MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)− 


00/08/10
服部まゆみ「シメール」(文藝春秋'00)

'87年に『時のアラベスク』横溝正史賞受賞後、独特のミステリ手法と流麗な文章で、寡作ながら根強い人気を誇る服部まゆみさんの八作品目。

「アムネジア」「シメール」「ナジェージダとナジャ」三つの章に分けられているが一つの長編である。
美大時代に学生結婚をした木原夫妻。裕福な祖父から豪壮な館を受け継ぎ、双子の子供と楽天的に暮らしていた彼らだったが、ある日館で火事が発生、火災保険に未加入だったため、彼らは色々なものを喪ってしまった。それから六年、父は慣れない仕事をし、母は愚痴を毎日こぼす渋谷のアパート生活が続いている。双子の弟、翔は内向的で本とRPGゲームが好きな中学生。路上演奏をしているバードと呼ばれる青年が唯一の友達だった。そんな彼らの前に、木原夫妻の美大時代の同級生で、三十代にして大学教授となり翻訳や評論で活躍する片桐が現れる。翔は片桐の評論を読んだことがあったが、彼が両親と知り合いとは知らなかった。妻を交通事故で喪ったばかりの片桐は、何かと木原一家の面倒を見てくれ、ついには自宅の一階に住むようにと勧めてくれる。

美に惹かれる男と美持つ少年の奏でる「耽美系」ミステリー
冒頭でいきなり痺れた。痺れすぎたのでそのまま引用する。

「死体という物が、こうも気を滅入らせるものとは思わなかった。
 「さようなら」と出ていった妻が、「事故で死んだ」と聞いたのは、見送ってから僅かに三杯目のウィスキーを口に運んだ時である。
 愛人に会うのに気が急き、車のスピードを上げすぎたのだろうと思いつつ、私は妻だった物に会いに行った。まだ夜も明けていない。」

物語は一本筋で単純とも言える。冒頭からしばらくは「あれあれ?」と思わせる部分もあるが、その謎も中盤以降には開き直ったかのように読者の前に開示される。RPGが好きで内向的な一人の少年、翔。彼の美しさに気付いてしまった若い美大教授、片桐。仕事がうまく行かず苦労している人の好い父親、虚栄心に溢れつつもセンスのあまり良くない母親。少年と片桐の視点で交互に語られることで、独特の美的世界が物語の中に形成されている。ある意味、ミステリを捨て去ったことによって「美」に走っているな、と感じた。そして服部さんは、その方向性に応えるだけの文章を持つ作家である。
そして何よりも、主要登場人物のある意味全員が「世捨て人」的存在なのが、この物語を別世界たらしめている。普通の一般常識的価値を超越した価値観。それらが交わされることで立体化していく展開。物語そのものが芸術論のよう。片桐は「美」を求め、翔は「愛」を求める。そのすれ違いにドラマが産まれる。カタルシスを予感させ、カタルシスに終わるあたり、現実を舞台にした一種の幻想小説的感慨を受けた。
……それにしても作中で翔の考えているRPG、あまり面白そうではないな……

ミステリとして手に取らない方が良いかも。逆に、美しい文章、美しい光景をテキストから読みとるのが好き、という向きには最高。服部まゆみは独特のミステリテクニックと独特の世界観を持つが、その世界観の方を突き詰めた一作


00/08/09
近藤史恵「アンハッピードッグス」(中央公論新社'99)

近藤史恵さんの八冊目の単行本。初の「非」ミステリで恋愛小説
三年前からパリに住み、ホテルマンとして生活する岳。彼から、犬の世話をしに来いと言われ、三ヶ月前からパリに来ている小説家の真緒。二人の住むアパルトマンに、新婚旅行でパリを訪れ、空港で一切合切を盗まれてしまったという浩之と睦美という夫婦が転がり込んでくる。やれ日本大使館だ、保険屋だ、と異郷で右往左往する彼らに岳は何かと世話を焼く。別に岳に下心があるわけではないのに真緒はそんな彼がどうにも気にいらない。一方、岳の休日に四人で訪れたベルサイユ宮殿で、浩之と真緒は、睦美らとはぐれてしまい別々に帰宅する。その日を境に、浩之と睦美の間がほんの少しだけぎすぎすとし始めた。

「愛情」という均衡が破れた、四人の哀しい物語
このような表現が適切なのかどうか分からないのだが、敢えて。近藤さんは「半端者の心理」を描くのが巧い。完璧な人間などこの世に存在しないけれど、意外と大抵の人はなんのかんのと言いつつも自分自身に満足しているもの。近藤さんの描く人物の多くは、自分自身に不満足か、満足しているフリをしている半端な心理状態を持っているように思う。
彼らが近藤さんの描く舞台に投げ込まれた時。危うい均衡で支えられていた「自己」という名のバランスは揺れ始める。何か足りないと思いつつ、それなりに同棲して満足していた岳と真緒。新婚という名のもとに一連の儀式を終えてきた都築夫妻。一見、平和で何の問題もない彼らが、互いに影響しあいつつ奏でられるストーリー。自分自身の気持ちに人間が気付くのには、何かの触媒が必要なのだろうか。見えそうで見えないラスト、それは揺れ動く彼らの心や行動によって刻一刻と変化する状況の裏返しなのだろう。彼らが手に入れたもの、手に入れそうになったもの、手に入れたと思ってこぼれたもの、それぞれについて、つい考えてしまう小説である。
本書はミステリでなく恋愛小説――ということにされているが、そもそも先の見えない恋愛を描いた小説とミステリとの間にどういう隔たりがあるのだというのだろう? パリという異郷で淡淡と「生活」し、投げ込まれた小石の波紋に揺れる彼らの姿。息を潜めて彼らの予想のつかない行動を見つめる第三者、つまり読者の立場は、ミステリのそれと何ら変わらないのように思える。

ミステリではないから、と敬遠されている人でも近藤史恵さんの一連の諸作がお好きなら間違いなくハマる一冊。登場人物の取り立てて誰が魅力ということはない。しかし性格の異なる四人が四人とも、どこかが自分の分身のように感じさせられてしまうのが不思議。


00/08/08
鯨 統一郎「とんち探偵一休さん 金閣寺に密室」(祥伝社ノン・ノベル'00)

邪馬台国はどこですか』でデビュー、続いて『隕石誘拐』でちょっと趣向を変えた鯨氏が、再び歴史物に戻ってきた三冊目の作品。

室町幕府の三代目の将軍、足利義満。金閣寺を建立したことで知られる権力者は全ての権力を手中に、部下の妻女や愛娘に伽を申しつけるなど、我が世の春を謳歌していた。その頃、京の町中で人買いの噂のあった分限者、山椒大夫が虎に噛み殺されるという事件があった。死体には虎の歯形、周囲には虎の足跡。その山椒大夫の元から女人禁制であった建仁寺に女の子が働きに来た。茜という名の彼女は、智恵者と名高い小坊主、一休と出会う。実は一休は時の帝の息子であったのが、権謀術数の中で物心つく前に出家させられていたのだ。一方、ある嵐の夜、足利義満は金閣寺の最上層で首を縊った自殺死体となって発見される。息子の義嗣は、これは殺人だと言い張り、能楽者の世阿弥に命じ一休にその謎を解くよう依頼する。

まさか、こんな伏線があるのか!と思わず膝を打つ
「一休さん」である。「すきすきすきすきすき、すき、あいしてる」……おいおい子供が色気づいてんじゃねぇ!と思わずつっこみたくなる「一休さん」である。「度胸は満点だよ、一級品」らしいが、小坊主なんだから先に「読経は一級品」を目指すべきだろうとつっこみたくなる「一休さん」である。「だけど喧嘩はからっきしだよ、三級品」お前は僧兵目指してるのか?とつっこみたくなる「一休さん」である。平たくいえば、アニメの影響か誰でもそのエピソードを三つ四つは知っている「一休さん」なのである。
さて本書。歴史上死因のハッキリしない足利義満が金閣寺の密室で殺され、実は複雑な過去を持つ一休がその謎を解き明かす、という物語。暴虐な権力者である足利義満を描く超シリアスかつ残酷な物語と、小生意気な坊主、一休とその仲間たちがおりなす「愉快なとんち」の物語が並行して描かれ、両者が徐々に重なっていく構成。そして最終的には、時の権力者たちを前にして一休が「さて」と謎を解き明かす探偵小説の形式が取られている。
密室そのものの謎は確かに魅力は認められるし、室町時代、金閣寺という背景を見事に利用している点など、それだけでミステリ作品として及第点をつけられる。しかし、私が本当に関心したのは、隠されていた事件の背景。解明時点では唐突感が拭えないこの事件が、実に巧妙な伏線の中から導き出され、登場人物を、そして読者を説得していく部分。多少の強引さはあっても、まさかアレが伏線?……という激しい衝撃を感じた。いやはや、お見事。一本取られました

文章そのものは未だ流麗とは言えないし、登場人物設定が活かしきれていないようにも見受けられるものの、意表を突く設定と合わせ「読者を騙してやろう」という稚気に圧倒されました。個人的には今年の本格ミステリ、ベスト5級かと思っています。


00/08/07
佐野 洋「一本の鉛」(講談社文庫'77)

'58年に『銅婚式』で「週刊朝日」と「宝石」の共催のコンクールでデビューした佐野氏が、翌年講談社に書き下ろした初長編。量産作家であり、推理小説界の重鎮でもある同氏の原点の一つ。

女性ばかり十人ほどが住むアパート、白雪荘。ある日の深夜、便所に立った女性が黒づくめの服装をした何者かに突然空き室に引っ張り込まれる。相手が何者かは、分からないまでも彼女は謝礼に支払うというお金を目当てに、協力を承諾する。翌日、バー「デラ」を経営する杏子の元へ、刑事が二人訪ねてくる。常連であった北大生、大前田のツケに対して詐欺容疑での訴えを起こして欲しいというのだ。大前田は、恋人であったあかねを殺害した容疑者として招致されており、別件逮捕の材料にするらしい。無口で大人しい彼が犯人ではない、と直感した杏子は秘密の恋人で刑事弁護士の海老沢に相談を持ちかける。

「本格推理」を意識せずに「読み物」として作られたミステリか
思わせぶりなプロローグ。女ばかりのアパートでの事件。真相はとにかく、隠し事の多い登場人物。明らかに冤罪と分かる事件。一つ一つの謎は決して大きくないが、これらを組み合わせることで、一個の長編足りうる「謎」を創り上げている。例えばある人物に謎があるとしても、明かされたその人物の秘密は、必ずしもメインの事件と大きな関わりはなかったりする。さまざまな方向(もちろん、メインの方向性はあるけれど)へ向かった謎が、それぞれの方向で収束する。そういった多指向性をもったミステリのように思われた。
発表当時の状況まで鑑みた際、本作品は「探偵小説」でも「社会派推理」でもない「推理小説」として産まれたのではないだろうかと感じる。即ち、後に音引きの「ミステリー」として推理小説界を席巻する作品形態の一つとして。いろいろな作品要素、本格やハードボイルド、犯罪小説などなどの構成因子だけを取り込んで、一つに偏らない。広い読者に受け容れてもらうために、推理小説の従来のルールよりも、リーダビリティを重要視する……。犯罪が持つ泥臭さを出来るだけ消し去って、洒落た香水を振りかけておく。出来ることならあまり読者に馴染みのない世界を作品内に取り込んでおく……。「謎と論理」を無視しないまでもも「エンターテインメント」を重視、一部のマニアに受けなくても、広範な読者層にアピールする。第一長編にして、佐野氏は後の方向性を見出していたのかもしれない。

しかしながら、これが本当に佐野洋の「初期代表作」なの?……という気持ちも存在する。佐野洋の長編を読むのが初めてで、加えて初長編ということで大きく期待していたが、ちょっと私の求める方向との隔たりを覚えた。多作作家だけに色々な側面があるだろうし、他の作品を手に取りつつ私の佐野観を醸成したい。


00/08/06
赤川次郎「幽霊列車」(文春文庫'81)

日本で最もベストセラーを重ねるミステリー作家で、未だに若者の支持を受けている赤川氏。赤川氏がデビューしたのは表題作で'76年に第十五回オール讀物推理小説新人賞を受賞がきっかけ。本書は'78年までに同誌に掲載された作品が集められたシリーズ短編集。

妻に死なれた四十男、宇野警部と女子大生で名探偵、永井夕子が巡り会う奇妙な事件の数々。
列車に乗車した八人の乗客が隣の駅につくまでに一人残らず消失してしまった『幽霊列車』
夏、リゾートホテルのバルコニーでゆすり屋の男の「凍死体」が発見された『凍りついた太陽』
大学の地下室で男が階段から転落死。しかし晴天なのに彼は雨合羽に長靴を着けていた『ところにより、雨』
偶然二人が訪れた善人村。人をもてなすことを喜びとする村民だったが饗応は常軌を逸していた『善人村の村祭』以上四編。

デビューしたての頃から赤川次郎のスタンスは全く変わらない
赤川次郎の持ち味といえば「特異なキャラクタ設定」「軽妙な文章」「洒落た雰囲気」「軽めのロマンス」といったところだろうか。これらで一気にストーリーを押し進め、ぐいぐいと読者を引きずりこんでしまう。映像出身だけに「場面」を「絵」に変えて繋ぐのが上手く、事実、赤川作品を原作としている映像作品はこの世にいくつ存在するのか分からないほどだ。
もちろん、上記の特徴を全く否定するつもりはない。しかし、厳しくミステリ読みの視点で物語を捉えた場合、これらに更に付け加えたくなる要因がいくつもあることに改めて気が付く。例えば、特異な設定を作ったとしてもあまり寄りかからず、それ以外の部分のリアリティはそれなりにきちんと押さえてある点。ミステリとしての事件の見せ方を出来るだけ効果的にする為に設定がきちんと奉仕されている点。そして何よりも、物語世界の中での合理的な解決がきちんと遂行されている点。全て当たり前のようでいて、実行するのは相当な才能が必要である。
本書収録作、四編は全て相当に突飛な「謎」を提示している。「乗客消失」の『幽霊列車』。「真夏の凍死体」の『凍りついた太陽』。「村人全員善人」の『善人村の村祭』。謎が突飛過ぎるため、回収の方法も見えてしまうきらいもあれど、その上でも面白い。「謎」だけでなく、「謎」の周囲などプラスαの部分を付け足す心がけを忘れず、きちんとエンターテインメントとして機能しているからか。個人的に『ところにより、雨』の謎は全く先が見えず、作者の狙い通りに引っ張り回されてしまった。好印象。晴天下で雨合羽に長靴という奇妙な取り合わせに隠されたいくつもの真意。いや、うん、上手いです。

「連作短編集」と謳ってあるが、現在の定義では本書はシリーズ探偵ものが集められた短編集、という表現で良いかと思う。しかし以前も述べたが、赤川次郎のミステリは決して女子供のためだけのものではない。ミステリ的にも読めば読むほど深みのある作品世界が広がっている。


00/08/05
半村 良「亜空間要塞」(角川文庫'77)

どうやら『SFマガジン』に連載されていたらしい作品。当時のSFブームを反映してか、この角川文庫版もかなり版を重ねている。現在ではハヤカワ文庫で入手が可能。

SFが好きだった学生達が集まってSFの同好会を結成した。その名も「質の日会」。彼らも年を重ね、社会人になり、SFの集まりという意味合いは薄れていたものの麻雀などの付き合いは続いていた。その麻雀四人組の一人、旧華族の家柄の山本麟太郎が、彼らを伊豆の別荘に招待するという。三波、伊東、吉永の三人が理由を訊くと、彼の叔父でブラジルに渡り、そちらで行方不明になっていた人物がひょっこりと伊豆の別荘に異様な風体で現れたというのだ。その別荘で遊びながら推理を繰り返す彼らは、ふとしたことから空間の歪を発見。更にその晩、円盤が現れトラブルの後に爆発、彼らは異次元の空間に飲み込まれてしまう。脳天気な四人組は持ち前のSF的発想を元に、その亜空間世界の冒険を開始する。

本邦最大のだーいどーんでーんがえーーーし!
よしだまさしさん、日下三蔵さんという名だたる読み手がラスト数ページの「どんでん返し」にのけぞったという一作。掲示板で話題にならなければ手に取ることは一生なかっただろうに、不思議な縁。
内容はいかにもSFチックな西遊記。脳天気なSFマニアが送る異空間旅行記である。そして本来はそのストーリーの中に様々な形で現れている(当時の)SF作品のパロディを楽しむもの。『デューン』をはじめ、古典や名作と言われるSF作品からとったと思しきネタが溢れんばかりに満載されている。また、色々と当時のSF作家の人間関係なども下敷きにされているように思われる。
……ただただ、ひたすら残念なのは私は基礎的SFの素養がないのでほとんどの部分が分からなかったのだ……。(おそらく名作ミステリをパロディした作品を純粋なSF者の方が読んでも、それほど楽しめないのと同様) それでも、ストーリー的に一応の説明がされているため、話の流れを追うだけでも一応のエンターテインメントにはなっているので、御安心を。
そして特筆すべきはラストに待ち構えている「大どんでん返し」なのだが。これはもう「入手して最初から読んでみてくれ」としか言いようがないので御容赦を。

私の持っていた半村良のイメージは映画化された『戦国自衛隊』とか、一連の時代伝奇小説だったのだが、本作で一気に覆されてしまった……。ミステリファンの方なら、既に「どんでん返し」がどんなものなのか、気になって仕方がないでしょう? ほれほれ。読みなさい。


00/08/04
山田正紀「SAKURA 六方面喪失課」(トクマノベルス'00)

作者自ら「優れたB級作品の潔さ」を欲して書かれたという。バブル当時に設立された警察のリストラ寸前の特殊な課の一日をオムニバスで綴った連作ミステリ。

軽トラに満載された自転車が盗まれた事件を捜査するアニメオタク刑事『自転車泥棒』
ブルセラショップから盗まれた大量のパンティの行方を探す女好き刑事『ブルセラ刑事』
配達の途中で失踪さいたピザ屋のアルバイトを捜す偏屈偏狭の頑固刑事『デリバリー・サービス』
自らアリバイ立証した殺し屋のアリバイを崩そうとする、ものぐさ刑事『夜も眠れない』
昔愛した彼女の夫は堕落した元同僚。依頼され彼を捜すギャンブル刑事『人形の身代金』
不発弾騒ぎの間に北綾瀬の街そのものが消失してしまう。それぞれ刑事が関わった事件の不明点が繋がり大技が炸裂する集大成『消えた町』以上、連作短編六作品。

久々に炸裂する山田流超大技。構成に凝った本格&非B級ミステリ
果たして「B級ミステリの定義」って一体なんだろう? マイナーな作家のマイナー作品。面白くない。書き飛ばしていて内容が薄い。意味無くベッドシーンがある。ストーリーが首尾一貫しておらず滅茶苦茶。……これらキーワードはこの作品には全然当てはまらない。強いて言えばリストラ寸前の刑事を集めて「失踪課」という課を作っている、という設定そのものくらい。しかし、架空の警察組織を創り上げた物語なら、既にこの世に沢山存在しているし。女囮捜査官シリーズだってそうだ。
本作におけるB級らしさ……必死で探してようやく一つだけ気付いた。「荒唐無稽」。しかしこの印象は今に始まったことではない(山田ミステリにおいても)し、山田氏の場合、微妙なリアリティを上手いこと舞台に付加してしまうために、荒唐無稽さも読んでいる間にいつしか忘れてしまう。後は「アクション」だが、これも、初期の山田作品には多く見られるものだし、作者の意図ほどB級らしさは感じられない。
一つ一つの連作ミステリのきっかけは馬鹿馬鹿しいくらいなのに、その真相は逆にこれ以上はないくらいに本格ミステリのテイストに溢れている不思議。短編それぞれが微妙に登場人物で繋がりがあり、かつ「街の消失」という冒頭の大トリックに繋がる伏線になっている。これがB級なら、世の中のミステリの大部分はC級以下に堕してしまうではないか。バブル期という日本人が札束に狂奔していた謎の(未だ謎だ。私にとっては)時代を舞台にして描く、連作本格ミステリ。B級という言葉に惑わされずに本格ファンの方にこそ読んでもらいたい気がする。

”アクションミステリー”と銘打たれ、わざと漫画系の表紙を配し、パッケージではB級を演出しようとしているものの、中身はB級よりはずっと上(特Aとまでは言わないが、現代基準でA級のエンターテインメントになっていると思う)。山田正紀さん、小説、上手すぎです。


00/08/03
樋口有介「木野塚探偵事務所だ」(講談社文庫'98)

'87年に第6回サントリーミステリー大賞読者賞を『ぼくと、ぼくらの夏』で受賞、独特の軽ハードボイルドタッチと台詞にファンが多い作家。本作は11冊目にあたり、'95年に実業之日本社より刊行されたものの文庫化。

警視庁を三十五年(警邏係一年、経理課三十四年)勤め上げた木野塚佐平氏は、酒も煙草も嗜まない園芸が趣味で臆病な恐妻家。親から受け継いだ荻窪にアパートがあり生活には困らない。でも彼はミステリ、特にハードボイルドが大好きで六十歳のある日、残りの人生十八年を有意義に生きる為に探偵事務所を開くことを決意する。ハードボイルドのコードに従って、新宿のうらぶれた雑居ビルに事務所を借り、電話を引いて就職情報誌にまずは広告を出した。そう、探偵にはグラマーで知的な秘書が必要なのだ。しかし準備は全て終わって電話の前で身構える木野塚氏であったが、秘書の応募者は一人も来ない。結局ひょんなことからやって来た女の子、梅谷桃世をなし崩しに雇って事業を出発することに。そんな事務所に舞い込む依頼は奇妙なものばかりだった。連作短編集。

ハードボイルドは自覚した瞬間にハードボイルドの資格を喪う
この作品はミステリ的に多重の趣向を備えたエンターテインメントである。例えば「日常の謎」であるとか「若い魅力的な助手への仄かな恋心」であるとか「動物ミステリ」であるとか、様々な属性を備えている。 そしてそのどれもが中途半端にならず、それなりに成功している点は見事。だって、これらの属性から読んでいっても全部楽しめる。
ただ、やっぱり本作最大の属性は、気が弱くて臆病で生真面目な60歳の主人公が、妄想的ハードボイルド探偵を演じているところにある。腕力もなく、煙草も酒もダメ、容貌も高尚な趣味も、度胸も背景も何にも持たない主人公が、世界中の誰よりも一番「ハードボイルド」を望み、ひたすら「ハードボイルド」の形に憧れている。大真面目な彼の姿が読者にとって面白いのは、彼が求むものが、男らしく格好良く美女にモテモテ……といった「ハードボイルドに付随するもの」であって、ハードボイルドの精神そのものでないから。信条がないから他人から突っ込まれて揺らぎ、求めるものが高いため背伸びをしてはこけてしまう。主人公は大変だが、読者は素直にそれを見て笑えば良いのだから楽なもの。「世間的なハードボイルド一般」への大いなるパロディを精一杯体現してくれる愛すべき主人公に拍手。一転して泣かせるラストもいい感じ。

爆笑、とまでは言わないがほんのりと柔らかいユーモアタッチがなんとも内容にマッチしており、ハードボイルドが大好きな人でも苦手な人でも、絶対に全編楽しめること請け合い。樋口有介初心者にもお勧め出来る、これぞエンターテインメントの王道という作品。


00/08/02
坂口安吾「私の探偵小説」(角川文庫'78)

表題作をはじめ、探偵小説や純文学に関する戦後すぐに『宝石』等の雑誌に発表されたエッセイを二十五編まとめたもの。坂口安吾という作家の「文学観」「推理小説観」が端的に示されている。

I『私の探偵小説』『推理小説について』『探偵小説を截る』『「刺青殺人事件」を評す』『推理小説論』 II 『通俗と変貌と』『未来のために』『私の小説』『俗物性と作家』『理想の女』『思想なき眼』『娯楽奉仕の心構え』『長さの問題ではない』『現代とは?』『新人へ』『志賀直哉に文学の問題はない』『新カナヅカイの問題』『敬語論』『戦後文章論』 III 『文芸時評』『世評と自分』『観念的その他』『感想家の生れでるために』『第二芸術論について』『わが思想の息吹』『「芥川賞」選後評』以上二十五編に尾崎秀樹氏による解説。

題名にかかわらず、探偵小説よりも文学論多数
戦後すぐに執筆・発表されたエッセイが多数を占めている――ということは、既に五十年近くの年月が流れていることになる――のだが、文章や小説に対する考え方は全く古びていない。
まず、探偵小説論についてだが、安吾の『不連続殺人事件』を読まれた方なら御存知の通り、安吾の探偵小説の愛好家ぶりは非常に深いものがある。中途半端ではなく徹底したマニア。安吾の探偵小説に求める姿勢は筋が通っている。国内では正史、海外ではクリスティ。トリックの卓抜さよりも、フェアに手掛かりを読者に提供している点と、そのトリックが不自然でないことを最重要視した評価をしている。分かり易いだけに説得力が高い。この評価方法だとカーも小栗も全くダメなんですね、はい。
そして文学論。ここも独自の主張が面白い。文章は物語が浮き上がり文章そのものは沈んで見えなくなるのが最上で、文章が引っかかるような凝ったものは最低だとか、通俗、低俗なのは文章自体ではなく読んでいる人間、書いている人間の受け取り方であるとか。仮名遣い、古文などにおいても、その方法論に終始する日本人を嗤い、大切なのは中身、つまり描かれた精神を理解することだ、と看破している。このあたりは現代の国語教育にさえ通じているかもしれない。

消費税導入前には角川文庫で十冊以上安吾作品が読めたが、現在は有名作品を除き絶版となっている。本作は角川では入手難関作品。まぁ、ちくま文庫等(こちらも絶版?)で全集がある。文学で名を成した作家であっても、出版形態の変遷は時代につれ激しいものが。


00/08/01
樹下太郎「非行社員絵巻」(文春文庫'85)

'66年(昭和41年)に文藝春秋よりポケット文春の一冊として刊行されていた作品。(その前年に『オール讀物』に連載されていた)サラリーマン・ナンセンス小説で、非ミステリ。

仕事熱心で純情だった模範社員の花見八郎は失恋を機会に「非行社員」の道を目指す。関係する女性をとっかえひっかえし、先輩名物社員から教えを乞い、花見は自分なりの会社生活を極めて行く。
恋人のあさ子に振られた八郎は社長の親戚社員のオールドミスを無理矢理に『元旦開幕』
節分。通りかかって豆をぶつけられた年長の女性宅に八郎は上がり込んで『鬼はうち』
評判の悪い課長をやり込めた八郎にその部下の女性が言い寄ってくる『ひなの夜』
人気のない貯水池での花見の帰り、痴漢に襲われた女性を八郎が助ける『花見花見』
たちの悪い女に捕まった八郎は後輩から聞いた「N号」作戦を実行する『N号作戦』
一癖も二癖もある猛烈な女子社員のボス格の女性と柔道の勝負をする八郎『…………』
多忙が好きな社員が暇な課に転属。彼は社員の福利厚生に仕事を見つけた『多忙社員』
転属してきた新婚の女性はことあるごとに旦那にべたべたと甘えている『アナタン』
ケチで吝嗇。貯金が生き甲斐という男性社員の人生の裏にあるものとは『月明悲歌』
おっちょこちょいで失敗ばかりしている社員。妻も父も母も皆ソコツ者『ソコツ人』
きっちりした性格『清潔城主』
女性遍歴を繰り返した八郎だったがやっぱり最初のあさ子が忘れられない『涙の太陽』
あさ子と遂に結婚した八郎は自ら亭主関白を実行……しようとするのだが『飛行社員』以上十二ヶ月分十二編に「文庫本のためのあとがき」がつく。

(四十年前の)サラリーマンは〜気楽な稼業と来たもんだっ
この小説を今読んで楽しめる部分が二つある。
一つは「リッパな非行社員」を目指す花見八郎のユーモア溢れる奮戦記として。
もう一つは「実録!三十五年前のサラリーマンの生態!」の風俗記として。
どちらからでも楽しいのだが、漫画的な展開を見せる花見八郎氏の女性遍歴については、本書でなければ読めないものでもない。当時はキワどかったのかもしれない展開も、今や当たり前になってしまっているし。ただ、女性関係に困った八郎が実行する「N号作戦」はアイデア、展開ともにナンセンスものとして秀逸短編。
もしかすると、これは単なる現役サラリーマンたる個人的興味だけかもしれないながら、当時の「時代」を切り取った実録としての面白さ。狭い家に住み、ことあれば「結婚」、二十八、九を過ぎればオールドミス扱い、高齢でも処女童貞がうようよ、赤提灯でへべれけ、出世に目の色を変え、優秀でも優秀でなくても五時半に退社していく。なんというか「典型」を大切にする時代だったのだな、と。この時代(1965年)の新入社員クラスが、現在(2000年)の会社社会では役員クラス。「文庫本のためのあとがき」で樹下氏本人は「サラリーマンの本質は変わっていない」と述べているのだが、その後、着実に変化しているように私は思う。円高不況がやっぱり会社組織が変質する鍵だったのかも。

楽しいことは楽しいのだが「OL」が「BG」と呼ばれる時代のナンセンス小説であることも事実。「時代」そのものでありすぎて「時代」を越えることは恐らくないだろう。当時のサラリーマンのささやかな夢は、今や新聞や専門雑誌の四コマ漫画の片隅にひっそりとその形跡を残すのみ