MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


00/10/10
山村美紗「百人一首殺人事件」(光文社文庫'84)

米国元副大統領の娘、キャサリンが探偵役を務めるシリーズの二作目。ドラマ化もされている。

元旦の「おけら参り」にて雑踏する大晦日から元旦にかけての京都・八坂神社。大の親日家で好奇心旺盛なキャサリンと、外務大臣の親戚で彼女のエスコート役の浜口はこの情緒溢れる光景を楽しんでいた。その境内で和服姿の美しい女性が改造された破魔矢で身体を貫かれて殺されるという事件が発生した。死体の袂には一枚の百人一首の下の句の札が差し込まれていた。余りにも多数の人間が廻りにいたために目撃者はなかった。その現場で以前の事件で知り合った狩矢警部と出会ったキャサリンは日本文化と密接に絡み合っているように思われるこの事件に深い興味を示す。百人一首のことを知りたいと望むキャサリンはその道の第一人者、宮井教授を訪ねる。『新日本かるた会』を主宰する教授宅には、その会のメンバーが既に数名集まっており、色々とレクチャーを受ける。そしてようやく身元の判明した八坂神社の事件の被害者、麻生ゆかりもこの『新日本かるた会』のメンバーで会の中心人物、野上春彦の恋人だったことが判明する。その数日後、今度は宮井教授が二重の密室の中で殺されているのが発見された。この現場にも別の百人一首の札が。

絢爛たる背景に大盤振る舞いのトリック
「山村美紗はトリックメイカー」 今まで二時間ドラマの印象が強く、大量生産だから中身も薄かろう、と勝手に遠ざけていた山村美紗。読み進めていくうちに、このトリックメイカーという言葉を少しずつ実感、少なくとも初期作品への現在の評価は低すぎると考えるに至っている。
女性らしさを強く演出したかったのか、多少あざとさの見える百人一首の世界。着物の似合う女性、博識の男性が集う「かるた会」内部での恋愛のもつれが事件の背景として求められるあたり、一見の豪華さ、華やかさの裏側に、設定の軽さも透けて見える。また、事件が進むまでほんの少し前に会内部で発生した焼身自殺という凄まじい事件を関係者の誰も口にしなかったこととか、密室にした理由の苦しさとか、トンデモに走りかかったような病院の幽霊ネタとか、バランスの悪い部分も多々見えてしまう。
それでも。本作は面白かった。突っ込まれているトリックが過剰な迄に大量なのだ。
冒頭の群衆の中での殺人に始まり、入ることも困難、出ることも不可能という二重の密室、ユニークな凶器、かるたに込められた犯人の暗号、トリックを労して作られたアリバイ、殺害における犯人と被害者の高さの錯誤等々、仕掛けに満ちており、その全てがきちんと回収されている。多少強引と思われる仕掛けを臆面もなく取り入れるあたり、トリックの女王、山村美紗さんらしい仕事と言えよう。きっとトリックが先に出来て後から付け加えられた設定ゆえに、本作のバランスは仕方なく崩れているのだと信じたいところ。
キャサリンと浜口の関係もほんのり進んで(って寝てるやん)ちょっぴりいい感じ(これは冗談)。

現役かどうかは不明ですが、リサイクル系の古書店には売るほど並んでいます。これだけ入手が容易な作家で、これだけ現代のミステリ読みから無視されている作家も……たくさん他にもいるか。ワタシは今後も頑張ってどしどし拾っていく所存。


00/10/09
日影丈吉「恐怖博物誌」(出版芸術社'94)

出版芸術社「ふしぎ文学館」の一冊。'74年に学芸書林より刊行された『恐怖博物誌』『幻想博物誌』の二冊をベースに生物を主題とした短編を集めた作品集。

嫂を斧で叩き殺す夢を見た男が昼寝から覚めると、その通りに彼女は死んでいた『狐の鶏』
辺鄙な駅から田舎の村へ歩く途中に同道した筵売りの女性は林の中に箱を埋めた『東天紅』
神社に掛けられていた額に描かれた鵺。その絵に込められた秘密を追って教師が『鵺の来歴』
ある華族の館でオウボエらしき音色が聞こえ、部屋の薔薇が毎晩一本消える『オウボエを吹く馬』
病身のミネオは段々と夫の不信が進み、庭ばかりを眺めていた。ある時部屋に虫が『蝶のやどり』
地下酒場で人待ちの男は、陰気な客からこの酒場は元墓場に建てられたと聞かされる『からす』
女優宅で暮らしていた女中が犬らしき動物に噛みつかれショック死。関係者が疑われる『犬の生活』
熊手のような傷を負って殺された猟師。熊の存在が意識され銃の名手の警官が呼ばれた『熊』
フランス旅行中の写真家は大量の三蔵猫が暮らす小さな村の存在を聞き、現地へ向かう『猫の泉』
戦時中、台湾で疎開中の婦人と懇ろになった部下を諫めるべく夫側につく上司だったが『ねずみ』
三人の親友の一人から金を借りて購入したアパートに別の親友が「王様」を持ち込む『王とのつきあい』
療養中の主人公は憧れの女性が蟹の絵を専門とする画家宅に出入りしているのを知る『月夜蟹』
脱獄した囚人二名と動物園から脱走したある動物とで天王寺は大騒ぎ『天王寺』
私はいろいろな夢を見る。ばかげたもの、くだらないもの……『夢ばか』

それぞれの舞台、各々の時代の「匂い」が強く感じられる
今まで日影氏の長編を読んでも漠然と感じていたことながら、これだけの短編を一気に読む行為を通して強く感じたこと。それが「匂い」だった。
優れた物語を読んだ時、瞼の裏に自然と光景が浮かぶことがある。それが直接に見たことのない時代や世界であったとしても、作者の描きたかった光景そのままかどうかはとにかく、テキストが自分の頭の中で映像に再構築される状態は読書好きなら誰にでも経験があることだと思う。そしてもちろん、この作品集でも光景が浮かんだ。決して風景描写に長けているとはテキストを追うだけでは思わないのに、物語と文章が合わさることで何故かそれぞれの舞台が自然と浮かんでくる。
戦後すぐの千葉、照りつける太陽。華族の館を煌々と照らす月光。元墓場だったという陰気な地下酒場。北海道の原生林での真の暗闇。映像的な一瞬のインパクトは短編だけに、それだけ突き刺さるように深い。そして併せて「匂い」までがムッとよぎって行く。『狐の鶏』で言うならば、砂埃の、海から上る潮の、古い家屋に染みついた「匂い」。自己中心的な都会の人々が吐き出す匂いを拾う『犬の生活』『からす』、『王とのつきあい』、地方それぞれの海や山の匂いを立たせる『東天紅』や『熊』、『月夜蟹』。その一方で幻想的な雰囲気の為に匂いが感じられない『猫の泉』や『蝶のやどり』などもあるにはあるが、こちらはその狙い故に、わざと押さえてあるように思える。
どうしてもその描写に目が行ってしまいがちだが、内容も極上。再読になっても『狐の鶏』の地べたに張り付いたような哀切は何度でも胸を打ち、『熊』や『犬の生活』の推理性、『月夜蟹』や『猫の泉』の幻想性、様々にジャンルは飛べど、その中でレベルの高い仕事がされている。

根強いファンが多いのか、繰り返し様々な形で再評価が繰り返されている日影氏。その短編の入門としては教養文庫の傑作選(全三冊)が入手困難な現在においては、本書が最適ではないかと思われる。『熊』は単行本初収録。


00/10/08
角田喜久雄「底無沼」(出版芸術社'00)

出版芸術社が着々と刊行している「ふしぎ文学館」という叢書の一冊として刊行された短編集。代表作を網羅した上で、入手困難だった傑作数編に単行本未収録作品『顔のない裸』が加えられる嬉しい作りで、探偵小説の愛好者全ての方、必携の一冊。

世間を騒がせた殺人鬼あかはぎの指紋が世間で評判の人格者と一致した『あかはぎの拇指紋』
嵐の夜に山奥の堀立て小屋の主人と旅の男が、近くにある底無沼の話を『底無沼』
狂犬に咬まれた男が自殺するためにわざと死刑になるような事件を起こす『恐水病患者』
高い煙突から飛込み死、近くに贋札入り財布。男は過去の類似事件を思い出す『秋の亡霊』
大雨の中をびしょぬれで歩く着物姿の女性。彼女がここのところ経験した事件とは『下水道』
隣の部屋に異様な気配を感じた男。段々とその恐怖に耐えられなくなって『蛇男』
自分が不幸のヒロインになることに酔いしれる女が主人たちの不幸を一身に引き受け『恐ろしき貞女』
戦後の買い出しの汽車の中で一緒になった女性宅へ雨宿りに誘われた男は『沼垂の女』
牧師に自らの奇妙な性癖と男と女の殺人を教唆したことを告白する女は『悪魔のような女』
女中として雇われた頭の弱い女。子供の危機に叫んだところ却って事故に『四つの殺人』
ハーメルンの笛吹き男を例に完全犯罪は出来ると新聞記者と刑事に啖呵を切る少女『笛吹けば人が死ぬ』
身寄りなく死んだ男の遺物に顔の部分の写っていないヌード写真と四つの鍵があった『顔のない裸』
浅草を主題にした対談で吉原の火事が話題になり、それを調べているという女性がやって来た『年輪』

角田喜久雄短編の持つ、異なった二つの顔
大正時代の作品から最後のミステリ作品まで、角田喜久雄の残した探偵小説短編の傑作ばかりが選ばれた作品集。その一編一編の面白さは頗る保証付き。しかし、通して読むと二つの味わいが感じられる。そう、「本格」に分類されるような精緻な構造を持つ探偵小説と「変格」に分類されるような心理的な怖さを刺激するような探偵小説とに。
「本格」サイドから感じられるのはその真面目さ。いかにも真摯に検討したであろうトリックがファンを喜ばす。不自然さを出来るだけ排している物語と、読み終わった後の雰囲気も良い作品が多い。
一方、「変格」サイド。こちらは徹底して怖さを狙っている。つまりサイコサスペンスと言っても良いだろう。その物語の興趣は、先の読めない混迷感と独特の緊迫感から生み出されている。その緊迫感がどこから来るのか――。考えて思い当たるのは、メインとなる登場人物の異常性にあるように思う。そしてこれらに共通する一つの特徴に気付いた。
『下水道』の探偵という行為の恐怖から雨の中下水道に流れ込む女。『怖ろしき貞女』の妄想と現実を混同する女中。『沼垂の女』の底知れない深みを持った親娘。『悪魔のような女』の良心の咎めに怯える人を見て快感に思う女。『四つの殺人』の意志を持ちつつそれを表現するのに不自由な女。『笛吹けば人が死ぬ』のネジが外れたようでいて明晰な分析力を持つ不良少女。
『下水道』は本格に近いが、探偵という行動を通じて自らの心が望まぬ方向へ傾いて行く女を描いた変格とも取れる。何よりも題名のごとき「下水道」の中での出来事は幻想−科学小説譚に近いだろう。
そしてことごとく、、なのだな、これが。収録されていない角田の他の短編まではフォローしていないが、傑作と呼ばれる作品に登場、その狂気を振りまいているのは全て女性なのだ。角田喜久雄が、女性の心理に対し深い懐疑と何か、信頼できないものを感じていたから……というのは穿ちすぎだろうが、少なくとも「こわれた女性」を書くことが誠に巧い作家であることだけは確かである。(もう一歩掘り下げたいけれど考えが及ばない……)

出版芸術社の2000年度の話題作。角田の探偵小説は一つ一つが異なる趣向が狙われていることが明らかで、手抜きを感じさせない。ミステリ短編が寡作なのはそれゆえではないだろうか。まさに実力派。


00/10/07
生島治郎「追いつめる」(光文社文庫'88)

EQMMの元編集長にして小泉喜美子の元夫。本作は第57回の直木賞を受賞した作品で、氏の長編第四作目にあたる。初出は'67年のカッパ・ノベルス。

神戸県警の暴力課に勤務していた大卒の平刑事、志田司郎。彼は港湾を中心に蔓る裏世界、浜口組と繋がりのある署員の内定を内々に本部長より依頼されていた。日本中にその勢力を伸ばし表社会に平然と名を連ねる浜内組を本部長は撲滅せんと水面下で着々と準備を進めていた。ある晩志田は、義父にあたる協和海運の常務、来水から呼び出される。彼らの運行していた船がタグボートを引っかける事故を起こして、船員が一名死亡、非は先方にあったが見舞金を包んだところ逆に恫喝されたというのだ。タグボートの船主は暴力団浜口組の息の掛かった会社だった。来水は志田に、手打ち金を渡す立ち会いをして欲しい、と頼む。やって来たのは浜口組系の大物、奥田と青谷。志田は彼らを自ら追いつめることを心に誓う。捜査の結果、青谷の尻尾を捕まえ、相棒の乗松と共に事務所に乗り込む志田。しかし逃亡する青谷の代わりに彼の銃弾は乗松を捉えてしまう。この事件の結果、警察を辞職した志田だったが個人の力で浜内組を、特に青谷を追いつめることを心に誓う。

信念に生きる男とそれを冷静に描写する筆力と心憎い場面に映える洒落心と
「国産ハードボイルドの記念碑的作品」「日本という風土にハードボイルドを根付かせた意義深い作品」等々、本書のついてはハードボイルド作家や、その愛好家の方々による高い評価、そして熱い評価を今までに何度も読んできた。果たして……。
確かにハードボイルドであり魅せる作品である。しかし、それ以前に小説として「完璧に完成」していると思った。
まず、主人公の生きる姿勢が繰り返し自らの口から語られ、かつ、困難を乗り越えてそれを実行する姿。つまりは「意志」。これが作品に漲っている。その主人公を描く筆。主人公は「ここまで……」と思わせるくらいに熱くなっても構わない。しかし、その筆は常に一定の冷静さを保っている。描き出される風景、周囲の登場人物は、主人公の「意志」と対峙し、脅威を与えたり、慰めを与えたりと皆その役割を持っており、無駄が一切ない。物語展開も意味深なプロローグから始まり、丁寧にそれに至る経緯を描いた後、たっぷり主人公の気持ちが理解出来る状態にした上で、戦いへと進んでいく。一瞬たりとも興味が尽きる瞬間がない。結局最後までページを捲る手が止められない。いやいや、これは凄い。ハードボイルドだ。小説だ。そしてエンターテインメントだ。
そして、その独特の洒落っけ。美学と言えば良いのか。決して気障な台詞はない。淡淡と自分の心情に基づいた言葉を志田は吐露しているだけ。それなのに、やり取りの中に不思議な格好良さが漂う。単純な行動を取っているだけなのに、強い男が醸し出す独特の美しさがある。酒の飲み方、眠り方、戦い方、そしてやっぱり生き方に。これが、ハードボイルドに求められるロマンの部分だろう。
そしてまた三十年以上前に執筆されているにも関わらず、全く風化していないこの新鮮さ。二十年前、十年前、そして現在、未来。いつ読んでも新鮮な受け止められ方をされるに違いない。

最近、徳間文庫より再刊されています。ハードボイルドの良さを知らない人にこそ読んでもらいたい、と強く思います。日本にはこんなに凄い作品が実は埋もれていたということを。


00/10/06
都筑道夫「くわえ煙草で死にたい」(文春文庫'83)

私立探偵西連寺剛を主人公とするシリーズの第一作品集。新潮文庫では『脅迫者によろしく』に続くが、本書が先。元版は'78年に双葉社より刊行された。

金持ちの若い男の妻が失踪。住民票の移された先に住んでいたのはキャバレー勤めの別の女だった。彼女から情報の受け渡しを約束した西連寺だが、彼女は部屋で死体となっていた『逃げた風船』
西連寺がボクサー時代に事故を起こした相手の息子が失踪。その妻から捜索依頼が入るが周囲は何かを隠しているようだった『幻覚が走る』
トルコ嬢がバンドマンに貸した金を取り返して欲しいと西連寺に頼む。男を探り廻っていた西連寺はチンピラにナイフで刺されそうになる『午前四時の苦い酒』
高校生の娘が毎晩どこへ出掛けているのか知りたいという水商売の母親の依頼。彼女はあるマンションでベビーシッターをしていたがそこには理由が『こわれた哺乳壜』
恐喝を受けているという人気作詞家のボディガードを引き受ける西連寺。彼に接触した女性の尾行を終えたところ作詞家がホテルで「たばこをくわえて」死んでいると連絡『くわえ煙草で死にたい』
ボクサー時代の先輩の娘が若くして病没。その告別式に彼女の元恋人という男が現れ霊柩車ごと死体を誘拐して走り去る『雨あがりの霊柩車』以上六編。

確かにハードボイルドなのに、受ける印象の何かが普通と違う……
男として痺れる……とでも言えば良いのだろうか。決して感情移入出来ないし、何を考えているのかよく分からないし、行動も意外と泥臭い。ただ、その一人称で語られる思索?の言葉。これが途轍もなく格好いいのだ。やっぱりハードボイルドは主人公の姿を読者が追って、その洒落た言葉から浮き出てくる生き様を楽しむもの。(浅い受け取り方かも)
ただ本作、作品集全体から受ける印象だけを取れば『ダウンタウンの通り雨』の方が優れているように感じ、その理由を考えてみた。ハードボイルドでの私立探偵が扱う王道の依頼――失踪人探し。そのバリエーションを含めれば実に六編中、四編が失踪人探しが、きっかけとなっている。都筑氏の美学なのか、確信された筋道だからなのかは分からない。だが、どうもエンターテインメント精神が満点の都筑氏にかかれば、その中にいくつもの仕掛けを施されてしまい、どうしても短編という限られた紙幅の中では、それらがごちゃごちゃしてしまっているような印象を受けてしまうのだ。次々と登場する新しい登場人物と、当初見せられるのとは別の、彼らの裏の顔。それら一つ一つが読者の心に残らないうちに物語と、西連寺の方が先に走ってしまっている感。単に私の読み方の問題なのかもしれないが、ハードボイルドとして見た印象がストレートさに欠けているように思えた。
もちろん個別に優れた作品もある。心に残るのは表題作よりも『雨あがりの霊柩車』の方。死体を誘拐する犯人を追う、という展開ももちろんだが、導入部分の告別式のシーン「サイレンさん」という言葉で西連寺でなくとも、私は視界が滲んでしまった。死んでしまった娘が更に辱められるのを防ぐために懸命な父親の姿。それを本心から、必死で助ける西連寺。本作に限っては、いくつものどんでん返しが決して苦にならない。作品集の中で最も素顔に近い西連寺が登場しているから。奇想と痛烈な哀切のベストマッチが、下手な長編には決して負けない強烈な読後感を残してくれた。

西連寺シリーズの文庫も新潮、角川、光文社と様々なところから出ているし、基本的にはほとんどは古本屋で探す必要があるものばかり。一作目からでなくとも楽しめるのが都筑さんのシリーズものの凄いところ。だから、つい探してしまう……んですよね。


00/10/05
連城三紀彦「運命の八分休符」(文春文庫'86)

『オール讀物』誌を中心に'80年から'83年にわたって掲載されてきた連作を'83年に文藝春秋社より刊行、さらに文庫化された作品。

分厚い眼鏡をかけたどんぐりまなこでずんぐりむっくりの体型。空手は出来るけれど大学を出て三年、ぶらぶらして定職のない軍平。彼がなぜか美女にモテモテでしかも奇妙な事件に巻き込まれる物語。
ファッションモデルが殺された。容疑者にされた美貌のモデル装子が軍平に犯人と思しき男のアリバイ崩しを依頼する『運命の八分休符』
軍平の高校生時代の想い人で不幸な結婚を繰り返した歯科医、祥子。彼女の間違いから別の女の子が誘拐されるという事件が『邪悪な羊』
多数の男と恋を重ねて来た大舞台女優がその関係者を集めての特別講演の最後に死亡。彼女の付き人の宵子につきまとわれていた軍平は『観客はただ一人』
猫と犬に一軒の家に引きずり込まれる軍平。そこには手首を切った人妻、晶子が。軍平は旦那に逃げられたという彼女の悩みを聴いてやる『紙の鳥は青ざめて』
先輩に連れられ銀座の高級バーに行く軍平。彼についた梢子は、他のホステスとは違っていた。その控え室でホステスが何者かに切り付けられた『濡れた衣装』以上、五編。

とびっきりの謎と、ほんのりとしたユーモアと、さりげない切なさと。
連城作品の短編集の中では『戻り川心中』の陰に隠れがちながら、根強い人気を誇っていると聞く。その理由は、読めばすぐ分かる。
どちらかというとオトナの恋愛(またはそれに類する感情)の哀切さ中心に描かれる連城作品。大局的見地からすれば、確かに本作もその「哀切」は感じられる……が、ひと味違う。主人公に多少「自分はしがない三枚目以下」の自覚があり、その飄々として機微に鈍感な性格を付されているところだろうか。自分から惚れるというより、相手がなぜかその主人公に惚れてしまうという(普通有り得ない)展開だからだろうか。いずれの作品をとっても「恋が叶えられることのない宿命」の軍平と美女のやり取りは心温まり、ユーモアに満ちており、不思議な哀しさがラストで駆け抜けていく。もちろん、ミステリとしてそれぞれ異なった趣向の謎が凝らされており、こちらだけでも見る価値はある……が、やはり、本作に限っては「軍平vs女性たち」に目が行ってしまうのは仕方ないことだろう。
一作を選ぶとするならば。一人の女性の恋多い人生と若い女性の恋多い現在との対比、奇想天外かつ切なく寂しい動機、一人舞台という状況を100%活かしきった真相等々ミステリ・ユーモア・ペーソスの全てが胸をうち、かつ最高のバランスを保持している『観客はただ一人』。蛇足のエピソードまで計算が尽くされており、この物語に乗れて読めた自分を幸せに思う。

彼女たち、わざと読みづらい漢字が使われているけれどみんな名前が「しょうこ」ですね。何か意味があるのでしょうか。他の作品に通じているとか。(理由を御存知の方がいたら教えて下さい)

短編集にも長編にも傑作が(しかも途轍もないレベルの)ひしめく連城作品の中において、これもまたそれらに肩を並べるに相応しい傑作作品集。さらりとユーモアミステリーとして読んでもいいけれど、意外にも骨格のしっかりした謎と解決、独特のユーモア、そして場面や光景の描写で見事にペーソスを掻き立てる筆の冴え。こういったところをじっくりと読むのもいい。深く味わうに足る作品揃い。大満足。


00/10/04
馳 星周「虚の王」(カッパノベルス'00)

不夜城』で第18回吉川英治新人文学賞、『鎮魂歌』で第51回推理作家協会賞を受賞。当代きっての人気作家、馳氏初のノベルス書き下ろしとなる六冊目にあたる作品。

十代の若者が我が物顔でのさばる夜の渋谷。かっては仲間四人で「金狼」というチームを組み、暴力で渋谷を席巻した新田隆弘。ヤクザを刺し少年院に入っていた彼は、過去の栄光と筋骨隆々の身体で今も渋谷では「顔」ではあったが、現在はチンピラの舎弟のヤクの売人としてこの街に居る。兄貴分の柴原の命で、渋谷に新たに蔓りはじめた高校生による女子高生売春組織を探っていた隆弘は、渡辺栄司という男が中心にいることを知る。進学校に通う栄司は頭脳優秀、容貌端麗で表向きは品行方正な優等生。だが、彼を知るガキたちは彼のことを心の底から怖れているようだった。クラブでしめられていた高校生を騙し、隆弘は栄司の女、希生の名前を知り、まずは彼女が出入りしているというクラブへと向かう。希生の様子を伺いにお忍びでクラブに来ていた高等学院の教師、橋本潤子を巻き込んで、強引な方法で隆弘は希生をドライブに連れ出した。

街を我が物顔で闊歩している悪ガキの本質を醜く抉って
筋書きを追って読む分には多分に講談的だな、という印象を最初に抱いた。簡単に言えば猛将が智将に心服し、自らの迷いを断ち切って突き進む話。義経−弁慶の時代から存在する昔ながらの英雄譚。影に日向に巷に流布するストーリーに見えた。しかし。
冒頭から本書はその類型を打破するパワーを主人公の隆弘をはじめ、栄司、希生、潤子ら周辺を固める人物が持っている。その為、全体にいくつもの緊張した糸がピンと張り詰め、それが果たしていつ切れるのか、切れないのか、類型的な展開の物語であっても、読む者のテンションは決して下がらない。 そして中盤以降、その類型は崩壊していく。登場人物は心服した筈の相手に逆に惑わされ、自分を見失い、傷つき、自ら壊れていく。彼ら一人一人が心の中に抱いているもの。人生の糧としているもの。生きる楽しみとしているもの。それらが人間を内臓から裏返すかのようにあからさまに開陳されていく。一番怖いのは、大多数の彼らがその中身について「無自覚」なこと、かも。ラストまで一気に読ませ、そして予感され、実現されるラストに戦慄するという寸法。
現代に生きる若者が内側に何を抱えているのか。何を考えているのか。もちろん本作はフィクションであり、現在の全ての若者が、この通りであるなどと言う気は毛頭ない。しかし。本質的な部分では、本作の登場人物と現代の若者像とほんの一部分でも共通する部分があるのではないか。
小説一冊で分かった気になるのは烏沽がましいことだが、何にもせずにに「若者の気持ちが分からない」などと言っているよりかは、遙かにマシだと思う。

私が夜の渋谷で遊ばなくなってからもう何年も経つ。チーマーと呼ばれる集団が闊歩するようになってから、どうにも私自身にとって居心地の悪い街、というイメージが染みついたままなのだ。本書で描かれている少年たちは、私の知る夜の渋谷から数世代後になる。彼らにも彼らなりの物語が確かに存在する。今晩も似た物語が渋谷の暗がりで起きつつあるのかもしれない、と、ふと思った。


00/10/03
陳 舜臣「銘のない墓標」(徳間文庫'85)

'69年に講談社から刊行された同題の作品集が文庫化されたもの。中公文庫でも同内容の作品集が存在する。

太平洋戦争の末期。中国政府と日本政府との極秘裏の交渉に携わった男が残した、当時を知る手掛かりとなる書物を買わないか、と古本屋が歴史学者にもちかける。歴史学者はその書物を持ち込んだ中国人とホテルで会見するが、部屋をちょっと離れた隙に中国人は殺されてしまう『銘のない墓標』 中国の内戦終結時に民間人を殺して財産を奪った三人の中国人将兵の逃亡を手伝った日本人従軍者。彼らはその資金を元手に香港で成功者となっていた。その日本人、鹿村は貿易商の日本代表としてそれなりに豊かな生活を送っており、香港に商用でやって来た。鹿村は到着早々何者かに銃撃される『壁に哭く』
社会の脱落者の研究を専門にする男は香港の秘密結社の取材を駐在員の友人に希望。その前に友人の紹介である事情を持つ旧家を訪ね、見事な磁器を格安で購入する『にがい蜜』以上中編三編。

三編全て「英国統治下の香港」が複雑かつミステリアスな側面を覗かせる
本書が出た'69年はもう三十年以上前になる。つまり執筆された時期を中心に考えると、現在からその時期までの期間(三十年強)よりも、終戦からその時期までの期間(二十年弱)の方が遙かに近い。本書の三つの中編は「その時期」の「香港」という世界的に特殊な地域にしっかりと根を下ろしている。作品をミステリたらしめている要素が「香港」と不可分なのだ。
『銘のない墓標』では歴史の裏側という大きな謎に挑む歴史学者が遭遇する過去の個人的な事件が香港を舞台にすれ違い、『にがい蜜』では香港という地域に住む人々の微妙なプライド、自負というものが物語を支える背骨となっている。そして何と言っても『壁に哭く』。中国内部の戦争に巻き込まれた日本人と卑怯な手を用いて戦線を脱出した中国人三人組。過去に後ろ暗いところを持った成功者、というのが奇妙に「香港」の社会によく似合っているように見える。彼らに重ねて戦争が人々に残した「過去」「現在」「未来」とは果たして何なのか。どんでん返しのあるミステリ作品なのに、いろいろ考えさせられるものがあった。
しかし陳舜臣は人の心の奥底にある執念や欲望を読者から隠すのが実に巧い。単に隠すだけでなく読み終わるまでにはそれらをきちんと露出させ、きちんと納得させてくれる分、その巧さが際立っている。

このような作品は陳氏しか書けないし、これ以降似た作品が仮に出来てもそれは陳氏の持つ味は出せない。日本と中国どちらにも親しい陳氏はどちらとも距離を置いた作品を創れることに、今更ながら気付かされた。ディティールの濃さがミステリとしてのシンプルさを綺麗に補って、トータルとして豊かな味わいへと変化している。


00/10/02
氷川 透「真っ暗な夜明け」(講談社ノベルス'00)

第15回メフィスト賞受賞作品。氷川氏は第8回鮎川哲也賞に『眠れない夜のために』(『密室は眠れないパズル』として原書房より刊行)という作品が最終候補に残り、その作品を絶賛したという島田荘司氏の賛辞が巻末に掲載されている。

学生時代に組んでいたバンドのメンバーが久しぶりにに集まった。場所は杉並区成田西にあるバー。メンバーが皆、社会人や大学院生となっている中、推理小説作家志望の氷川透はライブハウスでピアノを弾いたりしながら生活していた。リーダー格の和泉は音楽好きの後輩を連れてきており、銀行勤務の久我は婚約者を連れてきていた。ボーカルの冴子、氷川とキーボードを分け合った詩緒里も相変わらず華やかな魅力を感じさせる。音楽の話を中心に宴は盛り上がったが、終電の時間が近づいてお開きとなる。近所に住む和泉に送られ地下鉄杉並駅に酔っぱらって雪崩れ込む一同。話し込んだりトイレに入ったりとしているうち、大学院生の松原がトイレの中で死体を発見する。被害者は先程改札の外で別れたはずの和泉で、何故か駅構内にあるブロンズ像の丸い台座で撲殺されていた。

さりげない設定の中に、強い「本格」指向が投影。読者を選ぶかも?
とにかく「本格」に対する愚直なまでのこだわりを著者自身が持っているように感じられる。感じた理由は二つ。一つは事件そのものをシンプルな事件とし、その上にいくつもの仮定が成り立つように設定し、更にその設定を最大限活かすべく努力を払っている点。もう一つは、シンプルだからこそ、隅々まで気を使って多数の「それらしい」推論を徹底的に創り上げている点だ。地下鉄駅構内での妙な凶器による撲殺事件。直前にドアチャイムが鳴り扉が開いたにも関わらず、地上に落下した男の部屋には誰もいない逆密室事件。ほんの少しの不可解さを加えた、それほど特殊とは言えない事件の上にいくつもの推理の楼閣が建てられる。この徹底的、かつ執拗な手法から見えるのは、やはり作者の強い「本格」へのこだわり。また、いくつもの推論がそれぞれ矛盾しないよう、それまでの地の記述、つまりはテキスト表現に徹底的に気を使っていることも、読んでいれば感じられる。
この「推論」が繰り返されることでのミステリ上の効果は絶大ながら、逆に多少勿体ないと思える部分が存在するのもまた事実。推論のバリエーションが増えすぎたことで、作品中の真相の意外性がどんどん薄められてしまっているように感じられる。丸い凶器から導き出される結論。ドアの開け閉めにまつわる結論。作者がワンオブゼムとして途中経過で掲げる推論の方に(仮に論理的矛盾があったとしても)個人的に魅力を感じた。
私個人の印象としては文章は非常に読みやすい。……が、例えば主人公の小難しい思索や詰まらないジョークなどは好悪が強く分かれそう。世代の問題だろうか、学生から社会人になって感覚が少しずつ摩滅し「大人」に変化しつつ行く途上の感覚が瑞々しく(私からすれば、ね)描かれており、構成や背景に関しては強い好感を感じる。

「本格」へのこだわり、という創作姿勢は間違っていないと思うし、物語の構成や登場人物造形にもセンスがある。今後、本作よりももっと凄い傑作を生み出してくれる作家だろう。これからの活動に期待したい。

(余談)ちょっと前にネット内そこかしこで問題になった工学部系人間のカタカナ表記の問題が作中に取り上げられてトリックの一部に使用されているのにちょっと驚いてみたり。


00/10/01
西東 登「偽りの軌跡」(さんいちぶっくす'68)

蟻の木の下で』で第10回江戸川乱歩賞を受賞した西東氏の第三長編にあたる作品。

中堅土木会社が政界工作のために密かに準備した四千万円の現金。政治家と会食中の社長の元に、会社からその現金を運んだ経理課長が、現金ごと行方不明になった。慌てた社長は探偵社に失踪した課長、酒出の捜索を依頼、元刑事の鹿村がこの任にあたることになる。聞き込みの結果、酒出には特に失踪する理由はないと考えられた。行き詰まった鹿村は、社長と政治家が会食した料亭へと向かう。その側のガソリンスタンドの男が、丁度その頃、そこで交通事故があり、被害者が車に乗せられ連れ去られたと証言、鹿村は前の晩に乱暴な運転をしていた車が、その車ではないか、と疑う。たまたまメモしてあった車のナンバーから、その持ち主はタクシー会社の社長、光田のものであることが分かるも、その車は盗まれたのだと家人が証言する。そこに作為の影を感じ取った鹿村は執拗に調査を続け、実は鹿村と運輸官僚の瀬川がその車に乗っていたことを突き止め、瀬川の元に乗り込んで行く。主犯は光田だ、と言明する。光田は横浜は金沢八景に別荘を持っており、交通事故死体はそこに埋められているらしい。鹿村は金沢八景の別荘に向かうが一人の青年が彼を襲った。

小市民による小市民的ハードボイルド
西東登が得意とするのは「小動物」を効果的に使用したミステリ……らしいのだが。本作は多少路線が異なるのかもしれない。基本的には失踪人の捜索を引き受けた探偵の物語。 格好良くもタフでもない。その割りに欲が突っ張ったり、人を脅したり、人情にほだされたりと、多面性を持つ主人公の探偵は、誠に小市民的である。そんな彼が追い詰めていくのは欲の皮の突っ張った一見大物風の人物たちなのだが、また弱みを握まれると虚勢も忘れて怯える小市民的悪役。この小市民的探偵と小市民的悪役との間で交わされる権謀術数。しかしやっぱり人物のスケールが小さいせいか、扱われている金額の大きさの割りに、迫力に欠けてしまっている。
(物語に描かれていない部分はとにかく)そんな男たちに自らの運命を自ら切り開くしたたかさはない。結局、冒頭に暗示されている通り、ほんのちょっとした行き違いから様々な運命の変転を迎えてしまうことになる。ラストに明かされる、余りにも情けなく小市民的な真相は、彼ら小市民が迎えるあまりにも皮肉な運命を強く強調している。唯一、自らの過去からある人物に復讐を誓う若者に一途さがあるのが救い。

少なくとも西東登の畢生の傑作……ではないことは確かだろう。戦争の悲劇を描いている部分など、段落の中には光るものもあるだけに、ちんまりまとまってしまっている点、残念に感じた。