MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/07/10
有栖川有栖「マジックミラー」(講談社文庫'93)

今や「新本格リーグ」では大御所の感ある有栖川氏。氏のデビュー作品は東京創元社から刊行された『月光ゲーム』で、第二作が『孤島パズル』である。本書は続く第三長編として'90年に講談社ノベルスにて刊行された作品ながら、実は執筆依頼はデビュー前だったという。(思うところがあり再読)

梅田のホテルで推理小説作家の空知雅也が編集者と打ち合わせしていたところ、旧知の女性、三沢ユカリと出会う。ユカリの姉、恵と雅也は学生時代に交際していたが、雅也の友人で、古美術商の柚木新一と結婚していた。その恵が、琵琶湖北岸の余呉にある新一の別荘で殺害された。犯行直後に謎の電話がかかって来たことや、第三者が現場に侵入してきたには不自然な点があること、そして彼女にかけられた多額の保険金から、捜査一課の加瀬警部や地元署の杉山警部補は、元もとその別荘に赴くはずだった新一を疑う。彼は急な仕事が入ってその頃博多にいたと主張するも、警察は新一に容姿がそっくりの双子の弟、健一がいることからアリバイ工作を疑う。健一はその頃、秋田県の酒田にいたといい、いくら調べても彼らのアリバイは破れそうになかった。ユカリは雅也に義兄の様子を探偵に探らせたい、と相談を持ちかける。

従来のアリバイミステリを踏み台に、新らしいアリバイミステリを創り出そうという気迫
本書の解説を実は鮎川哲也氏が引き受けていることから想像される通り、本作、新本格第一期生によるがちがちのアリバイトリックを中心に据えた作品である。ロジックよりもトリックを重視する有栖川氏の作風と実はアリバイものはマッチしているような気もする。特に第二の事件が素晴らしい。双子や時刻表に頼らない意味でのアリバイトリックが周到に巡らされており、露見する理由、そして何より新本格らしい罠が仕掛けられた意外な犯人などなど、繰り返し読んでも感心出来る内容だと思う。
一方、いくらパンクチュアルにダイヤが動こうと、第一のアリバイトリックは苦しい。乗り継ぎが多ければ多いほど失敗の確率は高くなる。それに飛行機なんて切り札として頻繁に登場するほどキレイな運行時間ではない。アリバイ工作がうまくいった後に犯罪を行うならとにかく、後からこちゃこちゃこちゃこちゃと乗り継ぎを繰り返すアリバイトリックは個人的には、やっぱり評価出来ない。指紋を処理するトリックは面白いのだけれど、こちらも発見されるかどうかに偶然に頼る部分(捜査における)が大きいような気がする。
物語の展開や複数の探偵役、そして苦渋に満ちたラストシーンなど、デビューしてすぐの作家と思えないしたたかさが感じられる。一時期トリックにこだわりすぎたせいか、短編集では駄作も出ていた。しかし、そのトリックに美しいものが据えられた場合に繰り広げられる有栖川ミステリの面白さは、誰もが認めるものだろう。有栖川氏の本領は卓越したトリックと、そこから派生する物語にある

当然、いつでもどこでも誰にでも手に入れられる作品。そして中で触れられている「アリバイ講義」これはスグレモノであろう。アリバイトリックを9つに分類しているのだが、世の中の全てのアリバイミステリはどれかに当てはまるのではないか。この「アリバイ講義」にしても、作品そのものにしても、先行作品への愛が満ちており、今になって改めて読み返すと分かる面白さもある。江神シリーズには一段譲るとしても、佳作であることは間違いない作品。


01/07/09
藤木 稟「イツロベ」(講談社'99)

陀吉尼の紡ぐ糸』にて'98年に鮮烈なデビューを飾り、朱雀十五ものや陰陽師ものなど一連のミステリ・伝奇系作品にて人気を博している藤木稟さん。初のハードカバー、かつ徳間書店以外からの出版となった書き下ろし長編。

心理学の医師、榎本は中学生の息子、弘幸の突然の失踪に頭を抱えていた。心当たりも何もなく手掛かりになりそうなのは流行のネットワークゲーム「ゴスペル」のみ。そんな榎本の元に、別の問題を抱える友人、間野が現れる……。
産婦人科医の間野は、医療ボランティアに志願、アフリカの小国ブンジファに派遣された。その国の中でも更に僻地にあたる村に赴いた彼は、日本とは全く異なる価値観や時の流れに戸惑う。村に落ち着いてすぐ、間野は現地人より「精霊に類する者達」と畏怖され、姿さえも直視されない古い部族ラウツカ族の男、ターパートゥニと出会う。彼らラウツカ族との交流の際、間野はたびたび幻覚に襲われるようになる。村で行われる儀式の晩、見学していた間野は、酷い幻覚に襲われる。翌朝、自分のベッドで目を覚ますが、その時には村人は全員姿を消していた。そのまま高熱に襲われ死の淵を彷徨った挙げ句、深い幻想に落ち込んだ間野……しかしラウツカ族に救われたか、気付くと彼は治癒しており、日本に帰国することとなった。帰国後、間野は日本のリズムに違和感を覚える。彼には愛娘、百合がいたが妻と彼との仲は穏やかに見えて実は冷え切っていた……。

原始社会・精神世界・科学進化・人間の原罪・家族風景が絡み合って映し出す幻惑の世界
主人公の間野が通り過ぎる精神の辺境に佇むラビリンス。迷路そのものが鮮やか過ぎて、迷路の出口が相対的に目立たない。
アフリカの噎せ返るような自然と人外魔境としての恐ろしさ。日本人の常識はもちろん、常識以前の全ての知識さえもが拒否される呪術の世界。同じ人間でもこうまでも異なる思考様式がベースとされる世界は異国というよりも異星の光景を垣間見ているような感覚を覚える。それを日本語のテキストで表現してしまう藤木さんの筆力もさることながら、それを創造し得る根本的イマジネーションそのものに恐怖する。人間の侵入を拒む森、そして決して見てはならないル・ルイと呼ばれる「もの」。様々な存在が圧倒的に迫ってくる、このアフリカ内部でのパート、そもそも間野の目で見る現実さえもが、我々にとっては幻覚と大差がない。幻覚の方がまだ親和性を感じる。 藤木氏のミステリで発揮されていた怪奇趣味がいかんなく巨大かつ深遠な自然と結びついている。 これぞ暗黒大陸、これぞアフリカ。
もう一つ描写で特筆すべきは、帰国後の一連の事件の後、間野が徘徊する「渋谷という街」の姿だろう。藤木さんは99年に存在した渋谷をナマで切り取ってテキストにしている。いそうにない少年少女たちが実際にいる街、渋谷。……が、二年経過した今読むと一部陳腐化しているように思える部分があるあたり、渋谷に始終注ぎ込まれるパワーは、フィクションを遙かに上回るからなのか。
物語そのものは間野の持つ、封印されていた記憶が明らかになるにつれてその容貌を整えていくのだが、実は整えば整うほど物語からせり出していた圧倒的迫力が失せていくように思えたのが少し残念。彼の理沙とのエピソードの暗示は、冒頭に来るべきではないだろうか。最終的に啓示されるコンピューターと人間との脳や感情の問題についても、描写の凄かった前半から中後半までの迫力に比べると、付け足しのようにさえ感じられた。本来はこちらが主題となっているはずなのだが。最終的に説明されていない部分が多く残されており、手触りとしては人間の精神の迷宮を扱った一種の変形サイコ・ホラーといった趣。全編、独特の迫力と幻想が物語を覆っており、テキストの持つ「力」を現代でもこれだけ引き出し、自由自在に使いこなす藤木さんの凄さに浸ることが出来た。

終盤に得られる作品内の意味不明言葉の解読方法によれば、題名であるイツロベは「evolution:進化」ということになりますな。 現代的supernatulalな感覚が、心地よいホラーSF。ミステリしか認めない方には勧められませんけれど。ただ仮に本作を藤木氏が匿名で日本ホラー大賞に応募していたら、受賞確実だったのではないかと思われます。(というか、この賞の系譜に属する感じ)


01/07/08
天沢退二郎「闇の中のオレンジ」(筑摩書房'76)

詩人、天沢退次郎による『光車よ、まわれ!』に続く児童向けファンタジーの二冊目。氏は前作で「善悪二元論をベースとした本格ファンタジーを目指して、見事に崩壊した」と述べているのだが、本作は更にその試みを押し進めた形となっており、混沌とした価値観が作品を支配している。

眼の見えない妹のカスミを連れ団地の砂場に遊びに来た京志は砂の中に白い大きな生き物、ナメクジナマズを発見する。突如空から赤い奴凧が現れナメクジナマズと格闘を開始、その間に京志はカスミを連れて逃げ出すが……。
次郎は、いとこのトリ子に「田久保チサが変だ」と告げられ、二人して彼女が寄り道するという花坂公園に向かう。公園の奥にいたチサは不思議な歌を歌っていた。彼女は妹のカスミと共にバケモノから隠れるためにここに住んでいるという。
妹が行方不明になっている京志は、友人のアキラに「妹のいる場所を教えてやる」と六方野原に連れられる。そこには巨大で真っ赤な幕が張られていた。反対側で行われている芝居が終わった時、二人は幕をかきわけそちらに入り込む……。
ある日。竜は通学路の途中が机や椅子でバリケードが作られて通行止めになっていた為、知らない小路に入り込む。大量の杭が打ち込まれた不思議な道、そして隙間を白い人影が歩き回る。その杭の上からよろいを着込んだ大男が現れ……。

切り取られたアマタイワールド。宙に浮かぶジグソーパズルの不揃いのピース
上記、脈絡がないように思われるが順に「赤い凧」「ちいさな魔女」「秋祭り」「まわりみち」「みかんの王子」「燃える石」「眠り姫」「海辺で会った少女」「三人のお母さん」「《グーン》の黒い釜」「グーンの黒い森」「闇の中のオレンジ」と、一応はファンタジーというより幻想小説としての短編の体裁を取っている。かならず主人公が子供で、子供向けに平易な言葉で書かれた文章であるにも関わらず、ふとしたきっかけで世の中は変質し、暖かな日常は喪われ、冷たくよそよそしい世界が彼らを包み込んでしまう。ひと度、この「非日常」を経験した子供たちは「日常」へと戻れたように見えても、その心の中にひとかたまりのしこりを残している。大人が読んでも理不尽な怖さを感じるのに、これを子供の時分で読んで好きになれるとは到底思えない……。
天沢氏の手であることは百も承知ながら、断片一つ一つに込められた「世界の情報」が少なく、そして世界の統一感が薄い。善と悪の戦いとも言い切れないもどかしさ、自然対人工とも、大人対子供とも、現実対幻想とも断定されることを物語は拒否する。いや、一編一編の作品毎に対立様式は存在するように見える。「古から存在する不気味な存在」が子供たちを脅かす図式は辛うじて当てはまるから。ただ、子供たちも黙って怪異に怯えているばかりでないあたりがファンタジーの由縁か。短編ごとに「何か」と「何か」が対決し、結末の見えない面白さも確かにそこにある。しかしまた、その怪異に立ち向かう子供の存在に関する「情報」が少ないあたりでまた別の不安がかき立てられるのだけれど。この子たちはいったい何者なんだ?
我々が信じている世界が実は非常に「脆い存在」であること。特に子供たちにとっては。いいのか、こんなこと教えて。

ジュヴナイルを読んで、こんなに不安な気分になったのは初めて。これが「国産ダーク・ファンタジー」というジャンルが認識される遙か以前から日本に存在していた元祖の持つパワー。残酷なシーンも多いし、百%理解出来る子供がいるとも思えない。(そもそも私でさえ、理解出来ているのかどうか) だが作品そのものが持つ「魅力」が何か人を吸引するものを持っている。


01/07/07
野沢 尚「リミット」(講談社文庫'01)

有名な脚本家である野沢氏は'97年に『破線のマリス』にて第43回江戸川乱歩賞を受賞する。本書はその受賞後第一作として講談社より刊行されたミステリとしての第二長編。

四歳から七歳までの幼児ばかりを狙う連続誘拐魔。何者かに連れ去られたことは目撃証言で明らかだったが、身代金の請求はない……。
子供時代に暗い経験を持つ女教師の澤松智永(ともえ)は、同僚との不倫、更に傷害事件を起こして退職を余儀なくされる。バーの雇われマダムとなった智永は交際していたタイ人の男の話からヒントを得て、元教え子の篤志、泉水と組んで幼児専門の誘拐を開始する。誘拐した子供の臓器を業者に売るのが目的だった……。
婦人刑事の有働公子は三十四歳。同僚だった夫に死なれ、現在は一人で息子の貴之を育てながら特殊犯捜査係の「被害者対策」という役目をこなしている。誘拐事件で動揺する母親に成り代わって犯人との交渉を行うのがその主な役割である。タイに駐在経験のある国際企業勤務の会社員宅の一人娘が誘拐される事件が発生。誘拐保険の適用が認められ、現金一億円が用意される。捜査陣の一人として捜査に加わった公子。長引く犯人の交渉のさなか、公子は犯人から貴之を誘拐したとの連絡を受け、更に警察内部に内通者がいることを匂わされる。身代金受け渡し役に指名された公子は息子を救うために内密に犯人の指示に従う決意をするが……。

トリック! アクション! ノワール! しかしどこかが。何かが。
不気味なプレリュードを奏でる連続児童誘拐の現場の描写から始まり、犯人グループのリーダー格の女性とその手足となる男女のどろどろのプロフィールを積み重ねる。その段階で児童連続誘拐の目的を明かしつつ、物語は次の誘拐事件に移る……。誘拐事件の緊迫感、更に婦人刑事に焦点を当ててサスペンスフルな展開へと持ち込む。気付けば婦人刑事によるアクションシーンが連発され、最終的にまた犯人の昏い感情が明らかにされ幕を閉じる。めまぐるしい場面展開に派手なアクション、意外な展開。子供さえも金儲けの対象と見なさない、いかにも「現代大量消費社会の歪み」を象徴するようなミステリー。
ストーリー展開そのものは文句のつけようがない。場面場面の臨場感はさすがシナリオライター出身だし、ラストの仕掛けも悪くない。読者への効果を狙った細やかな演出も凝っている。

  ……だけど。

粗探しは趣味ではないに関わらず、気になるところがいくつかあった。とにかく強引なのだ。 当初の筋書きに沿って物語を運ぶことを第一義にしたためか、リアリティや設定にて犠牲にされている部分が見えてしまい、どうしても素直に物語に没入出来なかった。特に警察が無能過ぎ。同僚の公子を信用しなさ過ぎ。犯人や主人公を動かすためなのだろうが、「おいおい、そんな稚拙な対応はないだろ?」と思わずぼやく箇所が多数ある。また、様々な特殊情報を詰め込みすぎたためか、結果的に物語そのものまでもが振り回されてしまっている。 警察の縄張り争い、臓器売買、臓器移植、蛇頭……。「こんなにいっぱい調べましたよ」という気負い溢れる情報群が、物語に奉仕していない。かえって物語が情報に奉仕しているかの印象を受けた。また、臓器売買に関わる悪役側登場人物の昏い情念。こちらは書き込みの不足を感じる。彼らの人生を辿って読者に理解させようとするのは分かるが、「暗い人生」即「ねじれた人物」が出来るというのは、却って安易、あまりにも想像力が無さ過ぎる。こういった内面描写の不足により、一人一人の薄っぺらさがかえって強調されてしまっている。

解説の池上冬樹氏が絶賛しているように、一般的なミステリー読者にとっては趣向をいろいろ盛り込んだ面白い作品なのだろう。個人的に、児童の身体を使った臓器売買という段階で頭が勝手にネガティブ評価に軸足を移してしまった。本格ではなく、ノワールにもなりきれず、警察小説でもない。結局「情報ミステリ」に落ち着いてしまうのが、個人的な評価。ファンの人にはすみませんが。


01/07/06
渡辺容子「斃れし者に水を」(講談社文庫'01)

「斃れし」は「たおれし」と読む。作者は、五島奈奈名義でロマンス小説及びジュニア小説を発表後、更に斉藤朱実名義の短編『売る女、脱ぐ女』にて第59回小説現代新人賞を受賞、更に更に渡辺容子名義で'96年第42回江戸川乱歩賞を『左手に告げるなかれ』にて受賞、以降ミステリ作家として活躍している。本書は第三長編にあたる。

泣かず飛ばずのシナリオライター、藤原真澄は三十一歳の今も金持ちの親の脛を囓る形で一戸建て住宅が立ち並ぶ若葉が丘に住んでいた。彼女は四十六歳の会社員、織田と不倫関係にあり、織田は時々彼女の家を訪れていた。真澄の元には定期的に送信欄に「Oトワカレロ」と記された白紙FAXが届き、彼女は織田の細君からのものではないかと疑っていたが、織田はそんな筈はないと一笑に付する。ある土曜日、若葉が丘の自治会長が何者かに殺される事件が発生、真澄はその当日、駅で織田を見かけていたが、織田はその事実を否定する。真澄は織田が何らかの形で事件に関わりがあるのでは、との疑いを抱く。その織田が糖尿病で検査入院することになり、真澄は愛情から強引にボランティアの付添婦を志願、病院へと潜り込む。織田と密会しつつ、他の患者の世話をする毎日の中、田中という患者が病室内で日本酒を飲み、アルコール中毒にて死亡する。吐瀉物からアルコール臭がしなかったことに気付いた真澄はこれも殺人ではないか、と疑い始める。

様々な断片情報の下に潜む、岩をも貫く女の熱烈な恋心
『無制限』『流される石のごとく』あたりを読了しない身で断言するのははばかられるが、乱歩賞受賞作品を合わせて本作を読むと渡辺容子ミステリーを構成するピースは各種の「情報」にあると感じられる。本書では、主人公、藤原真澄の不倫相手(というより恋人と書いた方がしっくりくるが)の織田が、糖尿病の検査のために入院するところから物語が動き出す。ここからの描写が生半可ではない。織田と一緒にいる時間を作るために付添婦として病院に飛び込む真澄。ここから、付添婦の仕事、病院の抱える諸事情、糖尿病の治療や、投薬等が抱える問題提起から始まり、事件に関連して不動産関連の法令や裏事情から、酒や徳利の蘊蓄、ファクシミリの特殊機能……枚挙に暇がないほど、細やかな情報で物語が彩られていく。
ただ、これらはあくまでミステリーを飾る豪華なドレスに過ぎない。もう一つ、本書を熱くさせるのは主人公の相手に対する愛情の深さだろう。「不倫」という凡庸な言葉を使うのがはばかられるほどに、真澄の織田への恋心は深く、熱い。何よりも彼女が事件に関わるきっかけとなったのが「織田が吐いた嘘」……であり、探偵まがいの行動の理由も、もしも織田が犯罪者であっても私が織田を守り通してみせる! という決意なのだ。事件の謎に素人が踏み込むきっかけとしての説得性は高い。何しろ、愛する男の行動を全て知りたい、知ることで二人の愛を一段階上のステージに引き上げたい、男を守れるのは自分だけ、という高みに登り詰めたい。全てが「愛情」ゆえ。行動原理がシンプルかつ直線的で、どんなにヤバイこと嫌な行動も「愛」の為なら耐えてみせます。やり抜きます。単なる知的好奇心だけで他人の不幸を探索する探偵たちとは一緒にしないで。私が秘密を探るのは愛する男と共に苦しみを分かち合いたいがため。奥さんには決して負けたくないの。よよよ。

(ここからは余談) 私が男性だから特に。 「不倫」の相手に対し、ここまで熱く、我が身を投げ出してまで献身的に尽くす女性。私が仮に織田の立場なら真澄に対し、感謝とか愛情以上に「ある種の怖さ」を感じてしまう気がする。相手を愛するあまりとはいえ、踏み越えて欲しくないプライベートにまで入ってこられると、男ならば(例えそれが本妻であっても)防衛本能が働くものだと思うのだが。如何。

本書は'99年に祥伝社より単行本として刊行された作品を、講談社が文庫化したもの。本書でもっとも評価したいのは「主人公に全く感情移入できなくても、それなりに読める」点。「愛情」という自らの信念を最初から最後まで貫き通し、その基準に付き従って行動する真澄の姿に、ハードボイルドの精神が読みとれるからか。


01/07/05
梶 龍雄「女名刺殺人事件」(桃園新書'88)

副題は「本格ミステリー・探偵姉妹トリオ」。さっぱり履歴の分からないシリーズ短編集。冒頭の短編の始まり方からすると前作があるのかもしれない。桃園新書だから珍しい、という理由だけで購入した梶龍雄作品。

父親が莫大な遺産を残した名家、狭山家の独身三人姉妹は性格や雰囲気は違うが美人揃い。長女が真面目ながら鋭い推理力と幅広い知識を誇る静江。次女はスポーツ万能、健康的な魅力と男顔負けの行動力が自慢の輝代。色気に溢れ豊富な男性経験を誇り、物怖じしない人間づきあいが得意の三女、艶美。それぞれの特長を活かした推理とチームワークで事件に取り組み、解決に導いてしまう連作短編集。
艶美の恋人が新聞の三面記事を見て驚く。知り合いが殺されたらしい。現場に残された登山ナイフと女性名の名刺の意味は? 『殺しの名刺は女の匂い』
幼女が派出所で「ママが殺される」と警官に告げる。その子が何者かの車にはねられるのを艶美が目撃。思わずラブホテルから飛び出す 『ママが殺される』
輝代が友人達と宿泊している旅館の側のホテルで殺人事件が発生。同宿の美しい女性が疑われるが、三姉妹が探偵役として乗り出す 『母なる殺人』
病院に出入りする恐喝常習者の狙いを突き止めて欲しいという依頼。関係者の追跡の結果、輝代と艶美は二組のカップルの奇妙な情事を目撃する 『ちくはぐな情事』以上四編。

三姉妹の魅力が先行したちょっとエッチなユーモアミステリ
「三姉妹」といえば、まず赤川次郎の「三姉妹」シリーズだろうが、残念ながら一作も読んでいないので比較したくとも出来ない。が、カジタツの創造する三姉妹、(意外なことに)ある意味紋切り型? ながらなかなか魅力的に描けている。和服の似合う二十代後半の処女で、推理力に優れた静江。どことなく垂里冴子(by 山口雅也)を彷彿させる「静」の女性。次女はスポーツ万能、お転婆娘がそのまま大きくなった輝代。彼女は「動」の魅力。男勝りの活発な女性がタイプの方にはたまらないのでは。ラストが本書のセックスシーンの半分を一人で引き受け、男性からの情報収集能力はピカ一の艶美。もちろん明るく奔放な性格は「色」、しかも情事だけでなく、三姉妹全体のムードメイカー的な役割もしっかりとこなしている。 何よりも彼女たちがカジタツ作品にままみられる「ナウなヤング」ではなく、きちんと若いフツーの女性として描かれているところが何よりも嬉しいかも。 (これ重要)
事件の方は、といえば彼女たちを活躍させながらも、カジタツらしく「本格」にこだわった内容となっている。その謎や解決の鮮やかさは「凄い」とは言い難いレベルながら、伏線を敷いた上できちんと解決している点は大いに評価出来よう。特に、表題作『女名刺』の元となる『殺しの名刺は女の匂い』は、細かい伏線がしっかりと張られた、同一遺留品付き連続殺人事件。確かに犯人はそれしかないし、サスペンスの盛り上げ方も巧い。 『ママが殺される』は複雑な人間関係に手品師を絡めて雰囲気を引き上げているがミステリ度は低い。 『母なる殺人』はアリバイトリックがなかなか良く、ラストも暖かくまとめたシンプルな佳作。 『ちぐはぐな情事』は、真相の意外性はいいのだけれど、そこに至るまでの展開や設定に多少無理が感じられた。キャラクタの魅力に惹かれない人でも、単なるミステリとして充分読める内容。

全く話題に上ることのないマイナーノベルスですが、読んで損したとは全く思わなかった。カジタツ作品の代表作は長編に偏っているように思うが、シリーズキャラクタものでもきちんと本格へのこだわりがある点など、意外と裾野が広いもの。但し色事が多いのは版元ゆえか。こればかりは仕方ないねぇ。


01/07/04
仁木悦子「消えたおじさん」(講談社青い鳥文庫'83)

江戸川乱歩賞作家、仁木悦子の著した正真正銘のただ一冊の正真正銘のジュヴナイル。古書価のつく古本屋には高値が付けられており、かなり本書目当てで児童書コーナーをうろつき回ったもの。結局、近所の図書館に鎮座しているのを発見、全く苦労せず、かつタダで読めました。はい。

”ぼく”こと国枝明夫は新聞配達のアルバイトの最中に知り合った絵描きのリュウおじさんと仲良しだった。ある日、用事があってリュウおじさんのところに行ってみると、晩御飯のちくわを残したままリュウおじさんが行方不明になっている。部屋には血の痕も。慌てて警察に事情を話すが、近くのアメリカ人が殺された事件でてんてこ舞いらしく、取り合ってくれない。やむをえずぼくはリュウおじさんの足取りを一人で探りはじめる。ちくわを買った魚屋から風呂屋に行ったことが分かり、リュウおじさんの散歩のクセを知るぼくは川原を調べる。そこにはリュウおじさんのパイプが落ちていた。やはりリュウおじさんの身に何かがおきたんだ! 友達に頼んで情報を集めたところ、小二の女の子が現場近くで怪しいオート三輪を見たという。その車には「エムゴカロ」と書いてあったというが、意味が分からない……。

手抜き一切なし。ジュヴナイルでも仁木ミステリのスタンスはあくまで正統派
元々仁木さんの一般向け作品の中に「少年」主人公の作品がいくつかある。それらが実にみごとに子供の視点、子供の言葉で物語が綴られていたことから、そのまま充分ジュヴナイルとして通用するとは思っていた。本書も同様、一人称ではないながら明夫少年の言葉で綴られる「消えたおじさん」を探し出す物語。今まで仁木さんの短編集を読んだことのある方なら(読んだことがなくても)、全く違和感なく本書に入れるかと思う。また逆に本書は、今まで大人向けとして執筆されていたそれらの短編にミステリとして、負けずと劣らないレベルを維持した佳品となっている。寧ろ、純粋に少年少女向けということで、仁木さんはいつもよりも更に力を込めて執筆した可能性さえもありそうだ。
何が凄いってプロットに全く手を抜いていないこと。 多少、少年が無謀に飛ばした行動を取ることで、自らピンチを招くきらいこそあるが、事件の真相であるとか、意外性の演出であるとかで、ジュヴナイルでありがちな子供だましの強引さを使っていない。冒頭の暗号にしろ、続いて発生する事件にしろ、あくまでフェアに伏線を張っており、きちんと合理的な展開としているあたり、さすが「日本のクリスティ」とまで呼ばれただけのことはある。また、ジュヴナイルらしく展開そのものはテンポ良くスピード感を優先しており、行動や登場人物に無駄が一切ないのも好感。警察の動きだとか、殺し屋だとか、宝石だとか、大人向けのように無理にネタをひねらず、単純に動かしているのは微笑ましい、ということで。
何よりも、どんな窮地に陥っても勇気と知恵と工夫でそのピンチを乗り切る、国枝少年の姿。日本のジュヴナイル探偵小説の伝統的主人公がここにまた、一人存在していることを知ることが出来てワタシは嬉しい。

講談社・角川と文庫化された仁木作品を読み尽くして、何か物足りない寂しさを感じておられる方がいれば、是非とも図書館に行くべき。大人が読んでも文句無しに楽しめる「推理小説」。また青い鳥文庫版での鈴木まもる氏による黒地に白で描かれた素朴なタッチの挿し絵が、作品世界とばっちりマッチしており、イメージ作りに役だっている。 (ちょっと冴えない題名だけはもっと魅力的に出来たのでは、とちょっと残念にも思えるけれど……)


01/07/03
九鬼紫郎「推理小説入門」(金園社'79)

九鬼氏は元々編集者であったが、九鬼澹他の筆名で「ぷろふぃる」誌等に探偵小説を執筆していた。'75年に内外の探偵小説作家の紹介を中心とした総合的入門書『探偵小説百科』を刊行する。本書はその直後より執筆された入門書で、中学生レベル程度を対象としたと思われる。

1 推理小説ガイド篇
「退屈なページに泣かされる」「誰が推理小説を読むだろう」「推理小説の書き手たち」「”新青年”ってどんな雑誌」「戦後の推理作家たちのルーツ」「江戸川乱歩賞とは何だろう」「推理小説なんて誰が?」「推理小説はホロびるか」
2 推理小説分類篇
「あなたはどれが好きかな」「本格推理小説」「倒叙推理小説」「冒険推理小説」「ハードボイルド推理小説」「警察小説」「サスペンス・スリラー」「暗号小説」「SF推理小説」「別なメニュー」「怪奇幻想の小説」「スパイ小説」「ブラック・ユーモア」「犯罪事件小説」「捕物帳」
3 推理小説雑学篇
「日本の名探偵たち」「外国の大探偵、名探偵」「女探偵アラカルト」「世界五大義賊を紹介しよう」「日本にも義賊がいるかな」「泥棒探偵ヴィドック」「囚人作家もいる」「脱獄の天才もいる」「切裂きジャック事件」「フランス推理小説大賞」「MWA賞」「CWA賞」「黄金時代ってなんだろう」「作家の出発・外国篇」「原稿料はいくらだろう」「日本にはないエージェント」「ペーパーバックとハードカバー」「損をしない本の売り方」「推理小説をどう読むか」
4 推理小説鑑賞篇
「最近のベスト20(外国篇)」「最近のベスト20(日本篇)」「わがベスト100の紹介」「エラリイ・クイーンの採点表」
5 推理小説のつくり方
「ヴァン・ダインの20則に挑戦」「殺しの心理学」「特殊な動機を警察官の目から」「殺しのテクニック」「陰語の面白さ」「捜査の心理学」「殺人事件が起きたら」「捜査本部ってなあに」「刑事さんを紹介しよう」「刑事部長と部長刑事」「警察署と駐在所」「警察庁と警視庁のちがい」「変死体をどうしようかな」「警察犬はすごい」「科学捜査の心理学」「ICPOってなんだろう」「創作の心理学」「文体と読書学」「プロットのたて方」
6 推理小説トリコロジー篇
「トリック学とは何かな」「第一講 暗号教室」「暗号はこうして解く」「五つ暗号名作」「第二講 毒殺教室」「有罪か、それとも無罪かな」「注射式毒殺法について」「吸入法と毒植物はいかが」「第三講 密室教室」「二つのアンソロジー」「第四講 戒律教室」「ノックス大僧正をまねて」

ひねくれた読み方で、現代でも有用の書に
素直に当時読んだとして、どう感じたか分からない。しかし、現代深読みすれば、色々な意味で面白いのは確か。
まず二十年前の推理小説界の動向、考え方を知ることが出来る。この当時、推理小説作家としてデビューするためには乱歩賞が王道として存在し、他の新人賞は一つしかない状況。非常に狭き門であったという事実。推理文壇は五十名ほどで形成され、恐らく年功序列は今以上であったことも想像に難くない。人数はそこそこいれど、新しい血が入りにくい状況下、ジャンルとして「安定」する方向で固まってしまう。九鬼氏はその渦中で客観視出来なかったためか、年間所得ランキングに推理作家が四人登場していること、中間小説雑誌に発表される推理小説の割合、クイーンが来日し海外に日本の推理小説が発表されたということ等を列挙し、推理小説界は活況にあると断じてしまっている。振り返って現在から当時を見れば、一種の停滞期であったように感じられる時期にも関わらず、である。
(後から分析するに、この時期に若い血を積極的に取り入れられなかったことで、作家・編集者が共に年齢を重ね、推理小説が「大人の(オヤジの)読み物」と化してしまった。これではエンターテインメントとして若い世代の支持は取り付けられない。この結果、推理小説全体がパワーダウンしたことが、低調期と分析される最大要因かと思う。その若い世代は、当時勃興しつつあり色々新しい試みがなされていたSFに数多くが流れた……。)

他、出版関係でいえば、海外ミステリは当時も入手困難作品が多々あったというあたりも興味深い。更に貨幣価値が変化しているてあまり役に立たないながら、推理作家の原稿料なんて爆弾も仕込まれている。ちなみに九鬼氏の挙げている作品ベストは非常にオーソドックス。また本文に「研究家の山口雅也によれば」なんて一文があるのに驚く。こんな昔から。

そういう「状況」についての考察とは全く別に、本書の一応の主目的であったと思われる「推理小説の書き方」が大まじめに論じられている点、こちらもそれなりに興味深い。例えば警察の内部機構であるとか実際に事件が発生した際の捜査の進め方であるとか、警察学ともいえる部分に多くの頁が割かれている。時代の変遷もあるのでそのまま現代に応用は出来ないだろうが、推理小説を「執筆」でもしようとしない限り、体系立てて学ぶことのない分野の知識がつく。また、推理小説とはトリックである、と九鬼氏は信念を持っており、トリックについても前例を中心に大まじめに述べている。トリック学(トリコロジー)を色々列記しているのだが、残念ながら紙幅の関係か非常に中途半端に終わっており、有用とはお世辞にもいえない中途半端な内容になっている。ただ当時、「推理小説」を執筆するのに「警察」と「トリック」の描写が必須だったという当時の常識がここから想像される。

恐らく私は、本書の本来の対象者である「推理小説家志望の中学生」よりも本書を有効利用している。昭和五十年代初期の「ナマ」の推理小説世界が感じられる点、本書は入門書としての役割はとっくに終えているのはもちろんだが、時代の証言者として今後も役だってくれよう。


01/07/02
氷川 透「最後から二番めの真実」(講談社ノベルス'01)

真っ黒な夜明け』にて第15回メフィスト賞を受賞した氷川氏。デビュー後、原書房より第8回鮎川哲也賞最終候補作品を改題改稿した『密室は眠れないパズル』を刊行、本書はその後に刊行された三冊目の単行本。

推理小説作家志望の氷川透は、お嬢様大学として名高い聖習院女子大にて講師を務める大学時代の先輩、住吉に呼ばれ、その大学構内に足を踏み入れる。住吉は氷川に「後期クイーン問題」について、居合わせた反町という助手共々に解説するよう依頼される。更にそこへ大倉早苗、小杉奈保子、祐天寺美帆の三人の女子大生が訪れる。小杉奈保子が住吉と二人きりで話をしたい、ということで席を外してしばらく、男の悲鳴が聞こえて氷川らは、そのセミナー室に駆け付ける。現場には警備員の制服を着た男の死体。しかし誰も通報していないにも関わらず、すぐにパトカーが駆けつけてきた。大学の建物の屋上から、女性の死体が吊されているのが発見されたというのだ。さらに、その死体はついさっき別れたばかりの小杉奈保子だった。現場入り口はビデオカメラの監視付き、更に警備システムでドアの開閉がチェックされている中、犯人の出入りはおろか奈保子の出入りさえもが不可能かと思われた。捜査から解放された彼らは事件の謎に取り組み始める。そうしてお嬢様女子大生祐天寺と、氷川との推理合戦が始まった。

作者自身が徐々に「本格ミステリのパラドックス」に嵌りつつあるのかな?
小難しい話になるが、本書のポイントは二つある。ミステリーにおけるゲーデル問題と、アリバイ的物理的不可能状況での不可解殺人事件である。
ゲーデル問題というのはカンタンに言えば、作中人物にとって「どの段階」で全ての証拠が揃うのか、絶対に分からないということ。つまり、名探偵が関係者を集めて「さて」と言ったところで、もしかしたらその後に新たな犯人指摘のための証拠が現れる可能性は否定できない、というような問題である。この問題を避けて通る為には作者、つまり神の視点に立つ者が物語を保証する必要がある。それが即ち「読者への挑戦」である……。
一方、本来の物語の謎は出入り口が監視、かつ扉の開閉までもチェックされている状況下での二つの殺人にある。被害者はなぜ空中から吊り下げられなければならなかったのか。そもそも、被害者にそんなヒマはないはずなのに。猟奇的でありながら、人工的な香りがぷんぷん漂う謎。

主人公の氷川をはじめとする登場人物はこの二つの問題の間を彷徨う。その結果、二人の「探偵役」が別々の答えを導き出す結果となる。理由は情報の入手量が異なるから。これこそゲーデル問題のパラドックス。そして本書の題名もそのことを暗示している。作者が検証したかったと思しきケースを、きちんと作品にて実現させているのは立派。
しかし、この魅力的な謎に比べて、この謎解きの窮屈さは一体なんなのだろう。論理にこだわるあまりに本格推理のエンターテインメント性の本質が喪われてしまっているように思えてならない。とにかく、謎解きが楽しくないのだ。(面白くない、のとは違う) 本作、監視カメラや扉の開閉記録など、問題作成者にとってある意味都合の良いツールを作品に持ち込んでいる。そのこと自体は構わない。ただそれが論理的に「場」を限定する目的のためだけ、というのが頂けない。結局このツールによって、物語の拡がりさえもが限定され、最も読者が楽しみにされる筈の「謎解き」の部分がごくごく味気ない、乾いたものになってしまっている点、至極残念。ミステリの謎を厳密化していくと論理のみで事件が説明出来る代わりに、読者にとって大切な別の何かが喪われていく。 これこそが、ロジカルな本格ミステリが陥りがちな罠だと個人的には思うのだが。

大学を舞台にしているからだろうか。主人公のちょっとエキセントリックな性格をはじめ、登場人物が背負わされている個性が、どうにも森博嗣氏の作品と似てきているように感じられる。理系と文系の差はあれど、細かいところ(例えばジョークとか、哲学に対する価値観とか)、何か自己満足に陥っている部分、読んでいて時々ひっかかった。ただ、現在の「探偵小説論」を作品内部に反映しようという野心は個人的には買える。この方向性そのものは、他の作家にはあまりないものなので、今後の作品に期待して行きたい。 (ちなみに本書の登場人物の名前、東横線シリーズです)


01/07/01
樹下太郎「プロムナード・タイム」(東方社'66)

樹下太郎のショートショート&超短編ミステリ集。北村薫氏が本書から『やさしいお願い』を『謎のギャラリー 特別室』に収録。更に某所で「これを読まずして本格は語れない」と大絶賛したこともあって、樹下作品の中でも評価が急上昇している一冊。

高速道路は毎週土曜日の午後四時から十時まで一切の車両の通行が制限され、「プロムナード・タイム」として一般人の散策の為に解放されるようになった。この制度が実施されることになった背景には一組の若く貧しい恋人達の物語があった……『プロムナード・タイム』
”ルリ子”と”ため”は十五も年齢に開きがあるのに親友同士。だがルリ子に縁談が来てからというもの、二人の中には隙間風が吹き始める……『女ふたり』
他、『春風』『街路樹の下で』『暴食』『夜に別れを告げる夜』『怪人ギラギロ現わる(挑戦!)』『飛行船』『島』『池のほとり』『春の欠点』『帰郷』『鉄塔の男』『モーニング』『弁慶医師の女難(挑戦!)』『愛しつつ時は流れて……』『悪魔の名』『泣きたい』『汽船の見える埋立地』『低気圧』『妻は魔術師』『お次の方どうぞ!(挑戦!)』『令名高き夫人たち』『細長い死神』『胎教』『弟子』『憎む』『肥後守』『やさしいお願い』『海の水は……』『呼吸』『死者との夜』『古い黒い扉』以上、三十四編。うち(挑戦!)とあるのはクイズ形式になった作品。

玉石混淆。多くの石の隙間に輝く、玉の煌めきが眩しい
とりあえず全ての収録作品は二〜三頁の短いものばかり。設定も近未来SF風から、著者得意のサラリーマンもの、恋愛小説風のもの、小咄まで様々。ショートショートとしての味わいを考えるとミステリにこだわることもなく、やはり短い文章の中で「意外性」をどれだけ発揮しているか、がポイントになるだろう。樹下氏の長編がミステリ的なトリッキーさよりも、サラリーマンの描写を中心とした人間描写にこだわりがあることが多いように思っていたが、そこは作品の短さ、一慨にまとめられない。いろいろなのだ。
そういう意味で、やはり玉石混淆

「玉」のもの。 これはもうショートショートの王道、意外な真相、巧みな引っ掛けが嵌っている作品が多数ある。特に最後の数行にて今まで見えていた物語世界をくるりとひっくり返す手際が見事。表題作『プロムナード・タイム』はじめ『女ふたり』『モーニング』『胎教』『肥後守』、そして北村薫がわざわざ取り上げた『やさしいお願い』も短い作品の中に底知れない毒を感じさせる佳作。こうやって俯瞰してみれば、男女にまつわる話に「玉」が多いかも。樹下氏らしいとぼけた語り口がいい感じ。
「石」のもの。 こちらについてはコメントの必要は感じないが、最初の数行を読んだだけで、ネタが見えてしまうもの、そしてオチがあまりにくだらないもの。著者の発表したショートショート系の作品のほとんどが収録されているせいか、正直こちらの作品もそれなりに存在する。

『プロムナード・タイム』を読まなくとも「本格」は語れます(多分)。また、作品集を平均すれば、他の作家のショートショート集と比して、大したレベルではない可能性は否めません。とはいえ、やっぱり「玉」とした各収録作品については現代でも十二分に読む価値があるかと感じました。
(石井春生さんにお借りしました。謝。)