MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/05/20
井沢元彦「猿丸幻視行」(講談社文庫'83)

'80年、第28回の江戸川乱歩賞受賞作品。井沢氏は暫く織田信長や芥川龍之介等を主人公にした歴史ミステリを中心に手がけ、後に歴史の謎を検証するミステリに移行、更に現在ではノンフィクションや研究書等を中心に発表している。

過去の人物の心の中を覗くことが出来るようになるという新薬。母方が猿丸大夫の子孫という大学院生は「猿丸額」という暗号文の写しを所持しており、その謎を明治期の天才民俗学者、折口信夫に解いてもらおうと考え、過去へと旅立つ。
当時大学生だった折口信夫は、友人の柿本に貸した金のかわりに奇妙なものを見せて貰った。柿本家に代々伝わる「猿丸額」と「人丸額」で、それぞれには長歌の一節と万葉仮名、更に猿丸大夫の歌が記されていた。柿本にそそのかされ、その文章に込められた暗号を解き明かそうとする折口。彼は黙考の結果、その暗号の鍵は、万葉集にも収録される有名な歌人「猿丸大夫」にあることに気付く。「猿丸大夫」とは誰なのか。その当時も活発な論議がされていたが、折口は猿丸大夫=柿本人麻呂説に傾いていく。クイズ形式で折口に問題を出した、当の柿本も実はその答えを知らなかった。柿本に一族に代々伝わる口伝があるのだが、彼はまだその内容を教えてもらっていなかった。大学の休み中、柿本の故郷の山村に入った折口は、閉鎖的な村の雰囲気を敏感に感じ取った。柿本の父親は、村の神聖な祭りの最中に狂ったように笑い、飛び降り自殺をしたのだという。

歴史と暗号だけかと思ったら。Who done it? や奇抜なトリックまで!
最初のSF的設定(薬を飲んで過去を覗こう!)という部分は置いておくにしても、なんともまぁ贅沢な内容のミステリである。折口信夫が事実上の主人公。彼が「猿丸大夫」とは一体誰だったのか? というのを解き明かすのがメインストーリー。普通の歴史ミステリならば、大量の文献や資料を提示し、この謎に纏わって殺人が発生してその両方を解き明かす、というのが勘所となるはず。確かに大きな流れとして間違いはないのだが、本作は更に様々な要素が込められており、それが何ともミステリとして豊穣な味わいに通じているように思えるのだ。
例えば、殺人の「舞台」が一族の血が連なる者だけが暮らす排他的雰囲気に満ちた山村という伝奇的雰囲気の中であること、殺人の「方法」が首吊りをテーマにした不可能犯罪であること。また、確かに歴史の謎に迫るミステリであり、同時にかなり高度な暗号ミステリでもあること……等々、普通の長さの長編一冊分とは思えない「ミステリとしての内容の濃さ」が、最大の特徴だと思われる。歴史ミステリとしてだけ、暗号ミステリとしてだけでは本作全体は語れない。総合的にミステリ要素を多方面から取り込んだという作者の貪婪さが、作品のレベルの高さにそのまま繋がっている。文章そのものも非常に読みやすく、文献の多さもほとんど気にならない。(この点は、近年の蘊蓄ミステリとかっての乱歩賞クラスとの大きな差かもしれない、と少し気になった。) 読み終わった時に、内容のレベルの高さに溜息が出る……おそらく、かっても、現在も、未来の読者にとっても。そんな作品。

「オールタイムミステリベスト10」では人によるが「ミステリベスト100」くらいになると、必ずランクインするというミステリマニアに普遍的に評価されている作品。ずっとワタシ的課題図書だった作品の一つで、その点でも読了して満足。井沢元彦さんのWEBサイトはこちら


01/05/19
都筑道夫「苦くて甘い心臓」(角川文庫'81)

都筑道夫のシリーズ探偵の一人で、ハードボイルド部門を主に請け負う西連寺剛ものの四冊目の作品集。角川文庫では二冊目となる。

「弟が人を殺す」というのを心配して西連寺を訪ねてきた「姉」。部屋を訪ねると爆睡している弟と、押入の中に女性の全裸死体が『苦くて甘い心臓』
女子大生の孫娘の行方がしれない、と祖父が西連寺の元へ。しかし彼女の友人達はどうにも捜査に協力的ではなかった『天竺ねずみ』
浮気の可能性がある夫を尾行して欲しいという主婦の依頼。西連寺は毎日都内を散歩する男につい声を掛ける。男は「東京を見物している」というが『黒南風の坂』
お嬢様作家が大切にしているフランス人形が盗まれ、身代金が要求された。身代金を持参した西連寺の前には、人形を抱えた男の死体があった『人形の身代金』
行方不明の妻を捜して欲しいという夫の依頼。都会の廃屋に住む文芸仲間の男を訪ねたところ、別の男を紹介される。その男は彼女など知らないという『見えない猫』以上、五編。

西連寺シリーズもだんだんとミステリ味が薄れて、ツヅキ節が顔を出してきた?
都筑氏がカート・キャノンの作品を訳したのみならず、そのパスティシュ(というより贋作?)まで創っていたことは有名な話。日本を舞台にしてはそんなセンチメンタルなハードボイルド探偵は描けない――はずだった。……が、実は日本にも探偵事務所が星の数ほどあることに気づき、そんな探偵が一人くらいいてもいい、ということで西連寺剛が生まれた。『くわえ煙草で死にたい』をはじめとするここまで三冊の作品では、ハードボイルドのテイストと都筑作品らしいミステリテイストがミクスチュアされた内容で、ハードボイルド抜きにミステリだけでも十二分に鑑賞に堪えるように思ったが、この作品集に関しては「センチメンタル」と「ハードボイルド」が強調され、多少「ミステリ」の要素が落ち着いて(もしくは強引に)なってきているように思える。それぞれの謎は「知らないうちに部屋に存在する全裸死体」等々、魅力に満ちており、その解決も十二分に納得がいく。だが、それぞれの物語の主眼はその「論理のアクロバット」から徐々にずれてきている印象を受ける。犯罪そのものを通じて、短編小説で現代の人間関係、世相、喪われていく風景などを描写することに重点が置かれているように思えるのだ。
確かに、他人の生き方に口を挟まない西連寺(つまりハードボイルド探偵)の存在は、他者を観察することに向いている。皮肉な結末、隠された人生等々、都筑節としかいえないような哀切さ、空しさを孕んでおり、それはそれで評価出来るのだが、どうしてもミステリとして捉えると詰めの甘さを感じ得ない。

西連寺ものとして、本作を最初に読むのはどうも適当ではないように感じた。都筑氏ならではの味のある物語は楽しめるのだが、その「味」を知っている読者が手に取るべき作品集だろう。現在に至るまで、この角川文庫版が最新版であることだし。


01/05/18
多岐川恭「紅い蜃気楼」(徳間文庫'86)

市川尚吾さんの放出本より。'77年から翌年にかけ「デイリー・スポーツ」紙に連載され、'78年に徳間書店より刊行された長編。

ポルノ作家の冬木新三は喫茶店で女子高生を買わないか、と誘いを受ける。果たしてこれはロックという男性と、トミという十九歳の女の子、若い二人の美人局(つつもたせ)であった。事前に予測していた冬木は二人を懐柔、彼らに対して、もっと大物を相手にして芝居をする気はないか、と持ちかける。二ヶ月後、看護婦に化けたトミは耳山総合クリニックで働いていた。冬木が眼を付けた標的はこのクリニックの出資者で財界の大物、岡部堅治。まずは入院している彼の三男、卓郎を標的とするものだった。トミの誘惑にあっさりと卓郎はたらし込まれ、その場面を院長の耳山に目撃させることで、トミは耳山をも陥落させた。次々に作戦を彼らに授ける冬木は、ロックが何者かに追われて川崎を逃げ出して今も理由不明のまま追われていること、トミが姉を捨てて逃げ出した結婚詐欺男を追っていることを知る。更に彼らは大金を必要とするある目的があった。彼らは耳山を脅かすことで、最終標的の岡部堅治とコンタクトを取ることに成功、トミは個人看護婦として彼の元に送り込まれる。

明るいエロティシズムを伴うピカレスクロマン、ないしはコン・ゲーム
初っぱな、つかみの部分からミステリを逸脱している。もしかするとポルノ系の作品ではそれほど意表を突く展開ではないのかもしれないが、私は嵌った。美人局に嬉々として引っかかり、かつ逆に利用してやろうというしたたかな登場人物。その計画を立てる目的が、金や欲でなく、人を利用したゲームがやりたいからというところがまず凄い。つまり目的は、人生をゲームと割り切ったクールな人物の熱いお遊びなのだ。これは多岐川作品にしばしば登場する主人公たちの感覚と共通するものがあるのだが、本作のように使われるとまた味わい深い。
主人公たちが計画しているのは、あくまで詐欺。 別に恨みも何もない人物をターゲットにするあたり、物語としては暗いものを想像しがち。しかし「お仕事」と割り切って、様々な人物に身を任せるトミのもつあっけらかんとした明るさが抜けていて救われる。なんたって「単なる美人局」で数億を手に入れようってのだから、マトモな神経じゃちょっと無理。また、脇を固めるロックやリュウといった不良然としている人物たちが意外と人情もろかったり、騙された被害者の方が計画に納得させられてしまったりと、全体的に不思議と明るいトーンでまとめられた物語となっている。
まぁ確かに「計画」そのものの突飛さに比べると、実際に計画がスタートしてしまってからの意外性というのは薄いし(お色気系統には意外性があるけど)、サイドストーリーとして人捜しや麻薬組織などをいささか安易に加えてしまっている感もあって、全体としては散漫な印象がなくもない。また後半をハッピーエンドで決めるためなので致し方ないが、終盤は冗長。それでも着眼点のユニークさ、登場人物の性格付けの特異性など、目を引く点が、それらのキズを上回ってあまりある。

傑作とまでは言えないながら、佳作とは言い切れるレベル。多岐川恭らしさが満喫出来る独特の明るいコン・ゲーム小説として、もっと高い評価を得ても良かったのではないか、と思う。(しかし、コン・ゲーム小説が語られる時に本作の名前が挙がった文章を、少なくとも私は見たことがない) ちょっと変なミステリが好きな方には無条件オススメ。


01/05/17
郷原 宏「このミステリーを読め![日本篇]」(王様文庫'00)

書き下ろしにて刊行されたミステリガイドブック。日本のミステリーシーンに的を絞って百人の作家それぞれの百冊の代表作品を取り上げたもの。作者の経歴、受賞歴等に触れた後、代表作品を紹介する形式。個人的印象では、ほとんど漏れがなく非常に真っ当に作家をセレクトしつつも、かなりユニークなラインが含まれており(特に勝目梓などハードロマン系統をきちんと挙げてるガイドはこれまで無かったのでは?)唸らされた。
ただ、山田風太郎、岡嶋二人あたりが抜けているのは残念。いくつか不満を挙げると下記の項題でも分かる通り、推薦辞の形容詞がえらく陳腐なこと、そして作家のセレクトが渋いのに「代表作=受賞作ないしデビュー作」と作品セレクトが非常に平凡で、こちらの主張があまり感じられないこと。

  第1章 女性作家11人の「この1冊」。これを読まずにミステリーは語れない!
宮部みゆき『理由』 高村薫『マークスの山』 桐野夏生『OUT』 乃南アサ『凍える牙』 皆川博子『死の泉』 小池真理子『欲望』 夏樹静子『蒸発』 山村美紗『花の棺』 栗本薫『絃の聖域』 仁木悦子『猫は知っていた』 戸川昌子『猟人日記』

  第2章 ヒーロー小説。あまりの面白さに夜も眠れない……!
大沢在昌『新宿鮫』 馳星周『不夜城』 原りょう『そして夜は甦る』 藤原伊織『テロリストのパラソル』 真保裕一『奪取』 北方謙三『眠りなき夜』 逢坂剛『カディスの赤い星』 藤田宜永『鋼鉄の騎士』 船戸与一『山猫の夏』 志水辰夫『飢えて狼』 谷恒生『フンボルト海流』 西村寿行『癌病船』 勝目梓『獣たちの熱い眠り』 生島治郎『追いつめる』 大藪春彦『野獣死すべし』 山本周五郎『樅の木は残った』

  第3章 度肝を抜かれるニューミステリー絶品の19冊!
綾辻行人『十角館の殺人』 法月綸太郎『頼子のために』 我孫子武丸『殺戮に至る病』 有栖川有栖『46番目の密室』 麻耶雄嵩『夏と冬の奏鳴曲』 折原一『倒錯の死角』 北村薫『空飛ぶ馬』 山口雅也『生ける屍の死』 京極夏彦『姑獲鳥の夏』 竹本健治『匣の中の失楽』 泡坂妻夫『乱れからくり』 連城三紀彦『戻り川心中』 笠井潔『サマー・アポカリプス』 島田荘司『占星術殺人事件』 加納一朗『ホック氏異郷の冒険』 東野圭吾『秘密』 高橋克彦『写楽殺人事件』 井沢元彦『猿丸幻視行』 中井英夫『虚無への供物』

  第4章 いわゆる「御三家」プラス5。やっぱり死ぬほど面白い!
西村京太郎『終着駅殺人事件』 赤川次郎『三毛猫ホームズの推理』 内田康夫『後鳥羽伝説殺人事件』 津村秀介『浜名湖殺人事件』 深谷忠記『人麻呂の悲劇』 嵯峨島昭『白い華燭』 梓林太郎『風葬連峰』 太田蘭三『殺意の三面峡谷』

  第5章 「松本清張と社会派推理小説」を徹底的に楽しむ!
松本清張『砂の器』 有馬頼義『四万人の目撃者』 水上勉『飢餓海峡』 黒岩重吾『背徳のメス』 梶山季之『黒の試走車』 清水一行『動脈列島』 藤村正太『孤独なアスファルト』 西東登『蟻の木の下で』 森村誠一『人間の証明』

  第6章 読んでないなら今すぐ読め!ミステリー黄金時代不滅の名作28
佐野洋『轢き逃げ』 陳舜臣『枯草の根』 中薗英助『密航定期便』 結城昌治『ゴメスの名はゴメス』 三好徹『風塵地帯』 海渡英佑『伯林― 一八八八年』 笹沢佐保『招かれざる客』 都筑道夫『キリオン・スレイの生活と推理』 斎藤栄『殺人の棋譜』 佐賀潜『華やかな死体』 和久峻三『仮面法廷』 大谷羊太郎『殺意の演奏』 草野唯雄『影の斜坑』 石沢英太郎『視線』 小峰元『アルキメデスは手を汚さない』 日下圭介『蝶たちは今…』 小松左京『日本沈没』 筒井康隆『富豪刑事』 戸板康二『グリーン車の子供』 阿刀田高『ナポレオン狂』 大岡昇平『事件』 西村望『鬼畜』 小林久三『皇帝のいない八月』 檜山良昭『スターリン暗殺計画』 天藤真『大誘拐』 伴野朗『五十万年の死角』 山村正夫『湯殿山麓呪い村』 土屋隆夫『影の告発』

  第7章 定説を斬る!ホントに面白い古典名作はこれだ!
岡本綺堂『半七捕物帳』 江戸川乱歩『陰獣』 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』 夢野久作『ドグラ・マグラ』 横溝正史『本陣殺人事件』 高木彬光『刺青殺人事件』 坂口安吾『不連続殺人事件』 大下宇陀児『石の下の記録』 鮎川哲也『黒いトランク』

ミステリマニアの入り口に立つ人向け!の百冊。
ミステリマニア、ないしこれからミステリの世界の「深いところ」に足を踏み入れる気がある人にとって、本書はなかなかのガイドとなるだろう。しかし。
改めて俯瞰すると「日本ミステリ史的重要作品」は確かに並んでいるものの、本当に現代の一般読者が今読んで百冊全部を面白く思えるかってのは考えてみれば疑問のように思う。今でもトリックが凄いのか、今でも冒険に心惹かれるのか、時代を超えたエンターテインメントとして優れているかどうかという視点。マニア向けを謳わないブックガイドとするならば、個人の主張を抑えてでもそのような配慮が必要なのではないだろうか。本書に限った話ではないのだが。(『黒死館殺人事件』なんてマニア必読ではあるけれど、一般人に勧める人ってまずいないでしょ?)

……ということで、ワタシのようなタイプにとってはなかなか有用。ああしかし。現段階でまだ未読の作品が四割近く残る。某ともさんのように打率九割に達するのはいつの日か……。


01/05/16
稲見一良「猟犬探偵」(新潮文庫'97)

稲見一良(いなみいつら)氏は、'89年に『ダブル・オー・バック』にて遅いデビュー。'94年に肝不全にて没するまで僅か数年、しかし作品数は限られているに関わらず、その独特のハードボイルド的作風には今なお熱狂的なファンが少なくない。私にとっては初読にあたる本作品、実は遺作集となる連作短編集である。

 大阪は能勢の山奥にて祖父の代から相続した山林の中で自然体で暮らす竜門。彼は愛犬のジョーと共に「猟犬を探すこと」を専門にする探偵として生活していた。かって彼が解決した事件からの口コミで、彼のもとには時々、そして厄介な依頼が舞い込んでくる……。

動物愛護を売りとする「キタ動物ランド」。親から愛されない四男坊は身体の弱いトナカイの足を治すため、有馬温泉へと向かった。竜門は依頼人の金巻と二人、足跡を追う『トカチン、カラチン』
猟犬が姿を消したという依頼に竜門は保健所を回った後に、大量のビラを巻く。寄せられた情報によれば、その犬は繁華街を回る艶歌師と一緒にいるという『ギターと猟犬』
「サラブレッド・ファーム」から馬と一緒に消えたという犬を探せという依頼。牧場主は、馬が伝染病に罹っているというが、厩務員が連れだしてしまい行方がしれない。『サイド・キック』
ストリート・ファイターの男が持ち込んだ猟犬の捜索依頼。その近辺では似たように犬の盗難事件が勃発しており、裏に秘密組織の存在が伺われた『悪役と鳩』以上四編のシリーズ短編集。

これが本当の「カッコイイ」ということ
恐らく作者自身の信念だろう。主人公をはじめとする登場人物に一本筋の通ったものがあり、それがめちゃくちゃカッコイイのだ。動物と共に生きるということ、他人に対する接し方、自分自身の生き方、表現の仕方。それぞれが、ごくごく自然でかつ凡人には到底行い得ないような信念の元に培われている。別に粗野というわけでもない。かといってへりくだっているわけでもない。べたべたに甘いものでもなく、単純に辛く厳しいものでもない。強いものを強いと認め、正義を自分の基準で考える。あくまで主人公、そして登場人物たちは誰に教わるでなく、自分自身で考えた生活様式、そして生き方を貫いている。プライドを持ち、それを維持する。男でも女でも、子供でも老人でも。それが「カッコイイ」ということなのだろう。うん。「アルコールが入ったら運転しない」とか、ごく当たり前のことでさえも、稲見氏の手にかかるとハードボイルドめいて見えてくる不思議。
そんな主人公が依頼され、対策を練って行動し、解決していく事件。基本的に「猟犬探偵」、探す対象は「犬」であり、その捜索自体に奇手奇策は通用しない。あくまで地道に解決するのみ。ミステリという意味では大きな謎が提示されるでなく、あくまで対象探しが中心。そして「その対象が見つかったあとどうあなるのか」、つまり「結末」が謎であるだけで、どちらかといえば展開に乗って読み解く物語。この過程が面白く、切なく、カッコイイ。ああ、もう読んでくれ。動物が好きなら尚更。

この作品の前奏曲となる盲導犬探しの物語はテレビの原案として執筆されたもので、テキストでは読めないらしい。ああ、それもすごく読みたいぞ。一冊読んだだけで、なぜこの物故作家の人気が高いのか、理解出来てしまった。もっと読んでみなければ。


01/05/15
高田崇史「QED 東照宮の怨」(講談社ノベルス'01)

QED 百人一首の呪』にて第9回メフィスト賞を受賞した高田氏の書き下ろし四作目。題名でも判る通り、本作もまた桑原崇、棚旗奈々、小松崎良平らが活躍するシリーズ。

学校薬剤師会の親睦目的の団体旅行で日光東照宮を訪れた棚旗奈々。彼女は現地で偶然、桑原、小松崎のコンビと出会う。彼らは二子玉川園にて発生した、会社社長惨殺事件に絡む三十六歌仙絵を調べに東照宮を訪れたのだという。奈々は彼らと同行することにし、事件について訊く。――殺された社長、八重垣俊介は若い時分に花坊不動産に一社員として入社。社長の花坊太郎に目をかけられて頭角を表し、子会社の八重垣リゾートを任されるまでに至った人物。八重垣はひょんなことから「三十六歌仙絵」に魅せられ、太郎の跡目を継いだ花坊才蔵から、高価な絵を譲り受けた。その彼が自宅に一人でいたところを手足が千切れかかる程斬りつけられた死体にて発見され、その絵がなくなっていたという。その一週間前には別の三十六歌仙絵が盗難にあっており、被害者の残した「かこめ」というダイイングメッセージなど、これは「崇の分野の事件だ」とばかり小松崎が崇を呼びつけたのであった。

歴史ミステリの業? 歴史の謎と事件の謎とのバランスは難しい
「百人一首」「七福神」「シャーロック・ホームズ」と、伝説や物語に隠された表面には見えにくい思惑や秘密――「深秘」を解き明かしてきた桑原崇(いや、作者の高田崇史氏?) が、今回の標的としたのは、徳川家康の死後、秀忠、家光らによって造営された豪華な宗教的建築物「日光東照宮」。歴史的観点、建築学的観点、宗教的観点、更には当時の人間関係など、様々な方向からスポットを当て、更に複合的に考察を進めることによって、この豪華絢爛な建築物にまつわる「謎」、そしてその深遠なる「存在理由」を明かしていく。そこに至る手法やコンセプトは従来作品と同じような道筋を取っている。だがしかしテンポ良く歯切れ良く、対象物に興味があろうとなかろうと読者を引きずり込む構成に、かなり作家としての磨きがかかったと感じられた。まずは前半部で「東照宮」の前に「三十六歌仙絵」の秘密を前座に、とばかりに解き明かしてしまうのだ。『百人一首』の時と同様のコンセプトとはいえ、鮮やかなもの。そして東照宮に込められた秘密のスケールの大きさが、また凄まじい。日本地図まで登場しますかね、普通。
一方の猟奇連続殺人事件は、意外な犯人に意外な動機とサプライズはダブルポイント。但し、きちんと東照宮の秘密が絡むものの、両者のつなぎ方にはぎこちなさも感じられた。意外な犯人までは実は読んでいるうちに目星はついていたのだが、その犯行動機が実際に明かされてみても、残念ながら今ひとつしっくりこなかった。論理的狂気という考え方は大いに賛同出来るものの、もう少し事前に前フリで伏線を仕込んでいても良かったのではないだろうか。これらを「東照宮」抜きにしてミッシングリンクか、狂気犯罪ものの作品として単独で長編化していたら、それはそれで両方が凄いミステリになった可能性も。
「東照宮」「殺人事件」どちらも凄いし、充分堪能出来たのだが、これが一つの小説作品となった時にどうバランスを取るか。「歴史ミステリ」というジャンルに潜む永遠の課題が、本作にも突きつけられているように思えた。
あと本編には関係ないが、本作内には「崇と奈々のファーストコンタクト」の場面があり、なんとなく微笑ましく感じられた。こういう人物には確かに普通は関わり合いになりたくないな。うん。

「日光東照宮」に興味がある、知識を仕込む必要がある、などというタイプの方を除けば、シリーズを順に読んでいってあたる作品という位置か。なんにせよ、これだけ緻密に対象を毎度毎度分析していることを思うと「ネタ切れ」によく陥らないものと感心しきり。


01/05/14
鮎川哲也・芦辺拓(編)「妖異百物語 第一夜」(出版芸術社'97)

鮎川氏のミステリアンソロジーの編纂の中心となる「無名作家」の再評価を「恐怖」そして「怪奇」をテーマに成された作品集。下記のセレクトを見て頂ければ理解頂けると思うが、確かに渋い。続編として同題の「第二夜」がある。

鷲尾三郎『魚臭』  戦時中に海の藻屑と消えた妻が、夫の夢の中に魚となって戻ってきた。
川島郁夫『肌冷たき妻』  山の中で遭難した妻を捜す夫は山小屋の主と交わる妻の声を聞く。
楠田匡介『硝子妻』  悪毒い手段で研究室を追われた男は、革命的な硝子の開発に成功していた。
四季桂子『胎児』  奔放淫乱な人妻の身体の中に息づく胎児は自分が殺されるのではと怯えていた。
赤沼三郎『人面師梅朱芳』  有名人の顔をゴムマスクで本人と見分けがつかないほど精巧に作る男。
夢座海二『変身』  脱獄男は女々羅博士夫妻の怪死事件は裏切られた自分が復讐したのだと奇妙な話を。
和田宣久『忘れるのが恐い』  火事跡から発見された日記には健忘症の男の悲劇的日常が記されていた。
渡辺啓助『金魚』  料亭柘榴亭の留守番をする男と謎の女との会話。男は戦時中中国に駐留していた。
辰巳隆司『人喰い蝦蟇』  食用蛙研究に打ち込む所長は蝦蟇を大きくすることに注力、成功するが。
鮎川哲也『怪虫』  奥多摩に発生した巨大な毛虫は全てを食らいつくした挙げ句遂に人間を標的に。
土岐到『奇術師』  落魄の奇術師が場末の劇場を拍手の渦にすべく究極の奇術「不死身の男」を披露。
光波耀子『黄金珊瑚』  ビーカー内で成長する黄金の結晶は人の頭に取り付き、その心をコントロール。
左右田謙『人蛾物語』  放浪から戻った弟が語る山奥での老人と美女の顔と蛾の身体を持つ女との生活。
村上信彦『永遠の植物』  何でも自分で確認しないと気が済まない男が婚約者を連れて前人未踏の山奥へ。
以上、十四編。

軽々と時代を越える恐怖、そして奇妙な手触り
序盤は「異形の異性との交情」を描いた作品を集めたパート。題名から分かる通り、臭いを強調することで魚と愛を交わす男の異常心理を強調する『魚臭』、雪山で遭難、死んで異形の者と化した妻を追い続ける男を描く『肌冷たき妻』、愛する者を永遠に我が物にする屈折した男性心理を特殊な科学世界内部で表現した『硝子妻』の三作。
続いて「人間の感情の変化、心理の変化の恐ろしさ」を描いた作品が並ぶ。『胎児』では子供嫌いの母親を、『人面師梅朱芳』では浮気な妻を、『変身』は自分を科学の実験台にした博士らを、『忘れるのが恐い』では記憶を喪う自分自身を……、それぞれ怖れたり、憎んだり、愛したりと様々ながらその根本にあるのは全て「心変わり」の悲哀である。
更に作品それぞれが幻想味を帯び、現実から少しずつ遊離した世界が広がり始める。「人間あらざるものの恐怖」とでもいえば良いのか。『金魚』の大陸で犯した罪を少しずつ糾弾する存在、『人喰い蝦蟇』の人工飼育される巨大なカエル、『怪虫』の全てを食い尽くす存在、『黄金珊瑚』の何も言わず成長する巨大な珊瑚、『人蛾物語』の人頭の昆虫……。彼等の思うところ、考えているところ、行動決定の理由など、人間には全く伺い知ることが出来ない。その「存在」が既に恐怖であり、関わることもまた恐怖である。彼らと接する人々には、大きなドラマが待ち受けており、物語の起伏、そしてクライマックスへの水先案内人としての役割を負わされる。……。 最後に最愛の者を変化させてしまった男、そして読者に物語の真実の判断を任せきることで、何ともいえない読後感を残す『永遠の植物』の寂寥感。これにてこの名アンソロジーは幕を閉じる。

これもまたこのシリーズの名称である「ふしぎ文学館」の名に相応しい一冊かと思った。

統一テーマである「恐怖」「怪奇」を貫きながら、有名作家のマイナー作品、マニア受けする作家の代表作品、忘れられた作家の名作等、広いセレクトの幅を誇っている。通して読んだ時に与える印象だけでなく、滅多に読めない作品を世に問おうという意志も合わせて強く感じられる。これは「アンソロジーのお手本」ともいえるプロにしか絶対に出来ないお仕事。非常に渋い作品集である。

また、巻末の日下三蔵(編)「恐怖アンソロジーの系譜」は解説、及びリスト共々、国産恐怖小説を体系立てて網羅しようと考える人には絶対必要なリファレンス。私自身には非常に興味深いものがあった。普通に買えるうちに購入しておくべき本。手に入らなくなれば即キキメかも。


01/05/13
川辺 敦「怪奇・夢の城ホテル」(ハヤカワ文庫JA'00)

副題は「逢摩時雄の奇妙な事件簿」。 本書がデビュー長編となる川辺氏は映画業界に携わる方らしい。「ほう、解説は東さんだ」と東雅夫幻想文学編集長の巻末解説を立ち読みしているうちに読みたくなって購入。書き下ろし。

テレビなどの台本を執筆する放送作家の山井彰は、かって世話になったことのあるディレクターより心霊番組を手伝ってくれ、との依頼を受けた。山井はかって心霊番組のヤラセに関わって痛い目にあったことがあり、気が進まなかったものの結局引き受けることになる。伊豆に、幽霊が出ることでお化け屋敷と呼ばれているホテルがあると知っていた山井は、そこでロケハンを開始。スタッフと共にその廃ホテルに侵入、荒れ果てた光景の中で発見された猫のミイラ。そして心霊写真。何かに怯えるスタッフ。一応は無事に終了するものの、ロケハン終了後、山井は急に体調を崩してしまう。さらに今まで経験のなかった金縛りが訪れ、不眠症がひどくなるなど体調は悪化。撮影は手慣れた出演者の助けもあって大成功に終わったが、次回作は偶然三通もの手紙によって推薦された、かって火事があって多数の死者を出した上、支配人が自殺した「夢の城ホテル」で行われることが決まった。山井はある人物の推薦で、霊媒師の講演に赴き、体調不良の原因が「霊」にあると知らされる。

テレビで育った現代日本人のためのスペシャルオカルト番組
この物語の基本コンセプトは「テレビで放映される心霊特集番組スタッフが、本当に怖い目にあう」、ということに尽きるように思う。心霊だとか幽霊だとかオカルトスポットを取り上げるテレビ番組は、構成によっては下手なホラー映画なんかより、よほど視聴者の怖さを刺激する。スタッフ当人達がやらせと思っている怪奇現象が実は、ホントの怪奇現象だったら? このあたりに発想の原点があるのではないだろうか?
それこそテレビ草創期の頃から、恐怖やオカルトといった番組は無数に作られていることだろう。自分自身を振り返ってみても、物心ついた時にはそのような番組を見ていたように思う。(むろん、親は見せたがらなかったが) そういう意味では日本人誰もが心の中に、定型的ではないにしろ「オカルト番組の展開」といったイメージを既に抱えているように思う。その「オカルト番組の展開」を逆手に取ったところに本作のポイントが潜む。例えば単なる肝試しならば、怖ければ逃げ出せば良いだけのこと。それが仕事となった日には、逃げることは許されない。突き進むのみ。責任感が重ければ重いほど、分かっているのに足を踏み入れなければならなず、恐怖は加速度をつけて倍増していく。また、悪ふざけにならない程度にテレビ業界の楽屋落ち的光景を使用しているが、それがさりげないユーモアとなって全体の雰囲気を作るのに役立っている。
いずれにせよ、「バケモノ屋敷探検」というホラーの黄金テーマを踏襲していることは事実であり、ものすごくマクロな視点に立って眺めれば、その大きな筋道は過去の名作と同じである。「バケモノ屋敷に入る→探る→出会う→(戦う)→逃げ出す(ないし戦いに勝つ)」 それでいて細やかなディティールが、いわゆる「日本的」かつ「テレビ的」なため、その一つ一つがじわりじわりと心の透き間に染みこんで来る。スリッパの走る音。次々と割れていく電球、暗視カメラに写る影……。想像出来る分、怖いのだ

テキストでしか出来ないイマジネーションを加えつつ、映像を意識した舞台作りを行っており、物語の「見せ方」に関するセンスに良いものを感じる。デビュー作にしては文章もこなれており、次作以降も楽しませてくれそうな予感。(贅沢を言わせてもらえば、もうちょっと女性に魅力が欲しいかな) シリーズになれば人気も出てくるかも。


01/05/12
愛川 晶「夜宴 美少女代理探偵の殺人ファイル」(幻冬舎ノベルス'99)

化身』にて鮎川哲也賞を受賞してデビューした愛川氏が、それ以前の投稿時代の作品にずっと登場させていた「美少女探偵 根津愛」。彼女が長編として初めて商業刊行された作品だという。書き下ろし。

堕天使殺人事件』にて兇悪な犯人に肉薄しながらも、傷ついてしまい最終的に森江春策に手柄を奪われる形となった根津愛。退院後、神戸で宮城県警の刑事、桐野慶太をお供に羽を伸ばしていた。愛の父親はかって宮城県警の敏腕刑事だったが、怪我から退職していた。彼に薫陶を受けた刑事は今もって多く、愛も警察では一目置かれる存在だった。
宮城に戻り、最近購入した人気車が、中古とはいえ格安だったことの真意を尋ねようと販売店を訪れた慶太は、社長に逆に説教を食らう。その帰り、事件で呼び出しを受け、幽霊が出ると噂される有料道路を通らざるを得なくなる。深夜、そして雨の悪天候、その道路の中ほどでフラフラと踊る白い人影が慶太の前を横切った。やむを得ず彼女を乗せて走りだしたところ、光と共に大きな衝撃が彼を襲う。……気付くと愛車は谷底の下。ただ慶太自身は無傷に近い状態で路上に倒れていた。但し、ただ一人で。 その翌日、慶太が事故を起こしたところから、高級外車が転落、ドライバーが死体で発見された。しかし死体には明確に扼殺の痕跡が。果たして死体が車を操って転落したのだろうか??

美少女探偵のリベンジマッチは不可能犯罪を越えた不可解状況
俗に「新本格」と呼ばれる作家のうち、「本格原理主義」とでもいえば良いのだろうか。そのような作風にこだわる作家が幾人か存在する。カーやクイーンといった黄金時代の本格作品を意識し、自らの作品を厳格なまでに本格、特に不可能犯罪に情熱を燃やす。そうして、その一人が愛川氏であることも、まず間違いではあるまい。特に現在も執筆を続ける愛川氏や他の作家の作風に共通されるように見受けられるのは「どうやって実行したのかが分からない犯罪(不可能犯罪)」を越え、「どうやってこんな状況が発生したのか想像もつかない(不可解状況)」という事態を創造することにあるように思う。不可能犯罪のエスカレート。インフレーションともいえるか。従来のアリバイ崩しや単なる密室では、現在のすれた読者のサプライズは得られない。それでも彼らを驚かしてやろう、という「心意気」が、創作の意欲となるのだろうか。

この作品においても「ゾンビが運転して転落した車」という基本モチーフがあり、更に証拠や証言が集まれば集まるほど、その不可能的状況をどんどん補強してしまい、不可能状況が却って深まる構造になっているのが面白い。→(以下ネタバレ) 真相が”特殊な交通事故”及び、”特殊な状況下における偶発事故”である点、いくら伏線があっても、その知識がない人間に想像力の飛躍を求めるのはちとツライかな……。ただ、このようなトリックを使用しないと「驚き」、そして「新規性」を打ち出しづらいというのは、新本格登場より十年と少し、ジャンルの成熟、もしかすると限界を示しているかも、と多少の危惧も感じる。(ここまで)
冒頭より作者の根津愛への思い入れ過剰? のせいか冗長と思われる箇所がいくつかある。(例えば『堕天使』との繋がりなど、さらりと触れるだけの方がスマートだし、本作から読む人には親切でしょ?) 物語のリーダビリティを考えるならば、不必要な蘊蓄や描写、場面転換をもう少し抑えた方がスッキリ出来たのに、と少々残念な気も。

ちょっと癖もある作品なので、愛川氏の作風が好みと合致するとハッキリ分かっておられる方の方が向いているように思える。でないと、「袋とじ」にまでされた真相(説明するためのイラストが存在するための配慮)に、人によっては腹を立てる場合もあるかもしれないし。


01/05/11
三橋一夫「ふしぎなふしぎな物語4 第三の耳」(春陽文庫'76)

三橋氏は『腹話術師』にて'23年『新青年』デビュー。引き続き連作として発表した「まぼろし部落」シリーズは既存の幻想小説の枠に収まらない作風で「不思議小説」と名付けられた。春陽文庫でのシリーズは全四冊。かって昭和二十年代後半に室町書房より刊行された『不思議小説集』の増補版である。

男に騙された女が実家に戻った。犯罪者として追われる娘を父親が救おうと決意『幕』
病気のため療養で伊豆に来ていた男と女。二人は惹かれながらも別の男女と出会って『ハルポックとスタマールの絵印』
特に宣伝していない筈なのに貸間に越してきた男は関係者全てを幸福にしていった『ミスター・ベレー』
彫刻を通じて親交を深める男二人と女性一人。天才肌の男は水難事故で命を喪ってしまう『再生』
男はかって頭の頂点に第三の耳を持っていた。惚れた女性のためにその耳を手術で取ったところ『第三の耳』
その夕べ、男は家に伝わる槍が長いことに気付き、自分に合う長さに調節を始めた『その夕べ』
財産を残して死んだ父親は息子と娘に数奇な彼らの運命を記した遺書を残していた……『不思議な遺書』
恋人が自分よりも従兄弟を好むと思いこんだ男が自殺。幽霊になった彼は彼女の愛に気付くが『霊魂のゆくえ』
その男は痛む心臓を引っぱり出して捨ててしまった。更に喘息となった男は今度は肺を『からっぽ男』
屋敷の門番をして暮らす男は主人が替わっても、かって仕えた主人とその家族を守っていると信じていた『ある晩年』
正直者の男が暴漢に襲われた女性を救い妻に。それを嫉妬した役人らは彼に無理難題を突きつける『なみだ川』
代診医をしていた僕は魅力的な婦人に惹かれ、密会の約束をするが彼女は事故死してしまった『浮気な幽霊』
朝目覚めてみると、夫婦の身体と心があべこべになっていた。二人は互いの秘密を交換する羽目に『アイ・アム・ユー』

あくまでテイストとしてのミステリが薫るふしぎなふしぎな物語
自らをして「ふしぎ小説」と名付けただけのことはある。発表時期が全く特定出来ないのだが、恐らく戦前、ないしは戦争直後の時期に執筆された作品群なのではないかと想像される。その時期であれば、ちょっとでも謎が含まれる小説は全て「探偵小説」と称されていたはずで、もちろんショートショートなぞ存在してもいなかったし、SFも探偵小説に含まれる一つの形式として認識されていた。そんな中、探偵小説として割り切れない、幻想小説にはリアリスティックなちょうどジャンル間をまたぐような作品をこれだけ (文庫四冊分もある!)発表した三橋氏。エンターテインメントに対するバランス感覚が、非常に独創的だったことは想像に難くない。幽霊であるとか、輪廻転生であるとか、化身であるとかそういる日常の延長上に存在するちょっとした「フィクション」を、当時の世界の中にひっそりと浸透させて、更にそこから新たな物語を創り上げる。巧いよなぁ。
ミステリとしては、さすがに弱い。「実は○○でした」とか「○○だから出来たのだ」とか、通常の(また現代の)ルールではアンフェアとなるテクニックがそこかしこで使用されている。しかし、本書は探偵小説の狭い枠組みで語ろうとすべき作品ではない。後のショートショートの精神に通じるような、短いけれどもピリっとしたポイントと、深い味を楽しむべきだろう。 そしてまた、日本古来から伝わる昔話に繋がるような、大衆好みのストーリー。 この二つが三橋一夫の手で組み合わさることによって「ふしぎなふしぎな物語」が成立しているように思う。

ある意味、現代作家が恥ずかしくて使えないアイデアを先駆者としての特権で物語に変えてしまっている。簡単にいえば「この物語は実はウソでした」のような。そういう意味では『幕』、『ミスター・ベレー』、『不思議な遺書』、『アイ・アム・ユー』などの「やっぱりこうくるか!」というオチがミエミエの作品の方に、かえって深い味わいがある。刺激よりも安らぎ、ですよ、三橋作品は。

春陽文庫の中でも相当に入手困難な本、らしい。のだが、新橋駅ワゴンでひょっこりと見掛けて200円で購入した私には実感が全然湧かない。血風だったのか……。
三橋一夫の同系統の代表作品は国書刊行会探偵クラブ『勇士カリガッチ博士』にて読むことが出来るようです。この「4」と作品は重なっていないようですが。