MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/01/31
多岐川恭「宿命と雷雨」(光文社文庫'87)

最近は創元推理文庫による選集の発表等により再刊行がなされつつある多岐川氏。本書は'67年に読売新聞社から刊行された「新本格推理小説全集」の第七巻として刊行された。その後'73年に産報ノベルスに収録、さらに本書が刊行されており60年代〜80年代にわたって見直されてきたともいえる作品。(本文庫の郷原宏氏の解説は初出については間違い)

特になんの取り柄もない坂出伊佐夫は、堀野建設の社長秘書の募集に応募して何故か採用された。ところが社長の堀野万治は自分がパトロンをしている女占い師の及川泉から「八月中旬の雷雨の夜に死ぬ」と予言され、そのことに心底脅えきっていた。公務を放棄し家に閉じこもる堀野の指示により、坂出はその及川泉が本当に予言の能力を持っているのか調べることになる。彼女の出身地にまで出掛けて律儀に調べ回る坂出だったが、彼女は幼少の頃からそういった能力を持っているらしいことを確認した。しかし百発百中ではなく疑わしい部分も見え隠れする。更に社長の関係者を調べる坂出は、社長自身がかなりあくどい手腕でのし上がってきたことや、女性に対して非常にだらしない性格だったことなどを知り、社長に危害を加えそうな人物が多数存在することに気付く。社長はますます書斎に籠もり、時計の音や無言電話に恐怖、庭にシェルターまで作ることを計画していた。会社の人間は社長を内心小馬鹿にしており、そのシェルターは計画通りには工事がされない。そして八月を迎えた堀野社長と坂出は運命の雷雨の夜を迎える。

「予告殺人」ではなく「予言殺人」。何を信じて良いか分からないまま迎えるクライマックス
自分が殺されるかもしれないことに脅え、部屋に閉じこもり、信頼出来る人物とさえ滅多に顔を合わさず、地下シェルターまで作ろうとする男。このようなシチュエーションは大抵「殺人の予告」があって成立する。つまり「○月○日お命頂戴」など、脅迫者が誰か分からないまま心当たりがたくさん有りすぎる被害者予定者が、その脅迫状を信じて脅えるパターンだろう。根本的構造としては似ているのだが、多岐川恭はこれをひねる。
まずそれが「予告」でなくて「殺人の予言」という点。占い師によって「死の宣告」を受けた男。脅えると同時にその占い師の調査を命ぜられる。そりゃ、占い師がニセモノであればそこで話は終わる……。しかし、予言を実行することで利益を得るもの、予言に乗りかかろうとするもの、等々の思惑が存在するうえに、ミステリに超自然を持ち込まない多岐川氏の妥当な処理により、予言そのものの信憑性は五分五分に持ち込まれる。またそれと同時に「殺されると予言された人物」が実はどんな人物であるのか、予言者ならずとも彼を殺そうとする動機を持つ人間がどれだけいるのかをじっくり描写していくのは、まさに多岐川流。そして八月中旬、宿命の雷雨が鳴り響く時、彼らに何が起こったのかは、読んでからのお楽しみということで。

それと題名の付け方がさりげなくもかっちょいい。『宿命と雷雨』。何かミステリアスな雰囲気と激しさを伴う語感はみごとに本書の内容を象徴している。傑作とは断じきれないまでも、多岐川サスペンスの「らしさ」は十二分に感じさせられる佳作かと。


02/01/30
近藤史恵「桜姫」(角川書店'02)

第4回鮎川哲也賞を『凍える島』にてデビュー。その後、着々と実力を付けた近藤さんが送ってきた『ねむりねずみ』『散りしかたみに』に続く、歌舞伎ミステリ第三弾。

小乃原笙子は梨園の大御所市原家の養女として育てられた。市原家には彼女の兄にあたる音也という長男がいたが、彼女が十歳の頃、市原朔次郎に引き取られる前に病死したということになっていたが、彼女は何か罪悪感と共に知らない筈の兄を記憶していた。笙子は中村銀京という役者から若手役者の勉強会の「桜姫」の招待状を受け取り観劇するが、その途中で倒れてしまう。介抱してくれた銀京は彼女に音也の死について疑問があるので調べたいのだ、と申し出る。彼に惹かれ男女の関係となる笙子。 一方、大部屋役者の小菊は出演した「桜姫」が改めて小劇場にて本公演となることが気に入らない。出世欲の強い主演の中村銀京が後ろで糸を引いている気がしたからだ。彼は探偵事務所を開いている今泉文吾に愚痴を聞いてもらう。そんな折り、小菊が師匠と仰ぐ立女形、瀬川菊花の公演に出演していた子役が上演中に失踪、死体となって発見されるという事件が発生した。

簡素な振る舞いに最大の魅惑を込めて。ミステリと歌舞伎の様式美を重ねた傑作
残像が漂うようなミステリとでもいえば良いのか。歌舞伎の題目が、役者の人生が、梨園に生きる者の苦しみが、子供を喪った親の慟哭が、自分で生き様を決めるという決意が、いくつもの意志と人生が二重、三重になって物語を構成している。 例えば取り上げられる『桜姫』という歌舞伎の題材と、物語の内部におけるある重要なファクターが二重写しであること、ある人物の慟哭は、別の人間が持つ哀しみと非常に近いことなど、完璧に同じではないけれどどこか近い、といったエピソードがいくつもみられる。この手法だけでも凄いのに、梨園という日本文化固有の芸能界が内包する問題を根元におき、これをベースに発生する感情や出来事がいくつもの枝に分かれて複雑に絡み合っているあたりの展開も巧い。これらの要因が醸し出すミステリアスな雰囲気が、ミステリ作品としての価値をも高めている。紡がれたエピソードの縦糸、横糸によって物語構造は立体化する。そしてこの構造の真の美しさに気付くのは、物語を終えて全てを得心し、近藤さんのテクニックにはめられた後なのだ。
「本格ミステリといっても、まず小説でなければならない」などと、陳腐なことを強硬に主張するつもりは毛頭ないが、このような作品を見せつけられると、トリック一辺倒の作品より少なくとも読後感が一枚上手のように感じてしまう。
また、近年の若手ミステリ作家の作品としては珍しいくらいに文章量が少ないのが素晴らしい。しっかりした長編でありながら、表現に過不足を感じさせない。いたずらに長大化する傾向のある現代本格ミステリにあって、きっちり小説をシンプルにまとめ、かつミステリとしてのサプライズも味わわせてくれる。このあたりがまさに作家としての実力といえるのではないだろうか。

ただ本書を読むにあたりその技巧に気付く必要などない。(ついでに有り難いことに歌舞伎の知識も余り必要ない)展開する物語を素直に追っていけば、歌舞伎の世界にたゆたうことができ、そして登場人物の人生に触れ、熱く切ない想いを抱くことになることは間違いなかろう。近藤さんが近年実力をつけてきたことは漠然と感じていたが、少なくともこの時期の収穫として数えられることは間違いないだろう作品。傑作。


02/01/29
北森 鴻「蜻蛉始末」(文藝春秋'01)

'01年の8月、産経新聞によるインタビューによれば、北森氏は本書の半分を占める長州藩、つまりは山口県にかつて住んでいたことがあるそうで、藤田組贋札事件は昔から書きたいと暖めていた題材なのだという。第6回鮎川哲也賞を受賞する『狂乱廿四孝』がそもそも歴史的人物を題材に採った作品であったことをつい先ほどまで失念していたが、本書もその流れを汲む歴史ミステリ。

現在の同和鉱業、藤田観光の元を築いた関西の渋沢栄一ともいわれた明治期の大物財界人、藤田伝三郎。彼が采配を振るった藤田組は井上馨の後ろ盾をもって明治維新後の新政府の軍向けに各種物資を納入することで大きな力をもった。そんな彼が突然官憲の手によって主立った使用人共々捕縛される。明治新政府が威信を賭けて発行した新紙幣、それの巧妙な贋札が市中に出回っており、その出所が藤田組だという密告者がいたのだという。裏には西南戦争の敗北の結果、新政府内部で勢力を失いつつある薩摩閥の思惑があることこそ看破した伝三郎であったが、その偽札の現物を見せられて愕然とする。その紙幣の見分け方は、描かれている蜻蛉の絵を大きく拡大すると偽物は足が一本欠けているのだという。伝三郎は長州藩の商人の息子だった子供の頃からの幼なじみ、宇三郎の仕業だと確信する。「とんぼ」という綽名を持ち、伝三郎にまとわりついていた男。そして打算を超えた友情と別離を繰り返した親友。伝三郎は彼を想った……。

「藤田伝三郎」の伝記に留まらない……。明治時代の暗部を抉る歴史小説
例えば「どうやって伝三郎が大きな商売を手がけるようになったのか」「なぜ宇三郎が贋作を作って伝三郎を陥れるような真似をしたのか?」など、物語そのものに一応の謎は存在する。ただ、この程度の謎は物語の興味を引くために「ミステリ」と銘打った作品でなくとも存在しているもの。なので本書は歴史小説という位置づけで差し支えないかと思われる。
物語の軸は当然の主人公、伝三郎に片方はあるが、もう一つ、藤田家の使用人の息子で伝三郎にまとわりつくように育った宇三郎の人生がもう一つ大きな意味合いを持つ。二人の人生が交差し絡み合いまた離れ……という描写が切なく描かれる。更にそこに高杉晋作や山形狂介、大村益次郎、井上馨、伊藤博文といった幕末から明治にかけての「大物」と呼ばれる人物たちが絡むことによって肉付けされ、主人公二人の人生だけでなく「明治」という時代が影彫りのように浮かび上がる仕組みとなっている。特にこれまで発表されてきた北森ミステリ同様に、一見何事もないような物事や行為の裏側に権謀術数や悪意等を潜ませており、しかもそれがその場では読者に気付かせず、後でさらりと読者に明かす――このやり方が心憎い。そういう意味では伏線の使い方がミステリ作品と非常に近いという考え方も出来るかも。またその浮かび上がる「明治」という時代も、一般的に考えられているものよりどろどろで生々しく、爽快感は感じづらい。ただ、この北森流解釈された歴史分析を直視するのが北森作品の楽しみ方ともいえるだろう。

また、北森氏は同時期に『共犯マジック』という「昭和」という時代の犯罪史を裏側から読み解いた力作を発表しており、本書はその作品と大正?あたりを挟んだ好対照を成すとの考え方も出来る。

繰り返しになるが、ミステリではないとはいえ力作であることは間違いない。個人的にはミステリファンよりも、一般小説を好まれる層に「こんなに凄い作家がミステリ界にはいるんだよ」と自慢してみたい気がする。


02/01/28
笠井 潔「天使は探偵 スキー探偵大鳥安寿」(集英社'01)

笠井氏は'70年代の終わりから「新本格」のムーヴメントに先駆けて本格ミステリ 矢吹駆シリーズを発表を開始。SFやミステリの刊行を続ける傍ら、積極的な探偵小説をはじめとする評論活動を行い、更に「探偵小説研究会」を主宰するなど若手評論家の育成にも力を注ぐ……スーパーマンですね。本書は『小説すばる』誌に'97年から'99年にかけて掲載された作品をまとめた短編集。(本書における、この発表年代は重要かもしれない)

推理作家、矩巻濫太郎は創作に行き詰まり、東京の住居を引き払い八神村営スキー場近くの別荘に住んでいた。この状況を打開するにはスキーが必要であるという啓示に打たれ、日本屈指のスキーヤーにして美人女性の大鳥安寿をインストラクターとして精進に励む日々。だが八神村にはかって新興宗教天啓教の本拠地があり、教祖の逮捕により建物は撤去されたものの、未だ複数の信者が住人として住み続けていた。その天啓教が引き起こす不可解な事件、そして颯爽と真相を見抜く安寿の物語。
スキーのリフトに乗ったはずの謎の男が、出口に到着しない! スキーを落として消え失せてしまった。彼は空中浮遊を信者に約束していた。 『空中浮遊事件』
早朝のスキー場でばらまかれるビラ。開場前のスキー場の最も傾斜のきついゲレンデで男性のバラバラ死体が発見された。 『屍体切断事件』
縦走スキーの最中に吹雪に見舞われた二人と登山客、矩巻の後輩のスキーヤーは、人里離れた別荘に避難してきた。別荘の主の行動はがおかしい。 『吹雪山荘事件』
別のスキー場帰りの矩巻は死体を掘り起こす謎の女性を目撃。白骨化した死体が発見され落とされていた免許から犯人はすぐに判明したが。 『白骨屍体事件』 以上四編。

奇蹟が必要な新興宗教 vs 天使の視点を持つ探偵。探偵小説の抱える問題は無条件に瓦解する
主としてスキー場が舞台で冬山テーマが多いという特色がまずある。しかし、そのことが通常の本格探偵小説の枠組みを壊すまでには到らない。ワトソン役を作家の矩巻濫太郎が務め、探偵役をスキーインストラクター、大鳥安寿がこなす。新興宗教の教徒が引き起こす奇妙な事件に遭遇する二人は、快刀乱麻で謎を解き明かす。一つ一つの作品の構造は寧ろオーソドックスだといえるだろう。
単なる本格ミステリとして楽しむのにこれだけで不自由はない。 しかし、本書からは別の側面というか、主張のようなものをもまた感じてしまう。誤解を恐れず言えば、笠井潔から法月綸太郎への物語を介したメッセージ……か。雑誌発表当時、探偵が抱える問題について悩んで深みにはまり、深刻な創作スランプに陥っていた法月綸太郎。本書の主人公が矩巻濫太郎という名前なのは、無関係ではない。そして矩巻はワトソン役(時に探偵役)の他に、法月の悩みに対する答えを物語中で悟るという役割をも負っている。
「探偵が導き出す真実が果たして本当の真実なのか?」「探偵が物語に加わることで、登場人物の運命を変えてしまうことは正しいのか?」「人(探偵)に人(犯人)を裁く権利はあるのか?」「探偵が立て続けに事件に遭遇するのは不自然ではないか」等々……後期クイーンが抱えた諸問題やその他の問題が(一般的に)法月氏悩みの根元にあるものと思われていた。それに笠井氏があっさりと答える。
悩む必要などない。探偵が神(絶対者)なのだ。

作者が神であることはいうまでもないが、作者によって謎解きを託された存在もまた神なのだ。(この作品は大鳥安寿=天使=神様の使い)さすれば、物語の真実は全て保証される。 大丈夫。

新興宗教団体(もちろんモデルがある)を、対する犯人役に持ってきている点も興味深い。二十世紀の締めくくりを象徴している部分も強くあるのだろうが、個人的には「シリーズ探偵がなんで都合良く殺人事件と遭遇するんだ?」という、これまた疑問への一つの解(この場合、あくまで一つの、に過ぎないが)を主張しているように感じられた。

いや、フツーはこのようにややこしく捉えないで、単純に不可能犯罪とそれに対する論理的回答を楽しんでいけば良いと思うんですが。 それでもやっぱり、笠井作品はマニア向けと一般読者向けのダブルスタンダードをきちんとこなしている点くらいには気付きたいかも。作家と評論家を同時にこなす人物だけのことがあります。


02/01/27
山田風太郎「修羅維新牢」(角川文庫'85)

本書は「小説サンデー毎日」誌に『侍よさらば』という題名にて'74年から翌年にかけて連載され、毎日新聞社から刊行された。角川文庫収録にあたり、この『修羅維新牢』という題名に改題された。廣済堂文庫でも復刻されており、比較的入手は容易な作品。

明治元年。勝海舟は江戸城を無血開城し、江戸は薩長の連合軍の支配下におかれた。とはいえ、旧幕の流れを引きずる人々は容易に彼らに心服せず、一部の旗本は彰義隊を結成するなど、田舎侍の江戸蹂躙を快く思っていない者は依然多数存在した。そんな折り、江戸城下で薩長の侍二十数人が酸鼻な方法で次々と辻斬りにあって死亡する事件が発生、薩摩の東海道先鋒隊長の中村半次郎は激怒する。彼は、見せしめのために事件と無関係に江戸の旗本十名をひっくくり、下手人が自首するまで毎日一人ずつ斬首すると決めた。
その旗本十名の人生がそこから語られる。勇猛果敢な武士らしい男から、百姓から努力の末に武士にようやくなったばかりの男、陰間買いにしか興味のない男、自殺願望の強い男……等々。そして牢内に入れられた十人、彼らの運命は?

舞台は維新の明治。しかし、描き出されているのは普遍の人生観
冒頭で発生する事件は、実は物語のきっかけに過ぎない。この事件の結果、十人の人命が薩長軍に預けられる。そして、この物語はその十人のそれぞれの半生が中心を占める。維新の世を迎え、最後の世代となった侍たちの様々な背景。 その十人が一つの牢に入れられ、運命を待つ……。
しかし、このプロットのみ思い付くことはそれ程難しいことではない。プロローグで先に事態を語り、偶然そこに居合わしたことで、犠牲になる人間について、それぞればらばらの物語を綴る。それだけなら、ちょっとプロットに工夫する作家なら思い付くだろうし、実行も出来るだろう。風太郎の凄さは、この手法を「史実」に組み入れながら、ごくあっさりとやってのけることにある。知られた歴史を曲げず、想像力で新たな設定を付け加えていくテクニック。制約が多い中、作品毎にきっちりと仕上げ、かつエンターテインメントとして成功している点は、風太郎に追随出来る作家はそういないだろう。

また、冒頭で風太郎が興味深い考察を加えている。明治維新の際に薩長軍が江戸に加えた改革と、太平洋戦争後に米国が日本に加えた改革と、両者においてその方法やそれに対する人々の反応が非常に似通っているというのだ。主体となる(幕府)(天皇制)を否定し、旧制度を解体、武装を解除する。そして、それに対して「ごく一部だけでも残してくれ」と負けた側からいじましい要望があがる。また、これに反発する者、死を持って抗議する者などが現れることもそっくりだと云う。歴史の細かい点に不明なこともあり、私としては素直に頷いてしまった。このような一見突飛な考察も面白さの一つ。

風太郎の時代物。私の読んだ範囲では外れが少ない。(もちろん、忍法帖であっても探偵小説であっても外れが異常にな程に少ない)やっぱり二十世紀を代表する偉大なエンターテインメント作家だとしみじみ感じる。何より、読んでいる間、すごく楽しい。


02/01/26
横溝正史「殺人暦」(春陽文庫探偵CLUB'95)

金田一耕助もので知られる横溝だが、これは戦前に刊行された日本小説文庫に収められた最初の横溝正史作品の復刻。'30年(昭和5年)前後の作品(『髑髏鬼』は初出不明)を収録、'32年に刊行された。『髑髏鬼』は現行の作品集はおろか、角川文庫にも所収されなかった作品。

五人の男女に対して「殺人予告」の新聞広告が出される。彼らには心当たりがあるようだが、それを口にすることは出来ない。探偵、結城三郎と善後策を協議しようと集まった五人の前に現れたのは、探偵ではなく稀代の怪盗、隼白鉄光であった。 『殺人暦』
知り合い宅を訪れた二人は争う人影と刺殺死体を発見、しかし犯人はどこかに消え失せてしまっていた 『三本の毛髪』
丹夫人を巡る決闘。わざと敗れた男は「化粧台に気を付けろ」と謎の言葉を言い残して絶命する 『丹夫人の化粧台』
顔面の肉のない髑髏のような顔付きの怪しい男が街で目撃される中、ある令嬢の婚約披露パーティが開催された 『髑髏鬼』 以上の四編。

正史の「通俗」「本格」「怪奇」探偵小説!
四編の収録作があり、それぞれから異なる「戦前の正史」の創作姿勢が浮かび上がる。
『殺人暦』『髑髏鬼』から感じるのは強い「通俗的興趣」。奇怪な挑戦状、登場人物が隠し持つ秘密の数々、活動的な主人公、からくり、猟奇趣味。見せ場から見せ場へと果てしなく続く舞台と、危険また危険と二転三転する状況。まるで新聞連載の少年小説のよう。この二作は読み物的な面白さにて楽しみたい。
一方、思いの外に本格推理しているのは『三本の毛髪』。ノックスに挑戦している訳ではなかろうが、密室での殺人劇に相応しいトリックと犯人がなんとも味わい深い。最高なのは破られた手紙と被害者の手に残されていた毛髪という犯人を暗示する二つの手掛かり。これは実はバカ伏線とも呼びたいものなのだけれども、種明かしでは逆になぜだか浮き浮きした気分になる。
『丹夫人の化粧台』はつい最近別の書で読んだばかり。それでも意表を突く猟奇的で淫靡な趣味で幕切れを迎えるあたり「怪奇」的趣味が見え隠れしている。この場合は伏線が伏線になっていないところに確信犯的な話運びの妙を感じる。この化粧台の構造、ちょっと想像できない……。

『殺人暦』『三本の毛髪』『丹夫人の化粧台』はそれぞれ角川文庫の『殺人暦』『芙蓉屋敷の秘密』『山名耕作の不思議な生活』に所収されている。(それなりに入手しにくくはあるが)ただ、『髑髏鬼』に関しては近年出版されていないため、この作品集でしか入手出来ないので、横溝ファンの方は注意のこと。


02/01/25
都筑道夫「悪意辞典(1)魔女保険」(角川文庫'79)

桃源社より出版されたボリュームのあるショートショートの単行本があった。『悪意辞典』『悪夢図鑑』『悪行年鑑』三冊のそれらは分厚すぎ?そのまま収録出来ず六分割されて角川文庫に収録されている。その中の一冊。

徹底的ショートショート。
「魔女保険」「第七感覚」「未来放送」「スター」「結婚式」「随筆の書けなくなったわけ」「その木に近よるな」「ひろった恐怖」「重時禍」「なくて七くせ」「怪談マニア」「バイ・バイ・ハンド」「虚体」「花のいのちは」「ひがんだ魚」「いやな夢」「暗い橋」「美しい殺人犯人」「怪獣ブーム」「コレクター」「ある妻の日記」「知らざる者は幸いなり」「テレビのおかげ」「ハイウェイを盗む」「もてるものの悩み」「機械結婚」「ヘテロ」「赤い箱のなかの小人」「真実の隙間」「不運な女」「しあわせなやつ」「日曜学者」「動機」「崖の上のふたり」「脅迫状」「参考人供述書」「父親コンプレックス」「対話」「集金人」「夢なら醒めろ」「壁に向って話す」「父親」「死にぎわの証言」「帰ってきたカッパライ」「卵」「狂気」「朝寝の罪」「錯乱した風景」「コンニャク問答」「危険な対話」……以上ちょうど五十編からなる。

軽い中に重み、軽い中に渋み、軽い中に罠
上記の通り、ショートショート集。題名をつらつらと眺められれば何となくお解りだと思うが、SFとミステリ的題材が中心となっている。当たり前の表現で恐縮ながら「オチのひねり」が効いている作品揃い。そして何よりも最初の口当たりがやたら軽いのだ。この軽さによって、本の数ページで構成されている世界の中に「すっ」と入り込めてしまう。舌の上で溶けるアイスクリームのような。これがクセになる。そして実はそのアイスクリームは甘いだけでなく、最後に口に入った後にざらついたような後味が残る。「毒」「洒落」といったスパイスが最後にはきちんと自己主張している、ということ。
マナー違反を承知で一つだけネタばらしを。
表題作『魔女保険』一人の男が魔女から「魔女保険」なるものの勧誘を受ける。内気でオクテの彼が意中の人と結ばれるよう取り計らう代わりに、二人が結婚して子供が産まれ、それが女児だった場合、その子を魔女にするというのだ。承諾した途端に彼女からのアプローチ、ゴールイン。暫くは子供を作らないで生活していたが奥さんの方から子供が欲しいと言われ、とうとう彼女は妊娠。「性別が女の確率は二分の一」だが、生まれた子供は女の子だった。……しかし、子供が成長しても何も変わったことは起きなかった。彼は魔女に堪らず理由を尋ねた。魔女曰く「その子の男親から承諾を貰ってませんからねぇ

とまぁ、どこで区切っても新鮮な気持ちで読めるのもショートショートの良いところ。ちょっとした気分転換にはホント最適だと思います。なぜ現在はジャンルごと出版界から「絶滅」みたいな状態になっているのでしょう???


02/01/24
江戸川乱歩「江戸川乱歩コレクションI 乱歩打ち明け話」(河出文庫'94)

乱歩の随筆や評論などの再収録を行って業績の再評価を行う河出文庫の企画。予定では全六冊。編者は新保博久、山前譲の両氏。(結局全巻出版されたのだろうか? 現在は既に全て絶版らしいけど)

全て乱歩自身による随筆や雑記、雑文にて本書は構成されている。
数葉のモノクロ写真が冒頭にあり、乱歩による自己紹介「私の履歴書」続けて家族や家庭環境、デビューまでの出来事や、自らの幼児期の様子などを綴った「彼」「活字と僕と」。またデビュー後の環境や、心理状態、経済状態、周囲の人物などについて「ふるさとの記」「戦争ごっこ」など四十以上の随筆などを収録、乱歩がいかなる人生を歩んできたか、という点について理解が深まるように配慮された構成。乱歩の随筆の多くは全集などにまとめられることが多く、それらからの出典も多いものの、新聞記事や協会月報など、通常入手出来ない文章もちらほらと掲載されており、興趣をそそる内容となっている。

日本推理小説の祖、大乱歩の生き様、考え方、感じ方、歴史を改めて捉えるのに好適
日本の推理・探偵小説界を俯瞰するに、江戸川乱歩ほど自らについて語り、記録を残した作家はいない、といわれる。大乱歩であるからこそ、その記録が残っているのだ、という考え方もあろうが、やはり折に触れ本人自ら随筆や評論をまとめてては、形に残そうとする努力を行っているのは、乱歩以外に居ないと言っていいだろう。『うつし世は夢』『悪人志願』『探偵小説四十年』など(入手は困難ながらも)様々な随筆集が存在し、努力をすれば現代でも読むことはそれほど難しくない。
そういう恵まれた状況下、敢えて本作の意義を問うならば、やはり新保博久、山前譲という二人の優秀な研究家の手により、明確なコンセプトの元、改めてまとめ直した点か。本作では、従来以上に乱歩という作家の内面が浮かび上がる構成になっている。出生直後の回顧から始まり、幼年期、年少期の交友録、同性愛などの赤裸々な体験を含む青年期、デビュー前の放浪癖、転職癖。好奇心が旺盛で、なお新しいものに眼がなく、そして幻想的な内面を持つ人間だったか。デビュー後、売れっ子になり、また断筆して放浪。戦争を迎えた後、一変する乱歩の性癖がまた興味深い。一転して社交に精を出し、協会、更には乱歩賞を設立する……。乱歩の半生と日本推理小説の初期とは歩を重ねていることを改めて感じた。

実際のところ、乱歩の本人に興味のある人間にしか本書は役に立たないような気もする。とはいえ、推理小説の祖として、そしてミステリファンの常識として最低限の「乱歩の知識」を身につけておくことに損はない。そのための格好の入門書という位置づけも出来る作品。


02/01/23
田中啓文「禍記(マガツフミ)」(徳間書店'01)

'93年にファンタジーロマン大賞佳作デビューの後、YA作家として認知されてきた田中氏が日本SF大賞にもノミネートされた『水霊 ミズチ』を刊行したのが'98年。それより田中氏は確実に異形の伝奇系作家としての地歩を築いている。本書は『アスキー』や『SFJapan』などに'00年から翌年にかけて発表された作品に書き下ろしを加えて刊行された『異形家の食卓』に続く第二短編集。

汚い身なりをした伝奇小説の大家は奇行や虚言で担当編集者を悩ませてた。ある時ふと漏らした「禍記」という言葉に本人は動揺する。その編集者も聞いたことのない「禍記」とは何なのか。(作品集内に分載) 『禍記』
大企業の御曹司と結婚し幸せの絶頂を迎えた静香。彼女は病院の特別病棟にて出産するがその晩、黒い影が赤ん坊を覆っていることに気付く。その晩から赤ん坊は全く彼女になつかなくなってしまう。 『取りかえっ子』
その山奥の村で発見されたという蝶の羽は世界最大級。蝶を研究する学者は妻がその村の出身者だった。臨終の際に彼女が「その村に近づくな」と遺言したにも関わらず、彼は子供を連れて村に向かった。 『天使蝶』
その島は盲いた人々だけが共同生活を送っており「ひゃくめさま」に祈りを捧げることで眼病が癒え、目が見えるようになるという。視力を失った恋人を追って盲目を偽って島に潜入した女性は住民と儀式を共にする。 『怖い目』
一人息子が夜中に「モミ」という動物と仲良くなっているという。獣が入り込む隙間なぞないはずなのだが。そして街では子供を除いて大人が惨殺されるという事件が頻発していた。 『妄執の獣』
亜空間を通過する技術が開発され、ワープ航法が普遍的になった。しかしその旅を行う者はワープ直前に死に、その後蘇生するという方法を採っていた。生きたままワープを行う者は亜空間=あの世を通る際、例外なく死亡ないし発狂してしまうのだ。 『黄泉津島舟』
あとがきに代えて。 『伝奇原理主義者宣言』以上七編。

伝奇、そして異形。非日常に臨む者に下されるあまりに厭な鉄槌
本書の中に筋を通すために書き下ろされ、作品間に配置された『禍記』の主人公の女編集者が端的にそうである通り、この短編集に登場する主要人物は「何かに魅せられたかのように」「怪異のあり得る環境へ」「自ら望んで飛び込む」といった共通点がある。そして、本書における独特の怖さというのは、実際にその後に起きた現象そのものと、同じくらいに重要なのが彼らを駆り立てる一種の麻薬のような誘いのように感じる。
逃げ出してしまえば怖い目に遭わない。怪異に妖異に日常の亀裂に近寄らなければ、平穏な毎日は保護される。そのはずなのに、ある者は自らの興味のため、ある者は家族というしがらみのため、またある者は愛する者のため……結局のところは自分を納得させる大義名分のために、危険な好奇心を発露させてしまうのだ。嫌がる者を無理矢理煉獄に引きずり込む鬼畜な怖さ。そしてそれとはまた別の、自分の人生のレールの分岐点を誤ってしまったことによって陥る地獄絵図。誰もが陥りそうな「誘惑」そのものが、田中啓文作品における一番の怖さのように思えるのだ。
個別にツボに入ったのはSUPERNATURALからは多少外れるものの、外観の怖さと味覚的嫌悪感、そしてラストまで伏線が見事に嵌った『怖い目』か。人々の狂気と不気味な生物とのマッチングが相乗効果を発する『天使蝶』も気持ち悪さが凄まじい。また、ミステリ的側面からは表題作の『禍記』にやられたのがちょっと悔しい。さすが「本格推理」の出身者、と後から思い出した。しかし、これはオチを知ってから却って不気味さが増すあたりの構造が上手い。

最後の最後、あとがきにちょろっと地口好きの作者の本性が見えてしまうのは御愛嬌。ホラー作品は短編が良いというがその切れ味が見事に決まった好作品集。但し、連作としてまとめ役となるべき「禍記」という作中書物そのものにはそれほどのパワーはない。それも個々の短編そのもののテンションが高すぎるゆえ、とみるべきだろう。


02/01/22
岡嶋二人「珊瑚色ラプソディ」(講談社文庫'97)

乱歩賞ユニット、岡嶋二人の17冊目の単行本。集英社より'87年に刊行後、'90年に集英社文庫に入ったものを、講談社文庫が再刊したもの。ノンシリーズの長編。

勤め先の家電メーカーよりシドニー勤務を命ぜられ赴任していた里見は、遠距離恋愛していた恋人と結婚式を挙げるために二週間の休暇を取って帰国する。しかし成田に迎えに来ているはずの婚約者、彩子の姿はそこにはなかった。彼女は結婚前に女友達の乃梨子と旅行に出掛けた沖縄で急病にかかって入院したと聞かされる。里見はすぐさま沖縄に向かい病院で彩子と対面する。単なる盲腸ということで一安心する里見だったが、彼女はこの二日間の記憶がないという。女友達の乃梨子もまた行方不明。しかも彩子は「遠藤保」という男に病院に担ぎ込まれたのだという。彩子の言葉を信じつつも、男の存在が端端に感じられ里見は苦しむ。しかも里見を監視するような尾行者が。里見はとにかく確かめてみようと彩子たちが出向く予定だったという、乃梨子の兄が医師として勤務する離島、宇留間島へと向かう。総人口三十三名というこの村は、里見を歓迎しているように見えながら、何かを隠しているように思われた。

岡嶋二人の描く「人間」は、どこかすごく「読者」に近い……
ミステリに限らず、エンターテインメント作品に登場する主要人物というのは、多くの場合何らかの特徴を持っている。(キャラを立てる意味で仕方ないのかもしれないが) 頭脳が明晰であるとか、容姿端麗であるとか、格闘技に秀でているとか、変わった性格を持っていたりとか、精神的にめちゃタフだったりとか。それはそれでいいし、そちらの方が盛り上がる物語も無数に存在する。しかし、岡嶋作品に登場するこういった人物は、何かの特徴を持ちつつも、それでもどこか人間くささを漂わせる
特に主人公格の人物の平凡さはどうだろう。職業やプロフィールに多少目を引く点があったとしても、その感覚というか物事に対する反応や、日常生活のあれこれなどが見事にフツーなのだ。だから「婚約者が別の男と宿泊していた?」「周囲の見ず知らずの人間の証言がアヤシイ?」「なぜ自分が尾行されるのか?」等々、作中人物が不安に陥れられるような事件が発生すると、読者も彼らと一緒になって悩まされてしまうことになる。そして勿論、それは本作でもいえること。
また、この物語においてはそんな主人公らが戸惑い悩みながら解き明かすことによって、明らかにされる事件の真相からは、岡嶋作品らしからぬ大きな社会性が透けて見えてくるところも特徴だろう。たまたま舞台が沖縄だが、現代も日本の僻地と呼ばれる地域の抱える諸問題について考えさせられる。発表から時間こそ経過しているものの、その主題からは全く風化の兆しがみえない。

これだけ特殊な舞台を用意し、更にそれを活かした見事なプロットによるトリック。そのトリックをベースとして決してアンフェアじゃない形にしつつも、読者への目隠しが完璧。並み居る岡嶋作品の中では、いささか地味な扱いの多い本作品、とはいえ読後のハッピーエンドな余韻共々やっぱり楽しめる作品なのでした。


02/01/21
福田 洋「華やかな荒野」(春陽文庫'89)

桜田忍などの筆名でも知られる福田氏は'71年に『空白のダイヤル』にてデビュー、桜田名義でオール讀物新人賞を受賞して作家活動に入った。『狙撃』(後に改題『凶弾――瀬戸内シージャック』)にて第24回乱歩賞の最終候補に残るなど、様々な名義で各種作品の発表を続けた。

先に題名を並べておくとこんな感じ。
『コール・ガール』 『嬌声テスト』 『盗聴作戦』 『甘肌の依頼』 『殺しの罠』 『調査料はセックスで』 『疑惑の密室』 以上の七編。
後に付け足しておくことはこんな感じ。
新宿の幡ヶ谷に住み、歌舞伎町で探偵事務所を営む月野佳郎。三十代半ば、元捜査一課の刑事でありながら、現在は飲み屋やバーの焦げ付いた債権、つまり客のツケを取り立てて歩合を貰う仕事が中心ながら、時々奇妙な依頼が舞い込んでくる。そしてそれは必ず女がらみだ。彼はいつしか”新宿夜の110番”と呼ばれる存在となっていた。ある女性は電話でこういう依頼をしてきた。郵便箱に入っているカセットテープに男女のあのシーンが録音されている。その女性はミサコという名前で、手掛かりは録音された鳩が鳴くようなあえぎ声しかない。歌舞伎町の水商売をやっているらしい彼女を捜し出して欲しいというのだ。現役の警察官や歌舞伎町の顔役とのネットワークを駆使して「ミサコ」と名の付く女性を片っ端から捜し出してリストアップ。そして一生懸命コトに励むのだ……。これは『嬌声テスト』だけど、こんな話がぞろぞろと。

しかし典型的、あまりに典型的なC級ミステリーだ……(でもなんか奇妙に嬉しい)
著者の「名前の字面」が気になる作家がいる。つまりは特異な筆名だとか、その他の理由だとか。ま、分かると思うけど、多分生まれて初めて「作者の名前が気になって気になってしょうがない」ために、一冊分本を購入してみたのがこの作家の本だった。確か小学校の高学年くらいの頃。

  親に取り上げられた。

私が親でも取り上げるかもしれない。理由はたぶん「もっと面白いミステリは一杯ある」とかだとは思うけれど。とにかく本書は感心しない。エロティックな描写がやたら頻出する中途半端なハードボイルド風味のミステリー。春陽文庫オリジナルとのことながら、元は夕刊紙の連載小説だったのではないか? (福田がそのような仕事をしていたのかどうかは分からないが……いずれにしても頼む、解説付けてくれ春陽文庫)
短編ばかりという形式上、ハードボイルドの王道である巻き込まれ型という手法を捨てて福田氏が取ったのは「好奇心旺盛」な探偵。それ以外は元刑事だとか、一匹狼だとか、独身で女性をとっかえひっかえしてるとか、日頃から浪費癖でぴーぴーしているとか、いわゆるハードボイルドのコードを片っ端から拾って来たかのような造形。また、文中にナイス・ギャルだとかオジンだとか出てくるあたりに時代を感じさせる。濡れ場を演じるためだけに登場する女性。都合良く現れる手掛かり。トリックはないけれどプロットでそれなりに凝ったミステリを仕掛けていることはいるのだが、結局のところちゃんとしたミステリファンならば、トリックを解こうとか考える以前にこのディティールで萎えるのではないだろうか。それでも、これら全てをひっくるめて面白がれるのが私の読書方法ではあるのだが。

あの、多分私だけが読んでいればいいんではないかと。少なくともネットで書評を書こうなんて人は(数名を除いて)そうそう現れないと思う……あれ、googleで検索したら古谷一行主演でテレビドラマ化されていたことがあったみたい。なんで、なんで?