MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/05/10
戸川昌子「透明女」(徳間文庫'81)

私の敬愛するヘレン・ケラ一さん(謎宮会に執筆)の挙げた戸川昌子オススメ作品のうちの一冊。'70年から翌年にかけて『小説宝石』誌に連載され、'71年に光文社より刊行された作品の文庫版。

タレントやレーサーの卵を発掘して世に送り出すプロモーター、神保壮太郎。彼はスタジオで見かけたタレントの卵、綾川さゆりに目を留める。しかし気の強い彼女は彼の助力の申し出を一蹴、壮太郎はますます彼女に興味を惹かれる。壮太郎が訪れたあるディスコでは、夜な夜な若い女が若い男を拾って連れ帰り、暗闇の中でセックスするという噂が立っていた。その誘う女が綾川さゆりであることに気付いた壮太郎は助手格の馬瀬にストロボ付きカメラを持たせ、相手の撮影を指示して送り込むが、馬瀬はコトの最中にカメラを紛失してしまう。壮太郎は次に盲目の彫刻家を策をもって送り込んだものの、軟禁されたのか戻って来ない。そして壮太郎自身が、別のスカウト女性をたらし込んで部屋に潜り込み、マグネシウムを使って明かりを付けようとしたところ、返り討ちにあってしまう。そんな壮太郎を救ったのは綾川さゆりだった。顔面に火傷を負った彼に、さゆりは特殊なマスクを被せる。どうやらそれは映画スター、白井辰也そっくりのもののようだった。

さぁ、皆さんもご一緒に! せーの、「何じゃこりゃ?」
かってSF評論家の石川喬司氏が「お色気紙芝居」と本作を評したという話が解説にあったが、言い得て妙。主人公は体力あり、知能あり、駆け引き得意でしかも絶倫のスーパー青年実業家。そんなことする必然性はほとんどないにも関わらず、「幻の女」への好奇心を満たすために全身全霊を傾ける。しっかし、その「追っかけ」ともいえる過程は、SFというよりトンデモ。科学的裏付けは非常にぼやかされた御都合グッズの数々には、きっと皆さんも目を見張ることだろう。例えば、顔に貼り付くと別人の顔に同化するフッ素マスク。既に死んだ人間をも生き返らせるイオン発生器等々。果たしてどういう組織が何のために開発したのか。「幻の女」とはいったい何者なのか??????   ……こんなんあり? ありなんです。戸川作品だから。
主人公をはじめとする登場人物はすぐに意識を喪わされたり、気を失ったり。そのたびごとに激しく場面が転換。そしてその場面の突飛さ、奇妙さ、いやもう現代世界がそもそも舞台だったとは思われない世界に読者共々投げ込まれる。その説明はあってなきが如し。荒唐無稽もここまでくれば、最大の賛辞。とにかく二転三転とする一種スラップスティックともいえるストーリー展開にページを読む手を止められない。エロティックな場面ももちろん多々あるが、それを描くこと自体が目的ではないし、他の作品に比べればまだその表現は軽い方だろう。
戸川さんがミステリを離れ、官能ロマン小説(まぁ、ミステリ分類される作品もそうだけど)を中心に執筆していた時期のある意味代表作品(らしい)。恐らく綿密な構想も、緻密な準備もなく、筆のおもむくままに出来た作品なんだと思う……のだが。あってなきが如し伏線。作者自身がうさんくささを感じていないのか、都合の良い秘密組織がぽんぽん出てくる景気の良さ。現実と幻想の境界がこれほど曖昧に出来るあたり戸川さんの内面世界(インナーワールド)の常軌を逸した深さに恐れ入ることしきり。

いやはや。なんとも。うむ。ここまでくれば、皆さんにも読んで欲しい気がするぞ(共犯者を求めているのかも) そして一緒につぶやきましょう。「何じゃこりゃ」と。 ヒラヒトデ、ばんざーい!


01/05/09
島田荘司「御手洗パロディ・サイト事件(上下)」(南雲堂'00)

島田荘司自身がインターネット上で「御手洗潔・石岡和己」もののパロディ・パスティーシュを一般読者から募集。応募された作品から二十二編(!)をまとめ、島田荘司自身によるプロローグと作品、及びエピローグによって構成された解説+おまけつき投稿短編集。

 第一章:島田荘司によるプロローグ。里美の友人の女子大生、小幡が失踪。鍵は彼女がネット上で収集していた「御手洗もの」のパスティーシュ・ノベルにあるらしい……。
 第二章:投稿作品。内容紹介は省略。
  『すべてが『あ』ではじまる』 松尾詩朗
  『ギザのリング』 園生晃子
  『沈みゆく男』 青田歳三
  『ベートーベン幽霊騒動』 角田妃呂美
  『巨乳鑑定士、石岡和己』 優木麥
  『Dark interval &ダージリンの午後』 まる
  『御手洗潔の『暗号』つき女子寮殺人事件』 和泉久生
  『ホント・ウソ』高槻榛●(この方の最後の文字、表記不能)
  『The Alien』 Crystal Stevenson
  『鉄騎疾走す』 小島正樹
  『御手洗さんと石岡君が出ている偽物小説』 佐藤智子
  『御手洗潔と学校の怪談』 コバトミチル
  『Pair Jewels/Pair Lovers』 橘高伶
 第三章:石岡と里美による前半戦の講評、上巻終わり。
 第四草:下巻の作品題名の紹介。  第五章:投稿作品。
  『シリウスの雫』 柄刀一
  『愚かな深海魚は幻影の海で泳ぐ』 伊吹真
  『北国騒動』 馬杉愛
  『夏季色オレンジ』 極楽桜丸
  『US THREE』 徳月モリ
  『スージー嬢』 杉永裕章
  『ALiS』 朝日屋ALiS
  『横浜スタジアム事件』 氷川透
  『追いかけて横浜』 来栖未遊
 第六章:謎の込められた作品はどれなのか? そして彼女が失踪した理由、そして彼女を助け出すための戦い。
 エピローグ:えぴろーぐ。

島田長編としては「?」だが、意外と出来の良いパロディ群にはかなり満足
私自身もかって「雑文」でくさした通り、商売のやり方としてはハッキリ言って汚い。背表紙と表紙に「島田荘司」としか名前が出ていないし、上述の通り背表紙に「本格長編ミステリ」なんて書いてあることには閉口する。最初から本作を「島田荘司とゆかいな仲間たち」とでもしておけば良かったのに。……で、憤慨してばかりもいられないのでテキストを読んでみる……。

……。これが正直なところ(全部が全部とは言わないまでも)いろいろな瑕疵はあれども意外とイける作品が目に付いた。 とりあえず島田荘司自身が執筆したと明らかに分かる部分(例えばプロローグとか)の方が、実はかえって鬱陶しく思える、というと怒られるか。 ただ、単に「島田荘司好き好き」だけでなく、きちんと自らのアイデアをもって乗り込んで来た作品が並んでおり、幾人かのプロ作家が執筆していることを抜きにしても、十二分に鑑賞に堪える。そう、この本を「島田荘司の新作長編」と考えるからいけないのだ。未来に(河出文庫あたりから?)出るかもしれない「御手洗潔アンソロジー集」と思えば、腹も立たない。むしろ好ましい。

個人的に島田作品を非常に好んでいる。しかし、いわゆるキャラ萌えはないのであくまで構成やプロット、発想、そしてトリックの独創性、独特の人情譚など、特に初期作品を個人的に高く評価している。中期以降の作品も、いろいろ言われているようだが、私個人としてはOK。トリックの奇想度の高さ、強引に近い解決(実は病気でした、のオチは苦手だが)など、やっぱり凡百の作家にはマネできないイマジネーションを感じさせるから。
本作のパロディ諸作は、私と同じような形で島田作品を好んでいる方の執筆された作品が多かったように思える。(もちろんそうでないものも多くあるが)『北国騒動』、『追いかけて横浜』、『御手洗潔と学校の怪談』などオーソドックスな形式を守った作品に好感。この系統では、「さすがプロ!」と唸らされた『シリウスの雫』が抜けている感じ。近年の御手洗作品の特徴でもある海外の奇妙な風景の謎、風変わりな事件、混乱する石岡とお約束バリエーションを羅列した上に、トリックと解決に更に柄刀氏の個性をにじませている。別の作品系列になるが、パロディだからこそ、作者には出来ないオールスターキャストを揃えてくれた『スージー嬢』などもポイントが高い。

上下通じて個人的なツボは『The Alien』。英文のショートショートなのだが、元々御手洗潔という人物の持つ独特のバタ臭さが英文に変換(英語にて発想?)されることで、非常に柔らかくなる。そして引き立つ。『Pの密室』で感じられた子供御手洗の嫌らしさも、英語で発言させるだけで急に愛らしく思えてくる。突飛な状況にも冷静かつウィットに富んだ発想で対処する子供御手洗。サイコーですね、これは。

最後に島田作品としての本作評価だが。なんというか。はぁ。がっかり。パロディの方がレベル高いのではない?確かに石岡と里美のラブシーンを書けるのは作者の特権だけれど、誤変換だらけのパロディがそもそも浮いているし(誤変換なら決まったパターンになるはずなのに、奇妙な字をいろいろとあてているのはなぜ?)、暗号やメッセージも独りよがりでしょ、これは。今にも命が危ない人が、わざわざ小説に託して暗号メッセージを送るのか? とか、親がそばにいながらなんでこんなややこしいことを? とか疑問の方が引っかかる。果たして両親の保険金がいくら必要とかいっても、二親が自殺してハッピーエンドなの?……とまぁ、なんだかなぁ。

というわけで「島田荘司の新作長編」などとは決して思わず、あくまで「アンソロジー集」として取り組むべき本。 であれば、思いの外のレベルの高さに感激出来ること請け合い。ただ上下巻はいかにも長大に過ぎるような気はしないでもないけれど。


01/05/08
二階堂黎人「悪霊の館」(立風ノベルス'96)

講談社にて『地獄の奇術師』にてデビューした二階堂氏を代表する探偵、二階堂蘭子が登場する第四長編。書き下ろしにて刊行、現在は講談社文庫より刊行されている。

武蔵野の名家、志摩沼一族。膨大な財産を持つ彼らは、戦前に欧米人が建築したという巨大な洋風建築「アロー館」に居住。ただ館は、その偉容と過去に発生した様々な事件により、付近の住民からは「悪霊館」とも綽名されていた。志摩沼家の立志伝中の人物、伝右衛門は男児に恵まれず、女児を産むたびに妻を三回取り替えたが、現在はその末裔が三家族に分かれて屋敷内に住んでいた。一族の長老格のきぬ代が臨終の床につき、残した遺言が家族に波紋を呼ぶ。三家族の一つの卓矢と、別の家族の美幸とが結婚した場合のみ、一族が遺産を相続するというもので、従兄弟の茉莉と既に婚約中の卓矢には受け入れ難い内容だった。遺言発表より一年足らずの後、屋敷内で茉莉と思われる首と手首が切り落とされ持ち去られるという凄惨な死体が発見された。密室とされた部屋には魔法陣が描かれ、破かれた大量の本、そして四人の騎士像が。この奇怪な事件の背後には何が隠されているのか? 志摩沼家と旧知の二階堂家の蘭子と黎人はこの謎をどう解くのか?

偉大なる探偵小説作品たちへの壮大なオマージュ
(今となっては昔の話だが) デビューが叶い、出版点数が増えてある程度の評価が固まりつつあった二階堂氏にとって本作は自らの探偵小説への偏向を従来以上に打ち出す良い機会だったのではないのだろうか。作品を読んでいる間のテンポの良さは、筆者の気持ちの良い筆運びと無関係ではあるまい。
二階堂氏の作品評につきまといがちの”長い”という形容詞は確かに本作にも当てはまる。しかし少なくとも本作に関していえば、これだけの重厚なプロットをしかも複数組み入れる為には、どうしてもやむを得ない結果であったことを実感する。古典的な家系図に潜む愛憎の構図、ゴシックの匂い漂う屋敷内部の不可能犯罪、館を象徴するように人間が次々墜死する時計塔、窓際に佇む青く光る女性の幽霊、果たしてここまで必要なのか? と訝しく思うような登場人物の大量死。……全ては頭の中にあるトリックとプロットを全て埋め込まずにはいられなかった氏の情熱の発露と言えよう。
いくつものトリックや仕掛けが込められた本作だが、それら互いに複雑に絡み合ったトリックを一つ一つ丁寧に分解していって、一つ一つを並べていったとするならば。 その一つ一つが実は古典と呼ばれる探偵小説作品の公約数的オマージュとなっているように感じられる。というのは、密室殺人にしろ、○○○○にしろ、○○○○にしろ、そのコンセプトそのものは過去の探偵小説にてメインプロットとして利用されてきたもの。それをそのまま転用するのではなく、二階堂氏の「オレならこうする」という新しいアイデアが付け加えられた形で表現されているのだ。これらは数多くの古典探偵小説作品への言及共々、マニアと呼ばれるファンをニヤリとさせるに違いない。蘭子シリーズはどうもキャラで読まれるきらいがあるようだが、このシリーズこそ純粋にトリックとプロットで楽しむべきだ、と強く感じた。
蘭子自身が危機に巻き込まれるのも、何重にも仕掛けられたトリックをほぐしていくのに必要な過程だろう。いくつものプロットの伏線も、きちんと、いやどちらかといえば赤裸々に述べられているのだが、読んでいる間はつい過ごしてしまう。正々堂々とされると却って見えないことを二階堂氏はよく知っている。

個人的になぜだか読み残してきた作品の一つ。恐らく自分自身、数年前に読むのと今と推理小説へのハマリ具合が違うので「今まで取っておいて良かった」としみじみと感じる。自身のWEBサイトを開設、日記を公開することでいろいろと言われることもあるようだが、探偵小説への愛が深くなければ絶対にこれだけの作品は著せまい。探偵小説、バンザイ。

どうでもいいことで一つだけ気になるのはダイヤモンドの原石のこと。宝飾用に用いられるものは原石の段階で少なくとも絶対に白っぽい色をしており、茶色や黒褐色の原石は当然中身も同じ色なのでいくら研磨しても宝石としては無価値。ダイヤは光の屈折率が命なので透明でないと宝石にならないのだ。なのでラストで時計台に嵌っているのは表層が炭化したのならとにかく透明に近い色の石でないとおかしい。……ホントにどうでもいいやね。


01/05/07
梶 龍雄「奥秩父狐火殺人事件」(講談社ノベルス'86)

おーかわさんより頂いたカジタツ本。シリーズ探偵(と思われる)映画監督五城が中心となって活躍。シリーズ三作目のようなのだが……。

次作を明治期に発生した秩父事件を題材にしようと、奥秩父の民宿に逗留する五城。何気ない散歩の途中で派手なジャケットを着た都会風の美人を目撃する。しかし鈍い銃声が辺りに響き、彼女の脇の土が撥ね飛ぶ。狙撃だ! 気付いた五城は夢中で彼女を救い出す。江森道代と名乗る彼女は銀座で水商売を営んでおり、死別した両親の出身地である秩父では有数の資産家である江森家に滞在しているという。江森の家系は地元から”狐持ち”と呼ばれており、その両親の死にしろ、何か複雑な事情があるらしいことを五城は推察する。また、絵画を嗜む女子大生の一団が観光開発のモニター格として江森家に滞在しており、五城は彼女らからも絡まれる。道代の魅力と事件に興味を覚えた五城は、助監督の吉田勇作に下調べを依頼、秩父に向かうよう要請する。

伝奇物語をベースにごくごく通俗で、なおかつカジタツらしさありありのミステリ
まず題名からしてそうでしょ。「狐火」という単語に伝奇らしさを託し「奥秩父」という地名に旅情を託し、最後に「殺人事件」とつけてしまえば、ほら、通俗ミステリとしての全ての要素を満たすではないですか
狙われる謎めいた美女、ぴちぴちした女子大生集団、地元にまつわる土俗信仰、盗まれるパンティ……(感覚のズレた若者言葉が浮きまくるのはご愛嬌) 特に”狐憑き””狐火”あたりの、一つの鍵となる奇妙な現象に対する掘り下げ方が(昨今のミステリ作品に比して)かなり浅いところもまた、通俗らしくて逆に良い。登場人物が百科事典で調べたことを、そのまま開陳するだけ。分かりやすいぞ。
また、現実に事件が進行しているにも関わらず、さしあたり理由もないのに過去の事件ばっかりに強い興味を覚えてほじくり回そうとする探偵役にも違和感が。探偵があまりにも外部的存在であるため、当人たちが口にするほど事件を深刻に受け止めていないからか。更に、意図的に描写を排除したらしい警察捜査、更に都合良くその結果を聞き出してくる助手など「あー、御都合主義ぃーー」な展開。それはそれで別に悪いことではないよ、もちろん。
……それが、終盤、謎の解明段階になったところで、それまでずっとノリきれなかった物語が嘘だったかのように、テンポが良くなり、そして謎そのものに込められたサプライズの大きさにもまた、驚かされる。江森家の一族を襲う連続殺人事件の構図が、一気にひっくり返されるあたり、通俗ミステリのトリックには勿体なすぎるのではないか。どんな展開でも最終的に本格にこだわる梶龍雄の姿勢というものなのか。その通俗展開に流され気付かないようなところに、微妙な伏線が張られており、更に土地の雰囲気を出すためだけに登場したと思っていた小道具が、実は謎解きに関連したりと、その手法にも驚かされた。

ただ、かなり重要な手掛かりについて解明段階まで読者に知らされていなかったり、チープな恋愛場面が挿入されていたり、冒頭から中盤の退屈な展開等々、やっぱり「通俗ミステリ」の枠から飛び出すものでもない。その中できっちり読者を驚かすのが、梶龍雄らしい仕事なのだろう。


01/05/06
大下宇陀児「飼育人間」(光風社'59)

本書執筆の背景はさっぱり分かりませんが、当時貸本系に強かった光風社から刊行された作品。(MYSCON2のオークションにて落札。日下さんのススメ方も上手かった)表題作の他に『逃亡者』『霞荘の妖女』『偶然は作られる』の三短編を収録。装幀は真鍋博氏。

東京にて既に十二名もの婦女子を血祭りにあげた謎の殺人鬼。皮膚の一部に何かで締め付けたような痕跡を残し、あとは延髄を鋭い針にて一突き。更に殺害後に暴行が加えられている。東洋新報のかけだし記者、野々宮大一郎とその妹の女子大生、有子、更に同じく敏腕記者の糸川三九郎は、目撃証言を総合してその犯行は、同じく殺人鬼の犠牲となった貝原博士が密かに育てていた「飼育人間」の仕業であると看破する。戦争孤児を拾った博士は、従来からの自らの研究欲望に乗っ取り、地下の秘密部屋で情操教育から完全に切り離して、理知的教育のみで人間を育て始めたという。左手は義手、そして彼は独特の殺人方法を身に付けていた――殺されてしまった博士の秘密日記から恐ろしい計画を知った三人は、更に飼育人間の行方を突き止めるべく捜査を再開する。

めちゃくちゃに意外な飼育人間の最期!!
人間にあるまじき悪魔の所業! 一切の道徳規範や倫理から切り離されて育てられた飼育人間! 科学者のエゴにて生み出された怪物! 人類への復讐が今はじまった! 闇夜に乗じて女性を襲う死の影! 怪力無双、神出鬼没の飼育人間を求め、新聞記者の兄妹が奔走する!!
とまぁ昭和中期のB級ホラー映画のごとき煽り文句を思わず使いたくなるような展開が冒頭から続く。なんせ飼育人間は物語が始まる段階で既に十三人もの婦女子を殺しており、前触れなく十四人目を手に掛けてしまうのだ。左の片腕が三本のかぎ爪の義手となっており、被害者の身体にはその爪で押さえつけられた痕跡が残る。首都東京の街は恐怖のどん底に! ……つ、つい。描写そのものは飼育人間を追求する新聞記者の兄妹と、その出没状況を描写する第三者的視点によるもの。従って「飼育人間はどこに潜んでいるのか?」「飼育人間はどのように捕まるのか?」あたりに興味が集中する……のだが
ここから先は非常に書きたいのだけれど、書かない。まさか無敵、神出鬼没の飼育人間がこのような最期を遂げてしまうとは……。すごい、すごいぞ、大下宇陀児。東都を恐怖に陥れた悪魔がまさか、○○○○を○○○、○○○の○○で○○○いるなんて。著しく脱力。思わず笑い。これこそ探偵小説だ。やられましたよ、私は。サプライズという意味では、大いに驚かされましたとも。膝を裏側から「かっくん」とされた感じ。
ただ残念ながら、併録の短編の出来は正直今一つ。別に特記すべき作品ではないです。

「飼育人間」の紹介が思わせぶりで大変申し訳ない。少なくともこの表題そのものだけで現代では復刊が不可能のような気もするし、そうそう古書店で見掛けるものでもないし、図書館にもないだろうし。マニアだけが一部で喜んでいればいい。ただ、そのマニアが絶対に大喜びしそうな作品ではある。


01/05/05
横溝正史「悪霊島(上下)」(角川文庫'81)

角川映画のヒットと共に新しい読者を急増させた横溝氏が、七十五歳という高齢に関わらず角川書店の文芸誌『野性時代』に連載を開始、二年越しにて完結した作品の文庫。映画化された作品も有名。

「あの島には悪霊がとりついている、悪霊が……悪霊が……」「ぬえの鳴く夜に気を付けろ……」
青木春雄と名乗り刑部島に逗留していた男は海から引き上げられた時にこう言い残して息絶えた。折しも金田一耕助が、米国帰りの富豪、越智竜平氏から依頼され、捜索していた人物がこの青木らしい。越智氏はその刑部島出身で、島に資本を投入して一大レジャーランドの建築を計画、島を二分する勢力刑部一族らからは大きな反感を買っているという。そして刑部島への入り口にあたる下津井の街で、巫女をして暮らしている女性が何者かに絞殺される事件も発生。金田一は磯川警部と旧交を温める暇もなく、事件の予感の漂う刑部島へと渡る。島では越智氏の大々的な援助により、島の祭りを大々的に復活させようとしていたが、その祭りの最中、刑部家の長男が、越智氏が奉納した金色の矢に身体を貫かれて死亡するという事件が発生した。そして続いて次々と事件が……。

時代を、世代を越えて永遠に支持される傑作長編
私は、ビートルズの"LET IT BE" を聴く時、つい「ぬえの鳴く夜は恐ろしい」というフレーズと、闇夜に切り取られたように浮かぶ島のシルエットを思い浮かべる。もう二十年もの間。子供の頃からずっと。
どの世代から、という明確な切り取りは難しいながら横溝作品を語る時に「映像」は切り離せないのではないか。どちらかといえば、本作も映画の印象がずっと頭の中に残っていた。テキストを読み返すのは、十数年ぶりのように思う。

驚いた。

作品はテキストで判断しなければ、というのが大前提ながら、本作に限ってはこのことを述べる誘惑にうち勝てない。横溝氏は戦前は「新青年」当時からの探偵小説作家でありながら、本書を執筆したのは昭和でいえば、53年から55年にかけて。横溝氏が七十三歳から七十五歳にかけて発表した作品なのである。常人に当てはめれば分かるが、その年になってなお探偵小説執筆への執念衰えず、なおかつ本作品のようなレベルの作品を発表出来るということは、改めて氏の凄さについて感じ入る。
設定そのものは従来からの横溝節とでもいえばいいのか、孤島、因習に満ちた人々、家と家との因業、暗闇の中で行われる残虐な殺人……であり、他の作品に比して珍しいものでない。横溝氏の持つ探偵小説的嗜好が強く打ち出されたものである。複雑な背景、過去に起きた失踪事件、謎の人物。メインの殺人事件そのものが発生するまでの、細やかなオードブルもまた同じ。それらは安心して横溝作品を楽しむための前提。
そんな中、私が最も驚いたのは犯人の犯行動機にある。(以下ネタバレ反転)犯人はシャム双生児を産み、自らの手で殺害したことで精神的に異常を来している、というのが犯行理由。その精神下で行う犯罪の狂った芸術性の美しさはどうか。自ら男達の身体を淫蕩に求め、行為の絶頂時に殺し、そして自ら殺めた双生児を慰めるために骨だけにして死体を保存する執着。洞窟の奥底に展開される彼女と、彼女の子供たちのためだけの世界。美しい、という形容詞は適当ではないかもしれないが、現在執筆される並大抵のサイコホラーでは表現し得ない強烈な世界を既に横溝老は創り上げていたのだ。 いやはや、スゴイことだと思う。

刊行された当時から重版を繰り返した上、現在でも角川文庫にて新版(金田一耕助事件ファイルとして)が入手可能なのは嬉しいこと。私は市川尚吾さんの放出本から「初版帯付」を購入させて頂きました。旧版の表紙絵は上下を比べると非常に味があって良いです。


01/05/04
多岐川恭「霧子、閃く!」(ケイブンシャノベルス'86)

副題として「K・K探偵局シリーズ(1)」とあるが、このシリーズ探偵(というか探偵たち)は果たして(2)以降も刊行されているのだろうか??

新宿にあるK・K探偵局はチーフの近阿弥公平(こんあみこうへい)、紅一点で惚れっぽい北風霧子(きたかぜきりこ)、力は随一の絹笠金吾(きぬがさきんご)ら、イニシャルが「K・K」の三人の男女と、秘書役の袋一二三(ふくろひふみ)が運営する。四人が互いに罵詈雑言を叩き合い、それぞれの能力(霧子には軽い超能力まである)を活かして事件を解決していくストーリー。

「過激」な思想にかぶれ、右翼の政治家を暗殺しようとしているらしい息子を阻止して欲しいという依頼『厄介な若者たち』
探偵局を訪ねて来た少女。両親を失い義母と叔父と暮らす彼女は何者かに命を狙われていると怯えていた『濡れた小鳩』
真面目一辺倒の役所勤めの男が浮気をしているらしい。妻の依頼を断ったところ無理心中で男と浮気相手が発見された『二十年目の浮気』
ヤクザ者の妻と浮気していた男。彼女とは切れたにも関わらず、行方不明になったと脅され、夫婦で逃げ回る『甘党の男』
昔振った女性を探して500万円渡して欲しいという依頼人。探偵局は首尾良く相手を発見するが彼女は数日後惨殺された『情深い依頼人』以上、五編収録。

K・K探偵局は、現代版なめくじ長屋だ!
ちょっと例えを意外に思われるかもしれないが、なんとなく都筑道夫の人気捕物帳シリーズと作品の雰囲気が似ている。あまりやる気のない探偵たち。大金か美女(ないし美男)が絡んだ時だけ妙に元気。普段は仕事がなく日がなごろごろと事務所にたむろし、いざ事件となるとそれぞれが特殊な能力(口先、腕力、美貌、超能力)をもって、多少の苦労はあっても確実に事件を解決に導いてしまう。靜かなユーモアに満ちていながら、決してちゃらちゃらしておらず、冷酷なようでいて、意外と人情っぽいところもある……。 特にキャラクタ主導の部分がそう思わせるのかもしれない。
それぞれの事件も、シチュエーションに凝り、犯人に凝りと単純ではない。更に探偵局の人間が絡むと単純な事件が更に複雑になってしまう不思議な一面も。特に一連の事件に不可能的興味はあまりないものの、事件の犯人に大きな意外性がある作品が並んだ。『厄介な若者たち』と『濡れた小鳩』、実はパターンは似ているのだが、双方の作品とも、犯人が明らかにされる段階でしっかり驚かせてもらった。短編ミステリとして、設定、描写、そしてトリックなどなど十二分に水準を超えている。

このシリーズにおけるポイントは、真犯人や事件の真相を見抜くことが出来ないが、前の日に何をしていたか程度なら相手から読みとってしまうという「霧子の超能力」の受け止め方、だろう。(現代作家の某人気作品にも似た能力を持つ人がいますな) 気にならなければもちろん良し。ただ、私個人でいえば、短編集という形式故に証拠探しの手間の省略目的で便宜的に存在しているように思え、実は引っかかりがあった。せっかく推理だけで解決出来そうな事件なのに、超能力を使うんじゃ反則じゃないの? と思えてしまうのだ。リーダビリティが損なわれているとか、超能力の部分だけ浮き上がっているということがないのはさすが多岐川恭の筆力なれど、だからこそストレートな本格に仕上げることも出来ただろうに。

ほとんどシリーズ探偵を登場させない多岐川作品において、このような軽い主人公たちの活躍する一連の作品は確かに珍しい。ただ、このような作品をも書くことが出来た、という意味で多岐川恭マニアの方が読んでいればいいかな、というレベル。作品数も少ないし、軽く読むのにはうってつけではあるけれど。


01/05/03
新堂冬樹「血塗られた神話」(講談社ノベルス'98)

第7回メフィスト賞受賞作品。本作の後に新堂氏は金融を舞台にしたハードボイルド作品を次々と打ち出し、その独特の世界観と魑魅魍魎の巣くう金融業界の深い知識をもって、人気作家への地位を駆け上っている。

街金融「野田商事」の若き経営者、野田秋人はかって「悪魔」と怖れられる冷酷な取り立てを行っていた。彼は子供の頃、金融業者の無茶な取り立てを原因として両親を自殺にて失っており、力のある者が正義だとずっと黒い怒りを燃やしていた。キックボクシングを修行、片っ端から喧嘩で相手をぶちのめす生活から、一人のヤクザ、水戸と出会い、水戸の所属する共心会が経営する金融会社で働き認められた。一人立ちして会社を起こした野田は、パンク寸前の客に貸し付けては冷酷な取り立てを行い、当時の客の一人を自殺させてしまった。その事件のショックから、天使に等しい性格を持った恋人、京子を野田は捨て生きている。野田の元に借金を申し込んだ電話秘書を経営する内本という男。彼が翌日、何者かに殺されてしまう。容疑者とされた野田は事実関係を調べる為に水戸の元を訪れるが、更に翌日、内本の妻も同様に殺される。果たして、猟奇連続殺人犯の狙いは一体何なのか?

乱歩賞デビューでもおかしくない。無駄を削ぎ落とした金融ハードボイルド
「メフィスト賞」という賞そのものが持つイメージの中に「若者向け」というものがある。(ように私は勝手に思っている)しかし、この作品に限っては「普通の女子供が読んで楽しめる作品じゃない」とまず感じた。
まず、金の世界は汚い。殺人事件の動機として金銭がらみというのはあまりにも安易だが、世の中は事実、金がなければ生きていけない。その「金」を職業とする男達の世界に一切の綺麗事は通用しない。生々しい。ひどく生々しい。しかしこれもまたどこかにある現実
そんな世界で生きていくには神経が常に尖ってなければならず、自分が生き残るためには他人を踏み台にしなければならない。主人公、野田にはそんな鋭さと、過去に受けた傷に未だ苦しむ繊細さとが同居した男。ロマンチック、そしてタフ。 彼を標的にした陰謀、謎の黒幕。このあたりはちょっと冒険小説的荒唐無稽さも感じないでもないが、実際「金」の世界は何があるか分からないので有りでしょ、これは。アクションあり、一途な愛情あり、策謀と陥穽があって、義理と友情もあり、とヤクザが登場するせいか任侠もののような展開も男の物語としては必須アイテム。戦いと謎解きの末に行き着く先にある、言いしれない哀しさがまた物語のロマンチシズムを高みへと誘う。
とにかく息がつけない、気が抜けない。常に目を見開き、緊張していないとやられる世界の物語。もちろん、読者も物語を読んでいる間は同じ世界に棲むことになる。この緊張感、安易に読み始めるとヤケドするかも

ある意味、メフィスト賞の懐の深さを感じさせられた。ホントに初期は何でもありだったんだ。もし私が編集者なら、新堂氏はメフィスト賞でなく、乱歩賞に応募するよう指導すると思う。金融に興味がなくとも人間模様だけでも魅せる大人向けロマン・ノワール。この尖った感覚が、ボケた現代人の眼を覚まさせる。
しかし、帯で『ナニ金』の青木雄二が推薦文を寄せているけれど、その文章、無茶苦茶やで。


01/05/02
小野不由美「過ぎる十七の春」(講談社X文庫ホワイトハート'95)

'90年に朝日ソノラマパンプキン文庫より刊行された『呪われた十七歳』に加筆修正が加えられ、改題されて刊行された作品。ノンシリーズのホラー。

学校の長期休みの恒例行事として、高校生の直樹は中学生の妹、典子と共に、同い年の従兄弟、隆の住む花の里を訪れた。隆の母親で清楚な美紀子は、直樹らの母親の由岐絵と姉妹。彼らの住む地域は、田舎の人情と自然の生きた桃源郷とも思える場所だった。三月に十七歳を迎える隆は、直樹らに言えない悩みを抱えていた。――深夜二時。窓の外に現れる「何か」の気配が彼を眠れなくさせてしまうのだ。一緒にいる猫の三代も「何か」に向かって毛を逆立てる。直樹と典子は、日に日に元気を喪っていく隆と、何かに憂えている美紀子の様子を感じ、不安に思うが、直接に尋ねても二人とも何でもない、と否定する。しかし、徐々におっとりして優しい性格だった隆の性格が変化、母親を冷笑し、あまつさえ手をあげるようになってしまう。雰囲気に耐え辛くなった直樹らは辞去しようとするが、唐突に美紀子が農薬を飲んで自殺を図った。その死に際でさえ、隆は口元に笑みを浮かべていた。

日本的農村の四季を感じさせる実に美しい描写の中、淡淡と進む少年の変貌
深夜の庭に存在する「気配」それが、温厚で優しい隆の性格を殺伐で冷酷なものに変えていく……。その「気配」は徐々に形を取り、呪われた一族の長男を地獄へと誘う……。母親の死に際さえも冷笑を浮かべる隆そのものよりも、隆を修羅の世界に陥れた「なにものか」の存在。魔の手は直樹にも着々と伸びる。その「なにものか」の正体を見破るのが先なのか、取り込まれるのが先なのか。いつまでも眼が慣れない暗闇の中を歩き回るような緊張感が読者に強いられ、対決まで一気に読み進めることになる。正統派のホラー、真っ向勝負。
この筋書きはみごとなまでにホラー、しかも土俗ホラーとも言えるベタな展開。それでいて不思議な美しさを伴っているところが本作の最大の価値だろう。「花の里」と作中で描写されている通り、自然にあふれた田舎の農村、しかも季節感漂う描写は、自由自在に駆使される「色」の描写と相まって、通常の想像力以上のものを文面から溢れ出させる。日差しはあくまで暖かく、一方夜は芯まで黒く、月が世界を照らし、風が林をそよぎ抜けて行く。ヤングアダルトの文庫に使われるには勿体ないような贅沢な文章。 そして何よりも、その紡がれた風景と、登場人物の心象風景を絶妙にマッチさせるセンス。登場人物の気持ちが重ければ、同じ風景でさえ色褪せてみえ、明るければ尚更、色が際立つ。シンプルかつ繊細。このあたり、小野不由美らしさが大いに発揮されている。

ノン・シリーズのヤングアダルト作品ということで、成人男性はちょっと手に取りにくいかもしれません。しかし、その内容は見事に「ホラージャパネスク」を体現していると言えそう。少なくとも「子供だまし」のレベルではありませんので、ホラーファンは一読する価値があるでしょう。


01/05/01
藤本 泉「源氏物語99の謎」(サンポウブックス'76)

時をきざむ潮』にて乱歩賞受賞、更に「えぞ共和国シリーズ」など特異な作品を著してきた藤本さんであるが、デビューは『媼繁盛記』という王朝文学である。本書は古典「源氏物語」にスポットを当てた一種の雑学本であり、物語ではない。

段落そのものは『紫式部の謎――源氏物語の作者か』『源氏物語の謎――藤原氏批判の書か』『紫式部日記の謎――筆者ははたしてだれなのか』『和歌の謎――歌風に統一がないのはなぜなのか』『「女流」文学の謎――源氏物語は奇蹟か』『原作者の謎――なぜつぎはぎ物語なのか』『最後の謎――なぜ、紫式部原作となったか』という七つの大きな区切りに分けられており、その下部に更に「天才女流のイメージはどこからきたか」「筆禍事件がなぜ起きないか」「登場人物とモデルの関係はどうか」など、細かい疑問点をずらずらと、合計99並んでいる、という構成。
ま、一言でいえば「源氏物語は紫式部の原作ではないのではないか?」という問いかけを様々な角度から検証している雑学本。王朝文学出身だけに、資料の裏付けや関連する文献への言及、当時の状況の総合的把握など、学問的にかなり説得力が高く、トンデモの香りはない。(最終的には引用する資料そのものの信憑性に関わってくるので、結論は絶対に出ない話でもあるのだが)

どうやら『源氏物語』の世間的な常識はうそっぱちらしい(と私は信じたぞ)
ミステリ本としてよりも雑学本として、そして一種の学術本として捉えなければならないからだろう。おおよその歴史しか把握しておらず、『源氏物語』そのものも大学受験対応の為の古典、せいぜい『あさきゆめみし』でしか知らない私のような人間が読むべき本ではなかったのかもしれない。言いたいことは分かるが、検証の部分については「ふーむ、そうなのかぁ」という感想しか持てない。しかし国文学に詳しい方なら、と思わせる語り口と説得性を持っているのは確か。但し、その根幹にあるのは二、三行で済んでしまうのだが。
「源氏物語が成立したといわれる閉鎖的な時代性を勘案すれば、身分の低い一女性が上司や一族を揶揄するようなエロ文学を執筆発表出来たはずがない」 もちろんこのヒトコトの説得性のために様々な事例や資料が積み上げられて補強されている。私としても藤本説を信じたくなった。
……とはいえ、どれほどこの本の説得性が高く、高名な文学者が問いに答えられなかったとしても、「『源氏物語』の作者は?」とテストされたら「紫式部」が正解である事態は変わらない。それがこの手の叢書の運命とはいえ、ここまで真面目に取り上げている作品を読んだ後では、ちと虚しいかな。
藤本さんはこの説を改めて応用してミステリ『血ぬられた光源氏』という作品を執筆している。本書の要旨はそちらを読むだけで十分に伝わる。またこの前後、このサンポウブックスでは他に「邪馬台国99の謎」(松本清張の編集!)「古代人99の謎」など「消えた文明」から「四次元」まで「”99の謎”シリーズ」を二十冊以上刊行していた。流行ったんでしょうか、こういうの。

本書は新書版であるが、後に文庫化もされている。熱心な藤本ファン以外のミステリファンが読むべき本とは到底思われないし、お勧めもしないが、古典文学などに興味のある方ならサブカル本として面白く読めるのではないだろうか。