MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


00/11/20
奥泉 光「葦と百合」(集英社文庫'99)

'91年に雑誌『すばる』に連載され、同年に集英社より単行本化された、後の芥川賞作家、奥泉氏にとって初めての長編作品。

哲学者への道を志しつつも、医者へと方針転換をした式根は、友人達と共に新潟の飯豊温泉へと向かう。式根は十数年前の高校生の頃、理想を求めて『コミューン』(生活共同体)である「葦の会」に参加していた時期があった。一緒に参加した当時の彼女、翔子は「葦の会」にのめり込み、最終的にコミュニティ内部の精神的リーダーの時宗と結婚する。式根は「葦の会」が飯豊山麓近くの農場に移ったと聞き、この機会に訪ねることにする。果たして、ダムの建設が進む現地、鬼根まで行った式根は道半ばにて挫折、草壁というカメラマンと出会った。彼の案内で鬼根村の旧家、岩館家に宿泊した式根は、既に「葦の会」は無くなり、最後の二人となった時宗と翔子が行方不明で捜索願が出ていることを知らされる。また、岩館の家や鬼根に伝わる様々な不吉な伝説も話題にのぼった。翌日、草壁と、岩館家の親戚の女子大生、有紀子と共に改めて現地に向かう式根だったが、そこには荒廃した跡地が広がるばかりであった。

「存在するものが視えるのではなくて、視えたものが存在する」
 普通のミステリので通用する分析が非常に困難な小説だと思う。
確かに発端に謎があり、経緯が語られ、殺人事件が発生し、事件が素人探偵たちに検討される。民間伝承などのフォークロアやゴシックめいた舞台背景、クローズドサークル、過去に遡って存在する因縁等、道具立てだけ取れば、どう考えてもミステリ(それも探偵小説)でしかない。しかし、本書の狙いは全く別の次元にあるようだ
 テキストの持つ可能性の徹底的追求。
例えば、小説には読者も含め、同じものを観察した人間は、同じように感じる、という約束がある。あくまで約束に過ぎないながら、謎の解体を目的とするミステリ作品においては、手掛かりなどを公平に与えるための最低条件といえる。本書ではこの条件を意識的に取っ払っている。
つまり、同じ事象を観察する人々はその事象を個人個人の論理、考え方に基づいて別々に捉える。その「別々の論理」が即ち、本書でのキートリックとなっている(作者がそう意図していなにしろ、サプライズの源ではある)。小説でありながら、人間の内的世界が一人一人異なることを強調、錯綜するテキストにより、小説上での現実と虚構の脆さを実感させられ、読者は混乱の淵に投げ込まれる。更には、同時に同じものを見ている人物たちが、それぞれ全く別の解釈でテキストを綴る。彼らにとって「存在するものが視えるのではなくて、視えたものが存在する」。言い換えるとそれぞれの意志が紡ぐ、それぞれの物語。人の数だけ、テキストにされるだけの物語が無数にパラレルワールド的に『葦の百合』内部に存在する。全てが正解で全てが誤り。読者一人一人の感想が異なるのもまた当然だろう。
『虚無への供物』の影響が強いのは確かだが、方法論は似ていても目的は別の印象。本書でもミステリ的な解決は存在する。ただ、その解決もまた、方法論の犠牲になるだけではあるのだが。
宙ぶらりんにされたまま最終頁を閉じるのも、なかなかに気持ち良し。時間さえあれば、テキストの詳細分析をして作者の意図をじっくり掘り出してみたい気もする。

東京創元社の『本格ミステリベスト100』のトップ20の中で、私の唯一の読み残しでした。敷居が高かったので……。私と同様、奥泉作品の敷居が高いと(全体的に長大なので)感じておられる方もいるでしょう。確かに高い。でも乗り越えるだけの価値はあります。


00/11/19
生島治郎「傷痕の街」(講談社文庫'74)

後に『追いつめる』で直木賞を受賞する生島治郎の第一長編。日本初の本格ハードボイルド作品と言われており、「EQMM」の編集長を辞めた翌年の'64年に講談社より刊行された。(大藪『野獣死すべし』とかの刊行はもっと前だけれど)

港に停泊する船に食料や燃料、その他必要な物資を調達、搬入するシップ・チャンドラー。朝鮮戦争による特需の最中、この仕事に参入した久須見健三は、有り余る資金で麻薬密輸を行う同業の吉田の配下に入るよう求められるが、彼の顔をビール瓶で叩きつぶして断る。反対に、久須見は吉田の手先により左脚を切断する大怪我を負わされる……それから十年。世の中は不景気に見舞われ久須見は資金繰りに詰まる。バーの女性、斐那子の仲介で彼女の父親の井関から七百万円を融資してもらうが、返済出来ない時には久須見が吉田の配下となることが条件だった。承諾して金を借りた久須見だったが翌日、腹心の部下の妻が誘拐された、との連絡がある。身代金は丁度五百万円。陰謀を感じつつも、部下二人を受け渡しに行かせる久須見。しかし彼女は電話で誘き出されただけで誘拐されていなかった。慌てて現場に駆け付けた久須見は、ガソリンがかけられ燃えている二人の遺体を発見する。

日本人が執筆したとは到底思えない、超本格的なハードボイルド
追いつめる』が良かったので手に取ってみた。これもアタリ。何よりも「日本の風土にハードボイルドは根付かない」という風潮を見返すために、研究に研究を重ねて書かれた作品だという。『追いつめる』が「日本にハードボイルドを根付かせた作品」であるのなら、本作は「日本にハードボイルドの種を播いた作品」にあたるのだろうが、既に完成度は非常に高い
当たり前ながら、物語の展開がまず良い。主人公のバックグラウンドが語られ、因縁の理由が明らかになり、現在の事件へと続く。様々な陰謀が渦巻く世界の中で、ハンディキャップを背負った男が謎を解き、戦う……。これが良くなければ、ハードボイルドもへったくれもない。
さらに。全編を覆う男の哀愁。自分自身の信念を生き様という形で貫く主人公。一癖も二癖もある女性や悪役……、舞台を国際色豊かな横浜の地に設定したこと、船乗りという無頼が多数存在する世界を取り入れたことなどで、輸入された概念(言い方が適切でないかも)と、日本という国との融合を見事に成功させている。また、泥臭いのにお洒落、という文体は特にチャンドラー的かも。多少、台詞などは作られすぎている感もあるが、この世界だからこそ許せる。

白背に惹かれて購入した講談社文庫版にて読みましたが、後に集英社文庫などでも刊行されている模様です。生活感が少なく、あまり時代風俗に関わらないため全く風化していない作品。ハードボイルド系がお好きな方なら、絶対に失望しない一冊でしょう。


00/11/18
小林久三「暗黒告知」(講談社文庫'77)

映画界に勤める傍ら'70年頃に短編賞を獲得していた小林氏。'74年に第20回江戸川乱歩賞を獲得した本作が初長編にあたる。その後もサスペンス系の作品を中心に多数の作品。

明治四十年。足尾銅山の鉱毒事件の中心で、政府の策謀によって貯水池とさせられるべく強制収用が発令された栃木県谷中村。土地の売却に反対する百名余りの住人が残された地を守るべく運動しており、その中心が、義人として知られる元衆議院議員、田中正造だった。この時代のうねりを捉えようと現地で取材を重ねる北関東タイムス記者、藤田省三は村の反対派の重鎮、勝野銀之助が寝返ったという噂を聞く。彼から話を聞こうと村にある水害避難所である土蔵に向かったところ、勝野は鍵のかかったその土蔵の中で首を鋭い杖で刺されて死亡していた。杖は田中正造の持ち物であり、死ぬ間際に「しょうぞうにやられた……」と勝野が土蔵内で言い残したことから、田中正造犯人説が持ち上がる。だが土蔵の中には犯人が見あたらなかった上、現場は周囲に被害者以外の足跡のない完全な密室であった。

歴史と社会性とミステリとの三位一体
予備知識なしに題名だけを見る限りでは全く想像がつかないが、本作の下敷きとなっているのは「田中正造と足尾銅山鉱毒事件」である。少なくとも日本の歴史に戦争と別の意味で暗い陰を落とすこの事件と、それと戦った人物の存在は中学生の歴史の授業で習うはずだ。
その田中正造が容疑者となる密室殺人。ただ作中人物が早い段階で看破している通り、こういう明らかな偽装では、田中は犯人足り得ない。(敢えてそうする作品もあるけれど)さて、そうなると密室の謎に合わせて、果たして「誰が」「どういう意図で」この犯罪を企てたのか、というのが興味になりそうなもの。だが、本作で語られている様々な事柄があまりにも豊穣に過ぎて、なかなかそうなっていない。
足尾銅山という公害の元祖とも言える舞台を設定し、民衆と官憲との対立を持ち込む。一揆にも似た過去の事件や当時の思想や、風俗も語られる。舞台が通常のミステリ作品に比べて遙かに分厚い。それらが普通の長編一冊にすべて入っているのだ。見るべきところが多い、いや多すぎるかもしれない。例えば、明治四十年という時代を活かした未熟な捜査方法を逆手に取ったトリックなど、単に歴史を織り込むだけでなく、そこにしっかりと手を加えており、気は利いている。しかし、その細やかな努力が、もっと書き込まれるべき重苦しい当時の雰囲気の描写を削ってしまう要因になっているように思う。あちらこちらを欲張るのでなく、個人的にはもうほんの少しだけピントを絞って欲しかった。

最初の被害者が言い残す言葉「正造にやられた」はてっきり「しょうぞうにやられた」で、第一発見者の名前「藤田省三」のことを指しているのだ……と思ったのだけれど。これも作者のミスリーディング?それとも偶然?

全体的な印象から受けるのは「手堅さ」という感じ。本格推理の要素、社会派的な告発の要素、明治時代を扱った歴史の要素、それぞれをうまく作品に吸収して一つの作品に仕上げているな、と。どれもが味わえる代わりに、強烈なインパクトは実は薄い。普遍的なミステリ読者のための乱歩賞らしい作品と言えるかもしれない。


00/11/17
草野唯雄「女相続人」(角川文庫'81)

'74年、カッパノベルスに書き下ろし刊行された作品で、第28回(昭和50年)の推理作家協会賞の候補作品。現在であってもこの角川文庫版が最新。しかし草野は「協会賞候補」が多いなぁ。

島根の田舎旅館に逗留する新進の画家。彼は地元の一杯飲み屋を預かる女性と、一夜を共にし、結婚を申し込んだ。承諾した女性は店を畳んで彼と共に上京する。……一方、音響設備製造で一財産築いた会社社長、大倉政吉は、自分が白血病に冒され、余命が一年ないことを腹心の常務や弁護士、パトロンをしている楽団指揮者、そして地質学研究所に勤務している息子に告げる。そして彼は、若い頃結婚していた妻に先立たれ、自分の人生の建て直しのため、遺された赤ん坊を捨て子として松江城に置き去りにした過去をも告白、償いのために、現在齢三十になっている筈のその娘を探し出して欲しいと彼らに要請する。ゆりという名前以外手掛かりなしに現地に乗り込む四人。彼女が子供のいない夫婦に引き取られ、島根の漁村で育てられたことまでは突き止めるが、その後の消息は分からなかった。

ありきたりの冒頭から雪崩落ちるような怒濤の展開へ、そしてラストで唖然。
題名が「女相続人」でしょ。プロローグでいきなりその女性が不自然な結婚しちゃうでしょ。大富豪に遺産相続と来たら、陳腐なサスペンスを想像してしまうでしょ、普通。相続人を名乗る女性が二人出てきて、どっちが正統なのか判別しないというような……。
確かに中盤に差し掛かるまで、そのような雰囲気が漂っていたのだが、実験による土石流で一挙十五人が死亡するあたりから、物語のテンポが明らかに変わってくる。「誰なのか」こそ明かされないものの、特殊なトリックを成立させるために練習−下見−実行する犯人の様子がポイントポイントで描写されたり(一種の倒叙表現)、犯人と目されていた人物があっさりと殺されたり、富豪の娘になりすましていた女性の正体があっさりと割れたり、と通常の謎解きストーリーの定石とは異なる形で物語を展開させている。それでいて、肝心要の犯人が誰なのか、という点については巧妙に隠してある点も興味深い。事件の手口を明かしておきながら、サスペンスと本格謎解きを融合させる試みが、見事に成功している。 いや、むしろ半分倒叙という形式で、魅力を増していると言えるかも。
後半にかけて展開が慌ただしくなってどたばたした印象もあったが、最後に登場人物が○○○(自主規制)となることを考えると致し方あるまい。そして、勧善懲悪となっていない、一種露悪的ともいえるラストも悪くない。
実は本作品、草野唯雄作品の中では多くの人から高評価を得ている作品。なるほど、手法といい構成といい、心に残る作品でありました。

草野氏に限らず、八十年代から九十年代にかけて多作でならした為に「通俗推理作家」と思われている作家の初期作品って滅茶苦茶面白い(ことがある)んですよね。本作もその中の一つとして挙げられます。 しょーじさん入魂の「草野唯雄作品リスト」はこちら。草野唯雄蒐集のお供にぜひどうぞ。


00/11/16
小林信彦「小説世界のロビンソン」(新潮文庫'92)

'89年に新潮社より刊行された作品が文庫化されたもの。書評集・ブックガイドというよりも、小林信彦流の小説進化論と呼ぶべき評論集的作品

序章 :船出
第一部:第一章〜第十章「下町の子の<正しい>読書」「岩窟と地底の冒険」「集団疎開と「夏目漱石集」」「「吾輩は猫である」と落語の世界」「「吾輩は猫である」と自由な小説」「「吾輩は猫である」と乾いたユーモア」「「吾輩は猫である」とフラット・キャラクター」「<探偵小説>から<推理小説>へ」「推理小説との長い別れ」「「落語鑑賞」と下町言葉」
第二部:第十一章〜第二十四章「遅い目ざめ―1950」「太宰治―マイ・コメディアン」「フィールディング―<散文による喜劇的叙事詩>」「ピカレスク小説―または<人生は冷酷な冗談>」「1952年のスリリングな読書」「物語の極限―「ラブイユーズ」」「小説が古びるときとは」「ワンス・アポンナ・タイムマシン―または<退屈な>私見」「<視点の問題>」「ロック元年の小説世界」「未知との遭遇=<大衆文芸>」「「富士に立つ影」と<茫々たる時>」「古い<大衆文学>の衰退と<エンタテインメント>の発生」「エンタテインメントの<正しい>姿」
第三部:第二十五章〜第三十四章「三十年ののち―または<物語>のゆくえ」「早過ぎた傑作「火星人ゴーホーム」」「K・ヴォネガットの場合―SFから主流へ」「ブローティガンの場合―「愛のゆくえ」について」「J・アーヴィングの場合―<物語>の力と読者の関係」「二十七年前の「『純』文学は存在し得るか」を読みかえして」「いわゆる<純文学とエンタテインメント>をめぐって」「「瘋癲老人日記」の面白さ」「作家の誠実さとはどういうものか」「新聞小説の効用」
終章 :とりあえずの終り
附記 :メイキング・オブ・「ぼくたちの好きな戦争」

小林信彦の読書感覚を通じて、本来の「文学」とは何か、が見えてくる
まず最初にお断りしておくと、本書は『地獄の読書録』と違ってミステリに限った話ではなく、とにかく文学全般について語られている。(小林氏の読書傾向に基づいているので多数ミステリ・SFが登場するのも事実)一冊一冊、作品を誉めたり貶したりすることが目的ではなく、戦前からせっせと読書に勤しんできた氏が、これまで読み込んで来て何を感じたか――特に何を読書の悦びとして見出したか――を、感じ取るための本、といった印象。
結論めいたことを言えば「物語」の重要性を繰り返し説いているところが目に付く。いわゆる「純文学」めいた小説が何故つまらないのか。逆に優れたエンターテインメントはどうして読者を惹き付けるのか。 それを小林氏は「物語性」という言葉で説明する。文学たるもの「ノリ」や「感覚」という名状し難い物語性があるのが当然で、それを持たない作品は面白くなくて当然だというのだ。
従って、いわゆる純文学畑の作品であっても、大衆文学であっても、ミステリ・SFであっても「誉めるものは徹底的に誉める」「評価しないものは理由を説明して何故評価しないかを説明する」と態度が首尾一貫。これが誠に気持ちよく、百%とは言わないまでも、大いなる共感をもってエッセイを読み進めることが出来た。
また、文壇関係者の間で論争されたこと(一般読者には全く関係ないこと、とも言われているが)についても一通り御自身の考え方が書かれている。このような論争が過去にあった、ということを知るのは、マニアックな読書をしている者(私?)にとっては興味深いものがある。

本書を当掲示板で様々な方が推して下さり、更に石川誠壱さんに譲って頂きました。そのような御縁がなければ手に取ることはなかったでしょう。 羅針盤で読書の指針を決めるというより、海図で「文学」の状況を手に取るように教えて頂いたような気分です。 谷崎読まないと。


00/11/15
梶 龍雄「透明な季節」(講談社文庫'80)

第23回江戸川乱歩賞受賞作品。元々梶氏は『宝石』誌に短編を発表するなどしていた作家で、本賞受賞前にも『幻影城』等にミステリを発表していた。この後、梶氏は主人公を同じくする『海を見ないで陸を見よう』、名前は違えど同じく作者の分身的主人公の登場する『ぼくの好色天使たち』と著し、本書と合わせ「青春三部作」を形作っている。

ポケゴリが死んだ。しかも殺されたのだ。――太平洋戦争のただ中、素行の問題から前線から呼び戻され、顕文館中学にて教練を担当していた配属将校、諸田中尉。サディスティックな虐めを好む諸田を畏怖しつつも、その体型と風貌から生徒はポケゴリと呼んだ。彼は神社の境内で何者かに射殺されていた。事件後に友人、古屋宅に遊びに行った高志は、彼の姉の友人という薫さんという女性と知り合う。彼女はこともあろうにポケゴリの奥さんだった。配偶者を亡くしたにも関わらず秘密めいた雰囲気を漂わせる大人の女性に高志は淡い恋心を抱く。事件当時に偶然近くを通りかかっていた高志は、刑事の情報などを逐一、薫さんに報告に出向くようになる。その結果、事件の時に薫さんは、別の英語教師と現場付近で密会していたことが分かるが、彼女は事件とは関係がない、と言う。

青春ミステリというより、一種の「歴史ミステリ」ではないだろうか
基本的に肉体的にも精神的にも未成熟な少年が体験する非日常。身近に発生する殺人事件。年上の人妻への思慕。一応はこれらが軸になっている。主人公が少年であるため、殺人事件の直接捜査は出来ないし、推理も状況からの推測に過ぎない。また彼には決して越えることの出来ない「大人の壁」が事件の周囲を覆い隠している。一定の緊迫感を孕みながら、淡淡と(恋に悩む)高志の日常が描かれ、時の経過と共に事件の影は薄まっていく。このあたりの展開から「青春ミステリ」として本書は捉えられるのであろうし、その考え方も分かる。ただ、そんなに本書が単純なものだとは思えない。
刑事の話。上級生の死。手紙。切れ切れに出てくる事件の真相。もちろんそれらは高志が自ら導き出したものではなく、単に「知らされる」だけ。戦時ならではの緊迫が、これらの端端に滲まされている。また、少年の思考の変化にしても、事件の最終的な真相にしても、最も本書で重いのはやっぱり「戦争の影」だと感じる。
ある意味これほど戦争の怖さを感じさせる作品もないのではないか。死にゆく戦士や、愛する者を戦争に奪われる物語も確かに胸をうつのだけれど、人の不幸や死、街の破壊に対して感覚がどんどん摩滅していく様が、主人公の様子からつぶさに窺える。戦争による大量死に対し、殺人による死を「特権的な死」と論ずる笠井潔氏の考え方が、本書で漠然と実感された。この時期を称して「透明な季節」と名付けてしまう梶氏のセンスは、凄い。

読み終わってみれば「戦争」という舞台がなければ、この作品がミステリとして全く成立し得ないことに気付かされる。トリック、動機、その後の展開全てが「戦争」、そして「当時の世相」と密接に関係している。もう現在では戦争は歴史の一部。我々の世代にとっては、記録であっても記憶ではない。青春小説的部分も確かに印象に残るが、こちらは必ずしも「戦争」でなくとも構わないことを考えれば、現在となっては「一種の歴史ミステリ」としての評価をもっと高くすべき、と個人的に思う。


00/11/14
香山 滋「月ぞ悪魔」(出版芸術社'93)

ふしぎ文学館のシリーズの一作。香山氏は、ゴジラの原作の生みの親として一般的に知られ、探偵小説の時代に独特のSF的作品を多数著した。今でも人気の高い作家で、三一書房より全集も刊行されている。

東南アジアの奥地で、別の人類「オラン・ペンデク」を発見した学者が学会発表中に急死。その親友の学者も死亡した後、学者の養子が失踪した『オラン・ペンデクの復讐』
失踪した学者の養子の妻は、夫を探すために船を借り切るが、その船を指揮する人物は船底に籠もって全く姿を見せない謎の男だった『オラン・ペンデク後日譚』
「オラン・ペンデク」を謎の動物と思って射殺した植民地の現地責任者は、政敵から原住民殺しの汚名を着せられ追放されることに『オラン・ペンデク射殺事件』
妻の為に作られた巨大水槽は彼女の裏切りと共に大量のウツボが飼育されることに。海鰻荘と呼ばれる豪邸で発生した猟奇的惨劇『海鰻荘奇談(第一部 肉体の復讐』
事件後荒れ放題の海鰻荘では青年教師が夜な夜な犠牲者の美女の霊魂に呼び寄せられていた。彼はそれを妨げる持ち主を殺害『海鰻荘後日譚(第二部 霊魂の復讐』
富豪で美人で同性愛者の爬虫類研究のエキスパートの女性は、事故で漂着した南島で存在の知られていない大蜥蜴と巡り会ったが『蜥蜴の島』
南米の奥地の黄金郷を探していた人見十吉は乗っていた飛行機が墜落、密林を彷徨っているうち、風変わりな夫婦と出会う『エル・ドラドオ』
容貌魁偉ながら優秀な研究者は、校長に請われ女子校教師となる。彼が愛した女子生徒が彼の標本室の水槽でショック死『処女水』
ロシア人に雇われ金鉱探しをしていた人見十吉はパプア島の奥地で飛行機が不時着、断崖に囲まれた土地で遭難しかかっていた『美しき獣』
コンスタンチノープルで餓死しかかっていた男は月が二つに見えたある晩、謎の老婆から美しいペルシャ女を託される『月ぞ悪魔』
南米で不時着した人見十吉は心臓のような形をした妖しい花を見つけ、その正体を見極めようとその地に留まる決心をする『心臓花』
学者宅に中央アジアの砂漠から来たという謎の男が一匹の蝶を持ってきた。不思議な美しさを持つその蝶は博士の前で変身『妖蝶記』以上十二編、巻末に著作リスト

この世にあり得ざる怪異ながら、どこかあり得るのではという不安感
香山滋は経済学部―大蔵省という経歴ながら、高校時代より古生物学に熱中していたという。――道理で。
探偵小説ともSF小説とも幻想小説ともつかない独特の作品群。 ほとんどの作品に登場する奇妙な生物。もしくは想像を絶する人体の妙。これらは作者の「奇想」だけで片づけられるものではない。特に他の作家を圧する超絶的な発想はやはり古生物を研究していたという香山ならではのものだろう。そもそも古生物学は、化石など生物の断片から科学的手法と大きな想像力を総合して過去に生きていた姿や生態を研究する学問。この学問を嗜む段階で、香山の想像力は大いに磨かれていたはずだ。
やたら多い飛行機の不時着が示すように、これらの怪異的生物は、人の存在しない未踏の大地であることが圧倒的に多い。当然、これまで観察されたことのない生物が存在していてもおかしくない……この微妙なバランスによる読者の不安感が、香山作品の命。もしかしたらこういう生物が本当に存在するのかも、と一瞬思った瞬間に香山作品は読者を圧倒してしまっているのだ。
代表作の「オラン・ペンデク」「海鰻荘」をはじめ、探偵小説の形式になっているもの、幻想小説の形式になっているもの、空想科学小説、あるいは秘境冒険小説の形式になっているもの等、様々な作品が収録されているが、本作品集全体を通してアピールしているのは「未知なるものへの畏れ」――であると強く感じた。

あと、人見十吉、墜落し過ぎ。

講談社大衆文学館でも『海鰻荘奇談』という代表作を収録した本が最近刊行されていましたが、今はそちらの方が入手困難でしょう。後のゴジラに繋がる奇想の妙。そういえば、ゴジラ前後の東宝映画の和製SF作品と通じるものもあるように思いました。


00/11/13
山村正夫(編)「新トリックゲーム」(東京文芸社'84)

副題に「37編のナゾがあなたに挑戦する」「犯人対読者―頭脳の対決」と、ある通り俗に言うミステリクイズブック。但し多数の作家陣による書き下ろし多数なので新規性は高い。(ちなみに同シリーズの『トリックゲーム』は、過去の推理作品からトリックだけ抜き出したもの。こういうのはイケません)

『浮気の現場』加納一朗、『高校生の身代金』川辺豊三、『殺人ゲームの部屋』川奈寛、『課長の心得』加納一朗、『崖下の死体』風見潤、『受胎』冬木喬、『きんこんかん』笠原卓、『主犯はどこだ』井口泰子、『A夫人の悲劇』井口泰子、『見張られた部屋』西村京太郎、『全裸殺人事件』斎藤栄、『オーバー・ザ・レインボー』加納一朗、『あられもない死』千代有三、『口実』山村美紗、『愛のカンパ』桂真佐喜、『ややこしい死』西東登、『しばれる夜』加納一朗、『誰が為に鐘は鳴る』天藤真、『ホステス殺人事件』加納一朗、『二人の容疑者』菰田正二、『消えた電話ボックス』小林久三、『建築現場にとどろく銃声』大谷羊太郎、『飛来した矢』和久峻三、『ふたりでお酒を』加納一朗、『ヌード撮影会殺人事件』高原弘吉、『林の中の絞首台』山村正夫、『社員寮殺人事件』桜田忍、『最短コース』森村誠一、『結末』山村正夫、『文化の日の殺人』藤村正太、『誰が?』石沢英太郎、『ただいまお話ちゅう』山村美紗、『蔵の中』麓昌平、『容疑者ゼロ』鈴木五郎、『密封された寝室』幾瀬勝彬、『白い視野』草野唯雄。以上三十七編。ふぅ。

ごくわずかに見るべきところもあるが……やっぱりクイズ本の域を出ていない
「犯人あて」に限らず「使用したトリック」「アリバイ崩し」等々、求められる答えは多様。その分、各作家に与えられた自由度が高く、様々な作品がある。ただ、いかんせん作品それぞれの短さが致命的。「なんでこんなややこしいことするかな?」回答を読んで、こう感じることが非常に多かった。本格推理の弱点として挙げられるこの台詞なのだが、収録作の短さがこの疑問に拍車をかける。結局のところ短さ故の説明不足にあるのだが、これを回答しろってのは無理!という作品が多かった。
とはいえ、これだけの作家が書いているだけあって「おお!」と思わされる作品もそれなりにある。短い文章にヒントをきっちり仕込んだ犯人当てには、頭を使わされるし、謎掛け自体に見るべきものがある作品もある。特に「クイズゲーム」という本の形式を逆手にとった斎藤栄と山村美紗の一作品には「あ、やられた」と素直に感じた。また麓昌平の作品は、炸裂するバカトリックが時代物の背景と相まって、妙な感慨を覚えさせられた。

冒頭に採点表がある。読了後の方が見ると面白い。「満点……あなたはスーパーマン的頭脳の持ち主ですが、これはほとんど不可能に近いでしょう」……おいおい、それってフェアじゃない問題が含まれているってこと?「二五一〜三○○点……きわめて天才的な推理力が備わり、名探偵の素質十分です。探偵事務所を開くか刑事になることをお勧めします」……こんなんで将来の職を見誤る人間はいないと思うが。(中略)「五十点以下……残念ながら探偵失格。あなたは世にも善良なお人柄の方とお見受けします」……オレ、五十点以下でいいや。


00/11/12
松本清張「眼の壁」(新潮文庫'58)

'57年『週刊読売』誌に連載された作品。同時期に傑作『点と線』を連載しており、松本氏の初期長編という位置づけで良いかと思う。この新潮文庫は版を重ねて現役のはず。

五千人もの従業員を抱える大会社、昭和電業製作所は大口の手形の落ちる日と従業員の給料日とが重なり、短期の資金繰りに困っていた。会計課長の関野は専務の指示で有力金融ブローカーより、ある男の紹介を受ける。当日、銀行の応接室にて約束手形を切った関野だったが、実はそれはパクリ屋と呼ばれる詐欺師だった。社長の逆鱗に触れた関野は熱海の旅館にて首を縊って自殺、会計課次長の萩崎竜雄宛に経緯を綴った遺書を残す。恩人の自殺に驚く竜雄は、会社から長期休暇を取り、独自の調査に乗り出す。まずは金融ブローカーの女性秘書から関係者を辿っていくと、大物右翼に繋がっていた。新聞記者の友人の協力を得ながら、銀座のバーにて関係者捜しを続ける竜雄だったが、何者かに嗅ぎ廻っていることが知られ、袋叩きの目に遭う。

武骨なのに流麗な文章と共に繰り出される複数トリック
本作は文庫版にしてもそれなりの厚みのある長編推理である。男性形で紡がれる物語そのものは、自殺した上司の敵を討つべく、巨大な敵に戦いを挑む一介のサラリーマンが主人公。しかも序盤で彼は明らかに敵側サイドに与する女性に惚れてしまう。堅い堅い。内容は堅い。なのに、これがすいすい読めてしまう不思議。しみじみと、小説家を名乗る人間は一般人より文章が巧い、という単純な、しかし現在は忘れられかけている事実を噛み締めた。(松本清張は芥川賞作家でもあるので当然と言えば当然か)
勿論、誉めるべきは文章だけではない。序盤は単純な金融犯罪の紹介?に過ぎなかった物語が、一つの殺人事件から端を発する誘拐事件に至ると俄然、推理小説的興趣が増してくる。山中で短時間で餓死死体となって発見される男。少し前まで確かに生きていたのに、死後数ヶ月は経過した半ば白骨化した自殺死体で発見される男。いくつもの「?」が読者の前を横切っていく。電話さえも一般家庭にはない、不便な時代。まさに現場百遍。主人公は常に時間をかけて現場に臨み、そして着実にヒントを掴んでいく。結果の一気の謎解きの面白さ。これは本格推理と言って過言ではないだろう。

例えば東京−名古屋間が汽車で六時間。古い時代のミステリながら現代まで版を重ね読み継がれている事実にはやはり訳があった。風格漂う推理小説だと思う。簡単に手にはいるのに読まれないのが逆に惜しい。


00/11/11
都筑道夫「いなずま砂絵 なめくじ長屋捕り物さわぎ」(光文社文庫'88)

光風社出版より'87年に刊行された作品が翌年に文庫化されたもので、「なめくじ長屋捕り物さわぎ」のシリーズでは十冊目にあたる。

棟上げの後に行われる「棟梁おくり」の儀式。その晩棟梁は刺されるが家に戻って儀式の飾りを握りしめて死ぬ『鶴かめ鶴かめ』
江戸時代のサロン、床屋。センセーのデザインした扉絵を持つ床屋で客の一人が喉を切り裂かれ『幽霊床』
江戸名物の大夕立。その中に飛び出して来た女と追う男。ところが彼女は消えてしまった『入道雲』
江戸の三大祭りの一つ神田祭。最中にカッパが囃子に使う笛を盗んだ、と袋叩きの目に『与助とんび』
火の見櫓に掲げる青銅製の半鐘が盗まれた。全くなんにも役に立たないものを何故?『半鐘どろぼう』
餅を投げる芸など大道芸をさりげなく邪魔する浪人。綱渡りの女性が落ちて死ぬに及んで『根元あわ餅』
センセーの元に「根元あわ餅」で登場した浪人がやって来て、死んでほしいと言い出す『めんくらい凧』以上、七編。

ミステリとしてよりも、江戸時代の風物を長屋の連中と楽しむ作品集
前半の五作は江戸の風物詩を前面に押し出し、そこに不自然でない程度に事件を絡め、なめくじ長屋の一同がそれを裏から表から解決する――という、このシリーズ特有のノリにて描かれる物語。それぞれの事件そのものや、動機よりも、主題とされた風物詩の方が心に残る、というのは私の読書方向が誤っているからか。ただ、読めば読むほどに、都筑センセーの描く江戸は「見てきたのではないか」というくらいに精緻で、且つ生き生きとした描写に満ちている。資料を単にあたっただけでは、こうはなるまい。頭の中に入った多数の資料から、「江戸」を立体化させる作業。もうすぐ二十一世紀を迎えようとする現在、ここまでリアルな「江戸」を描けるのは本当に都筑センセーただ一人かもしれない。
一方、後半の二作は脇役の登場人物にも繋がりがあり、何とはなしに毛色が異なる印象。というのは描かれる江戸の街よりこの脇役が目立っているからだろう。マメゾーの芸さえをも邪魔出来る腕を持つ浪人。賭場の用心棒に身を落としつつも道場の師範代が務まる男。プライドと意地とを持った真っ直ぐな心情の彼が、二作を通じて描かれる。その器用でない生き方に共鳴、そして彼のためにセンセーは本気で怒りさえする。江戸の街でなく、この時代の人物がかっちりと主役となっている。「人の心をうつ」行為は昔も今も、そう変わらない。

正直に申し上げますと、このあたりの「捕り物さわぎ」はミステリ的な味わいは薄くなっています。なので、初めてこのシリーズを読む、という方は出来る限り初期作から読まれるようにして下さい。江戸風物詩を眺めるのが楽しい、という方はこの限りではありませんが。