MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


01/12/20
多岐川恭(監修)「5分間ミステリー競作集 殺しのゲーム」(新風出版社'69)

詳しい事情は分からないが「5分間新書」と名づけられて刊行された新書版シリーズの一冊。他に都筑道夫監修の『5分間ショートショート精選集』、筒井康隆監修の『5分間S・F傑作集』などがあったらしい。執筆陣はそれぞれ豪華だが、他にもあるのだろうか。

慎重に金持ちの妻を選んだ男は慎重に妻を亡き者にする計画を実行するが……。 結城昌治 『慎重な男』
癌であと一年の命の男の元に現れた男。彼と殺し合いのゲームをしようと提案する。 西村京太郎 『殺しのゲーム』
今の大女優にかって顔を傷つけられた女性。十一年後に思い立った復讐とは。 新章文子 『命を賭けた女』
浮気と浪費癖の妻に苦しむ夫に男が告げる。保険金の一部をくれれば彼女を消すという。 生島治郎 『濡れ手で粟』
盗作疑惑をかけられた作家が証拠を持った若い女性との情事に溺れ、遂に殺意を。 西東登 『偽りの旅』
強盗の片棒を担いで大金を掴んだ男。だが同時期に偽札が出回ってその金が使えない。 多岐川恭 『運のいい金』
「相手に成り代わる」という超能力を持つ劇団のベテラン俳優。恋人たちの悩みを聞いて。 山村正夫 『絞刑吏』
平凡な夫婦の隣人はどうやら二号らしい。その彼女が妻に旦那の浮気を示唆する発言を。 佐野洋 『隣の女』
遭難寸前の三人の男は飛行機事故の残骸に出会う。死亡者は大量のダイヤを所持していた。 陳舜臣 『沈んだ欲望』
会社のオールドミスから犯罪組織に誘われた男。処女を売買する銀行は順調だったが。 邦光史郎 『処女銀行』
執筆に倦んだ乱歩は伊豆の温泉街に逃避。弟子志願の娘に困り「パノラマ島」に渡る。 斎藤栄 『パノラマ島』
恩人ともいえる友人と恋人を争い、相手を罠に嵌めた男は良心の呵責に耐えられないでいた。 海渡英祐 『友情の殺意』
四十男と不倫を仕掛けた女性に〈弟〉と名乗る男が。彼女と過ごした夜に〈弟〉が襲われ大怪我。 藤村正太 『巣の中』
親戚から貰った特殊な鏡。見えた状態が後に実現するという不思議な力を持っていた。 都筑道夫 『鏡が赤くなるとき』
夫に飽き足らない妻が、若い男性と割り切った浮気。手切れ金を要求され夫にばらすと脅されて。 笹沢佐保 『淫夢』
外出したまま唐突に失踪した同級生を捜す友人。彼はポケット辞書のみを持っていたという。 樹下太郎 『山地よ死ぬな』
埋め立て地で孤独に過ごす少年に近寄る男。彼は少年に銃を見せた。男は彼の母親と関係があるらしい。 河野典生 『カラスを撃つ』以上十六編。多岐川氏の監修者のことば、および各氏のプロフィルつき。

ヒネリの効き方には差があれど、それぞれの作家の個性が強く打ち出されたアンソロジー
本書に十六人の作家が作品を寄せているのだが、邦光史郎を除く十五人の作家については個人の長編なり作品集なりを読んだことがある。その立場で本書を眺めると、意図して選ばれた短編とは思えないにも関わらず、それぞれの作家が本来持っている表現方法との毛色の近さが感じられる。 (後に作風が変化した作家も多いので、あくまで発表された時期という条件はあるが。西村京太郎とか)
またそれとは別に時代の要請だったのか、イロゴトに関する描写が(それからエロティシズムを喚起するかどうかは別にして)含まれている作品も多く目に付いた。これが当時、「リアリティ」を打ち出すために必要と思われていた方策だったのかもしれない。まぁ、ショートミステリーという表現方法に男女のちょっとしたすれ違いがネタ的に向いていたということもあろう。但し現代的な視点で見直したとしても、このイロゴトを包含するミステリが一概に排斥されるべきものではない点には気付いておきたい。彼らは推理作家。エッチシーンを描きたいわけではないのだ。きっちりと生々しい イロゴトを状況の説明なり、物語の背景なりに利用、きちんとサプライズやブラックな味わいを打ち出すのに役立てている。 この場合、登場人物の心理に重きを置きすぎるきらいもあるにはあるが、これもまたミステリの一つの形式としてきちんと評価したい。つまりイロゴト即本格失格などという必要はないのではないか、ということ。

意外な拾いものだったのは斎藤栄の『パノラマ島』。もちろん乱歩のあの作品を想起させるものだが、題名通りこの作品は乱歩本人が登場する奇妙なパスティシュとなっている。乱歩が『パノラマ島』を執筆する前、その舞台となる島を訪れる……というストーリーで全く先が読めなかった。乱歩の文章ではないのに、乱歩の持つイメージが次々と喚起される。半ば幻想小説風の説明のない展開も好み。

もう一つは意外や意外、藤村正太の『巣の中』。これも謎の女性の誘いによって一夜の関係を持った中年男……と冒頭だけをみれば単なる風俗ミステリと断じられて仕方ないながら、誰にでも見破れるアリバイトリックの裏側に秘められた犯人の強烈な動機に驚きを禁じ得ない。風俗的描写を取り入れつつもミステリはこんなことも出来るということを示したお手本のような作品。

探してもそうそう見つかる本ではないし、一作一作を取り上げると数ある彼らの短編群の中でも目立つような作品はない。私自身「多岐川恭(編集)」でなければ手に取ることもなかっただろう。それでも多数の作家によるアンソロジー形式ならではの感慨を得ることが出来た。収穫。


01/12/19
岡嶋二人「ダブルダウン」(講談社文庫'00)

'86年に『週刊ポスト』誌に連載され翌年に小学館より刊行された作品が元本。その後、なぜか'91年に集英社文庫に収録されていたが、現在岡嶋作品の多くが刊行されている講談社文庫に入りなおしている。伝説のユニット作家、岡嶋二人による十四番目の長編。

後楽園ホールにて開催されたボクシングのフライ級四回戦、小栗伸二vs須崎洋。対戦者が試合終了後相次いで死亡した。死因は青酸化合物中毒。衆人環視のリングの上で二人は試合を行っており、毒を摂取する機会は全く見あたらなかった。元ボクサーでボクシング評論家の八田芳樹の担当編集者、福永麻沙美は、同僚の週刊誌記者の中江聡介に八田を紹介するよう要求を受ける。麻沙美自身、八田の次作にこの事件が利用できることに気付き三人は事件の真相を探るべく捜査を開始した。まずは八田が撮影していたというビデオを検討する三人。毒を飲ませるのはうがい水かマウスピースか。しかし編集部から情報が届く。二人のグローブに青酸が塗られていたというのだ。また小栗は本来試合に出る予定はなく、本来は西谷という男がリングに上がる予定だったのだという。その西谷は謎の女の姿を求めて関係者から独自に事情を聞いて回っていた。彼らは西谷に迫る。

もう少し構成が練られていれば……岡嶋二人の最盛期は忙しすぎた
ユニット「岡嶋二人」の内幕を描いた好エッセイ『おかしな二人』において、井上夢人氏が本書を自ら評して「最悪」と言い切っているという。読み終わってその言葉に頷く部分がままあったのは……まぁ事実か。締切に追われるように執筆していたからだろうか、「リング上で衆人環視の中で毒殺された二人」という冒頭提示される逆密室的な突飛な謎そのものが非常に魅力的であるのに、せっかくのそれを活かしきれていないのがまず勿体ない。関係者が捜査で各方面に行き当たるうちに意外性だけの犯人が登場してしまって唐突に物語が閉じられてしまっている。この犯人を持ち込むなら、もっと伏線が必要だろうし、このままでは説得性が全く足りていない。
とはいうものの、序盤から中盤の登場人物の緊張感溢れる素人探偵ぶり、そして彼らが味わうスリルと犯人捜しのサスペンス。このあたりの展開の盛り上げ方はさすが。次から次へと展開が拡がり、読む者を全く飽きさせない筆力は健在である。登場人物の一人一人のディテールもしっかりしているし、それこそ冒頭だけでなくいくつかのトリックもきちんと考えられたものが使用されている。それでいて散漫な印象が残ってしまうのは、岡嶋作品ならではのプロットの練りこまれ方が足りなかったせいとしか思われない。結局、岡嶋二人は解散してしまうわけで、そのあたりの背景(井上氏と徳山氏の仲がぎくしゃくしていたこととか)が読んでいる間にちらついて何か物悲しい気持ちにさせられてしまった。(物語そのものとは関係なく)

面白くなかったか? と問われると決してそんなことはなく面白いし、読む価値のない駄作だとは言い切れない。普通の作家の作品であれば及第点をあげるかもしれない。それでも「最悪」の前知識なく読んだとしても岡嶋二人の作品としては他作品に一歩譲る評価になることは致し方ない。 ハッキリ断言するならば、既にある程度は岡嶋二人を読み込んだ人が、後から手に取るべき作品。この作品が岡嶋初体験というのは悲惨な気がするので。岡嶋二人はこんなもんではないのです。


01/12/18
小川勝己「葬列」(角川書店'00)

'00年、第20回横溝正史賞を小笠原慧氏『DZ』と分け合った作品で、小川氏のデビュー作品。2001年度の『このミス』では16位だった。小川氏は'01年も『彼岸の奴隷』、『眩暈を愛して夢を見よ』と話題作を立て続けに刊行、独自の地位を築きつつある。

風俗店に勤務させていた女房に逃げられ、幼い娘のももこと二人暮らしの木島史郎は25歳。卑屈な性格の彼は表向き「矢島リース」という会社でホテルや飲食店向けのおしぼりの宅配を行っているが、実は盃を受け取ったれっきとした九條組のヤクザであった。とはいえ、元もとパシリで断り切れなかったことからこの世界に入った男だけに、全く威厳も何もなく先輩はおろか後輩からも軽んじられていた。九條組の親組織の朝倉組を巡り、対抗組織の鹿沼組との抗争が活発化するなか、銃の腕だけは磨いていた木島は、九條は鹿沼組組長の射殺を命じられる。そして狙撃に失敗した木島は全てを喪う。
一方、ラブホテルに勤務しつつ、身体の不自由な夫を献身的に介護する三宮明日美は、かってマルチ商法に自分を誘った葉山しのぶと再会する。彼女はいきなり「現金輸送車を襲おう」と言い出す。明日美はしのぶを嫌っており徹底的に避けていたものの、自身が実際の銀行強盗未遂の現場に巻き込まれてしまう。その時に知った不思議な女性、藤並渚にも誘われ結局その犯罪計画に明日美はOKしてしまう。ひょんなことから彼女らと大量の銃を持つ木島とが仲間になり、まずはラブホテルの経営者の売上を強奪する計画が練られる。

普通人による犯罪小説がある女性の登場から「戦争小説」へと変貌。「コマンドー」もかくやのハードアクション
前半部、情けないヤクザの木島の様子と、事情を抱えて日々を暮らす明日美を中心として彼らの過去や生活感溢れる現在の事情が淡淡と描かれる。決して二人とも幸福とはいえない人生であり、起伏も乏しくこの段階で読み進めていくのが一旦は辛くなるだろう。世の中の裏面、ヤクザの世界やラブホテルの従業員などの生活を特に美化せず、それでいて卑下せず、的確な描写で舞台に取り込んでいるあたりは評価出来るのだが、正直、作品の頁割りというか、構成のバランスはもう少し考慮の余地があったのではないか、というのが中盤までの印象。なんだか「厭な」話が始まりそうだ、という雰囲気がぷんぷんと臭っている。
ところが、ところがだ。謎の若い女性、藤並渚という人物が物語に加わったところから物語にオーバードライヴがかかって、一気に勢いを増す。 もともとお金の欲しい人物たちが決行する「犯罪小説」に到るはずだった物語が、それを踏まえつつも目的が「ヤクザ皆殺し」=「対ヤクザに対する戦争」に知らず歪められていく。娘を殺された復讐心に燃え変貌を遂げた木島の尻馬に乗る形で、ハッキリいえば一種の戦闘ロボットと化す彼女。完璧な計画と徹底的な合理主義によって圧倒的な死体の山を築き上げる。自らの生活に現実感が伴わず、友人のいない帰国子女。過去の悲惨な経験の中に「生」を見出す彼女の性格も本書後半における重要な鍵で、単なる殺戮マニアの行動描写に終わりそうな物語に奇妙な話「救い」をもたらしている。あと、個人的にはクライマックスの銃撃戦よりも、その前の段階でアパートを木島と渚が二人で急襲する場面の迫力に震えた。

選評にもあるように、緻密な読み方をするならばアラもいくらでも見つかる。(選者がいう点以外に、殺戮シーンの無神経さ、というか中途半端さが個人的には気になった) しかし、宴の終了するまでの徹底的なスピード感覚はとにかく素晴らしい。また終盤にさりげなく込められたミステリ的な落とし穴は好悪分かれそうだが、個人的には好み。物語そのものの構造をある意味根底からひっくり返す技であるわけで。そしてラスト。物語の締め方としては最高だろう。祭りはまだ終わらない。


01/12/17
岡田鯱彦「薫大将と匂の宮」(扶桑社文庫'01)

岡田氏は'49年に「妖鬼の咒言」にて旧『宝石』誌の新人募集にて佳作に入選後、「噴火口上の殺人」にて雑誌『ロック』の懸賞でも一等入選して作家活動を開始した(執筆期間は10年ほどに留まる)。本職は大学教授で、源氏物語の世界は氏の専門分野でもある。

源氏物語、宇治十帖の後の物語。紫式部は浮船を巡る薫と匂の宮との三角関係を書き終えた後、筆を止めていた。しかしその一旦は出家した浮船(のモデル)が奇妙な死体となって発見されるに及んでその続きを執筆しはじめた。浮船は額を割られた惨たらしい死体となって宇治川の下流にて発見された。死体にはほとんど水を飲んだ形跡もなく、額は奇妙な刃物で抉られたかの状態であり、他殺と判断された。疑われたのは薫と匂の宮のであり、二人にはアリバイはなかった。そして同じように匂の宮の妻、中君が浮船と同じ死に方をした。 『薫大将と匂の宮』
 (以下、新釈雨月物語)
山中のボロ家に住む老人が持つ見事な鯉の屏風。それにまつわる恋物語。 『妖奇の鯉魚』
人間は一度ある機会を逃してしまうと、関係は二度と修復できないことがある。 『菊花の約』
占いでは不幸な結婚になると分かっていながら嫁いだ若妻。やはり男は悪いヤツで。 『吉備津の釜』
出稼ぎのために妻を置いて旅に出た男は戦争に阻まれる。十年ぶりに我が家に帰ると。 『浅芽が宿』
旅の僧は村人と鬼に間違えられる。聞くと山奥に鬼が住んでいるのだという。 『青頭巾』
 (以下ノンシリーズ)
かぐや姫の物語の新解釈。『竹取物語』  鼠に変身する術を学んだ鼠小僧次郎吉。『変身術』  旅人を泊めては殺して身ぐるみ剥ぐ老婆と女性の二人組。やって来たのはイイ男。『異説浅草寺縁起』  才気走った清少納言の恋愛顛末。『艶説清少納言』  光源氏が好物だった鯉を食べなくなった理由。『コイの味』  源氏物語の「六条の御息所」が「生霊」として描かれる部分の疑問点を物語形式にて仮説を展開。『「六条の御息所」誕生』  「古典文学の現実的刺戟――雨月物語に関して――」「清少納言と兄人の則光」 『エッセイ』
 以上一長編及び十一短編、エッセイ二編。

世界最古の探偵小説という味わいに加えて、華麗なる王朝ミステリーとして味わいたい
自身から人を心地よくさせる香りを発する薫大将、香をよく嗜み素晴らしい香りを創り上げる匂の宮。(個人的にはいろいろあるのだが、一般的には)世界最古の長編小説ともいわれる源氏物語の掉尾を飾る華やかな主人公二人。中断のような形で終了している彼らの物語の続きを創造、なおかつそれをミステリ仕立てとしてしまう発想。思いつくだけなら他にもいたかもしれないが、完成させてしまうのは古典文学への深い造詣なしにはできない所業。 そして岡田氏にはそのアイデアと知識の両方を満たす希有な才能があったということ。
探偵役が紫式部。本書は彼女自らが自身の行動について記した小説であり、古文の現代語訳(まさに教科書的)のような文体が作品イメージに合致している。近年の陰陽師ものに感じる、現代感覚を平安時代に持ち込むような違和感はここにはない。その探偵としてのライバルとして歴史上でも紫式部のライバルとされる清少納言を持ち込む機微や、小栗虫太郎作品を思わせる奇怪な傷跡が生々しい連続殺人。事件にまつわる女房どもの噂や清少納言の解決編による事件の検討部分、そして新たな手掛かりを得た後に拡げられる鮮やかな解決に至るまで物語の筋道としてまず魅力に溢れている。 またその描写部分が通り一遍ではない知識がベースとなっており、的確な描写、それらしい人物たちの発想や行動によって平安時代の貴族の生活が鮮やかに目の前に拡がっていく。大らかな人間関係や、科学とは無縁の時代がかった捜査。それでいて設定を見事に活かした理に落ちる解決に至るまで、のんびりとそれこそ平安時代ペースで読むのが吉かも。風格、そして風雅。いずれをも満たした珍しいミステリ。
他の「新釈雨月物語」も傑作揃い。こちらも世界最古ともいわれる幻想・怪奇・伝奇小説としての風格が漂い、ユーモアと恐怖が渾然一体となった不思議な感覚が味わえる。これらの挿話を新たに解釈して「物語」に仕上げた岡田鯱彦氏も凄いが、本当に凄いのは原典となる「雨月物語」なのかもしれないのだが。
本書を通じてとらえるに古典だけでなく説話がベースになっている作品もあり、「かっての日本に存在した物語」に執筆活動がインスパイアされていたことが窺える。それでいて(それだからこそ?) 発表当時も、そして現在我々が読んでも雑念なしに物語世界に引き込まれる。読者のDNAが反応しているのかもしれない。

本書の復刻とほぼ同時期に『岡田鯱彦名作選』の形で別に短編集が河出文庫より刊行された。両者に収録作品の重なりがないのが嬉しい。また、'93年に本書と同題の作品集が国書刊行会から「探偵クラブ」の一冊として刊行されているが、事実上今回の文庫二冊にてその収録作は全てカバーされる。


01/12/16
阿刀田高「花あらし」(新潮社'01)

推理作家協会賞、直木賞、吉川英治文学賞等をなで切りにしている阿刀田氏の本領ともいえるブラックユーモア小説、その近年の結晶が集められた短編集。書き下ろしはないが'97年から'01年にかけて雑誌発表、及びアンソロジー収録作品が集められている。

昌司の自宅にある古井戸は、落としたものをどこかに流し出してしまう。大雪の積もった日には近所の女の子が、大きくなってからは昌司に色目を使った女性が井戸に沈んだが、いつの間にか消えてしまっていた。 『迷路』
フランスの修道院に稀覯書の見学に出向いた女性は、何重にも鍵が掛けられた匣の中に更に鍵がかかった本を見せられる。その匣は掌の形に中がくりぬかれていた。 『白い蟹』
極度の緊張に陥ると多数でテストを受けている夢を見る女性。大学受験、結婚、そして。運がいいのはせいぜい二、三人だけ。 『選抜テスト』
海外に転勤する隣人一家の娘から二匹の金魚を譲り受けたライター。彼は自分の子供の頃、父親から金魚を飼うことを禁じられていたことを思い出す。 『暗い金魚鉢』
祖母が亡くなった。祖母は私が子供の頃から人の心が分かるような行動をとっていた。その祖母は私に現在の彼と結婚するように勧めていた。 『予言の研究』
中世のヴェネチアに住む大金持ちは、理想の女性を買い入れた。欲のない彼女だったが彼に対して「女性を認めて欲しい」と言い出す。 『第二の性』
主婦でありながらエッセイストとして成功した女性の元に毎晩かかってくる無言電話。前向きに彼女は出版パーティを開催、親しい友を呼ぶ。 『すきま風』
飲んだくれて死んだ父親が唯一訳した小説が〈明日の新聞〉。その子供が学生になり、偶然会った占い師に〈明日の新聞〉のことを尋ねる。 『明日の新聞』
仙人が碁を打っているのを見ていた男が、戻ってくると世代が変わっていた……。その男が持っていた棋譜を見て魅入られた人間は失踪してしまう。 『杳として』
ぎすぎすした妻を持つ男は、別に愛人がおり妻への憎悪が強かった。地方のバーのママが持つ人を呪い殺す「大心力」という紙があると聞き……。 『大心力』
物を大切にすることを信条とする妻と、その夫は海外旅行に出掛けた。妻はサングラスを掛けた怪しい男が気に入らず、こっそり監視していた。 『鰐皮とサングラス』
最愛の夫を病気で亡くした妻。夫は生前「死んでから、少し落ち着いたら会いに来るから」と言い残していた。妻は墓参りの時に夫の後輩と出会う。 『花あらし』以上十二編。

「奇妙な味わい」は、様々な文体や人物、手法をマスターするものだけが、作り続けることを許される
いくら「作家」という仕事のキャリアが長いとはいえ(いや、そもそもキャリアとかは関係ないか)、阿刀田氏はそこそこの年齢の男性のはずである。それでいて、どうしてこんなに様々な舞台と登場人物を生々しく描くことが出来るのだろう。 しかも、取って付けたところがそれぞれの作品に一切見られない。若い男性の独白は瑞々しく、若い女性の悩みは深く、夫を亡くした妻の嘆きは乾いている。それぞれが、本当にその年齢の男女が自ら記したかのような錯覚に陥ってしまう。作者はただ一人なのに。
そしてそれぞれの作品に独特の「余韻」がある。確かに得意のブラックユーモアを炸裂させている作品は多い。その場合の救いようの無さや絶望がまた深い。ただその一方で暖かい人情を感じさせて終わらせてみたり、リドルストーリー的な宙づり感覚にて締めてみたりとこちらのバラエティも豊かなもの。通じて感じるのはこれだけの表現を自由自在に操り、物語の筋を次から次へと繰り出すことのできる阿刀田氏の「才能」である。誠に単純な物言いで非常に恐縮だが、結局これが真実。つまりこの「才能」こそ、特に「奇妙な味わい」の小説を描き続けるために最も必要なものなのだということ。
個別の作品でみるに同じ新潮社の『七つの怖い扉』('98)にて発表された冒頭の短編、『迷路』が大傑作。 語弊なく表現するのは困難だが、ほんの少し頭の働かない少年→成長して大人の男を主人公とし、彼が経験した不思議な出来事→井戸に投げ込んだものが暫くすると消えてしまう について独白調に語る物語。先を読ませない展開、幻想小説的な文章、読者の頭の中にもかかる靄。そして。 計算し尽くされた展開と段落。最後の一行で読者を戦慄させる手腕。阿刀田作品の持つブラックな味わいが心の隅々にまで拡がる作品である。 他では『大心力』の単語の意味の意外性や、『すきま風』の身近なところにある怖さなどが印象に残った。しかし恐怖・幻想短編として『迷路』はオールタイムベスト級である。ホントに。

本書は旭屋書店のサイン本コーナーにて積まれていたものを衝動買いしたもの。正直サイン目的であり、中身はそれほど期待していたわけではないのだが、のっけから引き込まれまくった。かって読んだ『ナポレオン狂』などの初期の傑作集と負けずと劣らない、いや円熟味により艶やかに磨かれた阿刀田ワールドと出会うことが出来た。


01/12/15
山田正紀「吉原蛍珠天神」(集英社文庫'84)

題名はこれで「よしはらほたるてんじん」と読む。オリジナルは'81年に集英社より刊行された『あやかし』という作品集で文庫化にあたって改題されたもの。表題作は'76年に「SFマガジン」誌に発表されたもので、残りは「小説新潮」誌に『あやかし』が'80年、『辛うござる』が'81年に発表されている。

三河の地から江戸に移封を命ぜられた家康。その下っ端の家臣、風間吉兵衛は隅田川の物見を仰せつかる。功名心にはやる吉兵衛にとっては、手柄にならないこの役目は忌々しい。一方、一緒に役目を務める隅田川の水利を知り尽くした深川八郎右衛門という男、水利に入れ込んで侍の地位を捨てかねない男だった。彼によれば隅田川には「もののけ」が出るという。 『あやかし』
秀吉の韓国出征に随行して帰還した望月正三郎の気が触れたのではないか、と近隣で噂となった。剣の道で剛の者と知られた正三郎は、勤めこそ果たすものの野菜を大量に買ったり、道場通いを止めてしまうなど奇行が目立ち始めたのだ。彼の義父にあたる五藤平内は気が気でならない。 『辛うござる』
「暗殺」を裏の稼業として生活する銀細工師、宇乃は命ぜられた殺人の相手である老婆が「早く殺してくれ」と哀願するのを眼にし、初めて殺さずに引き返してきた。とはいえ、その老婆は三日後にコロリで死亡してしまう。自分以外の何者かがその死に関連していると直感した宇乃は、かっての友人だった御庭番の織部と出会う。織部は大老、井伊直弼の暗殺を宇乃に依頼する。依頼を断ろうとする宇乃に対し、織部は人質を取る。そんな宇乃の前に現れたのが黒衣衆を名乗る謎の忍者たちだった。 『吉原蛍珠天神』以上三編。

歴史的事実をフィクションに取り混ぜてエンターテインメントとする。あれ、どこかで……?
現在、山田正紀の著書リストを何らかの形で眼にする方がいれば、その作品の数はもちろん、ジャンルの多彩さにも目を見張るはずだ。現在はミステリ作家として名を馳せているとはいえ、本来の山田氏はバリバリの国産SF界の俊英。 そしてSFという大きなジャンルは、その内部で様々な試みが可能だった。ハードSF、幻想SF、伝奇SF、スペースオペラ、SFミステリ、ファンタジー、架空戦記……そしてそんな山田SFの中の一つ、時代SFの先駆けともいえるのが本書収録の表題作なのだという。
その表題作、氏によれば「チャンバラが書きたかった」のだというのだが、作品の質そのものはもっと深い。ちゃんとアクションシーンは盛り上がりをみせつつも単なるチャンバラ小説以上のテーマをもちろん内包している。特に主人公が飾り職人というあたりほとんど「仕事人」なのは御愛敬なれど、筋書きには史実や歴史上の人物を絡めるなどの最低限のリアリティを維持。その上でSFらしいテイストとオチをきちんと物語中に配置しているなど、山田氏らしい小説技巧が随所にみられた。作品自体を「勢い」に任せている部分に多少当時の山田氏の「若さ」が感じられるが、読んでいて気になるようなことはない。(SF的ガジェットの挿入方法がちょっと無理無理の気もするけれど)
他の『辛うござる』はキムチを通じて、『あやかし』では妖怪を通じて戦国日本人の常識を問うあたりに非凡さが光る。双方歴史を踏まえている点にも気付いておきたい。

史実という現実を物語のベースにしつつ、その隙間にアイデアを埋め込む……、これは、山田風太郎の忍法帖や時代小説の手法(と限ったものではないだろうが)にごく近い印象を受けた。断言はもちろん出来ないが、風太郎の手法を正紀氏が(二人とも山田である)模倣したものとは異なるように思える。風太郎は紛う事なき天才、そして正紀氏も同様に非凡な才能を誇る。つまり二人の天才が「時代」をエンターテインメントに昇華させるための手法を模索した時に探り当てたの鉱脈が比較的近かった。そういうことではないだろうか。


01/12/14
石沢英太郎「視線」(講談社文庫'81)

'63年に第4回の宝石短編賞を佳作受賞(その回の第一席の一つは天藤真の『鷹と鳶』)、その後、'65年に第1回双葉推理賞を『羊歯行』にて受賞し本格的作家活動に入った石沢氏。短編の名手と言われた氏が、第30回日本推理作家協会賞の短編賞を受賞したのが表題作の『視点』。本書はその前後に執筆された短編が収録されているのだという。

銀行強盗に襲われた銀行員はちらりと視線を同僚に向けた。その同僚は強盗に撃たれ死亡した。 『視線』
隣家の妻が「リリー」という飼い犬に辛く当たり出す。その犬に冷淡だった我が家でも話題に。 『その犬の名はリリー』
定年を迎えた銀行員。妻と離婚し自殺の研究をしていたが遂に購入したマンションから飛び降りた。 『五十五歳の生理』
植物観察サークルに現れた若い人妻は勉強熱心。特に「きんぽうげ科」の花がお気に入りの様子。 『アドニスの花』
心理学教授の妻でレポーターとしてデビューした女性は、頻発する社会問題に鋭い舌鋒を向ける。 『ガラスの家』
地方の有力企業が贔屓の料亭の仲居が自殺。総務部長は元上司が彼女と関係を持っていたことを知る。 『一本の藁』
正当防衛は犯罪にならない。悪い友人に脅される男は銀行員の立場を利用して完全犯罪を企む。 『ある完全犯罪』以上七編。

存在さえも気付かないごくごく日常的な人間心理の落とし穴を見せつける迫力
読み終わってふと「日常の謎系ミステリ」を想起してしまった。とはいっても本書の収録作品には殺人事件もあれば、銀行強盗も取り上げられるなど、題材的には通常の(?)殺伐とした推理小説的なものが多く、とても日常的ではない。だが、その事件への光の当て方というか、物語からミステリ部分を引き出す手法に近さを感じてならないのだ。
例えば『視線』。銀行強盗に襲われた銀行員がちらりと横目を流した。たったそれだけのことから、物語が創り上げられる。大きな行動ではない。視線だけの話。それでいてプロパビリティの犯罪を人間模様にまで絡め、叙情ある短編に仕上げられている。更に凄いのが『ガラスの家』と『一本の藁』だろう。『ガラス…』は、辛口が売りの女性コメンテーターに仕掛けられる陥穽。人間が知らず人を傷つけることの恐ろしさがはい上がってくるような作品。社会派的視点もあるが、それよりも意識しないまま冗長してしまう人間の弱さが間接的に語られている部分に印象が残る。また『一本の藁』は「らくだの背骨も一本の藁で折れる」という格言がベース。つまり、限界荷重に耐えているらくだはそれを超えるごく軽いものを追加で乗せた途端に背骨が折れてしまうという意味。地方の料亭の仲居が自殺を遂げた。ふと新聞記事にてそのことを知った、その料亭をかって利用していた商社の総務部長が覚えた疑問。病身の夫を抱え、前任者と交際して援助を受けていた彼女にとっての「一本の藁」とはなんだったのか。これも悪意にもならないようなちょっとしたことが、人を大いに傷つけることがある、ということを暗に警告するもの。
いわゆる本格のトリックがあって解決があって、という形式でもないし、サスペンスを盛り上げるものでもない。多少ブラックユーモア的なオチはあるものの、それを狙った風でもない。小説作法的には「別の角度からの視点」にこだわっているように見える。 市井の人間が生きていく。彼らが持つ感覚の特に普遍的なもの。そういったごくごく当たり前の部分、通常ではサプライズに結びつかないようなポイントに思いも寄らないところから当てるスポットライト。その結果、普通なら見えてこない悪意や綻びなどが浮かび上がる。事件が非日常であっても、その事件に相対する感覚がごく日常のものなのだ。「日常の謎」との共通はこれなのか。このテクニックをして「短編の名手」と言われているのかもしれない。

個人的な話になるが、本書は出張で福岡を経由した時に読んだ。作者自身が福岡在住で舞台として福岡県内が多く使われていることもあり、雰囲気を堪能した。(私自身福岡県には七年住んでいたし) とはいえ作品そのものはどこにでもある地方都市として読めば問題ない。氏の作品を手に取るのは初めてだが、その「地方都市」というモチーフも短編推理小説の中でのイマジネーションの拡大に一定の役割を果たしているようにも思えた。


01/12/13
喜国雅彦「本棚探偵の冒険」(双葉社'01)

刊行された瞬間から血風を約束。2001年新刊の中で(復刻・復刊本を除くと)最も古本マニアを狂喜させた作品というか「本」。新刊書店で販売される単行本で「初版特製函入り帯著者検印及び月報付き」なんて現代日本ではこの本以外にはまず存在しない。作者は探偵小説の古書コレクターと知られる漫画家、喜国雅彦氏。氏の古書に賭ける熱き思いが伝わる好内容の作品。'98年から'01年にかけ『小説推理』誌上に連載されたエッセイをまとめたもの。

乱歩亭訪問「夢の蔵」 海外進出「青空の下の埃」 デパート古書市模様「デパートの一番長い日」 彩古さんの凄さ「僕の先生」 我孫子亭訪問「他人家の本棚(前後篇)」 いわゆるT蔵書「T蔵書の謎」 角川横溝地獄「黒背表紙を求めて(前後篇)」 本棚を作ろう「自分家の本棚」 小ネタ集「ちょっといい話」 「マニアの部屋」 「揃い」の恐ろしさ「恐怖コレクション」 みうらじゅんさん「もう一つの貼雑年譜」 古本の街へ向かう「本棚探偵、北へ」 目録注文の罠「悪魔の目録」 函欠け本に函を「函を作る(前後篇)」 いつ開いているの?「幻影古書店」 東京のポケミスを制覇「ポケミスマラソン(本編、特別拡大版)」 特定作家で本棚を「オンリー本棚」 角田喜久雄「底無沼」 生原稿の出所は?「底無沼?」 フランス書院「小説『兄嫁の寝室』」 金があれば俺だって「俺のパノラマ島」 死ぬまでに読んでやる「本棚の肥やし」 豆本の作り方「豆本が欲しい(前後篇)」 担当編集との交換日記「愛の往復書簡」
「単行本のためのあとがき」そして「特別座談会 「喜国雅彦を古本世界に引き込んだ悪い人たち」」

「フクを古本世界に引き込んだ悪い人」が綴る抱腹絶倒、人外魔境、不眠不休の古本道
人のせいにするのは潔くないし、もともとその素養があったことは認めよう。だけど、私を古本世界に引きずり込んだ師匠格の一人はまずkashibaさんであり、もう一人はやっぱり喜国雅彦さんだと思うのだ。 ……思い起こせば数年前。まだ書き込む人がごく少なく和気藹々の話題が飛び交う(今が殺伐としているわけではないですからね。でも日本一ディープだけど) 小林文庫のゲストブックにたむろしていた私に色々なことを教示してくれたのが、まだ猟奇の鉄人を開設する前のkashibaさんだった。古本屋には通ってはいたものの、安物買いを目論むだけだった健全な私。しかしkashibaさんの説く古本世界の奥深さを垣間見て、私はあろうことか興味を示してしまった。そして恐らくはその頃ではなかったか、喜国さんが探偵小説コレクションというサイトを作ってしまったのだ。まだ「ネット古書系」なんて言葉ができる遙か前、都内のBOOK OFFがまだ高田馬場(小さい方)と大塚と新大久保(後に撤退)にしかなかった頃。うぶな私にとってあの内容と画像は強烈な衝撃だった。特に罪作りだったのは角川文庫のコーナー。古本屋で見掛けることは見掛ける、集めようと思えば集められる、だけど容易にコンプリート出来ない、というこのミステリ古書初心者の為に存在しているかのような微妙なバランスが私を虜にしてしまったといって過言ではないだろう。そこから角川天藤を集め、角川鮎哲を集め、角川土屋を集め、角川仁木を集め、遂に乱歩推理文庫に手を出しコンプリート。今は大衆文学館が三分の二を超えたトコである。どこにあるんやぁぁぁぁ! おっと。 そうそう、仙花紙本の美しさに目覚めたのも喜国さんのサイトから。
そもそも特別座談会の題名が「喜国雅彦を古本世界に引き込んだ悪い人たち」ということになっているけれど、私にしてみればそれはkashibaさんであり喜国さんなのだ(小林文庫オーナーもか)。この座談会のメンバー、彩古さん、石井春生さん、よしだまさしさん、日下三蔵さんらとは結局、古書の路を行くうちにお友達になってしまった……。ちなみに、この座談会の内容は、実は我々の飲み会にて交わされる話題となんら変わらない。 活字になっただけ、という気がしてならない。

内容――。古書を集めることの楽しさ。古書のために何かを創り出す楽しさ。古書を通じて人と交わる楽しさ。喜国さんのちょっととぼけて、時に鋭い文章がこれら楽しさを様々な形で引き出している。私自身が登場する人物の過半と知り合いということを差し引いても、ミステリ古書蒐集の魅力をこれほどまでに引き出したエッセイ集は空前にして絶後ではないだろうか。 オタクの生き様を嗤うも良し、自分自身を投影して冷や汗をかくのも良し、人生の目標を新たに設定し直す人もいるかもしれない(いないとは思うが) 読者それぞれの古書との交わりの濃淡によって本書の楽しみ方は多少変わるだろうが、作者の熱き古本魂が貴方の胸を打つ!……部分は共通だろう。多分。 (著名なミステリ作家も多数登場、彼らが普段見せない古書に関する意外な側面も見られるかも)

凝った造本ということもあり定価2,500円とそこそこのお値段ではあるけれど、古書に興味がある人で本書を読んでいない人はいずれ「もぐり」扱いされることは必定。ミステリに限らない。SFや怪奇小説、大衆小説など、どのジャンルの古書コレクターでも内容に激しい共感を覚えるはず。古書蒐集の常識と非常識がここにある。 刷り部数が少ないのが気になるが、見たら「即買い」の一冊。でも、ホントに見掛けないのはシャレになってない。早く増刷して下さいな、双葉社、H野さん。 (再版が出たら初版の価値が検印分上がるのだ。うふふん。)


01/12/12
樹下太郎「石の林」(東都書房'61)

デビューの頃から東都書房中心に作品を刊行していた樹下氏が「東都ミステリー」のために書き下ろした作品。後に文華新書でも刊行されているが、まだしも本書の方が(お金はかかったとしても)入手しやすいかと思う。

墓場で若い男性が死亡した。死因はアルコールと共に嚥下された致死量の睡眠薬。彼の勤めていた会社の同僚は、彼に対して、とうとう自殺したか……という感想を抱いていた。
その死んだ男は、大学卒業後いくつかの仕事を転々としつつ面接時に営業課長の速水竜伍が強烈に推したことから的場アルミに入社した三谷崇。彼は速水に眼をかけられ順調に営業マンとして成長しつつあった。ところが、酒を断り続ける三谷を騙し、速水が酒を飲ませたところ三谷は豹変、目茶苦茶な飲み助ぶりを発揮した。一旦酒を口にするや否や潰れるまで飲み続ける彼は、医者に「アルコール性痴呆症」とまで判断される病的な酒飲みだったのだ。失敗を恐れて禁酒して真剣に仕事に臨んでいた三谷も、一旦枷が外れてしまったことから毎晩のように飲むようになり勤務状態も悪化した。その結果の悲劇……。
実は三谷には秘密の社内交際をしている高遠万千子という女性がいた。彼女は三谷の老母から彼が残した日記を見せられる。その中身では彼は再度の禁酒に成功しつつあり、自殺を試みるような臭いなどはなかった。三谷の死後、彼女は金杉という速水から嫌われている営業課員から誘いを受ける。金杉もまた三谷の死に対し疑問を抱いている一人であった。

'60年代当時、樹下ミステリは推理小説の全く新しい分野を切り開いていたのではないか?
本書が書き下ろし刊行されたのが'61年のこと。松本清張や仁木悦子が推理小説界に登場したのがそのほんの数年前。それまでの「探偵小説」と異なるムーブメントが確実にこの分野に訪れていた時期。 現在、松本、仁木の両氏の名前は、時代を変えたとして推理小説史を語る際に外れることはまずないが、樹下氏の名前が挙げられることも同様にない。推理小説作家として活躍した時期が数年と短かったこともあろうが、大きな賞を受賞していなかったり、オールタイムベスト級に挙げられるような大傑作が著作になかったりという不幸な側面が影響している部分が大きい。
とはいえ、本書を読んでいると、樹下氏は現在、過小評価されてしまっているのでは、という疑いを抱いてしまう。
樹下氏といえば、サラリーマンや市井の人々の描写が優れている、とは私自身もかって書いたし大方の評価としてもそうだろう。しかし、その結果描かれてきたものには重大な意義がある。つまり、等身大の主人公が犯罪に巻き込まれたり、犯罪を企てたてざるを得なくなったりすること。この平凡人が事件に関わる物語の構成は、今や当たり前だが、当時としてはかなり衝撃的だったのではないか。 つまり、それまでの推理小説における犯罪は「悪人」によってなされているものという暗黙の二元論があったものを、混沌に投げ込むものなのだから。樹下作品、特に本作では犯罪者=悪人という公式が全く成り立たないのだ。勿論ここで犯人は明かさないが、読んでいれば誰にでもすぐに想像がつく存在。読者のすぐ側、というよりも読者自身で感情移入できる立場の人間である。そんな彼らが避けられない事件から、犯罪の動機を抱いて犯罪を計画し、実行する。明日の自分がそれをするかもしれない怖さ。この動機に社会性をみることも出来る。しかしその日常との密接感により注目したい。

樹下作品をそれなりに読み込んできて、はじめて気付くとは不覚。その後のサスペンスやスリラージャンルの小説に対し樹下氏が直接の影響を与えている、とは言い難いだろうが、共通する部分を多く持つ作品。最後まで読ませる小説技巧も当然あり、単純なる「犯人当て」とは明らかに異なるエンターテインメントを提供している。


01/12/11
皆川博子「戦国幻野 新・今川記」(講談社文庫'98)

推理作家協会賞や直木賞だけでなく『薔薇忌』にて柴田錬三郎賞をも受賞している作家、皆川博子さんにとって時代小説もまた重要なジャンルの一つである。本書もその一角を担う作品で「静岡新聞」に連載の後、'95年に講談社より刊行された作品が文庫化されたもの。

戦国時代。駿河は今川氏親が没し、その長子である今川氏輝の時代となっていた。氏親の正室の子供ながら幼い方菊丸(後の今川義元)は禅寺の富士山善徳寺にて喝食として修行をしていた。彼を厳しく躾ける師は三十五歳の九英承菊。承菊もまた今川家に繋がる出生の秘密を持つ男だった。承菊は将来、方菊丸を伴って今川家を掌握することを念頭に置いている。
一方、歩き巫女として諸国を渡る照日は、富士修験という修験道の一派に与することを強制される。富士山の洞穴の中に氷漬けの女性を祭るその一派は、同じ修験道の村山修験と勢力を争っていた。一派の生き神という〈炸耶様〉という女装した若い男に照日は本能的に惹かれるものを感じる。村山修験の急襲を受け、命辛々逃げ出した一派は、甲斐国に属する駒井政武の庇護を受けるようになる。政武は〈炸耶様〉が実は今川氏輝の双子の兄弟であることを知っていたのだ。

瞬間を切り取る巧者、皆川博子の手腕が冴える異形の一大時代記
今川義元――と聞いて、何を思い出すだろうか。戦国時代、駿河一帯を有する有力な戦国大名でありながら、桶狭間の戦いで織田信長に敗れたことの方で史実にその名を残しているという皮肉な側面はありはしないか。皆川さん自身もその点に着目、今川義元の出生から成長、そして討ち死、後日譚に至る壮大な物語を仕上げた。皆川さん自身のあとがきの言葉を借りれば「信長に討たれたおかげで、史書ではつまらない役割を強調される今川義元だが、視点をかえれば、さまざまな物語がうかんでくる。 強者ばかりがヒーローではないのだ」ということ。
そして本書は史書を裏側から眺めるために単に視座を変化させたことのみが特徴の作品ではない。様々な資料から表向きの「今川義元」の姿を一人の男として描き出すことはもちろん、虚実入り乱れての物語的作為(つまり今川家に連なる血筋を持ちながら、様々な別の運命を持つ者たち)を加えることによって、伝奇小説とも歴史小説ともつかない独特の大河小説となっている。単なる時代小説ならば登場人物ごと時代を切り取れば良いし、単なる歴史小説ならば、その流れを繋げば良い。しかし本作はそれらよりも「人」へのこだわりが強く感じられる。もちろん時代も流れをも貪欲に取り込み、加えて印象的な場面をいくつも積み重ねる。「皆川さんらしい」手法が人と時代とを一括りにまとめた「壮大な物語」を創り出す。
特徴的なのは、それぞれの登場人物に「心の欠落感」を与えていることだろう。様々な欲望を抱えつつ、自らのアイデンティティを模索、神経の根本部分に繊細さを残して戦国時代の価値観に単純には染まりきれない男たち。彼らの心を通じて眺めることで、戦国時代という異形の時代が浮かび上がる。人が異形だからそんな時代ができたのか、時代が異形なため人が異形と化したのか。不思議な問いかけが作品の中から発される。普通の歴史小説を成立させるために作者は事実との間に一定距離を置く場合が多いが、皆川さんの場合は一人一人の心の中に入り込んで物語を描く。大河物語でありながら、えらく生々しいのは恐らくそのためだ。もちろん客観的史実は裏切らないし、曲げない。ただ、その中に語られていない一瞬一瞬を使って見事な物語を紡ぎあげているのだ。
また、意外や戦闘シーンの迫力も男性の専業作家に負けておらず、生々しい愛情表現や、一瞬を表現する筆の冴えなど、文章・構成ともに「ああ上手い!」と唸らされる個所が多すぎる。どんなに言葉を尽くしても凄さを表現しきれない作品というものはあるもの。 いやはや。もう。

今まで皆川作品は「幻想」と「ミステリ」に近い作品を読んできた。そしてそのどちらも閉じられた世界が舞台であることが多かったのだが……。壮大な拡がりを持つ世界を舞台にしても、皆川さんはきっちり自分の中にその世界を取り込み、美しく果敢なく物語へと昇華させてしまう腕を持っている。また一つ皆川博子という作家の凄さを再確認した次第。