MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/04/20
舞城王太郎「煙か土か食い物 Smoke, Soil or Sacrifices」(講談社ノベルス'01)

メフィスト賞としては第19回の受賞作品だが「新世紀最初のメフィスト賞」という肩書きの方がしっくりくる。手垢のついた「メフィスト賞」という題名でなく、新しい賞をこの作品のためだけに用意してもいいんじゃないか、とまで思った。スゴイ作品。

福井県の政治家の四男として生まれ、高校卒業と同時に家を飛び出して奨学金で苦労して勉強し、現在は医者になった奈津川四郎。米国の病院にてノリノリで外傷外科手術をこなす彼に、母親が集中治療室に入っているという報せが入る。白衣のまま飛行機に飛び乗り、福井県の西暁という町の病院に向かうが母親は意識不明の重体。この街を最近騒がす連続婦人殴打事件の犠牲になったのだ。手づるで使える警察官や検事をチェック、四郎は事件の発生した場所から、誰も気付いていないある事実を発見。それをネタにして手掛かりを要求しようと考える。しかして、その「場所」にはなんと実際に空の棺桶が埋まっており、四郎は何もなかったら埋めておこうとしたエロ本の切り抜きを川に投げ捨てる。警視庁勤務の友人を脅す彼の前に現れたのは、兄の三郎とその友人の名探偵。彼同様にその場所を嗅ぎつけたのだ。探偵は、行方不明になっている四郎の兄、二郎の行方も追っている、という。入手した資料から四郎はすぐさまいくつものヒントを解明するが……。

皮膚感覚のリズム&アクション。誰かこの最高ヤローを止めてくれ

年末まで覚えておいてミステリベストにきっとこの作品投票しちゃうぜ。オレ多分。そんな機会があればだけどね。

ノベルスには珍しい一段組みの目的は、決して単に奇をてらったものではなく、句点のやたらすくない舞城氏の文章のリズムを壊さないため、とみた。カタカナで表現される様々な英語が文章に氾濫し、細かく切れた思考そのものが単純に活字に並べられたかのような文体はとにかく独特。主人公、四郎の自分勝手で冷徹で酷薄で短気で無鉄砲で、それでいて頭の回転がむちゃくちゃ早くてそして少々センチメンタルな性格を、読者はえんえんとページを捲ってなぞり続ける。えんえんと。彼の性格がひどいことはひどいながらも、すっきりさっぱりした思考経路と急ピッチで回転する頭脳のコンビネーションは、かなり魅力的。全く飽きさせない。
果てさて、そんな四郎の経験するのは母親が遭遇した殺人未遂。怒り狂って手掛かりを強引に集めて……まではそれほど変じゃない。そこから普通のミステリならミッシングリンクの要諦にならんとするような「謎」を序盤で次々ビンゴ! してしまう。サイコキラーの考えることのアホらしさを滅多切り。読者を煙に巻いて突っ走る主人公。「事実は小説より奇なり」? 「ノンフィクションを越えられないフィクションに価値なんかあるかい!」という作者の主張(と勝手に私が思っただけだが)が、冒頭から響き渡る。……と、気付くと地元の名士、奈津川家に育った四人の兄弟の悲劇。一郎、二郎、三郎、四郎。フィクションだから記号なんだな、名前も。とはいえ、こちらの読み応えがまたスゴイ。強烈。絶対的父権主義者とその息子たちの悲劇。悲劇の淵への落ち方がいろいろあるとするならば、本作のエピソードは「まっしぐら」としか表現のしようがない。
どこにもいそうになくて、実は「現代」という基準で捉えればどこにでもいる友人たちを交えて、山あり谷ありのそれほど深い意味のないアクション。そして犯人発見。あっさり。実にあっさり。そしてとんでもない方法での告発も、ここまで主人公と一緒に行動してきた読者にとっては驚きも少なかろう。最後まで創造的破壊と破壊的破壊を繰り返し続ける作品。勘の鋭い人ならば、連続殴打事件の真相くらいは予想がつくかもしれない。しかし、こちらも主人公によるその告発の部分で別の意味での驚き、そしてと共に感動を覚えるはず。執拗に繰り返して描写される奈津川家の悲劇と絶望は最後の最後、美しく帰結する。すごくイイ。

いやなんというか。かっての「メフィスト賞」が帰ってきたのか。文学における「賞」の意味が「ジャンルに新しい血を入れる」ってことにあるのなら、ここまで新しい「血」を持ち込んで来る作家が受賞するのはまっこと相応しい。ブラッド。そしてブラボー。二十一世紀のミステリ界もまだまだピカピカに明るい。


01/04/19
横田順彌「とっぴトッピング」(アルゴ文庫'88)

光風社より四冊のみ刊行されて終了したアルゴ文庫。そのうちの一冊でヨコジュンのジュニア向けハチャハチャSF短編集。越智一裕氏のイラスト。

謎のセールスマンが売りつけていったのは未来から来た「留守番」する電話『留守番電話』
タイムマシンによって歪められた東京ドーム。ヤクルト、巨人のOBが『ああ! 栄光の背番号3』
爺ちゃん、姉ちゃん、僕は宇宙人に拉致され身体の一部を差し出せと言われて『宇宙人のテスト』
長屋の便所に落ちてきた紅毛碧眼の異人は子供を助けるために堀の水を割る『落噺 長屋の珍客』
お釈迦様を尋ねて来たゼウス様は石地蔵をどうしても貸して欲しいという『釈迦殿にて』
じいちゃん宅の古井戸から小判が。大人は醜い争いをすぐさま開始した『ご先祖さまのプレゼント』
どこに行くにも雨が降る雨男の傷心旅行もまた雨にたたられた『傷心旅行』
墓地の裏に立つドラキュラは寿命が近付いたので仏門に入門したいという『仏門帰依』
地球を消滅させる代わりに好きな願いを聞いてくれるという宇宙人が現れた『プラプラ星人の約束』
SF作家のワープロが壊れたが、書いた記憶のない作品が次々と現れて『奇跡』
今まで誰も殺されたことのない極楽で殺人事件。地獄の元刑事が大量の指紋に挑む『極楽殺人事件』
太陽系パトロールに務める父親を持つ進太郎はその機転で地球人の敵を撃退する『進太郎くんの大冒険』
作家の自宅に押し掛けてきたのは息子を物書きにしたいというあぶない半魚人『作家志願』
脱サラで始めた布団感想屋。一人の謎の人物がただ働きしたいとやって来る『出エジプト記』
コンピューターにSFを執筆させるという「究極のSF」そのできばえは?『究極のSF』以上十五編。

やさしめおとなしめのハチャハチャ
本書(というか本文庫)の対象年齢は果たしていくつぐらいだったのだろう? 小学生の高学年から中学生くらいか。ライトノベルといえばライトノベルで、イラストが「いかにも」な雰囲気を醸し出し、それらしき対象を意識した作品も散見される。しかし、基本的には横田氏の普段の作風そのままの作品の方がよほど多い。ある意味、横田氏のハチャハチャSFというのは全世代向きであることを実感させてもらった。
ダジャレで落とす相変わらずの作品には安心感さえ漂う。たとえば『留守番電話』。横田作品ならば、どう展開してくるのは読む前から既に分かっているようなもの。そう、やっぱり電話が留守番するんですね。ただ、こればかりは分かっていても、ここからきちんと上積みされているので楽しく、気張らず、深く考えずに読めて、かつ楽しい。まさかこれが警察手帳と繋がるとは誰も思いません、普通。他の作品にしても江戸時代とモーゼ、現代社会にミイラ等々、組み合わせは奔放かつ大胆なものばかり。SFとしてアホらしい(良い意味で使ってますからね、もちろん)くらいの設定の組み合わせが織りなす横田ワールドの妙技。そして、着地点はもちろん「ダジャレ」。吹き出すほどには笑えない。けれども本を持つ腕が「くねっ」と落ちるような脱力感。一冊読んでも分からないかもしれない。だけど徐々にじんわり嵌ってくる。横田ワールドの魅力はこの力の抜け加減かも。そしてあまりダジャレ連発はない代わりに、ぴりりとオチで効かせる本作品集くらいのレベルが、少なくとも私にはツボかな。

そもそも「アルゴ文庫」という存在が多少珍しいので、本書をわざわざ探してでも読め、とは決して申しません。横田氏も現在はハチャハチャSFの新作を執筆していない様子ながら、古本屋に行けばいくらでも「遺産」が残っているので「なんでも良ければ」探すのは非常に容易なはず。短編一編で合うか合わないか、多分御自身で判断出来ることでしょう。


01/04/18
小野不由美「黒祠の島」(祥伝社ノンノベル'01)

屍鬼』以来久々の小野不由美の新作――というより『東亰異聞』以来久々のミステリ、というべきか。真っ向から(大人向け)小野不由美ワールドを展開した本格ミステリ。

ライターや編集者相手の調査事務所を営む私立探偵の式部剛は、親しい友人のノンフィクション作家、葛木志保から鍵を預けられる。三日して帰って来なかったら部屋を始末した欲しい――そして彼女はそのまま失踪する。残された手掛かりから彼女が「羽瀬川志保」という名で「夜叉島」出身らしいことを探り当てた式部は、島のある九州へと向かう。聞き込みによれば葛木は、もう一人の女性と二人して夜叉島行きのフェリーに乗ったのだという。家々に大量の風車が回り、独特の儀式が未だに続く夜叉島。宿を取って聞き込みに回る式部に対し、島民は皆、彼女など知らないと言い張り続ける。しかし、住人の妨害に辛抱強く耐えた執拗な捜査の結果、つい最近の嵐の夜、島の神社近くで全裸の女性死体が無惨な状態で発見されていたことを突き止める。医者が警察に届けるよう指示したにも関わらず、島民がそのことを警察に届けた様子は見えない。果たして彼女は志保だったのか? この島に隠された秘密とは?

重厚さもまた必然。日本人の心の奥底に「鬼」はまだ確かに存在する
独自の風習に縛られた島、余所者をあからさまでなく、しかししっかりと拒絶する島民、日本の法律や常識が通用しない、それでいて秩序が保たれている地方――と、その描写を読むにつれ、藤本泉さんの「えぞ共和国シリーズ」を想起したのは私だけでもあるまい。(……が、それほど多くもないと思われるので、補足しておく。藤本さんは『時をきざむ潮』で乱歩賞を受賞している作家で、外部に対して固く殻を閉ざした少数コミュニティをテーマにした一連のミステリを発表している) 警察権力さえも無力化してしまう土地で、彼らの意志に反して活動する主人公。想像するに非常に危険でかつ困難なことは目に見える。ただ、徐々にながら、島民が主人公に協力的になっていくあたりから、藤本作品における狙いと、小野さんが本作に乗っ取って訴えてようとしているもの違いが、くっきりと感じられるようになる。単なる中央への反発が物語のテーマでないことが、まず明らかだから。この島は、結局、小野さんの「舞台」に過ぎないのだ。
(以下、ネタバレの単語を伏せます)
私がこの物語の中で受けた衝撃の中で、最も大きかったのは島民が「罪と罰」という論理の中で「罪が起きた後発生した事件は罰」であり、後の事件が「詮索されず、皆が罰なのだ、と至極あっさりと」受け入れてしまう点。婉曲でごく遠回しの表現ながら、日本人が脈々と持つ悪平等主義を告発しているように思えた。ただ、ミステリとして更に高めた結果「その罰の真贋を見極める鬼という存在」を持ち込むあたり、小野さんの作品は一筋縄ではいかない。突きつめれば、この舞台ならではの「非常に特異な動機、罪のある人間なら殺していい」を「どんでん返し」に利用している点もスゴイ。

物語随所の描写が重いと受け止める人もいるだろう。しかし元もと小野作品は日本に存在する色の単語を駆使した描写や、「何か」が潜んでいるのではないかという「怖気」が非常に巧みに表現されていることが多く、本作もまたその系譜にあたる。そしてまた、別の日本の歴史が脈々と受け継がれるこの土地を描写するには、小野さんの表現力が大きく生きる。物語の動機に込められたテーマの重さ、理解し難しさと相まって「十二国記」などに比べれば、遙かに一般受けは望めそうにないものの、個人的には本作に高い評価を与えたい。


01/04/17
柄刀 一「殺意は砂糖の右側に」(祥伝社ノンノベル'01)

『小説NON』誌に'99年から翌年にかけて掲載された短編に書き下ろしの『ダイヤモンドは永遠に』が加えられて刊行された、柄刀氏の八冊目にあたる短編集。'98年デビューにも関わらず、この刊行ペースは驚異的。

IQ190、小笠原諸島で研究三昧の祖父と暮らしてきた天地龍之介。祖父の死により身元引受人を訪ねて初めて東京に出てくる。その引受人はフィリピンで消息不明になっているとのことで従兄弟の天地光章が、生活能力ゼロの龍之介を引き受けることになる。東京からフィリピンに至るまで、遭遇する不可思議な事件を龍之介が解き明かす。
三角関係のもつれから屋上から転落した男。死体の背中には何故かある筈のない矢が突き刺さっていた。『エデンは月の裏側に』
旅費を稼ぐための料理コンテスト。主催者の一人が珈琲の毒物で死亡。グラニュー糖に疑いがもたれるが。『殺意は砂糖の右側に』
クイズで旅行券を入手した二人は、チケット受け取りのためにナイトクラブへ。支配人が何者かに殺される。『凶器は死角の奥底に』
フィリピン行き飛行機の中、パックツアーの一人がトイレで死亡。何故か中には血ではなく赤インキが。『銀河はコップの内側に』
現地の神様を事故で倒した二人は儀式に連行される。拳銃で人形を光章が撃つとガイドの顔面が弾けた『夕日はマラッカの海原に』
フィリピンから恋人の一美に国際電話。ダイヤモンド密輸のトラブルに巻き込まれるが隠し場所が不明『ダイヤモンドは永遠に』
ようやく辿り着いたフィリピン奥地。引受人は帰国した後。しかし彼は密輸の共犯として疑われている。『あかずの扉は潮風の中に』 以上七編。

雑学博士、天地龍之介、バンザイ!
これは逆算のミステリとでも名付けたくなる。
普通の人にはちょっと知られていない科学や雑学など各分野における一般には知られていないマメ知識的な情報が先にあり、その小ネタに合わせてミステリトリックとしてのシチュエーションが考え出され、そのシチュエーションに当てはまるミステリとしての物語が描かれ、最後に連作としての物語の体裁が整えられる。仮にそうと分かっても、そのマメ知識的情報が非常に目新しいため、それなりのエンターテインメント性は保証されている。ただ、いくら手掛かりがばらまかれていたとしても、トリックに該当する特殊な知識なしに読者が真相を見抜くのはまず不可能。このような作品も「本格ミステリ」と呼ぶべきなのか? などとちょっとした疑問も湧く。ただ「本格」云云は別にしても、これもまた一つのミステリの方法論であり、面白いのでそれでいい。なんでも知っている天地龍之介、バンザイ。なんだか短編一つを読み終わるたびに新しい知識が身に付くような気がするぞっ!
個別には、龍之介&光章がフィリピンへ旅立つ前の方に惹かれる作品が並ぶ。衆人環視の毒殺の中でも盲点を突く『殺意は砂糖の右側に』や、ナイトクラブの中でのやり取りのユーモアと、その奇抜なトリックが光る『凶器は死角の奥底に』あたりの綺麗なアクロバットに注目。反対にフィリピンに到着してからは、シチュエーションが日常から非日常に移った分、物語にノリ辛くなっているのが少し残念。

ちょっとだけ引っかかった点。探偵役の龍之介は「IQ190の天才」ということになっている。私の理解では、IQというのは頭の回転速度や記憶力の確かさを問うもの。190ともなれば相当に回転が速いはず。しかし全編に感じられる「龍之介の頭の悪さ」(言葉が悪ければ「気が利かない」でもいい)が、引っかかる。本当に頭の良い人ならば「場の雰囲気」や「その場の状況」を考えて総合的に判断することにも長けているもの。いくら離島で育とうと、龍之介が本当に頭が良ければ、すぐに身に付くものではないか? 天然ボケの性格と知識豊かな名探偵が同一人物であることは一向に構わない。しかし、ここにIQという絶対値が持ち出されることで、なんか変だよなー、という気がするのだ。ま、どうでもいいことだけど。

「長大で重い」そして「凄いトリックが使われる本格」という今までの柄刀作品の常識を簡単に打破してしまった。取っつきやすいという点は大いに評価出来る。同一主人公で連作の趣向を持ちながら、完結していないので今後も継続して刊行される可能性大。また、気軽に手に取ることにしよう。


01/04/16
角川書店(編)「ドッペルゲンガー奇譚集 ―死を招く影―」(角川ホラー文庫'98)

「もう一人の自分の姿を見た者は必ず命を落とす――」洋の東西を問わず語り継がれるドッペルゲンガー(自分の分身)譚。現代日本を舞台にしたドッペルゲンガーにまつわる物語を集成したアンソロジー集。編集部編という体裁ながら、編集協力として七北数人氏、山前譲氏の名前がある。

阿刀田高『知らない旅』 :旧知の女性と初の浮気旅行に出た夫は入院中の妻の影を見て怯える。妻は強く念じると自らの分身が生まれると言っていた……。
小池真理子『ディオリッシモ』 :百貨店勤務のエリート女性が倒れた。上司との会食のために無理をする彼女は、乗車した電車が、いつの間にか子供の頃の彼女の住む街に到着していると気づく。
筒井康隆『チューリップ・チューリップ』 :自己愛の固まりのおれはタイムマシンを作って試運転を行ったが故障によるタイムパラドックスでおれがどんどん増えてしまう。
増田みず子『分身』 :自分を裏切った恋人に当てた手紙。追伸には”自分の石仏”が必ずあるという石仏の村の話が書かれていた。
生島治郎『誰……?』 :小説家として生活する私の前にはいつからか「私」を否定するもう一人の私が現れて私を罵倒するようになった。
森真沙子『エイプリル・シャワー』 :一人暮らしの浪人生は同じマンションに暮らす女性のヌードを目撃してから、そちらに気がいって勉強に身が入らない。
山川方夫『待っている女』 :ささいな喧嘩から妻が飛び出した。残された夫は煙草屋の前で、ひたすらに誰かを、何時間も待ち続ける女が気にかかる。
皆川博子『桔梗合戦』 :二人暮らしの母親が亡くなった。母には三人のパトロンがおり、みずほはその一人と食事をする。彼らは、母の踊りに惹かれていたという。
都筑道夫『高所恐怖症』 :高所恐怖症の画家は、そのことを気に掛けるあまり自分が飛び降りする夢を見る。そして現実でも自分が飛び降りをする幻が見え始める。
赤川次郎『忘れられた姉妹』 :女子大生克子は48歳妻子持ちの男性と不倫関係を結んでいた。彼女の周囲ではもう一人の克子が起こしたとしか思えない事件が続発する。

地味なテーマでまとめられつつ、執筆陣は実に超豪華
上記の通り、合計十名を数える執筆者のうち、直木賞作家が四名、泉鏡花賞作家が二名。そしてその両賞とは縁こそないながら人気作家、都筑道夫、赤川次郎を擁した作品集。 かといって主題である「ドッペルゲンガー」という存在をしっかりと踏まえた作品ばかりが並べられている点、アンソロジストのセレクトの上手さがまず強く感じられた。
そしてそれぞれの作品のテクニック。全ての作品が既に何らかの形で単行本化されており、この主題にて編集されることを前提にして執筆されていないにも関わらず「主題の扱いの上手さ」を一つ一つに感じる。「もう一人の自分」「自分自身が二人存在する」という主題の中で、アプローチや、視点の角度を変え、展開を工夫して恐怖というより幻想的な興趣を誘っているように感じられた。
実際に思い浮かべるといい。よっぽどのナルシストでない限り、自分自身の容姿、性格、境遇、環境に至るまで、普通誰もが何らかのコンプレックスを持っているもの。そんな自分が、自分自身の幻影と対面した時、良い面よりも悪い面ばかりに目が行くに違いない。それって、想像するにものすごく厭なことだと思うのだ。
「恐怖」という意味では赤川次郎『忘れられた姉妹』が語り口と、シチュエーションの取り込みの上手さが融合していて一つ抜けているように思った。「幻想」ではやはり皆川博子『桔梗合戦』は外せない。森真沙子のエロティックな味わいも捨てがたいが、個人的には山川方夫の不思議なリアル感も気に入った。趣向の突飛さがさすがの筒井康隆、叙情感あふれる小池真理子など、各作品にて異なった味わいを楽しめる。考えてみれば贅沢なこと。

現代作品のアンソロジーは、個人的にあまり手に取らないのだが、このような作品集に出会って今まで縁の薄かった作家の作品と出会えるのは有意義なことだと改めて感じる。特に昨今、多数のホラーアンソロジーが出版されており、そちらも目が離せない。(とはいえ、読みたい本は無数にあるのでなかなか手が回らないのが正直なところでもある)


01/04/15
梶尾真治「占星王はくじけない!」(新潮文庫'87)

結局最後の最後まで題名にある「占星王」さえも登場しないまま終わった『占星王をぶっとばせ!』に続く、《ヌークリアス・ファミリイ》シリーズの二作目にして、現段階では最後の作品。本作は新潮文庫への書き下ろし。イラストが少ないなぁ。

前作において占星王の手下、黄昏僧正のアジトの小惑星スピーディ・ゴンザレス内部で大暴れしたヌークリアス・ファミリイの一家、パパ、ママ、シンヤ、マミの四人とキャプテン・パープルとその部下達。大爆発を控えたスピーディ・ゴンザレスから繋がった占星王の基地に通じるという亜空間にパパは飛び込んでしまい、他の家族とキャプテン・パープルは宇宙船にて脱出した。パパは亜空間内で得意の超能力が封印された黄昏僧正を締め付け、美しい女性捕虜、ミムジーと共に占星王のアジトを目指すが、既に何人もの超人達が入り口にも辿り着けないまま、命を喪っているという。一方、ママ、シンヤ、マミは一悶着の後、宇宙船を緊急脱出ポッドにて飛び出し、漂流しているところを宇宙都市ファイヤー・ランダーに救出される。理想郷を目指して宇宙を航行する都市トシファイヤー・ランダーの船長が、何故だかママに一目惚れ。しかし家族はパパを救出するためにヌークリアス号に戻る必要があった……。

一作目よりもエンターテインメント性大幅アップ!(但し、三作目につづく)
登場人物にしても設定にしても、もちろん作者も第一作と同じなのに、これだけエンターテインメント性がアップしているとは正直、うれしい誤算。パパことマジハル・ガオの性格が、スケベにいい加減にと激しく破綻し、ママの性格はヒステリックにそして優しく二重人格度を増し、ファミリーの良識のシンボルだったシンヤとマミ二人の性格がなんとなく控えめになって登場数が減ったことから、物語全体の躍動感が激しく増したように思われる。特に前作では片鱗しか見せていなかったパパのエッチ度を急上昇させた結果、特に男性読者にとって妙にニヤリとさせられるシーンが増えたように感じた。
主に「パパ」中心に占星王を追って無謀で目茶苦茶な戦いを挑むパート、そのパパを救うためにあっちこっちをうろうろする残りの家族の姿が描かれるパートの二本立て。勢いと馬鹿さ加減で前者の方が個人的に楽しめたが、色々手の込んだ仕掛けのある後者も捨てがたい。更に残念ながら作品中の固有名詞や、シチュエーション、登場人物の言動など様々な部分に、古今のSFのパロディが込められている模様ながら、私にはほとんど分からなかった(鮎川哲也の実在人物登場系の作品をSFの人が読んでも理解出来ないのと同様)。こればっかりは自らの不明なので致し方ない。

一作目でノリが合わず、本書を手に取らない人も多いとは思うが、それはちょっとソンしているかも。十年以上が経過して同じノリで三作目を出したとして受け入れられるかどうかはちょっと「?」な部分もあるが、徳間デュアル文庫あたりで、企画してもらえないのだろうか。これだけ走り出したストーリー、結末がついていないのはちょっと勿体ないような。


01/04/14
馳 星周「鎮魂歌(レクイエム)―不夜城II」(角川文庫'00)

'96年に発表され大絶賛された『不夜城』に続いて'97年に発表された続編が文庫化されたもの。本作で第51回日本推理作家協会賞を受賞し、彗星のように登場したその地位を揺るぎないものとした作品。

新宿を震撼させた銃撃事件より二年。一旦は壊滅的打撃を受けた中国系の歌舞伎町裏社会。しかし台湾系の大物「薬屋」揚偉民の手助けがあって、北京の崔虎、そして上海の朱宏が二大勢力を築き上げていた。ほぼ拮抗した両者だったが、崔虎配下の大物幹部が部下二名もろとも突然の銃撃を受けて死亡する。仕掛けたのは揚偉民。子飼いの軍隊上がりの殺し屋、郭秋生がその実行犯だった。幼い頃、義理の父親と姉を殺した経歴を持つ郭秋生は、東京に留まるよう揚偉民に言い渡された上、よりによって朱宏の情婦である楽家麗のボディガードをするように指示される。不安を感じる郭秋生は、かっては揚偉民の跡継ぎと目されていた劉健一に相談を持ち掛ける。一方、四天王とも呼ばれた有能な部下を失って怒り狂う崔虎は、元刑事の日本人、滝沢に裏切り者を探し出すように指示する。滝沢は別に自分の情婦から、中国人民戦線に所属する一人の男性を探し出すことを頼まれていた。

とても大それた、そしてとてもちっぽけな夢のために
個人的には映画の影響で、本書においても劉健一は金城武のイメージがつきまとう。幸いなことに『不夜城』の世界を引き続いて使用しているにも関わらず、あまり表だって劉健一は(重要な位置にいることは確かだが)行動しないため、頭の中に浮かぶのはひたすら自ら知る歌舞伎町の風景のみ。おかげで、自分なりに世界に没入し、集中して読むことが出来た。
劉健一が、後ろに退いた結果、表舞台に引っ張り出されるのは、弱い二人の男――、郭秋生は台湾海軍の特殊部隊上がりの暗殺のプロ、滝沢は、北京グループの汚れ仕事を請け負う元悪徳刑事。彼らのアウトライン(外見)は決して弱くないのだが、実は彼らは内面的には徹底的に弱い。好きになった義姉を犯し義父と共に殺してしまった過去を持つ秋生、自らの昏い欲望の炎を変態的方法でしか処理出来ない滝沢。暗黒街を仕切る人間たちは、彼らのコンプレックスを巧妙に突いて操ろうとする。知らず知らずのうちに追い込まれていく二人。追い込まれることで自らの手で人を殺し、小細工は崩されて、更に窮地へ。出口のない闇の中をひた走る二人。
馳作品における美学は、暴力と欲望に彩られた破滅への道筋を描くことにあると思う。彼らも好きこのんで破滅への道を歩む訳ではない。何者かに生き方を縛られた我が身の解放だとか、惚れた女への歪んだ愛情だとか。破滅の原因となるのは、権力闘争など大きいものでなく、歌舞伎町の裏社会で全体の中で普遍的に繰り返される、ごく些細なちっぽけな夢にすぎない。しかし、そのちっぽけな夢を実現するだけなら良いのに、大それた、そして緻密とは言い難い計画で+αを欲張ってしまうのが、彼らの本当の弱さ。結局は組織に対して決して勝つことの出来ない戦いを挑んでしまうことになる。格好良くもなく、諦念も感じられない。弱い人間の持つ「悪あがき」こそが物語の墓標
細かい点でいえば、本書は「操り」のミステリでもある。北京上海台湾に日本ヤクザまで加えた四巴の争いは、実は揚偉民と劉健一の代理戦争。二人が何を目論み、誰を駒として操っているのか。登場人物が口にする「あいつは何を考えているのか分からない」、それがそのまま本書のミステリとしての謎に繋がる

基本的に前作を読んだ方がより楽しめることは間違いないものの、本作から読んだとしても特に問題はなさそう。馳作品は基本的にロマン・ノワール、つまりは暗黒小説なので「一冊読んで合うか合わないか」、自身で決めて頂きたいところ。


01/04/13
鮎川哲也(編)「犬のミステリー傑作選」(河出文庫'86)

鮎川氏のアンソロジーといえば、鉄道ものが代表的だが、本作は題名の通り「犬」が登場するミステリ短編を収録した作品。姉妹編として「猫のミステリー傑作選」も存在する。昭和三十年代から四十年代にかけて雑誌発表された短編を中心に収録されている。

佐野洋『放火した犬』:住宅地に喫茶店を開業した男は様々な目論みが外れたことから経営に失敗、喫茶店を燃やして火災保険を略取することを考える。
樹下太郎『無能な奴』:深夜会社に忘れ物を取りに戻った男は上司らが「無能な奴」の話をするのを立ち聞きしたことから、昏い殺意を抱き始める。
香山滋『犬と剃刀』:海辺の別荘で嫌いな夫に監視されつつ生活する多情な女。窓から侵入して来る夫を次回は剃刀で腕を切り殺そう、と決意する。
御手洗徹『野犬と女優』:夫と没交渉になっている女優の妻は、十人以上の男性と行為を通じていた。彼女が自宅の門で野犬に噛み殺されてしまう。
多岐川恭『蝋燭を持つ犬』:アパートに住む老婆は犬に物をくわえさせて隣室に使いに出していた。老婆に関係する男が焼死、蝋燭をくわえていた犬が疑われるが。
竹村直伸『タロの死』:息子が連れて帰ってきた「タロ」という犬を毛嫌いする母親。わざわざ別の男が追い出された犬を連れ帰るが受け取りを拒否。
椿みち子『赤い犬』:鎌倉に遊びに行って飼い犬を見失った一家。その留守宅では真っ赤な色をした犬が庭にいたという。その晩、夫人が門前で惨死した。
仁木悦子『虹色の犬』
以上、渋めのセレクト八編、更に鮎川氏による解題を巻末に掲載。

テーマのみならず、各作家の個性も重視する姿勢に脱帽
鮎川氏が編纂したアンソロジーでは大抵、氏の姿勢として「無名の作家を取り上げる」ということを「まえがき」等で述べられている。もちろん、「無名」というのは現在新人という意味ではなく、いくつかの短編を雑誌に発表したのみで筆を折った作家、これからという時に夭折した作家など、実力はありながら不幸にも世に出てこない作家のことを指す。もちろん、本書でも御手洗徹氏、椿みち子氏などが、その対象となったと推察される。御手洗氏、椿氏ともに独特の「味わい」を持っており、確かにもっと沢山作品があれば評価され得る作風のように思える。
確かにそれらの作家を取り上げることは大切なこと。しかし、アンソロジーとしての本書の凄さは何気なく? 収録されている他のベテラン作家の作品セレクトの確かさに感じられた。本書は題名通り「犬のミステリー」。 主題が先にありき、で収録出来る作品は自ずと限られてしまうはず。そんな狭い範囲の作品群の中から、各ベテラン作家の持ち味がきっちりと出た作品ばかりをきっちりと選んでいる。この点、是非とも気付きたい。
例えば佐野氏。日常的風景の中で起きる事件が論理+論理で展開していくミステリ。樹下氏。氏の特徴であるサラリーマンもの、かつしっかりと悲哀が含まれる。香山氏。多情、かつ魅惑溢れる女性が恐怖に叩き込まれる奇妙な味わい。多岐川氏。こってりした女性の一人称、そして思いも寄らないどんでん返し。そして仁木さん。柔らかなタッチにて描かれる本格ミステリ――。それぞれ、独自の作風を説明したものであると同時に、「犬」を扱う本書収録短編の説明にもなってしまうのだ。奇跡的な慧眼。これぞ名アンソロジストの面目躍如。鮎川氏のまとめたアンソロジーの中でも地味な部類に入るのだが、まさに「これぞアンソロジー」という内容であった。

現在は新装版が(多分)新刊書店で入手が可能のはず。目玉になるのは香山滋氏あたりになるのだろうが、それにとらわれず、万人に手にとって頂きたいと感じた。収録された短編から自分好みの作家をみつけ、他の作品を探してまた読んでみる……という楽しみが味わえる作品集。


01/04/12
古処誠二「少年たちの密室」(講談社ノベルス'00)

UNKNOWN』にて第14回メフィスト賞を受賞し、デビューした古処氏の書き下ろし第二作。「2001本格ミステリ・ベスト10」では六位と健闘した。

二学期が始まる直前のある日、相良優の親友、宮下敬太は伊豆半島の南端の崖下で死体となって発見された。事件は事故と処理されたが、優はその事件の前後、宮下の様子がおかしかったことから、クラスの城戸直樹を中心とする不良グループが関与しているのではないか、と推定する。息子の死を納得出来ない宮下の父親同様、独自に事件を調べ始める優。宮下の葬儀の当日、担任の塩澤の強引な指示により、クラスメイト六人は塩澤の車で会場に向かうことになる。最後の一人、城戸の住む高級マンションの地下、この時東海大地震が発生、塩澤と六人は崩落した建物に出入り口をふさがれ、地下駐車場に閉じ込められる。環境の異変、暗闇、怪我に戸惑いながら、苛立ち対立する彼ら。そんな暗闇の中で、城戸がコンクリの破片で頭を割られて死亡する。これは余震による事故なのか? 何らかの方法で実行された殺人なのか?

密室、そして社会問題。いつまでも心に残りそうなミステリ

本作は密室が出てくる社会派ミステリである。

私には「社会派テーマの本格ミステリ」という位置づけは本作には似わないように感じられた。確かに「本格ミステリ」らしい謎解き部分がある。地震により閉じこめられた男女七人。完全な暗闇の中での連続殺人。実行不可能と思われる殺人を実行し得たのは果たして誰なのか? 謎そのものが斬新で、かつ魅力的であることは事実。本格ミステリファンも十二分に堪能出来る内容であろう。微妙な人間関係を表現した上で、登場人物と共に味わう密室でのサスペンス感も充分。
しかし物語の背骨を支えているのは、密室の謎ではない。あくまで「いじめ問題」とそれにまつわる謎の方である。同級生の突然の死。背後にあるいじめ。謎を嗅ぎ回る少年と事なかれを主張する教師の交わることのない対立。十五年で命を絶ってしまったものの無念は読者に迫り、物語全体を熱くする。いじめの構図や学校の論理、残された者の心の痛みが交錯する中で説明される動機に本書の最大の価値がある。ミクロな登場人物の行動や事件の謎を通じて、現代社会の病理を効果的に訴える。これこそ「社会派ミステリ」ではないだろうか。
全体構図が明らかになった時、本作の「いじめの構図」があまりにも平凡なことにも気付く。しかし、平凡だからこそ、どこで起きるか分からないからこそ、広範な読者に対して訴えるものがある。密室や背景が特殊なだけに、こちらを複雑にしなかったところに作者の物語に対するバランス感覚のセンスを感じる。
ミステリの感想など百人百様、同じ思いを皆さんと共有出来るかどうかは分からない。密室の謎に膝を打つのもいい。逃げ腰の学校に怒りを覚えるのもいい。しかし、「残された者の心の痛み」――読了後にそれが読者の心に残ること、それが作者の最大の狙い、かつ願いのように私には思えた。

メフィスト賞受賞作よりも、数段パワーアップした充実感漂う作品。これを「化けた」というのかもしれない。前作を飛ばしてでも、本作は要チェックであろう。「心ふるえる」というキャッチコピーは決して大げさではない。サプライズと感動を同時に味わえる希有なミステリ


01/04/11
積木鏡介「歪んだ創世記」(講談社ノベルス'98)

第5回メフィスト賞受賞作品。この'98年の2月には積木氏と合わせ、乾くるみ氏、浦賀和宏氏と三者が同時にメフィスト賞デビューを飾った。積木氏自身は『魔物どもの正餐』『誰かの見た悪夢』の二冊を同じ講談社ノベルスから刊行している。

男はホテルの一室のような見知らぬ部屋で唐突に目が覚めた。記憶を失った以上に真っ白で手には斧を握りしめ自分が誰なのか、性別や顔さえも分からない。外は漆黒の闇、そして部屋には二個のトランクと額縁に入ったカップルの写真。煙草を吸おうとしてライターを落とした男は、ベッドの下に女性がいることに気づき驚愕の叫びを上げる。その女性も男と同じ状況にあり、記憶が全く存在しない。額縁の写真は彼ら二人を写したもので、遺留品を調べた結果、彼らは有賀、由香里という名で九州地方に二人で旅行に来ていたらしいことが判明した。ベランダから外を覗くと下の部屋に明かりが灯っている。二人でその部屋を調べに出たところ、部屋の中には首を切られて惨殺された老夫婦がテーブルに座っており、家政婦が首を吊られて殺されていた。パニックに陥り、館を飛び出した二人は、そこが他に何もない島であることを発見、殺人犯の存在に怯える彼らは結局館に戻って自衛することにする。しかし、館からは惨劇の痕跡は全く消え、二人が目覚めた部屋にも明らかな異変があった。さらに翌朝、彼らは何事もなかったような家政婦の声に起こされ、老夫婦の待つ食堂へと赴く。

さすが初期メフィスト賞。気宇壮大の実験的めためたミステリ
考えてみれば第0回のメフィスト賞(公式には存在しないが)を京極夏彦が受賞し、第1回を森博嗣が受賞し、本格推理の新しいムーヴメントか! と当時話題になった。これが第3回にて「???」と煙に巻き、第4/5/6回同時刊行のこの月に「メフィスト賞は訳わからん」という評価を確立したように思う。その後の受賞作品のヴァラエティから、ファンタジーからアクション、暗黒小説まで様々なジャンルを網羅する、ジャンルを問わないエンターテインメントの賞……と印象が変わって来ていたところ、最近はなんか本格ミステリ指向に回帰しているように思うな。
閑話休題。その「メフィスト賞は訳わからん」、きっかけとなった作品の一つがこの『歪んだ創世記』である。
世評的には「メタミステリ」として扱われているようだが、私の場合は「幻想小説」として入った。理由はその文体。主人公の一人称が中心となるのだが、これがどうにもこねくり回されていて座りが悪い。幻想小説によく見られる手法だが、比喩を多用して「びっくりしたこと」「怯えていること」等の心情を念入りに微にいり再に入り表現しているため、読者が読む際のテンポを著しく落としてしまっている。文体そのものは個性であり「合うか合わないか」で判断して頂ければ良いと思うが、昨今のミステリのつもりで読むと、重いことは確か。
ただ、やっぱり中身は「メタミステリ」。つまり、作中の登場人物が自分のいる世界が「ミステリ」であることに自覚的なのだ。 (忍者が敵から幻術をかけられて「うろたえるな、これは幻だ」とちょっと似ている気がする) 登場人物の恐怖の源泉は結局、メタミステリであることに還元され、物語はメタミステリであることから暴走気味に展開する。その暴走の徹底ぶりがあまりにもすさまじいため、これはこれで存在意義がある。笑っていいのか、実は反応に迷うところだが、すくなくとも唐突にアレが登場して意表を突かれない人間はいまい……。ただ、一般的視点まで戻って本作を冷静に観察した場合(好き2苦手8)くらいで好みが分かれそうなのが、辛いところ。それこそがメフィスト賞ならではの醍醐味といえばそれまでなんだが。

やはりメフィスト賞は全て読んでおこうと今更ながらに手に取った。この前後の作品はホント個性的。有る程度の時を経て、ミステリを史的な視点まで引いて考えた時に、本作はリーダビリティなぞ関係なしに、その実験的な内容とぶっ飛び感故に高い評価を得てしまうかもしれない、とまで考えてしまった。とにかく自分的にこのオチはアリ、です。はい。