MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/10/31
松尾由美「マックス・マウスと仲間たち」(朝日新聞社'97)

バルーン・タウンの殺人』により早川書房よりデビューした松尾さんは、その後もジャンルを広げつつ独自の視点溢れる著作を発表し続けている。本書は書き下ろし。(新聞社に対する書き下ろしは珍しい?)

二十代後半のOL、三浦美加は十年ぶりに叔父の真霜修造・郁子夫妻に夕食をどうか、と招かれる。彼らには一つ年上の従兄弟、学がおり、彼に関する相談が美加に持ちかけられる。学に対して両親も乗り気の縁談を持ち込んだところ、彼は「自分はマックス・マウスなので結婚できない」と奇妙な理由で固辞するというのだ。マックス・マウスはウェズレーが創りだした世界で一番有名なネズミのキャラクター。(あれだよ、あれ。あの固有名詞はそのまま使えないからさ) とはいえ、彼は現在、研究所に勤務する普通のサラリーマンで、日常の生活に支障はない。学が女性に対して免疫がないことが原因だと考える夫妻は、美加に彼と普通の友達になって欲しいと頼み込む。断り切れず週に一回の真霜邸訪問を承諾する美加。美加はこの奇妙な相談を十五歳年上の恋人、桜井に相談する。フリーライターの桜井もこの件に興味を持ち、いろいろ調べてくれると約束してくれた。翌週、学と会った美加だが多少ぎこちないものの決して、人間的なおかしさは彼は持っていない。その帰り道、修造が興信所を使って美加と桜井の関係を調べていたことを知らされ、彼女は気分を害する。ただ「マックス・マウス」と「ウェズレー」の物語の中に内包される奇妙な事実が少しずつ分かり始める。

松尾流世代分析。思い当たるところが多すぎて背筋が寒くなる……
帯には「新世代の恋愛小説」とあったが、これは「恋愛ミステリー」と冠されるべきだろう。別にクレームがつくことはないと思うのでハッキリ書いてしまうが、ウォルト・ディズニーによるミッキー・マウスをはじめとする各種の映画にまつわる謎――というか秘密――が作品のテーマになっている。主人公の従兄弟が「自分はマックス・マウスなので結婚できない」というのだが、これは「自分はミッキー・マウスだ!」という言葉に変換される。なぜ、この男はこのようなことを言うのだ? その根拠は? すぐには教えてもらえない主人公が、周辺から攻めて徐々に真相に迫っていく。彼女自身が抱えている年上の男性とのスリリングな恋愛、学の婚約者が仕掛けてくる奇妙で卑劣で、不思議な罠など物語の展開のテンポが良く、ミステリという形式を巧く活かしている印象がある。作中では少しずつ暈かしてあるものの、誰もが知るディズニーの様々な物語についての分析が自然な形で提示され、その結論に向けて少しずつ納得させられる推論が積み重ねられていく。
そして明かされる真実。 これには、様々な心当たりがありすぎてドキリとさせられる。もちろんその中身についてはここでは触れない。現在の二十代、三十代が持つ、特にセックスについての考え方がディズニーの影響によるもの、という作中の結論には多少違和感を覚えないでもないが、世代そのものが持っているいくつかの特徴という点については頷くしかない。 気付けば、セックスに関する世代論にまで踏み込んでしまっている。特に学の婚約者の行動には背筋が寒くなるだけでなく、ミステリとしても奇妙に納得させらる動機となっている。やはりこの手法を取った点は正解。

『バルーンタウンの殺人』は、ジェンダー問題を備えたミステリとして、刊行後相当な時間を経た現在でもよく取り上げられる。その松尾さんだけのことはあって「性」にまつわる視点はシビアで、且つ正確。本書を読んだことで何らかの対策? が出来るものではないけれど、かって私が土屋隆夫のある作品を評して「この時代の人は性欲が強いなぁ」と感じたことの、一つの答えがこんなところにあった。衝撃の一冊。


01/10/30
天藤 真「犯罪は二人で」(創元推理文庫'01)

'95年より刊行が開始され、誰もが完結しないだろうと考えていたこの「天藤真推理小説全集」も、本書で全十七冊の刊行を無事に完了したことになる。特に後半六冊は短編集で、角川文庫未収録の作品もあるのでこちらで最後は揃える必要が生じるのだ。本書は、天藤氏の晩年の作品、具体的には'76年以降に発表された短編によって構成されている。

かたや銀行のエリート、かたや零細企業の会計。省一に運を吸い取られたような気分の敬吾は最悪な形での再会を果たした。どうやら省一の持ってきた融資話には胡散臭いことがありそうなのも気にくわない。 『運食い野郎』
推理クラブの顧問の作家先生が、一帯が密室と化した嵐の夜に隣人のホステスを殺した容疑で拘留された。先生を救うためクラブ員は、関係者を訪ねて回るのだが……。 『推理クラブ殺人事件』
会社員が遊びで交際していたホステスが、別の縁談があることを明かした瞬間から本気に。遂に子供を身籠ったという最後通牒が突きつけられ、会社員は嫌々訪問。しかし彼女は既に死んでいた。 『隠すよりなお顕れる』
暴力的な叔父の支配下にあった母子。叔父が出先で若い女の子をハントしたことに気付いた娘の万里子が追跡したところ、彼は何者かに刺され瀕死だった。万里子は慌てて逃げ出してしまい……。 『絶命詞』
視線を合わせることで他人の身体に乗り移ることの出来る能力を発見した男。女子社員に協力をお願いするも逃げられ、別の女性によって練習を開始する。しかしいつの間にか彼女の存在が……。 『のりうつる』
前科九十犯で服役していた男が、保護司の娘に惚れて更正。泥棒はもう止めようと心に誓っていたが、社内盗難事件で疑われたことから、かえって血が騒ぎ出す。そのことに気付いた嫁は……。 『犯罪は二人で』
晴れて怪盗夫婦となった二人が次なる標的として選んだのはベストセラー作家。犬の散歩の間に忍び込むとファンがやって来てしまい、作家のフリをして応対する羽目に。しかもその作家は……。 『一人より二人がよい』
清廉な市長が汚い手を使う前職との選挙戦を開始。現市長の側面支援のため、怪盗夫婦は選挙前に裏金を盗み出そうと計画して実行する。その盗み出した金の行方は……。 『闇の金が呼ぶ』
病死した夫の日記に初恋の人として出てきたのだ、と妻の元に現れた女性。夫は何やら彼女と義理の弟という男に胡散臭いものを感じるが、妻はすっかりその気になってしまって……。 『純情な蠍』
息子を悲願の国立大学合格の為に試験の採点をするという人物の紹介を受ける夫婦。その私大教授は数点しか動かせないことを知って落胆する夫婦に別の教授が声を掛けてきた。 『採点委員』
女性だけの御神輿サークル「七人美登利」に手足の不自由なさおりが参加。だが初の晴れ舞台にて背中をカミソリで切る怪我を負った。捜査に来た美青年刑事に全員のぼせ上がるが、犯人は一向に分からない。 『七人美登利』
私邸にて酒乱と化した副社長の被害を受けた結果、その奥方と深い仲になってしまう新入社員の実。彼女なしではいられなくなった彼だったが、彼女の義兄に情事が見つかり破局を迎えてしまう。 『飼われた殺意』以上十二編。

七編が初登場! かっての天藤真の著作を全て揃えた人には却って外せない作品集
角川文庫の短編集、大和書房の二冊、双葉社の新書それに出版芸術社の一冊。創元推理文庫を購入せずとも、今までも本気で蒐集しようとする人間にとっては、天藤真の短編集のコレクトのハードルはそうめちゃくちゃに高いものではなかった。ただ、それはあくまでそれまでに刊行された作品という注釈がつく。本書はそんな貴方のために編まれたような作品集。つまり、今回初めて本になる作品が多数収録されている。
目玉は表題作でもある『犯罪は二人で』をはじめ三作続く「怪盗復活」もの。(名称があるのか分からないので適当につけてみた) 一旦は前科九十犯の窃盗のプロが保護司の娘に惚れて工場務めの真人間に一旦は立ち返るが、ある事件をきっかけに嫁さんと二人三脚で再び泥棒稼業に再挑戦しようという連作。天藤氏が生前に、再編集して長編化しようと目論んでいたということもあり、特異な設定が活かされた骨組みのしっかりした佳品である。他『運食い野郎』『推理クラブ殺人事件』『のりうつる』『飼われた殺意』に到るまで、それぞれ天藤作品らしい特徴が発揮された作品が取り上げられた。
さて、その「天藤作品らしい特徴」とは何か。 まず最初に目に付くのはユーモア。夫婦の泥棒に限らず、裏口入学の斡旋屋、亡夫の思い出を辿る女性等々、本作でも奇妙なシチュエーションに置かれた登場人物が次々に登場する。多少ファンタジックともいえる彼らが現実から一つ上のステージへと物語を引き上げ、泥臭さをまずぬぐい去ってしまう。淡淡とした文章、そしてやり取りから喜怒哀楽といった感情がくっきり浮かび上がり、メリハリがしっかり利いている。テンポの良さに支えられた物語そのものが実にスムースで読みやすい。
もう一歩進むと、その物語に何らかの社会性が込められているのがポイントだということにも気付く。金権選挙、受験戦争、男女のエゴイズム、醜い欲望、身障者への厳しさ……など、作品それぞれがどこかで社会問題と繋がっている。ただその問題を大上段に振り構える仰々しさを天藤氏は持たない。背景や動機にさり気なくそういった問題意識をまぶしているのみ。それでも天藤作品という料理の中で、それらがピリリと辛いスパイスとなって全体の味を引き締めていることは間違いない。
そして全体を読み終えた時の後味の良さ。これが天藤作品が多くの人々に愛される最大の理由だろう。ハッピーエンドはもちろん、バッドエンドであってもどこか希望を感じさせる幕の引き方が為される。その結果、作品を選ばず読者は常に暖かい余韻――配慮と言い換えてもいい――に包まれるのだ。推理小説というものがあくまで「大衆の娯楽」であることを知り抜いた作者ならではの読者サービスともいえる。
ユーモア、社会性、そして暖かい余韻。三拍子が揃って老若男女誰もが楽しめる天藤ミステリが構成されている。一言確実にいえることは「読んでないなら黙って読め」ということだ。

以前、謎宮会などでお馴染みの戸田和光さんに、天藤真の未収録作品のコピーをいくつか頂いており、本書初収録の作品のいくつかは既読。『飼われた殺意』も創元推理で読んでいたし。ただ、やっぱり本になるということはまた味わいが格別。


01/10/29
森 博嗣「恋恋蓮歩の演習」(講談社ノベルス'01)

むう、段々読むのが追いつかなくなってきた。保呂草潤平、小鳥遊練無、香具山紫子、瀬在丸紅子らによる「Vシリーズ」の長編、六作目にあたる作品。

大学の工学部の院生、大笛梨枝は代理で出席しているカルチャースクールにて、建築家の羽村と名乗る男性と知り合う。誠実でユーモアのある彼の人柄に徐々に引かれていく梨枝は、彼との交際を重ねて一線を越える。一方、香具山紫子は、保呂草からの依頼によりマンションの一室から、実業家一族の鈴鹿邸の人の出入りをチェックするアルバイトをしている。保呂草との二交代により紫子はチャンス到来とばかりに積極的なアプローチを図ろうとするがアルコールを前にし失敗が続く。その保呂草より仕事の絡みというエクスギューズ付きながら、世界一周の豪華客船、ヒミコ号への乗船を誘われて紫子は舞い上がる。那古野から宮崎を経て香港に向かうヒミコ号にて旅行したいと梨枝は羽村の分を含めてスイートを予約。またヒミコ号には鈴鹿一族が所有するという天才画家・関根朔太の自画像が持ち込み、その絵を譲り受けたいというフランスの大富豪もまた乗り込むという。保呂草はその大富豪からの依頼で、その自画像を盗み出すのが今回の仕事。しかしヒミコ号には無銭で紅子と練無も乗り込んでしまい、そして出航。そしてようやく事件が発生する。

ますますVシリーズは「シリーズであること」を前面に打ち出してきたような……
ハッキリ言って本書を読むには前作『魔剣天翔』を読んでおく必要がある。でないと、微妙な人間関係などが分かりづらい。そしてそのシリーズとしての体裁の中、事件が発生するまでが長い。(全316Pの作品で事件らしい事件は170Pに初めて発生する)通常のミステリとして評価してくれるな、ということだろう。この部分で描かれているのは、主要登場人物の(そして今回限りの登場人物の)心境であり、恋心である。ただ、だらだらとした描写そのものがしっかりと後の伏線となる事柄も含まれていはいる点には注意しておきたい。とはいえ全体としては、森ミステリィの世界観の中での一種シニカルな人間関係描写といった印象が強い。
それらを踏まえられ、本書のメインとなる後半、「豪華客船内部から密室で厳重に守られた名画を盗み出す」という怪盗物語へと展開する。この部分についてはオーソドックスにまとめてきた感。感心したのは、ある不可能部分を可能にするため、前半に描かれているあるストーリーが効いていること。人によっては反則とも思われる方もあろうが「しょうがないなー」という脱力と共に「こういう手でくるのかー」というどこか茫洋とした驚き(奇妙な表現だが、そうなのだから仕方ない)を覚えた。森ミステリィらしい人間観がそのままトリックになっているといった印象。絵画の船外持ち出しの方はありきたり、というかそういう持ち出し方がノーチェックのわけがないでしょ、普通……という疑問の方が強かった。全体としては謎うんぬんよりも、登場人物の新たに明かされる側面に強い印象が残る作品。単体として評価するだけ無意味だろう。あくまで「シリーズの中の一作」

この「Vシリーズ」、読み始めると続きが読みたくなる不思議な力がどことなく存在している。登場人物に関する描写を増やして「謎」以外の要素に重きを置く作風の結果だろう。ここまできたので乗ろうと思う。『六人の超音波科学者』もとっくに買ってある。


01/10/28
山前 譲(編)「真夜中の密室」(飛天文庫'95)

ミステリー評論家にしてコレクター、山前氏による「密室」テーマのアンソロジー。マイナーな文庫に関わらず、収録作品のセレクトに渋さがあり、本格ファンに絶賛された。実は表紙に重大な誤植があるなど、妙な形で話題になったことも。

キャサリンもの。京都の旅館の一室で立て続けに自殺者が出た。キャサリンは他殺と考え、その不吉な部屋にわざわざ宿泊する。 山村美紗『呪われた密室』
会社社長が危篤となり、親族や役員が集まった屋敷で社長の息子が密室内で殺された。 高木彬光『影の男』
教習所の評判の悪い教官が教習用自動車の中で殺されているのが発見された。隣接した隣の車に挟まれ自殺とも考えられたが 中町信『動く密室』
お金に困り作詞家の先生宅に遊びに行った若者たち。独自の健康法マニアの先生は若い女性から私生児の申し出を受けて困っていた 泡坂妻夫『ナチ式健脳法』
田舎に建つ芸人だけが宿泊する宿屋でいくつかのグループが集まって宴会が開かれた。あくる日、メンバーの女性の絞殺死体が発見された 大谷羊太郎『北の聖夜殺人事件』
かって発生した密室殺人事件は、犯人はおろか被害者さえもアリバイがあって密室内に入れるはずがないものだった 天城一『むだ騒ぎ』
鍵のかかった部屋で未亡人が服毒死した。しかし彼女には死ぬ理由が見あたらないと愛人が主張する 島田一男『渋柿事件』
戦争の最中、印度の宝石「シバの眼」が巡業中の印度人見世物師の手に渡っていると聞かされる。友人はそれを強制的に調べようとするが 鮎川哲也『妖塔記』以上、八編

ミステリ作品の王道、「密室」の面白さが満載!
それこそ『モルグ街の殺人』の昔から、ミステリ作品は「密室殺人」という不可解犯罪に取り憑かれているといっても過言ではないだろう。カーをはじめとする研究家、作家が「密室講義」を行い、国産ミステリの「密室」を扱った長短編だけでもこんなにいっぱいあるというのに、創作者は次なる密室を生み出そうと苦心惨憺し、読者もまたそれを喜ぶ、という状況は延延と継続しているし、おそらく今後も続くものと思われる。
本書もまたそんなファンの夢が詰まった? ともいえるアンソロジー。作品それぞれに当然「密室」があり、それもまた選者の好みであろうか、特殊なものがわざわざ選ばれている。日本屋敷の和室の密室、自動車で作られた密室、また密室で殺されている被害者が、その密室にいる筈がない、という二重の不可能犯罪など。鮎川、天城といったマニア向けの作品をカバーしつつ、山村、泡坂といったメジャーどころをプラス。ミステリとしての内容と恐らく営業? に配慮され、かつエンターテインメントとして高品位の作品が集められている。
いくつかはオリジナル短編集で既読ながら、やはり天城一の凝り性がありありと感じられる『むだ騒ぎ』、また戦時中の懐古とミステリの謎が鮎川らしいタッチでミクスチュアされた『妖塔記』のマニア向け二作に強い印象が残った。またビッグネーム山村美紗のキャサリンものの短編もトリックメーカーらしい創意が強く出ている作品で、改めて彼女の作品群は時代に埋もれさせるのは勿体ないな、と意を強くした次第。

思い起こせばKIYOKA-CHANの送別会時の古書店巡りの際に須川さんに背中を押されて購入した本。購入してから読み始めるまでに時間がかかりましたが、押して頂くだけの読み応えがありました。「がちがちの本格」ファンなら押さえるべき一冊


01/10/27
石井敏弘「風のターン・ロード」(講談社文庫'90)

第37回江戸川乱歩賞受賞作品。原題は『ターン・ロード』で'87年に刊行される際に現在の題名に改題された。また受賞時の作者の年齢が24歳と当時の受賞最年少記録を塗り替えたことでも話題に。

カメラマンとして世界各地のオートバイグランプリを撮影して廻る仕事から、八年半ぶりに故郷の神戸に帰ってきた芹沢顕二。離婚した自分の母親の娘、つまり会ったことのない自分の妹、美恵子が一年前に何者かに殺されたことを知り、その真相を探りに来たのだ。愛用のバイク、ZIIで六甲山のドライブウェイを駆け下りる時、青いつなぎを来たライダーと期せずバトルになり、結果、相手が転倒する。青いつなぎの人物は実は美人女性。だが鼻っ柱の強い彼女は、芹沢の助けを最低限しか借りず、彼の前を去っていく。現場となったクラブ”ルーエ”は魅力的な店長、工藤圭介が経営している店で、多数のファンがついているようだった。ここで旧友の茨木節子と橋本勝敏と待ち合わせ、情報の収集を行う芹沢。美恵子の父親は、神戸の有力者で彼女はその寺崎家に養子にならないかと持ちかけられていたという。また彼女は圭介が好きだったにも関わらず、直前に他の男と強引に関係を持たれたりといくつか問題を抱えていたようだった。

「トレンディドラマ風」の設定が、なぜかしっかりミステリに繋がる
うーーーーーーむ。読み終わって振り返ってみれば確かにミステリ。確かにミステリなんだけど、他にも何かに似ているような……。と考えて、気付いた。トレンディドラマ(死語ですか?)だ。
主要登場人物がこんな感じ。ぶっきらぼうだが情熱家の主人公。はねっかえりだが純情なヒロイン。美しいがハンディキャップを背負ったピアニスト。しっかりもので慕う人の多いクラブのマスター。内気な中に情熱的な愛を秘める主人公の友人女性。豪放磊落ながらどこかに影を持つ主人公の友人男性。女性に人気ながら芯はしっかりしたアルバイトの青年。クラブ”ルーエ”を中心とする人間関係。読んでいるうちに人気俳優や女優をつい当てはめたくなる。それだけではない。これらの主要登場人物を相関図にした時、ほぼ全員に「愛情の矢印」を書き入れる必要があるのだ。
もちろん過去だけでなく、物語の展開に応じて殺人事件や犯人が残した奇妙な痕跡など「いわゆるミステリの謎」も存在、いわゆる探偵役を主人公が務める。とはいえ、さしたる苦労もなく調査は進み、主人公とヒロインは熱烈ぶっちゅーな愛を交わす。脇役の美男美女軍団もそれぞれの愛情に苦労したり、実ったりと「惚れた腫れた」が物語のポイントの大きな部分を占めているような印象を受ける。少なくともこの点は間違っていない。が、ミステリであることを忘れてしまうと、大きな落とし穴に落ちる。
ミステリとしての謎が解かれてみると、物語のポイントが、実はこの「惚れた腫れた」にあったことに気付かされるから。作者が意図したところなのか、天然の物語作りの結果としてこうなったのかは分からないながら、物語の世界とミステリの骨組みがマッチした内容だと感心出来る内容だった。

この時期の乱歩賞はそれまでと、また現在とも異なる系列作品が受賞しているように感じられる。私自身の「穴」でもあるので、もう少し読み進めた上でまとめて行きたい。

がちがちの「本格ミステリ」好きには正直オススメ出来る作品ではありませんが、恋愛小説のようなミステリを読みたい向きにはオススメ。なんとなくこの時期に社会現象のようにブレイクしていた村上春樹とか、森雅裕の初期ミステリだとかをなんとなく想起してしまいました。


01/10/26
霧舎 巧「カレイドスコープ島」(講談社ノベルス'00)

副題は「≪あかずの扉≫研究会 竹取島へ」。『ドッペルゲンガー宮』にて第12回メフィスト賞を受賞した霧舎氏の書き下ろし第二長編。推薦辞を二階堂黎人氏が書いている。

北澤大学≪あかずの扉≫研究会――高校時代の友人、金本鈴の招待で八丈島の近く、竹取島・月島に一同は向かった。咲の予言を受け入れ、会長の鳴海は途中の八丈島に止まった。月島は昔からの因習が支配した小島で、剣持、木虎、竜崎の三家が御殿に住み、当主の月島幻斎が治めていた。船の定員により竹取島に向かう他のメンバーに置いてけぼりをくらった二本松翔は、宝捜しが目的というグラマーな女性、真珠子と共に月島に向かう。その途中、翔は月島の名跡、虎鳴岩から面を被った二人の男性が浴衣にくるまれた死体のような物体を投棄するのを目撃する。島についた翔は、真珠子の裏切りに会い、不法侵入で拘束され座敷牢に入れられる。なぜか隣にはメンバーのユイも閉じこめられている。様子を見に来た月島幻斎から島の情報を得た二人だったが、睡眠薬により眠らされてしまう。翌朝、疑いの晴れた翔の証言にて死体捜しが開始された。しかし浴衣にくるまれ上がって来たのは翔と一緒に船に乗っていた真珠子の死体だった。しかし、これはまだ連続殺人のプロローグに過ぎなかった……。

名作のオマージュであっても正真正銘・純粋無垢の「新本格」ミステリ
正直、『ドッペルゲンガー宮』は感心できる出来ではなかった。が、本作、前作で見られた「小説下手」な部分が改善されており、かなり読み易さは向上したように感じた。また、ようやく登場人物の個性がハッキリと打ち出されてきたこともあって、前作での予備知識と合わせするすると状況が飲み込めるようになり、ようやくミステリとしての面白さが素直に打ち出されたような気がする。
自ら霧舎版『獄門島』と銘打っている。この点については『獄門島』そのものへの思い入れもあって、全面的に首肯出来ない。ただ、周囲より隔絶された独自文化を持つ島と受け継がれてきた因習、連続殺人など伝奇的雰囲気を感じさせる点は好感。一つ一つの殺人事件におけるトリックは小粒ながらよく考えられており(そのいくつかはミエミエとはいえ)、前作浮いていた咲の予言能力なども伏線としてうまく機能させている。「ここがミステリ」という部分を取りだして、事件と伏線と解決だけを論ずるならば及第点は充分に与えられる
一方で、知り合った人がいくら死んでも全然動揺しないメンバー、意外性を狙いすぎてかえって意外でない犯人、ラストに糾弾することでカバーしているとはいえ弱すぎる動機、こんな状況下で好きだの惚れただのいう主人公……等々、引っかかる点も未だ多く残っている。特に470ページもの分量の割りに島の様子やイメージを文章表現でなくイラストや図に頼ってしまっている点は残念。道具立てこそ横溝正史が意識されているという割りに重なってこないのは、霧舎氏の表現力の力不足ではなく、横溝作品が持つ圧倒的イメージが実は凄すぎるせいなのかもしれない。
作品の随所にミステリ好きなら「ニヤリ」とするような引用や描写が見られる。しかし「ミステリファンの常識」を超えた部分、例えば吉村達也の朝比奈耕作ものネタなど「お?」というレベルの多少強引な比喩も作られるのは、分からない人にとっては却って不快かも、とも。ここはそれこそ二階堂黎人氏の蘭子もの初期長編のように一つ一つに細かく注釈をつけて巻末で解説するのも一つの手かもしれない。

個人的には評価が難しい作品。やはり「新本格ミステリ」中心の読書をしている方でかつ若い世代向け、とするのが正しいだろう。登場人物と読者の年齢層が離れれば離れるほど、受け入れづらいものが大きくなる作品のような気がする。


01/10/25
皆川博子「花の旅 夜の旅」(扶桑社文庫'01)

「昭和ミステリ秘宝」第二期刊行「官能篇」のうちの一冊。カップリングされている長編は『聖女の島』。講談社文庫にて『奪われた死の物語』と改題されて刊行されていたこともあるが、作者の意に添わない変更だったとのこと。

かって文学新人賞を受賞しながら、同期受賞の針ヶ尾奈美子が活躍しているのを後目に鳴かず飛ばずの印刷所経営者、鏡直弘。彼の元に女性向け雑誌『ウィークエンド』の編集者、那智克人から連載の依頼が入る。「花の旅」と名付けられたその企画、季節の花の名所の写真に短篇小説をつけたシリーズものという趣向。仕事に飢えていた鏡は当然承諾する。那智から取材旅行への同行を誘われた鏡は、カメラマン新藤やその妻の真弓、モデルの加奈、アシスタントの遼一らと知り合う。鏡は彼らをモチーフに、連載第一回目の短編作品を書き上げる。題名は『平戸』。カメラマンの妻と男性モデル、そして特殊な感性を持った女性モデルの物語。連載は継続、だが第三回の取材旅行の最中に、カメラマンの妻、真弓が撮影現場近くで墜死してしまう。更に第三話が雑誌に発表された後、作者の鏡直弘自身が睡眠薬の大量服用にて死亡する事件が発生。「花の旅」は針ヶ尾奈美子が短篇を引き受けることとなる。奈美子は、行きがかり上から鏡が遺した原稿などを入手、第三話の原稿には全く異なる別の原稿が存在していたことを知る。

幻想が幻想を産み、真実は息を潜め、戦慄と共に錯綜の中へと引き出される――
幻想的なのだが、どこか生々しいというのが全体を通じての印象か。皆川さんの初期作品とまだあまり出会えていないので、本作だけなのか、この当時の作品が皆そうなのかはちょっと分からない。「現実と幽界の境目が曖昧」というのが近年の皆川作品の本質とするならば、この作品は「一種幻想的な価値基準にて生きる人々の姿」、つまり「基本的には現実に立脚した幻想への旅」が主題のように思えてならない。どのように幻想的な世界が展開されていても、そのどこかにまだ「現実」がごく僅かたりとも存在し、細くとも切れない糸が繋がっている。ただ、登場する彼らの考え方、美学、行動基準が「平凡で常識的な人々」とは、ひと味もふた味もかけ離れているところが大きな特徴か。その落差の大きさに動揺させられるのだ。もちろん皆川さんの筆の冴えによる部分も大きい。道ばたの雑草といった現実に存在する事象を鮮やかな文章で書き上げたかと思えば、次の瞬間には暴走して闇へと向かう人々の心の動きが赤裸々に綴られる。三次元的な起伏が文章から浮かび上がる。
そして、作中作が繰り返される本書は、一つの完成された皆川短編集のような美しさを持つこともまた事実。突きつめて抽出すると実は似ている主題を持ちながら、それぞれにて異なる感慨を湧き起こさせる短編。それぞれの短編に込められたメッセージが全体の物語を繋ぐ。そして合間の現実部分が、独自の美意識に彩られておりその関係を緊密なものにする。と思えば、作中の主人公をあっさり殺して別の人物に引き継がせたり、まさに謎が謎を呼び、テキストが次々と罠と化す美しさをも併せ持つ。ミステリとして驚愕、物語として戦慄。 人間がただ生きていくという行為にて発生する欠落感、埋まらない心の穴をこれほどまでにくっきりとそして美しく惨たらしく描ける作家は、せいぜい百年に数人しかいるまい。そして皆川博子は確実にその中に入る作家である。昔から。今でも。

ああ、私の拙い言葉では、この作品の凄さが語りきれないではないか。なんたる無力。

読み終わった後、勢いに任せてそのまま併録の『聖女の島』をも再読したが、こちらもやっぱり凄い作品だった。一貫した眩瞑感覚がミステリとしての興趣を微妙に上回り、物語全体の異様な緊張感が継続することから、個人的には『聖女の島』の方が好み。だけど両方「ものすごいミステリ」であることもまた間違いない。ああ『死の泉』も早く読まないと。


01/10/24
山田正紀「ミステリ・オペラ ――宿命城殺人事件」(早川書房'01)

構想五年、執筆三年。かってはSF作家、現在はミステリ作家として剛腕を振るう山田正紀氏自身が「代表作品」と言い切る超大作。『マークスの山』や『死の泉』などの粒よりの話題作が並ぶ「ハヤカワ・ミステリワールド」の一冊として刊行された。

自由正論社という出版社に勤務していた夫、萩原祐介を飛び降り自殺で亡くした主婦萩原桐子。結婚して五年、どこか心を許しきっていない夫に対して漠然とした不安を感じていた彼女は、平静にその事実を受け止めた。夫には「葉子」という愛人が別にいたという想いもあった。部屋には夫が遺書代わりに残したと思われる平凡な文章、そして並べられたトランプ。夫の遺品にも半分に千切られたトランプと、劇場の半券があった。夫は生前、映画『アパートの鍵貸します』を頻繁に鑑賞していたらしい。そして「人生はまやかしに過ぎない」とも口にしていた。桐子は夫が死んだことが信じられず、夫が生きている並行世界の世界を信じ始めるようになった……
昭和十三年。満州国が建国され、天照大神を国に迎える奉納の鎮座祭にて歌劇、『魔笛』が上演されることに決定した。善千鳥良一は、刑務所にいたが出所後に満州にわたり、その上演と同時に公開される予定の映画撮影の手伝いを行うことになっていた。服役中、彼は自分のことを「無決囚」と名乗る黙忌一郎という謎めいた男と知り合う。善千鳥は、探偵小説作家の小城魚太郎や、満州国の広報処の官吏、早見風弘、主演女優を務めるプリマ・ドンナ白香花らと合流する。彼らはロケ地である「宿命城」に向かう予定となっていた。その城主は真矢胤光という名の大資産家であったが、彼はまた仮面で顔を覆い、人に素顔を曝すことがなかった。

要素という要素を贅沢に過剰に詰め込んで。「昭和」という時代を浮かび上がらせる超絶の探偵小説
分厚い。全682頁。作者の構想五年、執筆三年を、私は積ん読半年、完読には十九日かかった。
プロローグから切り取られた事件が並ぶ。進行した後読み返すと意味はもちろん分かるのだが、最初は意味が見えないため、つっかえつっかえ。加えて本編に入っても必要以上に細やかと思われる情景や場面の描写が続き、前半を超えるまでが少々読みづらく感じられた。しかし、物語が進むにつれ「後に収拾されるのか?」と心配してしまうくらい、探偵小説特有の趣向が次々と(まさに次から次へと)登場し、加速度的に興味がかき立てられるようになる。

 ……暗号・密室・アリバイ・叙述・メタ・見立て・作中作・一人二役・顔のない死体・アンチ・ダイイングメッセージ・ペダンティズム……

 これらの趣向(ガジェットと呼べばよいのか?)を「えいえいこれでもかこれでもかえいえい」とばかりに作品にて大量使用しているの。あたかも探偵小説という形式が保持するエッセンス全てを貪欲に物語に取り込もうとしているかのよう。それらがまつわる具体的な事件それぞれがまた「不可能・不可解」が徹底されている点もまた凄い。この贅沢なトリックの乱舞は近年の山田ミステリの思想に近いだろう。ちなみにこんな感じ。

 ・空中に二十分も浮かんでいたかのような飛び降り死体
 ・密室内で古代の戦車に轢かれたかのように死亡している男性
 ・戦闘中に貴重品を積んだ貨物列車が一両まるまる消失
 ・三千年前の甲骨文字が予告する一連の殺人事件
 ・宿命城内部で次々と発生する犯人不明、密室、猟奇、不可解連続殺人事件……他にもまだまだ。

提示された「謎」がいかに突飛で不可能に思われようと、最終的に「論理」が解決する。これもまた探偵小説不変の真実。そう、ここまでで述べたかったのは本書が「究極の探偵小説」を目指して書かれたのではないか? ということ。長編を支えうる思い切った事件が、周辺部に曼陀羅のように配置された大・大河探偵小説。、まずそれがこの『ミステリ・オペラ』なのである。

「それにしても、この世には探偵小説でしか語れない真実というものがあるのも、また事実であるのだぜ」

この言葉は本書の中で再三繰り返し語られるし、単行本の帯にも使われている。この壮大な小説のメインテーマはこの言葉に集約される。「探偵小説でしか語れない真実」――つまり、探偵小説を用いて語らなければならないこと。私はここでいう「探偵小説」とは「客観的手掛かり」を元に「犯人を推理」し、「トリック(欺瞞)」を暴き、後から「真実」を構築する、という王道的構造のことを指しているのだと理解した。そして『ミステリ・オペラ』にて最大の事件、大曼陀羅の真ン中に位置する大本尊が「昭和という時代」である。
過去と現在が交錯する物語の中で、過去は昭和の初期、満州国建国の頃にあたり、現在は平成のこの世ではなく、昭和の最後期にあたる。(満州といえば、鮎川作品のあの人らしき人物も登場する) 「昭和」という時代の六十数年。特に戦前の日本という国が行った所業の数々。現在の教科書問題などで端的に示されるように、その時代に何があったのか何がなかったのか何が為されたのか何が為されなかったのか、突きつめていくとよく分からないことは多い。実際にそうなのだが、物語においても残されている歴史、即ち真実は(作中では裏世界の大物、占部影道による)「トリック(欺瞞)」である。それに対して探偵役(作中では、検閲図書館・黙忌一郎)が、「手掛かり」を元に「真実」を構築していく。権力者に都合が悪かったり、グロテスクであったり、悲惨であったりする「事実」は「トリック(欺瞞)」によって改変されがち。それを乗り越えて「真実」を語るのには、超人的名探偵がどうしても必要で、更には探偵小説という形式が必要なのだ――ということ。ただ、小生の読み込みがまだ足りない可能性もあり、確実にそういうことだと言い切れない部分もある。だけど、山田ミステリの原点である『人喰いの時代』でも描かれていた喪われた昭和史……という主題が、本書の根底に存在していることは間違いないだろう。
本書でのテーマは、昭和史において現在でも議論の的となる南京大虐殺。そして山田氏が訴えるのは南京大虐殺そのものというよりも、その歴史的な事実が詳細が明らかにされないまま闇に葬られていること。ドキュメントやノンフィクションであっても、それは恐らく「事実」の羅列になってしまう。真実を知るためにはその「手掛かり」を元に、真実を再構築する探偵が必要なのだ。山田氏が繰り返す「探偵小説にしか出来ないこと」とは、そういう意味だと思う。そしてそのためには従来の探偵小説を超える、一種完璧な探偵小説を用意する必要だった、と。

読み終わって後を振り返ってみれば、やはり探偵小説。しかし心の中に残るのはまたもっと別の何か。このボリュームに戸惑う人もあろうが『ミステリ・オペラ』で山田氏がやろうとしたことを知るためには、結局『ミステリ・オペラ』を読むしかないのだ。時間と頭と体力に余裕のある時にじっくりと取り組まれたい。


01/10/23
宮部みゆき「R.P.G」(集英社文庫'01)

宮部みゆき初めての文庫書き下ろしの長編ミステリ。『クロスファイア』や『模倣犯』に登場した石津、武上の両刑事が登場……といわれても両方読んでないや。とはいえ読んでいなくとも問題のない内容。

杉並区にて家屋建築中の現場にて全身を二重数ヶ所刺されて死亡した男性の死体が発見された。被害者は所田良介。食品会社の課長職にある四十八歳の男性。妻と娘との三人暮らしだった。一方、同じ杉並区のカラオケボックスでアルバイトの二十一歳の女性、今井直子が絞殺される事件も発生していた。二つの事件は無関係と思われたが、良介と直子に面識があり、かって直子が良介と不倫の関係にあったことが判明する。直子の恋敵で直情的な性格だった女性、A子の容疑が濃厚とされ、様々な不利な証言が為されるが決定打とはならない。一方、良介には浮気クセがあり、しかも最近はインターネット内にて疑似家族を作りハンドルネーム「お父さん」として、父親役となっていたことが分かる。他の三名はそれぞれ「お母さん」「カズミ」「ミノル」と名付け、良介が殺されるしばらく前に四人で「家族会議」なるオフ会を開いていたという。一計を案じた警察は最近ストーカー被害にあっていたという良介の娘、一美を警察に呼び出し「ミノル」「カズミ」「お母さん」の取り調べの面通しを依頼する。

本書が抉るのは現代家族像などではない。進化した個人のエゴイズムそのもの
ミステリとして反則がある、と宮部さん自身があとがきで述べられている。が、そのことが結末のサプライズを妨げるとか、そういうことはない。伏線も引くべきところは引いてあり、寧ろわざと反則の記述を行うことで、総合として緻密な計算が生きてきている。 このような確信的な反則は他の作家にも多いに試みてもらいたいと思う。それにしても、このタイプのミステリを宮部さんが手がけるのは珍しいのではないだろうか。
ここで話は変わる。
そりゃサイトを運営してもう四年。ネット歴だけならもっと長い。いろいろな人を見てきた。本書のように疑似家族まではいかないものの、ネット上で兄だ姉だ弟だ妹だと義理の兄弟関係を結んでチャットで遊ぶ人も知っている。(最近は知らんけど) なので本書のネット上の家族ごっこに触れても、何ら衝撃など感じなかった。これは現実に多数存在する、ネット上で知り合って恋人を気取る人々と同じ次元の話。ネット上で疑似家族関係を求める……という行為は、例えばテレビゲームに没入して、プレイしている間キャラクタに成りきっている状態と同じでしょ。 なので、疑似家族を通じて単純に「現代の家族という共同体の崩壊」を表現しようとした作品とは感じられなかった。 もちろん、作者の意図はそちらなのもしれない。しかし、家族崩壊を本気で描くのであれば、本来の家族を捨て去って生身で別の擬似家族を創るくらいところまで宮部さんなら突きつめたのではないかと思うし。 ネットなんて所詮コミュニケーションツール。その道具が醸し出す幻想にのめり込み、本気になるのは限度を知らない個人の問題。家族の問題などではない。
警察関係者を除いて、本書に登場するほとんどの人物に共通するのは「自分さえ良ければOK」という考え方にある。自らの理想がありながら、それに立ち向かうパワーを安易に代替品に求める姿、家族を含めた他人との「不快な」コミュニケーションから逃げ回る姿からは、徹底した個人主義=エゴイズムが読みとれる。それが例えば「配偶者の浮気を許す」という犠牲的精神であろうともそれが自己満足に繋がっていれば、それもまた変形したエゴイズムだろう。単なる個人主義は過去からの存在しているものだが、ここに「現代の」という形容詞を付けた時に浮かび上がるのは、個人が一番大事ということを天与の既得権として行動の価値基準のど真ん中に据えている人物たちだ。本作では、そんな人物を複数登場させることで、共同体における歪みを際立たせている。殺人事件が絡むミステリ仕立てとすることで、その人物たちへの観察はシビアになり、読者に対してもストレートに彼らのディテールが明らかにされる。事件が終結した時に感じる戦慄は、将来の日本において彼らが従来型価値基準を崩壊させることを予感させる怖さからくるものかもしれない。

さらりとこのような作品を書き下ろしてしまう宮部さんって本当に怖い人だ。人間の温かさを汲み取ることが上手な超一流ともいえる「人間観察力」は、一方ではその人間が持つ冷たさや歪みまでをも冷徹に見据えているのだから。 宮部作品の今年の代表作はやっぱり『模倣犯』ということらしいが、本作は小粒でもピリリと辛い佳作。


01/10/22
山村正夫(編)「恐怖館 残酷ミステリー集」(青樹社'76)

本書発表の昭和五十年前後、映画『ジョーズ』が公開されるなど、それまで日陰扱いだった「残酷」に対する世間の欲求が高まってきていた。山村氏は推理小説が残酷な殺人や冷酷な殺人犯を扱うことが多いことに目を付け、戦前戦後の諸作を集めミステリーファンに贈る「残酷な花束」を編んだのだという。

「貝殻荘」という奇妙な館に滞在する美江は月代という年上の女性に崖から突き落とされそうになるが、反対に彼女を突き落とす。それを漁師の息子に目撃された彼女は、彼を懐柔すべく接触を図る。 横溝正史『貝殻荘綺譚』
矢貝三千代は家族四人を殺し無期懲役を宣告され、更に獄中で別の囚人を殺したことから死刑宣告を受けた。執行が迫る中、彼女はキリスト教を信じる純粋無垢だった自分を回想する。 山田風太郎『女死刑囚』
戦時中。部隊を脱走して捕まり投獄されているSは、鬼のような看守に目の敵にされ、拷問に近い仕打ちを受け続ける。彼が妻にあるものを作って差し入れて欲しいと頼む。 大河内常平『陸軍衛戌刑務所』
戦争の名誉の負傷にて四肢と聴覚、発声器官を喪いつつも奇跡の生還をした須永中尉。妻は嫉妬深い彼の世話をしながら昏い欲望にとらわれていた。 江戸川乱歩『芋虫』
金持ちが花嫁の為に作った巨大水槽。花嫁の裏切りにより血の繋がらない娘が彼に残される。果たして彼はその娘に対し、妻を重ねて復讐することを決意していた。 香山滋『海鰻荘綺談』
小学校六年の悦子はクラスメイトから陰湿ないじめにあっていた。屈しないことからエスカレート。担任教師がついに気付いて彼女を庇うが。 森村誠一『青の魔性』
横浜のバーで不思議な鏡を酔って壊した男。翌朝、彼は自分の顔を鏡で見ることが出来ないことに気付く。彼の顔は僅かな期間にに醜く変貌していく。 山村正夫『失われた顔』
米軍の倉庫からヤクザの資金源となる銃器を強奪する佐伯裕二。組長より最後に大仕事をすることを告げられ、乗り込んだところ裏切りにあい窮地に立たされる。 大藪春彦『その罠を噛み破れ』
三人組の土工。話題の流れから一人が野犬を捕まえ、生きたまま皮を剥いだ。その男は得意げだったが彼は狂犬病に感染させられていた。 草野唯雄『皮剥ぎ』
小悪人の大道易者が、ゴム紐売りの男に唆され、山奥に住む大金持ちの老婆と娘を襲うことになる。手引きをするのは、二度その屋敷を訪れている男。 結城昌治『うまい話』 以上十編。

単純に残酷なだけではない。その「残酷さ」をミステリとしてどう料理しているかがポイント
このアンソロジーそのものはそこそこ珍しい(入手が困難)部類に属するとは思うが、上記の通り個別に作品を眺めれば有名作品が数多く収録されており、本書にこだわらずとも他のアンソロジーや短編集にて読める作品が多い。(大河内常平だけはちょっと難しいかもしれないけど) ただ、他のアンソロジーにて収録される場合の主題は、基本的に「怪奇」や「恐怖」の探偵小説(ミステリ)としてだろう。本書は恐怖という文字も冠しているが、アンソロジーとしての狙いはそれらと異なり「残酷」という単語にある。
さて「残酷」なのだが、定義が難しい。人が人に殺される。即ち残酷という単純な見方もあろう。この視点に立てば、日常刊行されるミステリのほとんどが残酷ということになる。その中から更なる「濃い残酷さ」を求めるのであれば、猟奇だとか、残虐だとか、非情だとか、グロテスクだとかという要素になりそうなもの。しかし、本書の「残酷さ」はそれらとも微妙に異なるように感じられた。
本書の主眼は「精神的なダメージ」といえばいいのか。どうも直接的に「脳髄を撒き散らしのたうち回って苦しむ」という描写がある作品(大藪作品のみまさにコレだが)よりも、登場人物を精神的に追いつめ、「残酷な」ダメージを与える作品が多いように感じた。『女死刑囚』も『海鰻荘綺談』も『陸軍衛戌刑務所』、そのもののグロテスクさと同時に登場人物に与えられる精神的なダメージの方が大きい作品である。『貝殻荘綺譚』も犯人を精神的に追いつめて行く物語だし、『青の魔性』の恐怖の源泉は教師の心理にある。この「精神的ダメージ」を強調する方針は、従来型の「探偵小説=猟奇」という図式を否定し、過去の作品を取り上げつつも新しい方向性を見出そうとする山村氏の心意気とも受け取れる。仮に「恐怖」が求められたとしても、その後のミステリが単純な猟奇に走らなかった点も皆さん既にご存知の通り。
既に評価が固まっている作品以外では、物語的に結城昌治『うまい話』や大河内常平『陸軍衛戌刑務所』あたりで読者に対して仕掛けられた罠に面白さがある。両者とも「余韻」で怖さをかき立てるのが巧い。『皮剥ぎ』の現代のグロ趣味は好みが別れるかな。

杉本一文氏の表紙絵がデッサンが狂っていて不気味というよりちょっとお間抜けに見えるのも御愛嬌。本書でしか読めない作品が少ないので、好事家向けの作品集であることは否定出来ません。他の恐怖ミステリ集等をある程度読まれた後に、編集方針まで目配りして読むのが楽しいのでは。


01/10/21
はやみねかおる「怪盗道化師(ピエロ)」(講談社'90)

「名探偵夢水清志郎」シリーズによって今や子供たちだけでなく、大人にも多くのファンを持つはやみね氏。そんなはやみね氏のデビュー作品にあたるのが本作。第30回講談社児童文学新人賞の入選作品。<「わくわくライブラリー」という叢書の一冊として刊行された。

日本のまんなかよりちょっと南の方にある町、どんで。小さな街の浦口商店街の中にあるのが西沢書店。西沢のおじさんは毎日書店に坐ってあくびを繰り返す日々。しかし、一人の女の子が「怪盗ルパン」をお小遣いを貯めて購入していったとき、西沢のおじさんは怪盗になろう、と決心する。人に笑顔をもたらす怪盗、その名も「怪盗道化師」。変装の勉強をし、怪盗の扮装を整えたおじさんは、街にビラを貼り付けてまわる。文言はこんな感じ。「怪盗道化師参上!! 何でも盗みます――ただし、・世の中にとって値打ちのないもの ・持っている人にとって値打ちのないもの ・それを盗むことによってみんなが笑顔になれるもの」 早速「怪盗ルパン」を買った少女が西沢のおじさん、もとい怪盗道化師にある依頼をした。自分の悪口を言うクラスメイトから悪口を盗んで欲しいというものだった。果たして怪盗道化師はどうやってクラスメイトの悪口を盗み出すのか?

ミステリの味は薄くとも、怪盗道化師の妙手に心はにこにこ、ぽっかぽか
繰り返すが、はやみねかおるのデビュー作品。夢水清志郎シリーズが先見の明を持つ一部評論家の目に留まったことから、一躍ジュヴナイルのみならず、一般ミステリファンからの注目をも受けることになったはやみね氏だが、(当然)この段階ではミステリ作家ではなく、駆け出しの児童小説作家に過ぎない。
なので、物語の中心となるのは「ミステリ」よりも「夢」。 で、これがまた素晴らしくいいのだ。子供に読ませたい! と切に思う内容なのである。
怪盗道化師が、みんなの困っているものを盗み出す――頭が固い捉え方になれば、モノを盗む過程を楽しむ犯罪小説になりそうなのだが、この制約はほとんど気にされず、ちいさな街「どんで」を舞台にしたハートウォーミングストーリーがその正体。宇宙人や妖精も登場する一方、物理トリックや心理トリックも登場し、バリエーションが非常に広い。そしてこの怪盗道化師こと西沢のおじさん、清志郎ほどの特殊な推理能力は全くないのだけれど、そのちょっと微笑ましいお間抜けぶりと子供や人々の心を暖かく包むその精神だけは、誰にも負けていない。しっかりと後のはやみね作品群の基礎となっている。
恥ずかしい話ながら「クリスマスを盗んで!」という女の人のお願いを叶えてあげる「どんでのメリークリスマス」という一編、たぶんこうなるだろうな、という物語に更にもう一段予想していなかったオチが加わっていて、不覚にも涙腺が刺激されてしまった。こういうところ、うまいよなぁ。

現実を眺めれば眺めるほどに世知辛い世の中。せめて物語の世界だけは、人の心に夢を希望を! というちょっと泥臭いスローガンが飾られていてもいいじゃないですか。ミステリ味は薄いけれど、はやみねワールドがお好きな方には目を通して欲しい本。図書館などで探してみては?