MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/06/10
はやみねかおる・松原秀行「いつも心に好奇心(ミステリー)!」(講談社青い鳥文庫'00)

「青い鳥文庫創刊二十周年特別企画」により、本書刊行時で両作者の同文庫収録作品(主に「名探偵夢水清志郎シリーズ」「パソコン通信探偵団シリーズ」)が合わせて140万部という二大人気作家による共演。テーマを同じくするものの、合作ではなく長編二編が一冊にまとまったもの。

四つのお題……「クイーン」「ジョーカー」「飛行船」「人工知能」これらを作って物語を作ること。これがこの作品集収録作品への課題となっている。

はやみねかおる『怪盗クイーンからの予告状』 :国籍、性別、年齢、全てが不明。自動的に雲を発生させる装置のついた飛行船にて優雅に移動する謎の人物。その名も「怪盗クイーン」。そしてその助手でこちらも謎の人物「ジョーカー」。退屈でたまらない彼らが次の獲物と定めたのは、日本の倉木伶博士が開発しているという「人工知能」。その理由は日本には彼らと対抗しうる名探偵、夢水清志郎がいるからに他ならない。三年前に予告状を送りつけたクイーンは、人工知能が完成した今、再び警察と清志郎に対決を挑んだ!
松原秀行『パスワード電子猫事件』 :ネット上にある「ジョーカーの部屋」と名付けられた掲示板に「クイーン」と名乗る人物からの書き込みが。「夕日どろぼう」「じゃまっけな飛行船」など意味が不明で、他の参加者は戸惑いを隠せない。一方、パソコン通信上にある入会試験つき「電子探偵団」に所属するマコトらは突如回文作りに熱中する。参加者の一人まどかが、回文を作る「人工知能」を持った電子猫、AIMIA(アイミア)を父親の大学時代の友人の博士が開発、それを預かっているというのだ。探偵団と団長のネロは、まどかの家にAIMIA見学のために遊びに行くことになる。思う存分回文作成能力を発揮するAIMIA。しかし翌日、散歩に出た際に引ったくりが出たどさくさに、行方不明となってしまったのだ。

キーワード以外にも共通テーマ。とっても楽しく、ちょっと切ないミステリーS
先にキーワードが決められ、それを使って二大人気ジュヴナイル作家がどのような作品を書くか。企画を立てた人はなかなかのアイデアマン(死語?)だと思う。両者ともきちんと使い切っているものの、やはりジョーカーとクイーンというのは固有名詞にせざるを得なかったのは、トランプを扱わない限りは仕方のないところか。
恐らく両作者が事前に打ち合わせることはなかったと思う。(松原氏の作品に、夢水の作品のシーンが登場するので後から執筆されたものとは思われる) ただ、怪盗による人工知能盗難と、人工知能を持つロボット猫の紛失と、両方が盗難テーマになっているという表層はもちろん、四つのキーワードのうち「人工知能」が物語の中心になってしまう話運びから、裏の主題として「人間の死」が取り上げられている点などなど、展開が重なってしまっている点は興味深い。どちらの作者も、恐らく子供たちのことが大好きなんだろうな……と考えると、ある程度制限が与えられた結果、主題めいた部分も似てきてしまうものなのかもしれない。
はやみね作品には、オトナがニヤリとする遊び心が相変わらず込められており、近年の新本格に「怪盗」「怪人」が続々登場することとあわせて、子供向けながらも、現代ミステリの潮流にしっかり乗っている印象。また、本書で初めて松原作品を読んだが、こちらも泡坂妻夫の『喜劇悲奇劇』にインスパイアされたという回文尽くし (正直、苦しいのが多いのだが) に大いなる遊び心を感じる。また「謎」そのものの興味よりも、登場人物による「謎解き」の過程の楽しさを中心に描写しているように感じた。
どちらもそのアプローチは異なるものの、終盤にかけて胸を打つシーンがあり、やはりこのあたり単なる「お子さま向け読み物」以上のメッセージが込められている。侮れない。

本書の背表紙には対象年齢の記述があるのだが、「小学上級からミステリー・ファンまで」と最初からなっている点、思わずニヤリとさせられる。少なくとも一連のはやみね作品を押さえている人は読むべきでしょう。「怪盗クイーン」による別シリーズが始まるかもしれませんし。


01/06/09
吉村達也「ついてくる 京都十三夜物語」(アミューズブックス'01)

辞書並みの厚みに2,800円の定価と、量価格ともに重量級、しかしその理由はページを開けばすぐに分かる。今までもテキストそのものの見せ方(例えば、全文横書きによるノベルスとか)による新しい表現を試みてきた吉村氏の集大成ともいうべき作品。

三十歳になるサラリーマン、永瀬和也は三歳年下の妻の晴美と共に、高速道路を京都へと向かっていた。GWに九連休を取った彼は、晴美の父親、市ノ瀬恵造が生前に京都の怨霊の研究に使っていた一戸建てでのんびりと旧家を過ごす計画だった。晴美の母親とは事実上の別居生活を送っていた恵造は、三年前の夏の日に孤独死。それ以来その家は使われていなかった。和也の上司で仲人の部長が、いきなりニューハーフの愛人に会社に乗り込まれた話で盛り上がっていた二人は、笑顔のまま凍り付く。路上に置かれていた白いものを二回轢いた感触があったのだ。しばらく走行してから車を止めた二人は助手席の窓硝子に血痕が飛び散っていることに気付くが、後続の車の様子にも変化は見られない。しかし、二人はその白いものが、双子の赤ん坊であったことを認識していた。彼らの頭の中に、突如言葉が響く。「ついてくる」 気のせいではない証拠にフロントガラスが急に曇って字が浮かび上がる「ついてくる」と。必死のドライブで目的地に辿り着いた二人は、誰もいないはずの家の中に双子の老婆が座っているのと対面する。老婆たちは彼らに今日から十三夜、恐怖の夢を見せると宣言した。

テキストとビジュアルの交錯。物語の新しい表現方法が現れた
スーパーファミコンの頃だったか。AVGゲームのカテゴリの一つに「サウンドノベル」というものが登場した。最初が「弟切草」そして、その名を知らしめたのが、ミステリ作家、我孫子武丸氏が監修を務めた「かまいたちの夜」である。テキストと共に表示される画像、効果的な音、選択肢によって変化する物語。ゲームのサイドからの、プレイヤーのイマジネーションへのアプローチ。
そして、本書。これはテキストのみ、せいぜい挿し絵までと考えられている現在の書物をベースとした物語から、逆の方向へのアプローチを試みた作品である。写真、イラスト、割付、フォントサイズ、ページの色等々、「紙」というベースで表現できるものを貪欲に取り込んで、あくまで「本」の立場を崩さず、それでいて読者のイマジネーションへの深いアプローチを狙うもの。
誤解を招くことを怖れず簡単に表現するならば、グラビアに文章がついたものが発展した形に近い。それだけならば勿論どうということはないが、決定的に異なるのはそれらの装飾が全て文章、そして物語に奉仕している点だろう。何気ない部分でも注意深くみれば細やかな配慮がなされていることに気付くはず。例えば、エピソード毎の京都の風景であるとか、登場する事物の何気ない写真の方はふんだんに使用される一方で、主人公たちの写真はない点。これは読者の視点を意識した結果であろう。また、大きな笑い声を「うわーっはっはっはっは」と表現している。これも、実際の笑い声に近い感覚を味わわせるための工夫だろう。同様に、主人公らが悲鳴をあげる時に使用される大声、何者かが囁く小声等もフォントを利用して巧みに雰囲気までも表現している。目で見ながら、文章を読みながら、何かいつもの読書よりも没入感覚が深い。ホラーであるだけにこの没入感覚は非常に重要。野心的な試みに満ちた実験作品でありながら、成功している点ばかり目に付く。

どうしても仕掛けの方について語りたくなる作品ではあるが、テキスト的にもなかなかの力作。今までの吉村ホラーにも登場した恐怖の要素も取り込まれつつ、サイコホラーの要素を省いたかなりの本格ホラー。どうしようもない理不尽さが、味わいどころかと思う。でも、まずは立ち読み。とにかくこの凝った構成を手にとって眺めるところから全てが始まる


01/06/08
多岐川恭「異郷の帆」(講談社文庫'77)

'61年に新潮社から刊行された長編で、多岐川氏の時代推理作品の代表作品と言われている。後に時代小説が執筆の中心となる多岐川氏であるが、現代ミステリを多数発表していたこの時期に、これだけの時代小説が執筆出来た、というその事実だけでも充分に驚きを覚える。第15回探偵作家クラブ賞候補作品。

元禄四年。オランダ船の出入りが唯一許された長崎の出島。厳重な監視下におかれているにも関わらず、正規の輸入品以外の商品がやり取りされ、関係者は莫大な利益を得ていた。オランダ人との間との通訳を任とする若き小通詞、浦恒助はそんな闇取引には与せず、淡淡と職務をこなす毎日。恒助は、オランダ商館に住むハーフのお幸を好ましく考えていたが、固い自分の職や封建的な母親の存在を考えると、その告白に二の足を踏んでいた。そんなある日、同じ通詞仲間で転び切支丹でポルトガル人の西山久兵衛、武芸の達人ながら吝嗇にならざるを得ない富野佐吉らと出島にいる間に、強欲で知られたオランダ商館の商人が胸を刺され殺される事件が発生した。刃物は御法度の出島全域がくまなく探索されたが、凶器は見つからない。果たして誰がどうやって彼を殺したのであろうか? 犯人が発見されず警戒が続く中、今度は佐吉がかみそりで首を切られて殺された。

時代小説としても青春小説としても、そして本格ミステリとしても絶妙!
三位一体という言葉が相応しい。時代、内容、ミステリ全てが溶け合って「異郷の帆」を形成している。
江戸文化爛熟の元禄時代、異国の唯一の窓口となった出島。決して精緻な描写ではないけれど、簡潔な描写でこの特殊な風景をまずはさらりと描く。冒頭の船や海や空の描写がいい。他の人はどうだか知らないが、この海に囲まれた狭っ苦しい小さな島に、不思議な爽やかさを感じた。そして、時代に生きる人々の常識や考え方を役人、商人、武士、オランダ人、遊女……等々一人一人に個性付けつつ、「出島」という異世界に集う人々の様々な想い描き出している。時代小説、というより「出島」小説といった印象。 そして背景にしっかりと切支丹迫害の歴史を埋め込み、物語の苦みとしているところに、例えようもない巧さを感じた。
そして、主人公、浦恒助の悩み。身分の差、自分の夢、しがらみ。ハーフのお幸との(当時は)許されにくい恋物語を中心に、主人公自身の葛藤や成長がしっかりと描かれている。抜け荷であるとか、金儲けであるとかの一般的な欲望から超越している浦だからこそ、しっかりと自分自身の生きる目的を見つめることが出来るのだ。彼と同じシチュエーションは、実は現代でも起き得る話。自分自身で決断を下すことが大切なのは、二百年の昔から実は全く変わらない。
そして、出島という大きな密室内部で発生する殺人事件。消えた凶器、存在しない犯人。不可能的興味はびんびんに響く。そしてこの事件の真相の意外性はもちろん、それがまた「出島」という特殊性、更には浦の精神の成長と不可分に結びついている。単なる謎解きに終わらず、そこからまた新しい物語が始まる。
この結末。特に浦と仲の良かった西山久兵衛が最終的にとった行動については、万感のものがある。転び切支丹として蔑まれながら、恋女房に不幸な形で死なれた久兵衛がわざと(以下ネタバレ)、浦に斬られるように仕向け、そして殺されたのは、久兵衛自身が実は信仰を捨てていなかった(キリスト教では自殺は禁じられているはず)ことを暗に示している。そしてその行動自体が浦の決意を促すための友情の発露とも繋がっているあたり、作者の深謀遠慮に唸ると同時に深い感動がある。
時代小説が苦手な人には多少ツライかもしれないながら、数ある多岐川作品の中でも代表作に数えられることが多いのは決して誇張ではない。

恐らくつい近年に講談社大衆文学館にて乱歩賞受賞作品『濡れた心』とのカップリングにて刊行されていた(絶版だ)ために、創元推理文庫の選集から漏れたと思われる。これで逆に手に入りにくくなるあたり、現代読者は恵まれていないのかも。多岐川恭選集第二期ってのはやって頂けませんかね?>創元さん


01/06/07
土屋隆夫「判事よ自らを裁け」(角川文庫'76)

表題作と『地図にない道』の二作の中編に挟まれ、短編が三作品。土屋氏が'58年から'64年にかけて(つまりは昭和三十年代)に『宝石』誌などに発表した作品が集められている。角川文庫版では最初に出た短編集。

男が殺され鞄が奪われた。容疑者は彼から借金していた熱心なキリスト教信者の幼稚園園長。しかし園長は自分のアリバイを申し立てないため、判事は状況証拠から彼を死刑判決とした『判事よ自らを裁け』
有名人と過去に関わった人を登場させて再会させるテレビ番組。人気女性歌手が指名したのは、議員に出馬を狙う元判事。彼女の無実の父親が彼から死刑判決を受けたのだという『奇妙な再会』
リストラ対象の男が次長を飛び越し営業部長に昇格。高揚した気持ちで入った店には自社の工場に勤務する少女がアルバイトで働いていた。やがて二人は深い仲になるが当然落とし穴が『孤独な殺人者』
没落した名家の娘が成り上がり者の中年と結婚。財産目当ての彼女は、しばらく我慢した後に旦那の命をさりげなく狙う計画を次々と実行しはじめる『ねじれた部屋』
幸福な新婚家庭に届けられた乗り物酔いの薬「カーシッカー」。差出人のない小包に夫は顔色を無くすが妻に理由は語らない。その夫は妻と会社に嘘をついて出掛けた信州で脳卒中にて死亡。妻は夫の秘密を解き明かす決意をする『地図にない道』以上五編。

人間の情欲が溢れる土屋節に、様々な趣向を凝らして
寡作で知られた土屋氏だけに、五作品の発表された期間の六年間というスパンは決して長いものとは思われない。それでいながら同じトーン(土屋節とでも言うべきか)を持たせつつ、ミステリとしての構成がそれぞれ違うところが興味深い。その同じトーン、というのは「人間の情念、情欲」とでも表現しかえれば良いか。土屋作品に登場する人物の持つ感情、これが良い感情だろうが悪い感情だろうが、常にめちゃくちゃ濃く描かれるのだ。愛情にしても「身を焦がす」という表現がぴったりするほど愛し抜くし、出世欲に取り付かれた人間は、目先の利益に飛びつき犯罪を犯すこともいとわない。もちろん、裏切られた時の復讐の仕方も凄まじい。土屋氏の作品が文学的、と表現されることが多いのは、この人間の情念が一般ミステリよりも遙かに濃く描かれているところが評価されるせいではないだろうか。
そして展開はサスペンス風のものから本格風のものまで様々。乱歩の『赤い部屋』を下敷きにして発展させた作品、というのは考えすぎか『ねじれた部屋』。これはプロパビリティの犯罪を中心に夫を殺そうと虎視眈々狙う妻が、失敗するうちに夫が逆に……という殺人方法の奇想と緊張感溢れる展開がマッチした佳編。夫を亡くした妻が夫の過去を探るうちに、夫が過去に犯した犯罪を明るみに出してしまう『地図にない道』。夫の構築していた本格風のトリックを、妻が探りだしてしまうことの皮肉。土屋氏ならではの情感溢れるラストも良い。表題作『判事よ自らを裁け』は裁判ものながら、「アリバイを立証しない犯人」の謎が、鮮やかに着地する。特異な登場人物の描写がそのまま伏線になっているあたりが上手い。

いずれの短編についても、後に刊行された光文社文庫版等の方が容易に探せると思う。(私の場合は集めた角川文庫を読み切るつもりなので) いずれにせよ土屋短編は、人間の情念が行間からゆらゆらと立ち上るような作品が多い。考えてみれば、このような重厚な短編は現代の読者にはウケないかもしれない。ただ逆に、軽佻浮薄な風潮を潔しとしないアナタ、土屋隆夫はいかがでしょうか?


01/06/06
都筑道夫「悪意銀行」(角川文庫'79)

紙の罠』の姉妹編にあたるという近藤・土方の二人組が登場するスラップスティックアクションコメディ長編。'63年に「実話特報」誌に連載された作品に手を加え、桃源社より刊行されたのが元版。桃源社から何度か版を変えて刊行されたが、文庫化はこの角川文庫版が初めて、そしてそれ以降刊行されていない。

土方が「悪意銀行」なるものを設立した。殺人や窃盗など犯罪に関するアイデアを預金し、それを希望者に融資するというもの。早速謎の紳士が土方の元を訪れ、東海地方の一地方都市、巴川市の市長選挙に絡んで現市長を暗殺して欲しいと持ちかけてくる。無理矢理にこの話を聞きつけた近藤は、この現市長の方をボディガードすれば金になる、と踏むが、金がないためヒッチハイクで巴川に向かう。うろ覚えのバレ咄をぶっ続けでやりながらトラックの運転手の歓心を買って駅前に到着したところ、「東京から来た殺し屋だろう」といきなり因縁を吹っかけられた上、屈強な男たちにいきなり銃で脅され拘禁される。得意の縄抜けで脱出した挙げ句、監視を巧妙な手段で騙し逆に縛り付けた近藤は、ようやく現市長の酒井宅を訪問するが、磊落な性格で全く暗殺を怖れる様子はない。そこを無理矢理に成功報酬で話をつけた近藤は情報収集に出発する。

変なキャラクタに蘊蓄、妙な展開にどたばたアクション。しかしキレが今一つ
東海地方第三の都市の市長選を巡って、二大勢力がぶつかり合う。現市長、対立候補のどちらにもヤクザの勢力がくっついており、互いに相手を暗殺しようと付け狙っている。ただ、この一見シリアスな状況の中に、近藤と土方の二人を放り込むことで、物語は潤滑剤を入れすぎた歯車のように凄まじい勢いで曲がり始める。勢いがつき過ぎて、止まるべきところで止まれない。妙なところで曲がり道に入り込む。最初の設計図では、それなりに綿密に構成されているはずの舞台や登場人物が、いつの間にやら作者の手を放れて勝手に動き出している感。このあたり、どうしても都筑氏のアクション長編の大傑作、『なめくじに聞いてみろ』あたりと比べてしまうと、どうもキレが悪い。細かいことに拘泥してしまっている結果、全体の筋道がすっきりと見えづらくなっている
例えばヤクザの親分がプラモデルを作っているのを見て、近藤が飛行機に関する蘊蓄を述べたり、バーの女性が誰かに似ている、という話から往年の映画俳優・女優の話に発展したり、と一つ一つのエピソードから発展する蘊蓄の開陳は、都筑氏ならではの細やかさに満ちており、その点には満足。カクテルから江戸のお祭りの山車の種類に至るまで、その博覧強記ぶりには感心するばかり。ただ、折角のこれらの蘊蓄も、ストーリーから浮き上がってしまっている部分が多いように見受けられたのも、物語がすっきりしないせいなのか。
結局のところ「誰が」「誰を」「誰に頼まれて」「どのような手段で」「どうしたいのか」、更にそれが「本気なのか冗談なのか」まで全てが読者によく分からないまま、物語が進んでいるのがキレの悪さの理由かと思う。しかも、それにどんでん返しまで加えられるため、最後の最後まで誰がいったい何だったのかが、綺麗に頭の中に入らないまま終わってしまう。(少なくとも私の場合はそうだった) なんだか勿体ない

駄作とまでは言わないまでも、同系列の作品に比べて多少見劣りがするのは確か。復刊される回数が少ないのも致し方ないところか。取り敢えず、都筑道夫のマニアが読んでおけば良いのではないでしょうか。


01/06/05
稲見一良「ダック・コール」(ハヤカワ文庫JA'94)

稲見一良氏が本格的な作家活動を開始後、『ダブルオー・バック』『ソー・ザップ!』に続く三冊目の作品集にあたる。統一テーマのある短編集の体裁を取っており、二作品は雑誌に発表されたことがあるものの、いずれも改稿され残り四作品と共に'91年に早川書房より刊行された。本作は第4回山本周五郎賞を受賞、「このミス」でも上位にランクインした。

望まざる人生から逃避するために山の中で暮らしていた若者は、石に鳥の絵を描くという男と出会う。彼の持つ不思議な魅力に取り付かれた若者は、雨が降ってきたこともあり男に自分のキャンピングカーに泊まることを勧める。若者は男の描いた石を一つ一つ万感の想いを込めて見詰める。そしてその一つ一つからは物語が立ち上った。

大切な映画撮影の重要なワンシーンを任されたカメラ助手。対象は「日の出」で、入念な準備を重ねてその日の朝を迎えるが……『望遠』
勝手の米国開拓時代。一人猟に出ていた気の弱い青年は美しい鳥を射止める。そしてその後、この世のものとは思えない人の手による地獄を見る『パッセンジャー』
残り人生を有意義に生きたい中年男と山で自然に生きる少年との交流。男は少年から狩りを、そして「自然と人間との交流」を学ぶ。お互いを認め合った彼らが標的にしたのは密猟厳禁の森に棲むカモだった『密漁志願』
戦後すぐの米国。日系二世の元狙撃手が保安官らと協力して脱獄したインディアンの戦士と、それに乗じて脱獄した兇悪な囚人たちを追いかける物語『ホイッパー・ウィル』
老人の回想。かって漁師として血気盛んだった自分が船の沈没に巻き込まれて漂流していた時。彼は流木に頭を乗せて漂う「彼ら」と出会った『波の枕』
池の畔にうち捨てられたデコイは少年に拾われる。彼の手で見違えるように綺麗に塗り直されたデコイは、少年と共に遊園地へと出かける『デコイとブンタ』
以上、六編にプロローグ、モノローグ、エピローグがついた構成。

人間の尊厳、誇り高さ、優しさ……稲見作品は大のオトナを電車の中で涙目にさせる
上記は単なるコピーではなくて、私が体験した事実。 お涙頂戴の人情話でもなんでもなく、あくまで冒険小説タッチの物語なのに、一編一編が泣ける泣ける。思わずむせぶ。電車の中で涙目になって、思わず「周囲に気付かれてないよな」と辺りをそっと見回す……。

  不器用な人間がどうしてこんなに格好いいのだろう。
  なんで鳥が一斉に羽ばたくシーンが、こんなに美しいんだろう。
  どうしてこんなに人間同士、生き物同士がお互いを認めあえるのだろう。
  「デコイ」(狩猟に使用する鳥の囮人形)一人称に、なんでこんなに勇気づけられるのだろう。

この作品集は一言では決して語り尽くせない、稲見氏のいくつもの「想い」がびっしりと、物語そのものはおろか行間にまで詰まっている。人生の終焉を意識した人々。残りの時間をいかに有効に使うか。年齢や身分や性別やその他もろもろのしがらみと関係なく、(いや、相手が人間でなくとも)互いに相手を尊敬しあえる関係。おためごかしの友情や、損得勘定のもとで結ばれる関係など抜きに、人間そのものの価値、それと人生そのものの価値を物語では常に問いかけている。それまで生きてきた年数が長かろうが短かろうが、自分自身で考え、自分自身で正しいと信じることの大切さ。物語の中から稲見氏のメッセージが間断なく発されている。その想いに打たれるからか、一編一編読み終わるごとに、胸が目頭がそして身体が熱くなる。
老人と子供の年齢を超えた友情、そして冒険を描く『密猟志願』は傑作として既に名高いようなのだが、『ホイッパー・ウィル』の無駄のないスマートな展開と、絶対にこうして欲しい、というそのもののラストシーンや、『波の枕』で漂流する男の、文章の中では語られていないにも関わらず、読者の胸に刻み込まれるような想い、そして『デコイとブンタ』での、少年の知恵と勇気。そして決して言葉を発さないデコイの暖かい眼差し。作品一つ一つ、全てが熱く、そして暖かい。
普段健康で、特に不自由のない多数の人々。彼らが(そして自分が)無限の生を信じ、のほほんと日々だらだら過ごしていることが、どんなに勿体ないことか。自分に与えられた時間を、無駄にせず精一杯に使う義務が人間にはあるのではないか。そこまで考えさせられてしまった。

今現在辛い人にとっては立ち直る杖に、これから辛くなる人にとっては道灯りに、現在幸せな人は、辛い人への優しさに。少なくとも本書は「読む」という行為から、一人一人の身の丈にあった「感動」を与えてくれるはず。テキストが人に対して優しさと癒しと、それだけでなく前向きに生きるパワーを与えてくれる。文句無しの傑作。


01/06/04
石崎幸二「あなたがいない島」(講談社ノベルス'01)

『日曜日の沈黙』で第18回メフィスト賞を受賞した石崎氏が、前作刊行後たったの三ヶ月で打ち出してきた第二作。引き続き、化学メーカー勤務の石崎、そして櫻藍女子学院の高校生二人組、ミリアとユリの三人が中心となって活躍する。

櫻藍女子学院ミステリィ研究会のミリアとユリが石崎の会社に乗り込んで来た。明日から始まる夏の合宿に石崎に来るように強要する。「無人島に来てみませんか」と題されたその企画は大学の心理研究会が主催するもの。五日間神津島沖の無人島に滞在するだけで交通費や滞在費を先方が持ってくれるという。参加者の心理を調査するのが目的というだけ、というおいしい企画の条件は一つ。自分のお気に入りのものを一つだけ持ち込むこと。当然参加することになった石崎はミステリィ的期待を膨らませ、ノートパソコンを持ち込むことに決める。彼女たちはトランプと麻雀牌。参加者は櫻藍の生徒と顧問、残りは主催する城陽大学の学生が中心。辿りついた島はエアコン完備で水道も使え、インスタント食品を中心とした食料も完備されていた。さっそくミリアとユリは石崎と、一人で参加しているまみという大人しい女の子を巻き込んで真剣な遊びを開始した。しかし、持ち込まれたもの、石崎のパソコンをはじめ、CDや携帯電話などが次々と無くなり始める。そして小さな悲鳴と共に、まみの姿が島から見えなくなってしまった。

過剰な舞台に過剰なキャラクタ、ただし気付けば王道の着地
前作ではミステリマニアの集まる「ミステリィの館」を舞台とした石崎氏が次に選んだのは、快適生活が送れる「無人島」。お宝探しがメインの前作に対して、今回は心理学の実験だが、主人公たちが招待される立場という点、合わせてある程度多数、しかし限定された人々が一個所に集められる点など、設定に共通点が多い。いずれにせよ、多少現実離れした(ある意味「新本格ファン」が好みそうな) 設定・舞台を石崎氏自身も好んでいるように見受けられる。そう、本作は「孤立した島」もの。ここで「おいおい」と思ってはいけない。ここは「ほう、どういう新しいアイデアが見られるのかな?」と楽しむべきところなのだ。過剰結構。
実際、SF設定だろうと、ゴシック風建築内惨劇であろうと、設定や舞台そのものだけでマイナス要素にしてしまうほどミステリファンは狭量ではない。この設定や舞台が成立するための最低限の説得が作品内部で説明されていること、そしてその設定や舞台が物語を、(そしてミステリを、トリックを) 創るのに必要なことがはっきりしていれば、逆に歓迎される。本作は、あまりにも現実離れした設定そのものが、まず「?」であり、その逆転の発想がまず評価出来る。 何のためにこんなことをしているのか、一応の最初に説明はあるものの、誰も到底納得出来ない。その「裏に隠されているもの」がミステリとしての一つの秘密となっている。「一つだけ持ち込み可」「快適な無人島生活」……きっちりこのあたりが事件の謎を深くするのに機能している。例えば、島には一切、殺人死体に適合するような凶器が存在し得ないこと、とか。企画の秘密と殺人の秘密。意外なところに伏線が仕掛けられていて、まずはなるほどと頷く。また、無くなる品物のミッシングリンクも意外性が十分。ただこれだけだと、ちょっと安直、と実は思ったのだが、最終的に解決編で「あれ?」と感じた部分が、きちんと改めて解き明かされたので、良しとしたい。最終的に立派に着地させていると思う。……しかしこれほど徹底しながら、「コンビニ弁当の蓋は透明だから鏡代わりになる」ところ、見逃されている気が。
個人的に嫌いではないのだが。女子高生二人組と石崎との掛け合い、面白いのながらもところどころ破綻しつつある気配を感じる。暴走というか、悪ノリというか。作者自身も彼女たちがわざとなのか、天然ボケのつもりなのか決め切らなくなりつつあるのではないか。ミステリを読まないミステリ研が、京極を引いたらおかしいでしょ、やっぱり。ただ、彼女たちの会話が物語のテンポをコントロールしているのも事実。扱いが難しいところ。

と、いうことで石崎氏の次作は「雪の山荘もの」に決定!(勝手に決めるな) でもまた新しい試みがみてみたい気がするし。


01/06/03
横溝正史「貸しボート十三号」(角川文庫'76)

『湖泥』は'53年、『貸しボート十三号』は'57年、『堕ちたる天女』は'54年と全て戦後、雑誌発表された作品が加筆修正された中編集。三編全てが金田一ものである。しかし、これは題名の付け方が上手いよねぇ。

昔から二つの一族が対立する村。その北神家、西神家のせがれが同じ女性に惚れ、北神家が射止めた。しかしその女性が行方不明、村外れに住む男が湖から彼女の死体を引き上げていた。死体となった彼女の片目は実は義眼であった『湖泥』
貸しボートの上で発見された男女の無惨死体。首が半分だけ切り落とされかけた死体の回りは血の海。男は大学のボート部に所属、財閥令嬢との婚約成った人物、女性は有閑マダムであった。果たして誰が何のために死体を切ったのか『貸しボート十三号』
十字路でコンクリの固まりを超えたトラックの荷台から棺桶が。中の石膏像は死体が塗り込められて出来ていた。被害者は浅草のストリッパーでレズだったのだが、最近黄色いマフラーをした謎の男と熱い仲になっていたという『堕ちたる天女』以上三編。

何となく似ている雰囲気ながら、しっかり仕掛けの異なる中編三つ
三つの中編、全てが金田一ものであるという点を抜きにして、冒頭に大きな共通点がある。そのまま横溝作品のイメージとも重なるのだが、最初に登場する死体が実に不気味なのだ。片目の義眼が外された水死体が変態男に大切に扱われている『湖泥』、『貸しボート十三号』では、男女二人の死体が首を半分だけ切り落とされ絞殺と刺殺の両方の痕跡が見られる死体が、浮かぶボートの中から発見される。そして『堕ちたる天女』は、交差点でトラックから振り落とされた石膏像の中から女性死体が登場するのだ。乱歩を意識したかのような不気味な状態である。それぞれが最初の段階から金田一が関わり、捜査を巡らせていくのだが、ここからは三者三様の展開を見せていく。
『湖泥』の場合、村を二分する勢力同士の争いがいかにも背景にある。村社会の偏執的な争いが、仕掛けに仕掛けを重ねた中傷合戦的な泥仕合。複雑な人間関係が織りなす謎は横溝作品の特徴でもあろう。よくぞ余所者の金田一がこれをほぐしていったもの。最後に登場する犯人の意外な動機も面白い。
『貸しボート十三号』の場合、殺された男の一方が、財閥令嬢と婚約していた好青年だったところに特徴が。事件をほぐしていく際に、彼の友人達が多数登場し、その泥臭く熱い友情譚が語られる。真相そのものの看破は御都合的ではあるが、動機から死体の状況まで、全てが「青春」の名のもとに納得出来るあたり、変形青春ミステリのように感じられた。
『堕ちたる天女』の場合、やっぱり死体の猟奇性が特徴だろう。犯人らしき人物の目星もそうそうにつき、他にも石膏詰めの死体が登場、襲われかけた女性の証言等々、ひたすら事件は猟奇の王道をひた走る。風俗関係の仕事や、ホモやレズ、愛人関係などどろどろの情痴……、真相はこの愛欲関係の果てに存在した。徹底的に通俗、そして猟奇な作品。
――といったように、似ているようで全く別の味わいがある中編が三つ並んでいる。これは作品集を編んだ担当者の勝利かもしれない。(河太郎も関係者?)

現在の角川文庫のラインナップでは『湖泥』のみがまだ現役。本書収録の三編それぞれ、長編の横溝エッセンスに探偵小説へのこだわりが反映された佳品揃い。金田一もの長編をある程度読まれた方であれば、十分楽しめる内容なので、こちらも探して読む価値ありです。


01/06/02
黒川博行「雨に殺せば」(文春文庫'88)

'86年に『キャッツアイころがった』にて第4回サントリーミステリー大賞を受賞する黒川氏は、第1回、第2回に同賞の佳作を受賞している。本書はその第2回佳作作品で、'85年に文藝春秋社より刊行された。

大阪湾にまたがる巨大な橋の上で、高校職員のボーナスを運んでいた三協銀行の現金輸送の車が襲われ、乗車していた行員二人が銃殺され、現金一億円が奪われた。大阪府警の捜査一課所属の黒木、亀田の通称クロマメコンビが捜査にあたるが、まずは無難に銀行関係者の聞き取りを行ったところ、川添という行員が、奇妙な狼狽振りを示した。多くの行員から聞き取りを行って疲労困憊の二人は、それほど気にしていなかったのだが、その晩、川添が住んでいるマンションから転落死する。手首に残った躊躇い傷や、部屋が施錠されていたこと、そして屋根裏部分から現金五百万円が発見されたこと等から、川添が事件関係者で自殺を図ったものと断定された。彼のもとには少し前から「ミムロ」と名乗る人物から頻繁に電話が入っており、川添の様子から、その人物が事件の鍵を握るものとして捜査が展開する。橋の上での事件の仮説を思いつき、特異絶頂のクロマメコンビだったが、捜査二課の岡崎警部の元に遣わされる。川添が行っていた融資に、不審な点があるというのだ。

気付けば大転回もトリックもあるのに、不思議とそう気付かせない雰囲気
まずは発生する凶悪ではあるが、一見平凡な(ミステリーという作品群の中においては、だ)強盗殺人事件。ここが全ての始まりとなり、独身で怠惰な生活を送る黒木と、その後輩でもうすぐ子供が生まれるいつもハイな亀田の二人組が捜査にあたる。この二人の掛け合いは「さすが関西人!」と、ネイティブ関西人が納得するボケとツッコミの応酬で、物語のテンポはこの二人の会話によって創り出されているといっていい。構成そのものは、あくまで捜査する側から事件を眺める一種の「警察小説」の様相を取りながら、捜査が進むに連れ、参考人や容疑者と目される人物が死体となって発見されるあたり、リアルタイムの犯罪っぽさもある。
中盤から、事件の様相が経済犯罪に主な動機があるような展開となり、まずここいらで「うむ?」と読者は襟を正すことになる。銀行が舞台ならではの「拘束預金」「浮き貸し」「トンネル融資」といった巧妙な手口が事件に深い関係があることが暗示される。これらも有り難いことに素人(読者)にもきちんと分かるように説明されていることが心憎く、興味は引けど、これらの蘊蓄じみた部分がリーダビリティの妨げにならない点もさすがだろう。そうか、事件の背景にはこういうことがあったのか、と読者が納得しているうちに、もう一度、読者は驚かされることになる。一連の事件が実は……と、物語が経済犯罪を扱った目新しいミステリーではなく、立派なトリックが弄された本格ミステリであったことに気付かされるから。 これらが、気持ちよく一本の流れになって物語に乗っており、淡々と読んでいてもいくつもの驚きを味わうことが出来るのだ。題名に関してだけは、もう少し内容を喚起するものにしても良かったように思うけれど。

読みやすく、面白く、何となくためになる。 これらは最近のミステリの必要要素に他ならない。これだけの作品が「佳作」止まりになるとは、サントリーミステリー大賞のレベルは侮れない。自分が関西人だから、だけで黒川作品がこれほど面白いわけがない。作品自体の実力が伴ってこそ、だろう。


01/06/01
野本 隆「バーチャル・チルドレン」(出版芸術社'96)

出版芸術社の「ふしぎ文学館SPECIAL」として刊行された短編集。野本氏は「大衆文学」誌等に小説を発表、同人として文学活動をしていたらしい。本書収録の『いじめられっ子ゲーム』及び『夕暮れ』にて池内文学奨励賞を受賞。本書が初単行本。

秋葉原の中古ソフト屋で見たこともないゲームソフトを購入した少年。いじめられっ子だった彼は、ゲームが自分の境遇にそっくりなことに気付く『いじめられっ子ゲーム』
質屋を経営していた祖父の残した箪笥。中に入っていた子供の服を見つけた兄妹は、その服を持ち主に届けようとするが『二階の部屋』
両親が不仲で修学旅行の準備もしてもらえなかった少年。京都のホテルで自殺した彼の兄を知るという幽霊から一本の鍵を受け取る『川の側の家』
高校生のぼくは夕方に自分の名を呼ぶ女の子の声を聞く。それは暫く会っていない幼なじみ。同い年のはずの彼女はどうみてもまだ子供の姿のままだった『夕暮れ』
ゼミの授業を抜け出して散歩に出た姫神神社で女性と知り合った学生。彼は就職して結婚、子供が出来るが遺伝子病にかかっていると診断され、ふと神社のことを思い出す『姫神』
僕は段ボールで作ったお気に入りの隠れ家で仲良しの女の子と遊んでいた。僕の転校が決まった日、女の子が交通事故で死んでしまったという『隠れ家』
紫外線が強烈に放射されるようになった地球はドームに住む人とそれ以外の人に分かれていた。外に住む僕ら一家は家族全員が働いても病弱な妹の薬さえ買えなかった『いつか遠い丘の上で』
学校の側の冒険スペースの先に住む謎の老人は「オギ」と呼ばれ、幾人もの行方不明者が出ることで子供の恐怖の的となっていた『オギ』
小学生の僕は毛深く猫背で、免疫抑制剤が切れかかった時に獣のような体臭が出てくる。治療、観察してくれる父親は、僕のことを学会で発表するという『融合』
民俗学者たちが調査に赴いた村では、五歳になった子供や森の中の小屋で体中に炭を塗って一晩を一人で過ごすという独特の風習があった『月憑きの村』以上、十編。

「子供」の視点にこだわって描かれる奇妙な味。心の端からじわじわと染み通る怖さ
既に「オトナ」の年齢になって久しい自分にとって、子供時代の経験(例えば本作を通じて幻視するような、ある日の光景)は、それだけで「手の届かない」「知っているのに輪郭がぼやける」「改めて体験することが出来ない」もの。記憶の中のおぼろげな光景だけで構成される、それらの世界は一種の「ファンタジー」といえるのではなかろうか。
本作の諸作品群は、そんな「ファンタジー」的な子供の世界をまず物語上に展開する。子供の視点、そして子供ならではの考え方が随所にみられるものの、突きつめれば「子供そのもの」とはどこか異なる。作者が大人であることを割り引いても、読者も大人であることが想定されているのが最大の理由だろう。大人の視点、考え方が意識された子供世界といえばいいのだろうか。子供が子供自身で考える世界とは微妙なズレが確実に存在している。この点は、作者はもしかすると意識的ではないかもしれないが、結果的に作中世界が「ファンタジー」として成立するための大きな要素となっている。
そして野本氏は、その世界に対して、言い知れない全く別の世界を繋げてくる。その別世界は必ずしも邪悪ではない。ただし、少なくとも理(ことわり)では説明のつけられないもの。普通、子供の目から隠され、覗くことの出来ない闇の(もしくは光の)深淵。大人がノスタルジックな子供時代を彷彿する、このファンタジー世界は、この別世界という奇妙な付加価値を加えて「ダーク・ファンタジー」と変貌する。その結果、読者たる大人は自らの記憶を通じて心の底が焼かれるような、奇妙な恐怖感、焦燥感、喪失感を味わわされるのだ。
従って、少年少女読み物のように必ずハッピーエンドということもない。残酷な運命は、大人よりもそれを避ける力を持たない子供に対してより激しい牙を剥いて襲いかかる。子供の優しさ、正義感がむくわれると限らない。だからこその真実、そして切なさ。『川の中の家』、『オギ』、『隠れ家』、『二階の部屋』等々、個別にみても色々な印象が残る作品が多い。怖さと共に感じる懐かしさと切なさ。なかなか味わえるものではない。

刊行当時、あまり一般的に話題になったことはないように思う。が、しかし。相当にレベルが高いことは間違いない。天沢退二郎の『光車よ、まわれ!』あたりのテイストがお好きな方に是非とも読んで欲しい。似たような感覚が味わえる。ありがたいことに今でもネット注文などなら入手は可能なはず。