MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/07/31
芦辺 拓「時の密室」(立風書房'01)

'96年刊行の『時の誘拐』に続く「時の〜」シリーズの第二作。とはいえ、探偵役は森江春策が務めるので、広い意味では森江春策シリーズの十冊目の単行本にあたるという見方が出来そう。

――森江春策は脅迫犯の指定で”身代金”のある絵をトランクに入れ大阪の水上バスに乗船していた。警察が監視するこの状況下、犯人の狙う受け渡し方法とは? 森江春策は不意にその方法について思いつく。
――明治九年。大阪に建築技師として派遣されていたオランダ人エッセル氏は、何者かに突如拉致され、自分がかって暮らしていた大阪は川口の外国人居留地と思しき場所に連れ込まれる。そこで知人の惨死体を目撃した彼は後ろから殴られ昏倒する。洋館の火事現場から救助されたエッセルだったが、そこからは死体など発見されなかった……。エッセル氏は後の版画家、エッシャーの祖父にあたる。
――二十世紀末。豊中で貸金業社長が絞殺された。彼を付け狙っていた男が逮捕され、森江春策は弁護人として警察で容疑者、汐路茂と面会する。確かに汐路は彼と大学紛争時代に因縁を持っていたが、被害者は透明な何者かに殺されたのを見た、と供述する。一方で現場は浪人生によって目撃されており、彼の犯行は動かし難いものと思われたが……

古今の「大阪」が主人公。三時代にわたる都市「本格」ミステリ
水郷都市、大阪を航走するアクアライナーからスタートするツカミはいい。芦辺氏が大阪という都市に深く愛着を持って、様々な、そして古今の大阪の風景を描写するこの「時の〜」シリーズの良さが、冒頭から感じられる。その物語、大阪を舞台とした三つの時代の事件が階層的に描かれる構造となっている。現代の事件はとにかく、過去に発生した二つの事件、すなわち明治の中頃の火事場における死体消失事件と、1970年頃に発生した河川底地下道内部での死体消失事件(というか容疑者が犯行不可能だった事件)、更に、作中の手記で描かれる明治時代に大阪で開催された博覧会の不思議な謀略事件。この三事件には深く、大阪という都市の切り取られた風景が関わっている。歴史を絡め、風景を絡めて描かれる今はもうない、喪われた大阪は、直接の経験がなくとも不思議なノスタルジーを喚起する。……というのも私が関西出身だからだろうか。
これらを横の軸とするならば、縦糸となるものが二つ。一つは緻密に描写される大阪という都市の構造であり、もう一つは大学紛争という世相が産み落とした世代の持つ歪みの問題。ただ、残念ながら両方の縦糸は三つを繋げ切れていない。それぞれの事件二つを繋いで、別の縦糸がまた事件を繋ぐ――というかたちをとっている。読者の捉え方次第の部分だが、立体的に作られた、ともいえるし、その立体が弱いと感じる向きもあろう。私自身はこの試みそのものは成立していると思う。その他の部分にちょっとと思うところはあるが。
まず、都市風景を除いた肉付け、つまりミステリの部分にもったいなさを感じる。死体消失にしろ、犯行不可能にしろ、作中人物が深々と興味を感じているほどに、「謎」そのものに魅力を感じられないのだ。時代を超えることや過去の事件を解決することを、現代の事件に繋げようとするこだわりのあまり、本来重要な「謎」の方そちらに奉仕してしまって弱くなってしまっている。(もしくは私のミステリ読みとしての感覚が摩滅している可能性もあるが) 多くの推測をもって語られるその回答が、どうもとってつけたような印象を受ける。芦辺氏が「これを作品に入れよう」とした折角のテーマや題目が、結果的に物語の足を引っ張っているように思えた。

あと、いくら「本格ミステリ」でもこの犯人はいくらなんでも狙い過ぎ。それまでの折角の伏線が機能しないまま単なるレッドへリングになってしまっているし、動機もとってつけたようで到底納得出来ない。(この動機を持ち込むであるならば、事前にもっと丁寧に伏線を張らないと……)「密室」という本格ミステリのコードを題名で標榜しているのであるし、WHO DONE IT? もフェアに進めて頂きたかった。

いずれにしても本格を知り抜きすぎた芦辺作品ならではの長所とも短所ともいえる。物語全体の完成度の点では『時の誘拐』の方が個人的上位。恐らく作者に死ぬような苦労を強いるであろうシリーズではありますが、大阪を描いた希有な都市ミステリとして、もう一作是非とも執筆して「三部作」にして頂きたい気も。大阪に愛着のある本格ミステリファン向け、か。


01/07/30
笠井 潔「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つか? ―探偵小説の再定義」(早川書房'01)

早川書房刊行の《ミステリ・マガジン》誌に'98年より'00年にかけて連載された同題の評論(連載は今も継続中)初回三十回分に加筆訂正がされて単行本化された作品。「このミス」の匿名座談会批判など、連載中もミステリ界では何かと話題になった。内容紹介は各節の表題引用に止める。

「はじめに ―探偵小説の再定義」
I 第三の波とセルダン危機
1黄色い部屋の再建  2本格のコードと反コード  3探偵小説と構築なき脱構築  4探偵小説形式の批判と継承  5「魂」を奪われた小説形式
II 探偵小説批評と匿名座談会
6「匿名」の頽廃と堕落  7現代本格と都筑道夫  8「匿名」の頽廃と堕落・再論
III 黄色い部屋の行方
9「犯人=トリック」パターンの根拠  10作者=神の死とフェアプレイ  11探偵小説のリアリティ  12〈匿名病〉患者の症例研究  13犯人のトリックと作者のトリック  14黄色い部屋と「本格ミステリー」  15探偵小説のコード性  17都筑「改装」プランの問題点
IV 第三の波と一九九二年の転換
18探偵小説とフェティシズム  19趣味的共同体の乱立と自閉の城  20綾辻行人の新たな試み  21現代本格と一九九二年の転換  23法月綸太郎の「転機」  24島田荘司の「器の本格」批判  25「本格ミステリー」と後期クイーン的問題  26「大量生産」と「自己消費」の二重構造
V 複製芸術と探偵小説
27近代小説とマスプロダクツ  28二〇世紀芸術とアウラの消滅  29映画と三人称小説  30映画の時間性と探偵小説の空間性
対談 現代本格の行方(vs.綾辻行人)
参考資料 書名索引 著者名索引

本格探偵小説というジャンルが今後も生き残っていくために
本書の趣旨そのものは分かりやすい。現代本格が戦前本格(第一の波)、戦後本格(第二の波)に続く本格探偵小説第三の波と位置づけられていること。この一九九〇年代のこの第三の波は隆盛状況にあるように見えるが、いつ危機的状況が訪れてもおかしくないこと。この波が終わっても、現在の社会派や冒険小説と少なくとも同程度には二十一世紀も本格探偵小説が生き残っていくにはどうすれば良いのか? という問題提起及び処方箋を模索していくために執筆されている評論。
笠井氏は、現況の分析や、過去に執筆された都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』島田荘司『本格ミステリー宣言』等の評論の論証や、各種文化論、思想哲学等の考え方や影響を踏まえて現況を分析している。果たして、現代の本格探偵小説とはいったい何なのか、それを見極めることで「今後」が見えてくるというスタンスかと思われた。ただ、連載は今も継続していることもあり、本書にて結論は出ていない。

本格探偵小説の『セルダン危機説』に関して、実は私は大森望氏の『カンブリア紀説』の支持者なので、実はあまり危惧していない。クズであろうと何であろうとミステリジャンルの隆盛そのものは良いこと。現段階ではそれがマーケットの再拡大に繋がっており、事実、本格を標榜する有力新人作家が毎年続々デビューしてきている。マーケットに受け入れるだけの余裕があるから、そういう恵まれた状況が継続しているといえる。(反面、その中で確実に淘汰も同時に進んでいるようでもあるけれど)

さて、ここから個人的な意見。この評論は本格探偵小説に関わる実作家、評論家、読者を対象として想定している。とはいえ「匿名座談会」の野次馬的興味を除くと、内容そのもの一般読者 (この評論の読者ではなく、本格探偵小説の読者全般)を実はあまり考慮していないのでは、と感じる。供給側の分析に終始して、需要側の状況をあまり考えていないように思えるのだ。ジャンルの隆盛を支えるのも退潮を招くのも、あくまで最終的に読者の側(つまり市場のニーズ)が鍵を握るのではないだろうか?
評論家、実作者も作品を読むので読者だ、という考え方もあるかもしれないが、これは研究者が自らの研究対象の論文を読むようなもので、生計に絡んだ仕事の一部分と考える方が近いだろう。なので、自らの金と余暇たる時間を本格探偵小説に投じてくれる一般読者とは明らかに異なる。果たして、どういう読者が本格探偵小説を支持しているのか、どういう理由で読まれているのか、(そして時にはどうしてそこから離れたのか)あたりの市場分析がもっと必要なのではないかと思う。多少触れられている「キャラ萌え」系の読者が本格を支えるとは誰も考えていまい。特殊要素を抜きにして長期間にわたって本格を支える読者とは一体どういう人々なのか。
この読者分析は泥臭い作業の繰り返しを強いることになるかもしれず、思索と分析で結論づけられる評論とは明らかに異なるものになる可能性がある。また、読者は新刊だけを読むのではない。重版もあれば図書館で何度も読まれる場合もあるだろう。(とはいえ、一定の乗数を仮定することでクリア出来るようにも思う) とはいえ「二十一世紀も本格探偵小説が生き残っていくにはどうすれば良いのか?」という命題に本気で回答を出そうとするならば、真っ正面からぶつかる必要があるはず。「本」という商品があり、それに対価を支払っている人がいる以上、マーケティングの概念導入自体は別におかしなことではないだろう。
その結果を受けることで、読者を今後も確実につなぎ止めたり、新たに若い読者をジャンルに招き入れるために求められる(つまり「時代のニーズに合致した」)次世代の本格探偵小説の在り方が見えてくるのではないだろうか。もちろん、それは自由な創作を否定するものではないし、全てがそれに則る必要などない。ニーズをくみ取ることでその時代の読者が面白いと感じる「売れる本格」が世に出ることが重要。これが「ミステリ全体」のジャンルの隆盛を継続することに繋がると思う。
この結果、キャラ萌え系の本格探偵小説(もちろん、同時にこれらが一般本格の読者の支持をも得られることが重要) が増えたとしても、きちんと読者の支持が「ミステリ全体」に対して得られていれば、きちんと後世に残る純粋本格が出版されることは可能だろう。『カンブリア紀説』を支持する私としては、混沌とした作品群の中から、後世に残る作品が出ると思っている。
この行動を、大衆への迎合、と鼻で笑う方もいるかもしれない。しかし結局、作者が孤高の創作を続けて我が道を行って、一般読者がぞろぞろと(しかも黙ったまま)離れてしまった時、その最も恐れられる「ジャンルの衰退」へまっしぐらに突き進むことになる。

上記については私が哲学論・思想論を体系立てて学んだことがなく、商学部出身でメーカー営業である私の立場が思いっきり反映されている。もちろん異論も多々あるかとは思うが、私なりの現段階の考えとして述べた。

この評論そのものは、あくまでこの世界にどっぷりと漬かっている方向け……。かなり体系立てて本格探偵小説を読み込んでいる人でないと、読み通すことがまず辛いのでは。笠井氏の「現況」分析など示唆に富んでおり、個人的には勉強になる部分や、鮮やかな切り口に瞠目するところなどいろいろ有りすぎて困るくらいなのだけど。(そうだよな、オレ、どっぷり漬かっているものな……)


01/07/29
樹下太郎「不眠都市」(東都書房'62)

'58年に「宝石」「週刊朝日」が共催したコンテストに『悪魔の掌の上で』を応募、三席に入選した樹下氏は同作品が「宝石」誌上に掲載され、作家デビューを果たした。翌年の'59年に初の書き下ろし長編『最後の人』を刊行後、'60年から'62年にかけて、たった3年間でなんと18冊もの単行本を出版している。本書もその18冊に含まれる短編集。装幀は真鍋博氏。

かよ子は前夜に殺害した死体を夫に知られないうちに処分するため、翌日四苦八苦する。 『殺害翌日』
新興住宅地のだんご屋でアルバイトを開始した心に傷を負った女性。いつしか男性を無意識に誘うようになって 『無分別』
勤め先まで一時間三十分の田舎に家を建てた男は、帰り道に死体を見つけるが、どこかで似た顔を見た覚えが 『死体挿話』
夫婦で小工場を営む精一は妻が工場経営に夢中になり面白くない。飲み屋の女性と浮気をするうちに本気に 『冬の人びと』
工業地帯で私生児として育った私。暴力的に身体を奪った夫と暮らしつつこの町を出るチャンスを捜す 『嫌いな町』
BGの高山絵美子は男を川に突き落としたと自首。男は彼女と結婚の約束をしつつ裏切っていた 『夜の噴水』
失踪した兄の行方を探りたいバーの後輩の為に、関係者に対し自らの身体を投げ出す女 『昨夜のつづき』
子供の頃の怪我でびっこを引く男性。一度の結婚は新婦がその脚を怖がった為に駄目になった 『孤独な脚』
渋谷駅の複雑な構造のために人から預かった金を奪われた男。似た境遇の女と同棲していたが 『秋の雨』
小料理屋の娘は妻子があるという男性に惚れて、彼に対して結婚して欲しいとせがむが拒絶されて 『結婚して』以上十編。

人生や恋愛における「皮肉」をペーソスたっぷりに描く樹下世界
作者が前書きで述べ、かつその題名が指し示す通り「眠らない街」、東京を舞台にした作品集。大都会の放つ華やかなネオンが眩しければ眩しいほど、その光によって造られる影は重く暗くなる。東京郊外から、中心部に向かって徐々に舞台を移して描かれる十のストーリー。作者の企図は分からないが、ほとんどの作品が「都会の影」が主題となっている。もちろん影である以上「幸せ」「明るい未来」ではなく「不幸せ」「あてどない未来」が語られる。それでいて一方的に涙頂戴的な哀しいだけの話になっていないのが樹下氏のストーリーテリングの妙だろう。
題名である「不眠都市」。二十一世紀の現在、確かに東京の郊外から深夜に中心部方面の夜空を見上げれば、ぼんやりと明るくなっている。恐らく執筆された昭和三十年代もそうだったのだろう。光そのものは現在の方が強くとも、都心から離れれば闇が比較にならないくらい深かったはず。読者はこの不眠都市を頭上に掲げ、その空の下、影の中でひっそり息づいている物語を読む。急速な都会化による人間関係の変化。浮気と本気の区別のつけられない旧い感覚の男女。目的のためには身体を使うことも厭わない逞しくも哀しい女性たち。希望の裏側にある絶望の存在に気付いて日々を煩悶しながら生きざるを得ない小市民たちが抱える物語が開陳されていく。特に、変化しつつある時代について行く者、ついて行けない者のギャップが激しく、置いて行かれる者の哀しさが胸を打つ。
叙情性に重きが置かれた結果、ミステリとしての意外性は低いか、ミステリ形式にこだわっていない作品が増えた。叙述トリックを使用している『殺害翌日』にしても、読者の9割は読了前に真相を見抜くだろう。一部存在する意外性にしても純粋な驚きを提供するものでなく「ブラック・ユーモア」を体現する目的で使われている。それはそれで独特の樹下作品らしい味わいが出ているので良い。

演歌が描く世界ほど純情一本気ではなく、明朗小説等でみられる暖かいハッピーエンドもない。男も女も、したたかであればあるほど実は弱い。意固地で信念を持っている人間ほど他人に利用される。そんな人生の現実を皮肉に語る。作品を読者への警句とし「あなたはこんな目におちいりなさんなよ」とメッセージを発しているとも受け取れる。これが樹下氏の読者への愛かもしれない。


01/07/28
河野典生「アルタの鷹」(大陸書房'89)

'88年、大陸書房が刊行していた雑誌『奇想天外』に連載された作品が加筆修正されて刊行されたもの。河野氏の比較的後期の作品にあたる。

新宿に事務所を構える大男探偵、ターザンこと田沢汎太。しがない事件をこなす彼は実は時々国際謀略事件も関係を持つ。事務所は小規模で、彼の助手のチータ千田、そしてアシスタントの日仏混血の美人、フランソワーズ・モモコ菊池の三人で運営している。暇つぶしにハメットの『マルタの鷹』を読んでいる汎太の元に渡利アイ子という女性が依頼にやって来る。フランス帰りという彼女と一緒に暮らしているマイ子という妹が、テレビプロダクションのADと同棲しており帰ってこない。相手の人物と話をする時間を作って欲しいというものだった。多額の手付け金に目がくらんだ汎太は、いそいそと準備を開始する。探偵事務所オーナーのマッドサイエンティスト、鯉沼老人が作成したメカや、今までの国際謀略戦の中で手に入れた自白剤や記憶喪失剤などの特殊薬品を持ち込んで、いざテレビ局に乗り込み、その男、太田を拉致するが、モモコ菊池ともども彼らは行方不明となってしまう。依頼者のアイ子も姿を消しており、汎太は何かの謀略に巻き込まれていることに気付く。

パロディ? ユーモア?? SF??? 形容不可能の特殊ハードボイルド
何しろ、河野典生である。日本のハードボイルド史上に名を残す『殺意という名の家畜』を執筆した河野典生氏の作品である。しかも題名は「アルタの鷹」。これまた世界のハードボイルド史上に燦然と輝くダシール・ハメットの『マルタの鷹』をもじったことは明らか。 「偉大」という形容詞が多数くっつく。何にも先入観なく「河野典生作『アルタの鷹』」ということを考えれば、普通の感覚ならこう思うのではないか。「先人の偉大な作品『マルタの鷹』への日本ハードボイルド界の巨匠によるオマージュ」。ワタシはそのつもりだった。裏切られた。 いいんだけど。別の意味で面白かったし。

果てさて、どういう作品かというと冒頭から飛ばしまくるユーモアミステリー。ハードボイルドというよりも単なる私立探偵主人公のそれ、ないし007をはじめとする荒唐無稽スパイストーリーに近い。ふざけた名前のふざけた性格、容姿の登場人物が続々登場し、マッドサイエンティストの手による謎の機械や、国際的秘密組織が作成したという謎の薬が飛び交う。謎のブータン人や奇妙なウィルスまで飛び交い、敵と味方が交錯して、読者を混乱の渦に巻き込んでいく。しっちゃかめっちゃかな内容に堕しかかるところ、を後一歩のところでぎりぎり踏みとどまっている感。
登場するアクセサリーの部分に奇想が大量に突っ込まれているものの、物語の本質というか事件の構造そのものは、(無茶苦茶なりに)理解可能な範囲であること、土佐弁によるボケとツッコミに近いやり取りの中で生まれるユーモアの質はまぁまぁで、嫌らしさがないことあたりで救われているか。

個人的にはこの「ノリ」そのものは好みなのでOKなのだが、真面目なハードボイルドを期待して読み出した人の中には、本書を壁に叩き付ける方がいてもおかしくない。ワタシも普通のミステリ読者にはなかなか勧めにくい……。だが、私はこのシリーズが好きだ。 なので、他の作品を探すとしよう。(しかしどれだ??)


01/07/27
海渡英祐「影の座標」(講談社文庫'80)

伯林― 一八八八年』にて第13回江戸川乱歩賞を受賞した海渡氏の、受賞後第一作が本作。受賞の翌年'68年に講談社より書き下ろし刊行され、翌年の第22回日本推理作家協会賞の候補作品となった。

光和化学でうだつの上がらない社員として、社史の編纂業務に携わっていた稲垣は、急に社長からの呼び出された。社長室には稲垣と親しい雨宮がおり、二人は社長から特別な使命を受ける。社長の娘婿であり、新製品開発の鍵を握る岸田が突如失踪したので、その行方を追えというものだ。単なる失踪では警察の捜査は期待できない。元もとベテラン警察官を父にもち、若い頃から推理の才能に優れていた雨宮に白羽の矢が立てられ、彼と親しい稲垣がワトソン役として指名されたのだ。早速調査を開始する二人。だが、岸田に失踪する理由や徴候は全く見えなかった。会社を飛び出した社長の養子や、会社設立の大物の息子で、会社の金を使い込んだ男など、光和化学に対して怨みを持ちそうな人間をピックアップし地道に調べていたところ、岸田の部下で、失踪する直前に最後に一緒だった小林の金遣いの荒さが目に入った。彼の自宅アパートを訪問した二人の前には、小林の絞殺死体が。社長や彼らに対して手紙で挑発を繰り返す犯人と思しき謎の人物を一歩一歩追いつめる雨宮たちだったが……。

単なる産業推理と思いきや、実は本格推理の傑作
海渡英祐氏は元もとスパイスリラー畑出身。その予備知識さえもが、トリックの一部を形成しているように思える。出だしこそは、社の新製品の鍵を握る重要人物が失踪、産業スパイがらみのトラブルを予感させる。ここで登場するのは、名探偵型の人物、名字とドルリー・レーンが引っ掛けられた「レーン」と呼ばれる雨宮。彼の補佐役として抜擢された稲垣は、本書の記述者であり自ら鈍重なワトソンを自称している。彼らが、ホームズ探偵譚よろしく二人でペアを組んで事件の謎に挑む形式
ただ事件そのものは現在進行形であり、関係者が彼らと重なることもあってサスペンスの様相も漂う。 失踪事件に続き、産業スパイの容疑が濃くなった社員が殺害される。特に圧巻は社長の娘が気を失わされ、車に縛り付けられた状態で弛めの縄が首にかけられ、その縄の一端が彼女の婚約者のバンパーに結びつけられているシーン。間一髪で彼女は助かるのだが、仮に実行された時の状況や、犯人が持つ強烈な悪意を想像すると背筋が寒くなる。
大それた密室や、アリバイの壁に守られた明らかな犯人などは登場しない純粋なWHO DONE IT? 犯罪に至る動機、怪文書の意味、アリバイなどを複雑に絡み合った事件を「レーン」は細やかな伏線を拾いつつ解きほぐし、関係者を現場に集めて「謎解き」を行う。 やや時代がかった探偵小説の王道的方法だが、不思議と違和感がなく、却ってなんとなく嬉しくさえ感じる。当然、名探偵により全てが論理的に落ち着くのだが、ここで残りの頁数がかなり残っているところに、当然読者は違和感を覚えるはず。そしてそれはもちろん……。後は実際に本書で確かめて欲しい。

某所で森英俊さんが傑作として挙げておられたのでずっと読みたかった一作。その期待に背かない本格推理の秀作。 産業スパイ的が発端となる物語だが、その背景の時代性が非常に薄いことも考えれば、歴史に埋もれさせるには惜しい作品かと思う。


01/07/26
若竹七海「依頼人は死んだ」(文藝春秋'00)

'91年の『ぼくのミステリな日常』以来、毎年コンスタントに作品を発表している若竹七海さん。本作は'96年刊行の『プレゼント』に登場したタフな女探偵、葉村晶が再び主人公を務める連作短編集。

若き文化人、松島詩織のボディガードを引き受ける葉村。様々な災厄が詩織を襲うが、犯人たちは互いに無関係、かつ複数存在する? 『濃紺の悪魔』
葉村の友人の婚約者が自殺した。公務員で詩人で、大富豪の跡取り息子だった彼が自殺する理由はないように思えたが 『詩人の死』
葉村の母親の知り合いが娘の起こした傷害事件の調査を依頼。総務部長をいきなりドライバで突き刺したのだという 『たぶん、暑かったから』
画家、森川早順の書誌作りを請け負った葉山。知らず興味を抱く葉山は、彼の画風が変化について疑問に感じる 『鉄格子の女』
フリーの探偵の”ぼく”は一年前クリスマス・イヴに起きた老婆刺殺事件に関する長谷川探偵事務所の調査依頼を久々に請け負った 『アヴェ・マリア』
共通の芸術家の悪友を持った女性から相談を受ける葉村。市役所から卵巣ガンの告知が送付されたが彼女はそもそも受診さえしていない 『依頼人は死んだ』
相沢みのりからの招待で高級リゾートホテルに宿泊する葉村。常連の多いホテルで何も事件が起きないわけなどないと女探偵は警戒 『女探偵の夏休み』
葉村の母親の友人が妙な夢を見るという。十年前に亡くなった彼女の友人が関係あるらしい。果たして自殺なのか事故なのか 『わたしの捜査に手加減はない』
一連の事件の黒幕が動き出した。標的となった葉村は彼からの真相告白の取引に迷いながらも友人の安全を取る 『都合のいい地獄』以上九編。

極めて存在感のある女探偵。ハードボイルド本格ミステリ
デビュー当初から十年が経過、特に近年になって若竹七海さんの作風が確立された感がある。暖かい人情話でさえ終盤の数行で南極の寒さに引きずり込める冷徹なストーリーテラー、そして「悪意」の観察者でかつ演出者。「日常の謎」を演出しているように見えながら、その底にきっちりどろどろした人間の醜い部分、弱い部分を伏線として埋め込んでいる。そういった意味では、現在の若竹さんの作品にマッチしているのが、本作の主人公、葉村晶であろう。
ハードボイルド作品の定義に照らしても遜色ない、自立した精神と独特の美意識を持つ彼女。かえってそれは彼女自身の生活の不器用さへと繋がるが、探偵としてのしぶとさ、しつこさ、ねばり強さにかけてはプラスに働いている。……とここまで書いたが、本書は単純な「女探偵を主人公とするハードボイルドミステリ」に留まらない。なぜなら、一つ一つの作品に「本格ミステリ」のスピリットもちゃんと生きているから。プロットを利用したWHO DONE IT? を中心に登場人物中に、そして読者にきちんと罠を仕掛けている。そのプロットの使い方が大胆で、細やかなテキストの使い方にも気配りが行き届いているため、意外な犯人がそれぞれ生きてくる。ポイントポイントで仕掛けられるテキストのトリックも心憎い。つまり本作はハードボイルドだけでなく、本格ミステリにも充分な比重を置いた、「ハードボイルド本格ミステリ」なのだ。そういう意味で最も印象に残ったのが『女探偵の夏休み』。ネタバレになるので詳しく書けないが、鮮やかに反転するラストシーンが強い衝撃を残す。他、葉村でない探偵が主人公を努める『アヴェ・マリア』も、仕掛けにきっちり騙された。本格指向の読者をもきちんと視野に入れ、幅広い読者に向けた作品作りを指向していることが伺える。
連作短編集としての仕上げにあたる『都合のいい地獄』は、映像化したくなるような緊迫感が良い。ただ、それまでの事件を総括する「まとめ」の一作として、多少「付け加え」の印象が残る。ごちゃごちゃはしていないのだが、黒幕が現実離れした悪魔的存在であったり、地から足が浮き上がっているように思えた。

とはいえ、一つ一つの作品レベルも高く、若竹七海の作風が遺憾なく発揮された近年の佳作。確かに「悪意」はあるが、それと対決する葉村の心意気に意気投合しつつ読めるため、中身ほどに後味が悪くないのがいい。葉村が「悪意」を持つ時、その時は読者は葉村以上に対象人物に対する「悪意」を覚えているはずだし。しかし、この「悪意」こそが実は現代、現実に発生する犯罪を映し出しているようにも同時に感じられる。世知辛い世の中を本書を通じて味わった気分にも。


01/07/25
鮎川哲也「硝子の塔」(光文社文庫'86)

かって光文社文庫にて刊行された二冊目「初期傑作集」。'54年から'61年の間に発表された作品が集められた。一冊目の『時間の檻』に引き続き、選者は当時の宮本和男(つまり現在の北村薫)氏。題名も氏によるオリジナル。

大学医学部の解剖室。煉瓦造りの密室にあたかもこれから発送されんという包装が成されたバラバラ死体が 『赤い密室』
音楽家の妻が殺害された。次々と容疑者が消えていく中、残ったのは主人本人。しかし彼は事件当時中国地方にいたという 『碑文谷事件』
推理作家の私は病身の義兄を見舞うために高原のペンションを訪れる。義兄は遺産を受け取れないようにすると嗤う 『達也が嗤う』
芸術家たちに送りつけられた硫酸ビン、発射済ピストル、ビニール紐。誰かが殺されているのではと関係者は緊張する 『誰の屍体か』
理由無く自殺した同僚の死因を探る業務命令を受け、私は調査を開始。誰が彼に対して殺意を抱いたのかを中心に探ると 『金魚の寝言』
美貌の女性の夫が密室内部で自殺した。女性は保険金を受け取るために探偵に事件を他殺と証明して欲しいと依頼する 『他殺にしてくれ』
陶芸家の女性を恐喝していた男が殺された。彼女は現場の対岸にいたことを認めたが、アリバイの空白はたったの四分間 『暗い河』以上、七編。

傑作短編における鮎川哲也の凄さについて改めて知る
本書収録の短編、特に前半三編については、鮎川ファンでなくとも推理小説ファンにとっては常識ともいえる名作品である。私も何度目かの再読になるのだが、トリックが明らかな状態で読んでも興奮させられる。更に全盛期の鮎川哲也の凄さについてようやくにして思い至った。
『赤い密室』 これは国産密室トリックの傑作として名高い作品で、その密室内部のバラバラ死体という猟奇的雰囲気や、密室構成における発想の転換の凄さそのものに目が行きがちだが、実はその密室構成方法にも精緻なアリバイトリックが仕掛けられていることにも気付きたい。確かに物理トリックの部分も凄い。しかし、それだけではこの空間が密室足り得ない。それを補完というより引き立てているのが、死体のアリバイトリックなのだ。ゆえに味わい深い短編となっているのであろう。
『碑文谷事件』 こちらは現実離れに近い凄まじいアリバイトリックが有名。確かに犯人が果たしてここまでするのか? という疑問も起きよう。しかし、それを離れて純粋な時間的不可能犯罪として設けられた二重三重の壁の高さを思うべきだ。時代的な鉄道の運行状況こそ加味せざるを得ないながら、単純な時刻表を超えた非常にユニークな発想が光る。そして、付け足しのようになっているが、この「動機」に前例もないし、後の模倣もないと思われる超絶した理由が挙げられている。個人的には再読での衝撃は、アリバイ崩しよりも動機が上だった。
『達也が嗤う』 元もと推理作家向けの「犯人当て」として執筆された本作、非常に短い。短いのだが濃い。特に問題編、文章全てが伏線といっていいと思えるほどの濃さを誇りつつ、繊細な筆運びによって読者の注意を逸らす妙味が眩しい。解決編を読んだ後でも、何度も問題編を読み返させるだけの力量。特に二重三重に仕掛けられた叙述トリックの凄まじさは、後の新本格ムーブメントのお手本といっても過言ではなかろう。

他の四作品についても地味ながら「いかにも鮎川哲也!」という渋さを兼ね備えた作品。この世にはさまざまな形のアリバイトリックが存在することを改めて思い知らされる。面白さよりも「巧さ」を感じる作品が揃えられたかな、という印象。

作品も傑作揃いなのは今更繰り返す必要はない。付け加えたいのは本書の宮本解説は書評としても傑作であること。実は創元推理文庫版の『五つの時計』は本書を増補改訂したもので、もちろん新刊書店で購入出来る。しかもそちらにこの「解説」までそのまま収録されている。ということで、わざわざ本書を探す意味合いはコンプリートを目指す人以外はあまりないかもしれない。


01/07/24
山田風太郎「八犬傳(上下)」(角川文庫'88)

角川文庫に山田風太郎が大量に揃っていた最後の最後に刊行された風太郎歴史もの。(背表紙は赤でなく薄黄緑) もちろん原作は曲亭馬琴の『南総里見八犬傳』であるが、「虚の世界」として八犬伝を描き、「実の世界」として執筆している馬琴や周囲の人々を描くなど、趣向を凝らしている。

(八犬傳:虚の世界) 安房の国城主里見義実は、飢饉の隙を衝かれ隣国の安西景連から攻められ落城寸前まで陥っていた。義実は玉砕を覚悟したが、一縷の望みを愛犬、八房に託す。「安西の首を取ってきたら、美姫伏姫をくれてやる」妖犬八房は見事安西の首をもぎ取って帰城、総大将を喪った敵軍は敗走する。伏姫の望みもあり、苦渋する義実をよそに、八房は姫と共に山奥へと去る。姫は心は許しても身体は許さぬという姿勢でいたが、何故か子供を身籠ってしまう。苦しみのあまり自刃した姫の身体から八つの珠が宙に飛び去る。
(曲亭馬琴:実の世界) 八犬傳の冒頭を馬琴は、挿し絵画家の北斎に語って聞かせる。北斎は話には感心しながらも自らは筆を執る気はなく、娘婿の柳川重信に描かせてくれ、という。そんな馬琴亭に大物絵師の山東京伝、京山の親子が訪ねて来るが、馬琴は彼らの依頼をにべもなく断り、毛利の殿様の奥方からの使いをも無下に扱ってしまう。その馬琴は帰ってきた妻から、罵倒され汲々としている。北斎はからからと馬琴を笑う。

風太郎流八犬伝は、いつの間にやら、作者、滝沢馬琴の物語へと変化を遂げる
私にとって「南総里見八犬伝」は、原書でも、薬師丸ひろ子でもなく、幼時から何度も読み返した吉川英治執筆の「八犬伝」が心の底にある。純粋に壮大な伝奇小説として「八犬伝」は充分に面白い。分かりやすい形の勧善懲悪がベースとなっておりながら悪役に不思議な魅力(子供心には分からなかったが)があり、丁丁発止の駆け引きが犬士たちの間でも繰り返される。しかも、作者(馬琴)自ら「女子供が読んでも分かるように」書いている物語ゆえ、極端に深刻な「悪意」にはぶつからず、犬士たちが危地に陥っても脱出出来ることが前提であり、ある意味安心出来る「はらはらどきどき」の物語であった。
その「八犬伝」を、かって風太郎は忍法帖で取り上げた。『忍法八犬伝』がそれ。もちろん、風刺と諧謔、そして著者自らナンセンスと言い切る忍法帖のこと、徹底的に「八犬伝」で遊んでいる。珠を授かった八人の犬士、なんたって彼らを怠け者や遊び人といった堕落した存在に貶めているのだから。彼らが最終的にきちんと忍者として活躍する物語展開の妙が大いに楽しめる怪作である。
一方、本書。オーソドックスな八犬伝の物語が展開する。ただ、その物語は馬琴が考えついたストーリーを第三者に語り聞かせているという設定にしてある。従ってサイドストーリーとして、長年にわたって八犬伝を執筆する馬琴の生活が描かれる。こちら、最初はちと煩わしい。八犬伝は特に序盤の展開が絶妙なため、中断させられると、読書のリズムが狂うように感じられる。ところがこれも作者の計算のうち。八犬伝が盛り上がっている時、馬琴の物語は落ち着いており、八犬伝の盛り上がりが頂点を過ぎてから、馬琴の物語が大きく動き出すのだ。吝嗇で頑固で不器用で貧乏で思いこみの激しい馬琴の悲劇的(そしてある意味喜劇的)な生涯が、徐々にクローズアップされていく。彼の性格が、生活が、世界最初の伝奇長編である「八犬伝」を生み出す大いなるバックグラウンドであったこと。頂点を過ぎた後、八犬伝が物語としての精彩を欠いていく理由……。恵まれない環境にあること、自分自身が他人を傷つけていることを全く自覚しないまま、華やかな物語世界を描く馬琴。盲目になりながら、文盲の嫁の助けを借りてでも物語を作り続ける馬琴の執念は、馬琴自身が気付いていなかった鬱積した欲望の裏返しなのかもしれない。第三者的な視点で描かれる馬琴自身の物語は、八犬伝ほど波瀾万丈ではないが、人間の「生」に対する生々しさでは遙かに勝る。
後半の物語を思い切って端折り、八犬伝と題しつつも馬琴の物語にしてしまう風太郎の手法が抜けて目を引く。歴史を題材としつつも、タダでは終わらない風太郎マジックはここにも健在。

本作は'82年に「朝日新聞」の夕刊に連載後、翌年朝日新聞社から初刊行、更に朝日文庫で文庫化され、角川文庫に再録されたもの。また'98年には廣済堂文庫の「山田風太郎傑作大全」としても刊行されているため、風太郎作品の中でも入手はかなり容易な部類だろう。「八犬伝」を知るも良し、知らぬも良し。とりあえず冒頭何ページか読めば、はまりこむことは請け合い。


01/07/23
泡坂妻夫「黒き舞楽」(扶桑社文庫'01)

『斜光』の題名で刊行された「昭和ミステリ秘宝」の一冊。 『斜光』そのものは既読で評もその時書いており、後の整理の関係もあるため、題名とは違うが収録されたもう一編の長編『黒き舞楽』を便宜的に表題とさせて頂く。

『黒き舞楽』は'90年に白水社より刊行され、'93年に新潮文庫に入り、そのまま絶版となっていた長編。
そして、こちら目的で購入される方もいるのではないだろうか。ボーナス短編として『かげろう飛車』が収録されている。これは日影丈吉、中井英夫らと泡坂氏が刊行した暗号小説(その名の通り、暗号で書かれた小説)『秘文字』にて発表された短編。暗号を読み解けなかった人にとっては、はじめて眼にする短編となる。目の前にあるのに読めなかった――まさに「幻の作品」である。

恋人からの手紙を処分するために正月のどんど焼きを訪れていた小学校教師の胡島奏江は、偶然に照山純と出会い、もう成人を過ぎている教え子たちの近況を聞く。当時から気になる生徒だった銛口繁雄は、郷土人形職人になっており、最初の妻を不幸な形で亡くして別の同級生、三千代と再婚していると聞いた。翌日、奏江は教育委員会勤務で、近く開館する郷土資料館にて使う資料を集める阿尾木晴香から、どんど焼きに持ち込まれた行李の中から人形浄瑠璃の古い人形が出てきたことを知らされる。奏江の恋人だった人形劇団を主宰する真枝も駆け付ける中、行李が開封された。出てきたのは文楽に使われたらしい特殊な操り人形「目岩人形」だった。しばらく後、奏江は純から、銛口繁雄の妻、三千代が心臓麻痺で亡くなったと聞かされる。前妻の時と同様、三千代は病気でありながら入院を拒み続けた挙げ句に亡くなり、またその当夜、繁雄はこれまた前妻の時と同じく別の場所にいたという。そんな繁雄のアリバイ偽証を引き受けた晴香は、しばらくして妊娠、繁雄の三人目の妻となる。

伝統芸能と男女の愛、複雑に絡み合った背景が舞楽のリズムで解きほぐされる
日本の伝統芸能である人形劇、いや文楽といえばいいのだろうか。偶然、由緒のありそうな人形が発見されることから物語が始まる。この人形そのものが、いったいどういう謂われを持つものなのか、歴史的にどのようなものなのか。一緒に発見された古文書や、周辺の情報収集により、不思議な魅力を持った人形成立の謎に迫るパートが一つ。それらしい固有名詞、人形劇の歴史、人形を巡って過去にあった出来事など、伝統芸能の謎が物語の片方の足となっている。
一方、郷土人形を製作する銛口という青年にまつわる謎。二度の結婚で次々と妻が変死、更にその現場に常に彼はいなかったことから不穏な噂が広がる。彼は現代版青髯なのか? そんな彼が三人目の妻を貰うことになるが、彼女も元気だったのが段々前の女性二人と同様に身体を弱らせていく。銛口が彼女たちの死に関与しているのか、不安にさせられるパートもう一つの足
そんな両足に支えられたミステリ。特に銛口青年が心の奥底に抱えた「あること」が、大きな鍵となって物語をミステリたらしめているのだが、その「あること」と人形との関わりが激しくも美しい。「人形の謎」での奇術と歴史と人の情念が絡み合った真相、銛口青年の幼年期からの経験と激しい愛情とそれに応える女性たちが絡み合った真相。どちらも一筋縄ではいかない味わいを持つ。 まさに泡坂さんの流儀。
但し、お子さま向けではないことも一言付け加えておきたい。

『斜光』『黒き舞楽』のどちらかでも未読の方は、間違いなく「買い」でしょう。そしてどちらかしか読んでなくても「買い」。『かげろう飛車』に加えて日下三蔵さんによる著作リストもついています。これだけのボリュームを新刊で買って700円台という価格設定も良心的。


01/07/22
倉知 淳「壺中の天国」(角川書店'00)

副題は「家庭諧謔探偵小説」。寡作で知られる倉知氏が書き下ろし刊行した作品で「2001本格ミステリベスト10」で堂々第三位を獲得。更に2001年初めて開催された、本格ミステリ作家クラブ会員互選による第一回目の「本格ミステリ大賞」を受賞。 名実共に話題作となった。

北関東に位置する人口数十万人のベッドタウン、稲岡市。「送電線鉄塔建設反対集会」など、小さな問題はあってもどこにでもある平和な町だ。牧村知子はその稲岡市の実家で父親の嘉臣と、十歳になる娘の実帆との三人で暮らす一主婦。仕事はクリーニングの配達のパート。事情があって娘の父親はいないが、彼女自身、盆栽を趣味として仲良く平凡な生活を送っている。その稲岡市で通り魔連続殺人事件が発生した。事件のたびに犯人が書いたと思われる怪文書が出回るが、支離滅裂で常人に理解出来る内容ではない。稲岡市でも自衛すべし、という気運が持ち上がるが被害者が女子高生、家事手伝い、主婦……と関連性が見えない。そんな折り、かって牧村家に下宿していた水嶋則夫が、新聞記者として事件担当になったことから、牧村家では嘉臣を中心に、いろいろと事件の推理を行う。ただ、知子の周囲でも少しずつ事件の影響が生活に現れ始めた。

確かに独特の傑作小説だけど……ここまで絶賛されるほど「本格」ミステリかな??
個別のピースは抜群にいいのだ。 父親と主人公、娘の三人醸し出す、全てが満たされているわけではないものの暖かい家庭。娘の成長に戸惑う母親の姿もあるが、「サザエさん」の世界から一部メンバーを抜いたかのような日本の平均的家族感覚が物語そのものの基部となる安定感を造っている。他、クリーニング屋の夫妻、朝市だとか、日常風景の積み重ねについては(多少冗長とはいえ)秀逸。一方、連続殺人の被害者となる人物も含め、多くの「おたく」たちも登場する。よく引き合いに出る占い・オカルトや、アニメフィギュア、ラジコンといったところ以外でも、盆栽、投稿、更に健康おたくまで取り上げているのは興味深い。彼らそれぞれのポリシーが、良きにしろ悪きにしろよく出ており、こちらの描写もよく出来ている。もう一つ特筆すべきは、物語内部で語られる「一般常識への挑戦的解釈」。これがユニーク。
例えば「一般常識論」に目からウロコ。血液型占いを頭ごなしに否定されたら、カチンと来る人もいる。電波を信じる人も頭ごなしに否定されたら、やっぱりカチンと来る。血液型にしろ、電波にしろ「科学的裏付けのない根拠のない話」である点は全く同じ。だから、血液型占いを信じるのも電波を信じるのも根っ子は同じ、と。なるほど。
さらに、俗に言う「電波な人」の解釈に目からウロコ。極度な被害妄想が発達した結果、誰かが自分に対して危害を加えていると信じ込む→ 注意深く調べても直接には何もされていない → ならば目に見えないもので危害が加えられているに違いない → 目に見えなくて身体に害のあるものが凶器 → 即ち「電波」。なるほど。

……とまぁ、部分で感心するところが多数ある。この長い物語を重苦しくさせない全体を覆うユーモアも、今までの倉知作品で培われてきた良い方の感覚が受け継がれており、既存作品のファンの方なら素直に受け入れられるものだろう。

問題はミステリの部分。(以下、ネタバレにつき反転)
 確かに「非常に意外な伏線」が様々なところに散らされ、犯人の動機などサプライズ以外の何ものでもないと思う。しかし、いくら犯人が電波な人とはいえ、このミッシングリンクはお粗末ではないか? 自分の目の前で「受信」「傍受」「交信」を唱えたというだけで、殺してしまう狂気は許そう。伏線も敷いてあり、アンフェアだとは思わない。しかし、いくら犯人の行動範囲が狭くても、他にも「彼から見て目に付く電波受信中の人」はもっと町中にいくらでもいるだろうに、なんでわざわざこんな特殊な状況の人だけを狙ったのか。携帯電話で通話している人はいいのか? 衛星放送の受信アンテナは気にならないのか? 「受信料〜」NHKの集金人は来ないのか? 平凡な日常が緻密に書き込まれている以上、稲岡市には我々の一般世界の風景を重ねてしまうことは避けられまい。そんな中、いくら電波で、一応の伏線が提示されているとはいえ、私の常識の方が引っかかって引っかかって。素直に感心出来なかった。一人ならいいけど、三人もこんな訳の分からない解釈で殺すというのは、やっぱり強引が過ぎる気がしてならない。なので、個人的には良くもまぁここまで強引なリンクを設定したものだ、という単なる感慨に止まってしまう。 ただ、全体を通じてミステリを意識せずに読んだ場合、この程度の瑕疵は充分無視できる程度のハナシ。

ミステリ的サプライズを追求するというよりも、どこにでもある日本の風景を丁寧に描くことで本来の主題「壺中の天」の故事を引き立たせようとした意図の方が大きいように感じる。連続殺人の真相を解き明かすことはあくまで二次的な課題であり、日本の家族関係、人間関係について問いかけが行われているかのよう。人間誰もが「壺中の天国」を持っており、それは家族をおいても大切にしたいと思うもの。同じ人生なら豊かな人生を。どうせなら「壺の中に天国」を。


01/07/21
久生十蘭「昆虫図」(現代教養文庫'76)

この現代教養文庫版の久生十蘭傑作選は五冊あり、初版で揃えると恐ろしく高値がつくのだが、それなりに重刷されており、私の読んだのは'97年の六刷。教養文庫は買い取りなので、大書店しか置いていないのが難。(ネット書店で買えばいいのかな?)

お盆にひなびた旅館に滞在する絵描きは、夜中の散歩で狐が舞を踊るのを目撃、興が乗った彼は一緒になり踊り出す 『生霊』
戦前、アラスカの鮭取り漁船に乗務した男は日系米国人と知り合う。二重国籍の彼は日本と米国どちらを祖国とするか迷っていた 『南部の鼻曲がり』
大正時代、ハムレットの芝居の最中に舞台から転落して重傷を負った男は、意識を取り戻した後もハムレットの世界に生きていた 『ハムレット』
旦那が外遊中の家に絵の鑑賞のために入り浸っていた男。その家の妻が自殺を遂げたことで男は旦那の怨みを買う 『予言』
米国育ちで戦争直前帰国した鶴代はオールドミス。米国時代の友人に誘われ復活祭のパーティ会場である客船に乗り込む 『復活祭』
若い男女の結婚式に臨んだ池田は、戦争中面倒を見ていた柚子を思い出す。戦時中に洗礼を受けて死んだ彼女は幸せを知っていたのか 『春雪』
戦前、巴里で外遊している伊作の元を突如、母の安が訪ねた。不案内な彼女は見知らぬ女性に送られて何とか知り合いと出会う 『野萩』
俳友の冬亭が「鶴鍋」をしようと言いだし、かって彼と別れた女性と関連すると検討付けた冬木は彼について隣の館に入り込む 『西林図』
許されない恋に決着をつけるため、死んだことにして関西に移っていた女性が突如東京へ。その計画を画策した女性は慌てる 『姦』
品行方正で優秀な少年太郎が、女装して花売りに化け泥酔して列車に轢かれかけ進駐軍の機材に火をかけた。その理由とは 『母子像』
大きな屋敷に住む周平を友人たちが引っ張り出そうとする。どうやらこの屋敷を賭博場として使うらしい。周平は密かに闘鶏を見学する 『春の山』
収監中の北川千代は実は真山あさひという女性だった。彼女自身母親が刑務所で産んだ子供だったがなぜそのようなことになったか 『虹の橋』
富豪の笠原と妻の元女優の安芸子。安芸子は女優時代に同棲していた滋野と未だに逢い引きを続けていた。その滋野が交通事故死して 『雪間』
売れない画家の細君が失踪する。彼の家を訪ねる青木は彼の家に大量の蠅が、蝶々がいるのを目撃する 『昆虫図』
国手石亭が田阪の家のあひるをひねって一杯やろうと言う。彼が取ったあひるの腹の中から髪の毛の固まりと翡翠の耳飾が 『水草』
寝たきりの梶井の元を訪れる陶芸家。機関銃で撃たれた細君を自らの窯で焼いた彼は、磁器を白くするのには人骨が良いという 『骨仏』以上、十六編。

普通なら「ことば」で表現し得ない情動の一つ一つが、文章の隙間から滲みだしている……
久生十蘭を一言で表現するなら「文章の魔術師」
再読となる短編がいくつか収録された短編集ながら、隅から隅まで舐めるように読み尽くした。一行一句、片言隻語、とにかく一文字一文字に目を離させない吸引力が十蘭の文章には込められている。 結果的に探偵小説的な結末の意外性を持った作品も目に付くし、人間の、ある期間を切り取った物語だけである作品もある。直接には我々が知り得ることのない戦前、戦中の世界も描かれる。ストーリーとしてだけ、粗筋に直しても興味深い作品がほとんど。しかし、十蘭の凄さはやはりその文章、引いてはそこから読者に伝える強烈なイマジネーションにある。
例えば傑作と名高い『ハムレット』。友人に陥れられて佯狂を演じなければならなくなった男の話。筋書きだけでも奇妙ではある。しかし、実際に物語を読むと「秘密を保ち続ける緊張感」「狂った振りを続けざるを得ない男のプライドと哀しさ、そして諦念」「自らの利益と友情との狭間に揺れる価値観」等々、一つの言葉で語り尽くせない登場人物の気持ちが、切々と読者に伝わってくるのだ。それも微妙な心を繊細に、しかも間接的に表現する十蘭の筆の冴えゆえ。読者が受けた感情が、心の中で増幅され、それはまた物語に戻ってドラマが進行する。進行すれば登場人物に新たな感情がわき起こり、それがまた読者に伝わる……。読者と物語の感情のキャッチボールが繰り返されるにつれ、単なる物語以上にイマジネーションが膨らんでいく。いつの間にか読者は登場人物の「言葉に出来ない」「言葉にならない」感情さえもしっかりと受け止めることになる。これが、十蘭作品の持つ大いなる魅力なのではないか。全ての作品が再読に足る、磨き抜かれた日本語の極意
『昆虫図』『水草』『骨仏』に共通する犯罪者。彼らは沈黙で読者に気持ちを伝えているし、『母子像』の少年は独白することで、大人と自分との気持ちの距離感を現す。趣向も多く、その分読者が得られる感慨も深く、広い。凄いわ、やっぱり。

本書における「探偵小説系」の佳作については、全て創元推理文庫の『日本探偵小説全集 久生十蘭集』に収録されているので、そちらでもどうぞ。ただ、こうして久生の傑作選を読んだ結果、創元の収録作選者である北村薫氏の慧眼を改めて感じてしまう。いやいや、凄いのはもちろん十蘭自身なのだが。