物心理」にこだわりが不必要に過ぎているから、というのが原因のように感じる。きちんと作中に伏線を仕込み、手掛かりを見せていながら、最後のまとめとなる「解決」の部分の演出がめちゃくちゃ不自然なのだ。恐らく「見せ場」にこだわったのだろうが、この部分を安手のテレビドラマのクライマックスのごとき状況にしてしまったがために、読み終わった後の印象を下げている。それまでの部分が良かっただけに実に惜しい。

現在は光文社文庫で『黄昏の罠』と改題されて刊行されている。愛川氏は非常に本格にこだわりを持っていると作家とうかがっているので、個人的には既刊分をもう少し押さえてみたい。


00/07/30
大下宇陀児「宙に浮く首」(春陽文庫'48)

古書展で決して安くなかったもののふらふらと衝動買いした作品。昭和二十年代の春陽文庫で本体に帯、パラ掛けという装幀に惹かれた。

中部地方の平和な山村。雪の降る晩に娘が殺された。目撃者は宙に浮かぶ首を見たというが死体は別にバラバラではない。素人探偵の活躍で犯人が指摘され、事件は解決するように見えたのだが……『宙に浮く首』
外遊していた兄を迎えに港に来た母と姉弟。ところが岸壁に降りた兄は「あき盲」になってしまったと告白、様子もおかしい『黄昏の怪人』
浪人の身となり千葉方面に旅行に出た小田切は、男装した女性に目を留める。一旦は彼の視界から姿を消した彼女は何者かから逃げるため列車から飛び降りた『晝家の娘』以上、中短編三編。

恐らく現在の価値観下では復刻出来ないような……
「科学捜査なんて糞食らえ!」(正確には違うかも)……というのは喜国雅彦さんの御言葉。一部の探偵小説は科学捜査がないおかげで驚天動地の大トリックが成立している。その時代だからこそ成立する物語。また、別に現代の商業出版ではタブー視さる事柄が含まれている探偵小説もある。身体に関する差別用語、産まれ育ちや職業、学歴に関する差別用語等々。言葉の問題でなく、その対象の扱いそのものが現在とは全く異なる価値観に基づいている。そして科学捜査の件と同様、当時の探偵小説の中には、それらの人物の存在がなければ成立し得ない作品も存在する。本書の『宙に浮かぶ首』もまたそう。
以下、ネタに触れるので本書を「いつか読む!」と決めている方は飛ばしてね。
『宙に浮かぶ首』は第一発見者が白痴の子供を持つ、低脳の男である(言葉は本文に依る)。結局、彼が別の人物に操られた実行犯。更に黒幕は癩病の患者で、自らの治療の為に若い女性の肝臓を欲しがっていたことが動機であった。このような図式の物語は、現代では商業的な発表の場はあるまい。しかし探偵小説で描かれる犯罪の暗部、犯行の動機としては非常に納得出来るものであり、またミステリ特有の人の心の闇を描くという意味合いでは、強い説得性を感じた。どんな人間にも心の闇があり、健常者、身障者の別はない。大下がそこまで考えたのかどうかはとにかく、偽善的でない率直な書き方からは差別意識は感じられなかった。実行犯の男が陥っていく悲劇も、ホンモノの哀しみを誘う。
残りの二作、『黄昏の怪人』は「おいおい、気付けよ!」とツッコミなしには読めない通俗もの。『畫家の娘』は巻き込まれ型のサスペンス系短編。双方、大下らしい味はあるものの工夫がなく、それほどの作品ではありませんでした。

入手が非常に困難な本ながら、個人的には探偵小説についていろいろと考えさせられました。大下宇陀児の探偵小説は量が多すぎて網羅するのは大変です。本書は旧仮名遣いでしたが振り仮名があって読むのは楽でした。


00/07/29
菅 浩江「メルサスの少年」(新潮文庫ファンタジーノベル'91)

副題は「−「螺旋の街の物語」−」。菅さんは『SF宝石』に短編を発表の後、'89年『ゆらぎの森のシェラ』にて本格デビューした美しきSF作家。本書で第二十三回星雲賞日本長編部門賞を受賞している。菅さん自身が運営するサイトはこちら

辺境の荒野のど真ん中に擂り鉢状に造られた街、<螺旋の街>ことメルルサキス。そこは貴重な鉱石の取れるパラサの山の側に位置した歓楽街。住人はこの街に伝わる秘術によって、様々な動物と自らの体を合体させた<メルサスの女>と呼ばれる娼婦ばかり。十五年前、子供を産めないはずの<メルサスの女>の一人が子供を産んだ。イェノムと名付けられたその少年は、その街で育ち十五歳となっていた。子供扱いされることに反発、大人になることとと外への世界への憧れを募らせるイェノムは、隊商に連れられてやって来た一人の女の子と出会う。彼女は予言者の孫娘、カレンシア。世界の支配を目論む「トリネキシア商会」から狙われているため、

溢れ出す幻想的光景。「美学」の入ったファンタジー
ファンタジーにおける主人公は、読者の感情移入によって世界への案内人となる。物語を動かす存在と共に、物語への導き手の役割を兼ねているのが普通だと考えていた。ところが『メルサスの少年』たるイェノムはひどく青臭さが目立ち、どちらかと言えば感情移入しにくい存在。それなのに、物語世界へあまりにもスムースに没入させられてしまうのだ。
恐らく、序盤から中盤のかなりの部分まで、物語世界の構築・説明部分を非常に丁寧に読者に提示しているから。吹き荒れる砂と照り付ける太陽、美しい夜空から中東のイメージが私の場合には浮かんだ。螺旋状に掘られた街が持つ、原初の心をくすぐられるどこか懐かしいような光景、その中で繰り広げられる退廃的かつ刹那的なやり取り。厳しい外側の世界と楽園的な内側の世界との対比。主人公でなく、世界そのものが既に導き手としての役割を完全に果たしている。
物語としては御約束の部類に近い。悪は滅び正義が勝つ。少年は少女を得、大人への階段を一歩踏み出す。言い方が悪いかもしれないが、彼らの存在は、構築された物語世界を飾る一部分でしかない。読み終わって心に残るのはあくまで幻想的な光景に溢れた<螺旋の街>メルルサキスの方なのだ。じっくりと時間をかけて味わいたい。

鉄人の掲示板にて菅さんご自身が「サイン本」を販売して下さった時に思わず購入した三冊セットの一冊。(お得な買い物でした)本書は現在入手困難ですが、最新作『永遠の森』が早川書房から出ています。


00/07/28
江戸川乱歩「人でなしの恋」(創元推理文庫'95)

創元推理文庫では初期短編を全て本シリーズに収録している。本書は乱歩が初期に執筆した'24〜'25年(大正14年〜15年)にかけて執筆した作品を網羅、その短編収録の掉尾を飾る一冊。

友人に連れられて行った劇場の役者は百面相を持っていた『百面相役者』
従順な妻に対する悪戯に他人の振りをして彼女の前に現れた夫『一人二役』
横暴な父親が何者かに殺された。残された家族は疑心暗鬼に陥る『疑惑』
恋女房が隠し持っていた写真を探し当てた男が逆上。しかし真相は?『接吻』
サーカスの一団の打ち上げで飲めないことから虐げられる一寸法師『踊る一寸法師』
奇妙な倶楽部の主催するイベントは覆面をして男女がペアで踊るというもの『覆面の舞踏者』
友人を撃ち殺し、逃げ出した男が後日、現場に戻って一つの細工をする『灰神楽』
公園で巡り会った失業者同志、どこかで会ったことがあるのに思い出せない『モノグラム』
誠実で自分を愛してくれているはずの夫が夜な夜な蔵に行ってしまう『人でなしの恋』
零落して遊園地の回転木馬でラッパを吹く男は、切符切りの少女に恋心を『木馬は廻る』以上十編。

乱歩のマイナー作品群。瑕疵があれども味もある
他の乱歩の傑作集やアンソロジーなどにも収録されることのほとんどない短編群。『人でなしの恋』あたりは読んだ記憶があったが、他の作品は(私にとって)初読作品がずらり。確かに間違ってもこれらをして「乱歩の傑作集」と名付けるわけにはいかない。
とはいえ、「ならば駄作か?」という反問に対してはきっぱり「NO!」といえる中身だと思う。多少過剰な思い入れを許してもらえるならば、瑕疵があるならあるなりに面白い、と感じられたから。トリックやプロットの構成を抜き出してしまえば、ほとんどの作品で結末が透けて見えるし、それほどに凝っている印象もない。また場面の表現が冗長だったり、登場人物の配置がいい加減だったり、と見受けられるところがあるのも確か。
それなのに、一作一作それぞれでは、人間の心の内襞を捲り出し、嫉妬や憤怒、怯えや好奇心など「探偵小説」が最も表現に適した人間感情が複雑に渦巻いている。また、物語の発端、アプローチをちらりと見せるだけで読者を自らの物語世界にぐいぐい引き込む力は、いかにも乱歩らしさに満ちており満足。個人的には、嫉妬に狂う人間と偏執狂の人間については、乱歩の筆力を凌ぐ作家は未だに出て来ていないように思う。

本日、乱歩の命日ということで順番に読んでいる創元の乱歩から一冊。こういうセレクトも良いですね。比較的マイナー作品が多く、興味深いまでも傑作とも言い難し。ある程度乱歩を知っている人が読むべき本かと。


00/07/27
恩田 陸「月の裏側」(幻冬舎'00)

SF、ミステリファンの双方より多大な支持を受けている恩田さんの八作目。雑誌『ポンツーン』に'98年の創刊号から翌年にかけて連載された作品に加筆修正が加えられたもの。

九州は有明海に面した水郷都市、箭納倉(やなくら)。縦横無尽に堀が張り巡るこの地に住む元大学教授の三隅協一郎を塚崎多聞は訪ねる。多聞は大手レコード会社のプロデューサー。協一郎とは彼の娘で学生時代の友人の藍子を通じて知り合った。協一郎はこの箭納倉で不思議な事件が起きている、と多聞に告げる。年輩者が立て続けに三人行方不明になったというのだ。彼らは一週間ほどで戻ってきたのだが、不明期間の記憶が一切ないという。彼らに共通していたのは、不明になる理由が特にないことと、堀に面した家に住んでいた点。協一郎の弟夫婦も以前、同様の行方不明の経験があり、協一郎と藍子は「彼らが以前の彼らと違う」と感じている。人間の耳や指の巧妙なレプリカをくわえて戻ってくる飼い猫、無意識下で全く同じタイミングで行動する夫婦。何かの意志がこの街を「盗もう」としている……。

忍び寄ってくる「それ」の恐怖、さらに類を見ない独特の展開
登場人物の台詞に時々目の覚めるような洞察が含まれている。個人的に印象に残るのは「白秋文学への洞察」「時間の観念」といったくだり。恩田さんの巧さは、リアリティの舞台の中にこういった切れ味ある言葉を挟み込むことで作品世界に読者をぐいぐいと引き込む「技」にある。雰囲気作りは現代作家の中でも群を抜いて上手い。本書も序盤から中盤にかけてが見事。
既に読んで感想を書かれる方はもちろん、作中人物までが取り上げるのが、フィニィの『盗まれた街』。……なのだが、私は未読だし映画『ボディ・スナッチャー』も観ていない。でも別にそれらにこだわらなくても、「街が家族がいつの間にか人間外の存在と入れ替わっていく」という作品は何らかの形で触れているはず。(私の原初体験はウルトラセブン) そういう意味では本書は狭い意味でのパスティシュと捉えるよりも、過去にいくつも存在する同系統の物語のヴァリエーションの一つであると捉えたい。そして作者自身の「狙い」も、その中で何が出来るか、その上に何を重ねて語れるか、にあるのだと思う。この「狙い」が空回りしている、という評価がどうやら一般的なようなのだが、果たして本当にそうなのか? エンターテインメントの定石に肩透かしを食わせているのは事実だし、回収されない伏線や、一部登場人物の行動に理解しがたい部分もある。だが、同意出来るかどうかはとにかく、主人公らの行動に現代日本人が陥りつつある「同一化」の流れ……に対する強烈な諷刺がある、と受け取れるように感じた。大多数の中の異種であることに耐えられるか。強烈な圧力の中で自己の主張を貫き通せるか。仮に物語世界に長靴を持った自分が存在していたら、途中で靴を脱ぐのと、最後まで脱がないのと、どちらが幸せなんだろう?

恩田さん描く作品世界は、分かり易いようでいいて実は分かりにくい部分がある。本書もまた。SFとホラーとミステリの要素を持ちながらどれにも属さない。まさに「恩田文学」


00/07/26
新保博久「推理百貨店 本館」(冬樹社'89)

推理百貨店 別館』とのカップリングで刊行された、新保博久氏のミステリエッセイ集。『別冊本の雑誌』から『婦人の暮らし』まで様々な媒体に'79年から'85年にかけて掲載された文章をまとめたもの。当時は無署名での文章もあり、資料的価値は高い。

百貨店の中にあるさまざまな「売場」に見立てて一つ一つが「章」となって構成されており、その「売場」ごとにそのテーマにまつわるミステリエッセイや資料が並べられるという凝った構成。
一階から(?)順に「開店の辞」「スポーツショップ」「化粧品・ドラッグ」「ペットショップ」「喫煙所・電話」「フラワーショップ」「玩具」「迷子案内」「大食堂」「WC」「靴・時計」「葬礼用品」「家具・事務用品」「シーズン催事場」、最後に「警備室」まで。
力の入っているのは「ペットショップ」における『犬のミステリ散歩』、「フラワーショップ」における『Say It with Mysteries 花のミステリ』、「催事場」における『ミステリ歳時記』、そして各テンポに分散されているがテーマ毎のミステリ十冊企画も面白い。挙げられたテーマは「テニス」「水着」「煙草」「トリック」「暗号」「時間」「カレンダー」「詐欺」「裁判」。それぞれがどこの「売場」にあるのか、というのも興味深いでしょ。

ミステリーに対する、遊び心溢れた様々な角度からのアプローチ
色々と興味深かったものの寄せ集めたという印象も強かった『別館』から先に読んだせいか、本作『本館』の「綺麗な」まとめ方が目に付く。やはり百貨店を名乗るもの、お客さんが思わず中に入り込むようなレイアウトは大切なこと。こちらの方がその点は確実に上かな。
一方で「キレイ過ぎる」という印象も。「犬」「カレンダー(十二ヶ月)」「テーマごと十冊企画」などそれなりの量がまとまっており、内容も充実したセレクトなのだが、これまた百貨店的でもある。つまり、ありきたりのテーマに思えるのだ。反面、急遽書き下ろしたという「WC」のコラムとか、新保氏のミステリ遍歴が垣間見える「開店の辞」など、無理矢理填め込まれたようなはみだしコラムに独特なユーモアを感じた。
この「百貨店」を全館回ってみた印象では新保さんの紳士ぶり、マトモぶりが窺えた。ミステリ以外の作品も(媒体の関係でか)取り上げられているが、主題に沿って真面目に精一杯のセレクトが成されていることを感じる。ストレートなミステリファンには全くもって文句の付けようのない。逆に多少ひねくれたミステリファンには、もっと新保さんにしか取り上げられない作品が出てきて欲しかった、というのは「百貨店」の性質上、望むのは無理か。

長い間本書『本館』を捜していましたが、kashibaさんのダブり本コーナーより譲って頂くことが出来ました。(多謝)『別館』でも書きましたが、それなりに入手が困難なこともあり、好事家向きの本であると言えましょう。


00/07/25
陳 舜臣「炎に絵を」(講談社大衆文学館'97)

この大衆文学館版は乱歩賞受賞作『枯草の根』とのカップリングだが、そちらは読了済みなので『炎に絵を』について。『オール讀物』誌に'66年に連載され、同年に文藝春秋より刊行された作品がオリジナル。

姫路に大工場を建設し、関西転勤が栄転コースというサクラ商事勤務の葉村省吾。彼も神戸の支店への転勤を打診されるが、彼は病気がちの異母兄が心残りで返事を躊躇う。大学の教師の兄は余命が一年とないという状況下、嫂の伸子が昼も夜も働いて高校生の一人娘、順子の三人家族の生活費を捻出していたのだ。ところが嫂は省吾に奇妙な依頼をした上、関西に勤務するように強く薦める。依頼とは省吾の父親、葉村鼎造が戦前、中国の革命資金の一部を横領したという事件が濡れ衣であることを証明して欲しい、というもの。省吾自身も初めて聞く話であったが、兄が病床で資料を集めて判明したという。赴任した省吾は早速調べを開始、当時を知る人物に接触する。その助けとなったのは、神戸での同僚、服部三絵子。彼女は実はサクラ商事社長が花隈の花柳街の女性に産ませた隠し子だった。だが、省吾と三絵子は愛し合うようになり、調査は二人三脚となる。

色々な試みが錯綜し最後に見事に炸裂する。不思議な煌めきが読後の余韻
本書を陳氏のミステリの中でも「傑作」と推す人は多い。なるほど、短めの長編の中に「濃いエッセンス」と「読者のサプライズ」がぎっしりと無駄なく詰まっている。下敷きになるのが、太平洋戦争よりも更に過去の時代に発生している事件だけに、背景の時代性は致し方ないものの、肉親を労る気持ち、不正に憤る正義感、男女の愛情など、人間の感性の部分は古びない。……というより不変なのだろう。気持ち良く読める。
歴史上の謎を現代の人間が探る……という「歴史ミステリ」でありがちな展開と思わせておいて、徐々に興味の対象が現在の人物へと移っていく。「過去に何があったか」を明らかにするにつれ「現在何が起きているのか」へと有機的に「謎の連鎖」を続けていく手腕、物語をいかに盛り上げるか、を知っている作者ならでは。時間の経過と共に立場がころころ変わり、真実が明らかになるに連れ、世界観もまたころころ変えざるを得ない主人公。読者も主人公同様、物語世界が反転する様を十二分に味わうことが出来る。手熟れのミステリファンであればあるほど嵌る作者の罠。手掛かりを手掛かりと見せないまま最後に回収して行く手腕には舌を巻いた。北村薫氏が本書を○○ジャンルの傑作と挙げた事実を、読了した後に噛み締めさせられる。

過去には文春文庫でも出ていた時期があるが現在は品切れ。この大衆文学館版も入手が困難になりつつあり、確実なのは出版芸術社版の同題の作品集の発注になるか。いずれにせよ、陳氏のミステリを語る際に絶対に避けられない傑作であることに疑いの余地はない。


00/07/24
飛鳥 高「虚ろな車」(東都ミステリー'62)

古書マニアには有名な、俗に「T蔵書」と呼ばれる本を、石井春生さんからお借りして読みました。カバ欠でしたが奇跡的に奥付が残っていたので出版年次も判明です。

自称親の遺産で株を運用して暮らしている浅見は、クラブ「女の館」で遊んだ帰り、自家用車で人をはね、相手を首を絞めて殺した。彼は駐車場に戻ると後から来た酔っぱらい二人組をやり過ごし、悠然とへこんだバンパーを交換を開始した。……一方、倉庫会社社長の荒木は、自家用車で人をはね、相手を首を絞めて殺した。彼は自分の会社に戻ると、腹心の部下にへこんだバンパーの修理を指示した。……一方、翌日駐車場にやって来た昨夜の酔っぱらい二人組の一人、石本は昨晩は確かにへこんでいた浅見の車のバンパーが翌朝には修理されていることに事件の匂いを嗅ぎ取り、浅見の周囲を調べ始める。……一方、東京のとある街角では車ではねられた上、首を絞められた死体が発見され、警察は捜査を開始。シャツの縫い取りにあったタムラという文字から被害者の青年を特定する。

ぎりぎりまで姿を現さないミッシングリンクの妙
ミステリという存在はよくモザイクやジグソーパズルに喩えられる。断片的に描かれる物語が徐々にその本来の姿をくっきりと現したり、互いに無関係と思われた事柄が実は関係していることが分かったり。徐々に現れてくる姿が、物語の面白さ、興味に繋がっているのが普通。しかし本書の場合、似ているけれども少しその興趣とは異なるように感じる。
並行して語られる二つのストーリー。最終的に結びつくことは読者にも分かっていながら(結びつかなかったらミステリではない)、本当にぎりぎり最後の最後まで一切何にも結びつけられないのだ。読者への手掛かりとして提供されるのはごく僅か。最低限分かるのは、二つのストーリーが非常に近いところで同時に進行していることくらい。それが、最後の最後で「がしがしがし」と音を立てて全てが嵌る。この大胆さ。語り手の妙技。これが飛鳥作品なのか。(何せ経験不足なもので)
ただ、いかんせん時代には逆らえない。科学捜査で車の塗料片から特定の車種が割り出せる現在では、決して成立し得ない話ではあるし、人々の感覚や観念などから漂う古臭さも人によっては気になるかもしれない。しかしその古さを乗り越えた上で読める。冒頭の二台の自動車による故殺。しかし登場する被害者は一人。果たして誰が誰をどのような理由で殺したのか。疑問が次から次へと浮かぶ展開からくるミステリ的興趣は時代をあっさり越えてしまうのだ。

現在の出版芸術社社長が当時担当をしていらしたという「東都ミステリー」という叢書、ラインナップを眺めるに(マニアックな)ミステリマニアには垂涎ものの作品ばかり。今や入手困難なこともあり軒並み古書超高値ですが……。


00/07/23
霞 流一「ミステリークラブ」(カドカワ・エンタテインメント'98)

第十四回横溝正史賞を『同じ墓のムジナ』で佳作受賞、一貫して「動物づくし」ミステリを執筆し続ける現代バカミス(もちろん良い意味)の第一人者、霞氏。本作は第三長編にあたり『赤き死の炎馬』と前後して刊行された。

探偵、紅門福助は依頼を受け、アンティークショップの集まる街、中野淡輪町骨ガラ通りにやって来た。頭蓋骨をくわえた野良犬の出迎えを受けに戸惑う福助は、この街にいくつも「蟹」にまつわる不思議な噂が伝わっていることを知る。彼はショップの一つ「ノスタルG」を訪れ、依頼されたは昭和四十年代のゴジラのプラモデル箱付き未組立品を望むも、相場は八十万円。さらに現品を捜すのに時間が必要とあしらわれる。その上、店の売り物のナメゴンのフィギュアを誤って壊してしまった福助は、結局その店でアルバイトとして働かされる羽目に。そんな折り、街の有力者である墨旗という男の運転手がバラバラ死体となって発見される。「ノスタルG」の店主をはじめ各種のコレクターが所属する「探希会」という同好会が、彼とつまらないことで敵対していることから容疑がかかる。そして、その事件の裏にも謎の巨大蟹の噂が飛び交っていた。

クラブは倶楽部じゃないよ、蟹のことだかにー
……と言ってしまうのは俺の出来心。(出来心ってこういう用法になるのかな。ちょっと違和感。「……と、出来心をつぶやく俺」じゃないかな)
はっきり言ってしまえば、この本一冊の中に挿入されている滅茶苦茶なエネルギーに耐えられるかどうか、で読む人の評価は真っ向から分かれるだろう。登場するコレクターたちが次々と羅列するコレクションの固有名称群。ツボに入るものもあれば、滑りまくるものもある連発のギャグ。大量殺人鬼のプロファイルや、都市伝説に関して一気に大量に語られる蘊蓄。事件−解決の本筋とは関係のない(脇道的には関係しているけど)、破裂寸前まで詰め込まれたパワーを乗り越えられるかどうか。興味のない読者にとっては試練の域。
いずれにせよ、霞作品はとにかく一作読んでみてから、「合う」「合わない」を判断して頂きたい。
さて。霞作品でその装飾に隠れがちながら実にかっちりと組み立てられている「不可解な事件」−「合理的な解決」については、本書も及第点。伏線はきっちり回収され、どんなに奇妙な出来事であっても実に合理的に解決される。ただ、いかんせん「謎」が多すぎ、そして過剰な装飾の中に埋もれてしまっている感。せっかく魅力的な謎を読者に呈示しているにも関わらず、解決段階までその「謎」が読者の心の中で持続させられない。実にもったいない。本来ならもっと驚ける「謎」のはずなのに、落差が少なく感じる。

霞ミステリを「バカミス」「バカミス」と言うなかれ。しかし、本作は立派な絵を飾るのに、絵よりも立派な額縁に入れてしまっている。テイストを壊さない程度に整理する余地があるのではなかろうか。


00/07/22
山田風太郎「忍法鞘飛脚」(角川文庫'81)

'65年より'72年の間に『オール讀物』『小説現代』等の雑誌に発表された忍法帖短編の集成。収録作の主題は「忍者とは名ばかり……」とでも言えば良いのだろうか。

忍法の代わりに医術を学んだ根来組の男が隠密の役目を申しつけられ、病気の志摩守の元へ『忍法鞘飛脚』
明国からの使いの女性は回春の術を持つという。彼女の正体を探るため剣士と忍者が死闘を『つばくろ試合』
将軍の孫娘召し上げを拒否した老剣士は、弟子に警護を依頼。だが彼は忍者で逆の命を『濡れ仏試合』
藤堂家の大名夫人の弟はあまりに茫洋とした性格故に公儀隠密の疑いを持たれ、忍者が秘密を探る『伊賀の散歩者』
白河城下の宿で身売りされた女性を救った武士は彼女を恋するが秘密を明かされる『天明の隠密』
春画を囲む三人の忍者が間宮林蔵の依頼で規律厳しい南部潘に潜入、内部崩壊を図る『春夢兵』
公儀隠密の衣装を提供する大店。娘は一人の男に一目惚れするが敵は強大な忍者らしい『忍者枝垂七十郎』
服部組に所属する老人忍者は人体移植を長年研究、遂に人間の目玉の交換を実現した『忍者死籤』以上八編。

忍者でありながら、忍者ならざる者の悲喜劇
角川文庫でも前期に編まれた一連の短編集、くノ一もの以外は題名では判別し辛いものの、一冊一冊それぞれが出来る限りテーマを持って編まれている。本書のテーマは「忍法を持たない忍者の周辺の人物が重要な役割を果たす忍法帖」と感じられた。とはいえ、忍法帖はなかなか型に嵌らない作品だけに、編者も相当な苦労をしながら作成したものだろう。医術を学んだ忍者、くノ一に惚れた武士、人体移植専門の忍者……。
しかし、そんな彼らにとり忍者とは、なんと迷惑な存在なのだろう。任務に忠実なのは良いものの、周りが見えない。術に自信があるのは良いものの、それに溺れる。死ぬことを怖れないのは良いものの、残された者のことなど考えない。忍者でなく、周囲の人物にスポットライトを当てることで、周囲に存在する忍者の「影」の部分を浮き出しにしている。派手さの目立つ忍法帖の中では、わざと醜悪さを強調する本書の作品は、異質にあたるかもしれない。
ちなみに日下三蔵氏が編した『乱歩の幻影』に収録された『伊賀の散歩者』は異彩を放っている。遊び心満点の風太郎の乱歩パスティーシュの傑作。忍法帖の時代と乱歩の種々作品の味わいが混濁として独特の世界を創り上げている。上記アンソロジーで読まれれば良いかと思うが、風太郎と乱歩のファンであれば必読。

ここまで来れば角川文庫を蒐集している同志?しか読まれる方のない短編集かと思う。どうやら講談社文庫の風太郎全集の第二期が刊行される様子がない以上、忍法帖完集のためにはやはり角川完集が回り道のようでいて早道なのではないかと愚考する次第。


00/07/21
都筑道夫「目と耳と舌の冒険」(晶文社'74)

死体を無事に消すまで』に続く都筑道夫二冊目のエッセイ集。の東京の紀行文や、映画や落語にまつわるエッセイなど、ミステリ以外の文章をまとめ収録したもの。ビニールカバー付きの表紙イラストは山藤章二。山藤氏は紀行文のイラストも担当、これが何とも味のある内容で良い。

紹介は題名のみ、としたい。
I『江戸の夕涼み』(婦人公論'70年)『春がすみ、江戸の花見』(婦人公論'71年)『私の落語今昔譚』(新稿'74年) II 『ペイパー・ムーヴィゴアーの弁』(映画評論'69年)『辛味亭事苑』(キネマ旬報'69年〜71年)『私の映画遍歴』(季刊フィルム'71年) III 『食道楽五十三次』(小説現代'70年〜'71年)

都筑氏の蘊蓄は止まるところを知らず。エッセイ集で且つ文化論
エッセイそれぞれに冠された題名から想像される通りの内容。Iは江戸の文化を食と落語を中心に語った文化論。IIは、古今東西(今となっては古古東西か)の映画を縦横無尽に論じた映画論。IIIは、再び食べ物に戻って東海道を食べ物について語った旅情食物文化論(造語)。
例えば都筑作品の文庫あとがき。色んな方が述べていることだが、都筑氏の博覧強記は相当なものなのだという。それも大系的なことから瑣末なこと、映画から歴史等々、その知識は多岐多様にわたっているらしい。本人との面識がなくとも、本作品を手に取れば、その「噂」は「紛れもない事実」であることを確信するはず。
江戸文化も都筑氏の回想も名画も、それぞれ良いのだがワタシ的には「食道楽五十三次」この一連のエッセイが強い印象に残った。東海道を実際に(車で)下りながら名物の食べ物や現在に残る名所旧跡を紹介する内容。この主題だけならなんてことはない。極端な話、ちょっとした食ライターなら誰にでも出来るものだろう。これを都筑道夫が書くことで何が変わるのか。
簡単に言えば、全部変わる。「東海道」にこだわっている。つまり本当に江戸から京都まで、江戸時代に歩いて当地を踏破した人の旅情を出来る限り再現させよう、という強い意志がある。従って、東海道や各宿場町における歴史的背景、各種の講談や歌舞伎や落語等々の江戸文化を絡めて紹介し、それが現在はどうなっているのかという簡単そうで難しいアプローチを取っている。どんなに有名な名所や名菓であっても、明治大正年間以降のものは軽視し、江戸から続いているものを重視。歴史上の人物の墓所を探し、風俗の名残を求める。その取り上げる内容は、私の狭い範囲の見聞では初めて知ることばかり。それが都筑氏らしいテンポの良い文章で綴られているのがまた良い。没頭するうちに、東海道を実際に下っているかのような気分になった。

今となっては入手困難さに加えて、エッセイとしてよりも学術的知識的歴史的な意味合いで評価される作品となってしまっているかも。都筑道夫の細かい蘊蓄を楽しめる人、都筑道夫という作家関係なく、古い映画や演芸や食文化に興味のある人が一番楽しめる作品。(川口さんに譲って頂きました。多謝します)