MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/03/31
皆川博子「たまご猫」(ハヤカワ文庫JA'98)

'80年代に『小説現代』『オール讀物』などに発表された作品を集め、'91年に中央公論社より刊行された短編集がオリジナル。(想像するに)『死の泉』の大ヒットに刺激され同じハヤカワが短編集を文庫で刊行することにした……というのは穿ちすぎか。単行本リストが付録しており、お買い得かも。

文具会社の開発担当をしていた姉が自殺した。姉が死んで肩の荷が下りたような旦那に頼み、私は姉の遺品の整理をする『たまご猫』
遺産相続の分割の話題を持って妹の義姉の元を訪れた男。彼女、葉子は男の切り出したに浄瑠璃、餓鬼阿弥の話を靜かに引き取る『をぐり』
弟との思い出話を誰かに尋ねられるままに答えていく女性。浄瑠璃「厨子王」の文章と共に女性はいずこか世界へと向かう『厨子王』
細かい性格の姑を持つ叔母を年一回の旅に向かわせるために私は代わりに手伝いに来ていた。叔母は年一回一人の男を八人殺したと言い残して『春の滅び』
一般家屋を改造した旅館には座敷牢があると聞き、私は訪れた。なぜか漆塗りの枠で囲まれた牢に私は一晩泊まってみたくなる『朱の檻』
新婚旅行で初めて訪れた筈のペンションで私が感じた既視感。崩壊した家庭の原因が自分にあると言われていた私は『おもいで・ララバイ』
学生時代のジャズバンドを再結成し、古いホテルで開催された同窓会。親友そっくりの息子が現れて残されたメンバーをねぎらう『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』
ある冬の日、バーに来たマナーの悪い一人の男、そして常連の亜由子。バーテンは亜由子と取り留めのない会話を交わしていく『雪物語』
アイドルグループの一人が失踪、彼は水族館に向かったと思われた。後を追ったマネージャーは廃墟寸前の水族館に足を踏み入れる『水の館』
子持ちの恋人との待ち合わせの時間つぶしのために入り込んだ骨董屋で誰かに間違われた私は店の奥で奇妙な楽器を見せられる『骨董屋』以上、十編。

ふと、気付けば彼岸に立っている……
ハヤカワ文庫JAの白い背表紙がいけないのか、「たまご猫」とどこか人を食ったような、ジュヴナイルじみた題名がいけないのか、北見隆氏による表紙絵がポップだからいけないのか。私はてっきり皆川博子さんの入門書的で一般受けする分かりやすい短編集なのだと想像していた。全く勝手な自分勝手な誤解。本作は、正々堂々と皆川ワールドを繰り広げる極上の幻想小説集であった。
どこが極上なのか。
日本語の持つイマジネーションの極限を軽々と越える美しい文章。その使い回しの巧みさ、語彙の豊富さは現代作家のうちでも比類無き高みにある。独特のニュアンスであるとか、曖昧さであるとか、感情表現であるとか、「日本語の可能性」を最大限に引き出し、組み合わせることで巨きなインスピレーションの相乗効果を生み出す文体。「語らないこと」の効果を知ったモザイクのような描写……等々。読みさえすれば誰にでも分かるはず。
書評を書くこちらの文章力&表現力の無さがこれだけ痛感させられる作家は他にいない。発想や構成の「鍵」だとか、ミステリでいえば「伏線」にあたる部分を文章力で包み込んでしまい、徐々にないしは唐突に読者の前にその独特の世界観を突きつける。境界の曖昧さによって浸食されてしまう現実。気付けば立っているのは「あっち側」。いや、そもそも「こちら側」と「あちら側」などはじめから存在などしていないような。読み終わった後、読者の心の有りどころを彷徨わせるような作品群。どの作品も印象的ながら『骨董屋』『雪物語』でみられる因果が巡る物語に個人的に心惹かれるものがあった。人間の情念が伝統芸能と混じり合いながらふつふつと迫る『をぐり』『厨子王』の二作は、そのすさまじい美しさが心に残る。他の作品にしても水準を遙かに凌駕しており、挙げた作品はあくまで好みの問題。

東雅夫さんが冒頭いきなり「皆川博子は不幸な作家である」という意味深な書き出しで解説を書いている。だが、そう書きたくなる理由も凄く良く分かる。普遍的に上質の作品を刊行し続けている作家であり、かつハマる人の骨の髄まで溶かしてしまうような、カルトな甘い蜜をまた持っている。二十年、三十年後と言わず百年後も(ある意味今でも)皆川作品を探し求める人は永遠に存在するのではないか、とさえ感じる。時代を超え得る作家の一人である。


01/03/30
日下圭介「蝶たちは今・・・・」(講談社文庫'78)

「今」の後の「点」はいくつが正しいのだろう? とりあえず文庫版の表紙に従ってナカグロで四点打ってみたが、近年の乱歩賞受賞作の巻末でみると「……」六点リーダーになっている。果たして?
ということで、'75年、第21回の江戸川乱歩賞受賞作。この時の最終候補には後に受賞する井沢元彦などの顔が見える。

飛騨の温泉に友人と二人旅行に出ていた大学生の嘉川康雄。本来は、康雄は交際している看護婦の和子と訪れるはずだったのだが、彼女が直前に風邪を引いてしまったために友人を誘ったのだ。宿についた康雄は、自分のボストンバッグがすり替えられていることに気付く。自分のバッグには大したものは入っておらず、別に大して気に掛けない康雄だったが、手元のバッグからは「妹尾秀人」宛に「蓮田直子」という人物から出した手紙が入っていた。旅行から戻って三日後に、蓮田直子から自分のバッグが送り返され、バッグを返して欲しいと、手紙が入っていた。康雄は蓮田直子にバッグを返そうと、彼女の下宿を訪れたところ、彼女は既に三年前に自殺していると聞かされる。しかも外国人男性に無理心中を仕掛けられたのだという。途方に暮れた康雄は、宛先の妹尾秀人宛に手紙を転送するのだが、こちらの妹尾は十七年もの昔に既に亡くなっていた。妹尾は竜飛岬で、その地には珍しい蝶を捕獲しようとして崖から落ちて死亡したのだという。この蓮田直子というのは幽霊なのだろうか?

サスペンスが平板になったところで強烈な一撃、とどめの二撃!
発端となる一通の手紙――女性から男性に宛てた手紙が実は「三年前に亡くなった死者」から「十七年前に亡くなった死者」に宛てたものだった、というのが発端の謎。鞄のすり替えがきっかけとなり三人の男性と一人の女性がその事件について追求していく。三年前の死者は、教科書販売会社の地味なOLだった蓮田直子。外国人英語教師と心中という派手な亡くなり方をしており、十七年前の死者は、珍しい蝶を崖の上から採ろうとして足を滑らせて竜飛岬で転落死を遂げている。二つの事件に疑問を持った彼らが、事件関係者に話を聞きつつ真相に迫っていく……というのが大まかな展開。
ただ「敵」があまり凶悪ではないせいか、象徴的に登場する「蝶」こそは印象に残るものの、展開そのものは進むに連れ、平板さが目に付いてしまう。おおよその真相は読者の目には明らかなので、展開に起伏があってもいいな、と思っていたところに、どかんと起伏を持ってきてあった。ほう、こうくるか。とはいえ、作品そのものが持つ、地味な明るさを自ら踏み躙ってしまっており、何となく虚しさを覚える手法とも思う。とはいえ、これがもう一つ作者が隠し持っているどんでん返しの伏線ともなっているのだが。
ワタシが不注意だったこともあるからか、ラストの仕掛けに関しては正直、驚いた。 「言われてみればそれしかない」のだけれど、全くの盲点。また、どんでん返しの企図に加え、個々の事件に特殊な物理トリックが使用されていたりと、作品全体の随所に作者の工夫が見え隠れしている点、やはり乱歩賞の受賞作らしさを感じる。
ただ、いかんせん読後感がそれほど気持ちよくないのが、個人的にはツライように思えた。青春ミステリになり損なってしまっている部分が特に。

最近、乱歩賞の復刊が進む講談社文庫で、伴野朗『五十万年の死角』とのカップリングにて入手が可能。他の日下作品を読んでみてからでないとコメントし辛いのだが、本書そのものは、そのミステリ的な狙いを相殺させてしまう(ように思える)読後感の悪さがどうも気になる。


01/03/29
首藤瓜於「脳男」(講談社'00)

第46回江戸川乱歩賞受賞作品。首藤氏は第45回乱歩賞で最終候補に残るも落選している。(一説によると、かなり個性的な人物だと聞く)

数名の死者と数十名に重軽傷を負わせた連続爆弾事件は、高度な手口と関連性の無さにより、愛宕市を恐怖のどん底に叩き込んでいた。愛宕署の名物警部である怪力無双の巨漢、茶屋は遂に犯人のアジトを突き止め、捜査員と共に踏み込んだ。逃亡を試みる犯人は、既にそこで謎の男と争っていた。半年後。鈴木一郎と名乗るその男は、他の爆弾の在処などを知っていたから共犯と見なされており、精神鑑定を受けることとなった。担当は米国帰りの鷲谷真梨子。彼は三年前から新聞社を経営していた事実があったが、戸籍も偽物でありそれ以前のことは一切不明であった。治療や会話を進めるうちに、鈴木一郎の物事に対する反応が通常の人間と異なることに気づき始めた真梨子は、彼の過去についてコネを総動員して調査する。その結果、実は過去の彼が一切の感情を持たない人間だということが判明した。

エンターテインメント性充分、フィクションの楽しさ満喫の人間ミステリ
ここのところの乱歩賞の傾向から考えれば、多分に異色作といえる。従来の乱歩賞、ハードボイルドを標榜する青年劇画誌に掲載されるような作品から、本作は、少年誌まではいかないまでも青年向けマンガ誌くらいにまで物語が「一般受け」の方面に進んだような印象を受けた。なぜ例え話がマンガになのか、というのは、読んでいて、とあるマンガを想起したのがその理由。
……どこかでこんな話を読んだ、どこかでこんなキャラクタを見た……と、ずっと読んでいて引っかかっていた。レクター博士かとも考えたが、もっとすっきりと一致する作品に、やうやう思い当たる。『寄生獣』岩明均(講談社・'90〜'95年 全10巻)である。登場する寄生獣たちと、鈴木一郎の身体的・精神的特徴が大いに重なっているのだ。両作品の比較にあまり意味はないが、『脳男』をミステリとして成立させている大きな部分、「こいつはいったいどういう存在なのか」という謎が(答えは異なるにしても)両者の根幹にある部分は興味深い。
物語は、導入部分、及びその「謎の存在」鈴木一郎の考察を終えると、アクションへと移る。この部分での彼の活躍場面は、舞台の設定などとも合わせ秀逸。病院内で発生する事件と、それに対処せざるを得ない鈴木一郎、茶屋警部、真梨子の三人。(犯人の仕掛けがあまりに周到すぎてインチキ臭くも感じられるが、気にするべきではないだろう)この部分の展開、慌ただしくも感じられるものの、総じてテンポが良くてページを捲る手が止められない。中心となり活躍するのは、それまで物語を引っ張っていた茶屋でも真梨子でもなく、いつの間にか鈴木一郎だ。彼はここでヒーローたる資格を手に入れる……のだが。アクションのラストに仕掛けられたちょっとした引っ掛けも心憎い。
個人的には真梨子が米国で手がけた事件、赤ん坊を銃殺した少年の無実を訴えにその両親宅を訪れた話が本書の最大の鍵なのではないか、と思っている。本書を通じてハッキリいえるのは「善悪」の基準など、実は人によって全く異なるということくらいしかないのでないか。それはラストの対話の部分で浮き彫りにされ、そしてそのまま舞台は閉幕する。

もう一つ気付いたのは、物語の展開方法が売れ筋ホラー作品に近いようにも思えること。近年のホラーが広義のエンターテインメントに含まれるのは常識ながら、対象の発生、観察、アクション……の展開を考えれば、、類似構造のホラー作品がいくつも思い出せる。今後、こちらもまたエンターテインメントの常道となっていくのかもしれない。

色々書いたが、話題となった題名のネーミングも含め、エンターテインメントとして一流のセンスが感じられる作品。決して謎解きタイプの小説ではないが、「読ませる」内容をもっており、「フィクション」らしさを物語に挿入するバランス感覚に良さが感じられる。文章や表現力も次作以降向上すれば、いずれ大化けする予感もある。


01/03/28
若竹七海「名探偵は密航中」(カッパノベルス'00)

'98年に『EQ』誌に掲載された『殺人者出帆』、その後の作品は『小説宝石』に'98年から翌年にかけて掲載された。それらにエピローグ&プロローグ、そして各話の間に挿入話を加え、改めて整えられた作品。

ローラースケート場にて殺害された全裸死体。死体と同行していた人物が海外に行くという噂を聞き込んだ新聞記者は箱根丸に飛び込んだ『殺人者出帆』
倫敦の未来の夫の元に向かい御目付付きで旅行するお嬢様、初子……は実は奔放な性格で船からの逃亡を何度も図りながらメイドに阻止されていた『お嬢様乗船』
ギャンブルでボロ儲けした男は船室に戻った途端に何者かに殴り殺された。男の部屋は酔狂な夫婦が猫のために借り上げたが猫には男の幽霊が見える『猫は航海中』
箱根丸を追ってきたという男が乗船して来る。彼の「乗ってきた鉄道」に興味を持った裕子だったが、船に戻ると彼は初子とべったり。裕子は面白くない『名探偵は密航中』
船旅の退屈を紛らわすために六人の男女が自ら経験した怪奇譚を語る。それら全てが語り終えられた時に参加者の一人が……『幽霊船出現』
激しい悪戯を繰り返す十一歳の少年に同伴の父親は女性とべったりで注意する気が見えない。少年は睡眠薬を飲んで階段から転落、大けがをするが……『船上の悪女』
終点が近づき、しんみりする船内を盛り上げようとマダム・ミネルバは仮装パーティを企画する。大賑わいのパーティの最中に停電が発生、壁に謎の文字が残される『別れの汽笛』
各話の間に「龍三郎の旅行記下書き」が加わった全七話の航海。

船の上なら若竹さんのお手のもの。稚気にあふれたオムニバス・ミステリ
海神の晩餐』など、若竹さんは既に船上を舞台にしたミステリを刊行しており(『船上にて』というそのものズバリの題名の方は作品集。表題作は確かに船上のお話だが)、その臨場感や雰囲気作りの上手さはその段階で既に確立していた。『海神の晩餐』と同時代に航海する別の船を舞台に、様々な登場人物が事件を起こし、推理をし、捕り物をする……というオムニバス形式のミステリ。表題作に「名探偵」という言葉があるが、探偵役をはじめ、登場人物や物語を語る視点もいろいろと異なっており、作品毎に異なったタイプのミステリが楽しめる(この頃の海外旅行同様に)贅沢な作りとなっている。作品間に挟まった「旅行記下書き」が旅程をフォロー、エピソードの合間が埋められる体裁となっており、なんとなく横濱−倫敦間を五十一日もの日数をかけて移動するのんびりした旅を、こちらも満喫出来たかのような充実感が味わえた。
どの短編も微妙にうミステリとしての趣向がずらしてあるので、一概に比べることが出来ないながら、「旅」「船」「偶然の出会い」など、船の旅行、特に当時ののんびりした船旅特有の事象を組み込んだ作品に印象が残った。船からの脱走をユーモアいっぱいに取り込んだ上、ラストまで計算しつくしてある『お嬢様乗船』や、とんでもなく悪戯好きの子供が悪戯に走る意外な理由、そして短編向きではないプロットを巧みに利用した『船上の悪女』あたり、手が込んでいて面白く読めた。また、Supernaturalな存在を作品内部に取り込んである作品、『猫は航海中』『幽霊船出現』などはミステリとしてはどうかと思うが、ホラーとしての興趣が満たされており個人的に凄く好み。

元々の設定が珍妙だからなのか、ユーモアを意識した文体のせいなのか、若竹作品から常に発している「毒」の香りが本作では少ない。心温まる作品の中に人の悪意をするりと組み込むのが上手な若竹さんのことだから、恐らく意図して棘を減らしているのかもしれない。おかげで「読むと元気になれる」作品集になっている。両方の意味で、本書は若竹作品の入門としても意外と向いているようにも思える。後から付け足したプロローグ、エピローグだけでもまた小さなミステリとして機能している細やかなテクニックもお見事。


01/03/27
水谷 準「夜獣」(講談社'56)

鮎川哲也氏が十三番目の椅子を射止め、デビューのきっかけとなった「書下し長篇探偵小説全集」シリーズの「9」として刊行された作品。同社ロマンブックス版も刊行されており、春陽文庫探偵CLUB『殺人狂想曲』を除けば、もっとも入手しやすい作品――とはいえ、それなりのお支払いは待っている。(私がいくらで買ったかは秘密)

ゴルフ場で将来のプロゴルファーを目指して修行中のボーイ、省吾は恋人の敬子と気不味い別れをしたことから一人酒を飲む。その帰り道、彼は「白い窓の女」と出会う。十数年前、戦争で疎開していた彼が栃木県の別荘地で目撃、強烈に記憶に焼き付けられた女性……それが彼女。彼女は暗い道を通り人気のない家に入っていった。後をつけていた省吾は、銃声のような音を聞き、慌てた彼女が立ち去るのを目撃する。その家に入り込んだ省吾は男性の射殺死体を発見するが、彼女を庇うために現場に残されていたシガレットケースや新聞を持ち去り、代わりに自分のハンケチやポケットに入っていた伝票を残し、事件の発生を新聞社に電話する。通報を受けた新聞記者、丹野は行き会った植松刑事と共に現場を訪れ、死体を発見。署に連絡に向かった植松の代わりに見張り番をかって出た丹野は何者かに頭を殴られ昏倒する。警官が戻って来た時には、血痕だけを残して死体は消え去っていた。丹野は残された遺留品を分析して、すぐに省吾を特定、説得して共に捜査に当たらせることとする。

大人の演ずる少年探偵団風サスペンス
二十歳を過ぎており、定職に就いていて恋人がいて、という主人公。その性格づけが、どことなく少年っぽい。憧れの女性の跡をつけ、意味無くかばい立てするところ、感情が表に出やすいところ、行動が分かりやすいところ、人の庇護下で行動するところなどなど、サポート役の新聞記者、丹野が無頼をかこっているせいもあって、どうしても対比されてしまう。
そして嫌疑を掛けられた(証拠を捏造してるんだから当たり前だ)主人公らは警察に捕まる前に事件の真相解明を迫られる。逃げ出しながら抜群のチームワークで着々と、関係者から手掛かりを得ていく手際などテンポよく物語が進められる。尾行するにしろ証言を引き出すにしろ、ある意味すいすいと進むと言っていいくらい。この展開の危なげの無さと、冒頭述べた主人公の性格とが相まって、本作がジュヴナイル的に感じられてしまう次第。 困ったことに、事件の表裏に出てくる怪しい人物の服装が「黒マントに黒い帽子」であったりするため、その念は倍加されてしまった。
それらをポジティブにとらえれば探偵小説然としているという妖しさ、そして良さを強く持った作品とも言える。真相の意外性はそれなりにあるのだが、伏線よりも展開を重視されているためか、衝撃よりも納得感の方が強かった。繰り返しになるが、発端の奇妙さ、その理由、事件の動機等々全てがいかにも探偵小説な作品である。独特の「ノリ」が楽しめたので、読者としてそれで満足。

著者のもう一つのホームグラウンドである「ゴルフ」の世界が使われている(水谷氏は平成に入ってからもゴルフ関係の著作物はあるのだ)ものの、単に職場背景を持ってきただけになっているところは少し勿体ない。ただ時代背景を考えれば、プロゴルファーになるという夢を持った少年という設定は、そこはかとない暖かさを感じるような気がする。(根拠はあまりないけれど)
ちなみに水谷氏は作家であると同時に、雑誌『新青年』の第四代編集長でもあった方です。


01/03/26
戸川昌子「美しき獲物たち」(徳間文庫'83)

'74年に文藝春秋社より刊行された長編が文庫化された作品で、なんと解説は美輪明宏が手がけている。(とはいえ、お二人に交際があること自体はその経歴からも別に不思議なことではないが)

表向きは広告屋で、裏の稼業として”私的トラブル処理屋”を営む狩須一郎。彼の今回の仕事は、法領大学で法律を教えるロートレ・バード教授にスキャンダルを巻き起こすことだった。ロートレ教授の教え子で、美しいながら不幸な境遇を持つ女子大生、三崎和子に米国留学の餌を与え、協力を依頼する。事前に、ホモセクシャルの男性、西条に処女を捧げた和子は、狩須に送られて、ロートレ教授の研究室へと赴く。和子に「教授に襲われ、レイプされた」と狂言をうたせるのがその計画だったが、出てきた和子の様子がおかしい。彼女は失神してしまい何も覚えていないと言うが、彼女の内股には杏大の痣がいくつも残されていた。果たして、研究室では何があったのか? スキャンダルを防ぐため、大学側から派遣された高崎弁護士と狩須の間に、虚々実々の駆け引きが開始された。

今後、プラタナスの葉っぱをみるたびに、この作品を思い出すのか、俺は。
エロティックな味付けは、戸川ミステリを語るのに欠かせない事柄なのだが、本書のそれはまたひと味違う。サスペンス風味に開始される「女子大生レイプ事件スキャンダル」を仕掛けた側が、逆に意味不明の混沌に叩き込まれるという発端の妙。主人公は、その事件の底流に潜む謎に挑む。しかし……。事件全体の重要な鍵となるのが「男性のナニの大きさ」なのだ。 笑えばいいのか、照れればいいのか、読者(特に男性)は複雑な心境をもって本書に臨まざるを得ないことは請け合いである。
謎が解体されて、現れてくる事実に衝撃が! ということは残念ながら他の大多数の読者にとってもないだろう。恐らくこの作品で取り上げられた学園の秘密をミステリの真相とする作品は、広義のミステリーには多数あるはずだから。(確かにスキャンダラスにまみれているとはいえ) 謎そのものは「関係者の二重三重の嘘」によって塗り込められているため真相が見えない、というタイプで読者が謎解きを行う種類のものではない。それでいて本書が独特の地位を持つものと思われるのは、そこに至るまでの過程の部分が類を見ないほど特殊な視点で描かれているから。肉体のパーツに全体でこだわった結果、本当に独特の世界観で物語が完全に支配されている。例えば、俗に「巨乳フェチ」というおっぱいの大きい女性に特別のこだわりを持つ男性が存在するのだが、仮に「巨根フェチ」というこだわりを持つ女性が(戸川さんも女性だけど、さ)サスペンスを綴ったらこうなりました、という感じ。家庭用コカ・コーラの瓶だとか、とうもろこしとか、プラタナスの葉っぱだとか、男拓だとか。少なくとも男性作家の想像力からは絶対に生まれないミステリ。

絶版の多い戸川ミステリの中でも、文庫本の長編として適度なボリュームと入手のしやすさが本作にはあるのだが、かなり奇妙な作品であるのは事実。まだ戸川昌子を一冊も読んだことのない人には、手にとって貰いたくない。ある程度読んでいる人にも実はあんまり勧められない。それでいて、本作そのものの印象は強烈。困った作品かもしれない。


01/03/25
谺 健二「未明の悪夢」(東京創元社'97)

第八回鮎川哲也賞受賞作品。受賞を争った最終候補作品には他に城平京、柄刀一、氷川透各氏らの作品(全て後に出版)が並んでおり、当時もそういわれたが、現在振り返ればこの回の同賞がいかに激戦だったかが分かる。(またこの回より同賞は大幅に選考委員を変更している)

(梗概の前に)
 1995年1月17日当時、私は神戸市東灘区に居住しており、被災しました。生まれて初めて「死」を身近に意識した筆舌に尽くしがたい経験でした。本書が阪神大震災を取り扱っている、という事実だけで、三年以上手にさえ取れませんでした。

神戸市内で普通の私立探偵を営む有希真一は、占い師で、警察に非公式の捜査協力を行う雪御所圭子を近所の趣味の良い書店、神光堂夫妻に引き合わせる。彼女の占い通りに子供に恵まれた彼らと家族同様のつきあいをするうちに、雪御所圭子とも親しくなる。彼女の誕生パーティに出席した翌朝、神戸を大震災が襲った――。
圧倒的な破壊に晒された神戸は、幸福いっぱいだった家族三人の命を奪い去り、雪御所圭子は生き埋めになっていたのを有希が何とか救出した。身体だけでなく心も深く傷ついた圭子を元気づけるため、非公式に捜査依頼が来た、震災当日から直後にかけて神戸にて発生した猟奇連続殺人事件を有希は調べることを決める。独身の男性が、震災下で不可解な状況で次々とナイフで刺し殺されたというものだった。

不謹慎だとは思わない。でも何かまだ足りない
本書において記された克明な阪神大震災のディテール、人によっては拡大して大げさだと印象を持たれる方もいるかもしれない。個人的体験と照らして考えれば、基本的にはノンフィクションレベルの記述であり、事実に非常に正確だな、というのが印象。揺れの前に「音」が来るところとか、「後から」訪れた人には分からないだろう描写に特徴がある。しかし失礼ながら谺氏の表現ではまだ現実に足りない。倒壊建家の描写など繰り返しの形容詞が目立ち、中盤から後半にかけては表現が平板になっているように感じた。ただ、これはあくまで個人的な印象なので。
本書はミステリとしてというよりも、「あの出来事」について、何らかの形で残さずにはいられなかった著者の気迫が作品の価値のほとんどを占めているように感じられた。そして、その描写の部分に力を注ぎ尽くした結果、ミステリ部分が浮き上がってしまっているのもやむを得ないか。これだけ震災のディテールをしっかり書き込んであれば、多少の物足りなさがあったとしても被災者として「小説」レベルでの納得が出来る。なので、作品自体を不謹慎だ、とする意見には反対したい。
一方で、その街を舞台にした「ミステリ」として、奇妙な殺人死体が登場する一連のトリックというのは逆に安易過ぎるきらいがある。また、過去の登場人物の描写だとか、事件の読者への提示の仕方とか、ミステリとしての部分だけ取り出してしまうと、いかにも処理方法が安易ではなかったかと思える。トリックそのものは確かにあの場面では成立し得たかもしれず、リアリティの不足は感じない。しかしいずれも結末の予想がついてしまうのが残念。
結局、震災のリアリティベースの迫力と、連続殺人の島田荘司風の演出及び解決とに微妙なギャップがあり、最後までそれが埋めきれていないように感じる。震災の街を闊歩する連続殺人犯など、数千人の命をあっという間に奪った自然の大いなる力の前では、その不条理さも薄れてしまう。 結局のところ、震災を通じた人間模様を描きたかったのか、震災そのものを描きたかったのか、ミステリを描きたかったのか。小説としての焦点がぼやけているように思えた。ただ、それでも作者の叫びは聞こえてくるのだが。

私にとっては一種の追体験なので、本書をどなたかに薦めるとかそういうレベルでは話が出来ません。――震災後二週間ほど経過したある日、ポリタンクを持参して自衛隊の給水車から水を貰っていた時、たまたまカーラジオから流れていた「上を向いて歩こう」を聞いて、なぜだか涙が止まらなかったこと――を、ふと思い出した。


01/03/24
大下宇陀児「奇蹟の扉」(春陽文庫'59)

初版発行は古いものの、私が入手して読了したのは昭和51年の第10刷版。簡単に入手出来る作品でもないが、それほど目茶苦茶に困難でもないという入手の難易度かと思われる、大下宇陀児が戦前に執筆した初期の長編。

資産家の画家、江崎良造は血の繋がらない妹の淑子が自分のことを愛しているとも知らず、バーで知り合った美しいモデルの久美子に魅せられ求婚する。久美子は暗い過去をいくつも持っており「結婚すると不幸になる」といい、一旦拒否するのだが良造は強引に結婚して自宅に住まわせる。外遊から前触れ無く戻った淑子。愛する兄が結婚していることを知り愕然としながらも、江崎家と親しい芹沢医師一家の新一から求婚された際に手ひどく断った。結局それなりに奥様の地位を楽しんでいた久美子は、ある朝届けられた手紙を見て愕然とする。刑務所に入れられたことから関係を絶った内縁の夫、坂田からのものだった。良造に嘘をついて坂田の元に駆けつけ、逆に恐喝される久美子。坂田は犯罪が露見したため潜伏中で、高飛びの費用が必要なのだという。その晩、江崎家に伊豆原という良造の友人が訪れるが、久美子と伊豆原はまた、互いの顔を見て衝撃を受けた様子。さすがに良造もただならぬ妻の様子に不審を抱く。そしてその晩、久美子は射殺死体となって発見される。

おお、これは大下宇陀児の本格推理だ
サスペンス系や、奇妙な味など人間の恐怖や欲望などを中心にひねった登場人物や舞台、そしてプロットで謎を組み立ててることの多い大下宇陀児。だが本書は、舞台背景や登場人物の配置が(人間関係などにはそれなりに配慮されているとはいうものの)、何となくありきたりだな、というのが冒頭をしばらく読んでの印象だった。
ところが、発生する事件は限定された登場人物しか実行し得ない殺人事件。 自殺に見せかけられた他殺死体。ふき取られた血痕。銃声の直後に閉まる扉の音。事件は、、Who done it? そして、How done it? の二重の謎に包まれる。容疑の濃い者、犯罪をなしえたものが逮捕される中、部屋に残された証拠を元に着々と推理を重ねる芹沢新一。現場に残された花瓶の破片。飛び散っている小さな蝋。果たしてこれらは何を意味するのか? 登場人物の不可解な行動が加わり、一家を守ろうとする老医師や、決して正義のために推理するのではない芹沢など、登場人物心理にもいよいよ混迷が加わる。最後に明かされる真相とは?
実際にこのようなことが可能かとか、本当にそれでそうなるのかなどは「探偵小説につべこべ理屈を言うんじゃない!」ということで却下。及び「科学捜査なんて糞くらえ」(by喜国さん)のノリも必要。そもそも探偵小説を読む時にそういうつまらないこだわりを持ってはいけない。明かされたトリックを驚きと共に素直に受け入れないと。そして「大団円」による安心感。人間の気持ちの結末を「ここからは恋愛小説作家の領域」と書かない大下氏の不器用さが、却って心地よく感じられる。

「大下宇陀児は本格推理が嫌いだった」と言われているが、それと実際に残した業績は別ってことなのだろうか。個人的には大下氏の別の側面を見いだしたようで、なかなか楽しめた。実際にその処理方法やアイデアが多少、本格を標榜した王道組に比べて拙劣であったとしても、このような作品を見いだすことが「探偵小説の醍醐味」なんだと思う。


01/03/23
新野剛志「八月のマルクス」(講談社'99)

'99年、第45回江戸川乱歩賞受賞作品。(この作者の名前を見掛けるたびにメッツに飛びこんだ彼のことが頭に浮かぶ……)←別に他意はありません。失礼しました。作者は乱歩賞応募のために失踪・放浪生活(ホームレスに近い)を送っていたらしく、その執念には感心する……。

私、こと笠原雄二は五年前までは売れっ子お笑いタレントだったが、写真週刊誌にレイプ事件のスキャンダルを捏造されたことが原因で母親が自殺。それをきっかけに引退して、アパート経営にて生計を立てていた。それ以来縁を切っていた元の相方、立川が、ある晩、久しぶりに私を訪問して自分が癌で余命が幾ばくもないことを告白した。丁度その晩、その五年前のスキャンダルの引き金を引き起こした張本人、片倉という編集者が何者かに殺された。警察の訪問を受けた私は、立川がアリバイを証明してくれると説明するが、今度はその立川が収録番組をいくつもすっぽかし、失踪してしまったとプロダクションから私に連絡が入る。テレビ局で元マネージャーと相談した私は、早速取材に訪れた過去に遺恨のあるレポーターを殴りつけ、局を後にする。しかし、私は何者かの尾行されていた。尾行者は女性で、立川が自伝兼暴露本を出版するために密かに連絡を取っていたゴーストライターだという。私は、立川の病気を知りながら交際していたアイドル大島梨子の訴えもあり、失踪原因について探る決意をする。

「お笑い芸人の世界」が舞台、ではあるがごく普遍的ハードボイルドミステリ
「芸能界を自らの意志で去った元人気お笑い芸人」――○○を引退した男(○○にはいろいろな職業が入る)というパターンはハードボイルドには数あれど、このような設定の作品は、まず本作が初めてだろう。とはいえ、作者がお笑い芸人というわけではないので「ギャグ満載」を期待されると困る。作中にもそういう「ネタ」は控えめであるし、あったとしても到底笑えない。あくまで、お笑い芸人という強い印象の職業を借りてきたという印象が強い。素顔のお笑い芸人がみなハードボイルドな主人公になるのではなく、ハードボイルドな主人公が、単に過去の職業としてお笑い芸人を選んでいた、という印象。
ハッキリいってしまえば、近年の乱歩賞作品の傾向が見事に出ている作品。 つまり「特殊な業界」「過去の人間関係が引き起こす謎」「謎を追う主人公と妨害する勢力」そして何よりも「ハードボイルドの形式」。失踪した友人が持っていた秘密を探っていくと、過去におきた事件があって、自分の過去ともそれが結びついて……と、その部分だけ作品固有の事項を抜きに取り上げれば、どこかで見た筋書きなのだ。良く言って無難、悪くいえば、新規性があまり見られない作品。とはいえ、それが近年のエンターテインメント小説の王道の一つであり、結末に(読者に明かされないという意味での)謎をいくつか残してある点、ミステリーであることは否定しない。またプロットを繋げるタイプの小説技法としてもまずまずまとまっており、実力の高さも伺える。読みやすいし、物語に適度の起伏もある。

個人的に気になったのは、明確にそう書かれているではないながら、登場人物の感覚の中で、人の命に軽重がつけられているように思える点が違和感となって残った。特に犯人サイド。結果はとにかくとして、故意でもない事故死に対して、複数人数が自分の人生を犠牲にしてまでも復讐の鬼となっていたことへの違和感は拭いきれない。

本書一作だけを新鮮な気持ちで読むことの出来る読者にとっては、本作は十分に面白いと思う。逆にミステリを有る程度読み込んでいる人にとっては、新しい試みが少ない分ちょっと物足りなく思うのではないだろうか。
グルーチョっていえば、やっぱりW・マーフィーなんだよな、ワタシ的には。(トレースに仕事を持ってくる保険会社のおっさんの綽名なのだ)


01/03/22
太田忠司「僕の殺人」(講談社文庫'93)

80年代の始めよりショート・ショート中心に活躍していた太田氏が、書き下ろしにて長編デビューするきっかけとなったのが'90年に講談社ノベルスより刊行された本作。続いての『美奈の殺人』『昨日の殺人』との三作で「殺人三部作」と呼ばれる。現在は狩野俊介シリーズ他、様々なシリーズを持つ人気作家で、自身のWEBサイトを早くから運営しておりネット上でも有名。

僕はこの事件の犠牲者であり、加害者であり、探偵であり、証人であり、またトリックであった。そして記録者になろうとしている――中学三年生の僕、こと裕司は父と母を五歳の時に亡くし、「胡蝶グループ」総帥である叔父と叔母、そして一つ違いの従姉妹、泉と四人で暮らしていた。高名な作家だった裕司の母親は父親に無理心中を仕掛けて別荘で殺した、といわれており、現場にいたはずの幼い裕司は全くの記憶を無くしてしまっていた。そんな裕司の前にフリーライターと名乗る小林という男が現れた。裕司の両親の心中の真相は、実際に報道されているものと異なると言うのだ。強く反発する泉により、一旦小林は引き下がるが、彼は裕司に「君はいったい誰なんだ?」と奇妙な言葉を残す。気持ちを強く揺らす裕司は、小林のことをきっかけに事件の真相を自分なりに見つけだそうとする決意をする。

一人六役の試み、青春ミステリ、自分探しと様々な趣向全てが成功した異色作
ある事件を回想するという一人称で始まる文章。梗概で述べた通り、”僕”は、犠牲者、加害者、探偵、証人、トリック、そして記述者の一人六役を務めている。 こういう作品を形容するに必ず「ジャプリゾばりの」という言葉がミステリ界では一般的ではあるのだが、私は『シンデレラの罠』を読んでいないので使えない。となると、フク的形容詞では『猫の舌に釘を打て』風とか言えばいいのだろうか。(三役だったけど)
さて。
自分が五歳の時に発生した事件を探る中学生が主人公。ナイーブで思いこみが激しく、それでいて無鉄砲な性格の彼から立ち上る「少年らしさ」と、行動力や洞察力、そして深い思索力から感じられる「大人っぽさ」――これらが微妙に融合した主人公像は誰もが共感を覚えるのではないだろうか。「自分自身の正体を自分自身で探ること」 このようなテーマを持った作品は他にも相当数存在するが、従姉妹の泉との触れれば壊れそうな恋愛が同時に進行している主人公の繊細さが、本作品での印象を場面場面で胸を打つ。子供ゆえの壁に阻まれるもどかしさもありながら、着々と真相に迫っていく主人公。彼を襲うサスペンス風味の味付けもいいし、いかにも中学生視点ながらクールに他人を分析しているところも面白い。するするっと物語に引き込まれてしまう印象。
ともすれば大胆すぎるのでは、とも感じられた「一人六役」の試みも、終わってみれば確かにうなずけるものになっているし、最終的に全てをクリアにせずに曖昧さを残して終わる方法も、本書においても相応しい。(岡嶋二人『クラインの壺』のもどかしさとどこか似ている) 事件そのものや、関係者の配置が非常に巧妙に計算されているように感じるのは、気のせいだろうか。

なぜか今まで縁の無かった太田忠司氏作品だが、旺盛な執筆により既にその著書も膨大。さてこの山脈をどれくらい崩していけるものだろうか。(今回は太田作品初読ということもあり、突っ込んだ分析が出来なかったし)本書に関しては、その大胆な試みそのものも充分に面白いのだが、ラストの持って行きようのない切なさに胸を打たれる。強い印象を持ったミステリ。


01/03/21
岸田理生「最後の子」(角川ホラー文庫'93)

岸田氏は演劇や映画のジャンルで主に活躍する作家で現在も活躍中。本書は'86年に光風社より刊行された短編集に加筆訂正を加えて立ち上がったばかりの角川ホラー文庫のラインナップに加わったもの。

神社の境内で柔らかい卵を掘り返す夢を見た男は、ある日七、八歳の子供と出会う。人間らしさの薄いその少女を男は連れ帰り、一人で世話を始めてしまうのだが『柔らかい卵』
夢の中で動物を襲う犬になった夢を見た男は、その日から毎晩毎晩自分が犬になって暮らしている夢を見続ける『父の血の……』
その街では全ての人間が不眠手術を受け、一日二回の労働が義務づけられていた。男は厳罰に処される「睡眠」を誤ってとってしまう『不眠の街』
考古学者が土中から黒い楕円の球体を掘り出した。それは全ての光景、全ての世界を取り込んでしまう「眼」だった『楕円球体』
世の中の全てが反乱を起こし、人間を写すことを拒否しはじめた。人間は鏡に映った身体のパーツを少しずつ欠落させてしまう『鏡世界』
人類が子供を産めなくなって二十年。最も若いのは”最後の子”と呼ばれる十人足らずのメンバーだった。その中の夫婦は聞こえる筈のない赤ん坊の泣き声を聞く『最後の子』
猫一匹、犬一匹、母一人、子一人の過程は静粛な晩餐を迎えていた。彼らは全員テレパシーによる意志疎通が可能で言葉は不要だった。母や息子とその父のことで悩んでいた『記憶のまちがい』以上七編。

自分自身が「他人と異なる」ことの悲劇と、深い孤独と
導入をどうして、中盤をこうして、終盤をこうする。登場人物をどのように配置して、どのように交わらせる。舞台には何が適当で、背景には最も効果的な事象を挿入する。色々な小説の書き方はあると思うが、岸田さんの場合、全ての点で「読者の印象」を計算され尽くしているように感じられた。無駄なエピソード、意味のない登場人物がなく、すっきりして上手さだけが感じられる。また「蘊蓄」の使い方もまた巧い。神話、寓話、科学知識、医学用語……など、作品の随所に見られる。そしてそれが、多すぎずくどすぎず、必要なところに必要なだけ、つまり物語の雰囲気を支えるいくつかの柱のうちの一つとしてきちんと作用している。
単なる技巧派だけに終わらない。その独特の世界観が作品集内部で一貫しているように感じられた。それぞれの作品にて扱われるテーマは、かなり異なっているにも関わらず、だ。それは――「他者と異なる者の孤独、そして孤独から生まれる再生」 人間を支えている連帯感。これがぽっかり抜け落ちることによる恐怖。頼る者のない寄る辺無さ。岸田ホラーの原点はここから出発しているように思える。そして単なる恐怖やパニックだけで終わらせず、例え異形の者であっても次世代に繋がる(ある意味、終末のない)予感を残して物語を閉じている。それが希望であるか、絶望であるかは問題ではない。とにかく「継続」を感じさせることで、短編でありながら物語世界全体が、その分量以上の広がりを持っているのだ。
幻想小説風にまとめた『楕円球体』の評価が高そうだが、個人的には冷たい手触りがなんとも不気味な『柔らかい卵』、SF的設定と忍び寄る不思議な怖さが結実した表題作『最後の子』あたりが気に入った。

岸田さんの作品は他にも同文庫に収録されている。私は本書で始めて接したのだが、文章そのものよりも、テーマや舞台を少々変えてあっても、中心部に流れている独特の世界観が一定している。恐らく自分の作品世界が既に確立しているのだろう。この世界がある限り、最低限のレベルは常にクリアした作品を放っていることは間違いなさそうだ。