MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/08/20
城戸 禮「俺の拳銃は生きている」(春陽文庫'64)

○○三四郎シリーズが春陽文庫にズラリと並ぶ以前、城戸禮の様々な作品が春陽文庫にて刊行されていた。そんな時代の一冊で、その中でも本書はなかなか珍しいものらしい。もちろん「拳銃」は「ハジキ」と読んでくれ。

銀座にある島津弁護士事務所に勤務するスポーツ万能、容姿端麗で正義感の固まりのような若者、壇竜四郎。芸能人マネージャーが街のダニどもに襲われているのをみて、助けたところ、龍四郎の拳が入ったごろつきがノックダウンしてしまい、逆に警察に捕まってしまう。一夜明け、竜四郎を知る藤堂警部によって釈放されて弁護士事務所に出勤したものの、島津弁護士にきつく叱責され、早朝の事務所の掃除を言いつけられる。女性BGが先を争い竜四郎を手伝いたがるが一切、彼は受け付けない。竜四郎は女嫌いで有名なのだ。柔道の稽古を通じて知り合った米軍基地のマッケンナらと基地で拳銃対決をした竜四郎は、見事な腕前で彼らに勝利するが、お互い給料日前、勝負のカタに消音器付きルーガーを預かることになる。
ファッションモデルの青江三奈が銀座を歩いていたところ、ヌードモデルに転進したかっての知り合い、島蘭子が向かってくることに気付く。その彼女がすれ違いざま三奈にもたれかかってくる。何者かに殺されたのだ。地面に落ちていた拳銃を何気なく拾ってしまった三奈は犯人と誤解され、その場を逃げ出す。彼女が偶然入り込んだのは竜四郎一人残る島津弁護士事務所だった。

壇竜四郎、彼こそは真のミスター・パーフェクト
単純明快な主人公。これほどヒーローらしいヒーローもまずいるだろう。ウルトラマンだって三分間立てば地球を去らねばならず、仮面ライダーだって改造された過去に苦しむなど、どこかしら弱点を抱えているものなのに。主人公、壇竜四郎、万能なのだ。

改めて竜四郎の特徴を列記しよう。「スポーツ万能、ありとあらゆる格闘技に通じ、当然喧嘩では負けたことなし。男前で長身、頭脳明晰、女性はおろか、同性にもモテモテ、有力者の後ろ盾と警察の信頼を持ち、銃の腕前はオリンピック級……」 某クレジット会社のCMのように、ジーコに言わせたいなこの台詞を。「カンペキダ」 

……。

これ以上書くことが何かあろうか。

相手にするのは女性を食い物にし、麻薬を餌に悪党を飼い慣らす極悪人。社会に病毒を垂れ流しながらも、その圧倒的な力と悪賢い知恵で対抗してきた悪党一家。彼らと壇たちが対決する。悪党は弾に当たるが壇には当たらない。悪党は抵抗するが壇には敵わない。とにかく、片っ端からやられていく……というストーリー。単純明快。この単純さが誠に愛すべき面白さに繋がっている。 正義は勝つ! 悪は滅びる!

やはり城戸禮による活劇は味があるなぁ。恐らく一気に何冊も読むとすぐに飽きてしまうような気もするが、逆に時間を空けてなら、何冊でも読めるのではないだろうか。春陽文庫や双葉文庫、青樹社ノベルスと、大規模なリサイクル系の古書店であれば、数冊必ず置いてあり、タイトルを選ばなければ入手も容易。活劇好きならやはりチェックは外せない作家かと思う。


01/08/19
恩田 陸「ライオンハート」(新潮社'00)

『小説新潮』誌に'99年から翌年にかけて五回に分かれて発表された作品がまとめられたもの。ただ作品それぞれの主題が一貫しており、あたかも一つの長編と感じられる。

1978年。ロンドン大学法学部名誉教授のエドワード・ネイサンが失踪してから二週間。同僚が管理人と共にネイサンの部屋に入る。一角獣のレリーフのある奇妙な鍵で開けられた部屋には人間の気配こそ濃厚だったが、本人はいなかった。椅子の陰に落ちていたハンカチーフには「from E. to E. with love」の縫い取り。机の上におかれた紋章付き便箋には一言「LIONHEART」と記されていた……。
これは、エリザベスとエドワードという二人の男女の時を超え、世代を超え、個体を超えて永遠に続くラブストーリーにおける、ほんの一瞬の出来事に過ぎなかった。しかし、その物語そのものさえも当人たちはおろか、神様以外に誰にも全容を把握することの出来ない哀しい定めに支配されていた……
ヨーロッパを舞台に十七世紀から二十世紀にかけ、そしてこれからも続く、エリザベスとエドワードの物語の点描画。大きく四つの中編となっているが、内実はもっと細かく分類出来るかも。『エアハート嬢の到着』『春』『イヴァンチッツェの思い出』『天球のハーモニー』『記憶』

永遠に結ばれることがなく、永遠に結ばれた二人の哀しく美しいラブファンタジー
著者あとがきや、インタビューを過去に目にしていたことから、本書の成立背景については予備知識をもって臨むこととなった。例えばイギリスの歌手、ケイト・ブッシュ(抜けるような高い声をはじめ、広い音域を自由に操る特徴的な声が印象に残る歌姫)のセカンド・アルバムの題名「ライオンハート」が本作の題名の元となったこと、そして恩田さん書きたかったのが「メロドラマ」であること。恩田さんの創造する作品世界で二時間ドラマやお昼の奥様劇場の題材とならないよう「メロドラマ」を成立させるために、敢えて二人の障害として「時」を選んだこと……。
その結果ということでもなかろうが、「メロドラマ」を超えたきちんとした「ラブストーリー」が成立している。(恋愛小説を読み付けない私であってもそう感じる) それなりの時代考証と共に描かれた、欧州の様々な年代は、東洋の外れに住む我々にとっては現実感の薄い世界。服装から考え方まで「時代」を強く打ち出すことでそれだけで大人のファンタジーとしての高いハードルをクリアしている。そして、その「時代」を背景に繰り広げられる一瞬の逢瀬。求め合いながらもすれ違い、一瞬の幸福だけを糧に生きる人生。 その高貴な精神的恋愛は、ピュアであればあるほどその輝きは増し、感動を高める。そして後に引く爽やかさが感じられる。 男性である私でさえそう思えるのだから、恐らく大人の女性ならばもっとツボに嵌る確率は高いだろう。
章毎に登場する「絵」がまた良いアクセントになっている。その「絵」と物語を繋げることで想像力を更に高めさせるあたり、恩田さんの「巧さ」も光る。

ミステリを期待して手に取られる方にとっては肩すかしだろうが、最早恩田陸はその括りで活動が捉えられる作家ではない。かえって無心に恩田世界を楽しみたい方にとっては最上の贈り物となろう。古い少女漫画の持つノスタルジーや、乙女心を刺激する(……だろうと思う。多分)大人のためのファンタジー


01/08/18
北森 鴻「親不孝通りディテクティブ」(実業之日本社'01)

自身、調理師免許を持つ北森氏には、食事を供する店や料理を主題とする短編集が多くある。第52回の推理作家協会賞を受賞した『花の下にて春死なむ』などその最たる作品となるが、本書もその底流では傾向として繋がる短編集である。

博多の長浜でおでんとラーメン、そしてカクテルを出す屋台を引くテッキ。彼と同級生で華岡結婚相談所の調査員のキュータ。彼らのもとに持ち込まれる事件を二人は脚と頭を使って解き明かす。
結婚相談所で出会った二人が死体となって発見された。発見者はキュータ。出会ったばかりの二人が無理心中を図った理由とは 『セヴンス・ヘヴン』
通称「歌姫」と呼ばれる女性から、失踪人探しを請け負ったテッキ。彼女はどうやらヤクザ絡みのトラブルで姿を消しているようだ 『地下街のロビンソン』
書き入れ時に二週間も黙って「夏のおでかけ」と称して姿を消すテッキ。彼を探す女性を口説いて下関に赴いたキュータは老婆を世話するテッキを目撃 『夏のおでかけ』
ダイエー優勝の狂騒の夜、テッキとキュータの同級生が屋台を訪れる。しかしこの日、援助交際の元締めの女子高生の死体が長浜で発見されて 『ハードラック・ナイト』
屋台の永久欠番カクテル「雪国」。かってこれを愛飲していたヒデさんは、連続放火事件の容疑者として逮捕され、不起訴処分の後すぐに殺されたのだ 『親不孝通りディテクティブ』
テッキとキュータが高校時代に潰した天才型の悪人米倉が博多の街に戻ってきた。瀬川と名前を変えた彼の動きを探るべく彼らは動いた 『センチメンタル・ドライバー』以上、六編。

本格推理は期待しないで。博多ローカルの変格センチメンタルハードボイルドミステリ
北森鴻は本格ミステリ短編の名手。誰がいうともなく、そのような印象が巷に流布されている印象がある。その印象のまま本書を手に取った方は、ちょっと戸惑うのではないか。一見、物語構成が同じように見えても、本質が全く違う短編作品が目の前にあるのだから。
そう、物語構成は従来の北森ミステリ短編によく似ている。何気ない伏線が序盤に張られ、登場人物が動き、終盤に謎解きがなされる。ただ、本作のメインはハードボイルドな二人の主人公、特に彼ら自身の人生にある。二人が別々の人生哲学を持ち、それに従い生きていく物語は、ハードボイルド小説そのもの。短編集でありながら、二人の過去が少しずつ浮かび上がっていく構成も心憎い。またハードボイルドの常識である一人称の語りを取らず、二人の主人公が交互に語り手を引き受けさせている点もちょっとユニークか。また、全編に溢れる博多弁。特にキュータのそれは強烈で、彼自身の個性となっているのだが、三人目の主人公ともいえる「博多の街」を鮮やかに浮かび上がらせる一助ともなっている。また、悪徳警察官や、ライブハウスの「歌姫」、二人の恩師「オフクロ」など脇を固める人々の個性も際立っており、物語の進行を手伝うと同時に主人公二人の人生のシルエットを浮かび上がらせる役目をも果たしている点、興味深い。
確かにいくつか伏線があって、それらから「謎」の回答が引き出される。しかしそれらには、どうも従来の北森作品でいうところの本格ミステリらしさが見えない。論理的最終帰結というより、想像の翼を拡げた結果という印象を受けるのだ。この点、ハードボイルドのキレを重視した結果と個人的には解釈している。
また、冒頭の紹介では「食べ物」と書いたが、本書におけるそれは、物語の「色を揃える」ために使用されている印象が強い。確かに屋台で出される極上のカクテルという設定はなかなかに魅力的。しかし、そのカクテルがユニークになればなるほど、紙上におけるその味わいは想像し難いものとなっていき、従来作品のような思わず唾が口の中に湧くイメージとは遠くなってしまう。

男のセンチメンタリズムは、荒削りで切なく、特に望郷と友情とが溢れる手紙で締めくくられるラストには胸が熱くなった。「北森氏が新機軸のミステリ作品に挑戦した」というつもりで読むべき作品。 うーむ。カクテルは極端な話、日本中どこでも飲めるけれど、長浜のラーメンが食べたくなった。


01/08/17
鯨統一郎「なみだ研究所へようこそ!」(祥伝社ノン・ノベル'01)

。歴史や史実などの常識に新たな光を投げかける独特な作風を持つ鯨氏。「サイコセラピスト探偵 波田煌子」という副題通り、多少従来とは雰囲気を変えメンタル・クリニックが舞台。「小説NON」誌に'99年から'01年にかけて掲載された作品をまとめた、氏の六冊目となる連作短編集。

港区六本木にあるメンタル・クリニック「なみだ研究所」。所長の波田煌子は数々の業績を持つ伝説のセラピストだが、実は無免許。恩師の紹介で派遣されてきた新米臨床試験士、松本清は煌子のボケぶりと知識の無さに愕然とするが、美人会計士小野寺さんの魅力もあり、クライエントに向かい合う。煌子の不思議なカウンセリングとは?
トラやキジやネズミなど、様々な動物の幻覚を見るという男 『アニマル色の涙』
六十過ぎの妻にいきなりパンツを脱がされる旦那。妻は果たして色情狂なのか 『ニンフォマニアの涙』
何か人形があると勝手に口が閉じ、全て腹話術で会話をしてしまう男 『憑依する男の涙』
他人の時計を勝手に捨てるなど、時計に対して恐怖を覚えるという少年 『時計恐怖症の涙』
メンタルクリニックを訪れていることも含めて全て夢だと主張する女性 『夢うつつの涙』
ざぶとんが怖いという男は吊革やゴキブリにも恐怖を覚えはじめたという 『ざぶとん恐怖症の涙』
松本の中学時代の恩師は、人が失敗するのをみると思わず盛大な拍手をしてしまう 『拍手する教師の涙』
刑事だと名乗る男は、それが「何か」が分からないけれど常に何かを捜しているという 『捜す男の涙』以上、八編。

奇妙なクライエントが抱えた自覚しない問題を、スーパー飛躍した論理が解き明かす
構成としては「月曜日の朝一番のお勉強会」→「奇妙な症状を訴えるクライエント」→「煌子のボケ解釈、いらだつ松本」→「まっとうな解釈から追加治療に走る松本」→「松本の話を聞いて、クライエントの真の姿に気付く煌子」→「意外な原因を解明、治療」→「めでたし、めでたし」のパターン。
この「奇妙な症状」を通じて現代人の心の歪みを告発する! なんて意図は全くない。あくまで奇妙な症状に対して、それを上回る奇妙な解釈をつけて、クライエントを治療する物語。作品内での常識人、松本が考える解釈が一種の読者に対するミスリーディングとなって、真相を悟った煌子の御託宣の余りの凄さに驚かさせることになる。『時計恐怖症』『ざぶとん恐怖症』あたりでこれが華々しく成功している。
だが、ちょっと論理の飛躍が過ぎている点で好みが分かれそうだ。元々の症例を創作しているのが鯨氏自身で、解き明かすのも鯨氏自身という点。つまり従来の鯨氏ミステリの舞台である歴史の新解釈とは別で、ある意味で自作自演になっているのに「無理」が感じられるところ。(そりゃ全てのミステリは自作自演だけどさ) これならば、一連の歴史ものと違って先に飛躍した結論を用意して、それに合わせて奇妙な症例を創り出すことが可能なわけで、それなのに牽強付会のイメージが出てしまうのは問題かと。つまり、もう少しスマートに出来ないかなぁ、と思ってしまうのだ。この飛躍の幅を(謎に対するサプライズ)を大きくしようとし過ぎて、結果的にやりすぎているような。例えばクライエントの中学時代の教師の名前をフルネームで的中させたり、幻覚で見る動物一つ一つに解釈を加えたりというあたり。こういう突飛さを押さえて充分に類推可能な事項だけでまとめた方が、かえって万人受けする作品に仕上がったのではないかと思う。
最終話で明かされる登場人物の秘密や、読み終えた後のほのぼのとしたラストなんかは好みだし、煌子の天然ボケに対する松本のツッコミや、セクシーな小野寺さんにドキドキする松本の姿など、さりげない描写は面白いので余計にミステリ部分に不満が出てしまうのかも。

心に癒しがあるわけでも、蘊蓄が凄いということでもなく、一言でいえばシチュエーションコメディミステリ。飛躍した論理というより不条理に近い推理でも、面白ければそれで良いという心の広い方、ないし真面目に推理なんてしない方向け、か。ちょっと強引さから来るアラが目立つように思うので。


01/08/16
樋口有介「八月の舟」(ハルキ文庫'99)

サントリーミステリー大賞出身の樋口氏は、ミステリであっても自作の中に「青春」を込めるのが巧みな作家である。その青春ミステリー作品の系譜が、近作では徐々にミステリ味が薄れてきており、純粋な青春小説がいくつか発表されている。本書も非ミステリの青春小説で文藝春秋社より'90年に刊行された。本書で初の文庫化。

おそらく1970年代のある夏、北関東の地方都市――十七歳のぼく、こと葉山研介は長い夏休みを迎えていた。ぼくは豪快な性格の母親と二人暮らし。煙草を吸いながら、五年越しの課題、「加藤さんへの手紙」の中身を考えていたものの、やはりその晩もうまく書けない。翌日、ぼくは友人の田中くんの元を訪れる。田中くんの家は工場を経営しており、その指揮は年の離れた彼のお姉さんが行っていた。田中くんはある理由から野球場から持ってきたスピーカーと取っ組み合っていたが、ぼくとドライブに行こうという話になる。出直したぼくは田中くんが家から持ち出して来たワゴンで、途中、田中くんの知り合いのアキ子さんを乗せ、一路赤城山を目指す。途中でビールを買い込んだぼくたちは、大騒ぎをする。帰り道、田中くんは運転を誤って事故を起こしケガをしてしまうが、ぼくは彼女にキスをする。ぼくもちょっと変わったところがあると言われているが、アキ子さんもかなり変わった女の子だった。

何気なく通り過ぎてしまったあの、一度きりしかない季節が何か悔やまれる……
樋口有介の作品を読むのはこれで四作目になるのか。しみじみ思うのは、これほどとらえどころのないものはないと思われるあの一瞬の時期、つまりは「青春」を本当にうまく表現する方だ、ということ。
本書の主人公は高校生だが、初老の男であっても、冴えない中年男性であっても、樋口氏の描く主人公男性からは常に「青春」の不思議な香りが漂う。大人の男性として完成されていない、自分自身の表現に対して戸惑いを持ち、女の子の目線を強く意識する。第三者から見ればどうでも良いところにこだわりを持ち、どうでもいいことに夢中になる。そんな男たちが持つ独特の強さと弱さとがミックスされた姿勢を見ていると (私が男性だからかもしれないけれど)どこか、彼らの生き方と、自分自身の過去の経験とを重ね合わせたくなるような気持ちになる……。
前置きが長くなった。本書の主人公、葉山もまた高校生ながらそういった部分を感じさせる男の子。物語は彼が経験する夏の恋物語が中心となって語られるが、それ以外にも友人や親しい肉親の死、親友との喧嘩など、衝撃的な人生経験が短い物語の中に詰め込まれている。それらを通して、どう葉山は生きていくのか。読者は彼に知らず感情を移入させ、彼の行動に一喜一憂する。無器用で格好つけで、固い殻の中に弱い己を隠し持つ……彼の中に自分自身の「こうありたかった青春」が重なってしまうのだ。(自分でちょっと恥ずかしい言葉を並べている自覚はある、けれども本当にそう思うのだから仕方ない)

ミステリではないので、サプライズが目的ではない。それとは別の「何か」を読み終わった時に感じるはず。この「何か」はそれこそ、読者一人一人がそれまでどのような人生を送って来たかで変わるだろう。自分の経験をもう変えることは出来ないが、その受け取り方を変えてくれる、そんな物語。 夏の暑い日差しの中、外で読みたい一冊。


01/08/15
大下宇陀児「情鬼」(高原社'47)

いろいろと異同版が出版されているのであろうが、大下氏が(恐らく)戦前に執筆したであろう長めの短編『情鬼』『毒』『帆走船殺人』の三編が収録されていた。仙花紙本にて読了。

赤い色をしたもの全てを病的に怖れる長尾新六は、女性に手酷く裏切られた経験から悪の道に入り泥棒を重ねることで財産を形成する。彼は鉄道自殺をしかけた女性をつい救ってしまい、結局彼女を三回目の妻とすることになる。足を洗ってまともな生活を送る新六だが昔の癖がつい顔を出してしまって……。表題作 『情鬼』
子供視点。新しいママちゃんは、大学教授のパパちゃんが不在の時に兄さんを自宅に引っ張って来て密談をしている。ママちゃんはパパちゃんのために、兄さんから薬を受け取っているらしいが、少しずつしかあげないのでパパちゃんは段々弱ってきてしまった……。『毒』
藤岡算子は住んでいるアパートの持ち主の岩井剛介がヨットで出掛けるのを眺めていたところ、同乗していたい別の男が岩井と格闘して、海上に転落して岩井を刺し殺すのを目撃する。犯人はヨットで逃走、殺人事件として捜査が開始された。岩井は前の晩、自分の使用人の芝崎敏郎と口論していたと女中が証言。更に芝崎が前夜から帰宅していないことが突き止められ、容疑者として捜索される……。『帆走船殺人』以上三編収録。

この探偵小説は……現代のミステリへと通じている
『情鬼』、『毒』、『帆走船殺人』の三作品が収められているのだが、前二作と『帆走船』は多少趣きが異なっている。その趣きとは「奇妙な味」と「本格指向のミステリ」との二種類。そして、作品内の時代風俗の描写には、まさに戦前! といったディティールが色濃く出ているものの、根本的なイマジネーションの部分、これはどうにも、今、執筆され、発表されている現代作品の考え方と通じているところがあるのではないか、と強く感じられた。
まず「奇妙な味」。両者とも、読者に容易に想像出来る真相を与えつつ、登場人物がそれを与り知らないことで発生する悲劇を描いている。読者に情報を多数提示して、そのオチが見え見えになりつつも、その通りに行動してしまう登場人物たち。『情鬼』では悪人ながら情を女にかけて失敗続きの男、『毒』では継母を迎えた子供と視点こそ違えど、彼らが行動することによって発生する「過ち」の怖さを見せつけてくる。このブラックな味わいは、絶対に現代でも通用する。時を超えた皮肉、時を超えた人間の過ち。
そして題名が格好いい『帆走船殺人』。とはいっても『ヨット船上の殺人』とかとは異なり、ヨットそのものは序盤にちらりと小道具にて使用されるだけで、犯人不明のWho done it? のミステリ。この当時ならではの変装を小道具として、意外なところから真犯人を登場させてしまう。次々発生する事件と、その事件同士のプロットで全体像が見えてくる構造。探偵小説らしい荒唐無稽さと怪しさはあるものの、これも純粋な本格ミステリとは微妙に異なるが、現代の広義のミステリーの構造に近いものを感じる。

大下宇陀児は本当に大量の作品を残しており、変わった本を見つけて読んでも、同じ短編にほとんど行き当たらないです。本書そのものは好事家だけが楽しむ本ですが、すみません、私はその好事家なもので。


01/08/14
鮎川哲也・芦辺拓(編)「妖異百物語 第二夜」(出版芸術社'97)

鮎川氏のミステリアンソロジーの編纂の中心となる「無名作家」の再評価を「恐怖」そして「怪奇」をテーマに成された作品集。下記のセレクトを見て頂ければ理解頂けると思うが、やっぱり渋い。正編として同題の『妖異百物語 第一夜』がある。

丘美丈二郎『左門谷』  戦時中に伝説ある難所、左門谷を越えて山村を訪問する男は、送迎の馬車にて奇怪な体験をする。
潮寒二『蛆』  蠅視点の物語。金持ちで病気がちの主婦について伊豆の別荘を訪れた母蠅は彼女が夫に殺されるのを目撃。
志摩夏次郎『怪樹』  隠棲した科学者の住む屋敷に突撃取材を試みた新聞記者は、巨大な食肉植物に捕らわれかける。
紗原幻一郎『神になりそこねた男』  ロシアから亡命してきた男はかっての逃亡生活の中でエデンの園に隠れていたことがあるという。
矢野徹『海月状菌汚染』  犬が人間を襲いはじめ、咬まれた人間は白痴化する狂犬病に日本はパニックに。知能の上がった犬たちの狙いは。
松本恵子『子供の日記』  子供の日記形式。お母さんはお金の問題で大森のおばさんにきつく当たられていた。しかし。
田中文雄『キチキチ』  未来世界。脱走した人間そっくりのロボットの記事を読んだ妻は夫がそのロボットではないかと疑い始める。
石川年『マーラ・ワラの唄』  リゾート地で人妻に懸想する青年。暗黒界の大物女性と噂される彼女は人魚のような姿態と美しさを持っていた。
篠鉄夫『魔女の膏薬(ヘクセンザルベ)』  戦時中、ボルネオの部隊を脱走した医師は原住民の部落に飛び込む。ところがオランウータンに攫われてしまい……。
杉山平一『月の出』  病床に付きっきりの少女は身近にある全ての音を遠ざけて、通りの足音に耳を澄ます。
山村正夫『畸形児』  サンドイッチマンにて生計を立てる一寸法師の青年は、突如身体はとにかく自分が、恐ろしい美貌を持っていることに気付く。
山口年子『かぐや變生』  隠棲した大学教授が若妻を娶ったという報せ。学生が竹に囲まれた山荘を訪ねても彼女の姿は見あたらない。
楳図かずお『蠅』  南国の娼家で一人の女性に興味を持ち日本に戻った僕。ある朝、全身が大量の蠅に埋もれている状態で目を覚ます。
田中小実昌『悪夢がおわった』  愛人を作り、病身の妻を苦しめた男。妻の妹と更に浮気、彼女と一緒になるためかっての愛人を捨てて……。
以上、十四編。

まさに「知られざる」「強烈そして華麗な」怪奇小説の群舞
「第一夜」に比べ、プロであっても翻訳者出身など「渋い」系統の作家が取り上げられ(超メジャー、楳図かずおは除く)、マイナー作家になると、ほとんどアマチュアと紙一重の知名度しかない印象。ただ、テキストとして並べられた場合、その知名度は物語が発する煌めきとはなんの関係もないことを、改めて気付かせてくれる。(とはいってもそもそも比較すべき大物があまり本作品集にはいないのだが)
取り上げられている題材的には、「第一夜」の終盤を引き継いだ訳ではなかろうが、全体的に「自然」「動植物」に恐怖的な題材を取った作品が目立つ。その幻想的な美しさを引き出した作品から、どろどろした醜さで覆われている作品まで、その処理方法は様々。ただ、その触れ幅が(ワタシごときの読書量でいうのはおこがましいながら)かなり極端に大きいように感じた。
屍肉に群がる一匹の蠅の視点(視点だけでなく考え方まで蠅)で、一つの殺人事件の様子を描いた『蛆』が発する腐臭を伴うかのような強烈な描写や、秘境もの探偵小説のような冒頭から、いつの間にやら動物と人間の交配、更に本能の赴くままの性交譚へと変化する『魔女の膏薬』の合理性と非合理性の葛藤、さすが楳図氏、と手を打ちたくなるような悪趣味な映像美――楳図氏が執筆したらこんな感じ――というのが頭に強制的に描かれる『蠅』等々。肉体的生理的嫌悪を催す物語はこれらが頂点。一方の美しさは、人魚伝説を挿話として挟み込みつつ主物語を進める『マーラ・ワラの唄』、神様を主題にした幻想的小説『神になりそこねた男』等々、想像力の極限を目指したかのような作品が発揮する。他の作品にも正統派「奇妙な味」の探偵小説短編から、SF、パニック小説に至るまで、ジャンルの違いを超えて、人々の琴線に触れる(その琴線がどこかは人により異なるだろうが)作品群が次から次へと登場する。
作品の成立年代が古いせいもあろうが、現代読者にとっては多少取っつきにくい文体が多いように思う。ただ、その点を割り引いたとしても「凄い作品」揃いであることは間違いない。

「ふしぎ文学館」さまさま。鮎川、芦辺両名の名前を冠しても他の出版社ではなかなかこの内容では企画は通るまい。「本来は読めるはずのないテキスト」がこのように現代読者が簡単に読むことが出来る「ふしぎ」。これぞ読書の一期一会だろう。本書に取り上げられたテキストが再び別の形で取り上げられることは、まず100%ないだろうから。興味のある向きは入手出来るうちに入手することを強くオススメしておく。


01/08/13
樹下太郎「愛する人」(東都書房'61)

不眠都市』でも書いたが、'58年デビューの樹下氏がたった3年間で18冊もの単行本を出版した'60年から'62年の間に堂堂と位置する短編集。1960年に樹下氏が発表した作品のうち、題名をイメージした作品を氏が自らセレクトしたという。

同僚と海水浴に出かけたまま吉野は夜になっても戻って来なかった。五日後引き上げられた水死体を妻は夫だと断定したが、吉野と情を通じていた飲み屋の女性は彼が生きていると信じる 『黄昏よとまれ』
戦争の焼け跡で寝ぐらを探していた少年は、十歳年上の女性と出会う。引き合うように愛し合った彼らの元に男が帰ってきて暴力。少年は男を殺してしまう 『真夏の女』
愛していた男に裏切られ自殺するために千葉の海岸に一人やってきた女性。彼女と出会った男は脱獄囚。彼は瀕死の彼女をなぜか助けてしまう 『孤独な脱走者』
かって疎開していた東京の外れの花火大会を訪れていた高杉は街外れで女性が襲われているのを目撃する。彼女は中学時代の同級生。高杉は男の頸を思わず後ろから締め上げていた 『雪空に花火を』
連れ込み宿で発生した売春婦殺人事件。パトロンとの情事で隣室にいた亜由子は犯人の男を目撃していた。後日、デパートで亜由子は犯人から声をかけられる 『残暑』
自分以外の男性の死を追って恋人が唐突な飛び降り自殺をしたという。不審を抱いた男は、彼女の会社の社長秘書に近づいてその事件の裏の事情を探る 『日付のない遺書』以上、六編。

確かにミステリ、でも謎よりも立ちのぼる叙情の方が大幅に強いミステリ
樹下太郎という作家について語る時、「ある時期からミステリを離れ、徐々にサラリーマン小説へ執筆の重点が移った」……という修辞が必ず付される。ただ、そのことを裏に返せば、やはり樹下氏はサラリーマンをはじめとする勤労者やその周辺にいる人々への優しい心を描くことが、非常に巧みだったということの証明でもある。
本作は一応ミステリの短編集であるが、その樹下氏の「社会的弱者に向ける視線」が作品それぞれに様々な形で結実した作品が並んでいる。社会から抑圧とまではいかないまでも、非力で自らの力では人生を動かし得ない人々が主人公となり、その社会との折り合いが付かなかったことにより犯罪に至る過程が描かれる。そしてあまりに小市民的な彼らは、追求を受ける前に逃げ出してしまう……。(ある意味、ここで官憲に対して正々堂々と対決を目指す犯人だと本格ミステリ足りうるのだが) あまりにも淡淡と彼ら、彼女らの心情を描く樹下氏の筆致からは、社会告発や階級闘争といった生臭さは感じられない。小市民に許された「人を愛すること」をベースに、ちょっとした誤解やすれ違いから生まれる事件、その結末はハッピーエンドというよりもの悲しいものが多数を占める。そういう意味では決して優しくないのだが……、不思議と作品集全体からは「優しさ」が感じられるのだ。当時のミステリではあまり取り上げられない、ごく普通の市井の人々に常に目配りをしていることが分かるからか。
収録された全ての作品にて「殺人事件」が描かれる。最初からそう分かるものもあれば、失踪が絡んでいるものもある。事件それぞれにちょっとした謎やオチがあるので、一応はミステリに分類されるだろう。しかし、例えば『雪空に花火を』『黄昏よとまれ』『真夏の女』といった題名からも感じられるように、謎そのものより、作品から感じられる叙情性の方に強い印象を受けるのだ。そしてこの気分、決して悪くない。

『孤独な脱走者』『雪空に花火を』『日付のない遺書』の三編は、後に文庫化された『散歩する霊柩車』に収録されており、同じ絶版でも多少はそちらの方が入手しやすいか。「樹下太郎の叙情ミステリ」 樹下作品をそこそこ読んで来たが、氏の真骨頂はやはりここにある。


01/08/12
多岐川恭「氷柱」(創元推理文庫'01)

'56年に河出書房が企画した『探偵小説名作全集』の別巻を書き下ろし募集した時に佳作が二編残った。一編が仁木悦子による後の乱歩賞作品『猫は知っていた』もう一つが本作である。河出書房が倒産した関係で全集入りはならなかったが、後の河出書房新社が本書を刊行するに至った。後の乱歩賞、直木賞作家、多岐川恭のデビュー長編で、第39回直木賞候補にも選ばれた。

どこにでもあるような小都市、雁立市。親から受け継いだ遺産で購入した広大な敷地に家を構え、働きもせず日々を過ごす風変わりな男。彼はなにものに対しても情熱をもたない性格から”氷柱”とあだ名されていた。彼は日課の散歩の途中、自動車にはねられた少女の死体を発見する。その場では特に通報もせず、自宅の女中に語って聞かせたところ、警察へ通報すべきだというので簡単な電話をし、名乗らずに切る。翌朝の新聞で犯人が捕まっていないことを知った”氷柱”は、警察へ出向いて事故の推定時間やその間に通り過ぎた自動車の目撃証言について報告する。そのうち最も容疑の濃い一台は雁立市の土建業の大物、南川一族の所有する車だったが、運転手にはアリバイがあるという。”氷柱”は、南川の屋敷に赴き、自らの推理を若主人に語って聞かせ、彼に自首を勧めた。”氷柱”はねられた子供の母親、登喜子を館に招じ入れ、彼女の不幸な過去を引き起こした三人の悪人らに独自の処罰を加えることを計画する。

主人公”氷柱”の語られない心情が、冷たい物語を暖かくしている
何かと不思議なミステリである。 個々のアイデアだけを取り上げると、実は極端にユニークな発想がベースになっているわけではない。それでいて、全体から発する冷たい輝きは、他に比べるべき作品を思いつかない。ただ、冷たさを別にして輝きという点だけをとれば、ちょっと極端な比喩ながら、同じ'58年に発表された大藪春彦『野獣死すべし』の持つ輝きに近いものを感じる。ちょうど、地平の果てと果てくらい違うのだけれど、その先でどこか繋がっているものがあるというか。一度決めた犯罪行為をやり通す冷徹な神経だとか。背景となる時代と、どこか比して論ずべき事柄なのかもしれない。
さて、本作のポイントは、やはり”氷柱”という男の造型にあるだろう。虚無的で自分自身に夢を持たず、静謐な暮らしのみを求めるストイックな男。彼は目撃した轢き逃げ事件から、なぜか市に巣喰う黒幕三人を独自の処罰を決行するに至る。本人の知性は氷のように冷徹で、また実際の計画も冷静、かつ大胆そのもの。その成功の裏側には基本的に自分自身がどうなろうが構わない、という厭世的な感覚があることは否定しない。しかし、はねられた子供の母親、登喜子と接するうちに、霜降りだった氷柱が底の方から徐々に溶けていっていることにも注目すべきだろう。本人の手記の形式のため、その点については文中では否定され続けている。しかし、生活にそれまでなかった「いたわり」であるとか「慈しみ」という愛情の一歩手前のものが、彼の行動の端端に現れているではないか。本人が知らなくとも、読者は必ずそれを感じ取るはず。だからこそ、ラストシーンの二人の会話や行動に大きな高まりを覚えるのだろう。
一方で、”氷柱”が独自の処罰をした後に、黒幕たちを殺して回る人物が「謎」として描かれている。そのことで作品は単なるクライム・ストーリーを超えたミステリとしての様相を垣間見せる。意外性という意味では大きくはないかもしれないが、個人的にはこの別の犯人の心情や動機に、男の哀しい意地をみた。
時代劇の「必殺シリーズ」がはじまるずっと前に、ある意味同じコンセプトの作品が既に生まれていた。このような見方も出来よう。

現時点での最新版である創元推理文庫にて読了した。多岐川氏後期の作品で世界で最も弱った探偵が登場する名作『おやじに捧げる葬送曲』も弊録されている。多岐川作品の頭としっぽ(厳密には違うけれど)という意味合いで面白いカップリングのお得な構成となので、是非とも手にとって頂きたいもの。


01/08/11
森 博嗣「墜ちていく僕たち」(集英社'01)

2000年から翌年にかけ「小説すばる」誌に掲載された、森氏のやんわりした同一テーマ短編を収録した作品集。少なくともミステリ(ミステリィ)ではない。

食事をたかりに来た大学の先輩のために古いインスタントラーメンを調理した僕は、一口味見をした瞬間に意識が不思議な方向に飛ぶ。そして気付けば、そのラーメンを食べた先輩ともども、僕たちは男から女に変わっていた 『墜ちていく僕たち』
即売会用のやおい漫画を徹夜で描く同人女二人。夜食で古いインスタントラーメンを食べたところ、二人は男になってしまった。が、それがどうした 『舞い上がる俺たち』
私の死体が警察関係者にじろじろと眺められている。なんで私がこうなったかというと三人の男性から同時に愛された私の話をしなければならない 『どうしようもない私たち』
一部の他人の動く姿を写真に収めることに執着する僕は、世間的非常識にならないぎりぎりで趣味を楽しむ。一人の男性を気に入ったのだが彼がいつからか様子が変に 『どうしたの、君たち』
特殊小説家の女性は、崇めたたてまつるバンドのライブに、バンドリーダーのメイクや衣装を真似て出かけた。ライブ終了後、彼が会いたいと言っていると聞いて舞い上がる 『そこはかとなく怪しい人たち』以上、五編。

インスタントラーメン、男←→女、精神の解放。短編集? 詩集!
森博嗣をデビュー当初からずっと読み続けているが、近年、特にその特異な(得意な?)言語感覚が(いや、文章感覚??)が際立ってきているように感じられる。かっては犀川創平に「寒いギャグ」として語らせていたような比喩や例え、そして初めて日本語を学んだ外国人のような「言葉」に対する反応。そういった文章が地の文を彩る比率が高くなってきているように思う。ただ、そのテンションを徹底することによって文章は物語を語りつつ、詩的な度合いを高めて来ている。 本書がまさにそうなのだ。
五編の物語はそれぞれ異なる主人公が登場し、世界は(メタレベルも含めて)微妙にリンクした設定になっている。共通したコンセプトは「古びた袋物のインスタントラーメンを食べたら、性別がひっくり返る」というもの。もちろん、合理的な説明は一切無く、SF……しかも実験小説的な設定に感じられる。 様々な角度から物語は描かれ、それぞれの形式のバリエーションは全て異なっているものの、もう一つ共通しているのは、その当事者たる彼らが全てコミュニケーションに強い指向性を持つこと。つまり他者との関係において、彼らが興味、関心を持つ特定の人物に対してのみ強いコミュニケーションの欲求を持ち、それ以外、不特定多数に対する興味をほとんど感じていないのだ。特異な状況に陥りつつも、「誰か」に見られること、「誰か」に知られることをそれほど恐れず、ひたすらに自分の興味の対象に邁進していく。これは、どこかに必ずいる現代の人間たちの像に当てはまるのではないか……とも思わせられ、こんな奴はいないと言い切れないという微妙な計算の上に成り立っているような気がしてならない。
このギリギリの物語を、森博嗣の言語感覚が包む。私の感覚において、本書はミステリ短編集ともSF連作とも、更にファンタジーとも異なる作品。通して読んだ肌触りは、物語を包んだ詩集のよう。森博嗣はいつの間にやらワン・アンド・オンリーの存在になっているのかもしれない。森博嗣という名前のジャンルの。

いかにも非ミステリィの森作品らしい……という表現が適当なのか分からないが、そういう印象。適度なファンタジーと適度な詩的感覚がミクスチュアされて創られた森ワールド。合う合わないは、まさに読者の好み次第。ただ少なくとも森博嗣の言語感覚が肌に合わない、という方にはちょっとお勧め出来ないかな。