MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


00/09/30
清水一行「動脈列島」(双葉文庫'96)

日本推理作家協会賞受賞作全集の29。'75年(昭和50年)の第28回の受賞作。清水氏は元々経済小説畑でデビュー、企業に関する豊かな知識を元に企業推理小説を得意としているが、本作は更に社会性が物語に取り入れられ始めた時期の作品らしい。

昭和48年。東京−岡山間まで開通し、開業十周年を迎えようとする新幹線は乗客ものべ七億人を突破する勢いだった。そんな中、騒音対策をおざなりにしてきた国鉄に対し、名古屋を中心に騒音対策を求める訴訟が発生していた。そんな頃、一人の老女がひっそりと息を引き取った。事情で新幹線の高架下の家を離れられなかった老人は振動と騒音でその死期を早めてしまったのだ。彼女を看取った医者、秋山は一つの決意をし、恋人や職場には一ヶ月の欧州旅行に出掛けると告げる。彼が姿を消して数日経過したある日、大阪発のひかり号の汚物タンクの中から時限爆弾が発見された。わざと爆発しないようにセットされていた爆弾には脅迫状が添えられていた。要求は新幹線騒音公害の抜本対策を具体的に求めたもので、要求が受け入れられない場合は十月一日の開業十周年の日に新幹線を転覆させるというものだった。次々と新しい手で新幹線のダイヤを混乱させる犯人の要求はマスコミにも漏れ、日本は騒然となる。

これぞサスペンス。これぞ社会派。二つ合わせて見事なエンターテインメントへ
タイムリミットサスペンス。つまりある期限までに犯人側はある目的を実行しようとし、警察側はその期日を知った上で、その実行を阻止しようとする。両者の丁丁発止の駆け引きをスリリングに描いた物語。従って読者の興味は「果たして計画は成功するのか、阻止されるのか」という一点に最終的に集約され、その結果を求めてページを繰ることになる。
本書におけるその一点とは「十月一日に新幹線を転覆させられるかどうか」にあたる。そして作者の上手さは、ここに至るまでに徹底的にリアルにこだわった周辺部のディティールの濃さにある。犯人は序盤から明記されている。テロを実行するに至る経緯も明らかにされている。背景にあるのは国鉄、そして政府の横暴と怠慢。責任者同士の会話、国会答弁、国民への対応等々から伝わる頑迷とも言える彼らの態度は、犯人への読者の感情移入を促進する。テロは許すべからざる卑劣な行為、という建前も、この物語の内部では説得性が喪われ、気付くと、徒手空拳で国家権力に立ち向かうという不思議なヒーロー像が物語中にて醸成されている。
一方、警察サイドも無能ではなく、恐らく実際に事件が発生したら、これくらいはするだろうな、という徹底した捜査もきちんと行っているし、事実犯人は着々と追い詰められていく。ぎりぎりに追い込まれた犯人は、果たして最終的に新幹線を転覆させられるか否か。達成して欲しいような、達成して欲しくないような、読者の複雑な気持ちを見越したかのような「点」で決まる思わず手を叩きたく成るラスト。やっぱりこの構成には「絶妙」という賛辞が相応しい。
強いていえば犯人の動機が犯罪計画の壮大さに比して弱いのでは、という気もするが、あの手この手の新幹線走行妨害の妙出や、後手後手に回る国側の迷走ぶりが、そのあたりの不自然さを飲み込んであまりある。楽しませて頂きました。はい。

現実に騒音訴訟は一応の終結をみている。一方、新幹線網整備計画は当初の目論見から二十年以上後退しつつあるものの、需要見通しに疑問のある部分を含めて消えてはいない。一過性の時代の問題とは言い切れない公害と国益の狭間、という問題を鮮やかに切り取った上で、一級品のサスペンスとして仕上げられた傑作現在でも鑑賞に堪えうる一級の社会派サスペンスと言える。


00/09/29
鮎川哲也「葬送行進曲」(集英社文庫'88)

'80年代に集英社文庫より刊行された鮎川哲也未単行本化短編集シリーズ(正式にはそんなシリーズ名はないし、そうとも限らない作品もあるけれど便宜的に)の最後の一冊。『密室殺人』『企画殺人』等に比べると古書店でも遙かに見つかりにくい。'69年から'83年迄に発表された作品が収録されている。

作曲家の同居人からメロディを盗作した男は莫大な慰謝料を請求され窮地に『葬送行進曲』
愛人を抱える婿養子の男は妻の依頼した探偵に始終尾行されるようになって『尾行』
ポルノ作家の助手がその夫人と関係を持ち、遂に作家の殺害を決意『ポルノ作家殺人事件』
最高の縁談が持ち込まれた女性が過去に同棲した男につきまとわれるうちに『詩人の死』
登山中に遭難しかかった男女三人が館に避難。旅行者が一人と主人がそこに『赤は死の色』
美女三人から愛情を注がれていた男が社内旅行中婚約者を発表した翌日に殺された『ドン・ホァンの死』
恋の鞘当てから友人を亡き者にしようとした男がアリバイトリックを弄するが『死人を起す』
社長の伝記作成の手伝いという割のいいバイト。三人の男女が不思議なテストを受ける『新赤髪連盟』以上の八編。

「読者への挑戦」を含んだ作品を作る、ということ
鮎川哲也氏は一貫して「本格」指向の推理作家である、というのは自他共に認めている事実である。その鮎川氏による「読者への挑戦」を挟み込んだ作品群。ただ、本作は本格パズラーとしての鮎川氏が読者に真っ向から勝負を挑んだ、というよりも、鮎川氏の持つ遊び心がそうさせてしまった、という作品が集まっているように感じた。
収録作は大別して二種類に分かれる。一つが鮎川氏が好んで一時期執筆していたという「倒叙もの」(完全犯罪を目論む犯人はどこで失敗しているのか?)、そしてもう一つが純然たる犯人当て(さて犯人は?動機は?方法は?)のものである。どちらが、と言えばやはり読者にとって面白いのは「犯人当て」の方であることを再認識。どうしても「倒叙」におけるミスというのは、本当に細かい点を突っ込む必要があって(少なくとも私にとって)あまり謎解きとしての魅力が感じられない。一方、事件が発生、関係者の行動や証言を差し出して「犯人を推理して下さい」。こちらこそが「読者への挑戦」の本当の楽しみだと思う。本作中では『赤は死の色』『ドン・ホァンの死』あたりが犯人探しで、物語の展開もテンポ良く、読み応えがある。またホームズパロディの『新赤髪同盟』もWhy Done It?として(多少無理はあるが)本家を意識しつつ、一体何をするのか?という点興味深かった。

(鮎川作品に限らないが、短編の倒叙作品における犯人のミスって「指摘を受けてがっくり肩を落として」しまう結末の割りに、冷静に分析すれば検察が起訴する証拠としてはいささか薄弱なものが多いように思う……ってのは言わないのが御約束??)

見どころのある作品も収録されているものの、鮎川哲也のファンでなければ必死になって探すほどではないかも。特に「倒叙」ものはワンアイデアで一つの短編を維持しており、苦しさを感じる。但し、鮎川ファンであれば必携の一冊でしょう。


00/09/28
南條竹則「セレス」(講談社'99)

南條氏は『酒仙』で'93年に第5回ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。本書は著者の五冊目の作品にあたる(はず)。書き下ろし。

二千八十年代。頭脳に取り付けた電極により意識を仮想現実空間に遊ばせるシステムを台湾のマンダリン社が開発した。そのモニターのためにマーリン社の幸田亘は試作段階のその空間「セレス」に飛ぶ。「セレス」は中国古代都市を模し、城壁が聳え、人口生命が群衆や動物となり、美しい自然が再現された楽園空間。また人々はアイコンをクリックする代わりに様々な動作で「術」のプログラムを実行、空を飛んだり、姿を変えたりすることも出来る。但し、あくまで商業空間の為、一つ一つの「術」には費用が発生、人々の口座から引き落とされる仕組みだ。幸田は翠花という美女に空間の案内をして貰っている途中、一人の別の美女を眼にし彼女に引き込まれる。彼女は「永住者」で性質の悪い女と翠花は誹謗、しかし幸田は彼女、西夫人への想いが断ち難く、翌日一人で彼女の住まいを訪れる。運命の出会いを果たした二人は再会を約すが幸田はこの空間を離れなければならず、三年の月日が流れた。その間セレスは順調に発展を続け、幸田が再訪する頃には雑多な人々がその空間に居住していた。

二重に張り巡らされた舞台が魅力的な電脳封神演義
(私の少ない読書経験を通じて思うに)出来の良いファンタジーはほとんど例外なく、その物語の舞台となる「世界」がしっかりと確立されている。「世界」が我々の生きる現実から外れれば外れるほど、その「世界」における「リアリティ」というもの一つ一つが重要になる。極論だが、魅力ある登場人物が活躍するいい加減な「世界」の作品よりも、登場人物に多少瑕疵があっても、「世界」がきっちり作りこまれた作品の方に、私は好感を覚える。良いファンタジーに出会った時「この世界に入ってみたい」と漠然と感じるし、この作品でもそう思った。
本書の舞台は二十一世紀末。時期はとにかくコンピューターによる内面型仮想現実空間が舞台。つまり大きく進化した情報社会で一つ、そしてその内部で繰り広げられる仮想現実空間で一つ。二段重ねで舞台が用意されている。この微妙なバランスが現実性と幻想性との狭間にうまく読者を落とし込む。この仮想古代中国世界では「術」が使えるが、その術の裏打ちはソフトウェアで、また実行する為にはシステムへの負担応分の費用が発生する……このあたりの設定がありがちな荒唐無稽さを和らげるのに一定の効果を果たしている。望んだ人間が負担と共に築く世界。だからこそ本気と本音がぶつかり合う。
物語の基本となるのは主人公のエンジニアと、この仮想世界を終の棲家と定めた女性とのラヴストーリー。それにこの仮想世界での支配権を巡る争いが絡まって物語は一気に膨らんでいく。膨らみすぎて主人公が脇に放り出されてしまう印象が後半にあるものの、大きな術と術がぶつかり合う凄まじい戦いの見応えが大きく、それほど気にならない。個々の物語よりも、世界全体を楽しんでいたせいかもしれない。

仮想現実を題材に取る作品は数有るが、そこに古代中国の雄大さ、大らかさを持ち込んだ本作は、そこで設定が勝っているように感じる。ただオトナのラヴストーリーとして、や、冒険ロマン溢れるファンタジーとして読むには中途半端で不向きな部分も。あくまで舞台世界に浸って想像力を拡げつつ読むのが正しいように思える。


00/09/27
島田一男「錦絵殺人事件」(徳間文庫'89)

非常に大量の著作を誇る著者の最初の長編『古墳殺人事件』が'48年(昭和23年)に刊行され、それを受けた第二長編にあたるのが本書。翌'49年に『婦鬼系図』の題名で旧『宝石』誌に連載された。少年タイムス編集長の津田がこれも前作に引き続いて探偵役をつとめる。

少年タイムスの編集長、津田と神奈川県地方検事の小原が湘南徒歩旅行に出るも、豪雨に見舞われる。雨宿りのために寄った庵で出会った日南という男に導かれるまま、二人は子爵の鬼頭竹彦亭を訪れる。館は新築ながら、凝った作りで母屋は三階建ての黒塗りの天守閣の形状を取っていた。鬼頭家の当主、竹彦は話題の人で、現在行方不明中。館には竹彦の母や妻、そして姉や義妹など八人の人物が住んでいた。竹彦が失踪前に残した遺言状を改めることになっており、悪どい事で名高い弁護士、白河が館を訪れるが、白河は密室となった天守閣の二階で胸を槍の穂先で貫かれて死んでいるのが発見される。

義経伝説とペダンティズムの不思議な融合。伝奇本格推理
『古墳殺人事件』でも感じた島田一男のペダンティズムが物語において大きなウェイトを占めており、ミニ『黒死館殺人事件』の趣は、むしろ不気味な、そして人工的な館や曰くありげな美術品が登場する本作の方が強いかもしれない。ただ、それらの蘊蓄や超絶推論は、決してその場限りに読者を唸らせ拡散したりせず、無関係にみえる全ての事柄が実は「義経伝説」に通じている為、鬱陶しくなくまとまっている印象を受ける。
一見、単なる奇妙な館、奇妙な住人、奇妙な美術品に見えるそれぞれの事物。また奇妙な殺人事件。普通の遺留品や現場状況からの推理では決して解き得ない謎の数々。更に密室殺人をはじめとする不可能犯罪。通常捜査すれども、さっぱりと犯人が判明しない。バラバラに提出された断片的な手掛かりだけから、物語像を結ぶのはいくら手熟れの読者であっても、本作に限ってはまず無理だろう。そして本書の魅力は、謎解きそのものよりも、解かれた結果の「絵」の見事さにある
後半に入ると、探偵役の津田を通じて、思わぬ事件や事物が次々と「義経伝説」に結びつき、それぞれが有機的に繋がり、まとまった姿を読者にさらしはじめる。警察が行う地道な捜査で明らかにされる事柄、現実的に存在する証拠品の一つ一つは、津田という「通訳」を通じて、鮮やかに「義経伝説」というキーワードを鍵に反転していく。そしてその反転の結果現れる「絵」こそが本書の味わいの元なのだ。奇妙な連続殺人事件に裏から光りを当てた時に初めて見える想像のつかなかった世界。その徹底された虚構性による美しさこそが本書の最大の特徴と言えよう。

中途半端な現実性を廃した、絢爛豪華な人工性の美学が際立っている。強固な意志の下、計画的に行われる犯罪が持つ不思議な芸術性を「通訳」の津田の案内と共に楽しむべき作品。リアリズムの反対にある徹底的なフィクショナルな部分を楽しむ、それは探偵小説を読む際の大きな悦びの一つだろう。


00/09/26
高瀬美恵「ALUMA ―アルーマ―」(ぶんか社'98)

ヤングアダルトの分野で活躍中の高瀬美恵さんの、初の一般読者向けホラー小説。ぶんか社のHORROR WAVEという叢書の一冊。(企画は東雅夫編集長だ)

天才プロデューサー碓氷によって売り出された人気歌手、土岐綾乃が失火に巻き込まれ焼死した。碓氷は、綾乃のを慕っていた歌手志望の女の子、辻井珠姫をデビューさせる。珠姫に与えられた歌は「アルーマ」。綾乃が死ぬ間際に口ずさんでいた呪文のような日本語でも外国語でもない歌詞。一度聞いたら耳について離れないその歌は、女子高生を中心に大ヒットする。一方、珠姫と過去に交際していたことのある冴えない青年・府川亮は想い出を引きずり日々を暮らしていた。勝ち気な性格で肉体労働を得意とする女友達、橋本に叱咤激励されながらも珠姫のことが忘れられない。デビュー曲を唱う珠姫の様子を見て悪い想像に悩まされる府川は、小学生の頃からの友人でピアニストの西条を訪ね、碓氷や珠姫のことについて尋ねる。「アルーマ」はヒットし続けるが、合わせてテレビに綾乃の幽霊が見えるとか、悲鳴がCDから聞こえるなど、不気味な噂も合わせて膨れ上がり、一部の女性ファンは曲と共に綾乃の幻影までをも目撃する。

ホラーテイストを振り掛けた心地よい青春小説
作者が手の内に持っているカードで勝負して来た感。人物造形に、物語展開にヤングアダルト系小説の手法を感じる。それがトータルのところリーダビリティでプラスに働いており、テンポの良い物語展開を実現している。その結果、登場人物一人一人が「立っている」のも特徴。徹底的に情けない性格の主人公。小狡い現代娘のヒロイン。性格の悪い世話焼き大女。事情通のピアニスト。美形ながら何を考えているのか分からない天才。平凡な性格の女子高生とその友人、デブでブスでオタクの女子高生。彼らが大きく分けて二つの流れに分かれ「アルーマ」を巡る物語を形作る。
ごく普通の女子高生らの経験を通して描かれるパートでは、特異な出来事を通じて人間的に成長していく彼女らの姿が爽やかに描かれており好印象。キャラ付けされているものの、「日常」の巧みな描写により、本当に等身大で「どこにでもいる」存在であることを強調している点が嬉しい。一連の出来事に対する、反応、考え方、受け止め方、乗り越え方が非常に真っ当に描かれていて、素直に受け止められる。
一方、メインとなる主人公たちの登場するパート。物語のテンポの良さ、スピード感などのセンスは抜群。……なのだが、こちらは、キャラが立ち過ぎていることの逆作用だろうか、ホラーとして物語を成立させるための第一条件「怖さ」を感じさせない点が痛い。現代の普通社会を舞台にしているにも関わらず、登場人物の特殊性、極端な性格、特異な環境が目立ちすぎ「日常性」から浮き上がってしまっている。ファンタジーに登場するなら魅力的な存在に成りうる彼らも、現実の地続きで読者に恐怖を喚起させる触媒としては、どうも向いていないように感じられる。人間的成長の物語としてなら、もちろん前半も評価できるものはあるのだが。

表紙や装丁はかなり怖ろしいイメージを喚起させるものがあるが、本書そのものはやはり「ホラー」のテイスト含みの青春小説、というイメージが最も近い。高瀬さんがYAの分野で培った物語的な面白さを堪能したい作品。


00/09/25
森村誠一「魔少年」(角川ホラー文庫'96)

元々は角川文庫に普通に収録されていた同題の森村氏の短編集。表題作が北村薫による「ミステリー通になるための文庫百冊」にセレクトされていたので手に取った次第。

自動車の前に急に飛び出す遊び、皆殺しにされた熱帯魚、火事になる前にお見舞い状を投げ込む……その少年は様々な尻尾のつかない悪事を行っていた『魔少年』
子供の気配が少しでも感じられたら男は妻との営みが出来ない体だった。原因は彼の幼時にあった『空白の凶相』
病のため命を喪いつつある元悪党の老人が住む長屋が火事に。家族を救うためその長屋に飛び込む若い男『燃えつきた蝋燭』
愛人が邪魔になってきた男が最後の旅行と高山に向かう。彼が帰ってくると愛人は旅行先で死んだというニュースが『雪の絶唱』
地位を得た男が過去に犯した犯罪でごろつき男に脅される。彼は男の殺害を計画、完全犯罪が成功するが『死を運ぶ天敵』
汚職の温床の公団内で御目付役だった課長は、上層部の仕掛けた女色の罠にやすやすと填り込んで『殺意開発公社』
若手労働組合役員は社長夫人となった元同級生と日曜日の社内で逢い引き。それを労働中毒の課長に知られたと思いこんで『殺意中毒症』以上七編。

「ホラー」というより「奇妙な味付け」を感じるミステリ作品集
角川ホラー文庫に収録されてはいるものの、本作品集はサスペンスを中心に編まれた短編集である。はっきり言ってしまえば「怖さ」を狙っているというよりも「人間心理の不可解さ」を中心に編まれたように思える。その着眼点が人間の本質に向かっているため、二十年以上前に執筆された作品でありながら、物語から受ける印象そのものは風化しておらず、不自然なくみ取りをせずとも自然に読める。
先に後半の四作。これらはサスペンス色さえも薄れた普通の短編推理小説という印象が強い。捨てられた女性の執念、貝殻虫、開発公社の汚職、労組幹部と社長夫人の不倫、極度のワーカーホリック等々、舞台や小道具に凝った関係、人物を登場させ目先を変えて行こうという工夫は感じられる。ただ、筋書きとしてはプロット中心のミステリそのものであり、物語を俯瞰した時の目新しさ、斬新さは逆に薄れている。
注目したいのは表題作含む、前半の三作。少年の引き起こす悪魔的な悪戯。それに翻弄される大人、彼を批判する勇気ある子供……そして、その構図は終盤逆転するサプライズと共に、本当に恐ろしい存在がなんであるのか、感じ入らされるものがある『魔少年』。度が過ぎて神経質な男の話……と思わせつつ、甦ってくる記憶と共に狂気の淵へずり落ちていく姿を見せつける。淡淡と挿入される男の幼時の体験が説得性を裏付ける『空白の凶相』。自らの過去を深く悔いる男、不幸な生い立ちの中から力強く立ち上がって来た男。彼らが交差する時に発生する黒々とした穴『燃えつきた蝋燭』。これら三作は乱歩が「奇妙な味」と評した作品群に通じる味わいがある
本文庫の解説を執筆されているN氏は、この作品を「非日常」というキーワードで読み解いていらっしゃるのだが、大きな違和感を覚える。本書はあくまで「日常」がキーワードになるべき作品群だろう。

前半と後半の出来の差があり(私の好みの問題かもしれない)、トータルとして傑作作品集とは残念ながら言い難い。ただ表題作はやはり取り上げられるだけの価値がある。「奇妙な味」の短編がお好みの方に。


00/09/24
佐賀 潜「黒の構図」(春陽文庫'69)

佐賀氏は元地検検事で弁護士、'62年に『華やかな死体』で乱歩賞を受賞、『黒の……』と題される一連の経済・法廷作品が人気となり、マスコミ等の寵児となっていたが、'70年に急逝している。本作、初出不明。

旧華族の五条徳子が営む旅館、五条館に住み込む板前、金三郎が酒を飲んだところ急死してしまう。金三郎は未亡人の徳子の元愛人で、徳子の秘密を握っていた。その徳子は最近、元代議士の葛原竜太郎に溺れており、事件の裏には何かあるのでは、と五条家の顧問弁護士の朝見は勘ぐり始める。新聞社を経営する葛原は稀代のドンファンで、徳子の他に金貸し玉井しのぶや、秘書の尾崎光枝など、複数の女性と同時に関係していた。一方、徳子の娘の八重は、山根という内縁の夫を持っていたが、愛想を尽かして葛原の経営する新聞社の社員、瀬川と交際し始めていた。山根は金三郎は葛原によって殺されたのだと睨み、当日のアリバイを調べるべく選挙区の佐野に乗り込んだが、毒殺死体となって発見された。

色、欲、金。中年男女に渦巻くどろどろした世界
とりあえず本作についての感想、という前提ながら、甚だ美しくない。むしろ醜い
登場する中年、若年男女の間のほとんどに何らかの肉体関係が伴う複雑な人間関係。行動原理のほとんどが「性欲」「物欲」「金銭欲」に占められる、本能むき出しの世界。一人の強欲かつ巧妙な頭脳を持った男と、彼に翻弄される賢いつもりで騙されている女たち。更に彼らに引きずり回され、右往左往する周辺の人物。どっちを向いても「欲」まみれ。犯罪も動機もベタが過ぎて、どうにも爽快感がない。
「体を奪われたら、女は男の言いなり」という前近代封建主義的男性自己中心型妄想が全編を覆っているのが不快さの原因か。それをふりかざす登場人物が一人二人いる分には、フィクションのうちなので気にならないが、どうも作者自身が本気でその妄想を信仰しているようなので始末が悪い。殺人は起きれど、動機は必ず欲望の果てのものでヒネリがない。犯人は分からねど、それは物語に登場していないか、単なる偶然の結末によるもの。どこを読めばミステリとして楽しめるのだろう? しばし悩む。
唯一心に残るのは「額紋」というちょっと珍しい捜査上の手掛かり。とはいえそれほど強烈なものでもない。他は法律的にも経済犯罪的にも人間的にも意外性というものを全く欠いている

どういう意図で執筆されたのか、よく分からない作品。どろどろした人間関係「だけ」を描いてもミステリ足り得ない。人間の本質を抉りたかったのかもしれないが、それなら娯楽作品の形式を取って欲しくないし、決して醜悪な人間模様を書いたからって、それが人間の本質を描いたとは言わない。ああ、どこを読めばいいのかさっぱり分からない作品を手にとってしまった。


00/09/23
江戸川乱歩「盲獣」(創元推理文庫'96)

この創元版は表題作の他に『地獄風景』を併録。『盲獣』は'31年(昭和6年)から翌年にかけ『朝日』という雑誌に連載された作品。(本書は乱歩自らがあまりのグロさに削除したという「鎌倉ハム」のくだりが再現されている)『地獄風景』も同年から翌年にかけ『探偵趣味』に連載された。犯人当ての懸賞がなされていた。

浅草のレビュー界の女王ともいわれる水木蘭子は、その朝早起きして弟子の女性を伴って美術館の展覧会場へと赴いた。そこには彼女自身がモデルとなった彫刻が展示されているのだ。しかし彼女が目にしたのは、その彫刻を嫌らしい手つきで撫で回す一人の盲人だった。三日後、蘭子が自宅に按摩を呼ぶと、馴染みとは異なる男がやって来た。彼は蘭子の身体を嫌らしい手つきで撫で回し、去っていった。さらに彼女の舞台を目の見えないその男が見物に来ていることに気付いた蘭子は恐怖する。楽屋から巧妙な手口で連れ出された彼女は……『盲獣』
フーテンの百万長者の若者、喜多川治良右衛門がY市郊外に建設した究極の遊園地、ジロ娯楽園。外部から途絶され、治良右衛門の限られた友人たちが男女問わず破廉恥な宴を延々と繰り広げている。ある日、園内に設らえられた迷路の中で、女性の刺殺死体が発見される。彼女は治良右衛門の愛人の一人であった。内部の者の犯行と思われたのだが、決め手がないまま捜査は難航、そして第二の殺人が発生する『地獄風景』

狂気と残酷の究極、狂気と享楽の究極
この二つの中編は、乱歩作品の中でも「究極」に位置する作品ではないか、と思える。
後年の研究者によってハダカにされてしまった乱歩の心の奥底――にあるもの。「残酷なものへの憧れ」「自分自身の理想世界への憧れ」この二点において、本二作はその奥底をこれでもか、とまでにさらけ出しているよに感じられる。(乱歩の心の奥底、とされるキーワードは他にも色々あるのだが)これらを、ナンセンス、グロテスク、悪趣味……等々で切り捨てるのは容易いことだろう。しかし、開き直ったかのように、これだけのの「残酷さ」を描き出し「楽園」を現出させようと徹底している点、一種の爽快感を覚えてしまう私はヘンだろうか。
盲獣という変態的殺人淫楽症の男が「個の才覚」によって次々と美女を毒牙にかけていく『盲獣』。一方、犯人がジロ娯楽園という悪趣味の固まりのような「舞台の利用」によって次々と若者殺害を犯していく『地獄風景』。ありとあらゆる心の奥底の欲望を満たすために、社会的規範とか、道徳的良心をかけらも感じさせずに、他者を巻き込んでいく両犯人。 小説は作者の願望を投影したものと断言する気はないが、作者がこのような人物像に興味がなかったら、やはりこれらの作品は成立し得なかったのではないか。乱歩の妄想の奥深さ、凄まじさが産み出した傑作。
また、これらの作品は精神的な怖さよりも、肉体的苦痛で世界を形成している部分が感じられる。これは日本のスプラッタホラー小説界(といっても一人?)のルーツというべき作品かもしれない。

個人的に、特に『地獄風景』に関しては角川ホラー文庫『白髪鬼』に収録されている桑田次郎画伯の漫画のインパクトが強く、人物像がそちらのイメージを抱え込んだまま読んでしまった。桑田氏によって改変されている漫画も傑作。読み比べると楽しいです。


00/09/22
斎藤 栄「殺人の棋譜」(講談社文庫'75)

例えばタロット日美子、小早川雅彦など現在も様々なシリーズを持つ斎藤氏。本作以前にも旧『宝石』誌などで受賞歴があるが'66年、第12回の江戸川乱歩賞を受賞した本作がやはり出世作だろう。投稿時の題名は『王将に児あり』

弱冠二十七歳で八段、将棋の最高位を決める大会で名人への挑戦権を得た河辺真吾。彼には美しい陽子という妻と、可愛い盛りの一人娘万里がおり、幸せの絶頂を迎えていた。その内祝いのために家族より先に義父宅へ向かった真吾だったが、そこに「万里の姿が見えなくなった」という陽子からの電話が。慌てて義父の内田と共に帰宅したものの、万里の行方は杳として知れない。暗然とする彼らの前で電話のベルが響く。「娘さんは預かった」そして万里の身代金として一千万円を要求する犯人グループ。断片的に連絡を寄越す犯人は身代金を持って調布の飛行場からセスナ機で離陸するよう河辺に命ずる。飛行機へ発信可能の無線局を事前に押さえた警察を嘲笑うかのように犯人はミニ放送局を占拠、横浜港で赤いハンカチを振る男に現金の入ったカバンを落とせ、と真吾に命ずる。結局、犯人達はまんまと逃げ果せてしまう。

(古い乱歩賞作品にしては)思いの外に普通のサスペンス推理
序盤から「あれれ?」と思いつつ読んだ。本作は、将棋そのものに全くと言っていいほど興味のない私としては「棋譜」という言葉のイメージで手に取るまでの敷居が高かった。それこそ棋譜を読めないと面白くないのでは。が、危惧は序盤で吹っ飛んだ。確かに棋士が重要な役割を果たすものの、将棋を詳しく(私だってルールくらいは分かる)知らなくとも、ミステリの楽しみという点に関しては、全く影響がなかった。
中盤で「あれれ?」と思いつつ読み進めた。序盤で描かれる誘拐事件。受け渡しに飛行機を使うくらいで、特にこれといって工夫が見られないのだ。まさか、こんな詰まらない(作中当事者にとっては失礼ながら)誘拐もので終わっちゃうの?という疑念。これは誘拐実行犯人が次々と死体となって発見されることで打ち消された。
終盤で「あれれ?」と思って読み終わった。この人が犯人?これは意外かも。動機……うーむ、なるほど。……だけど、そんな伏線あったっけ? 問題の台詞はそこまで疑わしいもの? 全体の辻褄こそ合うけれど、どうも読者に対してフェアな謎解きを挑んでいるつもりはないみたい。
本作に棋界を持ち込んでいる必然性は全く感じられなかった。誘拐の被害を受ける父親の職業がたまたまそうだった、以上の意味合いはないし、推理にも事件にも将棋は関係しない。そこにわざわざ「棋譜」という単語を使用した題名に変更する必要があったのか。(それまで将棋をミステリに取り入れるのが珍しかった)という商業的な理由で付けられた題名なのかも、とまで疑えてしまう。

思った以上に普通のサスペンス&推理でした。意外な動機、と言えば確かにそうかもしれませんが、全体としての作りは後の二時間ドラマ系のミステリーに近いものがあるかも。肩肘張らずに気楽に読めるのは良いですが。


00/09/21
多岐川恭「おやじに捧げる葬送曲」(講談社ノベルス'84)

講談社ノベルスが江戸川乱歩賞30回記念として実施した乱歩賞作家の長編書き下ろし企画「乱歩賞SPECIAL」の第二期として刊行された作品。多岐川氏は『濡れた心』にて第4回乱歩賞を獲得している。

「おれ」は探偵社の社員で「おやじさん」は元刑事ながら、右手を除く体は麻痺しゆっくりでないと喋れない、そして余命二ヶ月の大重病人。「おれ」は「おやじさん」を見舞いに訪れ、ひたすらに語りかける。「おやじさん」の娘、道子のこと。「おれ」が関わり合った十億円の宝石泥棒の話。その宝石店主、赤山正義が殺され、「おれ」が容疑者にまでされた話。「おれ」のあまり幸福とは言えない生い立ち。同じく「おれ」が先祖代々泥棒の家系だったこと……。おやじさんは静かにそれを聞き、目を光らせ、ほんのわずかに顔の表情を変え、最小限度の意志疎通で「おれ」のウソを見破り、謎を解いていく……。

ちょっと他には類を見ない表現上の味、不思議な味わい
私の読書量不足の問題かもしれないが、少なくとも日本のミステリ界においてちょっと類を見ないタイプ。ベッド・デティクティブ。 現場を見ないで、事件のあらましだけを聞いて推理する安楽椅子探偵ものなら多数ある。またそれ程には例としては多くないかもしれないが、身体の不自由な人を探偵役に持ってきた作品も存在する。そんな中、本作は「死期の近付いた重病の老人」が探偵役をつとめる、という唯一無二(たぶん)の大胆な設定。
そして、もう一つ大胆なのはその表現方法。次々と見舞いに来る客の言葉から推理するのでなく、しょっちゅう見舞いに来る「おれ」による語りかけ(というより寧ろ独り言に近い)の言葉が淡淡と描かれているだけなのだ。
……というか、半端じゃない瀕死の重病人を探偵とする以上、物語としてはこうせざるを得ないのかもしれない。物語のほとんどは「おれ」の人生においての背景や経験した出来事を「おやじさん」に聞かせることに費やされる。明確な意志表示が多少出来る序盤はとにかく、終盤はほとんどイエス・ノーだけしか反応出来ない探偵。「おやじさん」の論理は「おれ」が補足・補強することでしか読者に伝わらない。従ってその論理が「おれ」の分かる範囲内に存在する……つまり、解かれるべき物語の究極の謎は「おれ」の内面に存在するものにならざるを得ない。「おれ」は「おやじさん」を通して自分と向き合い、自分の殻を破り、一歩高いステージへと進む。 カッコつけ屋で悪ぶった「おれ」が「おやじさん」という鏡を通して成長する姿。本心を押し隠さざるを得ない男らしい心情。粛々としたラスト。それらが渾然一体となって不思議な感動を呼び起こす。

これまではこのノベルス版でしか読むことが出来なかったのが、創元推理文庫の多岐川恭作品選集に収録が決定しているとのこと。一風変わったミステリの枯れた味わい。ひねったミステリに興味のある方なら期待を裏切らないかと思う。