MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/05/31
中薗英助「密航定期便」(講談社文庫'76)

'63年に新潮社から刊行された作品。ジャーナリスト出身の中薗氏は'50年代より執筆活動を開始、中国小説を発表後、'61年に国産最初のスパイ小説といわれる『密書』を刊行、その後『炎の中の鉛』及び本作とあわせスパイ三部作と呼ばれている。特に本作は、日本人の手による本格スパイ小説を開拓した作品として、今も名高い。

'60年代の東京。労働心理相談所にて事実上の探偵(というか産業スパイ?)活動を行っていた西条牧夫。彼は所長の指示により、日韓貿易を行う大韓実業という会社の社長秘書、安間カナ子の行方を追う。カナ子は後ろ暗い資金1,500万円をある人物に渡す仕事を頼まれ、出かけたまま失踪したという。彼女の会うはずだった人物は、パン・コリアン・レビュー社の李光万。李を大阪に追った西条は、彼が恋人の高野恵子と共に博多に向かったと情報を入手する。一旦、所長の命令で東京に戻った西条は、再び博多へ赴き、彼らを対馬に追っていく。対馬では最近、海女が殺され投げ込まれたとおぼしき女性死体を海底で発見、武装蜂起を促すアジテーションのビラを回収していた。死体は潮に流され韓国領海に入ったと思われ、身元の確認は出来なかった。そしてその発見者の海女が事故死し、加えて地元民に神聖視されている山の中から女性の全裸死体が発見されていた。西条はその女性が、安間カナ子であることを確認、高野恵子を追って山中の発見箇所に赴いたところ、恵子とその仲間に拉致され密航船の中に連れ込まれてしまう。

マクロとミクロの交錯。計算され、現実感を重視し、そして自覚的な「本格スパイ小説」
日本人初の本格スパイ小説……この本格の文字を取り去って、広義のスパイ小説に範囲を広げれば、日本には古くから「スパイ小説」などいくらでも存在している。時代小説で隠密が主人公となるもの。戦時中に執筆されたであろう、防諜・諜報小説。(戦時中の児童文学にはこの手の作品も多い) それらの作品に比べ、中薗氏の作品がどの点を違えており、何が新しかったのか。
私が本作から受け取った印象では「マクロの視点の有無」がその差に繋がっているように感じる。つまり国家間、組織間の緊張、更に駆け引きがきちんと表現されているかどうか。その緊迫感が、登場人物それぞれにきちんと割り振られているかどうか。この繋がりが、少なくとも「本格」のスパイ小説を標榜するためには必要なのではないか、と思うのだ。その点、もちろんこの『密航定期便』は軽々とクリアしている。
朝鮮戦争の直後。南北に分かれたばかりの朝鮮。韓国を支配する軍閥打倒のための地下運動、更にその運動内部での強硬派と穏健派の対立、そして韓国南部と対馬とを結ぶ密航定期船の存在。彼らの思想に至るまで事細かなディティールで語られ、その現実感はもの凄い。フィクションと知りつつも、その虚構性自体を思わず疑ってしまうようなリアリティ。そして、それらの一つ一つの要素が、1500万円持ち逃げ、殺人事件、密航船と全てに蔦の葉のように絡まっている。もちろん「ミクロの視点」、つまり登場人物たちが感じる緊張感もしっかりと存在し、物語におけるテンションは中盤から終盤に至るまで常に高い。表の顔と裏の顔、登場人物それぞれの行動における真の狙い。最後の最後に解体され、読者の前に投げ出される国際社会の陰謀は、中薗氏の計算し尽くされた物語構造の妙と合わせ、十二分にサプライズに値する。スゴイ。

この作品もつい最近まで講談社大衆文学館に名を連ねていたのだが、そちらも現在は絶版。有名なわりに何かの受賞作品ではないのが痛いが、この講談社文庫の後にも集英社文庫でも刊行されていた時期があり、根気よく探せば読めない作品ではないと思う。雑誌『幻影城』の長編小説ベスト99にも入っている。


01/05/30
藤本 泉「時界を超えて――東京ベルリンの壁」(旺文社文庫'85)

石川誠壱さんによると藤本泉は旺文社文庫にてSF作品ばかり三冊刊行しているとのこと。残念ながら、旺文社文庫自体が全て絶版となり私は全く見たこともなかったものを、その石川さんに譲って頂きました。多謝。

その世界、日本は自衛隊の内乱の結果、民主主義の西日本と、ソ連が支配する東日本とに分かれていた。東日本の特権階級に属していた大学教授で画家の谷川岳は、女性関係の乱れから左遷されかけたことをきっかけに、西側の従兄弟を頼って亡命していた。しかし残した妻が慰安婦となっているという噂を聞き、不純な理由から東側を観光するパックツアーに参加する『時界を超えて』
同じく東西に引き裂かれた街。分割占領の結果、親が西側に健在であるのに東側にみなし児として育てられた中学生。早熟な彼はいくつかの事件を起こした後、確固たる意志をもって西側に越境、苦労しながらも生みの親の住所を探し当てる『ひきさかれた街』
西暦六〇三年。聖徳太子の長男、山背大兄王がタイムマシンに乗せられて二十世紀の日本を旅してしまう。戻って来た山背は、その体験を正直に話すのだが人心を乱す流言と断定され聖徳太子の裁きにより刑罰を処せられる『クロノプラスティック六〇三年』
以上の三編が収録されている。

「東京に”ベルリンの壁”が存在していたら?」この命題一つから人間のドラマが紡がれる
中島梓さんの本書の解説によれば、本作のように東西別々の日本を設定するSF作品は筒井、小松といった御大の作品に既に前例があるそうだ。ただ、ミステリがトリックの優劣だけで作品が論じられるものではないように、SFもまたその着想だけで作品の優劣が決まるものではないはず。少なくとも本作、東京に聳える「ベルリンの壁」の奇妙なリアリティだけが作品価値を決定づける存在ではない。
ただ、この「ベルリンの壁」の奇妙なリアリティは、もともと政治的話題や主張(特に共産主義的な)を作品内部に取り入れることに抵抗の無い藤本さんだからこそ際立っているのかも。通り一遍、表層的な知識ではなく、まさに精神としてきちんと噛み砕かれた「思想」が分かり易い形で描かれている。西と東で違うところ、同じところのバランスが絶妙。また共産主義を受け入れた日本人たちの種々のエピソードがまた面白く、かつ凄まじい。とはいえ、この「東西に別れた東京」は作品においてはあくまで背景であり、主題ではないところがまず凄い
まずは『時界を超えて』だが、こちらは西から東へ潜入した男の物語。男は愛情というよりも、身勝手な興味で女を追うのだが、女の方ではまた異なった考えがあった……という愛情の濃淡を、これまた日本古来の「とある物語」を現代に呼び戻した物語。変形ハードボイルドを思わせる展開が、実は何層にも色が塗り重ねられた上質のホラーに仕上げられていることに気付かされる。ショック。
そして『ひきさかれた街』。こちらは東から西へ潜入する少年の物語。東的、というよりも少年にありがちな独特、かつ自分本位のプライドがもたらす揺れる思春期の心を絶妙に描き出している。どこか自分の身体と精神が遊離しているかのような感覚。全ての体験を分析し自分の成長に取り込む貪欲さ。思いこみ、暴走といった幼さゆえの情動まで、女性である藤本さん自身には直接の経験はないはずなのに、どうしてここまでリアルに描けるものなのか。追想形式での表現がまた効果的な演出となり、少年の「その後」に思いを馳せてしまう佳作。
それだけでも特殊でレベルの高い舞台。そして更にその上で演じられる物語のシナリオがとにかく一流。 それぞれ、短編というよりは中編クラスの長さを持つが、いずれも一気に読んだ。いずれも高く評価されてしかるべき名作。反面、『クロノ…』は作者の豊富な知識が読者のレベルを多少超えてしまってリーダビリティが損なわれているように感じた。設定は確かに奇抜なのだが。

『ひきさかれた街』については「'72SFベスト集成」にも収録されているとのこと。これだけでも確かに読む価値はあるだろう。だが、是非とも「東京ベルリンの壁」については表題作の『時界を超えて』共々、二作続けて一気に読みたい。別の角度から捉えられたこの二つの街の表情が効果的に対比され、訴えるものを強くしている。執筆ジャンル関係なく、藤本泉作品には強烈な訴えが常に籠もっていることを実感した次第。但し、旺文社文庫そのものが今はなく、入手は相当に難しいかと。


01/05/29
梶山季之「黒の試走車」(光文社文庫'90)

'62年にカッパノベルスにて書き下ろし刊行された作品で、週刊誌の「トップ屋」として名を馳せ、ノンフィクション中心に作品を発表していた梶山氏を一躍時代の寵児へと押し上げた。日本推理小説史の中では「初の本格産業スパイ推理小説」という位置づけとなっている。角川文庫でもかって出版されていた。

タイガー自動車が満を持して開発、販売した新型車〈パイオニア・デラックス〉。出足は好調だったこの新車が、東海道線にて特急「さくら」と衝突事故を起こす。自動車には問題がないという調査結果だったが、ドライバーの芳野は自分が優良運転者であり新車をわざと壊す理由はなく、あくまで〈パイオニア・デラックス〉が突然踏切で止まったと言い張り、訴訟騒ぎに発展した。この車の開発に情熱を注いでいた企画部長の小野田は、他の極秘案件が「名古屋」「不二」といったライバル自動車メーカーに流出していたことを部下の一課長、柴田に指摘される。小野田は「この事件は仕組まれている可能性がある」という柴田に調査を命じた。ところがその柴田は数日後、箱根乙女峠にて自動車事故にて死亡する。柴田の親友だった朝比奈は小野田部長により大阪支社より呼び戻され、企画PR課長を命ぜられる。その表向き新設課は企業のPR活動を行うことになっていたが、内実はライバル他社の情報収集活動や、自社の情報漏洩事件の調査を行う役割を担っていた。朝比奈は二名の部下と、柴田の事件の再調査を開始する。どうやら事故にあった自動車は、芳野が購入したものとは異なっていたことが判明する。

非情で冷酷な経済原則の裏側で、虚々実々の駆け引きで争う「企業戦士」群像
親友の死をきっかけに、ライバル企業の汚い産業スパイ合戦の渦に飛び込み、自ら考案した対抗策にて、相手を手玉に取らんとする主人公。身内の裏切りや、思わぬ情報漏洩に苦しみながらも、最後は一応は戦いに勝利し、序盤に発生した親友の弔い合戦にも勝利する……という、サラリーマンモーレツ列伝推理。 ほろ苦さもあるものの、これでもかと登場する情報入手のための駆け引きに目を奪われ、物語のドラマ的展開には思わず引き込まれる。一応、(中盤以降、その興味は薄れてしまうにしろ)殺人事件そのものにもトリックが仕掛けられており、諜報合戦の大きな装飾の下では、しっかりミステリとしても機能している。
生き馬の目を抜く企業社会は事実上、綿々と日本社会では継続している。とはいえ既に四十年近く前となる執筆時期を考えると、本書が「古い」ことは残念ながら間違いない。自動車の開発競争を主題にした産業スパイ同士の駆け引きが物語の中心となるのだが、やり方が凄まじい。敵方の新車で事故を起こしてイメージダウンを図ったり、スクラップを銀座に引っぱり出して示威行為を行ったり、相手サイドのキーマンの弱みをあの手この手でつけ込んで買収したり、周辺や出入り業者に対して情報漏洩を強要したり。フィクションとして読んでいる分にはいいが、現代、これらの行為が明るみに一つでも出たら、仕掛けられらた方よりも、仕掛けた方のダメージが大きすぎるやり方ばかり。 ドキュメンタリー出身の梶山氏が取材によって創作した作品であり、当然当時の世情が反映されているのだろうが、個人的には「かってこんな目茶苦茶な時代もあったのか!」と奇妙な感慨にふける気持ちが実は一番大きかった。
個人的には、この古さの最大要因は「愛人」にあると思う。どうもこの時期の会社員は愛人を囲うことを「甲斐性」として認めるきらいがあったようだ。(だから女を通じて情報が漏れる) 現代の企業社会だと(周囲に公認で)「二号」を囲うのは大企業の社員にはまずいない。即、スキャンダルに通じるのだから。

(私の印象では)古書店で良く見かける梶山氏の作品は、大衆小説、風俗小説、お色気小説等が目立っているように感じる。この産業推理の題名を知らなかったではないが、ちょっと手に取るのに戸惑いがあったのも事実。しかし、この生々しいドキュメント風の物語こそが梶山氏の持ち味だとするならば、それらの小説もまた梶山氏そのものなのだろう。いずれにせよ「大衆の目を引く」ことが梶山氏の最大の使命であり、時代を十二分に反映したこの物語はその点、きっちり成功していたことは想像に難くない。


01/05/28
浦賀和宏「記憶の果て THE END OF MEMORY」(講談社ノベルス'98)

第5回メフィスト賞の受賞作。この月『Jの神話』『歪んだ創世記』と三冊のメフィスト賞作品が同時発売された。浦賀氏はこの作品の後もコンスタントに作品を講談社ノベルスを中心に発表している。また、当時19歳という年齢、京極夏彦氏による推薦辞等も話題となった。

昨日まで家族三人で団らんしていたのに、急に親父が死んだ。残された遺書、そして状況から自殺であることは間違いない。生前は脳の研究をしていた父親。俺こと安藤直樹は、自殺に何となく納得できず、いつもは鍵のかかっている父親の部屋に入る。そこには妙なフォルムを持った黒いコンピューターが置かれていた。何気なく電源を入れると「あなたは誰?」と表示される。画面の文字は流ちょうにキーボードを打ち込む直樹と対話する。「彼女」は直樹の妹で「安藤裕子」そして17歳なのだという。父親の葬式の間、束の間そのことを忘れていた直樹だったが、再び電源を点けると「寂しかった」と再び引き続いての会話が続いた。混乱した直樹は、親友の金田と飯島に相談、金田はこれは一種のゲームのようなソフトであると定義し、更に「裕子」を直樹が好きになってしまっていることまでも見抜いた。三人は、父親の親友で、同僚だった萩原の元を訪ね、人工知能について質問を重ねる。

少年が大人に成長していく……テイストそのものは悪くない
井上夢人の諸作品と目指す到達点は(本書に限っては)似ているように思えた。 自分自身のアイデンティティや、恋、そして他者との関係構築に悩む主人公の姿は、普遍的な19歳の姿そのもの。多少内向的で鬱っぽいところがあっても、それはあくまで設定された性格の問題。父親を急に喪った彼が、次々と直面する奇妙な出来事、そしてその真実を知ろうとすることにより、知らず知らず「子供」の殻を破って大人へと脱皮していく姿。様々な状況に応じて、自ら考え、自らの決断を余儀なくされていくうちに、自分で考え、自分で決めることが当たり前になっていく。少年らしい性急さや、思慮の浅さもまた(等身大の作者なのか?)、生々しくそしてかなり赤裸々に「十代の少年らしく」描かれていて、青春ミステリの要素として却って好感が持てる。
基本的に「残されたコンピューター内の女性」の謎を解きはじめたはずが、気付くと主人公が自分を囲む真実を追い求めてしまっている展開の自然さ、若干の科学的検証(蘊蓄)も嫌らしくなく物語に溶け込ませるバランス感覚など、広義のミステリーとして、しっかりした骨格が備わっている。終盤の切なさもGOOD。
後は小説技術。現在は作品数を重ねていることであるし、恐らくは上達していることと思われるが、小説としての仕上げ方が今ひとつ。とにかく、読者にとり不必要で詰まらない部分の描写が致命的に多い。音楽などへの固有名詞のこだわりや、科学技術に関するレクチャーは多少長くとも構わないのだが、エレベーターを上がっただの、扉を開けたのだの、もう少し読者の想像力を慮った構成が望まれる。少なくとも本作に関しては。

他のメフィスト賞受賞作と比べるに、「新しい才能の発掘」としての受賞作としたのだと思う。この後、いくつもの作品を発表しており、それぞれが評価を得ていることを考えれば、試みは成功と言えそうだ。個人的には他の作品を読んでみないと何とも言えないながら、独特の創作パワーを持っていることだけは確実に感じ取れた。


01/05/27
小泉喜美子「死だけが私の贈り物」(トクマノベルス'85)

小泉喜美子さんは生涯で長編を五作品を執筆した――うちの最後の一冊にして遺作。書き下ろし刊行後、文庫化もされておらず、それなりに入手困難の一冊。

新婚ほやほやの山田刑事の元に電話が入り、奥さんが緊急入院すると知らされる。単なる急性盲腸炎で、慌てて駆けつけた山田刑事がほっとしたのも束の間、その手術を見学している最中に軽い脳貧血を起こして倒れてしまう。倉庫のような部屋に寝かされていた彼は、アコーディオンカーテンを隔てて女性と医師が話し合いをしていることを聞く。彼女の持つ病気について医師が思わせぶりな態度を取ると、女性は「死ぬ前にやるべきことがある」と言い残し、憤然と部屋を出ていく。上品な服装をしたその女性は山田刑事の目の前でロールスロイスに乗って病院を去る。――高名な演出家である深沢は、かって関係のあった元女優からの電話に心ならずも興奮する。彼が才能を見いだした彼女を自ら育て上げ、大女優へと出世させたのは深沢だった。だが、彼女は彼の手を離れて年下で格下の俳優と結婚し、彼の元を去ったのだ。その後、彼女とその夫に対する辛口の批評をしたのも愛情の裏返しだったはずだが、世間は彼女の演技に疑問符を抱くようになった。彼女の夫は数年後に病死、彼女自身の人気も凋落していった。その彼女がしおらしくも深沢の元に来るという。しかしその晩――。

交錯する男女の愛憎、そして気高く美しい文章の中に潜む絶妙の罠

見開きにある献辞がいきなり泣かせる――「コーネル・ウールリッチに捧げる  ――もう、あなたのようなミステリーを書く人がいなくなったので。」

「どこが?」といわれると多少困るが、作品執筆の身上である「洒落の美学」がまずしっかりと健在。女性の服装の細やかな描写から男性の生活信条や行動に至るまで、主要な登場人物の全てにミステリとして必要な役割以上に小泉さんなりの美学が感じられる。毛皮を羽織る女性。ブランデーを嗜む男性。フィクションだからこそ、生活感や些事、地道な捜査等を描かない。洗練された世界、そしてミステリーを常に心がける……。一言でいえば「大人のかっこよさ」か。
そしてまたもう一つの「ミステリーの美学」もまたしっかりと実践されている。密室やアリバイ等、泥臭いトリックを使わず、それでいてきっちりと読者にサプライズを呼び込む……。人間の心理の襞を一枚一枚捲って、犯罪という甘美な罠を仕掛ける犯人。さりげなく、そして本当に何気なく伏線にそれらを盛り込む心憎さ。全てを知った後に次々と明かされる、作者の、そして犯人の仕掛けたトリックに「さすが小泉ミステリー」と膝を打たない人はいないのではないだろうか。
リアルタイム、かつ一人称で犯罪者心理を描いているため、トリックの仕掛けようなど無いように思えるのだが……。 そうか、この手があったのか。 (もしかしたら外国のミステリーに似たものがあるかもしれない。しかし、私はこの作品で驚いた。それが全て。)

これで小泉さんの残した長編作品を全て読み尽くしてしまった……。美味しい料理を食べ尽くしてまだお腹がすいている状態。御本人は短編を好んで執筆されていたが、長編だからこそ構築できる世界もある。本作もそれほど話題にのぼらない作品ながら、なかなかの出来。ああ、本当に残念……。


01/05/26
陳 舜臣「闇の金魚」(講談社文庫'84)

'77年に講談社より刊行された長編で、長らくこの講談社文庫版も絶版が続いていたが、昨年徳間文庫より再刊されたため、現在は比較的容易に入手出来るはず。

清が北京を支配していた時期の末期、様々な思想がこの国を席巻、軍や思想家が諸大国の思惑を背景に勢力争いを繰り広げていた中国。南部の貧農の息子として産まれた童承庭は、その賢さから上海の豪商、永源昌の援助を受け、書生として日本語を学んだ。永源昌の番頭格の谷瑞書の供として北京に赴いた童承庭は、滞在先で同じく日本語を学ぶ徐友岳と知り合う。徐は特殊な金魚を養殖しており、また童承庭に様々な思想を吹き込む。徐と共に日本留学を命じられた童承庭は、在日中国人思想家と共に秘密活動に従事するようになり、その過程で同じく活動家で、谷瑞書と養子ながら遠縁にあたる谷星子という女性と知り合い、愛し合うようになり結婚する。永源昌の要請で上海に戻った童承庭は、仕事を行いつつも活動は続けていた。北京行きを命ぜられた童承庭だったが、妻の星子が外出したまま戻らない。彼の自宅にやってきた見知らぬ男は、彼女の筆跡で「捕らえられたが拷問には屈しない」と書かれた紙を持参し、彼らの活動への協力を迫る。童承庭は妻の安全保証を要求、彼らの目的が不明ながら協力せざるを得なくなる。単身北京に乗り込んだ童承庭は、自称文学者で多くのコネクションを持つ謎の日本人、大垣との接触を命ぜられる。大垣との面会の足がかりをつかんだところに、再び謎の男が現れ、童承庭は妻との面会を果たす。

この題名が、読み終わった後に「ずん」と心に響く
「闇の金魚」 へんてこな題名である。序盤で一応の意味は分かる。一個所だけ小さな穴を開けた瓶の中で飼われる金魚。中は暗闇。しかし、一点だけ光が差すところがある。交配を重ね、代を経るうちにその光を見詰め続ける金魚の目玉は、徐々に背中方向に移動していくのだという。そんな珍種の金魚を指した言葉。闇の金魚。
物語は、貧農出身の青年が勉強を続けるうちに、中国の現状に疑問を持って社会主義活動を開始するあたりまで淡々と進む。日本における諜報活動の一端(といっても連絡係)を担う童承庭だが、諜報・スパイ小説に独特の緊迫した雰囲気は序盤にはあまり感じられない。生死を賭けるような危険がないからだろう。
それが妻が失踪してからは一転。自らに黒い影が確実に伸びていることを感じ取ってから、テンポも緊迫感も急激に向上する。殺されてしまう旧友。童承庭は仲間と協力、自分に接触してきた人物から、関係者を追いかけ、あの手この手で情報を収集する。失踪人探しのハードボイルド小説にも似た展開が続き、やがて真相に到達する。その時に彼自身こそが「闇の金魚」であったことを知る衝撃。ミニマムの登場人物を描きながら、実は大きな歴史の流れをも二重写しにしてしまう凄さ。 気付けば「この当時」に特有の社会の歪みが読者の前に横たわっている不思議。歴史を描きつつ、個人を活かし、個人を描きつつ、歴史を象徴させてしまう。特に中国史の造詣深い陳氏ならではの構成と描写の賜物。
ただ、黒幕の最期については、いくらなんでもこれはないだろう、という気もするが……。

近代から現代にかけての中国の歴史を観察することは、日本史を背後から、別の視点から見詰める行為と同じ。陳氏は、一人一人の人間を描くことに長けていることはもちろん、彼らの姿からもっと大きな流れを知らず読みとらせるのが実に巧い。ミステリの形式を借りつつ、陳氏が「自分しか表現し得ない世界」を次々と世に打ち出していたことを実感した。


01/05/25
梶尾真治「ドグマ・マ=グロ」(ソノラマノベルス'93)

『獅子王』誌に'91年から翌年にかけて連載された作品に大幅な加筆修正が加わってノベルスにて刊行された作品。副題は「幻魔怪奇探偵SF」で、その題名からも想起されるように、夢野久作のあの『ドグラ・マグラ』が冒頭から大いに意識されている。

看護学校を卒業したばかりの由井美果は、私立培尾総合病院に勤務することになった。戦時中は秘密研究が行われていたというその病院周辺や内部には多くの都市伝説や幽霊話があり、先輩看護婦は怯える由井をからかう。初めての夜勤の日、ペアを組むのは「鬼」と綽名されるベテラン婦長、柚佳子。行きしなに暴走族二人組にからかわれ不快を覚えていた美果も、警備員を叱りとばす彼女の姿を目撃し、緊張を倍加させる。その晩、要注意の入院患者は、福岡久作老人一人ながら、彼は右翼団体の元締めで少年団員が彼の側についていた。他、病院にいたのは、ボケ老人を中心とした入院患者が数名、当直の医師、アル中の警備員、美果を追って忍び込んだ暴走族二人組、美果と同室の先輩看護婦とその彼氏、そして病院の屋根裏で数十年もの間、密かに生活する謎の米兵、そして……。福岡老人の容態の急変と、夜間外来のランプが灯ったのが、惨劇の幕開けだった。柚は美果に外来に向かうように指示すると、自身は老人の元へと向かう。美果は玄関口付近で小さな身体に似合わず頭の大きな老人が倒れているのを発見する。彼を助けようとする美果は、彼が「ま・ぐ・ろ……くる」と呟くのを聞くが、彼女の前に銃を持った二人の男が立ちふさがった。彼らは老人のことを「”培養体”」と呼んだ。

夢野久作精神をカジシンワールドが包み込んだホラーアクション
当然、『ドグラ・マグラ』を思い浮かべつつ読む……と、少なくとも展開には裏切られる。怪しい噂の飛び交う謎の病院、一癖も二癖もある登場人物。様々な都市伝説。密閉された場所で、人間を襲うバケモノの恐怖とその戦いを描くアクションホラー、というのがおよそのストーリー。 その夜に病院に「居る」人間たち一人一人に付随するエピソードを語りつつ、彼らを一所に集合させる手法には、海外のモダン・ホラーの物語構造を思わせる。一晩、という限られた時間内にいくつもの登場人物グループが同時に活動するため、物語への視点は頻繁に切り換えられる。この点、ちょっと煩雑過ぎる感もなくはないが、最終的に複数視点で事態を見つめることで、「謎の物体」の恐ろしさを煽ると同時に物語の立体化にも成功している。
「謎の物体」の正体や、マッドサイエンティスト、人体実験、謎の政府組織等々、冷静に考えれば荒唐無稽で、C級ホラーっぽいながら、物語のスピード感でその違和感は薄れている。まぁ、この荒唐無稽を正々堂々と登場させるあたり「さすがカジシン」、と前向きに受け取ることも出来よう。もちろん残酷な描写や、恐怖を誘う展開が基本なのだが、老人四人組のボケぶりや、同僚看護婦の千晶のノーテンキぶりが、ところどころ笑いを誘って全体的な印象を緩和している。このあたりのバランス感覚も「さすがカジシン」。また、この手の作品は、登場人物の90%は犠牲になりそうなイメージがあるのだが、ポイントポイントの人物の多くの命を救っているところもカジシンらしい。
とはいっても、恐怖感そのものの絶対値はなかなかのもの。夜の病院はやっぱりコワイです。またあのキャラは乱歩作品の、あのキャラは海野作品のオマージュってのはすぐ分かりますが、ちょっと直截過ぎかな。それと題名の「ドグマ・マ=グロ」の意味は……ちょっと無理矢理かも。

とある秘密の試みが行われている病院という舞台、また物語を通じて、ヴィィィーンという擬音こそ始終登場するあたりに共通性が見いだせるものの、狂人の解放治療もチャカポコもアンポンタンポタンも出てこない。しかし、本作は紛れもなく脳髄の地獄という点に中心コンセプトがあり、経過や表現手法は違っても物語にて作者が求めたものは(夢野には届いていないながら……)同じとみる。但し、そのことは読み終わって初めて気付く性質のものなので、純粋な夢野久作ファンには読み通せるかどうかが鍵。ただ、リーダビリティが高いのでそれほど案じることもないか。ただ、現在このノベルス版しかなく、意外と入手が難しくなっている。


01/05/24
和久峻三「仮面法廷」(講談社文庫'75)

現在は「赤かぶ検事」のシリーズ等で知られる和久氏も乱歩賞デビューの作家。本作は'72年、第18回の江戸川乱歩賞受賞作にして、後の法廷ミステリの大家、和久氏のデビュー長編である。(この年は、皆川博子や井口泰子、中町信、そして山村美紗ら錚々たる作家の作品が最終候補に残っていた)

街の不動産屋を経営する黒川に誘われ、大手の不動産会社の営業課長職を抛って、新しく設立した不動産会社の専務に収まった玉木造。設立してすぐに琵琶湖畔の広大な土地の売買が成約し、順風満帆のスタートと思われた。ところが売り主は書類を巧妙に偽造した地面師で、実は詐欺。黒川と玉木は民事訴訟の矢面に立たされる。玉木はかって妻を喪い、息子と二人暮らししていたが、美樹という後添いと暮らしていた。しかし、海水浴事故で息子が死亡したことをきっかけに美樹とは離婚せざるをえなくなる。黒川は弁護士を立てるため、懇意にしている弁護士、大造の元に玉木と共に赴く。離婚後の美樹は、その大造弁護士の元に住み込んで秘書をしていた。二人の弁護快く引き受けた大造だったが、手続きを進行させている段階のある晩、自宅途中で何者かに殺害される。大造との間に婚姻届を出したばかりの美樹が疑われ、美樹も自白するのだが、玉木は納得せず、自ら弁護士の児島を雇って美樹を救おうと奔走を開始する。

夫婦の絆を軸に、法廷、密室、アリバイ崩しと贅沢な要素が込められたミステリ
この前後の乱歩賞受賞作品に共通するように思える事柄として「多数の要素を詰め込む」というものがあるように思う。必ず存在する「トリック」、事細かに描かれる「人間の愛憎模様」……このあたりを共通の要素として、社会問題、歴史、恋愛、青春、経済問題、時事問題等、作者に抱え込められるだけの諸問題を物語の中に注ぎ込んでいく……。社会派全盛時代は過ぎたものの、ミステリとしての価値以外のプラスアルファが受賞作品には必ずといっていいほど存在しているように感じられる。
そして、この作品で取り上げられているプラスアルファは、地面師という土地売買に関する詐欺を行う犯人の鮮やかな手口、法廷で無実を賭けて戦う弁護士の姿、若い女性を巡る老いた男性の妄執……等々。それらがWho done it? の正統派ミステリを覆っている。 それぞれのディテールに関しては、さすが法律の専門家だけに鮮やかなもの。特に地面師の手口などは恐らく現在でも通用するのではないか。また、騙された側同士の訴訟に関する丁丁発止のやり取りも見物。一方で、詳しすぎることがアダになっているのか、法廷内での検事と弁護士でのやり取りからは、面白さより堅苦しい印象だけが残る。こればかりは現実に裁判所がそのような場所なので仕方ないのかもしれないのだが……。
使用されているトリックは、ある意味大胆。家の見取り図や現場状況を図面で示しておきながら……こう来るか? 密室、変装等々、本格愛好家好みの細かいトリックが連発されているのも、和久氏への先入観から全く予期していなかった(法律の落とし穴とかに絞ってくるものだとてっきり)だけに面白かった。
ただやっぱり詰め込みすぎて、物語の焦点がぼやけてしまったのが弱点。事件のおおよその真相、主人公の元妻の抱える謎等々、全て解明されるものの、最後の締めが全体的に緩くなってしまっている印象がある。もちろん、乱歩賞受賞作品としては大いに水準は超えているとは思うが。

あくまで本作に関してだが、西村京太郎氏の乱歩賞受賞作品『天使の傷痕』を読んだ時に通じるような印象を受けた。後の大ミステリ作家のデビュー作品という意味で共通しているのはもちろんだが、「溢れる才能の予感」ないし「まだ全てを出し切っていない余裕」というような感覚が両者に共通してあるのではないだろうか。
和久峻三氏のホームページはこちら


01/05/23
島田一男「その灯を消すな」(春陽文庫'75)

島田一男の数あるシリーズ探偵の中でも一部で人気の高い、南郷次郎弁護士のシリーズ。初刊は'57年桃源社より。この春陽文庫版の後、光文社文庫にて'87年に再度刊行された。現在は光文社電子書店にて購入が可能らしい。(ニーズがそんなにあるのだろうか?)

大学時代の友人、那須友彦から妻の実家の遺産相続について相談に乗って欲しいと南郷次郎は手紙を受け取った。しかし手紙を追って届いた電報では、その那須が死んだと伝えられる。南郷は若い頃に彼と共に過ごした鬼怒川沿いの秘境、平家村に赴く。村の長者格の蚊太の家には濯子、浪子、都の美人三姉妹がおり、那須は長女の濯子と結婚し、そこに住んでいたのだ。三人娘と再会した南郷は、車の運転中坂道から墜落した那須の事故死に、不審点があることを警察から聞かされる。車のエンジンがかかっていた形跡がなく、車ごと突き落とされた可能性があるという。濯子の弁護人として警察の石橋刑事と相対する南郷。そして更に、その那須の火葬の最中、誰もいなくなった焼き場で、次女、浪子の夫、畠山大八が頭を割られて死亡する事件も発生。二人とも灯りの消えた直後に亡くなっており、現場に向かう途中でラジオから流れてきた「死に神」という落語との共通点に南郷は背筋を寒くする。絡んでいるのは遺産争いなのか? 宿屋から浪子が抜けだし、警察を煙に巻くが彼女にもアリバイがあった。そうして友彦と大八の通夜の最中、第三の殺人が。これも線香の灯りが消えた瞬間に実行されたものであった。

古く陳腐な設定でも、作者のセンス次第でどんどん面白く出来るもの
『その灯を消すな』……なんと高圧的な題名だろう。同じ南郷弁護士もので『上を見るな』ってのもあるが、こんな命令形を題名にした作品は、そう例がないように思う。(『ふざけるな』というのも同シリーズであるらしい) こう書かれると「なんで命令されんとあかんねん!」とかえって読みたくなるのが人情というもの。……ちなみに『上を見るな』では上を見た人は殺されていましたが、この作品も「灯が消えた」時にばったばったと人が殺されていきます。なるほどね。
閑話休題。この題名は古典落語の一節のイメージからつけられているものながら、実際にその落語そのものは本編とはあまり関係ない。具体的作品内容は正統派の本格伝奇ミステリ。 平家の落ち武者伝説をベースに山奥に一族だけが住むという村を設定、その一族の人間が次々に殺されていくもの。動機には、莫大な遺産相続、そして狭いコミュニティならではの渦巻く愛憎関係があり、真犯人は果たして誰なのか? という骨格も正統派の探偵小説調を継承する。 使い古されたという意味で陳腐ともいえるかもしれないこの状況。南郷の前に立ちはだかるのはアリバイの壁。いずれの要素も「どこかで聞いたことのある」というパターンながら、島田氏は、奇をてらうことなく淡淡と物語を押し進める。正攻法でいながら、技巧や構想が充分なため鑑賞するに問題ない。
理由の一つは、登場人物一人一人の個性が際立っていること。(特に奔放な次女のキャラクタは秀逸)更に警察と皮肉を言い合いながらも真相に迫る南郷の飄飄とした姿も好感。そして最大の理由は、真犯人そのものよりも、その背後に隠された真の動機にも十分に配慮されていることだろう。 単に遺産だけ、単に愛憎だけ、ではなく、それらを踏まえた上で一歩先に進んだ動機。それに知らされた時、時代を経た作品に関わらず、新鮮な驚きを味わった。伝奇ミステリはもともと、古びにくいもの。そして、この作品には、更にプラスαが感じられる。

島田一男の作品はほんっっっっっっとうに沢山刊行されており、正直どこから手をつけて良いのやら、数冊読んだ今でさえ、今ひとつハッキリしない。改題も多いし。たまたまこの南郷次郎もの(古いから)を読みつけているのだが、果たして次はどこに足がかりを求めたら良いのだろう? 古書価もついていないし、探すのは簡単なのだけれど……。


01/05/22
森 博嗣「今夜はパラシュート博物館へ」(講談社ノベルス'01)

講談社ノベルスにおいては森氏18冊目の作品にして『まどろみ消去』『地球儀のスライス』に続く三冊目の短編集。主に小説現代別冊季刊『メフィスト』誌上に'99年から01年にかけて発表された作品に別雑誌発表と書き下ろし一編を加えている。

西之園家が主催するパーティで出されるミステリクイズ。男をつけ回す女と女につきまとわれる男『どちらかが魔女』
出身高校の文化祭に来た犀川と喜多。準備をしていた学生の知らない間に窓硝子に散弾銃で開けられたと思しき小さな穴が多数『双頭の鷲が旗の下に』
N大学には紙で出来て何の支えもないのにぶるぶると踊る人形が現れるという伝説があった。紫子と練無はそれを見学する会に参加『ぶるぶる人形にうってつけの夜』
孤島の温泉旅館にやって来た名探偵、磯利卑呂矛と、その助手メテ・クレモナが邂逅する言葉遊びと密室殺人『ゲームの国』
海というものが恐くて恐くてしょうがない私はそれでも海を訪れ、一人の眼帯をした青年に出会う……『私の崖はこの夏のアウトライン』
小学校六年生の卒業文集。若尾満智子先生は非常に素晴らしい人でした『卒業文集』
アルバとチュチュは昨日会ったのにまた別れる運命。最後の夜をご機嫌なものにすべく夜の街に繰り出す『恋之坂ナイトグライド』
ずっと小さな頃から模型やおもちゃに強い興味のある僕は、なけなしのお小遣いの中で模型屋さんで部品を買って……『素敵な模型屋さん』以上八編収録。

「森ミステリィ」は「森ファンタジィ」へと進みつつある?
これまでシリーズ作品に登場してきた人物が、様々な形で顔を見せる本作。ほとんど彼らに対する紹介らしい紹介抜きに進められる物語は、完全に「リピーター向け」と感じられた。初めて森作品に触れる人にとって、この作品集が楽しめない、いやつまらないものと断定されても仕方がないのではないか。以前より、森氏のファン優遇措置? は知られていることだし、創作スタンスは作者の自由なので構わないことではあるけれど。とにかく、シリーズ作品を一通り読んだ人のための作品集であることは間違いない。
例のごとくの「叙述」トリックを除くと、作品集全体に仕掛けられた謎は、いかにもクイズ的。結局、殺人事件などが物語中でおきない限り、問いも答えも彼らにとっては、ほんの少しの座興、場を盛り上げるためのゲームに過ぎないのだろう。そのクイズにも、回答を作品内で答えないものや、答えてはあってもそれが正解かどうかスッキリしないようにぼかしているものが相変わらず目に付く。 『ゲームの国』などアナグラムに満ちているが(探偵の名前は作者のアナグラムだし)、全てに付き合った読者は果たしてどれくらいいるのだろう?
結局、特に短編集だから、かもしれないながら全体的にテンションが独特なのが最大の特徴のように思える。現代を舞台にした一種のファンタジー。謎に解決がつこうとつくまいと、それを超越したところに物語のポイントを置いているように思える。(一部は、ポイントのつかみ所のないものもあるのだが)
ただ、個人的に『卒業文集』はツボ。一ページごとに卒業する六年生の楽しい思い出話と将来の夢を綴っただけ、なのが終盤に鮮やかに反転する。トリックに気付いた後、最初からもう一度、どうしても読みたくなった。読んだ。生徒の一人一人の言葉の深い意味合いに改めてじわじわと良さが胸に響く。個人的に今まで読んだ森ミステリィの中では、長編を含めてもベスト3に入る。

個人的にキャラ萌え感覚がなく、登場人物に対する思い入れが希薄なため、トリックと物語だけで作品集全体を判断すると一般的にはあまり受け入れられないように正直感じる。森作品と波長の合う人にとっては全てがOK(いや、テイストが従来より強い分絶賛か?)なのだとは思う。


01/05/21
海渡英祐「伯林― 一八八八年」(講談社文庫'75)

高木彬光が『成吉思汗の秘密』の資料収集や原稿整理の助手として、高木氏に兄事した海渡氏は'61年『極東特派員』という長編にてデビューを果たす。更に野心を暖めた海渡氏は'67年の第13回江戸川乱歩賞に応募、見事に金的を射止めた。

十九世紀末のドイツ、伯林。後に森鴎外と号して日本文学界に名を轟かす森林太郎。彼は将来軍医になる約束でドイツに留学生として訪れ、北里柴三郎らとコッホに師事していた。林太郎は、留学生崩れの無頼の友人、岡本と親しくしており、岡本の恋人でバレリーナのベルタ、そしてその妹分のエリスと親しくしていた。エリスと親しくしながらも、その身分や頭脳に物足りなさを感じ、舞踊会で知り合ったクララという女性に強く惹かれる林太郎。一方、ベルタには上層階級から交際を求める圧力が舞台を通じてかかっており、愛する岡本との板挟みを苦にする彼女は自ら命を絶ってしまう。クララの紹介でベルタと交際したがっていた貴族、ベルンハイム伯爵の住居の古城に招かれた林太郎は、岡本から探偵役を依頼される。当日。吹雪の中、鉄血宰相ビスマルクが古城に現れた。大物の唐突の出現に人々が驚愕しているうちに、ベルンハイム伯爵は離れで射殺されてしまう。しかも現場は鍵で閉ざされた上、雪の上には足跡が見あたらない二重の密室であった。

歴史のロマンティシズム、近代欧州の優雅さ、そして密室殺人
ワタシは近代文学に対する常識があまり無い。そこそこ読むには読んだことがあるはずなのだが、文体が読みづらかったり、内容が中高生にとっては難解だったりで、実はほとんど印象に残っていない。(言い換えると「忘れてしまった」) 明治大正年代の名作と呼ばれる文学作品は、未だに現代読者に果たして読まれているのだろうか。恐らく今の常識では「森鴎外」と言われて、その生涯をすぐに思い浮べられる人など、極めてまれだろう。 本書が発表された三十数年前の状況を今、思い浮かべることは困難なのだが、少なくとも現代よりも遙かに多くの人々が、鴎外に親しんでいたことは確か。森鴎外を主人公に据えた作品に対する評価レベルは極めて高かったことと思われる。
その鴎外の若かりし時代に「あったとしても決しておかしくない」エピソードをミステリ仕立てにした物語。 発表当時に世に与えたインパクトは現代の比ではなかっただろう。鴎外文学を全て知った人間が、鴎外文学の隙間を埋めるようにして創った架空の物語。(この考え方って、近年の漫画やアニメのパロディに近くないか?)その元ネタを知る乱歩賞選者を満足させた作品は、当然、全く知らない人でも楽しめる作品となっている。
歴史のダイナミズムを感じさせる年代、舞台。近世の優雅さ、そして矛盾を孕んだ背景。日本人が著したものと思えないほど、丁寧に書き込まれた描写は、読者の想像力を刺激こそすれ、煩わしさを感じさせない。森林太郎の心情が綴られる物語は、異国の地でのロマンスを詩情豊かに描き、恋愛の(多少時代がかった)よろこび、苦しみを隠し味として綴る。鉄血宰相ビスマルクまでも登場させてしまう大胆さ、そして、そのビスマルクを密室殺人に巻き込んでしまう更なる大胆さは、森林太郎を探偵役として登場させる大胆さを超えて、無謀にさえ感じる。 しかしここで、それまでの緻密な歴史描写が生きてくる。とにかく違和感がない。無名人、有名人を織り交ぜつつ、不可能犯罪を解く…… 設定だけを聞けば「無茶」な印象を受けようと、物語は全てが紡ぎ合わされ、かっちりと成立している。作者の巧さが際立つ。
密室の謎の真相が多少分かりにくいようにも思えたが、物語全体としては瑣末な事柄。あくまで意外な犯人、意外な真相を楽しみつつ、それがまた青春小説としての本作と不可分に結びつく構成の妙を楽しみたいところ。小説として取り上げられた要素が全て何らかの結びつきを持った、本格歴史青春ミステリの傑作。 文句無し。

現在ならば講談社文庫の乱歩賞受賞作全集にて入手が可能。少し前には講談社大衆文学館でも刊行されていたはずで、海渡氏の代表作として必ず取り上げられる作品らしく入手が容易。そして、それだけ多くの人を魅せるだけの奇抜な着想、そしてロマンティシズムが作品内に溢れる佳品