MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/02/10
西東 登「謎の野獣事件」(こだまブック'74)

蟻の木の下で』にて'64年に第10回江戸川乱歩賞を受賞した西東氏は、その後マイナー出版社にその発表の場を移していったが、氏の作品の系譜ともいえる「動物推理」と銘打たれたシリーズで、こだまブック(弘済出版のノベルス)では『幻の獣事件』に続く二冊目にあたる。入手したのは再版なのだが、増刷されるほどに売れたのだろうか。ちょっと不思議。

平凡なサラリーマンの内川は酔った米国軍人から闇の拳銃を無理矢理買わされてしまう。彼は自宅の引き出しにそれを隠しておいた。その内川の娘、夏子は貿易会社に勤務する二十歳。タイピストの彼女は秘書課に配属されたエリート、友成と交際していた。彼らが深い関係をもち、夏子が結婚を夢見ていた時分、友成は社内実力者の専務から、娘と結婚を前提にした交際を薦められる。夏子とその娘を秤に掛けた友成は迷わず夏子と穏便に別れようと画策するが、夏子のお腹には友成との赤ん坊がいた。
一方、動物業者の松崎のもとに密輸された「クマ」のような動物が持ち込まれた。その動物は「ハイイログマ」ではないかと思われ、日本国内に一頭もいないことから山梨の動物園に売り込むことが決まる。肉食夜行性の凶暴なその動物は檻に入れられて、横浜から輸送されるがその途中で交通事故が発生。『彼』は山の中へと逃げ込んでしまった。

ミステリとしてはまったく平凡。動物記として実に秀逸。
一応、というか実際にノベルス、しかもそれなりに厚みがある構成になっているにも関わらず、実にサクサクと読めてしまう。 今まで西東作品をそれなりに読んできたが、文章で引っかかったことはなかったように思う。ただ、このサクサク感は文章の巧さに起因するというより、恐らくは内容の平凡さによるもののような気がしないでもない。
本書では「謎の野獣」を巡るストーリーと、「美女とエリート」の交際を巡るストーリーとが交差して進む形式となっている。日本の山における「謎の野獣」の凄絶な生き様が描かれる部分は、シートン動物記(と、いいつつどんなんだったかよく覚えていないんだが)顔負けのドラマティックな展開が繰り広げられる。小さな身体を持ちながら、その種としての性を背負い、戦いを挑まれると相手が巨大な熊であろうと引き返さない無鉄砲さ。仲間のいない孤独と、餓えや傷を癒せない辛さ。良くできた動物ドキュメンタリーさながらの構成をここまで描ききれるのは、ミステリ作家に限れば西東氏をおいて他にはいない。もちろん「謎の野獣」の正体が何なのか? というのが最大の謎なのだが、これに関しては読者が推理しても仕方ない。だって「謎」の野獣なんだから。
で、一方のタイピストがエリートに弄ばれ捨てられ殺意を抱くまで……については、正直、陳腐過ぎてどうしようもない。ここまで平凡な感情の動きを一生懸命描かれてもなぁ、という印象。もちろん、その女性視点でのサスペンス感覚を醸成する試みは分からないでもないが、目新しさは全くない。更にこちらのパートが「謎の野獣」とどう絡むのか、はもちろん興味の部分であるのに無難過ぎるほど無難にまとめられていてオドロキを感じる人はまずいないだろう。残念ながらミステリとしてはちょっと評価は出来ない。

上記の通り、動物ドキュメントとしては十分楽しめたが、それはそちらを専門とする作家がたくさんいるはず。なので「動物推理」という言葉に興味を持つ特殊な人だけが読めばいい作品。あ、あと「謎の野獣」の正体を知りたいという奇特な方も探して読んでね。


02/02/09
楠田匡介「楠田匡介名作選 脱獄囚」(河出文庫'02)

'48年頃より懸賞小説に応募する形で探偵小説の執筆を開始した楠田氏は、希代のトリックメーカーとして知られ、現在でもアンソロジーに収録された一部の作品により、その奇想の片鱗を伺い知ることができる。本書は'59年に同光社より刊行された『脱獄囚』を底本とし、更に「脱獄」をテーマにした七編を追加収録した完全版。

脱獄を別の囚人と賭けた男は、かつて脱獄の達人と呼ばれ現在は独居房に入れられている老人と苦労しながら通信し、脱獄のための教えを乞う。 『破獄教科書』
沼の中の脱獄不能の刑務所より、ある男が数人の協力者を替え玉に使う周到な脱走計画を練り、実行する。 『沼の中の家』
自分を刑務所に入れて財産を奪った親戚への復讐のために男は脱獄、中国人に成り済まして周到な準備を開始する。 『法に勝つ者』
お人好しの兄が嫁に裏切られて自殺したと聞いた少年は少年院を脱走。別の少年に成り済まして因縁のある寺へと駆け込む。 『上げ潮』
二人組の宝石泥棒。一人が相方を裏切って出所後に隠していた宝石に手を付けてしまう。身分を変えて安心していた男の許へ刑務所からの脅迫状が届く。 『獄衣の抹殺者』
闇の宝石屋と利権を狙うヤクザとの抗争にて発生した殺人事件。間違い電話から事件を知った記者が現場に駆けつけたところ、鮮やかな謎解きが開始された。 『朱色(バーミリオン)』
刑務所に出入りするバスを使って脱獄を成功させた男は、所内で入手していた農薬を携えて復讐相手のところに乗り込む。 『脱獄を了えて』
脱獄を繰り返し、有数の不良女囚として茅子は自分を捨て、自分の子供をまた捨てた男に復讐するために再び脱獄を図る。 『愛と憎しみと』
実直な父の死後、男に瞞され続ける母親。家を飛び出して悪事を重ねていた少年は、母親を救うため脱走を図る。 『熔岩』
凶暴かつ闇の権力を持つ大物囚人は何度も脱獄を計画しては運悪く失敗していた。重加算で死刑となった男はもちろんまだ諦めてはいなかった。 『ある脱獄』
不良少女の光子は逃げ出すことにかけては天才的。女子少年院に入った彼女は脱走を計画、更に不良米国軍人がそれを手助けするという。 『不良少女』
美しい容貌を持ち、女子少年院で模範囚となっていた美津子は数人の仲間と共に脱走を計画しながら、親しい女性看守を裏切れず計画を潰す。しかし移送された別の施設では脱走を敢行する。 『脱走者』
施設の中で同郷だった二人の少女は、一人の男への想いを捨てきれなかった。先に出所した京子の後を追い房江は脱走にて男を追う。 『不良娘たち』
自分が刑務所入りする原因となった女性が刑務所と同じ街にいるという。模範囚の男は彼女を殺害するための脱獄−殺人−復監の計画を立てた。 『完全脱獄』以上、十四編。

「脱獄もの」としては類を見ない完成度。ただ楠田の奇想はもっともっと見たいぞ
上記したのと同様に、私自身も楠田ミステリ(それ以外もあり)は奇想天外なトリックを軸に執筆されているものと思い込んでいた。本書に収録された作品は良くも悪くもその思いこみを正してくれることになった。 十四編全てが「脱走」と一つの主題は固定しながら、物語そのものは脱走の方法そのものに主眼を置くものあり、脱走後の人生や、復讐、妄想に主眼を置くものありと多岐に渡っている。刑務所の塀の内外を舞台にこれだけ様々な悲喜劇が描けるとは、発想のユニークさには驚かされる。(とはいうものの、作品集の中ではさすがにどこか似た作品がいくつかあるのは御愛敬だろう。架空の刑務所が次々と「脱獄不可能」の名の下に登場したり)
シリーズ全体を眺めるに、必ずしも奇想を必須としておらず物語のドラマ性を大切にしている印象がある。特に「刑務所の中に長い期間いる間の苦しみ」が再三にわたって描き出されており、これは塀の内側に入ったことのない人々にとっては普段全く想像もしていないことだけに、生々しさが強烈なのだ。大のオトナだけでなく少年少女、人妻に老人に至るまでが皆、一様に娑婆への強烈な復帰要求を持っている。(これが脱獄への強烈な動機となるわけだが) 一本の煙草、一滴の酒を求めて苦しむ人々。精神の均衡を失ってしまう人々。故郷や恋人への想いに押しつぶされてしまう人々。塀の内外にこれほどの違いがあるものとは。考えてみれば、ミステリ作品にてここまでリアルにその時代の刑務所を描き出せた作家は、楠田を除けばそうはいないのではないか。
個々の作品評価となると、どうしても個人的好みが色濃く反映してしまう。つまりはやはり楠田ミステリには奇想トリックを期待している部分があるわけで。その観点からすれば、まずは『法に勝つ者』。トリックというか、クライムストーリーっぽい展開なのだが、途中のキーポイントを暈かすことで謎が解決するまでの「ハラハラ」(by乱歩)がいい感じ。 物語の展開を重視する見方では『破獄教科書』『脱走者』の二つが印象に残った。両方とも脱獄の手順そのものの面白さに加え、予想させないオチで締めるあたりの技巧に舌を巻いた。ちなみに作品集全体に同一主題がこれだけ詰められると少々間延びする印象もなくはないが、きっちりスパイスの効いたいくつか作品によって、最後まで飽きずに読める。

いずれにせよ楠田匡介名義の単行本で、現在入手出来るのは本書のみ。(それ以前は軽く'60年代まで遡らなければならないわけで) まさに昭和中期の探偵小説の味わいを求めるのであれば本書はその期待には背かないものだろう。長編も是非復刻して欲しい。さすがに私も自力で蒐集出来るとはさらさら思えないことだし……。


02/02/08
皆川博子「トマト・ゲーム」(講談社文庫'81)

まだ推理作家協会賞も直木賞も柴田錬三郎賞も吉川英治文学賞も受賞するずっと前、皆川博子さんが新進気鋭の女流作家であった頃に刊行された作品集。大人向けのデビュー作品となる第20回小説現代新人賞受賞作『アルカディアの夏』、そしてそれに続いて発表され直木賞候補となった『トマト・ゲーム』等初期の傑作が収録されている。

かつて米軍キャンプでハウスメイドをしていた私が偶然立ち寄った喫茶店。そのオーナーは当時の恋人、サニーだった。その店に出入りする三角関係を抱えた若者に、私とサニーはその頃流行っていたバイクによる危険な度胸試しのゲームを教える。 『トマト・ゲーム』
エッセイストが偶然鑑賞し取り上げたブルーフィルムには五つの特徴的なデスマスクが使用されていた。ある男がその記事を目に留め、そのフィルムの出所が知りたいと彼に強引な電話を掛けてくる。そのことでエッセイストは却ってそのデスマスクに興味を持ち始める。 『アイデースの館』
今は恵まれている環境にある家庭の主婦。彼女が手を悪くしたときにやって来た家政婦は彼女のかつての同級生であった。鈍重で家来のように扱っていた彼女は、過去のことを気にしないかのようにてきぱきと仕事をこなし家族の歓心を買う。 『遠い炎』
少女の母親は家庭教師との情事に溺れていた。少女は自分の幼い身体と引き替えに遠縁の男からコノハズクを自室で飼い始める。部屋には誰も入れないで生活する彼女は、やがてコノハズクのために二十日鼠を購入、生き餌として与えるようになった。 『アルカディアの夏』
幼い頃、いわれのないイジメにあった経験のある女医。親戚の学生の友人で両手の大きさが異なるハンデを持ちながら、フェンシングの選手として一流となっている男の治療をした縁で彼女は気付けば強く彼に惹かれていた。 『花冠と氷の剣』
大学の付属高校に通うある高校生は同級生に対する殺人を決意していた。睡眠薬を飲ませ、父親の車で公園に運び、自殺に見せかけて殺したのだ。その結果、その被害者を直前に糾弾した別の学生が捜査の対象となったことからノイローゼに。 『漕げよ、マイケル』

最初の最初っから、皆川博子さんの秘めたる感情、内なる狂気は作品に滲み出ていた……
ジュヴナイルでこれ以前に刊行されている『海と十字架』を別にすれば、本作は皆川博子さんのデビュー作品群として位置づけられる。俗に、作家の才能はデビュー作品にもっとも多く込められるという言葉が真実とするならば、皆川さんが根本的に所有している才能や創作動機といったものが既にこれらの作品に込められているということである。そしてきっちりとその力量は本作からふつふつと感じられる。
即ち、常識的な一般人と異なるセンスを持つ者、普通では愛せない者をこよなく愛する者、感覚の繊細さゆえに世間から押しつぶされる者……等々、言い方が難しいが「変わり者への愛」とでもいえば良いのか。本書でも見た目は世間に迎合しつつも、心の奥底に自分自身だけが温めている「闇」を持つ人物が多数登場しているようにみえる。
例えばデビュー作品『アルカディアの夏』の主人公のように「思春期の不安定な気持ち」だとか、『花冠と氷の剣』の女医のように、かつて苛められたことから「心に同じ傷を持つ者を求める」だとか、後から知ったような解説は付けることは出来る。しかし、皆川作品にて表現される「彼ら」は、そういう世間の言葉では測れないもっと深い感情を身に隠している。それらが発露された事象が物語とされているが、恐らくそれは氷山の一角に過ぎない。作者は登場人物を通じて「一般的ではない何か」を表現したい、伝えたいと願っていることだけはひしひしと感じる。そんな言葉にならないメッセージを僅かでも感じ取って欲しい。 祈りに似た気持ちで皆川さんは作品を描いていたような気がしてならない。一応ミステリ仕立ての作品が多いようにみえるのは、それが最もその気持ちを表現するのに適していたからではないか。

現在は本書収録のなかでもいくつかの作品は『皆川博子作品精華』に再収録されているので、そちらで味わうことも可能。そちらも持ちながら元版にこだわってしまうのは古本者としての性か。しかし既にこの段階で四十二歳だった皆川さんが、現在に至ってまだ作家として完成度を高めていっているのは不思議を越えて脅威ですらある。


02/02/07
山田正紀「篠婆 骨の街の殺人」(講談社ノベルス'01)

本格ミステリの超大作『ミステリ・オペラ』を刊行、「2002本格ミステリ・ベスト10」にてぶっちぎりの一位を獲得した山田氏が同年に出したもう一冊のミステリが本作。恐らく全五作になるであろうシリーズの第一作目にもあたる。

弱小出版社の知り合い、彩純子との約束で「トラベルミステリ」をものにすることを義務づけられた未来のミステリ作家(つまりまだ著作のない)鹿頭勇作は、彼女の指示により丹波篠山に近い篠婆という土地に向かうために福知山線に乗り込む。篠婆は、陶器で有名な篠山とは全く別の流儀を持つ篠婆陶杭焼の産地だという。途中、暖房の効いた車内でダッフルコートを着て汗を垂らす不思議な男を見掛けた勇作は、途中の支線では彼と二人きりとなってしまう。列車の中で居眠りをした勇作が終着駅で目覚めてみれば、男は頭を割られて死んでいた。被害者は篠婆陶杭焼で番頭のような仕事をしている進藤という男で勇作は容疑者として拘束される。一方、陶杭焼の本家を次ぐ虚空蔵太郎は、偶然に頼らない焼き物を目指すべく、内部状態を観察出来る最新式の窯を導入しようとしていた。そのお披露目の日、窯全体が燃え上がり、焼け崩れた窯の内部から人骨が発見された。果たして死体も生きている人間もその窯に入る隙はなかったはず。従兄弟の兵庫県警捜査一課の鹿驚錫一によって容疑を晴らされた勇作だったが、虚空蔵家の分家、三郎からミステリの専門家であることを見込み、列車事件の謎を解いて欲しいという依頼を受ける。

トラベルミステリはあくまで下敷き、これは山田正紀が再び「神」に挑戦する序曲なのか
元々SF界の住人だった山田氏は以前から時折ミステリ作品を著してはいたが、現代新本格推理ファンに認知されるきっかけとなったのは『女囮捜査官』シリーズの五部作であることは間違いない。先に述べておくと本書も同じように「○の街の殺人」として五部作になる可能性が高い(作者が飽きてしまわなければ)。解かれていない謎をたくさん残したまま次回へと続くことでもあるし。とはいえ、では本書単独ではダメなのか? というと決してそんなことはない。
本作そのものは「いわゆる新本格」な要素が詰まっている。言い方を変えれば、かつての島田荘司氏が求めていた本格(つまり21世紀本格ではなくて、ね)に近い。 死体が歩いていたのではないか? という幻想的な冒頭から、燃え上がる窯、現れるはずのない場所から登場する白骨死体……。幻想的な謎掛けと不可能犯罪の興趣がごった煮となった上に、全てに論理での解決が付けられる。なぜ、主人公が「美絵」という登場人物の名前を「美絵子」と言い間違えたのか、などもコンセプトと密接に繋がった謎解きがされるあたりは、そんじょそこらのポッと出の作家にはマネは出来まい。新本格ミステリとして普通に得られる気持ちよいサプライズが本作の中だけにもしっかりと存在している。

オズの魔法使いを下敷きにした主人公四人(一人行方不明だけど)の行く末はどうなるのか。神の降り立つ地とはどういうことなのか。山田氏が軍部をテーマにするとなるとやっぱり『ミステリ・オペラ』が思い出されるのであるけれど、どのように残された謎が解かれていくのか、興味は尽きない。五年かかってもいいのでまずは完結して欲しいと切に願う。


02/02/06
梶 龍雄「本郷菊坂狙撃殺人」(光風社ノベルス'87)

'77年に『透明な季節』にて第回江戸川乱歩賞を受賞した梶氏は本格にこだわる作風を継続しながらも、80年代後半は旺盛な執筆活動を継続していたにも関わらず、新作の発表は一部の講談社ノベルス刊行を除くと、マイナーノベルスが中心となっていた。本書もそんななかの一冊。ちなみにこの'87年には氏は5冊もの長編を発表している。

本郷は菊坂沿いのホンゴウ・ホテルの一室では一人の女性が睡眠薬自殺を図ろうと逡巡していた。しかし職場の金を横領し男に貢いだその女性、神谷登志子はアッケラカンとした性格だった。そんな彼女がホテルの窓から外を見下ろしていると、向かいの喫茶店の前を一人の少年が犬を連れて通りかかるのが見えた。その少年が何か道に落ちていた白い物体を拾おうと身体を屈めた瞬間、くぐもった音と共に喫茶店のステンドグラスが激しく割れた。中にいた不動産関係の男が射殺された。登志子は警察から事情の聴取を受けるが少年のことには触れないでいた。その少年こそが射手に狙われていたのではないかと思った彼女は、自殺寸前の捨て身と好奇心から彼の素性を調べ、その大邸宅、名倉家にハウスキーパーとして潜入することに成功する。少しずつ明らかにされる名倉家の事情。善人過ぎる主人、プレイボーイの長男、焼き物に凝る長女、美人だが冷静な若いお手伝いと、長年勤めていることが取り柄の老婆……さらに主人の趣味から、ほとんどの家族が射撃を嗜むのだという。葉子と名乗った登志子の前で更に第二、第三の殺人が……。

ブームになる十年前に「本当は恐ろしい○○○○○」を実現していた作家がいた――
自殺志願の女性が探偵役を務める……という設定も珍しいが、実はちょっと上滑りしている感じがある。設定そのもののオリジナリティは買えるものの、その自殺志願者という折角の設定が謎解きにしても、物語の展開にしてもそれほどしっくり結びついていない。(但し、違和感を覚えるほどのものでもない)それに、その主人公が問題のあった家のハウスキーパーとして渦中の家に飛び込んで謎解きをしてしまうあたり、まんま「家政婦は見た」だし。
それでも本書は高く評価したい。 というのもその犯人そのものはとにかく事件の動機と、事件の実行に至るプロセスの部分に大きな工夫がみられるのだ。勘の良い人ならばネタバレに近い記述となってしまう点は御容赦頂くとして、約十年後に「ある伝統的な××について人々の常識をひっくり返す」ということをやってのけた一連のブームと、梶氏の着眼点が非常に近しい。現代本格ではよく使用されるあるテーマを当時既に骨子として使用、更にその動機もまた非常に現代的である。本書が高く評価されたという話はあまり聞かないのは、多少無理目が入るせいなのかもしれないが、とにかくその伏線が「人々の常識をひっくり返す」に至るアクロバットは見事といえよう。そちらの設定が面白いだけに、謎解きにおけるこのテーマを扱う部分が紙幅をあまり取らないまま突っ走ってしまっている点は少し残念ではある。

本格推理小説にこだわる氏の真摯な姿勢によって生み出されたのでは、というのは誉めすぎかもしれないが決して駄作として一言で処理出来るような作品でないことは確かではないだろうか。この先見性に一票。(って何に投票しているんだか)


02/02/05
戸梶圭太「ご近所探偵 TOMOE」(幻冬舎文庫'01)

戸梶氏は'98年『闇の楽園』にて第3回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビュー。『溺れる魚』や『ギャングスター ドライブ』などその後もコンスタントに著作を重ねている。本書は文庫書き下ろし。……著者本人によるものなのだろうか、挿画のディテールが物凄い

さいたま市ひよどりが丘に越してきた滅多に仕事のないイラストレーター、勝雄とあまり仕事のない女優、ともえの夫妻は新婚四ヶ月。勝雄のお金持ちの父親のおかげで仕事がないのは心細いながら、毎日を二人仲良く楽しく、セックス三昧の暮らしをしていた。二人が近所で行われるフリーマーケットに出掛けたところ、刃物を振りかざした男が大暴れをはじめた。「助けて!」の悲鳴にかつてマイナーな戦隊ものに出演していたともえが反応、ゴルフクラブを投げつける。これをきっかけに大量のモノを投げつけられた男はあっさり気絶、逮捕された。その事件を新聞で回顧している二人にともえのマネージャーから電話が入る。プロダクションに所属する男優が覚醒剤中毒だと発覚、問いつめたところともえからクスリを購入していたのだという。ともえに心当たりはなかったが、その男優は二人のすぐ近所に住んでいた。更にまた、近所のペットトリミングの店のトリマーが覚醒剤中毒の症状を発しているのを二人は目撃。果たしてひよどりが丘の街に蔓延する覚醒剤中毒の原因は?

ノリ、ひたすらノリにて突っ走るシンプルな活劇ストーリー
文庫書き下ろしで枚数が限られているため、ミスリーディングや叙述上の仕掛けが一切なし。なので驚天動地の解決とか、後で瞠目するような伏線とかは物語中に存在していない。あくまで明るく、エッチが大好きな若夫婦の体験を中心に時系列順に描かれているだけ。それでいて物語のなかにサプライズはきっちり存在する。それは展開の派手さによるもの。
普通のミステリのサプライズは、読者の目を錯覚やトリックで欺いて「じゃーん、実は○○だったのだ」と明かすことにより得られる。しかし、本書のサプライズは、物語の展開予想を次から次へと徹底的に裏切ることにて発生する。例えば序盤に次々と登場する覚醒剤中毒者。行動をみていればアブナイことは分かる。しかしそのアブナさの加減が読者の予想を遙かに上回る勢いをもって迫ってくる。包丁を振り回す男あたりはまだ可愛い。ペットのトリマーがバリカンをぐりぐり、自転車に乗った男が走り回ってぐるぐる。周到な工夫というより思いつき。緻密というよりノリ。 これが本書が持つ独特のパワーの源泉か。作者自身、「アブナイ人物」を描くのが大好きなのではないかと想像してしまった。イラストの不細工さが読者の想像力に拍車を掛ける。夢に見たらどうすんだ。
「ミステリたるもの、理想型はこうだ」という一般的な「型」からは真っ向から対立するであろう作品。しかし、独特の芳香が、美味しい料理のように漂っている作品でもあるのだ。

ずっと戸梶作品はそのキッチュでクールな表紙や、ちょっと中身が想像し辛い題名から気になってはいただが、こういう作風の方だったとは。想像通り、スラップスティックで派手な展開が続く内容は個人的な好みと合致。何かのジャンルに分けるのは躊躇われるこの作風は、今後私の中では大ブレイクしていく予感アリ。


02/02/04
天沢退二郎「オレンジ党、海へ」(筑摩書房'83)

詩人でフランス文学者、天沢退二郎が送り出す日本が誇るべきダークファンタジー、長篇三部作《三つの魔法》。『オレンジ党と黒い釜』『魔の沼』と続いてきたこのシリーズの掉尾を飾る作品。

オレンジ党の面々が住む場所から少し離れた海の側にある丘陵地帯に住む「鳥の王」と名乗る人物から、助けを求める手紙が届けられる。しかし、同時に「鳥の王」に捕らえられている「カモメ」と名乗る人物からも助けを求める手紙が。そして「鳥の王」からの手紙を持って彼らの前に傷付きながら現れたのは吉田四郎と名乗る少年だった。彼は「夢師」で、彼の夢の中で自由に行動することが出来るのだという。まずは電車に乗って「丘」のある土毛に向かうオレンジ党だったが、現地に着いてみると六方小の西崎ふさ枝を中心にした子供たちが、鳥を殺して何かを探し出そうとしていたことから、土毛小学校の「愛鳥クラブ」の子供たちと一触即発の危機に陥る。それを救ったのが吉田四郎だったのだが、どうも態度がおかしい。その地に住むカラス使いの源三、古い魔法を使う源先生、塩水に変化した物言う泉。奇妙な現象と訝しい人々。果たして彼らは敵なのか、味方なのか。オレンジ党の最後の冒険はどこへと向かうのか?

伏線の回収に次ぐ回収。壮大なアマタイワールドの終着駅にして、実は更なる飛躍への始発駅
李エルザ、鈴木ルミらを中心とする冒険シリーズ――といってしまえば簡単なのだが、やはりこの三部作、ただ者ではない。確かに平易な言葉で描かれているものの、三つの魔法をはじめとする関係者の丁丁発止のやり取りや、誰が敵で誰が味方なのか実に意地悪くなかなか明かされないところといい、唐突に現れる幻想的世界がマッチしているところといい……読みどころが多くて困ってしまう。 ここまで読んで気付いたのだが、恐らく子供が物語を追って読んでも十分に面白いし、彼らが年を重ねた後に読めばまた別の面白さに気が付くだろうし、大人になってから読んだとしてもまた全く別の感慨が得られるように出来ている。
本作では明らかに千葉県の九十九里浜近辺が舞台。ただその場所を実際に知らなかったとしても、各所に展開する光景はかつて日本全国のどこでも見られた田舎の風景と重なるようになっている。そして子供たちが見る悪夢も、自分たちが幼い頃にうなされて泣いたことのある悪夢ともどこか重なる気がするのもまた。さすがに本書で迎える物語のクライマックスは幻想性が強く、展開の早さや回収される伏線に追いつくのは大変だが、物語の抱えるノスタルジー、そして感動が最終的にはじんわりと心に沁みる作りとなっているのは、実に小憎い。

このシリーズが置いてある図書館のそばに住んでいるうちに三冊とも読み終えることが出来て良かった。最高のファンタジージュヴナイルにして、大人の、しかも相当の読書家を唸らせるだけの世界観が存在し、悪意を含めて描かれる幻想的光景は心の奥底に痺れをもたらす。特に、ある年代以上の世代には少年少女の日々の郷愁さえも抱かせてくれる。 元々の好きな読書ジャンルを問わず是非とも誰にでも読んで欲しいシリーズである。


02/02/03
貫井徳郎「殺人症候群」(双葉社'02)

失踪症候群』『誘拐症候群』に続く「症候群三部作」の掉尾を飾る力作。『小説推理』誌上にて'00年から翌年にかけ長期間にわたって連載されたもの。本書は、小生の送別会の折りに貫井さんより頂きました。感謝。

原田(私立探偵)、武藤(托鉢僧)、倉持(日雇労働者)の元警官の三人は、警視庁の裏の仕事を行う環から捜査指令を受ける。最近になって、殺人など兇悪犯罪を犯しながら精神鑑定や未成年を理由に簡単な罪にしか問われなかった人物を被害者とする変死事件が連続して発生しているというのだ。この裏にいると思われる「職業殺人者」の存在を明かすことが今回の任務。しかしその話を聞いた倉持は「受けられない」と去る。彼は犯人たちに同情を寄せるある理由があったのだ。
そして「職業殺人者」は確かに存在していた。渉という名のその男は、かつての親友の恋人、響子と組みボランティアの犯罪被害者団体を窓口に、報酬をもって殺しを請け負っていた……。
一方、かつて逃亡する犯人を殺した過去を持つ刑事、鏑木は同僚の北嶋と、ある交通事故を気に掛ける。トラックの運転手によれば、道によろけ出てきた被害者は誰か女性に押されたように見えたというのだ。その女性は実は、重い心臓病の息子を抱える母親にして看護婦。彼女は息子が心臓移植しか延命する方法がないことを知り、ある方法からドナーカードを持った人物を狙って事故に合わせるべく画策していた。

現代日本の歪み。そして被害者の嘆きと叫びを聞き届ける「正義の殺し屋」の「罪と罰」とは。
まずいえることは「力作」であること。貫井作品では複数の別々の物語が一つの作品上で進行するという展開が多いのだが、本書はその多層構造が「職業殺人者とその窓口、渉と響子」「息子のために献体を製造しようとする看護婦、和子」「職業殺人者の捜査をする原田と武藤」「謎の女性殺人者のミッシングリンクを追う鏑木と北嶋」の四つのパートから構成されている。更に登場人物の過去の事件や、現実に発生する事件などが詳細に語られ、実際はさらに相当数のエピソードで織り上げられているといった印象を受ける。
そしてそれぞれが単に物語上の技巧としてだけでなく、重い主題を抱えた独立の存在として機能しているのだ。「犯罪予備軍である人間の屑を殺害することは善なのか、罪なのか」「愛する者のためなら殺人は許されるのか」「加害者は本当に保護されなくてはならないのか、被害者は泣き寝入りしなければならないのか」「法律の不備を個人で補うことは罪なのか」「人を殺しても見つからなければ罰はないのか」「人の怨みを代わって晴らすこととは現実にはどういうことなのか」「心に深い傷を負った人間が癒されることはあるのか」……書いていくときりがない。きりがないのに、その重いテーマに真っ向からこの作品は勝負している。
それでいて、単なるメッセージ小説かといえばそれに留まらない。まず貫井氏の特徴である硬質の文体が、この重厚な主題群にはよく似合っている。さらにその文体は本書では避けられない暴力や脅迫の禍々しさを逃さず表現する。また主題に沿って人の心の暗部を抉りだしていく方法は、ノワール小説のそれに他ならない。勿論、主題には社会性が内包され、更にはここまで重い主題のなかに本格ミステリとしての興趣も隠してある。(これはノーガードだった)更に読者の手を休ませないジェットコースター的な展開も「症候群」シリーズとして健在。
つまり、この作品は単なるミステリの域を完全に越えた小説として仕上がっている。

結局のところ、日本の法制度が「紛うことなき日本の現実」に対して追いつかないことが悲劇の根底にあるのではないか。哀しいかな、現実の日本のキチガイたちは、かつての日本人が皆持っていたはずの倫理など持ち合わせていないだ。更正の余地があるならば尚更に罪はきちんと償わなければならないし、償えない、償う気がないならば人間としての価値など存在しない。法で(そしてマスコミも)保護すべきは痛みを受けた側であって、痛みを与えた側ではないはずだ。(なぜマスコミは嬉々として被害者情報を報道するのだ?) その歪みを正さない限り、渉や響子のような人物が登場して牙を剥く可能性は「現実」の方に確実に存在している。

三部作を締める作品というだけでなく、最近の「貫井徳郎」のエッセンスが詰まっている印象もある。例えば心臓移植テーマの『転生』、神を論じた『神のふたつの貌』……。それらからのエッセンスがまた物語の厚みを増している。頂いたのでいうわけではないが、恐らく本書は今後の貫井徳郎氏の代表作として数えられる作品になることは間違いない。 出来れば三部作を通じて読むこと。


02/02/02
岡田鯱彦「岡田鯱彦名作選 噴火口上の殺人」(ちくま文庫'01)

探偵小説ファン待望の昭和中期の入手困難の作家の作品が集められたちくま文庫の「本格ミステリコレクション」。シリーズ一作目の飛鳥高に続くのは岡田鯱彦。岡田氏は『宝石』誌の第3回懸賞募集に「妖鬼の呪言」を投じ一席に入選、後の長編に『薫大将と匂の宮』がある。

高校の寮で同室の五人組。才抜きん出た香取が、同じく秀才、柿沼の妹を口説いて弄んだ挙句捨て、彼女は自殺した。香取に反省の色はなく、あまつさえその顛末を小説に発表、のうのうとしていることから柿沼は実家近くの火山口で香取に決闘を申し込む。 『噴火口上の殺人』
私は不思議な「お告」をする石森茉莉という女性を、心理学の論文にすべく恩師の得能博士と引き合わせる。しかし茉莉は「オクサンガ、コロサレテル」と予言。慌てて博士らは自宅に引き返したところ、本当に博士の夫人が毒を飲んで死んでいるのが発見された。 『妖鬼の呪言』
山奥の温泉に滞在する五人の学生が退屈しのぎに滞在中の二人の老人と若い娘を誘ってほら話を語り合う「四月馬鹿の会」という余興を行う。そして実は彼らのOBの一人の老人が、かって自らが体験した四月馬鹿の悲劇を語り始める。 『四月馬鹿の悲劇』
他人の矛盾や欺瞞を感じた途端に爆発的な正義感を発揮する主人公。その性格故に友人が出来ない彼が大学時代にただ一人友と認めていたのは、女たらしで小狡い男。彼の口先だけの性格に主人公は却って真実に生きる人間の姿を見出していた。 『真実追求家』
湖畔の宿屋にて若き男性は恋人に愛を告白。しかし彼は五年前、この湖畔に滞在した折りに同時に親友でもあった彼女の兄を殺してしまったことを告白する。 『死の湖畔』
愛人と湖畔に滞在していた事業家は、早朝の散歩時にふと船頭に誘われボートに乗る。しかしその船頭はかつての彼の会社の従業員で十年前に馘首された結果、転落人生を送っていた男だった。事業家は幾ばくかの金で解決しようと心決める。 『巧弁』
かつて金のために結婚を餌にして交際し、駆け落ちを装って山中の崖から突き落として殺したはずの女性と偶然出会った男。女性は山で発見されたが記憶を喪失しているという。改めて女と交際し、抹殺するチャンスを男は狙うが。 『地獄から来た女』
交際していた男性と結婚して一週間、姉は衰弱して実家に戻ってきた。そのまま衰弱死してしまった彼女の様子を訝しんだ弟は、素人探偵の在原に彼女の婚約者やその友人が怪しいと告発する。 『死者は語るか』
在原がかつて想いを寄せていた女性は、戦後派の軽薄な男性と婚約していた。その男の行状を皆が歯がゆく思っていたところ、男が額に石をぶつけられて死んでいるのが発見された。その女性や弟らが疑われるが、続いて第二の同じ手口の殺人が。 『石を投げる男』
木石な博士と純情なその娘のところに後妻としてやって来た女性は、すぐに派手な本性が露呈。博士の書生を誘惑して関係を結んでいた。娘は義母のそんな行状が許せず、家を出た書生宅を突き止め彼の帰りを待つが、彼は義母と帰宅してきた。その晩、その書生は水差しに入れられた青酸カリにて死亡する。 『情炎』以上、中編級のボリュームの作品を多く含んだ十編。

人間の奥底に潜む深層心理、そしてその行き違いが引き起こす恐るべき錯誤
先に刊行された作品集、『薫大将と匂の宮』では岡田鯱彦の歴史や文学に対する造詣の深さ、そしてそのアイデアをミステリ的な興趣に置き換える巧みな発想を楽しむことができた。本書はそれらとは編集方針ががらりと変わり、収録されなかった代表作品を中心にしつつも「探偵小説作家」としての岡田鯱彦の業績を俯瞰することができる逸品となっている。
特に人間の心理状態をじっくりと描くことに長があり、私小説めいた「青年」が主人公に登場するケースが散見されるのも特徴か。この「青年」のダメダメ加減がなんとも現代的にはもどかしい。好きな女性を心から思いつつも、本人にそのことを告げられないことはもちろん、他の男性から彼女を狙いたいと言われると本心に反して「どうぞ」と言ってしまうあたり、情けなさに同情も出来ない。ただ、そういった「青年」だけに留まらず、登場人物の思想や考え方等を深く掘り下げ、ある程度の紙幅を使って描写することで表現に重みが出来、また、心理トリックにも好影響が出ている点には注目したい。また心理サスペンスばかりでなく、『情炎』など「読者への挑戦」が挿入されたこてこての本格推理作品もある。岡田氏が様々なジャンルにおいて収穫を残していたことを知ることが出来るのも本書の価値であろう。
どんでん返しに次ぐどんでん返しで読んでいて緊張と緩和の繰り返しを強烈に感じた『四月馬鹿の悲劇』、青春小説としても通用する『噴火口上の殺人』、そして『妖鬼の呪言』あたりが心に残る。また「ありかね、これ?」クラスの殺害トリックを持つ『死者は語るか』は、別の意味で一生忘れないかもしれない。

この「本格ミステリコレクション」シリーズ、実際に掲載作品を古書で集めようとしすると膨大な金額が必要になる。(本書で特定作家が非常に気に入ったとして、他の作品を読むのは実に難しい)それが新刊書店で、しかも文庫で出るなんて実は凄いことである。今買っておかないと店頭からの逃げ足も早いのではと予感する。つまりは「買え」ということ。


02/02/01
秋里光彦「闇の司」(ハルキホラー文庫'01)

秋里氏は'85年『少女のための鏖殺作法』にて幻想文学新人賞を受賞。その後、幻想怪奇小説を発表していた。また'96年には群像新人賞評論部門賞を受賞、現在は別名義で評論活動も行っている。

映画カメラマンの男は、大きな撮影所のある仮名手町を探索していた。この街の中心部には塀で囲まれた巨大な敷地があり、決して中に入ることが出来ないことに気づく。男は何者かに突然頭を殴られて昏倒、気づけば古めかしく巨大な和風建築のなかで寝かされていた。主人の名は大江といい、どうやらこの土地の名家らしい。執事の坂井と名乗る老人が男の世話を行い、怪我が癒えるまでゆっくりしていくといいというのが主人の伝言だと告げる。男は早速、その屋敷を探検してみるが、あまりに広い。そして彼は謎の女や、鬼の面を着けた男が、女を残酷に殺す場面を目撃するのだが、気づくと毎回元の部屋で目が醒める。果たしてこの屋敷で行われていることはいったい何なのか? 中編『闇の司』
精神を病んで山奥に静養に来ていた青年が、人の入らない山の中で赤い服を着た少女と出会った、と滞在先の住職に話をする。その少女に住職は心当たりがあった。しかし父娘二人暮らしだった彼女は父親が出征したことから遠く離れた親戚のところに身を寄せていたはず……と住職は訝しむ。 短編『水漬く屍、草生す屍』

先鋭でカルトな映像を売りとするインデペンデント系のムービーを見ているかのような……
物語の筋書きは筋書きとして存在する。しかしその筋書きよりも、舞台を構成する種々の作品内部のガジェットにまず目が行く。そして読了後にもっとも心に残るのは、それらのガジェットが組合わさることで出来上がる時に鮮やかな原色の、時にぼやけたモノトーンの、作品内部の映像美
――「女殺油地獄」。近松門左衛門の晩年の無残物。一応下敷きになっているのはこの芝居で、幻想的な館の描写の合間に描写される殺人シーンの無残なことといったら筆舌に尽くしがたい。無惨というよりも悪趣味といっていい。生きたまま自分の腸を天井近くの機材に結び付けられたまま、全裸で殺される女優。外科手術にて大量の蚯蚓入りの腐葉土を全身に詰め込まれた女優。同じく外科手術により生きたまま頭蓋骨を外され、少しずつ脳味噌が掬い取られて口の中に押し込められて味わわされた男性助手……。友成純一もかくやと思わされ、読んでいるうちに生理的嫌悪を感じさせられてしまう。しかし、本書のキモはその部分ではない。あくまでその残虐趣味も物語内部世界の限界の絶望を表現する手段の一つでしかない。主人公が味わう幻想的な体験。夢なのか現なのか、幻なのか実なのか。その根本のコンセプトは安易かもしれないながら、醸し出される絶望感と闇はそれを打ち消して余りあるほどに、深い。
夜の世界を支配する闇、蝋燭や手燭の炎によって照らされた橙色の世界、緋色にて塗り尽くされた部屋、枯れ山水の庭の中に一本続く白い路、どろどろに風化した館と同じように風化した年寄り。そして何よりも、抜けるように白い肌に流れる一筋の、複数の鮮血のコントラスト。様々な映像美が絶望を描き出す。

中編といっていいほどのボリュームに過ぎないのに、世界の深さは文章量をものともさせない。描写や光景の悲惨さに加えて後味も悪い真性のホラー。それでいてどこか不思議な魅力を持つ作品。