MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/07/20
三橋一夫「ふしぎなふしぎな物語2 鬼の末裔」(春陽文庫'76)

昭和二十年代後半に室町書房より刊行された『不思議小説集』が増補され、春陽文庫で四冊刊行されたうちの第二巻。(二巻と四巻しか入手していませんので)

便所に行ったまま神隠しにあってしまった男。一方、記憶喪失のまま妻を娶って新婚旅行に出かけた男『湯河原奇遊』
やり手の美人女社長に優しくされ、恋した貧乏書生は彼女の影に何か秘密があることに気付く『二人のユリ』
探偵小説を上梓した男の元に訪ねてきた女。登場人物という彼女は自分を殺さないよう作者に迫る『殺されるのはいやだ!』
掛け軸から仏様が出てきて一緒に晩酌。しかし段々、鬱陶しくなりその掛け軸を巻き取ってしまった『シラサギ魔女』
戦後すぐに疎開者や都会からの買い付けで儲けた農家の夫婦。妻は若い恋人をこしらえた『カボチャ奇談』
珍獣YUMEに取り憑かれた男は、新婚の妻を放ってアフリカに行きYUMEを捕らえるが『怪獣YUME』
嫁入り直前の娘の頭に突如生えた二本の角。彼女の婚約は破談となり、角の治療をして暮らす日々『角姫』
空襲で妻を亡くした画家が娘を連れて疎開に来た。画家は娘を愛し抜いていたが無理がたたって亡くなった『帰り来りぬ』
仲睦じいが貧しい夫婦。妻が結核で入院しているうちに別の若い男性が彼女の側に目撃される『蛇恋』
かっての恋人の使用人になっている女性。恋人の若い再婚相手の膝を夢の中で思いっきり噛んだ『歯形』
建築現場で落下物で頭を打った僕は、暫くすると気がついて散歩の続きを開始した『影』
父親が死んで出てきた小箱にはスペイン語によって遠い先祖が記した一族発祥の秘密が書かれていた。『鬼の末裔』
幼い頃に両親と別れなければならなかった私は年に一度の帰宅を今年も果たす『不思議な帰宅』
貧しい彫刻家一家は夜の散歩で不思議な木を見つけ、庭に移植してから運が向きはじめた『招く不思議な木』

ショートショートでもSFでも伝奇でもミステリでもない。やっぱりこれは「ふしぎ小説」
舞台そのものは「ふしぎ」でもなんでもない作品が多い。恐らく執筆されたであろう戦争直後の田舎や都会、また時代に取り残されたような単なる田舎を舞台にしているものが多い。登場人物そのものが「ふしぎ」な作品は一部に見られるが、それは物語の主題を語る存在であるからのものだけで、全体的には貧乏や不幸な境遇にあっても普通の性格の普通の人である。「ふしぎ」は物語の中から立ち上る香りと、そして手触りから来るようだ
SFやファンタジーというより、後ならばショートショート、そして、それ以前なら説話や昔話に通じるような物語群。施した善行が巡り巡って戻ってくるあたりは説話っぽいし、ミステリ的な味付けでラストの衝撃を狙う作品はショートショートっぽい。しかし、結局のところ「ふしぎ」という形容詞に戻ってきてしまう。ショートショートや説話だけではやっぱり説明がつかない。残酷な話や辛い話もそれなりにあるのだが「ふしぎ」という雰囲気に呑み込まれてしまって、ダイレクトに読者を貫く強烈さは薄められているように感じられる。これが三橋一夫の持ち味なのだろう。
個別には、ちょっと残酷な味わいがある衝撃タイプの作品と、ラストにしみじみと余韻を残す人情系の作品の両方にお気に入りがある。前者の代表は、題名だけでも読みたさをかき立てられる『怪獣YUME』。謎の珍獣に振り回される男の描写が淡淡としながらも、最後のオチに繋がっていくあたりに面白みがある。また、後者では『角姫』だろうか。女性の揺れる気持ちと不器用な男の醸し出すハーモニーが好み。また短くとも『不思議な帰宅』あたりもしんみりとしていて良い。

この文庫そのものは春陽文庫の中でも入手が困難だとされているが、国書刊行会の探偵クラブ『勇士カリガッチ博士』に本書より数編が収録されており、雰囲気はそちらで味わうことができる。三橋氏自身は探偵小説の他に「健康」関連の本を大量に執筆しているのだが、本書を読む限りではあまり関連性は感じられなかった。(当たり前かもしれませんが)


01/07/19
恩田 陸「麦の海に沈む果実」(講談社'00)

'91年第3回日本ファンタジーノベル大賞最終候補作『六番目の小夜子』にてデビューした恩田さんは、その後、様々なジャンルへと作風を広げている。彼女の「本流」ともいえるのが、デビュー作と同様、学園を舞台にしたミステリ・ファンタジーのジャンルである。本書もそれに類する作品で『三月は深き紅の淵を』の姉妹編にあたる。'98年から翌年にかけ『小説現代別冊 季刊メフィスト』に連載された。

二月最後の日、その学園に転入するために、水野理瀬は汽車に揺られていた。下車駅で席を外した隙に彼女はトランクを持ち去られてしまう。心配しなくていいという案内の男性に連れられ、理瀬は巨大な湿原に囲まれた陸の孤島のような学園に転入する。名の知られていない学校だが、全寮制で生徒の状況に合わせた教育を施すことで一部で有名。その実、複雑な家庭の事情を抱えた子が多くいた。謎めいた校長と挨拶し、ファミリーなど学園独特の仕組みを習う理瀬。理瀬は、自分の所属するグループから二名の離脱者が出たことをを知る。彼らは名目上、別の場所に移ったことになっているが、自殺したり死んだりしているのでは、と生徒達は疑っていた。理瀬は同室の憂理や、同じグループの聖、黎二、翌日に転入してきたヨハンらと徐々に親しくなる。ある日、黎二や憂理らと「校長のお茶会」に呼ばれた理瀬は、ひょんなことから行われた降霊会の霊媒として指名された。行方不明の麗子が理瀬に取りつき、クライマックスを迎えた直後、表で男子生徒が何者かに刺し殺された。

この世界は誰がなんのために? 恩田さん得意の学園ファンタジー(幻想寄り)
先に刊行された『三月は深き紅の淵を』を構成する短編の第四章に「回転木馬」という作品がある。不思議な学園に入ることになった少女の話。本作はその話と世界が重なる。隔離された環境下に置かれ、一見素晴らしい環境下で自分の好む勉学や趣味に勤しむ中高一貫の学園。名は知られていないが、通常の学校教育に縛られず個性を伸ばしたい者や、家庭事情から隔離したい意向から放り込まれる者など様々なな生徒がいる――。この学園、実は管理された閉鎖世界で、統治者は「校長」と呼ばれる両性を使い分ける人物。不吉な伝説と共に転入した理瀬は様々な事件に遭遇する――。
主人公の詩的な感受性で綴られるため、この学園が持つ非現実性があまり目立たず、「特異だけどありそうな学園世界」がきちんと存立している。この段階で恩田さんは読者に勝利している。ここに謎めいた美少年、謎めいた美少女、謎めいた伝説、謎めいた建物、謎めいたイベント……等々を配置し、物語を紡いでいくのは恩田さんの得意な手。序盤にいじめや嫉妬など、比較的卑近な人間の醜さを入れて、微妙なリアリティの補強を行っているあたりも上手い。
その序盤、学園で過去に発生したいくつかの事件に関する本格ミステリ風の謎解きシーンがあり、「ほう」と思わせられる。だが、登場人物がその個性を発揮していき、様々なイベントが企画され、そしていくつもの事件が発生する。王国の中での事件は王国内部で処理をする。生々しさが薄い。プロローグにて予告された光景がなぞられ、事件そのものにもどこか幻想じみた作為が感じられるようになってくる。気付けば、学園そのものの存在や理瀬の存在そのものが最も重要な「謎」となって物語を支配している。後半に向けて、この特異な舞台にどのような意味が持たされていたのか、という全体の謎へと迫っていく。学園に入る前の理瀬が「トランク」を何者かに奪われ喪って、学園を出る理瀬が「トランク」を再び取り戻す……。理瀬の成長(変化か?)が見受けられるラストが物語のクライマックスであり、物語を解体する謎解きにもなっている。全体の構成の巧みさに感嘆することは確実だろう。
いずれにせよ、肩肘張らずに読者自身がこの「三月の王国」に心から飛び込んでしまいつつ読むべき物語。誰に感情移入するともなく、自分自身も生徒となって彼らの傍らに立っているような気になるのが大切。この幻想世界に入れば入るほど、ラストの衝撃は大きくなるはずだから。

一冊一冊の物語の最終ページ、最後の行を読み終わっても、恩田陸さんの作品群は常に「まだ続きがあるのでは?」という一抹の余韻が残る。例えば、本作は『三月は深き紅の淵を』の「続き」を具現化してくれた作品ではあるのだが、ラストシーンで明かされる真相は、また次のステージへと続くのでは、という余韻を残している。作品毎に綿密に構築した「世界」は、容易に読者を虜にしつつも、わざとカンペキにせずに必ず一部に鎖を外した箇所を残しておく。物語のラストは大抵、その外れた場所からこぼれ落ちつつ終わる。恩田さんが持つこのコントロール感覚は抜群。少しずつ、そして確実に恩田信者が増えているのはこのあたりに理由があるのでは、と個人的に思っている。「恩田陸」という長編ミステリーを著作という短編を通じて読み解いている感覚が近いかも。


01/07/18
香山 滋「ペット・ショップ・R」(扶桑社文庫'01)

『魔婦の足跡』の題名で刊行された「昭和ミステリ秘宝」の一冊。魔婦の足跡』そのものは既読で評もその時書いており、後の整理の関係もあるため、題名とは違うが収録されたもう一編の長編『ペット・ショップ・R』を便宜的に表題とさせて頂く。
『ペット・ショップ・R』は'62年、宝石の別冊「エロティック・ミステリー」に連載された著者最後となる長編。これまでは、香山滋の全集にのみ収録されており、今回が初文庫化となる。

証券会社に勤務する矢島京子は、謎の美女から自分の店で働いて欲しい、十倍の給料を出すから、とスカウトされる。彼女の正体は動物学や動物取引の権威で、「R」というペットショップを経営する宇奈木晴美。戸惑う京子は愛人の新聞記者、佐山明に相談。しかし偵察のつもりで「R」に向かった佐山は、晴美の魅力に引きずり込まれたことを京子に告白する。京子は晴美に負けぬよう転職を承諾、佐山に身体を許す。「R」は奇妙な爬虫類や両生類など醜い生物を専門に扱う特殊なペット・ショップ。京子は晴美がレズビアンの性癖を持っていたことから、自分にアプローチを掛けてきたことに気付く。そんな晴美に京子は徐々に心と身体を許すようになる。晴美にはパトロンの老人、岸上剛がいたが、岸上は晴美に愛を受け入れてもらえず悶悶としており、晴美に近づく京子に嫉妬、莫大な金額と引き替えに店を辞めるよう求める。京子は拒否するが、代案の佐山との同棲については受け入れる。しかしいつしか京子は、晴美を手に入れつつ店主の地位を奪取出来ないか考え始める。

美しく気高くエロティックな二人の魔性の女。魅力に抵抗なんてするだけ無駄
世間知らずの処女だった京子が、魔女的な魅力に満ちたレズビアン(文中ではレスボス)、晴美と出会う。恋人佐山の愛を取り戻すために晴美と正々堂々渡り合う。気付けば京子の魔性が刺激され、少しずつ彼女の価値観が変化していく。元もと活発で美しい京子は変貌、自らの欲望もを満たすために男を手玉に取り、晴美と愛し合うようになる……。
香山滋作品に出てくる他の女性同様、人間としての女性の魅力を超えた動物的な魅力と蠱惑的な魔性を持つ女性が登場する。特に本作の場合、普通の女性が晴美からの刺激を受けることで少しずつ、野性的で大胆な性格に変化していく様に見応えがある。美しい二人の女性と対比すべきは、根本的に動物的生理的欲求から離れられない二人の男性(哀しい……)よりも、淡淡と醜い姿を晒しつつも水槽の中で生き続ける様々な爬虫類、両生類の生物たちかも。
ミステリというよりも「香山滋の描く女性」に、登場する男性だけでなく、読者のこちらも振り回されているかのような気分。豊富な生物学の知識が随所にみられるものの、それはあくまでアクセントに過ぎず、「この女(ひと)たちは、最後にどうなるのだろう」という興味で引っ張られるサスペンス。 美女二人の身体を張ったエロティックな争いは、結局息を呑んで見詰めているしかない。私が男性であるせいもあろうが、美女の秘密を覗視しているかのような妙な興奮が、読んでいる間中持続した。しかし、結局のところ香山滋が自らの女性趣味を延延と描いている……という解釈で良いような気もしないではない。

直接的な性描写は少なく、決してポルノを狙った作品ではないのだが、作品に横溢するエロティシズムにドキドキする。乳房へのフェティシズム、女性上位のサディズムなど、特殊な性的嗜好も数々登場。これが「『怪獣ゴジラ』の作者で知られる」の形容詞が必ずつけられる「香山滋」の本当の姿(らしい)。
ミステリだとかSFだとかのジャンル分けを峻拒するオンリーワン、香山滋が新刊文庫で読める。良い時代になったものだ。


01/07/17
多岐川恭「共犯者は一度会えばいい」(実業之日本社'84)

本書は(当時、時代小説に活動の軸足を移していた)多岐川氏が久々に書き下ろし発表したミステリ長編。文庫化等はされておらずこのハードカバー版のみ。

千葉県の犬吠埼近くの海岸。水平線を眺める表情の冴えない若い男と初老の男はどちらからともなく自らの境遇を語る。若い男、甘木は自ら興した小さな製薬会社社長。大手製薬会社勤務時代に交際していた眞紀子の余りの奔放で気儘な性格に嫌気が差し、同僚の祐子と結婚した。一旦彼を諦めたはずの眞紀子は、甘木の弟、更に甘木のパトロン格の小玉と次々と周囲の男を手玉に取って甘木を苦しめる。遂に甘木は会社がどうにもならないところに追い込まれていた。一方、初老の男、八次は建設会社の二代目社長だったが、経営方針の異なる専務の脇田にいくつもの罠を掛けられ、遂に社長の地位を引きずりおろされていた。脇田は追撃の手を緩めず、八次の妻を俳優崩れの男を使って誘惑、彼女からも遺産を巻き上げる。八次は脇田を殺したい程憎んでいた。話を聞いた甘木は、八次に交換殺人を持ちかける。甘木が脇田を殺すかわり、八次に眞紀子を殺して欲しいというのだ。

主人公も重要な脇役も探偵役も、みんな根っ子が冷徹。シビアなミステリー
いわゆる「交換殺人」をメインテーマに持ってきた作品。前半部は、慎重に慎重を期した「交換殺人」の検討及び実行が描かれる。共犯の二人の関係は行きずり。更に、最初に会ったきり直接には二度と会わない、連絡は定時の電話のみ、片方しか殺人を実行しない事態を回避するために担保を設定するなど、綿密な交渉ぶりが徹底して描写される。また殺害方法についても、甘木、八次の二人が二人、それなりにカンペキな殺害を実行、手違いもなく完全犯罪が完成した!? ……ここまでが前半。
これだけだと完全犯罪を行った二人の犯罪小説となってしまうのだが、もちろん多岐川氏はそんなに甘くない。目の上のたんこぶが無くなった二人は人生を謳歌し始める。もちろん疑いはかかったがそこは完璧なアリバイが存在、更に嘱託して殺人を行った形跡もない。しかし、多岐川氏はイジワルである。安心している二人に落とし穴がきちんと作ってあるんのだ。ここからが後半。甘木の弟の妻と脇田の娘が疑いを持ち始める。こちらの女性二人の探偵役がまた、犯人二人に負けずと劣らず冷徹ときた。犯罪を暴いたとして、決して誰も幸福にならないにも関わらず「殺人者は許せない」の一点張り。二人の完璧な犯罪が、状況証拠から少しずつ崩され、ごくごく僅かな物証さえも遂には発見され……。多岐川氏の人間に対するシニカルな見方は、犯人よりも、被害者よりも、この探偵たちに多く注がれている。この展開だと様々な結末の付け方があったと思う。例えば、犯罪の内容は判明しても警察への告発はしないとか。それでも、あえて犯人たちにとって最悪の結末を多岐川氏は用意する。なので後味は決して良くない。単純に読めば、ひどい目に遭わされてきた犯人二人の方に感情移入はしやすい。彼らの一種復讐譚であり、相手も殺されても仕方ないとしか思えない存在だから。それでも女探偵は彼らの罪を抉る。多岐川作品ならではの結末。何か人生の因果応報、そして無情を感じさせる作品

うーむ、八次社長秘書の女性の名前、前半「理恵」なのが後半「利恵」になっている。トリックかと思ったが単なる校正ミスか。

多岐川作品全体を通してみられる冷徹な人間観察が全編に満ちた作品。ユーモアを感じさせる場面も無く、あくまで「犯罪の計画・実行」及び「犯罪の推理・告発」をベースにしている。物語のトーンは当然暗い。結果的に物語は倒叙ミステリとなっているが、犯行時のミスの拾い方がかなり強引なので「本格ミステリ」としても評価し辛い。多岐川恭の作品の雰囲気を好む人だけ読めば良いのではないかと。


01/07/16
西澤保彦「依存」(幻冬舎'00)

講談社ノベルスを中心とするSF系本格ミステリを西澤氏の表の顔とするならば、本書のように様々な出版社から刊行される通称タック・タカチシリーズは、裏の顔ということになるのだろうか。現実ベースの「本格ミステリ」として開始されたこのシリーズも、作品を重ねるにつれて複雑な人間模様を描きつつある。シリーズ六作目となる本書は2001年「このミス」「本格ミステリベスト10」両方でのベスト10入りを果たすなど、幅広い支持を受けた。

語り手は羽迫由紀子(ウサコ)。タックを弟子として可愛がる白井教授宅での宴会の翌朝、雑魚寝していたはずのタックとタカチがいない。ウサコは彼らが深刻な表情で密談をしているのを目にし、思わず側に忍び寄る。タックがタカチに告白する。タックには双子の兄弟、千治がおり二人とも今の母親とは別の母親から生まれている。その兄、千治を死に追いやったのは生みの母親。その母親こそが、昨晩お披露目された白井教授の新しい妻、美也子だというのだ。
……この話を間に挟む形で、宴会が企画されてからそこに至るまでの時間が回想され、いつもの「酩酊推理」が繰り広げられる。オートロックのマンションの扉に挟まれる小石の謎。小学生の時に空き家で見た昨日亡くなった筈のお婆さんの幽霊。敷地の境界線上に家を建て、犬を飼いながら全く世話をしない未亡人。同じマンションで鍵を忘れたので入れて欲しいと他人を騙って入り込む謎の人物……。
二つの時間の流れが一つに繋がった七月二十八日午前五時。ウサコにとって生涯忘れられない瞬間となる。

相手への「思いやり」を喪った独りよがりの愛情表現が生み出す数々の謎、事件、そして問題
「タックの双子の兄を死に追いやった女」かつ「タックを産んだ女」という衝撃的な人物の登場する本作、タック・タカチシリーズとして読み通すならば、絶対に避けられない作品。同時にシリーズを通して読んでいなければ、本作の持つ重みを実感しきれない作品……と断言してしまって良いだろう。タカチの過去に迫った『スコッチ・ゲーム』に続き、本書は主人公格のタックの過去に迫る物語。また同時に、タックとタカチ、そしてボアン先輩やウサコら四人の関わり合いが重要な意味合いを持つ。
もちろん、このシリーズの特徴ともいえる、宴会の最中に誰かが小さなミステリを提示、よってたかって討論を積み重ねて真相に迫ろうというシーンも多数用意されている。それはそれで興味を引くことは変わらないし、それぞれの場面は明るく盛り上がる。提示される謎の数、内容、それに対する解答と意外性だけでも及第点以上だろう。だがそれらも、タック自身の物語の合間に挟まれる構造と、それら小さな謎がある特定の人物に繋がる深刻な問題に繋がることなど、作品集全体の暗鬱なトーンを払拭するに至っていない。
(以下、ネタバレまではいきませんが、内容に触れるために反転)
本書は『スコッチ・ゲーム』のタカチの父子関係と対比され、タックの母子関係として論じられることの多いようだ。個人的にはこれは母子関係というよりも、多少特殊ではあるものの一方的な「女」→「男」関係に過ぎないように思う。特に意識されているのは、男女間の願望が叶えられない場合の様々な昇華方法。その序奏となる別の「男」→「女」関係や、ウサコの無意識下での行動など、ストーカー行為をはじめとする様々な形の「歪んだ」愛情表現を並べて見せるのが伏線。しかも、西澤氏は物語で目の前のトラブルを一応回避させてはいるものの、明確な処方箋を作っているわけではない。彼らにとって撃退は必ずしも敗北とは限らないからだ。タックと母親の場合も同様。「母親」と「息子」が異性である以上、タブーを無視出来る人物にかかれば、それと同じ表現が実行されても全くおかしくないということ。(そして西澤氏は、その「タブー無視」を意外性の手段として頻繁に物語に取り入れる作家でもある) 物語は今後の一人の「男」を巡るタカチと美也子という二人の「女」の争いを予感させて一旦幕を引く。
西澤保彦という作家の凄いところは、表のチョーモンイン、裏のタック・タカチにしろキャラ萌え読者のハートをしっかりと握みこむ作風を持ち、そういう読者に理解を示すようなあとがきを作っておきながら、その内実、作品内部においては彼らを完全にコマ扱い(コマが悪ければ部品。一緒か)して、物語世界を創り上げていること。私自身、氏のキャラ萌えへの傾斜を危惧していた時期もあったが、改めて俯瞰してみれば、それは杞憂と分かる。西澤氏が「キャラが勝手に動き出す」というようなコメントをしようと、氏は目指す物語に必要であれば、コマをその目的の必要性に応じ専制的に動かしている。それぞれキャラクタは魅力的であれ、彼らはやはり西澤氏の紡ぐ物語の構成要素に過ぎない。完結までに彼らがそれぞれどうなるのか。作者はきちんと計算しているはずだ。

シリーズ作品とはいえハードカバーの大作ということで手に取るのを躊躇していた一冊。しかし、シリーズを読み通している人にとっては欠くべからざる重要な作品であった。男社会の問題(ジェンダーの問題)が多く取り上げられ、多少の説教臭さもあるのだが、「愛」という妄執に囚われた人々の哀しさ、そして望む望まざるを関係なく「愛」を押しつけられる側の辛さ、などが物語を通じて浮かび上がる作品となっている。作品内の「小さな謎」も、結果的には全て主題に奉仕しているあたりの作者の周到ぶりはもっと評価されても良い。


01/07/15
岩井志麻子「夜啼きの森」(角川書店'01)

ぼっけえ、きょうてえ』にて第六回日本ホラー小説大賞及び山本周五郎賞を、『岡山女』が直木賞候補に選ばれた岩井志麻子さんの三冊目の単行本。書き下ろし長編。シマコ節炸裂の本作は引き続き戦前の岡山の貧村が舞台。そして下敷きは現実の事件である「津山三十人殺し」。

老婆が古い昔の話を語る。彼女の弟が引き起こした大それた事件の話を。
岡山県の北の果てにある村。暗い森を取り囲むようにして全二十三戸の集落に百人あまりが住んでいた。元を辿れば皆同じ一族の濃い血が集まった集落。皆一様に貧しく、同じ物を食い、同じ女と番い、同じ墓所に葬られる。憎い者にも恋する者にも同じ血が流れる。そんな村。
大正七年。さや子と辰男の姉弟は父、藤吉を肺病で喪った。続いて半年後、彼らの母親の多代も結核でこの世を去る。肺病は感染する。感染者を出した家は忌まれる。残された祖母のイヨは気丈に二人を育てた。イヨは二人の死者を出した家を売り、かって心中を出した別の家を買い求めたが、やはり肺を悪くし彼らの叔父にあたる仁平一家に姉弟の世話を頼んで入院する。少しずつ成長するさや子に欲情する仁平。そして仁平の心も暗い闇に侵され、座敷牢に住まわされる。ほどしてイヨが姉弟を引き取り、再び三人での暮らしに戻る。成長した辰男は成績優秀であったが、イヨの力では中学に上がれず、更に病弱だったために徴兵検査にも落ちた。村人と辰男の間に不協和音が響く。この辰男こそが……後の……。

岡山をとことん愛し、とことん憎む岩井志麻子しか描き得ない土感覚の世界
私は筑波昭(黒木曜之助)のドキュメントを読んでいないが、浅井秀明さん曰く「ほとんどまるまま引用」とされる島田荘司『龍臥亭事件』の該当部分には眼を通している。戦前の事件でもあり、細かい証言が遺されているわけでもない。結果としての事実、例えば家庭環境や村の状況については、この作品においてもかなり忠実に準えられている。もちろん、岩井さんは「ホラー・幻想文学」系列の作家であり、二番煎じのドキュメントを書こうとしたわけではないはず。ポイントはどこに焦点を当てて、どのような物語を浮かび上がらせているか、だろう。

比較ではなく、本書のみを評しての印象になるが、この「夜啼きの森」は土壌が描かれている。 本書の第一章、気の触れる仁平に対して、後に振り返れば非常に重要な言葉が投げかけられる。「お父つぁまは、この村以外を知らんのじゃろう。そんなら、その気違いの元はやっぱり、この村のどこからか拾うてきたんじゃ」つまり、この村で発生する狂気は、外部から齎されるものではない、ということだ。村の中心にある森の存在と、夜空に浮かぶ細い月が、いろいろなものを暗示している。狂気を暗示する月の光によって照らされた濃密な緑の中、「何か」が確かに息づいている。この森はいわば村の中で発生する情念の吹き溜まり。澱のようなものがじっくり醸成され、それを糧にする「何か」が喰らう。
恐らくほとんどの読者は悲劇的な出来事が最後に発生することを知って物語を読むことだろう。もしかすると実際の犯人が村人の冷たい仕打ちに堪えかねて爆発したことさえ知っているかもしれない。しかし、本書ではあえて犯人を中心とせず、あくまでその土壌を淡淡と描き続ける。犯人に対する村人の仕打ちが生まれてくる土壌を。犯人が色に狂った土壌を。森が吸い取った怨みや嫉みや僻みや痛みが、村という名の閉鎖空間の中に再び振りまかれる。世代が変わろうと時代が進もうと、時の流れから取り残され貧しいままひたすらに再生産を繰り返すしかない人々。彼らと森が、着々と悲劇を醸成しているがごとく。
本書の怖さの源は、最後に射精されるがごとく迸る主人公の殺人劇ではない。主人公をその状況に知らず追い込んでいく「村」という共同体の持つ澱んだ空気を生み出した、土壌にこそ存在する。

隅々まで周到な配慮の行き届いた描写、岡山出身者ならではの岡山弁を多用することによって生まれる独特のリズム、因習と血縁に縛られた息の詰まるよう共同体としての「村」の圧倒的な存在感。感情や情念が何ものかに取り込まれ、別ものに変質していく怖さ。これらの一部だけなら別の作家にも描けよう。しかし、この先鋭化した土着感覚は岡山という土地にこだわる岩井志麻子にしか備わってはいまい。

 この本は、ぼっけえ、きょうてえのお。


01/07/14
横溝正史「姿なき怪人」(角川文庫'84)

角川文庫の黒背時代の後半に刊行された「推理ジュヴナイル」と呼ばれる一群の作品のうち一作。黒背に黄色の題名が特徴で、それまでの中島河太郎にかわり、山村正夫氏が監修していた。本書も長編、短編一作づつの内容に加え、山村氏が夫人と御子息に横溝正史の思い出を語ってもらう、という趣向の鼎談が解説代わりとなっている。

法医学の権威、板垣博士を本郷のX大学に所用で訪れた新聞記者、三津木俊助と、彼を助ける「探偵小僧」こと御子柴進は部屋の中での口論に驚き足を止める。木塚陽介という男が、板垣博士の旧友の娘のシャンソン歌手、吾妻早苗との結婚を強く反対されたのだ。木塚が博士の元を飛び出し数分後、その早苗からの電話を三津木は受ける。その最中、彼女は悲鳴を上げて電話が切れた。慌てて渋谷の彼女のアパートに駆け付けた三津木。残されていたのはナイフが突き刺された彼女の写真、そして血だまりだった。彼女の死体は別の形で発見されるが、最も容疑の濃い木塚が現場に到着することは不可能。犯行を声明する「姿なき怪人」と名乗る謎の人物は、板垣博士の知り合いの太田垣らを次々に殺害し、死体の消失など不可解な状況を発生させていく。決して尻尾を握ませない「姿なき怪人」の正体とは?
以上、長編『姿なき怪人』。他に短編『あかずの間』を収録。

「子供だまし」のトリックであっても誠心誠意の論理性が光る
ジュヴナイルということもあってか、見かけがかなり派手な事件がいくつも発生する。数分での殺害現場への移動する犯人、十五分で屋敷から消失する死体と血の付いた装飾品、さらに同じ場所に再び現れる死体、マネキンに擬せられた少女の死体の発見とその消失。……そしてもちろん、最大の怪物、真犯人「姿なき怪人」の存在。 ハッキリいって非常に魅力的な謎が並ぶ。わくわくする。
だが、徐々に明かされていくそのトリックの一つ一つの中身を取り上げると「なぁんだ」というよりも、こなれた現代読者なら「おいおい」とツッコミを入れたくなるタイプのもの。既に現代ミステリではよほど上手に使わないと禁じ手に近いトリックである。であっても、御子柴少年中心の視点を重要視して、その真相そのものよりも、そのトリックを使用しすることで発現する「奇妙さ」を大切にした結果、こうせざるを得なかったのだと思われる。その陳腐さは敢えて問うまい。大人がわざわざ本書を取り上げるならば、物語全体を通じて横溝氏が一貫した論理性へこだわっている点まで感じ取って欲しいもの。ラストに配置された「真相開陳」場面がしごくあっさりとしているために見過ごされがちだが、例えば「○○が××した時、△△がやったようにみえるけれど、実は□□のアリバイがない」といった細かな点、後から検証してみるときちんとクリアしているのだ。もしかすれば、長く探偵小説を書いてきた横溝正史にとって、これらはわざわざ意識するに当たらないごく当たり前のことなのかもしれない。でも、やっぱり凄い。

横溝ジュヴナイルは、ポプラ社の乱歩を除けば比較的恵まれた出版状況にあったと言えよう。とはいっても、現在はほとんどの作品が入手出来ないのだが。あと何冊か読んでから言うべきだとも思うが、横溝的世界は健在なので、一般向け作品をある程度読んだ方には本書に限らずジュヴナイルにも一度は手を出して頂きたいもの。


01/07/13
黒田研二「硝子細工のマトリョーシカ」(講談社ノベルス'01)

ウェディング・ドレス』にて第16回メフィスト賞を受賞したくろけんこと黒田研二さんの書き下ろし第三長編。MYSCON2にゲストでお越し下さった際に「新作」情報として本書の話をして下さったことは個人的に記憶に新しい。なまもの!でお馴染みの美人主婦、大矢博子さんがブレーンとして加わったという。

ある台風の日。人気アイドル小泉つばさの熱狂的ファンである弟の健司を訪ねて、アイドルおたくの安藤が森本晋太朗の元を訪れていた。だが、学校から戻って来た健司は虚ろな表情で戻って来たがまた走り去る。ラジオから流れる小泉つばさの訃報。健司は知っていたのだ。直後、健司がマンションから飛び降りて地面と衝突する音が響いた……。
一年後。作家出身で人気女優の美内香織は、自作シナリオによる生放送ドラマ「マトリョーシカ」を企画した。スクープを握んだ人気報道番組スタッフ。放映しようと検討する彼らにかかってくる脅迫電話。スクープ放映を中止しなければ局内に仕掛けた爆弾を爆破するという……。テレビで抱負を語る美内香織を自室で眺めていた森本晋太朗の元に普段着姿の美内香織本人が現れる。ある出来事から森本兄弟は美内香織ファンクラブ会長の昭島と知り合い、更には美内香織本人と面識が出来たのだ。かって香織は昭島と恋人関係にあったが、健司の自殺の当日、昭島も謎の転落死を遂げていた。その後、香織は晋太朗との交際を宣言。しかし二人の仲はぎくしゃくとしつつあった……。

単なる入れ子構造だけじゃない。黒田研二のエッセンスが生絞りされたミステリカクテル
マトリョーシカというのはロシアに伝わる郷土人形のこと。丸っこい人形が銅から二つに分かれ、更に中から少し小型の同型人形が現れ、それがまた二つに分かれて……という「入れ子構造」を持った人形。題名にこの人形が取り上げられていることからも分かる通り、何重にもなった入れ子構造を特徴とした作品
ヒロイン、美内香織はミステリ作家デビューの後に女優になったというアイドル。彼女が作った「生放送用ニュース番組ドラマ」が舞台。つまり、当初から「ニュース番組」という核が、「ニュース番組にまつわる舞台裏」を舞台にしたフィクションに覆われている。作中の言葉を借りれば、これが「完全な虚構」。更に、この「舞台裏」ドラマを作成している状況そのものまでもが、全国に放映される、シナリオがあるドラマなのだ。こちらは「不完全な虚構」。主人公の森本はこの不完全な虚構を傍観し、彼の家族や、香織のかっての恋人が陥った悲劇について推理する――という「フィクション」の上に「フィクション」が何重にも張り巡らされた構成。近年のバラエティ番組に見られる傾向、例えば本来は黒子に徹する筈のスタッフを番組内に登場させること、またドキュメンタリーでの「「ヤラセ」の問題をミステリ内部に持ち込んだと考えれば分かりやすい。複層構造のメタ・ミステリであり、この手の作品は読者に分かりにくいことが多いのだが、テレビを舞台に使うことで巧く処理している。
ミステリ的には、その舞台のトリックをベースに密室やミッシングリンク、アリバイトリック、事件における意外な犯人などなどの小道具を効果的に使用して、単なる「メタ」のみの作品となっていないところがポイントだろう。「メタ」のレベルによって事件を発生させる条件が異なるため、そのレベル毎に犯人として告発される人物が変化する。これは構わないがちょいと細かすぎてややこしいかも。
そして特筆すべきは、アイドル文化に対する作者の愛情が全編にわたって感じられること。青少年が儀礼的に通過するレベルを超えたマニアックなおたくの世界。全くの嫌悪感を感じさせずに触れていくのは難しいように思うのだが、らくらくとこの障壁をクリアしている。(誉めるところか?)
「芸能人の恋人を持つ普通人」という設定は、古来? から書物に限らず様々な形で使用されている。アイドルを見詰める男性視点「彼女が僕一人だけのものになればいいのに……」という妄想を例えフィクションとはいえ具現できるのだ。作者としてこれほど魅力的なことはない。多くの人間の願望が反映された一つのパターン。その意味では陳腐とも思えたが、後の展開や理由などに工夫を凝らしており、読み終わるまでにその不満は解消された。

いずれにせよ、これまでの作品に多少みられたぎこちなさや、不自然さがほとんど見られず、作者が自分の得意とする世界で、得意とする対象を使って、得意とするタイプの作品を書いたという印象。 様々なトリックと個性的な登場人物、趣向を凝らした舞台設定などなど、前二作よりバランスと完成度の点では上でしょう。(部分部分のインパクトは別にして) 芸能界ネタが苦手という方には進められませんが、三冊の中の合計点では本作が今のところ最上位かと。

後追いを出し社会現象となった「アイドルの自殺」は、明らかに岡田有希子がモデル。すこしあの日のことを思い出した。


01/07/12
佐藤友哉「フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人」(講談社ノベルス'01)

第21回メフィスト賞受賞作品。作者は北海道在住、1980年生まれの二十歳とのこと。

大学生、鏡公彦の親兄弟は皆どこか心が壊れている。ある日、一番まともで公彦と仲の良かったた妹の佐奈が死んだと母親から連絡される。母親の言うことが支離滅裂なのに業を煮やした公彦は実家に駆け付けるが、やはりそれは事実。普段から壊れている同人女の姉、稜子に言葉で追い打ちをかけられた公彦の元に大槻涼彦と名乗る素性不明の男が訪ねてくる。ずかずかと上がり込んできた彼は、公彦に「裏物無修正」と、佐奈が三人の男に凌辱されているビデオを見せた。怒り爆発した公彦はビデオテレビ大槻をぼこぼこにするが、大槻はそれでも笑いながら三人の男たちの素性(名を知られる大物たちだった)と、更にプレゼントと称して彼らそれぞれの娘三人の写真と行動スケジュールを公彦に渡して去っていく。考え抜いた公彦は、取り敢えず実地調査してみることを決める。
公彦の幼なじみ、明日美は悩んでいた。いつからか巷を騒がす連続殺人鬼、突き刺しジャックの視線と「接続」してしまう自分に。《彼》が殺意を抱き、目の前の犠牲者をあっさり殺害するまでの状況「だけ」《彼》の視点で見えてしまうのだ。七十七人にのぼる犠牲者は若い女性というだけで地域や素性に共通点が全く見出せない。自分と親しい後輩、冬子が《彼》の犠牲になったことで、彼女は突き刺しジャックと対決する決意をする。「接続」を使って犯行現場に駆け付けるのだ。そして不意にまた彼女は「接続」した……。

二十一世紀冒頭を飾るドグラ・マグラ。精神世界のジェットコースター
舞城王太郎が登場した時も「コイツは間違いなくスゴイ!」と感嘆したが、メフィスト賞は別の意味で「コイツは間違いなくスゴイ!」と感じさせる作家を用意していた。佐藤友哉。二十歳。年齢を語るのは反則かもしれないが、この世代でなければ生み出すことの出来ない世界、表現できない世界がとうとう本屋で売られるようになった。
物語そのものは、トンデモすれすれ(というかむしろトンデモか)で破綻と隣り合わせの危うさを秘めている。登場する人物人物、全員が壊れている。 冒頭の兄と妹、そして幼なじみの女の子との日曜日朝の、何気なく暖かい風景。「普通」なのはここまで。そこから一挙に地獄へダイブ。 妹の自殺、その原因となった男たちへの復讐心に燃える公彦――。だが、今まで綿々と語られている復讐譚とは何か違う。彼らの娘を次々と拉致監禁するところまでは分かる。しかし彼は監禁するだけで「何もしない」。それどころか、何をしているのか、意味をすぐに喪失する――。一方、連続殺人鬼突き刺しジャックとの戦いを決意する明日美。こちらの周囲でも壊れた人物が跋扈、彼女自身、普通のようでいて実は壊れかかっている(こちらは精神的逃避の意味合いもあるかも)。
彼らの行動、思考が一人称で語られる。つまり壊れた精神世界を否応なく読者は辿る。行動に理由はあって無く、常識的というよりも感覚的に意味は求められる。現実の解釈を都合良く変化させることで、自分自身の思いこみを正当化し、綿密な計画を実行することに躊躇しない。その一方で、ささいな一言にキレて爆発、激しい衝動に身を任せる。うわ、マスコミが好んで創造する「自己中心的でキレやすい一般的現代的若者像のアベレージスタイル」じゃないか、これ。
彼らの精神構造が最大のミステリ。物語内部の人々の思考パターンに常識が通じない以上、展開の一歩先が全く予想出来ない。 慎重なのか大胆なのか狡猾なのかバカなのか。今までの小説の中に存在しなかった人物像が物語の枠を乗り越えて縦横無尽に走り回る。気付けば読者の「常識」は破壊され、彼らの考え方や行動に価値観が揺さぶられる。何が正しいのかなど悩むだけ無駄。
実はさりげなく複層構造や叙述などミステリの手法も使用されてはいる。されてはいるが、登場人物一人一人の存在そのもののインパクトが強く一向に目立っていない。別に構わないか、そんなの。
また、当初の設定内部にSFというか、トンデモの部分が多数ある。だが、そもそもそれらの要素を「壊れている」人々が「真面目に信じ込んでいる」以上、予言だろうが透視だろうが謎の組織だろうが「あるものはある」「存在するものは存在する」。読者が疑いを挟む余地はない。壊れた彼らによって作品内部のリアリティが支えられている。また、彼らの壊れパワーと釣り合わせるためにはこれくらい「やりすぎ」ていてちょうど良い。文章のセンスも悪くなく、作者の言葉と登場人物の使う言葉が「=」なのも、世界を作る上での重要なポイントとなっている。

登場人物の精神的迷宮、更に壊れた人物特有の異様な迫力、読者の想像を超えた裏設定。破格の小説。 小説の真の理解も、理解したフリも、本書は求めていない。理解出来ない、という事実そのものが「年長読者」の本書における誉め言葉になるだろう。絶対に好みは分かれる。が、とんでもない隕石がミステリ界に降ってきたことは間違いない。


01/07/11
鯨統一郎「九つの殺人メルヘン」(カッパノベルス'01)

'98年『邪馬台国はどこですか』を創元推理文庫から刊行し、鮮烈なデビューを飾った鯨氏。歴史の上の出来事や、一般常識とされている事柄にスポットを当てて別の解釈をしてみせる特殊な作風を維持しつつ、順調に作品を発表している。本書は氏の六冊目の作品にあたる短編集。

渋谷の日本酒バーのマスターとその常連客、犯罪心理学者の工藤と刑事の山内。揃って厄年の三人の前に現れる二十歳の女子大生、桜川東子。彼女が日本酒を飲み干す時、犯人の持つ堅牢なアリバイが崩れ去る。
会社社長のお婆さんが殺された。リストラされた容疑者が二人。東川が指摘した犯人は? 『ヘンゼルとグレーテル』
祖母と孫娘が殺された。孫娘の義母の愛人と、孫娘の恋人が容疑者。怪しい方が持っていたアリバイは? 『赤ずきん』
保険金をかけられた楽団員三人が焼死。楽団を主催した女性の持っていたアリバイは? 『ブレーメンの音楽隊』
金持ち息子と交際していた女性が崖から落ち、死体で発見された。男の持っていたアリバイは? 『シンデレラ』
女性が撲殺された。犯人は交際相手か、被害者に毒入りアップルパイを食べさせようとした年若い継母か、それとも?『白雪姫』
女性が自宅で殺された。交際範囲の狭い彼女を殺した容疑者は、元雇い主。そのアリバイは? 『長靴をはいた猫』
芸能人と交際していた女性が睡眠薬死。容疑者の芸能人は海外にいたという。殺害の実行方法は? 『いばら姫』
保母さんが殺された。交際相手の男はその時間帯には保育園にいた。そのアリバイは崩れるか? 『狼と七匹の子ヤギ』
渋谷界隈を荒らし回る宝石狙いの怪盗。桜川東子はその怪盗の正体を見抜くことが出来るのか? 『小人の靴屋』以上、九編。

「定型」を自ら創り上げ、当てはめ、繰り返すことによる通好みの面白さ
本書には9つの短編が収録されており、これは有栖川有栖氏がかって『マジックミラー』(↓)という作品で作中人物に語らせた「アリバイ講義」9つの類例全てを使った作品なのだという。まず、この類例とは何なのかをおさらいすると以下となる。なお更なる詳細は『マジックミラー』をあたって欲しい。

 (1) 証人に悪意がある場合
 (2) 証人が時間、場所、人物を錯覚している場合
 (3) 犯行現場に錯誤がある場合
 (4) 証拠物件が偽造されている場合
 (5) 犯行時間に錯誤がある場合
 (6) ルートに盲点がある場合
 (7) 遠隔殺人
 (8) 誘導自殺
 (9) 「アリバイがない」場合

わざわざ『マジックミラー』を再読して確認し、短編それぞれに当てはめてみた……。確かに全てが一編ずつに過不足なく当てはまる。 うーむ、すごい。ミステリ小説が究極の「遊び」の小説だとすれば確かにここまで凄まじく本気の「遊び」はないだろう。これだけでもお見事。
しかし、本書の魅力はこれだけではない。短編の題名と事件の構図が関係ないし似通っていること、そのメルヘンそれぞれには鯨氏お得意の「新解釈」が披露されること、全編が「安楽椅子探偵」であること、三人で一つの謎について討論し合う「黒後家蜘蛛の会」風の面白さがあること、それぞれの作品に(恐らく)四十代ならば狂喜しそうな「昔なつかしいモノ」ネタが振られていること、更に最後の最後にきちんと全てを通したオチがつく連作短編の形式をとっており、そのオチに相当な意外性があること……。
当然、上記の全編を通じた御約束は、その話題とされる順番までもが短編で同じというこだわりぶり。三人の会話の中にはさりげないボケやツッコミ、更にはミステリファンだけがニヤリとさせられる表現などにも仕掛けがあって、全編がほのかなユーモア感覚に覆われているのも嬉しい。
もちろん、鯨氏の本領である「新解釈」の面白さも小粒ながら健在。『本当はおそろしいグリム童話』など従来の同じコンセプトの本とは重ならないテーマを選んだと思われる。方法は「流布している説話」でなく「原典に近いところ」の文章や物語を解体、別の方向から解釈していくもの。この新解釈を更に「事件」に当てはめようというのだから、展開が強引になりそうなもの。それが意外にも? 読み口をすんなり綺麗に、かつ楽しくまとめられている点も大いに評価したい。一編一編がまた作品内で数多く取り上げられている、極上の日本酒たち(もっと味わいや風味が書き分けられていれば更に最高でしたが)の味わいによく似ている。どれだけ呑んでも飽きが来ない。もう一杯、もう一杯とつい杯を重ねてしまう。

最終話にて、この物語がこれ以上続かないことが表明されているが、何となくこの三人+一人のキャラクタは勿体ない。是非とも、○○○を○○たら、続きが読ませてもらえると有り難いんですが。しかも次はWho done it?講義に挑戦、とか。ミステリにおける遊び心の集大成。軽めの作品ながらマニア受けしそう。