MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/02/20
福田 洋「凶弾――瀬戸内シージャック」(講談社文庫'82)

桜田忍などの筆名でも知られる福田氏は'71年に『空白のダイヤル』にてデビュー、桜田名義でオール讀物新人賞を受賞後、'79年『狙撃』という題名の作品を第24回の江戸川乱歩賞に応募、最終候補に選ばれた。その『狙撃』を改稿改題した作品が本作『凶弾』にあたる。

昭和45年5月。当時の世相の落とし子ともいえる青年が犯した犯罪の軌跡をドキュメント形式で綴る物語。青年らはまず福岡市内で車を盗み、山口県下で交通違反を注意しようとした警官を刺した後、広島県まで逃亡。仲間は逮捕されるが、主犯の青年は更に広島市内の銃器店にてライフル銃、散弾銃を強奪した後、広島港に移動、銃を乱射して瀬戸内海汽船観光船「ぷりんす丸」をシージャック、乗員乗客を人質に取って海へと乗り出した。青年は一旦松山港に寄港し、乗客を解放した後、再び広島港へ戻り、当局の説得に耳を貸さず狙撃にて事件が解決したという。俗に「瀬戸内シージャック事件」と呼ばれる日本最初の当局の狙撃で解決した事件。

単なるドキュメントに終わらない迫力。時代の傷口を現代に晒す
本作は実際にあった事件を作者が資料に基づいて再構成、更に登場人物の心理を様々に類推することで小説となったもの。ドキュメントノベルと呼ばれるらしい。(最近では島田荘司氏がある事件を題材に執筆した作品に、アプローチの類似性が感じられる)
日本で最初に「犯人が警察の手で狙撃される」ことによって解決された事件。しかし、そこに至るまでの道筋は、何とももの悲しい。高度成長期の日本、何もかもが変化しつつある時代、その中からはみ出てしまった犯人も既に何かの被害者だったのではないか、というのが筆者の主張。警察という権力に対して刃向かうが一般人に対しては手を出さない犯人の姿は、現在の凶悪な少年犯罪に比べすがすがしささえ感じてしまう。確かに不良性を持った男ではあるし、犯罪も犯しているのだが。でも、一歩立ち止まって考えさせられる。罪とは。償いとは。犯罪とは。いったい何なのか。 ミステリとはまたひと味違った感じ方をさせられる作品だ。
現在、凶悪犯罪が発生したとして犯人が人質を取って立てこもっていつ危害を加えるか分からない事態が発生したとしたら……。世論はどう動くものだろう。射殺やむなしという意見が大勢を占めるのだろうか……。
単純に筋書きを追ってクライムノベルとしても読むことは出来る。また主人公に感情を移入して冒険小説としての楽しみ方も出来ないことはない。それにしても、現実にあった事件という引っかかりが常にアタマの中に残る。およそ三十年前。一人の青年が警察の銃弾によって死亡した。これだけは紛れもない事実なのだから。

細かい点では、実際に狙撃した警察官をマスコミがインタビューしていたことなどにも驚きを感じる。マスコミってこんな昔から「人の尊厳」について本当に関心がなかったんですねぇ。

俳優・石原良純のデビュー作品として松竹で映画化されている。本書を読んでいても「映画向き」と漠然と感じられた。主人公の一本気の派手さ、周囲を固める人物の味、悲劇的なラスト。現実が既に筋道だった物語になっているから。つまり実際に発生した現実がフィクションを遙かに凌駕しているということ。

最後になりましたが、この作家の方と私は何の関係もございません。あしからず。(なぜこういうコメントをつけるか、というのは分かる人には分かるでしょうし)


01/02/19
吉村達也「地球岬の殺人」(ハルキノベルス'99)

かって吉村氏が取材(観光ともいう)して来た土地を舞台にしたシリーズは朝比奈耕作ものと和久井・志垣の温泉殺人シリーズだけだったように思うのだが、近作は全て「どこか行ったところ」が必ず舞台になっているような。そういう意味の原点。朝比奈耕作シリーズの通算二十六作目。場所は北海道は室蘭市内にある地球岬。

日本の歌謡界をリードするロックバンド「ラ・テッラ・ブルゥ」。作詞作曲を手がけるリーダーのジュン、美貌のヴォーカリスト、テラ、剽軽なベースのマコト、実力派ギタリストのツトムの四人は揃って北海道は室蘭市の高校生アマチュアバンド時代から行動を共にしてきた。しかし十五年前、メンバーでドラム担当の笹島が暴力団の女性と交際、覚醒剤に手を出す状態にあった。当時高校生のテラは笹島と地球岬で相対、殺されかけたことから逆に笹島を突き落とし殺してしまった。「ラ・テッラ・ブルゥ」に十二年前から帯同しているドラムスのシュウの依頼で、彼らの伝記をまとめて欲しいと持ち掛けられた朝比奈耕作。仲介した港書房の高木はメジャーになる以前の「ラ・テッラ・ブルゥ」のドラムスが他に二人も、笹島と同様に不審な転落死で命を落としていることを告げる。耕作は事件への興味もあって執筆を引き受け、「ラ・テッラ・ブルゥ」のメンバーと顔を合わせる。その後、シュウと仲の良い港書房の音楽雑誌記者が、白馬のジャンプ台から転落死したとの連絡が。

ミステリを突き抜けた人情ドラマに味わいを求めよう
取材した場所をミステリのポイントとして必ず使用しなければならない、という吉村氏の近作の傾向はもうここまで来れば、本人にとって創作上の縛りなのだろう。現場となる隠れた観光スポットが写真入りで紹介されるのも、いつものこと。その結果、物語として、そしてミステリとしての構造に歪みが生じるのも最初から要素として割り切っておかなければ、近年の吉村作品に取り付けない。
本作で事件の対象となるのは「国民的人気バンド」(GLAYは実名が出てくるので、ラルクだろうね、想定されてるのは)の「ラ・テッラ・ブルゥ」。メンバーが過去に犯した殺人と、最近彼らの周囲で立て続けに発生している変死事件が問題となる。芸能界出版事情の裏側などは吉村氏の過去のホームグラウンドだけあって、このあたりのリアリティは抜群で面白い。ただ、事件の全てが転落死、というキーワードでくくられるのだが場所が「地球岬」「名古屋」「洞爺湖」「白馬のジャンプ台」。これを一つの物語に入れるのは三題噺に近い発想が必要。このあたりの無理が物語の流れにぎこちなさを生んでしまったように感じられる。

感心したのは、手掛かり見え見えの安易な「殺人方法」を一応提示しながらも、実際はそれと異なる経緯を経ていたこと。ここでその安易な方法で全て、ということであれば評価のしようがないのだが、一応納得できる状況を作っていることは評価出来よう。ジャンプ台からの転落はそれでも相当の無理があるけれど。
いずれにせよ「国民的人気バンド」の役割を真面目に考えるメンバーと、朝比奈のイキな計らいによって、人情系の意味では後味の良い終わり方になっている。結構すがすがしいではないか。これ。

コアの吉村ファン(ワタシ)ないし観光ミステリーのファン、逆に普段ミステリーを全く読まない人ならばこの内容で良いのだと思います。本格を愛するタイプの方には絶対に勧めることはありませんが。


01/02/18
乙 一「夏と花火と私の死体」(集英社文庫'00)

集英社の「ジャンプノベル」誌が主催した「ジャンプ小説ノンフィクション大賞」第6回大賞受賞作品。ジャンプJブックスにて刊行された当時、執筆時の著者の年齢が十六歳ということで大いに話題となり、一部の目敏い本格ファンの注目を集めていた。

日本の田舎の村に住む私は、親友の橘弥生ちゃんに木から突き落とされ殺された。弥生ちゃんの二つ年上のお兄ちゃん、健くんのことを好きと告白したからだ。弥生ちゃんは大慌てでお兄ちゃんに相談する。私の死体は彼らによって山の中に隠された。折しも連続誘拐事件が発生しており、山狩りが行われることになる。健くん兄妹は果たして私の死体を隠し通すことが出来るのだろうか『夏と花火と私の死体』
戦争が終わって間もない頃、清音は鳥越家の住込のお手伝いとして働き始めた。旦那である政義は清音に優しいが彼の妻の優子という女性は部屋に籠もったきり、顔を全く見せることがない。旦那様の家には多くの人形があり、二人分の食事は一人分しか必要ないと言われる。清音は部屋の中を見てみる誘惑に襲われる『優子』

身近な題材を奇妙な味ミステリに仕上げるセンス、本物
やもすれば、作者の年齢とその実作の関係にばかり目が行きがちではある。とはいえ、一旦出版されたからには、純粋にテキストとしての評価に晒されることになる。それでも、本作、なかなかのものと思える。
例えば、文章。一つ一つの文章を取ってみれば、なるほどそれほど凝った印象はなく、逆に平易といっても良いだろう。乙氏の真価は、その平易な文章で紡ぎ出される独特のミステリ世界に他ならない。後にホラー作品を著したことも傍証になるが、『夏と…』にしろ『優子』にしろ、ホラー的感覚が横溢している。しかもその感覚は両者両極端な位置にあるのだ。クリアな文章で冷徹に描かれる恐怖。どことなく靄がかかったような先の見えない恐怖。 どちらも「恐怖」でくくられるものが、別々のアプローチによって達成されている。
また、奇妙な味を醸し出すための文章以前の構成力がまた良い。『夏と…』に関していえば、生きている時から死体になるまで一貫して「私」の一人称が取られていること。語り手をここに持ってきながらサスペンスの中心にいるのは、殺人者のサイド。これこそ変格だろう。落としどころのサプライズも手が込んでいる。ちなみに私は「やられた」口。
それに比べると『優子』の方は強引さが感じられる構成ではあり、ぎこちないところも多少ある。それでも文章で奏でる雰囲気の良さが、それを補ってあまりあると思える。

著者名は(おついち)と読むそうです。ワタシ、ずっと(はじめ)だと思っていました。最近続々と新作を発表されているようだが、そちらも当たってみたくなること請け合い。この作家の方が私より平均余命が長いことを残念にさえ感じる。下手したら、最後の一冊まで著書が追えないじゃないか。


01/02/17
生島治郎「死者だけが血を流す」(講談社文庫'75)

'63年に「EQMM」誌の編集長から降りて作家専業となり『傷痕の街』を上梓した生島氏。日本の風土に根ざしたハードボイルド作品を目指すことを公言する筆者により、翌年の'65年に発表された第二長編が本作。

金沢地方の代議員の伯父に育てられた牧良一は、大学入学時に家を飛び出し、折からの就職難に見舞われ職を転々とするうちにヤクザの常磐会に所属するようになる。常磐会の仕事で故郷の金沢に入った牧は、パチンコ屋の元締めとしての伯父と再び相見えるが、それを機にヤクザの世界から足を洗おうと決意、会見場所から飛び出す。追ってきた弟分を誤って刺し殺してしまった牧に救いの手を伸べたのは、伯父の政敵とも思われる進藤であった。進藤の尽力で裁判にて無実を勝ち取った牧は、進藤の秘書に収まり、進藤とその妻、由美と共に暮らす。既存の人物の枠からはみ出た大物、進藤は県会議員、そして国会議員の座を目指し奔走を開始。保守政党の公認を取れなかったことから、非情な選挙戦が繰り広げられ、牧も否応なくその渦の中に巻き込まれていく。

前半どぶ板選挙の内幕暴露+後半二人の男のハードボイルド
二作目ということで気負ったか、いろいろな事柄を作品内部に詰め込んでしまったがために、物語は面白くなったけれどハードボイルドとしての一貫性は前作に比べ、多少落ちている。
前半の地方政治の醜さを全面に押し出した部分。確かに魅力的な政治家になりうる進藤という人物。しかし彼ほどの人物でさえ、国政選挙レベルでは実弾や選挙戦略に頼らざるを得ない。選挙の醜さはそのまま日本国民の醜さ、愚かさに繋がるのだが、ここまで表裏徹底されれば嫌味も少ない。全財産を売り払って初めて一回の選挙に対処出来るかどうかの世界。対立候補の揚げ足を取り取られ、実弾を効果的にばらまき、互いの痛いところを探るネガティブキャンペーンのぶつかり合い。(大統領選に近いかも)このあたりはポリティカルエンターテインメントの趣がある。
ところが、後半、進藤の妻が焼死するところから俄然物語はハードボイルドに立ち返る。その死の謎を探るためにヤクザ組織に乗り込む牧。その事実を乗り越え選挙に邁進する進藤。筋道は違うが人生に対する一貫した姿勢を示す二人は、二人ともハードボイルドを名乗る資格がある。牧の追う謎は細かい点はとにかくとして読んでいるうちに終着点の予想はつく。「こうであってほしくない」という真相にやっぱりたどり着いてしまうから。自らの生き方を貫く二人の男。一見、主人公の牧だけがハードボイルドと思われがちだが、進藤も自分の生き方を貫いている点に注目したい。

'66年(昭和41年)の第19回推理作家協会賞の候補作品にも選ばれている。ハードボイルド単体としてみず、エンターテインメントとして高い評価を玄人筋から受けたということだろう。東都書房の現代推理小説大系にも収録されている。


01/02/16
小泉喜美子「ブルネットに銀の簪」(早川書房'86)

弁護側の証人』などで知られる小泉喜美子さんのミステリエッセイ集。女性誌や中間雑誌に収録された作品を集めたもので、ミステリ色はごくうっすら。彼女は六冊の小泉名義のエッセイ集を残しているが、そのなかでは本書が最後に刊行された。

『都会に会話あり』「燭台」「毛皮の魔力」「女流作家の身のまわり」「爪紅のこと」「都会に会話あり」「隣人たち」「紅茶は粋か、野暮か」「背のびした理屈より楽しい会話術を!」「夏の曲」「映画のなかのミステリアスな美女たち」
『酒のあやまち』「つられそば」「セルフ・コントロールということ」「旅・芝居・酒」「「ゆ」会のこと」「酒のあやまち」「酒中日記」「女は何回勝負する」「うじか花か」「時によりけり」「引っ越しさわぎ」
『やさしい人は悪い人』「結婚の動機」「梨園の妻たち」「おとなのための恋愛作法」「やさしい人は悪い人」「殺される女の美学」「前夫生島治郎氏への手紙」
『新・花物語』「一月は松――遠く、遙かな幸四郎」「二月は梅――紅と白だけの男らしさよ」「三月は桜――青空にシャンソンが流れる」「四月は藤――お相撲さんの名は日本の美」「五月はあやめ――絢爛たる文章とスリラー」「六月は牡丹――誇りたかき華やかさ」「七月は萩――猪に代わって猫の話」「八月は薄――浪花の月下で舌づつみ」「九月は菊――女の知らない男の世界」「十月は紅葉――日本は真紅で、西洋は黄金で」「十一月は柳――都会の青春は映画と男友達」「十二月は桐――葉が散る頃に人は恋しい」
 解説は落合恵子による「晩夏の夕暮れに」

十年経過しようと、二十年経過しようと「女の心意気」は色褪せない
「小泉喜美子エッセイ拾遺集」にあたるのだろうか。小泉エッセイはまだ未読のものがあるので確認は出来ないのだが、今まで読んだものとは重ならない内容。発行年月日から考えると小泉さんが亡くなった翌年に刊行されており、じっくりと作り込まれたのだろうか。文章としても、そこから伝わってくるものも、質が高く極めて感慨深い内容に思える。執筆時にその意図などなかっただろうにも関わらず、彼女が駆け抜けた人生に自然と想いが飛ぶ
江戸に生まれ育ち、歌舞伎で育まれた粋の心と、海外ミステリを愛好する洒脱な感覚を持つ。健康を害するほどに酒を愛した。小泉喜美子さんの生活には常に都会の香りが漂っており、その中で培われた感覚は未だに古びていない。むしろ、本質を突いているところに新鮮さがある。
本書でも繰り返えして触れられるミステリーについての首尾一貫した考え方は他のエッセイでも著作でも伺えるので省くが、本書では更に小泉さんの人生の指針が強く感じられた。「いい男、いい女はどうあるべきか」を、通じて、常にそうありたいと心に刻みつつ生きているのがありありと分かる。自立精神。自分へのこだわり。首尾一貫した価値観。それでいて女性らしさを失わない。そんな精神がミステリー、時には文学、俳句や短歌、長唄からシャンソンなどと絡めた文章で綴られている。
多数の媒体で発表され、多数の主題で書かれた文章を一冊にまとめた本なのに、内容からは首尾一貫した「小泉喜美子」が感じられる。読んだこちらも、もっと自分を高めなければ、と気持ちが引き締まる。

しかしエッセイの題名として『ブルネットに銀の簪』。洒落っけがあっていいですよねぇ。ハードカバーながら、刊行が最近なだけあって本気で探せば見つけられない本ではないようです。(私はkashibaさんから譲って頂きました。多謝)


01/02/15
梶尾真治「おもいでエマノン」(徳間文庫'87)

横田順彌『SF大辞典』によれば、梶尾氏ことカジシンは「リリカルでセンチメンタルな作風で知られるロマンチックSFで知られるSF作家」なのだそうである。本書はその系列で'83年に徳間書店より刊行されたのが元版。

地球に生命が誕生しあ三十億年の昔から、人類の「記憶」を受け継いでいる少女。NO NAMEを逆さに読んでエマノン。母から自分へ、そして娘へと次世代に受け継がれていく記憶。少女はナップサック一つを手に今日も地球のどこかを旅している。
ぼくはフェリーの中でエマノンと名乗る不思議な少女と出会い恋をする。十三年後彼女の面影を残す女性を見かけて『おもいでエマノン』
エマノンに輸血をしてもらった少年は記憶を取り違うようになり、精神科医により逆行催眠をかけられ『さかしまエングラム』
旅先で記憶を無くした荏麻という少女と知り合った男は彼女と幸せに暮らしやがて結婚。しかし子供が生まれた時に彼女は『ゆきずりアムネジア』
エマノンの前に現れた予知能力を持つ少年。彼はエマノンと人類の先端に位置する自分は結ばれると信じて疑わない『とまどいマクトゥーヴ』
巨大コンピュータ内部の宇宙から来たDNAが覚醒し意志を持った。人類を脅して宇宙に帰ろうとする彼に対しエマノンが戦う『うらぎりガリオン』
人類の永遠の未来の知識を持つことに悩むヒデノブは、精神感応力を持つヨシフミの力を借りエマノンにコンタクトを取る『たそがれコンタクト』
石油備蓄基地予定地に広がる謎の植物群。エマノンは植物誕生から今までの記憶を持つアイオンの悲鳴を聞きその地を訪れる『しおかぜエヴォリューション』以上、七編の連作短編集。

ちっぽけな人間のちっぽけな人生だからこそ、精一杯充実させたい
ほんの少しの昔のエピソードから、ずっと未来の人類のエピソードまで。三十億年の記憶を引き継いだエマノン。生まれ変わるたびに個体は変化しているはずだが容貌や印象が一定しているのは、旅を続けるその宿命からだろうか。その時代時代、彼女と触れあう人々は、彼女に対し様々な感情を抱く。戸惑い、驚き、怒り、好意……。それらをエマノンは真正面から受け止めるというよりも、一人一人を導いているように見える
エマノンは、人間の感情を持った女神様、いや菩薩か。結局人であって人ではない。人を導く存在をごく身近にした偶像。普通の美少女の外観を取りながら、超越して人類を見つめるエマノンは、時に救いをもたらし、時にともに戦い、そして時に残酷な真実を告げる。一貫しているのは、その対象にとってもっとも良い選択を常に指し示すことのみ。
「人生は長ければ良いというものではない。その与えられた時の中で悔いのないように、精一杯生きることが大切」三十億年に対する精精が百年。人の命のはかなさは、却ってそのことを強調する手段に過ぎなくなる。エマノンの物語は、近い過去や遠い未来を語りながら、読者の人生に対する姿勢を正していく。

突っ込むと怒られそうだけどミステリ読みのせいか、細かい点が気になる。動物の形状を取る前の微生物?のような状態の「記憶」って「眼」などの感覚器官がない以上、人類は表現しえないのでは? 

少し前まで「エマノン」はその人気に関わらず入手困難状態が続いていたが、復刊を望む声が強かったこともあり現在は徳間デュアル文庫にて改めて刊行('00年発表の短編『あしびきデイドリーム』が追加)され、新刊書店で入手が可能です。巻末も対談となっており、そちらの方がお勧めです。


01/02/14
日影丈吉「見なれぬ顔」(和同出版社'58)

現段階の日影丈吉の長編の中で最も入手が困難な作品。表題作は探偵作家クラブ賞を受賞した『狐の鶏』をはじめ、短編中心の執筆活動を行ってきた日影氏が、長編執筆を開始した頃の作品。

『見なれぬ顔』 戦争直後の不況で失業中の加東志麻夫は、就職活動のため東京へ向かう汽車に乗り込んだ。同じボックスには身なりの整った老人と娘、そして不気味な大きな耳を持った男だった。加東は下車後、自分の外套のかくしに、老人の紙入れが入っていることに気付く。中には少なくない金と「金策に行き詰まった、引退する、榧野庄三を登用してやってくれ」と書かれた依頼状兼遺書が入っていた。更に新聞でその老人が汽車内で不審死を遂げたことを知る。翌日、加東は銀座でモツプ座という劇団の看板女優、ルージュ・シマが若い頃同棲していた染井紅子ではないか、と気付く。結局、就職がダメだった加東は、飲み屋で戦友と出会う。偽書作成を得意とする彼は手紙の「榧野」を「加東」に変えてやるという。その推薦状を手に加東はモリ映画社の製作部長に収まった。彼の初仕事は奇しくもモツプ座との契約、そして座の支配人、福神こそ、大きな耳の男その人であった。
他『赤い夜』『月はバンジョオ』『珈琲を飲む娼婦』三短編も収録。

日影丈吉の「探偵小説」。胡散臭さが堪らない魅力
戦後の不況という当時の状況がBGMとして雰囲気を高めつつ、各々腹に一物を持った「いかにも探偵小説然とした」登場人物たちが互いに交わっていく物語。単純に汽車内で邂逅しただけのはずの登場人物が、後から後から偶然の悪戯で関係者として登場する強引さも探偵小説ならではのもの。背景のリアリズムと、登場人物配置の人工性が相乗して不思議な雰囲気を醸し出す。
主人公の加東の行動を中心とし、汽車内での老人の死が何者によるものだったのか、をメインの謎とする物語。しかし、それそのものよりも戦後すぐの頽廃した世相の中、したたかに生きる男達、女達の丁丁発止のやり取りや、そのしたたかさの下に隠れた哀しみなど、物語を彩るトーンの方が重く読者に伝わってくる。殺害の動機などに独創性を感じるが、彼ら一人一人が背負った哀しい運命が心に響いた。
他の短編も、戦争直後の世相を大いに反映している。戦時中に元恋人を殺したことから戦後も怯え暮らす男が主人公の『赤い月』、動機の特異性は『見なれぬ顔』に通じるかも。また戦後の頽廃した世相から殺人を請け負うことになった青年を描く『月はバンジョオ』。そして『珈琲を飲む娼婦』など筋書きも単純で、ミステリとも言い難いが、一人の男と一人の女の人生の一瞬の錯綜に人間の深い哀しさが滲み出ており、不思議なインパクトがある。

後に『珈琲を飲む娼婦』を除いた版が小説刊行社より『見しらぬ顔』となぜか改題されて刊行されている。(どっちの言葉も作品中にあるが「見なれぬ顔」の方が表題として相応しいかな)いずれにせよ、日影の初期短編に色濃く出ていた「探偵小説の時代の探偵小説」のみが持つ、独特のいかがわしさが本書からも漂っている。探偵小説がお好きな方は、全集が刊行された折にでも手にとってみてはいかがでしょうか。


01/02/13
中井英夫(他)「アリスミステリー傑作選」(河出文庫'88)

河出文庫で相当数出している「○○ミステリー傑作選」の一冊。もちろん十九世紀、ルイス・キャロルが著した二作『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の何らかのパスティーシュにしてミステリーの短編を集めた希有な一冊。

アリスの翻訳を手掛ける教授宅で、教授と教え子の二人が別々に他殺死体となって発見された。教え子の死体は鏡の前に置かれ、トランプが死体の上に振りまかれていた『死の国のアリス』海渡英祐
”アリス”の体験する不思議な旅を言葉遊びとナンセンスな世界観で綴る奇妙なファンタジー『アリスの不思議な旅』石川喬司
「深夜倶楽部」にて青年が語る奇妙な体験。知り合いのモデルが古物商と結婚、数ヶ月後旦那に対し疑惑を抱いて青年に相談を『鏡の国のアリス』都筑道夫
鉄の国、白鳥の国と旅をする主人公。芸術的かつ奇妙な展開を見せる作品で『シュピオ』誌に戦前発表された『不思議の国の殺人』邦正彦
母親が密室で殺された末起という少女と病床の方子との書簡。不思議の国が謎解きのヒントになる、これも戦前発表の短編『方子と末起』小栗虫太郎
戦争直前、自分が娘だったころ恋人が心臓麻痺で死んだ田端の街を四十年振りに訪れた女性。彼女は旧知の女性から霊媒を紹介され『干からびた犯罪』中井英夫
チェシャ・キャットというバーに集まる私、”帽子屋さん””眠りくん”とママは、完全装備の装甲現金輸送車を襲う計画を立てる『襲撃』山田正紀、以上七編。

「アリスワールド」の拡がりは面白いもののミステリとの相性は難しい
短編のアンソロジーという形態からして当然のことなのかもしれないが。
統一モチーフとして「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」を何らかのベースにした作品ながら、収録作品が戦前から近作まで執筆時期に大きく隔たりがあり、文体、傾向、取り上げ方などアプローチもまた様々。七編それぞれ本格ミステリから、ファンタジー、ホラーと広い分野から採録されていて(狭義のミステリ範疇に入らない作品が半分を占める)、一編一編を読むにあたって全て気持ちのリセットが必要とされる。
個人的には単なる小道具や下敷きとして「アリスワールド」が使用されている作品よりも、ミステリとしての構造と「アリス」が密接かつ、不可分の関係を持つ作品に、より面白さを感じた。例えば冒頭の『死の国のアリス』。鏡、トランプなどの小道具とアリスストーリーをヒントに解決される道筋が面白い。『干からびた犯罪』の「アリス」とは一見関係のないノスタルジーが、過去の犯罪の告発、そしてカタルシスへと「アリス」を踏まえて繋がる見事さ。他の作品は主題に過ぎてミステリ味が多少落ちたり、小道具や遊び心の部分に使用されているように思えた。(個々の作品としての評価はまた別だけど) 正直、全体のパイが少ないなかから無理矢理選ばれ、編まれたアンソロジーという感が拭えない。

海渡英祐の作品は同題の文庫から、都筑道夫の作品は『深夜倶楽部』から、また山田正紀の作品は『ふしぎの国の犯罪者たち』からの短編抜粋。また他の作品も単行本に収録されているものもある模様。

本書が編まれる前にも、辻真先『アリスの国の殺人』などがあり、最近では加納朋子さんが『螺旋階段のアリス』を上梓するなど、着々とその裾野は広がっているように思える。過去から現在に至るまで多くの人に読み継がれる「永遠の書」である以上、影響を受けた人々が恩返ししたくなるものなのであろうか。


01/02/12
紀田順一郎「神保町の怪人」(東京創元社'00)

古書に限らず、近代史、出版情報論に関する著作も多い紀田氏の得意とする『古本屋探偵の事件簿』をはじめとする一連の「古書系」ミステリ最新作品。創元CRIME CLUBの一冊として刊行された。

昭和四十二年。私は「収集の極意は『殺意』にある」という広告会社勤務の古書蒐集家、大沢と知り合う。彼は熱心さのあまり犯罪紛いのことまでして本を集めると悪評が耐えない。私はある事件がきっかけで彼と即売展に出向くが稀覯書の盗難事件が発生する『展覧会の客』
古書の交換会で松岡譲の『憂鬱な愛人』の上巻のみを落札したのは、以前に私を出し抜いて揃いを入手していた筈の高野富山であった。高野が私に下巻を入手出来るよう手配するというので、私は気が進まないまま高野主宰の古書交換会に赴く『『憂鬱な愛人』事件』
大学で司書が殺害され、データベースの入ったパソコンと蔵書の一部が盗難される事件が発生。私は事件が最近発生した古本屋を狙った盗難事件と類似していることを知り、興味を持つ。関係者にはアリバイがあるが、誰が何の目的で?『電網恢々事件』以上中編三作。

ううう、俺はこうにはなりたくない(……ってみんな思うんだろうなぁ)
……ダメだ。この本は客観的に読めねぇ。
セドリ、キキメ、目録、ダブり……といった古書用語が並ぶ。舞台は日本一の古本街、神保町。この街を闊歩する一般古書マニアを越えた「書痴」「愛書家」「蒐集家」が彩る人間模様。動機は様々ながら、自分の狙った本を手に入れるためには常識なぞ関係ないと言い切れる、ネジが外れた登場人物が次々と登場、自らの信念を語ってくれる。即売展に早朝から並び、古本屋に特別なコネを作り、目録当選のために様々な秘策を弄する。目録のページごと、古書店の棚一列丸々など凄まじい購入方法を取る。果たして「彼ら」に対し、普通のミステリーファンはリアリティを感じるものなのだろうか? せいぜい「凄い人がいるもんだよなぁ」「いくらなんでも、ここまでするのかな」と半信半疑止まりではないだろうか。どう考えても「古書」という特殊世界の中のフィクション、という評価止まりだろう。
だが、私の場合、「彼ら」にひどくリアリティを、そして奇妙な親近感さえも覚えてしまう……。奇妙な蘊蓄も「ああ、為になるなぁ」などと頷いているし。ああ、こういう人もいるのだろうな、と素朴な共感を覚えたり。ダメだこりゃ。(現実に知り合いにここまでひどい人はいませんが)

残念ながら「ミステリ」としての部分だけ取ると、それなりの工夫こそ感じられるものの予想がつくレベルに収まっており、驚天動地といったものではない。あくまで本書は「古本愛好家の世界」という特殊な世界を描き出す物語。ミステリはその特異性を高めるために付随するのみ。

誰か俺を救ってくれ。
(本書は神保町のど真ん中、神田三省堂で紀田氏の署名本を購入しました。紀田署名本は、古書店の目録によく出てくるのはこの神保町との関係の深さ故なのか?)


01/02/11
久生十蘭「愛情會議」(河出新書'55)

久生十蘭の大衆小説。全集には入っているのだろうか?(所持してないので) 石井さんにお借りしたので読んでみた次第。しかしこの新書そのものも存在を知らなかったが、大衆文学を集めた叢書の模様。

農林省の官吏の石田久万吉とその家族は、収入が維持管理費に釣り合わないにも関わらず養父が建てた豪壮な館に住んでいた。戦争があり、復員してみれば、石田氏は課長から係長に格下げされており、石田氏の賢夫人はぶくぶくと太り、長男の五十雄はカリエスを患い、千々子は金持ちと結婚し損ねて塞ぎ込み、次女の百々子は名古屋で寝込んでいたが、無事に五人が再び揃った。家は幸いなことに米軍による接収を受けており、彼らはこれ幸いと渋谷のバラックに移り住み、石田氏の俸給より多い家賃でこじんまりとした暮らしを営んでいた。ところが、接収が解除され、結局石田一家は元の家に戻ってきてみれば、屋敷は洋風に目一杯改装され、庭にはプールとテニスコートまでがある始末。そこでまた彼らの珍妙なる暮らしが開始された。

分不相応な大きなお家にまつわるドタバタコメディ
ホームコメディ。戦後すぐの不景気のど真ん中で繰り広げられる石田一家内外に起きる出来事は、基本的にこの言葉に集約される。もちろん、当時はそんな言葉はなかったであろうが。しかし、楽しい。巨大な屋敷を持ちながらお金のない生活。それぞれ個性豊かな家族たち。彼らにふりかかる笑えない災難も、持ち前のパワーで吹き飛ばし、笑い飛ばしてしまう力強さ。戦後の日本が猛烈な勢いで復興したエネルギーが思い切りカリカチュライズされ、そのハプニング毎に微笑ましい結末へと進む。当時の平均的日本人の泥臭い生活をベースにしつつ、見事に読ませる内容に高める十蘭の描写力・構成力の凄さには舌を巻く。
と、笑いを誘いつつも、各々の登場人物に、当時の日本人の持つ様々な性向の縮図をもまた感じる。建前を気にしつつ率直になれず、面子を重んじる父親像。口では色々と言いながら、ちゃっかり自分の思う方向に家族を向かわせる夫人。外国人の玉の輿の為なら家族をも謀ってしまう姉。正論を吐きつつも生活力がないため不幸な兄。そんな家族を冷静に観察する妹。勤勉で率直で逆境に強いが、面子や権威にこだわり、人並みの欲望も表面に見せないがしっかりと持っている。日本人の好ましい面、嫌な面を併せ持つ彼らに、時代を超えた不思議な共感を覚える。
もしかしたら、小説内年代ともっと近い時期に読めば、違う発見もあるのかもしれないが、さすがに私はそこまで読み込めなかった。この時代の風俗や考え方を知ることが出来ただけでも良しと出来るけれど。

それら筋書きをおいたとしても、十蘭の文章のテンポとリズムが柔らかく、読み心地が最高。文章の端端にさりげなく散らばった教養の欠片も嫌味でなく、耳で聞いているかのように読み進めることが出来た。断ったように大衆小説であるが、先の全く読めない展開を無理矢理こじつければ「物語の中に謎」がある、とも言えるか。