MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


00/09/20
柴田錬三郎「幽霊紳士」(春陽文庫'71)

まさに「あの」という形容詞が相応しい。『眠狂四郎』の生みの親、時代小説の大家、直木賞、吉川英治文学賞など、数々の受賞歴を誇るシバレンこと柴田錬三郎。氏の探偵小説が本書。大坪砂男がかなり協力したという。'60年に発表されている。

連作短編小説形式で、探偵役は頭髪もネクタイも洋服もグレーの紳士。鏡に映ったり、硝子越しに見えたり、電話から声が聞こえてきたり、と物語の重要登場人物一人に対して、ことの真相を語りかける。もちろん、彼は幽霊だから姿は他の人物には全く見えないのだ。
裕福な女社長の自殺事件を捜査する腕利き刑事『女社長が心中した』
匿名人からの依頼で敗残の老人の身辺調査を行う探偵『老優が自殺した』
女子学生が三人の男の自分への愛を試すため探偵に依頼を『女子学生が賭けをした』
ヤクザの勢力争いは幹部の決闘で決着をみたのだが『不貞の妻が去った』
バーの年増主人をたらし込んだジゴロは彼女に殺意を『毒薬は二個残った』
心中に見せかけ男女を殺そうとした男は新聞社に電話を『カナリヤが犯人を捕えた』
カメラマンは金貸しの女を体で抱き込もうとして『黒い白鳥が殺された』
海水浴場で発生した事件泳げない夫と暴行された愛人の悲劇『愛人は生きていた』
自分の夫が殺人を犯したのではと居候に相談する妻『人妻は薔薇を怖れた』
銀座でも有名な身なりの立派な乞食が愚連隊に襲われた『乞食の義足が狙われた』
ファニーフェイスのモデルに惚れた詩人はいそいそと出掛けるが『詩人は恋をすてた』
孤独な老嬢の前に現れた男性はとても猫が好きだった『猫の爪はとがっていた』以上、十二編。

謎のレベルといい、構成といい、展開といい、質の高い本格探偵小説そのもの
読み終わって、少なからず興奮した。凄い凄い。KIYOCA-CHANに題名を教えてもらって存在は知っていたものの、内容のレベルが想像を遙かに超えている。これは探偵小説好きには至福だわ、ホント。
シバレンは御存知の通り、大衆文学作家ではあるものの探偵小説プロパーの作家ではない。ところが本作の中には、探偵小説作家が愛し、得意とする「稚戯」の精神で溢れている。遊び心といってもいい。それに加えて、きちんと構築された論理性。この二つを併せ持った小説が面白くないはずがない。
「幽霊紳士」という突飛な設定を持ってきながら、謎となる部分は意外と凝っている。女社長の殺人事件。不遇な元役者の老人が殺される事件。乞食特製の義足が奪われてしまう事件。老嬢の猫が何度も行方不明になる事件。陰惨な欲望の絡んだ殺人事件から、一見日常の謎的なものまで、バランスが取れている。その解決。これがまた明朗なのだ。いくつかの手掛かりから、推論が重ねられこれしかないという結論に達する――。のだが、ここから「神の視点」を持つ「幽霊紳士」がその推論をひっくり返し、事件の光景を鮮やかに反転させてしまうのだ。「幽霊紳士」が現れた時、ある者は推理の間違いに気付かされ、ある者は信じていた者に裏切られていたことを知る。毎回毎回、十二回もの反転が、一々鮮やか。なんたって「幽霊紳士」だもん。なぜそんなことを知っていたか、に理由はいらない。
もう一つ遊び心の上でリーダビリティを高めているのは、前の作品の登場人物が次の作品の冒頭部分に必ず登場し、導入の役目を果たしていること。物語の世界が繋がっており、一つの短編を読み終わった余韻のまま次の作品に入ることが出来る。しかも重なる登場人物はせいぜい二、三作。かなり高度なテクニックと感じた。

集英社文庫で近年に再刊がなっているようなので、探偵小説の愛好家ならば探してでも読むべし。これは埋もれた(知られていない)傑作探偵小説の名に相応しい。


00/09/19
森 博嗣「魔剣天翔」(講談社ノベルス'00)

保呂草・瀬在丸・香具山・小鳥遊四人組が主人公を務めるシリーズ六作目。書き下ろし。しかしなんだこの題名は。ちなみに英題はCOCKPIT ON KNIFE EDGE。

保呂草はある人物の呼び出しを受けてバーに来ていた。現れた女性はジャーナリストとして有名な各務亜樹良。女は保呂草の「裏の稼業」(である泥棒)をどこかから知り、その件で呼び出したのだという。標的は大粒のエメラルドが象眼された剣のオブジェ。最近フランスから戻って来た洋画家、関根朔太郎が亡妻から譲られたと言われる。当の画家は表向きはそれを持っていないと言っているのだが、彼が所持していない筈がない、という。一方、休講の暇つぶしの為にN大学を訪れていた紫子は、本屋で出会った森川に教えられ、二階の食堂へ練無を探しに行く。その練無は妙齢の美女と熱心に話し込んでいる最中で、なんとなく面白くない紫子は声を掛けそびれる。彼女は中高と練無の少林寺の先輩にあたる関根杏奈で、アクロバット飛行のパイロット。彼女は近々行われる航空ショーの無料チケットを持参していた。その話を聞いた保呂草は意外なほど興味を示し、事前に訪問する練無に同行させて欲しいと頼み込む。

謎もなかなか魅力ながら、ハードボイルド的展開の巧みさに目を引かれた
ミステリ部分を取り出せば、本作最大の謎は「二人乗りの飛行機の後部座席に乗っていた人物が飛行中に後ろから撃たれて死亡、墜落。前部座席に乗っていた人物は犯人ではない」というもの。個人的にある部分が盲点となって解明されるまで真相が全く想像できなかった。(美しくない回答はいくらでも思いついたが)ここを着地させてはじめて物語全体の輪郭がはっきりしてくるなど、心理的な謎を含め、これには満足。(ヒューズはちょっと……だけどね)
しかし、本作ではこの「謎」−「真相」よりも、物語展開の妙の方に心を奪われたのが正直なところ。泥棒の依頼を受けた保呂草が、依頼人と共に警察から追われる立場になり、その追う立場に練無や警察の知り合いがいたりと、窮地に立たされる。へらず口を叩きながらも、機転を効かせてその危機的状況から脱出していく保呂草。一人称ではないながら、ハードボイルド作品の主人公を見る思いがした。警察に追われつつも、高慢で鼻持ちならない性格の、でも無実の依頼人に対し、自分を殺して誠実に尽くすプロフェッショナル意識。「個」を犠牲にしても「仕事」を優先する保呂草の姿は、今までの森作品になかった人物像ではないか。序盤〜中盤の展開のテンポの良さはほとんど全てが彼の功績。
後半、彼が動けなくなった途端に普段の森ミステリィになってしまうところは不思議。個人的には謎の解体までオール保呂草でやって欲しかった。

酔っ払いが意味なく密室を作って悦に入る部分とか、過半数の森作品で行われる性別のミスリーディングとかは作品に必要があるのかどうか。特に性別の錯誤に関しては、もう執念深いというしかなく、読者のサプライズとは無縁に作者の狙いがあるのかも、とまで深読みさせられる。性別で人物を固定観念化してしまう世間への皮肉、とか。

はっきり言って、ここ数作の森作品中では最も魅力が高いように思う。特に物語の見せ方により引き締まった展開になっているのが何とも嬉しい。謎の解体があっさりしているのは好悪の分かれるところだろうが、物語そのもので評価出来る作品。


00/09/18
小林信彦「紳士同盟」(新潮文庫'83)

元ヒッチコックマガジン編集長にして、映画演劇評論家としても名高い小林氏。本作は国産コン・ゲーム小説の草分けとして有名な一作で'79年に「週刊サンケイ」に連載、翌'80年に新潮社から刊行、映画化もされている。(コン・ゲームとは詐欺犯罪をユーモラスに描くミステリの一ジャンル)

テレビ局のディレクター、寺尾文彦は番組の打ち上げパーティで過去に肉体関係のあった女優の告白で大スキャンダルに巻き込まれ、退社を余儀なくされる。マスコミに追われ家に帰ると自宅は泥棒に荒らされており、更に同じく外に出ていた妻から離婚を宣言される。自宅のローンの残りを慰謝料代わりに請求された寺尾は、形だけでもプロダクションを運営すべく、友人の旗本忠敬の元を訪れるが、その旗本のプロダクションもタレントの国外逃亡により、息絶え絶えの状態にあった。なんとか彼と共同でやっていく折り合いをつけ、タレント志望の清水と面接するところまでこぎ着けた寺尾だったが、今度はなけなしの貯蓄三百万円をキャッシュカード詐欺にて詐取されてしまう。

大のオトナはゲームだからこそ真剣にプレイする。真剣だからこそ面白い。
確かに主人公をはじめとする登場人物四人は序盤で、悲惨な状況に陥っている――そして、もちろん状況を犯罪行為によって挽回するのは、世間的社会的法律的に許されることではない――。が、唯一、このフィクションの世界、エンターテインメントの世界においてなら許されるのだ。真面目だけが取り柄で、日々の生活に汲々としているアナタ、アナタこそがこの小説を楽しめる資格を持つのです。(オレもか)
一言で言えば、素人詐欺師集団の小説。確かにメンバー全員借金を抱えており、二進も三進もいかない状況下にあったのが、元天才詐欺師の老人のアドバイスと自分たちのアレンジによって、あれよあれよと大金を握んで行く。彼らの行っていることは犯罪、少なくとも信義の上では人を騙しているのだが、その行為につきまとう後ろ暗さが巧妙なユーモア、登場人物造形にて最低限に押さえられている点がポイント。騙しても構わない標的を定め、標的の欲望を叶えつつ、お金を巻き上げる。このパターンをきちんと踏んで、良心の疚しさを出来る限り低く押さえているところに本書の最大の良さがある。
「どんな手を使うのか」については作品最大の醍醐味なのでここでは控えるが、軽妙な文章と奇抜なアイデアに十二分に酔える作品である。
ただ、当時は最先端であっただろう流行歌、風物をもじった作中人物の時代がかったギャグだけは、まぁ二十年以上前の作品だということを思い出して目をつむりたいところ。

恥ずかしながら告白すると、つい最近まで「経済犯罪を実行する側から描けば全てコン・ゲーム」だと思っていた。考えてみれば『白昼の死角』とか『ふしぎの国の犯罪者たち』あたりはコン・ゲームとは言わないんですね。恥ずかし。コン・ゲーム(confidence game:信用詐欺)を名乗るには取る側と取られる側の葛藤、そしてユーモアが必要なのだ。
そして、この『紳士同盟』は国産コン・ゲーム小説の傑作、という巷の評価は全く間違っていない。


00/09/17
牧野 修「病の世紀」(徳間書店'00)

多数の受賞歴を誇りすぎて○○賞作家と呼びにくい牧野氏のホラーとしては第五長編にあたる作品。(厳密に数えると色々あるのだが)帯で瀬名秀明氏が「牧野修の最高傑作」と謳っているのが印象的。

上司の平田警部補の紹介で辺鄙な場所に建つ「国立予防医学研究所」を訪れた毛利刑事。彼が出会った二つの難事件の鍵を求めての訪問であった。事件は密室内で人体のほとんどがいきなり焼失してしまう、というものだったが、面会した所長の小淵沢はそれを人体に巣食う黴による病気のせいだ、と言う。確かに被害者は同じ病院に入院していた過去があった。「炎上疥癬症」と呼ばれる珍しい病気ゆえ、研究所は他に罹患したと思しき人物にコンタクトを取り、隔離を開始する。しかし一人の男が監視の目を擦り抜け、勤務先のガソリンスタンドを自らの体で爆破した。一方、研究所のリーダーの一人、小森美鈴。オカルトや新興宗教に取り憑かれた人間を観察するのが趣味と言い放つ彼女はインターネットで知り合った一人の女性と直接会う。彼女を嘲笑うべく話を合わせるうちに、小指同士をナイフで切った指切りげんまんを強要される。

上空を滑空していた牧野修が、とうとう着地して人々を襲い始めた。
リーダビリティの高さは相変わらず。ストーリーの展開、絶妙な挿話のタイミング、一つ一つのエピソードのえげつなさ、狂気は牧野さんならでは。序盤から引き込まれること、間違いなし。意味は後述するが恐らく本書は今までの牧野ホラーの中でももっとも一般受けするはずだ。小説そのものの良否でいえば、確実に「良」、いや「優」と断言できる作品。
本書のポイントは良くも悪くも、作者の描きたかった「悪意」という恐怖を「病気」(本作の場合は得体の知れない伝染病)という形で具現化したことにある。
サイコさんやスプラッタさん、電波さんといった人々が現れても、彼らを操る存在は「理解可能」の「病気」である。さすがにこれら「病気」を操る存在に関しては「理解不能」状態をキープしてはいるものの、あくまで物語の狂気を引っ張る中心存在は「理解可能」。即ち読者に与える恐怖の質が、ホラーと言いつつスリラーに近い味わいなのだ。暗闇の中を歩いていて、突然狂人に襲われるような怖さ。読者を宙吊りにするのでなく、地上で何気ない隣人にいきなり襲われることによる怖さ。事実上「怖さ」が売りでヒットした作品のほとんどがこのタイプであり、本作もそれに近い構造を持っている。つまり一般受けの要件を満たしているように思うのだ。
一方、原理主義的にホラーとして本作を捉えてみる。するとスーパーナチュラルの度合いが著しく低下してしまっていることに気付く。もちろん理由は上記と同様、早々に理不尽な出来事の原因を「病気」と定めてしまったことにある。暗闇の中を歩いていてそのまま異世界に迷い込んでしまような怖さは、残念ながらあまり得られない。
どちらが作品として優れているか、なんてことはこれで比較出来るものではない。最終的にはあくまで読者の好みへ帰される問題であるのだが。
牧野作品の魅力は煌めきである、という旨のことを作品を読むたび、一貫して述べてきた。だが、本作ではその煌めきが違う輝きへと姿を変じ始めた。研ぎ澄まされた剃刀の刃の煌めきは、強引な力で叩ききる鉈の鈍い光へ。皮膚の上を駆け回るような戦慄は、心の奥底から発せられる叫びへと形を変える。牧野修が描いていた世界、描こうとする恐怖の変質。果たして、次はどのような輝きを見せるのか。

えー、小難しい本質論ではとにかくとして、開いたら最後まで一気に読める作品なのは確かです。本年のホラー作品ではベスト3クラスに位置づけされることは間違いないし、このミスならランクインするかもしれません。
刊行前に思わず噴き出したので覚えていた、倉阪鬼一郎さん日記での絶妙のボケ、『性器の病』はあまり関係がないようでした。蛇足ながら。


00/09/16
戸板康二「劇場の迷子 −中村雅楽推理手帖−」(講談社'85)

'77年から'84年にかけて『小説宝石』『小説現代』等に掲載された短編をまとめた作品集。副題の通り、一編を除いて全て中村雅楽もの。現在のところ文庫化はされていない。

妻子ある絵画教室の師匠に夢中の女性二人は特別に扇に絵を描いてもらうことに執着『日曜日のアリバイ』
雅楽に芸を習いに来た若い人気役者。雅楽は過去の女性を思いだしつつあることに気付く『なつかしい旧悪』
祖母が過去の演劇雑誌である役者の頁を全て抜き取ってしまっていた。彼と祖母との関係『祖母の秘密』
長い人生を役者として生きてきた男が半生を振り返る。(雅楽ものでない非ミステリ)『市村座の後妻』
昔のように美味しい弁当を、という企画で食べた弁当があたったと役者が騒ぎ出す『弁当の照焼』
訳ありで大阪に流れた役者が、久しぶりに銀座を歩いてみたが昔ほど楽しくない『銀ブラ』
後妻が娘に対して何ら強い言葉を掛けられず、遂に娘が不良になった、と悩む男『不正行為』
子供のいないはずの雅楽の元に「あなたがお父さんだ」と写真を持って娘が現れた『写真の若武者』
明るく楽しい役柄が得意な若者がハムレットを演ずる段になって役作りに悩む『機嫌の悪い役』
雅楽お気に入りの喫茶店で三人の黒づくめの男が密談、気付くといなくなっていた『いつものボックス』
劇場で俳優の六歳の息子が突然姿を消し、大騒ぎされたが四十分後に戻って来た『劇場の迷子』
校長夫婦が二人で住むマンションの中から若い女性が泣き叫ぶ声がするという『必死の声』以上、十二編。

花柳界という世界と、日常の謎との不思議な繋がり
現在、世間的に最も有名な「日常の謎系ミステリ」と言えば、現在は北村薫の「私」シリーズであろう。その探偵役となるのは円紫師匠であり、彼の職業は噺家である。それ以前、「日常の謎系ミステリ」の代表作家は戸板康二だった。そして、その探偵役は中村雅楽、彼は歌舞伎役者である。どちらも日本の伝統芸能に関係しているのは偶然なのだろうか。(北村氏が戸板氏の設定を本歌取りした可能性は敢えて無視したい)
戸板氏の場合、ミステリにこの花柳界を頻繁に取り入れることで、明らかに作品上への一定の効果が発生している。本人が評論家で、この世界を自家薬籠中のものにしていることもあろうが、偶然か必然か、この花柳界という世界、ミステリの背景とする事情に事欠かないのだ。偏見含みだが、花柳界には特殊な男女関係、夫婦関係、親子関係が溢れている。不自然な設定を弄せずとも、誰某と何某とは実は○○関係だった、などの設定が全く違和感なしに存在しうるのだ。「日常の謎系ミステリ」の事件の動機として、このことが大いに役に立つことは言うまでもない。
本書収録作もその系列の作品が多いように思われた。が、もちろんそれだけではない。工夫も多い。例えば『いつものボックス』これはパターンを変えた倒叙作品であり、なるほどこういう処理も出来るのか、と感心した。後味も雅楽らしい良さがある。また『不正行為』で見せる(多少牽強付会のきらいもあれど)女子高生が書いた暗号なども、説得性と意外性の両立に成功している。

本書そのものは、入手困難となっています。(古書店より図書館の方が見つかり易いかも)ただ、雅楽ものがまとめて出版され直す動きがあるようですので、そちらに期待しましょう。


00/09/15
山田風太郎「忍法行雲抄」(角川文庫'82)

風太郎自身が選び出し並べたと思しき六編からなる短編集。作品そのものは、'61年「別冊週刊大衆」に発表された『石川五右衛門』から'70年の『死のうは一定』まで発表時期は幅広い。

朝倉家に仕えるその男は自分の体を再生させた。彼は一人の女性に惚れ、野望を持つ彼女の婚約者と自らを入れ替える提案を行う『忍者 明智十兵衛』
果心居士の妖術で今まで危地を救われてきた信長は、炎に包まれる本能寺の中で生き延びる為の忍法を自ら受け入れるが『忍法 死のうは一定』
淀の方が引き入れた間男は彼女の胎内の鈴を奪って逃げるが甲賀の忍者、石川五右衛門に返り討ちに会う。その石川には野望があった『忍者 石川五右衛門』
関白秀次は切腹を命じられた時に配下のくノ一の胎内に子種を残す。彼女はそれを関白の息子に変ぜる忍法を持っていた『虫の忍法帖』
鉄砲鍛冶で独自の技術を持つ近江国友村。家康と石田三成はこの村の帰趨が来るべき戦いに意味を持つと互いに忍者を送り込んだ『忍法関ヶ原』
家康に影のように従う本多佐渡守は、後任の土井大炊守に譜代の大物、大久保一族を除くという凄絶なる政治の妙を見せつける。『忍者 本多佐渡守』以上六編。

配列に唸った。信長〜徳川初期までの時代を見事に綴った忍法帖短編集
風太郎忍法帖は確かに荒唐無稽ではある。しかし、それゆえに頑なに歴史の大枠については遵守している。実は信長が生きていて幕府を開いた、とか、秀吉が中国侵略を成功させたとか、家康が大阪夏の陣で敗北したとか、そういった無茶な「歴史IF」とは無縁のところにある。信長は本能寺で死ぬし、関ヶ原は東軍が勝つ。
その大きな歴史上の枠、その枠の中の光景を歪ませるのが忍法帖の魅力の一つ。本作もその枠内を忍者たちが駆け巡り、大いに歪んだ世界を見せてくれる。裏にこのような人物が存在したり、やり取りがあったとしてもおかしくない、というフィクションの中のリアリティ。
本作には、その面白さに加えて作者のセレクトの妙が合わせて楽しめるのだ。なんと贅沢な。
戦国時代、織田信長に仕えた謀将、明智光秀を扱った『忍者 明智十兵衛』にて巻は幕を開ける。続いてその明智光秀に裏切られ、本能寺に倒れんとする織田信長。その次は信長の姉で秀吉の妻となったお淀の方が被害者となり、更に秀吉の甥で、お淀に惚れていた秀次の死を幕開けとする物語。秀次が死んで秀頼の代、天下を狙う家康と三成の影の争闘を描き、最後は関ヶ原前後の家康の臣下の物語で幕を閉じる。有名なる史実が表舞台なら、その舞台裏で忙しく立ち回る表舞台にも登場する俳優たちを眺める楽しみ。とくと御覧あれ。

現在は本書収録作品もバラバラで良ければ様々な作品集に収録されており、読むことは読める。だが、この恐らく風太郎自身で編まれたであろう、忍法帖を使った見事な時代の変遷まではこの作品集で通じて読まないと味わうことは出来ないだろう。白梅軒店主さんより譲って頂きました。多謝。


00/09/14
皆川博子「旅芝居殺人事件」(文春文庫'87)

表題作は『壁――旅芝居殺人事件』として、第38回の日本推理作家協会賞の長編部門を'85年に受賞した作品の改題。他に旅芝居と関わりのある短編六編も収録されている。(双葉文庫版が入手容易ながら、表題作一編では物足りないかも)

芝居小屋の女支配人が九歳の時に鮮烈な印象を植え付けていった旅芝居の一座。その千秋楽で大けれんを実行した役者が綱渡りの最中に奈落に転落した。その役者を手伝う別の役者が大金を持って一座を失踪、さらに翌日に一座の役者と雑役夫の死体が奈落から発見される『旅芝居殺人事件』
蝋燭だけを照明にして演じられる「女殺油地獄」主演役者は待機時間に半生に思いを馳せる『瑠璃燈』
菖蒲座の小屋主の息子、私とその使用人の息子の朝次は舞台の奈落で遊ぶのが好きだった『奈落』
フリーの役者、珊也に謎の女性から純白の衣装が贈られる。彼は送り主を死んだ姉と重ねて『雪衣』
亡き夫や息子が大切に育てていた菊作りに毎日勤しむ八十になる女性が、男を殺した『黒塚』
温泉センターの楽屋で記者に話を訊かれる役者。いとこの人気役者が自分の過去を騙りつつテレビに出演するのを見て『楽屋』
旅芝居役者の親を持つ男は戸籍がなかったが、結婚を理由に自らのルーツを探し始めた。その矢先、稽古中に匕首で刺され死亡する『花刃』以上七編。

影が深い程、光りが目映い。大衆演芸の上に花開く皆川文学の結晶
出だしの文章がまず巧い。「大輪の花が、宙を行く」『旅芝居殺人事件』「殺した男の、名も知りませぬ」『黒塚』……
それだけではない。場面場面での言葉の選び方がこれほどまでに適切な現役作家はそうはいない。漢字一つをあてるにも、どの漢字が最も効果的なのか十二分に吟味されていることが良く分かる。その上で、紡ぎ出される文章は、舞台の光と闇を、楽屋の臭いを、役者の華を、そして人間心理の綾を余すところ無く描き出している。ほんの文章の欠片でさえ美しい。段落一つ一つが美しい。 更に卓越した心理描写がこの文章に加わったらどうなるのか。
本編で取り上げられているのは旅芝居。時代から取り残され、そのほとんどが滅び行く運命にある。その中で生きる人々の「生」。無頼の生活に溺れ、舞台の光に憧れ、生活の苦労にやつれ、自らの老いに苦しむ。立ちこめる濃厚な「人間くささ」に噎せ返りそうになりつつも、彼らの「生」から目を離すことが出来ない
そこに、皆川さんはミステリを仕組む。物理的というよりも、旅芝居の世界に、周辺に生きる人の心理を巧みに利用して読者の目を眩ます。目が眩んでいるのは読者というよりも寧ろ登場人物なのだが。物理的なトリックなどこの世界に必要はない。男から女へ、女から男へ、親から子へ、様々な人間の影に持つ日向に持つ感情がすなわち、物語の謎としてしっかりと機能しているから
読了することで残るのは、言い知れない寂寥感。線香花火が燃え尽きた後のような。

同じ題材・同じ着想・同じトリックを、仮に他の作家が使ってもそれなりにの作品にはなるだろう。それら三点だけでも十分に優れているのだから。しかし、ここまで心に刻み込まれるようなミステリへと昇華出来るのは、やはり皆川博子という希有の作家しかいるまい。じっくりゆっくり、世界に浸ってこその小説群。
それにしても空恐ろしいのは決して本作が決して皆川作品の最高峰とは呼ばれていないこと。果たして皆川山脈にはどのような金脈が埋まっているのか。私自身、ゆっくりと取り組む所存。


00/09/13
菅 浩江「鷺娘―京の闇舞―」(ソノラマ文庫'91)

菅浩江さんから直接購入させて頂いたサイン本三冊セットのうちの二冊目。(一冊目は『メルサスの少年』)デビュー後、五冊目にあたる作品。カバーイラストはいのまたむつみ。

京都のD大学の学生、南条は故郷の福岡県での就職を決めた。彼と付き合う京都の呉服問屋の一人娘で、京都を離れられない美樹は南条を「しょせん、あんたも過客の人や」と激しくなじる。南条が好きで好きで堪らないのに、彼の行動に恨みや怒りを感じた美樹の心の隙間に、闇の幽王の后、烏珠(ぬばたま)が入り込んだ。売り言葉に買い言葉で別れを告げてしまった自分自身が信じられず呆然とする南条の頬を口紅ケースが掠める。その持ち主は不思議な雰囲気を漂わせる舞妓、朱鷺絵(ときえ)だった。頬についた紅を拭う朱鷺絵は「またお目にかかることがあるかもしれまへん」と南条に言い残してその場を去る。下宿に戻った南条は布団の隙間から謎の「手」に襲われるが、すんでのところで何者かの助けによって救われる。その時期を境に京都に様々な怪異現象が発生し始める。

伝統ある美しい街「京都」を強く打ち出した純和風ファンタジー
そうか。分野としてのファンタジーにはそれほど読書量がなく、弱い自覚がある。それもあって、純和風のファンタジーは歴史物(例えば安倍晴明とか)でしか成立しないものと思い込んでいた。けれど、そうか。日本には、京都があるじゃないか
バブル期前後。それまでは近代建築一つを建てるにしろ「京都の伝統」をきちんと重視しつつ都市開発が行われていた街も、トータルとしての調和を無視した開発に晒されはじめた。事実、実際に建設された某駅ビルや昔からあるけれど某タワーなんて、京都という街に決して似合わないと思う。この点に怒りを覚える「存在」を(悪役の)核として、それでも京都を愛する人々をその対角線に配置する設定がまずは見事だと思う。善悪の単純な二分化が出来ない世界。読者たる我々の方に「間違い」があるように思わされる。漠然とした不安感。。軽い気持ちで読み始めつつ、意外と手応えがあることに気付いて、途中から真剣にさせられてしまった。
その背景の中、京都人にしか書き得ない本当の京都人たちが活躍する。京都娘、舞妓、D大学生……。どこか地面が続いているようでいて、よそ者(私)にとっては異質の世界。更に、その京都が徐々に異質なものに浸食されていく展開。当初は単純に世界征服?と思われていた物語の目的が、背景や登場人物の口を借りることで徐々に明らかにされていく。特に本作の主題と、京都という街が密接に関係しているところは、単なる京都舞台のファンタジーとは一線を画したくなるところ。
強いて粗探しをするならば、少女漫画的な人間関係に安易さが感じられるが、収録媒体を考えれば、このあたりはやむなしというところか。

ファンタジックな背景や登場人物を常に重視する菅さんの作風がきっちり嵌っている。ホラー(というかオカルト)的な描写も街の雰囲気にマッチしており、一気に読ませる作品。その外見と裏腹に、内実の主題が意外に重いのも印象に残る。京都に産まれ育った人の感想を知りたいと思った。


00/09/12
鷲尾三郎「過去からの狙撃者」(カッパノベルス'83)

昭和の中期、旧『宝石』等で活躍した探偵小説作家の十八年ぶりの復帰作。計算するに刊行時の年齢は七十五歳。ただ本作が最後の作品となった模様。氏の作品は現在でもアンソロジーにいくつか収録されており、カルト的人気は高い。

神戸の展望台付きの高層ビル。その二十三階を占める不動産会社、碇山興産の社長が深夜、何者かに銃撃されて死亡した。たまたま上階をパトロール中の警備員が銃声を聞きつけてすぐに駆け付けるが、犯人の姿は見えない。社長は胸に銃弾を受けて倒れており、地上二十三階のガラス窓には銃痕が残っていた。社長の側には古い拳銃が落ちていたが、弾が発射された形跡がない。また、現場には場にそぐわない高価そうなイヤリングが。各務警部をはじめとする捜査陣は、事件発生当時にビルにいた暴力団関係者が、碇山興産のトップに拳銃を売ったことを握む。また同ビルの警備員の一人が長期間行方不明になっていることも判明、その男が、戦時中に南洋で起きた事件で社長を怨んでおり、殺人の動機があることをも突き止める。ところが、その男、日下部は古アパートから毒殺された腐乱死体となって発見される。しかも死亡推定日時は社長の殺害より前だった。

本格指向の強い密室殺人と、社会派要素の強い隠された動機との融合
冒頭のビル内部の密室殺人事件。更に毒物入り食物の混入殺人事件を経て、サンルーム内部での男女二人の密室毒殺事件。この密室二つの部分、こちらが本格推理のパート
一方で、戦時中の話題を頑なに拒否していた社長。彼の元に舞い込んでいた脅迫状。二度の名前を変えていた社長は、戦争中に何か触れられたくない過去を持つらしい。こちらは戦争犯罪を扱った社会派的パート
実際は連続密室殺人の犯人を警察が追う、警察小説的な形式を取っているのだが、作者として眼目としたかったのはこの上記二つのパートであろう。先に戦争犯罪の部分だが、私の拙い読書体験の中でも西東登や幾瀬勝彬など、戦時の出来事を現在の犯罪の動機に使用した作家がおり、彼らの諸作に比べると本作は「悲惨な状況は伝わるものの、描写そのものは執拗ではない」と感じた。とは言っても、動機としては十二分に説得性を感じる。その過去から必死で逃げ出そうとする人物のあがき方はこちらの方が上。一方、物理的なトリックを駆使し、ユニークな発想が非常に面白い本格推理の部分。特に密室での青酸ガス中毒死の事件の真相は、現実性はとにかく独創性意外性共にオリジナリティが高く、思わず唸らされるものがあった。もう一つの高層ビル内の密室、読者への謎の提示方法が何よりも魅力。その真相の多少の強引さも……まぁ御愛嬌でしょう。
物語を追う分には、それほどの違和感を両者に覚えないのだが、読了して振り返ると多少ぎこちない部分があることにも思い当たる。このような手の込んだ殺人方法を使用する必然性とか。ただ、本作はそういった合理性の点には目を瞑って探偵小説的な興趣を楽しむべきなのだろう。

あとがきでは「今後も力作を書く所存」と述べておられるが、結局、本作が遺作になってしまわれた模様。ただこの「凝り方」を見れば、なぜ現代でも鷲尾三郎作品を血眼になって探す人々がいるのか、ほんの少しだけ理解できた気がする。


00/09/11
都筑道夫「ダウンタウンの通り雨」(角川文庫'81)

都筑道夫が多数持つシリーズキャラの一人(ハードボイルド系)の私立探偵、西連寺剛を主人公とした作品集。『くわえ煙草で死にたい』(新潮文庫)が第一作で、本作は第三作品集にあたる。

ハワイに留学に行った娘が行方不明になった。といっても親しい友人の所には時折連絡が入っているらしい。異国の地のこと、仕事を持つ両親は西連寺に娘の捜索を依頼する。ハワイに降り立った西連寺は彼女のルームメイトの出迎えを受ける『ダウンタウンの通り雨』
裸同然の格好で街角に缶ジュースを買いに出てきた若い女性。思わず目を奪われる西連寺。その彼女と路上で言い争いを始めた初老の男は彼女を連れ戻しに来た父親だった。家出の理由を全く語らない娘に困る父親は、彼女に理由を尋ねてくれと西連寺に依頼する『油揚坂上午前二時』
多忙な漫画家が深夜に西連寺の事務所を訪れる。自分の親父が子供の頃に聞かせてくれた話に出てきた、三月続けて三人が首をくくって自殺したという「首くくりの木」が現在どこにあるのか知りたい、というのだ。弾まれた前金と奇妙な話に西連寺は身を入れた調査を開始する『首くくりの木』

大量の都筑作品を読みながら、自分自身きちんと認識していなかったことについて
この作品そのものでなくて恐縮だが、本角川文庫版収録の志茂田景樹氏の解説で「都筑作品内部における蘊蓄」について語られており、目から鱗が一枚落ちた。常々、都筑作品には蘊蓄が多いことは気付いていた。その語り口の「さりげなさ」にも。志茂田氏は、これを評して「うんちくが都筑氏によって濾過されている」と表現している。なるほど、と膝を打った。
特に現代のエンターテインメント作品にしばしば見られる「今から蘊蓄語りますよー」という仰々しさ(物語の流れの中で唐突に現れ、歴史・文化・事物等々の蘊蓄を滔滔と語り始める人物、よく見ませんか?)は都筑作品には全くない。都筑氏は、物語に付随する(時には全く付随しない)専門的な事柄、特殊な知識を、ごくごく自然に登場人物の口を借りて語らせる。 つまり、読者を決して身構えさせない。物語の中で不自然に登場させない。これは、非常に高度なテクニックだと改めて思うのだ。凡百の作家は「生き字引」みたいな「物識り」に延延と蘊蓄を説かせる。都筑道夫は蘊蓄、それもエッセンスだけをさらりと登場人物に口にさせる。
都筑作品には捕物帖からSFまで様々なジャンルがあるのは周知の事実。そしてそのほとんどの作品において、その物語の流れにあった蘊蓄が登場している。しかし、今までその蘊蓄によって物語の流れやノリが中断した、という記憶が一つもない。これがきっと小説家としての技量というものなのだろう。

本作、ハードボイルドの定型(私立探偵・元ボクサー・地道な捜査・暴力沙汰・女性との情事……etc)を踏まえつつも、都筑流アレンジがしっかりと加えてある。それは、手掛かりが全て文中にある、とは言えないものの、論理的でかつ意外な結末。派手さは少ないが、読ませる作品かと思う。西連寺ものについての洞察は、別の作品でまた詳しく。