MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/01/31
渡辺啓助「二十世紀の怪異」(平和新書'64)

「新青年」にてデビューした作家にも関わらず、この一月に百歳を迎えまだまだお元気、という渡辺啓助氏の秘境シリーズ作品集。は後に刊行された『クムラン洞窟』とかなり内容が重なっており、同書のカバー袖に書かれた乱歩の推薦辞は本来本書のカバーに掲載されていたもの。

自殺志願者を募集する美人女性科学者。応募して採用された私は、魚類を調べる彼女と船旅を共にし、最後の楽園ノーフォク諸島に到着する『毒魚』
フラミンゴを飼い慣らす夢を持って旅立った行方不明の友人を追って、ロボットの女奴隷と南アフリカの孤島巡りをする男『女奴隷と珊瑚島』
北米で狼を研究していた叔父の遺体を引き取りに向かった青年は美貌の白人女性と再会する。極寒の地で狼の生態を観察していた彼らの真相『灰色狼』
フィジーでヒマを持て余していたジョンは私に、愛人を連れた銀行家は実は死刑宣告を受けた極悪軍人だと主張。四人で流刑者の島に向かうが『逃亡者の島』
ネス湖は実は海に繋がっていて、ネッシーは海に出てしまうので発見されない。新聞記者は厳寒の北海の孤島へと向かう『怪物ネッシー』
ブラジル奥地を旅する男は、賭けで手に入れた売春婦に原住民の裸族を見に行こうとせがまれる。彼女になんの目的が?『荒野の屍肉鳥』
大学で知り合った魅力的な中国からの留学生。彼女は教授が実は過去に中国人と詐称してシルクロードで略奪を働いていたという『シルクロード裏通り』以上七編。

「奇妙な味わい」「不思議なノスタルジー」を伴うエキゾチック秘境探検探偵小説
『クムラン洞窟』を読んだ時は、地に着いた視点で描かれる秘境のリアリティや、秘境に足を運ぶ人々の抱えた秘密を覗き見る面白さなどが目に付いた。半分以上が再読となる本作を読み進めるうちに、今度は「美女」が気になりだした。
全ての作品の内部に必ず「美女」が登場する。 陽気な白人女性だったり、活発な現地女性であったり、秘密めいた中国女性だったりと人種も年齢も様々。しかし彼女らには、秘境を恐れない、いやむしろ秘境を好むという共通項がある。めったに人が足を踏み入れないような異郷の地に、美女と二人ぼっち。これって男のロマンではないか。(単純だと言いたければ言え)
また、もう一つの魅力はやっぱりその各々の秘境。世界の異郷は日本人にとっての非日常。その地を決して離れて生活しない人々の意志。人間の小さな力では如何としがたい大自然の偉大さ。こういった環境が渾然一体となって物語内部の舞台を形成する。物語内部の謎はこれら舞台背景によって狂わされてしまった人間達が作る謎。 謎そのものは、物語では最後まで伏せられた人間関係によってもたらされている作品が見られるが、その隠れ蓑が大自然という大いなる存在のため、人間の策謀などとても小さいものにみえてしまう。
子供の頃に読んだジュヴナイルの秘境ものとは、確実に何か一線が画されているような気がする。物語を単なる好奇心だけで引っ張るのではなく、人間の尊厳、そして意志を語るところまで昇華させているからかもしれない。

『クムラン』と異題の作品がある。「本書」→「クムラン」で記すと『女奴隷と珊瑚島』→『島』、『怪物ネッシー』→『崖』、『荒野の屍肉鳥』→『追跡』。恐らく発表時の題名を使用したのだと思われるが、本書で使用されている方が魅力的ですよね。

一般的には現役で入手可能の『クムラン洞窟』をまずは読まれてから。七編中五編が重なっていますので、テイストが合う方のみ残り二編のために探求する本でしょう。(その残り二編も実はアンソロジーとかで読めるみたいでも私は秘境もの、好きだな。


01/01/30
鮎川哲也「クイーンの色紙」(光文社文庫'87)

「三番館のバーテン」シリーズの第五作目にあたる作品集で、本文庫版がオリジナル。収録作のうち『X・X』のみ立風書房版の短編集に収録されたことがあり、『鎌倉ミステリーガイド』は同題のアンソロジーもあるが、いずれにせよ'70年代から'80年代にかけての鮎川氏の比較的近作が集められている。

新潟行きの急行内で変死した男の元妻が、彼は自殺ではないと主張。調べると男は誰かを恐喝しようとしていたが容疑者にはアリバイが『秋色軽井沢』
寮の中で刺殺されていた男の残した「X・X」の文字。果たしてこれは何を意味しているのか『X・X』
クイーン来日時にもらったサイン色紙が飾ってあった廊下からパーティの最中に紛失。虱潰しに探しても出てこない『クイーンの色紙』
女性を相手に高利貸しの内職を行っていた女性が殺された。三人の容疑者のアリバイは確かかと思われたが、一人が自殺を『タウン・ドレスは赤い色』
鎌倉を訪れた「ホラーの会」の面々は推理作家の案内でミステリーにまつわる散策を楽しむが、一人が殺された……という結末のない推理小説を『鎌倉ミステリーガイド』以上、五編。

本格一筋の推理小説作家、鮎川哲也氏の重みを感じさせる
確かに全て本格。特に安楽椅子探偵ものとしての「フェアな手掛かり」や「意表を突く真相」という部分はクリアしている。ただ「驚天動地の大トリック」ではない。例えば、突飛なディティールであるとか、特異な人名であるとか設定や登場人物など「肉付け」の部分に余裕のある遊び心を配し、こだわりのある作品に仕上げた、いわゆる職人芸的な作品が並ぶ。その中にいかに自然な形で「トリック」となる部分を組み込むのか。このあたりが純粋に「ミステリ」としての「読みどころ」となるだろう。
上記の意味では、近年のいわゆる「新本格」の作品の方が「トリック」そのもので確実に勝っている。「トリック」のみがミステリの面白さだというタイプの人には本作は向いていない。しかし、マニアにはマニアの特権として別の面白さがある。それは、推理作家文壇の思い出話などが虚実ない交ぜとなって作中に取り入れられている点。'77年にクイーンが来日した当時の様子が描かれる『クイーンの色紙』、鎌倉近辺に足跡を残すミステリー作家の話を巧みに織り込んだ『鎌倉ミステリーガイド』。他にもマニアだけがニヤリと出来るネタは後期鮎川作品の中にはごろごろと転がっている。

果たして、この楽しみ方が正しいのかどうか……については、読書の楽しみ方は百人百様だとして誤魔化しておく。ただ、本作は「三番館」シリーズの中では手に入れやすいながら、やはり鮎川マニア向けで、一般向けではない、と思ったもので。


01/01/29
小泉喜美子「殺人はお好き?」(徳間文庫'81)

小泉喜美子さんが'63年に『弁護側の証人』でデビューする前、「交通新聞」に'62年から翌年にかけて”津田玲子”名義にて執筆されていた幻の長編作品。本作の刊行は長編では三番目になり、この徳間文庫版のみで刊行されている。

軍隊時代に日本に滞在し、持ち前の語学の才能によって日本語堪能となったガイ・ロガート。米国で私立探偵を営む彼は駐留時代の上司で、ある会社の極東支部支配人、ブランドンの依頼により再び日本の地に降り立つ。ブランドンは妻の素行を調査して欲しいとロガートに依頼。彼女のバッグの中からヘロインが発見されたというのだ。早速彼女を尾行したロガートだったが、密会している彼女を確認しようとしたところ、何者かに頭を殴られ昏倒、更に彼女は何者かに連れ去られてしまう。警察の捜査で目が覚めたロガートは、彼の脇に実は本当の死体があったことを知る。被害者は麻薬組織を追っていた新聞社。被害者の同僚で、旧知の友人である森田健の弁護で、ロガートの容疑は晴れる。ロガートは覚えていた車のナンバーを森田に調べさせ、裏の世界を牛耳る中国人を割り出し、彼の経営するナイトクラブに潜入、正々堂々彼に面会を申し込む。

ハードボイルドファンによるハードボイルドの秀作(習作?)
小泉喜美子さんが自らのことを「チャンドラー婆」と半ば自虐的に呼ぶほど、チャンドラーに傾倒していたことは、エッセイなどから明らか。彼女が「自由な創作を」と活躍の場を与えられた時、自ら「チャンドラー風」の作品を書く誘惑から逃れられなかったことは想像に難くない。あとがきによれば、C・ライスやC・ブラウンを意識したというのだが、チャンドラーが強い。
かくして、本書つまり、このハードボイルドは「チャンドラー風」の世界で「チャンドラー風」の主人公が「チャンドラー風」の美女と共に活躍する物語になっている。
他の小泉作品同様に文章は軽妙だし、舞台も洒落ているし、台詞の言い回し一つにしても凝っているし、探偵はタフで酒好き女好きだし。回りを固める脇役もなかなか存在感があって良い感じ。まるっきりの新人作家が連載作品できちんと伏線まで張って、更にきちんと回収しているあたり、やはり天性の才能があるのだろう。軽めに筋書きだけを追って読む分にはなかなか面白く読める。
ただ、どうしても、というか、やっぱりというか。ハードボイルドに必要な深みが今一つ浅いように思われた。 主人公にしてもトリックにしても。小泉作品に多大な期待を抱いている読者としては「やっぱりね」という結末だけでなく、もう一つ深い驚きが欲しい。まぁ、発表媒体をあとがきで知って、一般読者相手の読み物として仕方ないとは思うのだが。後の短編一つであれだけ深い男の哀しみを描き出せる作家さんだけに、凝って欲しかった。(読者として過分な贅沢なのは分かっているけれど……)

但し、逆に発表年代を考えればこの時代に泥臭くない軽妙なミステリを生み出していたことは、それだけで賞賛に値する出来事。その意味だけでも手に取る価値があるかもしれない。軽妙なタッチで描かれた、軽めのハードボイルドとして読みたい作品。


01/01/28
飛鳥 高「ガラスの檻」(学研ブックス'64)

'46年「宝石」のコンクールにて入選してデビューした飛鳥氏は'60年代にかけて旺盛な執筆活動を送っていたが、本作を最後に本業(大手ゼネコン勤務)が多忙となったため執筆が途絶えたという。次の長編作品『青いリボンの誘惑』が刊行されるまで二十年以上が経過している。

アルミに着色する独自の技術で成長する岩井サッシ。大手の大正電化がこの会社との合併を目論む。ところが岩井サッシの技術は会社のものではなく、取締役工場長の安原が独自に開発したものだった。不器用な技術屋の安原の動向がこの合併において大きな意味を持つことになり、専務の岩井は大正電化から安原を確実に押さえるよう要求される。安原は岩井専務に連れ出され、バーで知り合った女性と深い関係に陥るが、これは仕掛けられた罠。女性の情人と名乗る男に脅迫され百万円を要求される。半分の五十万円を自力で工面した安原だったが、翌日、会社の金庫から更に五十万円が消えている。岩井は安原に恩を売るために露骨な圧力をかけてくる。身の潔白を主張する安原は、無実とアリバイを同時に証明するその情人を探し出そうと決意。業界新聞に勤める知り合い磯畑に、その男、田代を探し出してくれるよう頼む。案の定、田代は会社と繋がりのある暴力団に関係していた。

サラリーマン社会の歪みの中で
会社という「バケモノ」の戦略の中で翻弄される一個人の悲哀――が中心テーマとなっており、がちがちとした「本格」という印象を受けない作品。部下を信用出来ない上司と、我が道を行きたい部下との確執がポイントとして描かれており、樹下太郎の得意としたサラリーマンミステリと雰囲気が近いように思った。
その確執の中で発生する殺人事件。捜査のシーンの迫力もそれほどではなく、読者に対する手掛かりも余り与えられていない。犯人が分からないのだが、そのWho done it? はトリックで処理されず、どちらかといえば作品の見せ方、つまり演出のうちに隠されている。 このあたりの処理方法はさすが。
ただ、本作で飛鳥氏が描き出したかったのは、恐らく「ガラスの檻」という題名に象徴されるサラリーマン社会に存在する苦しい葛藤ではないだろうか。いつの間にか社員でなく社畜として、自らの目的を見失ったまま会社に飼われる男たち。会社の機嫌を損ねないよう、自身を、家族を犠牲にして会社に奉仕する男たち。心の中に「檻」を作り、その中で日々を送らざるを得ない哀しい存在――。時代は変わり、現在では自ら「檻」を破ることが出来る人、そもそも「檻」を感じていない人は確実に増えているとは思う。だが、宮仕えの身には、これらの感情に寂しい共感を覚えてしまう。仕掛けられているトリックよりも、語られている動機や背景に移入させられてしまう物語。少なくとも私にとっては。

飛鳥高作品は推理作家協会賞受賞の『細い赤い糸』を除くと、残り全ての著作が大変な入手困難状況にあります。ただ、本作は「時代」を色濃く背負っているため、復刊の価値があるかはちょっと疑問ではありますが。石井さんに貸して頂きました。多謝。


01/01/27
朝山蜻一「白昼艶夢」(出版芸術社'95)

朝山氏は、戦前は桑山裕名義で同人誌活動しており、'49年に『くびられた隠者』が別冊「宝石」の懸賞候補作となりデビュー。サディズムとマゾヒズムにこだわりを見せる異色の作家として活動をしていた。現在でもカルトな人気を持つ異色作家。

作家はゴム紐をきつく首に巻いて死んでいた。彼は自らの快楽の為、しばしばこの行為をしていたと女中はいう『くびられた隠者』
近所に住む飲み屋の女将は全身に産毛を持ち、尻尾を持った特異な体質で更に男なしにはいられないという『女には尻尾がある』
くびれた腰を愛する余り、愛人の腰を細いコルセットで限界まで締め付ける男、苦しみつつ悦ぶ女『白昼艶夢』
海水浴場でバイトする少年に近付く美しい人妻。彼女は奇矯な行動を他人に見せつけるのを楽しむ『楽しい夏の想出』
危ない仕事で大儲けした男が酔いから覚めると不思議な世界のただ中にいた。歩いても歩いても果てはない『不思議な世界の死』
花街にあって異彩を放つ三匹の羊を男性相手に供する店。ところが羊が時々いなくなることがあった『ひつじや物語』
新興宗教の教祖の暴力的な愛情に付き従ってきた巫女は、若い代わりの女の出現に恐怖し遺書を書き残す『巫女』
新宿で繰り広げられる連続婦女暴行殺人事件。捕らえられた犯人は妻を亡くした気弱な男だったがその裏には『死霊』
喪った三十年下の愛人そっくりの特別製マネキン人形を作る人形師。人形がどんどん精巧になるに連れ『人形はなぜつくられる』
三人組の泥棒が丘の上の屋敷に一人ずつ忍び込むが、夫婦の奇妙な性癖によって逆に次々撃退されてしまう『泥棒たちと夫婦たち』
ゴキブリを素手で殺すことが日課になった男の元にやって来た水商売の若い女性。彼女が疎ましくなった男は『虫のように殺す』
数年前にいなくなった田川氏の奥さん、妙子が新宿に何人も出没。それは変面術を使う医師が手術した結果だった『変面術師』
男が惚れたカフェの女給は幼い時の許婚だった。しかし彼女は野望を抱くキチガイ博士の養女となっていた『矮人博士の犯罪』
夫婦で夜の生活に精力を燃やす男女はゴムを使用したプレイにのめり込む。やがて女は全身ゴムにくるまれる『掌にのる女』
1m程度の身長しかない僕は、飲み屋を営む若い女性に残飯を与えられ飼われている。しかし彼女が男を作って『僕はちんころ』
僕が手に入れたコルセットを求め天女が別荘を訪問。二年の期限の間、その細く締め上げられた腰と共に暮らす『天人飛ぶ』
以上、十六編に山村正夫氏の解説、著作リスト付き。

フェティシズムな性の歓びに溺れる人々が奏でる幻想的ハーモニー
十六の物語のうち、約半数にSM、特に人体を極限にまで(あるいは極限を超えて)変形、緊縛する、させることで「愛」を表現する人々が登場する。普通の人間が目を背けたくなるような残酷で無理な行為を相手に強いること、相手から強いられることが、強く結びついた男女にとっては崇高な愛情表現であるらしい。(らしい、というのは私にその趣味がないから)相手の望むことを自ら受け容れ、相手の欲望以上のものを相手に強いる。そして、最高の愛情表現、それは相手から与えられた苦痛によって命を奪ってもらうこと……。特にこの心理が、苦痛を受け取る側から描かれていることが多く、その様々な歪んだ愛の行為は激しい苦痛が伴うはずなのに、その苦痛よりも妖しさと美しさとそして快感が伴うことが丁寧に表現されている。特にマゾヒスト側の心情表現に凄さを感じさせる。
彼らが密室内で愛を交わしているうちはいい。二人の世界に邪魔はない。ところが、何らかの事由によって彼らが一般社会と交わらざるを得なくなった時、事件となる。一般社会の論理では、彼らの愛は理解されない。なので、その行為の結果が一風奇妙な状態に映る……つまり、事件性を帯びてくる。朝山氏は、その現象を様々な方向から描く。それは幻想的な風味を帯びた本格にもなり、倒叙にもなる。いずれにせよ、一風変わったミステリであることは間違いない。
後の戸川昌子さんもエロティックな傾向の作品を多数残しているが、朝山氏の場合それが顕著に「SM」に偏っている。短編一つ一つに込められたこだわりが、作品集の形態を取ることで更に妖しい美しさを発揮する。

しかし、その猟奇性と離れた作品『不思議な世界の死』。一本道を歩いても歩いても同じところに出てしまう……。高度な幻想性とあっと驚くオチが、自分的にはもっとも理解しやすく、かつ楽しめた。ただ、これは朝山氏の作品群から言うと、やや傍流に入るのか。

本書もふしぎ文学館の一冊。このシリーズで所持しているものを最近集中的に読んでいるのだが、本書などその叢書の題名に最も相応しい一冊かもしれない。醸し出される独特のエロティシズムに彩られた世界は「ふしぎ」という言葉が一番似合う。千二百冊しか世に出ていないらしいのはちょっと勿体ない。


01/01/26
新章文子「バック・ミラー」(桃源社'60)

乱歩賞作家、新章さんが「書下し推理小説全集」の第二期に桃源社より刊行した作品。このシリーズには多岐川恭『変人島風物詩』や樹下太郎『「期待」と名づける』、戸板康二『第三の演出者』など埋もれた名作がひしめいている。

自社の宣伝誌の記事に使用するため、青地有美は女流歌人の河野いさ子宅を訪れる。繊細なイメージを持ついさ子はどうやら有美の母親、孝子と旧知らしかった。有美はその帰り道、いさ子の息子で一郎という青年を見て一目惚れをする。――いさ子は聡三郎という夫と結婚し後に離婚、郷田俊道という年若い愛人と交際しており、そのことが娘の早苗には気に入らない。家を飛び出して一人暮らしする一郎のアパートに住みたいと考えたのだが、当の一郎は何やら母親に対して心が惹かれている様子がうかがえる。――青地孝子は夫の幹雄と愛し合って結婚したが、いさ子の夫、聡三郎から夫が無精子症であることを知らされ関係をもってしまう。その結果生まれたのが有美だった。いさ子の口から秘密が有美にばれることを怖れた孝子は、いさ子に「黙っていてもらう」ために、彼女の口を永遠にふさいでしまう。

複数視点から語られる様々な形の愛情、そして交錯する時に見える昏い影
京都在住の作家が京都を舞台にして執筆した文学作品では、往々にして登場人物が「京都人」としての特徴を備える。この土地特有の(他所からすれば)婉曲表現で直接的な言葉遣いを避け、表面的に自分の意見をあまり口に出さず、意志は非常に婉曲な方法にて表現する。異なる文化と接するにあたり、摩擦の原因となりかねない……。
そして、新章さんは京都の女(ひと)である。
本書の骨格を成しているのは、登場人物がほぼ全て繋がるような複雑な親子関係にある。その一部が登場人物内部で認知されていないために、また、知られないまま処理しようとすることで発生する悲劇。ぎくしゃくとした親子関係と兄弟関係が、さらに加速度を付ける。言いたいことを言えない、黙して秘する。京女、孝子が動けば動くほど、泥沼は深く抜け出し難くなっていく。
有美と孝子の親子関係、即ち口を開くと互いに反発しあう親子関係は、誰の身にも多少は心当たりのある思春期特有の現象。愛する娘を救おうとすればするほど、娘から嫌悪される母親。更にそこに疑惑が加われば、その行き着く先は……。
発生する二つの殺人事件のうち一つは、実行される場面が描写されているため、動機も犯人も方法も明らか。その結果、お互いに疑惑を抱えて行動する人々の様子の方が際立つ。物語の「謎」も大きくなく、読者は哀しい結末に向かって進む以外の読み方を許されない。

殺人事件が発生するので「推理小説」に分類されているだけで、読後感はエンターテインメントのそれではないように思う。虚しさと、特に哀しさが強く漂う悲劇的な物語。後に再刊されなかったのも、この爽快感の低さが原因ではないだろうか。


01/01/25
楠田匡介「人肉の詩集」(あまとりあ社'56)

「エロティック・ミステリイ」の副題が示す通り、「本格」にこだわらずエロティックな作品ばかりの作品集。表題作『人肉の詩集』は、「探偵新聞」に発表されたデビュー作品「雪」よりも前に執筆されており、筆者の実質最初の探偵小説だという。

人気の美貌芸者と密通する学生は、彼女を落籍させる老人の殺害を決意する『六十九殺人事件』
男は愛人を淫乱に育てたが、彼女は男に飽きたらずペット犬と閨房を共にしていた『ニンフォマニー・マァダー』
浴室の中での自分の淫らな姿態を撮影された女性は、犯人を特定して復讐を図る『窃視狂』
ゴム製品の会社に勤務するプレイボーイは特製コンドームで女性を口説く『フレンチ殺人事件』
夫の弟子と密通する女性は夫を誤って殺してしまってから猫の幻影に苦しむ『猫と庄造と二人の女』
詩集の愛好家のパトロン格の印刷会社社長の妻と密通した男達は次々と姿を消した『人肉の詩集』
女性の乳房の美しさに魅せられた田舎に住む画家はモデルと同棲をはじめて『乳房を食う男』
特殊な硝子を次々と発明する男は過去に大学の研究室で陥れられた経歴を隠していた『硝子妻』
劇団の女優が大浴場の脇の個室バスで殺された。目撃された裸の女性は一体誰?『浴槽の死美人』
街中で犬が食わえているところを発見された足首。吉川・宇野両刑事は地道な捜査を開始『冷蔵庫の中の屍体』
北海道に箱詰めにされた尼僧の屍体が到着。送り出された東京の街を吉川・宇野が調べる『密封された尼僧』
温泉の中で女性が撲殺された。犯人は男とみられたが動機のある男性は見あたらない『依託殺人』
自分を襲った二人組は仲間割れで一人が死んだと被害者の女性が主張。その死体が発見されない『屍体の殺人』以上十三編

バカミス・幻想小説・探偵小説の饗宴
エロティックな味わいの作品を集めた――らしいのだが、100%そうともいえない。確かにエロティックな描写や内容を含む作品ではあるのだが、結果的にか、様々な作品がひしめいている。
特に前半諸作は「エロ」中心。そして「エロそのもの」を殺人などのトリックに使用していることで、ほぼ全てが「バカミス」である。それはそれで楽しいのだが、ここまで来ればトリックというより「オチ」。毒殺するにしろ、倒叙にするにしろ、仕込みをかける「場所」の一発ネタ。本作のネタはこれから読まれる人(いるのか?)の為に明かさないが、有名な小咄でイメージを喚起して頂くことにしたい。

・その子供は自分の弟が憎くて堪りませんでした。赤ん坊の弟は彼のお母さんを独占してしまうのです。子供はお母さんが寝ている隙に、彼女の乳首に毒を塗りました。……となりのおじさんが死んでしまいました。

一方、中盤に位置する作品群は確かにエロティックな描写もあるものの、扇情を目的としていない。これらは幻想風味とサスペンス風味が強く佳作が揃っている。特に谷崎の作品から題名を取った『猫と庄造と二人の女』、筋書きは通俗でしかないが、最後に死体を前にして踊るネコのイメージに戦慄。また『硝子妻』では、様々な学技術の蘊蓄を用いて雰囲気を盛り上げた上、硝子の特性を効果的に視覚イメージに持ち込むラストが上手い。『人肉の詩集』は好悪が分かれるだろう。単なるグロとみるか、非凡な奇想とみるか。
また、後半四作品は吉川・宇野の二人の刑事が中心となって事件を追う捜査物。こちらは出だしの奇妙さこそ目を引くものの、残りの展開が地味な捜査が延延と描写されるだけ。また折角の奇妙さの必然性に対する工夫が少なく、残念ながら四編ともにあまり評価出来る作品ではなかった。
全体的に時代・社会の風俗がむき出しなのも逆に本作レベルまで高いと好感。略語や外来語を交えた会話は、現在は「死語」や意味の通じないものも多く、時代の空気を感じさせてくれる。

楠田匡介の作品はいくつかのアンソロジーで読むことが出来るものの、まとまって本で読めるとは思っていませんでした。貸して下さった石井さんに感謝。様々な楠田の「顔」が詰まっているように感じました。


01/01/24
多岐川恭「的の男」(創元推理文庫'00)

創元推理文庫で刊行中の多岐川恭選集の二冊目で長編『お茶とプール』のカップリング作品(本書が表題)。長編二編につき、評は分割させて頂きました。

靴屋の息子から持ち前の商才で成り上がり、現在はいくつもの事業を経営する男、鯉淵丈夫。小田原の豪邸に住み、東京へのんびり電車通勤。還暦を迎えて今なお我が世の春を謳歌する。妻を亡くし独身ではあったが愛人を東京に構え、看護婦代わりの娘にもちょっかいを出す。可愛い一人娘、不二子には婿を取るが、婿には期待せず自分の血を引いた孫を望む。そんな彼を恨み骨髄に思うものも一人や二人ではない。激しい殺意を抱く者が彼の周囲には何人も存在し、彼らは次々と鯉淵の命を狙う。一人目は不二子とかって恋愛関係にあった菜村という男。丈夫の選んだ男、田芹と不二子があっさり結婚してしまったために面白くない。彼は丈夫さえいなくなれば不二子とよりが戻ると過信して奇妙な殺害計画を練る。他にも土地を奪われた者、絵を安く買いたたかれる者、不正がばれて馘にされた男……次々と丈夫を魔の手が伸びるが……。

多岐川流の奇抜な設定、それを不自然と思わせない人物造形と深みあるプロット
私の感覚では「的の男」こと、鯉淵丈夫は確かに恨みを買う人物ではあるけれど、冷酷でも極悪でもない、単なる鈍感な成り上がり男。そんな彼を全く別々の理由から付け狙う人々が、いかに彼を仕留めようとするのか、その過程がそれぞれ一個の短編として描かれる。当然失敗の連続となるが、その過程は解説の城平氏が言うような倒叙というよりも、クライム・コメディ的な雰囲気が強いように思う。奇想天外な暗殺方法とそれらが阻止される過程、そして謎。無関係に見えた各々の犯罪が、実は……ということで、後半に入ってから、作品の興味が単なる「失敗譚」鑑賞から、裏にある「何者かの意図」を中心としたミステリと徐々に形を変えて行くところが興味深い。
また、ベースとなる多岐川流の登場人物造形術が、このある意味不自然な設定を柔らかく緩和している。一人一人が善人でもあり悪人でもある。登場人物を単純に記号化せず、それぞれが多面性を持つ存在として描いているところが、物語の深みの源泉だろう。単純な勧善懲悪に色分けされていないため、全く先が読めない。誰が笑うのか。誰が泣くのか。ラストに明かされる真相と、その関係者に対する作者の処遇がこのあたりを如実に示している。さらりと書かれたように見えるが、実に奥深い味わいが存在する。

'78年に実業之日本社から刊行され、ケイブンシャ文庫でも出ていました。が、これはもう創元推理文庫で購入する方が早くてお得かと思います。「本格」ではないですが、凝ったプロットによる精度の高いミステリ。着地点も鮮やかで、乾いたユーモアに基づいた人間観察の妙と併せ、多岐川ミステリの秀作として恥じない作品。


01/01/23
藤原伊織「テロリストのパラソル」(講談社文庫'98)

史上初の江戸川乱歩賞('95年、第41回)&直木賞(平成7年下半期、第114回)の同時受賞を果たした話題作品。(ワタシ的江戸川乱歩賞クエストの一環で再読)

アル中の雇われバーテンダー島村は午前中の散歩の途中、新宿中央公園にて発生した爆発物事件を目撃する。彼は爆心地に倒れていた女の子を、現場にいた宗教勧誘の青年に託してその場を逃げ去る。店に戻った島村の元を新興ヤクザ、浅井が訪れ、彼の身に覚えのない警告を発していく。また、松下塔子と名乗る女子大生が島村に接触、彼女は犠牲者の一人、松下優子の娘だと名乗る。彼女は彼が学生運動に明け暮れていた頃、短い間同棲した相手だった。事件のアウトラインが明確になるにつれ、死者十数名を越える犠牲者の中に警察の公安一課長、そして当時の親友で車爆破事件を起こして海外逃亡していた筈の桑野誠の名前があることに気付く。実はその車爆破事件に島村自身――本名、菊池俊彦も関係していた。事件に何者かの作為を感じ取った島村は、自らの手で謎を解明すべく行動を開始する。

時代の変化に背を向けた無器用な男の物語。文章、構成、造形全て一級品。
主人公は、寧ろ学生運動の時代から現在に至るまで、周囲の変化に流されることなく泰然自若に自らの信念に基づいた行動を貫いている。周囲に振り回されず、自らの生きる姿勢を貫く男。ここにハードボイルドと呼ばれるジャンルに必須の条件が整う。他者との関係を絶ち、都会の塵芥のように生きてきた男を行動に駆り立てたのは、自らが過去に関わったことのある人々の死。島村を取り巻く、クセのある人物たち。数々の脅しや官憲による追跡を振り切り、ひたすらに真相を求める男のひたむきな姿は読者の静かな共感を呼ぶ。また、孤高であるが故に無造作に発される会話には、不思議なユーモアが漂っている。文体もマッチしており、非常に詩的で美学の漂うハードボイルドである。
構成は別だが、物語内部の歴史の端緒となるのは全共闘の時代に生きた若者の青春にある。一種独特のエネルギーを醸していたこの時代に生きた者ならではの郷愁と懐古、そして現代社会への苛立ちが物語の裏側のBGMとして常に流れている。世間ではこの点が過大に捉えられ、全共闘世代の絶大なる支持を受けているようにも思うが、共通の過去から分化する人生はこの時代に生きた人間の特権ではないだろう。時の流れにつれ、人は変わる。時代も変わる。 これは全ての人が共通に持つどうしようもない経験なのだから。
否応なく変わってしまった人間にとって、変わらない人間は永遠の憧れ。そしてどうしようもない嫉妬の対象。この物語の本質は意外とそのあたりに潜んでいるのではないだろうか。
終盤近くに明かさせる事件の真相はサプライズではある。但し、このサプライズはいくつか意図的に読者の目から隠された、それまで語られていなかった事実から導かれる。また多くの偶然も物語に作用しており、プロット的には多少弱さもある。だが、それらも致命的ではないし、そもそも創作においてミステリを強く意識されていないと思われるのでこれはこれで良いのだろう。

本書から読者が読みとるのは、過去への郷愁、男の生き様など人によって様々だろう。いずれにせよ、時代は流れるし、人間は変わっていく。そしてその両者とも常に哀しさが伴うことを思い知らされる。この哀しさを語るのに「推理小説」というジャンルが適していただけで、実際は「小説」という部分が重い作品。


01/01/22
高橋克彦「北斎殺人事件」(講談社文庫'90)

乱歩賞受賞の『写楽殺人事件』の続編として'86年に講談社推理特別書き下ろしの第一期として刊行された作品。「浮世絵三部作」の二作目にあたり、'87年、第40回の推理作家協会賞(長編)を受賞した。

ボストン美術館で老人が殺害された。被害者は戦前から米国に滞在する日本人で画家であること以外に全く手掛かりはなく、陽気な米国人捜査官二人は途方に暮れる。 ――日本。前回の事件で大学を辞め岩手の中学で歴史を教える津田良平。彼に義兄が残した遺稿を元に浮世絵師北斎についての本を出版する話が舞い込んでいた。高名な日本画家の娘で画廊を経営する執印摩衣子がこの話を聞きつけ、自社からの出版に変更するかわり、津田を大いにバックアップする。その義兄が提唱した「北斎隠密説」は津田の補足により益々現実性を帯びてくる。出版をセンセーショナルにすべく北斎の新発見の画を求めていた摩衣子は、業者から発見の報を受け取る。写真でその絵を見せられた津田は、天国と地獄を表現したその迫力に圧倒される。岡倉天心、そしてフェロノサの箱書きがついたその絵はしかし、移送途中に事故で燃えてしまう。

「北斎隠密説」歴史ミステリの魅力、過去と現在を繋ぐミステリーそのものの魅力
本作の魅力の多くは、そのまま「北斎は実は幕府の隠密だった!」という一見トンデモな仮説の実証部分にある。とはいえ、一般的には「葛飾北斎」の名前は知られていても、さすがにその長命な生涯までも知っている読者はいないだろう。「浮世絵シリーズ」の良さの一つは、はじめからそのような読者を対象にしているため、それぞれの「浮世絵画家」についてのレクチャーが登場人物の口を借りて語られるところにある。一見、なんの問題もないように見える貧乏な画狂人「北斎」の一生。これが津田の「実は北斎は金持ちではなかったか?」という仮説から、面白いように裏側が見えてくる。単に「北斎」だけでなく、合わせてその当時の歴史的な事実と絡めて論じられるために、面白さと真実らしさが読者にも強く伝わる仕組みになっている。
そしてしばしば歴史ミステリで問題とされるのは、現実の事件と歴史との関わり。本作、抜群とまでは残念ながらいかないが、必然性などの点での繋がりに違和感が少なく、及第点といえよう。逆に繋がりを別にして、一つのミステリとして捉えた方がむしろポイントが高いかもしれない。特に岡倉天心、フェロノサ二人の歴史的人物の背景の違いが大きな鍵となっているテーマは高橋氏にしか表現出来まい。年上の魅力的な女性への思慕で揺れる津田の微妙な心、犯罪を犯さざるを得なかった犯人の哀しみなど、伝わってくるものが多い秀作。

三部作のうち二作を比べる意味があるかはとにかく、歴史ミステリそのものの説得性、それと現実の事件との繋がり、更には文章力構成力の成長等々『北斎殺人事件』の方が『写楽』より上位とみる。また、ワタシが今まで触れた歴史ミステリの中でもこれは白眉。歴史を単に遊ぶのではなく、しっかりと「探求」している目線がシビアでなんとも頼もしい。歴史部分だけなら本書だけでも良いが、小説として味わうのなら『写楽』の後に読んで頂きたい。


01/01/21
折原 一「七つの棺 ―密室殺人が多すぎる」(創元推理文庫'90)

『五つの棺』の題名で'88年に東京創元社から刊行された著者のデビュー作品集を文庫化するにあたり、短編を二編加えて改題刊行されたもの。

関東平野の中程に位置する田舎町、白岡で次々と発生する密室殺人。エリート街道を歩みながら、推理小説空きが嵩じて単純な事件を複雑に解釈、次々と迷宮入りさせたことが原因で左遷させられた黒星警部が捜査にあたるシリーズ集。
町内相撲大会に優勝した巨漢が体育館内の密室にて殺された『密室の王者』
密室の書庫の中から白骨化した二体の男性死体。内側から鍵をかけられた密室の鍵は死体の脇に『ディクスン・カーを読んだ男たち』
やくざの親分が対立組織からロケット砲で狙われるも、核シェルターを購入して対抗『やくざな密室』
突然断筆した推理作家が復活宣言。編集者が次々訪問する中、生首死体となって書斎に転がる『懐かしい密室』
借金取りに苦しむ娘は肩代わりの嫁入りを承諾、その初夜に離れで新郎が密室内部で死亡する『脇本陣殺人事件』
地元の土建屋同士の抗争の結果、子分に守られた部屋の中で親分はナイフで刺され死亡『不透明な密室』
運行中のリフト内部から腹を刺された女性が出てきたが犯人が内部に見当たらない『天外消失事件』以上、七編。

少なくとも本作はマニア向けかも? 密室パロディの密室作品集
一部はさすがに気付いたが、満を持すために解説の山前譲さんの情報にて補完する。
「七つの棺」こと七つの密室物語のうち多くは、古今東西の密室を扱った傑作のパロディ。「密室の王者」はノックスの短編「密室の行者」、「ディクスン・カーを読んだ男たち」はウィリアム・ブルテンの短編「ディクスン・カーを読んだ男」、「やくざの密室」はクイーンの長編『帝王死す』を踏まえており、「懐かしい密室」は筒井康隆の『富豪刑事』に捧げられつつ同時にカーター・ディクスン『ユダの窓』のパロディ。誰でも分かるのが「脇」を取るだけの「脇本陣殺人事件」。最後の二つは天城一「高天原の犯罪」やロースン『天外消失』が挙げられているが、こちらはそれほどでもないか。
マニアクラスならばとにかく、一般のミステリファンで上記元ネタを全て読んだことがある人はまずいないだろう。そうなると「中身」で勝負、ということになる。不可能状況の密室が提示され、いくつかの解釈の上で、最終的な真相が明かされる。これはこれで工夫が凝らされておりツカミが上手く面白く読める。更にマニアクラスなら、下敷きとなった物語を思い浮かべニヤニヤしながら読めるため、様々な方面から読めることも請け合いだ。ただ、その狙いゆえに文章やプロットが凝り過ぎた構成になっており、その分、一般読者にはちょっと取っ付きにくい部分があるかもしれない。最終的には好みの問題ではあるが。
不可能的状況でいえば『天外消失事件』、推理過程の面白さでいえば『脇本陣殺人事件』、展開のどたばたの面白さでいえば『やくざの密室』、パロディとしての評価なら『ディクスン・カーを読んだ男たち』といったあたりになる。作品それぞれに特徴ある面白さが存在している

「新本格」に属する作家さんが盛んにパロディ、パスティーシュを世に出していて免疫が出来ているだろう現在の方が、刊行当時よりミステリファンに受け入れられる素地があるかも。いずれにせよ、原典を知らずとも単純に推理作品としても楽しめるレベルにはあると思う。