MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/01/20
牧野 修「だからドロシー帰っておいで」(角川ホラー文庫'02)

スイート・リトル・ベイビー』にて第6回日本ホラー小説大賞長編賞の佳作を受賞をはじめ、牧野氏が様々な受賞歴を誇っていたのはつい先日。現在はその肩書きがなくとも、SFやホラーの世界で既に「牧野修」という作家はブランドにさえなりつつある

お嬢様育ちのまま主婦となった伸江は三十半ば。決して美しくなく単なる中年女性となった彼女は夫と息子の三人暮らし。どんくさいことを自覚しつつ、自分勝手な夫に耐えながら「自分は幸せだ」と信じ込もうとする日々。しかしある日、同居する半ば痴呆の始まった義母からピンクのエナメルの靴を貰う。更に喫茶店で急速していた伸江は、犬のような生き物が足下に纏わりつくことに気付く。心の中でそれにコトと名付けてみたが、その動物は出る時にはいなかった。もちろん気のせいだ。日々と異なる出来事に戸惑う彼女は、夜中に夫が後輩を連れて飲み始めてから身嗜みを整え、義母に「行ってきます」と告げる。「困ったことがあったら小津さんを頼るのよ」と義母も気持ちよく送り出してくれた。しかし夜道を歩く彼女の前に若い男が挑発的に立ちはだかる。急速に現実感を失った彼女、そして突然現れ男を噛み殺すコト。彼女はコトを抱いて走り出した。そして足をすくわれた……。そして。

ファンタジーで読むか、ホラーで読むか。どこか牧野に謀られている気がする……
上記が「real」と章題のつけられた最初の部分。このあと彼女はナガラハーラというファンタジー世界の街にて目を覚ます。日本語こそ通じるものの、全く異なる世界で知り合ったミロクという坊主と共にオズノ王という人物に会うための旅を開始する。ちなみにこちらは「ミロクと出会う」「馬頭から逃れる」など、きちんとした表題が付けられている。
説明ばかりで恐縮だが、ファンタジー世界を認識する彼女は、現実世界でもライオンと呼ばれる浮浪者と行動を共にし、人を突然刺し殺したり(その時ファンタジー世界では彼女は敵と戦っている)、死体を切り取ったりする。更に現実世界では、彼女が殺した男の遺族らが、彼女を捜し出して私刑を加えようと執拗に追ってくるのだ。ファンタジー世界ベースの冒険による表向きの緊張感。 全く彼女の心情表現がないまま、彼女以外の人物の視点で綴られる異様な雰囲気に満ちた裏の緊張感。 二つの緊張感がよじれるように一つとなって『だからドロシー帰っておいで』という作品を構成する。
ファンタジー世界に登場し、彼女と行動を共にする特徴ある人物たちが何人か揃ったところで、(勘の良い人はその前に)読者は一応の原典となる作品が思い浮かぶ。(思い浮かばなくても説明される)こちらは『王が眠る丘』などで牧野が見せた「良いファンタジー」の思想が貫かれている。冒険あり、戦いあり、涙あり、笑いあり、怒りあり、そして生きる喜びと人間の成長が描かれる。一方の現実世界では、魂の抜けた彼女の全く脈絡のない(ように見える)行動が描かれ、これは牧野作品に多数登場する「電波系」の人物を想起させる。光のあたるファンタジーをなぞるように寄り添う影。 そしてこの影があまりにも暗く陰惨なのだ。息子を理不尽に彼女に殺された父親の執念の行動は、確かに現実の法からは外れてしまうものの共感を覚えるもの。そしてその父親が逆に味わされる恐怖がまた強烈。影を濃くして光をより強く浮き上がらせる。この手法は独特のものといえるだろう。

最後の最後、着地の部分が中途半端になっている感があるのが惜しい。狂気なら狂気で更に突っ走るべきだし、何らかの理に落とすのならば、それでも良かった。とはいうものの、それ以外の最初から終盤までの異様な緊張感は特筆すべきもの。 牧野作品ならではの不条理と狂気、そして遊び心に満ちていて時間を忘れて読みふけった。感覚的にはSFファンにより評価されそうな気がする。


02/01/19
鮎川哲也「翳ある墓標」(立風ノベルス'88)

『翳ある墓標』はそもそも早川書房の日本ミステリシリーズ6として'62年に書き下ろし刊行、更に'68年に講談社のロマンブックス化された。そして二十年後に本書がノベルス版として出たものの、この三つしかバージョンが存在せず、2002年1月現在は鮎川長編のうち二番目に入手が難しい作品とされている。(一番目は『白の恐怖』ね)ただ、今年文庫が出るらしいのですぐに読めるようになります。

トップ屋集団、メトロ取材グループに所属する杉田は同僚の映子と共にホステスの取材を行った。対象となったのは英子の友人でひふみという源氏名の女性。しかし彼女は彼らと別れた後、翌日熱海で自殺と思われる墜死体となって発見された。彼女の所持金から自殺を怪しんだ映子は独自の取材を開始。彼女が自殺ではなく殺されたということを確信しているようだった。しかしその映子も続いて失踪してしまう。映子が自分に寄せていた想いに応えられなかったことを残念に思う杉田は、映子の調査の足跡を辿るり、ひふみは自殺や他殺ではなく事故で亡くなったということまでは判明させた。しかし一ヶ月後、映子は名古屋の空き住宅の中で死体となって発見された。映子の部屋に残されていた新聞や彼女自身がメモをしたチラシなどの日付から、彼女のおおよその殺害日が割り出された。そして彼女自身、「滅徳日吉」とダイイングメッセージを残していた。杉田はどうやら輸入自動車が事件に関連しているらしいと掴むのだが……。

本書がなかなか復刻されなかった理由が、読めばおぼろに見えてくる
がちがちの「本格」ファンにとって一種カリスマ的な響きさえかんじさせるビッグネーム、「鮎川哲也」。本人の名前を冠したミステリの賞が一定のレベルの作品を生みだし、人気作家を輩出し続けている現在、ようやく御本尊、鮎川作品の長編のほとんどが復刻されつつある。もともと『白樺荘事件』として将来生まれ変わることが約束され(完成してくれ)ている『白の恐怖』を除けば、最も日の目を見るのが遅れているのがこの『翳ある墓標』である。読んでみて、その理由が私程度の読者にも何となく垣間見えた。
前段は、好意を寄せていた女性の死を悼む男がその謎を追うハードボイルド風展開。トリックによる謎というより、手掛かりを元に人と会って次の手掛かりを得て次の展開へ……という手法が取られている。それが中段になるとその女性の死体が関係ないところで発見され、ダイイングメッセージの解明となる。そしてそのメッセージが指し示すものが分かった後段で、鮎川氏らしいアリバイ崩し本格へと変化する。その大きな三つの流れが、どうもちぐはぐなのだ。
後ろから順番に検証すると、アリバイ崩しの部分は、それを疑うことになる小道具のツッコミを入れたくなるような通俗臭さを除けば水準だといえるだろう。特にあることを錯覚させるトリックの大胆さは素晴らしい。しかし、ダイイングメッセージは「何コレ」。いくらなんでも死ぬ間際に「滅徳日吉」はないだろう……。 これは、例えば「フク」が犯人だと指し示すために「法被」と書き残して死ぬようなもの。(「」内はネタバレではないと思いますが、念のため反転) また前段のハードボイルド風の部分そのものは、鬼貫警部ものでも見られるパターンなので特に違和感はないものの、中段以降への繋がりがあまりにも悪いのが気になる。

恐らくこれまでは文庫で入手できる鮎川作品を読み尽くした読者が探す存在だったので特に問題はないと思われる。だが、今後入手が簡単になった時に「鮎川ってこんなもんか」とか思われるのは勿体ないな、などとも。


02/01/18
黒川博行「迅雷」(双葉文庫'98)

サントリーミステリー大賞出身で、主に関西を舞台とした独特のユーモア感覚溢れるミステリを描く黒川氏の十四冊目の単行本の文庫化。'95年に双葉社より刊行されたものが元版で、一部の双葉文庫にみられるカッコイイ背表紙が目印。

大阪の町工場から金属加工の際に排出される切り屑をトラックにて回収、金属問屋に販売するダライコ屋を営んでいた友永は、勤務中に自動車事故に遭い足を骨折してしまう。友永は入院中に稲垣という胡散臭い男と知り合い、パチンコ屋で電波を使って不正に当たりを出す計画に乗るが、あっという間に見つかり二人はぼこぼこにされる。懲りない稲垣は、ケンという男を連れて再度パチンコ屋に示談交渉に乗り込み、逆に治療費を請求することが出来た。元もと当たり屋を生業としていた稲垣は、友永にある計画を提案する。警察に通報出来ないというヤクザの立場を逆手に取った誘拐、身代金略取の計画だった。逡巡する友永は結局、誘いに乗り、運転手としてノミ屋誘拐に参加する。まんまと一千万円を入手することに成功し一旦、別れた彼らだったが暫くの後、復職出来ないまま金を食いつぶしている友永の元に再び稲垣から連絡が入った。それは、再びヤクザを狙った誘拐の誘いだった。

減らず口はタフな精神に、そしてタフな物語へとつながっている
冒頭シーンから緊張感が高い。なんといっても素人集団がヤクザを誘拐しようというのだ。普通の人間には思いついても実行が絶対に出来ないことを、本書の主人公たちはやり遂げてしまう。彼らは本音、そして強がりで常に他人にみせる姿勢が常に「強気」なことに気付く。それが明らかに虚勢であっても、実際に優位を感じて弱者(その時々の)を虐げる時でもその一定の「強気」の姿勢はずっと崩さない。そこにこの物語の独特に高いのテンションの秘密が隠されている。
彼らの行いは、誘拐、脅迫、暴行、窃盗と決して誇れるものではない。それでも相手がヤクザや不正な手段を弄している悪人たちを相手に、ということであれば何故か気にならない。江戸時代、鼠小僧次郎吉は不正な蓄財をした大商人から金を奪い取って、貧民に分け与えたという(実際の史実は違うらしいけど)。どこかそれに近い爽快さが物語から感じられるのだ。行動の善悪を判断すること、という行為がここまで相対的なものなのか……などと奇妙な自己分析をしてしまった。同じ行動を子供や足腰の悪い老人なんかにした日には、寝覚めの悪いノワールになってしまうのが、相手がヤクザだというだけで痛快クライムストーリーと成りうるのだから。奇妙な環境のなかで男たちの信頼が培われ育っていく、といった直接描かれてなくとも確かに感じられる部分、また対ヤクザの虚々実々の駆け引き等々、最後の最後まで一気に読み切ることの出来る作品。

ちなみに本書の発表は、前作の『封印』から二年以上間があるのだが何か理由があったのだろうか。いずれにせよ「誘拐」という方法に謎を置くでなく、犯人vs被害者の知恵比べに的を絞った一風変わったハードボイルドミステリ。


02/01/17
梶尾真治「さすらいエマノン」(徳間デュアル文庫'01)

絶版の憂き目にあいながらも根強いファンを持っていた日本SF界屈指の人気ヒロイン、エマノン。このシリーズは徳間デュアル文庫の英断によりまず『おもいでエマノン』が復刊、続いて'92年に徳間書店から刊行されたまま品切れとなっていた本書も同じく刊行された。更に新作『かりそめエマノン』も刊行されている。いい時代になったもんだ。

地球に生命が誕生した頃から未来に到る四十億年分の記憶を持つ女性、エマノン。彼女の行くところ、地球や人間のドラマが待ち受ける。
地球最後の象として見せ物にされていた大きな象の子象が殺された。その後凶暴に暴れ出した象は遂に街に飛び出し人々を襲うようになった。象は化け物と化し、自衛隊の武器でさえも傷つけることが出来ない。新聞記者の父親を殺された僕は復讐するために武器を持って家から飛び出す。 『さすらいビヒモス』
ベトナム戦争の末期に開発された化学兵器が撒き散らかされたことから立入禁止になっている区域。亡霊が目撃されるその地域の中にエマノンは向かおうとする。 『まじろぎクリィチャー』
低周波を利用した新しい魚の養殖を研究する青年の元にエマノンが訪れる。この近辺の海域で原因不明の赤潮が発生しているというのだ。彼らはボートで赤潮に向かうが……。 『あやかしホルネリア』
ブラジルのマナウスで観光客相手に現地の呪術者の演技をするフーリオは、バウパオ族の呪術師だった父から召還の術を学んでいた。兄の呪術がかかった動物が文明に憧れた彼を呼び戻そうとする。 『まほろばジュルバリ』
平凡な毎日を送る独身中年女。彼女は「ザナハラード」と名乗る思念がチャネリングしてくることに気付く。現状に懐疑的な彼女は、その「ザナハラード」の指示に従い、日常生活用品を使用してある装置を創り出すのだが……。 『いくたびザナハラード』

人類の犯しつつある誤りの一つ、「環境破壊」への問題提起型エマノン
前作品集、『おもいでエマノン』の主人公をあくまで「四十億年の記憶を持つ存在」としてのエマノンにあるとするならば、本作は同じ「四十億年」という重みを持つ存在、つまり「四十億年の歴史を持つ地球」にどうも主人公が移ってしまった感がある。というのは、結局人と交わりつつも、一人で生きるしかないエマノンの孤独と優しさ――前作で恐らくは読者の胸を打つ――が、冒頭の一編『さすらいビヒモス』を最後に少しずつ後退してしまっているからだ。残りの四作に関しては、「地球とその汚染」や「環境破壊に対する人間の姿勢」に焦点があたってそのナビゲーター役としてエマノンが登場しているに過ぎない。
「枯れ葉剤以上の化学兵器」「死体が意志を持ったかのような赤潮」「密林伐採により歪む地球のバランス」「人間が汚す地球に疑念を抱く女性」といった環境破壊と、その事態に前向きに取り組む人々。確かに物語としてはいい。これらお題目に不満を唱えるのは、環境破壊と無縁の人間などいないという意味で罰当たりなことかもしれない。しかし、連作短編集においておおよそのパターン化がなされてしまった結果、物語そのものの盛り上がりはあるものの、受ける感動は少しずつ褪せていく。主人公、エマノンがどれだけに魅力的であったとしても、だ。
上記の理由もあって本書では冒頭の『さすらいビヒモス』が、抜けた存在のように感じられた。地球上最後の一匹の象という設定、その象が地球の人々を虐殺している理由、更に拠り所の父親を殺された少年の決意、等々、着想とストーリー展開、その意外性などエマノン自身の魅力と共に気持ちの良いバランスにて成り立っている。人々に救いを齎す神にあっても、時に残酷な側面があったりすることがあることをふと思い出した。

『おもいで』『さすらい』の両書が入手できる今とあっては、やはり刊行順に読まれることをオススメしておく。円熟した味わいなら確かに本書からも感じられるが、圧倒的なエマノンの存在感を楽しむのならやはり『おもいでエマノン』の方が上であろう。


02/01/16
江戸川乱歩「恐怖王」(春陽文庫探偵CLUB'95)

「名作再刊」をキーワードにかっての日本小説文庫や春陽堂文庫にて刊行されていた探偵小説を復刻する探偵CLUBのなかの一冊。表題作『恐怖王』は『講談倶楽部』に'31年から翌年にかけ休載を挟んで連載された作品だが、出来があまり良くないせいか、単行本収録頻度の低い作品。他、『盗難』『地獄風景』を収録。

千万長者と聞こえた布引庄兵衛の一人娘、照子はふとした風邪から急性肺炎を起こし急死してしまった。ところが彼女の葬儀の後、賊が葬儀自動車のすり替えを行って遺体がすり替えられたことには誰も気付いていない。ロイド眼鏡をかけた男が遺体に化粧を施して結婚衣装を着せ、賊の一人のゴリラのような男との結婚写真を撮影する。その写真は照子の婚約者の元に送り届けられる。一方、布引庄兵衛の方は自動車の中から死んだ娘を目撃する。「恐怖王」と名乗る賊の目的は果たして何なのか。 『恐怖王』
新興宗教団体が集めた寄付金、五千円。彼らのもとに「今夜十二時の時計を合図に五千円を頂戴する」という脅迫状が舞い込む。顔見知りの巡査が警備にやって来て安心していたところ、十二時過ぎにこの五千円は賊に奪われてしまう。 『盗難』
M県Y市の旧家の一人息子、喜多川治郎右衛門は百万の私財を投じてこの地に「ジロ娯楽園」という名の猟奇の遊園地を建設した。大観覧車や迷路、急流滑りや水族館を備えたこの娯楽園では猟奇の同人たちが思う存分遊ぶことが出来るようになっていた。設立された巨大迷路の中で諸口ちま子が何者かにナイフで刺されて殺害された。娯楽園には他所から人は出入りできない構造で、喜多川治郎右衛門とその友人、雇人の中に犯人がいると思われたが……。 『地獄風景』

出来が悪いといわれようとも、やはり乱歩は乱歩かな
表題作品となる『恐怖王』……決して大乱歩の代表長編を十作挙げろと言われても、百人が百人とも題名を挙げることの決してない作品。 個人的には犯罪の天才、悪魔の化身の「恐怖王」の自己PR手段に脅威を通り越して笑いがあるので作者の企図とは関係なしに面白く読んだ。奪い取った死体の背中を傷つけ「恐怖王」の文字を残すあたりは怖さも多少はある。猟奇の自己顕示なり、恐怖王! しかしだ、探偵小説作家に送られてきた米粒に虫眼鏡でも見えないほどの小さな「恐怖王」の文字がいっぱい書かれている……って何じゃこりゃ。更に広告一面に「恐怖王」と印刷したビラ、曲芸飛行機で鎌倉の空に浮かべる「KYOFUO」の煙幕、アヤシイ奴を尾行してみれば、その足跡を上から見たら「KYOFUO」……。いかん、頭痛くなってきた。賊の自己紹介にしちゃ、最初の一件以外は単なるイタズラ、ないしは電波系の人物としか思えないでしょう、これは。
ただまぁ、物語としては「恐怖王」と「探偵」の対決は最後の最後に見え見えとはいえ辻褄は合わせてきているわけで、それはそれとして評価する部分もあるかと。特に「恐怖王」のストーカーめいた動機なんかは病んだ現代社会の病理を先取りしたともいえないことはないだろうし。
一部では愛好者のいる『地獄風景』は、読み返してみればその舞台と狂気の凄まじさにやはり唖然とするものがあり、作品内部を流れる独特の緊張感と徹底した猟奇趣味に個人的には惹かれるものがある。『パノラマ島奇談』ほどの完成度はないものの、乱歩の抱えているインナーワールドの凄さを感じ取るには好適。

乱歩の作品はここのところずっと創元推理文庫にて読んでいたところ、探偵倶楽部のシリーズとかち合う部分がどうしても出てきたためこちらで読了。ある意味、乱歩云云関係なしに『恐怖王』は「通俗探偵小説だ!」という決定版といえるかもしれない。


02/01/15
乙 一「石ノ目」(集英社'00)

17歳で『夏と花火と私の死体』を発表し第6回ジャンプ小説・ノンフィクション賞を受賞し注目を集めた乙氏。本書は'98年から'99年にかけ『Jump novel』誌に発表された三つの作品に書き下ろし『平面いぬ。』が加えられた作品集。

その山には目を合わせると石になってしまう「石ノ目」という化け物がいると信じられていた。学校の教師をしているわたしは、その山に入って行方不明になった母の遺体を探す目的で同僚のN教師と共に山に入るが遭難してしまう。彼らを助けた老婆は自分は「石ノ目」ではないが、決して自分と目を合わせてはいけないと言う……。 『石ノ目』
小学生のわたしと淳男は学校で飼っていたひよこを誤って殺してしまった言い訳に「はじめ」という女の子を創造して犯人にする。その「はじめ」はすぐに具体的なイメージをもって皆の間で語られるようになる。遂に、二人は町の地下に流れる地下水道の中で、「はじめ」と出会う。 『はじめ』
人形作りを生業とするケリーは通りかかった骨董屋で魅力的な数枚の布地を買う。取りつかれたようにこの布地で人形から彼女は王子、王女、白馬、騎士、そして最後に余り布で見窄らしい青い人形の五体を作る。その人形は自らの意志をもって動き出した。時が過ぎ、その五体の人形は再び骨董屋に並び、娘のプレゼントを捜していた男により買われていった。 『BLUE』
女子高生のわたしは腕に犬を飼っている。親友の山田さんの父親が彫り師で、彼女の家で修行していた美しい中国人女性に青い犬を腕に彫ってもらったのだ。わたしはその犬にポッキーと名づけた。犬は腕の上で動き、時々吠えたりするようになった。ただわたしの一家は家族が皆病気であと半年の命と宣言されていた。 『平面いぬ。』

どこか青臭い感覚は残るが、舐めてかかるようだとかっちり痛い目に遭うよ
他に『夏と花火と私の死体』だけしか乙作品を読んでいなかった私にとって、乙氏は「ホラー畑」の人だと思いこんでいた部分がある。ただ作者の若さや才能を考えれば、そのような枠組みを設けることに意味はなかった。特に本作を読み終えてその思いを強くした。作品それぞれに異なるベースがあり、それが「乙一」という編者によって統一感が与えられている――乙一がジャンルを持つのではなく、ジャンルから吸い上げたものを乙一がまとめた、というのが本作を通じての印象である。確かに「乙一」自身の筆そのもの、登場人物に投影する感情などに青いものはある。だけど、世界を創り物語を紡ぐ能力とその「青さ」は異なる次元の話。
まずは『石ノ目』だが地域固有の説話をベースにし、ファンタジー感覚を合わせた独特のホラー。特に説話の持つ、ある意味の普遍性が物語のミスリーディングに一定の役割を果たしており意外性が強い。石ノ目の正体は、使い方によっては浮き上がりそうなものなのだが、上手く処理されており違和感があまりない。物悲しさ溢れるラスト含めて佳作といえよう。
『はじめ』は青春ファンタジー。都市伝説を自ら創り上げた少年たちの前に現れた少女。その少女の扱い方が抜群に上手い。そもそもその少女が「消えない」という発想だけでも凄いのに、最後の一行でほんの僅か残されていた疑念が、暖かさと共に氷解する気分は抜群。初期の代表作として残るかもしれない名作。
『BLUE』は完全なファンタジー。童話的世界が暖かい雰囲気と心温まる結末を醸し出しているのは事実だが、ディズニー映画のようでプラスαそのものは少ない感。また『平面いぬ。』は奇想SFあたりに分類出来そうで、家族の断絶や関係復活等を主題に内包しつつミステリ的な仕掛けが凝らされてはいる。ただ、感覚が先鋭に過ぎて個人的には合わなかった。読者により本作を評価する向きもあるかとは思う。

本書のカバー袖に書かれた「乙一」という特異なペンネームの由来があり、そちらも面白かった。ずっと疑問に思っていたことでもあるし。また、現段階での乙氏の作品はジュヴナイルと一般小説の境界線あたりにある印象。 今後はどういった方向に向かうのだろう。少なくともまだまだ物語の引き出しを抱えている作家であろうことは間違いない。楽しみ。


02/01/14
若竹七海「悪いうさぎ」(文藝春秋'01)

すっかり若竹七海の看板探偵として定着した感のある葉村晶を主人公とするシリーズ。『依頼人は死んだ』に続く長編で、特にフリー調査員、「葉村晶」の造形が完全に板についてきた感。

「家出した十七歳の女子高校生を連れ戻して欲しい」――フリーの女性調査員、葉村晶に持ち込まれた依頼は単純なものに思えた。元の勤務先、長谷川探偵事務所からの紹介で、東都総合リサーチの手伝い。しかし、同行した東都の調査員、世良は現場の男友達、宮岡公平のマンションに踏み込もうとした葉村をうち倒し、保護するべき女子高生ミチルを蹂躙する。世良は東都に重大なコネを持つトラブルメイカー。世良の急所を蹴り上げて撃退するが、宮岡に脇腹を刺される……。入院した葉村を元ルームメイトのみのりが訪ね、彼氏が出来たことを報告してきたのも、これから葉村が出会うトラブル前の束の間の休息に過ぎなかった。葉村は退院後すぐに別のクライアントからの指名がかかる。ミチルの友人の女子高生、滝沢美和が十日前から消息を絶っているのだという。傲慢な父親から依頼を受けた葉村は、彼女たちの別の友人、柳瀬綾子が関係していると踏むも調査はそこまでで良いという。ところが、その柳瀬綾子が深夜、公園で扼殺されているのが発見された。美和の行方を案ずる母親が今度は代わりに美和の捜索を葉村に依頼する。

精神的マゾヒストとしての趣さえも感じられる女探偵・葉村晶の錯綜するクライシス
出てくる人間、出てくる人間、よくもまぁこんな性格の悪い人物が並べられるものだと本気で感心する。葉村自身のストイックでぶっきらぼうな態度はまだしも、男尊女卑で唯我独尊のコネ付き探偵、その保護者の盲目孫溺愛祖母、開き直った自己顕示欲丸出しの結婚詐欺師、葉村に嫉妬の炎を燃やして罵詈雑言を吐くルームメイト……。現代女性ミステリ作家のなかでも、若竹七海は「人間の悪意」「悪い性格の人間」を描かせれば天下一品。 そんな若竹さんの創造する「悪意」とモロにぶつかる職業を選び、そして継続している葉村晶というのは、見ていて可哀相なくらいの経験を積まされる。精神的だけでなく、肉体的にも傷つけられる本書は特にそれがすさまじく現れる。
事件そのもの、つまり女子高生が「割のいいバイト」があると言い残して次々と失踪していく事件にも、もちろん興味は湧くのだが、相性の悪い人々を相手に立て続けに窮地に陥る葉村本人に関わるサスペンスという印象が強い。口の減らない彼女を主人公としたハードボイルドという見方も当然あるのだろうが、それ以上に本作はサスペンスとしての盛り上げ方が眼に付いた。
序盤から刺されるに留まらず、本作の葉村はとかく人の逆恨みを買う。葉村自身の行動には読者の視点からは問題は感じられないのだが、いかんせん相手が悪い。それぞれが関係があったりなかったりの差は多少あれど、一旦眼を付けられた彼女は、複数の人物から嫌がらせを受ける可能性があるシチュエーションに序盤から投げ入れられるのだ。それでも前向きに行動する葉村は精神的にマゾではないかという皮肉な見方もできそう。結局それらの行動選択の結果、最終的にはかなりヤバイところまで追いつめられてしまう……。
誰からも何をされてもおかしくない状況、葉村が遭遇する災難一つ一つが却って誰によって行われたのか分からない。本当の危機はどれなのか。危険な人物が目白押しのなかで、本当に危険なのは誰なのか。最終的な解決に到るまで、葉村の神経は張りつめっぱなし。そして読者の神経も同じく張りつめっぱなし。かなり高度なサスペンス感覚を最後の最後、ギリギリまで維持させられる。 ラストにクライマックスがなければ読んでいられない。そのラストまでにサスペンス感覚を全て沈静化させて、お釣りまで寄越してくれるから、若竹作品は止められない。

シリーズ作品ながら勿論独立した物語として本書は読むことが出来る。事件の動機の独創性を評価する向きもあるようなのだが、個人的には猟奇的に過ぎあまり快適だとはいえなかった。スラップスティックな作品にも佳作の多い若竹さんだが「こういう一面もあるのだ」と知りたい人向け、か。


02/01/13
岩崎正吾「横溝正史殺人事件あるいは悪魔の子守唄」(山梨ふるさと文庫'87)

「題名がおかしい」と思われる方もおられるかと思うが、本書は創元推理文庫で'90年に刊行された『探偵の夏あるいは悪魔の子守唄』の元版となる地方出版書の方。岩崎氏はこの後『探偵の秋あるいは猥の悲劇』を著すなど「探偵の四季」というシリーズを地道に刊行し続けている。しかしこの「山梨ふるさと文庫」を設立したのも地元情報誌の編集長をしていた岩崎氏御本人だというのも恐れ入る。

とある県の北端部にある八鹿村。人口二千人ほどのこの村にダムが建設されようとしていた。八鹿村は歴史的に住民が物好きで話好きだったことから周囲からは八馬鹿村と揶揄されている。村は「梅」「竹」の二つのお大尽の勢力に二分されていたが、県内の団体が発行する雑誌に『「八鹿村子守唄」考』という論文が発表されたことから騒ぎになっていた。その子守唄の内容通りに「竹」のお大尽が、賽銭箱に寄りかかるようにして死んでいたからだ。死因そのものは脳溢血であり不審な点はなかったが、不安に思った「梅」のお大尽、小梅佐兵衛が探偵を雇った。鬼首峠を越えてやって来たその探偵はキンダイチと名乗り、散々小梅とその取り巻きの高圧的な態度に晒されるが、来る時に行き会った「おりん」と名乗る老婆の話を一同にしたところ、彼らはパニックに陥ってしまった。「おりん」は確かに「梅」で働いていたが三十年前に駆け落ちして失踪、後に彼女のものと見られる白骨死体が発見されていたからである。その後、のんびりと村の様子を観察していた探偵。子守唄に登場する和尚が、小梅と喧嘩した直後に何者かに毒殺されてしまう。その晩、立て続けに子守唄に沿ったり沿わなかったりの形で人々が殺されていったことから村は大騒ぎになる。

本家への愛に満ちた本歌取りミステリであり、本家を知らなくとも楽しめる本格ミステリ
『八つ墓村』を思わせる村の名前から始まり、キンダイチのみならず磯川や立花といった人名、鬼首峠、病院坂、人食い沼、本陣川、鬼火橋、獄門寺……といった地名。さらに村を二分する分限者や、不幸な夫人、謎の老婆といった設定。そもそもの子守唄に対する見立て殺人、更に事件が発生している間、全く殺人が防止できない探偵、解決の鍵が村の外にあるところ等々の構造に到る部分まで「横溝正史作品」、特に「金田一耕助シリーズ」のエッセンスが大量に込められている。 これは多少なりとも横溝を読んだことのある人ならばすぐに色々と思い当たる部分。
ただ本書はそのイメージを真似ることだけに精力を傾けた作品ではない。 子守唄の見立て殺人というアイデアこそ完全借用かもしれないが、その中身については徹底したオリジナリティが感じられる。最初に三つ、後から二つ登場する残酷な子守唄、そしてそれに従ったり従わなかったりで殺される被害者。見立て殺人でありながら、なぜ唄の通りにならないのか? 犯行が可能な人物は? 犯人が死ぬことで利益を得る人物は? 八馬鹿村という、のんびりした村の設定を程良く活かし、一方で秘められた動機やトリックをも外から横溝世界に持ち込む。事件の解決部分はある事情から多少間延びしている部分もあるが、根本となる着想からは非凡なものが窺える。単に横溝マニアを楽しませるためだけに書かれた作品でないことは明らかだ。本歌取りの部分の巧さも捨てがたいものの、それを取り去ってエッセンス勝負としても十二分にオリジナルとしての価値がある。

横溝作品が持つ闇と光のコントラストを特徴とした映像美というのは、さすがに本書は岩崎色で染められている。全体的に牧歌的な雰囲気を強く残しており、本作から見える景色は動きの少ない森の緑と川の蒼、夕暮れのオレンジ。古く成立した横溝世界の時代を知らず、簡単には共感しづらい戦後生まれの世代にあっても、本書からは不思議とノスタルジックな香りを感じ取れるのではないだろうか。


02/01/12
皆川博子「霧の悲劇」(徳間文庫'89)

第20回小説現代新人賞を受賞、デビュー作品となった「アルカディアの夏」やその後直木賞候補となった「トマト・ゲーム」など、初期の皆川作品は青春小説的色彩を帯びていたという。『ライダーは闇に消えた』等のミステリを著してはいたが、しばらく多様な方面への執筆活動を続けていた。本書は'82年にトクマノベルスより書き下ろし刊行された作品で、同年に刊行されている『虹の悲劇』と共に久々の皆川長編ミステリとして好意的に受け止められたもの。

タクシードライバーの栂野朔次は飲み屋に勤めていた子連れの喬代と結婚し、彼女の母親と同居していた。しかししばらくし喬代は別の男を作って出奔、朔次は彼女の息子の新也、と彼女の母親と三人で暮らしていた。そんな朔次は仕事の帰りに記憶を喪った女性を拾う。朔次は彼女を連れ帰るが、身元を示す手掛かりは唯一「明楽久子」と記された熊野那智の守り袋のみだった。美しい彼女に惹かれる朔次は、彼女の記憶を取り戻す一助に、と那智の火祭りに出掛けたがその人混みの中で彼女は失踪する。一方、ビルの清掃会社に勤務する古葉功は、嘱託で勤務する栗田が拳銃で撃たれて死んでいるとの通報を受ける。警察と一緒に栗田の遺品を調べる古葉は、彼宛の手紙の中に「留津」と「明楽久子」と記された女性の手紙があることを知る。身寄りのない栗田の処理を手伝わされる古葉は、いつしか彼に何があったのか興味を持つようになっていた。

裏に拡がる重厚な動機と残酷な展開が、「単なるサスペンス」を凌駕していく……
記憶を無くした女性、その記憶を取り戻そうと努力する男性……これだけ書くと何と使い古された設定、と驚かれる方もいるかもしれない。ただ本格ミステリに限らず、サスペンスの世界でも使い古された設定という皮嚢に新しい葡萄酒を注ぎ入れることで、従来からある平凡な作品とはひと味もふた味も異なる作品が生まれ出る。本書の作者は皆川博子、当然陳腐な作品には仕上がっていない。では「新しい葡萄酒」とは何なのか。
いってみれば後の皆川作品にもよく取り上げられる「戦争の傷跡」が本書ではそれにあたるように思う。もちろん表だってそれが語られるわけではない。皆川さんが単純に「戦争反対」「平和愛好」といったスローガンを唱えることは絶対にしない。歴史の上で、皆川さんの経験のなかで実際に存在した「太平洋戦争」が日本人の心にどのような傷を付けたのか、それがどれくらい深いのかを探り出そうとしている。 その目的、つまり人の心の暗部に忍び寄る為には登場人物を駒のように使うことに躊躇いもなく、ミステリとしての定型を外すことも全く厭わない。
結果的に、皆川さんの戦争に対する思想やアプローチ、そして彼女の美しい文章表現を借りることによって、当初の「単なるサスペンス」的な出だしによって始まった物語が、読者も気付かないうちに「重厚で残酷なサスペンス」へと変貌を遂げてしまう。 さらに謎を追求する二人の主人公たちに温度差をつけることで、悲劇が立体化してくるあたりのテクニックもさすがである。出だしの部分と終盤部分の落差の大きさ、これが皆川博子の凄さの一つ。(但し、物語によって皆川作品の凄さの位置は常に異なっている。本書ではたまたまそういう位置に「凄さ」が発揮されたということだろう)

皆川博子の中期ミステリで文庫化された作品は、熱心に捜すと見つからないが忘れた頃に向こうから飛び込んでくるかのように古書店の棚に並んでいる。現在は傑作と呼ばれる作品が新刊書店で手に入るが、「その次に入手できるもの」であっても、こんなにも凄いのだ。


02/01/11
愛川 晶「巫女の館の密室」(原書房ミステリー・リーグ'01)

2001年に原書房より立ち上げられたハードカバーによる新叢書「ミステリー・リーグ」のトップを柴田よしき『風精の棲む場所』と共に飾った作品。『堕天使殺人事件』『夜宴』と続いてきている根津愛美少女代理探偵の登場する三作目にあたる。

宮城県警の刑事、桐野慶太は恩義ある先輩の娘である根津愛が小学生の頃からぞっこんだった。愛は正統派美形女子高生へと成長、その好奇心と親譲りの推理力を発揮、代理探偵として活躍する。そんなある冬の日、桐野は愛の運転手として彼女の友人、樫村愉美の待つ奥会津の別荘に行くことになる。同行するのは身体改造マニアの里沙。途中で愛の高校の先生で、愉美と親戚関係にある藤井と合流、期待に胸膨らませて現地に到着した。その別荘の裏手の急斜面に「騙し絵」が一面に描かれた離れが建っている。十年前、愉美の父、樫村千春が特別に建設させたその建物は窓のないコンクリの壁に囲まれ、その入り口はインカ文明の神殿を模し、細工が不可能な特殊な構造となっていた。十年前、その千春が離れの中で他殺死体となって発見された。この完璧な密室の中に犯人の姿は無く、警察は結局自殺として処理せざるを得なかった……。別荘の主、インカ文明の第一人者、樫村龍造と意見交換する愛は、どこか不機嫌。警察勤務という職業を買われ藤井を通じてその離れを見せて貰うことになった桐野。策を弄して共に現場に踏み込んだ愛は、密室の謎が解けたという意味のことを言う。しかし、その晩、愛をはじめ館にいる人物数名の行方が分からなくなる。

密室や古代文明による重厚な装飾もすごいが、本質的には「意外な動機」のミステリとみる
上にインカ文明と書いたが、一般にインカ帝国と呼ばれている国のことは、タワンティンスーユというのが正しいそうだ。この文明に関する様々な謎、例えば黄金に溢れ優れた建築技術を持っていたにも関わらず、車輪や文字の文化がなかったこと、その社会制度や先進の外科手術についての疑問等々、歴史ミステリのごとく蘊蓄がさりげなく例示されている。こういった中世史における社会歴史学的疑問を本格ミステリと結びつけるのが、愛川本格ミステリの特徴の一つといえよう。
根津愛曰く「狭い意味では前例のない」密室トリック、や犯人の行った工作の凄さはまず認めたい。これがタワンティンスーユの文化と結びついているあたりの奇想は、着眼点が面白いし力量の高さが感じられる。その一方で、それらのトリックの下敷きにされていて後から這い上ってくる動機に驚いた。ミステリという世界においては手垢にまみれた平凡ともいえる動機が、このような凝ったトリックに完全に隠され、かつきちんと伏線が敷かれている点に、本書における最大のサプライズが存在している。凝りに凝ったトリックは、実はその動機に奉仕するための装飾に過ぎない。読者の予測をこのような形で裏切るとは、やはり愛川晶は侮れない。 (実はトリックそのものは似たヴァリエーションとなる前例がいくつか頭の中に浮かんだので、それほど驚けなかったという部分もあるにはある)
本書にていくつか勿体ないと思えるのは、本格ミステリを指向しながら、登場する土地土地に関して旅情ミステリーを彷彿させるほどの大量の情報が込められていること。目的が異なる以上不必要な描写は削って、落とせるべき贅肉は落とした方が作品価値が高まると思う。また「フォーマット」「ハードディスク」という形式で綴られる中世の物語や人形作りのレポート風の物語が挿入されている部分、このあたりを作中人物が実際に執筆したという行為から、ふと現実に立ち返った時に「現実にはこんな面倒くさいことする奴いないよな」ともちらりと感じた。が、こちらは形式美を重んずる本格ミステリの内部にあってはこの装飾もまた必要だったのだと納得しておきたいところ。

美少女代理探偵・根津愛と、二階堂黎人氏の作品に登場する二階堂蘭子と段々キャラが被ってくるようにみえるのは気のせいだろうか。愛川氏は、謎へのアプローチの仕方など、幾人か存在する島田荘司系の正統派跡取りの一人。 今後もあまりキャラに寄りかからず、端整な作品の創作を続けていって頂きたいもの。