MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


02/03/10
樹下太郎「飛ぶ女」(東方社'65)

推理小説作家としてデビューした樹下氏が後に「推理」の要素を捨て、サラリーマン小説専業となってしまうことは何度か記した。本書の刊行は恐らく事実上氏がサラリーマン小説のみを執筆するようになった時期にあたると思われるが、ギリギリ「推理小説」に分類出来るオリジナルでは最後の作品集ではないか。初出等は不明。

アパートを越してきた夫婦の向かいに住む中年男は、かっての妻の情人で現在は彼女を脅迫し続けている。窓を挟んで目の前の男に妻は遂に屈する。 『飛ぶ女』
建設会社のエリートサラリーマンは社内の女性数人に手を着けていたが縁談が舞い込む。その一人と別れのデートに向かった岬で彼女は断崖を飛び降りる。 『岬にて』
鋼材会社に入社したばかりの男は年上BGの誘惑に引っかかるが彼女は、別の男と結婚、円満に退社する。彼は胸をなで下ろし再び仕事に邁進するが。 『ちょっぴりしあわせ』
晴れがましいことが嫌いな園山は会社の新年会で表彰されることになっていたが、唐突に欠勤する。無理矢理に引っぱり出された彼は諦めたように見えたが。 『壇上』
電機部品会社の社員が、納入先に常駐することになる。前任者がどうやら不正を行っていたらしいのを発見するのが秘密の社命だった。 『素晴らしい夜』
複数の愛人を持つ”あたし”はある晩会社の屋上から突き落とされかけた。ポケットには心当たりのない遺書が捩込まれていた。”あたし”は殺人者の匂いとその手紙から真相を突き止めようと決意する。 『死んでください』 本編のみ中編。全六作品。

どうしようもない「陳腐な話」を鮮やかな光線にて輝かせる樹下マジック
「トリック」だとか「サプライズ」だとか、通常のミステリで読者が望むようなポイントは、本書収録のような後期樹下作品には残念ながらほとんど存在していない。このあたりを考えることに樹下氏は疲れたがために、恐らくサラリーマン小説に移行したのではないか、と推察する。だから、これらがミステリではないのか? というとやっぱりミステリであると回答したい。「トリック」や「サプライズ」がなくても、樹下氏には「描写」という武器があり、十二分に味わいあるミステリ作品に仕上げているから。
結婚前の弱みを握られたままの人妻。出世を約束された見合い結婚の為に恋人を切り捨てるエリート。年上の人妻の肉体に陥落する若手社員。これだけ抜き出すと、今では安手の二時間ドラマにも使えないような陳腐な設定じゃないか、と思えるはずだ。しかし、この陳腐さがかえって樹下作品の迫力や魅力の源泉となっているように感じられる。例えば、サラリーマンが悪い女に引っかかる。このような事例は実際にも繰り返されてきているだろうし、小説にも恐らく幾千万と描かれているはず。しかし、こんな時の焦燥感や絶望感を表現させた時の樹下氏の筆の冴えは抜群なのだ。特にサラリーマン社会に根差した嫉妬や羨望、裏切りや醜い欲望など一つ一つが実にリアル。(同様に人妻やBGの生態や、それに根差した感情なども不思議とリアル) これらの描写の冴えにより、単純なミステリが別の角度からの光で照らされる。もし真っ直ぐ物語が進めればミエミエになりかねないオチが、この「光の角度」により巧くかわされて、設定から想像される以上の意外性を伴ったラストと変化する。また一人一人の小市民に与えられた実に細やかな設定が、その「光」を伴って深い陰影を打ち出していることにも注目したい。

サラリーマン=庶民の図式。現代ではサラリーマンという言葉そのものが単純な意味では使用されなくなった。激動の時代、企業に勤務する人々を単純な勤め人で割り切れなくなっていることがその背景といえよう。ストックオプションで大金を手にする人もいれば、数十年勤めた会社でリストラ対象とされる人もいる。今やサラリーマンは「気楽な稼業」の代名詞とはいえなくなった。(却って緊張の続く不安定な職業という印象さえあるかもしれない) そんな現代にサラリーマンとして暮らす身にとって、樹下氏の描く人間像はどこか遠く、それでいて近い。


02/03/09
岩井志麻子「魔羅節」(新潮社'02)

岩井志麻子さんは『ぼっけえ、きょうてえ』にて第6回日本ホラー小説大賞を受賞後、一躍時の人となり小説雑誌各誌に様々な作品を発表してきた。発表された作品がそろそろ各社まとまってきたらしく、今年は隔月刊ほどのペースで単行本刊行の予定があるという。本書は『小説新潮』誌に'00年より'02年にかけて発表された作品が収録されている。

明治の岡山の民家には、必ずそれがあった。 とはいっても中国山脈に抱かれた北の地域に限られるのだが、土間に一本だけ突っ立った柱のことだ。 『乞食柱』
年の離れた兄の千吉は、上がり框に腰掛けて髭を剃っている。髯の剛い千吉の頬の剃り痕は、いつも青々としていた。妹のハルはまだ尋常科に通う童子だが、千吉はあと少し日露の戦争が長引けば、立派に兵隊に取られた年頃なのだ。 『魔羅節』
そこを七色の光満ちる蓬莱の島として陶然と語られるのも、逆に重罪の流人達が苦役に泣く絶海の孤島として恐々と語られるのも、当の島の者にとっては迷惑な話であった。 『きちがい日和』
「寝た間が極楽」。この言葉をわしに教えてくれたんは、どこの誰だったじゃろう。 人は寝とる間だけ、哀しいことや苦しいことから逃れられるという意味じゃ。 『おめこ電球』
狸の金玉が広げると八畳敷きにもなると教えてくれたのは、生きていた頃のおっ母だ。 何故そのような話になったのかイネは覚えていないが、その時のおっ母はいつもの疲れたおっ母でなく、朗らかに笑っていた。 『金玉娘』
己れが何に対して憤怒しているのか、峰松はいつも途中でわからなくなる。 そのわからなくなっている時というのが、喧嘩の相手を血塗れにして殴っている時であったり、押し入った家で火鉢を投げたり襖を蹴破ったり軍刀を振り回したりしている時であったり、半死半生になっている女を強姦している時であったりするのだ。 『支那艶情』
白痴でも片輪でもなかったのに、トヨが自分に正しい呼び名があることを知ったのは、かなり大きくなってからだった。 『淫売監獄』
死んだ妻の思い出は、いつも夏の中にある。 ならば、思い出せない春を懐かしんだり、失われた秋を追い求めたり、埋もれてしまった冬を恋しがったりはせずに、いつの夏が亡妻の思い出に相応しいかを考えるのが良いだろう――。 『片輪車』以上八編。

生の人間を見せつけられているうちに臓腑が徐々に持ち上げられ、すぅっと沈む
物語を綴る文章があまりにもダイレクトに心に響くので、それをもって短編の梗概に代える。この文章と物語の描く情景が不可分なのだ。(短編集をこのような方式で紹介するのは皆川博子さん以外では初めてかも)
明治時代後期の岡山を舞台に描かれるノンシリーズの作品たち。主人公たちは様々な境遇にあり、総じて不幸な状況に置かれている。人間以下の存在として牛馬のように扱われる下人。その日の暮らしさえも事欠く貧しい家に育つ人々。大病を患う女性。身体を売るしか生計を得る手段のない女、そして男……。 不幸という表現は相対的なもので、それが客観的に不幸な状況にあっても、主観的には幸せなことも有り得るもの。そのあたりから物語を眺めるに、本当の作品の共通点は「何かが欠落している人々」というあたりにありそうだ。
人間に対する愛情や慈悲、自分に対する自信、生きるために最低限必要な知識や智恵や処世術。環境やその他の経験が原因で「何かが欠落」してしまった人々が、その喪われた何かを求める物語。 それは更に別の何かを犠牲にしないと得られなかったり、彼らには永遠に得られないものであったり、明治後半という不自由な時代に生まれた彼らの「欠落したモノ」の周囲をなぞるように物語は流れる。しかし、彼らの人生は短編という短さ故に宙ぶらりのまま途切れるように幕が下りる。じわじわと身体の中身だけが引っ張り上げられるような感覚の末、それが「ぷつん」と切れ、余韻と共にずり落ちる。 それを本書は八回繰り返す。ホラーとか恐怖小説とか従来描かれてきたエンターテインメントとは、少々異なる余韻。ホラーにおける暗黒小説。人間を真っ正面から見詰めれば見詰めるほど、汚辱にまみれ泥臭く生臭い部分が誰にも存在することに気付く。岩井志麻子さんの身体の内部まで透視するかのような視線そのものに、畏れと寒気を感じてしまう。

岩井さんより本書を頂いた際に「単行本の題名はセカンドベストで、本当は『おめこ電球』にしたかった」と伺った。(新潮社が宣伝出来ない、と泣いて止めたらしい) 題名や個々の作品の題名が奇抜に思われる向きもあるかもしれないが、本質を見誤らないで欲しい。人間の本質を描くのに、使って悪い言葉などあるものか。


02/03/08
土屋隆夫「動機と機会」(天山文庫'88)

推理小説界の長老の風格漂う土屋隆夫氏は寡作なことで知られている。長編に比べて短編はそれなりの量があるようにも思えるが、それでも活動年数にすれば実に少ない。そしてそのほとんどがかつての角川文庫に収録されていた。本書は表題作がその角川文庫に収録されていない。(逆にいえば残りは収録されているんだけど)

小さな街で赤新聞を経営した男が青酸カリ入りウィスキーを飲んで死亡した。動機を持つ者は多数いたが、誰もそのウィスキーに毒を入れる機会がないように見えた……。 『動機と機会』
模範学生として通してきた洋一は妊娠させた同級生の抹殺を図るべく、彼女を自殺に見せかけた完全犯罪を企み、毒殺に成功する。しかしその自殺を疑う男がいた。 『ゆがんだ絵』
低俗な実話週刊誌にモデルが自分の女房だ、と男が怒鳴り込んでくる。しかしその話はフィクションであり、そんな女は実在しないことを編集部では良く知っていた。だが……。 『午前十時の女』
高慢な妻に敷かれる男。彼女の過去を知り、殺害を決意。彼女に遺書らしきものを書かせるため、自分が小説賞に応募するための原稿の清書を頼むことにする。 『寒い夫婦』
床に伏せる大富豪の遺産を狙って対立する親戚。エロ映画鑑賞中の一分間の停電の間に一人が頸を刺されて死亡する。しかし映写していた部屋は密室で中からは凶器は発見されない。 『地獄から来た天使』
病弱な妻が絞殺された。動機を持つ夫は小さな娘を連れて離れた映画館にいたという。迷宮入りかと思われた事件はその娘の幼い証言によって意外な展開となっていく。 『天国問答』以上六編。

やっぱり土屋隆夫の「本格」を現代の若いファンが読むのは辛いかも……
叙述や自殺に見せかけて殺害するトリック、更に子供をうまく使った作品など、土屋作品らしい短編を集めた作品集となっている。かなりの短編をこれまで読んできたが、その経験からいってもバラエティの拾い方は妥当なものといえるだろう。トリックを実際に実践が出来るかどうかを重視する土屋氏の感覚を本書から読みとるのは妥当。
一方で、現在では旧弊とも思える土屋氏の価値観もまた、本書からは強く読めてしまう。このあたりは読者によって感覚に大いに差があるとは思えるのだが、一種の男尊女卑思想、貞操重視の裏側にある男女の性的欲求の激しさ、更に身体の関係により、相手の意志までも支配出来るとするかつての日本に存在していた考え方など、正直、読んでいて違和感が強く出てしまう。ミステリとしては面白くても、このあたりの価値観が合わないので土屋作品が苦手、という人の話も聞く。当時はそれが当たり前であった、と言われればそれまでなのだが、他の作家ではあまりこのような意見を聞かないのだが……。

本書収録の作品を読んで改めて感じたのは、特に短編に限ってはトリックはいかにも実行が可能で小粒ではあるが面白い。――だが、背景や登場人物にあまり感情移入できないという側面がある、ということ。このナマの男女関係は文学的表現というものと関連づけるものではないだろうし。


02/03/07
若竹七海「死んでも治らない ―大道寺圭の事件簿―」(カッパノベルス'02)

『ジャーロ』誌に'00年から翌年にかけて掲載された作品に書き下ろし『大道寺圭最後の事件』が加えられたオムニバスの短編集。十七年警官を勤めて辞めた大道寺圭が、警察人生で出会った間抜けな犯罪者、とぼけた事件を書き綴った『死んでも治らない』を刊行した。その本をきっかけに彼に接触してくる人々が物語を引っ張る。

講演会の後、<トレイシー>と名乗る男に拉致された大道寺。<トレイシー>は自分が賢い犯罪者だと名乗り、銀行強盗の後に逃げ込んだペンションで発生した奇妙な事件について大道寺に語り出す。寝ている間に相棒を銃殺していたというのだ。 『死んでも治らない』
間抜けな窃盗を繰り返し『死んでも……』に取り上げられたお猿のジョージ。彼の娘が家出して帰って来ないので捜して欲しいと大道寺に強引に依頼していく。そのジョージが依頼の直後、何者かに殺されてしまう。 『猿には向かない職業』
大道寺圭のもとに送りつけられる推理小説作家志望の完全犯罪テーマの原稿。妻を転落死させるという割りに、現実には穴だらけの内容を指摘するとまた訂正されたものが送りつけられてきた。 『殺しても死なない』
ノンフィクション作家の遺稿を引き継ぐ約束をさせられた大道寺は、資料の引継のために火山地帯にあるその作家の別邸を訪れる。しかしその別邸には次々と怪しい人物が訪れ、彼の邪魔をする。 『転落と崩壊』
二人組の美術品泥棒<マーメイド>が大道寺を拉致。自分たちが依頼された壺泥棒においておきた不可解な事件について大道寺に解き明かすよう強制する。 『泥棒の逆恨み』
これらの短編をを挟む形で大道寺圭が警察時代最後に出会った事件、『大道寺圭最後の事件』が加わる。

犯罪者には犯罪を犯しただけの報いを。若竹七海の信念なのか?
近年の若竹作品の味わいを語るのに「ブラック」という形容詞は外せない。彼女の手で創造されたこれまでのいろいろなシリーズキャラクタは、総じて不幸な目にあった経験があり、自ら望まずともすぐにトラブルに巻き込まれる。本編の主人公である大道寺圭もその典型に近い。
そして、彼らは総じて単に不幸な境遇にある、あるいはあった、という設定だけではない。「罪」に対する姿勢がどこか似ている。 犯罪を犯し、隠蔽した相手を暴き出した後、自分なりに「犯罪者」に対する制裁を加えているような気がしてならない。警察に素直に引き渡すケースもそれが相応の罰になる時に限っており、それよりも相応しい制裁が存在する場合はその限りではない。若竹作品の「ブラック」な味わいは、その奇妙な、そしてどこか常識の外れた犯罪者の心理が持つ「ブラック」に加えて、主人公の犯罪者に対する態度の厳しさに所以するものではないだろうか。
本書における大道寺の行動及び推理は名探偵のそれである。その謎、そして解決の水準も常にこなれた水準にあり、それだけでも毎回安心して読むことが出来る。それでいて他の作品との差異が際だつのは「犯人はお前だ」で物語が終結せず、「お前はこうなることが相応しい」という思想を体現していることにあるのではないか。間抜けな犯罪者たちが多数登場するに関わらず、彼ら自身の行動が持つユーモアより、その結果生み出される「ブラック」な味わいの方が遙かに印象に残る作品集である。

オムニバス形式にすることで全体的な統一も取れており、常に水準をキープする若竹作品の他作品に比べ遜色のない出来。また近年の作品の要素のようなものがよく出ているように思われた。物語形式も凝っており、飽きさせない。読んでおいてまず損はしない一冊。


02/03/06
戸梶圭太「牛乳アンタッチャブル」(双葉社'02)

'99年『闇の楽園』にて第3回新潮ミステリー大賞を受賞してデビューして以来、独自路線を突っ走る戸梶氏。本書は『小説推理』誌に'01年より翌年にかけて連載された作品を「一冊のアート」に仕上げた作品。

大阪工場内の無許可配管の洗滌ミスから汚染された牛乳を出荷してしまい、食中毒事件を引き起こしてしまった斯界の名門ブランド、雲印(くもじるし)乳業。その事件を聞いた社長をはじめとする役員たちは、自らの遊びに忙しく、事件そのものを全く舐めきっていた。被害者への謝罪はおろか、まともな対応さえも妨害を開始する。ただ一人事態に深刻な懸念を感じた人事担当役員の柴田は、会社がこのままではダメになることを懸念、被害者の立場に立って会社を浄化しようと決意する。柴田は自らの権限で「性根の腐った社員に対するクビキリを行う」ための「社内特別調査チーム」プロジェクトを開始。真っ先に声を掛けられた宮部はその重責に悩むが、あまりにもオソマツな社長の記者会見を見て決意を固め、プロジェクトチームの人員スカウトをはじめた。元人事部長で強面の加山浩太郎、新入社員ながら強靱な神経を持つ高見桐江を仲間に加え、彼らは一路事件発生の現場である大阪工場へ。その途中の新幹線内で冷酷な言葉で失礼なオヤジを罵倒する静岡支社の向井を仲間に加えた宮部らは、大阪支社の状況に驚く。全国の営業社員が集められ、販売店へのお詫びに借り出されていたのだが、全く統制が取れていないのだ。更に勇躍乗り込んだ大阪工場にて彼らは激しい敵意と妨害に晒される。

頑張れ、雲印! ゆけゆけ雲印! (どうなる雪印?)
子供の頃読んだ『マンガの描き方』といった本には確か、マンガは大まかにストーリーマンガとギャグマンガに区分される、というようなことが書いてあった。登場人物を出来るだけ現実的に描写するのがストーリーマンガ、思い切りデフォルメして特徴を出すのがギャグマンガ。その区分において、戸梶氏の描き出す世界は明らかに「ギャグマンガ」サイドに位置しているといえるだろう。
作品の原点はもちろん、あの雪印乳業が引き起こした食中毒事件。その発生原因を自己中心的な欲望にて行動する役員と、ブランドにあぐらを掻いて食品会社としての最低限の役割さえ見喪った社員にある……と戸梶氏が分析した。(それが現実かどうかはとにかく、既に本書はフィクションなのだから)
物語は架空の乳業メーカー、雲印乳業。数十年にわたり日本国民に深く浸透してきたこのブランドの経営陣及び一部社員は、実はそのブランドにあぐらをかくだけの「無能集団」だった。役員はオンナ遊びにうつつを抜かし、現場はさぼることしか考えず食品を扱う最低限の責任を放棄する。
彼らを成敗して、愛する雲印を取り戻そう……という意図は良し。ただ自分のクビのかかった相手は一社員といえど、一筋縄ではいかない強者ばかり。もちろん、チームもいい加減強烈な個性と特技を持っているのでこちらも引かない。その激しいぶつかり合い、鍔迫り合いは一読の価値がある。「くそぼけ!」「くたばれ!」「豚どもめ、貴様らは家畜の豚だ!」などの罵倒の言葉。鉄拳が飛び交い、激しいカーチェイスが繰り広げられるアクション、野外から看護婦までシチュエーションに凝りまくったエッチシーン。ナイスなバディの美女に、マッチョな男。雲印の「裏社員」にして筋金入りの変態、SM(スティック・ミルク)が登場するに至って物語のめちゃめちゃ度は倍加していく。すげー、すげーのに破綻してない。それがまたすげー。 とにかく気付けば死屍累々を踏み越えて、役員のクビに手をかけるプロジェクトチーム。いや、すげー。
読者は思考を停止させ、ひたすらに戸梶世界に没頭しておけばオッケー。頭の中にかつてのあの事件での一連の彼らの行動が浮かんでくることは仕方ない。これも犯罪を犯した者が被るリスクであり、罰なのだから。

現実はフィクションを遙かに凌駕するなぁ、というのが読み終わってのもう一つの感想。だって雲印乳業は本書では立派に再生するのに、雪印食品の国産牛偽装事件が起きちゃうのだから。グループ会社の描写はさすがにないとはいえ、まさか「これをやったらあかんやろ」ということを消費者からの信頼失墜ダメージの渦中から脱しきれていない会社でやっていたとは、呆れてモノも言えない。戸梶氏が『牛肉アンタッチャブル』を執筆しようとしているのかどうか。それだけはちょっとだけ気になる。


02/03/05
横溝正史「蝋面博士」(角川文庫'79)

「蝋面」の「蝋」の字は実際は「虫編」に「鑞」←のつくりの部分を当てた文字。(横溝作品とJISは相性が悪い)  かつて横溝作品の大多数を擁していた黒背角川文庫。その後期にかなりの量が出版された「推理ジュヴナイル」の一冊。「探偵小僧」御子柴進と金田一耕助が活躍する長編で'54年に発表された。他短編が三編。

新日報社という新聞社で働く御子柴進少年は有楽町で交通事故の現場と行き会う。衝突した二台のトラックからはみ出た木箱の中には、蝋で固められた死体が入っていたのだ。現場から逃げ出した蝋細工の顔を持つ奇怪な紳士を追って御子柴少年は武蔵野の隠れ家に辿り着く。その館のアトリエではどうやらライバル新聞社、東都日日新聞の田代記者らしい人物が捕らわれているらしい。御子柴少年は館への潜入を試みるが、上っていた木から落ちて気を失ってしまう。結局、無事田代記者共々救出されるが、館には蝋で固められた死体がまたもや発見された。御子柴少年はその時ちゃっかり「蝋面博士」が残した「蝋人形日記」を入手していた。 『蝋面博士』
当主が密室から消失し残された家族が悲しみにくれる黒薔薇荘。宿泊した富士夫少年は夜中に時計から抜け出してくる道化師を目撃。 『黒薔薇荘の秘密』
燈台島では七日前に訪問した男が行方不明になったままだという。隠れ場所のない島を金田一と立花滋少年が探索するが……。 『燈台島の怪』
名探偵藤生俊策の息子、俊太郎が銀座の花売り娘の行動に興味を持つ。彼女の兄がルビー盗難と殺人の疑いをかけられているらしい。 『謎のルビー』

「金田一耕助vs蝋面博士」はほとんど「明智小五郎vs怪人二十面相」の世界と同じ……
まずは表題作。 戦後すぐの少年ものだから似ているのか、元々乱歩が創った世界が少年ものの王道だから似てくるのか。 登場する探偵が「金田一耕助」(あるいは「”探偵小僧”御子柴進」)でなければ、表題作の作者を当てるのは困難なのではないだろうか―――というくらいに、どこかで見たような展開とプロットと小道具が揃った作品。 どう考えても人を怯えさせる以上には意味の見いだせない示威行為を繰り返す悪人及びその組織。少年ごときの追跡や捜査に尻尾をつかまれるその無能ぶり。何のために作られたのか分からない大規模な仕掛け屋敷や、犯罪者にしては目立ち過ぎる衣装に必要以上の犯罪予告。その結果、当たり前のように犯罪には邪魔が入ってしまう茶番。(そこで「ううむ」などと唸るなよ、自分で呼んだんだろうが) それでいて土壇場で探偵や警察を煙に巻いてしまう周到な逃走準備……。ま、確かに「東京の人々が恐怖の渦」に呑み込まれるのも分からないでもない。だって、こりゃ怖いよ。犯罪淫楽症にして変質者の集団だもん。
と、冗談はさておき、少年もの=ジュヴナイルの王道を行く作品であることは確かで、別に批判しようとかいう気は毛頭ない。ロジックよりスピード感を重視した展開は、読み出すと止まらないし、ツッコミどころが満載にも関わらず、根本部分でのロジックには破綻もみられない。全体に溢れる緊張感の割りにほとんど人死に場面がないのも良い。犯人や動機にもそれなりに意外性があって(ミステリファンには見通せるレベルだが)最後まで楽しく読むことが出来ることは紛れもない事実。
一方、収録された後半の三短編は、シンプルに提示される謎を解き明かす「本格」系列に属する作品。それぞれ密室及び抜け穴もの、暗号もの、意外な隠し場所もの。こちらは少年ものを意識した謎の提示の仕方によってトリックはすぐに分かるが、「本格もの」の楽しさをシンプルに味わわせる意図に好感を覚える。

この角川文庫では結局十冊以上の横溝正史ジュヴナイルが刊行された。他の作品に比べると多少は入手が難しいとはいえ、他探偵作家のジュヴナイルが軒並み高値を付けていることに比べれば何ということはない。個人的には他の横溝ジュヴナイルをもう少し手にとって比べることが出来れば、と思う。


02/03/04
津原泰水「少年トレチア」(講談社'02)

少女小説の世界を引退後、『妖都』『蘆屋家の崩壊』など濃厚なインナーワールドを文章に綴ってきた氏が以前より執筆していると噂されていた長編がようやく刊行された。

緋沼サテライト。かつて沼だったこの地に十五年前に突如建設された新興住宅地はマンションや一戸建てを含めて数千人の人が暮らしていた。ここには「少年トレチア」と呼ばれる伝説が昔からあった。行方不明事件や小動物の惨殺など、小学生を中心とした事件がいくつか発生し、その犯人は「少年トレチア」だ、というものだ。白い学帽を被り、昔の小学校の制服を着た彼を見た者はほとんどいない。それは少年達が自らの行いを正当化するための都市伝説かと思われていたのだが……。
1999年4月1日。拝島竜介は交際している三島礼於奈とタンデムの後、彼女を送るためにサテライトAの暗がりに入った。一頻りの恋人たちの儀式のあと、停車していたバイクに戻ろうとした竜介は数人の子供たちが集まっているのを目にする。彼らはバイクに完膚無きまでのイタズラを試みていたのだ。ずたずたにされたバイクを前に茫然自失する竜介の後ろから「キジツダ」という声が聞こえる。そして彼は背後からバイクと同様に暴行を受ける。抵抗も出来ず顔面が裂け血だるまとなり片脚を砕かれる重傷を負った竜介は搬送される救急車内から友人の楳原に電話をかける「やらえた……トレ……チアに」。この出来事は、サテライトを舞台にトレチアが暗躍する一連の事件の、ほんの序章に過ぎなかった。

郊外、そして少年たち。世界が都市伝説に溶け込み、人々の心は夕闇と共に溶融して……
都市伝説が具現化する恐怖という中盤までのパートがとにかく魅力に満ちている。 誰もが幼い頃に犯したことのあるだろう何か。一人前とみなされない「子供」という存在だからこそ持ち得る恐ろしさ。「キジツダ」の囁きと共に不公平な形で訪れる裁き。その痕跡が顕在化しない理由……。「人工の都会」だからこそ存在しうる夜の闇、その闇によって育まれる少年たちの心の闇。 闇は子供たちの心を傷つけ、その傷は大人になっても決して完全に癒えることはない。「少年トレチア」に襲われ、残酷な死を迎える大人(といってもまだ若いのが痛ましい)の姿に、読者は心が揺さぶられるような恐怖を味わうことは間違いない。かつての自分の記憶が、現在の自分を急速に追い立ててきて、決して逃れられないとしたら。「少年トレチア」という記憶は歪められ、そしてまた思いがけない形で災厄を呼ぶ。
緋沼サテライトという世界。現代に至る日本の典型でありながら特殊、どこにでもあるようでいてどこにもないこの都市が醸し出す障気がうっすらと物語に霧をかけている。恐怖小説における『罪と罰』。そんなフレーズが頭に浮かぶ。

ただ、それを「夢」という存在に置き換えていく中盤以降の展開に少し視点というか、物語の焦点にブレのようなものがあるような気がしてならない。緋沼サテライトで発生するカタルシスの予感は前半にはなく、中盤というより終盤にて急に現れて津波のように物語そのものを攫っていってしまう。物語の核心たる「それ」が確かにあり、確固たる理由として存在していることはいい。ただ、そのカタルシスが免罪符として作品に機能してしまっている部分がどうも気になる。トレチアによって齎される死、カタルシスが遍く行き渡らせる死。笠井潔氏の大量死の理論を紐解くまでもなく、前半部と後半部の異質さは物語の前後半の違和感に深く関わっているように感じられてならない。また、複数の登場人物を配して立体化させられている緋沼サテライトという都市のイメージが、かえってこの平等に訪れるカタルシスによる不平等な結果によって拡散してしまっている。もっとも、それが作者の意図ならばイマジネーションについてゆけない私にも問題があるのだが。

「緋沼サテライト」「少年トレチア」を幻視する才能は津原氏ならではのもの。ただ、文才に長けた津原氏をしてそのイメージを100%物語に乗せきることが出来なかったくらいにこれらのイメージは恐らく大きいのだろう。とはいえ、これがヤングアダルトから幻想小説作家へと転身し、壮大な夢想を補足し物語へと変換し続ける津原氏のまた一里塚となるべき作品のようにも感じられる。『ペニス』読まなくちゃ。


02/03/03
別役 実「別役実の犯罪症候群(シンドローム)」(三省堂'81)

『探偵X氏の事件』等のミステリ関連の著作もあるが、本来は劇作家として高名な別役実氏。氏独特の感覚が横溢する犯罪学エッセイ集。'70年代から'80年代にかけ、各種評論誌に発表された作品、及び三省堂が刊行するブックレットに掲載された作品を集成している。

『犯罪――その処方箋』
『犯罪――そのデザイン』
「アリバイ」「非常線」「指紋」「動機」「指名手配」「自首」「時効」「共同正犯」「バラバラ事件」「推理」「殺人」「泥棒」「詐欺」「愉快犯」「自殺」「黙秘権」「海賊」「不能犯」「故意」
『犯罪――そのイロニー』
「域内殺人事件」「時限爆弾事件」「あみだくじ自殺事件」「銭湯事件」「サインペン爆弾事件」「幼児殺害事件」「金属バット殺人事件」
『犯罪――そのたましい』
「イスカリオテのユダ」「エヴノ・アゼフ」「ネチャーエフ」「死のう団の最期」「磯部浅一の場合」「北一輝の場合」「川瀬申重の方法」「連合赤軍の神話」「ポール・中岡の場合」

強烈な皮肉なのか、真面目な論評なのか。「犯罪」に真っ向から取り組むふしぎな評論。
「アリバイ」ならば、普通の人間は日常生活を送るうえでアリバイなどない方が普通だ、とか、「動機」を犯罪者は犯罪を犯す前から一生懸命考えている、とか、「指名手配」は人々の通報しないことへの罪悪感に訴える仕組みだ、とか……、挙げられている全ての犯罪学(ないし犯罪報道、刑法等々)に使用される言葉を俎上に挙げ、実際に使用されている意味を知った上で皮肉たっぷりに分析している。またその皮肉がかなり論理的にきちんとしているところがミソ。(まぁ、論理の立脚点が目茶苦茶なものも多いのだけれど) 「犯罪学」という学問について真っ向から捉えるでなく、斜め上くらいから俯瞰するその怜悧な視線がポイントだろう。
単に皮肉で終わっているだけではない。凄いのは一つ一つの事例を踏まえての考察の鋭さ。泥棒や詐欺といった例示されているような「犯罪」の存在が、古い時代と現在とで本質的にどう変化しているのか。その「犯罪」の動機とは何なのか。「そのデザイン」にて論じられてきたことは「そのイロニー」の部分で確実に結実している。現実に発生している事件の分析。新聞報道や犯人の自白から類推されるその本質……等々、頷く以外の反応が出来ない。多少言葉遣いに専門性が見え隠れするので、一般的な書物ではないことも確かだが、本書は恐らく実際にミステリを執筆する実作者の方には大いなるヒントが隠されているのではないか。 現代のミステリが描く様々なテーマに対する回答、ないし示唆に溢れているように思えるのだ。さらに「そのたましい」においては、歴史上の人物を踏まえて人間を「はい/いいえ派」と「わかりません派」に分類する大胆な試みを行っている。これも高度な次元の知識水準が要求される評論だが、説得性が高い。

某古書市にて献呈ながら署名入りの本がそこそこの価格で出ていたので購入、手にとってみた。別役実という人は斯界では凄い人だとは思うのだが、あくまで自分的にはそちらに疎いのでテキスト評価になる。……ひとくちでいえば、リーダビリティを多少犠牲にしても自分の感覚を正確に生真面目に表現している、というタイプ。ただ、この文章そのものも恐らく計算のうちであろうから「高度の読者水準を要求するパロディ」とでもまとめておこう。ただ、おそらく別役氏そのものには「この程度は誰にでも分かるでしょ」と「高度の読者水準」なんて意識はないとは思うけど。


02/03/02
樋口有介「木野塚佐平の挑戦」(実業之日本社'02)

あの木野塚佐平が(正確にはケニアに渡っていた梅谷桃世が)帰ってきた!
連作短編集『木野塚探偵事務所だ』にて数々の動物にまつわる事件を解決した木野塚氏が再び主人公を務めるシリーズ二作目。今回は長編。

警官生活三十五年(正確には警視庁職員として)、警視総監賞受賞(経理システムの構築によって)、ハードボイルドミステリをこよなく愛する六十歳、木野塚佐平は妻のアパート経営によって暮らしに支障が出ないことを幸い、退職金を元手に朝の分別ゴミ出しをきちんと毎日することを条件にして新宿の裏町に念願の探偵事務所を開いた。押し掛け秘書兼助手の梅谷桃世と共に数々の難事件を解決したものの、桃世は半年前に駐ケニア大使として赴任する父親と共にアフリカ大陸へと旅だった……。しかし。国民的な人気の高い総理大臣だった村本啓太郎が心筋梗塞にて倒れるや、桃世は帰国してきた。名門一族に育った彼女にとって村本は遠い親戚にあたるのだという。再び探偵事務所勤務を宣言する桃世を迎え、木野塚氏は嬉しく思いつつもそれが素直に表現できない。
桃世が戻る少し前、素人が育てた金魚がコンクールで金賞を受賞。取材に託けて彼から金魚を譲り受けようとする金魚新聞編集長で木野塚氏が密かに不倫願望を抱く高村女史に頼まれ、木野塚氏はカメラマン役として付き添うことになる。ところが相手はあまりにも激烈に転売を断ってくる。そのことを桃世に話すと、彼女はあっという間にそのからくりを見抜いてしまう。続いて木野塚氏は「何者かに見張られていて自宅から出られない」という次の依頼人の元に向かった。どうも電波な人らしいが、お人好しの木野塚氏は対応に苦慮する。

ハードボイルドの主人公に焦がれる勘違い老年、木野塚氏、奮戦す
「探偵事務所に美人秘書を構え、そのタフな肉体と明晰な頭脳で難事件を解決し、自分自身の生き方を追求しつつも知り合う美女と関係を持つ……。」 ハードボイルドというジャンルから主人公の記号だけを抜き出して都合良くシンプルにしていくとこんな感じだろうか。前作において、主人公の木野塚佐平氏はそんなハードボイルドに憧れ抜いて、遂に自ら探偵事務所を構えるに至った人の良いおじさんだった。本書も木野塚氏の性格や行動パターンがそれと大きく外れることはない。ないのだが、ちょっとストーリー的な手触りに変化の兆しが読みとれる。それは恐らく「世間を揺るがす大事件」を解決したいと望みつつ、実際は動物にまつわる日常の謎の延長のような事件としか巡り会えなかった氏が、「日常の謎」に見えつつ、実際は世間を揺るがす政治の世界を舞台にした大事件と実際に関わってしまう部分にあるのかと思う。
次々と舞い込む依頼そのものはどうも「電波系」の人々の妄想にしかみえず、それに半ば本気で付き合う木野塚氏のお人好しな性格が目立っている。ただ、それらの裏に実際に深刻な事件が隠されている。そして偶然や勘違いがあれど、木野塚氏は獅子奮迅の働きによってその深刻な事件に着々と肉薄していくのだ。木野塚氏のいつものような勘違いなのか、それとも木野塚氏の推理が正しいのか。ある意味読者にとっては宙ぶらりんの気分にさせられる側面もあるが、事態そのものの推移が(主人公の意図以上に)あれよあれよと深刻化していく様子は今までになかった展開である。
加えて何よりも本作が前作と異なっているのは、「ハードボイルドに焦がれる主人公」を笑う対象として描くのではなく、その設定を背負わされた主人公がきっちりと活躍させられる部分にある。その分、魅力的だった本来の探偵役、梅谷桃世の魅力が一歩後ろに控えた感(それはそれで意味があるにしろ)は個人的には少し残念。果たしてとんでもない舞台に登ってしまい、自分では降りられなくなった木野塚氏がどうするのか。 ミステリとしてはちょっとどうかとも思える部分があるが、登場人物と物語展開だけで十二分に読ませてくれる。

本書を通じて感じられる「素朴でとぼけた味わい」は、木野塚佐平という人物なしには存在し得ない。前作を読まれて気に入っている……という方なら、まず読んで間違いはおきまい。ハードボイルドよ、永遠なれ。木野塚氏よ、健康たれ。


02/03/01
辻 真先「仮題・中学殺人事件」(ソノラマ文庫'75)

元はNHKプロデューサーでアニメの脚本等に実績があった辻氏がミステリー界に本格的にデビューしたのがジュヴナイルである本作。可能キリコと牧薩次の二人が探偵役を務めるシリーズで『盗作・高校殺人事件』『改訂・受験殺人事件』へと続く。(現在は東京創元社より『合本・青春殺人事件』として三冊まとめたものが刊行されている)

旅客機と戦闘機との衝突事故でただ一人の生き残りとなりながら、両足が不自由な学生、桂。その事故とは関係なく、彼は中学生ミステリ作家としてのデビューが決まっていた。その戦闘機に乗っていて最新システムにより無事に脱出した林一曹は、その後民間航空会社のパイロットとして働いていた。その林一曹が密室にて殺された。以下の作品を執筆した桂はキヨコに対してその謎を解き明かす……。
人気漫画家の山添みはるは、別の漫画家の原作者を務める石黒竜樹の引き抜きを図って失敗。その石黒が佐賀県で格闘の末に殺された。容疑は死体を発見した現在の石黒のパートナーの漫画家、千晶留美にかかるのだが……。 『仮題』
キリコの通う中学での身体検査の日。彼女の前に受診していたガリ勉の日置浜子がトイレの個室で殺されていたのだ。中から鍵がかかっており、密室殺人と思われた。 『中学殺人事件』


がちがちの本格にして、青春を感じさせるジュヴナイルにして、実に残酷な……。驚き。
語り口は完全なるジュヴナイル。 ちょっととぼけた登場人物のネーミングや、イベントやエピソード毎に彼らが覚える感情の動きなども中学生っぽさを打ち出しており、きっちりジュヴナイルの王道パターンを踏襲している。それでいて、ミステリ作品として提示される「謎」、その論理的な筋道による解決は大人向けも大人向け、いや数あるミステリのなかでも本格ミステリマニア向けといえるくらいの凝り方をみせている。短編作品としてだけではない。一冊全体、つまり全体の構成そのものもまた、凝りに凝っている。しゃあしゃあと「読者が犯人」をこの作品にて行おうと冒頭で宣言し、そしてそれをあっさりと実行してしまっているからだ。そのギャップというかアンバランスな内容が発する印象は強烈過ぎるほどに強烈。、これまで長い期間にわたってソノラマ文庫でしか読めなかったこの作品が、きっちり現代で再評価されたという点も実に素直に頷くことができる。
そして、中学生を主人公にしつつも、事件や物語の流れ、つまり作者の登場人物に対する仕打ちが「残酷」な印象さえも受けた。確かにこのレベルの悲惨な状況やバッドエンディングは、一般向け小説ではそれほど珍しいものではない。しかし本書は緑背のソノラマ文庫、叢書そのものがそもそも青少年向けのものである。ハッピーエンドが叢書全体での基本とされるのではないか。そのなかで、よくぞこれほど突き放したような作品を書いたものだと、感心を越えて驚きですらある。
『アリスの国の殺人』にて推理作家協会賞を受賞しているとはいえ、私のなかでの「辻真先」像は迷犬ルパンシリーズをはじめとする量産作家という印象があった。それが完全にひっくり返された。(後期作品を読めばまた異なる印象を持つ可能性は否めないが)。

恐らく現在入手出来る『合本・青春殺人事件』は異なる構成になっているのではないかと想像する。(実際に調べれば良いのだろうが、手元にないので)本書は見つかりさえすれば読む価値は必ずある逸品。それでも辻真先という作家の凄さのごくごく一部なのだろうが、正直出会えて良かったと思える不思議な魅力を持つ作品である。