MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/01/10
角田喜久雄「神変八咫烏」(春陽文庫'80)

ミステリファンには探偵小説作家として知られる角田喜久雄氏には時代・伝奇小説作家としての側面があり、寧ろそちらの作品数の方が多い。本書もその系譜に連なる作品で題名は「しんぺんやたがらす」と読む。

文久三年。勤王派と佐幕派とが江戸市中にて密やかな抗争を繰り広げる時代。谷中天王寺にある天狗杉に願を掛ければ「八咫烏」という義賊が救いに来てくれると信じ、お妙は深夜にこの地を訪れていた。彼女は兵学者の市瀬右有斎の一人娘で、父親が「卍組」という悪党に攫われ、行方知れずになっていたのだ。しかしお妙は小悪党の岡っ引き、蜘蛛の長六に襲われる。そんな彼女を危機一髪で助けたのは一品親王に連なる侍、長門小次郎。彼はお妙に助力を約する。しかし小次郎宅を出たお妙は再び拉致され、卍組の党首、汐見田一笑の邸宅へと連れ込まれる。一笑の息子、隼人によりお妙が襲われたかけた時に飛び込んできたのが「八咫烏」と書かれた一本の矢。更に怪しい男が庭に現れた。激しい一戦が二人の間で繰り広げられるが、闖入して来た男は法川左近次という京都から卍組を訪ねてきた味方だった。残された「矢」を手掛かりに手段を選ばず八咫烏の正体を探ろうとする隼人たちの前に現れたのは、またしても長門小次郎だった。

登場人物、謎、活劇。濃縮された時代エンターテインメント
いくらこの時期の春陽文庫の活字が狭くて詰まっているとはいえ、本書は角田喜久雄の時代小説としては「薄い」本である。実際に分量としても大した量ではない。ならば展開が単純かといえば、全くそんなこともないのだ。この短い紙幅のなかによくぞ! とばかりに複雑怪奇なからくりが作品内を満たしている。また、登場人物がシンプルかといえば、これもまたそんなことはなく、かなり多人数の怪しい者共が跳梁跋扈している。ならば分かりにくいのでは、と問われるとこれまたシンプルな筋書きにて単純に楽しい、としか答えられない。
つまり、ひとことで言えば、こんなイメージ。  日本古来の大衆小説、本書のような時代伝奇小説が担ってきた役割を、薄いながらも見事に体現している作品なのだ。
ある意味「ミエミエ」なのは仕方ない。神出鬼没、快刀乱麻かつ正体不明の謎の男「八咫烏」の活躍。子供の頃に見たテレビ活劇のように、誰かがピンチになれば現れてくれる安心感。勧善懲悪の講談の基本が押さえられている上に、初期探偵小説に好んで用いられるようなトリック(これも「ミエミエ」なのがまた良い)が加わって、探偵小説作家&時代伝奇小説作家の二つの顔を持つ角田喜久雄らしい作品となっている。両方の分野から「面白い」というエッセンスを抜き出し、物語として研ぎ澄まされたエンターテインメント。面白くないはずがない。多少登場人物が多かろうが、人物関係が複雑であろうが、「探偵小説」「伝奇小説」の王道としてしっかりしているので誰にでも理解され、かつ分かりやすい作品となっている。見事。

角田喜久雄の時代伝奇小説は未だニーズがあるのだろうか、春陽文庫の新カバーにてもかなり刊行されている。城戸禮氏の作品と比較しても意味はないが、頭を疲れさせたくない時に一気に読むと、どこか元気が出てくるような気がする意味ではちょっと似ていなくもない。偉大なり春陽文庫。


02/01/09
西澤保彦「両性具有迷宮」(双葉社'02)

独特のSF世界を本格ミステリの前提に持ち込むことを得意とする西澤氏。その系譜に属する作品でありつつ『なつこ、孤島に囚われ。』に続き、森奈津子さん御本人を主人公として起用して賛否両論を呼ぶシリーズの二作目。『小説推理』誌に'00年より翌年にかけ掲載された。

特殊百合族作家である森奈津子は、ある晩に近所のコンビニエンスストアを訪れる。近所に女子学生会館が出来たことにより店内は若い女の子が数多くたむろしており、其処は非常に魅力的な空間に思えたのだ。一人の清楚な女性に魅力を感じたのも束の間、彼女を含め店内にいた女性全員が謎の爆発に巻き込まれてしまう。これは謎の宇宙人が誤って実行してしまった「爆弾」で、この結果、彼女たちに男性器が「生えて」しまう。これは一旦射精をすれば元の女性に戻れるのだが、一眠りするとまた男性器が復活するというシロモノ。森奈津子本人は新しいジェンダー感覚を取得したことを、友人の倉阪鬼一郎や図子慧らに自慢して大喜びではあるのだが……。 その後コンビニ強盗がその店を襲い、当日の店員を刺殺。防犯ビデオを持ち去るという事件が発生、続いてその時店内にいた女性客を狙った連続通り魔殺人が発生。遅蒔きながら、森奈津子も事態に気付いて仲間を見つけて調査を開始する。

森奈津子さんへの愛情表現? どこかイタいSFエロティックサスペンス
前作をまだ読んでいないので西澤氏の「森奈津子」ものは初体験。独特の官能感覚を持つバイセクシャルの作家、森奈津子という主人公一人称による記述による作品。SF的設定によって特殊な男根を生やすに到った彼女と、同時に同様の災難を受けた十数名の女性たちを巡るサスペンスストーリー。彼女たちを狙った連続殺人鬼を登場させ、Who done it?というよりWhy done it?のミステリ的興趣を絡めてきてはいる……。
特殊な状況を設定し、そのなかで論理に満ちた本格ミステリを……という従来の西澤作品とは似つつも微妙に異なるスタンスにある。ミステリはミステリなのだが、まず本格よりもサスペンス色を、そしてミステリよりも変態行為に気走っているからのようにみえる。そして色々な組み合わせを取りそろえたエロシーンにしても、一見奔放な描写をしているように見えつつ、シチュエーションや行動にどこか計算が見え隠れする。(設計図通りに物事が進められているような……) 本書からは西澤氏はエロ小説を書くのが好きで好きで堪らないという印象は受けられず、よりリアルな森奈津子らしさを追求するために、強烈なエロシーンを描く必要があるから書いているだけのように思えるのだ。また、例示が躊躇われるようなエロ場面であってもジェンダー論やセックス思想が絡められているし、露骨なエロを書こう書こうと真剣に取り組む西澤氏の雰囲気が透けて見えてくる。語弊を恐れず表現すると、天然の変態作家が書く変態の物語ではなく、変態に憧れた作家が変態を勉強して書いた作品。
ミステリの部分についてはあくまで話を繋げて盛り上げる部分に役立っていると書いておこう。結末の歯切れの悪さはこれまでの西澤作品では見られなかったタイプ。
(ネタバレではないけれど差し障りある考察)
これまでの西澤作品では、プライドが異常に高かったり特殊な性欲を持っていたりという犯人像を日常生活に組み入れる場合が多く、それが成功していた。本作の場合、主人公グループにマイノリティなジェンダー、従来ならば西澤氏が犯人とするタイプの人々を持ち込んでしまっている。その彼らに対する事件を、西澤流に盛り上げるならば、彼女たち以上の強烈な個性が必要。しかし犯人に、それ以上の変態(語弊があるが)を持ち込むことは西澤さんが敬愛している「森奈津子の個性」を強調する本作の目的に反してしまう。その結果、誰にも犯行動機の真の理由が分からないサイコさんを登場させる以外に犯人を作り得なかった……ということではないだろうか。ミステリ的な不出来の理由はこのあたりと読んでいる。(ここまで)
もう一つ付け加えると、ニュートラルに、つまり完全なフィクションとして本書を読めなかった。森奈津子さん自身はお姿を拝見したことがあるくらいだが、クラニーこと倉阪鬼一郎さんとは実際親しくさせて頂いているし、他に見知った人の名前がちらほらと登場する。ある人はこれはファンタジーとして割り切らなければ、と主張するのだが……。西澤氏は巻末で「本書はフィクションである」「名称が同じでも偶然の産物」と述べておられるけれど、この態度はどことなくスッキリしない。ここまで書くなら「名称が同じなら、その人物はホントはそうなんです」とする開き直りがないと。

いずれにせよ、一番最初に出会った西澤作品が本書、という人もいるのだろうけれど。ミステリ好きな人だったらかわいそうだなぁ。エロ、特に多少倒錯した設定に興奮する向きならお好きにどうぞ。


02/01/08
福井晴敏「川の深さは」(講談社'00)

'98年に『Twelve Y.O』にて'99年第44回江戸川乱歩賞を受賞してデビューした福井氏は翌年に刊行した『亡国のイージス』にて冒険小説界の話題を攫った。本作は、氏が受賞の前年の乱歩賞に応募、最終候補の残った作品を改稿したもの。2001年版「このミス」10位。

元警視庁の四課にて腕利きといわれていた桃山は、ある事情から刑事を辞め退屈な仕事内容の警備会社のガードマンとして働いていた。妻とは離婚、日がな決まり切った一日を過ごす毎日。ある晩の勤務中、隣のビルのガードマンから助けを求められる。チンピラ風の男たちが何かを捜してうろついているのでどうにかして欲しいのだという。桃山は気が進まないながら、彼らを追い払い警備員室に戻った。そこには十代の少女がいた。自身も傷付いていたにも関わらず、”友達”を助けて欲しいと彼女は桃山に懇願する。施錠されている筈の地下室に彼は隠れていた。銃を持ち大怪我にもめげず、何事にも動じない獣の目を持った少年。桃山は彼らに惹かれて進んで彼らの治療を行い、当面の居場所をそのまま確保してやることになる。葵と保と名乗った二人は、どうやら暴力団事務所を襲って逃走中らしい。そして彼らには更に裏の事情と関わりがあることを桃山は確信する。しかし数日後、桃山には黙って彼らは姿を消した。そして桃山のもとには彼らを追う旧知の暴力団や、政府系機関の遣り手などが訪れ始めた。日本を揺るがす陰謀の鍵を彼らは握っているのだという。

全編に溢れる「日本に対する怒り」……と、ノンストップエンターテインメントの相性は
乱歩賞受賞作、『Twelve Y.O』と同じ物語構造を持っているともいえる作品。つまり、巨大な組織に対抗する超人的能力を持つ個人という構図。ただ似た題材でもシチュエーションの差により場面場面で受ける印象が異なるせいか、前作(厳密には後作だが)を知っていても、これはこれで別に完成されたエンターテインメントとして十二分に堪能出来た。
本書を通じて「平和を無感動に享受するばかりの現代日本」に対する焦燥や怒りといった作者の感情が、登場人物の言葉や行動を通じて迸る。その平和は誰が創り出して、誰が維持しているのか目を背けず、もう少し考えてみろ、と。物語の中でもその思想がベースとなり陰謀が巡らされ、人が動き、組織が動く。日本国内での北朝鮮脅威論に乗りかかって行われる自衛隊や公安や警察が入り乱れて行われる策謀。軍事力、諜報力の有効活用を考える人々。これに対し、初めて感じた愛情に目覚めて反旗を翻した戦闘マシーンの少年、さらに警察制度の限界を目の当たりにして退職した元刑事が、再び自分の生き方を取り戻すために戦う。彼らを軸にした物語は「追う者」「追われる者」の双方の緊張感が全く途切れないままラストに向かってひた走っていく。この展開そのものには全く文句はない。展開のスピード、様々な十字架を背負った登場人物といい、構成も造形もいい感じ。
ただ、一方でアクションの描写の際にふと思うのだ。最初の志は結局どうなっているの? 戦いは守るべき者のため。組織は自らのエリート意識を守るため。一方の個人は愛する人を守るため。ならば、この戦いの図式の中に「平和ボケした一般大衆」など、入る隙はないわけで。なので、単体としては感動的なエンディングさえ、どこか放り出されてしまったような印象が微かに残る。

普通に冒険小説系を好まれる方であれば、ぐいぐい引き込まれるだろう作品。特に元刑事の警備員の造形の渋さには脱帽。また、オウム真理教の問題などを事件の裏面に絡めるあたりの手練れぶり、これが三冊目とは思えない、まさに正々堂々の一冊。文庫版『Twelve Y.O』の大沢在昌解説と併せ読むとなお感慨深いのでは。


02/01/07
香住 泰「錯覚都市」(双葉社'01)

香住氏は'97年、本作品集収録の「退屈解消アイテム」により第19回小説推理新人賞を受賞してデビュー。本書はその'97年より'01年にかけて『小説推理』誌に掲載された作品が集められている。氏には他にハルキノベルスより『牙のある鳩のごとく』という長編を刊行している。

公益法人に勤務し平凡で変化の毎日を送っていた男が「退屈解消」の誘い文句に負けて携帯電話を契約。その日に謎の女から「ノラミラクチミチトチノナンチクニモイとメモを取れ」と内容不明の電話が掛かってきた。続いての秘密めいた電話に徐々に彼はのめり込んでいくのだが。 『退屈解消アイテム』
食品会社の遣り手営業課長はある日から右手で握手が出来ないという神経症に悩まされていた。彼は原因のトラウマが何なのか、同僚と共に考えるのだが……。 『右手の反乱』
日本政府が持つ影の機関「不祥事発覚防止事業団」。不祥事が発覚して倒産すると余りに社会的影響が大きい場合にはこの機関がその不祥事を隠蔽してくれるという。 『隠蔽屋』
マリンスポーツの機器を扱う会社の能なしサラリーマン。常に蔑ろにされてきた彼が上司の不倫現場を目撃したことから、仕事のやり方をがらりと変化させた。 『転機』
自分の調査した不倫の相手が行方不明や事故死をしている。裏に「始末屋」が絡んでいると探偵は気付き自分の恋人の愛人を始末させようと目論むが。 『始末屋』
中学生が学校でいきなりナイフを友人のお腹に突き立てた。少年は動機を黙して語らず心理学教授の創理が呼ばれた。彼はナイフに纏わる謎に注目する。 『凶器の沙汰』
電車内で横に坐る女性が溶ける……。実際は夢で女性はミステリの筋書きをノートに書き付けていた。しかし態度に不審を感じた男は彼女を尾行して……。 『溶ける女』以上七編。

おおよそ「物語の定型」を、思いも寄らない闇が裏切っていく。怪作。
ミステリに限らず、ブラックな味わいを狙った短編やショートショートなどをある一定量を読み込んでいくと、物語にはいろんなバリエーションがありながら、どこか似た手触りを持つ作品に出会うことがある。作者や発表年代、発表国や想定読者などが異なっているのに、オチが想像出来るようになってくる。本書に収録された作品を読んでいくと、中盤まで進んだところで大抵の読者にはその定型が頭の中に浮かぶのではないだろうか。しかし、それで終わらないのがどうやらこの作者の身上のようだ。
例えば、謎の暗号や見ず知らずの女が次々平凡な男に声を掛け、冒険に乗り出していくパターン。『退屈解消アイテム』がそれにあたる。ああ、ここまで荒唐無稽に展開したら常識的なオチはこうしかないな……。そして案の定、そこに落ちる。ふぅ。なんでこれが新人賞? そのワケはその後の一気呵成のひっくり返しにある。一旦落ち着いた物語を根底からひっくり返す馬力ある展開がこの後に続いていくのだ。そしてその馬力の源泉は「人の持つ闇の部分」。凄い凄い。ここまでやるか。うわ。
また例えば『溶ける女』。電車で行きずりの女性のノートの殺人計画の内容に、勝手に危機感を覚えた主人公が、確かめるべく現場まで尾行すると実際に……。ああ、そりゃこのオチか。やっぱり。 あれあれ、なんでそこからこうなるの? ひゃー、怖えー。
短編によってはこの「心の闇」の大きさや処理の方法に拙さが見え隠れするものもあるけれど、いくつかの作品の持つ圧倒的迫力はその瑕疵を覆い隠して余りある。今後、どのような作風に展開していくのか、実に楽しみ。

黄色い光沢のある背表紙が本屋で自己主張をしていたので、何とはなしに購入して読んでみた……が、これがなかなかのスマッシュヒット。日常世界の裏切り方が巧みであり、本書のレベルの奇怪な発想転換が今後も続けられるようであれば大化けしてもおかしくない。


02/01/06
恩田 陸「MAZE(めいず)」(双葉社'01)

恩田陸さんの12番目にあたる長編。(刊行ペースが早い) 『小説推理』誌に'00年8月号より11月号にかけて連載された作品に加筆修正が加えられたもの。

西アジアの果て……。満は学生時代の友人、恵弥(めぐみ:♂)から依頼を受けて謎の遺跡にまつわる仕事に便利屋として参加することになった。かって湖だったと思しき谷に囲まれた小高い丘の上にその建物はあった。謎の灰色の植物に守られた白い壁の矩形の建築物。壁には人一人がやっと通れるような亀裂があり、そこから先は内部が迷路になっているのだという。太古の昔より、この建物は存在し、中に入り込んだ人間が不可解な消失を遂げることから、地元民からはこの建物は『存在しない場所』『有り得ぬ場所』として畏怖の対象となっていた。満が到着した時は、この遺跡の周囲で大規模の工事が行われていたが、夜になると作業員は撤退、恵弥と満、そして軍の人間と思われるスコットと、今後、その国の中枢となるだろう若者、セシルと四人が毎晩残される状況にあった。満は、恵弥からその建物に関する伝承をまとめた資料を渡され、一週間の間、この建物が一体何なのか「安楽椅子探偵」を行うよう要請される。この建物の周囲の植物はドラッグの作用があり、衛星写真も上手く写すことが出来ないのだ、と恵弥はいう。果たしてこの建物は一体何なのだろうか?

風変わりな場所と風変わりな建物に風変わりの伝説。アイデアと物語の過程を目一杯楽しみたいリドル・ストーリー
最初の最初から最後の最後まで、決してアップテンポではないにも関わらず、ページをめくる手を止められない。まさに、ため息の出るような作品である。 導入の巧みさ、中盤のサスペンス、後半の謎解き。 厳密にはミステリのジャンルにあるとは断言出来ないのだが、エンターテインメント小説とはこうありたい、という理想型がいきなりここに存在している。
決して現実的な設定とはいえない。西アジアの果てに存在する迷路を内包した白い謎の建物。人一人しか通れない通路の中で消える人間。伝説のその建物が実際に存在して、かつまだ現在も人を呑み込む?? ホラー小説ならば似た設定の作品を想起することが出来る。しかし恩田さんの場合は、ホラー、ミステリ、ファンタジー、SF、普通小説とどのようなオチがその後に展開するのか全く分からない。その全てにおいて優れたストーリーテリングが出来る作家だから。どちらの方向に物語が進むのか。読者は建物の正体のみならず、その方向性にまでスリルを味わうことになる。そしてその宙づり感覚がまた上手いのだ。テントの布を一斉に押す大量の手。誰もいない場所についた足跡。どうしてこんなガジェットを効果的に小説内に持ち込めるのだろう。いつの間にか、読者はこの「MAZE」の中で怯え、考え、そして震えることになっている。恩田さんの勝ち。
個人的な欲を一つだけいえば、無理に現実的方向にも帳尻を合うようにしなくとも良かったのではないか、という印象を受けた。中盤で主人公が提示したような正体のままラストまで突っ走っても、それはそれで恩田さんなら凄まじい展開に持ち込めるはずなのに。 ただこの点はあくまで好みの問題。

紋章上絵師としても有名(多分)な、泡坂妻夫氏が紋様をデザイン、青い表紙にプラスティックのカバーという装幀がまた洒落ている。恐らく100%は時がくれば文庫として刊行される作品かとは思うが、このハードカバー版の表紙は捨てがたい。読んで、飾って全く損のない美しい作品。


02/01/05
檜山良昭「汚れた町」(新潮文庫'88)

近年はすっかり架空戦記作家となってしまっている印象があるのだが、檜山氏は推理作家協会賞をデビュー作で受賞した経歴を持つミステリ畑出身である。本書は新潮文庫に書き下ろされた腐敗した地方政治を舞台としたハードボイルドミステリー(が狙い。細かいことは後述)。2001年12月末の段階で本書をgoogleにて検索したところ、一件しかヒットしなかった。それも図書館の蔵書としてである。世の中にはまだそのような作品が無数にある……。

東京地検のエリート検事でありながら捜査方法のミスから前科を背負い込み、アル中で家族とも別れた大文字英彦は興信所東和リサーチの社員として働いていた。彼は行方不明になった女性を捜して欲しいという依頼で関東地方東北部にある神無辺市に向かう。自分が被告の公判を控えているため九日間しか彼に猶予はない。神無辺市は市長選挙のただ中で、企業や官庁など市内に大きな勢力を持つ神無辺一族の後押しを受けた犬飼と、前市長のスキャンダルを暴いた市民グループの支持を受けた田村の事実上の一騎打ちだった。清新なイメージで売り出したはずの田村に隠し子がいたことが事件の発端。しかも田村はその娘、美津子を自ら経営する病院の看護婦として雇っていたが、その美津子が失踪してしまったのだ。大文字は美津子の行方を捜すことを依頼される。犬飼一派には有名な選挙参謀、宇田が付いており、このスキャンダルが発覚したのも彼のやり口。ただ彼らも美津子の行方を別の探偵に捜させていた。しかし調査を始めてすぐに美津子は川底から変死体として発見される。死亡したのは失踪直後とみられ、調査は一旦終了したが、その犯人を捜して欲しいと大文字は田村の実の娘から依頼を新たに受ける。

筋書きは凝っているのに「ハードボイルドの定義」がホンモノとはどこか違う……
一人称による記述。失踪人捜し。不正にまみれ、圧力を掛けてくる警察。元アル中の私立探偵。期限の切られた調査。悪徳政治家と権力者と、それに立ち向かう市民代表……。一つ一つのパートを取ったとしても、これらを繋いだとしても、読者の心の中に浮かび上がるのは「ハードボイルドミステリの典型的パターン」というものではないだろうか。読み始めて当初、基本的な設定が描写される毎に私自身、その思いを強くしていった。 ……だが、その期待は迷走を始める。
まずその段階からどうも違和感が感じられてならなかった。まず、台詞に気の利いたところがない。キザを気取った狙いの言葉も滑っている。真夏が舞台なのに会話が寒い。決めの台詞を吐くべきところで凡庸な日常会話にて終わる。悲しくなる。 そして更に、主人公他の心象風景を書き込み過ぎている。「うれしく思った」だの「私は執念深いの」「……だとしか考えられない」とか、もう少し読者の想像力を信用してもらいたい、と感じられる表現が多い。この結果、どうも感情移入が出来なかった。また、ハードボイルドの魅力の一つである主人公の生き方に対する信念が今一つ感じられなかったあたりも寂しい。経済的にも精神的にも中途半端な落伍のままの浮き沈みで、精神的成長があるということもない。また同じく主人公の態度が、相手によって下手に出たり強気に出たりの差が激しかったり、人間観察が緻密なところと雑なところの落差があったりと、人物としての一貫性という部分にも疑問を覚えた。
ただ、ハードボイルドと思わず単なるミステリとしてみた場合には、謎の設定−解決は水準だし、途中で相棒となる粗暴なはぐれ刑事に魅力があったりと、最後までは読み通すことに抵抗があるほどひどい作品ではない。ただやはり、ハードボイルドを名乗るには足りないものが多すぎるという印象は最後まで拭えなかった。

うがった見方をすれば、エスピオナージュの第一人者として世に出た筆者が、自分のミステリー作家としての方向性を探るために執筆してみた習作という位置づけ、とも受け取れる。某古書市で署名本を購入したので読んでみたのだが、残念ながら縁のない人にまで無理に勧めたい作品ではなかった。


02/01/04
渡辺啓助「鮮血洋燈」(講談社'56)

鮎川哲也の実質デビュー作品『黒いトランク』が発表されたことで知られる講談社書下し長篇探偵小説全集の全13巻のうちの12。渡辺啓助初の書き下ろし長編。ロマンブックス版も'59年に刊行されているが、この元版より新書版の方が高値を付けていることが多い。

私立探偵の一本木万助は、がら空きの終電車の中で居眠りをする魅力的な女性が落としたハンドバックを拾い上げる。興味にかられた彼は中身の封筒に興味を示し、その中に女性の金髪が入っていることを知る。夜の女で、籠野百合子と名乗る彼女の正体が園井鷹子という女子大生であることを突き止めた万助は、同時に彼女が白系露西亜人と関わりがあり、現在も何者かに尾行されていることを知る。約束時間前に鷹子と落ちあった万助は渋谷の露西亜料理店に連れ込まれ、彼女から数奇なる物語を聞かされることになる。 ……それは露西亜革命で廃せられたロマノフ王朝の廃帝ニコラス二世の一族の最期に関連していた。最初は軟禁状態だった王族一同は、共産主義の過激派の手によって移送途中にて惨殺される。その時既に第二皇女タチアナ姫は密かに愛犬を使い、彼女たちの唯一残された財産の宝石の秘匿を完了させていたのだという。それから時が過ぎ、シベリアに出兵して来た日本軍。彼らもまた神出鬼没のパルチザンが憎らしいあまり、地元住民に暴虐な振る舞いを行っていた。鷹子の祖父、園井宗隆もその日本軍の一員として出撃、ある村で洞窟に隠れていた娘を刺し殺してしまう。そしてその娘、リーザこそが、タチアナ姫の秘密を守っていた女性であったのだ。

展開、場面が二転三転。社会派に反発するかのような「古き良き探偵小説」
何たって冒頭がいい。終電車で乗り合わせた美女に興味を引かれる探偵。彼女の落とした鞄を勝手にまさぐる探偵。中に入っていた封筒まで開封してしまう探偵……。あんたなぁ、いくら探偵でも見ず知らずの人にそれはしたらあかんやろ。「探偵小説」に登場する「探偵」でなければ、軽犯罪者の行動やでー。 ……そう、その逆もまた真。つまり、この程度の奇矯な行動は「探偵小説」に登場する「探偵」にしてみれば、当たり前の事なのだともいえる。この序盤から古き良き探偵小説の匂いがぷんぷんするため、(ツッコミを入れつつも)愛好者には堪らない展開のはず。
このむりむりな発端から、まずはサスペンス調に謎の美女の背後調べから物語は始まる。しかし気付けば時も舞台も数十年離れたロシア革命の惨劇、さらに戦時中のシベリアでの惨事へと歴史検証風の物語に移行している。更に同地で実施されたという、告発を恐れる元軍曹の贖罪じみたエキゾチックな雰囲気溢れる捜索行。舞台が頻繁に入れ替わるというより、一種の入れ子の構造を持っているといえる。特に「秘境もの」を得意とした渡辺氏だけのことはあり、普通の読者には馴染みのないだろうシベリアという土地の雰囲気の描写が巧みで、日本人中国人露西亜人に地元住民が入り交じる極東ならではの状況が不思議なリアルさと共に描き出されている。かなりの紙幅を使用して後半部にようやく物語は日本に帰ってくる。
そしてここでは「いわゆる探偵小説」的な展開が繰り広げられるのだが、この部分が適度に短いのが良い。その短い構成の中に細やかなトリックも使用されており、気付けば序盤の荒唐無稽さは綺麗に忘れ去られる。読み終わってみれば物語の面白さだけが胸に残る寸法なのだ。単なるドタバタ劇に終わらないところには気付いておきたい。

改めて考えるに、本書をはじめとする渡辺啓助の探偵小説には「動的」なイメージがつきまとう。物語の舞台となる土地が限られることを嫌うかのように、登場人物は旅を続ける。本書も東京、シベリアと舞台を移したこの物語の終焉はなぜか函館だし、渡辺啓助の作品にはどこか遠い地に対する憧憬が見え隠れするように思えてならない。そこが単なる通俗探偵小説に終わらない渡辺啓助の魅力の源泉ではないだろうか。


02/01/03
西東 登「深大寺殺人事件」(弘済堂ブルーブックス'77)

乱歩賞作家、西東氏の(マイナーながら)シリーズ探偵である私立探偵・毛呂周平が登場するシリーズ第一作。確か本書は青樹社版もあるはず。この後『ホステス殺人事件』『狂気殺人事件』『殺人名画』と続くのだがいずれも古書価は付かないかわりに入手も超困難。

警視庁の四課のたたき上げの刑事だった毛呂は、同僚がヤクザに射殺されようとしていたところを助けるために発砲、結果的に犯人を殺してしまう。政治家や実業家の圧力によりデスクワークに回されそうになった毛呂は、警察を辞めて探偵事務所に勤務するようになっていた。しかし迫力のない仕事に毛呂は倦みつつあった。そんな折に、貞淑そうな人妻が事務所を訪ねて来る。大手弱電メーカーで会長秘書を務める彼女の夫の浮気調査の依頼であった。その男が会長の若い妻と夜ごとに行動を共にしていることを知った毛呂は、彼女を脅して金を巻き上げようと邪な企みを抱く。元は劇団女優だったという彼女とその会長秘書が、自分が行き着けにしている「駅馬車」というスナックの常連だということを知った毛呂は、逆に彼女が自分に興味を持っていると聞かされ不思議に思う。しかしある晩、二人組のチンピラが彼女に絡んだところを救ったことから毛呂と彼女、亜矢子の仲は急接近、遂に関係を結ぶに至ってしまう。その亜矢子から毛呂は、偽装誘拐をでっち上げ会長から大金を巻き上げる計画を聞かされる。

新しい試みなのか、それとも偶然の産物なのか。ちょっと奇妙な巻き込まれストーリー
題名が「深大寺殺人事件」である。殺人事件と書かれている以上、殺人事件が発生する。しかし、実際に事件が発生するのは全体のページ数のうち3/4以上が過ぎてからなのだ。そこで殺人が発生し、自分が疑われ、疑いを解くため自ら真犯人を捜し出す……。構成にかなり無理無理なところがあるのが西東作品たる所以。
ただ、もしかするとそれも狙いだったのかもしれない……とも思える。後にシリーズ探偵となる毛呂。ただこの段階ではやる気のない冴えない中年男として描かれている。彼が依頼を通じて得た秘密を利用して一儲けを企もうとしたところ、相手に逆に誘惑されて犯罪の片棒を担がされるまでの描写。ここいらが後半部に比べかなり執拗に描かれているように思う。こちらから接触するつもりが気付くと渦中に巻き込まれている……。更に相手の女性に協力を要請され、女性主導で旦那からお金を巻き上げようという計画に乗り、実行。 つまりここまでは、一種の犯罪小説のような展開を見せるのだ。練りに練った狂言誘拐の身代金略取の部分に大きなトリックはなく、そんな彼らに翻弄される警察がどこかお間抜けにみえてしまう。ただ、ここからはいくらか推理の要素が入るのだが、読者には真相はミエミエ。それに、いくら事件そのものが狂言で、主人公が元警官だったとしても、脅迫の片棒を担いだことは事実で、それが事件解決後にお咎めなしってのはいくらなんでもおかしいんじゃあ……。
ただ、これらが全て何らかの既存の巻き込まれ型犯罪小説を打破しようとする試みではないか、という考え方も当てはまるように思えるのが不思議。 事件の真相そのものは勘のいい読者ならば一発で見破ることの出来るレベルとはいえ、人間の描写を徹底的に行って弱さを持つ毛呂に対する読者の移入を狙っているあたりは描写も冴えている。何よりも本来正義の味方、探偵役の人間がほいほい犯罪に挑戦しようとしてしまう心理の傾斜など、ところどころに「あれ?」と意外に思わされる部分がある。(天然かもしれない……) ミステリとしての意外性は低いけれど、露骨な描写が生々しい犯人像や、色々な誘惑に揺れる主人公など、物語としての魅力は最低限持っている作品。

繰り返しになるが、トリックや謎の大きさには期待しないように。西東ミステリのシンボルともいえる各種の動物も一切登場しない。(但し、殺人事件の舞台は植物園) 偶然手に取ることが出来た西東ファン(これは西東作品を面白がることが出来る人、という意味)だけが読めば良いだろう。


02/01/02
鯨統一郎「新千年紀古事記伝 YAMATO」(ハルキ文庫'01)

'00年に刊行された『千年紀末古事記伝 ONOGORO』に続く日本の古代神話ファンタジーの続編。鯨氏の十冊目の単行本にあたる。文庫書き下ろし。「ミレニアムこじきでん やまと」と読むのだと思う。

日本最古の神話、古事記の物語を鯨氏が解題し現代語訳をつけ創作部分をくっつけ神話時代のファンタジーへと持ち込んだ不思議な不思議な作品群。
山で狩りをする山幸彦は喧嘩が滅法強かったが、兄であり海で釣りをする海幸彦にだけは敵わないのが気に入らない。山幸彦は自分の仕事に問題があるのだと思い込み、海幸彦に仕事の交換を申し出る。海幸彦の釣り針を借りて釣りに出た山幸彦は、大きな魚に兄から借りた針を呑み込まれてしまう。そのことを聞いた海幸彦は激怒し、釣り針を取り返してくるまで戻ってくるなという。どうしようもなく海に来た山幸彦に一人の老人が船を貸し出してくれるという。海底にある宮殿に行って木に登って通りかかった女性の言うことを聞けば、願いは叶うと彼は言うのだが……。果たして山幸彦は海神の宮殿に到着、そこに住んでいた美しいトヨタマ姫と愛を交わし、夫婦となる……。『海幸彦と山幸彦』をはじめ、邪馬台国の女王卑弥呼と伊都国のイワレビコとの激しい争いを描く『邪馬台国』『ミマキイリヒコ』『イクメイリヒコ』『ヤマトタケル』『神功皇后』『オホサザキ』『イザホワケノ王』『ハツセワカタケノ命』『馬屋古姫』『時を遡る白鳥』、合計十一編。

日本古来から伝わるお話に鯨氏の独特の想像力が加わって、不思議なファンタジーが出来上がる
古事記を体系だてて読んだことは正直ない。それでも断片的に聞いたことのある「物語の断片」また、高校生の時に学んだ「歴史の授業の断片」、それぞれのピースが鯨氏の持つ針と糸とで繋ぎ合わされて物語として新たに提供された、というのが本書。 さすがに人名だけはちょっと取っつきにくいものがあるが(だって古事記にそう記されているのだから仕方がない)、漢字よりもカタカナ表現を多用してあって引っ掛かる前に物語の方がすいすいと進む。
さて、改行の多いこの物語は基本的には古事記である。伝説の人々が伝説の通りに(多少、鯨氏の翻案が入るとはいえ)動く。なので、他の鯨作品のような、歴史をひっくり返すような解釈という点を楽しみに本書を手に取った方は戸惑うかもしれない。これはあくまで古事記なのだ。
ただ、読みやすさ、テンポの良さでは他の注釈、解釈本の追随を許さない。くだけた表現でそこらで交合う(まぐわう)男女の大らかな様子が古代日本らしさを強調する。特にじっくりと内容が描かれる前半部の『海幸彦と山幸彦』、『ヤマトタケル』あたりの物語は、元もと古事記の持つ物語性と鯨氏のとぼけた味わいのある文章がマッチしていて引きつけられるものがあった。一方、元の文献が短かったのだろうか。後半部は伝説の抄訳を更に直に現代語訳しただけのような部分もあり、このあたりについての意義は残念ながら私には今一つ見えなかった。
それにしても。ううむ。前作から読むべきだったのかな? 大体、目次が終わって最初のページでいきなり度肝を抜かれる。「プロット協力:稗田阿礼」……。生き返らせて手伝わしたんか??  (どうもこれも前作からの続きらしいけど)

本書を読んだからといって改めて勉強しなおそう、という気までは起きないので、本書がどこまでオリジナルでどこからが鯨氏の創作なのかの判断がつけられない。また、浅学にしてこのような単なる古事記の現代語訳でなく、一種の翻案のような試みがなされた作品が存在するとも聞いたことがない。(後の平安文学等には、このような翻案が存在するが) その意味では「この試み」そのもので一本! の新種エンターテインメントなのかもしれない。


02/01/01
天沢退二郎「魔の沼」(筑摩書房'82)

詩人、天沢退次郎の創作するジュヴナイルの代表シリーズとなる〈三つの魔法〉の長篇三部作のうち、『オレンジ党と黒い釜』に続く二作目にあたる作品。本書を経て『オレンジ党、海へ』にて完結する。普通では入手出来ないので図書館で借りてきた。

前回の事件の後、ルミはよく夢を見るようになった。六方新田の分かれ道を入ったところでルミは深い霧に包まれる。そして目の前に現れる沼。その沼の水は真っ黒なのだ。沼の側にあるお地蔵さんの赤いよだれかけが目に入る。敵のはずだった源先生と何か分からない言葉で喋る李エルザ……。夢から覚め、不安に包まれるルミはエルザに相談、二人で現地に行ってみることにする。そこには沼など全くなく、新しい家が五、六軒建築中であった。一学期最後の授業参観の後のPTAで、ルミはエルザに盗み聞きを誘われる。西崎ふさ枝の母親が、六方小学校を廃校にして千早台小学校に振り分けるよう強行に主張しているらしい。その晩、ルミは再び沼の夢を見、オレンジ党の仲間にそのことを告げる。五人で再び沼のあったところに行ってみると今度は魔法の形跡がある。彼らはそこで京志という中学生くらいの男の子と知り合い、周辺の土地を所有する変人、土神老人の許可を得、沼の近くでキャンプを張って周辺を監視することに決める。学校にてエルザは道也と共に源先生に呼び出しを受ける。『物言う泉』にて会見する三人。『古い魔法』を使う源先生は『黒い魔法』に対抗したいと言い出した。

世界の強烈、かつ理由のない闇の恐怖。読者の代わりに戦う彼らに深く感謝
天沢退次郎は怖い人だと思う。
自分が小学生くらいの頃、夜の闇は恐怖の対象だった。お化けや幽霊といった存在も怖かった。自分自身という存在に対して疑問を抱いたのもそんな頃だったか。少しずつ世の中のことを知り始める頃、世の中には怖いものが沢山存在していた。本書は、それくらいの世代の子供を対象に書かれたジュヴナイルである。三つの魔法による完成された世界観など、ジュヴナイルであることを忘れてしまう、つまりオトナが読んでも十二分に引き込まれる完成された物語でもあるのだが、やはり本書をもっともよく読む世代というのは小学校の高学年くらいの子供ではないだろうか。恐らく彼らでは物語に感情移入することは出来ても俯瞰はまだ無理だろう。果たしてどのような気持ちで本書を読むのだろう?
普段暮らしている日常の風景。そこから一歩踏み込んだところに発生する魔界。何が怖いかというと魔界の存在そのものよりも、普通に暮らしている人々とそれらが境界線一つで繋がっていること。魔の沼と対決するために夏休みを返上して沼の近辺にキャンプを張る主人公たち。しかし、自転車でひと走りすればすぐに今まで暮らしていた平和な世界に戻ってこれるのだ。この境目があってないようなところが天沢退次郎の描く〈オレンジ党〉シリーズの怖さに繋がっているように思えてならない。そしてその異世界と戦うのはまた〈オレンジ党〉の面々だけ。感情移入しつつも、自分が現実には〈オレンジ党〉ではない無力さをもまた、少年少女は味わうのではないか。天沢退次郎はそんな一種の挫折感をも、彼らに与える意図があったのだろうか。(個人的には確信的に行われているような気がする。この感覚はオトナであっても感じるものであるし)

一応独立しても読めることは読めますが、やはりこの三部作は最初から読むものかと思われます。大概古本屋を回っている私クラスでも、今まで古書で販売しているのを一度も見掛けたことがありませんので、三冊とも揃っている図書館を探して読むのが一番手っ取り早いかと。ファンタジー好きなら一度は押さえておくべきシリーズ