MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/09/30
朝山蜻一「真夜中に唄う島」(扶桑社文庫'01)

朝山氏は'49年「くびられた隠者」を旧『宝石』の懸賞に応募、候補作として掲載されデビュー。特殊なフェティシズムを早くから主題にした作品を中心に発表を続けていた。『真夜中に唄う島』はその精神を大成させた第二長編で'62年に雄山閣出版より刊行された。『蜻斎志異』は'76年より雑誌『幻影城』に一年にわたり連載された幻想小説短編群。朝山氏晩年の作品で、単行本化されるのは本書が初めて。

新宿で女給ミミを輪姦した五人の若者。彼女が彼らに心当たりのない縊死を遂げていたため、彼らは警察に嗅ぎつけられる前に「太陽島」行きを即決、五人の一人、好児の恋人、初枝を伴い六人で東京脱出を図った。島に向かう快速艇の船上、彼らは太陽島の支配者である富士一郎という若者と、その愛人野々宮綾子から話を聞く。女性が百人、男性が五十人ほどが住む太陽島は全ての行動原理が自由。男女ともに素っ裸で生活し、一切働かずとも食住、そして男女の性愛さえ自由という空間だという。恋人がありながら綾子に惚れた好児は、早速綾子に大胆に挑まれる。その好児は船上で何者かに毒殺されたが既に誰も気に掛けるものはなかった。島に到着した五人は早速裸にされ、先住の人々にお目見えを果たす。 『真夜中に唄う島』

  『蜻斎志異』
倉庫番のはずの夫は寝言で自分は実業家だと語る。真偽を確かめるべく妻は慣れない衣装を纏って勇躍赤坂に乗り込むが……。 「凍てつく夜の惨劇」
路上で物売りをしている男は連続殺人犯人だと刑事はいう。だがその全ての殺人に彼は完璧過ぎるほどのアリバイを持っていた。 「ある時計の進み方」
新宿新都心のビルで行われる下着の研究会。かっては沼地だったこの場所に伝わる怪談。一人の男性がメンバーを二人二股にかけた挙げ句……。 「怪談ホストピアズア」
夫を戦争で喪い、天涯孤独となった未亡人。子孫を残せなかった彼女は年を出来るだけ取らないように独自の方法を編み出していた。 「馬王堆に学べ」
大阪の百貨店で見知らぬ女性に店員に間違われた僕は、東京への電車内で再び彼女に出会い一目惚れする。彼女は自分自身のことを明かしたがらない。 「カニ」
新宿ハモニカ横丁の飲み屋の女主人はふとしたことから同郷出身の大学生と知り合い、深い仲に。彼らの別れの時に彼女は必要以上に硬い態度をとる。 「ブラックホール」
新宿の女占い師は、金持ちで自堕落な青年与之介と知り合う。彼女は新興宗教を、与之介はトルコ風呂をそれぞれ経営を開始する。 「与之介一代」
夏の間アルバイトに来ている若者二人。一人が年上の夫人と恋仲になる。彼は身を引くよう占い師の忠告を受けるが遂に別れの日がやってきた。 「去る夏の浜辺」
「黄色いオルフェ」
入院中の男が夜に求める睡眠薬注射。その結果彼は過去に置いてきたはずの人物たちの幻覚を夢の中で見続けることになる。 「幻覚」
新婚初夜を終えた翌日、新婦が置き手紙を残し失踪した。処女を夫に捧げた後にもっと様々な男性を知るために一年間旅がしたいのだという。 「一〇一夜物語」
新宿のデパート地下で働く女性に仄かな恋を抱く中年男性。若い頃の彼には新宿のバーの女主人との熱烈な恋愛の経験があった。「初恋」

先鋭的性感覚の開拓者、朝山蜻一の孤高のスピリッツが満載
『真夜中に唄う島』はミステリであり、風俗小説であり、実験小説であり、恋愛小説であり、寓話である。 そして先の読めない展開が非常に興味深い。 犯罪を犯した若者たちが逃げ込んできたユートピア。思想の自由、行動の自由、食生活の自由、性行為の自由……等々、全ての「自由」が保証された閉鎖世界。単純に「素晴らしい」と思えるが、これは支配者富士一郎の実験農場。裸にされ、属性を取り払われた人々の為す行動、そして際限ない欲望、低下する思考能力など、大筋ではパニック小説の趣きがある。そして個々に挿入されるエピソードでは、特殊な性的嗜好やマイノリティが描かれ、彼らを積極的肯定する一方、欲望に赴くままの単純な性欲を否定するような描き方がなされる。『白昼艶夢』で見せた様々な朝山氏の嗜好(そして指向であり思考であり試行)が、長編の隅々まで行き渡った完成作。連続殺人の謎や、怒涛のラストまでテンポ良く進む。そしてこの作品こそ朝山蜻一そのものであるという実感。発表後四十年が経過した今でもまだ時代の先にある。果たしていつしか時代が追いつくことがあるのだろうか。

『蜻斎志異』は様々な趣向を持つ幻想小説。そして新宿という都市が現在に存在する「新宿」へと変貌・成長する過程を描いた都市小説。 一編一編が全く異なる主人公、シチュエーションで描かれる。そして扱われる主題も男女の愛から、肉体変形嗜好、過去経験の反芻まで様々。現実離れしたラストで終わる作品が目立つが、ベースとしてはしっかりしており、SFやファンタジーというよりも「奇妙な味わいの小説」という感触に近い。ただ、凡百の作品にはない奇想が横溢しており、そのぶっ飛び加減もいい感じ。男を呑み込むブラックホールな女。初夜の翌日から別の男を知る為に失踪する新婦。普通には考えつかない奇抜な設定から、またその上の高みへ。 また解説で杉江松恋氏が指摘しているように、新宿がテーマとなっている作品が多い。二十五年前の新宿なのだが、二十一世紀の現在へ繋がる施設や建物も多く描写されており、毎日新宿を通る身としては却って新鮮な感動を覚える。そうかサブナードってそんな昔からあるのか。、

刊行された時には「今の時代に朝山蜻一の文庫本が出るとは!」とマニアは随喜の涙を流した。(ちなみに『真夜中に唄う島』のかっての単行本は古書価で軽く五桁を付けるという) とはいえ、数十年が経過した今でも内容に先鋭的、扇情的な部分が多くみられ、潔癖な方には許せない作品群である可能性もある。但し、単なる劣情を催すためのエロ作品とは、数段ステージが異なっていることもまた事実。物語の価値に対して許容範囲の広い方には手にとって頂きたい作品集。新鮮な驚きがあること間違いなし。


01/09/29
樹下太郎「休暇の死」(東都ミステリー'62)

「全部新作、全部長篇、全部傑作」というキャッチコピーが端的に示す通り、昭和三十年代の推理小説史を語るのに欠かせない叢書、東都ミステリー。その通巻32として書き下ろされた長編作品。装幀は真鍋博氏。推薦辞を佐野洋が寄せているあたりも(個人的には)面白い。

伊吹は三年前に結婚した愛妻、夏子の奇妙な約束が今年も実行されるのを不機嫌ながら承諾した。結婚を渋っていた夏子は、毎年夏に何日かの「休暇」を貰うことを条件にして彼と結婚したのだった。当時は結婚できるなら、と首を縦に振った伊吹だったが、三回目となると何か訝しいものを感じざるを得ない。浮気は絶対にしていないとは言うものの、行く先を知らせずに出ていく夏子を見送った伊吹は不安を押さえられず飲みに出る。結局この晩、成り行きで会社のオールドミス、那美江と一夜を共にする。その翌朝、伊吹は警官のノックで目を覚ます。夏子らしき女性が自殺しているのが発見されたというのだ。監察医務院に駆け付けた伊吹は妻の持ち物を確認、絶望的な気分で遺体と対面する。が、しかし。よく似てはいるもののその女性は妻ではなかった。彼女が何らかの犯罪に巻き込まれていることを直感した伊吹は自殺を認め、その女性の遺留品の靴を手掛かりに妻の行方を休暇を取って探し始めた。

出だしは最高――中盤にあれあれ? ラストはうーむ。
推薦辞で佐野洋が誉めている通り、樹下作品の主人公の「巻き込まれ方」が巧い! と誉めているのだが、全くもって同感。(もしかすると海外作品あたりに前例があるかもしれないが) 妻の不審な行動、そして自殺、更にそれが妻ではない、という三段構えで、主人公を知らず知らずのうちに事件に巻き込んでいく自然さ、そして深いスリルが良い。強いていえば主人公が妻に執着するほどには描写が足りず、読者に彼女の魅力が伝わらないのが少しばかり残念ではあるが、主人公が事件に立ち向かうための強烈な動機付けについては全く異論がない。
そしてもう一点、この犯罪(背景にあるのが犯罪だということくらいは明かしてよかろう)が発生するに至ったいくつもの動機。これがまた樹下氏らしいようならしくないような突飛さを持っている点もまた興味深い。夏子が年に一度の休暇を取る理由、そして夏子を失踪させた黒幕にあたる人物の真意。事件を通して対立が表面化する二人の「ある価値観」の相克は、もっと深く書き込むことで単なるミステリを超えたテーマに成りうる可能性さえ秘めている。まぁ、実際はそうされなかった訳で、それも残念なのだけれど。
いくつもの優れた点がありながら本作をミステリとして、物語として捉えた時には幾分の不満が残る仕上がりとなっている。まず、主人公の単一視点による変形ハードボイルド調で綴られているため、昭和三十年代的思想を体現したかのような考え方のベースに現代読者が同調し辛い点。これは四十年近く経過してから読まれることをそもそも想定されていないだろうし、仕方ないことではある。ただこの結果、せっかくの謎解きが「お使いミステリ」と化してしまって一歩先の展開が読者に常に丸分かりになってしまうのは頂けない。主人公自身に発想の飛躍がなく、全て着実なためにミステリが急展開する楽しみがない。ページを捲っていくと、はい、謎が解けましたという淡々とした物語。また主人公が好みでもない別の女に肉欲のみでちょっかいを出し、彼の人生を彼自身の手によって複雑にしてしまっている点は、物語における夾雑物だろう。

全体的に「男の哀愁」が漂っているのは事実ながら、他の樹下作品から得られる同種の感慨とは少し隔たりがあるように思う。いずれにせよ本書を手に出来るのはかなりのマニアに限られているだろうし、こんな心配をするのは無用だろうが、樹下作品のとぼけていてかつ深い哀しみのある味とは、ちょっと違うタイプの作品であることは心に留めておいて頂きたい。


01/09/28
稲見一良「ダブルオー・バック」(新潮文庫'92)

'89年、大陸書房より刊行された。最初の肝臓癌に犯された稲見氏が第3回双葉推理賞の佳作第一席になった作品や『小説現代』新人賞の最終候補作品などに手を加え、作品を新たに起こして「生涯に一冊の本を」と念じあげて完成させた最初の作品集。連作短編集の形式を取っている。

ポンプ・アクションの六連発銃、ウィンチェスター・M12。散弾と銃弾を使い分けることの出来る実用派好みのこの銃を手にした男達の四つの物語。
独自のスタイルで射撃大会で抜群の成績を上げる男が一人の女性と出会う。しかし時が経つにつれ男の身体は病魔に蝕まれ、身体に負担のかかる射撃スタイルでは成績が落ちてきてしまう。 第一話『オープン・シーズン』
妻と子を捨てて山の中での生活を選んだ男。中学生になった喘息持ちの息子が春休みを利用してはるばる父を訪ねる。息子は父から山の生活をそして人生における大切なことを教わっていく。 第二話『斧』
空想癖のある陽気なドライブインのマスター。借金を抱えた彼は強面の男に強烈に返済を迫られ窮しているが、女の子を当て逃げした男に対し敵意を燃やし、彼と対決する。 第三話『アーリィタイムス・ドリーム』
山の中で炭焼き猟師として暮らす老人。山の中で老犬と狩をする老人の前に、追われているというスパイの男が現れる。別の国から来た男は老人を脅しつつも、彼らの間に不思議な共感が芽生えていく。 第四話『銃執るものの掟』以上四編に、それぞれの作品を繋ぐ「断章」が加わる。

物言わない一挺の銃が手伝い、見詰める男達のそれぞれの戦いと生きざま
男たちは自分自身の誇りを守るために、生き方を貫くために、戦う。
稲見作品に登場する男たち(つまりは主人公格の男たち)は、必ず人生を戦いにさらす。明確な敵がいる場合もあれば、強大な自然そのものであったり、身体を内側から壊そうとする病気であったり、人生そのものであったり。 対象はそれぞれ異なろうとも、彼らは常にその戦いに立ち向かっている。いや、立ち向かうというよりも、逃げ出さないという姿勢が正しいのか。物語には発端があり展開があり、クライマックスがある。ただ主人公の「逃げ出さないという意志」に関しては常に物語内部にて一貫している。恐怖しても怯えていても無力感に打ちひしがれようとも、彼らは決して逃げ出さない。稲見氏が表現したかったのは強い意志。最初から最後まで作品集全体を貫く。このスピリットをまずは素直に全身で賞賛したい。
また物語構成の工夫にも感心する。四つの作品全てが一挺の銃で繋がっており、作品そのものではなく「断章」にて伝聞形式を使用して前の作品のエピローグと次の作品のプロローグを兼ねてしまっているのが巧い。一編一編の物語をまず壊さない。そして、それぞれの作品世界や語り手などが全く異なるにも関わらず、すんなりと頭の切り換えが出来てしまう。処女作品集とは思えない技巧が全体を包む。
ただ本書、一応はミステリの範疇に入れられるのだろうが、「謎」は極端に少ない。まあ、作品意図がそこにない以上仕方がないことだろう。「逃げ出さない意志」そして「生き様」があくまで主人公を超えた主人公。 「機転」に目を見張り「工夫」に驚くことが出来れば、それで良いのではないだろうか。(しかも伏線が張られていることを喜ぶのはミステリファンだけかな)

闘病しながら執筆したというエピソードつきで本書を語るのは、もしかすると天国の稲見氏にとっては不本意かもしれない。しかし、稲見氏が自分自身の命から削り取って「誰か」に対して遺そうとしたいくつもの「生き様」は、必ず読者の胸に突き刺さることは間違いない。というか、少なくとも男に生まれたなら何かを感じ取れ。 黙って読むこと。 しかしなんで絶版なんだ新潮社。文化の損失だぞ。


01/09/27
小川勝己「眩暈を愛して夢を見よ」(新潮社'01)

小川氏は'00年『葬列』にて第20回横溝正史賞を受賞しデビュー。今年二作目の『彼岸の奴隷』を刊行、本書が三作目にあたる。ノーチェックだったが、どうも一部で本書が話題になっているようなので手にとってみた。

ゲームセンターのアルバイトで糊口をしのぐ無気力青年、”ぼく”こと須山隆治は、かってAV業界に就職していた頃の知り合いの元AV女優、リサから突然の呼び出しを受ける。おっとりと駆け付けたぼくに彼女は、かって一緒に働いていた女優、山下なつみこと、柏木美南を探している、何か知らないか、と訊ねる。柏木美南は、実はぼくの憧れの高校の先輩であり、業界で働くようになってからも時々個人的に会っていた。ただ美南は普通の人と結婚するのだといって姿を消していた。そのフィアンセの蓬田一郎という男が彼女を探しているのだという。ぼくは成り行き上、探偵を引き受ける羽目に陥る。ぼくは倒産してしまったかっての職場の伝手を辿り、美南の行方を追い始めるが、彼女の知られざる過去が次々と浮かび上がって来てしまう……。
刑務所を出てきたおれは、あることで頭がいっぱいだった。そう、柏木美南を殺すこと……。
わたしは標的をナイフで突き刺し、池に沈めた。次の標的は金属バットでめった打ちにして殺した……。

記述されない論理で構築される問題作、登場人物と読者は物語の迷宮を彷徨う
いやはや。周到過ぎるほど周到な。

学生時代に憧れていたにも関わらず、AV女優となってしまった先輩女性を追う男。人捜しにしては動機が弱いとか、人物描写が甘いとか、関係者の登場があまりに御都合主義だとか、最初はいくつもの引っかかりが目に入るのだけれど、展開のテンポが良くてすぐにそのことを忘れてしまう。序盤から中盤にかけての「柏木美南」という登場人物に対する徹底的なまでの造形の凄まじさに、まず目を見張る。柔道部に無理矢理入部させられ失意の生活にあった須山を優しく見守ってくれた先輩というのが最初の姿。須山にとっての天使。憧れの君。しかし彼が調べれば調べるほどに彼女の秘密の過去が浮かび上がる。AV業界にて再会した衝撃、AVなのに本気の演技を指向していたこと。人からの注目に飢えていたこと。劇団に入り孤立していたこと。人との距離を図れないあまりに、誰にでも身体を許していたこと……。深夜番組出演により、彼女が背負った悲惨な体験。そして童謡「どんぐりころころ」に見立てられた連続殺人事件は彼女の仕業としか思えない……。第一部を引っ張るのは間違いなく「柏木美南」という人物、そしてそれを追う人々。

ただ、一旦探偵役が犯人を指摘、そしてクライマックスを迎える……。実はここからの方が、本書の「キモ」になってくる。(以下、ネタバレ部分反転) 前半部終了以降、そのパートが作中作も含め何者かが記したテキストである、という前提で物語が続く。その真実は当然、それまでの文章の中に手掛かりが存在するという点は通常のミステリと同じ。ただ、真相を読み解く鍵は、書かれていた内容よりも書かれていない内容、ないし書かれているけれど不十分、不自然な記述による内容によって構成されている点に注目したい。(実は第一部の探偵役の推理も同様なのだが) 登場人物の行動の隙間や時間的な齟齬など、冒頭で読者が気にするような「引っかかり」も全て形を変え、ヒントとなって後半部で利用される。つまり、前半の普通のミステリ形式を捨て去り、後半は、第一部のテキストにおいて、記されていない内容を第三者が読み解くメタミステリへと変貌してしまうのだ。この結果、物語はどうしても自己増殖を始めたかのような錯覚感に覆われる。これは後半部に延々と繰り返される問答がどうもすっきりとしない――「彼らの問答のうち、どれが真実なのか?」――理由でもある。否定に続く否定。一冊の本で語られる情報よりも語られない情報の方が多いのは当たり前だから。この変則基準のミステリによって支配された物語は、最終的に「作者が記すこと、つまり物語上の絶対的真実」によって強引な結末をつけられなければ終焉を許されない。そしてその部分にあたる最後の二ページ。登場人物を突き放すような「絶対的真実」(と私は解釈する)が、あまりにブラックで鮮烈なため、物語は闇の中へと消失するような眩瞑感と共に幕を閉じる。

……とまぁ、ややこしいことを書いてはみたが、健康な成人男性が常々お世話になるAV界の内幕をちらりと覗かせて好奇心を引っ張ったり、それさえもトリックの一部として貪欲に消化していたりと、エンターテインメント小説としてのリアリティとツボはきちんと押さえられていると思う。自己満足に終わらない、現代の歪んだ現実を舞台にした脳髄の地獄。 正史賞作家の三作目。あまりまだミステリファンは騒いでいないようだが、少なくとも今年の問題作であることは間違いなかろう。


01/09/26
梶 龍雄「毛皮コートの死体 ストリッパー探偵物語」(中公文庫'85)

第23回江戸川乱歩賞を『透明な季節』にて受賞し、本格的な作家活動に入った梶氏は、ある時期推理作家協会賞の候補の常連であった。残念ながら受賞はならなかったが、本書に収録されている『アパッシュの女』は'83年の第36回の同賞、そして翌年第37回の同賞に表題作『毛皮コートの死体』が、短編及び連作短編集部門に候補作としてノミネートされた。本作は'82年から'85年にかけ『小説CLUB』『小説推理』『小説宝石』など種々の雑誌に掲載された「チエカもの」をまとめた作品集。

浅草の舞台ストリッパー、チエカ。踊りに熱が入るあまりに肝心観客サービスがおろそかになる彼女は、実は深い教養と強い鼻っ柱を持ち、身の回りで発生した事件に卓越した推理を巡らせることが出来た。年下のペットボーイ正坊や、仲良くなった警察関係者の手助けを得、思いも寄らない真相に彼女が迫る。
ストリッパーの同僚、レイカが睡眠薬で自殺した。謎の人物の指紋がついたグラスから彼女が交際していたエリートサラリーマンの姿が浮かぶが、彼にはアリバイがあるという。 『アパッシュの女』
不良大学生と交際中のソープランド勤務の女性が、マンションの一室で毛皮コートを纏った死体となって発見された。学生らが警察に通報しようとするがマンションの電話は通じない。 『毛皮コートの死体』
下町出身の女優の実家が燃え、彼女の血の繋がらない兄が焼死した。保険金の受取人だった、その女優が疑われるがアリバイは黙秘。チエカはある筋から女優がホテルにいたことを知る。 『アリバイのある女』
熱海のホテルに流れてきたチエカと正坊。マネージャーから回春クラブのアルバイトに誘われたチエカは、骨董屋の老人から、別の老人の持つ金の仏像のすり替えを頼まれる。 『羚羊のような女』
熱海で知り合った若いストリッパーは、チンピラの恋人が出来る。手を切らせようとするチエカの努力も虚しく、チンピラは銃で人を撃ち、銃を恋人に預けて雲隠れする。 『拳銃と少女』
熱海の街で、浅草時代の知り合いの女性と出会うチエカ。彼女は新婚旅行のつもりだったが、相手は女癖の悪い瘤つきの漫才師。そして彼女は自動車事故に見せかけられて殺されてしまう。 『熱海に来た女』以上、六編。

本格ミステリの骨格に、ストリッパーの衣をまとって……って裸やん!
もしかしたら元もとのスタンスを官能小説に置いている作家の作品の中には、本書より先にストリッパーを探偵にしているものがあるかもしれない。ただ、私の狭い知識の範囲内では、梶氏以外では都筑道夫氏がトルコ嬢(後に泡姫)シルビアを探偵としたシリーズを発表している以外、「本格推理」に自分のスタンスをハッキリ置いていた作家で、このような大胆な職業の探偵役を打ち出したケースはあまりないように思う。
殺人事件やその他刑事事件に表裏というのも変な話だが、チエカが扱う事件は世間様からみれば「裏」で発生する事件が中心となる。歓楽産業そのものや、その世界で働く人々が持つどこかうらぶれた、日陰を思わせる世界。表街道を生きていていも、ふとした弾みで裏の世界に顔を突っ込んでしまった人々の事件。これが正々堂々とした「表」の探偵役なれば、この世界に「分け入る」という行動が必要になるのだが、チエカには必要がない。もちろんチエカそのものが既に「裏」に生きているから。 とはいえ、作品集そのもので取り上げられている事件は、それほど強く「裏」を臭わすようなものではない。しかしチエカ自身が「裏」にいるため、どこか普通の(という形容詞が適当かどうかは分からない)事件とは異なる手触りが、それぞれの事件から感じられる。素直に警察に報せられない。真相をそのまま表に出せない。「裏」ゆえの仁義、「裏」ゆえの意地。そんな中で思うがままに、明るく生きようとするチエカの奮闘ぶりが頼もしく、そしてそんな不自由な世界の中でありながら、自分の出来る範囲で精一杯前向きに生きようとするチエカの健気さ、切なさが、作品集全体を覆う暗めになりがちなトーンを中から明るくしている
個々の作品そのものは、梶氏の主張が感じられるトリック中心の物語構造を持っており、単なる風俗小説(ないし風俗ミステリー)に堕ちることをかっちりくい止めている。上記の理由と相まって、それぞれ独特の風情を持った本格推理短編となっている。

本書で主人公を務めるストリッパー探偵・南チエカは『浅草殺人ラプソディ』など、後の作品にも登場する。まだ私は未読だけれども、この「味」は引き続き味わっていきたいと思う。「ストリッパー」という単語に安易に惑わされず、全体の雰囲気と切れ味鋭いミステリとの両方をしっかり楽しみたい作品集。譲ってくれたおーかわくん、ありがとう。


01/09/25
多岐川恭「捕獲された男」(桃源社ポピュラーブックス'78)

この時期に桃源社より大量刊行されていた多岐川恭の短編集の新作では最後に編まれた一作。本書収録作のうち『蝋燭を持つ犬』は鮎川哲也編のアンソロジー『犬のミステリー傑作選』にも収録されている。

学生時代に交際していた女性に策略まで使われて結婚させられた男。たまたま入った喫茶店で出会った女性に自らの思うにならない半生を語る。 『捕獲された男』
心中を決めた若い男女が実行前にどうせ死ぬなら「悪いやつ」を一人づつ殺してしまおうと計画する。自分たちの一生を台無しにした張本人を標的とするのだが。 『ご一緒にどうぞ』
過去に詐欺を共に働き、借金を返さない大関を始末するために、真喜男は共に始めたゴルフを利用出来ないか考える。別の男を巻き込んでゴルフ場殺人の計画を練る。 『イン・プレイ』
孤児の良は、自宅の火事で二階から逃げだし助かるが養ってくれていた叔父は死亡する。良は親しくしていた藍子の家の居候となる。警察は良が崇拝している恋人たちの存在をキャッチする。 『炎と縄梯子』
連れ込み宿のマダムを脅迫して愛人にしている悪徳刑事。良家の主婦が殺害された事件を周囲に嫌われながらも徹底的に追い込んでいく。やはり主人が怪しいと睨むが……。 『酔いどれデカ』
何者かに妻が殺されたため、姉村はかねてから交際していた越子に結婚を申し込む。容疑者だった姉村に対し複雑な感情を抱く越子は、彼の元を訪れる前に花屋に寄る。 『結末の終り』
白梅荘に住む未亡人は、水無瀬のお婆さんと知り合う。珠江という女性と暮らすお婆さんは脚が悪いが身体が大きく、小さな犬と共に暮らしていた。 『蝋燭を持つ犬』
ヤクザの経営するバーのバーテンは一人の女に惚れ込んで彼女を救おうとしたため、組に追われる身となる。一時的に彼女を身を隠した男だったが……。 『鼠の笑い』以上八作品。

桃源社PBの後期作品集。 いや、あの、これ、面白いんですけど……
自分でリストを作成しておいて言うのもなんなのだが、桃源社のポピュラーブックスにおいて連作集を除いても、多岐川恭の短編集は十六冊にものぼる。しかも本書はその最後期に刊行された作品集、となると内容的な期待はしてはいけないもの、と思いこんでいた。だってこれだけ短編集が刊行されていれば、目立った短編が収録され尽くした後の残りカス(失礼ながら)のような作品が集まっていると想像するのが普通。本書を手に取ったのは(これも失礼ながら)多岐川恭の駄作ってどんなもんだろう?、くらいの気持ちだったのが正直なところ。

ところがである。

冒頭の一編がいきなり「奇妙なシチュエーション」もの。交際した女性を捨てようとしたところ逆に絡め取られてしまう男。まさに「捕獲された」という題名が奇妙にマッチし、シチュエーションの面白さだけでなくブラックな味わいのラストでひっくり返すという緻密で奥深い作品。最初から多岐川恭らしい味わいに満ちた作品が登場してくる。続いて二編目も死を覚悟した男女がまず自分の敵を殺そうとして失敗し、続いて交換殺人を目論んで失敗し……、というこちらもシチュエーションの面白さで読ませる作品。当時の若者の行き場のない怒りが感じられ、物語を熱くしている。 三編目では倒叙ミステリのオチをわざと外す『イン・プレイ』のひねくれた遊び心に多岐川らしさが滲み出し、少年少女の淡い愛情と年上の女性への慕情が醸し出す叙情と、本格風のトリックとが一つに融合した『炎と縄梯子』が四編目になる。ここまで一気に読めてしまう。 そして鮎川哲也のお眼鏡にかなった『蝋燭を持つ犬』も傑作。後にも似た例のあるミスリーディングだが、本作は小道具の使い方、特に犬の存在が巧い。
また『鼠の笑い』の突き抜けて虚しいオチ、シチュエーションに引きずられ過ぎているが『結末の終わり』の本格、悪徳刑事の勘が冴え渡る『酔いどれデカ』まで、百点満点に完成した作品といえないものでも、必ずどこかしら見所がある

全体を通じて、とにかく作品のバラエティが豊かで、かつその限られた紙幅の中で「何か」を試みてみよう、という志がひしひしと感じられる。好作品集。 全然期待せずに読み始めただけに嬉しい誤算。私が多岐川ファンであることを差し引いても、かえって現代に改めて読まれる方が受けるのではないか。

いやいや待てよ、この短編集がたまたま当たりだったのか、それとも他の短編集もレベルが高いのか。多岐川恭のポピュラーブックスを完集するのには、これからもなが〜い時間がかかりそうだし、それまで手もとの他の作品集を読んで考えることとしよう。うむ。


01/09/24
樋口有介「誰もわたしを愛さない」(講談社'97)

サントリーミステリー大賞出身の樋口氏は軽いタッチのハードボイルド作品が持ち味。本書は'90年に『彼女はたぶん魔法を使う』にて登場した、フリーライター柚木草平を主人公とするシリーズの第四作目にあたる。(ちなみに私は二作目『初恋よ、さよならのキスをしよう』は既読だが、三作目の『探偵は今夜も憂鬱』は現段階未読) 本書は小説現代増刊『メフィスト』誌上に'96年に三度に分けて掲載され、大幅に加筆修正された作品。

元警察官の柚木草平は38歳の刑事事件専門のフリーライター。離婚した人気コラムニストの妻の知子と11歳になる娘の加奈子とにノーテンキと言われて責められつつも、何故か女性にはよくもてる。そんな柚木が旧知の石田が次長を務める月刊EYESから仕事を請け負う。依頼は女子高生が行きずりの男にラブホテル内で殺されたというものだった。石田に代わる新人編集者の小高直海に叱咤され、柚木は二日酔いの頭を抱えて関係者の元を廻る。被害者は宮内理砂という名で、現場のラブホテルのカウンターの目撃によれば、痩せた若者が一緒だったという。警察にいる柚木と情を交わす人妻や、同じく警察の定年間際の刑事らから情報を取り、周辺の関係者に理砂の様子を柚木は尋ねて廻る。理砂の友人らは売春を当然のように行っていたが、ボーイフレンドの話によれば、彼女自身はどうやら一線を誰にも越えさせていなかったようだ。柚木の勘は、この事件は行きずりではなく、何らかの計画的な犯罪の匂いを嗅ぎ取っていた。だがその後、他の関係者を当たってみてもどうもそれらしき人物の姿は一向に浮かんでこない。

「現代」という時代を自由に生きる「不良中年」柚木草平が読者に与える夢――
以前に樋口作品を読んだ時の評にこう書いた。「大学生くらいで読んでいたら嵌っていたかも」 しかしそれから三年が経過し、年を取らない柚木に年を取る自分が近づいて来たせいなのか、作品を噛みしめると滲み出るような味わいがあることに気付いた。じわじわと身体を締め付けてくるような様々な感情。そりゃもちろん大学生でも、たとえ高校生でも確かに作品の魅力には引き込まれるだろう。しかし本質的に本作は、日々の生活に追われ、否応なく童心や遊び心を喪いつつある「大人の男性」のためのファンタジーなのではないだろうか。
柚木の人生を達観したかのような気障な台詞。それを包むいわゆる「いい女」たち。(実際はしがらみがあるのだろうが)勤め人にすれば自由気ままにしか見えない生活。独特のこだわりに満ちたライフスタイル。作品内で表現される柚木という存在に、読者は自分自身の夢を仮託する。そりゃ男性たるもの、女性にもてて嬉しくないはずがない。しがらみから逃れ、自由に振る舞いたい。でも、99%の読者にとって彼の生き方を真似することは出来ない。彼から教訓を読みとったり、実人生に役立つことを学ばなくとも、彼の姿を通して夢だけは持ち続けたい。そんな気持ちにする何かが作品の中にある。
またもう一つ強調しておきたいのが、現代を表現する巧みさ。援助交際の女子高生からラブホテルのフロント、AVのスカウトマン等多彩な登場人物、そして街の風景、飲み屋の様子、柚木の部屋から道ばたの雑草といった光景。作者は柚木の視線を通して、彼の感性をもって描くのだが、それに押しつけがましさがない。「自分の時代は違ったが、今はこうなのだ」までは柚木は口にするものの、決して「現在」を彼は批判しない。その結果、不思議と鮮やかに場面が浮かび上がるのだ。このテクニックはもっと評価されてもいいと思う。

ミステリとしては本編、かなり緩い部類に属することは否定しない。事実、犯人は誰かなど柚木の遙か前に読者は嗅ぎつけてしまうだろう。しかし、樋口作品の読者はそんな「謎解きのサプライズ」のみを求めていないはず。柚木と共に時間を過ごすことで得られる、不思議な安らぎがこのシリーズの魅力ではないか


01/09/23
都筑道夫「妖精悪女解剖図」(角川文庫'85)

'74年に同題で刊行された桃源社の「都筑道夫新作コレクション2」がそのまま角川文庫にて再刊行されたもの。ちなみにこの「新作コレクション」、1は『危険冒険大犯罪』として角川文庫入りしているが、3にあたる『哀愁新宿円舞曲』に関してはなぜか文庫化されていない。

新宿で偶然知り合った自称画家で沼江という男を啓子は家に連れ帰る。いつの間にか啓子が彼を養う形で同棲をはじめるが、沼江は時々出かけては金を作って戻ってくる。時が経つに連れ啓子は徐々に沼江の存在が鬱陶しく感じられ始めた。 『霧をつむぐ指』
甲州街道沿いのドライブインタイプの喫茶店を営む男。仕事が軌道に乗りだしたところ、毎朝「悪者」などの落書きが石墨で店に書かれるようになる。心当たりをあたってもそれらしき人物は見あたらない。 『らくがきの根』
東京都下でありながら、人里離れた寂しい住宅地。残業で遅くなるという夫の連絡を隣家で受けた妻は激しい雨の中、孤独に耐えながら彼を待つ。二階にいた彼女は一階の電気が消えていることに気付く。おそるおそる階下に降りた彼女に濡れた手が触れた。 『濡れた恐怖』
目立たないベテランOLに知らない男が声を掛けてきた。入社希望というその男に対し、舞い上がる彼女は会社の内情を教える。その週末、会社の金庫が破られ給料がごっそり盗まれる事件が発生した。 『手袋のうらも手袋』
一週間の出張から戻ったところ、妻が家にいなくなっていた。隣家に預けられていた妻からの手紙は白紙の便せん三枚。そして、心当たりのない消防車のおもちゃの小包が届けられていた。実家にも戻っていないことを確認すると二つ目の小包が到着。最初の小包の差出人宅を訪れた夫は、中で知らない男が刺し殺されているのを目撃する。慌てて逃げ出した男は続いて別の差出人宅を訪れるとそこには先ほどの死体が同じように横たわっていた。 『鏡の中の悪女』以上五編。

ツヅキ流ブラックサスペンス。時々不可能趣味
本書通じての探偵役も存在せず、一つ一つの作品も微妙にコントラストが異なる、いわゆるノンシリーズの作品集。ミステリというよりサスペンスの味わいが強い作品が多い(最後の『鏡の中の悪女』では両者の比率が半々くらいか)。 作品集として、大枠として統一しようとする主題があるのだが、得られる感慨はやはり少しずつ違う。もちろん、その主題とは題名からも類推される通り「女性の持つ怖さ」である。読んだ感じでは、都筑氏が男性だからだろうか、同性としての女性よりも、男性というフィルターを通じてみた女性の怖さといった印象を受ける。別に性差別をするつもりはないのだが、都筑氏の描く女性像においては表面に見えない「底意地の悪さ」のようなものがある。物語中ないし物語後の暗示の中でその「底意地の悪さ」が発露され、男性にとっての恐怖を喚起させるものがあるように思う。まあ、恐怖とはいっても、いわゆるSupernaturalではなく「女って怖ェ……」というタイプのものではあるのだが。
ストーリーや展開を追っていくうちに漠たる展開が予想され、一旦その通りになりながら終盤に別のところに着地させてしまう……本書で用いられる物語の構造は都筑氏の作風の中ではもっともポピュラーなかたち。これが基本的に全てに当てはまるのだが、本作では上述の『鏡の中の悪女』の更に一歩上を行く複雑な構成が目立つ。失踪した妻、それを追う夫という基本構造に、謎の小包や別々の場所に存在する同一人物の死体、調べれば調べるほどに謎が深まる妻の過去……。そうして最後に解決がつけられるのだが、その解決が果たして本当に本当なのかリドルストーリー的に投げかけられる不安感が面白い。

とはいえ、特に都筑道夫の代表作というべき作品でもありませんし、ミステリとしてだけ捉えるのであれば中途半端かも。ある程度以上の都筑ファンだけが押さえておけば良い作品集かと思われます。


01/09/22
馳 星周「M」(文藝春秋'99)

不夜城』のヒット以来「え、また出るの」というくらいに著作が増えている感のあった一時期の馳氏だが、さすがに最近は多少落ち着いてきた。本作は四作からなる中編集で『眩暈』のみ「別冊文藝春秋」に発表された作品、残り三作は「オール讀物」誌に'97年、'99年に発表された作品。

義理の妹とヤリたい病にかかった外資系コンピューター会社の営業マン 『眩暈』
憧れのおじさまに抱かれたい病にかかった就職活動中の短大生 『人形』
伝言ダイヤルのアルバイト売春からヤクザの手に落ちる主婦 『声』
SMクラブの女の子に自分の母親を重ねる父親殺しの過去を持つ少年 『M』以上四作
(わざと普段よりも梗概を簡単にしましたが、内容はもう少し複雑。ただ私の言葉では作品のパワーを再現しきれないので、これは虚心に現物にあたって頂く方が良いかと思いました)。

「暴力」「セックス」で表現される心の闇も、また人それぞれ色がある
馳星周の作品を読むと頭が、正確には後頭部が痺れるような感覚を覚える。馳作品に内包されているのは「暴力」、「セックス」といったキーワードで単純化されて評価されることが多いことは事実。だが、実際物語として紡がれた時に表現されているのは、どうもそう簡単なものではないような気がする。
例えば「自己」を「暴力」や「セックス」でしか表現出来ない人々、心の隙間を埋めたり、心の渇きを癒すのに「暴力」や「セックス」が必要な人々、他の欲望(例えば金銭欲や権勢欲)を満たすために「暴力」や「セックス」を道具に用いている人々。彼らの行動だけを表面的に追っていけば、その過程に存在するのはやはり「暴力」であり「セックス」である。しかし、彼らを十把ひとからげに同じくくりに属したコピー人間として決して馳氏は表現していない。個々人の心の隙間や心の渇き、そしてその結果としての「暴力」と「セックス」、更にはそれを通じて得てしまう圧倒的な絶望――大抵の場合彼らは自らの衝動を追求することで満足よりも渇望を得ている――を執拗に描き続ける。理由があって「暴力」や「セックス」が生きるために必要になってしまった人間もいれば、さしたる理由もなく「暴力」や「セックス」に溺れる人もいる。普通のミステリ形式では(いやどんな文学であっても)描ききれない人間の暗黒部分。 特に心に宿る闇の色は単なる黒ではなく、その黒の中にも様々な色があることを馳氏は作品内で繰り返し描いている。
そういう意味では馳氏は「長編向き」の作家のように思う。本書収録作品もそれぞれ独特の色合いを持ってはいる。ただ執拗に塗りつぶされる(書き込まれる)ことで濃密になる心の闇は、長編作品のそれにくらべ、色合いが多少薄いように感じられてしまう。もちろん、四作品全てにそれぞれ特徴あり存在感漂う主人公が登場する。義妹に欲望を感じつつ理性で押さえる男、憧れの男性に抱かれたいがために売春婦に成り下がる女、アルバイト売春から深みに嵌められる主婦、そしてSMクラブの女の子に自分の母親を重ねる少年。常人が普通に思いつくにはあまりに特異な設定で、その業もまた濃密に描かれている。それでも長編にくらべるとどこか重さが足りない……そう思わずにいられなかった。

もちろん、普通の読者なら、読了して何らかのカタルシスを得ることはまずないだろう。また個人的には、単純にこの世界に共鳴する人ともあまり友達になりたくない。馳氏の作品はそれでも誰かにメッセージを発し続けている。それがどんな絶望を齎すものであっても。 私がなんのかんのでペースは遅いながら馳作品を追っているのはこのメッセージに惹かれてしまっているからなのかもしれない。


01/09/21
倉阪鬼一郎「百物語異聞」(出版芸術社ふしぎ文学館'01)

日本唯一の怪奇小説家、倉阪氏初の短編選集。現在品切れの初期短編集『地底の鰐、天上の蛇』から十一編、第二短編集『怪奇十三夜』を全てに単行本未収録短編を三編加えている。装画は牛込櫻会館でお馴染み、中嶋千裕さん。「恐怖の会」必携図書。

海水浴で行った「出る」旅館。幽霊も出たが押入に遺されていた墓場へ続く階段が 『階段』
トイレの中で捕まった私は手術を施され故郷の祭りで鬼の役を演ずることになっていた 『鬼祭』
若き俳句仲間同士の「五七五」だけで会話を行う勝負。私は負けたが相手には何かが 『絶句』
UFO研究会の冴えない面々が四人集まり麻雀。一向に勝負の決着が付けられない 『弥勒』
神楽坂に出るという虎を狩りに鉄砲を持って男たちが集まる。私は人のいない方に 『虎狩』
血が出ると止まらない病気の少年は両親の死により憧れの森に飛び出し鏡を見つけた 『墓夢』
その浮浪者は私の所属する大学と同じ制帽を被っていた。その男は雨の日に唄う 『制帽譚』
警備会社に勤務した私は地下倉庫で巨大な地球儀を見つける。売り場に出たそれが 『地球儀』
中堅出版社に勤務する私は「S社員」に選ばれ昼夜問わず働き続けていた 『人文字』
私は世界唯一の便所男。便所は聖域。究極の便所を求めて日本中をさすらう 『便所男』
大学院を二度浪人している、何事にもやる気のない男が入り込んだ小さな路 『幻小路』
酒ばかり飲んでいた男が人生を終えるが、霊界から下界とコンタクトを開始 『酒仙転生』
若き天才棋士は頂点を極めた後、インフォマニアの妻により転落一直線 『目玉地獄』
百物語を百回行おう! 悪友は次々亡くなって記念すべき百回目は私一人 『百物語異聞』
「人肉売ります」ニンニクのダジャレを張り紙にした八百屋の元を訪れる客 『人肉遁走曲』
若い頃からみっともない禿げだった。私は勉強して毛生え薬の権威となるが 『禿頭回旋曲』
夢をみているはずの私の夢はまるで夢でないくらい苦痛と恐怖に満ちていて 『夢でない夢』
異形の化け物は自らの来歴を持たなかった。自分の過去を探る為、彼は城へ 『インサイダー』
「暗い人」募集という就職案内に引かれた私は異界の尖兵となって働くことに 『異界への就職』
究極の食べ物蕎麦に至る長い旅路。蕎麦湯、そしてむじな蕎麦との出会い 『むじなばやし』
訪れた鄙びた駄菓子屋に現れた少女。外に鬼が通っていると彼女は言う 『駄菓子屋の少女』
戦前のカストリ雑誌「猟奇者」に寄稿していた男が完結編を書きたいと 『猟奇者ふたたび』
廃墟の中で目覚めた男が「あそぼ……」という声を聞く 『すでにそこにある究極』
ある博士の死からはじまる人類の退行、そして暗黒の未来への道筋 『地底の鰐、天上の蛇』
怪奇雑誌「怪奇者」の刊行されていない第七号の噂。そして編集長からの招待状 『七人の怪奇者』
墓地裏の家に集まる十三人の老人たち。彼らが見る映画で彼ら自身が死んでいく 『怪奇十三夜』
片目義眼の私と唖のエレナ。山奥の温泉宿で繰り広げられる究極のラブストーリー 『夜想曲』以上、二十八編。

自称「特殊作家」の創作の原点……はこんなにも沢山存在していた
当時は入手可能だった『怪奇十三夜』、DASACONで入手した『地底の鰐、天上の蛇』を読んだのは二年前。『赤い額縁』がスマッシュヒットとなり、メジャーへの第一歩を踏み出した倉阪さんの著作は当時まだ五〜六冊しかなかった。現在、訳書を除いても倉阪作品は二十冊を超える驚異の出版ペースで倉阪ワールドは展開している。もちろん原点たるホラーあり、ミステリあり、エッセイあり、ユーモア小説ありとその作品内容も(根本は一つだと思っているが)多岐に渡っている。そして、それらの作品を生み出すに到った倉阪ワールドの原点がこの初期短編集に偏在している
あとがきで著者自身が述べているが、これだけ統一感の乏しい「初期」作品集というのも珍しい。純粋ホラーあり、幻想小説あり、ユーモア小説あり、奇妙な味わいのミステリあり、クトゥルーものあり、不可解小説ありと二三似たグループはあるものの、やはり全体としてはバラバラの内容と言わざるを得ない。(繰り返すが根本は一つだと思うのだが)ただ、これは著者が方向性を模索していたというより、初期段階で既に倉阪氏が様々な創作ベクトルを背負っていたことの証明ともいえる。様々なジャンル。それが全て倉阪氏の原点に他ならない。
作品集そのものについて。 これだけ連続して倉阪ワールドが続いていると、一編一編の深さを味わうというよりも、それぞれの物語が煌めかせる一瞬の光景が目の前を横切り、すぅーーーーっと静かに沈殿していくような感慨を覚える。一瞬の生、一瞬の地獄、一瞬の闇、一瞬の宇宙、一瞬の沈黙。 二十八もの物語。全てに起承転結が備わっているとはいわないが、言葉で綴られた文字の羅列に、始まりと終わりがあることは間違いない。舞台も現代日本が多いとはいえ、すぐに異界と繋がってしまうし、パラレルワールドが舞台であってもまた異界を通じて現代日本に通じている。全て近くて遠く、また我々のすぐ背後、そして足下に拡がる世界。全世界を超えた拡がりをもって終結する物語を読み終えた後、すぐまた現実に引き戻される。この脳髄のシェイクが読んでいる間ずっと続く。読み終えた後も頭の隅っこに何か痺れが残るような作品集。

二度繰り返した「根本は一つ」という倉阪ワールドのポイント、単語で言うと誤解を招きそうだが私は「ひがみ」がキーワードではないかと考えている。この点については全著作に追いついていないため、現段階ではこれ以上の言及は避けるが、いつかまとめてみたい。

まず前述の二作の初期短編集を入手し損ねた倉阪ファンならば、本書は随喜の内容となろう。そしてその初期短編集二冊を所持している人ならば、恐らく黙っていても買う作品集か。全ての作品が好みという読者の方が少ないと思うので、ファン以外の方にとっては、有る程度の当たりはずれを前提として取り組んで頂くべきなのは致し方ないか。