MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/06/30
都筑道夫「未来警察殺人課2 ロスト・エンジェル・シティ」(徳間文庫'91)

未来警察殺人課』の続編で同じシリーズキャラクター、星野が登場するSFハードボイルド・アクション・本格ミステリ・スペースオペラ。元版は'86年にトクマノベルスから刊行された。

地球を捨てて別の星に移住した人類は、かっての地球に似た土地に同じ名前を付けていた。この世界では、殺人衝動を持つ人間は、生まれながらのチェック機構により全てその芽をつみ取られるため、殺人事件は存在しなくなっていた。……決して表に出ない警察第三課。そこは潜在的な殺人衝動が察知され、危険とみなされた人物を自然死に見せかけ殺すのが仕事。しかし、課員がその仕事から外れて殺人衝動を持った場合は、頭の中の装置によって逆に殺される。東京の第三課に所属する星野は、今日も任務を帯びて惑星中を飛び回る。
マンハッタンに新型の麻薬の元締めを追う星野 『マンハッタン・マンハント』
モナコで強制的に入院させられている男を追う星野 『空白に賭ける』
京都に天才手品師の助手を追う星野 『殺人ガイドKYOTO』
ハリウッドでなぜか追われる立場になってしまう星野 『ロスト・エンジェル・シティ』
東京で第三課の同僚が次々死ぬ事件を追う星野 『私設殺人課』
ワイキキでいきなり幻覚剤でトリップしてしまう星野 『ワイキキ・ワンダーランド』
一流科学者の脳の中で彼の殺人衝動の大元を探す星野 『有毒夢』
マドリッドで闘牛士の女性に殺されたかけた社長の秘密を追う星野 『赤い闘牛士』以上、九編。

元の設定は凄い。そして短編一つ一つで重ねられる設定が更に凄すぎて
このシリーズも二冊目ということで設定そのものに慣れた状態にて、読み始めることが出来た。世間に知られない任務を帯びた男が、八面六臂の活躍で悪人たちをぶっ飛ばす……だが、正直なところ読んでいる途中に、一冊目に比べると一つ一つの作品の中身と印象が異なるような雰囲気を感じ、読み終わって改めて、やっぱり作品個々の構成や発想、そしてノリがちょっと落ちている……と正直感じた。
都筑作品で私がこういうことを書くのは、自分で言うのもなんだがかなり珍しい。ただ、その原因がハッキリしている。最初からシリーズの約束事として存在している設定だけでは、ミステリ短編を維持出来なくなってきているから。 その結果、初期設定に加えて更にいろいろと付属品(超能力だとか幻覚だとか)を付け加える必要が生じてしまい、以前はもっとシンプルだった短編が、ごちゃごちゃしてしまっている。またその設定ゆえに、物語が煩雑になって流れが追いにくい。追加設定が説明不足だったり、過剰だったり。きちんと読んでいるつもりでも、ほんの少し油断しただけで「なんでこうなっているんだろう」という展開になっている。ただ、そうはいっても都筑作品。全く読む気が失せるかといえばそんなことはなく、それなりの佳作ももちろん混ざっている。
幻覚剤が効いた世界が幻想小説的で、かつそれを仕掛けた黒幕との戦いが星野らしくて面白い『ワイキキ・ワンダーランド』、特にラストに仕掛けられたちょっとした趣向が、映画的な効果を伴った意外性を感じさせてくれる『私設殺人課』の二作はそんな中でも、なかなか印象的だった。

『未来警察殺人課』をまず読了してから、というのは必須。 説明はされているもののシリーズ初読に本作は決して向いていない。第一作を読んで「むぅ、これは面白い」と感じられた方だけが二作目に手を伸ばしてみれば良いのではないかと思う。


01/06/29
大藪春彦「野獣死すべし 伊達邦彦全集1」(光文社文庫'97)

大藪氏が早稲田大学在学中、同人誌に発表した『野獣死すべし』という中編が江戸川乱歩の目に留まり、'58年に『宝石』誌に転載されデビュー。この続編にあたる『野獣死すべし 復讐篇』が'59年に『週刊新潮』誌に連載された。本作はこの初期二作品に加え、'60年に『ヒッチコックマガジン』に発表された米国ハードボイルドパスティーシュ(?)『野獣死すべし 渡米篇』を加えた作品集。

終戦をロシアで迎え、朝鮮に渡って日本に脱出してきた幼年時の伊達邦彦は既にこの世の地獄絵図を経験してきた。彼は表向き勉学やスポーツに打ち込みながら、なおかつ心の奥底に昏い情熱を持ち続けている。自らの肉体の破滅願望と同時に、緻密な犯罪を計画する頭脳と剛胆な神経、その実行の過程で必要な銃など凶器の扱い、そして己の目的の為に一切の情を捨てうる冷酷さを伊達邦彦は培う。大義名分もなくただ己の為に大胆かつ大それた犯罪を積み重ねていく。ヤクザの賭博の売上げを強奪し、大学の入学金を奪い、銀行の金庫を襲う。
伊達の妹が大企業集団の跡継ぎ息子と交際、妊娠させられた上に捨てられた。伊達はその企業集団の子会社に潜り込むことを皮切りに、コンツェルンに対して孤独で非情な戦いを挑む「復讐篇」、更に米国に渡っていた伊達が、米国ハードボイルド探偵たちを向こうに回して大活劇を演じる「渡米篇」の計三編。

ミステリーの範疇に入ることさえ拒む、本家本元の「ハードボイルド」小説
残酷な経験がある。それを踏まえた思想がある。更に経験と思想は相乗効果を持って内側に内側に進み、身体の中に溜め込まれていく。決して消えることのない昏い情念の炎が、男の中に宿る。
金を求める野心がある。大胆な計画を立てる頭脳がある。実行するだけの肉体、武器、度胸がある。蓄積された、その昏い情念の炎は男を「死」と隣り合わせの修羅場に駆り立てていく。そこには悲壮感よりもエクスタシーに似た不思議な悦びがある。

「野心」の小説。 今後、果てしなき活躍を続けていく伊達邦彦の過去も確かに重要だろう。しかし、その背景が語り終えられた後に残る印象、それは、一切の執着を「野心」に集中させた男の姿のみ。 一応の目的となる「金」は「野心」を置き換えたものでしかなく、その「野心」のために実行された綿密かつ大胆な犯罪計画において、伊達の後ろには死体と、空薬莢の山が築かれる。一切の妥協を許さず、目撃された者、協力者等々を淡淡と排除するシーンに、冷酷とか非情とか形容詞を付けるのはたやすい。しかしそもそも、伊達が心の中に飼う「野獣」はそんな凡庸な形容を拒絶しているように思う。あまりにも強大すぎる「野心」が、結果的にそのような行動を伊達に取らせているに過ぎない。伊達が発する変形した「死」への欲望と、この「野心」が絡み合ったものが、題名における『野獣死すべし』の「野獣」ではなかろうか。どんなに激しい犯罪も、結果的には伊達の「野獣」の示威行為の一つなのだと思える。
元祖国産ノワール。 一つの犯罪が完了すると次の段階の犯罪の計画へ。犯罪のために犯罪を繰り返していく。標的を襲うために、どのように障害をクリアするか、どのような手を使うか、という部分に多少のミステリ風味を感じることも出来るが、やはりこれは「伊達邦彦という男のハードボイルド」を感じるための作品かと思う。

読者は感情移入を一切許されず、固唾をのんで伊達邦彦を見守るのみ。大藪作品を評して、人殺しとか銃と車だけの小説とか形容するのは、表層しか見えていない証拠ではないだろうか。

最後の短編は……まぁ、おまけですかね。  この光文社の伊達邦彦シリーズ、最後まで読み通したい(希望)


01/06/28
光原百合「遠い約束」(創元推理文庫'01)

時計を忘れて森へ行こう』に続く、光原さんのミステリでは二冊目となる短編集。(他に詩集や絵本等の著作がある) また、『消えた指輪』は光文社文庫「本格推理12」の収録作品。イラストは野間美由紀さん、解説は西澤保彦氏。

浪速大学(通称:なんだい)文学部に入学した吉野桜子は、憧れのミステリ研究会へ入会出来た。やたらと活動的な黒田先輩、クールで美形の若尾先輩、真面目でいい人の清水先輩の三人の三回生が彼女を迎え、四人で楽しく、そしてちょっとミステリアスなキャンパスライフを送ることになる。
桜子の大叔父が亡くなった。ミステリ好きだった彼は、自らの遺産を暗号にして残したというのだが、まずはその暗号そのものが見つからない。その探索に桜子と「なんだいミス研」が乗り出す……『遠い約束』(中編)の間に挟み込まれる更に三つの事件。
彼氏に貰った大切な指輪がお風呂場の脱衣所で財布と共に紛失。無事発見されたものの、何かが仕組まれていたらしい……『消えた指輪(ミッシング・リング)』
関ミス連の幹事を手伝う「なんだいミス研」。ゲストは美人作家の大槻忍。彼らは彼女をも巻き込んで、ミステリクイズを行うこととするが……『「無理」な事件──関ミス連始末記』
桜子の友人の元へと届いた古いかもめーる。しかし、それは彼女の小学生時代の友達の男の子が九年前に書いたものらしい。しかも彼はつい最近亡くなったという『忘レナイデ……』以上、一編+三編。

「謎」そのものよりも「その先にあるもの」に思いを馳せたい
本書、解説の西澤保彦さんが評論に近い文章で的確な物語の分析を行っており、その後からでは評が書きにくい。なので私としては、ちょっと作品を眺めるアプローチを変えて書いてみた。

光原百合さんの二作目のミステリは、なんだいミス研を中心としたシリーズもの。そして、ジャンル分けを行った場合「日常の謎」にカテゴライズされるタイプ。吉野桜子のちょっととぼけた語り口がほのぼのしているため、特にその「日常の謎」である点ばかりが強調されがちな傾向があるように思う。この点を疑ってみる。
本書では都合四つの謎が呈示される。暗号による隠し遺産。隠された指輪の秘密。ミステリ劇の中でのハプニング、そして遅れて届けられた一枚の葉書。確かに「殺人事件」ではない。しかし、これらは果たして単なる「日常の謎」だろうか? この四つの事件、全てが「誰かが何かを仕組んだために発生した謎」である。(葉書に関してはちょっと趣が異なることは認めるとしても) その「謎」そのものは実は大きな問題ではない。発生した事態に対して「どうやって」という点はすぐに分かるし、ミステリとしての難易度も低い。作品それぞれで問題となるのは、「何故」その謎が作られたか、ということに他ならない。私には、この作品の最大の主題はこの「何故」にあると思える。どうしてもこの点に触れるとネタバレになるので以下反転。 読了した方にはお気づきの通り、これらの裏側にあるのは「愛情」である。直截に表現できない愛情が起こさせたハプニング。照れや意地の張り合いなど、初々しくいじましい愛情。更に、この手のことにオクテで鈍感な吉野桜子という語り手を通すことで、最後の最後まで効果的にこれら「愛情」は物語の中では伏せられ、開かれた時に鮮やかに輝く。『遠い約束』にしても、大叔父が最愛のミステリマニアである桜子に対して遺したものは、ノートの形を取った「愛情」に他ならない。「謎」そのものよりも「その先にあるもの」の良さ、美しさ、そして幸福を味読してこその作品だと思う。

もう一つ、本書が良質のユーモアミステリである点も忘れてはならない。「浪速大学」という主人公達の所属は当然、大阪を意識している。大阪という土地に存在する固有の文化、簡単にいうとボケとツッコミの精神が本書の中にはさりげなく息づいている。登場人物のキャラクタのみならず、桜子自身の独白の中にも言葉にならないツッコミが多く含まれ、実はそれなりにシビアなものもある。それでいて決して下品にならない程度に限度がわきまえられているのも嬉しい。この関西人気質が物語のタッチを柔らかくするのに大いに役立っている。

前作の良さもあろうが、本作に関しては普段うろつき廻っているWEBサイト上に多くの書評・感想が一気に上がってしまい避ける? のに苦労した。今回も「光原百合普及委員会」にて「遠い約束 感想&書評一気出し企画」がありますので、より多くの印象をみてみたい方はそちらからどうぞ。


01/06/27
大下宇陀児「毒環」(東方社'55)

'35年(昭和10年)に春秋社他より刊行されていたことがあり、執筆が戦前なのは間違いない長編。異装版がいくつかあるうち本書そのものは昭和三十年代に多くの推理小説を貸本屋向けに刊行した東方社版の一冊。ネット古書店にて入手。

かって南洋にて一財産を築き、更にそれを運用することで資産家に成り上がった島崎重助。彼には麻耶子という娘があり、彼女の入浴が覗かれるという事件があった。犯人は逃走、重助は苦々しげに車に乗り、新橋のバーに向かう。重助の元には黒崎義雄という彼の過去を知る男から恐喝の葉書が届いており、その善後策を作村というこれも重助のかっての仲間に相談するためだった。しかし、この作村こそが恐喝の当事者。それを知らない重助は作村に駅小包を利用する金の受け渡しを、現場で監視しようと持ちかける。当日、作村は偶然、無関係の黒崎老人本人と駅で出くわし冷や冷やしながらもなんとか彼を振り切り、様子を見るために空き地に隠れる。しかしその空き地には島崎重助の惨殺死体があった。肝を潰した作村は逃げ出した時に、一人の紳士(藤沼弁護士)とぶちあたり、黒崎名義の印鑑と老人から受け取った住所メモを落とす。果たして死体が発見され、黒崎老人が疑われるが、作村は事前に老人を確保、口をふさぐために殺してしまう。捜査は当然芳しくなく、黒崎老の一人息子、精一郎が、藤沼弁護士とその妻ルリ子らと共に父親の無実を晴らす捜査を開始する。

戦前通俗スリラー長編と解いて自転車のペダルと解く。そのココロは? 漕ぐのを止めたら倒れる。
いやはや。冒頭はいい感じなのである。成金から恐喝を行う小悪党が動き回るうちに身に覚えのない、さらに自分に容疑が降りかかり兼ねない殺人事件に巻き込まれる。慎重に立ち回っているようでいて、いくつもの証拠をばらまいてしまい、気付くと口止めで人を殺してしまう……。ここからならば、本格推理も、本格サスペンスも展開次第で創れそうに思う。が、本作品はあくまで戦前の探偵小説の王道、「通俗スリラー」を地で行く作品なのであった。
まず、一連の事件発生後、黒崎青年の請願により藤沼弁護士が調査に加わって島崎家を探りだすあたりから、物語に関わる人物がどんどこどんどこ続々と登場するのだ。何か裏で動いている風の島崎家の支配人、隠しごとを持つ島崎夫人、覗き常習の元運転手、元牧師ながら謎の外国人遊び人、島崎家に息子を送り込んでいる連れ込み宿主人、一癖も二癖もある島崎家出入りの歯医者とその助手……。しかも、その全員が揃って「行動が怪しい」のだから始末が悪い。冒頭の殺人事件であるとか、島崎重助の恐喝の謎とか、肝心な物語の謎に迫る前に、怪しい人物たちが互いに跳梁跋扈。おかげで、「怪しい」雰囲気ばかりかき立てられる。 更に探偵役の藤沼は刺されるし、ルリ子婦人はよりによって男に変装して島崎家に潜り込むし、精一郎は北海道で捕まって危機一髪の脱出。物語の語り手(というか視点)がころころと変化して一向に定まらない。探偵役が気付けば本筋から退場しており、事件を最終的にとりまとめるのが誰なのかが、読者にはまったく分からない。また、やたらに尾行シーンが多いのも特徴。登場人物同士、相手の手の内を探るため、とにかく尾行。その尾行者は、帰り道に別の人物に尾行される。みんな尾行が大好き。
とはいえ、楽しい。(私は) お約束の警察の無能ぶり、ツッコミどころ満載の登場人物の各種の行動等々、ひたすら頁を捲っていけば、最後に待つのは大団円。これでいいのだ。

探偵小説らしく、「この時こうしていれば後の惨劇は起きずに済んだ」とか「その時の彼には後に○○が待っているとは知る由もなかった」といった地の文が入るのは御愛嬌。通俗探偵小説らしい通俗探偵小説であり、あくまでそのような作品がお好きな方向け。ところで何が「毒環」だったんだろう?


01/06/26
多岐川恭「京都で消えた女」(講談社文庫'89)

多岐川恭がその後期に執筆したミステリの「消えた女」シリーズ三部作の第一作。他の女は長崎と仙台で消えている。本作は'83年に地方新聞に連載された『薄暮に消えた』という長編を改稿、'84年に講談社ノベルスより刊行されたもの。当時時代小説中心の執筆活動を行っていた多岐川氏にとって久々のミステリ作品となった。

私立探偵土屋晶夫は、京都で開催される同窓会出席のために新幹線の車中にあった。居眠りをしていた彼の横にはいつの間にか若い女性が座っていた。彼女はOLを辞め、京都の実家に戻るところだという。土屋は、同級生で運送会社を経営する大隈治から、相談事で呼ばれており、同窓会の後に彼と話し合う。大隈の二度目の妻、波津美が失踪してしまったので探し出して欲しいというのだ。波津美はかって、大学時代は土屋の恋人であったが、経済的な理由から別れを余儀なくされていた。大隈との結婚後、波津美は唐突に京都から東京の土屋の探偵事務所を訪れ、大隈と別れたいと言い出していたが、彼女を追って上京してきた大隈の必死の説得によって納得した筈だった。警察も既に一通りの捜査を終えており、探偵に出来ることはほとんど無さそうではあったが、新幹線で一緒になった女性、草間三千子が土屋の押し掛け助手を志願、彼らは二人で関係者の証言を集めて回り始める。

一人の女性の哀しい生き様が徐々に浮かび上がるハードボイルド風ミステリー
本書の権田萬治氏による解説の中で、かって河野典生が「失踪」はハードボイルドの象徴である、と述べていたと書かれている。私立探偵というコードと合わせて、本書(というより本シリーズ)は「消えた女」つまりは「失踪」を扱う点、ハードボイルド的展開は約束されているといえる。ただ、多岐川氏自身にハードボイルドそのものを描こうとした意図があったかどうかについてはちょっと疑問もある。
と、いうのは本書の焦点は主人公自身の葛藤というよりも、主人公がかって深く交際していた「波津美」という女性の姿にあるように感じられるから。この波津美、学生時代は主人公の土屋を深く愛しながらも、互いの経済的理由によって一緒になれなかったという哀しい過去を持つ。年月が経って一旦別の男と結婚しながら、大隈の元に嫁ぎ、かつ失踪してしまう波津美は「謎」を抱えた女性に変貌している。助手格の三千子と共に、失踪事件の、大隈の、波津美のプライベートを次々と明かしていく土屋。そして土屋自身と共に読者も「波津美」という女性に対して「実はどんな女性なんだろう」という疑問が湧いてくるに違いない。失踪事件の謎が、そのまま波津美の謎に結びついているあたりに構成の巧さを感じる。ただ、手掛かりを求めて右往左往する展開は、ハードボイルドの常道ながらも多少退屈さがある。(それを助手の三千子が救っているという見方も出来るのだが)また、終盤に登場する二つの死体。事件そのものには意外性があるものの、やはり作品の焦点は「波津美の謎」にあるように思う。

多岐川氏はミステリ執筆の際に成功だろうが失敗だろうが「何か新しい試み」を加えることを好んだという。ただ、本書に関していえば目新しい仕掛けや奇妙な味わいは残念ながらあまり感じることが出来なかった。 優しくなったというか、人間を突っ込んで描くことに新しい境地を見出すようになったか、というか。それでも哀しさと優しさがない交ぜになるラストなどは、多岐川恭の良さがにじみ出ているところが救い。シリーズの続作で果たしてどうなっているか。時間をかけて確かめてみたい。


01/06/25
京極夏彦「続巷説百物語」(角川書店'01)

前作『巷説百物語』に引き続き「続」として角川書店『怪』誌に連載された作品を集成した連作短編集。書き下ろしが一作加わっている。また『死神』は「七人みさき」の題で、WOWOWにてドラマが作成された作品を再度中編としたもの。

八王子で侍が一人額の中に小石をのめり込ませて死んだ。山岡百介の兄で同心の山岡軍八郎が、その処置に困り百介を呼び出す。百介は適当な妖怪を引いてその場を収めるが、江戸に戻って小股潜りの又市の元を訪ねる『野鉄砲(のでっぽう)』

百介が小塚原に稲荷町の祇右衛門の打ち首を見物に行く。行き会ったおぎんは彼に遺恨があるという。百介は非人を束ねるこの悪人が、これで打ち首にされるのが三度目でその度毎に生き返るのだと聞く『狐者異(こわい)』

貸本屋の平八から、又市らとの付き合いを見込まれ百介は人捜しを頼まれる。名古屋の廻船問屋の主がかって婚礼寸前までいった女性を、江戸でまた見たとのことで彼女をどうしても捜し出して欲しいという『飛縁魔(ひのえんま)』

淡路での仕事を片づけた百介とおぎんは、四国への道すがら浪人風の男につけられていると感じる。早立ちで男を巻いた二人だが別の侍の集団に襲われる。彼らを救ったのは、その浪人風の男、東雲右近だった『船幽霊(ふなゆうれい)』

百介の元に、憔悴した右近が現れる。おぎんや右近の因縁が集中する若狭にある小藩、北林にて「七人みさき」の祟りと噂される残酷な辻斬りが横行。知り合いが犠牲となり、右近は手掛かりを追及する。しかし身籠っていた妻が犠牲となった上、右近が下手人として手配されたという。右近はおぎんの助けで必死で脱出、助けを求める。一方江戸でもかって七人の犠牲者を出した残酷な辻斬りが発生していたことがあった『死神(しにがみ)或は七人みさき』

北林藩に平和が取り戻された後、獅子奮迅で政治を切り回していた家老がノイローゼ状態に陥った。かって彼が犯した行動の悔恨が湧いたのか。多少なりとも物書きとして功成った百介は江戸から北林藩へと向かう『老人火(ろうじんのひ)』

妖怪ベースの「必殺」が、いつの間にか大仕掛けな人間模様の綾を織りなす「小説」に
シリーズ二冊目の単行本の題名に「続」とつけられること自体は、シリーズ二作目としては普通のことだろう。ただ、この作品には雑誌『怪』に連載されている時から「続」が冠されていたという。題名も短編の一つ一つに妖怪の名前が冠され、百物語絵巻などからその妖怪の姿が描かれるというおおよそのスタイル。小股くぐりの又市、考物の百介、山猫廻しのおぎん、事触れの治平らが狂言回しをつとめて義賊まがいの人助けをするという物語一つ一つの構造……等々、抜き出していけば別に少なくとも連載中はそのまま『巷説百物語』を名乗っても良さそうなもの。しかし、敢えて「続」と付けるのは、やはり理由があった。
冒頭、『野鉄砲』にて百介の生い立ちが詳しく語られるのがスタート。物語が一つ一つこなされるに連れて、又市、治平、おぎんら裏の世界に生きる、いや生きざるを得なかった背景がそれぞれ明かされていく。それぞれの「背景」は、短編を描く際の起承転結にどうしても必要なエピソード。「続」の凄さは、その一見無造作に明かされる「背景」が実は連環のごとき様相を呈し、「続巷説百物語」という大きな物語を成立させていく部分にある。もちろん、短編集であるからには、それぞれの短編の中に奇妙な事件があり、裏があり、仕掛けがあり、ラストに意外性もある。合わせて本作はかなりの強敵を相手にしている場合が多く、特に後半はサスペンス的な緊張感さえもが漂う。そんな中、又市は妖怪、怪異を巧妙に利用した仕掛けをもって秩序を正し、(台詞上ではすれた言動しか吐かないながらも) 人々の間に平穏を創り出す。
一つ一つ、仕掛けが完了する毎に又市が鈴を鳴らしてこう呟く。 「御行奉為――」 (これは現在でも意味不明の言葉らしい)しかし、本書に限っては、最終頁にて一言呟かれる 「御行奉為――」 この言葉にて広がりきった円環がきっぱりと閉じられる。そう、本当にきっぱりと。ミステリの一形態の筈だったこのシリーズ全体が、この段階で一つの大きな「小説」へと昇華する。この最後の一言に、人生の無常から喜怒哀楽まで全ての感情が込められているように思えてならない。

両者が大きく異なっているにしろ、前のエピソードが出てくる以上、『巷説』『続』の順で絶対に読むべき本。前作を評して「必殺」のテイストと述べたが、本作には加えて「大河ドラマ」の趣きさえも感じる。これだけ広大な構想を、「あれもこれも実は伏線だったのか」と唸らせるばかりに緻密な精度を保ったまま、七百頁以上の広大な物語を構築してしまう京極氏の懐の深さに慨嘆。やっぱり凄い。(ところで『巷説百物語』が執筆されるという話もあるみたいなんですけれど……)


01/06/24
飛鳥部勝則「殉教カテリナ車輪」(東京創元社'98)

第9回鮎川哲也賞受賞作品。受賞当時「図像解釈学(イコノロジー)ミステリ」として話題となった。その後も飛鳥部氏は『バベル消滅』『N・Aの扉』等、順調に作を重ねている。

1997年。美術館に勤務することになった井村は、ミステリの話題を通じて学芸員の矢部直樹と親しくなる。
矢部は1995年に展示会で見掛けた東条寺桂という無名作家の絵に惹かれ、彼の作品を探す旅に出た。桂は33歳で絵を描き始め、5年後に自殺するまでに数百枚の絵を描き残したものの、遺族の手で大半の絵は焼き捨てられていた。個展で購入された『殉教』『車輪』そして『バラ』の三枚の絵を追ううちに、矢部は1976年、桂の実家にて惨劇が発生していたことを知る。桂の義父で、黎明大賞展の審査員でもある豪徳二と、大賞受賞者の佐野美香が、徳二の還暦祝いのパーティの晩、ほぼ同時に不可解な死に方をしたという。徳二は風呂場で刺されて死亡、彼を刺した凶器のナイフは、その上の部屋にいた美香の首に刺さっており、彼女も間もなく死亡した。矢部は、現場となった桂の義理の母親宅を訪ね、『バラ』が飾られた額の中から、東条寺桂が残した手記を発見する……。矢部は、東条寺桂の絵を図像解釈学にて検証、事件の真相を見抜こうとする。

新しい手法……凝った装幀……、しかし全ては本格ミステリの謎のため
「本格ミステリ」へのこだわりを審査側、応募側が強く持つ鮎川哲也賞。図像解釈学と書けばアカデミックな響きと斬新さを感じさせる代わりに、なんとなく取っつきにくいものがある。ただ、ようは「絵」からその背景を推理する学問のこと。つまりは、現場を見て事件を犯人を推理するミステリと、本質的に何ら変わりない。そういう意味では、飛鳥部氏による(この作品のために描いたのではないらしいが)絵は、従来のミステリ内部で使用されている「暗号」「ダイイングメッセージ」と情報量の多少はあれど、根本の部分は同じと思う。それを残した人間が何を伝えたかったのか。それを読みとれるかどうか、にてミステリが組み立てられるのだから。
現在、少し前の回想、更に手記と三重構造になった物語の、中心にあるのは「二つの密室で一人の犯人が一つの凶器を使用してほぼ同時に行った殺人」 これはこれで大々的にミステリファンの興味をそそる。そしてその付加価値としてこの図像解釈学が加わるわけだ。ただ、この斬新な手法を私は穿った目で「通常の表現方法で本格ミステリを発表することの限界が近づいてきている」なんて安易に受け止めていたら、しっかりとやられましたよ。 私の不注意です。作者の仕掛けは別のところにもしっかり。
失礼な言い方ながら「本格ミステリ作家」のデビュー作品にしては、平易ながら会話でテンポを巧く取った文章に好感。登場人物はあまり多くないが、それぞれの特徴もよく現れており、すんなりと物語世界へ入ることが出来る。選評ではいろいろと不満点を評者が述べているようだが、読み物としてのレベルとしては十二分だと私は思う。

近く文庫も出るらしいが、これはハードカバーを「一つの作品」として手に取ることを強くお勧めしたい。袋とじにされた飛鳥部氏自身による二枚のカラー絵、黒を基調とした装幀、こだわりが感じられる全体的な色遣い。テキストの三重構造を含めて、まるで「ギフト」といった趣きの一冊。本作において得られる感慨のうち、この装幀によって得られる部分も小さくはない。


01/06/23
谺 健二「恋霊館事件」(カッパノベルス'01)

未明の悪夢』にて第8回鮎川哲也賞を受賞した谺氏は、続いて意欲作『殉霊』を発表。さらに書き下ろし刊行の本書は『未明の悪夢』の主人公、有希新一、雪御所圭子らが再び登場する連作短編集。(こりょうかんじけん)と読む。

阪神大震災後に建設された仮設住宅。様々な事情を抱えたいろいろな人々が暮らすこの住宅内で、震災離婚した一人の女性が自殺した。ボランティアの女性に発見されるまで二週間もの間、遺体は放置されていた。この直後から、仮設住宅内部で奇妙な事件が発生する。彼女の部屋から聞こえるすすり泣く声、のっぺらぼうの幼女、ひとりでに動く地蔵、人魂、ボランティアの女性は幽霊までをも目撃する。更には、亡くなった女性に不埒な振る舞いをしていた男が、急に頭を殴られて死亡する。道の前後にいた目撃者は犯人の姿が見えなかったという……『仮設の街の幽霊』
震災後に建てられた紙製の仮設住宅内部で男が首をくくって死んでいた。部屋は内側から施錠されており、男に死ぬ理由がないことから、妻は有希に調査を依頼する『紙の家』
大学教授が密室内部で奇妙な棒が背中に突き刺さっていた状態で死亡していた。教授が使用していた椅子は「呪いの椅子」と曰くつきのもの。有希はその椅子を売った古道具屋に赴くが『四本脚の魔物』
密室となった喫茶店内部でオーナーの女性が斬殺されていた。彼女と交際していた男性につきまとっていた女性が自首、遠隔害虫駆除機「ヒエロニムス・マシン」にて殺害したのだと言い出す『ヒエロニムスの罠』
サディストの夫に苦しむ若妻と不倫の関係にあった写真館の若主人。二人が逢い引きを重ねた恋霊館が一瞬にして消え去った。更にその夫が「神戸の壁」で首を吊られて死亡する事件が発生『恋霊館事件 ―神戸の壁―』
冒頭の事件が有希と圭子の手に渡り、その真相が解き明かされる『仮設の街の犯罪』
以上、短編集でもあり、連作でもあるような微妙な作品集。

下敷きにあるのは「その後の阪神大震災」。その上に立つのは端整で贅沢な「本格ミステリ」
『未明の悪夢』は「阪神大震災」を中心に据えた物語だった。その続編たる本書は「阪神大震災後の神戸」が主人公となった作品だといえる。『未明の悪夢』を評した時にも記したが、私は当時神戸市にて被災した。もちろん、本書で触れられる「その後」のこともまだ生々しく記憶に残っている。ある意味『未明の悪夢』で作者は自らの魂を叫び尽くしたのではないか……、とも思っていたのだが、まだまだミステリに仮託しつつも語りたいこと、訴えたいことが谺氏にあるのだろう。

ただ、谺氏は本書がミステリであることも決しておろそかに考えてはいない。 短編一つ一つを取り上げていくとそこにあるのは、基本に忠実な愚直なまでの本格ミステリ。幽霊・妖怪など様々な怪奇現象、『紙の家』の紙の密室から『ヒエロニムス…』の喫茶店の密室まで、わずか三短編に密室殺人が四つ。更に一瞬にして消滅する洋館、二度三度のどんでん返しを狙った『恋霊館事件』まで、それほど複雑でなく、かといってシンプル過ぎない本格ミステリのトリックが、作品内にしっかりと息づいている。そのトリックも一つをこねくり回すのではなく、複数のトリックを効果的に作品内部に組み立て、結末までに二転三転させている点も評価したい。個別にはシンプルなトリックの上にぶっ飛んだ見せ方のアイデアが光る『ヒエロニムスの罠』、プロローグとエピローグとなる一連の『仮説住宅』の怪談話のトリックと「仮設住宅」そのものの存在との不可分関係などに印象が残った。

『殉霊』は未読でおおよそのあらすじを知るだけなので何とも言えないのだが、谺氏は、次作くらいからはミステリをそろそろ阪神大震災と切り離した方が良いように思う。本作は本作で良い作品なのでこういう言い方は失礼かもしれないのだが、災害後の人間関係の問題等々は、誤解を恐れず書けば「大災害」特有なものであって、阪神大震災に限ったものではない。火山噴火や台風等々でも様々な不幸が被災者を襲っている。更なる広い視点を持って頂いて、現在の新本格グループ内部に芽生えている(ように思う)「本格」+「社会派」という作風を突きつめていって欲しい。 あくまで個人的希望ですが。


01/06/22
小林信彦「オヨヨ島の冒険」(角川文庫'74)

小林信彦のユーモア作品の代表シリーズである「オヨヨ大統領もの」の一連の作品のうち、第一作にあたるもの。本作は'70年に朝日ソノラマ向けに書き下ろされており、もちろんジュヴナイル。後にシリーズは大人読者を対象としたものに変わる。

もうすぐ小学六年生になるあたしは、『ハレンチ学園』を読んでうっしっし言っている放送作家のパパと、ヒステリックな専業主婦のママの間で育ついたずら娘。ある日、怪しい二人組、ニコライとニコラスがあたしの前に現れ、〈秘密組織〉に誘拐したいという。いくつかの条件つきでOKしたあたしは、新幹線に乗せられる。大量のアイスクリームを平らげ、そろそろ逃げだそうとしたのだけれど失敗、結局京都まで連れて行かれる。それでも無理矢理脱走、タクシーに乗ってカーチェイスの末、一路万博の準備に忙しい大阪は千里に到着。しつこく追ってくる二人組を各国パビリオンの建築物を使ってケムに巻き、最後は猛獣ライオンを使って二人を屈服させて、念願のテレビに登場出来た。東京に戻ったある日、横浜中華街で食事をしていると、今度はパパが〈秘密組織〉に誘拐されてしまった。ママはあたしのおじいちゃんにあたる大沢博士の助けを求めるべきだと言い出す。あたしは再び二人組を引き連れ、大沢博士の住む瀬戸内海の孤島に向かう。

ギャグそのものよりも、物語のテンポ。オヨヨ大統領の小手調べ
子供向けのギャグ。普通の子供には絶対に分からないギャグ。三年経ったら古び、五年経ったら懐かしまれ、二十年以上が経過した今となっては、普通分からないパロディ。
なので「ギャグ」という面では評価が難しい。というか、現在三十歳台の私には不可能。恐らく私より下の世代にとっては同様の感想しか持てないのではないだろうか。当時は当たり前に面白かったはずのその時代を反映したネタが(パロディを含めればもっと)てんこ盛り。なので、あくまでコメディとしてストーリーを単純に楽しむことを主眼にして読まざるを得なかった。ただこうして読むことで、ジュヴナイルの良さが溢れたあっさりとした面白さが伝わってくる。家族紹介から誘拐未遂事件、更には本格的誘拐事件と事件がどんどん大きくなり、ついには日本はおろか全世界を支配下に、と目論むオヨヨ大統領へとたどり着く。徐々にスケールアップする敵に合わせ、こちらの対応も激しくなっていく。加速度のついた何でもありのストーリーが、するすると頭の中に入ってくる。伏線なく登場する都合の良い舞台や機械に眉をひそめてはいけない。なんでも受け入れられる柔軟な頭脳、ないし何も考えずに楽しめる広い心がこの物語を楽しむ必須要素。「少年倶楽部」など、かっての少年向け講談雑誌などに掲載されていた活劇物語を正当に継承する作品かと思う。
もちろん、この物語での悪役、オヨヨ大統領は爆発の中に倒される。しかし実は……というお約束の展開もシリーズものとしては嬉しいばかり。

昭和四十年代にNHKのテレビドラマの原作になったこともあり、ちくま文庫で最近一度復刊されたとも聞く。ジュヴナイルのせいか、ミステリファン以外にもファンが多いシリーズ。ただそのファンの方々が「現代読者に勧めるか?」というと「時代が違うのでちょっと……」と口を揃えておっしゃるあたりが本書の特殊性かも。(大人向けオヨヨにたどり着けるまで頑張ってみますが)


01/06/21
南部樹未子「閉ざされた旅」(毎日新聞社'74)

'58年に『ある自殺』にて「婦人公論」の第一回女流文学新人賞佳作、翌年『流氷の街』にて第二回の同賞を受賞した南部さんは「きみ子」名義にて探偵小説を執筆。'76年、鮎川哲也のアンソロジーに発表した「汽笛が響く」にて推理作家協会賞短編部門候補作品となった……というのは本書、多分新聞連載がまとめられたものだと思うのだが、背景が分からないのよ。

戦時中、学徒動員で電波部品の製造に駆り出されてい三島信は空襲で家族を全て失う。血の繋がらない親戚の家で使用人以下の扱いを受けながら学校を卒業、そのまま伝手を頼って釧路の飯場に飛び込む。その間に信の中には強烈な人間不信が芽生えていた。一年後、別の飯場に移った信は、賄いをする綾という女性とその子供、志津子、そして幾代と出会う……。
現在、三島信は性格俳優としてそれなりの地位を獲得。独身のまま、時々夢に見る過去の幻影に悩まされ生きてきた。そんな彼に「綾」を名乗る女性から手紙が届く。彼女は死んだはず……訝しみながら連絡を取る信の前に現れたのは、綾の娘、志津子。何か影を持ちながら美しく成長した志津子に、信は何か危ういものを感じ取り、こまめに連絡を取るようにする。銀座のバーのマダムとして生計を立てているという志津子は、信のマンションをたびたび訪れる。そして信の元に、謎の男からの脅迫電話がかかってきた。

かって苦しんだ男と、今苦しむ女。愛情と復讐が交錯して生まれるひたすらに哀しい物語
一人で寝床から起きあがる主人公から物語が発する。十五歳の彼が今に至るまでの物語がカットバックのように現在の主人公の行動と重なりつつ回顧される。テキストなのにセピア色がかっているのでは、と錯覚を起こさせるほど、その対比が見事。平易なのになぜか格調を感じさせる文章と計算された手法とがマッチし、中盤までに辛い過去を背負った主人公が、目の前に浮かび上がるかのように描写され尽くす。
一方、主人公の前に美しく成長した姿で現れる志津子。一方的に主人公の視点から観察される志津子は、喜怒哀楽が極端で、かつかなりの気分屋に見える。夜の女として生きる彼女を、妹として娘としての家族愛的な情愛をもって迎える信。十代の頃、狂おしいほどに愛した綾の娘――。志津子の幸せを見届けることが信にとっての幸せ。自分自身が不幸だった分、その不幸な時代を知る人に幸せになってもらいたい。信の心情に共感を覚えるのは普通だろう。
表現方法とプロットの構成にてミステリーとしての要素は備えている。 特に中盤までを主人公の一人称とし、他の登場人物の真の心情や、主人公が知り得ない要素などをひたすらに読者の眼からも隠している点、ラストの衝撃を強烈なものにするのに大きな役割を果たしている。結局、中盤までこつこつと積み重ねられた人間描写も、鮮烈なラストのイメージのために奉仕するに過ぎない。そして。

ヒロインである志津子の独白が物語の全てを締めくくる。志津子の数々の性格の豹変、謎の行動の理由、信の知らない釧路時代の事実、など物語の鍵となる部分が一気に溢れ出す。この溢れてくる叙情が、平凡なミステリーと比べようのないくらいに深い。 北海道の寒村が、身よりのない人間の辛さが、弱い者の悲しみが、決して交わることのない愛が、最終章で全てが一つの波となって読者を覆う。いくつかの「?」が解消され、全てが深い哀しさに変わる。決して読後感はよろしくない……が、印象としては平々凡々のハッピーエンドの小説よりも遙かに深い

'84年にも本書は徳間文庫でも刊行されたことがあり、当然そちらの方が入手しやすい。たまたま元版を入手したので、そちらにて読了。現在も御存命ながら、あまり話題に上ることのない作家さんですが、その文体といい内容や構成といい、忘れられるのはもったいない方かと。