MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−過去の書評群 (掲載順)− 


00/08/31
小栗虫太郎「紅毛傾城」(現代教養文庫'78)

現代教養文庫の小栗虫太郎傑作選の全五冊中の五冊目となる短編集。'90年代に入ってからも版を重ねており、恐らく版元に在庫もあるのではと思われる。但し再版から背表紙が模様から白に変わり、コレクタ泣かせではあるかもしれない。

失踪した平賀源内が旧友に自らの焼いた皿を送ってくる。その皿には実は物語が隠されており……『源内焼六術和尚』
一世を風靡した遊女も齢九十を越えた。毎年、節句になると自分の客の遺品を並べて雛壇を作る『絶景万国博覧会』
千島の海賊砦に流れ着いた露船は悪疫を満載していた。そこから逃げ出した美しい女性フローラは自らの数奇な運命を彼らに語る『紅毛傾城』
十五世紀大航海時代。喜望峰を巡り印度に向かおうとする船長らとその計画を阻もうとするハンザとの仁義なき争い『金字塔四角に飛ぶ』
ポーランド人で偉大なる数学者、そしてナポレオンの血を引くというライスキーという男の空白について虫太郎が検証する『ナポレオン的面貌』

読者を煙に巻く世界的難解冒険小説
解題によれば、本書の収録作はそれぞれ「江戸趣味戯作小説」「明治回顧探偵小説」「和洋混淆伝奇小説」「純西洋種伝奇小説」「西洋秘史解明小説」なのだそうだ。言われてみればその通り。だが、読んでいる間にそんな冷静な分析など全く出来やしない。物語を追うのに必死になってしまうから。独特のリズムのある文体で、当時の探偵小説と比較して読みにくくはない筈なのだが、その書かれている内容が高度に過ぎて、素直に頭に入ってこない。(私が読み手として未熟だから)
一般的には『黒死館殺人事件』の小栗だが、執筆された作品には『人外魔境』をはじめとする冒険系の小説が多数ある。いずれにせよ共通しているのは強烈な衒学的趣味。数十年を経た今、一つ一つの小栗の言説が「真説」なのか「でっち上げ」なのか「当時は信じられていた現代では間違い」なのか「歴史上事実」なのか、読みながら検証するのは事実上不可能。ならば、全てを(フィクションの中での)真実と割り切って「ほう!」と感心しつつ読むのが正解か。……とはいえ、検証するも何も小説の中に出てきて初めて出会う「説」なのではあるが。再読、再々読にて味が分かる作品のようにも思う。冒険系の小説といっても、設定からして突飛なので、主人公らに感情移入するのはなかなか難しいかも。

当時一記者に過ぎなかった九鬼紫郎による小栗虫太郎のインタビュー、これが秀逸。諸短編では『源内焼六術和尚』『絶景万国博覧会』あたりの探偵小説的な工夫と奇想が個人的には楽しめた。ただ、ある程度小栗作品を読んでから、でも本作品集はいいかも。


00/08/30
土屋隆夫「盲目の鴉」(光文社文庫'84)

'72年に発表された前作長編『妻に捧げる犯罪』より8年、'80年に久々にカッパノベルス書き下ろしにて発表された長編。原型となる短編『泥の文学碑』が存在するがかなりのアイデアが付け加えられているため、あまり意識する必要はないだろう。

文芸評論家の真木英介は、田中英光という作家の全集解説の仕事を大手出版社、四季書房から受ける。資料探しのために、週刊誌に情報募集の記事を出した真木の許に、長野県の主婦と名乗る女性からの連絡が入る。田中英光が、生前事件を起こした際に取り調べた警官が舅なのだという。彼女の連絡を受け、小諸市内に乗り込んだ真木だったが、彼はその日から姿を消してしまう。一方、東京は世田谷の喫茶店「ホメロス」では、店から出てきた男性が「白い鴉……」と言い残して悶死する。その事件を偶然目撃した千草検事は、毒殺された彼が劇作家志望の水戸大助という青年だったことを知り、その捜査にも携わることになる。捜査陣は喫茶店の状況を再検討してみるも、客の少ない喫茶店内で水戸を毒殺するチャンスのあった人間が一人もいないという事態に直面。また、小諸市内では、ポケットの中には失踪した真木の切り取られた人差し指が入っているジャケットが発見され、騒ぎとなる。また、その現場には「私もあのめくら鴉の」と書いた紙片が発見された。二つの事件の繋がりはどこに?

土屋隆夫は文章巧者、展開巧者、そして推理小説巧者
被害者を文芸評論家とした段階で、この作品は既に読者に対して勝利している、と言えるのではないだろうか。冒頭に、ある作家に向けた文芸評論家の小エッセイが掲載されている。これがいきなり作中作と思えないほどインパクト。更に関係者に文芸の関係者を配することで、土屋氏が恐らくやりたかったのだろう、文学絡みに事件が自然に繋がっているのだ。挿入される詩、文章の一部、それぞれが決まっており、土屋隆夫が文学畑からも高い評価を受けていることに納得させられる。
そして、序盤で発生する二つの事件。失踪事件と不可能犯罪。方法も目的も分からない状態でスタートする。手掛かりが少しずつ、千草検事らの手でほぐれていく過程がまた、絶妙にいい。恐らく綱渡りと言ってもいいだろう。これ以上引っ張ったらダメ、というところで次の手掛かりが見つかり物語が進展する。鼻の下に人参をぶら下げられた馬のように、読者はもう付いて行くしかない。ポイントは、多少強引に見える展開であっても、それまでに本当に何気なく読者の前に晒されていた文章が伏線として大きな意味を持っていること。文学の香気に目が曇るのか。文章の詐術に嵌っているのか。
土屋氏は、作品に使用するトリックを「自ら試してみる」という。従って大技はないが、小粒ながら味のあるトリックを幾つも長編のために準備されている。ミステリ的興趣も満足。

土屋氏は寡作な作家ゆえ、その執筆年数に比して長編の数は非常に少ない。読み残しも後は近作三つのみになってしまった。ただ、かなりの高齢にしてなお執筆を続ける姿勢には本当に頭が下がる。まさに授かり物ですね。土屋長編は。


00/08/29
式 貴士「天虫花」(CBSソニー出版'83)

鬼才SF作家、式貴士(名義)の文庫化されていない作品集。当初は『なんでもあり』との同時発売が計画されていたらしいが著者のスランプにて作品が揃わず、時期がずれての発売となったという。(なかなか巡り会えませんでしたが土田裕之さんに譲って頂きました。多謝!)

十年間開かなかった本の間から出てきた昔の彼女の写真。結婚まで考えた彼女は物凄いツキを自分に与えてくれた『夢の絆』
新宿ゴールデン街にはいくつも不思議な飲み屋があった。「七つの月」のママさんに僕は一目で虜となって『水中花』
交通事故で愛する妻を失った男は、一人息子と共に妻の渡った虹の橋を渡ろうと……『虹の橋』
夏場、毎日水泳する趣味を持つ男はプールで出会った美しい女性に一目惚れ。最初は声を掛ける間もなかったのだが『二人静』
蝶を愛する彫刻家の元を訪れた美しい女性記者は、彼と愛し合うようになり『肉の蝶』
雪の中で死んでいた彼女の夫。雪で覆われた死体からは足跡が伸びており、家に届く前に消えている。そして死後の彼から警察へ電話が入っていた『面影橋』
その星では生きたネコを玩具感覚で飼うのが流行っていた『猫の星』
天空を虫が覆い尽くす世界にやって来た兄の婚約者。彼女の持つ魅力に少年は徐々に虜になって行き『天虫花』
その男が人生の分岐点に差し掛かった時に、必ず頭の上に雫のようなものを感じた『時の雫』
さらに名物の「長いあとがき」がつき、本書の成立過程を日記方式で記されている。

式貴士の持つ一つの側面、独特のペーソスが遺憾なく発揮された傑作集
はじめから上記の通りにハッキリしたコンセプトを元に作られた作品集。つまり哀しいロマンスとか、切ない愛情だとか、キレイな恋物語とか、結ばれぬ運命だとか。そういった「ホロリ路線」を「狙って」執筆された作品の集成。そう簡単に作者の意図に踊らされるものか!……でもやっぱり踊らされました。だって『窓鴉』以来、一部短編で見られていたセンチメンタル路線、大好きだから。
様々な作風を使いこなしていたためにどうしても「一人雑誌」的でごった煮の印象があった従来の作品集に比べて、本作品集は明らかに違う。まず、式貴士独特のエロやグロのヴェールは影を潜めている。独特のナンセンスも押さえ気味。その結果、従来の作品(全てではないが)ではどうしても片隅に追いやられがちだった、これまた式貴士独特の「男」と「女」のあくまで純粋で至高の「愛」の物語が浮かび上がって来ている
再読になるが『面影橋』のすれ違う純愛の切なさ。『天虫花』の幻想的光景に彩られた背徳感募る少年と女性との愛情。ショートショートながら、切ない気持ちで満たされる『虹の橋』……等々、印象に強く残る。さすがに、全ての作品で狙いと読者の印象が一致するとは言い難いが、編集の統一による効果が著しく、読後に「一冊の作品集」として受ける印象は、他の式諸作品集を凌駕しているといえよう。満足。

嗚呼、これで「式貴士」の名前で刊行されている本は全て読み尽くしてしまった。露骨なエロと超ナンセンスにそこはかとないペーソスの漂う、式作品。これ以上作品が読めないかと思うと……御本人が既に亡くなられてしまっていることが本当に惜しまれる。式さん、ありがとう。


00/08/28
鮎川哲也「白の恐怖」(文華新書'67)

『白樺荘事件』という新作長編とされるために、現在改稿作業中……と伝えられたのはもう何年前になるのだろうか。
桃源社の「書き下ろし推理小説シリーズ」として'59年に刊行された、四番目の長編。『翳ある墓標』と共に文庫落ちしていない鮎川長編の一冊にして、超入手困難作品。(岩堀さんに譲って頂きました。大感謝致します。横須賀に足を向けて寝られませぬ)

弁護士の「私」が経験した白樺荘での連続殺人事件を日記風にまとめた作品を推理作家の鮎川君が出版した、という設定。
「私」の助手、丸茂が軽井沢に住む高毛礼夫人の元に赴き、依頼を引き受けてきた。彼女はアラスカ帰りの未亡人で三十五歳。三十一の年齢差のある彼女の夫、一は明治時代に開拓の為に洋行して成功した億万長者。アラスカと軽井沢の気候条件が似ていることから「白樺荘」という別荘を建てたものの、病気で亡くなったのだという。一は生前、自分の血を分けた甥姪に財産を譲ると決めており、未亡人はその遺志を継ぎたいのだという。「私」は探偵に依頼し、該当する男女を探させ、四人の男女を発見する。青年実業家、貿易商夫人、ストリッパー、漫画家、一癖も二癖もある彼らと共に「私」は対面の為に冬の軽井沢の「白樺荘」へと向かった。ところが軽井沢で別行動を取った助手の丸茂と、未亡人のパートナーとが姿を消してしまい、死体で発見される。そして事件を報せに来た警察官共々雪に閉じ込められた「白樺荘」内部では連続殺人事件が発生する……。

本格派の巨匠、鮎川氏の「雪の山荘」モノながら……
「埋もれた名作など存在しない」と又聞きながら評論家の巨匠、Y氏の言葉として聞いた。
人気がある作家の特定の作品が長期間絶版のまま……という状態には、やっぱりそれ相応の理由があるのかも……と気付かされる。
雪の山荘での連続殺人。過去の名作に挑戦!ということで意気込んで執筆したのだと類推される。遺産を巡る動機を裏付ける背景描写の部分は読ませるものあり。後の長編『朱の絶筆』で、全員の動機をプロローグ代わりに持ってきているのに感心したが、本作もコンパクトに登場人物の性格や背景がまとめられていて分かり易い。個性的な人物と、シンプルで分かり易い動機。そして発生する事件。
その事件。毒殺を中心とし、人の出入りの出来ないクローズドサークルで発生する連続殺人事件。館内部に警察の人間がおり、外部との連絡の必要はないものの、探偵役がいない。(本書は星影龍三もの)個別の毒殺方法や、その隠し方などに見るべきところはある。しかし。
しかし、長めの中編としか言えない物語全体の長さと相まり「館もの」のWHO DONE IT? としては、「これしかないだろな」というオチとなってしまっているのが致命的。更に事前に張られた伏線が微妙に足りないため、解決されてから「はぁ、そうだっんですか」としか思えず、作者に騙された!という快感が得られなかいのも残念。さらに、警察が被害者の死体を雪の中に埋めてしまったり、いくら容疑圏外でもそんなコトしていたら怪しいだろう、とか、細かく見ればツッコミどころが満載なのも事実。読み終わってみれば、このまま再刊されない理由が見えたように思った。

鮎川氏が復刊を潔しとせず、改稿にこだわっているのはその自覚があるからではなかろうか。今世紀中に読むこともかなわないかもしれないながら、やはり何とか『白樺荘事件』として再び完成させ、改めて読者に問うて欲しい作品かと思う。


00/08/27
山田風太郎「忍法相伝73」(講談社'67)

刊行が決まった『忍法創世記』を除けば、現在最も入手の困難な風太郎忍法帖長編。しかも忍法帖唯一の現代舞台作品ながら、風太郎自身の評価はサイテー。今後も暫くは復刊は望めないだろう。

小さな運送屋に勤務する独身サラリーマン、伊賀大馬。彼は伊賀忍者の血を引いているとはいえ、極々平凡に極々普通の生活を営んでいた。彼が好意を持っていたアパートの娘、美登が、貧乏な家族を助けるために家を出るという。彼女をわずかでも救うため、家の古文書を売り飛ばして金にしようと検分してみたところ、大馬は一本の古い巻物を発見する。「忍法相伝書」。恐るべき達筆と意味不明の文字で書かれたそれには、様々な忍法の秘伝が書かれていた。よくよく見ると一番から七十二番まで朱色のバッテンが書かれている。どうやら彼の御先祖様が試してみたものの、効果がなかったらしい。大馬は七十三番目の忍法に目を留めた。「忍法墨消し」鼻くそをはじめ、身近な道具で試せるこの忍法を実行してみたところ、彼の周囲の印刷物がみるみるうちに真っ白になってしまった。伊賀忍法、遂に発現!……しかし大馬は頭を抱える。こんな忍法でどうやって、窮地の美登を救えばいいというのだ……。

わっはっは。いやはやこれは文句無しに駄作。でも天才の駄作。
いやぁ、驚きました。どんな作品でも面白い風太郎にこんな作品があるとは。
現代を舞台にした忍法帖長編! これだけで期待はいやが上にも高まる。読了した人が全員口を揃えて「あの作品はダメだ!」と言われても、それはきっとみんながスレているからに違いない、と思っていた。「でも味がある」と言う人も。そうか「味」か。その「味」を楽しめばいいんだな。
一言でいえば、たまたま忍法が使えることを発見した平凡な男と、妙な性格の爺さんとが、忍法を使って悪戯を世間に仕掛ける物語。主人公の「惚れていた女性を追う」という当初の目的が、あっと言う間にないがしろにされてしまうところに物語の弱さがある。加えて、忍法そのものが思いつき、投げやりとしか思えないこと、老人がリストを見て「ほれ、これなんか出来そうだ」と提案するなど、場面場面での忍法の必然性が皆無なこと、それを世間に仕掛ける時に無理矢理にくっつける理屈がまた苦しいこと、等々中盤は起伏があるようでいて、実は平板な展開で、読んでいて退屈。
その投げやりな忍法の一部を紹介すると、男と女の性格の強さを逆転させる忍法。これだけならまだしも、これを実現するために、男に一昼夜絶食させ、焦げ飯を女に食わせその二人の臀同士を大地を砕かんばかりに打ち付ける……。訳分かりません。思ったことの反対を言わせる忍法。女忍者の足の裏を何十回と男忍者が舐め、その結果、足に浮き出た脂を、餌にして鳥を育て、その糞を相手に塗る……。嗚呼。四苦八苦してこれらの忍法を試行する彼らの姿は、面白くもあるけれど。
行き当たりばったりの展開に、妙な忍法、魅力のない登場人物、切れ味も後味も悪いラスト。結局は「風太郎独特の奇妙な味」、それだけ。結局、超絶エンターテインメントである風太郎忍法帖を期待して読むからいけないのかも。一連の奇想小説の系譜と考えれば、この無茶苦茶な展開もそれなりには面白い……が、「それなり」の域を出ないところがなかなかに苦しいぞ。

結論としては、「忍法帖」の題名が付けど、中身はナンセンス奇想SFの域を出ていない小説。個人的には冒頭のエピソードと最初の忍法のみで、いきなり最終章に繋いで短編にしていれば、もう少し評価出来る作品になっていたのでは、とも思う。
普通の人が無理して読む作品ではないですが、風太郎ファンならば、やっぱり無理してでも読むんでしょうね。私みたく。(譲ってくれた石井さん、ありがとう)


00/08/26
樹下太郎「人生だなあ」(講談社'67)

それほど熱心でないまでも樹下太郎作品を探しているのだけれど、出会うのはサラリーマン小説ばかり。(どうやら'64年頃から推理小説の執筆は減っていたらしい)ただ、そのサラリーマン小説も不思議な味わいがあって面白いから、いいのだ。

チルドレン製菓に勤める二十六歳のサラリーマン、麻井隆。彼は同僚のBG、三上愛子を決死の思いでデートに誘い出した。初めてのデートにほんの少し遅れて行こうと彼を離れたところで見ていた愛子だったが、彼に馴れ馴れしく話しかけ、一緒に立っている女性が気になって出ていけない。その女性は、麻井の取引先の社長秘書、とはいえ年上の出戻り独身BG、和田とし江。三十分待っても現れない愛子を諦め、麻井はとし江をデートに誘う。健康な二人は次第に大胆になり、麻井はとし江のアパートに転がり込んで遂には関係を結んでしまう。翌朝、二人は出勤を諦めて海を眺めるため、新幹線で熱海まで出掛けるのだが、彼らに当てられた三人組の男に襲われる。麻井の奮闘で事なきを得たものの、新聞沙汰になってしまい二人の関係は一部に知れるところとなった。

正真正銘のサラリーマン&人生の小説。
ミステリ的要素は皆無。主人公の麻井隆を中心に、様々な男女の様子を断片的に挿入する手法と、その内容から「お色気付きNHK連続テレビ小説」と、思い浮かんだ。もちろん、麻井の女性遍歴が多いのでNHKで放映することは出来ないだろうが。
真っ直ぐな性格のサラリーマンが、いくつかの女性遍歴を経て、最終的な幸せを握むまでの物語。登場する男性にも女性にも「精一杯やれるだけやった後は、なるようになる」という精神が貫かれているため、その結果、全員「人生だなあ」と心の中で呟くことになる次第。
私と同じサラリーマンとは言え、執筆時期を考えると三十年以上も前が舞台。それでもそこはかとない(積極的ではないまでも)彼の生き方に共感を感じてしまった。会社社会においても芯をしっかり持っている男は、揺らぎがない。精一杯やってみて、その結果がどうあろうと「人生だなあ」と受け流すことが出来る。うん、現代に生きていても格好いいじゃないか。
女性の方の考え方は、ちょっと旧弊っぽいところもあってもしかしたら現代に合わない部分もあるかも。

樹下太郎のサラリーマン小説の面白さは数冊読んで堪能出来た。果たして推理小説はどんなものなのだろう? また探さないと。


00/08/25
島田一男「上を見るな」(光文社文庫'86)

'46年旧「宝石」の懸賞にて『殺人演出』を発表してデビューした戦後五人組の一人に数えられる島田氏。シリーズ探偵を数多く輩出した島田氏の作品中でも、有名な一人、刑事弁護士南郷次郎が初登場する作品。本作はかの'55年に講談社で企画された「書き下ろし長編探偵小説全集」の一冊として刊行された。

駆け出しの刑事弁護士、南郷次郎は虻田剣子より、長崎県の故郷で開かれる親族会議に代理出席して欲しいと依頼される。彼女は最近までシベリアで抑留されていた、南郷の古い友人、虻田弓彦の従姉妹にあたり、弓彦もその会議に出ると聞き、南郷は依頼を引き受け、一路飛行機で九州へと飛ぶ。古い歴史を持つ虻田家では、亡くなったと思われていながら復員してきた、弓彦をはじめとする三人の男性の処遇に困っていた。彼らのいない間に永次郎という男を次代の当主にする話がまとまっていたからだ。しかも現在の当主も上方神経症を病んでおり、コンクリートで囲まれた部屋から一歩も出ることが出来ない。事情を知るに連れ、気の乗らない南郷だったが、その永次郎の惨殺死体に虻田家への道中で出くわしてしまう。

時代性に乗せた大胆不敵トリック連発!
この頃に執筆された推理小説を他にもいくつか読んでいるが、本作ではその「時代」を色濃く感じた。当時はまだ珍しかったであろう飛行機での旅行(座席は番号札で早いもの勝ち!)、砲弾を海岸に打ち込む米軍による演習、鯛焼き屋の二階で行われる売春、申し込みから通話まで数時間待たされる電話……ちょうど、現在に連なる文明の利器たちの立ち上がり時期にあたるのだろうか。これらの風俗そのものが物珍しく、実はこの点だけでも楽しめてしまった。
更に、これらの「道具たち」が微妙に物語の「謎」に奉仕している点に注目したい。背景にあるのは横溝ばりの地方の有力一族+戦争で帰還した息子たち+遺産争い、とかなり泥臭い。さらに『上を見るな』の題名通り、被害者は「たまたま上を向いたところ」を殺されている。不可解な殺人方法は、それはそれで面白いものの、そちらの最終的な収束については実はあまり感心出来なかった。一方「道具たち」を利用したアリバイや、細やかな物語の起伏、こちらは大いに気に入った。驚きあり、感心あり、意外性ありと、現代のミステリでは想像できないような取り扱い方の妙。特に飛行機を使ったトリックの意外性には、思わず口を開けてしまった。
また南郷次郎の真面目かつ軽い探偵ぶりも暗くなりがちの物語を救っている。

一応「本格」としての体裁も整えられているように思ったが、南郷という登場人物視点の軽ハードボイルドとしても読める。島田一男のシリーズ作品を読んでいないだけに、簡単には断言出来ないながら、肩肘張らずに読むのが正しい姿なのかも。


00/08/24
篠田真由美「仮面の島」(講談社ノベルス'00)

建築探偵・桜井京介シリーズの都合八冊目にあたる作品。

イタリア、ヴェネツィア。水の都にある大富豪未亡人が相続した小島を日本企業が買収する、という話の検分を依頼され、神代教授と共にイタリアを訪れた京介。学生時代より十年近く過ごした神代にはヴェネツィアは縁が深い土地で、友人の娘など多数の関係者がいる。また、彼らにとっては神代が蒼に、養子になってはどうか、という申し出に対する結論を蒼が出せないことからの逃避の意味合いもあった。島の持ち主である未亡人と会見するも、当の彼女は売却話など一切知らないといい、彼女のパートナーの女性も「彼女を騙す者は許せない」と激昂する。戸惑う神代と京介は一旦引き下がって、エージェントの連絡を待つことになった。そんな彼らが時間つぶしをしているサン・マルコ広場に現れたのは、深春と蒼だった。

風光明媚なヴェネツィアを舞台に繰り広げられる、京介・蒼の成長の物語
篠田さんは異形コレクション『水妖』にて『還ってくる――』という作品を執筆している。ホラー短編でありながら、本書と同じくイタリアを舞台にしたその作品を読んだ時、恐怖を喚起すべきイメージでさえ、その美しさに息を止めるような思いを感じた。本書はミステリなので、かの作品と同列に論ずることは出来ないものの、水の都ヴェネツィア――この街の醸し出す美しい情景に、まず捉えられる。その一方、どんなにイタリア語を神代教授や京介が流暢に操ったとしても、それはあくまでその景色に溶け込んではいない。その街で育ったもの、外部のものを拒絶するような雰囲気をこの都市は持っている。
このシリーズの特徴としてどうしても、登場人物の心象描写が「主」に、事件が「従」になってしまっているが、致し方ないことだろう。事件(ミステリとしての謎)そのものには、意外な真相など本格推理的こだわりは感じられるものの、多少強引に構築したトリックの歪みが人間関係などに反映されてしまっている。結局のところ、事件の役割は、登場する人物との交わりを通じて蒼なり、京介なりが自分自身について見つめ直すきっかけとして機能している。とはいえ、この事件そのものは、このヴェネツィアという本書のもう一つの主人公たる舞台を抜きには、ここまで盛り上がることは考えにくく、御当地ミステリとしては十二分に及第点を越えている

本シリーズについては、今まで「順に読むべき」と言ってきた。しかし、こと本作に限ってはヴェネツィアの美しい光景が印象的なことと、事件そのものと主要登場人物の過去との絡みが少ないことなど、本書だけを試し読みしてみるのも良いかも。


00/08/23
光原百合「時計を忘れて森へいこう」(東京創元社'98)

詩集や絵本、童話の作家として'89年頃から著作のある光原百合さんの最初のミステリ作品集。(とは言え実は別名で「本格推理」などに作品を発表されていたらしい)東京創元社の「クイーンの13」のシリーズ三冊目にあたる。ネット上には、泉穂さん主宰の光原百合普及委員会があります。

東京から信州は清海線沿線に越してきた女子高生、若杉翠。彼女は課外授業の際に大切な時計を落としてしまった偶然から、シークという自然保護開発の団体で働く指導員、深森護という青年と出会う。本来は奥手で鈍感なはずの翠だったが、自然を心から愛する彼に一目惚れ、徐々に親しくなっていく。
第一話:クラスメイトの恵利が普段は大人しい国語教師に頬を殴られた。いつも冷静な冴子は校内暴力だといきまくが……。
第二話:婚約者を喪った男はその事実以上に何かに打ちひしがれているようだった……。 
第三話:物語を作る会に参加していた女性が拒食症で入院。彼女の心の中の影とは……。

ひたすらに、そしてすべてに対して、優しすぎるくらいに優しい
「日常系ミステリ」の看板?ながら「人が死なない」ということはない。むしろ三編全てにおいて何らかの形で「人は死ぬ」。ただ殺人など殺伐とした事件性の「死」ではなく、人間が生きている以上、いずれ迎えることになる「死」としての色合い。いずれにせよ寂しいものだが、物語に優しさが満ち溢れているのは焦点を死んだ人でなく、残されている人に当てているから、だと思う。
ミステリとしてそれぞれの「謎」をピックアップするとかなり弱いし、ワンパターン。けれど本書の評価軸はその部分に求めるものではないのだろう。身近な人間の「死」という大きな衝撃を受けた人の行動の一端、その背景、周囲の人々の類推から、隠れていた物語を導き出す。こういった部分より入り込む物語。本書の場合は、物語は謎に奉仕せず、謎は物語の従者たる存在だ。
登場人物が童話チックである部分は評価が難しい。「万人受けする」といわれている北村薫さんの「私シリーズ」でさえ、「私」に対する好悪というものがあることを考えると、本書における「翠」の存在は、更にその振り幅が激しくなるように思う。素直で爽やかで思いやりがあって気配りが出来て……と、実は(今どき)スーパー出来過ぎ女子高生の翠。私も、彼女のあまりの「優等生」ぶりには場面によってはちょっと苦笑してしまうところもあった。合わせて登場人物がみな「優しさ」に満ちており「悪意」がほとんど存在しないことが、物語が平板になっている要因とも思える。登場人物の「優しさ」が他の人々の「優しさ」に埋もれてしまっていて、浮き上がって見えないのだ。全編悪意の小説というのもゾッとするが、全編善意の小説もそれはそれで物語として薄くなってしまうのか。

ただ、心温まるエピソードが三編並んでいることは間違いない。「癒し系」の作品として、今後の展開を待ちたいように思う。内容とは関係ないながら、東京創元社の単行本にしては装幀が凝っていて目を引く。明らかにモデルとなった清里の光景が目に浮かんで楽しめるところも。


00/08/22
高木彬光「黒衣の魔女」(偕成社版ジュニア探偵小説'68)

神津恭介FC作成の「神津恭介読本」の石川太一氏(ネットでは別名)のクロニクルによれば、彬光の神津恭介が登場するジュヴナイルは七冊の単行本があるという。本書はその中の一冊で'51年に「少女サロン」という雑誌に連載されていた作品とのこと。

留守中の古沢博士宅に、人体改造という恐ろしい研究に手を染めたため、長い間絶交状態にあった木原博士から手紙が届く。手紙にはその実験の完成と仲直りがしたい旨が、したためてあった。不在の博士の代わりに娘の美和子が箱根に向かうが、その途中、彼女は当の木原博士と美しい少女の二人連れを見かけ、問いかけるが彼らは別人だと言い張り姿を隠す。去り際に少女は、ホテルに向かわないよう、美和子に警告する。伊豆のホテルで美和子は、木原博士とその娘、千鶴子と再会する。その夜、千鶴子と二人、話をしていた美和子は、二階の窓に光る眼を持つ女の顔を見る。気を失った千鶴子は譫言で「黒衣の魔女が……」と繰り返す。美和子が廊下で拾った鱗は大蛇のもので、当夜姿を消した女性の部屋からは同様の鱗が発見される。黒衣の魔女とは何者なのか。その狙いは。名探偵神津恭介はいかに魔女と対決するのか?

「少年」というより「少女向け」のホラー感覚が横溢、妖しいムードが楽しい
小学校の頃、学校図書館には乱歩の明智小五郎のジュヴナイルが揃っていたし、全て読破もした。このあたりは、現在のミステリファンのご多分には漏れないのではないだろうか。本書は高木彬光のジュヴナイル、ということでほんの少しだけ構えて読みだしたが、その構えた肩の力はすぐに抜けた。もう二十年近く以前になる、その頃の自分を思いだした。というのも本作が……不可解な冒頭、連発する怪奇現象、読みやすい文章、翻弄される探偵、助手に迫る生命の危機、正体不明の悪人、大胆不敵の犯罪、ぎりぎりで逃げ出す悪党、手に汗握るアクション、親子の感激の対面、最後の対決、大団円……だから。
具体的には、冒頭より「黒衣の魔女」こと「蛇女」が登場、全編にわたって関係者を恐怖に陥れる。闇で光る両目、行動した範囲に落ちている大蛇の鱗、二階の窓に張り付く顔。彼女に咬まれた男性は、蛇の毒で即死……。また「黒衣の魔女」によって恐ろしい目に合うのは、探検家と世界一のバレリーナとの間に産まれ、別人に育てられた少女たち。登場人物は三文少女漫画的である。でも、その少女漫画的キャラクタが本作品には良く似合う。子供を怯えさせつつも、最後にカタルシスをもたらす、これこそ当時のジュヴナイルの王道かも。

大人向けの探偵小説と探偵小説ジュヴナイルとの差、というのは、それほど大きくないように思える。登場人物を子供の想像範囲に置くため特徴的な人物にしたり、多少強引な展開にしたり、という差こそあるが(少なくともこの作品においては)全ての怪奇現象に合理的な解決が提供されている。下手をすれば、純粋な子供の目を欺く方が大人を騙すよりも作品的には制約が多くて難しいものなのかもしれない。


00/08/21
水上 勉「若狭湾の惨劇」(春陽文庫'67)

水上氏の「推理小説作家時代」の作品と思われるのだが、本作そのものの初出等は調べられず。春陽文庫はこのあたり辛い。表題の中編に数作が加わった短編集。

大阪の繊維会社の社長が、静養に来ていた若狭湾の海岸で溺死。足を滑らせた上での事故死と処理されかけた。たまたま近くを運行していた列車に乗務していた時枝保次は、生前の彼と共に赤い服を着た女を目撃しており、この事故について疑問を持つ。今一つ確信の持てない時枝は、自らその社長の関係者について調べ、その経過を大阪から事故を調べに来ていた刑事に事情を書いた手紙を託す。刑事たちは時枝の証言を重要視、繊維会社で立て続けに発生していた事件とも合わせ、再調査を開始した。『若狭湾の惨劇』
地方から東京に来た役所の課長は土建屋の接待で愛人を持つが、彼女と過ごした温泉マークの側であんまが殺されて『東京の穽』
推理小説家の元にトリックを持参して来た男。その後、彼の提案したトリックと同じような事件が発生し出す『消える』
農林省の若い職員が大金の使い込みを行った。その背景にあった動機とは『人形』
無縁仏の帳面を見ていた男は、一人の女性の首吊り自殺について調べようと思い立つ『無縁の花』
村の菩提寺の和尚は夫婦仲睦じく暮らしていたが、妻の従姉妹という女性が転がりこんで来た『真福寺の階段』

推理小説仕立てながら、水上文学に近付いている?作品集
推理小説……のはずなのだが、なんとも普通の推理小説ではなかなか味わえないような独特の「味」を感じる作品が多かった。そしてまた、普通の推理小説で味わうことの出来るはずの普遍的な「味」が、逆に味わえなかった。もしかしたら、水上勉の推理小説はそのようなものなのかもしれない。
表題作の『若狭湾の惨劇』。事故による水死と見られた事件が、複数の目撃者の存在から違った側面を見せていく物語。ただ、手掛かりの提示の方法も都合が良すぎ、物語の引っ張り手が一目撃者の探偵マニアから、途中で完全に警察に移ってしまうなど、ミステリ的な弱さも目に付く。扱っているのは不可能犯罪のはずなのに「見せ方」にもっと適当な方法があったのでは、と感じた。その代わり、といってはなんだが、美しくも荒々しい「若狭湾」の海と山の光景が物語の端端から強い印象を残す。これを水上作品ならではの「味」と言って過言ではないのではなかろうか。
一方他の収録短編の中では「社会派!」を濃縮して抽出したような『人形』、奇妙な味わいを狙ったのであろう『消える』、その二つの要素がバランスが取れ、かつ人間の感情の推移が如実に伝わる『東京の穽』あたりの印象が強い。ただ、ミステリとしての意外性というよりも、物語としての面白さで評価した感覚ではあるが。

「社会派推理小説」の作家と少なくとも一時期は目されていた水上勉の作品をこれで三冊読んだ。もう少し考察は自分なりに継続したいが、この「レッテル」は後付けだったのかも、という印象を強くした。