MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/11/30
宮部みゆき「ぼんくら」(講談社'00)

'98年『理由』にて第120回直木賞及び第17回冒険小説協会大賞を受賞した宮部さんの受賞後第一作。(とはいっても『理由』の直後に『平成お徒歩日記』、更に『クロスファイア』も刊行されている。まさに受賞が決まってから一年のブランクを空けて刊行された作品)宮部時代物としては実に八冊目にあたる。

江戸は深川にある鉄瓶長屋。湊屋という大店が経営する長屋には十数の家族が共に暮らしていた。人情溢れる生活が繰り広げられていたその鉄瓶長屋で事件が。そして住人が少しずつ引っ越していく。
老いた富平と暮らすお露と太助の兄妹。太助が夜中に何者かに殺された。事件を慮った差配人の久兵衛は自ら失踪し事を納める。 『殺し屋』
桶屋の権吉は博奕の借金が嵩み、ついに娘のお律を売り飛ばさなければならなくなった。若き差配人、佐吉はお律に一言忠告する。 『博奕うち』
鉄瓶長屋に現れた子供は佐吉が養うことになる。しかしその子は長屋に住む男がかって女に生ませた子供であった。 『通い番頭』
鉄瓶長屋に引っ越してきたおくめ。彼女が春を売っていたこともあり、煮物屋のお徳は気に入らない。彼女はお徳の亡くなった旦那と関係があったと言いだし……。 『ひさぐ女』
鉄瓶長屋で急に流行りだした壺信心。金を要求するでもないこの宗教の目的は? それを拝む三世帯が長屋からいなくなった。 『拝む男』
鉄瓶長屋のお徳の店の煮物を好む町方役人の井筒平四郎。急に空き家の目立つようになった鉄瓶長屋に発生している事態を訝しむ。差配人にしては若すぎる佐吉は何のために送られてきたのか。鉄瓶長屋の持ち主の湊屋とは。そして住人が少しずついなくなるこれまでの事件の裏にあるものとは。 『長い影』(長編)
そして鉄瓶長屋最後の一人、お徳が引っ越す日。 『幽霊』 以上、短編六編に長編一編の構成。

「江戸時代」の周囲を巡る「現代ミステリ」。この宮部節は人情だけの物語ではない
「宮部みゆきの時代小説」というのは、従来から存在する歴史小説等とは毛色が異なる場合が多い。(全てを読み尽くしていないので、控えめな表現に止めておくけど) 例えば超能力を時代小説に持ち込んでしまったり、ミステリやホラーと、人情譚や江戸風物詩や叙情を等位にてジャンルミックスの手法で処理したりと、時代小説でありながら強く現代の表現を意識した作品が並ぶ。その意味では、本書も現代的なミステリのトレンドを時代小説に持ち込む試みによって形成されている。
さて、本書ではどうだろう。
(この評を後に読む人が「そんなもの知らない」と言う可能性があることを踏まえてもあえて例示したい。) 現在、スカパーとサントリーのBOSSのコラボレーションのCM。謎の大男たちによって水槽の中で飼われ、炬燵に坐ってテレビを見る中居正宏がいる。そこに大男たちによって捕まえられた布袋寅泰と永瀬正敏のBOSSのCMの二人組が放り込まれる……というものだ。中にいる彼らは水槽の硝子越しに大男たちに観察されているのだが、そんなことは知らず、水槽の中で暴れたり仲良く坐ってテレビを見たりする。内側の人物は外側から影響を与えられつつも気付かない。……どうも『ぼんくら』はこれと似た構造を持っているようなのだ。
江戸の街のどこにでもある長屋。殺しも含めて波乱はあるものの、根本的な彼らの日常は江戸時代の市井の人々として、常識内の変化しかおきていない。長屋に居づらくなって引っ越す人、信心が進みすぎて失踪する人……。前半部の短編群で語られるのはそんな話の数々。人情ある解決の為に自ら失踪するベテラン差配人、そして後を受けて苦労する若い差配人。ここには旧来の時代小説にて語られる「江戸」(正確には江戸のイメージ)が生き生きと描かれる。
一方、長編である『長い影』においては様相が一変する。その長屋に起きていることに疑問を感じた井筒平四郎は、その持ち主や関係者の背後にあるものの調査を開始する。しかし、この調査そのものはとにかく、その過程に登場する人物が、江戸時代、いや現実の人間社会においても相当に珍奇な人々ばかりが登場するのだ。隠密、数値測定美少年、録音機械坊主、やんちゃな美少女。更に、その調査の過程は江戸時代のものでなく、探偵による解決や科学捜査に近い印象がある。その一方で櫛の歯を抜くように長屋の人々は減っていくのだが、その「江戸そのもの」の生活や考え方は一向に変化しない。長屋の周辺を、別の物語から引っ越してきた人々が走り回っているようにさえ感じられる。後から登場する人物と長屋の人々とのコントラストが強烈に過ぎる。 これもまた宮部みゆきのジャンルミックスではないか。特に本書にて扱われているテーマなど個人的には京極夏彦氏の影響のようなものを漠然とも感じるし、そのキャラクタの配置は篠田真由美さんの某シリーズを彷彿させる。「江戸時代」の事件を「現代ミステリ」が調査・解決しつつ、かつ時代小説として最低限の約束は維持している。本書は「時代ミステリ」ではなく「時代」&「ミステリ」として周到な準備のもとに創られた作品という印象だ。

宮部さんのサイン本が売られていて衝動的に購入した一冊。でなくともいずれ読んだとは思うが。いろいろ宮部さんの意図が見えるような見えないような、不思議な気分のまま読了した。数多い宮部作品の中では、長期的にはこれでも地味な部類になってしまうかもしれないが、それでも一定の評価を得ることの出来そうな作品である。


01/11/29
左右田謙「南蛮秘法伝」(春陽文庫'84)

旧『宝石』出身の作家、角田実が後の左右田謙の前身。その角田名義では伝奇小説も刊行していたことがあるようだが、'61年の改名後に刊行された時代小説は本書一冊ではないかと思われる。

時の将軍綱吉の頃。闇夜の中を歩いていた浪人の山部清三郎は、若い男が年寄りを看取る場面に出くわす。男は老人から何かを聞き出し、拳の中に握りしめていた何かを奪い取り、清三郎に気付く。彼こそ江戸市中を賑わす、義賊闇太郎。互いに好敵手と認め合い剣を交わしたところに謎の虚無僧の一団が駆けつけ闇太郎を襲う。闇太郎が老人から奪った小さな木彫りの能面が彼らの狙い。「三つの面がありそれぞれに数字が刻まれている」「その面にはとてつもない秘密が隠されており、今までも血で血を洗う奪い合いがされてきた」怪我をしつつも住居を訪ねてきた闇太郎から清三郎は面の由来を聞くが、果たしてつい先に一人の虚無僧に奪われてしまった後だった。面を取り返すため、その虚無僧らがまとまって住む館に忍び込む清三郎だったがあっさり捕まってしまう。だが清三郎はそこで夕姫という女性と出会う。

意外や意外、ストレートな時代伝奇小説に、やっぱり出たナゾのダイイングメッセージ!
冒頭のシーン。曰くありげな老人の最期を看取った男は、老人の口から何かを聞き出そうとする。老人は「あ」「た」「け」「ま」と呟いたのにも関わらず、男は「あ」「た」「か」「ま」と聞き間違える。しかし「あたけま」だろうが「あなかま」だろうが、どことなく力の抜けるダイイングメッセージである。いきなり脱力しかかったものの、この後の物語展開は国枝四郎を彷彿するストレートなもの。 財宝の秘密が隠された三つの面を巡って、誰が正義で誰が悪かはっきりしないグループが三つ巴、四つ巴になって争奪戦を繰り広げる展開。更にちょっとしたラブロマンスをスパイスで加えるあたりのテクニックも憎い。また、ラスト前にそれなりに凄惨な見せ場を創って、単純なハッピーエンドで物語を終わらせないところも渋い。ただその一方で、この面に隠された秘密そのものの腰砕け具合は、さすが左右田謙!! と奇妙な納得を誘ってしまうのはちょっと哀しい。
個人的には謎の爺に腕の立つ部下二人という正体ミエミエの暗闇御前というのが好みかな。これは百人読んだら百人がみんな正体を見抜くと思うんだけど。また、題名にある「南蛮秘宝」を史実に絡めるアイデア、これそのものは本気で「上手い!」と嘆じた。 単なる莫大な財宝だけを扱う作品は数あるだろうが、その曰くの組み合わせ方は一流の歴史ミステリ並みの構想が練られている。願わくば、この設定の伏線をもう少し早めに張ってくれればもっと評価を高められたのだが……。

下衆の勘ぐりをするならば、左右田氏の叔父にあたる言わずとしれた伝奇小説の大家、角田喜久雄の遺したプロットをいじくって発表したんじゃなかろうか、とまで考えたけれど……。こればかりは真偽のほどは確かめようがない。

どうだろう、春陽文庫の左右田謙を読み尽くしたので手にとってみたのだが、左右田謙を知らない読者がいきなり読んでも意外と面白いと思うのではないか。学園ミステリが氏の本分かと思っていたが、左右田氏の突飛なテクニックが意外にも伝奇によくマッチした快作。


01/11/28
鮎川哲也「悪魔博士」(光文社文庫'88)

本格の暁将ともいわれた鮎川哲也氏がかって発表したジュヴナイル作品ばかりを集めた文庫オリジナルの作品集。 旺文社の学習雑誌『中学時代三年生』に'58年に発表された『悪魔博士』、そして'59年から'61年にかけて掲載された「鳥羽ひろし君の推理ノート」のシリーズがまとめられたもの。

中学生の鳥羽ひろしは勇敢で知恵があり、これまでいくつもの事件を解決してきた。警察からも信任厚い彼のもとには今日も事件が持ち込まれる。 『鳥羽ひろし君の推理ノート』(連作短編)
テープに残された遺言。この世に存在しないポメラニア語の秘密とは。 「テープの秘密」
外国人が住む片田舎の洋館。偶然訪れたバス客は幽霊や子供の泣き声に脅えたり。 「真夏の犯罪」
暗殺を予告された会社重役。会社の一室で撃たれたが犯人の姿は消えていた。 「”幻”の射手」
サンタクロースの格好をした泥棒がパーティで盗みを働いたと思われたが。 「クリスマス事件」
温室で倒れた下男が「悪魔の……」と呟き気が触れる。「悪魔」とは一体? 「冬来たりなば」
天才少女画家が誘拐された。目的は偽札作り。彼女の絵からひろしが謎解き。 「油絵の秘密」
研究者の親戚宅に訪れた友人とひろし。彼の住む塔の上部にいるはずのない人の姿が見えた。 「幽霊塔」
懸賞の賞品を受け取りに出掛けたビルにて友人が入り口を見張っていたのに少年は消えた。 「黒木ビルの秘密」
家の中にナポレオンが見えるという幻覚をみる少女。彼女の友人がひろしに相談を。 「ろう人形のナゾ」
デパートの展示品を閉まっていた倉庫から仏像が消失。直後に古物商に仏像を持ち込む男。 「斑鳩の仏像」
少年探偵の森冬彦はあやしい人物に誘拐され、牢屋に入れられる。そこには包帯で体中がぐるぐる巻きにされた男。館の地下室から「かえりたい」という声が聞こえ、冬彦は探検に出るが捕まり引き戻される。悪魔博士はどうやら、人間を指紋を含め他人そっくりに作り替える手術に成功したのだという。首尾良く逃げ出した冬彦の発表により世間はパニックに。 『悪魔博士』(中編)以上十一編。

本格へこだわる作家が、中学生のためにサービスを尽くしたミステリー
江戸川乱歩による『少年探偵団』シリーズは小学生の頃にどきどきしながら図書館にあったものを全て読破した。その後、別の作家による昭和初期〜三十年代の国産ジュヴナイルミステリを読んだのは最近のことだが、それらを通じて得たある印象がある。作品に本格ミステリ的な要素が多少あったとしてもそれは飾りとなり、物語の主体はどうしても「冒険小説」にならざるを得ないことだ。
本格推理一筋の作家、鮎川哲也氏にあっても、ジュヴナイルなら例外にはなりえない。
ということで、本格テイスト溢れる冒険小説というのが本書。特に、本格テイストの部分における「あまりの大胆さ」がまっこと楽しい。 本来の鮎川作品の持つトリックは大胆だが繊細な印象があるが、本書のそれは大胆なうえに骨太で強引。「いくらなんでもそれはないよな」とか「大胆すぎてミエミエ」というトリックもあるけれど「おおおおっとこうきたかぁ!」と狂喜するものも見受けられる。これら現実に還元するとバカミスと呼ばれそうなトリックもジュヴナイルの世界では奇妙にしっくりと嵌る。個人的には『黒木ビルの秘密』と『ろう人形のナゾ』の強引さと脱力加減がツボだった。
昭和発のジュヴナイルの世界。 現代の複雑な世相とは異なり、絶対悪と絶対正義による二面性にて世界は更正され、もちろん少年探偵たちはその絶対正義の信念に基づいて行動する。彼らには勇敢で知恵があり行動力がある。少年探偵だけではどうしようもない部分は大人や警察などによる至れり尽くせりのフォローが入る。世の中を恐怖に陥れる奇妙な事件を解き明かすのは、大人の叡智でも科学捜査でもなく、あくまで少年探偵による推理。平成発のジュヴナイルでこれを実現するのはやはり難しいのだろうか。

最近は比較的ネット古書店等でも入手が容易になりつつ鮎川の文庫の中では、いまだに比較的入手が難しい部類の一つ。ただ、他の鮎川作品を読んでいる人には手にとって頂きたい作品集。本書の続編も企画されていたようだが、セールス的に達成されなかったらしいのが惜しまれる。


01/11/27
都筑道夫「死体置場(モルグ)の舞踏会 西蓮寺剛の事件簿」(光文社文庫'98)

都筑氏のハードボイルドミステリ部門担当探偵、元ボクサーの西蓮寺剛が主役を務める五冊目となる短編集。'85年に『EQ』誌に連載され、'86年に光文社カッパノベルスより刊行された作品が、十年の時を経て文庫化されたもの。

妻を殺してしまうかも、と言い残してその妻の実家にて楽隠居を決め込む夫。西蓮寺は彼の兄の依頼で男を東京に連れ戻すように依頼されていた。東京に戻ったところ、今度は妻が家出をしてしまっている。夫の留守に妻を訪ねてきた男とは。 『海猫千羽』
妻の依頼で夫の行状を尾行していた西蓮寺。しかし尾行していることを気付かれ逆に声を掛けられる。男は西蓮寺と一緒に行動、愛人宅にて死体を発見する。しかしその愛人こそ西蓮寺に妻を名乗って仕事を依頼した女だった。 『砂時計』
高校二年生の家出娘を家族の依頼で捜索する西蓮寺。彼女の交友関係を当たるが、皆何かを知っているようでいて尻尾を掴ませない。彼女は何らかのトラブルに巻き込まれていることを西蓮寺は推理するが。 『不等辺三角形』
十日前自殺した夫は実は自殺ではなかったという調査をやむなく引き受ける西蓮寺。関係者は皆、男のことを自殺するようなヤツではない、と言明するのだが。 『迷い猫』
夫の依頼で若者と家を出た妻を探し出した西蓮寺。女性はあっさり東京に戻ることを承諾するが、家出先にて依頼者の夫が死んでいるのが発見された。 『いの一番大吉』以上五編。

ロジックへのこだわりよりも目立つ、時代や風俗へのこだわり。ツヅキ上級者向け作品集
一般に敷衍できる印象とは到底思えないが、私の中では本書の手触りというのが都筑氏による代表作の一つ「なめくじ長屋捕り物騒ぎ」の、特に後期作品から受けるそれとよく似ているように感じられた。物語の焦点が必ずしもミステリに向いておらず、登場人物周辺の環境や風俗をじっくりと描いている点。このあたりがごく近い。
ミステリの常道に従い、不可思議な事件が発端に起きており、西蓮寺の捜査、そして解決によりその事件は現実に着地する。構造としては都筑作品のミステリそのもの。ただ、不可思議さの部分の度合いが、中期以前の都筑作品に比べ少し寂しいように思う。「妻を殺してしまうかも」と言う夫。尾行者に気付いて同行を求める対象者。家出人を隠す友人たち。家出した妻の滞在先で殺されている夫……。確かに現実的にはめったにあることではないし、奇妙なことも事実。これらは「不思議」というより「不可解」というべきものである。 ただフィクションのエンターテインメントを演出するために提示される謎として、それのみで引っ張るにはいささか弱すぎる。その不可解さは物語の中にて氷解するのだが、ロジックにこだわる都筑作品らしさがかえって物語の飛翔を押さえてしまっている。不可解から着地に到るまで高さや距離が小さいのだ。
それを補うかのように作品内に配置されている昭和のある時期の流行や洒落た小物やぎりぎりのこされている風俗などの描写。こちらは強烈といっていいほど生々しい。 特殊な職業や、壊れた家族関係などの深い洞察は相変わらず深いが、それに加えてアイテムなどの小道具を駆使して彼らの人間性や状況を際立たせる。へんてこな帽子。Mジャクソンのジャケット。特殊な砂時計。変わったデザインのTシャツ。端的に風俗を示すだけでない小物の数々がそのもの以上の何かを主張する。これらコモノたちが、奇妙に読了した後でもずっと心に引っ掛かる。このテクニックは、都筑道夫の名人芸の一つかもしれない。

新たな読者が「ぽっ」と本書を読んで、これが都筑道夫だ、と思われると少し困るな、とも思う。でもまた、このノリが都筑道夫の後期作品の特徴でもあることも事実ではある。比較的入手しやすい点を割り引いても、アクロバティックな面白さが小さいためツヅキ初心者にはあまり勧められない。ある程度「都筑道夫」の味わいを知る人のための作品集か。


01/11/26
泡坂妻夫「砂時計」(カッパノベルス'96)

泡坂氏の二十四冊目の短編集。本書はノベルス版だが、'00年に光文社文庫でも刊行された。'90年から'95年にかけて『小説宝石』や『小説中公』等の雑誌に発表された作品がまとめられたもの。ノンシリーズ。

かって腕の良い紋章上絵師の男が、同じ間違いを三度繰り返した。旅行先で偶然に聞いたある一家の悲劇がその裏にあった……。 『女紋』
ある紋章師が仕事をやりかけで入院、そのまま亡くなった。その仕事を引き継いだ職人は亡くなった男を過去に知っていた。 『硯』
入院した友人を見舞いに行った男は、病院にかって恋い焦がれた女性が入院していたことを知り、再会する。 『色合わせ』
偶然旅行先で再会した男と女。女はかって染め物工場主人の妻として重労働に耐えており、男はそんな彼女に惹かれていた。 『埋み火』
廃業した紋章師の男が残した遺品の中に、戦前に書かれた三通の熱烈な恋文が残されていた。 『三つ追い松葉』
銀行強盗に失敗して捕まった男は、そんな大それたことをしそうにもなかった。彼の周囲の人間が彼について証言をする。 『静かな男』
男は久しぶりに歌舞伎見物に赴く。彼は少年の頃、歌舞伎に嵌っていた。彼を「東の坊や」と呼んだ美しい女性がいた。 『六代目のねえさん』
裕福な家庭で平凡に育てられた男は奇術の世界にのめりこむ。彼の芸は一部では受けたがなかなか高い評価を得られない。 『深紅のボウル』
妻と離婚したので、彼女を預かって欲しいと教師は親友に頼まれる。それは復讐を心に誓った夫婦の偽装であった。 『砂時計』
高校時代に目立たなかった鶴子はモデルとなってから美しく変身していった。彼女が美しさを保つのはある秘密の秘訣によっていた。 『鶴の三変』以上十編。

「大人」の愛の世界が既に完成されていて。 名人の余技のような印象
泡坂氏のノンシリーズの短編は、氏自身の意識がミステリよりも叙情といった部分に向けられているように感じる。本書においてもその傾向は顕著であり、ミステリ的な手法を絡めていても、作品の叙情を強調するための手段に過ぎず、あまり「サプライズ」へのこだわりが感じられない。 泡坂氏がこれまで著してきた端正な本格ミステリをこよなく愛する人々にとっては、この方向はちょっと寂しいものがあるとは思う。 ただもっとミステリ的には緩い読者の支持をも考えるなら、こちらの方がより広範な人々に手に取られるのかも、とちょっと複雑な気持ちになる。なんといっても泡坂妻夫は直木賞作家なのだし。
本作に限らず、泡坂氏のノンシリーズの短編作品には、いくつか共通するキーワードがある。それらをざっと挙げると「職人」「大人の男女の恋」「嫉妬」「再会」「思い出」といったあたり。本書でもそれが顕著で、一例を簡単にまとめれば「職人」が、かって何らかの「思い出」を共有した女性と「再会」し、「大人の男女の恋」に陥り、誰かの「嫉妬」を誘う……といった内容となる。この中に、いくつかの小さな「!」をスパイスとして加えるのが泡坂流。 しかしこういった短編においてはその「!」にしても、物語を漂う叙情感を妨げるほど大がかりなものでなく、あくまで物語の中身を盛り上げるためのもの。このトリックや仕掛けの物語内部での使い方の巧さにミステリファンであるなら気付きたいものではあるが……。だって、こういったスパイスを綺麗に使用するところもまた、泡坂氏の「職人芸」の一つなのだから。

読み終わると、どこか切なく哀しい気分になる……と同時に「やっぱり日本文化っていいよなあ」という作者の意図とはもしかするとちょっと異なる感想を持ってしまったりするあたりが泡坂作品の面白さか。恋愛、仕事、人生等々について、ある程度の「大人」としての経験値を積まれた方に。手にとってじっくりと取り組んで頂きたいように感じる作品集。


01/11/25
川田弥一郎「白く長い廊下」(講談社文庫'95)

'92年に第38回江戸川乱歩賞受賞作品。川田氏は現役の外科医師で、本書もその経験と知識が十二分に活かされた内容となっている。本書の後も『白い狂気の島』をはじめ、医学をベースにしたミステリの執筆を続けている。

J県の県庁所在地K市の高宗総合病院。中堅どころのこの病院に勤務する外科医、窪島は三十五歳のサラリーマンの患者、並森行彦の十二指腸潰瘍の手術を行い、何の問題なく成功裏に終えた。ところが患者を外科病棟に移送している間に、謎の呼吸停止に陥ってしまい、必死の手当にて蘇生こそ果たすものの意識は戻らず、その晩すぐ窒息にて息を引き取ってしまう。その原因がはっきりせず、窪島による麻酔薬の投与のタイミングが疑われたが、この点に関して窪島は絶対の自信を持っていた。米国に出張していたという行彦の義弟が、妻の良美と共に再び病院に現れ、病院と医療過誤で争うつもりだという。死ぬはずのない患者が死んだことから、窪島は薬剤師の山岸ちづるのアドバイスによって、何らかの作為が患者に行われたのではないかと疑い始める。やがて良美らから一億三千万円の損害賠償請求が起こされるにあたり、病院は医療過誤の保険を適用しようとするが、そのためには医師が自らの過失を認めなければならないのだという。

「病院」を舞台にして「お医者さん」を主人公にしたミステリ。それ以上は……
とにかく「病院」で働いておられる方には常日頃から多大なる尊敬を抱いている。それでもどことなく「病院」という空間を苦手に感じるのは、私だけではないだろう。現在三十代の私の世代では、何らかの問題が発生しない限りあまり通常縁のない空間であることが一つの理由だろうが、もう一つは院内で交わされる「病院内の用語」のほとんどが理解出来ないことから来るある種の怖さからくるものではないか、と思う。大学を出てある程度の広い分野の知識を聞きかじっているつもりの自分。日本語でさえあれば、大抵の用語は分かるはずなのに、医学用語、薬品名称等についてはさっぱり分からない。自分の身体に直接作用する事柄の意味が分からない。これはコワイ。
そんな「病院」を舞台にしたミステリ。これもまた近年の乱歩賞の傾向、つまり特殊な職業を舞台にしたミステリをものの見事に体現している作品である。間接的な動機ともなる人間同士の力関係、学閥の存在から、使用されるトリックや動機に到るまで、全てに「医学的な知識」が絡んでいる。この点が恐らく「目新しい」と判断されたことは想像に難くないが、どうしても一般読者的にはこう感じるのではないか。「ふーん、そうなのか」
もちろんそれは否定されるべきこととはいえない。「病院」という外部から覗き見られない組織の中身を外から眺める楽しさもあるだろう。前例がないわけではないが、当時ほとんど医学ミステリの書き手がいなかったという事情もあろう。しかし、「単なる目新しさ」にとらわれないミステリ読者としてはどこかしら残念な気持ちが残るのだ。 例えばトリックに関しては推理する楽しみが奪われ(特殊な器具が関係するため)ており、馴染みのない用語が並んで文章は堅苦しく感じられる。ストーリーは緩いハードボイルド的な物語展開とならざるを得ず、こうなるんだろうなあ、というところに着地してしまう。本書にそういった思いを抱く理由は(少なくとも本書執筆の段階では)ミステリを書きたい! という作者の意志よりも せっかく詳しいんだから医学の分野を利用して乱歩賞を獲ってやろう、というような考え方があったのでは、と透けて見える気がするところにある。一口でいえば、どこか鼻につく。この点は私の穿った見方でしかない可能性もあるけれど。

同じ医学を扱うのであれば、全く読者に想像のつかない世界を見せるなり、病院や医者という特殊要因を単なる舞台装置にして、トリックや物語だけで楽しめるミステリにして欲しかった。本書に関してはどちらの意味からも中途半端な気がしてならない。作者の実力はあるのだと思う。別の作品にてまた検証する機会もあるだろう。


01/11/24
古処誠二「未完成」(講談社ノベルス'01)

UNKNOWN(アンノン)』にて第14回メフィスト賞を受賞、続く『少年たちの密室』が「2001年本格ミステリベスト10」にランクインするなど、着々と本格派としての地歩を固めている古処氏。本書は、デビュー作に続き自衛隊を舞台にし、朝香、野上のコンビが活躍するシリーズ二作目となる。

種子島の沖合に位置する伊栗島。厳しい過疎に晒されるこの地には、航空自衛隊のマイクロ無線の通信中継基地があり、四十一名の隊員が生活していた。朝香二尉と野上三曹は防衛部調査班の仕事で、この地に到着した。この基地内で先日、小銃が一丁紛失してしまったため、その調査の為に訪れたのだ。小銃の紛失は自衛隊としては一大事では効かないくらいの大事件。責任者の佐渡二佐は土下座せんばかりの様子であるが、事件そのものは関係する一部隊員以外には報されていない。事件は、ヘリポートを兼ねた特殊な構造となっている基地の射撃場にて行われていた小銃の射撃訓練中に発生した。島民がガラスで腕を切る大怪我をし、その報は自衛隊に連絡された。医者のいないこの島では、緊急時は自衛隊の要請によりヘリコプターが本土より飛来する。そのヘリコプターが到着し、怪我人を乗せて飛び立った後、小銃が紛失していたというのだ。訓練場の外に投げ出されたと思しき小銃は、隊長らが急行して探索するも敷地の外には見あたらない。果たして、誰がどのようにして持ち去ったのだろうか?

「自衛隊」という日本人に近くて遠い存在をミステリの舞台として活かす試み
相変わらず、自衛隊のリアル=現状を描くのが上手い。作者は何らかの形で自衛隊に入隊した経験があることはまず間違いないと思われる。とはいえ、単にその日常生活や訓練内容、隊員の思考経路等を描くだけなら、経験者になら誰でも出来ること。古処氏が優れている点はその枠をしっかり創り上げた上で、本格ミステリの城を建設していることにある。
ただ、それに付随して読者は冒頭で意外性に打たれる。というのは、メインの謎を担うのは小銃の紛失事件。この事件の粒は、ほとんどの一般読者にとり「あれ、これってそんなに大したことなの?」という戸惑いを起こすのではないか。警察の拳銃が強奪された事件も過去には実際にあったし、お金を出せばどこぞの軍から横流しされた銃が入手出来る(らしい)この時代、たかだか小銃が無くなるだけで何故にこれほどの大騒ぎになるのか。(この点に関しては本書でも自明のこととして扱われているきらいもある)。 この自衛隊という世界だけでなく、日本において自衛隊の置かれている立場まで思いが及んだ時にその違和感は払拭される。そこまで行かずとも、描写されている自衛隊幹部や隊員の様子から類推して「大変なことなのだ」という前提で読めば、この点は何とかなるのではないか。
その違和感さえ乗り越えればWho done it? とHow done it?の混じり合った本格ミステリとしての味わいが拡がる。 事件像についていくつもの可能性を検討を重ね、推論を加え、実際に確認し、不可能な方法を消去していく醍醐味。その結果信じられない結果が残った……。その結果について改めて検討すれば、この「枠組みの重要性」が説得力を持つ。登場人物に仮託された古処氏の主張も伝わるし、さりげなく挿入されているいくつかのエピソードの見え方が反転して意味を成す。。枠組みから始まり枠組みに終わる端整な結末。 但し、それはあくまで苦いのだが。

もう一つだけ苦言。 舞台となる伊栗島の基地の様子はとにかくとして敷地内の建物配置のイメージが最後まで掴みづらかった。様々な状況を作中にて検討する本格ミステリを狙うのであれば、読者へのサービス兼お約束として伊栗島全体の見取り図、及び 伊栗島の基地内建物配置図は必須だったのではないか。折角の論理的検証部分にて、読者に強いる余計な負担が小さくないように思えた。

シリーズ前作のネタが決して明かされたりしているものではないが、二人の登場人物に関するエピソード等も作品世界の一部と考えるならばやはり『UNKNOWN』から読んでおきたい。現段階の古処氏は、本格ミステリ用トリックの案出よりも世界を構築するのに長けた作家という印象が強い。 三作目にして既に中堅どころのような落ち着きが作品から感じられる。


01/11/23
山田正紀「幻象機械」(中公文庫'90)

巽孝之氏による解説によれば、本書の原型は'85年に刊行された『増刊中央公論S・Fオデッセイ』に収録されている中編『幻想の明治』。これに加筆しハードカバーの長編として同社より刊行されたのが'86年のことだという。

K―大学の大脳生理学研究室で助手として働く青年、谷口。研究に熱中しすぎたあまり、三年前に妻に逃げられ、つい最近老人ホームに入っていた父親を亡くした。彼がテーマとしていたのは〈幻象機械〉(イリュージョン・プロジェクター)である。普通、人間は左脳で論理的思考、右脳で感情的思考を行うはずなのだが、日本人に限ってはその働きが曖昧であり、その曖昧さが日本人特有の侘び寂びの心に繋がっているという仮説。その研究を進めるために製造されたのが大脳皮質に直接刺激を送りつけ、その反応を一つ一つコピーする〈幻象機械〉なのである。谷口は、死んだ父親の私室に残されていた「小天地」という戦前に盛岡で発行されたと思しき同人誌に掲載されていた「父の杖」という作品に興味を持つ。作者は石川白蘋。これは後の石川啄木ではないかと思われたが、歴史上の事実は定かではない。しかし父の死後、その「小天地」は何者かによって持ち出されてしまっていた。老人ホームは、父の遺体を引き取った”日本慈愛献体協会”の謎めいた女性が持っていったのではないか、という。

石川啄木を巡る歴史ミステリの体裁は、日本人の本質を抉る山田SFの隠れ蓑
題名から強く想起されるSF的な展開はなく、いきなり旧かな混じりの文学作品が冒頭に登場する。石川啄木がかって無名時代にマイナー同人誌に発表したのではないか、と疑われる作中作。まずは文学的、そして文学史的テーマから物語は始まる。
一方、題名にもある〈幻象機械〉。これはSF的といえばSF的な設定である。人間の脳の働きを特殊な仕組みでもって機械に転写する。この機械が開発されるに到った経緯、つまり動機は日本人の脳の働きが他国の人に比べて異なっているのではないか、という仮説から始まっている。このあたりに山田正紀の思索の掘り下げの深さを感じる。機械まずありきでなく、まず日本人論ありき。アイデアだけで作品に進まず、効果的な演出含め構成について熟慮がなされている。機械を操る主人公と、石川啄木との奇妙な符合、そしてその符合の謎を追求していく展開はミステリ風でもある。機械の特性から現実離れした光景が次々と登場する展開は、半ばミステリ、半ばサスペンスによって語られる幻想小説という読み心地。着地点こそ「SFの人だなぁ」という気がしないでもないが、自らの考えたアイデアをSFに仮託して語ろうという気概と、緻密な設計図と広大な想像力にてそれを物語化してしまう手腕には感心せざるを得ない。山田氏のSF作品に多くのファンがつくわけだ。あくまで真面目な「構想」が先にあり、それを読者に驚きをもって伝えるにはどうすれば良いのか、という順番にて作品が創造されている。これが職人肌の天才夢想家の仕事。

後に『ミステリ・オペラ』にて「昭和」の時代をミステリ形式で描くことになる山田氏の序章は、もしかすると既にここから(いやもしかするともっと前から)始まっていたのかもしれない。日本人という存在の特殊性だけでなく、明治という時代をもまた本書により映し出される。 ただ、ちょっと文学的に凝りすぎているため物語全体では肩が凝るという人もいるかも。


01/11/22
田中啓文「銀河帝国の弘法も筆の誤り」(ハヤカワ文庫JA'01)

ジュヴナイル出身でホラー作家としてブレイクした田中啓文氏の、一般向けSFのデビュー作品群をまとめて短編集としたもの。短編一つ一つに「まんがカルテット」別メンバーらによる解説付き。『S-Fマガジン』等に発表された三つの作品に書き下ろしが二つ加わっている。

俗にファントムと呼ばれる超精神生命体は〈人類圏〉の星のうち、人類だけを壊滅させていった。その〈バリア〉となるのがサイモン・ライト号。きっかり千人分の脳波が発生出来る、千個の脳味噌を乗せた宇宙船である。 『脳光速 サイモン・ライト二世号最後の航海』(SF作家・田中啓文批判/小林泰三)
亜空間通信により〈人類圏〉にはじめてもたらされた地球外知的生命体のファースト・コンタクトはなぜか「ゼン・モンドー」だった。破れれば〈人類圏〉は危地に陥る。人類は空海を蘇らせることを決意する。しかしこの空海、性格が悪い。 『銀河帝国の弘法も筆の誤り』(駄洒落作家・田中啓文批判(1)/我孫子武丸)
宇宙警察に追われる女泥棒、ナンシー・ゴードン。彼女は火星に逃げ込んだが、謎の「シグ・ァッコー」と名乗る軍事組織に迎撃を受ける。彼女がフルネームを名乗ると一転、彼ら(ロボット)は彼女を指導者として仰ぎはじめた。 『火星のナンシー・ゴードン』(駄洒落作家・田中啓文批判(2)/田中哲弥)
前の晩、鬼教官に対抗するためにピザの早食い競争に勝利した新兵は、翌日、初めての宇宙歩行訓練を控えていた。当然、体調を崩しまくった彼は上と下とが地獄の状態で訓練に臨む。その地獄がピークを超えた時、彼は……(これ以上書けるか) 『嘔吐した宇宙旅行士』(悪趣味作家・田中啓文批判/森奈津子)
「見つけましたよ」というメッセージと共に飛来した人類外の知的生命体は、人類を恐ろしい勢いで食い始めた。彼らの光速を超える移動手段に対抗するため、〈人類圏〉は呪咀による惑星間のメッセージ伝達システムを造り上げた。 『銀河を駆ける呪咀 あるいは味噌汁とカレーライスについて』(人間・田中啓文批判/牧野修)

駄洒落をひとこと言いたいがために、壮大なホラを積み上げる。これが田中啓文。

   ……やっぱりこういう作家なんだよなぁ。

結局のところ、私も田中氏を最大限賞賛する言葉を吐いてしまうのか。「アホらし」 けなしているのではない。おバカなノリと周到なる無駄で彩られたこの作品集に対する形容詞は「アホらし」というのは誉め言葉である。この作品を読んで「感動した」なんて言っている人がいるならみてみたい。みてみたいけどあんまり友達にはなりたくないような気がするな。

だって。どんなに壮大な物語が展開されようとも、物語の本質は終盤にて明かされる一言の「駄洒落」に全てが集約されてしまうのだもの。ホラー小説に関しては、田中啓文氏はかなり真面目に怖さを追求する。その正体が関西SF界にて名を馳せる「まんがカルテット」の一人だとしても、だ。(田中啓文氏、田中哲弥氏、小林泰三氏、牧野修氏) だが、一度その「たが」が外れるや田中氏は本来の「田中啓文」に戻ってしまう。駄洒落のために世界を創造する男。下品と悪趣味、理解不能の論理や美学を身上とする作家。 各作家より寄せられた「解説」の部分だけを読むだけで、十二分にその「田中啓文という人物の本分」が分かろうというもの。
「下品!」で切り捨てて本書を消毒してからでないと触れない読者から、オールタイムベストに本作を入れる読者まで、人により作品の評価は両極端に分かれるはず。個人的には、式貴士世界が再現されたかのような『嘔吐する宇宙飛行士』に一票(宇多田ヒカルを使いそうな気が題名からしたんだよな)。ゲロネタが好きなわけでは決してないのだが、人間の苦しみを内側から描いた挙げ句に「そのひとことを言わせたかったんかい!」というこの作品のノリはワタシ好み。作品の根幹、即ち駄洒落の出来具合による脱力感は『ナンシー・ゴードン』と『銀河を駆ける呪咀』が双璧。全く想像していなかった駄洒落の強引さに目が点になる『ナンシー』と、これだけの時間をかけてシンプルなオチに落とし込む『銀河』、それぞれ味がある。いずれにせよ、最後の一行体中の筋力が無くなる点は同じなのだが。へなへなへなへな〜。

今年に入りブレイクしているのかSFに限らず、ホラー、ミステリまで様々なジャンルをまたいで作品ラッシュ状態。この調子で今後もがんがん田中氏には啓文的作品世界を世に広めて頂いて、駄洒落にて世界を征服して頂きたいものである。……いや、それはやっぱりちと困る。

田中啓文さんのサイトはこちら


01/11/21
南部樹未子「狂った弓」(光文社文庫'96)

東都ミステリーに「南部きみ子」名義で『乳色の墓標』などを書き下ろし、女流推理作家として注目されるようになった南部さんは、一連の作品を発表した後、一時期断筆していた。本書は'78年、カッパ・ノベルスより刊行、その断筆が解かれた後の最初の長編となる。徳間文庫版も存在する。本書は'96年に本書原作でTVドラマが放映されたために再刊されたのだという。

文房具会社に勤務する浜名はかって結婚していたが、妊娠中の妻が自殺したという過去を持っていた。その自殺の背景には、浜名から子離れ出来ない実母、貞の存在があったと噂されている。新人女性社員は大抵スマートな浜名に憧れるのだが、その貞の話を聞いて後込みする者が多かった。その会社に短大卒で入社した久美子も浜名に憧れを抱いていた。彼女は父が急死したことから母が再婚、酒屋を営む義理の父親のみならず母からも辛い仕打ちを受けていた。浜名はそんな久美子の芯の強さを見抜き、再婚の相手として選ぶ。久美子自身もスマートな浜名に惹かれていたこともあって二人は結婚、姑の貞と三人での生活が始まった。しかし貞の息子への溺愛ぶりは度を超しており、久美子も様々な形でいびられる。浜名自身は、先妻の秋子の死について、貞が仕組んだことではないかと疑っていたが、彼は母に従わざるを得ない弱みを抱えていた。

昼ドラ真っ青の嫁いびりが醸し出す歪んだ家庭は、空疎な「愛」の姿を浮かび上がらせる
あくまで一般的にだが、日本の一部には男性と女性が対等のパートナーとして結婚する、という考え方を全く認めず、結婚とはあくまで「女性が男性の家に嫁入りする」と信じる人々がいる。この考え方のもとで二世代同居をする嫁=女性の苦労は、これまでも、今も、これからも並大抵のものではないであろう。特に姑と嫁とが一人の男性を争う本書のようなケース、おぞましくて考えるだに恐ろしい。
……考えるだに恐ろしい、のだが、それを実際にミステリ仕立てにしてしまったのが本書。子離れしていないどころか、三十過ぎの息子に対し、大真面目に女性としての愛情を注ぎ込む母親が、息子の嫁の存在を疎ましく思い憎み続ける……という物語。実の母親が半ばストーカー。プライバシーなどありゃしない。もちろん、競争者の嫁に対するいじめは苛烈、いびりは強烈、息子のいるところといないところの裏表には歯ぎしりしたくもなる。どろどろ、べたべた、ぐちゃぐちゃの展開には、爽快感などカケラもない。仮に一瞬暖かい情景が描かれていても、それは更なる深みへ突き落とすための準備に過ぎない。
このような物語の中では、ミステリの扱いはテイスト程度にならざるを得ない。つまりミステリ風味で味付けられた物語を通じて、親子の、夫婦の真実の愛の姿を問いかけることが主目的。このやり方が非常に効いており、いくつかの殺人やそれに類する事件は、度を超した愛情表現の発露として表現される。少なくとも親子や夫婦の愛情って一体何なのだろう? という問いかけは読者に強烈な訴えを残すし、このような環境とまでは行かなくとも、どこか嫁姑の仲が上手くいかない、とか、夫婦仲がしっくりしないなどという漠然とした不満を抱えた主婦層が共感を覚えてもおかしくない仕上がりにまとまっている。時を経て映像化されるのも、そういった点に着目されてのことだろう。

ある種のミステリ作品は、経験を経た人の方が想像して書く人よりもリアルに書ける……と仮定するのであれば、本書のような「家の中の嵐」などはその顕著な例となるかもしれない。この現実的、かつ冷静な視点による家庭感覚は、少なくとも南部樹未子というミステリ作家の一つの特徴として挙げられそうだ。