MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


00/12/10
仁木悦子「青い風景画」(講談社文庫'88)

仁木さんが'86年に亡くなってから出版された、文庫としては最後の本。(最近ハードカバーで傑作集は刊行されている)'82年から'84年の間に雑誌掲載された五つの少し長めの短編が集められた作品集。

三影潤のオフィスに現れた女性はすぐに連れ去られたが一枚の名刺を残していた。彼女は三影自身が関わった伊豆での女性誘拐殺人での容疑者の恋人だという『青い風景画』
友人と田舎の蔵に残された古文書を調べに来た「僕」は偶然見つかった日記と写真から、死んだ父親の初恋を知る『まぼろしの夏』
浩也はデパートで知り合いのおばさんが万引きするところを目撃、しかもその瞬間シャッターを切る別の男がいた『光った眼』
主婦の昭子は四歳の娘、美加が拾ってきた指輪がダイヤモンドだと気付く。その場所に向かった昭子は何者かに殴られ、昏倒させられる『偽りの石』
手の障害で全てを失ったピアニストは自殺しようと踏切に来たが、反射的に先客の女性を助けてしまう『遮断機の下りる時』以上五編。

円熟。そして優しい。
収録作品は全て仁木さんの晩年に近い時期の作品なのだが、最後の最後まで仁木さんの作品はそのポテンシャルを下げていない。逆に熟練したその内容のバリエーションに感服。収録作は私立探偵三影潤ものと子供視点ものはあるが、仁木兄妹ものがないのがちょっとだけ寂しいものの、ノンシリーズの探偵役もきちんと造形されており、抵抗なく読むことが出来る。また、シチュエーションが他の作品と似ている作品(本作だと『光った眼』がそう)もあるのだが、根底を成している謎の部分はきちんと新しいものを使っている。ただそのトリックなり構造もどちらかというと奇をてらわないオーソドックスなものなので、逆に読んでいて安心を誘うのだ。ミステリ部分以外にもしっかりと気を配ってあることから来る叙情感もまた加わり「良い作品を読んだ」という爽やかさに繋がる。ほんとに不思議。

本作のみを特にプッシュする理由は見当たらないが、仁木さんの短編集としてのレベルは当然クリアしている。本当にどれを手にとっても外れのない、希有な作家ではなかろうか。


00/12/09
高原弘吉「俺は挑戦者」(文華新書'69)

高原弘吉描く「アクション推理小説」。 と来たらワタクシ的高原最高傑作、『狙撃者のメロディー』(謎宮会投稿)との比較となる。……本書の短編の題名を見た瞬間、その自信が揺らいだ。おーかわ、葉山両巨頭推薦だけある。む、これは……なかなか……

『』内が収録短編の題名。

いわゆる「何でも屋」千里悠介の独白を聞け!
やぁ。俺は千里悠介。新宿歌舞伎町の古ビルに事務所を構えて、私立探偵や興信所の仕事から企業コンサルタントまでやってのける、いわば「何でも屋」だ。女にはあまり興味がないが、金の臭いを嗅ぎ付けるのは大好きだ。ふん、信じられない? そうだな、俺の仕事ぶりを話してやろう。

 ……そうだな、『ダイヤのサト公』事件。これは三千万円の生命保険のかかった訳あリの女を助けて儲け話にありついた。女の名前に”公”を付けるセンスが痺れるだろ? 『録音の罠』事件は、産業スパイの疑いのある男の尾行を頼まれ、ラブホテルに入った男女の声を盗聴していてからくりに気が付いた。これは俺様でなきゃこうはうまく行くまい。宝石屋店員の話から、納入業者同士の醜い争い『謀略の商法』事件を嗅ぎ付けておいしい目にあったこともあったな。ちなみに高杉良とは関係ないからな。

 ……そうか事件が平凡? だが、そこいらにいる私立探偵と俺を一緒にしてもらっちゃ困るな。具体的に話せ? ふむ、じゃあオートバイの人身事故から裏に潜む陰謀を見抜いた『黒の疾走』事件。違う、佐賀潜の小説じゃない。 社長運転手をしていた男の遺書と鍵から不正を見抜いた『夜霧は知っている』事件。裕ちゃん? 違うよ、よく聞いてくれ頼むから。 談合土建屋から依頼された仕事で逆に相手をやり込めた『マミと手帳』事件。この三つなんかは、社会の正義のために俺が奔走したんだぜ。そりゃちょこっとおいしいところには食い付かせて貰ったがな。

 ……信じられないって顔してるな。確かに土地成金の親父を東京で豪遊させるお供をした『億万長者失踪す』事件、主婦売春の実態に意味無く迫ってみた『人喰い売場』事件なんてどうでもいい事件も手掛けたことはある。傷害現場に残った一本のパイプから犯人を割り出した『遺留品はパイプ』事件……ああ、これは俺というより、分析した暇な連中が偉いんだが。

 ……そうか分かった。なら、俺のとびっきりの友人を紹介しよう。公安調査官の武田。こいつが俺様を頼りにするのはいいんだが、国家公務員のクセにめちゃくちゃな依頼ばっかりしやがる。危険が大きく手当が少ないのに、面白がって引き受ける俺も俺だが。例えば、謎のテロ組織が実験衛星の弾頭に爆弾を仕込みやがったのを、俺様が阻止してやった『謀略のロケット』事件。凄いだろ。へへ。

 ……身障者のスポーツ大会を隠れ蓑にしたユダヤの陰謀を未然に阻止した『レバノン秘密指令』事件。旧日本軍の埋蔵武器の取引をぶち壊してやった『皆殺しの波止場』事件、そして原子炉の燃料棒盗難&日本の危機を間一髪救った『夜光虫の海』事件。目次は”虫”が”中”って書いてあったが、ちょっとしたミスだよ、気にするなって。日本を震撼させた連続大金強奪事件を追って犯罪組織のからくりを暴いた『禿鷹の舞』事件。ふふ、俺がいなくちゃ今頃日本は地獄になっていたかもしれないんだぜ。疑うなよ、ホントだってば。

 ……そんな俺でも浮気調査もやっぱり引き受けるんだよなぁ。それから始まった『ダニ戦術』事件。この題名、凄いだろう。中身知りたいよな、普通。でもこれだけは秘密だよ、秘密。教えてやれないねぇ。ヒント? ダニがいっぱい出てくる。へへ。

 ……え、何? ここまで聞いて俺に頼まないのかよ、アンタ。依頼はやっぱり南条鉄也にする? 『狙撃者のメロディー』の? いや、あいつはマジ無茶苦茶だよ、女癖悪いし、銃器マニアだし。いや、ほんとだって。俺の方が数倍マトモだよ。事件を解決したいなら、俺に頼むべきだよ。な。な。


00/12/08
横溝正史「真珠郎」(扶桑社文庫'00)

'00年10月末に刊行開始となった「昭和ミステリ秘宝」の第一回配本のうちの一冊。。本書では金田一耕助以前の横溝作品において探偵役を務めていた「由利先生もの」が集められていた。

大学教授の私、こと椎名耕助とその同僚の乙骨三四郎は信州への旅行中、浅間山を望む湖の側に建つ風光明媚な館に滞在することになる。その館では寝たきりの元医者で資産家の鵜藤氏と、その姪、由美が二人きりで暮らしていたが、側の蔵の中から鎖の音が聞こえ、また由美はそこに食事を持っていっているらしい。ある晩、耕助は三四郎と共にこの世のものとは思えない美しい少年の姿を目撃する。翌日、鵜藤氏にそのことを話すと彼は激しく驚愕する。それから一週間後、湖でボートに乗っていた私たちを浅間山の噴火が襲う。驚いて岸に引き返す途中、館の望楼から鵜藤氏の悲鳴が聞こえた。襲撃者は美少年で更に由美も襲われた。現場に駆け戻った二人は、怪我をした由美が「ああ、真珠郎」と呟くのを聞く。そして鵜藤氏の死体は何者かに持ち去られた形跡があった。『真珠郎』
他、『蜘蛛と百合』『首吊船』『薔薇と鬱金香』『焙烙の刑』短編四編。
更に『真珠郎』に対する江戸が乱歩の序文、水谷準の推薦文、正史自身による序文が完全収録、更に正史の「私の探偵小説」も掲載され、『真珠郎』が最初に刊行された時の体裁を出来る限り再現しようとした努力が伺える。

骨格にあるのが怪奇と狂気と猟奇。それを探偵小説に仕立てた
『真珠郎』は、横溝正史の「戦前」の代表作として知られる。
横溝正史といえば『獄門島』であり『本陣殺人事件』である。それはそれで正しい。しかし、それらが執筆されるまでの横溝正史は『真珠郎』の作家だった。
では、『真珠郎』とはどういう作品なのか。一口に云ってしまえば「戦前のスリラー」つまり「通俗探偵小説」に属する作品である。ミステリ的興趣は高いものの、決して本格推理を前提とした作品ではなく、様々な装飾・からくり・脇役・雰囲気の中で発生する事件に巻き込まれた主人公が、ある時は恐怖し、ある時は涙し、ある時は怒りながら、真相に向かって進んでいく物語。本書では、その主人公を椎名耕助という青年が務める。
そして彼の辿る物語に登場する事物がまた豪華。謎の老婆、蔵、鎖、血の痕の残る屏風、浅間山の噴火、地下湖、狂気の血族……。ジャパニーズゴシックの極みともいえる舞台設定。そして、幻想味さえ漂わせるそれらは物語の装飾物というよりも、あくまで中心。この点、これらが装飾に徹する戦後の正史の著す本格作品とは一線を画している。
本格として読めば「あれ?」と思える部分は確かにある。そこに拘泥せず、素直に作者の描いた画を楽しめるかどうか。つまり、謎解きを肴に、サスペンスを、恐怖を、幻想をしっかりと味わうこと。恐らく、これが正史の戦前作品を楽しむ正しいスタンスではなかろうか。

埋もれた昭和ミステリを再評価するこのシリーズ、単なる復刊に留まらず、おまけも満載。ずっと継続して刊行してもらいたいもの……なので、同時刊行された都筑道夫『なめくじに聞いてみろ』共々、是非とも御購入下さい。UNCHARTED SPACEはこのシリーズを勝手に応援しています。


00/12/07
長井 彬「原子炉の蟹」(講談社文庫'83)

長井彬氏は新聞記者出身で、『M8以前』(後に『M8の殺意』が第26回江戸川乱歩賞最終候補作品となり、翌'81年、本書で第27回の江戸川乱歩賞を受賞した。この時の年齢が56歳と史上最高齢での受賞者でもある。

中央新聞整理部記者の曾我は、千葉支社の原田から原発の下請け企業の高瀬社長の不自然な失踪事件の噂を聞く。二十日以上前の失踪にも関わらず、十日以上家族が捜索願を出さず、しかも数日で取り下げられたというのだ。裏に見え隠れする政治家の影。高瀬が宿泊していたという函館のホテルに曾我は飛ぶが、彼は既に姿を消しており、しかも痕跡から青函連絡船から飛び込み自殺を図ったという決着となった。一方、九十九里浜原発において人間が一人が高度の放射能被爆にて死亡したという噂を原田はキャッチ、この事件を明らかにしたくない関東電力の総務部長からその死亡した人間こそ高瀬社長であるという告白を取り付けた。特ダネとして報道されたこの事件だったが、実は物的証拠は一つもなく面子を重視する警察の協力も得られなかったことから、関東電力他から中央新聞は大きな圧力にさらされてしまう。

社会的テーマの中に確かに息づく本格へのこだわり
東海村での事故にて何度目かの原子力の安全性が問われた2000年の夏。未だ事件が記憶に生々しい現在、本書を読むには時期として相応しいように思った。あの事件での、放射性物質の杜撰な管理は衝撃であったが、実際、マニュアルに対して現場にはいくつもの抜け道があり、理想と現実は常に乖離するものなのだ、と本書でも告発している。
原子力発電という存在に対する情報が豊富に込められている。いかなる存在なのか、どのように管理されているのか、どのような人がどのような状態にて働いているのか。主人公の飛び込み取材をはじめ、リアルに原発の現場が描かれる。社会的テーマを含んだ情報小説としてだけで読んでも面白いだろう。
しかし、これは乱歩賞受賞作品。ミステリである必要がある。それもこの時期の受賞作品は現在と異なり「新しいトリック」が必ずと云っていいほど含まれている。原子炉とトリック。一見、相反するこれらを「密室」というキーワードであっさりと繋げてしまい、かつ違和感を覚えさせないセンスには感心。そして題名にもなっている「さるかに合戦」の見立て。これはあくまでスパイスとして使用されているのだが、(多少無理矢理な気もするけれど)それなりにこの見立てを行う必然性があって、その点でも工夫されていると思う。ただ、原子炉という話題性なしにミステリ部分だけで作品を保たせるのはちょっと辛いレベル。いずれにせよ、両方が合わさって一つの作品なので、分割評価にはあまり意味がないのだが。

恐らく原子力発電の裏側は、建設された当時と現在とほとんど変化していないはず。放射能というバケモノが改築さえも拒むから。同じく管理方法の盲点を突いた密室トリックも風化しないと思える。なので執筆より時間が経過しているにも関わらず、社会的テーマ+本格推理が現代の読者にも楽しめるはず


00/12/06
山本禾太郎・海野十三他「日本探偵小説全集11 名作集1」(創元推理文庫'96)

乱歩登場以前、探偵小説の概念が形成される前〜形成された時期に、様々な分野の作家により執筆された作品が収録されている。圧巻は『支倉事件』と並ぶ、戦前の事件記録小説の収穫『小笛事件』(長編)が一挙掲載されていること。

劇作家、岡本綺堂の傑作、半七捕り物帳の秀作より二作:岡本綺堂『お文の魂』『かむろ蛇』
新青年に数作を発表したのみの作家による地獄の作業場が舞台のサプライズ:羽志主水『監獄部屋』
探偵小説の中興の祖、谷崎の犯罪小説の傑作が二編:谷崎潤一郎『途上』『私』
文学界のリーダー菊池寛が描く、罪人を糾弾する遺族の手紙で構成した小説:菊池寛『ある抗議書』
実際の事件をベースに、死刑と無罪の狭間に立たされる容疑者を描いた:山本禾太郎『小笛事件』
芥川作品の中でも、どんでん返しと幻想性がマッチしたミステリ的秀作:芥川龍之介『藪の中』
鸚鵡の喋る言葉から、前の持ち主の生活環境を推理していく:佐藤春夫『「オカアサン」』
帆村荘六が扱うに相応しい、奇抜で科学的で不気味な事件簿:海野十三『振動魔』『俘囚』『人間灰』
牧氏自身の経歴が如実に現れた西洋の香りが漂う不思議な作品:牧逸馬『上海された男』『舞馬』
昭和初期のハイカラ風景と人の隠し持つ執念が噛み合った作品:渡辺啓助『偽眼のマドンナ』『決闘記』
不気味で不思議で残酷で滑稽。強烈なインパクト:渡辺温『父を失う話』『可哀相な姉』『兵隊の死』
これぞ「新青年」のテイスト:水谷準『空で唄う男の話』『お・それ・みお』『胡桃園の青白い番人』
小さなオチが鋭く心に突き刺さるショートショート:城昌幸『憂愁の人』『スタイリスト』『ママゴト』
都市伝説の走りと言うべきテーマが時代性と幻想性を後押ししている:地味井平造『魔』

SELECTED BY 北村薫。ちょっとヒネった収録作なのに安心して読める
探偵小説全集の名作集のI、である。全集の中でかつ名作集という題名が付くのであれば、まず無難なセレクトが成されそうなもの。探偵小説の中でも名品、佳品は有る程度世間的に評価が定まっている作品があるのに、敢えて北村薫氏の好みで選ばれた作品集 探偵小説全集そのもの全てに北村氏は深く関わっているのだが、特に本作ではその傾向が強く現れているように思う。一連の『謎のギャラリー』シリーズでアンソロジストとして現在は高い評価を得ている北村氏だが、そのバランス感覚はずっと昔から磨かれていたのだ、と深く感じる。
いわゆる探偵小説を読んだ時の面白さには、いろいろある。本格、奇想、端正、豪快。更に全集ならではの歴史的に意義ある作品。その全てにおいて本書のバランスは奇跡的といってもいいくらい素晴らしい。
これだけの作品が並んでいると好みが沢山ありすぎていくつか抜き出したりするのは難しい。この「名作集」という形式が一個の長篇小説かのような印象さえ感じるし。スタートが半七捕物帖というのが抜群に良いし、当時の雰囲気を色濃く伝える小笛事件がどっしりと腰を構え、渡辺兄弟、水谷準、城昌幸といった「新青年」系で、かつ奇想が冴えた作品群が後半にまとまっている。ラストを締める地味井平造の、現代作品にも通じる、奇想と論理が合わさった作品で幕が閉じられるあたり、心憎いとしか云いようがない。
結論的には全部読んでもらうしかないでしょう、やっぱり。

国産ミステリを語ろうと思うなら、この創元推理文庫版「探偵小説全集」は必ず登っておきたい山。一冊800Pというその分厚さが、確実に山となって立ちはだかる。しかし、その山登りがこれほどまでに楽しくて良いのだろうか。私自身、残り二冊。まだ至福の一時が残されている。


00/12/05
黒岩重吾「背徳のメス」(講談社文庫'75)

'60年第44回直木賞受賞作品。文学界の重鎮・黒岩重吾の社会派推理の代表作品として、度々取り上げられるため、少なくとも題名を御存知の方は多いのではないだろうか。

大阪の阿倍野病院に勤務する産婦人科医、植秀人は三十を越えた年齢ながら、勤務先の看護婦相手に漁色を繰り返していた。正式に医大を出ていない自分への葛藤、離婚した妻との心理的な気負いなど、コンプレックスは多々あれど、その理由は本人にさえ分からない。そしてその遍歴は過去の女性からの恨みを買っていた。ある日、植は傲岸不遜な科長、西沢の手術に立ち会う。患者の様子を見て、手術の延期を申し出た植の助言を西沢は拒否、強行するが失敗、患者を死なせてしまう。患者の遺族から脅迫され、証言を求める西沢だったがその高慢な態度に植は反発する。それから暫く経過した病院の創立記念日。祝賀会が開催され、宴会で酔い潰れた植は何者かにガスにて殺されかける。誰が仕掛けたのか?容疑者が多すぎ、植は困惑しながらも犯人を探し始める。

ミステリからは形式だけを借りました
最初に断っておくと、一部では松本清張の初期作品と並び称して、本作を「社会派推理」と名付ける向きもある。ただ清張作品と本作との中身は全く異なる。一番大きな違いと感じた点は「推理小説」の部分が弱い、ということ。現代の基準に照らせば、本格でなく、サスペンス。しかもサスペンスの醸し出す怖さも今ひとつで「物語の中に最後まで明らかにされない謎がある」程度なのだ。(御存知のように清張作品は、実に推理小説としてしっかりしている)
では、物語の中心が推理小説でないとするならば、この作品は一体何なのか。私の読後感では、様々な葛藤を抱える人間達の生き様・人生をリアルに描いた文学小説、である。病院内部で権力を持たない医者の抱える様々な葛藤。医者という存在が患者に対して無条件に得る権力の矛盾。快楽を得ても、反抗しても満足が得られないどこか虚しい人生。「何者かに殺されかける」という希有な体験を経て、自分の進むべき道を見出す男の物語。なるほど、植の人生を効果的に描くためには「推理小説的謎」があった方が良いだろう。しかし、この段階で既に「推理小説的謎」は絶対必要なものではなくなっている。

「ビート族」など現在は死語となった(いうか知りもしない)言葉が多数使用されていたり、男性女性に対する硬直的な考え方など昭和三十年代の風俗が如実に感じられる。当時は斬新だったと思われる描写は三十年を経てやたら古びて見え、それが文章の重苦しさの一要因となっている。また、時を経ることにより、元々社会派の持っていた「告発」の意味合いは薄れる。その「告発」は「時代の証言者」としての役割へと変貌せざるを得ない。 ”社会派推理小説”が読まれ続けないのは、このあたりに原因が求められるのではないだろうか。


00/12/04
黒川博行「海の稜線」(講談社文庫'90)

『キャッツアイころがった』にて、第4回サントリーミステリー大賞を受賞した黒川氏が'87年に講談社より刊行した受賞後第一作。

”私”こと、新進気鋭の大阪府警の独身刑事、文田は、ベテラン刑事で”総長”こと総田とコンビを組み、東大卒のキャリア刑事、萩原警部補の下について働いている。名神高速道路上で突然乗用車が爆発炎上する事件が発生、乗っていた男女二人が焼死体となって発見された。この爆発が人為的になされたものであることが判明、彼ら三人はこの事件に携わることになる。死体の男性は大阪に居たことが判明するものの、戸籍名前等全てがでたらめで身分を隠していた形跡があって、容易に身元は判明しない。更に容疑者と思われていた男は、絞殺された上、焼かれた無惨な死体となって発見された。三人の必死の捜査の結果、女性が専門学校生であったことが分かり、その交際していた男性から、事件は海難事故との繋がりが見え始める。貨物船が突然の荷崩れで転覆、沈没、乗組員七人のうち四名死亡三人行方不明という事件。船主は多額の保険金を手にしていた。

独特のボケとツッコミが冴える警察小説の秀作
物語そのものは「警察小説」という体裁を取っている。つまり、一つの事件に対して警察の捜査チームが、それぞれ分担して仕事にあたり、判明した事実から事件の真相に迫っていく形式。一人の名探偵はおらず、強いていえば、そのチーム全体で名探偵の役割を果たす。確かに、本作も形式はそう。形式は。
ただ、黒川氏が本書で狙ったところは別に存在するように感じた。あとがきで著者自身が「東西の比較文化論をも狙った」ということを書いている。うん、分かる。でもちょっと違う。関西文化圏には東京への対抗心というのが元から刷り込まれている。関西人の視点で関東人を評すると、罵倒に近い表現になってしまう。一方、関東人から逆のことをすると、客観的な比較になってしまい、これらは対等の表現とは成り得ない。なので、深く考えずに吉本興業的ボケとツッコミを素直に笑うのが楽しいと個人的に思う。関西人が二人集まれば、当然会話はこうなるのだから。
海難事故を主題に、巧みに経済犯罪を取り入れ、わずかな手掛かりから証拠を手繰り寄せていく……このあたりの事件の構図、伏線の引き方、作為の意外性など、ミステリ的にもしっかりした作品。そうした深刻になりがちな悲劇的な事件を、関西人の持つ人間くさい暖かさがほんわかと包んで、物語としての印象が非常に柔らかくなっている点が気に入った。

関西人の作家が関西人を描いたミステリとしては、他に黒崎緑さんの「ボケホームズとツッコミワトソン」のシリーズなどが想起されるが、未だに数は絶対的に少ない。ただ、根っからの関西人がやらないと、ツボを外してしまうのが難しいところか。私は関西の血が入っているので本作絶賛だが、他の地方の人はどう感じるのだろう?


00/12/03
小泉喜美子「やさしく殺して ―ミステリーから歌舞伎へ」(鎌倉書房'83)

小泉喜美子さんの数あるエッセイ集のうちの一冊で、エッセイの中でも入手しにくい部類に属する。内容の一部は『ミステリーは私の香水』『歌舞伎は花ざかり』等他のエッセイ集と重複がある。

前半部はミステリー中心の「ミステリー篇」、中間に、なぜミステリーと歌舞伎が関係あるのか、という点について小泉さんが考え方を綴った「中間口上 ミステリーから歌舞伎へ――あるいはその逆について」というコメントを挟んで後半部の「歌舞伎篇」へと繋がる。
「ミステリー篇」:「やさしく殺して」「フィリップ・マーロウのこと」「原文で読んだチャンドラー」「『レイモンド・チャンドラーの生涯』を読む」「ワイズクラックを楽しめなくてはハードボイルドを読んだとはいえない」「酒の海に三百六十五日」「毛皮とミステリー」「ミステリーとフェミニストの関係」「すてきな女探偵たち」「見ぬもの怖し」「いい男と酒と女」「わが心の『レベッカ』」「幼時の味覚」「映像美のなかのチャンドラー」
「歌舞伎篇」:「「夜」よ、帷をあげよ」「銀の花櫛は永遠に」「ある望郷」「男っぽい役者について」「「八代目団十郎の死」推理雑感」「あの声・あの横顔」「悪婆妲己のお百」「いとしき高尾太夫たち」「『太十』所感」「『逆櫓』の場合」「『沼津』について」「『寺子屋』考」「戯れ書き・私の『忠臣蔵』」「井戸からお化けが出る」「ザッツ・エンターティメント!」

(本書に限っては)ミステリー篇よりも歌舞伎篇に深みが感じられる
つい最近、小泉さんの最晩年に刊行された『ミステリー歳時記』を読んでいる。どうしても「ミステリー篇」の内容はそちらとの比較となってしまう。ただ、公平な目でみても、かなり内容に偏りが感じられる。 小泉さんがチャンドラーの、フィリップ・マーロウの大々々々々々ファンである――ことと無縁ではない、というかそのままの内容があまりにも多いのだ。(まぁ、本文内でも自ら「チャンドラー婆」と名乗っているくらいだし)後のエッセイにも見られるハードボイルド論。これはこの段階では醸成されつつある、というか、未だ完璧ではないように(つまり「好き好き」のレベルを少し越えた程度)思われる。ただ、自分のミステリーに対する好みの「芯」をきっちり通して、それに触れつつ書かれた文章には、やはりそれなりの好感を覚える。

一方、歌舞伎のパート。こちらに関する文章は初めて読んだが、なかなか面白い。そして意外にも深い。歌舞伎を分析するのにミステリーと似た手法を用いているからだろうか。歌舞伎を通しで見たことなど一度もない無粋な私には、知らなかった世界というのを割り引いても、鑑賞眼の確かさ、分析のユニークさは目を引くものがある。特に作品毎の「魅力」を打ち出そうとする態度、そして小泉さんが考える「歌舞伎のあるべき姿」については十二分に理解出来た。確かに、伝統であるとか、型式であるとか、それを乗り越えていかなければならないところとか。ミステリーとの共通点は大いに存在するし、何よりも「フィクション」の中で遊ぶ、というエンターテインメントの基本が全く同じだという点、他の創作物以上に共通しているように感じた。

私は、偶然ネット古書店で入手出来ましたが、そうそう見かけるレベルの本ではないかと思われます。書かれている内容も、ミステリーファン必読、というものでもないかと思えますので、小泉喜美子さんの熱心なファン以外にはあまり探す意味はないかも。


00/12/02
山田風太郎「忍法封印いま破る」(角川文庫'78)

'68年より翌年にかけ報知新聞に連載されていた『忍法封印』が改題された作品。大久保長安が物語の核であり『銀河忍法帖』の一種続編になる。

江戸時代、家康の片腕として、その政治的実力と共に権勢を振るった大久保長安。齢六十を越えようかという彼の最後の子供、おげ丸。長安の幼い頃から施された科学的教育を拒み、野生児として成長する彼は結局、御庭番服部半蔵宅に預けられ忍者として抜群の傑物となった。彼は半蔵の妹で絶世の美女、お都奈の許婚るも、野性の強さと天真爛漫さを備えた彼は、お菱、お芦という二人の美人侍女からも慕われていた。そんなある時、甲賀忍者の頭領格の五名と共に半蔵に呼び出されたおげ丸は、お都奈ら三人が長安の妾として差し出されることを通告される。おげ丸は三人の美女を連れ、父親である長安の元を訪れ、憑かれたように三人の娘に子種を残そうとする長安の執念を目の当たりに。一ヶ月後、彼女らはそれぞれ孕むも長安が死亡。大久保家断絶を目論む家康の命により、彼女らとお腹の子供たちを亡き者にするよう服部家に指令が下り、おげ丸は三人の身重の女性を連れ、五人の凄腕甲賀忍者との死闘を開始する。

これほどまでに哀切の込められた忍法帖があるだろうか
何をもって「哀しい」と感じるかはもちろん、個人によって異なるだろう。ただ「哀しさ」というのは風太郎忍法帖において「痛快さ」の裏側に常に確実に存在しており、誰しも壮絶な忍者他の登場人物の生き様に独特の「哀しさ」を感じるのではないだろうか。そして本作はその「哀しさ」が前面に押し出されているように思えてならない。おげ丸と、彼を慕う三人の美女。比類無き強さ、美しさという誰もが羨む身体的特徴を備えながら、境遇故の不幸を背負い込んでしまう彼ら。惹かれ合う男女が引き裂かれ、よりにより父親により犯され、信じていた主君に、兄弟子に追われる……。悪い方へ悪い方tへ。何と哀しい―――が、面白い、面白いのだ。これだけ辛い内容にしておきながら、技と技のぶつかり合い、三人の美女とおげ丸との葛藤、予想のつかない展開。淡淡ときちんとエンタテインメントに仕上げる風太郎の凄さ。実感。
あくまで余談ながら、主人公、おげ丸という忍者、忍法帖の歴代主人公の中での実力はもしかすると一二を争う程高いのではないだろうか。題名通り物語中『封印』されているのが些か残念。

忍法帖としては比較的後期に当たる作品ながら、その着想奇想冴えは全く失われていない。また登場する個別の忍法も、色々と魅力的。ただ段々痛たましささえ覚える展開には人により抵抗を感じる人があるかもしれない。


00/12/01
泡坂妻夫「花嫁のさけび」(ハルキ文庫'99)

人気作家泡坂妻夫といえど、創元推理文庫に収録された作品以外の中期の傑作群は比較的長期間にわたり入手が困難な時代があった。ハルキ文庫はそんな中期の傑作群の中から本書、『妖女のねむり』『喜劇悲喜劇』の三作を復刻させた。この功績は大きい。

人気俳優、北岡早馬とフランスの田舎の教会でひっそりと結婚式を挙げた伊津子。新婚旅行を兼ねたこの道程を察知した週刊誌記者の黒木は伊津子に早馬の先妻、貴緒という女性のことを話して聞かせる。 彼女は誰をも惹き付ける素晴らしい魅力を持った女性だったが、一年前不審なガス自殺を遂げていたのだ。平凡で質素な暮らしをしてきた伊津子は帰国出迎えの報道陣に戸惑いながら、早馬の豪邸に入る。そこに待っていたのは上流家庭婦人としての暮らし。しかし彼女を迎える使用人や居候たちは未だに貴緒のことを崇拝して止まない。戻って来て早々に早馬は撮影の仕事に出掛けてしまい、伊津子は新居で心が落ち着かない。ようやく早馬の仕事が一段落、北岡家でパーティが開催される。ところが毒杯ゲームの飲み物の中に本当に毒物が入っていた。そして更に北岡家の敷地から死体が発見される。

小さなトリックと大きなトリックと、それらで醸し出される女の情念と
泡坂氏の初期・中期の長編に関しては注意深く読まない方がいい。 ある程度読破してきて強くそう思うようになった。常に読者の前に七色の変化球を提供する泡坂氏。いかに読者を騙してやろうとその策を練る泡坂氏。氏の小説を読む醍醐味は「作者の仕掛けたトリックを、物語の真相を中途で見破ること」ではなく「作者の仕掛けたトリックに、綺麗に投げ飛ばされること」にある。それだけの注意を払って執筆している作家なれど、私は泡坂作品を読む時は「作者に種明かししてもらうまで気付かない不注意な読者」でありたい。
本作は、デュ・モーリアの『レベッカ』の本歌取りである……というのは解説をはじめ、書評に類する文章では必ず触れられる事実である。だが、私はその本歌が未読。映画も未見。それが手に取るのを躊躇っていた理由でもあるのだが。それが杞憂であったことは読後に明白となった。そもそもミステリというエンタテインメントを読むのに別のテキストを読んで勉強してからでないと楽しめない、なんて(一部のパスティシュ・パロディを除けば)そもそもおかしな話。単純に「作品そのもの」で楽しめない作品なんて所詮二流。読む必要などない。(読んでいたほうが「より」面白い、というのはありだけど)
殺人の疑いのあるガス事故、毒杯ゲームの名を借りた毒殺、豪壮な館内での人々の怪しい行動。伏線と小トリックの連発にて読者は目を眩まされる。このトリックの解明を必死で考えれば考えるほど、作者の手の内に嵌っていく。かといって大がかりなトリックに注意していては、小トリックに翻弄されてしまう。このバランスが絶妙なまでに巧い。最終的に謎が解体された時に浮かんでくるのは、一貫して物語を貫いておりながら、決して読者の前に明示しなかった感情。その感情こそが、館はおろか物語全体を実は包んでいたことを知らされるのだ。きっと泡坂さんの中に、小トリック担当の小さな泡坂さんと、大トリック担当の大きな泡坂さん二人が同居しているのだろう。でないとこんな巧いミステリが出来る説明が付かない。

今まで読みのがしていたことを後悔してあまりある傑作。復刻したハルキ文庫に拍手。ちょっと中断しているようだが、中期〜後期の泡坂作品も次々と入手し辛くなっている現在、本文庫は貴重な存在かと思う。手に入るうちに読むのも大切なことです。