MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)− 


00/08/20
京極夏彦「百器徒然袋――雨」(講談社ノベルス'99)

京極夏彦の「妖怪シリーズ」の外伝にあたる。シリーズ人気キャラ、探偵・榎木津礼二郎が主人公?を務める中編集。そして本作の副題は「探偵小説」である。初出は『小説現代別冊メフィスト』'98年12月号、'99年5月、9月号。

有力者宅でメイドとして働いていた女性が集団暴行を受けた。憤懣やる方ない彼女の従兄弟が知人に相談に赴いたところ、厳しい現実を知らされた上、「探偵」を紹介される。「探偵」は犯行者に対し「目には目を、歯には歯を」と言いだし、中禅寺を巻き込んで制裁の画策を開始する『鳴釜 薔薇十字探偵の憂鬱』
榎木津は父親から青磁のカメを探すよう依頼を受けた。『鳴釜』の事件で世話になった’僕’はどういうわけか巻き込まれ、壺に執着した父親を持っていた赤坂の婦人のところへ赴く。その家は、部屋から庭から全てが壺に埋まっていた『瓶長 薔薇十字探偵の鬱憤』
常信和尚が十八年前の友人、亮沢と連絡を取ると「彼は死んだ」と言われた。が常信は受け答えに不審を抱き、京極堂に相談を持ちかける。亮沢のいる寺は高級美食倶楽部と転じており、京極堂は彼が既に死んでいると看破するが、榎木津の助けが必要だという『山颪 薔薇十字探偵の憤慨』

「妖怪シリーズ」の世界が扉を開き、「読者」はその中に招かれる
本書を単独で読む人はまずいないだろう。「妖怪シリーズ」と地続き……というより、完全に同じ世界。『百鬼夜行――陰』では、妖怪に取り付かれた側の視点でサイドストーリーが展開されたが、本書の場合は「探偵」に取り憑かれた(多少意味合いは異なるにしろ)一般人――本書では’僕’とあり、物語中では一度も本名で呼ばれていない――の視点でストーリーが展開される。「妖怪シリーズ」は主人公不在、場面に応じた登場人物により心象が語られている。つまり複雑に絡み合ったプロットを多数の登場人物が支えているという形式なのだが、本作においては全ては’僕’の視点で語られており、構築されたプロット(物語という名の建造物)は常に一面的に監視されている。
この「僕」視点を京極氏が採用したのは、一つの読者サービスなのではないか、と考える。主人公は常にいい加減な名前で呼ばれ、特定の名前を持たせてもらえない。彼を「名無しさん」にすることで読者に感情移入させ易くした上で、彼の前で榎木津をはじめとする「妖怪シリーズ」の登場人物が、縦横無尽にいつもより激しく動き回る。この結果、読者は「妖怪シリーズ」の「舞台」に傍観者としてではなく、一歩踏み込んだ自分自身として足を踏み入れることが出来るようになっているのだ。とはいえ、自分が何をしているのかは、分からないままである点、主要人物にはなりきれないのもミソと言えばミソだが。
物語としては榎木津が関与する度合いの高い『鳴釜』が抜けて底意地悪さが出ている。相手がバカであればあるほど、榎木津の暴虐度があがって楽しい。婦女暴行に関する扱いも現状を見据えた配慮した扱いになっており、社会性も感じた。『瓶長』『山颪』はどちらかというと隠された事件を暴く話であり、従来の「妖怪シリーズ」に手触りが似ているように感じられた。いずれにせよ全編「勧榎木津懲悪」が貫かれており、読後感は爽快

個人的に京極作品はずっと発売日即読みしていたのだが、わざと相応の期間をおいて冷静に読んでみたくなった。(『どすこい(仮)』についてはパロディの元ネタ作品に未読があるので取りかかりに躊躇われている)日頃の京極氏が語っている創作姿勢を、一瞬だけど垣間見たように思う。ただ、エンターテインメントとして素直に読むのが普通の楽しみ方だと思います。


00/08/19
はやみねかおる「ギヤマン壺の謎 −名探偵夢水清志郎事件ノート外伝」(講談社青い鳥文庫'99)

御存知、名探偵夢水清志郎と三姉妹が江戸時代に登場する「大江戸編」。本書と『徳利長屋の怪』の二冊に分かれている。もちろん、ジュヴナイル。

自分の名前さえ忘れてしまうため首に掛けた木札に名前を書いている男。「名探偵 夢水清志郎左右衛門」それが彼の名前。身長は高いが、身体は痩せており、黒く塗られた眼鏡をかけている。十九世紀のイギリスのベンチで寝ていた清志郎左右衛門はエディンバラの大学教授から寄せられた謎を、いとも簡単に解き、さらにその背景まであっさり看破してしまう。彼は「時代を見る」と言い残し、日本へと向かう。長崎は出島。清志郎左右衛門は岡っ引きのレーチと共に、密室の蔵からギヤマン壺が消失した謎を解き、江戸へと向かう。道中、梅太郎という人物と愉快に時に謎を解きながら、貧乏旅を続け、ようやく到着。そこでは廻船問屋の三つ子の三姉妹に捕まり、彼女らが大家をする長屋に住むことになる。

やさしめの「謎」、単純な「解決」だけでなく、心温まる「物語」を加えた
今までのはやみね作品を読んできて感じていた「子供を対象とした物語にこんなに本格ミステリを提示するとは!」という驚きは、本作に関しては正直多少薄れた感がある。連作短編のごとく登場する「謎」が、従来に比べ難易度が下がったのが理由の一つではある。ただ、それをマイナスと感じさせないのは、その単純(失礼)な謎を解決するだけでなく、夢水が本当に「人を幸福にする」という宣言を実行していること。がちがちの本格でないのだ。ジュヴナイルなのだ。こういうプラスαを大切にする姿勢はやっぱり好感。
「名探偵」という言葉がない江戸の時代、夢水は「何それ?」という人々に再三こう繰り返している。「事件を解決するのは同心。名探偵はみんなが幸せになるように事件を解決するのが仕事」、と。名探偵という非日常な存在が願うものは、幸せという当たり前の日常。それがどんなに大切なことなのか、気付かない人に気付かせるのも「物語」の大きな効用かも。
と、いいつつも作者のマニア心溢れた言葉や言い回しに「くすっ」とするのも楽しい。個人的ツボは「天真流」かな。間に藤が抜けているけど。

少年による殺伐とした事件が続く現代世相。教師であるはやみねさんが、子供と向き合いながら真剣に何か出来ないか、と考えている……勝手ながらそんな想像をしてしまった。「メフィスト」にも登場し、講談社ノベルスで大人向け作品も刊行されたことではあるけれど、やっぱりはやみねさんには、世のミステリファン予備軍の子供たちにミステリの楽しさを伝えていって欲しい


00/08/18
藤木 稟「大年神が彷徨う島」(トクマノベルス'00)

藤木さんのシリーズ探偵、朱雀十五の活躍する四作品(一作は分冊なので)目にあたる。題は「おおとしのかみがさまようしま」と読む。

陰陽道と神道が入り乱れ、成子様を信仰する小松流という宗教が支配する鬼界ヶ島。二十年に一度の儀式に呼び出された知り合いの女性の代わりに、名前を偽って朱雀律子が土佐沖のこの島に訪れる。奇怪な風習や呪文にさらされ、不気味な儀式に立ち会った律子は、遂に異形の化け物を見る。一方、この鬼界ヶ島に興味を持った紀行作家、御剣清太郎。彼は漁師に頼み込んで島に渡る。指示された葬儀場の手伝いをしている久枝彦という青年の許を訪れた御剣は「神罰で死んだ」という死体を見る。その死体は島を実質的に支配する小松一族に逆らった、もう一つの有力者池之端一族の長。しかもその体からは不気味な燐光が流れていた。彼の案内で奥更志野の御霊社を御剣は訪れるものの、取材は拒否される。ただ彼は大年神の姿が大黒天の姿をとっていることを知る。

理に落ちる謎解き、荒唐無稽の展開。これは「新本格」で「探偵小説」
恐らく京極夏彦の一連の作品、夢枕獏の「陰陽師」シリーズ等の影響で、ここ数年は「陰陽道」という存在はエンターテインメント小説界において、一種のブームに近い状況になっていると感じられる。その結果として、読者の側もそれなりに「陰陽道」についての(正確で系統立っているかはとにかく)知識が増えてきた、という側面があるだろう。元々、民俗学畑の藤木さんがどこまでその「読者」を意識したのかはとにかく、本書におけるその背景描写、書き込みについては「凝った」というレベルを越えて、執拗さを感じてしまった。導入部、おどろおどろしい舞台を創造するにあたっての細やかな表現と描写の連続、正直読み辛い。そうなっても徹底的に蘊蓄にこだわるあたりは、俗に言う「新本格」(特に第二世代以降)に見られる特徴の一つのように思う。また、その中に「不可能状況」「不可思議状況」を惜しみなく打ち出し、更に多少強引ながら、ねじ伏せるような論理的解決を最終的につけるところ、こちらも「新本格」の最も重要な特徴だと言える。
そして強引さを伴うミステリ部分を支えているのは、荒唐無稽とも思える動的な展開。軽業師の娘は自ら危地に赴き、探偵は状況を聞くだけで一瞬で謎を見抜き、あまつさえ衆人環視の中で再現までしてしまう。被害者は必要以上に増え、村人たちはからくりに気付きそうで結局気付いていない。……これって「探偵小説」の展開、じゃないか。
読み終わってみると「新本格」部分、「探偵小説」部分が意外と巧く組み合わさっていたことに気付いた。故に、本作は煽り文句通り「新本格探偵小説」と呼ぶのがもっとも座りが良いように思う次第

基本的にシリーズ作品のため、順に読む方が宜しいかと。ただ、相当にクセの多い文章ですので、その部分が受け容れられるかどうか、がある意味試金石になるでしょう。毎回大盤振るいされるトリック量には圧倒させられるものあり。


00/08/17
高橋克彦「写楽殺人事件」(講談社文庫'86)

現在は伝奇小説・怪奇小説・時代小説等を中心に活躍する高橋氏のデビュー作品にして第29回江戸川乱歩賞('83)の受賞作品。後の推理作家協会賞受賞作『北斎殺人事件』、『広重殺人事件』との三作を合わせ「浮世絵三部作」と称される。

私立武蔵野大学で浮世絵を専門とする西島ゼミの助手、津田は古書展で水野という古書店主より、秋田蘭画の画集を譲り受ける。水野は浮世絵界の勢力を西島教授と二分する嵯峨島厚の弟で、先日自殺した嵯峨島の葬儀に津田が来ていたことを覚えていたのだという。浮世絵の終焉を飾った絵師、小林清親が序文を寄せているというその画集の一枚には「東州斎写楽改近松昌栄」という書き込みが見えた。これは「謎の絵師」と呼ばれた写楽の正体を知る鍵となるのでは、と津田は興奮、西島とゼミの先輩の国府に相談の上、近松昌栄という絵師について調べるために秋田へと発つ。その調査には国府の妹、冴子が同行、津田は彼女と共に関係者について調査を開始、少しずつ手掛かりを握み始めた。

歴史に残る魅力的な謎をミステリが補完
浮世絵をはじめとする美術はもちろん、歴史そのものも通り一遍の知識しかない私でも、「写楽の謎」というテーマだけは聞いたことがある。僅かな期間に大量の浮世絵を発表、あっという間に姿を消してしまった絵師。有名人の別名義とも言われ、様々な人々が様々な仮説を持ち上げる。いずれにせよ関係者が死に絶えた今、余程の資料でも発掘されない限り「真相」は永遠に闇の中。
実は読み出す前には「写楽の謎」と言われても全くそれ自体に興味はなかった。そこをデビュー作品とは思えないツカミの上手さでぐいぐいと引き込んでくる。現在までに挙がっている説をやんわりと論破、その上で自説(といっても物語中のフィクションではあるが)を打ち立てているため、この手の作品にありがちな、強引で我田引水的論説展開のみ、という歴史ミステリとは自ら一線を自ら画している。
物語内の説を固めていく展開部分、当然多少の御都合主義的部分は見え隠れするのだが、実にこれが後の伏線になっているあたりが小憎い。歴史の謎とミステリとしての謎が極めて有機的に結びついており、これに閉鎖的な美術学会の因習告発が絡んで、展開の先を読ませない。殺人事件が絡むことで、この世界の持つ因業が浮かび上がってくる。ミステリそのものだけで読めば弱い。だが、歴史の謎との組み合わせで思わぬ効果が出ているように感じた。

もう一つ、この頃の乱歩賞作品の文章力の高さにも気付かされる。習作臭さが全くなく、デビュー作品からしっかりプロの仕事になっている。この表現力が後の伝奇小説などに活かされているとも考えられる。色んな意味で読んで置いて損のない作品。知的欲求の強い方ならミステリファンでなくとも薦められる。


00/08/16
幾瀬勝彬「死を呼ぶクイズ」(春陽文庫'71)

『ベネトナーシュの矢』という題名で第16回江戸川乱歩賞に応募、最終候補に残るも受賞を逃した作品の改題。そして、文庫書き下ろしとなった本書は幾瀬氏のデビュー刊行本でもある。(氏はそれ以前に雑誌に作品発表していた経歴あり)

東都新報の新聞記者、白方真紀子が書いたスキャンダル記事により、一人の男が自殺した。彼は真紀子がスクープした別の事件の影響で別会社に移っていたが、元はセントラルテレビの腕利き製作部長だった疋田弘之。その事件とは、人気クイズ番組「百万円の質問」の出演者が事前に解答を制作側から得ていたヤラセだった、というものだ。続いて、そのスクープの際に真紀子に解答者として情報を提供した塩谷大三郎という男が、山登りの途中、人気のない沢で転落、事故死した。二つの事件に関わりがあると睨んだ真紀子は、単独でこの事件を追おうとするが、不可解な事実にいくつも突き当たり、壁に阻まれる。

いかにも乱歩賞的展開ながら……何かが足りない
私的定義による中期以降の乱歩賞は「情報+ミステリ」。つまり、何らかの特殊要因(業界・趣味・歴史等)の要素にいかに巧くミステリ的展開を絡ませるか。一種の覗き見?的興味をミステリ的謎で引っ張って、物語としてのエンターテインメント性があれば良し、とされていると思っている。
乱歩賞最終候補作の本作においても、その傾向、「情報+ミステリ」は顕著に感じられる。背景にあるのはクイズ番組の「ヤラセ」問題。犯罪そのものの被害者や犯人をこの部分に絡め、多少迂遠ながらもマスコミに踊らされる世間を告発している部分も見受けられる。組み合わされたミステリ部分もそれなりに、Who done it?、Why done it?などの要素を満たしているし、アリバイ、暗号、密室等の要素も取り入れてある。目新しさはないが、工夫は感じられる。(暗号は何の意味があるのか不明だけど)純粋にミステリ部分のみを取り上げれば及第点だろう。
それでも、何か今一つなのだ。文章がこなれていないのは一つの要因だが、それだけではない。「情報」部分の取り上げ方がどうも間違っているように感じられて仕方ない。作者は放送関係の職についた経歴もあり、業界内部の描写は恐らく正確。ただ、訴えが空回りしてしまっている。 本作では「クイズ番組のヤラセ」を糾弾しているが、事件のきっかけはそもそも主人公が属する「スキャンダル告発の興味本位のマスコミ」にあるはず。その部分の不自然さを最後まで引きずってしまったことで、物語の説得性が大いに欠けてしまっている。また、語り手を若い女性にしたかったのは分からないでもないが、自己中心的で魅力がなく、そもそも考え方が読者とズレた彼女に全く感情移入が出来なかった。作者が切り口を勘違いしたのが最大の敗因ではなかろうか。
正直、これで最終候補はないんじゃなかろうか。二次予選くらいは通過したにしても……。

遠い殺意』がそこそこ面白かっただけにある程度は期待していたのですが……。ここは究極のバカミスと某氏が絶賛する「推理実験室」シリーズを読んでみなければなりますまい。誰か、貸して下さいな。


00/08/15
若竹七海「遺品」(角川ホラー文庫'99)

若竹七海初の文庫書き下ろし作品。共著を除けば十四作目となる。

勤め先を退職し、恋人と分かれたばかりの”わたし”は性格の悪い先輩、大林孝雄の口利きで、金沢に近い銀鱗荘という高級ホテルでの仕事を依頼される。そこには大林の祖父の一郎が開業したホテルで、彼がコレクションした女優で作家の曾野繭子に関するコレクションが封印されていた。近年、曾野繭子を見直す気運が高まりつつあるので、ホテルの資料室として一般に開示出来るよう準備して欲しいというのだ。厳重に施錠された資料室内部には、彼女の使用した割り箸から下着に至るまで、偏執的と思われる蒐集品で埋め尽くされており、”わたし”は圧倒される。実は繭子は大林一郎の愛人だったと言われており、三十年前に自殺した時もそのホテルに宿泊していたのだという。”わたし”は年下のタケルという若い従業員の協力を得、作業を開始するが、ホテルでは奇妙な出来事が発生しはじめる。

自分の手に余る何かに巻き込まれてしまう怖さ
自分はコレクター人種だと思っている。現在は御存知の通り、古本系のコレクターだが、今までの人生の中で様々なものを蒐集してきた。蒐集したものを自分のものとして眺めている時の幸せ。蒐集対象に向かうときの他から見れば異常としか思えない熱意。本作品の底流にはコレクター魂が流れている。そのコレクターたちは、どうしてそのような行動に走るのか。彼らの行き着く先はどこなのか。
ホラーの怖さがどこにあるのか、解体して語るというのも野暮な話。本書、序盤は何が怖いのかよく分からないところから始まる。”わたし”が目撃する奇妙な幻視、突然乱入してくる殺人犯人、謎の墜死を遂げる宿泊客。確かに実際にその場にいれば恐怖も感じようが、その段階で読者の立場で怖い、とはあまり思えない。
本書の恐怖がじわりじわりと忍び寄るのは、コレクトされた様々な「遺品」が徐々に明らかにされていき、その意味合いもまた判明してきてから。喪われたテキスト、繭子に似ていく自分自身、シナリオに抗えないもどかしさ。人間のちっぽけな意志が無視されるところから、怖さが始まる。いや、意志なんてちっぽけなもの、と知らしめられるところから、か
多少、「ホラー」の要素を放り込み過ぎたかな、と思える部分もあるが、主人公の視点をしっかり据えている分、あまり気にならない。

葉崎、学芸員、元美術館員と来て『閉ざされた夏』とリンクしているのかな、とも思ったがそれはない模様。(こちらは葉崎市立美術館でした)ただ、本作の主人公の女性のキャラクタそのものは、一連の若竹作品の登場人物と確実に共通項がある。強くて、弱いところとか。


00/08/14
山田正紀「謀殺のチェス・ゲーム」(ハルキ文庫'99)

山田氏の六作目の長編にあたり、'76年に祥伝社ノン・ノベルで書き下ろされてから、'82年に角川文庫、'91年に徳間文庫より刊行され、ハルキ文庫にも収録されたという人気作。本書を山田作品のベストとする人もいるようだ。ハルキ文庫版の解説は西澤保彦氏。

ヤクザの抗争で両親を喪った少年が、広域暴力団の組長を狙撃した。命中したものの生命を奪うことには失敗、少年は逃走する。一方、三星重工が総力を挙げて開発した自衛隊の国産偵察哨戒機、P−8が北海道沖でいきなりレーダーから消えた。この事件の背後には軍事産業への参入を目指す塙商事と、雇われた元新戦略構想家の暗躍があった。これに対し、自衛隊の特殊組織として機能する新戦略構想家(ネオ・ストラジスト)らは、様々な可能性を分析、自衛隊機の奪還を目指す。足を引っ張る自衛隊の中核将官、肉弾戦を繰り広げる二人の戦士。北海道から沖縄の先へと逃亡を図る少年少女。様々な駆け引きと戦いの中、いかなる決着がつくのか?

頭脳、体力、知力、運、目を見張るエキスパートたちの狂宴
山田正紀の作品を前にすると「善」と「悪」の概念がいかにも稀薄なことに気付かされる。「正義」も同様。絶対的な(一般的な、か)価値基準は作品内部では認められない。例え警察官であっても、彼らは秩序を守るという自己目的のためにその公権力を振りかざすだけだし、もちろん犯罪者はその目的のために人を傷つけたり欺いたりする。善良な一般市民でさえ、復讐のためには手段は選ばない。「目的」が即ち彼らにとっての「正義」だから。山田作品の登場人物は自らの「目的」に向かってひたすらに前進する。そこに「善」「悪」などという中途半端な概念はない。結局のところ、山田作品の登場人物に付加される最大のパラメータは「目的」「目的達成のための能力」この二つに尽きるのではないか。
本作はその「目的」というピラミッドの頂点に対し、頭脳の戦い、技術の戦い、体力の戦いがいくつもの階層によって繰り広げられる。その階層ごとにほとんど交わらず、敵味方に好敵手同士が揃う。さぐり合い、騙し合い、肉弾戦、銃撃戦、それぞれの戦いがスリルに満ち溢れ、異なる階層で異なる快感が得られる楽しさ。少年少女の爽やかな恋心をスパイスに、エンターテインメントの極をさらりと見せつけてくれる。
「どちらが勝利を収めるのだろう?」という読者の期待を意外な形で裏切ってしまうラストも山田アクションらしさに満ちている。それでいて読後が奇妙に爽やかな点にも好感。

なるほど何度も復刊されている意味が分かりました。無理矢理分類してしまえば「近未来SFアクション」とでもなってしまうのだろうが、本書に込められているパワーは、そんなジャンル分けを超越しています。特にアクション系の作品がお好きな方にお勧め。


00/08/13
戸川昌子「深い失速」(徳間文庫'82)

戸川昌子さんがミステリ作家として活発に活躍していた'67年に講談社より刊行された作品で第九長編になる。この徳間文庫版の解説は小泉喜美子さんが書いており、こちらも魅力。

”私”は精神科医。警察から私の元へ一人の大学生、丹野明夫の精神鑑定依頼が来た。丹野は配送のアルバイトで訪れた一人の人妻に執着、計画的な犯行に従って彼女を”長い武器”で殺してしまったのだという。パイロットの夫を持ち瀟洒なマンションに住むその人妻の元を訪れた”私”だったが、彼女は何かを隠す素振りこそみせながら、そのような事実は無かったと言い張る。その頃、病院では丹野が脱走、三日のうちに彼を捜し出さなければならなくなった”私”は、大学に出向き彼の周辺を調べると複数の女性が彼の回りにいたことが判明した。”私”は彼が人妻のところに再び戻ってくることを恐れ、再びマンションに出向く。

戸川ミステリに流れる愛情には「色」がある。その「色」が真相を隠す
本書に限らず、戸川ミステリに登場する人物は彼女の言うところの「セックス」を持つ。当時はおろか、価値観の変わったであろう現在であっても、何かにつけ彼らは肌を合わせる。過剰。敏感。互いに好きあった時に限らず、片方が寂しいとき、哀しいとき、何かを喪ったとき、嬉しいとき、行動の報酬、惰性、何かにつけ彼らは交合している。もちろん、それら全てが文章として表層にあらわれているわけではない。しかし、その彼らの行動が結果的に「色」となって物語を様々な色に染め上げている。そして、その「色」が読者から巧みに事件の真実を隠す保護色となって戸川ミステリーが成立しているのだ。
本書では、その奇妙な色彩感覚が特に顕著。”長い武器”で人妻を殺したという大学生、そんな事実はないと言い張る妖艶な人妻。果たして彼らの間には一体何が起きていたのか。それらの裏側に複雑な人間模様が絡まって解きほぐすのは決して、容易ではない。「真実」に到達するまでに剥がされる薄皮にあたる部分、それが様々な形の愛情なのだ。本来は隠されているそれら「セックスで作られた関係」が明るみに出るという過程は、犯罪の経過が露呈する部分で感じるミステリの快感と変わらない
最初、”私”は「男性に見せかけた女性」ではないか、と思いつつ読んだ。序盤でそれは誤りだとすぐに気付いたが、その感覚は本書を通読後、再び「あ、間違っていないな」と思う部分もあった。戸川ミステリで真相を見透かそうと欲するのなら、いずれにせよそれくらいの気構えは必要なのだから。

香り立つ官能に咽せるようでは、戸川ミステリを楽しめない。そういう意味では読者を選ぶ作家だという確信もあるながら、後にも先にも作品世界を誰も真似出来ない作家だけに、掘り下げた意味での評価がもっとなされても良いように思う。


00/08/12
森村誠一「新幹線殺人事件」(角川文庫'77)

高層の死角』にて'69年に第十五回江戸川乱歩賞を受賞した森村氏が、その翌年に書き下ろし刊行した初期作品。本角川文庫版の解説は、高木彬光氏による。現在はハルキ文庫にて刊行されている。

深夜に東京に到着した新幹線のグリーン席で、刺殺された男性の遺体が発見された。名古屋から東京まで停車しない「ひかり」号内部での犯行と見られ、殺害されたのは、新横浜−東京の間と思われた。被害者は芸能プロダクション「星プロ」の敏腕マネージャーの山口という男。この事件の背景には「星プロ」と「キクプロ」という日本を二分する二大芸能プロダクションによる、万博の芸能部門のプロデューサーの地位を賭けた戦いが存在した。優勢の「星プロ」の山口を「キクプロ」美人社長の美村紀久子が色仕掛けで陥落させた事実から、紀久子に絶対的に傾倒していた「キクプロ」マネージャー冬本が容疑者として浮かぶ。彼には鉄壁のアリバイがあったが、逆にその完璧過ぎるアリバイが捜査陣の不審を招く。

この段階で森村氏は自らの「売れ筋」を握んだのか?社会風俗派本格
物語として読む時の核となる部分、ミステリとして読む時の核となる部分。多少強引であっても、両方に等分に、かつ深く力を入れている印象がある。特にトリックのアイデアから執筆される作品の場合、多少は軽視されがちな、物語としての核の部分にかなりの力を注ぎ込んでいる。現代読み返してみるに、当時の風俗や社会を貪欲に取り込んだ結果、多少時代に押し流されつつあるきらいは否定出来ないものの、その古さが逆に斬新さを持って迎えられたであろう出版当時であれば、きちんと高評価されたことは理解出来る
物語の軸となっている片方、物語部は芸能界のやり口や争いを通じ、アイドルやタレントになりたがる若者や、彼らの周囲で蜜を吸うしたたかな大人たちの姿を点描している。二大プロダクションにおける争闘はどちらが勝利を収めるのか。テレビ番組や芸能界の裏側を覗けるという読者の好奇心をも満足させつつ、軽佻浮薄な風潮、マスコミに踊る人々を告発している。
一方、本格ミステリ的には、実にがちがちのアリバイトリックと錯覚トリックが用いられている。新幹線を使ったアリバイトリックは、よく考えられているものの、複雑に過ぎ、現実にここまでやる人いますか?という思いの方が強かった。どうせならもう一つ仕掛けられた錯覚トリックの方に、個人的には軍配を挙げたい。(最近、新本格系作家の短編集で同様のトリックを見掛けたが)ただ、いずれにせよ全ての手掛かりを読者に与えていないので、厳密に言えばその分はマイナスかも。
ただ、両者のバランスをきちんととってあり、物語全体としてうまくまとめられている。そして、ミステリファン以外の読者にアピールするという森村作品の基礎がこの段階で徐々に固められつつあったのでは、とも感じられた。
(おまけ)本書『新幹線殺人事件』とは別に『新・新幹線殺人事件』の存在を知って、本屋でのけぞりました。この題名センスは凄いというか、さすがというか。

私の「森村誠一」は何を読んだら良いの?と疑問を呈した人達のうち、かなりの方が本作品を挙げておられました。『高層の死角』での硬さが消え、文章的にこなれてきている点、本格指向の強いトリックが内包されている点、現在も読書に耐える一冊。


00/08/11
横溝正史「真説 金田一耕助」(角川文庫'79)

横溝正史の薄目のエッセイ集。内容は'76年より'77年にかけて、毎日新聞の日曜版に氏が一年に渡り連載したもの。題名もそのままだが、単行本版と文庫版では異同があるらしい。

横溝正史氏の肩肘張らないエッセイ。戦前から探偵小説作家として創作を続けていた氏が、角川春樹の小説の映画化という戦略に乗り、時代の寵児となって戸惑うさまが導入部。それまでに映画、テレビ化された自らの作品の配役や内容についての感想、筆名の秘密、金田一耕助のモデル、戦前の事情、欧米一流推理作家の影響、自らの健康状態、著作の数々の裏話……などなど、横溝正史という小説家が素顔で思うまま、徒然に語っており、非常に面白い。また、エッセイ一編一編に当時新聞に掲載されていた時に挿し絵を描かれていた和田誠画伯のかわいらしい絵が挿入され、それがまたほんわかとした良い雰囲気を盛り上げている。

偉大なる作家、横溝正史の知られざる一面
横溝正史。創作を始めたのは戦前。さらに戦後の探偵・推理小説の勃興期にかけ、業界では抜きんでた実績を持っていた。その横溝氏は、さらに昭和五十年代には横溝正史&金田一耕助の大ブームによってその名を一般に知らしめた。角川春樹の大々的な宣伝を伴う映画化戦略が巧くマッチ、オカルト・ホラーブームの端緒となった結果であると言えよう。昭和五十年代。この時期、文庫本一冊の売り上げが百万部にも達する勢いだったという。ミステリファンでなくとも「明智小五郎」の次の日本人探偵として「金田一耕助」を挙げるようになったのも自然のこと。そんな中、横溝正史は「金田一耕助」の生みの親として急速にメジャーな存在となっていく。本作は丁度そんな時流のまっただ中にいた横溝正史自身が、素直に自作や現在の生活環境、そのブームに対して思うところを綴っている。作品が売れず雌伏していた時代の昭和の大作家の苦労が偲ばれるエピソードや、戦前や戦後すぐの作品が有名な海外古典の影響を強く受けているところなど、作者自身の口で語られることで初めて見えてくる事柄がてんこもり。合わせて正史自身に加えて、本書が執筆された当時の時代と風俗まで感じ取れ興味深い。

角川文庫の横溝正史収集のききめといえば、言わずと知れた『横溝正史読本』と『シナリオ悪霊島』だが、本作も実はそれなりの入手困難本。黒字に緑文字が中心の角川文庫横溝シリーズの中で、本書は白背に黒文字と一冊異彩を放っている。