MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/02/28
北森 鴻「顔のない男」(文藝春秋'00)

連作短編集、『花の下にて春死なむ』で第52回推理作家協会賞を受賞するなど、短編、特に連作にした短編に秀作の多い北森氏。本作もまた『オール讀物』誌に'98年より'00年にかけて掲載された七つの短編にプロローグ、エピローグ、そして六つのインターローグを挿入した連作短編集。

《空木精作》は強烈な一撃から身体中の骨を砕かれて死亡した。彼はほとんどの交友関係を打ち消して生活していた「顔のない男」。しかし、捜査一課のベテラン刑事の原口と若手の又吉は彼が隠していた大学ノートを発見。彼が「栄光商事」という会社を追っていたことを知る。果たして《空木精作》は何をしようとしていたのか。「栄光商事」のオーナーだった持田荘一とは何物なのか?
「真実情報」というどう見てもねずみ講まがいの医療系のアルバイト紹介機関のチラシの意味するものは? 『真実情報』
ストーカーに狙われていると警察に駆け込んだ女性。どうやら彼女の使った「ネコ」という隠語によりレズと勘違いされたと思われたが。 『隠語研究』
道路に描かれた天使の絵。その絵の描かれる近所では必ず放火が発生して。そのことに気づいた薬物依存症の彼女は。 『堕天使考』
鍵のない密室で服毒自殺した老人。その保険金を当てにしていた息子は、結果が定まらないことにいらつき、妻にあたる。 『変貌要因』
ヨーロッパ製バイクを盗もうとした男たちと阻止しようとした男。双方の証言は食い違っていたが、結局不問とされた。その浦では……。 『赤色凶器』
「栄光商事」のオーナー、持田荘一の子供の頃を知るという元薬売りの老人。《空木》の追う持田はどようような人生を送ってきたのか。 『遠景接写』
《空木》の残した調査ファイルの意味は? 露悪的な行動の目立つ原口の招待とは。事件はもっとも厭らしい形での終結を迎える。 『仮面幻戯』

登場する謎はキレイに解き明かされるのに、終盤へと続く不安感は一体なんなのだろう?
プロローグで一つの殺人事件の様子が描かれ、そして第一話にあたる『真実情報』へと物語が突入する。その第一話も含め、続く物語は最初の《空木精作》殺人事件の関係者たちが登場、彼らの後ろ暗い部分が引き起こす事件が中心となっている。殺人事件の背後にある謎の組織、そして闇の商売。プロローグの殺人事件は、闇の商売の上で黒々とした色を誇り、更にその黒い死体が残したメモを巡って別の黒い事件が次々と発生する。捜査する刑事たちまでが黒色に染まっているようにさえみえる。何重もの黒さがこの重層構造を持つ物語の鍵といえよう。なにしろ、個々の短編が解かれて物語が進めば進むほどに、作品全体が持つ謎というのはどんどん深くなっていく。物語の中途でも遠慮会釈なしに謎を増やしていく度胸が凄いし、当然最終的に回収してしまう手腕も凄い。
終盤に徐々に明らかにされるその黒幕=持田荘一、組織=栄光商事の正体も確かに考え抜かれたものであり感服させられる。ただ、個人的には短編一つ一つの中で繰り広げられる事件と、論理を中心にそのロジックを読みとっていく遣り手刑事たちの推理の堅実さの方に印象が残る感。『堕天使考』あたりには設定の突飛さによって無理が感じられる部分もあるのだが『赤色凶器』の証言者に共通する思考の盲点を突く設定と事件、『変貌要因』におけるダメ夫が妻に対して正体を現していく過程など、証言者の虚を突く論理のアクロバットに、読者が味わうサスペンス感覚が融合された物語作りに、仕事師らしい北森氏らしさが感じられた。

特に謎が解決すればするほど物語の暗さが増していくあたりからは、北森氏の他の作品でもみられる不思議な影が感じられた。物語が進めば進むほど、謎が解ければ解けるほどに不安になっていく。ある意味、これが北森連作短編集の真の持ち味なのかもしれない。


02/02/27
城戸 禮「はりきりスピード娘」(春陽文庫'64)

現在書店で見掛ける城戸作品は総じて刑事の竜崎三四郎を主人公とする「三四郎」シリーズであるが、明朗小説の大家である城戸氏は相当数の別主人公作品を残している。(リニューアルされて現在の「三四郎」シリーズに編入される場合もあるらしい)。本書はそんなノンシリーズの一品。

オートバイの製作や修理にかけては日本一の藤井製作所。この会社の一人娘鮎子は子供の頃から乗り慣れたオートバイの運転に関してはピカ一の腕を持っているうえ、ここのところ習っている護身術でもかなりの腕前だった。鮎子の父親、藤井社長は住込で働く松吉に、今日からアルバイトの学生が来るということを告げる。そのアルバイトこそ、大学の柔道部で「子てんぐ」としてならした伴哲二その人。スマートで力持ち、曲がったことが大嫌いという哲二は、すぐに藤井製作所に溶け込んだ。一方、藤井製作所に隣接した土地に同業の横道製作所があった。横道社長は藤井製作所の土地が欲しくてたまらない理由があり、勤務する荒くれ男に命じて塀をずらさせたりして、藤井の地所を脅かす狼藉を繰り返していた。また横道の息子、竜三と娘の連子もまた、藤井製作所と鮎子を苦手としていた。横道は悪徳弁護士に藤井製作所の土地を奪い取る方策を相談、土地が実は農地として登録されていることから農業委員に対して圧力をかけ始めた。果たして鮎子と哲二は横道一家をどのように懲らしめるのか?!

合い言葉は「ダイジョービ!」 はりきり娘と大学の小天狗の活躍を見よ!
これまでいくつか城戸禮の作品に触れてきたが、闊達な女性が主要登場人物に存在することはあっても、主人公が女性という作品は本書が初めて。従って城戸作品に必ず登場するように思っていた「三四郎」名義の人物は本書には登場していない。同じ役割を伴が担っているので、味わいそのものはそう変わらないものの、やっぱり「はりきり娘」らしいエピソードが多く、少しいつもと違う面白さがある。
どうもこの時代は未成年でも無免許でオートバイに乗れたらしい。そのオートバイレース、また農地法など法律を巡る争いがあったりと小道具もなかなか効いており、喧嘩一辺倒の通常作品とは一線を画している。やっぱり主人公が未成年の女の子ということで作者も張り切って書いていたのであろうか。
同業を営むお隣さんとの仁義なき抗争……が本書のテーマ。陰惨にしようと思えばいくらでも出来る設定のなか、はりきり娘と大学の小てんぐ、さらに食いしん坊の松吉らの底抜けともいえる明るさが、少々の悪意を全て覆い隠してしまう。 つまりひたすら明るく元気なのだ。思いつきの喩えで恐縮だが、丁度吉本新喜劇を活劇にしたような感じ。悪意が仕掛けられても、それを通り越した明るく元気で単純な反応で跳ね返す強さ、そして正義と優しさに貫かれた主人公らの正々堂々とした態度が、読者の気持ちを清々しく洗ってくれる。

(本書には「伴くん」とあるべきところに「件くん」となっている誤植があり、奇妙に力が抜けた)

何度でも書こう。城戸作品(いや、明朗小説と呼ばれている世界全般にいえるのかもしれないが)には、今の小説界全てが喪ってしまった何か「夢」に近いものが存在している。読んでいてごくごく素直に嬉しくなるパワーがそれぞれに込められており、小説が趣味ではなく娯楽だった時代の良さがひしと感じられるのだ。


02/02/26
戸川昌子「華やかな氷河」(光文社文庫'84)

大いなる幻影』にて第8回江戸川乱歩賞を受賞した戸川さんは、妖しくセクシャルな男女関係を主題に取ることが多く、作を重ねる毎にミステリという括りからは離れる傾向があった。本書もその傾向下にあるもので風俗小説に印象は近い。

夫が長期でネパールへの単身赴任をしている賀谷亜樹子は、四歳の娘と共に夫の実家のある豊橋への里帰りに向かう途中、丹沢流の華道家元候補、丹沢郁雄と知り合う。郁雄は大学教授で教え子で、亜樹子の義妹にあたる真奈美と不倫関係にあった。海外留学に出たいという真奈美のことを相談すべく担当教授と面会を申し込んだ亜樹子は、それが郁雄であることに驚く。好色な郁雄は亜樹子にも興味を示し始める。そんな折り、夫がネパールで連絡を絶ってしまった、と夫の会社より連絡が入り亜樹子は愕然とする。ネパールにコネのある郁雄に相談したところ、夫は現地にいる丹沢流の支部を営む女性のもとにいるらしいことが分かる。亜樹子は郁雄に傾きつつある自分を戒めるべく、もう一人の家元候補、渋川浩子に相談。レズビアンの浩子も亜樹子に興味を示した。

なんというか。昼過ぎの連ドラに濃厚でアブノーマルなエロティシズムを掛けたらこんな感じ?
ひとことで言えば、一人の人妻の愛の彷徨……といったところだろうか。夫を喪った人妻が、様々な濃厚な愛情に押し流され、翻弄されて精神的にも肉体的にも変化を遂げていくという経過が、戸川さんらしい乾いたエロティックな表現により、寧ろ淡々と描かれていく。もちろん理性を徐々に喪い官能に溺れるようになる女性の描写は戸川さんにはお手のものだし、その官能に「男vs女」のみならず「女vs女」が加わっているあたりも「らしさ」がみえる。また個々のエピソードには「父娘相姦」や「幼女愛」などの性的なタブーを大胆に取り入れているのも戸川さんならでは。
だが、この長編については「それまで」なのだ。せっかく「家元」を巡る二人の候補がいて、彼らが一人の女性を巡って争いながら、謀略らしい謀略も、犯罪らしい犯罪もない。男女間につきものの駆け引きは、ネパールの女支部長と亜樹子との間に交わされるものがあるのだが、それもどこか淡々としている。最終的に帰還することになった夫と旅立ちとの間で揺れる亜樹子……といってもこの部分にも意外性はないし。結局やはり、人妻の一年間の愛の彷徨ということで落ち着いてしまうように思う。

「戸川昌子のミステリ」とは到底呼ぶことは出来ず、あくまで「戸川昌子文学」の一環として発表された作品といえる。しかも、一部の戸川作品にみられカルトなファンが好む「ぶっとび感覚」「トンデモ感覚」も本書内部に存在していない。今となっては(他に未読の戸川ミステリがあるならば)、本書のみを取り出して、わざわざ読むことはちょっと意味がないだろう。


02/02/25
草野唯雄「瀬戸内海殺人事件」(集英社文庫'82)

'61年に『宝石』誌の懸賞に作品を発表した草野氏が本格的に作家活動を開始したのは第一長編『抹殺の意志』を'69年に発表してから。ただ氏はその直後から旺盛な執筆活動を開始、立て続けに長編を発表した。'72年に発表された本作もそんな時期に著された一冊。

女流画家の重松貞子が、夫で鉱物学者の重松教授が滞在する愛媛県の鉱山を訪れるために「瀬戸一号」に乗車する。ところが彼女は岡山から船に乗って大三島島に向かい、宿泊先から失踪してしまう。崖の上に揃えて残された靴とスケッチブックが発見され彼女は自殺したかのように見えた。大和鉱業に勤務する和久は、重松教授や貞子夫人と面識があったことから総務部長より調査を命ぜられる。和久は強度の潔癖性で独身。まず彼は貞子夫人失踪の状況を確認すべく重松亭に赴く。そこで彼は貞子夫人の友人の雑誌記者の明美と知り合う。彼女は彼女で重松夫人失踪を調べるのだという。和久や地元警察の調査の結果、夫人は誰かと待ち合わせを匂わす発言をしていたという。その相手は隠棲している若手画家らしい。実際、彼は謎の手紙を受け取って現場に出掛けたというが、引き返してきたという。決め手を欠く警察は引き下がるが、和久と明美は彼の豪壮な館に忍び込む決心をし、実行する。

完成度はとにかく、作者の心意気がとんでもない方向に飛び出た意外性の固まり
「奇妙な館」だとか「奇妙な出張」だとか、全ての章題に「奇妙な」がつけられており、おかしいな、とは思った。思ったが、本書に込められた「奇妙な意図」については最後の最後で全部説明してもらうまで読みとることが出来なかった。意外な落とし穴。草野唯雄という作家の全貌は、自分自身まだ全くといっていいほど見えていないのだが、その一つの「貌」を知るのには本書は避けて通ることは出来まい。
まず、物語そのものはそれほど特異なものではないことを記しておく。失踪したと思しき女性画家の姿を追いかける素人探偵二人組。強迫観念ともいえる潔癖性ゆえにラブシーンさえ演じられない九州男児と、ぐいぐいと思った通りに相方を引きずるように捜査を進める女性雑誌記者。ともすれば、ユーモアミステリといった展開にて物語が進む。容疑者が現れたり、アリバイを調査する必要が発生した時に、二人組が体当たりでコトにあたっていく姿はサスペンス性が微塵もなく、どちらかといえば半ばユーモア狙いとしか思えない。ところが、だ。
終盤、いきなりクイーンばりの「読者への挑戦」が挿入される。
この時「ようし、そんならひとつ解いてやろう」と普通の? 本格推理小説ならば考えることもあろう。しかし本書においては「そんなタイプのミステリじゃないんじゃないの?」という気持ちが先に立ってしまった。実際、ユーモア溢れるそれまでの展開のなかに、凝った物理トリックやアリバイトリックが仕掛けられているようには到底思えないこともある。ところが、ところがですよ。
本書にはとてつもない仕掛けが隠されているのである。また、合わせてとてつもない動機も。いやいや、こう来るのか……。正直驚くしかないでしょう。ちょっと泥臭いけれど、少なくともアンフェアじゃないよな。物語の展開、語り口、文章の完成度などこの段階では正直今一つの部分も散見される。だが、この心意気によって評価したい作品である。

「瀬戸内海」だから、ということもないだろうが本文庫の解説は「瀬戸川猛資」氏が執筆している。この解説もまた上手な仕事だよなぁ。草野氏の作品を論ずるのにアシモフやウェストレイクを引っ張ってきてくるセンス。解説という枠のなかで紹介すべきことはしっかり紹介し、単に作品を誉めるに留まらず、「お、他の作品も読んでみたいな」という気持ちにさせる文章。さりげない仕事ながら、実に巧い。


02/02/24
多岐川恭「虹が消える」(徳間文庫'85)

第39回直木賞候補となった『氷柱』、第40回同賞受賞の『落ちる』と、初期の多岐川作品は河出書房新社より刊行された作品が目立った。本書は『黒い木の葉』に続いて'59年に同社より刊行された四冊目にあたる。なお、本文庫版の解説は鮎川哲也氏が担当している。もっとも「解説」というより「多岐川氏に対する雑感」のようなものなのだが。

東京タイドの新聞記者、郡徹也は二十代ながら既に何事にも達観したかのようなニヒルな性格だった。同僚や女性に厳しい言葉をぶつける彼は孤独を愛しているかのように見えた。そんなある晩、彼が行きつけのバー「プリムラ」で飲んでいると放火事件の取材に出掛けていた新人記者が恋人を連れてやって来る。単純な事件に思えたが郡はちょっとした引っかかりを覚えた。次の日、同僚の記者、沼田の妻、鶴代から郡は秘密の電話を受ける。郡に好意を寄せる彼女が沼田の留守中に家に来て欲しいというのだ。訪問した郡はそこで暗い陰を持つ女性、比呂子を紹介される。彼女に対しては点数稼ぎの得意な同僚、世古が求婚しているというが、郡も同じくどこか惹かれるものを感じた。鶴代の肉体の誘いをすっぽかした郡は翌晩、埋め合わせのために勤務中に関わらず飲みに出る。その間に代議士刺殺事件が発生、世古が独占スクープを取り、怠慢を責められた郡は自宅謹慎を言い渡される。しかしなぜかその世古も静岡支局に左遷させられてしまう。

強烈なまでのニヒリストが心の奥底に隠す真情。嫌な奴が主人公でも嫌な物語にならない理由
本書の主人公、郡徹也。これがまた嫌な奴なのだ。少なくともミステリとして第三者的観察を加える分にはいいが、現実の友人としてこれほどに付き合いにくい奴もいないだろう、という設定。なにしろ、仕事はハスに構えてまともに取り組まないわ、飲み屋の女性を脅して関係を続けるわ、後輩の恋人にアプローチをかけるわ、親身にアドバイスをくれる先輩を罵倒するわ、で人間として尊敬できるところが一つもないのだ。それでいて、周囲がこの男を気にして、女性にも少なからず縁があるのも何となく理解できる。自分と異なる基準で行動する人物というものに、人はどうしても興味が湧いてくるもの。そんな郡徹也が自分自身「好きな女には、つい辛くあたる」ため、表だっての愛情表現など一切ないにも関わらず、自分の興味と偽って危険な取材、そして陰謀にぶつかっていく物語。
視点そのものは一人称ではないが、話の運びはハードボイルドのそれに近い。徒手空拳の一人の男が、危険を省みず巨大な陰謀に挑む。特徴ある脇役がいい味を出しているのはもちろんだが、本来このような役割からもっとも遠いはずの郡徹也が、意地になって真相を追い求める姿にはそのニヒルさでは隠しきれない感情が滲み出ている。すわなちかつて不義理をして果たせなかった恋人と物語のヒロインを二重写しにし、二人が別人であることを理解しつつも、真相解明に「償い」を求める男の哀しさ。それが成立したとして、郡には何の見返りもない。それでも走り出したら止められない……。反発を感じていた主人公と、いつしか読者も同じ側に立たされているのだ。

とはいえ、その過程においても、明らかにされる真実にも爽快感は少ない。また炭坑問題など当時の時勢が密接に絡んだ真相も多少時代性が感じられる。(本質的には現代にも十分通用することはもちろんだが) それでも最後まで読み通したくなる独特のパワーが作品から発しているように感じるのは、私が多岐川マニアだから、という理由だけでは説明がつかない。「初期の多岐川恭らしさ」が十二分に味わえる作品である。


02/02/23
藤本 泉「枕草子の謎」(徳間文庫'88)

江戸川乱歩賞作家であり、宮廷文学に深い造詣を持つ藤本泉氏。これまでも『源氏物語』『紫式部』等、中世女流文学に鋭い推理のメスを入れてきた筆者が次に選んだのはもう一方の雄、『枕草子』。元版は'82年に廣済堂出版より刊行されている。

第一章『清少納言はほんとうに「高慢ちき」なのか……』  「『枕草子』のふしぎな形」「王朝女性の自筆にしては」「王朝貴族のセンス」「輪をかけた自賛」「宮廷内の雰囲気が親密であればあるほど」
第二章『清少納言は女主人の悲運を、なぜ悲しまないのか……』  「落日の舞台に幸福なイメージ」「ひたすら無視される定子の変化」「政敵を「べたぼめ」」
第三章『清少納言の「現場不在証明」……』  「自然現象の「誤記」をどうみるか」「「臨場感」は信用できるか」「正史に残る「年月日」をどう見るか」「清少納言宮仕えのミステリー」「逆行する時間」
第四章『『枕草子』の作者を推理する……』  「男性の筆だとみる条件」「能因法師に注目する」「清少納言エピソード集のできた政治背景」
第五章『乱れ乱れた「異本」の姿……』  「どこが、どれだけ、どうちがうのか」「異本の中にいる別作者」
第六章『わたしたちはだまされたのか……』 「錯簡か編集か」

「常識」を切り裂き、文学者の怠慢を戒め、清少納言と『枕草子』の実像に迫る
一応、歴史の教科書的には『枕草子』という作品は、世界初の自叙伝形式で書かれた女流文学である、ということになっている。また文学的には教養に満ちて大胆な描写から”解放の文学”として研究されている。藤本さんのアプローチはこの「歴史的」「文学的」に別々に研究されてきた『枕草子』という文学の矛盾点を徹底的に洗い出すところからスタートする。 即ち、当時の歴史や宮廷の状況や人間関係を明らかにして『枕草子』の記述誤りや明らかな錯誤を突くのが「歴史的」アプローチ。こちらでは歴史に残る政治力学や姻戚関係はもちろん、正史に残る天気まで参照する念の入り方である。一方、清少納言という「女性」が執筆したはずの文学に、女性特有の言葉が少なく男性のみが使用する文章が混じっている点や、女性ならではの視点がほとんどみられないなど「文学的」な部分での疑念を提示するというアプローチが残り半分。主に文学者によって研究されてきた『枕草子』にもまだこれほどに矛盾が存在するという点、驚きが混じる。
これまでの研究が伝わっている原本の内容を全く疑うことをしなかった点など、写本ベースであることを踏まえれば文学者の怠慢だと言われても仕方なかろう。特に文章内の矛盾を「清少納言の性格」や「記憶違い」などに帰趨を求めるよりも、原本の記述そのものを疑う視点がなぜこれまでほとんど出てきていなかったのか、という点は不思議だとしかいいようがない。果たして清少納言のオリジナルはどの部分にあるのか。この点を確かめないまま研究して清少納言の実像に迫ろうとしても、意味が全くないというもの。また表やグラフまで利用して説明しようとする生真面目な姿勢にも敬服したい。
実際、藤本さんの述べられていることはすべて正論。ただ、現在伝わる『枕草子』の文学的価値はそれはそれで存在している。結局のところ『枕草子』と「清少納言」が当たり前のように結びつけることについての疑問符が提示された、ということだろう。

勿論、ミステリではないし、トンデモ本にしては中身がまともすぎる。『枕草子』に興味があったり研究されている方は目を通しておくべきかもしれない。(学問の世界においてはこちらが異端本とされるのであろうが)疑問に対してガチンコに取り組む藤本泉という作家の姿勢が強く窺える一冊。


02/02/22
横溝正史「空蝉処女」(角川文庫'83)

本題、短編の題名とも正確には「蝉」の字は旧字。「単」の冠の部分が「口」二つと考えて頂きたい。
横溝正史の三周忌にあたって本書の解説も手がける中島河太郎氏が横溝氏の戦前から戦後すぐにかけての未発表及び単行本未収録の作品を集大成したもの。黒背時代の角川文庫にて数多く編まれた短編集の最後の一冊。文庫オリジナル。

戦争中に記憶を喪った女性の哀しい歌声が湖畔に響く……。 『空蝉処女』
戦後に開いた玩具店が大繁盛、しかし売店のバラックの中に女性の死体が。 『玩具店の殺人』
自動車の爆発事故を目撃した宇津木俊助は、現場から謎の暗号と菊花大会のチケットがあることを知る。 『菊花大会事件』
由利博士は東都にて不審に思われる三行広告が新聞にいくつも掲載されていることを俊助に告げる。 『三行広告事件』
山名耕作は商売上の理由で妻が大切にしている頸飾りを質入れする。やがて代品で借りたイミテーションの頸飾りを妻はなくしたという。 『頸飾り綺譚』
その中国人の夫人は左手に付けている腕環を奇妙なくらいに気にしているように見えた。 『劉夫人の腕環』
散歩を習慣にしている私としょっちゅう行き会う人物。彼は「超推理力」の持ち主だといい、夫人の万引きを予言した。 『路傍の人』
売れない作家である良人を見限り、若手作家との駆け落ちを決意した妻。原稿用紙に夫への手紙を残して家を去るのだが……。 『帰れるお類』
懇意にしている夫人がかつての恋人との恋文を脅迫の材料にされていると告白。青年は取り返すべく相手の自宅を訪問する。 『いたずらな恋』以上九編。

角川横溝の短編拾遺集にして戦前〜戦中の横溝正史の創作傾向が垣間見える短編集
純粋にミステリ、つまり「謎解き」のレベルを現代の審美眼だけをもって作品を見る限り、「凄い!」と唸るような作品は残念ながら本書には収録されていない。ただ、戦後に「本格推理小説」に目覚めたとはいえ、横溝正史の本質が発する濃厚な怪奇趣味のエッセンスの方は全作品を通じて感じられる。またさらに戦後の長編に垣間見られる独特のペーソスといった感覚は却って研ぎ澄まされた形で点在している。ちょうど某所でいわれるような「草双紙」趣味といえば良いのか、宝石や人形や玩具といった怪しげなモノに対する嗜好、人妻や駆け落ちといった退廃的な男女関係、美しいけれどどこか冷たさを残した人物たち。後期の横溝世界を語るうえでも欠かせない要素は、戦前作品においてはアクセサリというより横溝作品の本質として登場している感がある。
小説としての出来は残念ながら決して高いものではない。横溝氏ならではの舞台造形がなければ「小咄」にて終わりそうな作品が多いのが正直なレベル。それでも、強引に横溝氏が自分の空気を吹き込むことでその「小咄」さえも独特の横溝世界に取り込まれている点、流石だと思う。
また三津木ならぬ宇津木が登場する『菊花大会事件』、純粋な由利先生もの『三行広告事件』の二作品には、戦時中ならではの主題が込められており、探偵小説が息を潜めざるを得なくなった一時期への入り口を感じさせて、内容以上にその独特の緊張感が興味深い。本書には他にも筋書きの唐突さが目立つ作品が多いが、『路傍の人』あたりは強引ともいえる設定が横溝らしさと相まって不思議な印象を残す。また表題作の儚げな美しさも捨てがたい。

『横溝正史読本』『シナリオ悪霊島』の角川横溝二大キキメの次に入手困難とされるグループに属する一冊。恐らく角川版でも後期発表のため重版数がかなり少なかったのではないか。という訳でそうそう入手は難しいかと思うが、後に続く横溝世界の原点を眺むるのには面白いかと。水準を下回る作品も含まれており、このまま復刊されることはまずないだろう。


02/02/21
田中文雄「ガブ ―鬼翔ける夜―」(角川ホラー文庫'93)

1993年に日本で初めて「ホラー小説」専門の文庫として刊行を開始した角川ホラー文庫。その最初期に刊行された作品で恐らく角ホラで最初の「書き下ろし」の作品。田中氏は映画関連の仕事から作家となった方で、当初はファンタジーを中心に活動していたが、徐々に軸足をホラーに移したという現在のホラー隆盛の草分けともいえる存在。

シャンメイクというメイクアップ用品の会社を起こした湯浅英明と箕浦保彦。スマートな外観の湯浅は妻の夾子と八歳になる愛娘、千尋との三人暮らし。更にかつて同棲までしていた恋人、美緒を家族に隠して愛人として交際していた。一方風采のあがらない箕浦は独身。しかしその箕浦も湯浅家では「ミノ兄ちゃん」として千尋に慕われていた。その千尋の誕生日に湯浅は高価なフランス人形をプレゼントする。その人形は実は湯浅と美緒とで選んだものだった。千尋はその人形を可愛がっていたが、ある晩、湯浅宅に忍び込んだ何者かによって人形はずたずたに切り裂かれてしまう。愛人の存在に薄薄感づいていた夾子は、美緒の仕業だと言い出して聞かない。念のため湯浅は美緒に確認を取るが心当たりはないという。続いて湯浅一家が可愛がっていた飼い犬のルイが惨殺される事件も発生。湯浅は美緒を疑うと同時に、正気を喪いつつある妻の仕業の可能性も考えていた。

作者の方向性はたぶん正しい。しかし中身が結果としてついてきていない……か
正直に告白すると、本書のなかで最もホラースピリッツが感じられたのは作者による「あとがき」の部分である。いかに作者が幼い頃から『闇』に魅せられたか。かつて日本に存在した『闇』、そしてそれを覗くに至った体験等、非常に興味深いものがあった。反面、確かにsupernaturalの存在こそ物語に含まれるが、どうも本書そのものはホラーというよりも、サイコサスペンスに限りなく近いところに存立している。
絵に描いたような平和で裕福な家庭。夫のありきたりな(家庭にとっては深刻だけどさ)浮気をきっかけとして沸き起こる暗雲。壊されるフランス人形、惨殺される子犬。ホームレスが家の周囲をうろつき、夫人は精神的に追いつめられ、家族は恐怖に陥る――。 ……って、家庭をベースにした場合に典型的ともいえるサイコサスペンスの展開そのもの。この後、だんだん恐慌の度合いが高まって、最後にカタルシスに至る、というのは完全にお約束の世界。また、多少謎の人物の正体にヒネリが意図されているものの、これはミステリ系から来た読者ならずとも、落としどころは見えてしまうのではないか。(記述がちょっとアンフェアな気もするが)
また展開とは別に、現実には存在し得ない異形のものが作品内部に存在しているが、その使い方も決して巧いとは言い難い。つまり読者の「恐怖」をどこに持って行こうとしていたのかが、今一つ見えてこない作品となってしまっている。作者が筆の赴くままに作品を仕上げてしまった、という印象が残る。

決してプロットに瑕疵があったり、人物造形が疎かになっているとかそういう訳ではないのだが、ごくごく平凡な作品になってしまっている印象ばかりが残った。現在のホラームーブメントが発生する以前の国産ホラー作品(幻想でなく恐怖を企図したものという意味で)というのはこういうものなのかもしれない……。