MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/10/20
戸板康二「美しき木乃伊」(河出書房新社'90)

本職は歌舞伎評論、そしてミステリでは中村雅楽のシリーズで知られる戸板氏のノンシリーズの短編集。'66年から'89年の長きの間に『オール讀物』誌等に発表された作品が収録されている。文庫化されておらず単行本のみ。

旅行会社勤務の女性は、親友に恋人を取られたことを悲観し誰にも告げずにイタリア行きの航空機へ向かう。目的地はベニス。 『霧と旅券』
長崎の温泉旅館をもり立てた老婆も隠居。出来の良い息子夫婦が宮様を迎えることとなり、自分達の代でないことに嫉妬心が湧く。 『鳥の蝋燭』
失踪した兄を追って上京した加奈子。彼女は嘘を吐くことに抵抗がなかった。持ち前の性格でバーの女として腕を磨く彼女は……。 『加奈子と嘘』
冷えた関係を修復するため、美味いと評判のトンカツ屋で話し合う夫婦。それがまずく妻とは気不味いまま。腹を立てた男はタウン誌に投書する。 『まずいトンカツ』
演劇を学ぶ工場の一人娘は同年輩の受付の女の子と服装を入れ替える。すると娘は何者かに拉致される。女の子が書いた手紙に秘密が。 『手紙の中の夕闇』
出世した同期の小学生の息子を預かった夫婦。夫は腹いせに子供に間違った知識を植え付けようと奇妙な言葉を教えるが。 『無邪気な質問』
同期で入団した親友が出世し、自分が目立たないことにいらだつ女優は、年下の男優の誘いに乗って温泉宿へ。画家のモデルの誘いがかかって……。 『年下の男優』
雅楽もの。牛塚という刑事は自分の境涯と重なることから、夫を裏切る女性を見ると許せなくなってしまい暴走するクセがあった。 『灰』
独自のスクープを狙う週刊誌記者がマンションを見張るために滞在した喫茶店「メトロ」。スクープは空振りに終わるが別の騒ぎが。 『優雅な喫茶店』
化粧品会社の若き女秘書は社長の命を受け、ライバル社の若き社長を誘惑するよう命ぜられるが、徐々に彼に惹かれてしまう。 『うつくしい木乃伊』以上十編。

「気の利いた話」に主眼をおいたやわらかな物語
現在のところ、最後に編まれた戸板康二のミステリ作品集、ということになるのか。
物理トリックやロジックのトリックもなく、日常の生活の延長において起きるちょっとした話にミステリのスパイスを加えてある、といった印象。 ミステリというよりも「生活の断片における機微」を印象的に描く意図が強いように感じられた。全てがそうではないが、読み終わった後に「あ、いい話だな」とふっと過るような暖かさがある話が多く、皮肉な話であっても、悪意は薄い。つまりキレはないものの、全体としての暖かさがじんわり伝わるような作品集に仕上がっている。どこか孫を目を細めて見守る老夫婦が醸し出す暖かさ、というものを想像した。
とはいえ、ミステリファンが読んで詰まらないか、というとそんなことはなく、ところどころに「お?」というような錯覚や、オチがみられる。一つ一つの短編を読み終えた後に、ふと題名に目を戻して、味も素っ気もない(そうでしょ?)簡素な題名に実は深い意味合いがあることに気付かされる瞬間が何度もあって、それもまた楽しく感じられた。
一言で「日常」とはいっても、舞台装置は凝っている。引退した旅館の女主人やら、同期の子供を預かる夫婦やら、手紙に空想を託す少女やら、凡人には浮かびそうでいてちょっと出てこない状況を自然に描き出している。このセンスの良さ、発想の豊かさは、戸板氏の主な生業としていたが劇評であることと無関係ではなさそうだ。暖かい人情、生活の中の驚きなど、なによりも庶民の心の動きを知り尽くしている。劇(ドラマ?)と小説というものは今も昔も密接な関係を持っている。

戸板作品、特に雅楽ものについては復刻が噂されて久しいが、未だ為されない様子。またノンシリーズのこういった作品が省みられることは今後恐らくはないだろう。日常の謎の祖ともいわれる戸板氏の作品の良さは、こういったノンシリーズにも見られることを考えると勿体ない気がする。


01/10/19
物集高音「赤きマント【第四赤口の会】」(講談社ノベルス'01)

物集氏は'98年、『血食 系図屋奔走セリ』を講談社ノベルスより刊行してデビュー。(なぜかこの作品、メフィスト賞ではない)『大東京三十五区 冥都七事件』を詳伝社より発表、本作が三冊目の単行本にあたる。冒頭より三作は小説現代増刊「メフィスト」誌に'01年に発表された作品。ラスト一作は書き下ろし。

世の中の「何か」を蒐集する好事家達が月に一度、図師家に集う。その名も「第四赤口の会」会員は見世物研究家の図師美方を筆頭に、探偵小説研究の脇屋中、魔女史研究家の一丸一美、花柳史研究の下間化外ら、独特の個性を持った人物が揃っている。そしてまた今月の集まりが開催される……。
都市伝説を蒐集する富崎ゆうの番。戦前に少年少女を恐怖に陥れた「赤いマント」の伝説について探り、その赤マントを彼女は持参してきた。 『赤きマント』
見せ物研究家の図師が持参したのは白い布。面にはみえないその布が「肉付きの面」であると主張する。 『肉付きの面』
自信家の考古学者、高久が持参した函には封がされていた。「歌い骸骨」に伝説にまつわるその「モノ」を当てるよう彼はメンバーに指示する。 『歌い骸骨』
場に馴染んできた一丸一美が持参したのは魔女の箒。そして白布の中から出てきたのは金枝雀の木。これはどのように繋がっていくのか? 『魔女の箒』 以上四編。

都市伝説・民俗学と黒後家蜘蛛の会との融合……効果のほどは?
そもそもの本書の狙いはどうか。 「赤いマントを被った殺人鬼」「仮面を被って悪事を犯した結果、仮面が顔面から離れなくなる説話」「物言わぬはずの骸骨が犯罪の真実を歌い、犯人が罰せらる説話」「魔女はなぜ箒に跨って空を飛ぶのか」以上の四つの都市伝説や説話について、第四赤口の会のメンバーが自ら課題にまつわる「モノ」を提示、他のメンバーに自説を披露する……という形式。謎、ヒント、結論、更に議論の楽しさが狙われたのかと思われる。それぞれあまり有名とはいえない主題ながら、それにまつわる情報はひとわたり提示される。ただメンバーが、自身の知識(つまりその場でいきなり披露される)でもって話題を補完していくものだから、読者がフェアに推理出来る土壌があるとはちょっといえない。そして読んでいて大きな違和感があるのは、論理の詰めの部分。途中までは寄ってたかってそれなりに論理が積み重ねられていくので面白いのだが、最終結論に到る直前、急速に論理がこじつけめいてしまうのだ。一番肝心な部分の説得性が一番弱い。その結果、読み終わってみれば「ふーん、そうなの」という以上の感慨が得られない。実に残念。
登場人物はどうか。 俗な言い方をすれば「キャラは立っている」。博識女子高生、ブランド好き魔女研究家、元気な爺さん、ゲームプランナーのオタク青年…… 趣味や外見や年齢やしゃべり方など属性は異なっており、区別については問題ない。しかし、致命的なことに性格が皆同じ、つまり「自己顕示欲が強く、強気で傲慢」なのだ。その結果、議論の際には彼ら全てが我も我もと口を出すため、物語のスピード感こそ高まるものの、全体的に整理されていないような印象が強くなっている。
個性の固まりのような文体がどうか。 情景や説明にあたる地の文を細かく区切り、こだわりのある形容詞や呼称を多用する方法が取られている。クセがあり好悪が分かれることは間違いない。リズムは感じられるし、言葉の選び方など、個人的には嫌いではない。ただ、会話文の方により多くの問題があるように思う。特に「〜」が多用される脇屋の会話は、効果以前に非常に読み辛い。実際そう話す人間を描くにしても、言葉をそのままテキストに落として表現するのが作家の仕事ではないはずだ。(これは想像だが、筆者は執筆する際横書きなのではないだろうか。「まあァ〜、それでェ〜、何とかァ〜」。横表記なら我慢出来るが、縦書きにされると、呪文にしかみえない) そもそも、これほどの博識を競い合う人々が、揃いも揃ってこんなにがさつなしゃべり方をするものなのだろうか。

本作でどんな「ミステリ」を目指そうとしたのか、については想像がつく。ただそこに到るための表現方法、物語構造に存在するミスマッチによってリーダビリティが削がれ、少なくとも普遍的なエンターテインメント作品と呼ぶことに躊躇いがある。 ただ、上記のような民俗学や都市伝説といったテーマが好きな方ならそれなりの評価となる可能性は残されているのだが……。リベンジ求む。


01/10/18
平石貴樹「フィリップ・マーロウよりも孤独」(講談社'86)

『虹のカマクーラ』にて'83年第7回すばる文学賞を受賞。純文学からミステリへとその著作を移し、寡作ながら本格推理マニアにカルトな人気を誇る平石氏。'97年『スラム・ダンク・マーダーその他』を刊行したが、その前作にあたるのが、その十一年前に刊行された本作である。

大学のかって雑木林だった工事現場から十年から十五年前に埋められたと思しき白骨死体が掘り出された。そのニュースを聞いた瞬間、あたし(エリコ)はそれが「オニイ」ことミズシマ・ヒサシが犯人の事件だと確信した。それまで書きかけていたSF小説を捨てて、あたしはノートに自分の思いや日常を書き付け、その「心当たり」を探りはじめる。あたしはバーを経営するママとの二人暮らし。かってママが『モンド』という店の雇われママをやっていた頃の無口なバーテン、それが「オニイ」だった。今のあたしは彼氏のトオルや、他の友達と気ままに遊んでいる。ぶっきらぼうな美女、ジュン。「オニイ」はママが元からいた店から一緒に派遣されてきた。真面目な性格で人から話を聞くのが上手かった。ママはかって地方の中小企業の跡取りのパパと結婚してあたしを生んだ。パパは癌で死んでしまった。あたしは「ミズシマ」の捜査を人づてに続ける。学園紛争に詳しそうな人と会う。「オニイ」はママといい仲で2人3脚を目指していたはずだったけれど、新しいパトロンが出来てママは「オニイ」とは別れてしまう……。(というような止めどない”あたし”の日記兼小説兼ノートが物語を綴っている)

ミステリに仮託することで浮かび上がる複数世代の青春群像……
大学生の女の子が、思いのつれづれをノートに書き連ねた内容がそのまま作品となっている。現実や回想、想像や思索が千々に乱れて入り交じっている……と聞くと読みにくそうだが、作者が読者の読み方を計算しているのかあまり抵抗感なく入れる。大学から出てきた白骨死体から、過去に自分が憧れていた「オニイ」について調べ、考えるというのが一応のメインストーリー。「調査対象は主として記憶。証人は想像、およびアドレナリンである。」という気の利いた記述にある通り、足で稼いで頭を使って調べるというよりも、過去の出来事をつれづれに思い出して繋げる作業が中心となる。その結果、「オニイ」のことだけでなく、エリコ自身や母親、亡くなった父親など様々な人物の姿を照らし出すことになり、彼らの様々な生き方が浮かび上がってくる。単に生き方だけでなく、そこから人生の主張が感じられるため、物語の味わいが深くなっている。
純粋にミステリとして読むには多少無理があり、当時最新の日本文学とミステリとの中間点に位置するような作品という印象。全共闘世代への挽歌を物語の底流に配し、特殊な(特殊でもなんでもないか)親子関係や成育環境をアクセントにして、若者の孤独や葛藤、そして精神の成長を描く。彼らの日常を切り取ることで描写される変革的な青春ミステリと受け取れる部分もある。「オニイ」が彼女たち親子に接してきた態度からは、絶望と希望がない交ぜとなった頑なな精神が感じられるし。恐らく読者それぞれが持つ経験や状況によって、本書の受け取り方は変わってくるだろう。
また、題名にマーロウが使われてるが、チャンドラーの諸作品とはあまり関係はなし。ちなみに題名の意味は、主人公が一人で思い決めて探偵の真似事をすることを自ら評して「フィリップ・マーロウよりも孤独」と述べたところから。彼女には依頼人さえいない……。

そういや『笑ってジグソー、殺してパズル』の復刊話はどうなっているのだろう??? 平石氏の大学の先生稼業が忙しいのかもしれないけれど……。古本屋でもどうも縁がないし。誰か貸してくれないかなー。


01/10/17
島田荘司「ロシア幽霊軍艦事件」(原書房'01)

御手洗潔シリーズの新作。'00年、原書房より刊行されている個人雑誌『季刊 島田荘司02』にて発表された中編に大幅な加筆修正、及びエピローグを加えて長編化して刊行された作品。

'93年の夏。一通の手紙がレオナから転送された。横浜に住む倉持ゆりという女性が彼女に宛てたファンレターで、ゆりの祖父がヴァージニア州に住むアナ・アンダーソン・マナハンという女性に「ベルリンではすまんことをした」と謝って欲しい。箱根の富士屋ホテルにある写真を彼女に見せてほしい、とレオナを通じて伝えて欲しいというものだった。この手紙を読んで御手洗は箱根にある富士屋ホテルに行くことを主張。訪れた二人は、大正時代からホテルに伝わるという奇妙な写真を目にすることになる。周囲を山で囲まれた箱根の芦ノ湖にロシアの軍艦が浮かび、人が群がっているというもの。周囲でそんな船が造られたりした記録はなく、言い伝えによれば、乗っていたのはロシア兵で、その船の中にまで入った人物がいるにもかかわらず、翌朝、その軍艦は消えてしまったという。一方、レオナの調べによれば、生前の奇矯な振る舞いで有名だったというマナハンという女性は既に亡くなっているという。また倉持ゆりの祖父、平八も死亡、更には倉持ゆり自身も交通事故で亡くなっている。歴史の裏側に隠されたこの写真の意味、そして倉持平八の言葉の意味とは?

深遠な歴史上の謎をミステリに絡めて。良くも悪くもこれが島田節
御手洗潔シリーズでありながら、変形安楽椅子探偵もの。 御手洗・石岡の前に提示されるのは一通の奇妙な手紙。そして一枚の奇妙な写真。手紙には外国人女性に謝罪の言葉を連ねる老人の言が書かれ、写真は周囲を山に囲まれた芦ノ湖に浮かぶ軍艦が写されている。これらに種々集められた情報を重ねて行き、ロシア革命時に追放・処刑されたロマノフ王朝ニコライII世の娘アナスタシアと、米国で変人扱いされている老婆の謎、そして写真の謎を解き明かしていく……。
「島田荘司」という作家らしいテクニックが随所に現れ、はじめて読むのにどこか懐かしい気分にさえなってしまった。島田氏が作品で歴史問題に触れるのは今にはじまったことではないし、他の「歴史ミステリー」と呼ばれる分野の推理作家も、歴史的事実に仮定や別の解釈をあてはめてミステリを創っている。本作では、日本人にはやや馴染みの薄いロシア革命時に追放された王族が主題。しかし、島田氏はそのことを冒頭では示さず、手紙と不可解な写真を先に提示する。さすがに読者に対する効果的な演出を心得た作家だけのことはある。
同じ題材について書くにしろ、どうすれば一番読者にサプライズを与えられるか、という点を考慮してプロットを組み立てていることがありありと分かる。いくつかの出来事を結びつけて解明していく方法そのものはオーソドックス。しかし徹底的に見せ方にこだわる。御手洗が横浜に米国人ライターを連れて行く場面にしてもそう。わざわざ御手洗は、石岡とそのライターが驚愕することを期待している。この御手洗の遊び心というのは、島田氏のサプライズ・メイカーとしての意気込みが転写されたものだ。ただ、逆説的になるが語弊を恐れず書くと、本作は地味な作品だと思う。何しろ使われているのは、一歩間違えれば、トンデモミステリになりかねないトリックなのだ。(だって一つは「特殊な身体的障害」ネタだし、もう一つは「戦前に”それ”が存在したということを知っている」ことの一発ネタ) これらを使っていながらも、効果的な演出によって陳腐さを消し去り、むしろ鮮やかな驚きへと変化させてしまう。これが天性の舞台監督たる島田荘司の凄さ。

真面目な題材に取り組んだだけのことはあり、御手洗や石岡というキャラクタに対する不必要なドラマ性が薄くなり、スッキリしたミステリとなっている点には好感。ただ、中編を長編化した時に加えられたエピローグの評価が難しい。本格ミステリとするなら冗長、歴史ミステリーとするなら装飾、時代を超越する恋物語とするなら必要なのだが。一言でまとめるならば「島田流演出による歴史ミステリー」ということか。大絶賛まではいかないが、このレベルの作品が出てくれば文句は言いません。


01/10/16
桐野夏生「顔に降りかかる雨」(講談社文庫'96)

'93年第39回江戸川乱歩賞作品。桐野さんは、ジュニア小説やマンガ原作等を野原野枝実名義で発表しており、本書が一般向け小説でのデビュー作品となる。この後一気にメジャー作家となり、『OUT』にて第51回推理作家協会賞を受賞、『柔らかな頬』にて第121回直木賞を受賞、推理小説三冠を達成している。

三十二歳の女性、村野ミロは夫を亡くし、かって勤めていた広告代理店を辞め、無職で日々暮らしていた。彼女の父親は名の知れた探偵だったが既に引退。ミロはその事務所となっていた新宿のマンションにそのまま住んでいる。悪い夢に悩まされ、しつこい夜中の電話を無視して起きた翌日、ミロはフリーライターの友人、宇田川耀子が失踪したことを彼女の恋人、成瀬から報される。耀子は成瀬が上の組織から預かった一億円あまりを着服していなくなったという。申告出来ない裏の金ゆえそのスジも絡み、ミロは成瀬と共に耀子の行方を追うことを強要される。耀子の自宅や事務所を探して得た手掛かりを元に、彼らは互いを信用しないなりに捜索を開始する。

時代が桐野夏生を呼び寄せたのか。女探偵ハードボイルド・ジャポネスクの先駆
国産ハードボイルド作品は数あるが、本書以前に発表された女性作家による女性主人公のハードボイルド作品は思いつけない。(ハードボイルド方面の知識が疎いので、知らないだけの可能性もあるけれど) ただそのような時代の要請があったことも恐らく確かであろうし、桐野夏生と村野ミロという存在は、生まれるべくして生まれてきたのではないだろうか。
一人一人の人物造形がこなれている。探偵を父に持ち肝の据わった主人公のミロだけではない。エキセントリックな性格、借金まみれ、プライドが高く常に人の目を気にして生きてきた耀子。服役経験があり、ヤクザに繋がりのある外車ディーラーで、ミロに振り回されつつ底を見せない成瀬。チンピラにしろ、耀子のアシスタントにしろ、成瀬の元妻にしろ、ほんのちょっとした登場人物にも、桐野さんは背景や過去やコンプレックスや信念を与えて血を通わせる。人物に対する冷徹な観察力から生み出されれる表現力の豊かさには目を見張る。また、(リアルタイムで読んでいないので、当時の、と但し書きがつくが)風俗を積極的に取り入れた事件の背景、いささかアングラに過ぎる舞台の裏側にしろ、女性作家の(これも一般向けという但し書きがつくが) 処女長編とは思えない「リアル」への希求が存在する。「現在」という瞬間を、あくまで深く抉って読者に見せつけようという気構え。また、物語全体の流れ、ラストに繋がるほんのちょっとした伏線など細やかな技巧も見事。すいすい読めて、きっちり驚ける。小説として、ハードボイルドとして、ミステリとして、万全の作品。
近年乱歩賞で幅を利かす特殊職業もの(私立探偵はミステリじゃ特殊職業じゃないよね) ではなくストレートに描かれたハードボイルドである点、それだけでも個人的には高評価。また、ミステリ読みからするとごちゃごちゃしてスッキリしないなーと思えたいくつかの点が実は伏線となって、ラストのラストで意味がきちんと与えられていたあたりの構成の緻密さにも目を見張った。後の活躍という知識が与えられなくとも、本書一冊で大物作家の誕生は十分に予感できる

物語の中の必然として用いられるものの、風俗・特殊な性癖関連で尖った描写がかしこに存在する。時代が生み出した作品だけに、それらは「必然」。割り切って大人の女性によるハードボイルドを味わうべし。私は男性なので想像になるが、恐らく本書を読んだ女性は村野ミロについてこう思うんだろうなぁ。「カッコイイー」と。


01/10/15
幾瀬勝彬「女子大生殺害事件」(春陽文庫'76)

死を呼ぶクイズ』に続いて春陽文庫より刊行された短編集。氏の短編シリーズ「推理実験室」とは残念ながら無関係で、台湾人の兵俊明が探偵役を務める冒頭二作を除くと単発作品が集められている。時代がかった女子大生のイラストにて飾られる表紙が実にチープで良いのだが、紹介出来ず残念である。

台湾旅行で推理作家が知り合った現地の男性、兵俊明。推理作家は進歩的な女子大生が殺害された事件のあらましを彼に語る。 『女子大生殺害事件』
前回の事件を解いた兵俊明が、ドンファンの俳句同好会会長が殺害された事件に挑む。被害者は謎のメッセージを残していた……。 『風流鬼殺害事件』
近所の森で犬の散歩をさせていた男が偶然他殺死体を発見する。なぜか発見者のその男が警察に疑われアリバイが確認される。 『緑の毒』
美容院を経営する妻と教師の夫。やり手の妻は夫に漠然とした不満。夜の営みでの夫の腑甲斐なさが解消されたことから……。 『満ちたりた疑惑』
巨人軍、川上哲治一塁手が観客席に真っ直ぐに投げ込んだウイニング・ボール。その行動に疑問を覚えたアナウンサーが真実に迫る。 『謎のウイニング・ボール』
自室にミニ風呂を設けた薬剤師。入浴に来る隣の女子大生が口臭を持つことに気付いた彼女は、彼女に薬を渡すのだが……。 『三月が招いた死』
嫁入りした娘が姑と喧嘩して実家に戻って来た。憤懣やる方ない父親は碁を打ちに行くが意外な話を相手から聞かされる。 『ババ抜き』
ステーキ屋にて準備していた木炭の中から金が出てきた。発見した内縁の夫婦は金鉱を求めて炭が焼かれた場所を探し始める。 『金塊迷走曲』以上、八編。

安易で平板な本格推理を、微妙に外して何かをやろうとしていた……のかな
この作品集には、無視できない佳品が存在している。
それは、『謎のウイニング・ボール』。巨人の川上が現役だった二世代前のプロ野球がまず背景に存在する。そこに、川上がウイニング・ボールをスタンドのある人物に確実に渡したかったのでは、という疑惑が提示される。それに気付いたのがアナウンサーと解説者というのも不自然なく物語が進む一つのポイント。試合を決める最後の一球、ウイニング・ボールを川上が確実に入手するためには、チーム内に協力者が必要だ、という展開もいかにも自然で、かつ、その捜査の過程や、関係者のコメントにも面白みがある。実在した選手やプロ野球関係者が多数登場、あたかも事実のようなその当時の試合結果などがドキュメント風に挿入され、興味をかき立てる。(残念ながら物語そのものはフィクションだが) なぜこのようなことを川上がしたのか――その後味も爽やか。もう少し巧く構成出来そうな気もするが、短編の野球ミステリとして、ミステリ全体を見渡してもそれなりのレベルに位置づけられる作品だろう。

残りの作品に関しては、'60年代後半から'70年代にかけて執筆されたいわゆる通俗味の強いミステリ……なのだが、単なる通俗ミステリと切り捨ててしまうには、ちょっとためらわれる。というのは、幾瀬氏が「推理小説で何かをやりたい!」という思想が、(成功しているかは疑問符がつくものの) どこからともなく作品の中から感じ取れるから。
日本で発生した事件を台湾に住む台湾人が謎解きをする『女子大生殺害事件』『風流鬼殺害事件』。島崎博氏がモデルと思われる人物が登場する愛嬌に加え、手掛かりが読者と共に探偵に提示される本格ミステリ指向が強く感じられる。いかんせんそのミステリ部分が弱かったり、瑕疵があったりで傑作とは呼べないまでも、意気込みは感じられる。また、読者への挑戦(に似たもの)を挟み込まれておりながら、それまでの描写が冗長で伏線が生かしきれておらず、問いかけそのものにあまり意味のない『三月が招いた死』、読者からみて明らかに犯人でない人物に対し、警察がアリバイ崩しを試みて追求される『緑の毒』、夜の生活をテーマに本格に近い趣向を持ちながら、そのトリックというかネタがあんまりな『満ちたりた疑惑』。 求めるところはありながら微妙にそこに届いていない。それぞれ頑張っているのだけれどどこか及んでいない、という印象。

物語が良ければトリックがあまりにも弱く、トリックがそこそこなら物語が今一つ。 何かが足りないけれど、どこか惹かれる。がんばれ幾瀬勝彬、愛すべきマイナー推理作家。 ああ「推理実験室」のシリーズが読みてえ。


01/10/14
多岐川恭「男は寒い夢を見る」(光文社文庫'88)

'72年に桃源社より刊行された長編でポピュラーブックス版もあり。ただこの光文社文庫版が現在のところもっとも新しい版となる。多岐川氏の中期から後半にあたる執筆時期に発表された作品。

徒手空拳から非情な采配と非道のやり口で運送業の大立て者に成り上がって来た男、押口信介。六十を超えた今も元気いっぱいだが、会社の内外に大量の敵を抱えており、命までもを狙われることも少なくなかった。そんな彼が地方の隠れ家に滞在している時にフユミという若い女に出会う。彼女の魅力に気付いた信介は手当を渡して彼女を愛人にする。隠れ家に滞在している布施という老人は、信介に引退を願い出るが、彼は許可を出さない。彼女との逢い引きの帰り道、暴漢に襲われた信介を加美という男が助ける。加美を気に入った信介はボディガードとして彼を雇い入れる。隠れ家が謎の放火で焼けてしまったことから、フユミや布施、加美らは信介の東京の邸宅に移動する。そして今度は信介は家の中でまで狙われるようになる。過去に恨みを持つ同級生、橘吾郎、信介の秘書の亀井裕一や居候の田代慎一郎らも交えて、誰が信介の命を狙っているのか。奔放に振る舞うフユミは、パトロンの信介や恋人の加美のみならず、布施と結婚の約束をし、田代にも身体を許す。果たして次々と強運で助かる信介を倒すのは果たして? 謎の女フユミの正体とは??

意外な結末が実に意外。多岐川長編の黄金パターンを逆手に取ったユーモアサスペンス
例えば『お茶とプール』、『消せない女』という作品と同様、この『男は寒い夢を見る』もまた、中心になる大人物とそれを殺そうと虎視眈々と狙う周囲の人々とが織りなす多岐川氏が好んで使うモチーフを踏襲している。今回の中心人物は老人ながら頑健な身体をもって、邪魔者や役立たずを潰しながら財閥を引っ張る男、押田信介。
本書が面白いのは、確かにこの信介もしょっちゅう命を狙われて忙しいのだが、その周囲に登場するクセのある人物たちが「どんな男も虜にされてしまうスタイル抜群天真爛漫で奔放な淫乱娘」のフユミを巡って、丁丁発止のやり取りが繰り広げられるところにある。彼女を愛人にしている信介の周囲にいる、ボディガードの加美、居候の慎一郎、元別宅管理人の布施、秘書の裕一らが、フユミに翻弄される。彼女のキャラクタが明るく、影がないのがいい。また、それぞれの人物の背景が謎に包まれており、それが徐々に明かされていく過程も面白い。はっきり言って、社長が危難に遭うシーンよりも彼らの正体が明かされていく過程の方が遙かにどきどきする。
あくまでサスペンス仕立てなのだが、全体的に「絵空事」っぽさが強く、特に笑わせようと狙っている場面がないにも関わらず、全体的に上品なユーモアに包まれている印象。一歩間違えれば悲惨な物語にもなりかねないストーリーを全体をユーモアでくるむことで読みやすい作品へ変貌させることに成功している。

一瞬「また同じパターンか」とも感じたのは事実だが、読み始めると先を読めない展開と、文章のテンポの良さ、登場人物の奇妙な魅力に一気に引きずり込まれる。ファンでなくとも、読んで少なくとも損をすることはない作品。終盤に連続して演出されるどんでん返しも面白いが、本当の驚きはフユミの正体でしょう。いやー、この手で来ますか。


01/10/13
西澤保彦「夏の夜会」(カッパノベルス'01)

'95年の『解体緒因』以来、タック・タカチシリーズ、チョーモンインシリーズなどの人気シリーズ作品を中心に多数の本格ミステリを発表し続ける西澤氏。本作は季刊『ジャーロ』誌に'00年から翌年にかけて連載された作品で、カッパノベルスでは『ストレート・チェイサー』以来の西澤氏のノンシリーズ長編。

祖母の葬儀のために東京から帰郷した四十歳の男性、見元。翌日、小学校時代の同級生の結婚披露宴に出席する。同じ卓には小学校三、四年時に同じクラスだった男三人に女二人が座っており、流れで飲み直すことに決まる。指払(いいず)要、任美(たらみ)由宇也、佐向(そむき)紘子、紅白(いりまざり)早紀、そして見元の五人。飲み屋が開くまでの間、ホテルの喫茶ラウンジで時間を潰す彼らの話題は当然小学校時代の思い出。一人が「鬼ババァ」と綽名された陰険な女教師、井口可奈子について語り出す。ヒステリックな彼女は蛇蝎のごとく忌み嫌われていたのだが、四年生になる二学期途中で学校からいなくなった。このことは確かなのだが、五人が顔を突き合わせてもその事情がハッキリ出来ない。父兄からの抗議による辞職とも、教職を辞して町長選に立候補するとも意見が飛び交うが、彼女は死んだ、しかも殺されたのだという話になり、場が騒然とする。理由は何だったのか。時期はいつ頃だったのか。居酒屋に場所を移した五人は、当時のおぼろげな記憶を頼りに論議をはじめた。

西澤作品らしい実験的テーマ。いい加減な記憶をベースにミステリが成立するのか?
学生時代の同窓会……事情がない限り、それに近いものは誰もが参加したことがあるイベントのはずだ。(私は事情があって、普通の同窓会というものには参加したことがほとんどないが、似たものはある) まだ学生だ、という方でも中学、高校と遡った集まりくらいはあるのではないだろうか。その同窓会においては、最初の段階こそお互いの近況について話し合うだろうが、一番盛り上がるメインの話題が「昔の話」になることもまず間違いない。本書では、その誰にでも思い当たるシチュエーションの中で展開されるミステリ。午後から夕方、夜、そして翌朝まで時間は経過するが、実際の事件は一切目の前では発生しない。記憶と持ち寄られる僅かながらの手掛かりにて、かって発生した事件について想像し、思い出し、記憶を突き合わせる。 登場人物が意見を出し合って論理を構築していく様子は「タック・タカチ」のシリーズに通じるものはあるが、大学で知り合った彼ら同士では共通の昔話はないので、本書のようにノンシリーズにて処理するのは正解だろう。また、登場人物の四十歳という微妙な年齢が、当時との時間的距離を開けるにおいて、程良い設定となっている。
手掛かりも記憶。伏線も記憶。関係者も記憶なら、決定的証拠も記憶。
ところどころに記憶以外の事実を効果的に配することで、拡散しがちな論理の筋道がガードされている。一晩だけというタイムリミット付きの物語の中で、いくつものきっかけにより反転を続ける事件像。ある段階で固まったはずの結論は、後から明らかになる事実や別の人物の記憶によって否定され、再び拡散をはじめる。 見元と、紅白早紀の到達するところは予感(予想ではなくあくまで予感)されるものもあるが、記憶というものの不確かさ、そして都合の良さをこれほど赤裸々に利用したミステリは、そう前例がないように思う。記憶を揺らがせて、次の記憶を引き出すという構成上、フェアな手掛かりを読者に与えることは残念ながら出来ていない。そんな中、提出されている「記憶」を駆使して論理的思考が積み重ねられる点は、従来の西澤作品と共通する部分だが、「本格ミステリ」とまでは言い切れまい。ただ、趣向が凝らされた西澤ミステリである点は間違いない。

超能力やSF的設定は何もない。登場人物に特殊な魅力が備わっているわけでもない。それでいて、なんともいえない不思議な後味を持つミステリを創り上げている。西澤保彦が作者として相応しく、西澤保彦しか書く人がいない。そんな作品。 しかし、小学校の頃のことなんて、アナタ、どれくらい覚えてます?


01/10/12
藤岡 真「ゲッベルスの贈り物」(創元推理文庫'01)

藤岡氏は'92年、第十回小説新潮新人賞を短編「笑歩」にて受賞し翌'93年本書の元版の同題『ゲッベルスの贈り物』を角川書店より刊行。その後は近年まで作品の発表はなかったが、昨年『六色金神殺人事件』を徳間文庫より書き下ろしで発表、再び一部で話題になった……。

1947年。ドイツ軍の潜水艦に乗船していた飛良泉海軍技術大佐はドイツ降伏の報を聞く。しかし彼は祖国日本に”ゲッベルスの贈り物”を持ち帰る大切な任務を負っていた……。
現代の日本。わたしは俳優の剣崎直樹と計画的に知り合い親しくなった。彼を自殺に見せかけて殺害するために……。
CM制作会社のプロデューサー・藤岡真は社長から謎のアイドル《ドミノ》の所在を突き止めるよう指示を受ける。TV局に送られてくる謎のビデオテープ。《ドミノ》はその中で歌う女性。その神秘的な魅力に日本全国は沸き立つが、彼女は時々ビデオを局に送りつけるだけで、その正体は業界内に知る者がいない。僅かな手掛かりを元に彼女の痕跡を追う藤岡は、徐々に恐るべき状況に填り込んでいく……。

読み終えた後、貴方は間違いなくもう一度最初からページをめくり直しはじめる
まず、本書は題名で損をしている。だって今時「ゲッベルス」(もちろんヒトラーの腹心、ドイツの宣伝相ね) なんて、まずスパイ小説、どんなに想像力を働かせても戦記小説を想像するのが関の山。それが創元推理文庫にて刊行されているとしても「これは本格ミステリ?」と思うよりも「創元もスパイ小説の再評価をはじめたのか?」とか思う方が普通の反応だと思う。
そんな題名にも関わらず本書は、正々堂々正面から読者に挑んでくるタイプの本格ミステリ。 書店でのお間違えなきよう。

そして、初刊本より八年。沈黙を破って本書が文庫化されたのは大いに意義がある。題名がゲッベルスだろうと、冒頭数ページがドイツ降伏時のUボート内部の描写に割かれていようとも、内容はサスペンスを孕んだ叙述系の本格ミステリに他ならないから。 そのプロローグが終われば舞台は一気に現代に飛ぶ。二つの物語がほぼ交互に語られる。有名人を自殺に見せかけて次々と殺害していく謎の殺し屋”わたし”。爆発的人気を誇る所在不明のアイドル”ドミノ”の探索を依頼された”おれ”こと藤岡真。ドミノ探索はハードボイルド風に進み、”わたし”の殺し屋ぶりはクライムノベル風。もちろん、物語が進むにつれこの二つの話は交錯し、まずは当然、そこに意外な落とし穴がある。更に、それ以外の点でも読者に対するサプライズの仕掛け方がめちゃめちゃ巧いのだ。落としどころを読者に悟らせずに、気付けば落とし穴の底。「そんなはずは!」 信じられないやられ方に気付いた時には、伏線を求めて再び頁を遡ることになっている。
本書がもし書き下ろし刊行だったら、今年の「本格ミステリベスト10」ならばランクインは間違いない。というか、個人的にはランクイン。ここまで読者のサプライズを重視して、かつ手の込んだ作品にはそうそう巡り会えない。大収穫。

本書の解説にて千街晶之氏が述べられているように、事実上最初に藤岡氏に注目したのは謎宮会の葉山響原稿であろうし、その後著者本人の書き込みにより『六色……』が刊行されることが明らかになり、俄かにネットミステリ界では再評価の気運が高まったことは事実。(2ちゃんねるにスレッドまで立った) また氏にとって運が良かったのは「読めない本でも探し出してしまう」古書系の猛者たちの興味を引いたこともあろう。(私も実はハードカバー版を古書店で買っている口だったりする)この文庫化されたことで、輪を掛けて評価が高まることを期待したい。


01/10/11
篠田真由美「月蝕の窓」(講談社ノベルス'01)

先日刊行された、蒼を中心とした中編集『センティメンタル・ブルー』に続く、今年二冊目の「建築探偵桜井京介シリーズ」。全体でも本作で十作目となる。(気付けば全部読んでいるワタシ)

福島県の那須にある明治期に建てられた館「月映荘」。第二次大戦の前後、主人の江草孝昌は妻の百合子を裏切り、愛人に子供を生ませて家を出ていた。留守宅を気丈に守っていた百合子はその愛人を……。そして館は江草家と縁続きの印南家に売却され、印南敏明と堤雪華、そして彼らの連れ子の印南雅長と茉莉の仲睦じい兄妹が住んでいた。しかし航空機事故で印南夫妻は死亡。今から十五年前、敏明が海外に留学中にその事件は起きた。茉莉と二人の使用人が暮らすこの館に何者かが押し入り、茉莉を監禁、使用人二人が殺されたというのだ……。「月映荘」の見学のために、県庁の倉持、建築家の吉田、そして桜井京介が館を訪れる。同行したのは雅長と茉莉の兄妹、それに茉莉のカウンセリングをしている松浦という男。その時調査はならなかったが、しばらくして学術的な価値が評価され、館の調査解体が県により企画されることになる。しかし調査の為に設立したプレハブに放火事件が発生、警備を兼ねて京介が現地に派遣されることになっていた。だが京都にいる「綾乃」という女性が京介に行かない方がいい、と忠告する。

桜井京介一人称が沈鬱なトーンを助長する――でもこれは確かに本格ミステリ
ぶっきらぼうで身嗜みや生活態度は無頓着な学究の徒、桜井京介。今までも無口で何を考えているか分からないキャラクタとして(但し、身内には優しい)描かれてきた彼が、正真正銘の主人公として立ち回る作品。作者もあとがきで触れているが、彼の地味な性格が物語のテンポに影響を強く与えて「暗さ」が強調されてしまっている。 まだ明かされていない彼自身の〈過去〉について語る為にどうしても必要な過程だったのだとは思うが、他人との関係を出来る限り避けるために雪降る廃屋側に一人で暮らすというシチュエーション、会話が極端に少ないせいもあって暗さが助長されている感は否めない。中盤以降に栗山深春が登場してから、ようやく本来の作品のトーンに戻って、ほっとした。
改めてコメントすべきか迷うところだが、実は篠田真由美のミステリ長編には贅沢にトリックが凝らされている。 特にこのシリーズは、登場人物の華やかさ、派手な活躍といった部分に隠れがちで、キャラ萌えと揶揄されたりしても、常に「本格ミステリ」と断言出来るだけの伏線と謎が複数埋め込まれている。そしてこの作品にしてもそう。シリーズ作品それぞれが本格ミステリとしての要件を備えているからこそ、これだけの支持が長期間にわたって得られているのだろう。
雪山を効果的に使った物理トリック、アリバイトリック、錯覚トリックさり気なくもオリジナリティのあるトリックを各所に配した上で、動機にもまた一ひねりしている。近年のミステリにおいては散々使い回されるためにある意味陳腐ともいえる「自己同一乖離障害」を、物語の重要な人物にあてはめているのだが、そこは篠田真由美、一筋縄で終わらせていないところには好感が持てる。ただ、今回の犯人と京介との対決では「超人的名探偵の行き着く先」として「超人的な犯人」を登場させざるを得なくなっているあたり、先行する別の作家の超人的探偵シリーズと同じ宿命を感じさせはじめたかも。これはホームズとモリアーティ教授の時代からの御約束だから……。

十作品まで積まれれば、まさか本書から手に取る方はまずいないと思う。またシリーズが続きすぎると固定ファンが出来る代わりに新規のファンの取り込みが難しい(シリーズ作品の途中に傑作が登場!といわれても、最初から読むのは大変だ)という弊害もあろう。作者が裸の王様になってしまう可能性も否定出来ないし。個人的にはそろそろノンシリーズで篠田ミステリを体現する作品が読んでみたいようにも思う。