MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/11/10
河野典生「悪漢図鑑」(集英社文庫'82)

'76年に光風社より刊行された作品が文庫化されたもの。短編集。作者あとがきによれば「スカッとうさばらしをやりたくなってくる」時、「大音量のジャズ」「親しい人間との酒」が特効薬だが、チャンスがあるときにそれを「原稿用紙の上でも、そいつを試みた」のだという。

ヒッピーに占領された新宿に残った最後のチンピラ。ヴェトナム戦争帰りの日本人を拾って一儲け企もうとするのだが。 『新宿桜会/一九七〇年』
若くして水商売にはいったあたしの誕生日。帰りの遅い次郎を待ちきれず一人で飲んでいるとキザな男に声を掛けられた。 『豚は太らせて殺せ』
ウェイトレスに仕事を変えたあたしは、女子大生のモラルの低さに辟易。純情なゴウちゃんをからかった相手を懲らしめようと。 『馬は闇の中でいななく』
ターザンもの。ゲバラを名乗る奇妙な男と知り合ったターザンは、上品に取り澄ましたお嬢様方を懲らしめようと。 『ゲバラとカストロ』
遠く未来の日本。母親の胎内で十数年を過ごし、大人になってから子供が生まれてくる世界。 『ねえ、パパ』
牛乳屋の西郷が配達地区のマンションに住むアイドルに一目惚れ。男三人、そのアイドルをテレビ局にて誘拐する計画を立てるのだが。 『われらが灼熱の時』以上六編。

若者の単純で浅はかな自己中心的な妄想を、わざと単純に紙上に展開して放り出す
読んでいる間は、正直「いやな気分」になった。――というのは『ねえ、パパ』というSF作品を除くと、基本的に若者のコンプレックスが裏返って、犯罪的な行為で復讐するという流れで物語が構成されており、あまり上品でないことが理由。若かった頃に誰もが持ちながら若いなりのプライドで堪えていた美学と完全に相反する「行動」が本書では逆に奔流となって物語を動かしている。
「あたし」と「次郎」が組んで、芸能人とその交際相手に奇天烈な手段で復讐する『豚は太らせて殺せ』、また綿密な計画を立ててアイドルを誘拐してしまったところ、アイドルの方が喜んでしまったという『われらが灼熱の時』は、復讐譚にしても、爽快さがある。
問題は残りの作品三つ。これらは、モテない若者が、自分のことを軽蔑したり馬鹿にした若い女性に対して復讐する……という行動が展開する物語なのだ。それだけならまだしも全て無理矢理、または犯罪的な方法を使って「自分のことを軽蔑した女性の身体を奪う」ことを復讐の重点目標とするもの。 別に聖人君子を気取るつもりはないし、あくまで紙上のことでもあり目くじらを立てるようなことではないのかもしれないが、傷付いたプライドを男性的行動にてお返しするという考え方に対しては「根性が醜い」という感想しか抱けない。こういうことを描くのならば徹底的な闇を抱えた人物を設定するとか、何らかの必然を設定するとかして欲しかった。どこにでもいる若者のちんけなプライドで女性を襲うことを礼賛しているかと受け取られない書き方は、少なくとも私は受け付けられない。
作品集の題名が『悪漢図鑑』。発表された当時のモラルをぶっ飛ばした作品なのかもしれない。 若者の鬱屈した神経をせめて本の中で、物語の上で代行して発散してやったのかもしれない。だが先ほど述べた通り、現代読む普通の読者は彼らに「悪漢」の称号を与えることに抵抗があるだろう。正直、勿体ない。「人間のクズ」で充分。言葉や態度で傷つけられ、腹を立てたのであれば、それを超える智恵で対抗して、逆に彼女らを同じような気持ちにさせればよろしい。

なんというか否定的な言辞ばかりになってしまったが、発表後に二十年もしてから読む人間がいるとは河野氏も考えなかっただろうし。単に私個人の価値観と合わなかっただけかもしれないし。ただ一つ。私が否定した三作以外の残り三作については発想と出来はなかなかの水準であることだけは付け足しておきたい。


01/11/09
沢井 鯨「P.I.P プリズナー・イン・プノンペン」(小学館'00)

沢井氏は横浜市出身の元教師。本書は実体験をベースにしつつ、ミステリとして書き下ろし刊行された。小学館がノベルス形態でミステリを刊行するのは珍しいのでは。

中学校の教師をしていたイザワは、夏休みにタイに行くことにする。その旅程で知り合った譲原と名乗る男と意気投合した彼は、譲原の目的地であるカンボジアに行き先を変更し、同地を訪れる。あまりにも日本と異なる常識にショックを受けたイザワは、売春宿で一人の清純な少女、タオと出会う。カンボジアに残されたポルポト時代の傷跡、そしてタオの身の上に同情した彼は二万ドルを彼女のために提供、同地を去った後も、彼自身の特殊な女性への好みもあり彼女のことが忘れられない。その後、カンボジアで孤児院をはじめたという譲原に誘われ、運営のボランティアに飛び込むイザワ。タオを探すものの彼女は当然見つからない。通貨の下落にて運営資金の不足に直面した譲原は、ダマスというネパール人にビジネスを持ち掛けられ、悩んだ末に乗ることにする。しかしそれは詐欺だった。ダマスを追い求め、プノンペン中を駆け回ったイザワは、遂に発見。ダマスに殴りかかる。駆け付けた警察に逮捕されたのはなぜか彼の方で、ダマスは無罪放免されてしまった。この国の司法制度は金で左右されることに遅蒔きながらイザワは気付いた。とはいえ投獄された彼には何も為す術はない。

ノンフィクションの迫力と、コン・ゲームの興奮、……そしてもっとも貧しいアジアの小国の現実
作者は実際にいわれのない罪にてカンボジアにて投獄され、半年間の獄中生活を送ったのだという。どうもノンフィクションの臭いがぷんぷんしたため、フィクション好きの自分としては却って手に取りづらかった。確かにノンフィクションをベースにしたミステリ。しかし、そのベースとなる部分の「現実」が半端じゃなく凄まじい。 のんびり構えていたところ、途中からぐいぐいと引き込まれることになってしまった。
何でもいい。暗黒小説というジャンルの小説を思い浮かべて欲しい。そこに登場する人物は大抵は金や女といった欲望にまみれており、かつその内心を隠しつつ人を騙し、仲間を友を笑いながら裏切る。国全体がそうなってしまっているのが本書にて描写されるカンボジアなのだ。
投獄された主人公も最初は楽観している。無実の罪なのだ、何とかなるだろう……しかし警察、弁護士、裁判所といった司法制度もこの国では金次第。緊急時の頼みの綱、日本大使館も頼りにならない。政治犯、殺人犯、殺人鬼などが詰め込まれている牢獄の環境は劣悪。ここでも幅を利かすのは金、そして力。主人公は畢竟「カンボジア」という国そのものに囚われられてしまったのだ。
もちろん、ただ悲惨ばかりが続く物語ではない。主人公は状況にあがき、酷い経験を経て、遂には智恵と勇気とを振り絞り、カンボジアの腐った人々に対して目には目をの戦いを挑む。合法的な牢獄からの脱出、自分を嵌めた人物への復讐、そして尊敬していた譲原を殺した人物への究極の復讐。カンボジアという国の流儀で主人公が仕返しを次々と成功させていく後半部には溜飲が下がる思い。カンボジアという舞台を徹底的に利用したコン・ゲーム。本書に「ミステリー」と冠されている理由はここに存在する。

冒頭、そして合間に込められるエピソードの数々。女性を買い漁る日本人。物乞いの凄まじさ。売春する女性たちの境遇。数々の詐欺。海外長期滞在者の暮らし。悪知恵が働く者、機転が効く者、嘘が上手な者、そして金を持ち、その使いどころを知っている者。そういった狡賢い人々がのさばり、何も持たない者は地獄の苦しみから逃れられない。 カンボジアがなぜこうなってしまったのか――都会の住民、インテリ層をはじめとする二百万人もの自国民を虐殺したポルポト時代が残したあまりにも激しい爪痕――が物語の流れを壊さない程度の脇道として淡淡と語られる。思わず目を背けたくなる惨たらしいシーンもある。だが、あくまで真実が持つ重みと、野次馬根性ではない当事者としての経験が、ありがちな押しつけがましさや嫌らしさを感じさせない。また、いまだになぜこんな虐殺政策をとったのか不明とされているポルポトの人物そのものについても、作中にてある政治犯の独白にて解明が為されている。こちらも読ませる内容となっている。

ヨーロッパや米国なんかより距離的には近いにも関わらず、平和な国に暮らす日本人にとってはカンボジアは遠い国だ。平和ボケした日本人には信じられないような世界がこの世にはまだ現実に存在している。ノンフィクションとエンターテインメントの希有な融合。ミステリ味は薄いものの、リアリティがそれを補って余りあるパワーを誇る作品。


01/11/08
西東 登「轍の下」(講談社'65)

蟻の木の下で』にて第 回江戸川乱歩賞を受賞した西東氏の受賞後第一長編。受賞作以外での代表作品とされることが多い。文庫化はされていない。

茨城県の田舎で行われた短編映画のロケ。雨を降らせるために池の水をポンプで汲み上げて使用したところ、異様な臭気が漂って来た。こうして、その池の底から白骨化した男性の死体が発見された……。
一般大衆向けの英会話の本を出版した大学教授の里村欣五。建設庁の本局の課長でバリバリのエリート高見沢。だらしない性格が災いして建設庁の出先に飛ばされた韮崎。土木会社の社長で精力絶倫の遠山。大京建設工業常務の倉石。彼らは精力的に仕事に邁進し、それなりに平凡な日常を送っていた。しかしある晩のこと。お堅いことで知られる高見沢が韮崎に騙され、遠山と倉石の接待を受け付けざるを得なくなった。ここに五人の運命は交錯する。ブルーフィルムの上映会を終えて、別の店に移動しようとしていた四人が乗る乗用車。運転手は遠山土木の三谷。彼のちょっとした不注意から一人の男性を跳ねてしまう。自らの立場を慮った四人は、その男性を車に押し込み逃走。遠山がその死体を処分することとなった。一方、妻と息子の欣一が待つ里村家では真面目一方の主人が帰宅しないことに気を揉み始める。

泥臭い社会派的展開に我慢して付き合っていると、最後に意外なご褒美が
絵に描いたような社会派風の経済小説的展開が序盤を彩る。公共企業に進出しようとする土建屋。通常の方法では受注が取れない。やはり役人にコネがないと難しい。その壁になっている賄賂を受け付けないエリートをいかに攻略するか……。いかにもな裏事情はかえって平凡さが漂う。 五人の主要登場人物のうち四人がこの談合に絡む。そして一人、大学教授のみがその流れから取り残されたように、小金を持ってアルバイトサロンで知り合った娘と駆け落ちしようとする……。
その大学教授が、四人の乗った車にはねられ、のみならずその事実を四人が隠蔽してしまう。五人の人生が重なる瞬間。役人は保身のため。土建屋は恩を売るため事件を隠蔽する……。ここまでは言っちゃ悪いがありきたりの社会派サスペンス。
発表された年代なのか、西東氏の方針なのか。お得意の動物は一切登場しない代わりに非常に泥臭い公共工事の裏側の世界が、そのまま泥臭い筆致で綴られる。悪いことをした人間が悪いことを隠す様子が延延と描かれるため、正直洗練されていないというのが前半部の印象。泥臭いことを泥臭く描くことが、当時の推理小説の流儀だったことが端端から伺える。ここはその「時代」を感じつつ我慢する部分。だらだらと過ぎる中盤を過ぎて、行方不明の大学教授の息子が父親の捜索に疲れて、ヤクザの道に踏み込みはじめてから一気に物語がヒートアップする。アクション小説紛いの暴力シーンや、快哉は叫べないまでも納得のいく復讐がテンポよく描かれる。そして。
 この後にまさかこのような形のサプライズが待ちかまえているとは……。

本格ミステリとしてフェアか、と言われると決してそうではないと思う。しかし驚かされたので良し。単なる社会派的な物語で終わらせていないところに少なくとも受賞後第一作目、なんとかモノにしてやろうという西東氏の心意気が見えて頼もしく感じた。ただ、いかんせん小説としての作りは拙いので、必読の部類ではないし、無理して現在読む必要のある作品でもない。


01/11/07
石崎幸二「長く短い呪文」(講談社ノベルス'01)

'00年『日曜日の沈黙』(サンデーサイレンス!)にて第18回メフィスト賞を受賞、第二作として『あなたがいない島』を刊行した石崎氏の三作目。同じく講談社ノベルスからの刊行となった。

名門、櫻蘭女子学院高校の名ばかりの「ミステリィ研究会」に所属し、冴えない独身サラリーマン石崎を顧問に据えて好き勝手に暴れ回るミリアとユリ。前回の事件を通じ彼女らと仲良くなり、「ミステリィ研究会」に入会した彼女らの後輩、須藤まみはある悩みについて、ミリアらに相談を持ち掛ける。引っ込み思案だった彼女の唯一の友人、岐城美希が鹿児島県の自分の実家に帰ってしまったのだという。美希はまみに「姉も呪いで死んだ、自分自身にかけられた呪いを解きたい。それがダメでも妹にかかっている呪いはまだ大丈夫かも」という手紙を残していったのだ。補習があるため、学校から離れられないまみを残し、三人は呪いを信じないながらも、南の島へと飛ぶ。彼らは地元で財を成した岐城家のみが住む孤島に上陸。ただその島は予想に反して最新の設備が整った快適な環境であった。美希から呪いについて話を聞いた三人は早速調査を開始するが……。

二十代後半から三十代迄。もしかすると読者年齢限定のミステリ、なのかも
石崎氏のデビュー作品から三作品全てを読んで初めて自覚した。私はこの人の書く「ギャグ」の部分が大好きだ。前二作、ちょっと胃にもたれるような印象も正直あった。しかし今回、たまたま自分の知る範囲にネタが集中していた点を割り引かなければならないのだろうが、とにかくひたすらに愉快な気分にさせられた。
特に、日本の歴史をミリアとユリがまみに教えるシーンが個人的ツボ。日本の歴史を紐解くに際して、蘇我入鹿が日本最初の殺人犯人だとか、小野妹子は叙述トリック(確かに!)だとか、受験の知識を思い出しつつウケまくり。 言われてみればそうだよな、というノリ。序盤のウルトラマンやガンダムに関しても、マニアックに過ぎず「当時」を共有した者ならば、誰でも知っているというレベルが嬉しい。
ギャグだけの物語なのか、というとさにあらず。もちろんミステリである。本書のポイントは「呪い」。既にミステリの世界では京極夏彦氏が妖怪シリーズの中で言霊をはじめとする呪いについて持論を展開しており、本書は理論の点では京極氏を超える内容とは正直言い難い。だが、小道具として、トリックとしての「呪い」の使い方が非常に巧い。 孤絶した島の中で暮らす一族にかけられた「呪い」とは――。非常に現代的、かつこの舞台設定の中では充分にあり得る話。全然関係のない(ように物語中では感じられる)エピソードに張られた伏線も渋く、全体として納得行く出来映えとなっている。その後のどんでん返しの部分は、どんでん返しのためのどんでん返しとしか見えずちょっと苦しい印象が残ったが、これは御愛敬。ノリに乗せられて、身構えずに読み進めているうちに気付くとトリックの中に自分がいたという作品。また当初から問題的存在として読者の議論を呼んでいた女子高生二人組、本作が今までで最も説得性の高い位置づけになっているよう感じられた。(二人のキャラがかぶっていると自己言及しているのには笑いました)

本作から読まれるよりも、登場人物の関係がノリを楽しむ上で非常に重要なため、やはりシリーズの最初から読んでおきたい。頑張れ(作中の)石崎! 死に水は取ってやるからな!


01/11/06
木原浩勝「都市の穴」(双葉社'01)

正確には市ヶ谷ハジメ氏、岡島正晃氏との三人共著。本来、木原浩勝さんは『新耳袋』シリーズなどを刊行しており「怪異蒐集家」として知られる。つまり、実際に人が体験した怖い話を大量に取材するのが日常。その木原さんが収集した都市伝説――口裂け女から、内定取り消しのコーヒーかけまで多岐にわたる――をまとめたものが本書。

第一章「気味が悪い穴」 耳のピアス穴の白い糸、コカコーラのサブリミナル広告、傷口から入ったフジツボ……。
第二章「毎日の穴」 風呂場からいい匂い、電子レンジ猫の真実、横断歩道の押しボタン連打、黄色いフォルクスワーゲン……。
第三章「おいしい穴」 ハンバーガーの肉の秘密、コーラで歯が溶ける、メンソールの煙草でインポになる?……。
第四章「たいへんな穴」 各社就職試験にまつわる諸伝説、入学試験におけるウワサ、死体洗いのバイト……。
第五章「穴場所」 香港あたりの怖い話、ディズニーランドの秘密施設、学校にある怪談、有事の為の秘密施設……。
第六章「あの人の穴」 口裂け女、恐怖のリカちゃん、テケテケ、エイズ・マリー、カーネル・三ダース……。
第七章「木原浩勝のウワサの穴を掘る!」 六甲山麓に「牛女・件」の伝説を追う!、宇宙人の伝説、廃病院の怪……。

都市伝説。形を変え姿を変え強力に伝播する物語のウィルス。魅力的な「ウワサ」の真実
『新耳袋』は基本的にノンフィクションとされている。つまり誰かが体験した事実を木原氏が収集して活字にしているもの。同じようにテキストを媒体としているフィクションとしての究極、つまりホラー小説とは対極的な位置にあるはずの本書から、読者は似た感覚を覚える。すなわち恐怖である。
本書は恐怖を求めたものではない……に関わらず、都市伝説という得体の知れない「事実」はその強力な伝播力に怖さがやはり存在する。誰かの実体験のように語られながら、「友達のお兄さんが……」と辿っていくと必ずどこかで途切れてしまう歯切れの悪さ。その話題そのものは、怖いものばかりではない。それにも関わらず、都市伝説という存在そのものの曖昧さは、一応ノンフィクションの仮面を被っていながら、どこか究極のフィクションではないか、という確かめようのない気持ち悪さに集約される。その「確かめようのなさ」を、例えば、恩田陸などは自分の作品に上手に取り入れている。(彼女の作品には都市伝説が重要なモチーフを占める作品が複数ある)

いや、しかし中身もなかなかためになりまっせ。サブリミナル効果によってコカコーラとポップコーンの売上げが飛躍的に伸びたという映画館の調査結果というのは実は存在しない、とか、同様にずっと私も本気で信じていた電子レンジで猫を乾かして殺したおばさんが起こした訴訟ってのも実は存在しないとか。(PL訴訟を語る時に必ず登場するエピソードなのに、実は都市伝説だったのか……) 都市伝説以前に自分の頭の中で事実として刷り込まれていることがひっくり返されていく。半ば忘却の彼方に消えていた「聞いたことのある話」が文章になって改めて蘇る。ショック、ショックの連続。同じネタもとと思われる話であってもバリエーションがこんなにあったんだ、とか。頭の中身が洗濯されるかのような読み心地とテンションが最初から最後までずっと続いていく。誰もがどこかで聞いたことのあるだろう話。だからこそ入りやすい。

都市伝説が都市伝説として認識されているものはまだしも、自分自身の中で積み上げられてきた常識? がひっくり返される驚きが味わえる。 自分の知識がどんでん返しされる、これがとにかく快感。まずは立ち読みしてみては? たぶんレジに抱えて行くことになると思いますが。


01/11/05
南條範夫「三百年のベール」(ポケット文春'62)

大学教授であった南條氏は雑誌の懸賞小説の応募により作家としての地歩を固め、'56年に『燈台鬼』にて第35回直木賞を受賞して本格的作家活動に入った。推理小説の執筆は'59年からで、本書はその分野の代表作品とされる。書き下ろし。

静岡県庁に勤務する役人、平岡素一郎は平素から出勤しても大した用事がないため、役務と関係ない書物を読むか無駄話をしながら日々を過ごしていた。彼は役人の差別的発言を弾劾する民衆の声を聞き、なぜ徳川幕府は差別的な特殊部落を作る政策を採ったのかということにふとした疑問を覚える。そんな折りに、市井の老学者、竹中紫山が貸してくれた「駿府政事録」という写本を読んでいた素一郎は、家康が引退後の発言の中に「自分が少年の頃、五貫文で売り飛ばされた」という記述があることに気付く。家康は正式な人質として今川家に在住していたのではなかったか? それがこんな安く売り飛ばされたとはどういう意味だろう? 取りつかれたように家康のことについて調査を続ける素一郎と、同じく役所勤務の山根三造。彼らは改めて家康がこれほどまでに厳しい身分制度を制定したことに不審を覚える。数々の古文書を紐解くうちに、彼らは徳川家康のルーツに従来の史書では説明出来ない疑問点を発見して、追及を深めていく。

徳川家康の秘密と江戸時代の身分制度の謎に迫る。歴史推理小説の白眉
本書は実際に明治に村岡素一郎という人物が調査して出版した『史疑』という作品がベースになったものだという。(後で調べてみたところ実際に出版されている模様)。明治政府が執筆禁止令を彼に対して出したというくらいに衝撃的な内容だった……というのは本書を最後まで読めばその理由が分かる。物語の上でも自説を発表した後の平岡はひどい目に遭わされているが、歴史的にも政府が彼に対して筆を折るよう命じた程らしい。
それほどまでに衝撃的な内容だった『史疑』、それは徳川家康という稀代の傑物の、特に幼少時やルーツについて徹底的に調べ上げたものだという。本書は『史疑』の作者、村岡を平岡という人物に置き換え、『史疑』を刊行するために古文書や歴史や口碑にて証拠集めをし、先入観に惑わされない推理を重ねた過程が再現されて、歴史ミステリの体裁となっている作品。 徳川家康がどういう人物とされているかについては本書の最大の読みどころとなるため、ここでは明かさないが、一つ一つの証拠に裏打ちされた論理の積み重ねで語られるその内容の説得力は非常に高い。 (但し、その証拠の真贋は当然読者には分からないのだが……)
そしてこの書物を紹介するのに「あくまでフィクション」が前提の「推理小説」という形式を採用した南條氏の深謀遠慮にも注目したい。後の高木彬光作品なども壮大なテーマを扱っているが、それよりも遙かに社会的な影響力が大きい「説」を再発表するのにこれより相応しいやり方はあるまい。歴史の真相を推理小説形式にて虚実ないまぜにして発表するという創作方法は、周知の通り後進作家にも大きな影響を与えている。南條氏の先見の明を素直に賞賛したい。

今後「昭和ミステリ秘宝」の時代編に収録される可能性もあるという作品。何度か日下三蔵さんより「傑作」のお墨付きを頂いていたこともあり、探していた。なるほど、歴史ミステリの傑作である。(批評社より最近刊行されており、ポケット文春にこだわらなければネット書店等で購入可能です)


01/11/04
加納朋子「ささら さや」(幻冬舎'01)

(今更だけど)加納さんは'92年に『ななつのこ』にて第3回鮎川哲也賞を受賞して作家デビュー。以来、ほぼ年一冊のペースで単行本を刊行しており、本書が九冊目。「星星峡」誌に'98年から'01年にかけて発表された作品をまとめた連作短編集。

生まれたばかりの息子、ユウスケ、そして最愛の新妻、サヤの目の前で俺は交通事故に遭い、命を喪ってしまった。しかし俺はなぜか幽霊となってここにいる。ほとんどの人間には姿が見えていないようだが、俺の姿が見える一部の人間には、一度ずつ僅かな時間だけ乗り移ってサヤたちの前に現れることが出来る。その少ないチャンスを使うのは、サヤとユウスケを守るとき……。 『トランジット・パッセンジャー』
ユウスケを引き取りたがる親戚の攻勢から逃げるため、亡くなった伯母が残してくれた小さな家のある佐々良市引っ越すサヤ。その家の管理を依頼していた不動産屋の様子がおかしい。 『羅針盤のない船』
無事に引っ越しを終えたものの、電気と水道が通じないため、佐々良にある老舗旅館にサヤは宿泊する。夜中に外から不思議な声が聞こえてくる。 『笹の宿』
佐々良に昔から住むお婆さんたちと徐々に仲良くなるサヤ。隣の詮索好きのお婆さんが、サヤ宛に届けられた宅急便を預かって開封していた。しかし彼女は中身は空だったと主張する。 『空っぽの箱』
派手な身なりと性格で息子を一人で育てるエリカとサヤは仲良くなる。ユウスケが手にしていた一枚の脅迫状。そしてエリカの様子がどことなくおかしい。 『ダイヤモンド・キッズ』
サヤの隣に住む老婆は、一日のほとんど玄関の扉を開けてぼおっとしている。一方、何かにつけて亡くした夫を思いだし泣いているサヤに、エリカが一芝居を打つ。 『待っている女』
ユウスケが高熱を発した。慌てるサヤに適切なアドバイスをする隣のお婆さん。駆け付けた車でユウスケは病院に運び込まれるが、その男はお婆さんが手配した人物とは違うという。 『ささら さや』
幽霊となってサヤをずっと見守っていた俺のある決意。サンキュ、サヤ。そしてバイバイ。 『トワイライト・メッセンジャー』以上による連作短編集。

 ……嬉しくて寂しくて切なくて。誰よりも大切な貴方と一緒に味わいたい
生まれたての赤ん坊。優しすぎて気が弱い妻。今、いちばん守らなければならない二人の目の前で、よりによって命を喪ってしまう俺。物語の冒頭がコレだ。これほど残酷な始まり方をする物語はちょっとない。事実、この小説の素晴らしさを人に伝えようとしたところ、ここまで話したところで「もういい、聞きたくない」とオミットされてしまった。でも、この最初のシチュエーションだけで後込みしないで欲しい。 これほどまでに優しさが満ち溢れ、幸福が強く感じられるミステリはそうそうないのだから。
端的には幽霊となった「俺」が、赤ん坊のユウスケと妻のサヤが巻き込まれたトラブル(謎)を、解決していくミステリ。そして、サヤが人々の助けを借りて少しずつ成長していく物語。それぞれの短編に、ごくごく自然なちょっとした謎が設定される。日常のちょっとした引っかかりを利用したトリック、ぽんっと手を打ちたくなるようなその解決もなかなか。それに「馬鹿っサヤ」の言葉と共に現れる「俺」の不器用な優しさもまたいい。
そして連作短編集らしく、全体を通じての「謎」もある。この物語でサヤとユウスケはどのように成長していくのか。そして幽霊である「俺」はどうなるのか。こちらは「謎」は短編それぞれのミステリとは全く異なる興味となる。こちらの「謎」に対する答えが抜群に素晴らしい。物語の行き着く先、これに対する作者の答え、そして表現。全てが満ち足りており、不足がない。心の隅から隅まで物語に満たされる。こればかりは味わって頂くしかない。恵まれない状況であればあるほど、人の優しさは慈雨のように心に染み渡る。残された者たちの悲しさ。それを乗り越えていく力強さ。極端なシチュエーションをわざと持ち出すことで、それからの幸福を着々と積み重ねていく――これが作者の狙いだと分かっていても、頭より先に心が、感情が反応する。

ああ、くそ。読み終わってだいぶん経つのに、場面場面を思い出しただけで目の奥が熱くなるじゃないか。なんてミステリだこれは。……シチュエーションが個人的にいろいろとツボな点は認める。でも、結婚していてもいなくても、子供がいてもいなくても、男でも、女でも、年寄りでも、子供でも。ユウスケとサヤの幸せを確信し、「俺」の優しさが心にしみいるはず。加納さんってホントにうまい。あと、読み終わった後に表紙をもう一度よく見てみよう。そして泣こう。


01/11/03
北川歩実「真実の絆」(幻冬舎'01)

幻冬舎の雑誌『ポンツーン』に'99年から00年まで掲載された短編に二つの書き下ろし作品が加えられた連作短編集。ただ「短編」という味わいが全体的に薄く、細かく章立てされた長編と感じさせるあたりは北川歩実らしいかも。

若くして母と死別した昭彦は、継母にあたる女性から、父母と思っていた両親が養父母だったと聞かされ、それ以来自立して暮らしていた。彼の生みの母の名前は山原麻衣子。三日前、成瀬昭彦は麻衣子の姉と名乗る川村里枝という女性から連絡を受けた。十八で子供を生んだ麻衣子が息子を育てられなかった理由、それは彼女が知覚に障害を持っていたからだという。そして麻衣子を身籠らせた男、即ち昭彦の父親と思われる人物が連絡を取りたがっている。児玉という弁護士によれば、数百億円の財産が絡むという。DNA鑑定の依頼を受けた昭彦は、反発し拒否するが、駅のホームで何者かに突き落とされそうになり改めて児玉と面会を果たす。児玉の口から告げられる衝撃の事実とは……第一話『親子鑑定』
この数百億円の財産を巡り「依頼人」の子供や孫と偽る計画がいくつも進行する。『二人が出会った夜』『誕生日のない母』『彼女が消えた朝』『血染めのハンカチ』『再会』『突然の別離』『うつろな緑』……それぞれの短編の合間に「依頼人との対話」が挿入される。

「遺産争い」が高度に先鋭化されると、最新医学が交錯する先端科学ミステリへ変貌する
テーマは「遺産争い」――それは間違いない。遺産争いを動機として据えるミステリは、それこそ星の数以上に存在するだろう。しかし、まず「遺産」を残す人間が誰なのかを終盤ギリギリまでハッキリさせていない作品はあまりない。そして、その遺産相続の権利者(ないし、そのおこぼれ)になりすます、または「他人」を権利者に仕立て上げるという目的を、これほどまでに様々な人間が実現しようと試みるミステリは、間違いなく本書が初めてだろう。
本書のテーマを簡略に説明すると「大金持ち」が過ちにてつくった「子供」を探している。 それだけ。それだけなのだが「大金持ち」が冷凍精子を残していたり、実はその「子供」が更にどこかに養子に出されていたりといくつかの攪乱要因が付随する。誰が「子供」なのか分からないことをいいことに、情報を嗅ぎつけた人々が、その「子供」に取り入ろうとしたり、「孫」を作ろうとしたり……と権謀術数が飛び交う中、金銭に対する凄まじいまでの欲望が描かれる。誰が「子供」なのか? その証拠に使用されるのはDNA鑑定。そう、本書の陰の主役は実はDNA鑑定のいろいろだったりする。
これまでも科学技術や最新医学に立脚したミステリをものにしてきた北川氏だけあって、この分野の知識は該博。各話それぞれ異なったアプローチにてトライしており、「ほう、そんな手があるのか!」と驚かされ続ける。また、ミステリとしてもワンパターンではない。気付かなかった犯罪の暴露、罠を仕掛けたつもりが嵌められた結末等々、一編一編の物語が短編ミステリ並みの凝り方を備えている。それでいて全体を見渡せばその広大かつ緻密な設計図に感嘆せずにはおれない構成なのだ。推理小説の古典、「遺産争い」が北川歩実の手にかかれば、最新医学を網羅した二十一世紀のミステリへと変貌する。この手腕に感服したい。

問題を挙げるとするならば、短編で次々に新たな登場人物が現れ、多少ごちゃごちゃした印象を受けること、そして後味がそれほどハッピーではないことか。この規模の作品にそれを言い出すのは野暮というものかもしれないが。


01/11/02
多岐川恭「ふところの牝」(光文社文庫'89)

'67年に東京文芸社トーキョーブックスの一冊として刊行された作品が元版。雑誌掲載された作品なのか、書き下ろしなのかは不明。文庫版解説は二上洋一氏。

歌手として売り出しながら声を潰してしまった三流タレント、鳩村八一は、ある夜にふとしたことから自暴自棄になっている美しい人妻、岡部安芸子と出会う。鳩村自身、あるトラブルからヤクザから狙われていたことから二人して人目を忍びつつ彼女を自室に連れて帰る。安芸子の夫は財産家。その夫が女性と一緒に旅館にいるという謎の人物からの密告を受け、彼女が旅館に乗り込んだところ、夫と女性が何者かに殺されていたという。二人は睡眠薬を飲んでおり、その首には安芸子の持ち物にそっくりな鎖のネックレスが巻き付けられていた。彼女は現場を目撃した後、ショックと困惑からそのまま自宅に戻らず都内のホテルに宿泊していたのだという。当然警察は彼女を疑っており、彼女は自殺しようとしていたのだ。安芸子はその晩から鳩村に身を任し、彼の技巧に燃え上がったことから、このまま暫くアパートに匿って欲しいと言い出す。鳩村は安芸子に惚れ込んでしまい、夫妻を巡る人間関係から事件は遺産を巡る争いが原因と推理、真犯人を見つけて彼女への疑いを晴らそうとする。

大胆な人妻、大胆な男。事件ももう少し大胆でも良かったのでは……
サスペンスとWho done it? の本格推理を融合した作品。 殺人事件に奇妙な点がいくつもある。なぜ彼は殺されなければならなかったのかを調べる男。動機は美貌の人妻を巡る争い? 莫大な遺産を巡る財産狙い? 事件そのものは「連れ込み宿の中での男女が殺害された」というミステリ的に平凡なもの。しかし、なぜ二人とも睡眠薬を飲んでいたのか、など些細な部分の引っかかりからいろいろな推定、いくつもの推理が検討される。細やかな論理の積み重ねは本格推理の味わい。その事件の推理に加えて、主人公の鳩村自身が追われる身の上であること、また鳩村の窮地を救う謎の人物が見え隠れすることなど、平凡になりそうな展開に微妙なサスペンスフルなアクセントがついている。ただ展開に工夫を凝らしていても、いかんせん事件や動機が今一つ平凡に感じられるところ、ちょっと残念かも。
「窮鳥懐(ふところ)に入れば猟師も殺さず」ということわざがある。この題名「ふところの牝」というのはそこから造られた題名ではないだろうか。(多岐川恭は「牝」という言葉を作品名に多用する) 美貌の人妻がふところに飛び込んできた男。ただもう題名と状況から考えれば、何となく先が見えてしまうのが本作の最大の欠点かもしれない。なので「意外な犯人」が全然意外に思えないのだ。

数ある多岐川長編では、奇妙に冷めた人物が物語を引っ張ることが多い。そんななかでは好きな女のために熱くなって調査を行うこの男の描かれ方そのものは、多少異質な部類に属するかもしれない。とはいえ男の切なさを感じさせるエンディングまで読むと、ああ、やっぱり多岐川恭だな、と奇妙な安心感を覚える。作品の構成が比較的オーソドックスなので、その多岐川の味わいを除けばミステリとしては平凡かもしれない。


01/11/01
梶 龍雄「殺人リハーサル」(ケイブンシャ文庫'86)

'77年に『透明な季節』にて第23回江戸川乱歩賞を受賞している梶氏。様々な形態の作品を残しているが一貫して本格へのこだわりを持ち続けた作家である。本書'81年に梶氏の六作目の長編として講談社より書き下ろし刊行された作品が、時を経て文庫化されたもの。

大手芸能週刊誌「スリーエフ」の編集、栗田は今やテレビ番組にレギュラー出演をも果たす大物芸能記者。彼がまだ駆け出しだったころに懇ろにしていた売り出し中の演歌歌手、川村鳥江に刑務所に服役する人物からファンレターが届いたことがあった。栗田はこのファンレターから話を取材せずに勝手にふくらませ記事にしてしまう。それが今になり、そのファンレターを出したヤクザで松森という男が出獄、記事について話があると鳥江に対して揺さぶりを掛けてくる。現在は歌手として鳴かず飛ばずの鳥江は栗田に相談しようとするが、気の乗らない栗田は逃げ腰。しかもそのことを娯楽夕刊紙の記者、伊川に嗅ぎつけられて記事にされてしまう。そんな折りのこと。仕事から帰り自宅に帰った鳥江が二階の自室で悲鳴を上げる。松浦らしき人物が記事の訂正を求めて彼女の部屋に入り込んだというのだ。使用人や彼女の弟らが駆けつけるが、犯人は非常階段から消えたようにいなくなってしまう。警察は捜査を開始するが、いくつかの奇妙な点が浮かび上がってきた。

時代性と本格指向のミクスチュア。これは恐らく、発表当時の「現代本格推理」
まずは事件。これが不可解な犯罪であるところに注目したい。発生する事件それぞれにて、犯人が衆人環視の中で消滅してしまうのだ。更に事件が発生するたびに、事件現場の見取り図が挿入されているところとか、現場に謎の証拠品が残されているところとか、指紋が残されているところ、事件が発生するたびに関係者のアリバイが検証されるところとか。とにかく「フェアな本格推理作品」を目指したことがありありと文章から感じられる。
一方で、芸能界の生臭い内幕を絡めたり、当時の風俗がぎとぎとと感じられる登場人物が現れたり、記事捏造の問題などジャーナリズムの観点から社会派風の問題を取り入れたりと、時代性もまた非常に強く打ち出されている。例えば、登場する週刊誌「スリーエフ」……現実に本書刊行前後、写真週刊誌の創刊ラッシュがあった。「フォーカス」「フライデー」「フラッシュ」の三誌を総称して「3F」と呼ばれ、その過剰な取材姿勢が社会現象となっていたのだ。当然、この誌名はそれを揶揄したものだろう。
それらが合わさってこの『殺人リハーサル』という作品が構成されている。本格推理+時代性。梶氏は本格推理を通じて、当時の「現代」を描き出したかったのだと思われる。 (後の無理矢理若者言葉を使うため台詞がへんてこになってしまう梶氏後期作品との作風ともどこか通じるものが……)今となってはそれが果たして成功していたのかどうか検証できない。ただ現在読むに「とてつもなく古くさく感じられる」点は否定しようもない。そして使用されているトリックもまた凄い。トリックのためのトリックといったもので、確かに成り立たないわけではないのだけれど、その現実性においてこれは社会派推理作家に小馬鹿にされても仕方がないかも……。
(それはそれで興味を持たれる方はおられるのだろうが)

不器用なくらいに本格推理として手順を丁寧に踏んでいるのに、感じられる通俗性は一体なんなのだろう。事件に関係ない人物の描写が分厚いのに、事件関係者がやたら薄っぺらく見えるし。梶作品は好きなのだが、過去の時代を背景にした作品を多く読んできたこともあり、このあくまでリアリズムに徹した結果、発生してしまっている泥臭さが鼻についてしまった。